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プロイアー「規律の進化」樋口辰雄 1

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書評(商経論叢第22巻第3・4号昭和62年3月)

1 諸 田 實 ∵ 吉 田 隆 訳

プ ロ イ ア ー ﹁ 規 律 の 進 化 ﹂

樋 口 辰 雄

159

書 評 に 入 る 前 に ︑ 簡 単 な 形 な が ら ︑ 評 者 の 立 場 か ら す る 歴 史

展 望 な る も の を 述 ぺ る こ と を ︑ お 許 し い た だ き た い ︒

そ も そ も 避 け 難 い 形 で ︑ 歴 史 的 ・ 地 理 的 に ア ジ ア と い う 地 に

生 を 受 け た 人 間 が ︑ 知 的 誠 実 さ の 蓄 積 さ れ た ヨ ー ロ ッ パ の 重 厚

な 学 問 ︑ と り わ け へ ー ゲ ル ︑ マ ル ク ス ︑ ヴ 誠 ー パ ー ら の 学 間 に ︑ 多 大 の 関 心 と 精 力 を 注 い で き た 根 拠 は ︑ 噌 体 何 に 基 づ く の で あ

っ た の か ︒ ま た ︑ 現 に 何 で あ る の か ︒ 経 済 学 (な い し 経 済 史 ・ 思

想 更 ) の 専 攻 者 に と っ て は ︑ 枝 葉 を 払 っ て み れ ば ︑ 近 代 西 洋 世

界 に お け る 合 理 的 市 民 的 資 本 主 義 の 成 立 (と そ れ を 裏 で 支 え る 人

間 的 エ ー ト ス 類 型 ) と い う ︑ そ の 発 生 史 的 因 果 連 関 の 解 明 な ど が ・

そ れ を 導 く ラ イ ト . モ テ ィ ー フ で あ っ た と 署 え よ う ︒ そ し て ︑

か か る 問 題 関 心 に 基 づ い て ︑ 戦 後 の 日 本 の 社 会 諸 科 学 が ︑ あ る

意 味 で ︑ 輝 か し い 触 媒 の 機 能 と 成 果 を は た し て き た こ と は ︑ 周

知 の 処 で あ る ︒ し か し ︑ そ う し た 裏 に は ︑ 明 治 三 〇 年 代 以 降 ︑ 次 第 に 明 治 維

新 創 設 期 の 漫 刺 た る 建 国 の エ ー ト ス が 失 わ れ て ︑ 国 内 的 に は ︑

古 代 的 天 皇 制 的 支 配 へ と 収 敷 す る 諸 動 向 ︑ 対 外 的 に は ︑ 日 露 戦

争 を 機 に ︑ 朝 鮮 半 島 ︑ 中 国 大 陸 へ と 侵 攻 す る 帝 国 主 義 的 動 向 と ︑

い わ ば こ う し た 暗 い 谷 間 の 時 代 状 況 に あ っ て ︑ 苦 悩 す る カ ッ コ

付 き の 市 民 層 の 側 に 立 ち つ つ ︑ 戦 い 貫 い た 二 つ の ゼ ク テ 的 思 想

潮 流 が 逆 巻 い て い た 妻 を ︑ 忘 れ る べ き で は 蕊 ・ そ れ は ・ 先

学 の 諸 研 究 に よ っ て 明 ら か に さ れ た 様 に ︑ 一 つ は ︑ 講 座 派 ・ 労 農 派 を 含 む 広 義 の マ ル ク ス 理 論 の 研 究 で あ り ︑ 他 は ︑ 内 村 鑑 三

に 代 表 さ れ る キ リ ス ト 教 の 流 れ で あ る (内 田 芳 明 薯 ﹃ ヴ ェ ー バ ー と マ ル ク ス ﹄ ︑ 中 村 勝 己 著 ﹃内 村 鑑 三 と 矢 内 原 忠 雄 ﹄ ︑ 各 参 照 ) ︒ 現 代 と い う 時 代 状 況 か ら 見 て ︑ そ こ に 窺 わ れ る 国 際 政 治 環 境 を 指 摘 す

る と す れ ば ︑ そ れ は ︑ 市 民 的 合 理 的 資 本 主 義 か ら 独 占 的 資 本 主

義 へ の 移 行 期 に お け る ︑ ア ジ ア に 殺 到 す る 西 洋 列 強 諸 国 の 帝 国

主 義 的 侵 出 と そ の イ ン パ ク ト ︑ す な わ ち ︑ こ れ を 受 け と め た ア

ジ ア 各 国 の ﹁ 近 代 化 ﹂ 政 策 の 緩 急 い か ん (国 畏 経 済 ︑ 国 民 国 家 の

(2)

商 経 論 叢 第22巻 第3・4号 160

形 成 問 題 ) に よ っ て は ︑ 西 洋 と 東 洋 と い う 情 緒 的 な 二 項 分 類 ︑

両 極 分 化 だ け に 終 止 せ ず し て ︑ ア ジ ア 近 隣 諸 国 が ︑ お 互 い そ の

弱 い 環 め が け て ガ ツ ガ ツ 食 い 合 う と い う 悲 劇 で あ っ た ︒ 敗 戦 後

に お け る 日 本 の 社 会 科 学 の 使 命 は ︑ 政 治 的 戦 争 責 任 の 追 求 と 同

時 に ︑ い わ ば 歴 史 の フ ィ ル ム を 逆 転 さ せ る 形 で ︑ ヨ ー ロ ヅ パ 市

民 社 会 ︑ 市 民 層 の 歴 史 的 形 成 過 程 を 考 究 し つ つ ︑ そ れ と の 比 較

を 通 じ て ︑ 前 近 代 的 な 日 本 の 国 家 構 翫 填 経 済 組 織 ︑ 社 会 的 構 造

な ど を 総 合 的 に 解 明 す る こ と に あ っ た ︒

そ う し た 問 題 解 明 の 認 識 手 段 と し て 最 も 効 果 的 な 概 念 装 置 は ︑

前 述 し た マ ル ク ス の 理 論 研 究 以 外 に ︑ ヴ ェ ー パ ー に よ る 歴 史 社

会 学 的 ・ 比 較 論 で あ っ た ︒ 中 で も そ の 浩 潮 な 著 書 ︑ ﹃ 経 済 と 社

会 ﹄ ︑ ﹃ 宗 教 社 会 学 論 集 ﹄ に は ︑ い わ ば マ ル ク ス 的 上 部 構 造 で あ

る 政 治 領 域 か ら 始 ま っ て ︑ 経 済 構 造 ︑ 団 体 ︑ 集 団 の 利 害 布 置 状

況 ︑ 更 に は ミ ク ロ レ ベ ル で の 諸 個 人 ひ と り 一 人 の 内 面 的 ︑ 身 分

的 ︑ 階 級 的 利 害 状 況 の 解 剖 も が 含 ま れ ︑ そ の 決 疑 論 的 ︑ 明 証 的

な 概 念 装 置 を 一 つ の 鏡 と し て こ れ に 対 峙 す る こ と に よ り ︑ 現 代

と い う 位 相 を 測 定 す る こ と が 出 来 る の で あ る ︒ こ う し た 言 い 方

は い さ さ か 暦 越 で あ る が ︑ ヴ ェ ー パ ー の 胸 を 借 り る こ と で ︑ 西

欧 の 学 界 は ︑ は る か に そ の 自 己 認 識 を 深 め る 契 機 と な っ た は ず

で あ り ︑ ま た ︑ ア ジ ア ・ ア フ リ カ 地 域 の 者 に と っ て は ︑ そ の 多

彩 な ﹁ 理 念 型 ﹂ を 学 び 取 る こ と で ︑ 自 民 族 の パ ソ 巨 ジ ー と ︑ 間

接 的 な が ら ﹁近 代 化 ﹂ へ の 実 践 的 道 具 と し て 活 用 す る こ と も ︑

可 能 と な る ︒ ヴ ェ ー パ ー 研 究 の 動 機 的 諸 相 は ︑ 様 々 で あ る が ︑

い わ ゆ る ﹁ 受 容 史 ﹂ な る も の を 形 成 し て い る こ と も ︑ 否 め な い

事実である︒

このようなヴェーパー﹁受容史﹂に関してヨーロッパについ

ては︑ツイソゲルレ(>N一轟巴Φ)の労作(邦訳﹃マックス・ウェ

ーバー﹄︑原題爵・妻︒審誘出ぎ旨密曽冒一揖すμ㊤︒︒ごが︑また︑

日本国内のそれについては︑内田芳明氏の好論文﹁日本社会

諸科学におけるマックス・ヴェーバーー1日本におけるヴュー

パi受容(一九〇五‑一九七八)﹂が︑それぞれ公刊︑発表されて(2)

さらに︑近年では︑ヴェLバー研究の第二世代とも称すべき

若い研究者(ヴニーバー全集の共同編集者のW.シ昌ルフターもその

雇婆中心に・現在活躍中の各専門家による論文を集めたヴ・Lバ

ー宗教社会学研究叢書が刊行中︒冨国≦げ冨鵠ω曹巳冨雌冨﹁閑︒コ幽欝貯巳︑︑

ヨ覇暮畠↓︒︒︒騨日葺一り︒︒ρ欝図≦§窃q︒葺昏餌冨H霞巳巳︒︒ヨ島鵡5岱

ロロ琶聾騨日歩一〇巽畜図≦①冨鵠Qり一︒窪紆㎝昏鼻窪O臣︒・け窪嘗5︒︒・6︒︒伊

冨図≦︒冨誘︒自尊乱窃巨麟β這︒︒ρ)の中で︑とりわけ﹁世界史が

横倒し﹂になったと言われてきた︑伝統的社会からの離陸に苦

悩するアジア・アフリカ諸国に対して︑すぐれた関心が向けら

れてきている(小著ながら︑︾巳羅・︒即口d器・,・ζ隣開類︒冨.mコ匹﹀・︒一簿・

08三げロま5εチ︒oり8一︒δ鵯︒{OΦ<・一暑§9一㊤︒︒9竃貰芝︒冨﹁三

ξ ω 葺 婁 譲 も そ の ひ 蛇 ㏄ )・ ま た ・ 本 拠 地 ヨ 喜 ッ パ で は ︑

ヴェーパーの主著をめぐり︑呪術からの解放過程(国.蕾口冨旨亭

署目・豊という源泉と概念が︑ヴェーバーをして進化論(舳.P

一・二︒三︒・目霧)の陣営に導いた︑と主張するF・テソブルックと︑

社会学的概念構成につかえる﹃経済と社会﹄と︑西洋の特性は

(3)

プ ロ イ ア ー 「規 律 の 進 化 」 諸 田 實 ・吉 田 隆 訳 161

何 処 に あ り ︑ そ れ は 何 に 基 づ く の か を そ の 社 会 学 的 概 念 を 具 体

的 に 使 っ て 描 写 し た ︑ ﹃ 世 界 諸 宗 教 の 経 済 倫 理 ﹄ と は ︑ 相 互 補 完

的 . 説 明 的 関 係 に あ る ︑ と 主 張 す る ︑ W ・ シ ュ ル フ タ ー と の 間

で︑論争が展開されている(押即↓︒暮議︒ぎ頴ψ薯︒蒔曇≦・宮β

お鐸甫・留匡ぎ財罵・§≦㊥ぼ湧男魯σq闘g器︒N蕊︒αq置δ認・これにつぎ・山之内靖氏から示唆をうけた︒但し︑私にとり興味深いのは︑後者の論

文中でシュルフタ!が︑ヴェーバー﹃宗教社会学論集﹄が現行の如く︑﹃古代ユダヤ教﹄で終る三巻本でなく︑全体で四巻を意図し・そのことを具体的に図表化している点︑である︒ちなみにそれを列挙すると︑≧督ヨ①一串①o毎=島σq窪鮎臼O犀銭窪邑Φ旨ω︒巳露導乱邑§α碕(臣ミ&Φ雛O一︒団諄紳惹︒箆§ぴq儀窃①き"静畠魯bご鶴お①きヨ︒・貯氏臼﹀践訂彪議言

護淳Φ一帥開①同・)豆Φ臨αq遷齢簿冨p評げ凱︒巳総竃口巨胤零邑︒︒停窪く輿げ魁ヨ剛馨●団﹃︒q帥昌鍵ロσQ"勺躍ぼ魯善昏口σ蓉げ簗︒﹃淳︒・E臼&塔密臼鼠魯言ロ・審q吾岸蜂︒コ露・ロ器︒蔚目邑野ぼO臣︒・酔窪爵・U卑露§・屏O穿騨け︒曇唐脳.・︒雰・罷①譜酔勲などが挿入.記述される予定であった︒ここには・想燥力を掻ぎ立てるものがあるが︑後の研究を待ちたい︒﹃経済と社会﹄の

編者︑ヴィンケルマンも︑最近次の書物を公刊している︒甘訂導霧⁝ロp︒︒U霞コ店︑臼①αq①の①雛零匿建︒匿昌9垂彗鴨離目店竃腎ぼρ一⑩︒︒9)

ところで,以上のような正統派とでも称すべぎ研究の外に・

広義の意味でのマルクス主義の影響を受けた(と思われる)人々

によるヴェゐ訴究(ヴ.し→批判︑克服)が︑今日の管理

社会化︑疎外状況を反映してか︑続々と現われて来ている︒そ

こには︑多様なヴェーパーとの﹁距離保持﹂︑ポジションが見

られる︒社会学の領域では︑イギリスのギデンス(L♪・凸り嗣脳匙O謬o藺) の一貫した業績に伺われるように︑まずは︑ヴェーパーの著作

群に深潜し︑その問題意識を正面から継承しながら︑その苦闘

の中から必然的に出てくる批判的立場(近著︑夢①乞巴9あ翼Φ

9畠瓢店く凶︒一Φ目8︾おQ︒9では︑ヴ呂!バ!︑M・フーコーの店薄琶ぽ¢︹﹃監

獄の誕生﹄︺と結びつく︑監視︒・雪①浮58規律が︑より詳細に考察され

ている)と︑自己の価値的立場をあくまで固持しながら︑ヴ笛

iバーを論述の素材として利用し︑これをイソストゥルメソタ

ルに扱う立場(哲学の領域で︑J・ハ!バーマスの﹃コミュニケーシ

翼ン的行爲の理論﹄もややこれに近い)などがある︒わが国では︑

製 内 靖 氏 の 蕃 ︑ ﹃現 代 社 会 の 歴 史 的 位 相 ﹄ ︑ ﹃ 社 会 科 学 の 現

在﹄や姜尚中氏らの論文では︑ヴェーパーの概念く臼旨6霞,

6ゲ§σq(物象化ー1但し︑この訳語をめぐって︑マルクスのく①屋6匡一‑

︒﹃口昌︒qと同様に扱︑兄ない面がある)を手掛りとして︑ヴェーパー突

破の意欲的な試みがなされている︒

本書﹃規律の進化1ーマックス・ヴェーバーの前合理主義的

世界論における合理性と支配﹄(9¢穿︒嵐一霧畠鐙o認一唱ぎr

彗く︒農岸瓢貯く8盈臥o欝露鐸§自穿更訂即一コ竃碧零Φ訂窃↓げ8﹁剛Φ畠Φ﹃く︒き餓︒邑魯≦o登這刈︒︒.)の著者︑S・プロイアー(ω$砕協切話賃︒.)もまた︑そうしたマルクス主義的枠組の上に立って︑積

極的.批判的考察を進めたもの︑と考えられる︒そこで︑以下

簡短に本書を評者の立場からまとめ︑最後に問題点を幾つか述

べてみたい︒

(4)

商 経 論i叢 第22巻 第3・4号 162

二  

本書の内容は︑

第一章︑氏族︑呪術︑カリスマ︒マックス・ヴェーバーの

東洋世界論︒

第二章︑最初の突破︑新しい構造の形成︒マックス・ヴェ

ーバーの﹁西洋の文化発生地﹂論︒

第三章︑人間的社会関係から事象的社会関係へ︒西洋の合

理化の諸端緒︒

から成っている︒

まず︑冒頭の﹁問題提起﹂では︑ヴェーバーの一主著︑﹃経

済と社会﹄第一︑二章を意識しつつ︑ヴェーバーの諸範疇の特

性を述べ︑彼の特殊な﹁歴史﹂観に言及している︒すなわち︑

一九世紀に一世を風靡した歴史的発展段階説(へーゲル︑マルク

ス︑モーガン)や現今における諸潮流(パーソソズ︑ルーマソ︑ハ

ーバーマス)とは異質な歴史把握︑歴史像が︑ヴェーバーに見

られ︑それは︑進化論に酷似した発展論的歴史であり︑またそ

れはまさしく進化(団くO一幽け一〇P)であり︑合理化(詔二︒ロ⇔一一.一.巨コσ・)

と規律化(o葺冨畠葺邑の歴史でもある︑と︒西洋という独

自な文化︑無限の因果連鎖の協働により形成された文化発展は︑

経済史的角度からは資本主義の︑合理的資本主義の発展︹とそ

の非合理化h﹁鋼鉄の外被﹂化︺の問題であるが︑かかる合理

化過程は︑盾の両面のごとく︑両面指向的である︒すなわち︑

この過程は一方で︑前合理主義的世界(︿︒墓笛︒昌騨一.ロ芝.εから

の ﹁ 解 放 ﹂ 的 側 面 を 意 味 す る と 同 時 に ︑ 他 方 で ︑ 規 律 の 進 化 ︑

強 化 に 象 徴 さ れ る ︑ 合 理 主 義 的 世 界 に お け る 抑 圧 的 性 格 (﹁ 全 体

化 の 暴 力 的 ・ 纂 奪 的 な 性 格 ﹂ ) を も 意 味 す る ︒ し か し ︑ 多 義 的 な 実

質 合 理 性 の 対 極 を な す 形 式 合 理 性 を ︑ 自 己 の 文 化 的 母 胎 か ら 産

み 出 し た 西 洋 の 構 造 は ︑ 中 国 ︑ イ ン ド の よ う な ア ジ ア 的 文 化 世

界 や ︑ ﹁ 西 洋 の 文 化 発 祥 地 ﹂ と い わ れ る 西 南 ア ジ ア ︑ ギ リ シ ャ

・ ロ ー マ の 諸 地 域 で は ︑ 未 だ 埋 没 し た ま ま か ︑ せ い ぜ い 萌 芽 状

態 に 留 ま っ て い る ︒ む し ろ ︑ そ の 独 自 な 構 造 は ︑ ヨ ー ロ ッ パ 中

世 の 特 殊 性 ︑ つ ま り ﹁ 封 建 制 ﹂ と こ の 中 で 展 開 さ れ る ﹁ 市 場 的

社 会 関 係 竃 疑 芝 ︒茜 ①︒・ ・濠 ︒訂 ぎ 謁 ) ﹂ に 求 め ら る べ き だ ︑ と し て ︑

本 書 の 概 括 を 述 ぺ た 後 ︑ 本 論 に 入 っ て ゆ く ︒

第 一 章 で は ︑ ア ジ ア 諸 文 化 (主 に 中 国 ︑ イ ソ ド ) の 規 定 要 因 を ︑

ヴ ェ ー バ ー の ﹃ 儒 教 と 道 教 ﹄ ︑ ﹃ ヒ ソ ド ゥ ー 教 と 仏 教 ﹄ を 下 地 と

し な が ら ︑ プ ロ イ ア ー は 分 析 し て い る ︒

中 国 ︑ イ ソ ド 両 域 と も ︑ 氏 族 的 紐 帯 の 色 濃 く 残 存 す る ︑ 農 村

が 都 市 を 規 定 す る 地 域 で あ る ︒ 中 国 で は ︑ 儒 教 的 官 僚 制 秩 序 の

も と で 伝 統 主 義 的 な 呪 術 や 儀 礼 が ︑ イ ソ ド で は ︑ 氏 族 カ リ ス マ

的 支 配 と カ ー ス ト 制 度 に よ っ て ﹃ 魔 術 の 園 ﹄ が ︑ そ れ ぞ れ 支 配

す る ︑ そ う し た ﹁ 基 礎 構 造 ﹂ を 有 す る 地 帯 で あ る ︒ こ の 地 域 の

政 治 的 支 配 関 係 は ︑ 戦 争 酋 長 と そ の 従 臣 ら に よ る 国 土 の 征 服 ︑

分 配 に よ っ て 形 成 さ れ ︑ ま た そ う し て 得 た 支 配 を 正 当 化 す る 局

地 神 を ︑ 支 配 地 の 中 か ら 選 び ︑ こ れ を 助 成 す る ︒

支 配 領 域 を 一 つ の 巨 大 オ イ コ ス へ と 化 す る ア ジ ア の 家 産 制 君

主 は ︑ 一 見 ︑ 絶 対 主 義 的 権 力 を 保 持 し ︑ ゆ る ぎ な い も の の 如 く

(5)

ブ 自 イ ア ー 「規 律 の 進 化 」 諸 田 實 ・吉 田 隆 訳 163

思われるが︑それは︑家産制そのものに内在する﹁官職のププ

リェンデ化(旺支配の分権化︑﹁分国化﹂︑﹁フフリュソデの專有化﹂)

によって︑ヘルの私有財産の分割化が行なわれる︑絶えずそう

した猜疑にかられる不安定な組織体である︒

こうしたゲビルデ下に瀕養されたアジアの宗教︑中でも一方

の儒教は︑民衆宗教の非合理主義を軽蔑しつつもこれを温存し︑

天与の社会的.自然的秩序を固随する︑極めて保守主義的な中

国のマンダリン(の﹁現世肯定(≦φ開寓智ゴ§ぴqご)によって︑他方のヒソドゥー教は︑聖典知識の独占と救済貴族主義(ぼ亀婁グ酔︒犀鑓蔚臼償︒︒)︑カースト秩序の固守︑神秘主義的瞑想︑苦行︑グ

ノーシス︑などによって特徴づけられるバラモソ階層(の﹁現

世逃避(芝Φ峯馨ε﹂)によって︑現世に対する﹁緊張﹂を︑著し

く削ぎ落すこととなった︒

従って︑西洋のプロテスタソティズム︑ピュウリタニズムに

おける現世拒否と現世支配とが︑歴史のパラドックスをもたら

したのとは違い︑アジア宗教では︑知識層︑教養と一般大衆と

の間に︑埋め難い溝が横たわり︑亀裂しており︑その結果︑現

世は加工されずに︑魔術の園として放置されたのであった︒ア

ジア的停滞とは︑正しくこの状態を指しており︑その考察的結

論では︑ヴェーバーとへーゲルとは︑同一地平線に立ってい

た︒

第二章では︑主に﹃古代社会経済史﹄に依拠しながら︑﹁最

初の突破︑新しい構造の形成﹂が行なわれる︑西南アジア・地

中海地域(シリア・パレスティナ︑ギリシャ︑7マ)が扱われて いる︒

この地域は︑部族的︑氏族的組織の後退︑土地所有貴族層に

よる特別の共同態形成(ω︒乱磐藷︒ヨ・冨︒訂ぎ・σ・)︑農村に対する都市の支配︑が行なわれ︑後の中世ヨーロッパ社会及び資本主

義社会を成立させる︑﹁西洋の文化的発生地﹂でもある︒プロ

イァーによれば︑この地での変化は︑東洋的・大陸的なアジア

の前合理的世界の構造を破壊する迄には到らぬものの︑規律の

進化をもたらす前提として︑二つの方向での突破が見られる︑

との意味で︑重要な処である︒

その一つの変化は︑エジプト︑メソポタミアにおける中央権

力の強大な諸王朝と異なり︑官僚制的権力の欠如という政治的

事情から︑このイスラエルの地に︑ユダヤ教という﹁平民層に

特有の敬慶心(即α田巳㈹蚕什)﹂を呼び起こす倫理的預言︑人格神︑

唯一神教(ζ︒景試器邑が出現したことである︒

もう一つは︑ギリシャ・ローマにおける﹁政治団体の成立の

方向﹂における突破であり︑イスラエルでの宗教倫理のそれよ

り︑より﹁根本的﹂なものである︒それは︑アンシュタルト的

団体への変化でもある︒古代ギリシャでは︑家魂制王制←氏族

カリスマ的王制←古典古代初期の政治構造の成立(ω﹁都市に

居住し︑祭祀の兄弟盟約によって互いに結ばれた﹂︑市民権及び土地を

独占する貴族氏族と︑②ポリス戦士共同体構成員︑かつ後に債務奴隷化

する農民層)←ドラコソ︑ソロソの改革︑を経て︑ポリスはアン

シュタルト団体へと変化する︒私的土地所有をめぐる矛盾︑階

級闘争は︑ローマ帝国にも引き継がれてゆく︒少数者への巨大

(6)

商 経 論 叢 第22巻 第3・4号 164

財産の集積︑奴隷労働の意義の増大︑自弁的武装能力を備︑兄た

戦士農民の破滅といった︑ポリス的政治共同態をその内部から

掘り崩す矛盾があるにも拘わらず︑それを一つの団体として統

括せざるをえない︑﹁仮象﹂の政治的統一として︒この団体を

行政技術的に管理する手段として︑完結した概念体系をもつロ

ーマ法︑規則により定められた権限と特殊化された専門知識と

をもった官僚制が︑中央集権的君主政下で合理化されてゆくが︑

結局は失敗する︒河岸文化︑沿岸文化という文化的特質と︑局

地間・国際間商業(葺︒器ま︒︒9露善傷ぎ一①臨︒押㊤一①昌雷︒コ島︒一ω︿Φ蒔①げ﹃)

という膨大な利益に恵まれた地理的条件にも拘わらず︑その巨

大財産は︑奢修品などに向けられ(﹁古典古代の政治共同態は消費

者の共同態﹂)︑自由な労働力に基づく資本主義の発展︑持続的

投資の余地はみられず︑合理化︑規律化も︑表面的に終らざる

を得なかった︒

第三章︑﹁人間的社会関係から事象的社会関係へ﹂(<︒昌伽︒同

需窃︒邑魯・目二的︒嘗爵Φ昌く揺§濠︒薮葺護)と題する最終章では︑

独自な構造をもつ﹁西ヨーロッパ封建制﹂と︑この内部で発展

する中世都市(生産者の自律的.自首的団体としての)︑そしてこ

の都市における︑﹁非人格的・実務的な﹂社会関係へと変質さ

せる﹁市場的社会関係﹂(嵐聾幕同鳴器一野訂ぎロ︒q)の拡大︑深化︑

更に︑労働者の経営手段からの分離に対応する形で︑規律が経

営組織一般にまで普遍化することで︑﹁(生活様式の)強制的図式

ヒ(ω透Φ葛量Φ巨躍)﹂︑全面的合理化︑全面的規律化︑隷属の容イ

器化︑へと連動してゆくことが︑論じられている︒ここでプロ

イ ア ー は ︑ 主 に ﹃ 支 配 の 社 会 学 ﹄ に 基 づ き つ つ ︑ そ の 一 方 で ︑

史 的 唯 物 論 を 堅 持 し つ つ ︑ ヴ ェ ー バ ー の 封 建 制 論 を 転 釈 し ︑ 読

み 替 え を 行 な っ て い る ︒

西 洋 の 封 建 制 ( レ ー エ ソ 制 ) は ︑ 恩 貸 地 制 と ︑ 家 臣 の 主 君 に

対 す る 誠 実 義 務 に 立 脚 す る 従 士 制 ︑ こ の 二 つ の 重 要 な 柱 か ら 成

立 し て お り ︑ ﹁契 約 に よ っ て 保 証 さ れ た 権 利 を も つ 特 権 ﹂ を 有

す る 支 配 者 層 ︑ 官 職 保 有 者 ︑ 被 支 配 者 の ﹁ 諸 権 能 や 諸 義 務 は ︑

相 互 に 交 錯 ・ 制 限 し 合 ﹂ う 不 安 定 な 構 造 を 示 し ︑ そ の 点 で ︑ オ

リ エ ソ ト 封 建 制 や 近 代 的 官 僚 制 と は 異 な る ︑ ﹁ 社 会 的 綜 合 (︒︒ 畷 コ ,

蓄 ︒・一 ︒・) の 形 式 ﹂ で あ る ︒ 複 雑 に 交 錯 す る 封 建 的 支 配 諸 層 の 利 害 ︑

次 第 に ﹁ 市 場 的 社 会 関 係 ﹂ を 押 し 出 し ︑ 一 切 を 市 場 メ カ ニ ズ ム

の 支 配 に 巻 き 込 む 中 世 都 市 ︑ キ リ ス ト 教 的 教 義 体 系 と 官 職 装 置

を 備 え た 教 権 制 翰 § ︒ パ 甦 芭 ︑ か ら な る 中 世 文 化 は ︑ お よ そ

﹁ 統 一 文 化 ﹂ か ら ほ ど 遠 い 性 格 を も っ て い る ︒ し か し ︑ こ う し

た 非 統 一 的 中 世 文 化 故 に ︑ 中 世 後 期 か ら 近 世 に か け ︑ ﹁ 特 殊 経

済 的 合 理 化 ﹂ が 現 わ れ ︑ 後 に こ れ が ︑ ﹁ 自 由 な ﹂ 労 働 の ︑ 科 学

的 生 産 組 織 を 擁 す る 合 理 的 資 本 主 義 の 発 展 へ と 結 び つ く ︒ だ が

他 方 で そ れ は ︑ ﹁ 普 遍 的 な 超 越 主 体 ︑ 自 立 化 し た ︑ 抽 象 的 に な っ

た 社 会 的 関 連 ﹂ か ら 見 る と ︑ 貨 幣 ‑ 資 本 関 係 ︑ 主 権 ︑ 世 界 の 構

成 者 ︑ 隠 れ た る 神 9 ル ジ ・ ア 社 会 に お け る 個 々 人 の 内 面 的 孤 立 化 の

別 側 面 ) と し て ﹁ 物 象 化 (︿ ①窪 軽 喜 紳) ﹂ さ れ る こ と を ︑ 意 味 し

て い る ︒

修 道 院 及 び 戦 争 経 営 手 段 か ら の 戦 士 の 分 離 を 前 提 と す る ︑ 限

定 的 に 現 象 し て い た 規 律 は ︑ こ の 段 に 来 て 一 挙 に ︑ 経 済 的 大 経

(7)

プ ロ イ ア ー 「規 律 の 進 化 」 諸 田 實 ・吉 田 隆 165

営 体 に 浸 潤 し ︑ 経 済 的 諸 法 則 に よ る 労 働 の 有 機 的 限 界 か ら の 生

産 の 解 放 と 手 を 合 わ せ て ︑ 経 済 的 支 配 を 完 成 せ し め る ︒

マ ル ク ス 理 論 で は ︑ こ の 市 場 的 社 会 関 係 を ︑ ﹁私 的 所 有 に 分

裂 し た 引 き 裂 か れ た 社 会 が そ れ に よ っ て 自 己 同 一 性 を 回 復 す る

様 式 ﹂ と み る こ と で ︑ か え っ て そ こ に ︑ 抑 圧 か ら の 解 放 の 積 極

的 契 機 を 見 い 出 そ う と す る ︒ が ︑ ﹁ 主 観 的 価 値 学 説 を 引 き 継 ﹂

ぐ ﹁ 観 念 論 者 ﹂ ヴ ェ ー バ ー は ︑ 一 旦 ︑ 機 械 の 上 に 立 っ た 資 本 主

義 は ︑ 古 代 エ ジ プ ト の 如 く ︑ 官 僚 制 と 連 結 す る こ と で ︑ 人 間 の

隷 属 を 極 度 に 強 化 せ ざ る を 得 ぬ ︑ と の 認 識 の 点 で ︑ マ ル ク ス よ

り も 悲 観 的 で あ る ︒ と は い え ︑ ヴ ェ ー パ ー は ︑ そ こ か ら の 脱 出

の 可 能 性 を ﹁ 極 め て あ り そ う な 可 能 性 (器 聞 毒 洋 鴇 げ Φ 三 鐸 ① ζ 産 ・

菖 犀 .5 ﹂ と し て 捉 え て い る 点 で ︑ 現 代 の わ れ わ れ の 経 験 の 近 く

に 立 っ て い る ︑ と い う ︒

本書は︑現在︑ハソブルク大学法学部教授である︑プロイア

ー氏︑三〇歳における︑意欲的かつすぐれたヴェーバi論文の

一つ︑と見なすことができる︒自己の価値観点を保持しつつ︑

広く︑丹念にヴェーパーのあの壮大なる作品史をフォローしな

がら︑﹁近代﹂を超克する為の実践的関心に支えられた︑説得

(7) 

的 な ヴ ェ ー パ ー 転 釈 を 試 み て い る か ら で あ る ︒

た し か に ︑ あ る 意 味 の 哲 学 臭 や ︑ 彼 の 資 本 主 義 観 に お い て ︑

ピ 鵡 ウ リ タ ニ ズ ム が 介 在 す る こ と で ︑ 新 旧 の 都 市 ︑ 資 本 家 層 が

交 代 し て し ま う ︑ 先 進 国 型 の 資 本 主 義 発 展 ル ー ト に 関 す る 経 済 史 的 考 慮 (﹃ 大 塚 久 雄 著 作 集 ﹄ 第 + 一 巻 ) や ︑ 訳 者 も 指 摘 し て い る

よ う に ︑ ﹁ 規 律 ﹂ 概 念 の 正 確 な 定 義 や ヴ ェ ー バ ー 社 会 科 学 体 系

に 占 め る そ の 位 置 に つ い て ︑ 十 分 な 説 明 が な い こ と ︑ あ る い は ︑

論 文 の テ ー マ に あ る ﹁ 進 化 ﹂ と い う ︑ 元 来 は 生 物 学 上 の 概 念 を

(8}無規定なままに用いていること(野田良之著﹃栄轡考﹄参照)な

ど︑注文は多くあると思われる︒

しかしわれわれは︑再度︑本書を通じて︑また︑ヴ苫ーバー

の概念装置を通じて︑ヨーロッパとアジァを見つめる好機会が

与えられたもの︑と考えるべきであろう︒本書は︑狭い意味で

の近代合理性の告発だけでなく︑再びプロイァーからヴェーパ

ーに帰ることによって︑近代文化創出に与かった諸要素への配

慮︑歴史という錯綜する大海の中で︑ピュウリタニズムが︑

﹁結果が意志に背反するというパラドクシー(国・巴︒幣)﹂(﹁儒教

とピュウリタ轟ズム﹂の︾﹂の語は︑ヴェーバー生前の加筆部分)11﹁つ

ねに善を欲しつつ︑つねに悪を作り出す﹂力を︑生み出さざる

を 得 な い と い う ︑ き わ め て 成 熟 し た 歴 史 洞 察 へ の 踏 み 台 と な る

と 同 時 に ︑ 生 の 諸 領 域 に お け る ﹁ 実 践 と い う こ と ﹂ の 難 し さ を

暗 示 す る も の と し て ︑ 積 極 的 な 意 味 合 い を も っ て い る ︒

迷 信 の に お い が す る も の ︑ 呪 術 や 供 犠 と い っ た 宗 教 儀 礼 ︑ 文

学 ︑ 感 覚 芸 術 に 対 し ︑ ピ ュ ウ リ タ ニ ズ ム が ﹁ 霜 の 降 り る よ う に ︑

愉 し い 旧 い イ ギ リ ス の 生 活 の う え に 降 り し い た ﹂ よ う に ︑ 現 代

日 本 の 超 加 速 度 社 会 で は ︑ テ イ ラ ー ・ シ ス テ ム の あ の 姿 を 想 起

さ せ る ﹁規 律 ﹂ の 締 め 金 が ︑ 諸 個 人 の 全 生 活 と リ ズ ム と を し め

上 げ て い る ︒ ﹃ 倫 理 ﹄ 論 文 末 尾 に お け る ﹁ 機 械 的 化 石 化 ﹂ の 危

(8)

商 経 論 叢 第22巻 第3・4号 166

険 性 と ﹁ 自 惚 れ ﹂ は ︑ 西 ヨ ! ロ ッ パ の も の と 片 づ け て お く わ け

に は い か な い ︒ そ れ は ︑ わ が 国 の 今 日 的 状 況 に 向 け ら れ た 重 大

な 警 句 ︑ と 受 け と る べ き だ か ら で あ る ︒

傾 聴 す べ き 次 の 一 節 を も っ て ︑ 書 評 に 代 え る こ と と し た い ︒

﹁ 日 本 は 凡 て の 事 に 於 て 第 一 番 た る の 必 要 は な い ︒ 其 事 に

於 て は 北 米 合 衆 国 に 傲 ふ に 及 ぼ な い ︒ 日 本 は 軍 艦 に 於 て も ︑

飛 行 機 に 於 て も ︑ 鉄 道 の 哩 数 に 於 て も ︑ 自 動 車 の 完 全 と 数 と

に 於 て も ︑ 第 一 番 に な る 必 要 は な い ︒ そ の 旧 来 の 道 徳 に 於 て ︑

そ の 祖 先 伝 来 の 友 情 に 於 て ︑ そ の 民 の 簡 易 生 活 に 於 て ︑ そ の

婦 人 の 淑 徳 と 忍 耐 性 と に 於 て 第 一 番 た る べ き で あ る ︒ 私 は 信

ず る ︒ 神 は 私 の 国 を 品 性 の 宝 石 た る べ く 企 て 給 ひ し 事 を ︒ 黄

金 の 山 又 動 物 的 元 気 の 巨 人 た る べ く 企 て 給 は ざ り し こ と を ︒

富 士 山 は 純 潔 を 代 表 し ︑ 桜 の 花 は 朝 日 に 匂 を 放 つ ︒ 彪 大 な る

事 と ︑ 迅 速 な る 事 と ︑ 此 世 の 何 事 に 於 て も 第 一 番 た ら ん と 欲

す る 飽 き 足 ら ざ る 慾 望 と は ︑ 日 本 国 本 来 の 精 神 と 使 命 と に 全

(9)然相背馳するものである︒﹂(内村鑑三全集︑第三一巻二六二⊥二

頁︒o印引用者)

(1)近代日本の精神構造を理解する上で︑評者はヴェーバー(一八

六四ー一九二〇)と内村鑑三(一八六一i一九三〇)︑それに福

沢諭吉(一八三四i一九〇一)の︑各三者による視点が︑有効な

概念枠組を提供する︑と考える︒福沢とヴェーバーは︑時代的に

三〇年程の開きがあるが︑内村とヴェーバーとは︑ほぼ同時代に

生き︑両者の交錯も幅広いものがある︒これらの人々は︑いずれ

も思想的巨匠故に︑ここではこれ以上述べられない︒但し︑﹃ヒ

ソドゥ!教と仏教﹄︑﹃都市の諸類型﹄などの中で︑ヴェーバーが︑ 日本人の精神を規定したものとして︑﹁封建制﹂が重要な要因を

なし︑その為に日本では︑ヨ1ロヅパ的意味での﹁市民層﹂︑従

って﹁都市﹂が欠落していたこと︑職業的戦士階層(武士)が支

配的な国では︑資本主義を外部から移植はできても︑自生的に︑

合理的経済倫理︑市民的営利倫理を創出することは不可能であっ

た︑と指摘している点は︑重要である︒歴史的形成体としての

﹁中産層﹂の未成熱という構造問題は︑福沢の場合︑﹁︑ミッヅルカ

ラッス﹂の欠如という認識によって︑明治以後に於ける産業化の

担い手層として旧武士層へと回帰せしめたものであり︑他方︑同

じ下級武士の出身者でもある内村の場合は︑現世拒否を通過しな

かった日本的﹁近代人﹂のエゴイズム批判︑原生的な立身出世と

いう器﹁江琶な現世的欲望充足への批判︑などといった形で︑噴

出してくる︒勿論︑福沢の場合は︑ざし・臼︒国2鼠・︒卑なアジァ的宗

教意識が︑内村の場合は︑札幌農学校時代におけるクラークによ

る徹底した静8器葺嘉聾なプ百テスタソティズムが︑という根

本的相違はあるものの︑両者にみられる無関心(来世︑現世)の

双領域を同時に補足するためには︑ヴェーバーの社会科学が不可

欠となろう︒彼等による現世改造の二つの途については︑単に示

唆するにとどめ︑他日の課題にしておきたい︒中村勝己﹁大正デ

モクラシ!における一一つの自由‑内村鑑三を中心として﹂(﹃三

田評論﹄一九八五年コ月)︑石坂巌﹁マックス・ウェーバー

と福沢諭吉‑近代と文明のエトス﹂(前掲書︑一九八六年四月)︑

杉山忠平﹃明治啓蒙期の経済思想ー福沢諭吉を中心に﹄一九八

六年︑丸山真男﹃﹁文明論之概略﹂を読む﹂上︑中︑共に一九八

六年︑田中豊治﹁﹁文化人﹂︾国ロ一9目Φ器︒臭としての市民1⁝ヴ

ェーバー﹁市民﹂概念再論﹂︑千葉大学法経研究︑第十七号︑一

九八五年︑以上参照のこと︒

なお︑丸山真男氏は︑最近著﹃﹁文明論の概略﹂を読む﹄下︑

の中で︑明治以降︑今日に迄尾を引いている﹁市民層﹂(福沢の

﹁独立市民﹂)の未成熟問題にも︑言及しておられる︒木下藤吉の

(9)

プ ロ イ ア ー 「規 律 の 進 化 」 諸 田 實 ・吉 田 隆 167

立身を︑ヨーロヅパの独立市民から見れば︑﹁墳墓の地を顧みず︑

仲間の百姓を見捨て︑独り武家に依頼して一身の名利を貧る者は︑

我党︹市民的ゾリダリテートゲフユール︺の人に非ず﹂︑と署る︑

そうした日本社会の﹁流行病﹂を︑氏は︑﹃日本的立身出世型デ

モクラシ:﹄︑と名づけている︒西洋のように︑政治的権力と教

権制的権力が分立し合って︑文化の﹁非統一性﹂が形成されたり︑

あるいは数︑尺きれない人間の召命的屍の累積により︑各諸領域の

価値(文化財)形成が行なわれ︑その諸領域間の激しい緊張関係

に耐え抜いてきたヨー目ッパの文化世界とは異なり︑福沢の巧み

な磐の通り︑絶えず卑湿な土地から高燥の地へ立身的に引っ越し

する日本人の行動様式には︑癒し難い痴疾とも称すべぎものが固

着している︒中央政府による諸価値(政治的価値︑富価値︑才能

価値︑名誉価値︑倫理価値などー1丸山︑同書一〇四頁)の独占

と上からの分配︑これを巧みに嗅ぎ分け・呼応するハイエナのよ

うな﹁高級﹂知識人腰の行動様式(それはまた︑中︑下層庶民の

本能的な連鎖反応的行動様式でもある‑福沢の﹁三角四面の結

晶物﹂想起!)︑﹁談合社会的行動様式﹂(大塚久雄)︒いずれもこ

うした風土は︑﹁アジア的宗教類型の一般的性格﹂の中で︑ヴェ

ーバーが行なっている︑アジア的知識人と噌般大衆とが亀裂して

恥謁7ジア文化と︑基本的にキリスト教的影響下で瀕養された催頼の上に立脚する西洋文化との比較︑からも理解可能なものであ

る︒この信頼‑不信頼︑人間の人間に対する懐疑︑猜疑心につい

て︑内村は︑福沢とは逆に︑戦国時代に養われた精神("四隣皆

な敵")によって︑日本人は﹁今日の如き過敏猜疑の民﹂となっ

た︑と嘆いている(﹃全輿﹄︑第三二巻︑三四四頁)︒いずれも︑

洞察力に富む至言である︒この国の学問領域では︑自己反省を含

め︑なぜこうも注釈︑解釈を旨とした研究が多く︑人間の魂の内

奥にまで響きわたる独創的研究が少ないのか︒有神者︑無神者を

問わず︑ある意味で︑神的なものとのみ対峙する予琶者のごとく︑

世俗的諸価値をねじふせる内面的孤独化の感情(カルヴィニズム にも︑二ーチェにも通じる)と強靱な独立自尊が︑文化財形成の

ための捨石︑生賛として︑数十世代に渡って︑必要となるのでは

ないか︒

(2)我国の若手では次のものがある︒柳父囲近﹃ウェーバーとトレ

ルチー宗教と支配についての試論1﹄一九八三年︑山田正範

﹁H.H・ブルーンの﹁M・ヴ鳳ーバー価値自由論﹂研究﹂︑立教

経済学研究第三九巻第二号︑一九八五年︑鈴木章俊﹁世界史と資

ーー

社会科学論からーi﹂︑専修大学大学院紀要﹁経済と法﹂第二〇号︑

一九八四年︑梅津順一﹁ウェーバーニアーゼの歴史的批判とその

理論的想定1﹁資本主義の精神﹂論の検証のための序章ー﹂︑

放送大学研究年報第二号︑一九八五年︒

(3)この他︑シュルフターのヴェーバー研究として︑宅・留罠臣ぼΦひ齢ご一騨o"c︒ρ(訳﹃現世支配の合理主義﹄一九八四年)︑芝Φ誌話臣Φ搾募告く︒田亭

響o瓢弓鷺匪津・N毎口く①陣鐵紳三︒︒くoコ≦尻紹ロ8ド津薯山℃o一一齢貯冨一

ζ舞≦で︒常﹂一㊤記.(住谷一彦・拙訳﹃価値自由と責任倫理﹄一九八四年)︑O貯閃纂鼠︒ぼ§αq儒$o認罷︒謬邑露圏ま類婆︒・ヨ窃.葭器︾邑団紹くo昌竃賀≦φ幕誘Q露穿6訂穿鵯零露︒露ρお圃ρ(近日刊

訳予定︒但し﹁書評﹂として︑大林信治﹁西洋の社会史として

のウェーバーの社会学lW・シェルフター﹃西洋的合理主義の

展開﹄をめぐって﹂︑﹃歴史と社ム颪一九八三年三月︑がある)G

.翼ートとの共著謬図≦Φぽ﹁.︒・<匠o昌9国聾oq甲一零,等がある︒ついでに︑箋・竃§ヨ器﹂田↓密﹀﹃o{望掃鍵欝6ざ一ミ吟(得永新太郎訳﹃官僚制の時代﹄一九八四年︑も参照のこと︒(4)9睾ω﹄聾β壽葺註巨β﹀貸窪B一器身§ト香

西純喘.筑紫健彦.拙訳﹃ウェーバーとイスラーム﹄一九八六年︑

も参照︒

(5)畏亀尊笛目窪ぎnぎo貯象罷貯量ヨ︒・紹舅霞酔︒︒誤話竃貴

芝Φ冨員一縮ρ住谷一彦・山田正範訳﹃マックス・ヴェーバ!方

(10)

商 経 論 叢 第22巻 第3・4号 :・

=.!!

﹃国家社会学﹄ー一九二〇年ミュソヘソ大学夏学期講義手稿によ

せて﹂︑住谷一彦・田村信一・小林純編﹃ドイツ国民経済の史

的研究Iーフリードリヒ・リストからマックス・ヴェーバーへ﹄

一九八五年︑も参照のこと︒

(6)山之内氏は︑本書︑第四章で︑﹃経済と社会﹄所収の﹁宗教社会

学﹂を中心に︑ヴニーバーに於けるニーチェ的問題を論究してお

られる︒管見する所︑﹁ヴェーバ!と二ーチェ﹂問題は︑K.レ

ーヴィット︑E・フレーシニマン︑W・J・モムゼンらの研究を

通じて︑我国に紹介されてきたが︑氏の研究により︑再びこの課

題への刺激が与えられたことを喜びとしたい︒但し︑﹁宗教社会

学﹂に対する氏の解釈には︑幾多の難点を抱えており︑恐らくそ

の根源をたどれば︑﹃︒プロ倫﹄の読み︑位置づけにまで糊源する

ように思われる︒或る書簡の中でヴェーバーが︑現代はマルクス

と二ーチェによって刻印された世界である︑と述べたように︑今

日のわれわれは︑二者と共に︑ヴェ!バーによって打刻された

﹁世界像﹂に捉えられ︑現世の価値喪失︑意味喪失︽塔悩してい

るという意味で︑マルクス︑ニーチェ︑ヴェーバ!以後︑なので

ある︒とはいえ︑大衆民主制︑官僚制的支配における︑怒りもな

く興奮もなく︒︒ぎ①ぎ9︒・言騒o水準化(≧<①田o疑韻)など︑ヴ

ェ!バーの著作全体に散りばめられた重要なタームは︑いずれも︑

トックヴィル︑J・S・ミルらによる民主制支配のネガティヴな

側面(アリストクラシーから﹁風庸﹂による支配へ)に対する批

判と並んで︑ニーチェの思想的系譜に連なる要素を︑含みもって

いる(丸山真男﹃﹁文明論の概略﹂を読む﹄下︑一五二ー三頁︑参照)︒

﹁ヴェーバー・二ーチェ﹂問題の解明は︑その課題の大きさから

して︑今後の宿題とせざるを得ないが︑宗教社会学に関して一点

だけ︒ヴェーバー宗教社会学論集の改訂︑特に﹃︒プロ倫﹄のそれ

につき︑安藤英治氏は︑例の﹁魔法からの解放(国ヨ鑓ロげ①同卓瓢㈹α︒﹃

毛6εが︑死の直前に加筆された重要箇所の一つ︑と指摘してお られるが(﹁ヴェーバー歴史社会学の基礎視角﹂︑﹃思想﹄︑一九八

〇年)︑この概念も︑複眼的な読み方をするヴェーバーが︑二!チェの著書﹃善悪の彼岸﹄︑第七章二三九節中の寒ミ暮帖ミ誌傷8

毛Φ一審から︑何らかの示唆を得たものではなかろうか(信太正

三訳﹃二ーチェ全集﹄第十巻︑理想社︑では︑﹁女の魅力喪失﹂と

訳されているが)︒この概念は︑既に﹃ロゴス﹄誌(一九二二年)

に発表された﹃理解社会学のカテゴリ!﹄(林道義訳︑九一頁)に

その萌芽が有ること︑﹁宗教社会学﹂の第一次草稿が一九一ニー三

年頃に出来上っていること︑などから推して︑少くともこの時期

以前にニーチェから示唆を受け︑転釈したのではなかろうか︒こ

の概念の由来については︑匂o冨薯霧ミぎo匡①§昌P望o臨①Hざ昌津

くo昌蜜輿≦①げΦ誘二陶韓鑓昏Φヨお︒︒.︑1国o寓窃臨8噂冒閑α﹃Φ﹁No律・

器汀洋{蹄ωo巴90αq貯ロコ伽曽鉱巴陽愚ゴOδ賦P冨F一㊤Q︒ρを参照の

こと︒ヴェーバー﹁中間考察﹂におけるニーチェ的陰影は︑他日︑

論文の形で論究を予定している︒

(7)しかし︑その一方で︑自由な労働の組織化による近代西洋から

生まれた﹁合理的社会主義﹂もまた︑東欧諸国︑中国にみられる

ように︑市場経済の導入︑分権化︑法治主義に象徴される難題に

直面してきたのは︑周知の通りである︒計画経済︑宮僚制化︑社

会主義的規律︑西欧的良心の自由(○Φ乱︒・紹黙鴇酵φ一榊)など︑経済

的パソの問題から政治的︑内面的な諸問題にいたるまで︑その解

剖を試みたのは︑ソヴィエト・ロシアの初期的段階という時代的

制約はあるにしても︑ヴェーバーが初めであったとい︑兄よう︒フ

ェアバルトゥソク︑工場︑軍隊︑大学︑研究所などにおける全面

的官僚制化を前にしては︑自己の良心に即し︑時に事象を批判的

に考察せざるをえない︑マージナルな知識人のベルーフも︑畏縮

せざるをえなかった︒一一〇世紀におけるこれまでの社会主義の悲

劇的実験は︑ある意味で︑ヴェーバーという歴史の達人との絶・沈

間ない戦いではなかっただろうか︒その点で︑ヴェーバーの講演

﹃社会主義﹄(浮Hωo臥巴置ヨβ︒︒層お一Q︒・濱島朗訳︑昭和五五年)以

(11)

ブRイ ア ーr規 律 の 進 化 」 諸 田 實 ・吉 田 隆 訳 169

外に︑﹁左翼からは評判のわるい﹂(丸山真男)F・Aハイエクや︑

L.ミーゼスの諸研究にも注意せねばならぬであろう︒野瓢a困搾げ

}調爵Oぎ目げΦ男雷畠8留臨αO日"一逡舟(一谷藤一郎訳﹃隷従への道‑全体主義と自由﹄︑昭和二九年)︑炉民三σq<魯護器︒・暢¢8芝冒β一〇ω曾参照のこと︒

(8)本書で野田は︑重要な発言をしている︒それは︑﹁総じて設備

もよく︑学生の質もよい﹂国立大学の教授が︑看主政の産物であ

る栄誉を国家からもらいうけ︑必要以上の特権を享受する無神経

さを指摘していることである︒﹁為政者や親の責任で非行や暴力

事件が激増し﹂︑﹁その波をもろに被っている小中学校の先生﹂よ

り︑物心両面に恵まれた人が︑さらに特権を求めるのはフェアーでない︑というのだ︒われわれも罹患しやすいこうした病を克

服する為にも︑再度︑内村鑑三の精神(﹁社会に対する一つの遠

慮﹂)に戻るべぎではないか︒﹁ほんとうの学者の生活といふもの

は尊いものだ︑これは一つの大きな犠牲なのだ︒十年も十五年も

コツコツとやってやっと}つの真理を発見する︑外目には何の変

ったこともなく︑何の名誉もないのだからね︒⁝⁝だから努めて子供を良く育て家庭を楽しくして︑そこで凡ての快楽を供するや

うにしなければいけない︒其時細君なる人が夫の注意を他(例へ

ば名誉や物慾や)に引くやうな態度に出ると︑学者の学問は浅薄

になるのだ︒只黙々として真理を究める︑その地味な忍耐を要す

る仕事に満足しなくてはいけない﹂(卓上談話︑内村美代子﹃晩

年の父内村鑑三﹄闇七七頁)︒﹁世俗的﹂価値の価値転換︒(9)内村の﹁動物的元気﹂を︑別の形で︑ヴェーバーも批判してい

る︒﹁人間にとっては︑行為の主観的合理性と恥齢静掛獅静﹁正

しさ﹂とを高めるということ自体が︑ある限界を越えると⁝‑重要な(たとえば倫理的にあるいは宗教的に重要な)財を危険にさ

らすものと見なされることができるのである﹂(ζ舞≦①冨訓b巽

ω闘諺伍舘︾ミo無凱冨奥牙誘oN三〇αQ置ぽ鵠5山αぎぎ巳︒・︒冨"≦す㎝魯巴匡h$P一り嵩﹂曇OΦ紹臼臼Φ一δ﹀仁h︒︒野器軸g≦一馨瓢留冨{邑①幕● ω﹀島﹄・器9松代和郎訳﹃社会学および経済学の﹁価値自由﹂

の意味﹄八五頁︒︑印原著者)︒フライブルク大学教授就任講演

﹃国民国家と経済政策﹄に於て︑経済学は︑人生の快楽の貸借対

照衷の黒字を増すことより︑まずもって経済発展により育てあげ

られる人間の質(O琶葺馨店臼ζ霧器げ窪)を問う︑とヴ凱ーバー

は述べているが︑そうした意義について︑ブスも止目している︒

=o︒紳民団o9ξuロ..

ω

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