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宇野浩二未発表書簡二十四通ー丸山順太郎宛書簡一通・嶋中雄作宛

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(1)

宇野浩二未発表書簡二十四通 : 丸山順太郎宛書簡 一通・嶋中雄作宛一通・田中直樹宛一通・早稲田文 学社宛二通・尾崎一雄宛五通・浅見淵宛一通・中山 義秀宛十一通・武者小路実篤宛一通・尾崎一雄記念 会世話人宛一通

その他のタイトル 24 Unpublished Letters Sent by Kohji Uno

著者 増田 周子

雑誌名 關西大學文學論集

57

3

ページ A1‑A20

発行年 2007‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/12514

(2)

ここに紹介する宇野浩二書簡二十四通は︑昭和二年九

月から︑昭和三十五年七月のものである︒

書簡番号一は︑昭和二年七月二十四日の芥川龍之介が

亡くなった後のものである︒昭和一一年から三年にかけて

岩波書店から刊行された﹃芥川龍之介全集﹄の編集委員

の一人として宇野浩二が︑谷崎潤一郎︑佐藤春夫︑菊池

寛らと共に宛てた丸山順太郎宛書簡である︒丸山順太郎

は︑フランス文学者で︑芥川龍之介の﹁鼻﹂をフランス

語訳したことでも知られている︒

書簡番号二は︑昭和七年の書簡で中央公論社の編集者

嶋中雄作に宛てたものである︒字野浩二は︑昭和一一年か

ら生死を初種うほどの大病に見舞われ︑七年まで創作も

ろくにできないほどの状況となるが︑ようやく回復し︑

創作に取りかかろうという状況の手紙である︒﹁二伸︑

これはあなただけにお洩らししますが︑﹃中央公論﹄十

月号の﹃夜明け前﹄の附近の匿名の人は小生です﹂とあ

るので︑昭和七年十月号の﹃中央公論﹄の﹁夜明け前﹂

を見てみた︒末尾の﹁附記﹂に︑島崎藤村が次のように

i  田

宇野浩二未発表書簡二十四通ー丸山順太郎宛書簡一通・嶋中雄作宛

一通•田中直樹宛一通・早稲田文学社宛二通・尾崎一雄宛五通•浅

見淵宛一通・中山義秀宛十一通・武者小路実篤宛一通・尾崎一雄記

念会世話人宛一通

(3)

がよいかと思ひます︒あの辺の淀川は河内︵現在北

河内郡︶を流れて居りますから︒大変失礼ですが︑

第です︒﹄としてあった︒この注意はありがたい︒こ︑

稿

の本誌上分載の筈︒

四月︑七月︑十月

おそらく宇野浩二が送 た筆を改めて諸君に見えることを楽しみとする︒こ これよりすゞしき季節に向ふことでもあるから︑ま

書簡番号三は︑﹁昭和八年八月十二日﹂付けであるが︑﹁編

集後記﹂︵創刊号︶に︑田中直樹が︑﹁創刊号は九月五日

に出すつもりだった﹂が︑﹁絶食をしてまでがんばった

のだが期日までに出すことが出来なかった﹂と言うので︑ 本年の酷暑︒読者諸君もいかに暮らされたらうか︒ さったのは︑本誌をどれだけ美しくしたか分らない︒学界﹄の編集者として︑当時新進気鋭の作家川端康成︑小林秀雄らと共に文芸復興に尽くしたのであった︒なお︑ に訂正し︑併せてその厚意を謝する︒余事ながら︑同深謝してゐる﹂と記している︒宇野浩二は︑復刊﹃文

ちょっと気がつきましたので御参考に申し上げる次御多忙中にか︑はらず︑表紙︑カット等を全部御執筆下 が﹁鍋井克之氏が宇野氏を通じての私達の乞ひを容れ︑ 一日に創刊された︒その創刊号﹁編集後記﹂に川端康成 て記した書簡である︒復刊﹃文学界﹄は︑昭和八年十月内平野ではないかと思ひます︒或ひは河内平野の方 書簡番号三は︑復刊﹃文学界﹄のためのカットについ行目に︑﹁大阪平野の景色﹂云々といふところは河 の変更に宇野浩二が関与していたとは興味深い︒のも拝読いたしました︒その中で︑三十五頁の十 かさず愛読してゐるものです︒﹁中央公論﹂七月号 た︒それには︑﹃貴作﹁夜明け前﹂を雑誌の上で欠 附記ー前回を発表した時︑匿名の人より葉書を貰つ

西

った匿名ハガキであろう︒﹁夜明け前﹂第二部の収録さ

れた昭和十年十一月二十五日発行の﹃夜明け前︿藤村文

から﹁河内平野の景色﹂と改変していた︒﹁夜明け前﹂

(4)

尾崎一雄は︑﹁中山と私との間には︑田畑修一郎︑川 ている︒この後︑中山義秀は︑昭和十三年七月︑第七回芥川龍之介賞を﹁厚物咲﹂︵﹃文学界﹄昭和

月︶で1 3

9

受賞し︑大きく文壇に認められていく︒に中山義秀 である︒中山義秀は︑明治三十︱︱一年十月に︑福島県岩瀬郡大屋村で生まれた︒早稲田大学英文科に進み︑横光利一︑冨ノ澤麟太郎らと共に同人雑誌﹃塔﹄︵大正

1 1

年 ︶

を発刊する︒この頃より︑小説を同人雑誌に発表しはじ

めるが︑ほとんど世間から評価を受けていなかった︒尾

一巻付録﹄昭和

4 6

7

月︶で︑﹁昭和八年の春頃か︑四

つ五つの同人雑誌が合同して新雑誌を出さうといふ話の

席上︑初めて中山義秀に逢った﹂と述べ︑﹁昭和十年四

月から十二年三月までのまる一︱年間︑私は谷崎精二主宰

崎長太郎がゐて︑

つながりをつけてくれた︒田妍︑川崎

は中山の盟友であり︑私もまた田畑︑川崎と親しかった

ので︑私達は急速に中山と近しくなることができた︒中

山は︑早稲田茶話会にも出てくるやうになった﹂︵﹁中山

義秀に関する雑談﹂︶と述べ︑昭和十二年頃の︑中山義

秀について次の如くに記している︒

昭和十二年秋︑上野桜木町へ移った︒宇野浩二家

の編輯を辞めてゐ

たので︑宇野氏を訪ねることはなかった︒

中山義秀︑田畑修一郎︑川崎長太郎は宇野氏を囲

むグループのメンバーで︑ときどき宇野氏の所へ集

今回︑紹介する宇野浩二中山義秀宛書簡は︑昭和十三

年からの手紙で︑芥川賞を受賞した頃の書簡である︒ち

ょうどその頃︑宇野浩二を囲む会︵日曜会︶

は参加していたようだ︒書簡番号十は︑芥川賞受賞作﹁厚 中山義秀から﹁月夜の船﹂などの短篇を貰った﹂と記し

第三次﹃早稲田文学﹄の編輯をやってゐた︒その期間にまった様子だ︒そして中山と田畑は︑そのついでに しかし︑その頃は 崎一雄は︑﹁中山義秀に関する雑談﹂︵﹃中山義秀全集第に近いところで︑宇野氏とは銭湯でときどき逢った︒ 手紙の中で最も多かったのが︑中山義秀宛書簡十一通 発行が遅れたのであろう︒

(5)

ホしている書簡である︒書簡番号十四・十五は田畑修

材料御所持でございましたら左記条項御承知の上どうか 拝啓 封書︵印測文︶三銭 赤阪区青山南町二の二十七丸山順太郎宛 より 闘西大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

物咲﹂を小山書店から出版するということを宇野浩二が

中山義秀にお願いしているものである︒﹁厚物咲﹂は︑

昭和十一二年九月に︑単行本﹃厚物咲﹄として︑宇野浩一︱

が収録を勧めた﹁栄耀﹂を含め︑﹁厚物咲﹂﹁藁﹂﹁二僧侶﹂

﹁乾氏の秤﹂五作を収載し︑小山書店から刊行された︒

書簡番号十二は﹁明治大正文学選﹂の編集のことを指 郎の追悼の会を開催するための相談の手紙である︒田畑

修一郎は︑昭和十八年七月二十︱︱一日︑東北地方への民話

取材の途中︑盲腸炎の手術後の病気併発のため︑盛岡の

赤十字病院で亡くなってしまう︒﹃田畑修一郎全集﹄︵昭

5 5

年︑冬夏書房︶を編纂した紅野敏郎は︑﹁解説﹂︵﹃田

畑修一郎全集第一巻﹄昭和

8 5 5

月︑冬夏書房︶で﹁田

畑修一郎に一一巻本ぐらいの全集がいまだに編まれていな

いのは一体だれの責任なのであろうか︒田畑の没後三十 数年経ての今日︑私はこの事実をあらためて直視し︑憤 りを覚える﹂と述べているが︑書簡番号十二は︑昭和二 十年頃︑宇野浩二が︑田畑修一郎の選集を発行しようと

本書簡は︑全て神奈川県立文学館所蔵の書簡である︒

今回︑これらの書簡を発表するにあたって︑字野浩二著 作権継承者の宇野一夫様︑並びに︑尾崎松枝様︑田中直 樹様︑嶋中行雄様︑中山日女子様および神奈川県立文学 餡のスタッフの皆様方に大変お世話になりました︒厚く

岩波書店内

昭和二年九月九日︵消印/

2 . 9 . 1 0

東京市神田区南神保町十六番地 芥川龍之介全集編纂同人会

電話九段

( 3 3 )

御礼申し上げます︒

1 0

二ニ番

今回芥川龍之介全集を編纂致しますについて俳

旬・歌・書翰其他を汎<蒐集いたしたいので︑それ等の 奔走していたのだが︑実現できなかったことがわかる︒

(6)

宇野浩二未発表書簡二十四通︵増田︶

谷崎潤一郎

拝復 芥川龍之介全集編纂同人︵いろは順︶

ヽ 4

︷ ノ

ペン書

御送付は東京市神田区南神保町十六番地

御貸与の品は復写の上順次書留郵便で御返送致し 取捨選択は私逹に御一任願ひます︒

す ︒

小島政二郎

私達に一時お貸し願ひたいと存じます︒尚此旨御心当り

の向へも御伝達願へると幸甚です︒

御郵送は至急に願ひます︒

材料は凡て復写したものでなく︑肉筆を希望しま 書翰は御差支の部分は公刊の際削除しても宜しう

ございます︒

岩波書

昭和七年九月二十二日︵消印/下谷/

7 .

9 . 2 2 /

8 │ 1 2 )

東京市下谷区上野桜木町十七より

封書︵便箋二枚︶︱二銭

佐佐木茂索 嶋中雄作宛

お蔭で健康はすつかり回復しまして︑ほっぽつ小説を 書かうと︱っ二つ準備をして居りますが︑前から約束の

あるのを︱つ書き了りましたら︑その次ぎのを︑出来次 丸山順太郎様

久保田万太郎

(7)

よっと思ひ出しましたので︑附加へました︒ 二伸︑これはあなただけにお洩らししますが︑﹁中央

四昭和十年六月六日︵消印/下谷桜木町/

1 0 .

6.6

ナベ井クンノエッキマシタラデンワデシラセテ しい中をやってくれてゐるのですから︑特にお礼をして 闘西大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

第お知らせします︒

れからはメ切に追はれず︑気に入ったものを作って︑こ

ちらからそれをお知らせするやうにしようと思って居り

ます︒従って︑

くつもりで居ります︒

以上︑お返事まで

九月二十二日 島中雄作様

草々不備

宇野浩二

公論﹂十月号の﹃夜明け前﹄の附近の匿名の人は小生

です︒これは島崎先生にもお洩らし下各らぬやう︑ち 先達ても申しました通り□口□□出来るものであり︑忙 遅くとも一一日位の中には出来ると云つて来ました︒之は とに致しませう︒はもう八分まで描いてゐる︒表紙だけ残ってゐるから︑ ければ︑二月でも︑三月でも︑出来次第お知らせするこ五日発送メ切につき一寸ごたごたしてゐる︒カット・扉 十一日に発送のつもり︑ロロロロロの大口口□作中︑十 それに︑あなたのお社にはデパートがありますので︑鍋井君から(+日出の便に︶﹁文学界﹂のカット集︑ 一年に一作でも一一作でも︑あせらずに書官製ハガキ

ペン書 芝区片門前□ノ六文化公論社 東京市下谷区上野桜木町十七より

下さい︒今からお願ひですから︑ボクのトコロヘアノセ

ンデンブンツキマセン 以前とちがつて︑生活を質素にして居りますので︑こ

o I

4 )

 

田中直樹宛 昭和八年八月十二日︵消印/下谷/

8 .

8 . 1 2

/后

(8)

五 1 日 ︶

東京市下谷区上野桜木町十七より

早稲田文学社編輯部宛

題名まちがつてゐます︒

l

﹁遠方の思出﹂です︒七月号の分の校正必ずお見せ下さ

及びません︒

昭和十年十二月一︱十日︵消印/下谷/

1 0

1

2 . 2 0 /

8 │ 1 2 )

東京市下谷区上野桜木町十七より

宇野浩二未発表書簡二十四通︵増田︶

七昭和十二年元旦(消印/下谷/

12.12.31

/后

4 —

喪中に就き年賀の礼を欠き申候

官製ハガキ

︑ 王

1 ︑>

1

﹃早稲田文学﹄︵昭和

8 1

日\昭和

1 0

1 1

4

尾崎一雄宛 牛込区馬場下町四一

早稲田文学編輯部宛 出席

新宿は全く不案内の土地ですから︑ご面倒ながら︑

新宿の駅を出たところからの口口をおだし下さいま

︱二月二十日

東京市下谷区上野桜木町十七より

牛込区馬場下町四一

六月六日

1 2  

I, 

昭和十年十二月︵消印/下谷/

. 1 0

1 2 . 3

1

/后

8

あれは連載ですから︑今後︑十二月号分まで︑ご催促に

東京市牛込区原町一—六七 官製往復ハガキ︵返信︶

ペン書

0

4

早稲田//

1 0 . 6 . 6

/后

4

8)

(9)

昭和十二年元旦 謹賀新年

官製ハガキ一銭五厘

十銭 ペン書

拝復

昭和十三年元旦 謹賀新年

官製ハガキ二銭

東京市下谷区上野桜木町十七番地より

牛込区馬場下町四一

尾崎一雄宛 昭和十二年四月二十四日︵消印/小石川/

1 2

4.

2 4

/前

8 │ 1 2

/下谷桜木町/

1 2 . 4 . 2 4

/前

8 │ 1 2 )

東京市下谷区上野桜木町十七より

東京市淀橋区諏訪町一一番地浅見淵宛 官製往復ハガキ︵返信︶速達

今朝これを拝見しました︒今夜どうしても抜けられな い用事がありますので欠席させてもらひます︒尾崎君

十二銭 翠月荘

東京市下谷区上野桜木町十七番地より 下谷区上野桜木町二丁

尾崎一雄宛

昭和十一二年七月二十五日︵消印/下谷桜木町/

1 3

7 . 2 5

/后

0│4

/世田谷/

1 3 . 7 . 2 5

/后

4

8 )

東京市下谷区上野桜木町十七より 世田谷区代田二丁目八九〇

封書︵便箋二枚︶速達

4 )  

8 )  

開酉大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

中山義秀宛

九昭和十︱︱一年元日一︵消印/下谷/

1 3 . 1 . 3

/后

0

によろしくおったへください︒

(10)

たのこれまでのお作の中で︑あなたのお気に入りの小説

1

を︑︵田畑君が﹃鳥羽家の子供﹄にしたやうに︑︶お入れ

どうぞ︑小山氏も︑乗気になり︑あなたに何日目かで

いいやうに僕は侶じるからです︒

前略大御無沙汰してをります︒お変りないことと存

それは︑戸厚物咲﹄といふ題で︑﹃栄耀﹄︑その他︑あなは九月二十三日 それで︑今度は僕から改めてお願ひしたいと思ひます︒封書︵四百字詰原稿用紙 緒に日野君の本を出した︑といふ訳です︒神奈川県鎌倉市極楽寺九十 長野県東筑摩郡島立村蛇原 す︒これは︑間宮君の時もさうだったのです︒

小山書店主は安部能成氏の甥で︑見られるやうに文学

好きの人で︑気持のいい人です︒

のは︑あなたのお作が芥川賞の候補になったといふだけ

でなく︑それだけいい小説であったら是非出させてほし

い︑といふ意味なのです︒つまり︑間宮︑日野︑両氏の

小説を出したのを切掛に小説の単行本を出して行きた

い︑といふ意味で︑僕に紹介してほしい︑と云ったので

間宮君の本を出す話が先きに極り︑それから︑芥川賞に

なったのは日野君の小説を彼が読んで︑間宮君の本と一 あなたの本を出させていただきたいと彼が考へました

十一昭和二十年九月二十六日︵消印/

2 0 .

9 . 2 6

/鎌

1

昭和十三年六月︑砂子屋書房 お目にかかって御承諾を得たことを喜んで︑僕に速達をくれたくらいですから︑まげて︑お聞き入れ下さいませ

七月二十五日

中山義秀様

宇野浩二

岩間松雄方より

中山義秀宛

一枚︶十一銭

封筒裏日付

さて︑こちらにまゐりましてから︑もう三月ぐらゐに

(11)

附近の人がリサイ者ばかりでやりきれないところがあり

している時分から始められたもので︑︵久米君は一回し ると共に︑︵結局︑こちらに越しましたのは︑東京の戦時状態のために︑自分がおちつかず害されましたためですから︑︶なにかと不自由を感じるやうになりましたのきませんけれど︑東京にもどりたいと思ってをります︒それには︑まだ︑桜木町の宅はそのままになってをりますが︑あの家は住むに堪えないほど︑故障だらけですし︑ますので︑東京にもどりますとすれば︑旧郊外にと思ってをります︒しかし︑いくらさう思ひましても︑さう思

ふやうなカシャがないと思ひますので︑

̀°  す

力 ⁝

・ :

いつかお伺ひい

たしました世田谷の梅ヶ丘のお家を︑︵むろんどなたか

今はお住みでせうが︑︶何とかして︑お貸し下さいませ

んでせうか︒と申しましても︑何ヶ月か先きのことです

か︑︵今のところ見当はつきませんが︒︶もし今ゐる方が

どこかに越されるやうでしたら︑すぐお借りしたいので 長野県東筑摩郡島立村蛇原神奈川県鎌倉市極楽寺九十一封書︵四百字詰原稿用紙

岩間松雄方より

中山義秀宛

四枚︶速達五十二銭

﹁明治大正文学選﹂は︑その選択は実にむつかしいと

存じます︒これは︑日本文学報国会に明治大正文学詮衡

委員会といふのがありまして︑久米君があの会の大将を 拝復

明 ︶ 十二昭和二十年十月二日︵消印/

2 0 .

1 0 . 2

/あと不 で︑二た月さきか︑三月さきか︑今のところ︑見当はつ中山義秀様

〇奥様によろしく︒

なりますので︑土地その他には大分なれましたが︑なれ 関西大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

小説を書きつづけてをりますので︑これで失礼いたし

10

 

(12)

さて︑今度︑その﹁明治大正文学選﹂をお出しになり しましたとほり︑

ウヤムヤになってしまひました︒ 楽んでゐましたが︑︵その時はー大正文学のときはー青いつてゐましたから︑まづ成功の方でした︶ 央公論社から︑近松秋江選集三冊出しましたとき︑僕が

t

案外以上に面白いものがあるのに驚 ︵初めてよんだものがありましたので︑勉強になりまし

とを切望いたします︒おもへば︑改造社と春陽堂のいは 本が殆どなくなりましたので︑どんどんお出し下さるこ か出ませんでしたが︑︶僕はその会に毎月︵二十回ぐらゐ︶出ましたが︑政治小説から始めて︑直哉︑二葉亭︑美妙︑

一葉︑その他までやりました緑雨︑眉山︑柳浪︑紅葉︑

が︑そのうちに委員に出席する人がしだいに少なくなり

ましたのと︑戦争がはげしくなりましたので︑

になりました︒しかし︑僕には︑明治の小説のなかに︑

その委員の中では︑柳田泉君が一ばん熱心で︑

中村武羅夫君と舟橋聖一君と吉田精一君でしたが︑舟橋

君の見方は片より過ぎ︑吉田君も片より過ぎているやう

に思ひました︒中村君はわりに公平です︒ついでに申し

ますと︑僕は明治文学が終つて大正文学にはひることを

野季吉君もはひることになってゐましたので︑︶前に申

ゆる円本は︑実によい本でしたが:・・:︒ここで私見を申

しますと︑﹁明治大正文学選﹂には一冊一冊に︑適当な

人におたのみになりまして︑解説をぜひお附けになるこ

とを希望いたします︒ーこの解説は︑現代日本文学全集

︵改造杜版︶と明治大正文学全集︵春陽堂版︶が御参考

になるかと存じます︒︵わたくし事ですが︑数年前︑中

解説をかきまして︑よろこばれた事がありました︒島中

社長が損をカクゴで出したその本が︑七千部づつ出たと

﹁人間﹂のこと︑川端君とあなたが参加され︑佐藤君

と木村君などが編輯するといふことは︑お世辞でなく︑

﹃鬼に金棒﹄といふべきでせう︒それに二百頁も心づよ もっとも面白いものと存じます上に︑今は読みたくても 近な感じがしますし︑したがつて︑やはりわれわれには ます由︑これは︑外国のエライ作家たちのものより︑身

(13)

詩人でないためであるから︑︶小説家としては︑写生文

3

2

1

十月一日 書き上げたいと思ひますので︒ らせ下さいませんか︒すくなくとも二十日ぐらゐまでに わざと系統を立てないで︑思ひうかぶままに︑随筆風の評論︵あるひは評論風の随筆︶の形で五六百枚のものを

書かうと去年の秋あたりから心がけてをります︒そのう

2

ちから︑﹃高浜虚子﹄を書いて︑(+月一ぱい︶に﹁人間﹂

に寄稿したい︑と存じます︒殊に︑これは︑去年の春頃︑

小学館発行の﹃作家論﹄の別巻のためにたのまれまして︑

家︶としての虚子について︑ーたとへば︑俳人としては

世俗的に成功したが︑︵それは虚子が詩人でありながら もしそれでもよろしいやうでしたら︑をりかへし︑お知

︵特に頭に残ってゐるものについて︑︶ 青年時代から四十年ちかく読んで来ました作品︵とそのらゐのものが出来る自信があります︒しかし︑いくら﹁枚 いつか﹁八雲﹂に出しました く存じます︒おめでたう存じます︒

さて︑小説は︑二三ヶ月前から︑題材の関係で︑もて

あましてゐるのがありますが︑それが終りましたら︑久

しぶりで︑私小説のやうなものを書いてみたいと思って

をりますので︑それは来年の春としていただきます︒﹁文

l

学史的﹂といへば︑﹃作家と作品﹄︵仮題︶といふ題目で︑

闊西大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

としては面白いところはあるが︑失敗したものが多い事︑

その代り︑文学の鑑賞眼が広かった事︵たとへば︑漱石︑

節︑三重吉︑弥生子︑その他を世に出し︑外国文学を紹

介したりした事︶などを述べたい︑と思ってをります︒

それで︑これは︑

村﹄︵あれはいくらかましなものと思ってをります︶ぐ

数随意﹂でも︑六七十枚のものになるかと思ひますので︑

中山義秀様 宇野浩二

2 2

1 1

7

1

日 ︶

2 2

1 1

2

1

日 ︶

﹃八雲﹄第三輯︵昭和

7

1 9

1 5 日 ︶

(14)

◎もしそれまでに上京することがありましたら︑鎌倉の

借のやうなものはその時にしたいと思ひます︒ せん︒しかし︑先月二十五六日頃にさし上げました手紙の中で申し上げましたやうに︑東京が少しおちつきますが︑︶東京に帰りたいと思ひますので︑印税の前

宇野浩二未発表書簡二十四通︵増田︶

封書︵四百字詰原稿用紙 ましたら︑︵まあ︑今年の末か来年のはじめかと思ひ

神奈川県鎌倉市極楽寺九十

岩間松雄方より

中山義秀宛

一枚︶十一銭

昨夜﹁スペテショウチョロシクタノムーカマクラブン 長野県東筑摩郡島立村蛇原

明 ︶

2 0 . 1 0 . 7

/あと不

たものが出るときまりましたら︑五千円の半分ぐらい 貧乏してをりますので︑古冒見さんにお返事を出しまし で ︑

ヤミのユソウをしましたので︑ちよっと

コトニョリマシタラ下ノハナシキマリマシタラ︑二千 円ホドヲ︑オ貸シネガフカモシレマセン

◎東京の宅から︑出来るだけ多くの物を郵送しましたの

す ︒

嵩見さんにおったへ下さいませんか︒

めにおナガレになりました︶をも出してほしいと存じま 選を僕がすることになってゐたのですが︑例の時局のた になることになりましたら︑田畑君の選集︵なくなられ

に︑おわたし下さいませんか︒なほ﹁現代日本文学選﹂

にも解説のやうなものをお附けになった方が︑⁝⁝と

た年の秋に︑春腸堂から出すことにきまりまして︑その

◎失礼ですが︑同封の高見さんへの手紙をおついでの時

のために︑これはむつかしいと存じます︒

つてをられるかと存じます︒もし川崎君の選集をお出し

のコンナンと東京の夜のコンナン 追伸︑川崎君からは何のたよりもありませんが︑もう帰

お宅にちよっとでもお伺ひしたいと存じます︒しかし︑

(15)

島立村蛇原です︒

僕のところの地名は ︵ポストのあるまでも五六町あります︶この手紙は普通

その手紙と一しよに︑この手紙を︑ソクタツで出します︒ つて⁝⁝といふおたのみの手紙を今かきました︒ んに︑その日︑中山さんをさそつて︑鎌倉文庫でおちあ 今日は日曜で︑本局までは一里ちかくありますので︑ 速達で結構でございます︒ ですから御無理もありませんが︑要領がよすぎまして︑その意味がわかりかねます︒しかし︑これはもとより僕で︑﹁スベテショウチ﹂と﹁ヨロシクタノム﹂の二つの

それに︑﹁人間﹂の原稿でしたら︑﹃高浜虚子﹄

ら︑すぐにもかかりませんと︑

便で出します︒ でした

メ切におくれるとお気の

毒ですから︑この手紙をごらんしだい折りかへし速達︵よ

でお知らせ下さいませんか︒電報でなくても︑

0

それから︑高見さんの方のお返事も手紙でお知らせ下

さいますやうおったへ下さいませんか︒ 田端さんなきのち︑久しぶりで︑あなたの方のお一一人

と川崎さんと僕ーといふ集まりを︑僕は心から希望する 御文旬を解説するおつもりで︑御教示くださいませんか︒ の判断の力のにぶさと思ひますが︑恐縮ですが︑お手紙 コ﹂といふ電報をいただきましたが︑この電文は︑電文

闊酉大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

中山義秀様

昭和二十一年五月十一日

松本市今町四一二三より

神奈川県鎌倉市極楽寺九十一

封書︵鎌倉文庫四百字詰原稿用紙

宇野浩二

あまりお礼の申し上げ方がおそすぎますが⁝⁝

さて︑今日川崎長太郎さんからなっかしき便りありま

十六日の午後一一時ごろ鎌倉文庫に行きますが︑川崎さ 十四 十月七日

中山義秀宛

一枚︶速達 四十銭

(16)

松本市今町四一二三より

神奈川県鎌倉市極楽寺九十一

封書︵小山書店蔵版 宇野浩二未発表書簡二十四通︵増田︶

7  .  1 2  

. 

注 1

四百字詰原稿用紙

2 1

1 1

2

日\

1 1 2

日 ︶

l

﹃思ひ草﹄といふ小説です︒

は む

道のべの尾花かもとの思ひぐさ今さらさらに何かおも

0

中山義秀宛

の小説をかきつづけてをります︒

四十銭

2 1

奥さまに︑御立派になりましたお礼︑くれぐれもよろ

十六

新村堂内

んか︑さうしましたら︑万障くりあわして︑上京いたし なたと川崎さんと田畑夫人とで月日をおきめ下さいませ る会合をしたい 早く︑田畑夫人をおまねきして︑あなたと︑川崎さんと︑

川崎さんからもおなじおたよりがソクタツでありまし たが︑そうでせう︑七月二十三日でなくても︑なるべく 僕とで︑おほせのとほり﹁形ばかりの追悼﹂の意を表す

七月十二日

中山義秀詞兄

︵してほしい︶と存じます︒それで︑あ

かういふ機会に︑︵よい機会に︶久しぶりで︑あなた

と川崎さんとお目にかかりたいと熱望いたします︒

宇野浩二

昭和二十一年九月十六日︵消印/本郷/

2 1

9.

1 6 /後

0 │ 6 )

東京都文京区森川町七十七より

東京都千代田区神田神保町ニノ︱︱ 拝復

(17)

てから︑といふお約束ですけれど︑他に一万円どうして

たりのところ︑おさがし下さいませんか︒おねがひいた の内金をくれて︑田畑さんの選集を出す本屋を︑お心あ

したが︑丹羽さんにたてかへてもらったものは︑本が出

僕も極力さがしますが︑けつきよく︑まづ一万円印税

やっと家がみつかり︑ケンリも買ふことになりま

いふことなのです︒

ごぶさたしてをります︒ありあはせの紙で失礼いたし

こんなわけで︑僕は︑他からも田畑君の本を出したい

に行ってゐない︑といふハナシです︒

カンジンの巻頭にはひる

受取りました 東京都文京区森川町七十七より

神奈川県鎌倉市極楽寺九十一

封書︵文潮社原稿用紙四

0

0

東京都/あと

中山義秀宛

一円二十銭

ます︒もう半月ほど前に︑田畑さんのおくさんがみえま もいりましたので︑シャウバイニンにちかい人から借り

してみますが:・:・といふことでした︒それから︑あなた

におうかがひしましたやうに︑東京の出張所にきいてや りましたら︑九州のほうで印刷するから︑九州におくつ てくれ︑といふ返事です︒それからおくさんのおはなし

l﹃相似﹄の原稿が菊書房

といつてきたところがありましたので︑このほうに聞ぎ

あはせますと︑今のところ︑当分セイリちゅうで:・:・と まつてゐる以上ですが︑九州へ帰りましたら︑ダンパン

武者小路実篤様

わざわざ御丁寧にありがたうございます︒

武者小路実篤古希祝賀会宛

間西大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

したので︑菊書房のことをいひますと︑今︑菊書房はこ の日︵おくさんのみえました日︶の晩︑火野君にあひま 一万円はどうしてもすぐ必要といふおはなしでした︒そ ましたために︑ヤイヤイいつて来てこまります︒つまり︑

一 六

(18)

れた権理金です︒田畑さんの本︑菊書房もほとんどダメ︑ のオクサンが今いま困つてをられるのです︒お店をかは せんだってちょっと申しあげましたやうに︑田畑さん ン書き

東京都文京区森川町七十七より

神奈川県鎌倉市極楽寺九十一中山義秀宛

封書︵創藝社原稿用紙一

1 0 0

一円二十銭

十八昭和二十三年六月二十九日︵消印/

2 3

6

. 2 9 /

1

6

月 ︶

1 2

す ︒ 日曜日でソクタツがききませんので︑普通便で出しま 六月二十七日

おめでたう存じます︒

突然ですが︑あなたが︑昨年お書きになりました主な 封書︵二百字詰原稿用紙 東京都文京区森川町七七より鎌倉市極楽寺九十一

一 七

価格不明

/前

1 2

8 │ 1 2

/錬倉/

2 8 . 1 . 1 2

/後

6 │ 1 2 )

十九昭和二十八年一月十二日︵消印/本郷/

2 8 . 1

の内金を前借させてくれるところ︑至急おさがし下さい 本はいつ出してもよいから︑といふ条件で︑一万円印税 もう一万円どうしても必要ださうですから︑どこかに︑

中山義秀様

中山義秀宛

一枚︶速達

六月二十九日

一万円かしてくれるところみつかりました︒ところが︑ のはおくれるけれど︑それでよかったら︑﹂といふ条件で︑ もう︱つもダメになりましたので︑やっと︑﹁本を出す

(19)

この間十六日の川崎さんの会がすんだらすぐ小田原

︵ハコネ︶にゆくお約束をしましたが︑十七日にどうし

ても抜けられない用事ができましたので︑又の機会をお

つくりくださいませんか︒

三月十日

前略

ペン書

東京都文京区森川町七七より

1 1 . 1

5

/前

8 │ 1 2

昭和二十九年十一月十五日(消印/本郷

•29

六月二十四日 尾崎さんはじめ皆さんによろしく︒ したりしてをりますので︑明後日の会に出られさうも

東京都文京区森川町七七より

錬倉市極楽寺九十一中山義秀宛

なども制限され︑

カユさのために︑毎日︱一度も注射を /後

0 │ 6 )

二十昭和二十九年三月十日(消印/本郷

•29.3.10

ペン書

ださいませんか︒ 闊西大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

お作の題名と発表年月と雑誌名と主な御著作の題名と発

表年月と︑発行した社の名を︑なるべく早くお知らせく

中山義秀様

6 . 2 4

/後

6 │ 1 2

東京都文京区森川町七十七より

千代田区丸の内帝劇裏

尾崎一雄氏記念会世話人宛

尾崎一雄さんの記念の会に出席の返事を出しました

が︑数日︵︱‑三日︶前からジンマシンにかかり︑食事

山水楼 二十一昭和一一十九年六月二十四日(消印/本郷

•29

(20)

( 9 2 )

五八四九番

一 九

たちまして︑書きつづけてゐます︒あの島本さんの話だ 東京都文京区森川町七七番地より

/後

1 5

0│8

昭和三十年一月十五日︵消印/本郷/

3 0 . 1

小田原市曽我谷津

らの感想などそのうち述べるつもりでございます︒ 回つづけておかきになったものを拝読致しました︒それ 申しおくれましたが︑ もうお見せしたくないのですが︑本の初めにあなたのお しました拙著︵旧著︶がふと見つかりました︒この本は︑ 今日︑本棚の中の本をさがしてゐますと︑別便でお送り

十一月十四日

二十三

中山義秀宛 いつも御本お心にかけてください

ましてありがたうございます︒せんだって﹁新潮﹂に二

字野浩二

宇野浩二未発表書簡二十四通︵増田︶

/後

6 ̲ 1 2

/神奈川下曽我

3 0 . 6 . 2

/前

8 │ 1 2

/

奈川下曽我

3 0 . 6 . 2

/後

0│6

東京都文京区森川町七十七より

尾崎一雄宛

三十円

御迷惑をかけました﹁風報﹂の原稿︑三二日前から思ひ

3 0 .

6.1

名前が書いてありましたので︑おおくりするわけです︒

御容赦下さい︒ いつも失礼ばかりしてをります︒

昭和三十年一月

大へん御無沙汰してをります︒

謹賀新年

鎌倉市極楽寺九十 官製ハガキ

五円

ペン書

神奈川足柄下郡下曽我村曽我谷津 官製ハガキ

六円

尾崎一雄宛

(21)

本研究は平成一九年度関西大学学術奨励研究の研究成果 の一部である︒

六月一日

結構でございます︒ れでもよろしかったら︑失礼ですが︑あの方は四枚分で 開西大學﹃文學論集﹄第五十七巻第三号

けですが︑今のところ︑七枚を少しこしましたが︑十枚 ぐらいになるのですが︑それでもよろしいでせうか︒そ

O

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