― 81 ― はじめに
筆者は大学での学生相談をはじめ,高等学校,児童 福祉施設,精神科クリニックにおいて心理臨床的援助 活動を実施してきた.子ども時代から思春期,青年 期,成人期の方々のカウンセリングを通して,共通し て考えることができるものがあり,さらに大学生とい う年代,役割の中にある学生だからこその心理的特徴 があるように考える.本稿では,感情の社会化という 観点から,あらゆる年代における心理的特徴を考察し たうえで,大学生という年代,役割の中にある学生た ちとの関わりについて考えてきたい.
様々な現場から
人は誰しも子ども時代を経て大人になる.子ども時 代に養育者との適切な情緒的な交流を通して,大人に なることが必要なことは言うまでもない.しかし近 年,物質的には便利な時代になりながらも,子育てや
教育現場における諸問題は後を絶たない.正しく美し い結果をより迅速に対応することが求められる現代社 会であり,情報が蔓延し,スマートフォンやメディア に支配された現代人の脳内では,子どものポジティブ な側面も,ときにはネガティブな側面も,ありのまま の目の前の我が子を大切にするという当たり前の子育 てが非常に難しいのではないかと感じられることが多 い.虐待やネグレクトはもちろんであるが,十分に養 育者との情緒的な交流をもって子ども時代を過ごして こられなかった子どもたちは,どこか渇きと寂しさを 抱えて,しかしその気持ちに気づくことすらなく,思 春期,青年期を迎えることが推測される.具体的に現 場で出会う思春期以降の年代の方々に非常に多いの が,感情の社会化
1 )が難しく,苦しさを抱えている ケースである.
感情の社会化とは
大河原
1 )によれば,感情の社会化とは,乳幼児期
*
Corresponding author:
新潟リハビリテーション大学
〒958-0053 新潟県村上市上の山 2 -16 Tel:0254-56-8292
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実践報告(学生支援)
心理臨床の現場から考える学生との関わりについて
About relation with student thinking from the field of psychological clinical
大 矢 真 里
*新潟リハビリテーション大学 学生相談カウンセラー
〔受付:令和元(2019)年10月31日〕
〔受理:令和元(2019)年11月 1 日〕
キーワード:心理臨床,学生相談,感情の社会化
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大矢真里
不適切な不快感情の処理の仕方を学んでいってしま う.たとえば,他者への攻撃は行き場のない不快なエ ネルギーが攻撃性に変化したかたちといえる.また自 傷行為とは,今ここの現実の不快感情から逃れるため に自分の身体に痛み,外傷を与えている対処療法なの だということが,筆者自身,さまざまな現場のクライ エントの声から感じることができる.児童虐待,ネグ レクトの専門家でアタッチメント修復とトラウマから の回復の臨床に長年携わってきた西澤
3 )も自傷行為 について,「どうしようもない不快な感情を,自分の 体を切って痛みを与えることによって吹き飛ばそうと している」行為と述べている.まさに不快感情を本人 なりにどうにか処理しようとした結果なのである.そ の他にも非行,いじめの背景にもまた,どう処理して よいかわからない不快感情が「自分なんてどうでもい い」,「あいつがわるい」と世界に向けられたかたちと して存在するようにも感じられる.さらに勉強などや るべきことから逃げ出そうとすること,やるべきこと を目前にすると身体の調子を崩してしまうこと,ゲー ムやネットの世界での刹那的な愉しさに没頭して現実 と向き合えないこと,異性関係や性関係のなかで安心 感,存在感を得ようとすることなど,多くの日常生活 の不適応,生きづらさの深くには,自身の中で抱えき れない不快感情,幼少期からの「苦しさ」,「寂しさ」,
「見捨てられ感」,「不安」,「怒り」などが存在するよ うに,日々臨床現場の中から感じとることができる.
また,一見適応的に見える学生においても,正しく美 しいもの,よくできる「いい子」を求める現代社会の 風潮から,学生自身未だに「いい子」でいるしかなく,
本当に追い詰められたときに溜まりきった不快感情を どのように表現,処理してよいかわからずに不適応状 態に陥る学生,現在は外観上問題なくみえても卒業後 に不適応状態に陥ってしまう学生も存在し,このよう な学生たちもまた,自身の適切な不快感情の処理の仕 方がわからずにいる状態といえよう.
かたちは個人によって異なるが,個人のアイデン ティティの形成される青年期以降では,現在までの大 人からの関わりにより,不快感情をどのように処理す るかが「自分とは」という概念に内在化されはじめて いる時期であるといえる.同時に,青年期まで自身が 呈してきた不快感情の処理の方法は,反抗的であった り,逃避的であったり,あるいは過剰適応的であった りと,例え社会的には不適切な,本人自身も生きづら いかたちではあったとしても,本人にとっては必要な 処理の仕方であり,生きるために本人なりに確立して からの養育者との関わりにおいて,子どもの感情を大
人がくみとって,かわりに言語化するというコミュニ ケーションの積み重ねによって,子どもは自分の身体 に流れている感情のエネルギーに「うれしい」,「楽し い」というポジティブな快の感情,そして「悲しい」,
「寂しい」などのネガティブな不快感情にそれぞれの 名前をつけることができるようになることをいう.さ まざまな感情のエネルギーが身体を流れたときに「う れしい」や「悲しい」という言葉を使うことによって,
自分の身体感覚としての感情が,他者と共有できるも のになるため,感情の社会化とよぶ.同時に,社会化 されていない感情は,自分の中にあっても誰にも理解 されることのないエネルギーとなる.しかしながら,
大人は,養育者であれ,教員であれ,子どもたちの感 情,特にネガティブな不快感情を理解し,受け容れる ことは苦手なのではないだろうか.子どもが転んで泣 いてしまったとき,欲しいものを買ってもらえず怒り を露わにしたとき,大人は「泣かないで.痛くない痛 くない. 」と不快感情をごまかそうとしたり,「怒らな いで.いい加減にしないさい. 」と大人の圧力で子ど もの感情を抑圧してしまったり,あるいは子どもの感 情そのものに無関心でスマートフォンの操作に没頭し てしまっていることなどもあるのではないだろうか.
そのような際,子どもの不快場面を全て避けようと試 みたり,子どもの要求をすべて許容したりする必要は なく,現実は変えないままで,「痛かったね.びっく りしたね. 」「いやだったよね. 」「悔しかったね. 」「寂 しかったね. 」など,感情表出そのものは受け容れて あげるという関わりを大人がしてあげることによっ て,子どもの感情の社会化は促される.筆者自身も,
さまざまな臨床経験を通して,ネガティブな不快感情 こそ安全に抱え,適切に言語化できる力が,その子ど も,その人が自立をしていくうえで必要なことである と考える.また,さまざまな年代のカウンセリングに 携わってきた袰岩
2 )もまた,青年期を含むあらゆる 年代における,ネガティブな気持ちの扱えなさ,向き 合えなさについて論じている.
青年期以降における感情と大学生
ネガティブな感情を子ども時代に大人に否定され,
表現することができなかった子どもたちは,ネガティ
ブな不快感情を自身で安全に抱えて表現することがで
きずに,思春期,青年期を迎える.大人に自身の不快
感情を否定され続けた子ども,受け容れてもらえな
かった子どもは,自分でも自身の不快感情を否定し,
心理臨床の現場から考える学生との関わりについて