九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
顕密のハビトゥス : 神仏習合の宗教人類学的研究
白川, 琢磨
https://doi.org/10.15017/1931992
出版情報:Kyushu University, 2017, 博士(人間環境学), 論文博士 バージョン:
権利関係:
(様式3)
論 文 名
白川
琢 磨
顕 密 の ハ ビ トゥスー 神 仏 習 合 の 宗 教 人 類 学 的 研 究 一
乙
論 文 内 容 の 要 旨
本 論 の問題 意識 は、「日本人 の宗教 とは何 か」 とい う点 にあ る。 文化人類 学 の研 究対象 と して は、
日本 (人
)の
宗教 文化 とい うこ とにな るが、先行研 究 の蓄積 がそれ程 あ る訳 で はない。 それ には 2 つ の理 由が ある。第一 に、第二次大戦後 に発 展 して きた文化 人類学 は、専 ら異文化 を研究対象 とし、自文化 。自社会 に関 して は 自明な もの として等閑視 して きた こ と。欧米 の場合 に も同様 の傾 向が あ るが、近年 その傾 向は変化 しつつ あ る (科研 費分 担研 究 「自社会研 究 としての人類 学 の確 立 にむ け た基礎 的研 究」2002‐2005)。 第 二 に、特 に我 が 国 で は、宗教 も含 む 日本 文化 は、柳 田國男 が創始 し た 日本 民俗 学 の主 た る研 究領 域 と して確 立 され てお り、人類 学 との間で、一種 の 「棲 み分 け」 が成 立 して しまった こ とで ある。
で は、 日本 民俗 学 で宗教 が ど う扱 われ て きたか とい うと、概 して柳 田の 「固有信仰 」論 に大 き く
「呪縛 」 され てお り、今 日、「民俗宗教」 (folk religion)と 名前 を変 えて もその傾 向は変 わってい ない。固有信仰概 念 の問題 は大 き く分 けて二点 あ る。一つ は、それ が「超歴史的」な概念 で あって、
歴 史的 に もフ ィール ド的 に も確証 され得 ない とい うこ とで あ り、 も う一 つ は、神道 的 。国学的 なバ イ ア ス (bias)が顕著 で あ る こ とで あ る (科研 費 分担研 究 「フォー ク ロア・ パ ラ ドックス を止揚 す
る」2012‐2015)。
歴 史 的 に検証 可能 な概 念 と して 日本 宗教 を研 究す る場 合 、注 目す べ きは、歴 史 学者 、黒 田俊 雄
(1926‑1993)の
顕密 体制 論 で あ る。それ まで の 「武 家 中心史観 」の 日本 中世史 に対 して、武 家・公 家 と並 んで寺社 権 門の重要性 と影 響 力 の大 き さを呈示 し、学界 に大 きな衝 撃 を与 えた。 特 に、8 世紀 後 半 か ら
16世
紀 にか けて は「寺社 勢 力 」 と称 され る程 、広大 な勢威 を誇 つた。顕密 仏教 とは、そ うした寺社権 門 に共通す る宗教 的 内容 で あ り、
6世
紀 に渡来 した仏 教 が長 い 時 を経 て、 日本社会 に定着 し、土着化 (民俗 化)し
た独 自な宗教 システ ムで あった。何 よ りもその最大 の特徴 は、古 く か ら続 く我 が国の神祗信仰 をその システ ムの内部 に包摂 した こ とであつた。神 仏習合 とは、言 わば そ の状態 を指す概念 で あ り、その内的 ロジ ックは顕密仏教 の考 え方 に沿 つて理解 され なけれ ばな ら ない。「宗教」 とい う用語 は、religionの 訳語 と して、明治 時代 に創 られ た言葉 で あ るが、religion の意 味 内容 自体 にキ リス ト教 的 な歪 みが あ る こ とが指摘 され て きた。簡 単 に言 うな ら、「信仰 belie角に重 きが置 かれ る概 念 と言 えるので あ るが、顕密 仏教 の場合 は、そ の重要 な柱 が 「行
Jに
あ る こ とは明 らかで ある。 ピエール・ ブル デ ュ (1930‐
2002)は
、文化 一般 にお け る「実 践 (行為)practice」の重要性 を指摘 したが (Outline of a Theory ofPractice,1977)、 宗教 とい う観 点 で は、実践
=行
に 重 きを置 く宗教 とい う輪 郭 が導 かれ る。さて、 こ うした観 点 で、我 が国 の宗教 の原型 を 「神 仏習合
Jに
措 定 し、約10年
にわた る主 に北 部 九州 の フ ィール ド調査 を基 に して、その解 明 を 目指 したのが本書 で あ る。本書 は、4章
か ら構成 され る。 まず 、第1章
、神 仏 習合 へ のアプ ローチ では、本書 の理論 的 ス タ ンス を論 じた。第1節、氏 名
分 区
顕密 仏 教 と宗教 民俗 は、書名 で ある 「顕密 のハ ビ トゥス」 の解題 に も当た るが、筆者 自身 の研 究史 の 中か ら如何 に して 「顕密 寺社仮説 」 が導 出 され て きたか を論 じた。 第
2節
で は、明治維新 の神 仏 分 離 を ど う捉 え るか が論 点 で あ る。英 国の社 会 人類 学者 、 ロ ドニー・ ニー ダム (1923‐2006)の
呈 示 した単配列 クラス/多
配 列 クラス の分類概 念 を援用 し、神 仏分離 とは、「単配列革命 」で あった こ とを指摘 した。 逆 に、神 仏 習合事象 を提 える場合 は、多配列 分類概 念 が必要 で あ るこ とを、「寺社 」 及 び 「顕密 」 の二つ の軸 に沿 つて検討 した。 第2章
、宗教 民俗 と神 仏 習合 で は、そ うした理論 的枠 組 を実際 の民俗事例 に適 用 した。福 岡県西部 の「大飯食 らい」(1月 )と佐 賀県東部 の「綱 引 き」(5 月)と
い う二種 の民俗行 事 で あるが、各 々の事例 を詳 しく検討 してい くと、そ の基底 に神 仏習合及 びそ の制度 的側 面 で あ る顕密 寺社 の影響 が あ るこ とが分 か る。 さらに、それ を取 り囲む宗教 的環境 に も、そ の影 響 が認 め られ た。「宮司大法師」とい う多配列的宗教者 の存在 が現れ たの も本章で ある。第
3章
、神 楽 と鬼 には、神 仏習合 の展 開 とい う副題 を付 けた。第1節及 び第2節
は、福 岡県東部 、旧豊 前地方 に展 開す る豊前神 楽 を取 り上 げた。神 楽 とい うと、神 霊 を慰撫 す るた めに神社 に「奉納 」 され る 「民 間芸能」 と捉 え られ るが、 ここで は同神楽 の分布域 が、豊前六峰 と称 され る山岳系顕密 寺社 の影響範域 と重 な るた め、芸 能 ではな く、特 定 の祈願 目的 を有 した 「加持祈 躊」 の一形式 で は ない か とい う仮説 を基 に幾つかの角度 か ら論証 してい つた。神楽 の舞 手 (一般 には法者 とされ る)
は、本 来 、(神仏
)両
部 の太夫 で あ り、また、主役 で もあ る駈仙 (ミ サ キ)と
呼 ばれ る鬼 は、中国地 方 で 中世末期 に 「荒平」 と呼 ばれ た鬼 と極 めて近 い存在 で あ るこ とを、祭 文 の分析 か ら導い た。 ま た、豊前・ 豊後・ 筑前地方 で見 られ る、子供 の無病 息災 を願 つて駈仙 に抱 かせ る習俗 の根源 には、駈 仙 の有す る 「再 生 の呪力 」が ある こ とを類 推 した。 さらに後 半では、江戸 時代後 半 か ら進展す る
「神楽改変」は、一種 の 「緩や かな神仏分離」で あった こ と、駈仙舞 の 「天孫降臨」神話 (古事記)
に よる解釈 は、 国学的神 道 家 に よる改変 の一例 で あ り、本来 は、 中世神話 「天 地 開開」 にお ける天 照
(=大
日如来)と
第 六天 魔 王 との争 闘 を表 した演 日 と推 測 され る。 第3節
及 び第4節
で は、多様 な呼称 を付 され る 「鬼」 とい う文化 表象 を、多配 列 クラス として捉 え、北部 九州 にお け る出現事例 を、「見 えない 鬼」(鬼箱=竹
崎観 世音 寺 「修 正会 鬼祭 」)、 過 渡的形態 (鬼箱+闇
の存在=大
善寺 玉 垂 宮 「鬼夜 」)、 「姿 を顕す が、境 内か ら出 られ ない鬼」(災払 鬼+荒
鬼=国
東 天 念 寺 「修 正 鬼 会 」)、「寺社 か ら里 に展 開 した鬼」(駈仙
=豊
前神 楽)の 4つ
の範 疇 で考察 した。第
4章
、山岳寺社 と神 仏習合 で は、地域 の拠 点 とな る寺社 の 中心及 び周辺 の民俗 を対象 に、「顕密 寺社=神
仏 習合 」仮 説 を基 に考 察 した。 第1節で は、本書 の 中で唯一 、九州以外 の事例 を扱 った。第
71番
札所 弥谷 寺 で あ るが 、 この地域 一帯 に、死者 の霊 を背負 って弥谷 山に参詣す る 「弥谷参 り」の習俗 が あ る こ とが有名 で、死者 の霊 は里 山に籠 る とい う柳 田仮説 に最 も適合す るもの とされ て き た。本論 では、中世期 に焦 点 を合 わせ 、善通寺 とい う大寺院 に対 して、「別所」的 な性 格 を持 つ 「行 人集 団」 の活 動 を考 察 し、鎮守神 で ある 「蛇 王権 現」 を奉 じる強烈 な浄 土信仰 を持 った彼 らの活動 の痕跡 が弥谷参 りの習俗 の分布 域 と重 な る こ とを指摘 した。 第
2節
か ら第4節
は九州 最 大 の 山岳寺 社 で あ る英 彦 山の 中心及 び周 辺 を対象 に した考察 で あ る。本論 で は、基本 的 に彦 山霊仙 寺 (り ょ う ぜ ん じ)を
、学侶 (彦山で は衆徒)・ 行 人 (修験)・ 惣方 (両部神 人)か
ら成 る顕密 寺社 と捉 え、英 彦 山三所権現 の基底 には、 ヒコ・ ヒメ・ ミコの三元構 造 が あ り、法蓮 が感得 し宇佐 に移 され る 「如 意 宝珠 」 が民間 に転化 してホ シや ミ トと呼ばれ る藁芭 となった こ と、神祭 の原型 が 「二季五節供 」 に あ り、これ を修験 の 「六道修行」に重 ね る と、修正会 (1月 7日)の
主題 が 「人 」 と して の懺悔・悔過 に あ り、最終期 日で ある霜月祭 の対象 が 「神 」で あ り、「延年 」(寿命 を延 ばす)が主題 で あ つた と考 え られ る。 これ まで謎 で あった大飯 や大酒 、 あ るい は大餅 の競争 的 な内容 は、神 通力 を競 う延 年 の修行 と してみれ ば了解 で きるので ある。最後 に、神 仏分離以前 の、人 々の信仰 (宗教