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謝辞 本論文は 富士ゼロックス小林節太郎記念基金 2015 年度研究助成金を受けて作成されたもので 筆者の博士論文の一部でもあります 研究助成金のおかげで 国内外の資料収集とインタビュー調査などを行うことができました ここに記して深く感謝いたします 最後に 本論文の執筆にあたっては 指導教員のイ ヨ

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Academic year: 2021

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謝 辞

本論文は、富士ゼロックス小林節太郎記念基金2015年度研究助成金を受けて作成されたもので、筆 者の博士論文の一部でもあります。研究助成金のおかげで、国内外の資料収集とインタビュー調査な どを行うことができました。ここに記して深く感謝いたします。 最後に、本論文の執筆にあたっては、指導教員のイ・ヨンスク先生、糟谷啓介先生をはじめ、研究 発表でお世話になった先生に深く感謝の意を表します。 2016年10月 徐 旻廷 (SEO MINJUNG)

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目 次

ページ はじめに... 1 第1章:北朝鮮におけるドラマ ... 2 第1節:北朝鮮におけるドラマの研究 ... 2 第2節:北朝鮮におけるドラマの位置づけ ... 3 第1項:北朝鮮におけるテレビ放送の歴史 ... 3 第2項:北朝鮮のテレビ劇芸術について ... 4 第2章:《우리 이웃들(ご近所物語)》の内容分析 ... 5 第1節:《우리 이웃들(ご近所物語)》の紹介 ... 5 第2節:《우리 이웃들(ご近所物語)》から見た北朝鮮の言語特徴 ... 5 第3節:ドラマから見た北朝鮮の社会 ... 9 第1項:「승강기 운전공(昇降機乗務員)」という職業 ... 9 第2項:家庭内の女性の役割 ... 10 第3項:「理想的な集団」と「社会主義大家庭」 ... 11 むすびにかえて―今後の課題 ... 13 註 ... 14 参考文献... 16

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はじめに

本研究は、最初には北朝鮮からの「脱北者」のアイデンティティー形成過程についての研究から始 まった。予定した通り、ソウルにある脱北者支援センターを訪問し、センター長とソウルの北部地域 で暮らしている脱北者の定着支援、韓国生活のための教育などの仕事をしている担当者とのインタ ビュー調査を行った。また、脱北者との数回のメールのやり取りやインタビューも行った。脱北者と のインタビュー調査の結果、本研究を始める前に北朝鮮の言語や社会について先に研究する必要性が あると判断した。 研究者は以前、1966年から1973年まで『労働新聞』に長期連載された《我々の言葉の整え方につい ての紙上討論》の分析を通して、北朝鮮における「国語醇化運動」について研究したことがある。こ の研究は、印刷媒体であるテキストの分析であったため、「実際の言語生活」について分析することは できなかった。このような限界を踏まえて、本研究では、「実際の言語生活」に近いとも言える北朝鮮 の「ドラマ」の台詞を分析することにした。北朝鮮では、ドラマを「テレビ劇(텔레비죤극)」といい、 「人間とその生活を劇的な方法として反映する芸術作品」であると定義しているため、日常生活を素 材にする作品が多い。ドラマの台詞が実際の言語生活であるとは言えないが、日常生活でよく接する ことができる場面や台詞を分析することによって、北朝鮮の言語特徴や社会について窺えると判断し た。 本研究の分析対象となる《우리 이웃들(ご近所物語)》は、入手可能な範囲で一番最近のドラマで あり、内容もホームドラマでよく素材となる家族話である。未だに自由に往来することができない韓 国と北朝鮮の「実際の言語生活」についての研究は、非常に意義のある研究であるに違いない。 脱北者の協力ですべての台詞を文字化することができた。

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第1章: 北朝鮮におけるドラマ

多くの社会主義国家でプロパガンダの手段として文学作品を利用してきた。北朝鮮でも同じく小 説・詩などの印刷媒体、映画・テレビ文学芸術などの映像媒体を政治的な宣伝・扇動の手段として活 用してきたのは言うまでもない。本研究の分析対象となるテレビ文学芸術の一つである「テレビ劇(= ドラマ1))」も北朝鮮のプロパガンダを戦略的に活用するための十分な価値があるジャンルでもある。 しかし、本研究ではプロパガンダ的な視点からの「テレビ劇」分析ではなく、北朝鮮の「実際にもっ とも近い生活言語」を中心にアプローチする研究である。北朝鮮の「テレビ劇」は「人間とその生活 を劇的な方法として反映する芸術作品」であると定義しているため、日常生活を素材にする作品が多 いのが特徴である。ドラマの台詞が実際の言語であるとは言えないが、日常生活でよく接することが できる場面と台詞を通して、北朝鮮における言語の特徴を分析するのに適切な資料であると判断した。 また、自由に往来することができない北朝鮮の現在社会を少しでも窺える十分な価値を持っている。 第1節: 北朝鮮におけるドラマの研究 2000年まで北朝鮮のドラマについての研究はまったくなかったと言っても過言ではないが、それは 韓国政府が「朝鮮中央テレビ2)」放送の視聴を許可したのが、1999年10月22日からというためである。 これまでの北朝鮮の言語や社会について研究する方法としては、主に新聞や雑誌などの印刷媒体に限 られたのが、2000年以降は「朝鮮中央テレビ」などの映像媒体を分析する研究が始まったと言える。 これまでの北朝鮮におけるドラマの研究は、イ・ジュチョルの「金正日政権のTVドラマを通じた体 制宣伝に関する研究3)」(2001)と「朝鮮中央テレビドラマの研究4)」(2002)がある。イ・ジュチョル は、2000年11月から2001年2月まで放映されたドラマ21編(総112回分)を通して北朝鮮社会の現実と 朝鮮労働党の政策がどのように反映しているかについて研究した。ドラマの素材・主題・主人公、そ れから背景などを分析し、朝鮮労働党がドラマを通して伝えようとするメッセージをまとめた研究で ある。当時、北朝鮮の最高権力者であった金正日に対する忠誠と、経済危機から脱出するための生産 力増大に焦点を合わせてストーリーを展開したドラマが多かったと分析している。イ・ジュチョルは、 ドラマを通してみた北朝鮮の現実は、最高権力者に対する忠誠を誇張し、描写する部分を除いては、 だいたい事実であると述べている。 ナム・ファスン(2003)5)は、2001年から2003年まで「朝鮮中央テレビ」で放送されたドラマ15編の 内容を通して、北朝鮮社会の変化様相を国家・家庭・個人の次元から分析した。国家次元としては、 改革・解放とウリ式社会主義6)について、家庭次元としては、離婚・共働き・子育てについて分析し、 個人次元としては、実力者・自己犠牲・現像維持という特徴があると述べた。ナム・ファスンの研究 では、3年間の変化だけを分析するのに限界はあるが、これまで紹介されたことのないドラマを通した 北朝鮮住民の日常生活の姿がよく見られる研究である。 カン・ミンジョン(2014)7)は、金正恩政権に入ってから制作された3つのドラマについて分析した。 映画と文学のジャンル的な特徴が混在されている理由で、北朝鮮のテレビドラマについて独立的な研 究の場が作られていないと指摘し、このような点を克服するため作品の個別研究をしたと述べている。 また、北朝鮮におけるテレビドラマは、カメラが撮っている現実、叙事が描いている欲望、電波を

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活用したメッセージ波及力などを併せるジャンルという点から閉鎖的な北朝鮮の内幕を覗いてみるこ とができる適切な方法であると述べている。 キム・ミジン(2013)8)は、北朝鮮のテレビドラマの研究は他の文学や映画より研究されていない点 を指摘し、北朝鮮の放送体系やテレビドラマについての北朝鮮固有のジャンル規定などについて考察 した。 最近の研究としては、北朝鮮の映画やテレビドラマを資料として北朝鮮における青年の社会進出実 態について分析したアン・ジヨン外(2015)9)の研究がある。 第2節: 北朝鮮におけるドラマの位置づけ 第1項:北朝鮮におけるテレビ放送の歴史 北朝鮮におけるテレビ放送の歴史は、「平壌テレビ放送局」の開局日である1963年3月3日か ら始まったと言える。当時、平壌地域を中心とした限定的な放送であったため、金日成は1971 年に行われた朝鮮労働党の第5次大会10)で「全国のテレビ化11)」を強調した。1971年から1976 年の間テレビ放送出力が4倍に増加し、出力と受信機普及の拡大によって、テレビ視聴はほぼ 全国化された12) 現在、北朝鮮の全地域で見られる放送としては、「朝鮮中央テレビ13)」が唯一である。「朝 鮮中央テレビ」は、1963年3月3日に開局14)した「平壌テレビ放送局」を改称したもので、北 朝鮮国内はもちろん、海外でも受信することができる北朝鮮を代表する放送局である。「朝鮮 中央テレビ」の番組編成15)については、2016年を基準にして、平日(月〜土)15時頃から22 時半まで約7時間30分、日曜日や休日には9時から22時半まで約13時間30分間放送している16) 以前の平日放送の場合、17時の「報道17)」から本格的な今日の放送が始まったが、2013年4月 6日から放送開始時間が17時から15時に繰り上げて放送されている。17時から始まる「報道」 の時間には変動はないが、15時頃から17時までは以前放送された「朝鮮芸術映画」などが再 放送されている。 「番組編成について政治思想性・芸術性・文化性を保障することに基づいて人民の思想文 化的な教養をすること18)」を強調した金正日の指導に基づいて番組が編成されている。また、 文芸作品をたくさん放送することを強調しながら、特に金日成の抗日武装闘争に関連してい る革命歌劇と芸術映画・革命歌・金日成賛美歌なども放送することを指示した19) 北朝鮮におけるテレビ放送は、報道と政治解説、随筆と断想、紹介または集団形式である 宣伝物・多様な芸術作品・体育試合や芸術講演についての実況中継など時間帯に編成される 様々な種類と形態の編集物を受容している大衆報道宣伝手段であると述べている20) 現在の「朝鮮中央テレビ」番組は、金正日の放送についての指導に影響を受け、指導者及 び朝鮮労働党の体制宣伝・報道・子供番組・文芸作品鑑賞・テレビ文学などに編成されてい る。 また、北朝鮮には、「朝鮮中央テレビ」の他に、「マンスデテレビ」・「朝鮮教育テレビ21) がある。「マンスデテレビ」は、1983年12月1日に開局し、外国のニュースや映画・アニメな どを放送している週末限定放送局である。「朝鮮教育文化テレビ」は、1971年4月15日に開局 した「開城テレビ22)」を1997年2月16日から改編した放送局で、外国語講座・数学・物理など

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― 4 ― 基礎教育をはじめ、マナー・料理・一般常識などについて放送している。月・水・金曜日の 19時から22時まで放送されており、両方とも平壌地域に限定している地域放送である。 第2項:北朝鮮のテレビ劇芸術について 北朝鮮におけるテレビは、もっとも便利な方法で芸術作品を普及する大衆文化手段であり、 教養手段でもある23)。このようなテレビの発展とともに現れたのは「テレビ文学」である。文学 のジャンルの一つである「テレビ文学」は、「テレビ劇芸術」の思想芸術的な基礎となっている24) ファン(1993)によると、テレビ劇芸術は大きく分けて2種類がある。一つは、既に作られ た映画や演劇・歌劇などをはじめ、音楽作品や舞踊などの舞台芸術作品を仲介することであ る。もう一つは、テレビ固有の芸術作品である「テレビ詩作品・テレビ音楽作品・テレビ散 文作品・テレビ劇作品」などがある。 「テレビ詩作品」には、「テレビ叙事詩」・「テレビ頌歌」など、「テレビ音楽作品」には「テ レビ音楽主題作品」・「音楽紀行」など、「テレビ散文作品」には「テレビ随筆」・「テレビ断想」 などがある。 本研究の分析対象となる「テレビ劇」は「テレビ小説」・「テレビ映画」とともに「テレビ 劇作品」に属している。 以下は、『文学芸術辞典(下)』(1993)に書かれている「テレビ劇作品」の特徴である。 「テレビ小説」は、朗読者の話術が画面に配合され形象創造されるテレビ文芸編集物であ る。描写文学として小説の固有の属性を生かし、テレビの本性的要求に合わせて小説内容を 画面として形象して見せる文芸編集物である。1981年から放送され、代表的な作品としては、 《그를 알기까지(彼を知るまで)》(1981)、《덕흥나그네(ドクフンナグネ)》(1982)、《우리 선생님(私の先生)》(1982)などがある。 「テレビ映画」は、テレビに放映することを目的として制作された映画で、人物の行動と 映画的な描写を通して思想主題的な課題を解決する。短編は15分、中編は30分、長編は60分 ぐらいであるが、シリーズとして連続で放映される場合もある。 「テレビ劇」は、台詞を基本手段として形象した劇的な生活をテレビの芸術手段を通して 見せる文芸編集物である。一般演劇より舞台条件と時空間的な制限があまりなく、基本事件 が起きている場所が一定に固着している。また、撮影機ですべてのものを具体的に見せるの で、衣装・扮装・装置などを実生活のように真実にすることを要求する。1980年代から制作 され、代表的な作品としては《별이(ビョリ)》(1984)、《우리 아버지들은 병사였다(我々 のお父さんたちは兵士であった)》(1986)、《북방의 겨울(北方の冬)》(1989)などがある。 上述したように、テレビ小説・テレビ映画・テレビ劇は一定の特性がある。それは、北朝 鮮では「表現手段」を意味する「形象手段」の違いである25)。テレビ小説は「描写文学」と して、テレビ映画は「行動芸術」として、テレビ劇は「台詞を表現手段」とするのが大きな 特徴である。 また、「テレビ劇」は、「人間とその生活を劇的な方法として反映する芸術作品」であるほ ど、日常生活を舞台にする作品が多いのも特徴の一つである。

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第2章: 《

우리 이웃들(ご近所物語)》の内容分析

第1節: 《우리 이웃들(ご近所物語)》の紹介 本研究の研究対象となるドラマは、2013年に「朝鮮中央テレビ」で放送された《우리 이웃들(ご近 所物語)》である。ドラマの内容としては、主人公である「昇降機乗務員」という仕事をしているスヨ ンが、夫であるキルスとの葛藤で別居をすることになる。キルスは息子を連れて引っ越しをしてしま うが、息子に会いたかったスヨンは息子が住んでいるアパートの昇降機を担当することになる。スヨ ンとキルスの別居関係を知らない近所の人々は、一生懸命に二人をとりもとうとしている。のちに二 人が別居中であることを知るようになり、家族の大事さを教え、二人の葛藤を解消していく物語であ る。 本研究では、比較的に最近放送されたドラマであり、内容もホームドラマでよくありそうなストー リーであるため、より日常生活の言葉を反映していると判断した。また、時代の流れを反映するストー リーの展開で、北朝鮮社会が志向している社会文化的な価値や方向性を提示していると思われる。 第2節: 《우리 이웃들(ご近所物語)》から見た北朝鮮の言語特徴 北朝鮮社会の特殊状況から、日常生活についての実証的な研究が不可能な現状で、「実際の言語と もっとも近い言語」とも見られる「テレビ劇」すなわち「ドラマの台詞」を分析することによって北 朝鮮の言語の特徴を一般化する研究結果を期待する。 また、この研究は、「特定」のドラマの個別研究ではなく、北朝鮮の言語的特徴を見られる資料とし て提示したい。すべての台詞は北朝鮮の綴り方に基づいて文字化した。 以下の内容は、朝鮮語の台詞と日本語の翻訳を両方表記したものである。 1. 日常での軍事用語使用 1) 「그런데 웬일들이십니까? 명예위병대같이 쭉 늘어서서….」 「ところで、どうしたのですか?名誉衛兵隊のようにずらりと並んでて…」 2) 「내가 연료 공업소 소장에게 2-3일 안으로 주민용 연료 공급을 끝내라고 독촉을 했더니만 글쎄 퇴근도 안 하고 전투를 벌린다누나.」 「私が燃料工業所所長に2~3日の間に住民用燃料供給を終わらせろと督促したら、家にも帰ら ず戦闘を繰り広げるんだって。」 3) 「보도시간에 보니까 세포등판 개간전투가 굉장하더만요.」 「報道時間に見たら、細胞登板の開墾戦闘がすごかったよ。」 1)の「名誉衛兵隊」は、国家的な儀式または、外国からの重要な代表を迎えに行ったり送ったりす る時、敬意を表すための一定な間隔を置いて配置され行事を行う衛兵隊のことを意味する。この場面 では、引っ越してきた新しい人々を迎えにきてくれたアパートの住民たちを見て、キルスさんが「名 誉衛兵隊」に比喩している。 2)は、夜遅くまで働いている意味として、「戦闘を繰り広げている」と表現している。

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― 6 ― 3)でも、開墾作業を「開墾戦闘」と言っている。 日常で軍事用語が頻繁に使われていることが分かる。 2. 北朝鮮で作られた語彙 韓国では使われないが、北朝鮮では使われている語彙として、北朝鮮社会体制下で作られた言葉で あると言える。 1) 「세포등판에 지원물자 가지고 가셨다더니 언제 오셨습니까?」 「細胞登板に資源物資を持っていらしたと言われましたが、いつお戻りになりましたか?」 2) 「운전공 동무, 내 당에서 포치사업이 있어서 가는데 동네 사람들에게 까스통들이 도착했다고 좀 알려줘.」 「乗務員さん、私は党でポチ事業があるので行かないといけないので、近所の人々にガスボン ベが着いたと教えてね!」 3) 「당신은 빨리 분주소에 알려!」 「あなたは早く分駐所に知らせて!」 4) 「오늘 오점 맞았어? 고저 매일 오점만 맞아!」 「今日、五点とったの?これからも毎日頑張ってね!」 5) 「오늘도 은경학생이 소조에 나오지 않았어요.」 「今日もウンギョンちゃんがソゾに出ていません。」 1):「세포등판(細胞登坂)」という言葉は、辞書には搭載されていないが2015年8月20日付の 『労働新聞』の「세포등판에 사회주의 만복을 꽃피우기 위한 투쟁에서 위훈 창조 (細胞登板に社会主義の萬福を花開かせるための闘争で慰訓創造)」というタイトルの記事から「牧 場」という意味で使われていることを把握した。 2):「포치사업(ポチ事業)」は、主にある集団や単位、人に仕事の計画や目的・意義・内容などを 知らせることを意味する言葉である。 3):「분주소(分駐所)」は、「以前の社会安全機関の下部末端単位の一つ」という辞書的な意味であ るが、韓国の「派出所」の機能をするところであると言える。 4):「오점(五点)」は、北朝鮮の学校教育過程において五段階の採点試験方式でもっとも高い成績 をいう。 5):「소조(ソゾ)」は、対話の内容から見ると、学校の部活を意味する言葉である。また、この言 葉は、「3代革命ソゾ」の略語として使われたりもする。 ここに登場する言葉は、韓国では使われていない語彙として北朝鮮の体制下で作られたものである。 また、以下は韓国と異なる語彙の一部である。 1) 「야, 그럼 남새는 문제 없구나!」 「では、野菜はもう大丈夫だね!」 2) 「그 동무가 인차 해산달이라고 했었지?」

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「その人がもう臨月だと言ってたよね。」 3) 「낮 보도 시간에 안 나왔으니까 저녁 보도 시간엔 틀림없다니까요.」 「お昼のニュース番組に出てないから、夕方のニュースには出るはず!」 1)と2)の「남새」と「인차」は、それぞれ「野菜」と「即時」という漢字語を固有語から見出した 言葉である。このような語彙は、北朝鮮の標準語である「文化語」として制定され、韓国と北朝鮮の 標準語の違いについて見せてくれる例でもある。3)は、韓国では「뉴스(ニュース)」という外来語を 使うが、北朝鮮では外来語ではなく漢字語である「보도(報道)」を使っていることが分かる。 3. 意味が拡大された語彙 「生活」 1) 「그런데 가끔 어떤 가정들에서는 자그마한 말다툼이 집안의 화목과 이웃들의 마음 속에 그늘을 주는 웃지 않을 수 없는 일들이 벌어지곤 합니다. 생활이니까요. 우리의 이야기도 역시 웃지 않을 수 없는 그 생활에서부터 시작됩니다.」 「…ところで、たまにある家庭ではささやかな口喧嘩が家の平和と近所の人々の心に陰を落と す笑わざるを得ないことが起きたりします。生活ですから、われわれの話も笑わざるをえない その生活から始まります。」 2) Aさん:「아니, 아주머닌요?」 Bさん:「뭐 잘못됐다던지, 갈라졌다던지. 생활이니까요.」 Aさん:「奥さんは?」 Bさん:「亡くなったか、別れたか。生活ですから。」 3) Cさん:「너 혹시 남편 없니?」 Dさん:「(웃는다)」 Cさん:「내가 괜히 공연한 걸 묻지 않았..(니)?」 Dさん:「일없어, 생활이 그런걸 뭐.」 Cさん:「あなた、もしかして旦那さんいないの?」 Dさん:「(笑う)」 Cさん:「私が余計なこと言ってしまって…」 Dさん:「大丈夫だよ、生活だから。」 4) 「우리는 생활에서 가끔 놀라지 않을 수 없는 일에 부닺치곤 합니다.」 「私たちは生活でたまに驚かざるを得ないことに出会ったりします。」

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― 8 ― 5) 「나도 우리 학교 음악소조 은경 학생의 아버지가 10층 3호 아저씨일 줄은 꿈에도 생각을 못했어요. 그러고 보면 생활이란 참…」 「私も学校の音楽グループのウンギョンさんのお父さんが10階3号のおじさんとは夢にも思わ なかったです。そうしてみると、生活というのは…」 6) 「동네 사람들에게 짐이 되지 않게 직장에서나 인민반 생활에서나 언제나 앞장 서길 바라네.」 「ご近所の人々に迷惑をかけないよう、職場でも人民班の生活でもいつも積極的にしてほしい。」 「生活」という語彙は、他のドラマにもよく登場する言葉である。このドラマにも9回も登場した。 それぞれのシーンによって、意味は異なるが、「人生・プライベート・個人の事情」などの表現が相応 しいと思われるが「生活」という語彙のみを使っている。 韓国の辞書的な定義では、 「생활(生活)」 1. 人や動物が一定な環境で活動しながら生きていく 2. 生計や暮らしを立てていくこと 3. 組織体でその構成員として活動する 4. ある行為をしながら生きていくまたは、その状態の意味として使われている しかし、北朝鮮の辞書的な定義では、 「생활(生活)」 1. 自主性・創造性・意識性を持った社会的な存在としての人が社会の主人として生きていくための すべての活動とその過程、つまり征服し社会を改造する人々の創造的活動 2. 食べて、着て、使って、生きること 3. 生物が自分の機能を果たしながら生きていくこと 4. 一定な社会的単位や分野の成員として暮らし、活動すること 5. 置かれている実際的な現実 6. 人や社会が体験し成し遂げられたものの総体 7. 社会の全般的または個別的な側面からの活動や動き 韓国と北朝鮮の辞書的な意味を比較すると、韓国より北朝鮮でより広い意味として定義されている。 5. 尊敬語 1) 「아버지 이제 오나요?」 「お父さん、今来たの?」

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2) 「아버지 왔구나.」 「お父さん来たね。」 3) 「어젯밤에 아버지가 자면서 또 헛소리를 쳤대.」 「昨夜お父さんが寝ながら寝言を言ったんだって。」 4) 「아버지, 내 시 하나 썼는데 들어볼래요?」 「お父さん、私が詩を書いたんだけど、聞いてみる?」 5) 「틀렸어, 아버지한테 두 손으로 부어야지」 「間違ってるよ、お父さんには両手で注がないと。」 このドラマでは、お父さんに対する尊敬語が多かった。主体に対する尊敬語は「〜께서」あるいは、 語尾「〜시〜」、接尾辞「〜님」によって実現される。このような点は、韓国でも北朝鮮でも共通とも 言える。しかし、北朝鮮の言語規範によると、次第に「〜께서」が最大の尊敬の意味として使われて ゆき、現在はもっとも尊敬する方に使われている。これは北朝鮮人民の言語使用の志向と要求を反映 したものであると説明されている。すなわち、本来「〜께서」は、行動の主体に対して使われる尊敬 の意味を持つ助詞であるが、今は主に北朝鮮最高指導者の一家に対して使われる助詞として機能して いる。 したがって、北朝鮮では「〜께서」の使用が限られているし、このドラマでも「경애하는 원수님(敬 愛する元首様)」以外の主体には使われていない。また、尊敬語を使わなければならない対象であるお 父さんとの対話でも「〜시〜」は使われていなかった。 また、北朝鮮の言語規範によると、人の行動・性質・状態などと関連している言葉の中で尊敬の対 象には使わない語彙を提示しているが、このドラマに登場した語彙としては「헛소리(寝言)」があっ た。この言葉もお父さんに使われている。だからといって、北朝鮮で家庭内での礼儀を教えていない とは言い難い。なぜなら、5)の対話から見ると、お父さんにお酒を注いでいる息子に対して「お父さ んには両手で注がないと」と教えているためである。 第3節: ドラマから見た北朝鮮の社会 第2節では、ドラマの台詞分析を通して、北朝鮮の言語特徴及び韓国語との語彙の違いについて分析 した。第3節では、ドラマの内容から北朝鮮の現代社会について分析する。 第1項:「승강기 운전공(昇降機乗務員)」という職業 《우리 이웃들》の主人公は、平壌のある高層アパートの「昇降機乗務員」として働いてい る。「昇降機」は、エレベーターを意味する言葉であるが、北朝鮮では外来語をなるべく使わ ないようにするという方針に従って本研究では、「昇降機」をそのまま使うことにする。 内容から見ると、「昇降機乗務員」という職業は、このアパートだけではなく、他の高層ア パートにも存在していることが分かる。本ドラマの背景となるアパートの階数が分かる情報

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― 10 ― がないが、エレベーターの数字が出る場面で「21」が書いてあったため、少なくとも21階以 上のアパートであると判断した。本ドラマの「昇降機乗務員」という仕事は、人が昇降機に 乗ると、階数のボタンを押してくれる仕事以外に以下のこともする。例えば、 ガスボンベを各々家の前に運ぶ。 揚水機が壊れた時にわざわざ水を汲む。 夜遅くまで家に帰ってこなかった住民たちが帰ってくる時まで待つ。 変圧器を修理する。 白菜を家まで運ぶ。 キムチをつけられなかった住民の白菜を切る。 一般的に「エレベーターガール」のように昇降機の中で働いているが、ユニフォームでは なく、働きやすくて地味な服装をしている。上述したように、アパートを管理しているなど、 住民たちの身近なところで住民たちが必要とする仕事をしている。「昇降機乗務員」は、同じ アパートに住んでいないのにもかかわらず、住民のために「献身」してくれる人であること から、「我々のご近所さん」として認識されている。 第2項:家庭内の女性の役割 「동자일(ドンジャイル)」と「동자질(ドンジャジル)」 1) 女:「엊그제 소학교 음악 교원이 된 댁의 따님의 집의 동자일도 맡아 한다는 것도 다 알고 있습니다.」 女:「おととい小学校の音楽教員になったお宅の娘さんが家のドンジャイルもやってい ることも知っていますよ。」 2) 男1:「아내도 없는 썰렁한 집에 혼자 들어가서 아들녀석을 기다리며 저녁 동자질이나 하자니 쓸쓸할테지.」 男1:「妻もいない寂しい家に一人で帰って、息子を待ちながら夕ご飯のドンジャジ ルをすると、寂しいだろう。」 3) 男2:「솔직히 남편을 무시하는 건 당신이오! 아니, 승강기 일이 뭐 그리 바쁘다고 쩍하면 남편한테 부엌일 떠맡기질 않나, 또 작업복 벗어 놓으면 제때 빨아주길 하나.……저녁 근무 교대 때 내 손으로 동자질을 한 적이 얼마나 되는 줄 아오?」 男2:「夫を馬鹿にするのはあなたのことよ!昇降機の仕事で何が忙しいの?しょっ ち ゅ う 夫 に 家事 を や ら せ る し 、 ま た 、作業服 も ち ゃ ん と 洗 っ て く れ な い し ……、夜間勤務の交代の時、自分でドンジャジルをしたのがどれくらいあったか知っ てる?」 朝鮮語で「ドンジャイル」は「炊事すること」を、「ドンジャジル」は「炊事することを侮 ること」を意味する言葉である。1)では、娘が炊事をするのは、「ドンジャイル」で表現して いる。しかし、2)では、妻がいない男性が夕ご飯を準備することを「ドンジャジル」と表現

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している。また、仕事が忙しいという理由で家事を疎かにしている妻に対して文句を言って いる3)でも、自分で食事を準備することも「ドンジャジル」と侮っている。 第3項:「理想的な集団」と「社会主義大家庭」 1) 「안되겠어. 이건 우리 한 두 집이 나서서 해결할 문제가 아니야. 우리 동네적인 사업으로 전환시키도록 해야지.」 「もうだめだ!これは我々何人かで解決する問題ではない!われわれの町の事業とし て転換させなくちゃ!」 2) A さん :「그들이 한 가족이라는 걸 안 이상 왜 갈라져 사는지 그 이유부터 알고 우리 이웃들이 빨리 대책을 세워야 될 게 아니오?」 Bさん:「옳습니다. 이건 절대로 남의 집일이 아니죠.」 Cさん:「그럼, 이건 우리 동네일이야. 동네일.」 Aさん:「彼らがもともと家族であったことを知った以上、なぜ別居しているのかその 理由から調べて、我々が早く対策を立てないといけないのではないか。」 Bさん:「その通りだよ!これは絶対他人事ではないです!」 Cさん:「もちろん、これは我々の町のことだよ、町のこと。」 3) 「그렇다고 동네 사람들을 외면할 생각은 하지 마오. 그건 죄되는 짓이야.」 「だからといって、町の人々を退けないでよ。それは、罪なんだよ!罪!」 4) A さ ん :「동네 설 준비 간단치 않구만요. 아, 지배인 동지요, 올해는 어느 집에 모이는가요?」 Bさん:「그야 더 물을 게 있어요? 우리 집에 모여야지요.」 Aさん:「町のお正月の準備って簡単ではないですね!支配人同志!今年はどの家で集 まるのですか?」 Bさん:「それは、言うまでもなく、うちに来てくださいよ!」 1)、2)、3)では、ある夫婦の別居問題を「町の事業」として転換させないといけないと言 いながら、これは、「他人事」ではなく「我々のこと」であると言っている。非常にプライベー トなことが個人の問題ではなく、町の人々とともに解決しなければならない「事業」であり、 「課題」であると判断でき、したがって、町の人を退けるのは「罪になること」になってし まうのである。また、4)では、朝鮮でもっとも大事な行事であるお正月を町の人々と準備し たり、ともに過ごしたりするのが予想できる場面である。これは、町の人々は家族でありな がら、北朝鮮社会で望んでいる理想的な「集団」の姿であると思われる。

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― 12 ― したがって、 5) 「자그마한 의견 상의를 해서 가정이 화목치 못하고 갈라져 산다니 참으로 리해하기 힘들구나. 복 속의 복을 모르고 사랑 속에 투정질이라고. 우리의 하나 하나의 가정이 세상 사람들 모두가 경탄 속에 그토록 부러워하는 우리의 일심단결의 기초로 된다는 걸 그들은 왜 자각하지 못하고 있을까?」 「ささいなことで喧嘩をして、家庭が平和でなく別れて暮らしているなんて、本当に 理解できない。幸せの中の本当の幸せが分からず、愛の中で文句ばかり。我々の一つ 一つの家庭は世の中のみんなが驚嘆の中にどれほどうらやましがる我々の一心団結の 基になっていることを彼らはなんで自覚していないのか。」 6) 「난 우리 인민반의 한 주민으로서 말하는데 가정은 사회의 세포로서, 집안이 화목해야 나라일도 잘된다는 걸 명심하오. 부디 우리 승강기 운전공이라고 친근하게 불러주는 동네 주민들의 따뜻한 눈빛에 화목치 못한 동무네 가정의 모습의 그늘을 지워준다는 걸 잊지 마오.」 「私は我々の人民班の一住民として言っているが、家庭は社会の細胞であり、家庭内 が平和であれば、国のこともうまくいくということを肝に命じなさい。どうか、我々 の昇降機乗務員さんと親しく呼んでくれる町の人々の温かい眼差しがあなたの家庭の 陰を消してくれることを忘れるな。」 7) 「난 말해줬어. 우리 동네. 그건 바로 일심단결의 나라로 불리우는 화목한 이 나라. 우리 조국이라고.」 「私は言った。我々の町。それは一心団結の国と呼ばれている平和なこの国。私の祖 国であると。」 5)〜7)では、別居中である夫婦に対して不満を持っている町の人々が、夫婦問題に発言権 でもあるかのように「我々の人民班の一住民」が「家庭は社会の細胞」であるため、近所の 人々が夫婦の「陰を消してくれる」と強調し、これで一つになる家庭と社会により「一心団 結の国」つまり、「社会主義大家庭」を作っていくというメッセージを伝えている。

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むすびにかえて―今後の課題

本稿では、北朝鮮の「実際に近い言語」について研究するため、ドラマの台詞を分析した。これま で韓国と北朝鮮、つまり南北言語の違いは印刷媒体の分析にとどまっていたが、「ドラマ」という映像 媒体を通して南北言語の違いをより具体的な状況と使い方について比較分析することができた。「ドラ マ」というテキストは、言語だけではなく、当時の社会像を分析する資料としても十分な価値がある と思われる。本研究では、一遍のドラマの内容を質的分析したが、今後の課題としては量的分析とと もに南北の言語、社会文化の違いについて研究していきたいと思う。 以上。

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1) 北朝鮮で「ドラマ」は、「テレビ劇(텔레비죤극)」と言う。本稿では、両方表記することもある。 2) 「朝鮮中央テレビ」は、朝鮮語で「조선중앙텔레비죤」と表記する。 3) 이주철(2001)「김정일정권의 TV드라마를 통한 체제선전에 관한 연구」、경남대학교 북한대학원修士論文. 4) 이주철(2002)「조선중앙TV드라마 연구」、『국제고려학회 서울지회 논문집』 5) 남화순(2003)「북한 텔레비젼 드라마를 통해 본 사회 변화 연구」、경남대학교 북한대학원 문화언론전공 修士論文. 6) ウリ式社会主義は、朝鮮語では「우리식사회주의(われわれ式社会主義)」と表記している。1980 年代末旧ソ連と東欧社会主義圏の没落によって、北朝鮮は統治イデオロギーである「主体思想」に 新たに加えられた「朝鮮民族の社会主義」のことを意味する言葉である。 7) 강민정(2014)「김정은 체제 북한 TV드라마의 욕망—‘기다리는 아버지’(2013), ‘소년탐구자들’(2013), ‘소학교의 작은 운동장’(2014)을 중심으로」、『통일인문학』 60. 8) 김미진(2013)「북한TV드라마의 유형과 체계」、『한국문화기술』제16호pp.27-53. 9) 안지영,진희관(2015)「김정일 시기 북한 영화 및 TV드라마로 본 청년의 사회진출 양상과 함의」、『한국문화기술』제19호pp.63-98. 10) 朝鮮労働党第5次大会は、1970年11月2日から11月13日まで行われた。 11) 「온 나라의 텔레비죤화」 12) イ・ジュチョルによれば、1971年64%、1975年95%に増加したと言われている。 13) 朝鮮語では、「조선중앙텔레비죤」と表記される。 14) 1963年3月3日「平壌テレビ放送局(평양텔레비죤방송국)」に開局したが、のちに1970年4月15日に 「朝鮮中央テレビ(조선중앙텔레비죤)」に改称した。 15) 2006年1月1日からの朝鮮中央テレビの番組表については、韓国の統一部のサイトである「北朝鮮資 料センター」で確認することができる。(http://unibook.unikorea.go.kr/MA/) 16) 平日の場合、17時から放送が始まったが、2013年4月6日から15時から放送が始まっている。 17) 北朝鮮では、ニュースを「報道(보도)」という。 18) “텔레비죤방송의 사상예술적 수준을 높일 데 대하여- 조선로동당 중앙위원회 선전선동부 및 텔레비죤방송부문 일군들과 한 담화” 1972년 8월 22일『김정일선집』제2권(1993) p.420 19) “텔레비죤방송의 사상예술적 수준을 높일 데 대하여- 조선로동당 중앙위원회 선전선동부 및 텔레비죤방송부문 일군들과 한 담화” 1972년 8월 22일『김정일선집』제2권(1993) p.420 20) 황갑수(1991)「텔레비죤과 텔레비죤예술작품(1)」,『조선예술』第5号p.62 21) 「マンスデテレビ」は、「만수대텔레비죤」、「朝鮮教育テレビ」は「조선교육문화텔레비죤」に表 記している。 22) 「開城テレビ」は「개성텔레비죤」に表記している。 23) 황갑수(1993)「텔레비죤극예술(1)」,『조선예술』1993년 제4호.p.57 24) 황갑수(1993)「텔레비죤극예술(1)」,『조선예술』1993년 제4호.p.57

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25) 本研究では、北朝鮮の文献に書かれている「形象手段」を「表現手段」と同じ言葉であると把握し ている。

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参考文献

スタイル:本文-参考文献 황갑수(1991)「텔레비죤과 텔레비죤예술작품(1)」, 『조선예술』1991년 제5호. 황갑수(1993)「텔레비죤극예술(1)」,『조선예술』1993년 제4호. 리수도(2006)「テレビ文学についての一般的な理解」,『김일성종합대학학보 어문학』52권 제2호. 이주철(2001)「김정일정권의 TV드라마를 통한 체제선전에 관한 연구」、경남대학교 북한대학원 석사학위논문. 이주철(2002)「조선중앙TV드라마 연구」、『국제고려학회 서울지회 논문집』 남화순(2003)「북한 텔레비젼 드라마를 통해 본 사회 변화 연구」경남대학교 북한대학원 문화언론전공 석사 논문. 강민정(2014)「김정은 체제 북한 TV드라마의 욕망—‘기다리는 아버지’(2013), ‘소년탐구자들’(2013), ‘소학교의 작은 운동장’(2014)을 중심으로」、『통일인문학』 60. “텔레비죤방송의 사상예술적 수준을 높일 데 대하여- 조선로동당 중앙위원회 선전선동부 및 텔레비죤방송부문 일군들과 한 담화” 1972년 8월 22일『김정일선집』제2권(1993) 宇佐見毅(2012)『テレビドラマを学問する』 中央大学出版部「125ライブラリー」 北朝鮮資料センターサイトhttp://unibook.unikorea.go.kr/MA/

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編集・発行 : 富士ゼロックス株式会社 小林基金 〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号 電話 03-6271-4368

ドラマから見た北朝鮮の言語と社会

参照

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