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Aslan 像再考 ――

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(1)

論 文

Aslan

像再考

――

The Lion, the Witch and the Wardrobe

におけ る

Aslan

の分析を通じて――

半田 涼太

はじめに

The Chronicles of Narnia

Aslan

と い う 作 中 人 物 が 登 場 す る。

Aslan

The

Chronicles of Narnia

において非常に重要な役割を担っており――例えば第六巻の

The Magician’s Nephew

1には、Aslanが、この物語の主な舞台となる

Narnia

という 世界を創造する場面が描かれている――、彼について数多くの考察や研究がなさ れている。第

1

章で具体的に確認するが、先行の多くの論考は

Aslan

を次の二つの 観点から論じている。一つはイエス・キリストとの関連からであり、もう一つは 善悪の観点からだ。これら二つを織り交ぜて論じている論考も少なからずある。

Aslan

像の論拠をイエス・キリストに求めるのは、

The Chronicles of Narnia

の著者 である

C. S. Lewis

がキリスト教を信仰しており、さらに

Lewis

が手紙等で

Aslan

をイエス・キリストと関連付ける発言を行っているからだ。また、The Chronicles

of Narnia

の物語内で

Aslan

がイエス・キリストと関連を持っていることが暗に

示されてもいる。これらを端緒として、

Aslan

をイエス・キリストと関連付けて 論じることが当然のことのようになっているのである。しかし、

The Chronicles of

Narnia

の物語内において、Aslanがイエス・キリストと関連を持っていることが明0

確に0 0示されることはない。これら

Lewis

の発言及び物語内での暗示についても第

1

章で確認する。一方善悪に関しては、イエス・キリストとの関連とは異なり、

The

Chronicles of Narnia

の物語内で或る程度明確に示されている。しかしながら、善

悪の判断基準は主観的にならざるを得ない。例えば、物語内で善であるとされてい ることでも、別の観点からはそれを悪と捉えることが可能な場合もある。したがっ て、物語内の判断基準に依拠して

Aslan

の善性や悪性について論じる論考よりも、

むしろその判断基準を再考し、場合によってはそれを揺動させるような論考こそが 求められる。ところが、既存の論考は物語内の判断基準に依拠し、それをそのまま 提示するにとどまっている。(

The Chronicles of Narnia

研究にはこのような不足点 もあるのだが、後述するように、本論文では善悪に関する考察は行わないことをこ こであらかじめ明記しておく。)

(2)

上述のように、既存の論考の多くは

Aslan

像の論拠を

The Chronicles of Narnia

テクスト外、特に聖書に求めたり、Aslanを善悪の観点から論じたりしている。で は、Aslan像の論拠を

The Chronicles of Narnia

のテクスト外に求めることなく、さ らに善悪の観点を留保した上で

Aslan

を分析した場合、どのような

Aslan

像が立ち 現れてくるのだろうか。既存の

Aslan

像と同様の

Aslan

像を提示することになるの か、あるいは既存の

Aslan

像とは異なった

Aslan

像を提示することになるのか。本 論文ではこの疑問を検証するため、全七巻ある

The Chronicles of Narnia

のうち、

その第一巻である

The Lion, the Witch and the Wardrobe

に分析対象を限定し、禁欲 的なまでに

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のテクストに踏みとどまって分析 を行う。分析対象を

The Lion, the Witch and the Wardrobe

に限定するのにはいくつ か理由がある。根本的な理由は、

The Chronicles of Narnia

は七巻各巻が自律した 作品として読まれうるため、というものである。連作の各作品が各々一つの作品 として自律しているならば、それぞれ個別に分析する必要がある。そうであるな らば、

The Chronicles of Narnia

の中で最初に出版された

The Lion, the Witch and the

Wardrobe

を最初の分析対象に据えるのが妥当だと考えられる。それから、紙幅の

都合のため、というのも理由の一つだ。結論めいたことを先取りしてしまうこと になるが、The Lion, the Witch and the Wardrobe及び

The Chronicles of Narnia

の他 作品における

Aslan

像を比較検討してみると、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

単体で立ち現れてくる

Aslan

像と

The Chronicles of Narnia

の他作品単体や連作全体 を通して立ち現れてくる

Aslan

像が一致しないことがあることが明らかとなる。し かし紙幅の都合上、本論文において複数の作品を精密に分析した結果を記述するこ とができない。そこで、本論文では主な分析対象を、それのみで分析対象となりう る、またそれのみで分析対象とすべき一つの作品として自律している

The Lion, the Witch and the Wardrobe

に限定し、テクストに即して

Aslan

を分析する。

先にも述べたように

The Lion, the Witch and the Wardrobe

以外の六作品を精密に 分析した結果を記述することはできないが、その代わりに

The Lion, the Witch and

the Wardrobe

の分析によって立ち現れてきた

Aslan

像に準拠して他の六作品におけ

Aslan

を確認する。そうすることによって何が見えてくるのか確かめたい。

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のテクストに踏みとどまった分析を行うこ とにより、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のテクストに忠実な

Aslan

像を提 示することができる。またそれだけでなく、テクストに忠実でありながらこれま で提示されてこなかった

Aslan

像を提示することができるかもしれない。新たな

Aslan

像を提示することになった場合、既存の

Aslan

像を揺るがすことになる。そ

の影響は当然

The Chronicles of Narnia

全体に波及し、その

Aslan

像をもとに

The

(3)

Chronicles of Narnia

七作品全てにおける

Aslan

像に再検討を迫ることとなるだろ う。そうなれば、

The Chronicles of Narnia

論に新たな視座を提供することができる かもしれない。

第 1 章 Lewis の発言、物語内での暗示、先行の論考の確認

まず

Aslan

に関する

Lewis

の発言を確認しよう。彼は

Hila

という読者から受け

取った手紙に対する返事として次のように書いている。

As to Aslan’s other name, well I want you to guess. Has there never been anyone in this world who

(1.

Arrived at the same time as Father Christmas.

(2.)

Said he was the son of the Great Emperor.

(3.)

Gave himself up for someone else’s fault to be jeered at and killed by wicked people.

(4.)

Came to life again.

(5.)

Is sometimes spoken of as a Lamb

see the end of the Dawn Treader

. Don’t you really know His name in this world.

(Dorsett and Mead 32)

また、Lewisに手紙を送った

Fifth Graders

に向けて次のように書いている。

You are mistaken when you think that everything in the books “represents”

something in this world. […] I did not say to myself “Let us represent Jesus as He really is in our world by a Lion in Narnia”: I said “Let us suppose that there were a land like Narnia and that the Son of God, as He became a Man in our world, became a Lion there, and then imagine what would happen.”

(Dorsett and

Mead 44-45)

これらの手紙の内容から、そもそも

The Chronicles of Narnia

の著者である

Lewis

が、Aslanをイエス・キリストと関連付けていることが明確に了解される。

次に

The Chronicles of Narnia

の物語内での暗示を確認しよう。Hilaへの手紙で 言及されている第三巻の

The Voyage of the Dawn Treader

に次のような記述がある。

Edmund

Lucy

が、二人はもう

Narnia

に来ることはないと

Aslan

から聞かされ、

したがってもう

Aslan

に会うことができないのではないかと心痛する。それに対 し、Aslanが二人に次のように言う。“I am [in your own world too] […] But there I

have another name. You must learn to know me by that name”

(209)

.

これらのようなことがあるため、先にも述べたように、

Aslan

はしばしばイエス・

(4)

キリストと関連付けられて論じられる。しかし、先程引用した

Aslan

の発言は飽く 迄暗示にとどまっており、Aslanが言う“another

name”がイエス・キリストのこ

とを明確に指し示しているわけではない、ということに注意しなければならない。

では実際に先行研究において

Aslan

についてどのような解釈や説明がなされてい るのか。当然ながら既存の論考を網羅することはできないが、以下実際にいくつ か確認しよう。その際、先にも述べたように本論文では

The Lion, the Witch and the

Wardrobe

を主な分析対象とするため、主に同作品に関する記述を抜き出すが、論

者の論述の仕方のためそれに限らない場合もあることをあらかじめ明記しておく。

柳生望は次のように主張している。「ここではアスランはライオンであるが、海 の彼方の国の大帝の息子で、受肉した神の子キリストの象徴である。アスランは動 物の世界であるナルニアの国のキリストである。〔中略〕力が王権に関係するよう に、アスランはナルニアのけもの王国の王である。それゆえ、アスランは動物の形 で受肉しているのである。海の彼方の国の大帝の息子とは、神の子キリストをあら わす。つまりアスランはライオンの形をとった神の子、王であり、ここに人間とな られたキリストとの類比がみられる」(63)。このように述べた後で、

The Lion, the

Witch and the Wardrobe

において

Aslan

がいかにイエス・キリストを暗示している

かを述べていく(63-75)。

柳生直行は、「アスランについては語るべきことが多いが、ここではそのいくつ かの特性に触れるだけにとどめておく」(285)として、「アスランは天地の創造者 にして最後の審判者である」(285)、「彼は怖ろしいがまた同時に、笑いとダンスを 愛する陽気なライオンである」(286)、「アスランは愛に満ちている一方、罪を犯し た者たちに罪の償いを求める厳しさを持っている」(287)、と述べている。

本多峰子は次のように論じている。「アスランはキリストを意識して書かれて」

(249)いる。「魔女は徹頭徹尾悪であり、アスランは完全な善である」(249)。そ して「『ライオンと魔女』から『最後の戦い』に至るまで、アスランが創造主とし てあるいは王として、絶対的な権威をもっている」(

281

)。さらに、

Aslan

に関す る言説、“He is not a tame lion”に言及する文脈で「神」という単語を持ち出して おり(284-86)、Aslanは神であると明示してはいないが、そうであることを示唆し ている。

竹野一雄は「白い魔女/

Aslan」という二項対立を立て、白い魔女が悪であるの

に対し、Aslanは善であるとする。そしてそれぞれに属するものを次々と比較して いく(231-37)。その中に、「秩序と愛の支配するアスランの共同体対鞭と拷問が支 配する魔女の圧政」(

232

)という記述がある。さらに、「『ライオンと魔女』はアス ランによるナルニア国の回復の物語である」(237)と述べている。

(5)

安藤聡は、「正体不明の偉大な存在であるアスラン」(50)と記している。そして 次のように述べている。「春の訪れの描写はアスランの到来と魔女の呪縛の弱体化、

すなわちナルニアの再生を暗示するのみならず、エドマンドの内面的再生の隠喩と しての意味合いをも併せ持っているのである。またこの作品における春は、魔女が もたらした冬が内包する悪のイメージとの対照から、つねに善のイメージを伴って いると考えてよい」(54)。

以上のように、少なくともここで取り上げた各論考では、そのほとんどが

Aslan

像の論拠を

The Chronicles of Narnia

のテクスト外に求めたり、Aslanを善悪の観点 から論じたりしている。柳生直行は

The Chronicles of Narnia

のテクストに即した

Aslan

像を提示しているが、それは

The Chronicles of Narnia

のテクストの分析とい うよりも、その要約となっている。このように、

The Chronicles of Narnia

のテクス トのみによって、なおかつ善悪の観点を留保した上で浮かび上がらせた

Aslan

像は これまで提示されてこなかった。そのため、先にも述べたように、本論文では

The Chronicles of Narnia

の第一巻である

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のみを用 いてテクストに忠実な

Aslan

像を浮かび上がらせてみたい。

第 2 章 白い魔女像

まず、The Lion, the Witch and the Wardrobeにおいて

Aslan

に対立する者である 白い魔女(the White Witch)の特質を確認しよう。そうすることにより、Aslan 特質がより鮮明に浮かび上がってくる。

“The White Witch? Who is she?”と尋ねる

Lucy

Mr. Tumnus

が次のように答 える。“Why, it is she that has got all Narnia under her thumb. It’s she that makes

it always winter. Always winter and never Christmas; think of that!” (20) . Narnia

常に冬であるという状態は、単一的かつ静的な状態だ。つまり、本来四つあるはず の季節が一つしかなく、また他の季節へ移行するという動きがない。したがって、

Mr. Tumnus の言葉から、Narnia

は変化がない停滞した状態となっていることが了

解される。そして

Mr. Tumnus

が言うように、白い魔女が

Narnia

をそのような状 態にしているのである。このことから、白い魔女は

Narnia

に単一性と静性をもた らしていることが了解される。

Mr. Tumnus

Lucy

に白い魔女に関する説明を続ける中で、次のような事実が

提示される。白い魔女は彼女に従わない者へは暴力的で残虐な罰を与え、“if she is

extra and specially angry she’ll turn me into stone” (21)という。この白い魔女の

生き物を石化させるという能力は物語内で何度か言及され、実際に生き物を石化さ

(6)

せる場面も描出される(127)。この能力は、白い魔女が

Narnia

に単一性と静性をも たらしていることを明確に表す。なぜならば、多様な生き物を、形はその生き物の 元の形をとどめるが、全て同一の「石」にしてしまい、そしてその石は全く動かな いからだ。

以上のことから、白い魔女の特質が単一性と静性であることが浮かび上がってき た。本当にそのように結論付けることができるのか、さらに確認しよう。

白い魔女はしきりに物事の統一を試みる。このことから、彼女が多様性を認め ず、単一性を称揚していることが了解される。例えば、白い魔女は

Edmund

に出 会った際、彼に喋り方を指示する(34)。彼女は喋り方をも規制し、他者性を抑圧す るのである。ここから、彼女があらゆる物事を統一して自らの望む秩序を作り出そ うとする様子の一端が看取される。

白い魔女自身の言葉の使い方からも同様のことが了解される。この物語中、白い 魔女は固有名詞を全く使用しない。つまり、彼女は多様なものをより抽象的な語句 で統一しようとするのである。例えば、白い魔女は

Edmund

に出会った際、彼が 何者であるのかを彼に尋ねるのだが、彼が自身の名前を名乗るという答え方では満 足しない(34-36)。また、白い魔女が名前を呼ばないためか、唯一の例外であるオ

オカミの

Maugrim

を除き、彼女に付き従う者達の名前は明らかにされない。念の

ため明確にしておくと、Maugrimの名前は明らかになるが、しかし白い魔女がそ の名前を呼ぶことはない。このように、固有名詞を使用しないという点からも、彼 女が多様性を拒絶していることが了解される。

白い魔女は色彩の多様性をも喪失させ、単一的にする。彼女は

Narnia

を雪で埋 め尽くし、そこをほとんど白色一色の世界にする。物語から一部抜粋してみよう。

Edmund

the Beavers

の家からこっそりと抜け出した後、“[Edmund] found

the snow falling all round him” (97)。この一文から、Edmund

の視点を通して雪の白 さが世界を支配している様子が看取される。さらに、雪が解けて地面に緑色の部 分が現れる前の状況は“

endless white

” (

130

)と記述されている。このように、

Narnia

は白い魔女によって白色一色しかないと言っても過言ではないような状態

となっているのである。とはいえ、完全に白色一色しかないわけではない。例え ば、Lucyが初めて

Narnia

にやって来た時に

Mr. Tumnus

に出会うが、その時彼は 赤色のマフラーを巻き、茶色の紙包みを持っている(8-9)。このように、一色しか ないわけではないが、Narniaが本来持っているはずの色彩の多様さは雪によって 抑圧され、非常に乏しい状態となっている。Narniaが本来持っている色彩の多様 さに関しては第

3

章で確認する。

白い魔女自身の色彩の乏しさを、Edmundが彼女と出会う場面から看取するこ

(7)

とができる(32-34)。また、そこからは白い魔女が単一性を称揚している様子も看 取される。Edmundが白い魔女と出会う際、そこには白い魔女、Dwarf、複数のト ナカイがおり、白い魔女と

Dwarf

はトナカイが引く橇に乗っている。そしてそこ には白色、赤色、金色の三色しかなく、彼らの色彩は奇妙なほど、そして象徴的 に思えるほど統一されているのだ。詳細に確認しよう。まず、白色であるのが、

トナカイの体、Dwarfが着ている毛皮、白い魔女が着ている毛皮、そして白い魔女 の顔である。

Dwarf

が着ている毛皮に関しては色が明示されていないのだが、これ がホッキョクグマの毛皮であり、なおかつ白い魔女が着ている毛皮も白い(“She [the Witch] also was covered in white fur up to her throat”)と語られているため、

白色であると考えられる。また、語り手は、白い魔女の顔に関しては注意深くも

“not merely pale, but white like snow or paper or icing-sugar”と述べている。次 に、赤色であるのが、トナカイが着けている革の馬具、Dwarfの頭巾、そして白 い魔女の口である。トナカイの馬具は、実際には“red”ではなく“scarlet”であ り、厳密には別の色だ。しかし、“

scarlet

”は

The Oxford English Dictionary Second Edition

で“A brilliant vivid red colour, inclining to orange.”と説明されているよう に、“red”と非常に近い色である。ところで、このトナカイの角は次のように描 出されている。“[T]heir branching horns were gilded and shone like something on

fire when the sunrise caught them”. 先にも述べたように、トナカイの馬具の色は

単なる“red”ではなく“scarlet”、つまり輝き、鮮やかな“red”である。このよ うに、このトナカイには光り輝く印象が付与されている。そのため、単なる“red”

よりも“scarlet”の方が角の輝きと呼応し合い相応しい。最後に、金色であるの が、トナカイの角(先に引用したように、“gold”や“golden”ではなく“gilded”

と表記されている)、Dwarfの赤い頭巾の飾り房、白い魔女の杖と冠である。以上 のように、白い魔女及びその一行は不自然なほど色彩に乏しく、また、白い魔女、

Dwarf、トナカイそれぞれが三色全てを持ち合わせており、不自然なほど統一され

ている。白い魔女の一行は複数の色を持っているため、色の種類においては、乏し くはあっても単一的ではない。しかし、一行が持ち合わせている色が統一されてい るため単一的になっている。このように、白い魔女の一行は逆説的な方法で単一性 が表されており、白い魔女の単一性という特質がより一層強調されている。

白い魔女は他者にも単一性を与える。Edmundは白い魔女に魔法の

Turkish

Delight

を与えられ、それを食べることによってその魔法の

Turkish Delight

のこ としか考えられなくなる(44, 95)。このようにして白い魔女は

Edmund

の思考や欲 望に単一性を与える。また、白い魔女が他者に与える印象も単一的だ。白い魔女 を見た時、Pevensie四きょうだいのうち既に彼女を見たことがある

Edmund

を除

(8)

き、その他の三人の反応は全員同一のものだ。その様子は次のように描出されてい る。“The three children who had not seen her before felt shudders running down

their backs at the sight of her face” (154) . それに対し、後に詳細に確認するが、

“Aslan”という言葉を聞いた時の四きょうだいの反応はそれぞれ異なったもので ある。

最後に、白い魔女の特質が静性であることを表す出来事を確認しよう。先にも述 べたように、白い魔女はトナカイが引く橇に乗って移動する。つまり、自分自身は 動かずに移動するのである。しかし雪が解け始めると、白い魔女及びその一行は雪 が解けたことによって橇から降りなければならなくなる(130)。皮肉なことに、白 い魔女は橇から降りて自ら歩くことで、つまり自ら動くことで0 0 0 0 0 0 0移動が遅くなり、不 利な状況に陥る。ここから白い魔女にとっての静性の優位性を読み取ることができ る。

以上、白い魔女が暴力的に

Narnia

に単一性と静性をもたらし、そうすることに

よって

Narnia

を支配している様子が浮かび上がってきた。白い魔女はそのように

して

Narnia

に自身を頂点とした階層的な秩序を作り上げているのである。以上の

ことから、単一性と静性と秩序が白い魔女の特質であることが明らかとなった。

第 3 章 Aslan 像

では、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

において

Aslan

が実際に何を行って おり、どのような役割を果たしているのか、以下詳細に確認しよう。

Lucy、Edmund、Peter、Susan

Pevensie

四きょうだいが、元々いた世界から

Narnia

へやって来た時、Narniaは百年続く冬であった。先にも述べたように、白

い魔女によって百年間変わることなく冬となっていたのだった。しかし

Aslan

Narnia

にやって来たことによって

Narnia

は冬から春へと移り変わる。Aslanが春

をもたらしたことは語り手が保証している。語り手は次のように述べている。

They [the Beavers, Peter, Susan and Lucy] had been just as surprised as Edmund when they saw the winter vanishing and the whole wood passing in a few hours or so from January to May. They hadn’t even known for certain

(as the Witch

did) that this was what would happen when Aslan came to Narnia.

(136)

春になるにつれ、雪が解け、音が生じ、動きが生まれ、色彩が溢れ、多様な生き 物達が姿を現し、匂いが生じる。世界が多様性を持つ。冬が春になるその様子を見

(9)

てみよう。

まず初めに、白い魔女と行動を共にする

Edmund

が、寒さが和らいだことを感 じ、妙な音を聞きつける様子が描出される。こうして、Narniaに何かしらの変化 が生じたことがほのめかされる。それは以下のようなものだ。Edmundが白い魔 女と共に橇に乗って進む時には、“with no

sound but the everlasting swish of the snow and the creaking of the reindeer’s harness” (125)であったが、その少し後

(白い魔女が

merry party

を楽しんでいた生き物達を石化させた後だ)には、“

And in that silence Edmund could at last listen to the other noise properly. A strange, sweet, rustling, chattering noise […] It was the noise of running water.” (129)とい

うように、水の音が生じる。ここで特に注目したいのが、“And in that silence”と いう箇所だ。この静けさは白い魔女の橇の音が途切れたために生じた静けさであ り、その橇の音は雪が解けたからこそ途切れた。雪は白い魔女と密接な関係を持っ たものであり、それが解けたということは、物語内でも示されるように白い魔女の 力の衰退を示唆する。雪が解けたことによって、それまで移動手段として使用して きた白い魔女の橇は役に立たなくなり、実際上でも白い魔女にとって不利な状況と なる。そこに、Aslanがやって来たことで生じた水の音が聞こえてくるのである。

さて、このように

Edmund

が水の音を聞くのだが、その後水の音だけでなくさま ざまな音が空間を満たすようになる。これに関しては少し後で確認する。

雪が解けることによって、音だけでなく動きも生まれる。その様子は次のように 描出されている。

And much nearer there was a drip-drip-drip from the branches of all the trees.

And then, as he [Edmund] looked at one tree he saw a great load of snow slide off it and for the first time since he had entered Narnia he saw the dark green of a fir tree.

(129)

最初は水滴が一滴一滴滴るだけの小さな動きだが、やがて大きな雪の塊が落ちる という、より大きな動きが生まれる。そしてこれはさらに大きな動き――川の流れ

――を生む契機となっている。こうして

Narnia

は動性を持つようになるのである。

次に、色彩に着目しよう。上記の引用箇所から了解されるように、雪が解けるこ とによって、その下から白色以外の色が現れる。上記の引用箇所では一本のモミの 木の深緑色が現れる様子が描出されているが、そのすぐ後で“And now

the snow

was really melting in earnest and patches of green grass were beginning to appear

in every direction.”

(129-30)と語られているように、すぐに別の色、すなわち緑色

(10)

も現れる。この後、緑色はその版図をさらに広げる。その様子は、“Every moment

the patches of green grew bigger and the patches of snow grew smaller.” (131)と

描写されている。そして、“Soon,

wherever you looked, instead of white shapes you saw the dark green of firs or the black prickly branches of bare oaks and beeches and elms.” (131)というように、緑色の系統の色だけでなく他の色も現れ

る。さらに、“Then the mist turned from white to gold and presently cleared away

altogether.

” (

131

)と、象徴的に白色の霧が金色に変わっていく様子が描写され

る。「象徴的に」と述べたのは、白色は白い魔女の体の色であり、金色は

Aslan

体の色だからだ。次に、“little

yellow flowers—celandines”や、“a dozen crocuses

[…] gold and purple and white”等、さまざまな色彩の花々が姿を現す(131-33)。こ うして、色彩が多様性を持ち、それまで

Narnia

を支配していた白色は多様な色彩 の中の一色でしかなくなる。

再度音に着目しよう。Edmundが水の音を耳にしたことを先に確認した。それは やがて“

The noise of water grew louder.

” (

131

)と語られるように、その大きさを 増す。そして次には、“a sound

even more delicious than the sound of the water”

(132)が聞こえてくる。この音は、鳥の囀る声だ。それが聞こえてくる様子は次の ように描出されている。

Close beside the path they were following a bird suddenly chirped from the branch of a tree. It was answered by the chuckle of another bird a little further off. And then, as if that had been a signal, there was chattering and chirruping in every direction, and then a moment of full song, and within five minutes the whole wood was ringing with birds’ music, […]. (132)

一羽の鳥の鳴き声がすぐに複数の鳥の鳴き声となり、やがてあらゆる方向から鳥の 鳴き声が聞こえてくるようになり、空間が鳥の鳴き声で満ちる様子が描出されてい る。鳥の鳴き声が自由に飛び交い、場は混沌とした様相を呈している。

そして鳥達は囀る声を聞かせるだけでなくその姿を現し、世界を動性のあるもの にする。その様子は次のように描出されている。

[W]herever Edmund’s eyes turned he saw birds alighting on branches, or

sailing overhead or chasing one another or having their little quarrels or

tidying up their feathers with their beaks. (132)

(11)

このように鳥達の声だけでなく鳥達自身も空間を自由に飛び交うため、溢れんばか りの音に目が眩むような動きが加わり、場はより一層混沌とした様相を呈す。また 鳥だけでなく、“A bee buzzed across their path.” (133)という文章によって一匹 の蜂が飛んでいる様子が描出されるのだが、この一文は興味深い。というのも、

“buzz”という単語は動きと音を同時に表すからだ。

このようにして、白い魔女によって抑圧されていたために

Narnia

に潜在せざる を得なかった豊かさが爆発的に現れ出で、

Narnia

は混沌とした世界になる。

一匹の蜂が飛び去って少し後、章が改まり、場面は

Edmund

を連れた白い魔 女の一行を離れ、the

Beavers

Peter、Susan、Lucy

の一行に移る。彼らはまず

“kingfisher”や“bluebells”を見、“lovely smell”を嗅ぎ、“thrush”の声を聞く

(135)。そしてやがて“[they walked] into

dense masses of flowering currant and among hawthorn bushes where the sweet smell was almost overpowering” (135- 36)。このようにして彼らも冬が終わり春がやって来始めたことを知る。

続いて世界が動性を持つようになる様子が描出される。“

And now the sun got low and the light got redder and the shadows got longer and the flowers began to think about closing” (137) . この一文では、日の傾きによって影が伸びる様子や、

花が閉じようとする様子さえもが描写されている。

一行は、石舞台で

Aslan

のもとに多様な種類の生き物達が集っている場所に行き 当たる。そこはさまざまな生き物達がいるだけでなく、色彩にも溢れている。その 様子は次のように描出されている。

A wonderful pavilion it was—and especially now when the light of the setting sun fell upon it—with sides of what looked like yellow silk and cords of crimson and tent-pegs of ivory; and high above it on a pole a banner which bore a red rampant lion fluttering in the breeze which was blowing in their faces from the far-off sea.

138

このように、語り手は一つ一つの色を丁寧に挙げ、色彩の豊かさを伝えている。

色彩という点では、Aslanの多様性が白い魔女の単一性に取って代わる様子が、

次の箇所に最もよく表れている。白い魔女の館で、Aslanが白い魔女によって石 化された種々の生き物達の石化を解いていく。そして、“Instead

of all that deadly

white the courtyard was now a blaze of colors”と述べられた後、石化を解かれた

生き物達が持つ種々の色が列挙される。

(12)

Instead of all that deadly white the courtyard was now a blaze of colors; glossy chestnut sides of centaurs, indigo horns of unicorns, dazzling plumage of birds, reddy-brown of foxes, dogs and satyrs, yellow stockings and crimson hoods of dwarfs; and the birch-girls in silver, and the beech-girls in fresh, transparent green, and the larch-girls in green so bright that it was almost yellow. (185)

このように、白い魔女の館に、多様な、豊かな色彩が現れる。先に白い魔女の一行 の色彩が三色しかなく、また統一されていることを確認した。それと比較すると、

Aslan

の陣営の色彩がいかに多様で豊かであるかが明確に了解される。さらに、こ

こには多様な種類の生き物達や色彩だけでなく、音も満ちる。

And instead of the deadly silence the whole place rang with the sound of happy roarings, brayings, yelpings, barkings, squealings, cooings, neighings, stampings, shouts, hurrahs, songs and laughter.

185

石化し、単一的で静的な状態となっていた生き物達が、Aslanによって石化を解か れ、その多様性と動性を回復するのである。付言すれば、白い魔女は自身の館に自 ら多様性を持ち込んでいた、と皮肉的に捉えることもできる。石化した種々の生き 物達は、潜在的に多様性を含有していたのである。このように、Aslanのいる場は さまざまな種類の生き物達、それからさまざまな色彩や音が溢れ、混沌とした様相 を呈す。

Aslan

が白い魔女の館で種々の生き物達の石化を解いた後には、その場はまさに

混沌とした状態になる。さまざまな生き物達が入り乱れ、踊り、騒ぎ、そして白い 魔女の館を壊すのだ(184-85)。その後、さらに

Aslan

は戦いによって混沌をもたら す。16章の戦いの場面はまさに混沌だ。Aslanの陣営の数多くの生き物達と白い魔 女の陣営の数多くの生き物達が入り乱れて戦うのである(193-94)。

Aslan

は多様な感情をもたらしもする。先に言及したように、“Aslan”という言

葉を聞いた時、四きょうだいは各々異なった反応を示す。それは以下のようなもの だ。

At the name of Aslan each one of the children felt something jump in its

inside. Edmund felt a sensation of mysterious horror. Peter felt suddenly brave

and adventurous. Susan felt as if some delicious smell or some delightful strain

of music had just floated by her. And Lucy got the feeling you have when you

(13)

wake up in the morning and realize that it is the beginning of the holidays or the beginning of summer. (74)

それに対し、先にも述べたように白い魔女を見た時の

Peter、Susan、Lucy

の三人 の反応は同一のものである。また、復活した

Aslan

と戯れる

Lucy

は、“whether

it was more like playing with a thunderstorm or playing with a kitten Lucy could never make up her mind.” (179)と、雷雨と戯れているのか仔猫と戯れているのか

決めかねる。Lucy

Aslan

によって相異なる感情を同時に喚起されるのである。

Aslan

は物事の明言や断定を避け、起きた出来事を秩序立てて伝えることをしな

い。例えば、

Edmund

を救うための取り決めは白い魔女と二人で内密に行い、その 後もその内容を仲間に話さない(159)。その頃には指導者のような立場となってい

Peter

にさえも何が起こるのかを明かさない(160)。Aslanはいわば混沌の状態か

ら秩序立てることをせず、混沌のままにしておくのである。

さらに、Aslan

Narnia

を秩序立てることさえしない。Aslan

Narnia

を白い 魔女から解放した後、四きょうだいに王位を授けると

Narnia

を去る。Narniaを秩 序立てるのは、Aslanではなく四きょうだいや他の多様な生き物達の仕事なのであ る。とはいえ、王位を授けるという点においては、

Aslan

Narnia

を秩序立てて いる。そのことは指摘しておかなければならない。

Aslan

のことを歌っている脚韻詩も

Aslan

の混沌性を表す。それは以下のもので

ある。

Wrong will be right, when Aslan comes in sight, At the sound of his roar, sorrows will be no more, When he bares his teeth, winter meets its death,

And when he shakes his mane, we shall have spring again.

(85)

この脚韻詩はその内容が混沌としており、何も伝ええない。詳細にみてみよう。

まずこの脚韻詩は、その内容において、原因と結果の繋がりが不明確である。つ まり、一行めを例にして説明すると、原因としての“

Aslan comes in sight

”と結 果としての“Wrong will be right”に直接的な繋がりがない。以下二行めから最終 行まで同様だ。さらにこの脚韻詩は映像を喚起する力を持たない。この脚韻詩は、

どちらかといえば観念的なものというよりも映像を喚起するようなものでありなが ら、“Aslan”がどのようなものであるのかを知らない限りその映像を正確に思い描 くことができないのである。事実、Mr.

Beaver

がこの脚韻詩を朗唱した後で

Lucy

(14)

が彼に

Aslan

は人間かと尋ね、Mr. Beaver

Aslan

は人間ではなくライオンだと答 える場面が展開される(86)。このように、この脚韻詩の内容を理解するためには、

この脚韻詩そのもの以外の情報を必要とするのである。以上のように、この脚韻 詩はその内容が混沌としており、何も語っていないも同然だ。では、これは脚韻 詩であるため形式が整然としているのかというと、そうとも言い難い。三行めの

“teeth”と“death”の韻が微妙に崩れているため脚韻が完全には整っていない。

以上のことから、この脚韻詩はその内容においても形式においても整然としておら ず、混沌としていることが納得される。

石舞台で

Aslan

のもとに多様な種類の生き物達が集うと先に述べた。同様に、

Aslan

は自分の陣営だけでなく単一性を称揚する白い魔女のもとにも多様な種類の

生き物達を、すなわち多様性をもたらす。白い魔女は

Aslan

に対抗するためにさ まざまな生き物達を呼び寄せるのである(149)。さらに、それによって白い魔女の 陣営には音ももたらされる。“For with wild cries and a noise of skirling pipes and

shrill horns blowing,

[…]” (

171-72

)というように、静謐だった白い魔女の陣営は、

彼女が呼び寄せたさまざまな生き物達によって騒々しくなる。

以上、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のテクストに即した分析を行うこと で、Aslan

Narnia

に多様性と動性をもたらし、その結果として

Narnia

を混沌と させている様子が浮かび上がってきた。以上のことから、多様性と動性と混沌が

Aslan

の特質であることが明らかとなった。さらに、Aslanと白い魔女が対称を成

している――多様性と単一性、動性と静性、混沌と秩序――ことも明らかとなっ た。Pevensie四きょうだいが

Narnia

を訪れる際、そこは、Narniaの女王を僭称 する白い魔女に暴力的に支配されている。白い魔女は

Narnia

を暴力的に支配して いるのであるが、そうすることで白い魔女は

Narnia

に或る種の安定性と秩序をも たらしている。そのため

Narnia

は或る種の安定性と秩序が存在する場となってい る。しかしそこは寂しい場だ。そこには本来あるはずの多様性が全くないと言っ ても過言ではなく、また物事には動きといったものがない。白い魔女の力によっ て、雪が世界を覆い、世界は雪の白色一色となり、雪の上には生き物がほとんどお らず静まり返っている。例えば、Edmundが初めて

Narnia

にやって来た際、次の ように語られている。“Everything was perfectly still, as if he were

the only living

creature in that country” (31) . このように、Narnia

は単一性と静性が行き渡った 状態となっている。Aslanはそのような場にやって来て世界を多様性と動性を持っ たものにし、場を混沌とさせる。

The Lion, the Witch and the Wardrobe

にはそのよ うな様子が記述されているのである。

(15)

第 4 章 多様性について

The Lion, the Witch and the Wardrobe

において、Aslan

Narnia

に多様性と動性 をもたらし、場を混沌とさせている様子が見えてきた。ここで、Aslanの特質とし て浮かび上がってきた多様性という観点から

The Lion, the Witch and the Wardrobe

をみてみよう。

多様性を称揚する

Aslan

の陣営は、白い魔女が

Narnia

にもたらしている雪や寒 さをも活用する。つまり、白い魔女が

Narnia

を支配したり抑圧したりするために 使用している手段が、皮肉なことに逆に白い魔女自身を不利にするのである。それ が起こるのは次の場面だ。Maugrimが率いるオオカミ達が

the Beavers、Peter、

Susan

Lucy

の 一 行 の 後 を 追 う。“

But now that the snow had begun again the scent was cold and even the footprints were covered up” (124) . これにより、Aslan

の陣営は有利となる。このように、多様性を称揚すると、柔軟に敵対相手の特質を も利用することができるのである。

多様性を認めるということは、個と真摯に向き合うということでもある。安易 な総体化を行わず、個と真摯に向き合うのである。Aslanが行う巨人の名前を尋ね るという行為は、このような態度を明確に表している。固有名詞を全く使用しな い白い魔女とは対照的に、Aslanは初めて出会った巨人にまず名前を尋ね、そして その後で彼――Giant

Rumblebuffin――に頼み事をするのである(188-89)。このよ

うな

Aslan

も時に総体化を行う。しかしそれは無理のないようなものだ。Aslan

行う総体化の中で一つ興味深い事例があるので、それを例示しよう。Aslanは白い 魔女の館で生き物達の石化を解いた後、その生き物達にこれから行うべきことを 提示するのだが、その際、“Those who are good with their noses must come in the

front with us lions to smell out where the battle is.” (191)と述べる。Aslan

はここ で“lion”を総体化しているが、その場にいる“the other lion”はこの総体化を喜 んで受け入れる。そのライオンは次のように述べて自らの喜びを言い表す。

“Did you hear what he said? Us Lions. That means him and me. Us Lions. That’s

what I like about Aslan. No side, no stand-off-ishness. Us Lions. That meant him and me.”

191

このように、Aslanが総体化を行う際、それは無理のないものであるどころか、

時には他人に喜びを与えるようなものだ。一方

Lucy

は安易な総体化を行ってお り、それは失敗している。それを確認しよう。彼女は次のように述べる。

(16)

[…] [A]ll the Fauns and Dryads and Naiads and Dwarfs and Animals―at least all the good ones―simply hate her [the Witch].

(43)

Lucy

はこのように述べるが、しかし、その前で少なくとも一人の

Dwarf

が白い魔 女に付き従っていることが了解される箇所があり(32,

37)、同様にトナカイ――

言うまでもなく動物(

Animals

)の一種である――が白い魔女に付き従っているこ とが了解される箇所もある(32)。そして彼らが白い魔女を「非常に嫌悪(simply

hate)」しているかというと、その様子は認められない。また、実は、Lucy

自身上

記の言葉を述べた直後に“And she [the Witch] drives about on a sledge, drawn by

reindeer”

(43)と述べており、

Lucy

はトナカイが白い魔女の陣営にいることを知っ

ている。これらのことから、Lucyは不当な総体化を行っているということが納得 される。たとえ

Dwarf

Animal

を、その種族として“Dwarfs”や“Animals”と いった単語で括ることができても、それらを別の観点――ここでは白い魔女を非 常に嫌悪しているか否か――から同様に括ることはできないのである。Dwarfs

Animals

の中にも、さまざまな

Dwarf

Animal

がいるのだ。

一方で、多様性を称揚するということは単一性を拒絶するという撞着的問題を 含有せざるを得ない。このことは

Aslan

が白い魔女を殺さざるを得なかったことか らも理解される。また、述べておかなければならないことは、白い魔女亡き後、

Aslan

の陣営(しかし

Aslan

は既に去った後である)によって“foul brood

was

stamped out” (200)ということだ。このように、多様性と単一性をめぐる深刻か

つ解決困難な問題は、単一性の排除という矛盾した形で解決が図られる。

第 5 章 The Chronicles of Narnia概観及び

Lewis

の考えの参照

ここまで

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のテクストにとどまって分析を行 い、テクストに忠実な

Aslan

像を浮かび上がらせてきた。同様に

The Chronicles of

Narnia

の他の六作品においてもテクストに忠実な

Aslan

像を浮かび上がらせなけ

ればならない。しかし、先にも述べたように、先に行った

The Lion, the Witch and

the Wardrobe

のテクスト分析のように残りの六作品全てを精密に分析して各作品の

Aslan

像を浮かび上がらせることは、紙幅の都合上できない。そのため、これまで

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のテクスト分析によって浮かび上がってき

Aslan

像に準拠して他の六作品を確認しよう。

まず、他作品において

Aslan

が混沌をもたらしている様子を見出すことができる

(17)

ので、それを確認しよう。第二巻の

Prince Caspian: The Return to Narnia

に、Aslan が咆哮によって混沌をもたらす場面がある。 Aslanの咆哮によってさまざまな生き 物達が彼のもとに集まり、踊りが始まる。そして場は混沌とした様相を呈す。また 同作品において、Aslanは秩序が形成されている学校を混沌とさせ、その秩序を無 化する。Aslanが現れることで、学校の教師達や生徒達が逃げたり

Aslan

の一行に 加わったりして、学校の機能が停止するのである。最終巻である第七巻の

The Last

Battle

では、

Aslan

Narnia

を崩壊させる。その時にはまさに混沌を、破滅的な混

沌をもたらしている。これら学校の秩序の無化や

Narnia

の破壊といった

Aslan

行為は、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

において、白い魔女が作り上げた秩 序を破壊する行為と類似している。これらにおいて、Aslanは、彼が望ましくない と考える形で形成されている秩序を、新たな秩序を創出するために破壊し、いった ん混沌とした状態にするのである。

しかしその一方で、Aslanが秩序をもたらしている様子も認められる。その事例 は多数認められるのだが、ここでは顕著なものを一つ例示しよう。第六巻の

The Magician’s Nephew

には、本論文の冒頭でも述べたように

Aslan

Narnia

を創造す る場面が描かれている。Aslan

Narnia

という世界を創造し、そこに種々の生き 物達を誕生させる。そして獣達を

Dumb Beasts

Talking Beasts

に二分したり、

人間に王位を授けたり、Talking Beastsや王に導きを与えたりと、誕生したばかり で混沌としている

Narnia

を秩序立てるのである。

さらに、Aslan

The Lion, the Witch and the Wardrobe

の白い魔女と類似してい る様子も認められる。同作品において

Aslan

が多様な感情を喚起する様子を確認し た。それに対し、白い魔女は単一的な感情を喚起していた。しかし、他作品で、

Aslan

がこの白い魔女と同様に単一的な感情を喚起するのである。それは以下のも

のだ。第三巻の

The Voyage of the Dawn Treader

で、Aslan

Monopods に姿を見せ

るつもりかと尋ねられ、それを否定する。Aslanはその理由を、“I

should frighten them

[

Monopods

]

out of their senses

” (

138

)と説明する。つまり

Monopods

の全 員に一致した感情を起こさせると自ら予測しているのである。また第四巻の

The Silver Chair

で、Jill と

Eustace

が通っている学校の七人の生徒達が

Aslan

を見るの だが、彼らは全員同一の表情になる。このように、他作品では

Aslan

が他者に単一 性をもたらしている様子が認められるのである。

以上、The Lion, the Witch and the Wardrobeの分析で浮かび上がってきた

Aslan

像に準拠して

The Chronicles of Narnia

全体の

Aslan

を確認してきた。これによって 明らかとなったことは、

Aslan

自身が多様性を持った存在であり、そのため

Aslan

を一面的な見方で見ると見誤る、ということだ。Aslanについて一作品ずつ詳細に

(18)

分析し、そしてその後で

The Chronicles of Narnia

全体の分析を行う必要がありそ うだ。

ところで、先に多様性が含有する撞着的問題について述べた。多様性と単一性を めぐる深刻かつ解決困難なこの問題は、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

では 単一性の排除という形で解決が図られていた。これに関して、The Lion, the Witch

and the Wardrobe

の後の作品、第二巻の

Prince Caspian: The Return to Narnia

で別 の解決策が提示されている。同作品では、

Telmarines

が支配している

Narnia

を、

Narnia

に元々住んでいた住人達が奪還する物語が語られている。Narniaに元々住

んでいた住人達は、Narnia

Telmarines

に支配されると、Narniaに隠れ住まなけ ればならなくなる。しかし、物語の終盤で

Narnia

Telmarines

の支配から解放さ れ、新たな秩序が形成される。Narniaに隠れ住んでいた住人達がそこに堂々と住 むことができるようになるのだ。しかしその新たな秩序を受け入れたくないと考

える

Telmarines

もいる。つまり彼らは元々

Narnia

に住んでいた住人達を受け入れ

たくないのだ。そこで、

Aslan

はそのような

Telmarines

に対して、彼らを

Narnia

から別世界――そこは

Telmarines

の祖先が元々住んでいた世界であり、また、

Pevensie

四きょうだいが元々いた世界でもある――へ送り出し、その別世界に住

まわせるという処置を行う。これは、相容れない者を

Narnia

から排除するという 点では

The Lion, the Witch and the Wardrobe

における白い魔女の陣営に対する排除 の仕方と同一のものであるが、しかし

Narnia

にとどまるのか別世界へ行くのか、

その選択を当人にさせるという点で

The Lion, the Witch and the Wardrobe

のものと は異なる。このように、多様性が含有する撞着的問題について、後の作品で別の解 決策が提示されているのである。

最後に、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

の著者である

Lewis

の考えを参照 してみよう。Lewis自身も多様性を称揚していたようだ。そのことが了解される彼 の主張を引用したい。Lewisは自らの考える「成長(growth)」がどのようなもの かを、次のように説明している。

I now like hock, which I am sure I should not have liked as a child. But I still like lemon-squash. I call this growth or development because I have been enriched:

where I formerly had only one pleasure, I now have two. But if I had to lose the taste for lemon-squash before I acquired the taste for hock, that would not be growth but simple change.

(Lewis, Of Other Worlds: Essays and Stories 25-26)

ここから、Lewisは好みが変わることよりも好みが増えることを良しとしていた

(19)

ことが了解される。つまり、一よりも多なのである。論者によっては、Aslanの陣 営が勝利し、白い魔女の陣営が敗北した理由をここに求めるかもしれない。しか し、本論文ではテクスト分析の結果を著者の考えに還元したいわけではない。そう ではなく、テクストに即して分析することが或る種の0 0 0 0正当性を持ったものであるこ とを示す一例として提示するものである。

おわりに

以上、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

における

Aslan

像を確認してきた。そ して

The Lion, the Witch and the Wardrobe

においては、Aslan

Narnia

に多様性や 動性をもたらし、その結果として

Narnia

を混沌とさせていることが明らかとなっ た。ところが、少なくとも先に言及した先行研究では

Aslan

をこのように捉えて論 じているものはない。むしろ、竹野が「秩序と愛の支配するアスランの共同体」と 明記しているように、

Aslan

は秩序をもたらす者であるという印象が一般的にはあ るかもしれない。しかしながら、

The Lion, the Witch and the Wardrobe

の物語内容 を詳細に確認してみると、Aslan

Narnia

に秩序よりも混沌をもたらしているこ とが了解される。Aslanは、変化がない、停滞した、或る種安定し、秩序立ってい ると言える世界を揺動させる。単一化し、静止した場を多様性や動きがある場に し、そこを混沌とさせるのである。そしてその後、その混沌とした場をそれまでと 別の形で秩序立てていくのは

Aslan

ではない。Aslanはそれを他人に任せる。新た な秩序を作り上げていくのは

Aslan

以外の生き物達なのである。

The Lion, the Witch and the Wardrobe

は古典的な作品であり、これまでさまざま に論じられてきており、膨大な数の先行研究が存在する。しかしそのような作品で あっても、テクストに即した分析を行うことで今まで提示されてこなかった新たな 分析結果を提示できることを示すことができた。実は、ここにも今回

The Lion, the Witch and the Wardrobe

を取り上げることの理由があった。

さて、今後の課題として、まず

The Chronicles of Narnia

の残りの六作品から、

各々のテクストに忠実な

Aslan

像を浮かび上がらせなければならない。それから、

それらの

Aslan

像をもとに

The Chronicles of Narnia

全体の

Aslan

像を再検討しなけ ればならない。その結果、

The Chronicles of Narnia

研究に進展があるかもしれない。

1.  The Magician’s Nephew

は出版された順では六番めであるが、

The Chronicles of

参照

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