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自然と歴史を訪ね、郷土愛を育む。

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Academic year: 2021

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(1)

K I Z U N A

秋・冬号 2016 No.13

人 と 人 、 人 と 地 域 の き ず な を 結 ぶ 情 報 誌

自然と歴史を訪ね、

郷土愛を育む。

南房総市 富浦

自然と歴史を訪ね、

郷土愛を育む。

南房総市 富浦

父と母、そして子がそれぞれの

「真実一路」を歩き出す町。 父と母、そして子がそれぞれの

「真実一路」を歩き出す町。

千葉 物語の散歩道 

いすみ市・大原 特集

第1回  完全同居型

第1回  二世帯住宅のリフォームポイント 完全同居型

二世帯住宅のリフォームポイント

HOUSING 住宅

(2)

K I Z U N A

c o n t e n t s 2016  秋・冬号  No.13

10 08 04

14

16

18 20 22 23

きずな特集

自然と歴史を訪ね、郷土愛を育む。

南房総市 富浦

新鮮な房州びわの香りが懐かしい

「びわ饅頭」

千葉 物語の散歩道

父と母、そして子がそれぞれの

「真実一路」 を歩き出す町。

HOUSING 住宅

二世帯住宅のリフォームポイント 第1回 完全同居型

いきいきヘルシーアップ

始めてすぐに楽しめる

「グラウンド・ゴルフ」

 

健康度チェック&チェック

第13回 腸は健康の要 !  

「腸年齢」チェック

 

暮らしのマネー情報 リート(REIT)/リート・ファンド

私たちの明日が見つかる

「千葉の環境・エコロジー」

(千葉ニュータウン)

育てる 味わう 楽しむ  ベジタブルライフ

第5回

「イチゴ」

表紙写真 : 法華崎・雀島

法華崎は、日蓮聖人が鎌倉渡海の際、

ここで法華経を唱えたところから法華崎 の地名がついたといわれています。豊岡 海岸から南無谷海岸にかけて位置し、

岩礁地帯で海の青さが際立つ場所で す。雀島は法華崎の先に2つ浮かんで いる島で、山頂部にある僅かな茂みが 特徴です。

原岡桟橋 : 富浦にある原岡海岸の桟橋。日本全国でも珍しい、木製の桟橋が海へと続く風景は、コマーシャル や映画のロケにも使われています。

02

(3)

きずな特集

南房総市 富浦 南房総市 富浦

好 きだ からここにいる 。千 葉 が ふるさと 好 きだ からここにいる 。千 葉 が ふるさと

自然と歴史を訪ね、

郷土愛を育む。

自然と歴史を訪ね、

郷土愛を育む。

富浦エコミューゼ研究会

富浦エコミューゼ研究会

(4)

南房総国定公園に指定された富浦の町は︑豊富な海の幸︑山の幸ばかりではなく︑戦国武将の里見氏ゆかりの城跡や︑戦時中に造られた軍事施設など︑多くの歴史の跡を残している︒こうした歴史の足跡を︑地域活性化のために活かそうとスタートしたのが︑富浦エコミューゼ構想だ︒﹁エコミューゼ﹂とは︑地域をまるごと博物館と見立てて︑自然︑歴史︑民俗︑文化などの地元の魅力を再発見し︑再評価する試みのことである︒富浦から地元の魅力を発信するためには︑まず地域の人々が地元の自然や歴史について学ぶ必要がある︒そこで鈴木勇太郎理事長と数名が核となり︑ガイドスタッフを養成する研修会を重ねて︑エコミューゼ研究会が発足し︑平成4年8月から地元について学ぶためのイベント活動をスタートさせた︒以来

組みが続けられている︒ ﹁地域を思う人づくり﹂をする取り 地域に暮らす人々が郷土愛を育み 20年以上にわたって︑

きずな特集 南房総市 富浦

きずな特集

(5)

知 ら な か っ た 歴 史 を 知 る た び に ま た 一 つ ︑こ の 町 が 好 き に なる ︒

(6)

 毎月第2土曜日に開催される﹁ウォッチング南房総﹂は︑富浦周辺の自然や史跡を訪ね歩くイベントだ︒当日は︑あいにくの雨天だったが︑集合場所の﹁とみうら元気倶楽部﹂に集まった参加者は

ば︑ 15名︒﹁天気が良けれ

房総子供土曜学校﹂を開催している︒ こで子ども向けには第4土曜日に﹁南 人の参加者が上回るようになった︒そ﹁毎年3月 の上から見下ろすのは﹁竜宮の社﹂だ︒も向けのイベントだったが︑いつしか大 は事務局の生稲昭男さん︒当初は子どさな漁船が停泊する漁港の近く︑岩山 知恵が隠れている︒ハマユウが咲き︑小れる方々の期待に応えたい﹂と語るの 知りたくて︑多少の雨でも集まってく通りすぎてしまう風景の中に︑漁村の く長くがモットーです︒地元のことがを務める酒井和夫さん︒知らなければ 加できる気軽さが︑人気の秘訣︒ゆるるんです﹂︒説明してくれたのはガイド す︒事前の申し込みは不要で自由に参させるために︑わざと道幅を広げてい 50名ほど参加することもありま﹁海が荒れた時に船を引き上げて避難 の近くで小道の幅が突然広がった︒ 海岸に向かう小道を歩いていると︑浜 ロバスを降りて内房なぎさラインから 来するという︒同会が用意したマイク この浜から鎌倉に海を渡ったことに由 だ︒南無谷の名は︑かつて日蓮上人が 無谷という地区の海岸を巡るコース テーマは﹁小漁村の信仰を訪ねて﹂︒南  ﹁ウォッチング南房総﹂のこの日の

は︑岩をくり抜いて 坂をたどる途中に えの道は古道で︑急 木々の間を縫う山越 培するびわ山だ︒  名高い房州びわを栽  海岸に迫るのは︑ 耳を傾ける︒ に︑参加者は熱心に う酒井さんの言葉 芸人も来て大いに賑わいました﹂とい ショマツリ︵潮祭り︶が催されて︑昔は 15日に塩の恵みを感謝する 詰まっている︒ 何の変哲もない海岸に多くの歴史が 太平洋戦争の魚雷艇の基地⁝︒一見︑ たという︒日蓮の足跡︑里見氏の盛衰︑ 将軍家に献上する鯛が泳ぎまわってい た生簀が小さく見える︒その昔︑徳川 海を見下ろすと︑岩場を丸くくり抜い  旧街道のトンネルを抜けて高台から Sに投稿するのが楽しみだという︒ した一人︒毎回新しい発見があり︑SN に地元を知るためにこの催しに参加 しい﹂という丸徹さんは︑定年退職後 のか︑想像しながら歩くのがとても楽 道を通った旅人たちが何を考えていた 造られた波切不動尊が鎮座する︒﹁古

 この日は︑雨脚が強まり︑野外活動を中止して﹁とみうら元気倶楽部﹂での紙芝居鑑賞に予定を変更した︒同研究会では地元の民話を収集し︑民話集や紙芝居を制作して伝承する取り組みをしている︒作品数は

さんは︑富浦の豊かな自然に魅せられり組みは︑これからも続いていく︒ 夫婦で参加していた畔上進さん・敏子思う人々を︑一人でも増やしていく取 で︑とても興味深く鑑賞できました﹂︒る子どもたちや︑離れていても郷土を ﹁地域の民話や歴史は知らなかったのに学んでいきたいですね﹂︒富浦を愛す の鞨鼓舞﹂と﹁七面大天女﹂の2作品︒﹁私自身も知らないことが多いので︑共 という︒この日︑演じられたのは﹁西浜を受けると事務局の生稲さん︒ 30点にも及ぶる姿は︑いきいきと輝き︑大きな刺激 が一生懸命に学びながらガイドを務め  エコミューゼ研究会のスタッフたち れない幸せです﹂︒ ある仲間がいることは︑何にも変えら がいです︒この会は自分の居場所︒魅力 分かち合い︑一緒に楽しめるのがやり を子どもたちや移住してきた方々と 足当初からのスタッフだ︒﹁地元の歴史 を演じた小形博子さんは︑研究会の発 たちも嬉しい﹂と語る︒同じく紙芝居 かったと︑参加者から言われると自分 まで知らなかったこの土地の良さがわ て︑ガイド養成研修を受けました︒今 ﹁富浦の良さを多くの方々に伝えたく  紙芝居を演じた飯田ひろみさんは︑ なりました﹂︒ るのが興味深く︑この地がまた好きに けの場所にも︑さまざまないわれがあ 素晴らしい︒普段︑車で通り過ぎるだ の皆さんも丁寧に説明してくれるのが い︑今回は3回目の参加です︒スタッフ 史を知らないので良いチャンスだと思 て︑東京から移住してきた︒﹁地元の歴

  ま

民話 伝説 紙芝居 咲く海岸 歴史 と信仰 を歩く

南房総市 富浦

きずな特集

07

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(8)

 遠浅で水の澄んだ南房総の海には︑明治時代から文人たちが避暑に訪れ︑学校の水泳合宿も盛んに行われた︒昭和初期には菊池寛が岩井海岸へ毎年避暑にやってきたという︒戦後は︑東京や埼玉の小中学生たちが︑臨海学校で大勢訪れるようになった︒﹁その子どもたちのおやつ用に︑祖父が考案したのがびわ饅頭︒それが評判となり︑子どもたちが土産用に大挙  びわは栽培に手間がかかるだけに︑その昔は量が多くなると確保が難しかった︒そのため︑地元農家とのつながりが深い母親とともに︑軽トラックで近在のびわ農家を訪ねて回り︑何とか材料をかき集めてきたのが思い出深いという︒ 店は大正時代に一郎さんの祖父が駄菓子店として開業︒2代目となる父の時代に和菓子店へと転業し︑3代目の一郎さんが洋菓子の修業を積んでケーキを始めた︒そして︑現在は4代目となる信吾さんが様々なスイーツの開発に余念がない︒びわを使ったシフォンケーキや︑びわの葉を練り込んだ生クリーム大福なども人気だ︒﹁いろんな商品が競い合ってそれが地元の振興につながっていると思います︒うちも負けてはいられません﹂︒名産品を活かした新しい味への挑戦は︑これからも受け継がれてゆく︒ して来店するので︑夏の間は徹夜で作り続けたこともあります︒昔は手作業で焼いていたので大変でした﹂と懐かしそうに語るのは︑びわ饅頭を製造する髙山製菓の髙山一郎社長だ︒ 江戸中期の1751年から栽培が始められて260年余り︒名産の房州びわを使った菓子類はこの土地では数多く︑南房総エリアにある道の駅やおみやげ店では︑棚に所狭しと並べられている︒その先駆けとなったものの一つが﹁びわ饅頭﹂で︑いまも根強い人気を誇る︒

髙山製菓のびわ饅頭

髙山製菓

千葉県南房総市高崎1355 TEL 0470-57-3325

新鮮1使︒び︑ザ使︒こ︑天調︑玉︑砂︑は︑植︑餡︒出︑表

15

︑び

子ど 新鮮 な 房州 び わ の 香 り が 懐 か し い﹁ び わ 饅頭﹂

南房総市 富浦

きずな特集

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物語の散歩道

千葉

10

小学 生の 義夫 は父

・義 平と 姉の しず 子と の家 族3 人暮 らし

︒母 を知 らな い 義夫 は︑ 父の 厳格 さと 母代 わり の姉 に 持ち 上が った 縁談 に︑ 漠然 とし た不 満 を抱 きま す︒ そし て縁 談は 破談 に︒ 傷心 のし ず子 を慰 めよ うと

︑家 族が 避暑 に出 かけ たの が大 原の 海で した

︒ 当時 この 地は 大磯

︑鎌 倉ほ どに は知 ら れて いな かっ たと 作家 は記 しな がら も︑ その 美し さを 次の よう に描 いて い ます

︒  

﹁こ とに

︑大 きな 岩を 裁ち 割っ たよ うな 八幡 崎の 突き 出し てい る風 致や

︑ 白い スズ メ岩 に太 平洋 の荒 波が 折り か さな って 砕け る光 景な ぞ︑ 女性 的な 鎌  

大原 漁港 で毎 週日 曜日 に開 かれ る

﹁港 の朝 市﹂ は︑ いま や大 原の 名物 の 一つ

︒日 本で も有 数の 水揚 げ量 のイ セエ ビや 名産 品の タコ をは じめ

︑地 元産 の 新鮮 な魚 介類 や野 菜な どが 販売 さ れ︑ 多く の客 で賑 わい ます

︒購 入し た 品を その 場で バー ベキ ュー にし て食 べ られ るの が︑ この 朝市 の醍 醐味 です

︒ 港に 面し た﹁ 船頭 の台 所﹂ では

︑大 原 のタ コを 使っ た釜 飯が 味わ えま す︒ 磯 の香 りを かぎ なが ら︑ 飯の 炊き 上が り を待 つひ と時 は格 別で す︒   大原 漁港 を挟 んで 南側 に突 き出 て いる のが 八幡 岬︒ 小説 では 義夫 とし ず

子が 岬に 鎮座 する 小浜 八幡 神社 を拝 みに 上が りま す︒ この 地に は明 応2 年

︵1 49

︶3 に土 岐頼 定に より 小浜 城 が築 城さ れま した が︑ 豊臣 秀吉 の北 条攻 めの 際に 徳川 勢に よっ て攻 め落 と され

︑い まは 跡形 もあ りま せん

︒岬 の 上か ら一 望で きる 大原 漁港 や︑ 断崖 絶 壁が 御宿

︑勝 浦へ と続 く丹 ヶ浦 の眺 め はま さに 絶景 です

︒   毎年 9月 23︑ 24日 に開 催さ れる 大 原は だか 祭り では

︑八 幡神 社を はじ め︑ 町中 から 十数 基の 神輿 が集 結︒ 海 に担 ぎ込 まれ ても み合 う﹁ 汐ふ み﹂ の シー ンは 勇壮 その もの です

︒神 輿は そ の後

︑地 元の 酒蔵

・木 戸泉 酒造 前か ら町 中を 練り 歩き

︑別 れを 惜し む﹁ 大 別れ

﹂で クラ イマ ック スを 迎え ます

︒   海の イメ ージ が強 い大 原で すが

︑自 然を 活か して 造ら れた 椿公 園も 人々 に親 しま れて いる 場所

︒園 内に 植え ら れた 10 00 種類 もの 椿が

︑2 月か ら 3月 にか けて 咲き 誇り ます

の花 々が 咲き 乱れ ます

︒激 しく 打ち つ ける 波が 砂丘 を侵 食し

︑当 時よ りも 地域 が狭 まっ てし まい まし たが

︑海 浜 なら では の貴 重な 自然 が残 され てい ます

︒   その 太平 洋の 荒波 を見 事な 彫刻 と して 表現 した のが

︑江 戸後 期に 活躍 し た﹁ 波の 伊八

﹂で す︒ いす み市 内に は伊 八の 作品 が残 され た神 社仏 閣が あり ます が︑ 飯縄 寺も その 一つ

︒本 堂内 には 波を 描い た欄 間や

︑最 高傑 作と 言わ れる

﹁天 狗と 牛若 丸﹂ の彫 刻が あり

︑ 躍動 感に 満ち てい ます

︒小 説の ラス ト に義 夫が 運動 会で 走る シー ンは

︑人 生 の荒 波に 立ち 向か って いく 姿の よう です

倉の 海浜 に比 べて

︑決 して 優る とも 劣 る景 色で はな いよ うに 思う

﹂︒   その 大原 に偶 然や って きて いた のが

︑ 二人 の子 の実 母・ むつ 子と

︑恋 人で ある 隅田 でし た︒ 海岸 に流 れ込 む志 保田 川︵ 現在 の塩 田川

︶の 橋の 下で 釣り を して いた 義夫 が︑ 実の 母と は知 らさ れ てい ない むつ 子と 出会 うこ とか ら︑ 物 語は 新た な展 開を 迎え ます

︒   橋は 戦後 にな って 架け 替え られ

︑小 説に ちな んで 一路 橋と 名付 けら れま し た︒ 橋の そば には 真実 一路 の文 学碑 が 建て られ てい ます

︒実 は大 原の 地に は 森鷗 外が 別荘 を構 えて いた ほか

︑多 く の文 人た ちも 訪れ てい ます

︒岩 場が 多か った 海に は︑ 新し く漁 港が 造ら れ て︑ 昭和 初期 とは 大き く様 変わ りし まし た︒ 海水 浴場 では サー フィ ンを 楽 しむ 人々 の姿 も見 られ ます

大原海水浴場

真 実 一 路で描かれた海 水 浴 場は、

現在の大原漁港の場所にありました。

塩田川

小説では志保田川と なっている塩田川。

大原漁港

イセエビのほか、イワシやイナダ、カツオを はじめさまざまな魚種が水揚げされる大原 漁港。遊漁船で釣りをする客も多数訪れ ます。

八幡岬

まさに大きな岩を裁ち割ったような姿の八 幡岬。

父 と 母 ︑ そ し て 子 が そ れ ぞ れ の

   

﹁ 真 実 一 路 ﹂

歩 き 出 す 町 ︒

  大原 から 北に 足を 伸ば して みま し ょう

︒大 原の 海の 北に 突き 出し てい る のが 太東 埼︒ 岬の 上に は太 東埼 灯台 が建 てら れて

︑太 平洋 を航 行す る船 の 標と なっ てい ます

︒60 メー トル 以上 の 高さ から 見下 ろす 太平 洋は 雄大 その もの

︒岬 から 海岸 への 道を たど ると

︑ 海際 には 太東 海浜 植物 群落 が広 がり ます

︒大 正9 年に 日本 で最 初の 天然 記念 物に 指定 され たこ の砂 丘に は︑ 季 節ご とに ハマ ヒル ガオ やス カシ ユリ など

大正 期か ら昭 和に かけ て活 躍し た小 説家

・山 本有 三の

﹁真 実一 路﹂ は︑ 昭和 10年 から

﹁主 婦之 友﹂ に掲 載さ れた 傑作 小説 です

︒ 登場 人物 たち が義 理や 愛の

﹁真 実﹂ を貫 こう とし て葛 藤す るス トー リー は︑ 大き な反 響を 呼び

︑そ の後 何度 も映 画化

・ド ラマ 化さ れま した

︒ 今回 は物 語が 盛り 上が りを 見せ る舞 台︑ 大原 に足 を運 びま す︒

八幡岬から御宿・勝浦方面を見る

し  ん  じ  つ 

い  ち 

(10)

11

※掲載の情報は2016年9月のものです。

太平洋

夷隅川

太東海浜植物群落 太東海浜植物群落

B&G海洋センターいすみ市

玉前神社 飯縄寺 飯縄寺

八幡岬 太東崎

いす み市

長者町駅

三門駅

大原駅 いすみ市役所 岬庁舎 江東橋

太東埼灯台 太東埼灯台

 

太東駅へ

御宿駅へ 128

128 465

1km N

(第1、第3日曜)

塩田川

塩田川 市役所いすみ

大原局 賀茂神社 椿公園

椿公園

大原漁港入口 大原

いすみ市役所入口

128

465 465

128

大原駅

いすみ市

いすみ鉄道

大原漁港 大原漁港 三門駅へ

勝浦へ 大多喜へ

いさばや

八幡神社小浜

300m N

朝市会場 朝市会場 朝市会場 朝市会場 大原海水浴場 大原海水浴場 一路橋 一路橋 真実一路の碑 真実一路の碑

船頭の台所 船頭の台所

若山牧水碑 若山牧水碑 木戸泉酒造

木戸泉酒造

175

倉の 海浜 に比 べて

︑決 して 優る とも 劣 る景 色で はな いよ うに 思う

﹂︒   その 大原 に偶 然や って きて いた のが

︑ 二人 の子 の実 母・ むつ 子と

︑恋 人で ある 隅田 でし た︒ 海岸 に流 れ込 む志 保田 川︵ 現在 の塩 田川

︶の 橋の 下で 釣り を して いた 義夫 が︑ 実の 母と は知 らさ れ てい ない むつ 子と 出会 うこ とか ら︑ 物 語は 新た な展 開を 迎え ます

︒   橋は 戦後 にな って 架け 替え られ

︑小 説に ちな んで 一路 橋と 名付 けら れま し た︒ 橋の そば には 真実 一路 の文 学碑 が 建て られ てい ます

︒実 は大 原の 地に は 森鷗 外が 別荘 を構 えて いた ほか

︑多 く の文 人た ちも 訪れ てい ます

︒岩 場が 多か った 海に は︑ 新し く漁 港が 造ら れ て︑ 昭和 初期 とは 大き く様 変わ りし まし た︒ 海水 浴場 では サー フィ ンを 楽 しむ 人々 の姿 も見 られ ます

一路橋

小説の連載当時には東亜橋と呼ばれていた橋はその後造り 変えられ、小説にちなんで一路橋と名付けられています。

真実一路の碑

塩田川のそばにある「真実一路の公園」にある碑。この場所には有島が 執筆するために滞在した「翆松園(すいしょうえん)」という旅館がありました。

   

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  小学 生の 義夫 は父

・義 平と 姉の しず 子と の家 族3 人暮 らし

︒母 を知 らな い 義夫 は︑ 父の 厳格 さと 母代 わり の姉 に 持ち 上が った 縁談 に︑ 漠然 とし た不 満 を抱 きま す︒ そし て縁 談は 破談 に︒ 傷心 のし ず子 を慰 めよ うと

︑家 族が 避暑 に出 かけ たの が大 原の 海で した

︒ 当時 この 地は 大磯

︑鎌 倉ほ どに は知 ら れて いな かっ たと 作家 は記 しな がら も︑ その 美し さを 次の よう に描 いて い ます

︒  

﹁こ とに

︑大 きな 岩を 裁ち 割っ たよ うな 八幡 崎の 突き 出し てい る風 致や

︑ 白い スズ メ岩 に太 平洋 の荒 波が 折り か さな って 砕け る光 景な ぞ︑ 女性 的な 鎌  

大原 漁港 で毎 週日 曜日 に開 かれ る

﹁港 の朝 市﹂ は︑ いま や大 原の 名物 の 一つ

︒日 本で も有 数の 水揚 げ量 のイ セエ ビや 名産 品の タコ をは じめ

︑地 元産 の 新鮮 な魚 介類 や野 菜な どが 販売 さ れ︑ 多く の客 で賑 わい ます

︒購 入し た 品を その 場で バー ベキ ュー にし て食 べ られ るの が︑ この 朝市 の醍 醐味 です

︒ 港に 面し た﹁ 船頭 の台 所﹂ では

︑大 原 のタ コを 使っ た釜 飯が 味わ えま す︒ 磯 の香 りを かぎ なが ら︑ 飯の 炊き 上が り を待 つひ と時 は格 別で す︒   大原 漁港 を挟 んで 南側 に突 き出 て いる のが 八幡 岬︒ 小説 では 義夫 とし ず

子が 岬に 鎮座 する 小浜 八幡 神社 を拝 みに 上が りま す︒ この 地に は明 応2 年

︵1 49

︶3 に土 岐頼 定に より 小浜 城 が築 城さ れま した が︑ 豊臣 秀吉 の北 条攻 めの 際に 徳川 勢に よっ て攻 め落 と され

︑い まは 跡形 もあ りま せん

︒岬 の 上か ら一 望で きる 大原 漁港 や︑ 断崖 絶 壁が 御宿

︑勝 浦へ と続 く丹 ヶ浦 の眺 め はま さに 絶景 です

︒   毎年 9月 23︑ 24日 に開 催さ れる 大 原は だか 祭り では

︑八 幡神 社を はじ め︑ 町中 から 十数 基の 神輿 が集 結︒ 海 に担 ぎ込 まれ ても み合 う﹁ 汐ふ み﹂ の シー ンは 勇壮 その もの です

︒神 輿は そ の後

︑地 元の 酒蔵

・木 戸泉 酒造 前か ら町 中を 練り 歩き

︑別 れを 惜し む﹁ 大 別れ

﹂で クラ イマ ック スを 迎え ます

︒   海の イメ ージ が強 い大 原で すが

︑自 然を 活か して 造ら れた 椿公 園も 人々 に親 しま れて いる 場所

︒園 内に 植え ら れた 10 00 種類 もの 椿が

︑2 月か ら 3月 にか けて 咲き 誇り ます

の花 々が 咲き 乱れ ます

︒激 しく 打ち つ ける 波が 砂丘 を侵 食し

︑当 時よ りも 地域 が狭 まっ てし まい まし たが

︑海 浜 なら では の貴 重な 自然 が残 され てい ます

︒   その 太平 洋の 荒波 を見 事な 彫刻 と して 表現 した のが

︑江 戸後 期に 活躍 し た﹁ 波の 伊八

﹂で す︒ いす み市 内に は伊 八の 作品 が残 され た神 社仏 閣が あり ます が︑ 飯縄 寺も その 一つ

︒本 堂内 には 波を 描い た欄 間や

︑最 高傑 作と 言わ れる

﹁天 狗と 牛若 丸﹂ の彫 刻が あり

︑ 躍動 感に 満ち てい ます

︒小 説の ラス ト に義 夫が 運動 会で 走る シー ンは

︑人 生 の荒 波に 立ち 向か って いく 姿の よう です

倉の 海浜 に比 べて

︑決 して 優る とも 劣 る景 色で はな いよ うに 思う

﹂︒   その 大原 に偶 然や って きて いた のが

︑ 二人 の子 の実 母・ むつ 子と

︑恋 人で ある 隅田 でし た︒ 海岸 に流 れ込 む志 保田 川︵ 現在 の塩 田川

︶の 橋の 下で 釣り を して いた 義夫 が︑ 実の 母と は知 らさ れ てい ない むつ 子と 出会 うこ とか ら︑ 物 語は 新た な展 開を 迎え ます

︒   橋は 戦後 にな って 架け 替え られ

︑小 説に ちな んで 一路 橋と 名付 けら れま し た︒ 橋の そば には 真実 一路 の文 学碑 が 建て られ てい ます

︒実 は大 原の 地に は 森鷗 外が 別荘 を構 えて いた ほか

︑多 く の文 人た ちも 訪れ てい ます

︒岩 場が 多か った 海に は︑ 新し く漁 港が 造ら れ て︑ 昭和 初期 とは 大き く様 変わ りし まし た︒ 海水 浴場 では サー フィ ンを 楽 しむ 人々 の姿 も見 られ ます

若山牧水の碑

八幡神社の下には、八幡岬を訪れた牧水 が詠んだ「ありがたや今日満つる月と知ら ざりしこの大き月海にのぼれり」の歌碑が。

椿公園

1994年に開設されたこの公園には、70 メートルに及ぶ吊橋がかかるほか、原生林 も多く自然環境が楽しめます。

木戸泉酒造

明治12年創業。自然な酒造りや古酒などの独 特の酒造りで知られています。電話予約で蔵 の見学が可能。

●いすみ市大原 7635-1

●0470-62-0013

港の朝市

タコ飯、焼きそば、串焼きなどのほか、

手作りパン、ジェラートをはじめ、さまざま な地元グルメが堪能できる朝市は楽し さいっぱい。

●開催時間 8:00〜12:00

●開催日 毎週日曜日(第1・第3日曜  日は大原漁港荷捌所、それ以外の  日曜日は大原漁港駐車場で開催)

船頭の台所

漁師料理が味わえるこの店では、名物のタ コ飯や、その日に釣り上げた新鮮な地魚の ほか、さまざまな料理が味わえます。

●営業時間 11:00〜14:00

●定休日 月曜日

●千葉県いすみ市大原10134-20

●0470-62-0351

大原はだか祭り

五穀豊穣と大漁を祈願して行われる、海の町大原ならではの秋 祭り。海の男たちの勇ましさや優しさが存分に発揮され、大原の 町は2日間にわたり祭り一色になります。

●開催日 9月23日、24日

  大原 から 北に 足を 伸ば して みま し ょう

︒大 原の 海の 北に 突き 出し てい る のが 太東 埼︒ 岬の 上に は太 東埼 灯台 が建 てら れて

︑太 平洋 を航 行す る船 の 標と なっ てい ます

︒60 メー トル 以上 の 高さ から 見下 ろす 太平 洋は 雄大 その もの

︒岬 から 海岸 への 道を たど ると

︑ 海際 には 太東 海浜 植物 群落 が広 がり ます

︒大 正9 年に 日本 で最 初の 天然 記念 物に 指定 され たこ の砂 丘に は︑ 季 節ご とに ハマ ヒル ガオ やス カシ ユリ など

木戸泉酒造では地酒あめも販売

 

   

   

   

 

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  小学 生の 義夫 は父

・義 平と 姉の しず 子と の家 族3 人暮 らし

︒母 を知 らな い 義夫 は︑ 父の 厳格 さと 母代 わり の姉 に 持ち 上が った 縁談 に︑ 漠然 とし た不 満 を抱 きま す︒ そし て縁 談は 破談 に︒ 傷心 のし ず子 を慰 めよ うと

︑家 族が 避暑 に出 かけ たの が大 原の 海で した

︒ 当時 この 地は 大磯

︑鎌 倉ほ どに は知 ら れて いな かっ たと 作家 は記 しな がら も︑ その 美し さを 次の よう に描 いて い ます

︒  

﹁こ とに

︑大 きな 岩を 裁ち 割っ たよ うな 八幡 崎の 突き 出し てい る風 致や

︑ 白い スズ メ岩 に太 平洋 の荒 波が 折り か さな って 砕け る光 景な ぞ︑ 女性 的な 鎌  

大原 漁港 で毎 週日 曜日 に開 かれ る

﹁港 の朝 市﹂ は︑ いま や大 原の 名物 の 一つ

︒日 本で も有 数の 水揚 げ量 のイ セエ ビや 名産 品の タコ をは じめ

︑地 元産 の 新鮮 な魚 介類 や野 菜な どが 販売 さ れ︑ 多く の客 で賑 わい ます

︒購 入し た 品を その 場で バー ベキ ュー にし て食 べ られ るの が︑ この 朝市 の醍 醐味 です

︒ 港に 面し た﹁ 船頭 の台 所﹂ では

︑大 原 のタ コを 使っ た釜 飯が 味わ えま す︒ 磯 の香 りを かぎ なが ら︑ 飯の 炊き 上が り を待 つひ と時 は格 別で す︒   大原 漁港 を挟 んで 南側 に突 き出 て いる のが 八幡 岬︒ 小説 では 義夫 とし ず

子が 岬に 鎮座 する 小浜 八幡 神社 を拝 みに 上が りま す︒ この 地に は明 応2 年

︵1 49

︶3 に土 岐頼 定に より 小浜 城 が築 城さ れま した が︑ 豊臣 秀吉 の北 条攻 めの 際に 徳川 勢に よっ て攻 め落 と され

︑い まは 跡形 もあ りま せん

︒岬 の 上か ら一 望で きる 大原 漁港 や︑ 断崖 絶 壁が 御宿

︑勝 浦へ と続 く丹 ヶ浦 の眺 め はま さに 絶景 です

︒   毎年 9月 23︑ 24日 に開 催さ れる 大 原は だか 祭り では

︑八 幡神 社を はじ め︑ 町中 から 十数 基の 神輿 が集 結︒ 海 に担 ぎ込 まれ ても み合 う﹁ 汐ふ み﹂ の シー ンは 勇壮 その もの です

︒神 輿は そ の後

︑地 元の 酒蔵

・木 戸泉 酒造 前か ら町 中を 練り 歩き

︑別 れを 惜し む﹁ 大 別れ

﹂で クラ イマ ック スを 迎え ます

︒   海の イメ ージ が強 い大 原で すが

︑自 然を 活か して 造ら れた 椿公 園も 人々 に親 しま れて いる 場所

︒園 内に 植え ら れた 10 00 種類 もの 椿が

︑2 月か ら 3月 にか けて 咲き 誇り ます

の花 々が 咲き 乱れ ます

︒激 しく 打ち つ ける 波が 砂丘 を侵 食し

︑当 時よ りも 地域 が狭 まっ てし まい まし たが

︑海 浜 なら では の貴 重な 自然 が残 され てい ます

︒   その 太平 洋の 荒波 を見 事な 彫刻 と して 表現 した のが

︑江 戸後 期に 活躍 し た﹁ 波の 伊八

﹂で す︒ いす み市 内に は伊 八の 作品 が残 され た神 社仏 閣が あり ます が︑ 飯縄 寺も その 一つ

︒本 堂内 には 波を 描い た欄 間や

︑最 高傑 作と 言わ れる

﹁天 狗と 牛若 丸﹂ の彫 刻が あり

︑ 躍動 感に 満ち てい ます

︒小 説の ラス ト に義 夫が 運動 会で 走る シー ンは

︑人 生 の荒 波に 立ち 向か って いく 姿の よう です

倉の 海浜 に比 べて

︑決 して 優る とも 劣 る景 色で はな いよ うに 思う

﹂︒   その 大原 に偶 然や って きて いた のが

︑ 二人 の子 の実 母・ むつ 子と

︑恋 人で ある 隅田 でし た︒ 海岸 に流 れ込 む志 保田 川︵ 現在 の塩 田川

︶の 橋の 下で 釣り を して いた 義夫 が︑ 実の 母と は知 らさ れ てい ない むつ 子と 出会 うこ とか ら︑ 物 語は 新た な展 開を 迎え ます

︒   橋は 戦後 にな って 架け 替え られ

︑小 説に ちな んで 一路 橋と 名付 けら れま し た︒ 橋の そば には 真実 一路 の文 学碑 が 建て られ てい ます

︒実 は大 原の 地に は 森鷗 外が 別荘 を構 えて いた ほか

︑多 く の文 人た ちも 訪れ てい ます

︒岩 場が 多か った 海に は︑ 新し く漁 港が 造ら れ て︑ 昭和 初期 とは 大き く様 変わ りし まし た︒ 海水 浴場 では サー フィ ンを 楽 しむ 人々 の姿 も見 られ ます

︒  

大原 から 北に 足を 伸ば して みま し ょう

︒大 原の 海の 北に 突き 出し てい る のが 太東 埼︒ 岬の 上に は太 東埼 灯台 が建 てら れて

︑太 平洋 を航 行す る船 の 標と なっ てい ます

︒60 メー トル 以上 の 高さ から 見下 ろす 太平 洋は 雄大 その もの

︒岬 から 海岸 への 道を たど ると

︑ 海際 には 太東 海浜 植物 群落 が広 がり ます

︒大 正9 年に 日本 で最 初の 天然 記念 物に 指定 され たこ の砂 丘に は︑ 季 節ご とに ハマ ヒル ガオ やス カシ ユリ など

太東埼からの眺め

九十九里浜の最南端に位置し、岬の上 までは車で上がれるようになっています。

初日の出スポットとしても人気。

飯縄寺

葛飾北斎にも影響を与えたという「波の伊八」の彫刻で知られるこの寺は、別名「天狗の寺」とも 呼ばれ、御本尊が天狗さまです。仁王門には波乗りをする天狗の彫刻も。

●拝観時間 10:00〜16:00 ●拝観料 300円 ●いすみ市岬町和泉2935-1 

●0470-87-3534

太東埼灯台

現在の灯台は2代目で、22海里(41キロ)先 まで照らして航行の安全を守っています。

太東海浜植物群落

天然記念物に指定されるこの群落では、

春から秋にかけて時期ごとにさまざまな花 が見られます。

   

参照

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