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巻頭特別企画 10 月 7 日, スウェーデン王立科学アカデミーによる 2014 年ノーベル物理学賞発表の様子.Photo: Xinhua/Aflo ノーベル物理学賞への軌跡青色 LED 研究開発ストーリー 赤㟢勇, 天野浩, 中村修二の三氏は, 研究開発の長い道のりで, いずれも大きなブレークスル

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Academic year: 2021

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ノーベル物理学賞への軌跡

青色LED研究開発ストーリー

赤㟢 勇,天野 浩,中村修二の三氏は,研究開発の長い道のりで,

いずれも大きなブレークスルー(障害の突破)を果たし,

それが今回のノーベル物理学賞受賞につながっている.

三氏の歩みを振り返り,なぜブレークスルーを成しえたのか,

何が“勝因”となったのかを探ってみる.

10月7日,スウェーデン王立科学アカデミーによる2014年ノーベル物理学賞発表の様子.Photo: Xinhua/Aflo 巻頭特別企画

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ネセンスと縁ができる.名古屋大学に移った1959年,結晶成 長の研究に着手する.名古屋大学時代が「研究者としての私 の原点」と語る.「日曜日もほとんど休まずに,夜遅くまで, 実験室立ち上げの準備に追われていました.大変苦労はしま したが,自分で手を動かしたことが血肉となり,自分の実験屋 としての力になった」(赤㟢氏). 大学で手がけたのは当時の半導体研究で最も重要なゲルマ ニウムで,その結晶成長法として,日本初,海外でも米国IB M社だけが取り組んでいたというエピタキシャル成長法を独自 に開発した.「ゲルマニウムの気相エピタキシャル成長に関す る研究」が赤㟢氏の博士論文となり,以後,結晶成長にます ますのめり込んでいく. この博士論文が,赤㟢氏に再びの転機をもたらす.同論文 に関する研究発表を聞いた,当時,東北大学教授で松下電器 東京研究所の所長就任が決まっていた小池勇二郎氏から, 研究所に来ないかと誘われたのだ.赤㟢氏は応諾し1964年, 松下電器東京研究所の基礎第 4 研究室長に就く.35歳の最 年少室長は就任時,小池所長に「光る半導体をやります」,「結 晶成長に軸足をおいて,ⅠⅠⅠ-Ⅴ族化合物半導体を研究したい」 と語っている. 赤㟢氏は松下電器時代に GaAs,GaP など8種類のⅠⅠⅠ- Ⅴ族化合物半導体に取り組んだ.1969年には GaP を用いて 当時,世界最高の発光効率となる超小型の赤色発光ダイオード (Light-Emitting Diode: LED)を開発した. ただ,赤色LEDや緑色LEDは米国で開発済みで,「性能はと もかく,しょせんは二番煎じ」(赤㟢氏).一方,3原色のうち, 残された青色LEDは実用化の見通しが全く立っていない未 踏のテーマ.さてどうするか.赤㟢氏は「これ(青色LED) り,成果が出ず,何年も論文が書けない状態が続いた.それ でも GaN の可能性を確信し続けていたという. 1979年,気相エピタキシャル成長法の一手法である有機金 属 気 相 成 長 法( M e t a l O r g a n i c V a p o r Phase Epitaxy: MOVPE)を新たに採用し,その基板にサファイア を選んだのが正解となり,今日につながる(現在,GaN の 作製はほとんどがMOVPE法とサファイア基板の組み合わせ). とは言っても,確たる研究成果を上げるまでには長い年月を要 し,松下電器で青色LEDの研究を続けるのは難しい状況を迎 えて,1981年,古巣の名古屋大学に戻る. 名古屋大学では,手作りのMOVPE装置を用いた,手探り の実験を繰り広げる.これといった実験結果が得られない中, 1983年に,基板のサファイアと成長層である GaN 単結晶と の間にバッファ層を設けるアイデアを思い付く.「木に竹を接ぐ」 とも言われるサファイアと GaN のミスマッチ度を,緩衝材を かますことで低減させて,木と竹をくっつけようという発想で ある. バッファ層は,松下電器時代,赤色レーザーの材料を液相 エピタキシャル成長法で作製した際に活用したことがあり, 経験が生きた.バッファ層の材料に AlN を用いた,この AlN による低温バッファ層技術が,高品質な窒化ガリウム単結晶を 作り出し,ひいては高性能青色LEDを実現させていく. では,低温バッファ層技術はどのようにして確立されたのか. そこには幸運の女神が舞い降りる“セレンディピティ”があった. そして,女神は,3人のノーベル物理学賞受賞者の2人めとな る天野浩氏の頭上に舞い降りる.

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巻頭特別企画

天野 浩 博士

(名古屋大学教授) 1982年3月,1人の青年が赤㟢研究室のドアを叩たたいた. 名古屋大学工学部3年の天野浩氏だ.もともとマイコン少年 だった天野氏は,CPU(中央演算装置)を研究したかったが, ぴったりの研究室は見つからない.そこで,半導体に取り組ん でいた赤㟢研が,CPUと近く,また青色LEDの開発という テーマがわかりやすくて魅力的だったことから,新学期が始ま る1カ月前,赤㟢氏を訪ねて,すぐに指導を受け始める. 天野氏はまず,MOVPE装置の改良で大いに貢献する. GaN の結晶を成長させるには,基板温度を1000℃まで加熱 する必要があるが,高温にすると基板付近に熱対流が生じ, 対流に阻まれて原料ガスが基板に届かず,つまり結晶成長は 起こらない.試行錯誤の末,ガスを吹き付ける角度を基板に 平行ではなく,斜め方向からとし,また,ガスの供給速度を 100倍に高めることで,難問をクリアした. 1つのハードルを越えたものの,十分な結晶成長を得るまで の道のりはまだまだ遠い.天野氏は,盆暮れもなく休むのは 元日だけという実験漬けの日々を数年間続ける.その間, 毎回2,3時間はかかる実験を1500回以上も繰り返したが, それでも成果は得られない. 1985年のある日,電気炉の不調で炉の温度がいつもの 1000℃まで上がらず,850℃ほどで止まってしまう.まぁ, これでも実験はできると考え,基板の上にまず AlN のバッファ 層を形成し,その上に GaN の結晶を重ねる作業をした. 実験を終え,基板を取り出すと,いつも見てきた磨りガラス状 とは異なるツルツルした表面になっている. 天野氏は最初,原料ガスを流し忘れたのかと思った.確認し たらガスは供給されている.もしかして……と,顕微鏡で基板 を観察すると,六角柱の結晶がきれいに並んでいる.「心 臓が打ち震えるような感動を覚えた」と,天野氏はそのときを 語っている.低温バッファ層技術がここに実を結ぶ.炉の不調 というアクシデントが,幸運の女神を呼び寄せたのだ. 赤㟢,天野コンビは続いて,GaN によるp型半導体の作製 に挑む.pn接合を基本構造とする青色LEDで,n型の GaN の結晶は簡単に作れるが,p型結晶は GaN では無理だという のが当時の定説,常識だった.しかし,「窒化ガリウム(GaN) でもとことんきれいな結晶をつくり,p 型をつくれるアクセプ ター不純物を,(通常)残留電子濃度の少なくとも10倍以上 ドープすれば必ずp型をつくれる」と信じていたという赤㟢氏 および天野氏に神は頬ほ ほ え笑む. 当初,GaN に Zn をドープしp型を目指したが,うまくい かない.そこで,Znドープ条件と発光スペクトルの関係を知 るために,条件を変えて作製したサンプルに電子線を照射し, どう発光するかを調べてみた.その際,思わぬ現象を発見した. 電子線を照射するにつれ,光の強度が高まっていくのだ. 光の強度の増大は,「フェルミ準位」の変化を示唆し,つまり はp型化した可能性を示す. 結局,Znドープではいかなる条件でもp型結晶には至らな かったが,電子線照射の予期せぬ効用を見いだせて,8合目付 近までは到達したことになる.予期せぬ効用の発見=セレンディ ピティがここにもあった.さらに,頂上までの残りの道のりは, 不純物として Zn の代わりに Mg を用いることで踏破する. こうして,1989年3月,GaN のp型半導体が世界で初めて 誕生する.あとは青色LEDの実用化へ向け,一いつしや瀉千里で突き 進む.その担い手の 1 人となったのがノーベル賞トリオの3 人め,中村修二氏である.

中村 修二 博士

(米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授) 1979年,徳島大学大学院工学研究科の修士課程を修了し た中村氏は日亜化学工業(株)に就職した.黄緑色LEDの材 料となる GaP や,赤色系LEDの材料に用いる GaAs の研究 開発で一定の成果を収めた.ただ,製品化したそれら材料の 売れ行きはあまり芳しくない.「社内的にも厳しい立場に立た されていましたので,何か思い切ったものを,という心境」(中 村氏)から,社長に「青色LEDをやりたい」と直訴する. 1988年のことで,直訴は通り,米国フロリダ大学に1年間留 学したのち,青色LEDの研究開発に着手する. 赤㟢研と同様に有機金属気相成長法(Metal Organic Chemical Vapor Deposition: MOCVD)と GaN の組み

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MOCVD 装置の手直しにエネルギーを投入する.まずヒータ を改良し,次いで,ガスの流れを変える仕掛けを工夫する. 課題は,前述の(天野氏が貢献の箇所)熱対流への対応で, たまたま応用物理学会学術講演会で聞いた発表が大きなヒン トとなり,対流を押さえ込む Two Flow 法を編み出す. Two Flow 法とは水平方向に原料ガスを流す一方で,上か ら垂直方向に押圧ガスを送り込む方式.そのため,ガスの流量, 流速や吐出のタイミングなどで微細な制御が必要となるが, 入社以来,研究開発のほぼ全てを1人でこなしてきて,“研究 職人”の名人の域に達していた中村氏は,職人の勘を働かせ て最適条件を突き止める. こうして完成させた Two Flow 法とその派生技術によって, 世界最高品質となる GaN の結晶成長に成功する.結晶の 完成度を表すホール移動度は,それまでの最高値100cm2/ Vs を大幅に上回る200cm2/Vs を得た.以後,世界初,世界 最高を次々と達成し,ゴールとなる高輝度青色LEDの作製に 向かって突き進む.「前人未踏の宇宙探検のようなものだ. 最新鋭の惑星探査ロケットが宇宙空間を飛んでいるようなイ メージ」.中村氏は自著で当時をそう述懐している. 中村氏は Two Flow 法の開発に続いて,いくつものブレー クスルーを成し遂げている.まず,バッファ層に,AlN ではな く GaN そのものを用いる方式を開発する.低温(約600℃) でアモルファス GaN のバッファ層を形成して,その上に高温 での結晶成長を図るもので,同方式も GaN 薄膜結晶の高品 質化に大いに貢献した. 次いで,p型半導体の作製において新たな知見を見いだすこ とで,青色LEDの量産化への道を切り開く.赤㟢研が電子線照 射によりp型化に成功したのを受け,1990 年代初め,中村氏も の発見により,青色LEDの量産化が,いよいよ現実のもの となる. ダブルヘテロ構造の青色LEDへの導入も見逃せないブレー クスルーの1つだ.同構造に関しては,今回のノーベル物理学 賞の授賞理由(スウェーデン王立科学アカデミー)の中でも 図を交えて説明されている.ダブルヘテロとは,Zn をドープ した InGaN を発光層として,発光層の上下を,それぞれp型, n型の AlGaN で挟む構造であり,中村氏らは1993年秋, 開発に成功する. この青色LEDは,当時市販されていた SiC 青色LEDと比べ明 るさが100倍の高輝度を誇るもので,日亜化学では翌 1994 年 から量産に乗り出す.それから20年.今,照明の世界は一新さ れ,青色LED関連技術の利活用は,電機・情報系はもちろん, 医療,印刷,農業といった分野にまで広がろうとしている.

参考文献

赤㟢勇:青い光に魅せられて(日本経済新聞出版社,2013). 中島彰:「青色」に挑んだ男たち(日本経済新聞出版社,2003). 中村修二:好きなことだけやればいい(バジリコ,2002). 中村修二:Wild Dream(ビジネス社,2002 年). Newton 2014 年 12 月号(ニュートンプレス). 日経サイエンス 2014 年 12 月号(日本経済新聞出版社). 中村修二:応用物理 78,360(2009). 赤㟢勇:応用物理 76,892(2007).

Scientific Background on the Nobel Prize in Physics 2014 (The Royal Swedish Academy of Sciences, 2014).

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巻頭特別企画

選択眼をもつ

「はやりにとらわれず,やりたいことをやること」.赤㟢氏は ノーベル物理学賞受賞直後の記者会見で,若手へのアドバイス を尋ねられ,そう答えている.研究でも仕事でも,何をやるのか, まずその選択がポイントになる.本人にとって何が正しい選択 なのか.難しいテーマだが,人真似はしない(中村氏),未踏 の青色LEDこそライフワーク(赤㟢氏)など,三氏は自身の価値 基準や目標を確立して,基準や目標にのっとった選択をしてきた. 材料の3択問題で,一番人気がなかった GaN を選べたのも, タフな材料こそ本物(赤㟢氏)との独自の基準や,論文を書 きたい(中村氏)との明確な目標があったからこそであろう. はやりものは必ず廃れる.むしろ,今,はやっていないものに, より大きなチャンスがあることを三氏は示した.天野氏は「赤 㟢先生を除いてほとんど誰もがあきらめていたんです.(…) もし私が成功したら,これはすごいことだ」との思いから実験 に集中できたと“逆張り”の効用を説いている.

数をこなす

日曜もほとんど休まずに実験室を立ち上げた赤㟢氏.何年間も 実験漬けの日々を送り,1500回以上も実験を繰り返した天野氏. 手作りの実験装置を使って,午前は改造,午後は実験の毎日を続 けた“研究職人”の中村氏.三氏の研究や実験に投入したエネ ルギーはいずれも尋常ではない.なぜ,そこまで没頭できたのか. 天野氏は「うまくいかないから面白いというところがあって, ここをこういうふうに変えたら,きっとうまくいくに違いないと 思ってやっていました」,「目標は他人から与えられるのではな く,好きなことなら自分で目標を立てる.そうすれば続けられる」 と語っている.「面白い」,「楽しむ」,「好き」,それに「目標」 がキーワードとなるようだ. 「結晶成長は(…)「サイエンス」というより「サイエンス& アート」(…)そこが,この研究の面白さ」実験して結晶を取り 出すときの期待と興奮は「陶芸家が窯かまから作品を出すときも そうなのではないかと思いますが,独特の高揚感があります」 (赤㟢氏)といった捉え方もある.芸術につながるクリエイティ ブな研究であることが,三氏を突き動かしたのだろうか…….

三氏は,なぜ,ブレークスルーを成し遂げた?

赤㟢,天野,中村の三氏の歩みを見てみると,意外なほど 共通点が多い.三氏に共通する部分を拾い上げ,そこから 「ノーベル賞への方程式」を導き出すのは,帰納法として ちょっと無理があり,乱暴に過ぎるだろう.ただ,偉業を遂げ た三氏から学ぶべき事柄は,研究者や学生はもちろん,どん な職業に就いている人にとっても少なくないはず.三氏から学 ぶべき「ブレークスルーにつながるABC」を,以下の3項目に 要約した.

ひらめきを得る

応用物理学会で東北大学の坪内和夫先生の発表を聞いて い て,「 私 は ピ ンとひら め い た.坪 内 先 生 の 研 究 室 の MOCDV 装置は,上から押さえつけるようにしてガスを流し ていると言うのである.(…)「押さえつけるように」という表 現が,私の中で引っかかっていた」.中村氏は Two Flow 法 開発のきっかけを,そう説明し,「学会発表ではなくても,(…) 天井の扇風機を眺めてもひらめいたかもしれないし,ヤカンの フタを見ても思い付いたかもしれない」「どん底へ落ち込み, いつも MOCVD 装置のことばかり考えているから,なんにし ても結び付けてしまっていた」とも述べている. 一方,赤㟢氏は,研究者人生を通じて最も実感できるとして 「経験は最良の教師」ということわざを挙げる.「なぜ,経験が 大事かといえば,経験を積むことによって「勘」が芽生えるこ とがあるからです.(…)いわゆる「山カン」ではなく,失敗を 繰り返した経験から生まれる「勘」です.MOVPE法を採用 することにしたときも,低温バッファ層の条件も,最終的に は勘に頼った部分がありました.かなりの部分は理づめですが, 最後の一押しをしてくれたのは勘でしょう」と自著に記してい る.失敗を繰り返す.どん底状態に陥る.そうした体験こそが ブレークスルーの必要条件かもしれない.

参照

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