活用したコーチングの可能性と課題 : 大学間連携 等によるワークショップ型演習の実践を通して
著者 花輪 充, 山本 直樹, 鴨志田 加奈, 川合 沙弥香
雑誌名 東京家政大学博物館紀要
巻 22
ページ 31‑52
発行年 2017‑02
出版者 東京家政大学博物館
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00010379/
はじめに
現在、文部科学省(以下、文科省)は、我が国が直面している少子高齢化の進行や地域コミュニ ティの衰退、グローバル化によるボーダレス化、新興国の台頭による競争激化といった急激な社会 の変化や、想定外の被災等による国難を重く受け止め、そうした状況下において「知の拠点」であ る大学の役割を再検討するとともに、社会の変革を担う人材育成や知的基盤の新たな形成とイノ ベーションの次世代を見越した創出について、多様な改革と実行を各大学に求めている。
文科省は、日本の目指すべき社会、求められる人材像・目指すべき新しい大学像を念頭におきな がら、大学改革の方向性を「大学改革実行プラン」としてまとめ、2つの指標を示した。一つ目が
「激しく変化する社会における大学の機能の再構築」であり、その内容は、1. 大学教育の質的転 換、 大学入試改革、2. グローバル化に対応した人材育成、3. 地域再生の核となる大学づくり
(COC〈Center of Community〉構想の推進)、4. 研究力強化(世界的な研究成果とイノベーショ ンの創出)といったものである。また二つ目として「大学のガバナンスの充実・強化」をあげ、内 容として、5. 国立大学改革、6. 大学改革を促すシステム / 基盤整備、7. 財政基盤の確立とメリハ リある資金配分の実施(私学助成の改善・充実 / 私立大学の質の促進・向上を目指して)、8. 大学 の質保証の徹底推進(私立大学の質保証の徹底推進と確立〈教学/経営の両面から〉)を提示した。
大学で教鞭をとる者として、その全容を把握することは当然の責務であるとしても、教員を育成 し、現場に輩出していく役職を担う者としては、とりわけ、1. に示された大学教育の質的転換、
2. のグローバル化に対応した人材育成、3. の地域創生の核となる大学づくり、について直ちに具 現化と実現に向けて手を打つことが希求される。そのためには、自身が専門とする教育内容(シラ バス等)が様々な現代的課題に適応しているか、学科のカリキュラム・ポリシーの編成に則って体
アクティブ・ラナーの育成を目指した演劇的手法を活用した コーチングの可能性と課題
大学間連携等によるワークショップ型演習の実践を通して
花輪 充*・山本 直樹**・鴨志田 加奈***・川合 沙弥香****
Possibilities and Challenges of Coaching Utilizing Theatrical Techniques with the Aim of Fostering Active Learners:
Using Workshop-type Training in University Partnerships Mitsuru H
anawa,Naoki Y
amamoto,Kana K
amoshida,Sayaka K
awai*児童学科 **有明教育芸術短期大学 ***山村学園短期大学 ****人間生活学総合研究科 児童学児童教育学専攻
系化されているか、などの観点から省察する必要性がある。
加藤は、大学教育の質改革について、「多様な学生が、一人ひとり、大学での学習を自らのもの とし、自らの個性を育む、という方向に向かって高められるべきです。そのために、日々の授業 は、学生たちが主体的に、かつ、創造的に学習活動に取り組むことができるように、改革されねば ならないのです。」1)と述べているが、このことは、大学の量的拡散の時代から成熟すべき時代に むけての転換を図る上で、日々の授業をいかに創造すべきかを問う上で核心的な主唱ととれる。
2012年3月の中央教育審議会大学分科会のまとめによれば、大学教育の目的は、従来通り「広く 知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させる こと」、具体的なねらいが「生涯学び続け、どんな環境においても“答えのない問題”の最善策を 導くことのできる能力」を授けることとある。いずれにせよ、大学教育の質改革と転換は、日々の 授業設計と創出によって牽引されるのである。そこで本稿では、学習者としての学生たちを、積極 的な学習者(アクティブ・ラナー)として育成するために、演劇的手法を活用したコーチングの可 能性と課題について考察し、学習者の主体性や協働性、創造性を育むための教授法の構築について 一石を投じたい。
1.学習者(学生)が望む授業とは 1-1.今日の学生の授業意識
今日の学生たちの授業に対する意識について、加藤は、授業内容よりも極めて授業展開の方を問 題視していることを言及している。双方向的な授業の実践や興味・関心を掻き立てられるような授 業展開を理想としていることをあげながら、学生の関心事に沿いながらも、一貫性のある授業デザ インの工夫に教員が尽力することに学生の意識が向いていることを説いている。学生の主張に迎合 する必要性はない。しかしながら、もはや一部のエリートといわれる学生を対象とする大学ではな くなってきたことを自覚しなければならない。「多様な学生一人ひとりが大学での学習を自らのも のとし、自らの個性を育む学習の場」2)であるべきなのである。一方、島田は、学生の授業意識 を、授業の消費化、授業の情報化、エデュテイメント化、デジタル化の4点から語っている。授業 の消費化による学生たちの辛辣な授業評価と直接資格取得に役立たない授業、使えない授業には目 を向けないといった学生意識、そして充足感や満足感の獲得を優先する価値判断、授業の情報化に よる認識情報の価値の下落、仲間と交流することに対する虚無感、エデュテイメント化(「①学ぶ ことは楽しいことである、②学ぶことは創造的である。③学ぶことは自然なことである、④学ぶこ とは個人的なことである、⑤学ぶことは冒険である、⑥学ぶことは一生のものである、⑦われわれ は経験を通して学ぶ、⑧学ぶことは『いっしょに試みる』ことである。簡単にいえば、『楽しみな がら学び、学びながら楽しむ』ということである。『よく遊ぶこと、すなわちよく学ぶことであ る』」)3)による授業概念の多様化に伴う煩雑化、デジタル化による教師対応の遅れとそれに伴う教 育的遅滞など、いまや多くの学生たちの授業に対する意識と教員には大きなギャップが存在するこ とを認めざるをえない。
1-2.双方向性のある授業(interactive)の展開
双方向性のある授業を成立させるためには、「知識や技能のレベルの異なる者同士の教授-学習 関係だけでなく、どのような二人の間にあっても同様の『教える-学ぶ』関係が成立する」4)こと を認識することであり、「ともに教え、学び合うといった開かれた態度と循環的な交流」5)をはか ることなのである。そのためには、授業スタイルを参加型か参画型に変革し、それらの方略に基づ いて具体的な授業システムを構想することである。加藤は「学生たちを生涯にわたって主体的、自 主的に学び続ける学習者に育てるために、あるいは、どんな環境においても“答えのない問題”に 対して最善解を導く能力を育てる」6)ためにも、教師と学生による双方向的な参加型、参画型授業 の取り組みの必要性について言及している。
1-3.興味や関心をかきたてられる授業の展開
講義型授業以外に大学の授業をイメージできない学生は少なくない。したがって、彼らはたとえ 一方向的な授業であっても、教師の切り出すエピソードが、自身の興味や関心を頗る掻き立てる要 素を含んでいたり、意欲を育んでくれるものならば不満を訴えることはないだろう。しかしなが ら、それでは今日求められている大学教育の質的転換とは縁遠いものとなってしまう。島田は今日 の学生について、「学ぶにしても、教えるにしても、しんどくて忍耐がいる場面は山ほどある。現 在、学生はその過程を省いて、要領をかましてまでおいしいとこどりしようとする傾向がある。
(中略)しかし、学生が省こうとするこの過程にこそ、歓びの秘密が隠されている。一見役立ちそ うなことやモノの陳腐化は激しい。困難なことをやり遂げたり、難しいことを学んでわかったりし たときの歓びは大きい。」7)と主唱するとともに、「教師は、学生の将来に本当に役立つものを獲得 するために、双方とも自己確認と他者確認を怠らないこと。」8)と授業内容だけではなく、指導方 法についても苦言を呈している。では、学生たちの興味や関心をかきたてる授業とはどのような構 造をもつものなのか。端的にいうならば、心地よさ(楽しい)を超越して、探求心を煽るほどに心 躍る(面白い)授業とでも言えよう。心地よさが受容的性格をもつものならば、探究心は心と身体 を活性化させ躍動へと導く。目先の居心地のよさを提供するのではなく、「生き方への洞察を見出 したり、生きる歓びを実感できるになったり、他者とのよりよい共生や交歓ができるような授業づ くり」9)が必要とされるのである。
2.アクティブ・ラナーとは
加藤は「学生たちを『アクティブ・ラナー(active learner)』として迎え入れるためには、教師 による講義の中に、学生たちが発表したり、話し合ったり、作業したりする学習活動を組み込まね ばなりません。」10)と説いている。今日の大学教育において、そうした授業実践は決してめずらし いものではない。講義科目、演習科目にかかわらず積極的に取り入れられていることは周知のこと である。我が国においても、すでに予習(アサインメント assignment)や資料の読了(リーディ ング reading)、小グループを作り協力しあって取り組む探究活動や制作活動(ワークショップ
workshop)を常態化し、学生たちの学習ペースに対応した授業システムを実践している大学も存 在する。しかしながら、いくら構想を綿密なものとしてもすべてが円滑に機能するわけではない。
いわばこうしたアクティブ・ラーニング的な授業を展開する場合には、特に教師の教授方法とマネ ジメント力が問われることを自覚しなければならない。学生の目線は実に厳格である。授業担当者 がいかに知識に対して主体的であり、創造的なのか、もしくは社会的であり、文化的な思考をも ち、どれだけの貢献に情熱をもち、授業に挑んでいるのか、に注がれる。加藤は自身の授業のリア クション・ペーパーの中で、望ましい授業を「『具体的な事例や教師自身の経験談が語られたり』
『ジョークや余談があり』『生徒との間にアイ・コンタクトがあり』『ときに、笑いが生じるような 授業』」11)とし、望ましくない授業を「『威圧的、さげすむ、見下す授業』『熱意が感じられない、
目を見て話さない、笑い顔のない、小声で表現力に乏しい授業態度』『雑談やジョーク、ユーモア のない態度』」12)と指摘しているが、アクティブ・ラナーとして学生を迎え入れる以前に、教員自 身の教育姿勢を教師たちが互いに省察しあい、チームとしての意識を高め合わない限り、アクティ ブ・ラーニングの取り組みなど絵に描いた餅になってしまうことを自覚しなければならない。
3.ティーチングとコーチングの調和
中央教育審議会分科会の審議では、学生の自主性、主体性、能動性を発揮させるような教育の必 要性が指摘されているものの、具体的な方策については未だ抽象的かつ曖昧であると言わざるを得 ない。しかしながら、大学教育の在り方に懸念が示され、質的転換が求められた以上、早急に取り 組まなければならない課題であることは周知の通りである。そこで着目したのが、佐藤らが主唱す る「コーチング主体型授業の実践」である。コーチングとは「引き出す」という意味がある。「『人 が本来もっている能力を最大限に引き出す』ための1つの体系だったコミュニケーション手法」13)
とも、「個々の相手に対して、指導すべき内容と方法を変える個別のアプローチ」とも定義される。
いっぽう、ティーチングは「教え込む」ことを意味し、「『すべての人に対して、同じ内容を同じ方 法で伝える画一的なアプローチ』」14)なのである。両者は真逆な方向性をもち、適度にバランスを 保ちながら小学校、中学校、高校やビジネス界において広く活用されてきた。残念ながら、大学教 育においてはこれまで積極的に取り入れられていないようだ。それは、人の経験値をもとに確立さ れたものだったため「明確な理論やフレームワークが存在しない」15)ことが受容されない原因で あったとも、学生は未熟であるから、優先すべきは知識教育であるとも、上から下への一方向型指 導がありきといった伝統的な手法に教育は成立するといった思い込みともいわれるが、“答えのな い問題”に最善解を導くことができる能力を育成することが大学教育に求められている以上、
ティーチングからコーチングへの転換、もしくはティーチングとコーチングを混合した授業設計に ついて検討と実践を重ね、その可能性と課題を明らかにしていくことが急務といえよう。
3-1.コーチングの基本スキル
「コーチングの目的は、能力を最大限に引き出すために、適切な行動を自らとるように促すこと
にある。1人ひとりが内側にもっている可能性、能力、やる気、自発性、責任感を引き出すための 体系立ったコミュニケーションの手法が、コーチング・スキルだ。」16)これまで、わが国の大学教 育は、上から下に向けての一方向型指導(ティーチング)が伝統的に行われてきた。コーチングを 理解するうえで、①人間の可能性は無限である、②答えは相手の中にある、③相手が答えを見つけ るためのパートナーになる、といった3つの基本的な考え方があるが、なかなか受け入れがたい要 件であることは言うまでもない。なぜなら、いかなる時も答えは教師がもっており、学生は指導さ れる者であるといった暗黙の了解があるからである。今後は、上から導く立場とパートナーとして の立場をうまく使い分けながら、根気よく学生にかかわってあげる心構えと姿勢が必要になろう。
3-2.演劇的手法とは
基本的に、ドラマとシアターのエクササイズを導入して、「コミュニケーション力、表現力、想 像力、感性、協調性、協働性、問題解決能力」17)などの涵養をはかる。ドラマのエクササイズと しては、インプロヴィゼーション(即興劇)やミラー(鏡と人間)やジブリッシュ(めちゃくちゃ 言葉)、コンタクト(非言語コミュニケーション)などのシアターゲーム、ティーチャー・イン・
ロール(ドラマへの誘い)や子どもの劇的遊び、パペット・シアター(人形劇)などのプレイ・
メーキングなどがあげられる。シアターのエクササイズとしては、リーダース・シアター(朗読 劇)、素劇、ダンスシアター(舞踊劇)、スケッチブック・シアター、アニメイム、立ち絵芝居など があげられる。今回の取り組みでは、パペット・シアター(人形劇)、リーダース・シアター(朗 読劇)、素劇、ダンスシアター(舞踊劇)を主たる手法とした。
4.ワークショップ型演習の実践
「多様な表現活動を通じての他の受講生とかかわりながら活動を育むといった演習形式の授 業」18)の取り組みが、近年着目されているワークショップ型授業である。ワークショップ型授業 とは、デューイの謂う、learning by doing(成すことによって学ぶ)の主張に傾倒する。デューイ は、「経験」を練り上げ、さらに高い次元へと高めるために、経験の再構成を連続的に促すことや、
教科書中心の教育から生活経験を重んじた教育の在り方が重要であるとし、学習者に、主体的に学 ぶことの意味を獲得させ、民主的・社会的人間の育成を目指してきた。多様な表現活動を通じての 他の受講生とかかわりながら活動を育むといった演習形式の授業、あるいは協働型の表現活動は、
そうしたデューイの教育思想の上に形成されたものと言える。つまり、教師が一方的且つ抑圧的に 授業を牽引するのではなく、枠組みを規定するのではなく、学習者が主体となって、ある時は協同 的・協働的に物事を推進していける授業システムなのである。
ワークショップについて、苅宿は「一言で言えば、『異との出合い』である。ふだんと『ちょっ と違う』場で、『ちょっと違う』人たちと出会ったり、『ちょっと違う』活動をともにしたりする。
当たり前に思っていることが『ちょっと違う』ことに気づいたり、『ちょっと違う』考え方、生き 方があることを知る。自分の中で『勝手に作り上げていた』“あたりまえ”が、ほんとうに『あた
りまえ』だったのか、もっとホントのことがあることに目をつぶっていたのではないか・・・そん なことに気づかされる。また、“異”との出合いは、新しい出合いにむけての勇気を生み出す。互 いがみんな『ちょっと違う』からこそ、そこに新しい“つながり”ができて、これまで予想もしな かった大切なことを、『思わず』互いに学べる仲間がつくれるのだ。」19)と解説している。言い換 えれば、「まなびほぐし=anlearn」の実践とも言えよう。
中野は、ワークショップの要点として、「•ワークショップに先生はいない、•おきゃくさんで いることはできない、•初めからきまった答えなどない、•頭が動き、身体も動く、•交流と笑い がある」20)と定義しているが、今日においては、多くの企業や大学の社会貢献、NPO なども活動 の一環としても取り組まれる一方、公共施設などにおいても、多様なプログラムが組まれ、多様な 公共性の展開としてワークショップが展開されるようになってきている。
2010 年度より、「児童生徒のコミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験」(文科省)
と称したワークショップがスタートした。これは「学校における芸術表現を通じたコミュニケー ション教育の推進を図るため、文化庁と連携し、児童生徒のコミュニケーション能力の育成に資す る芸術表現体験を実施するものである。(中略)このワークショップは、国語、音楽、体育などの 教科や、総合的な学習の時間、特別活動などさまざまな教科領域で取り組まれている。実施にあ たっては、芸術家と担当教師がコーディネーター役の団体などとも連携し、ワークショップを実施 することを前提として、可能な限り、行事ではなく授業として、しかもコミュニケーションの授業 として扱っていくことが求められている。」21)とあるように、身体表現を中心としたコミュニケー ション能力の育成をめざし、演劇、ダンスを中心に、音楽、メディア表現や伝統芸能を実践すると いったものである。
コミュニケーション教育としてのワークショップは、技術や力量を育成するためのワークショッ プとは質的に異なる。演劇のワークショップにしても、「演技力の向上を目指すものではなく、協 働的な場面における子ども同士の他者理解や合意形成を基盤とした意味の生成をめざしていくもの である。(中略)ワークショップという方法を通して、対象となる学校の要望や児童生徒の実態と マッチングしていき、『正解がなく、自分たちの創意工夫や協働性を生かした作品づくりのプロセ スにコミュニケーションがある』ことに気づくデザインがされていると考えられる。」22)
4-1.演劇活動の体験を主眼とした総合的表現授業の取り組み
ワークショップ型授業の試みとして、多くの保育者養成校の表現系科目で取り組まれているのが、
演劇活動の体験を主眼とした取り組みである。新實(2012)は、「表現」のうち「音楽」に関係する 授業科目において、「造形表現」「身体表現」「音楽表現」によるオムニバス形式の授業スタイルを とっているところが多く、その具体化が、ミュージカルやオペレッタ、人形劇やダンスパフォーマ ンスなどの創作と実演であると指摘し、実践校の多くが、各表現のインテグレーションの成果のみ を目的とするのではなく、学生たちのコミュニケーション能力の向上や協働性・協調性の涵養、そ して実践力や応用力の習得、主体性や自発性の強化を前面に打ち出していると解説している。
実に取り組み方は多様である。授業履修者や有志の学生たちで取り組んでいるところもあれば、
全学生挙げての大がかりな取り組みをしているところもある。また、文部科学省の「特色ある大学 教育支援プログラム」にも採択され、地域貢献の観点からも県内外からの高い評価を得ているとこ ろもある。また、ゲストスピーカーや非常勤講師として、専門家を招聘して学生の指導や支援にあ たらせている学校もある。
4-2.ワークショップ型演習に期待されるもの
学生たちのコミュニケーション能力の向上や協働性・協調性の涵養、実践力や応用力の習得、主 体性や自発性の強化を目的とした表現活動の取り組みは全国の養成校にて数多実施されている。
乾は芸術について「基本的な考え方をいうと、それは音楽であれ、文学であれ、絵画であれ、普 通の狭い意味のことばと違った意味で、人びとの心を結び合わせて、みんなが力を合わせる勇気を 出すっていうのが芸術の基本だと思います。」23)と明言しているが、数多の養成校が演劇的創作活 動(協働型の表現活動)に期待している理由もそこに集約される。興味深いのは、ミュージカルや オペレッタといった演劇的アプローチによって、目的を達成しようとしている点である。音楽表 現、造形表現、身体表現、言語表現といった芸術表現を総合化できること、指導にあたる大学教員 たちの専門性が円滑且つ機能的に生かされること、学生たち一人一人が、直面する様々な葛藤を超 えて、最後は多くのプロダクションメンバー(友人や教員など)たちとやり遂げた充足感を共有し あえるなど、その効用は計り知れない。取り組みの形態も様々にアレンジできる。ゼミナールや授 業内で行われる場合は、おおよそ学生内で演目や役割、稽古スケジュールの立案等を決定し、実演 に向けて作業を進めていくことができる。学年単位、学科単位の場合は、規模の大きさに比例し て、外部の会場や企業等と連携して行うことも少なくなく、授業にゲストスピーカーを招聘した り、公演に際しては、ステージデザイナー、メーキャップアーティスト、ステージマネージャーな どの専門家に加わってもらったりしているところも多数ある。また、実行委員会(学生)を発足さ せ、教員との協議を重ねながら、取り組みを進めているところもある。取り組みの期間は、養成校 においてまちまちであるが、15 回の授業機会の中で発表会までを網羅するところ、大学生活の集 大成として、これまでの積み重ねを発表にまで高めているところ、後期授業 15 回+自主稽古等に おいて公演にまで至っているところもある。いずれにしても、学生の気概と担当教員の情熱が原動 力となるために、他の授業に比べて特化した構造をもつことになってしまうことは避けられない。
特に、指導・運営にあたっては、専門性とリーダーシップ力が求められるため、教員の誰もが簡単 に担当できるものではない。そのため、運営的にも、内容的にも、担当者の判断のみに偏向する傾 向に陥りやすくなり、その結果、プログラムそのものがマンネリ化したり、パターン化したりする 危険性も潜んでいるのである。また学生にとって、そうした取り組みの記憶が美化され期待へと変 容することで、表現活動の指針となってしまうことが考えられる。その結果、幼児の特性を顧みな い、幼児教育の実践とは不相応の活動となってしまうことは危惧しなければならない。
5.研究の目的
本研究では、アクティブ・ラナー(active learner)、積極的な学習者の育成を指向する演劇的手 法を活用したコーチングの可能性や課題を、大学間連携等によるワークショップ型演習の実践とリ フレクションを通じて明らかにする。
6.研究の方法
保育者養成校(東京家政大学家政学部児童学科、有明教育芸術短期大学子ども教育学科、山村学 園短期大学保育学科)において保育内容の研究(表現)を担当する3人の教員(花輪、山本、鴨志 田)と大学院生(川合)のコーチングによる、各ゼミ生と有志学生によるワークショップ型演習
(プロジェクト学習)の実践を通して、演劇的手法を活用したアクティブ・ラナー育成のための コーチングの可能性を検証するとともに課題を浮き彫りにする。
7.研究の手順
実施期間:2016年8月13日(土)〜15日(月)
実施場所:練馬区立厚生文化会館
参加者: 教員/ 花輪充(東京家政大学) 山本直樹(有明教育芸術短期大学)
鴨志田加奈(山村学園短期大学) 吉村温子(東京家政大学非)
助手/ 髙﨑みさと(東京家政大学)
大学院生/ 川合沙弥香・岩井真澄(東京家政大学大学院)
卒業生/ 佐伯眞衣・河合真悠子(東京家政大学・花輪ゼミ)
小西太知(有明教育芸術短期大学・山本ゼミ)
学生/ 9名(東京家政大学・花輪ゼミ)
6名(有明教育芸術短期大学・山本ゼミ)
1名(文京学院大学)
テーマ: アクティブ・ラナーの育成を目指した演劇的手法を活用したコーチングの可能性と課 題 ―大学間連携等によるワークショップ型演習の実践を通して―
活動内容:1日目/13日(土)
―― 東京家政大学4年花輪ゼミ7名、有明教育芸術短期大学3年山本ゼミ5名による 創作劇「太一ときつね」「めっきらもっきらどおんどん」のデモンストレーションと 省察。
2日目/14日(日)
―― 東京家政大学花輪ゼミ4年7名、3年2名、有明教育芸術短期大学山本ゼミ3年 5名、2年1名、文京学院大学3年有志1名を加えた3大学合同3グループによる劇創作
「こだま」「かしとすすき」「ねずみのかいぎ」(坪内逍遥『家庭用児童劇第一巻』『家 庭用児童劇第二巻』)のデモンストレーションと省察。
3日目/15日(月)
―― 練馬区厚生文化会館イベント「おはなしいっぱい、げきまつり」にて、「太一 のきつねたいじ」「めっきらもっきらどおんどん」「こだま」「かしとすすき」「ねずみ のかいぎ」のデモンストレーションと省察。まとめとしてルーブリック (Rubric)の 評価指標より本取り組みに対する自己評価を明らかにする。
8.研究の経過
ミーティング(ファシリテーター):
―― 5月31日(火)「遊びのなかの演劇学習会」企画会議/第1回 ―― 6月21日(火)「遊びのなかの演劇学習会」企画会議/第2回 ―― 7月19日(火)「遊びのなかの演劇学習会」企画会議/第3回 ―― 8月 9日(火)「遊びのなかの演劇学習会」企画会議/第4回
ティーチング&コーチング(学生):
―― 花輪ゼミ、山本ゼミ、それぞれに朗読劇(Readers theater)の創作に取り組む。
―― 「太一のきつねたいじ」(花輪ゼミ)「めっきらもっきらどおんどん」(山本ゼミ)
―― 各ゼミそれぞれに、花輪、山本のコーチングのもと、劇の創作に取り組む。
9.演劇的手法を活用したコーチングの可能性と課題 9-1-1.朗読劇(山本)
前提事項として、「朗読劇」という演劇的手法は、童話や民話や、絵本などの文学作品を題材に、
解釈の仕方や感情表現を工夫して複数で朗読し味わうための方法である。今回の指導担当である山 本は「朗読劇」の知識は多少あるが、直接的な指導経験はあまりない状態である。
9-1-2.朗読劇創作の経過
今回は、坪内逍遙作、花輪充脚色「こだま」を題材として、朗読劇を1日で仕上げ、次の日に子 どもに披露するという設定であった。
結果的に「朗読劇」に集まった学生は5人であり、当日の朝に決まった。まず、読み合わせから 始めた。読み合わせ後に一人一人気づいたことや感想を出し合い、作品に対する分析・解釈、工夫 の視点、アイディアを深めながら、再度試すというコーチング的な方法をとった。ただ、最初の2 回くらい読み合わせた段階で、お互いがぎくしゃくしているような空気感を感じた。よく考えると 今日から参加する人もいて、顔と名前が一致もしていない状況であった。特にこのチームは、3つ の大学の学生が集まり、唯一男女の混合チーム。学年も 2,3,4 年生が混在している多文化的な チームであり、大学間連携の縮図のような状況であった。そのため、少し時間を割いて、自己紹介 となぜ「朗読劇」を選択したかを伝え合った。選択の理由や、演劇に対する習熟度や作品に対する
ような指導であった。これは、自分達なりに工夫した作り上げた作品に対して、観客という視点、
演出家という視点から、最後の仕上げを行っていくような指導であった。これによって自分達で考 えた案は大幅に変更することとなった。
9-1-3.コーチングの可能性と課題
「朗読劇」という演劇的手法を使ったコーチングの可能性を考える一つの視点として、演劇的手 イメージも異なっていた。
指導を行う上での事前準備として、指導者なりに作品 テーマを分析したり、椅子の配置を考えたり、台本に表紙 を付けて綺麗な状態にする等を行っていた。それと共に、
花輪が脚色する全段階の脚本も印刷して準備し、必要に応 じてそちらも読んだ。実際には活用しなかったが、麦わら 帽子、金子みすずの詩や BGM も用意はしていた。創作の 際に指導者も含めて全員でこだわったのは、登場人物であ る「母、子、こだま」の関係性を意識した椅子の配置であ る。向かい合って座ってみたり、背中ごしに座ってみたり しながら、演じた本人はどう感じたか、見ていた人たちは どう感じたかを伝え合い、その追求を楽しむことができ た。当然、これは解釈の問題であり、どれが正解という絶 対的なものは基本的には無いはずである。関係性をどう捉 えるか、それは感性の問題、個人の問題である。ただ、一 人でやっているわけではないので調整や妥協をして一本化 する必要は生じるだろう。また、舞台の広さによっても制 約が出るので、必ずしも思いどおりに事が運ぶわけではな い。花輪は助言として、作品解釈をする上で、話の中に父 という存在が出ないことをどう捉えるのか、なぜ母と子し か旅行先に来ていないのかという問いかけを行った。これ によって一気に関係性が定まったと考えられる。その後、
配役を決めて、セリフ割りをして段階で、チームでの稽古 時間は終わった。
終了後、舞台を使っての稽古が花輪の指導によって開 始。花輪の「朗読劇」に関する指導は、声の出し方や表情 を定めたりする等ではなくて、舞台上での役者の立ち位置 と演技範囲、向いている方向についてを決めたり、観客か ら見て創作の工夫が理解できるものかどうかを問うという
法を用いる意味は、本人がその場にいてコミュニケーションをしなければ成立しない活動であると いうことが挙げられるだろう。そして、指導者も含めて本人についてを周りに開示した上で、個と 個のぶつかり合いをしなければ、創作することが難しいということも付け加えられる。もしも誰か を演じるという場合、たとえ誰かの役になっていたとしても、憑依しているわけではなく、本人の 部分が必ず残っている。つまり、演技と本人の価値観やこだわり等の個性に関する部分を分離する ことが難しいのであり、指導者はその部分を引き出さなければならないのである。まさにこの演劇 創作のプロセスは、コーチングのプロセスと類似していよう。その中でも「朗読劇」という手法を 活用するにあたって、「朗読劇」が初心者でも取り組みやすく簡単に出来ると言われているところ に注目した。確かに取り組みやすいとは思えるが、決して簡単ではない。それは制約がかなりある のであり、それを遵守するだけでも大変な労力を要するからである。どういうことかと言えば、語 り手があまり動かないスタイルの場合は、観客はその語り手の視線がどこに向いているか、手の動 きや微妙な身体の揺れ等の細かい動きに注目することになり、役者としてはそのような細かいとこ ろまで作り込まなければならないのである。つまり、集中力や自己制御を求められるのである。た だ、制約があるということは、そこには決まった型があるのであり、その型さえ理解ができれば、
指導者としては指導がしやすいと考えられる。また、制約に慣れれば、次はその型を崩せばよいの である。最初から自由に何でもできるという状況は、逆に難しく、自由な状況こそ不自由であると 言えるかもしれない。「朗読劇」を扱うのであれば、指導者が望めば、最初はシンプルに台本を手 に持ち椅子に座って朗読するスタイルから始め、徐々に台本を持たない、椅子にも座らない、とい うやり方に移行すればよいのである。これらが演劇的手法の中でなぜ「朗読劇」を活用するのかと いうことの一つの理由といえよう。
課題としては、いくら指導者がコーチング的なかかわり方をして、それによって学生が新しい知 見を得たり、何かを発見や気付きがあったとしたとしても、最終的な目標に必ずしも到達するとは 限らないということである。今回のように時間が限られていて、実際の子どもに作品発表すること になっている等の場合は特に、ある程度の完成形を見いださなければならないはずである。そう考 えると、今回の指導がいかにコーチング的であったとしても、教える、導くという要素があまりな かった指導の場合には、どこか片手落ちのような気がしてならないのである。演劇的という要素を もう少し見ると、実際に演じ手がそう感じていたり、相手には通じなくても自分なりに工夫して表 現活動に向き合っている自己目的的な演劇(それが例え自己満足であったとしても)と、観客にど ういう作品を届けるかという課題を追求する、他者伝達性のある演劇に分かれる。「自己目的性と は、自分の表現意図を明確にイメージし、その実現に向かって不屈の行動力をもって立ち向かうこ とであろう。しかし、自己目的性とは、自己の殻にとじこもり、独善的な自己主張をするだけのこ とであっては意味がない。芸術表現のもう一つの特性といわれる伝達性が、自己目的性と車の両輪 のごとく作用することが必要なのである。」24)指導者としての自分は、前者のやり方での指導は達 成できたと言えるかもしれないが、後者の部分はほとんど指導することはできなかった。指導者も 一人ではなく相互に補うというこの部分に大学間連携の意義を見いだせるのかもしれないが、指導
者にはコーチングの姿勢だけでなく、導くことの出来る専門性もやはり求められるのであろう。
9-2-1.舞踊劇(鴨志田)
舞踊劇とは、舞踊表現を主として物語が展開する劇であり、バレエ、歌舞伎舞踊、ミュージカ ル、オペレッタ、世界各地の民族舞踊等、歴史の深いパフォーミングアーツにおいても舞踊劇と捉 えることが出来る演劇的表現手法は多く用いられている。また、大正期以降昭和にかけて発展した モダンダンスや、広汎多岐に発展を見せる現代のパフォーミングアーツにおいても舞踊と演劇の垣 根を越えた創造的な作品が多く見られるようになっている。簡単に言えば、舞い踊るといった身体 表現を用いて物語る演劇的表現手法であるが、それは単なる日常的な動きの再現ではなく、物語の 情景、登場人物の情感等を舞踊表現を通して抽象化し、叙情的表現に再構築する作業であるといえ る。さらに舞踊劇を他者伝達性を念頭においた作品に仕上げることにおいては、一般的には演者自 身の身体性や舞踊経験が程度必要になると考えられる。今回のように、舞踊のみならず表現活動経 験や種類にばらつきのある学生を対象とした学習会で舞踊劇を学びの題材にするにあたっては、そ の創作過程での引き出し方、導き方が大きな要となることが予想された。身体とイメージを結びつ ける力や、共演者・観客との柔軟なノンバーバルコミュニケーションを求められる表現手法であり、
言語表現や視覚化された情報に慣れ親しんでいる学生にとっては、かなり難易度の高いものである と考えられる。しかし試行錯誤しながら自身の身体性に対峙し他者との共振を体得していく過程そ のものが、身体から発せられる表現の力強さやノンバーバルコミュニケーションの可能性について の気づきを得る機会となると考えられ、学びの題材としての多くの価値を内在していると感じる。
指導担当者である鴨志田はダンサー・俳優として、舞台作品への出演、振付及びダンス指導の経 験を積んできた。しかし自身の振付をトップダウン型で指導するのではなく、学習者の創造性を引 き出しながら導くという作業においては目下自身の課題でもあった。学習会の前の事前準備とし て、自身が今まで行って来た創作過程を今一度振返り、自分の中で感覚的に行っていることを具体 化し、学習者を対象とした活動に置き換えた時にどのようなプロセスを構築できるのかについて検 討を試みた。また、学生のイメージを刺激し動きを引き出す為に効果的と考えられる小道具(布、
枝)を用意し、音源については現場で応用しやすいように自身でいくつかの音のフレーズをPCソ フトで制作し準備にあたった。実際にこれらの準備を用いるかどうかは、当日の創作の様子で判断 しようと流動的に考えていたが、ある程度の枠組みを準備した上で当日を迎える事となった。
9-2-2.舞踊劇創作の経過
学習会では、坪内逍遙作、花輪充脚色「カシとススキ」を題材として、舞踊劇の創作実演にあ たった。創作当日、3 人の学生が舞踊劇創作を選択し、鴨志田を含め 4 人での創作活動を行うこと となった。そのうち2人はそれぞれクラシックバレエ、モダンバレエ等の舞踊経験者、もう1人の 経験は少ないが舞踊表現に興味があり身体表現に関して積極的な学生であった。経験の種類、経験 値の差はあったが3人とも舞踊について関心の高い学生であった。しかしテーマである舞踊劇につ
いては、知識も経験もないと認識しており、未知なる世界に前向きに飛び込んで来たような印象を 受けた。
①導入 物語を読む活動(言語表現から身体表現へ)
はじめのうち学生たちは、他のメンバーの身体性や経験 値が気になっているような様子であり、緊張度が高い状態 であった。花輪の助言もあり、いきなりに動きに入るので はなく、物語の流れを把握し作品全体の色合いを共通に認 識することを目的とし、物語を読むといった言語表現を主 とした活動から始めた。黙読、音読、輪読、朗読、立ち回 り付きの語り、といった段階を踏み、読み合わせをして
は、お互いの考えたこと感じたことを伝え合うといった取り組みを重ねた。次第に物語自体の面白 さやメッセージ性について、物語全体を流れる空気感等、共通のイメージについて学生間で自発的 に会話が弾み、互いにイメージを共有出来る度に3人の表情も和らいでいった。
②即興表現からシーン作りへ
普段から慣れ親しんだ言葉を介したコミュニケーション を通じて空気も暖まって来たところで、いよいよ身体表現 へと活動を移していった。ここでは鴨志田が事前に検討し てきた内容(学生のイメージを引き出し、それを身体での 表現にしていくプロセス)について、指導者から投げかけ る形で段階を踏んだ活動を行った。第一段階として役の特 徴を形容詞で挙げ、即興的にポースや動きで表現するワー
クを行った。演劇における役作りのような作業と言えるだろう。第二段階としてシーン設定(季 節・時間・関係性・温度・湿度・匂い・空間配置)についてメンバーで話し合いブロック事に展開 を考え、場面の中で登場人物の関係性を踏まえ立ち位置やステージングを鴨志田含めた4人で創作 した。続いて台詞にあるような役同士の応答的な掛合い(風によって揺れるススキ、最後には風の 力で折れてしまうカシの木など)を動きで表現していった。はじめのワークで共有した役の特徴を 捉えた動きのキーワードをもとに即興的に動きながら呼応しあうような練習を行い、徐々にお互い の動きの中にあるリズムを見つけ、ある程度決まった定型の動きを見つけていくような作業となっ た。これらの一連の創作過程においては、ただ闇雲に動き
回るのではなく、それぞれの役の心情、特性、役同士の関 係性、そこに流れている情景、といった動きの裏側にある イメージを土台とすることを大切にし演劇的な舞踊表現に ついて考えながら創作することをポイントとした。
③他者の模倣からノンバーバルコミュニケーションへ 身体表現活動に移ってすぐの学生の様子は、他者の動き
を気にしながら探り探りといった状態であったが、次第にお互いの動きをミラーのように模倣し あったり、動きを通して互いにコミュニケーションをはかる姿が見られだした。基本的に鴨志田は 言葉がけを中心に行ったが、学生の動きが止まり言葉での活動が長く続いた時や、なにかしっくり と来ない表情を浮かべながら動きを繰り返している姿を発見した時等には、筆者自身も演者として 身体で表現し活動に加わってみることにした。今回は鴨志田からの表現指導でなく、学生から表現 を引き出すコーチング的なかかわりを大切にしようと考え、敢えて自分が動かないということが知 らず知らずのうちに筆者の中の暗黙のルールのようになっていた。しかし自らの身体を持って学生 の表現に加わってみると、危惧していたような指導者の動きを正解とするような解釈に学生が状態 に陥ることはなかった。真似ではなく、伝染といったような感覚で、動きの質感を学生たちが感覚 的に掴みとり、学生自身の頭と身体の間のわだかまりを解く糸口になっていたように感じられた。
学生同士、また筆者と学生の間にノンバーバルコミュニケーションを介した創造が見え隠れしだし た瞬間であった。
④仕上げ・本番
その後、活動を観察していた花輪から、実演を視野に入れた創作についての投げかけとして、身 体の解放といった自分の為の身体から他者に向け表現することを踏まえた身体表現に意識を向ける こと、しかし具体的に説明的な動きをするということではなく、叙情的な表現で表すことの舞踊と しての表現に立ち返る必要性ついて学生へ話があった。学生たちは話の内容について感銘し、舞踊 表現の魅力を改めて認識している様子であった。しかし肝腎の自分達の表現についてアドバイスを どのように活かせば良いかについては頭を悩ませている様子であった。ここまでで、午前中の創作 はタイムオーバーとなった。
午後は花輪の指導のもと、台詞を語りながら作品を仕上 げていく作業が中心となった。実際に他のグループや教員 の前で発表するとなった時、始めのうちは特に自分達の頭 の中で解決されていないことや台詞での表現とのバランス に不安を覚え、身体も硬くなっていたように感じられた。
花輪は客観的視点から、学生それぞれの課題を明確に示す とともに、作品についても演出を加えた。本番には、個人 的に消化しきれていない部分を抱えながらも、互いの空気を感じ取ろうとする意識が強く感じられ た。見ていた子どもたちにも、言語表現とは違った独特の空気感を伝えることができたのではない かと考える。
9-2-3.コーチングの可能性と課題
舞踊劇のコーチングの可能性について今回の取り組みを振返り考えてみたい。 舞踊劇につい て、学びの題材として第一に考えられる可能性は、型(身体性・技術)と自由な表現(即興表現)
という事柄の中で、自身の経験値や身体性と向き合うなかで、今ある自身の力を解体したり再構築
することの必要性について気づく機会となるという点にあるのではないか。舞踊表現は、はじめに も述べたように、他者伝達性を念頭においた作品に仕上げることにおいては、一般的には演者自身 の身体性や舞踊経験がある程度必要になると考えられる。そう言った意味では、技術を身につけた 舞踊経験者であれば、創作しやすいものとも考えられるが、必ずしもそうではない。舞踊劇といっ た演劇的表現となった場合、ただ足が高く上がる・クルクルと回転できるといった舞踊技術で観客 を圧巻するのではなく、「物語」という演劇的要素を媒介としイメージや背景を総合的に伝えると いった事が先立つ目標となる。つまり型や技術それ自体がフォーカスされるというよりは、必要で あれば自分自身の中に構築された型自体を壊し、今必要な表現を模索するといった柔軟で自由な発 想が同時に求められると言える。今回の参加者にも、舞踊経験を有し自分の中に動きの型がある程 度出来上がっていた学生がいたが、物語や台詞のイメージを抽象化し自由に表現するとなると途端 に身体が硬くなり、型から抜け出せない自分にもどかしさを感じているような場面も見られた。反 対に、舞踊経験の少ない学生は、自由に動くことは出来ても、他者伝達性ということを考えた時に 何か具体的にならない自身の身体表現に違和感を感じ、自身の内面にあるイメージが身体に投影さ れないもどかしさを感じている様子が見られた。両者ともに、実際に振返りでもそのように語って いた。技術だけでも上手くいかない、自由な表現だけでも上手くいかない、といった問いは、どの 表現手法にも共通するものではある。しかし言語表現に比べ非日常的であり、型や技術が明確に現 れやすい舞踊表現だからこそ、型と自由について学習者自らが必然と気づいていくような過程を構 築しやすいと考えられる。コーチングという視点で考えると、このような舞踊劇だからこそ起こり うる型と自由表現の間の葛藤によりそれぞれの学生に起こりうる躓きを予期しつつも、それぞれの 弱点が強みにも成り得る事にも気づけるよう、お互いを補完し合うようなかかわり合いの場を生み 出していく観点を持つことが重要だと考えられる。また舞踊劇のみならず身体表現のコーチング全 般においては、学習者の学びの過程をコーディネイトする視点に立ちながらも、指導者自らが体現 していくことも重要であると感じた。そもそも舞踊表現は共演者同士の身体的なコミュニケーショ ンを軸にして創作されるものである。よく考えてみると、芝居の稽古には台本、音楽の稽古には楽 譜があるが、舞踊の稽古では一般的にそういった指標となるような物は存在しない。現代となって は映像機器が気軽に使えるようになり映像で復習するといった機会も増えてきたが、他の表現分野 に比べ、同じ時間・空間を共有しながら身体で体得していかざるを得ないといった特性が強いのが 舞踊表現の特徴と言えるだろう。そう言った背景を考えても、指導者自身が体感した事を自身の身 体を持って体現する事も学びの場には必要かもしれない。実際に今回の活動でも、鴨志田自身が表 現する事で学生が身体感覚をもってそれぞれに必要な要素をキャッチしてくれる場面が幾度もあっ た。純粋にコーチングというよりは導くといった指導的な立ち位置に近くなるとも考えられるが、
コーチングと指導者自身による体現を通した導きのバランスが舞踊表現におけるコーチングのポイ ントとなるのではないかという知見を今回の活動から得る事ができた。
続いて課題について述べたい。一つ目に、身体的なコミュニケーションが生まれるような充分な 時間とプロセスを提供することの重要性について述べる。コーチングの可能性でも述べたように、
舞踊表現は身体的なコミュニケーションによって共演者同士が構築していくものである。活動の中 において、学生同士がお互いの動きを黙々と模倣し合い、身体感覚を共有していく姿には舞踊特有 のかかわり合いや学習者同士のコミュニケーションの深化を感じる事が出来た。しかし、こういっ た感覚を共有するにはある程度時間が必要となる事は否めない。一般的に舞踊作品創作過程及び練 習の中には、繰り返し同じ動きを何度も練習し、共通する動きのリズムを発見していくような「踊 りこみ」という過程が必要になる。今回の活動では、作品に仕上げる事も念頭においていたため指 導者である筆者自身がそういったじっくりと取り組む時間を提供できなかったように感じている。
創作過程におけるコーチングでは、学習者がこのような身体感覚を十分に摺り合わせる事ができる
「時間」を提供する事も重要な要素になると考えられる。二つ目は、今回筆者の学生への具体的な 働きかけについてである。今回は舞踊教育といった見地からではなく、敢えて自分自身の暗黙知の 整理の為にも、ダンサー、俳優としての自身の経験や感覚に基づいて創作過程を紐解きコーチング に応用してみようと試みた。しかし今一歩、学習者への働きかけに対する具体性が欠けていたよう に感じる。学習者の内にあるものを引き出すにあたって「どのような言葉をかければよいか」と悩 む事もあったと同時に、可能性にも記述したように筆者が体現し共に動く活動の中に解決が見いだ される事もあった。勿論「このようなケースについては、このように働きかける」といった普遍的 な答えがある訳ではない。しかし自身の舞踊創作経験や指導経験をさらに詳細に分析することや、
舞踊教育、身体教育、演劇教育等の研究分野から指標となる概念をもとに多くの実践を試み省察を 繰り返すことを通して、反省的実践家として専門性を高めることが自身の課題として改めて明確と なった。
9-3-1.人形劇(川合)
人形劇とは、人形を表現主体とした演劇のことである。世界各地には、その土地の民俗文化と強 い結びつきをもった多種多様な形態の人形劇が存在している。日本における人形劇の源流は神事、
祭事にあり、神と人間との間をとりもつのが人形の役目であった。古来より、人々は生活の中で生 起する多様な感情や思いを人形に投影し、表現してきたのである。
現在、日本における人形劇は、一般に子どもを対象とした福祉に関わる文化と見なされている。
特に、低年齢の子どもが観る劇といえば、多くの人が人形劇をイメージするであろう。しかし、既 成概念に囚われない新たな舞台芸術が次々と生み出されている現代においては、人形劇もその例外 ではなく、ジャンルを超えた人形による現代的な演劇表現を「人形演劇」25)と呼び、新たな概念 を追求する団体も現れてきている。劇人形のみならず、無生命のモノまでが見立てによって表現主 体になり得るということや、人形操作者も舞台上に姿を現す出遣いを基本とし、ヒトとモノ(人 形)との関係性を描き出すことも含めた舞台作りがなされるようになってきたのである。そこで は、遣い手が無生命のモノに命を見出し、表現するという人形劇の本質をみることができる。た だ、このような創作活動は一部の専門家たちの間で認識されているものであり、未だ人形劇作の常 識となるには至っていない。筆者は大学入学と同時に人形劇サークルに所属し、人形劇の創作と実
演を継続的に行ってきた。卒業後、保育現場に勤めてからは、子どもたちの生活に根差した人形劇 の在り方について実践的に検討し、現在は、大学院生としてさらに研究を進めている。その傍ら、
自身が所属していた人形劇サークルにて後輩の指導にあたっているが、目下の課題は、既存の人形 劇スタイルに囚われるのではなく、まず人形劇の本質を捉え、そこを出発点に創造性を核とした人 形劇の創作プロセスをいかに構築するかということである。すなわち、劇人形の作り方や人形の操 作性に関する知識や技術を教授するのではなく、学生自身の想像力により人形に命を見出し、人形 の表情を自ら発見していく原初的な表現行為を創作プロセスの根幹に据えるのである。
本学習会は、まさに学生の主体的な学びを促し、創造性を引き出すことを主眼としたものであ る。したがって、本学習会における人形劇の創作は、見立ての力を駆使し、人形を生かして遊ぶこ とを取り組みの中心に据え、人形遊びの延長線上に人形劇を捉えることを基本的な考え方とする。
つまり、子どもが人形遊びをするのと同じように、学生自身が人形を生かして遊び、そこで生まれ る創造性を核として人形劇を創作するということである。それは先に述べた「人形演劇」の考え方 に通ずるものであり、本学習会のテーマである「遊びのなかの演劇」を体現する試みであるとも言 える。
9-3-2.人形劇創作の経過
各班に与えられた創作時間はおよそ4時間と短時間であることから、当日は人形遊びから始めら れるよう、事前に人形作りを行うこととした。学生にも人形作りへの参加を呼びかけ、2名の学生 が数時間作業に参加したが、ほとんどが筆者の手作りとなった。人形をあえて劇人形ではなく、ぬ いぐるみ状の人形としたのだが、それは遣い手が人形との交流の中で表情を発見し、動かし方を試 行錯誤する過程を重視しようと考えたためである。ただし、動きの可能性を広げるため、手足の付 け根に柔軟性をもたせたり、後頭部にリング状の突起をつけ、持ちやすいようにしたりする等の工 夫を凝らした。また、今回は人形遊びの延長線上に人形劇を捉えるため、人形操作者も舞台上に姿 を現す「出遣い」の様式をとることとした。そのため人形劇用の舞台は用いないが、情景を表すた めの舞台装置として、積み木、パネル、布といった抽象度の高い物を用意し、創作の状況に合わせ て柔軟に対応できるようにした。当日、人形劇の創作は、①自己紹介・ガイダンス、②読み合わ せ、③人形遊び、④構成・演出という4段階のプロセスを踏んだ。以下、創作プロセスの詳細を述 べる。
①自己紹介・ガイダンス
当日は、5 名の学生が人形劇を選択し、筆者を含め 6 名 で創作活動を行うこととなった。その内、A短期大学の学 生1名を除いては、皆、筆者の後輩であり、おおよそ面識 のあるメンバー構成となった。まず初めに一人ずつ自己紹 介する場をもうけ、人形劇を選択した動機について話して もらったが、学生たちは少々緊張した面持ちであった。選
択の動機としては、「保育実習で人形をつかった経験や他の人形劇のワークショップへ参加した経 験から人形に興味をもった。」「身体表現の経験は豊富だが、物を介在させた表現は苦手あるいは経 験がなく、表現の幅を広げたいと思った。」「事前の人形作りに参加し、人形への愛着が湧いた。」
等、様々であった。人形劇を創作した経験はない学生たちであったが、人形を用いた表現の魅力を 各々が感じているといった様子であった。その後、早速、今回使用するネズミの人形を見せたが、
人形が登場すると場の雰囲気は和やかになり、学生たちは各々人形を手にとり、目や口などの部位 を触って感触を確かめたり、動かしてみたり、人形でちょっかいをかけ合って遊ぶ姿も見られた。
しばらく人形と触れ合った後、今回取り組む人形劇の概要について、映像(筆者らの出演する保 育所での人形劇公演映像)を用いて説明を行った。劇人形ありき、額縁舞台ありきという型からの 出発ではなく、素朴な表現行為である人形遊びを活動の中心に据え、学生たちの創造性を核として 劇を構成していくことについて共通認識をもった。そして、劇発表の段階では、人形で遊ぶ大人た ちの姿を観て、観客である子どもたちもそこに参加したくなるような内容、すなわち、子どもたち が自らの生活文化に取り入れていきたくなるような魅力ある内容を目指すことを目標として掲げ た。ここでは活動全体の方向性を示し、学生の意識を明確化することを目的とした。
②読み合わせ
まずは、物語の全容を掴むため、各自黙読、音読を行っ た。その後、筆者も含め全員で輪読を行ったが、そこで は、文字を音声化するだけでなく、相手の言葉を受け止 め、自分の言葉も相手に届けるという意識をもたせるよう にした。次第に、物語全体に流れる空気感やキャラクター 同士の関係性についてイメージが掴めてきたようであった ため、そこで配役を決めることにした。筆者が母親ネズミ の役を担当することとし、学生たちには子ネズミ 5 匹の役を決定するよう促した。学生たちは、
キャラクターに対する各々のイメージを伝え合うが、どの役をやりたいかについては中々声があが らなかった。学生の様子や発言からは、周囲に遠慮しているだけでなく、自分はどの役に適してい るのか、普段の自分とは違うキャラクターにもチャレンジしてみたい等、様々な迷いがあることが 読みとれ、筆者は学生自身の決定を待つことにした。少々時間はかかったが、一人が役を選んだこ とをきっかけに、次々と手があがり、配役が決定した。その後、読み合わせを行ったが、自分の人 形を手にすると、輪読の時とは声のトーンや表情が全く変わり、台詞に合わせて自然と人形を動か す等、人形をもつことで表現が伸びやかになる様子が見てとれた。
③人形遊び
ここではプロットを頭に入れておく程度にし、人形の心情になって遊ぶことを重視した。表現行 為には、自己目的性と伝達性という二つの要因があるが、まずは自己目的的活動、つまり、個人の 内面活動を活性化させ、それを当事者同士の関係の中で表現し合い、分かち合う経験を大切にした いと考えた。そこで、第三者(観客)を意識するのではなく、当事者同士の関係の中でドラマを展
開できるよう、円状になって活動を行った。学生たちは、
活動当初、言葉を発する時以外は人形を持っているだけと いう状態になりがちであった。そこで、言葉を発さない時 も人形は生きているということを意識させ、それぞれの キャラクター像について話し合ったり、実際の子どもの姿 や親子関係等についてイメージできるような投げかけを 行っていく中で、各々がイメージを膨らませたり、学生同
士でイメージを共有したりする過程を経ながら、次第に生きた言葉のやり取りや、人形の動かし方 の工夫も生まれていった。
④構成・演出
昼休憩を挟み、午後は舞台上での稽古となった。午前中 の活動をベースにしながらも、観客の視点を意識し、伝達 性に重きを置いた活動へと移行した。舞台上に立つと、先 ほどまでの和やかな雰囲気とは打って変わり、若干の緊張 感が漂った。ここでは、花輪が全体を俯瞰する立場をと り、筆者は演者として学生の伴走者という立場をとった。
まずは、用意していたパネルと積み木をシンメトリーに並
べ、そこで人形を動かしてみたが、花輪から舞台空間が整然とし過ぎているとの指摘を受けた。そ こで均衡をあえて崩し、パネルをトンネル状にしたり、積み木を縦、横、斜めと不揃いに並べたり して、子ネズミたちの遊び空間を表現することを試みた。また、花輪は、各キャラクターの個性や 心情、関係性等について、学生たちのイメージを触発するような投げかけを行うと同時に、それを 観客が掴みとれるようにするため、観客の視点からの指導を行っていった。出遣いにおいては、表 現主体である人形だけでなく、その遣い手の所作や、遣い手と人形との関係性も観客は捉えている ため、演者には多面的な見方が必要となってくるのである。
デッサンがある程度終了したところで 15 分程の休憩をとったが、その間、学生たちは休む間を 惜しんで、動きを確認し合ったり、人形の動かし方やお互いの所作を見て指摘し合ったりする姿が 見られた。観客の視点からの指導が入ることにより、自身の表現を多面的に捉える意識が高まり、
学生同士の主体的なコミュニケーションは一段と活発になったようであった。休憩後は通し稽古を 行い、創作活動は終了となった。
9-3-3.コーチングの可能性と課題
以上の人形劇創作の経過に、省察時の学生の発言を加味しながら、コーチングの可能性と課題に ついて述べることにする。
まず可能性についてだが、コーチングにおいては学生自身の個性を認め、表現を引き出していく プロセスが基本となる。しかし、役になりきって表現するということについて、わだかまりなく表