教科書分析による職業教育としての高等学校家庭科 の系譜 (第1報) : 戦後初期の教科課程と教科書事 情
著者 青木 幸子
雑誌名 東京家政大学博物館紀要
巻 7
ページ 1‑21
発行年 2002
出版者 東京家政大学博物館
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010231/
教科書分析による職業教育としての高等学校家庭科の系譜(第1報)
一戦後初期の教科課程と教科書事情一
青木 幸子
The Historical Course of Home Economics in Senior High School as a Vocational Education analyzed in terms with Textbooks(1)
−Curriculum and Circumstances of Textbooks in the early Years after the World WarH一
Sachiko AoKI
はじめに
2000年9月、日本家庭科教育学会の創立50周年記念誌『家庭科教育50年一新たなる軌跡に向 けて一』(建吊社)が出版された。その共同執筆者として、高等学校の専門的な科目の教科書の 変遷にっいて調査・研究する機会に恵まれた。しかし、50年という歴史は長く、教科書の散逸 も見受けられ、また紙幅の関係上、十分に詳細な検討ができたとは言い切れないのが心残りと なっていた。
高等学校家庭科は普通教科としての性格と職業教科としての性格とを併せもっている教科で ある。普通教科としての家庭科にっいてはさまざまな研究が試みられているが、職業教科とし ての家庭科は、どちらかといえば研究対象になることは少なかったのが現状である。
そこで、教科書分析によりその時代その社会の家庭像と女性像の描写を追いながら職業教科 としての家庭科の歩みを検証する一方、女性と職業「観」にっいて家庭科教科書の果たしてき た役割を再評価し、男女共同参画社会の実現に向けた家庭科教育の依拠すべき理論とそれに見 合う教科書内容を探る視座を得たいと考える。
本シリーズは、次の研究方法に沿って分析を進める。本稿は、戦後初期の新学制のスタート に伴う家庭科の教科課程の変化と教科書事情について考察する。
1.研究方法
(1) 分析対象および採録要件
分析対象とする家庭科の主たる教科書は、高等学校職業教科・科目の教科書とする。採録教 科書は、学習指導要領告示後、それに準拠した教科書検定を経て、完全実施の初年度に供用開 始された教科書とする。但し、入手困難な場合は、できる限り完全実施初年度に近い年度に供
教職教養科 家庭科教育研究室
用開始された教科書とする。
また、時系列での変化の様子を知るため、領域・分野ごとに同一出版社の教科書を対象とす るが、必要に応じ他の出版社の教科書も採録するよう配慮した。
(2) 分析区分および視点
分析区分は、学習指導要領の改訂に伴う教科書使用開始年度によりおおよそ次の6期とした。
1期:1947(昭和22)〜1951(昭和26)年 皿期:1952(昭和27)〜1962(昭和37)年 皿期:1963(昭和38)〜1972(昭和47)年 IV期:1973(昭和48)〜1981(昭和56)年 V期:1982(昭和57)〜1993(平成5)年 VI期:1994(平成6)〜2002(平成14)年
教科書の分析は、各教科・科目の頁数、見出し・項目・タイトル上の特徴、本文内容の表記、
実験・実習題材、口絵・挿絵の特徴、出版社別の特徴などの内容を検証し、政治・経済・社会 的背景を織り込みながら、女性と職業「観」の形成に果たした教科書の役割にっいて考察する。
2.戦後教育制度のスタートと産業教育
戦後教育の民主化政策の直接的で具体的な牽引となったのは、GHQによる四大指令であり、
新教育の枠組みを構想した第一次米国教育使節団報告書であった1)。この報告書の基本理念を 踏まえながら、新学制への準備が整えられていった。1947(昭和22)年3月31日、教育基本法 と学校教育法が公布され、1947(昭和22)年4月1日に新制中学校、1948(昭和23)年4月1日 に新制高等学校、1949(昭和24)年4月1日に新制大学がそれぞれスタートした。
第一次米国教育使節団報告書は、産業教育についてどのような提言をしていたのであろうか。
(1) 第一次米国教育使節団報告書と産業教育
第一次使節団報告書の第一部第1章「日本の教育の目的及び内容」において、職業教育につ いて次のように述べている2)。
「日本は、その家屋、都市、工場及び文化施設を再建するために、教養ある頭脳はもちろん、
熟練した技術をも必要とする。日本の民主主義を保証するものは、腕がよく、才能と経験があ り、その道の知識にたけた職人にまさるものはない。彼等は産業的資源であると同時に、精神 的資源でもある。このような民主主義の防衛者をっくるために、日本の教育者は、熟練した技 術を持っ人々に対しても敬意を払うように、国民を誘導しなければならない。」
そのため「職業教育はあらゆる水準の学校において強調されるべきものである。よく訓練さ れた職員の指導の下に、各種の職業的経験が要望され、同時に工芸、及びその基礎である技術 及び理論に重点をおくべきである。技術工及び労働者の寄与に対しては、これを社会研究のプ ログラムに組み入れ、かっ独創性及び創造性を発揮する機会が与えられるべきである。」と記 されている。
民主主義の定着、産業の再興という国家的要請を叶えていくための産業教育のあり方を述べ たにとどまらず、民主主義国家の実現において知識ある国民の育成という教育の基本的姿勢の 重要性を指摘している。
(2) 中等学校制度と産業教育
第一次使節団報告書はその第一部第3章「初等及び中等学校の教育行政」において、教育行 政の地方分権化とともに6・3・3制の単線型の学校体系を提案した。中等学校については下級 中等学校(義務制)と上級中等学校の開設を勧めている。これらの学校は無償であり、同一の カリキュラムを採用し、すべての人に開かれた男女共学の中等学校を想定していたのである。
しかし、男女共学については財政上の節約と男女間の平等を確立する上で必要であるとしな がらも、下級・上級中等学校とも教育の機会均等が保証される限りにおいて同水準の別学も許 容している。
また、職業教育については、下級中等学校では職業指導の機会を導入し、完成教育の性格を もっ上級中等学校には、大学等への入学準備課程とともに家庭、農業、商業、工業の各課程の 設置を提示した。地方においては、これらの課程すべてを有する学校の設立を勧告した。
こうした学校体系の提案に対して、学校教育法は中等学校として旧制の国民学校高等科と青 年学校の普通科を再編した新制中学校と、旧制中学校・高等女学校・実業学校・青年学校本科 を改編し全日制課程と勤労青年のための定時制課程、通信教育制度を併せ持っ新制高等学校の 設置を決めた。しかし、当時の窮迫した国家財政の下では、義務教育年限の一年延長を伴った 義務教育制度の確実な実施を優先せざるをえず、新制高等学校の設置は、6・3制を堅持するた めに整理統合という試練を経なければならなかった。
新制高等学校の設置に関しては、1947(昭和22)年12月文部省の編集による「新制高等学校 実施の手引」に設置基準や注意事項が示されている。高等学校の設置にあたっては、その地方 の実情にあった学科(普通科、農業・工業・商業・その他の科)を置くものとし、その種類の 決定には学校の当事者のみならずその地方の人々の総意に基づいて決定するものとしている。
例えば、大都市では近距離に多数の学校が設置されることになり、希望する学科を自在に選択 することができるが、相対的に学校数が少ない地方においては、さまざまな希望を満たすため にいろいろな学科をもっ総合的な学校が望ましい。どんな学科を置くのも差支えないが、「そ の動機が、確固たる理由もなく、ただなんとはなしに普通教育の方が格が高いように思ってみ たり、普通教育に関する学科を置く方が経費が少なくて済むといったような極めて皮相的な考 えに走ることは慎まねばならない。平和国家を建設するに当って、産業の振興はまことに重要 な事がらであるから、実業に関する教育の刷新充実の必要なことはもはや言をまたない」3)と、
均衡のとれた設置を勧奨している。また、交通の便や貧富の差により男女の教育機会の均等や 就学の機会が妨げられることのないよう男女共学にのみこだわるものではない。別学か共学か は、地方の要望を取り入れて決定すればよいが、教科内容と設備、教員はいずれも同水準でな ければならないとしている。
このように報告書の提言を踏まえながら、総合制・男女共学制・小学区制の高校三原則に沿っ た統廃合が行われた結果、職業課程の単独校は半数近くに減少した(表1)。また、男女共学 は全日制で約55%、定時制で80%の実施率を示した4)。
(3) 高等学校教科課程と家庭科5)
1947(昭和22)年4月7日発学 156号通牒「新制高等学校の教科課 程」は、旧制中等学校生徒を対象 とした昭和22年度から課せられる 高等学校教科とその時間数を示し たものである。そこには、「高等普 通教育を主とする高等学校の教科 課程」として大学進学の準備課程 と職業人の準備課程の2例が示さ れ、「実業を主とする高等学校の教 科課程」とあわせて3課程分が明 らかにされた。実業を主とする教 科課程として、農業9学科、水産 3学科、工業15学科、商業科、家 庭1学科が掲げられた。
その後、この教科課程の改正が
表1統廃合前後の公立高等学校数
計十鋤2細2働1
制合総職業一一以上
84
醜
その他
61
普通と職業
刎 鵬
家庭技芸
32
家庭課程
30 9
水産学校
41
水産課程
31
20
商業学校
鯉
商業課程
醜
71
工業学校
㎜
工業課程
㎜ 儲
農業学校
柵
農業課程
鋤
側
高等女学校
脳
普通課程13穏
鋤
中学校
新制高等学校数旧制中等学校数 ㎜゜合後課程︵学科︶合前
注・新制高等学校数には定時制・夜間制を含まない
「日本近代教育百年史篁6巻」326責より
二度にわたって出され(普通教科にっいては「新制高等学校教科課程の改正にっいて」(1948年 10月11日、発学448号)、実業教科にっいては「新制高等学校教科課程中職業教科の改正にっい て」(1949年1月10日、発学10号)が示された)、1949(昭和24)年度より実施することとされ た。これらの改正の趣旨にっいて「新制高等学校教科課程の解説」(1949(昭和24)年4月30日)
において、大要次のように解説されている6)。新制高等学校の教育を実のあるものとするため に教科課程は重要な役割をもっ。教科課程は、「時勢の変遷と共に」絶えず吟味・検討し改めら れるべきものであり、多数の入学生のあらゆる要求に基づいて編成されるべきものである。新 制高等学校においては、「公民的社会的資質の向上」「個人的資質の最大限の発達」「職業的資質 の練磨」を三大目標としており、新制高等学校のすべての生徒に職業への関心と準備、職業上 の資質の育成を図り、差別的職業観を撤廃するための職業指導が必要である。また、職業教育 は男女生徒に共になされなければならない。職業教育の種類・範囲・内容などは、地域社会と 生徒の必要などを十分調査したうえで決定されなければならない。家庭は職業と同じであり、
家庭科は家庭人となるための準備として必要であり、大多数の女子は家庭の主婦になるであろ うから、女子校では家庭科の教育をしなければならないし、男女共学校では男女生徒ともに
「家族」(発学448号において、普通教育の家庭科に関する教科として「家族」が置かれた)のよ
うな教科を学習することが必要である。
一方、個人的資質を最大限に発達させる経験の一っとして「幸福な家庭生活を招来するよう な経験」を男女生徒ともに与えることが必要であり、「幸福な家庭生活の営み」は社会的資質、
職業的資質の向上と不可分であり、そのための準備となる経験が大切である。「大多数の人々 の幸福は、その人達の営む家庭の種類と、その人々が家族達とどのようにしてくらしていくか によるものである。それ故、新制高等学校の生徒は、現在および将来において、幸福な家庭生 活を営む助けになるような多くの経験をもたなければならない。」
以上の解説からもわかるように、家庭科は人間として均衡のとれた発達に必要な教科として 位置づけられているのであるが、家庭が女子の永久就職先であるとの認識が強く窺われる。
3.教科書検定制度と学習指導要領 (1) 教科書検定制度の確立
戦後の教科書検定制度は、1947(昭和22)年3月に制定された学校教育法に由来する。その 第21条に「小学校においては、監督庁の検定若しくは認可を経た教科用図書又は監督庁におい て著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。前項の教科用図書以外の図書その他 の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる」と規定された。この規定は第40 条において中学校にも準用された。高等学校は同法第49条、106条の規定により学校教育法施 行規則第58条が適用され、検定制度はスタートした。
1947(昭和22)年9月、文部省は検定教科書制度の実施を発表し、翌1948(昭和23)年2月3 日、「教科用図書検定要領」が告示され、「教科用図書の検定は、教科用図書委員会の審議に基 づいて検定に関する規準等が制定されるまでの間」7)の暫定規準であることが示された。「小学 校・中学校及び高等学校(中等学校)の教科用図書の検定は、その図書の内容が学習指導要領 に準拠しているかどうか、その図書の構成、印刷、ページ数、用紙、定価等が適当かどうかを 調査するものとする。但し、学習指導要領に準拠しがたいときは、現に発行されている文部省 著作教科用図書又は、文部省検定済教科書の例による」8)とされ、教科書検定と学習指導要領
との関係が明らかにされた。
1948(昭和23)年4月30日に改定された「教科用図書検定規則」(文部省令第4号)には、「教 科用図書の検定は、その図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適すること を認めるものとする」(第1条)、「図書の検定は、教科用図書検定委員会の答申にもとついて、
文部大臣がこれを行う」(第2条)、「図書の検定は、原稿審査、校正刷審査及び見本本審査の三 段階を経て完了する」(第4条)等の規定の他、この規則は昭和24年度以降使用教科書から適用
されること、昭和21年2月23日以降の検定図書はこの規則による検定を与えたものとみなすこ となどが附則にあるが9)、学習指導要領についての言及はない。
1949(昭和24)年2月9日「教科用図書検定基準」が告示された。教科書原稿の検定における 条件として「絶対条件」と「必要条件」が例示された。こうした条件は、すでに前年の4月、検
定基準にっいて理解を促すために出された「教科用図書検定の一般的基準について」において、
基準となる条件として「絶対的条件」「すべての教科書に共通して求められる条件;共通条件」
「ある種の教科書に求められる特殊条件;特殊条件」の3条件を挙げ、各条件にっいて検定合 否に関する評定基準が明らかにされていた。そこには「絶対条件」とは、「教科書としてどうし ても欠くことのできない条件で、これを少しでも欠けば、教科書として不適格となるものであ る」と記されている10)。告示された「教科用図書検定基準」の「絶対条件」には、「教育基本法及 び学校教育法の目的と一致し、これに反するものはないか。たとえば、平和の精神、真理と正 義の尊重、個人の価値の尊重、勤労と責任の重視、自主的精神の養成などの目的と一致し、こ れに反するものはないか」、「政治や宗教にっいて、特定の政党や特定の宗派にかたよった思想・
題材をとり、又、これによって、その主義や信条を宣伝したり、あるいは非難したりしている ようなところはないか」など、「わが国の教育の目的との一致」と「立場の公正」、「教科の指導 目標との一致」を挙げている。「必要条件」には、「教材内容」「児童・生徒の発達」「組織・排列」
「表現」「その他」詳細な規準が挙げられ、その内容は各教科により異なる11)。教材内容とのか かわりで学習指導要領に触れられている。
当時の学習指導要領は、1947(昭和22)年3月の『学習指導要領一般編(試案)』の発行を皮 切りに『各教科編』が発行され、新制度下の教育課程が徐々に整備されっつあった。学習指導 要領は、「学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つ の動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でっくられたものではな い。新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうにして生かして 行くかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである。」12)そのため学習指 導要領には「試案」と明記され、検定基準を満たす一っの「必要条件」という位置づけがなされ ていた。
1949(昭和24)年、検定教科書 の使用が開始されたが、執筆・英 訳など検定手続きに必要な時間的 制約と用紙事情などから、検定教 科書と国定教科書との併用が多い
(表2)13)。この年使用教科書とし て検定申請された教科書は584種、
表2 昭和24年度用教科書種別数 小学校 中学校 高等学校 計 文部省
血汳閨
@検定
61O28 88R1
Q4
25 Q87
P3
174 R18 U5 89 143 325 557 注・旧検定本とは、文部省箸作本のない科目について一種だけ認め られてきた教科書である。
平田宗史「教科書でつづる近代日本教育制度史」136頁より
そのうち原稿審査合格は90種、最終合格となった「新検定」教科書は65種であった。しかし、
この11.1%という検定合格率は8月11日までの合格本に対する割合であり、それ以降の合格本 を加えると180種、合格率30.8%になるという。この年、高等学校家庭科教科書は普通課程用 の7種が申請され、4種が合格(合格率57.1%)となっている14)。1950(昭和25)年以降、国定 教科書の使用は廃止される予定で検定作業が行われていた。
(2) 検定条件における学習指導要領の位置
当初、用紙割当制が廃止されるまでの間の暫定的な措置として文部大臣に附与されていた検 定権は、1953(昭和28)年8月5日、学校教育法・教育委員会法等の一部改正により教科書検 定権は文部大臣に恒久的に帰属することになった。そして1958(昭和33)年8月、学校教育法 施行規則が一部改正され、10月1日に「試案」の文字が消えた学習指導要領が『官報』に告示さ れ、「法的拘束力」をもつものとされた。同年12月12日、「教科用図書検定基準」(文部省告示第 86号)の全面改定が行われ、学習指導要領は「絶対条件」としての位置を占あることになった。
っまり、検定基準の「絶対条件」として「教育の目的との一致」、「教科の目標との一致」、「立場 の公正」が挙げられた。1949(昭和24)年の最初の「検定基準」と比較すると、「絶対条件」の二・
三の順番が入れ替わり、しかも、二番目の「教科の目標との一致」を求める内容として、「学習 指導要領に定める当該教科の目標と一致しており、これに反するものはないか」15)の文言が入
ることにより、学習指導要領への準拠を明確にしている。
このような経緯を辿りながら、今日まで続く教科書検定制度の基盤が形成されていった。学 習指導要領が絶対条件に位置つくことは、国家基準としてのカリキュラムの共通性や平等性を 保証することであり、その基準に準拠して作成される教科書に創意工夫を期待することはむず かしくなっていった。
4.教科書と検定制度
教育制度の整備とともに教育課程にっいても審議会答申を待って学習指導要領が作成され、
教科書検定が行われるという軌道が敷かれてきた。教科書は、前述のとおり検定制度を楯にあ る意味でma−一線、並列的、大同小異、画一的でもある。したがって、教科書の内容を知ること は、その時代・社会の一般的了解事項、規範、意識、風潮などを知ることになり、教科書は時 代や社会を映す鏡ともなる。
戦前の国定教科書の例をみるまでもなく、恣意的に特定の見方・考え方を刷り込むことを目 的としなくても、教科書の記載内容にはその社会の一定の価値観が介在していることがアップ ル(Apple,M.W.)らにより論じられ、例えばジェンダーの再生産装置としてのカリキュラム や教科書の影響力の大きさが報告されている16)。わが国のように、ナショナル・カリキュラム としての学習指導要領とそれに準拠した検定教科書という二重の装置が働いている場合、教科 書を媒介に映し出された内容は真理であり、社会で認められた正統な見方・考え方・知識であ るという前提認識を育みやすく、教科書の潜在的カリキュラムとしての重要性はより一層自覚 されなければならない17)。
概して、教育内容はその時点での科学・学問の成果の表明であり、それらの進歩により内容 に変更があるのもまた事実である。問題は、表明された事実や真理が、どの位置からどこに視 点を置いて記述されるかにより、教科書の再生産装置として果たす役割は異なってくるという
ことである。たとえ教育基本法に学校教育の政治的中立性の確保が謳われていようとも。
教科書が潜在的カリキュラムとしてどのような役割を果たしてきたのか、検定教科書の分析
によりその時代と社会の価値観を読み解き、同時に家庭科の果たした役割にっいて検討する由 縁もここにある。
5.新制高等学校スタート期の教科書事情 (1) 学習指導要領の発行と改訂
新学制による高等学校のスタートは、1948(昭和23)年4月1日である。1947(昭和22)年5月 15日に『学習指導要領 家庭科編(試案)昭和22年度』が発行され、家庭科の総目標や小学校・
中学校の学習内容と指導法の概要とともに、「各学年別による目標」の中で高等学校の科目とめ ざす能力が示された。同年7月16日には旧制中等学校の生徒を対象にした『学習指導要領 家 庭編(中等学校4、5学年用)(試案)昭和22年度』が発行され、11月17日には『学習指導要領 家庭編(高等学校用)昭和23年度』として再発行された。そして、1949(昭和24)年8月29日発 行の『学習指導要領 家庭科編(高等学校用)昭和24年度』により、ようやく高等学校家庭科は その教科構成が明確になった。
この間、高等学校の教科課程について、文部省は第3回(昭和22年4月7日;発学第156号、
昭和23年10月11日;発学448号、昭和24年1月10日;発学10号)通達を出し教科課程表を示し た。それは、新1日の学校制度に対応するためだけでなく、新制高等学校の性格を巡り文部省と CIE(民間情報教育局)の教科観の違いをはじめ、後述するように各学校関係者の間で見解の 相違があったことも大きな要因であった。
3回の教科課程表の中で家庭科の専門教科にっいては、第1回目と第3回目の通達にみられ る。第1回目の通達は、1947(昭和22)年に旧制中等学校に在籍する生徒を対象とした教科課 程表であり、そこには実業を主とする家庭科の教科課程として被服科が載せられている。第3 回目は、1949(昭和24)年度より一新される新制高等学校の教科課程(第2回目通達)のうち、
職業に関する教科表が示されている。それらの内容を表3、4に示す。
(2) 発行教科書一覧
学制移行期にあって旧制中等学校の生徒を対象とした専門学科の被服科は、1949(昭和24)
年に一新された新制高等学校の教科課程表により、この年から自由選択教科となった。このた め被服科用の教科書が普通学科用の家庭科の教科書として流用されることになった。っまり、
実業関係を含めたすべての高等学校の普通教科に関する教科課程の中に家庭科は位置づき、そ こでは「一般家庭」以下、「家族」、「保育」、「家庭経理」、「食物」、「被服」の6教科がおかれ、こ の中の「被服」の教科書として流用されたのである。
この時期に主に出版された教科書は、普通教科用の教科書であった。新設教科としての家庭 科の意気込みを表すように、普通教科としての家庭科を旧制中等学校並みの7〜14単位履修さ せ、さらなる専門的教養を身にっけるための教科の教科書を揃えることに力点がおかれていた。
表3被服科教科課程表
学 年 別 の 例 教 科
一 二 三
実 習 1295 395(11) 455(13) 455(13)
関係教科 裁縫 﨑梵ョ理 﨑檮゙料 﨑條T説 }案
210 P05 V0 V0 P05
70(2)
R5(1)
V0(2)
R5q)
70(2)
R5(1)
R5(1)
R5(1)
70(2)
R5(1)
R5(1)
R5(1)
普通
ウ科
国語
ミ会 フ育
315 P75 R15
105(3)
P75(5)
P05(3)
105(3)
P05(3)
105(3)
P05(3)
必修教科計
2660 980(28) 840(24) 840(24)選択家庭
教科普通教科 490〜910 70(2)〜Q10(6)
210(6)〜
R50(10)
210(6)〜
R50qO)
自由研究
合 計 3150〜
@ 3570
1050(30)〜
ァ90(34)
1050(30)〜
P190(34)
1050(30)〜
P190(34)
備考 選択教科の家庭には被服を含まない 表4 家庭技芸に関する教科表
教 科 単位数(実習を含む) 教 科 単位数(実習を含む)
保 育 6−15 食物経理 3一毛0
保育実習 6−20 被服材料 3−15 小児保健 4−10 被服整理 2−10
小児栄養 3−5 色 彩 2−5
栄 養 3−10 意 匠 2−10
食 品 3−10 仕 立 6−20
献 立 3−10 手 芸 3−15
調 理 5−15 被服史 2−15
大量炊事 3−15 家庭技芸に関するその他の教科
6.新制度への移行期における被服科の教科書 (1) 旧制中等学校の教科課程
旧制中等学校の生徒を対象とした実業教育において家庭科の専門学科として被服科と食物科 が設置(教科課程表が示されたのは被服科のみ)されたのには、明治以来の60有余年にわたる 女子教育の要は家事・裁縫科であるという価値認識を推測させるのに十分であった。
戦時中の1943(昭和18)年に行われた学制改革は、制度上の男女平等が達成された画期的な 改革であった。また同時に、知識・技術の習得に重きを置く分化的教科指導からの脱却を図る 改革でもあった。「中等学校令並教授及修練指導要目」の改正により、家事科と裁縫科は「家政 科」に改称され、「家政」(家の本義・経済・住居・養老・交際)、「育児」、「保健」(食物・衛生・
看護)、「被服」の4科目がおかれた。戦時下という状況が後押しする形で、技術の習得から家
族精神の堅持へと力点がシフトされている。
このような高等女学校の改正家政科の特質を常見育夫は、①母たり主婦たらしめる女子教育 の方針を確立した、②家族制度下における女性の在り方を強調した、③家政科は女子教育の中 枢教科であるとした、④新しい家政科と従来の家事裁縫との相違点を明らかにした、⑤家風の 維持存続を強調して進歩的家庭経営を排斥した、と概括している18)。
こうした状況からの復権が実業教科の名称に見て取れる。
(2)中等「被服」教科書
旧制中等学校の生徒を対象としていた中等学校「被服」の教科書を分析してみよう。
「中等被服」は、「中等被服一」「中等被服二」「中等被服三」より成る。著作・発行権とも文部 省にある。「中等被服一」は(前)(中)の2分冊、「中等被服二」は(前)(後)の2分冊、「中等被 服三」は(前)(中)の2分冊が、東書文庫に所蔵されている。本学博物館には「中等被服三」
(前)(中)(後)を一冊に綴じた教科書のみ所蔵されている。これらを参照しながら、各教科書 の目次と頁数についてみていくことにする。
「中等被服 一」 目録 1.日常生活と被服
2.日常被服の手入れ=しわ伸ばし、部分洗い、まる洗い、繕い、付属品の手入れ 3.手縫ひとミシン縫い=手縫ひ、ミシン縫ひ、(増)ミシンの付属具
4.制服=夏上衣
5.運動服=上衣、中ばき
6.下着類=冬季用下ばき、その1、その2、中着、(増)下ばき、中ばき、中着 7.作業服=作業服下着、(増)作業前掛
8.標準服乙型=二部式単
9.子供用足袋類(編み物)=その1、その2、その3、(増)幼児用下ばき(編み物)、
(増)胴着(編み物)
10000
7−OOハ0り01り絢OQ4
52
65
(増)は、増課教科の意味で、基本4教科(家政、育児、保健、被服)以外に「保健」と「被服」
が設置された。
「1.日常生活と被服」において、「家族の被服の一切の世話を全うする責務」が主婦や母にあ り、古来より「女の手わざの第一とし、女子教養の大切なものに数えてきた。」被服の本旨は、
第一に健康、第二に容儀を整えることにあり、「決して華美な衣裳をたくさんもっことをいう のではありません。」「むだをはぶき、品よく、くり廻しよく着て行くのが、ほんとうの意味の 向上です」と、戦時下における被服学習の心構えを「中等被服」全冊の巻頭に掲げている。
また、従来は家事科の内容であった「被服の手入れ」や手芸に課せられていた「編み物」が含 まれ、被服生活の経営的観点が強調され、内容の統合化の兆しがみられるなどの特徴がある。
しかし、増課教科にみられるように、家政に占める食物と被服のウエイトは高かった。
「制服」「運動着」「作業服」「標準服乙型」などの題材は、時代の要求に応えたものであった。
「中等被服 二」 目録
1.日常被服の手入れ=繕ひと仕立て直し、解き洗ひ、編み物類の洗濯 1
2.洗濯一般の注意=洗濯用水、主な洗濯剤、洗濯用具、洗濯に取りかかる前の用意、 洗ひ方のいろいろ、すすぎ・しぼりと干し方、仕上げ 10
4.長着=大裁ち女物その一・その二、大裁ち男物、中裁ち 27
5.羽織=羽織、標準服乙型の羽織 46
6.乳幼児の被服=乳児用うは着、乳児用下着、靴下(編み物) 65
(増)運動服上衣=中等被服一「運動服」に同じ 73
(増)女学生用靴下(編み物) 76 なお、本学博物館所蔵の「中等被服二」(全1冊)(昭和19年4月25日発行)により旧学制と新学 制の教科書内容を比較すると、旧制度下の教科書は頁数が107頁、「5.羽織」にはさらに「は んてん」が、「6.乳幼児の被服」には「(増)うわ着(編み物)」が題材として取り上げられてい る。「中等被服二」(中)の内容が不明なため比較はできないが、旧教科書では「3.帯=半幅帯、
なごや帯、(増)組合わせ帯」が載せられている。
「中等被服 三」 目録
1.被服材料=被服用繊維、綜、織物、繊維の見分け 2.被服の性能
3.平常着(女物)=平常着(女物)、下ばき、腹巻、巻合はせ式下衣(袷)
4.男児服=幼児用半ズボン
5.作業服=作業服その一・その二、作業用帽子、手甲・手袋・手ざしの類、
脚衿・甲覆ひの類 6.外被類==防寒・防雨用外被
7.平常着(男物)=上衣・下衣、羽織、袷長着、はんてん 8.被服生活の計画
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上記の教科書は、検定時期がいずれも1946(昭和21)年3月5日から4月5日までに行われてお り、綴込みの一冊を除いていずれも折りたたみ式の簡略なものである。傷みも激しく、保管に 十分な注意が払われていたが、目録どおりすべてが完全な形で保存されているわけではない。
採録教科書の詳細は次のとおりである。
教科名
分冊 範 囲 検 定 年 月 日 定 価(前)1−14頁 昭和21年3月17日 0.50円 被服 一 (中)15−26頁 昭和21年4月5日 0.30円
(後)
(前)1−14頁 昭和21年3月5日 0.50円 被服 二 (中)
(後)27−76頁 昭和21年4月5日 1.25円
(前)1−14頁 昭和21年3月17日 0.50円 被服 三 (中)15−26頁 昭和21年4月5日 0.30円
(後)27−70頁 昭和21年4月5日 1.10円
(3) 被服科の教科書
1947(昭和22)年度の在学生に課せられる教科課程として、専門学科被服科には「裁縫」「被 服整理」「被服材料」「被服概説」「図案」の5教科が関係教科として設置された(表3)。
この教科課程は、旧来の女学校と実業学校の別々の教科内容を彷彿させるものがあると角田 一郎は指摘しているが19)、使用された教科書も戦前からの教科書に表紙のみを一枚追加して二 枚表紙としたり、一部削除されて流用されるなど、内容はそのままの応急的・暫定的なもので あった。削除・修正・墨塗りに追われていた教科書事情も少しずっ改善され、1947(昭和22)
年度から教科書目録が発行されている。「昭和23年度使用高等学校教科書目録」には「被服概説」
に新編纂の但し書きが見られる。それ以外の教科書は高等女学校や実業学校、師範学校などの 教科書を流用したものと考えられる。同じく実業学校の教科書目録に上記被服科に関する5教 科の教科書が掲載されているが、「被服整理」と「図案」の二種類の教科書は、本学をはじめ、
東書文庫、教科書研究センター附属教科書図書館、国立教育政策研究所にも所蔵されていない ことが判明している。
次に、関係教科の教科書を紐解いてみよう。以下に採録した三種の教科書は、1948(昭和23)
年度に使用開始された教科書であり、本学博物館の所蔵本である。
1)「裁縫1」(高被1000、成田順・安東テイ・藤田とら著、昭和23年9月25日検定済・同日 発行、昭和28年7月1日修正印刷・同7月5日修正発行)
被服科の中で最も多くの授業時数が配当されていたのは「裁縫」である。「裁縫」の授業 、時数は各学年70時間で、3ヵ年の総授業時数は210時間である(表3参照)。
「裁縫1」は1948(昭和23)年度検定を受け、1949(昭和24)年度から1951(昭和26)年度 まで実業教科書として使用されたが、1950(昭和25)年度から普通学科家庭(第2−3学 年)に流用されたものである。
「裁縫1」の「まえがき」には、「裁縫の学習にあたってたいせっなことは、考えるばかり でなく、実物を実際に製作することである。その製作にはみずから計画・調査・研究し、
たがいに討議し、実験実習することである。その実習したものは着てみて結果を反省しな
ければならない。そうしてこそはじめて、いままでのようなただ形をっくりあげるだけで なく、あたらしい物の見方、考え方が養われることと思う」と、外見の形にとらわれた
(形から入る)作り方の学習からの脱皮を図り、着心地を重視しようとする姿勢がみられ
る。
内容は「裁縫の学習にあたって」から始まり、裁縫の用具、寸法のとり方、原型、ブラ ウス、スカート、ワンピースドレス、冬の上衣、スモックとエプロン、下着、女物ひとえ 長着、女物あわせ長着、男物ひとえ長着、男物あわせ長着、中裁ち長着、長じゅばんとじゅ ばん、補強と繕いの17項目から構成されている。総頁数は176頁である。
まず、「裁縫の学習にあたって」において、「裁縫技術」は古来から「女性の手技として伝 えられ発達してきた。」(1頁)「裁縫は一針一針縫って」いく「まじめな学習と努力」が必 要であり、「風土・習俗に適し」「体型にふさわしい」「生活活動に適し」「目的に合った」被 服を製作することで「はじめてその価値はみとめられるのである」(3頁)と、裁縫学習へ の気概が述べられている。一方、今後は「もっと能率的で科学的な被服生活が要求される」
(1頁)であろうから、わが国の新しい被服文化をつくっていくために、「材料、形態、着 装、手入れなど、科学・芸術などの各方面の総合的研究が必要」(3頁)となることを予見
し、文化国家の建設に向けた被服科の担う役割の重要性を述べている。
記述内容については、「2.裁縫の用具」において、アイロンの重量がポンドで表示され ているのが目を引いた。実習題材に関する記述は、おおよそ形、材料、仕立、反省、研究 の流れで書かれており、基本型をベースとして応用化を図ることができるよう工夫されて いる。 \
「裁縫2」「裁縫3」(高家1107・1108、成田1順・安東テイ・藤田とら著、昭和24年検定)
は、普通科家庭の教科書であるが、「裁縫1」が流用された経緯もあり、その関連において ここで取り上げることにする。
「裁縫2」には、子供と被服、女児服、男児服、下着、帽子、がいとうの子供用衣服題 材に続き、女物あわせ羽織、男物あわせ羽織、女物綿入羽織、男物ひとえ羽織、簡易羽織、
中裁のあわせ・綿入羽織、あわせ帯、作業着(上っぱり、上衣とももひき、下衣、洋服式 上衣・下衣)などの和・洋裁の題材、寝具(敷・掛ぶとん、夜具、ふとんカバー、羽毛ぶ とん、わらぶとん、まくら、かや、ねまき)、丹前、座ぶとんなど合わせて17項目取り上 げられている。最後の18項目目は、「自由研究・実習」として、各自の希望を生かした材料 の実習や速縫の訓練を奨励している。また、「一枚を仕立てるのに要する時間」が掲げられ、
「専門家はもっと少ない時間でまとめることができる。……この人たちの技術に精進し、
普通の人のできないところまで達し得たそのかげには、なみなみならぬ努力がある。また 名人ともいわれる人は道具をぎんみしてたいせっに扱っている。そして仕事場はそく整頓 されている。おたがいにこのみちの発展のために精進して、習熟にっとめようではないか」
(186頁)と裁縫の専門家への自負と精進を鼓舞して結んでいる。
末尾に「対訳術語集」がついているのも、本文中の洋裁用語にカタカナ表記が多用され ているのも、占領下という状況からと推察される。総頁数は192頁である。
「裁縫3」には、簡単な男子服(解きんシャツ、ワイシャッ、カラーっきワイシャッ、ジャ ンパー、半ズボン、下着)、婦人服(ブラウス、スカート、ワンピースドレス、スーツ、
がいとう、下着)、乳児服(改良乳児服、和式乳児服、洋式乳児服)、コート(長コート、
あわせ半コート)、重ねと比翼、たびとたびカバー、附属品(油単、鏡掛)など7項目が取 ロり上げられている。総頁数は176頁である。
成人男子服では、専門家の「多年の研究と経験をもってしても……その体型、その心持 に合ったものをっくることはむずかしい」(1頁)し、「技術的にも能率的にも、価格の点 からも家庭裁縫は困難であったが」(7頁)、「いまは少ない資材、ふるい材料をやりくりし てなんとか間にあわせなければならないことも多j(1頁)く、「家庭で裁縫する必要が生じ てきた」(7頁)というように、時代情況が求める題材も取り上げられていたことがわかる。
以上のように、「裁縫」の教科書は3冊あり、総頁数は544頁に達する。その内容は、「裁 縫1」では主に女子の日常着(洋服)と男女の長着(和服)の基本を取扱い、「裁縫2」では 子供服と男女の羽織や日用衣服一般を、そして「裁縫3」では体型・用途に重点が移り、
成人男女の洋服、乳児服、男女和服の題材構成となっている。
2)「被服材料」(高被1001、内田豊作、昭和23年10月13日検定済・同日発行、昭和24年2月10 日再版印刷・同2月24日再版発行)
第1学年に70時間が配当されたこの教科を「学んでゆく科学的態度」として、(ア)実験 の奨励(イ)その原材料の栽培、飼育(ウ)学習結果の思考・討議・整理(エ)練習問題、
研究課題を通した研究の進め方と糸口をあげ、困難な時代情況の中で「熱意と努力とくふ う」で「あたらしい日本の将来はかぎりなく光りかがやくこと」を念じている。(「まえが
き」)
内容は、1.概説 2.被服材料の主要性能(1〜14)3.おもな被服原料 4.糸 5.織物 6.編物 7。被服材料の仕上 8.繊維技術の発達と被服原料の変遷 9.被服材料の生産と消費 10.被服材料の選択と保存 *対訳術語集で構成され、総頁
数は193頁である。
科学的態度の育成を念じて編集されているが、戦前の女子専門学校、女子師範学校、女 子高等師範学校を対象に編まれた「衣服材料」(1940(昭和15)年初版〜1946(昭和21)年10 版まで供用、斎藤俊吉著)の記述に較べると、本文の内容に準じて挿絵が挿入されるなど、
なじみやすい表現になっている。戦前の「衣服材料」には、被服材料、被服衛生、被服整 理を総合した内容が扱われていた。このことからも、教科内容の再分化が行われたことが
わかる。
3)「被服概説」(高被1100、青木良吉著、昭和23年10月13日検定済、昭和24年6月22日発行、
昭和27年2月10日修正印刷・同2月15日修正発行)
この教科には、第2・3学年に各35時間ずつ70時間の授業時数が配当されている。被服 の使命、形態、着装、保健、文化、経済の関係・変遷を学び、将来の被服生活への「すじ 道」を示すことをねらいとしている。そのため、被服の科学的な研究に重点をおき、内容 は筆者自身が疑問を解明していくよう組み立てると同時に、学習者も実際に「調査し、観 察し、収集してその原則を見出すよう」意図して、問題、調査、見学、実験、測定、考察 などが設けられている。(「まえがき」)
内容は、1.被服を学ぶ 2。被服の使命 3.被服の基本形態 4.被服の着装 5.被服と保健 6.被服と文化 7.被服の経済 8.被服の発達、の8項目から成り、
総頁数は199頁である。上記の教科書同様、末尾に「対訳術語集」がっけられている。挿絵・
図表はあるが、写真は見られない。
7.新制度による専門教育の始動 (1) 「産業教育振興法」と「家庭技芸」
朝鮮戦争の勃発(1950.6.25)(停戦は1953.7.27)は、対日占領政策の変更を誘導し、その後 の講和条約の調印(1951.9.8)は、独立国家日本が独り立ちしていくために、産業教育の振興 がより一層緊急かっ重要な段階に入ったことを認識させた。
1950(昭和25)年の国民総生産価格は、ようやく1930年代中頃の水準に到達したが、日本の 経済水準や国民の生活水準を向上するためには、国内資源の開発と産業の合理化、労働能率の 向上、輸出貿易の振興など、高度の工業化を促進するための政策が急がれた20)。
産業教育振興法(以下、産振法と略称)は、学校教育法の枠内で施設・設備の拡充を図るこ とをねらいとして、1951(昭和26)年6月11日に制定された。「この法律は、産業教育がわが国 の産業経済の発展及び国民生活の向上の基礎であることにかんがみ、教育基本法の精神にのっ とり、産業教育を通じて、勤労に対する正しい信念を確立し、産業技術を習得させるとともに 工夫創造の能力を養い、もって経済自立に貢献する有為な国民を育成するため、産業教育の振 興を図ることを目的」(第1条)としている。この法律に定める産業教育とは、「農業、工業、
商業、水産業その他の産業に従事するたあに必要な知識、技能及び態度を習得させる目的をもっ て行う教育(家庭科教育を含む)をいう」(第2条)と規定され、中学校、高等学校、大学、高 等専門学校の生徒・学生が対象とされた。産業教育のための施設・設備の整備に国庫補助をす
るというのがこの法律の骨子である。
1950(昭和25)年の高等学校への進学率は42.5%(女子36.7%、男子48.0%)であった。その うち、課程別生徒数から産振法の対象となる職業課程の生徒数の割合を算出すると34.8%を占 める。(『学校基本調査報告書 昭和30年度』)
産振法が制定された翌月の7月10日、家庭に関する職業課程の教科として「家庭技芸に関す る教科」が確定した。その年の『学校基本調査報告書 昭和26年度』によれば、「家庭技芸」課 程の延数は、「単独校及び中心校」で920校(国立6校、私立175校、公立739校)を数え、全総数
5,039校(普通課程2,289校)の18.3%を占tO、同じく「分校」は657校(総数2,198校)で29.9%
を占めていた。ちなみに、農業課程は前者で639校(12.7%)、後者で700校(31.8%)、工業課 程は397校(7.9%)・42校(1.9%)、商業課程は687校(13.6%)・36校(1.6%)、水産課程は55校
(1.1%)・11校(0.5%)という配分を示していた。「家庭技芸」課程が多く設置されていたこと は、どのような社会的な必要性がそこには存在していたのであろうか。
(2) 「家庭技芸」と職業課程
1951(昭和26)年7月10日発行の『学習指導要領一般編(試案)』で、高等学校には普通教育 を主とする普通課程と職業教育を主とする職業課程を置くことが定められた。職業課程は、
「農業・工業・商業・水産・家庭技芸などをいっそう広く深く専門的に学習し、卒業後、それ を自己の職業として選択しようとする生徒によって選ばれる課程」(44頁)であり、職業関係科 目を最低30単位履修するものとした。専門教科「家庭技芸」には17科目が設定され、本格的な 職業教育のスタートを切った。17科目は、食物課程、保育課程、被服課程、家庭課程の在籍者 により学習された。家庭科の職業課程の在籍率は、1951(昭和26)年の7.0%から年次ごとに 7.5%、8.0%、8.1%、8.2%と右肩上がりの状態が続き、全職業課程の在籍率の上昇傾向と同じ 軌跡を描いていくことになる。(『学校基本調査報告書 昭和31年度』)
一方、普通課程の家庭科は1949(昭和24)年8月29日に発行された『学習指導要領家庭編 高等学校昭和24年度』により、家庭生活の一般に関する学習として「一般家庭」を少なくとも 14単位必修させることが望ましいとされていた。この度の改訂で、「一般家庭」7単位を第1学 年か第2学年で履修し(5単位は学校で学習し、2単位は家庭実習として課すことが望ましい)、
「さらに個人差に応ずるために一般家庭に含まれる家族・保育・家庭経理・食物・被服等を自 由に選択し、あるいは家庭技芸の一部を選ぶことができる」(74頁)ようになった。
千葉県の高等学校普通課程における教科選択の調査結果をみると、「一般家庭1」が女子生徒 の67.8%、「一般家庭ll」が57.2%、自由選択教科である「家族」が4.8%、「保育1」7.4%、「保育 H」3.8%、「家庭経理」6.0%、「食物1」46.1%、「食物ll」28.9%、「被服1」70.7%、「被服皿」
56.6%の選択率を示し、女子は平均一人当り19.5単位の履修を家庭科でまかなっている実情が 報告されている21)。
また、家庭科教育専門誌である『家庭科教育』に掲載された全国28高等学校の普通科女子の 1951(昭和26)年の履修状況をみると、28校(総計12,354名)平均で「一般家庭1」が24.9%、
「一般家庭2」が21.0%、「被服1」12.4%、「被服2」6.7%、「食物1」10.9%、「食物2」4.0%、
「保育1」3.6%、「保育2」0.5%、「家庭経理1」3.0%、「家庭経理2」1.1%、「家族」2.1%であっ た。しかし、高等学校により履修状況はさまざまであり、愛知県では「一般家庭1」のみ、群 馬県では「一般家庭1・2」のみの履修で、自由選択教科の履修者がいない高等学校もある。
「一般家庭1・2」に「被服1」「食物1」「保育1」「家庭経理1」「家族」の履修は兵庫県の高等 学校で、男子の履修者9名が報告されている。また、「一般家庭1」以下すべての教科が履修さ れているのが青森県と富山県の高等学校にみられる。富山県の高等学校(生徒総数866名、普
通科女子186名、家庭科職業課程女子110名、男子570名)では男子の履修者が39名あったこと も報告されている。その他は「一般家庭1・2」と複数の自由選択教科の組み合わせである。
先述とは別の千葉県の高等学校では、「一般家庭1」23.9%、「一般家庭2」22.9%、「被服1」
2.4%、「被服2」6.4%、「保育2」2.4%、「家庭経理1」23.9%を示している。以上のことから、
『家庭科教育』誌にみられる限り、女子の選択教科の履修率は先述の調査結果ほど高くはなく、
生徒と教師を含めた各学校の実情により教科選択の仕方に大きな違いがあることがわかる22)。
家庭に関する職業課程の在籍率の上昇傾向と普通課程の家庭に関する教科の選択率とは、ど のような関係にあるのであろうか。職業課程の在籍率の高さを解く鍵は「家庭課程」にある。
「家庭課程」の在籍者の比率が他の課程に較べてもっとも高いことが、職業課程の在籍率を押 し上げていたのである。それは、当時の就職状況において女子の職種が制限されていたこと、
女子の就業に対する意識に一定の歯止めがあったこと、そして普通課程志向が男女を問わず高 くなっていったことが大きい。このことの証左となる一文を、少し長くなるが次に紹介する。
「高校を出る娘を持てば」
すでに娘が年頃になる前から、母にとっては、娘が高校を出たらどうさせようかということは一日 も脳裏を離れたことのない問題である。何とかして自分よりももっと学問させて、もっと幸福になれ るようにとねがわぬ日とてはない。
なるほど現在の高等学校は基礎教育の面でわれわれがあの年頃習得したことよりも優れた教育を受 けていると思えるが、しかしまた、それなら今直ちに親から手離されて生きて行けるかしらと考える 時に、何だか影が薄くて中途半ばでどうにもならないと思う。これが男の子ならシャニムニ本人の長 ずる点をいかして、永久的職業を選ぶべく最善を尽くせばそれでよい。しかし女の子なるがゆえに、
果たして一生職業についておられるか否かという点も非常に懸念される。たとえ身体も強壮で、知能 の発育も佳良としても、生理学的に考えて、それが一番の幸福になれる道か否かは、それこそ先の見 通しは絶対効かぬ困難事である。なるほど教育を受けるのに男女の機会均等うんぬんの問題は知って 知り切っていても、なおかっ女だけが子供を産むことのできるもので、産んだ子供は女が育てること が一番自然である。やっぱり自分の娘にも子供を産んで貰わないと人類は滅亡して来る。特に頭脳の よい婦人や技術の優れた婦人、ないしは美しい婦人、心根の豊かな婦人はぜひともよき遺伝素質を残 すべく、ひとしお次代への後継者を残してほしいものである。 (略)
ところが、フト次の瞬間考えっいたことはこうであった。ある専門学校家政科を昭和8年から17年 までの10年間に卒業された方で、私から習って下すった(私が教えた)人々にっいて考えて見た。年 齢は現在40歳前後から30歳前後で、大部分はすでに結婚しておられる。 (略)
(その中から動静のわかる112人を対象に調査した結果、家庭労働以外に仕事を持っている人は41名
(38%)であった。そのうち25名(60%)が教育職であったことが記述されている)
くママ)
今もう一っ考えっいたことは現在生活と楽しみながら、しかも張り切って子供を育て、家庭を管理し ておられる方々の仕事の基礎的知識技能としては、主として3年ないし4年間の家政学部在学中に習得 された内容がその根底をなすものであって、もちろんその後の自分の趣味と熱で精進されての上塗り もあるには違いない。(略)要するに家政科で学ぶ学科の内容がすべて人間の生活に直面しての問題で あるが故に、生活のない人間がいない以上これもまた至極もっとものことであろう。
ここまで来て私は少々我田引水のうらみはあるが、断然うちの娘は上級学校に進学させることに決 あた。しかも断然家政学科をすすあようと叫んだ。家政学科へ入れて置けば、第一婦人の天性を発揮
しながら必要に応じては多方面にそれぞれ自分の好いた仕事に発展できて、いざ鎌倉となれば結構そ れで役に立っ。はっきり決断がっいて気持ちもさっぱりした。
しかし、なおそうはいうものの、昔から各種の職業において第一線で成功している人は大体男子で ある。髪結さんも料理人の方も、ないしは洗濯屋さんだって、じょうずな職人さん、立派な技術家、
一流の政治家・芸術家・評論家は片っ端から男子である。ごもっとものことである。子供を生み育て る女子になおかつ一流になるまでの精進はなかなか時が与えられぬ。健康がっつかぬ。一流になれな いのがむしろ当然すぎるほど当然である。それで一流になれたら不思議でこそあろう。私は二流でも やむを得ぬと思う。いかなる簡単な仕事でも、その場その場においての新しいくふう・創造は専心し かも長年打ち込んだ人によってのみ可能の分野であろう。(略)(アメリカで出版された人名辞典に名 前が出ている婦人は全体の4%に過ぎないことを指摘している)繰返して言いたいことは、あくまで 女性の仕事には子を生み育てること、家庭労働ないしは社会への仕事との総和である。(略)現在多方 面に随分しっかりした足取りで婦人が職場において一種の潤滑油的な役割を果たしていることをしば しば見せられている。また男子の始めた仕事が尻切れトンボにならないように粘り強く仕事の整理、
整頓に当っている婦人等は、婦人として持っ最も美しき長所を遺憾なく発揮している現象である。か くて互に異なる性の長所を取り入れてこそ完全な社会機構が成立っのであろう。心配はいらない。両 刃の効く家政学部に入れて置こう。(略)
中学生と高校生という娘の年齢こそ違え、将来を思いやる親の気持ちは進学先の決定におい て相通ずるものがある。普通課程の女子に家庭に関する教科の履修が積極的に勧められたよう に、職業課程の中で「家庭課程」は普通課程に最も近い柔軟な課程だったのである。職業課程 の在籍率の上昇と普通課程の家庭に関する教科の選択率とは、女性に対する家庭役割期待とい う一点に収敏されていくのである。
(3)家庭科のねらい
専門教科の教科書は、用紙割当制の解除された1952(昭和27)年3月31日以降も従来と変わ らぬ教科書がそのまま、あるいは一部手直しして発行される状況が1955(昭和30)年まで続い た。この頃は、学習指導要領に「試案」が付されており、教科書の著作や編集において創意工 夫が発揮でき、カリキュラムの編成においても教師の裁量が大きなウエイトを占めていたので あるが、専門教科の教科書は1冊も入手できなかった。そのなによりも大きな要因は、職業教 育としての位置づけのあいまいさによると思われる。
新制中学校の教科課程における家庭科の位置づけは、職業科の一科目から「職業・家庭」と 教科への転換が図られたが、家庭科の職業教科としての位置づけやその教育内容の排列をめぐっ て対立があり、職業科の性格と職業教育のあり方をめぐって大きな論争が起こっていた。また、
新制高等学校も統廃合の過程において、旧制度下の学校の「格」をめぐって必ずしも足並みが 揃っていたわけではなかった。実業教育の充実は国家の重要課題であったが、女性の職業とし て「家庭」が厳然たる地位を保ち続けている意識下にあって、女子の職業は家庭婦人として生 きることであり、そのために必要な知識や技術が最優先されていたのである。女子に適職とさ れる就職口も当時の産業情況の中では少なく、職業教育の充実は産業の振興と歩調をともにす るものであった。
制度として専門教育の始動情況は整いっつあったが、戦後の家庭科教育をリードしてきた山 本キクは、「家庭生活を私生活、かげの生活として、軽視する伝統的の思想と、男尊女卑の風 習と、働くことを卑下する傾向とが、今日の家庭科教育に禍している。」「幸福な家庭が個人に 幸福をもたらし幸福な社会を形成し、産業の振興が国家の隆昌を招来することは、衆知のこと でありながら、容易にたち難い伝統にっながれ、将来に望むに深い思慮を欠くわが国の現状で ある」と理想との狭間で葛藤している23)。同じく仙波千代は、家庭科の使命は「家庭生活を基 盤として、近代民主社会に適応する人間」を育成するとともに、「家庭生活のあり方を理解し、
家族の一員としての責任を自覚して、民主的な家庭生活を幸福に営む能力と実践力を身にっけ る」ことにこそあると認識していた24)。また、安藤尭雄は「職業にっいて教授・学習が行われ るから、それが職業教育であるとはいわれない。そこに職業人の育成という意図があってはじ めて、それが職業教育としての職業教授となるのである。教育において重要なのは、この教育 意図である」25)とし、家庭科の「共通的性格」を強調している26)。っまり、普通教育としての家 庭科に人間として共通の基本的教育への期待がみられるのである。家庭科教育に携わる者の多
くは、あくまでも家庭科は民主的な社会の基盤となる民主的な家庭を建設するよき家庭人の育 成を意図していたのである。
こうした考え方は、普通教育としての家庭科に個人的資質の発達を担うことを期待し、職業 教育としての家庭科に家庭という場で職業的資質の練磨を図ることを期待した「高等学校教科 課程の解説」とは異なる認識の枠組みを示すものである。
公教育において生活を教育対象とすることが、旧来からの女性性の家庭生活役割の重視と相 倹って家庭科は女生徒のものという教科観を生み、新学制下における教育の機会均等の原則は 職業教育よりも普通教育へという傾向を強め、さらに中学校の教科課程において他の職業教科 との差異を際立たせながら高等学校職業教育としての役割を賦与されていくことに大いなる疑 問を呈しているといえよう。
さて、普通教育を意図する家庭科の多くの教師たちの思惑と国家的課題である実業教育の振 興との狭間の中で、双方の主張はどのように収束していくのであろうか。そして職業と家庭科 はどのような接合点をみっけるのであろうか。
謝 辞
教科書をはじめ関係資料の収集にあたり、教科書研究センター附属教科書図書館、東書文庫、
本学博物館および図書館の皆様には貴重なご助言とご尽力をいただきました。また、日本大学 芸術学部図書館(所沢)には貴重な資料のコピーサービスをいただきました。記してお礼申し 上げます。