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現代朝鮮語の‘-고 보보 ’ と‘-고 보보보 ’ について

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現代朝鮮語の‘-고 보보 ’ と‘-고 보보보 ’ について

五十嵐 孔一

はじめに 1. 辞書の記述 2. 用例検討

2.1. 調査資料 2.2. 検討手順

2.3. ‘-고 보-’と結合する語彙の偏り おわりに

はじめに

本稿は現代朝鮮語の‘-다 보보’と‘-다 보보보’について述べた五十嵐孔一(2011)に続 き,‘-고 보보’と‘-고 보보보’を論ずるものである。‘-고 보보’と‘-고 보보보’は互 いに似た意味を持っており,また‘-고 보보’と‘-다 보보’,‘-고 보보보’と‘-다 보보보’は構成が類似しているため,学習者はこの4者の用法をしばしば混乱する。五十嵐孔 一(2011:45)では‘-다 보보’の意味を「あることを続けていると,たいていこうなるもの だ」,‘-다 보보보’の意味を「実際にそうしていたら,その結果/その理由で,こうなっ た」と言い得ることを述べた。では‘-고 보보’と‘-고 보보보’はどのように解釈できるの だろうか。用例をもとに検討していくことにする。

1. 辞書の記述

‘-고 보보’と‘-고 보보보’の構成は連結語尾‘-고’と補助用言‘보다’の語幹‘보-’

からなる‘-고 보-’にやはり連結語尾‘-보’‘-보보’がそれぞれ結合したものである。‘- 보보’はまた‘-보’と省略されて‘-고 보보’とも用いられる。

‘-고 보보’または‘-고 보보보’に関する先行研究を探したところ,管見では見当たらな かった。また‘-고’,‘-보’,‘-보(보)’に関する論文にも参照すべき記述が無かった。

そこで‘-고 보보’と‘-고 보보보’を論ずるにあたり,入手できた20種類の辞書を検討した ところ,‘-고 보보보’よりも‘-고 보보’を扱う辞書が大部分であること,また‘-고 보

(2)

보’と‘-고 보보’がほとんど区別されずに説明されていることが分かった1)。キーワードを 拾ってまとめるならば,「‘-고’の後に‘보보,보보’と用いられ,行動や状態の結果を表 す」と要約することができるであろう。このように‘-고 보보’と‘-고 보보’の核心的な意 味の1つとして「結果」があげられる。なお‘보보’と‘보보’を区別せずに述べている辞書 の数は今回調査した20種類の辞書のうち,16種類にいたる2)。‘보보’と‘보보’を区別した ものは2種類,残りの2種類はどちらか1つしか扱っていないものであった。

‘보보’と‘보보’を区別してはいないものの,‘-고’の結合する品詞を分類し,さらに従 来の意味解釈であった「行動や状態の結果」をより詳述した辞書が2種類ある。1つは연연연연 교 언언언보언언연언언(편)(1998:862)で「①〔動詞の‘-고’の後に‘보보,보보’の形で用 いられ〕ある行為をしてから,またはある出来事があった後に考えると。判断すると」「②

〔形容詞や‘이다’の‘-고’の後に‘보보,보보’の形で用いられ〕そんな状態であるため」

と述べている。また1つは국국국언연언언(편)(1999:2720)で「③〔動詞の後で‘-고 보 보’,‘-고 보보’の構成で用いられ〕前の語が意味する行動を行った後に,後の語が意味す る事実に新たに気付くようになったり,後の語が意味する状態になったりすることを表す語」

「④〔形容詞や‘이다’の後で‘-고 보보’,‘-고 보보’の構成で用いられ〕前の語が意味 する状態が後の語の理由や原因となることを表す語」と説明している。結合する品詞によって 意味が異なり得る点に注意すべきであろう。なかでも後者の記述に注目すると,動詞の後では ある事実に気付いたり,またはある状態になったりするというように「発見」と「変化」の意 味があり,形容詞やいわゆる指定詞‘-이다’の後では「原因・理由」の意味を表すという。

‘보보’と‘보보’を区別した辞書の1つである菅野裕臣他(共編)(1988/1991:412)は「▶Ⅰ- 고⌒보보/보보보 …してみると ((結果)),…するのだから」「▶Ⅰ-고⌒보보 …してみれば ((結果)),…するのだから」と日本語訳を付し,いずれにも「結果」と「原因・理由」の意味 を認めている。またもう1つの이이이・이이이(2010)は韓国語の語尾や助詞を扱った特殊辞典 で,そのp.78の「-고 보보」の項には「1.〔動詞に付いて用いられ〕(分かったことや聞いた ことのように)前の内容がなされた結果,後に来る内容を受け入れたり,はじめて知るように なったりする意味を表す」「2.〔‘이다’に付いて用いられ〕ある状態にいたった結果,後に 来る内容を受け入れたり,はじめて知るようになったりする意味を表す」と説明されており,

また同ページの「-고 보보」の項には「1.前の語が意味する内容を認めながら,後の語が意味 する事実に新たに気付くようになったり,後の語が意味する状態になったりすることを表す」

と説明されている。このように‘-고 보보’と‘-고 보보’の意味について前者は「結果」

「発見」,後者は「発見」「変化」というように区別している。その項にはさらに「‘따따고 보보,듣고 보보,그그고 보보’のように用いられたりする」と付されている。

(3)

以上から,‘-고 보보’と‘-고 보보보’の核心的意味は「結果」「発見」「変化」「原 因・結果」ととらえることができるであろう。これを‘-다 보보’と‘-다 보보보’と比べる と,その核心的意味は「継続」「過程」「結果」「発見」「変化」「原因・結果」であったか ら3),辞書の記述上では一旦「継続」「過程」の有無が‘-다 보보,-다 보보보’と‘-고 보 보,-고 보보보’を区別する点だと言えよう。ただ,他の共通した意味がそれぞれの形式にお いてどのように解釈され得るのかは,なお検討が必要である。

2. 用例検討 2.1. 調査資料

調査資料は五十嵐孔一(2011)と同じものを対象とする。つまり,1990年以降,韓国で発表さ れたもので,문문문문문/국국국언연언언(2004),국국국언언(2007),KBSラジオのドラマシナ リオから収集した資料である。

五十嵐孔一(2011)では資料合計262作品(約250万文節)を①話し言葉1(トークショーや友人と の対話など,実際に発せられたものを録音して後で文字化したもの),②話し言葉2(ドラマの シナリオやインタビュー記事など,後に発せられたり読まれたりすることを目的に先に文字で 書かれたもの),③書き言葉(小説や新聞記事など)の3つにほぼ同じ分量で分け,‘-다 보보’

‘-다 보보보’‘-다 보보’の出現様相を調査した4)。今,それと全く同じ資料を対象に,‘-고 보 보’‘-고 보보보’‘-고 보보’の出現数を並べてみると[表1]の通りである5)

[表1]‘-고 보-’と‘-다 보-’の出現様相(総数963例),( )内は頻度[%]

資料の分類 ‘-고 보-’に結合 ‘-다 보-’に結合

計 -고 보보 -고 보보보 -고 보보 -다 보보 -다 보보보 -다 보보

①話し言葉1 22 (2.4)

24 (2.6)

9 (1.0)

139 (14.9)

315 (33.7)

28 (3.0)

537 (57.4)

②話し言葉2 20 (2.1)

10 (1.1)

54 (5.8)

56 (6.0)

19 (2.0)

99 (10.6)

258 (27.6)

③書き言葉 29 (3.1)

0 (0.0)

19 (2.0)

53 (5.7)

0 (0.0)

40 (4.3)

141 (15.1)

合計 71

(7.6)

34 (3.6)

82 (8.8)

248 (26.5)

334 (35.7)

167 (17.8)

936 (100.0)

①話し言葉1はトークショーや友人との対話などの資料。

②話し言葉2はドラマのシナリオやインタビュー記事などの資料。

(4)

この表に見るように総数963例(100.0%)に対して‘-고 보-’に結合するものは合計187例 (20.0%),‘-다 보-’に結合するものは合計749例(80.0%)で,‘-다 보-’の方が‘-고 보-’

より4倍多く出現している。

辞書の記述では‘-고 보보보’よりも‘-고 보보’が,同様に‘-다 보보보’よりも‘-다 보보’が多く扱われていることを先に述べたが,出現様相はそれぞれ異なっている。つま り,‘-다 보-’の合計749例(100.0%)に対して‘-다 보보보’は334例(44.6%),‘-다 보보’

は167例(22.3%)で‘-다 보보보’が‘-다 보보’より2倍多く現れている。ところが‘-고 보-’

では,その合計187例(100.0%)に対して‘-고 보보보’は34例(18.2%),‘-고 보보’は82例 (43.9%)で,かえって‘-고 보보’の方が‘-고 보보보’よりも2.4倍多かった。これは話し言 葉1における‘-고 보보보’の出現率が低いことに起因していると考えられる。‘-고 보보’

は書き言葉にやや多く現れるものの,話し言葉1・2との間には特筆すべき頻度差が見られなか った。

以上,同じ資料を対象に‘-고 보-’と‘-다 보-’の用例数を比べることによって,それぞ れの出現様相に違いがあることを確認した。ただ,‘-고 보보’と‘-고 보보보’を中心に検 討するにあたり,それらの用例数では不十分であることを恐れ,調査対象を262作品(約250万 文節)から302作品(約280万文節)に増やし,合計264例収集した。諸形式の出現頻度は[表2]の 通りである6)

[表2]‘-고 보-’の出現様相(総数264例),( )内は頻度[%]

資料の分類 -고 보보 -고 보보보 -고 보보 計

①話し言葉1 30 (11.4)

41 (15.5)

10 (3.8)

81 (30.7)

②話し言葉2 31 (11.7)

14 (5.3)

74 (28.0)

119 (45.1)

③書き言葉 39 (14.8)

0 (0.0)

25 (9.5)

64 (24.2)

合計 100

(37.9)

55 (20.8)

109 (41.3)

264 (100.0)

①話し言葉1はトークショーや友人との対話などの資料。

②話し言葉2はドラマのシナリオやインタビュー記事などの資料。

用例数を増やすことによって‘-고 보보보’の話し言葉1における出現率が高くなったもの の,‘-고 보보’は依然として‘-고 보보보’よりも多く現れている。このことから‘-고 보-’

(5)

の実際を知るためには‘-고 보보보’とともに‘-고 보보’も検討の対象に含めるのが良いと 思われる。‘-고 보보’は[表1]の用例数が話し言葉1・2と書き言葉でそれぞれ約10例ずつそ のまま増加した結果になっている。

2.2. 検討手順

さて,収集した用例を諸形式の結合する語彙の品詞別に集計すると次の通りである。

[表3]結合する語彙の品詞(総数246例),( )内は頻度[%]

品詞分類 -고 보보 -고 보보보 -고 보보 計

動詞 92

(34.8)

55 (20.8)

107 (40.5)

254 (96.2)

形容詞 0

(0.0)

0 (0.0)

1 (0.4)

1 (0.4)

存在詞 2

(0.8)

0 (0.0)

0 (0.0)

2 (0.8)

指定詞 6

(2.3)

0 (0.0)

1 (0.4)

7 (2.7)

合計 100

(37.9)

55 (20.8)

109 (41.3)

264 (100.0)

この表から‘-고 보보’‘-고 보보보’‘-고 보보’はいずれも動詞と結合しやすく,他の 品詞とはまれに結合することが明らかである7)。この品詞別に見た結合の傾向は‘-다 보-’

と類似しているため8),次に続く手順は五十嵐孔一(2011)で取ったように核心的意味の曖昧さ を語彙と文の特徴から検討していくことが‘-다 보-’と比較する上でも有効なように思われ る。

ところが‘-고 보-’の結合する語彙を見てみると一定の偏りが認められる。これは‘-다 보-’とは異なる特徴である。以下に今回の調査で‘-고 보-’の諸形式と結合した語彙を示す。

<指>は指定詞,<存>は存在詞,<形>は形容詞である。

(6)

[表4]‘-고 보보’が結合する語彙の例(総数100例(100.0%))

出現数(頻度[%]) 語彙

29例(29.0) 따따다(問いただす) 25例(25.0) 알다(知る)

15例(15.0) 그그다(そうする) 9例(9.0) 놓다(置く)

6例(6.0) -이다<指>(~だ)(うち1例は-이이다(~だった)) 5例(5.0) 두다(置く)

3例(3.0) -아 놓다(~しておく) 1例(1.0)

(全8例(8.0))

가따다(持つ),고고고다(考慮する),깨깨다(悟る),빼다 (抜く),없다<存>(無い),있다<存>(ある),캐다(さぐり 出す),피고다(避ける)

[表5]‘-고 보보보’が結合する語彙の例(総数55例(100.0%))

出現数(頻度[%]) 語彙

19例(34.5) 알다(知る) 10例(18.2) 듣다(聞く)

9例(16.4) 그그다(そうする) 5例(9.1) -아 놓다(~しておく) 2例(3.6)

(全4例(7.3)) 받다(受ける),고다(する) 1例(1.8)

(全8例(14.5))

-고 나다(~してしまう),먹다(食べる),바바다(変わ る),뵙다(お目にかかる),쓰다(書く),장장고다(営 む),따나다(過ぎる),차차다((気を)しっかりする)

(7)

[表6]‘-고 보보’が結合する語彙の例(総数109例(100.0%))

出現数(頻度[%]) 語彙

38例(34.9) 그그다(そうする) 23例(21.1) 알다(知る) 21例(19.3) 듣다(聞く)

3例(2.8)

(全9例(8.3)) 되다(なる),-아 놓다(~しておく),고다(する) 2例(1.8) 장나다(会う)

1例(1.8) (全16例(14.7))

강고다<形>(強い),나나다(出て来る),두다(置く),드그 나다(現れる),들언들다(入る),언발고다(発展する),언 표고다(発表する),문부고다(赴任する),산산문고다(産 業化する),살아나다(生き返る),생생다(生ずる),얻다 (得る),열다(開く),-이다<指>(~だ),이그다(こうす る),크다(大きくなる)

これらの形式において上位3位の語彙の占める割合はかなり高い。‘-고 보보’(100例 (100.0%))では‘따따다(問いただす)’(29例),‘알다(知る)’(25例),‘그그다(そうす る)’(15例)の合計69例(69.0%),‘-고 보보보’(55例(100.0%))では‘알다(知る)’(19 例),‘듣다(聞く)’(10例),‘그그다(そうする)’(9例)の合計38例(69.1%),‘-고 보보’

(109例(100.0%))では‘그그다(そうする)’(38例),‘알다(知る)’(23例),‘듣다(聞く)’

(21例)の合計82例(75.2%)と,いずれも7割前後の割合である。

これに対し,‘-다 보-’について五十嵐孔一(2011:41)の[表3]から上位3位の語彙を見てみ ると,‘-다 보보’(248例(100.0%))では‘고다(する)’(38例),‘그그다(そうする)’(37 例),‘살다(暮らす,生きる)’(13例)の合計88例(35.5%),‘-다 보보보’(334例(100.0%)) では‘그그다(そうする)’(61例),‘고다(する)’(50例),‘있다(いる)’(17例)の合計128 例(38.3%),‘-다 보보’(167例(100.0%))では‘그그다(そうする)’(29例),‘고다(する)’

(16例),‘되다(なる)’(7例)の合計52例(31.1%)と,いずれも3割台であった。

以上のような状況から‘-고 보-’についてはその結合する高頻度の語彙を中心に検討した 方が核心的意味の曖昧さを検討するよりも有効なのではないかと思われる9)

2.3. ‘-고 보-’と結合する語彙の偏り

再び[表4][表5][表6]を見ると,‘-고 보-’の結合する語彙には①‘-고 보보’とより多く 結合するもの,②‘-고 보보보’‘-고 보보’とより多く結合するもの,③‘-고 보보’‘-

(8)

고 보보보’‘-고 보보’のいずれとも多く結合するものといった偏りが認められる。その例 は①‘따따다,놓다,두다10)’,②‘듣다’,③‘알다,그그다,-아 놓다’である。では,

それらの用例の検討を急ごう。

2.3.1. ‘-고 보면’とより多く結合するもの

まず‘-고 보보’とより多く結合するものから見ていくことにする。(1)は書き言葉,(2)は 話し言葉1(トークショーなど),(3)は話し言葉2(ドラマのシナリオなど)の用例である。

(1) 따따고 보보 우차우 따지 근연문되이다고 고보들 연문대 생기 문문문 모모 채 연문대 실실고고 있우따문 모모다.<[WRITTEN/HUMAN/BHXX0031]길길 길길 따따 끝이 없고>

(よく考えてみれば,我々は今,近代化したと言いながら,対話の基本文型も知らないま ま対話を実験しているのかも知れない。)

(2) 1년길 놓고 보보 우차나따 인언대 절절가절인 2천천장천대 인언가 증가고고 있있보 다.<[SPOKEN/TRANS/BJ950023]MBC 뉴뉴뉴뉴크 95/2/14>

(1年について見れば,我が国の人口の半分ほどである2100万人の人口が増加していま す。)

(3) 두고 보보 알 거다. 마드마아마이 누누 좋아고우따.<KBS따라나,꽃대 발전>

(後で見れば分かることだ。マドモアゼルが誰を好みなのか。)

(1)は‘따따고 보보’が文頭に置かれた例である。他動詞‘따따다(問いただす)’の目的語 が明示されず,‘따따고 보보’だけで独立した副詞句となっている。(2)は‘놓고 보보’の 例だが,むしろ‘대/길 놓고’の用法に注意すべきで,‘놓다(置く)’は‘놓고’の形 で‘대/길(を)’とともに用いられて「~について」といった意味を表す11)。つまり‘대/길 놓고 보보’は「~について見れば」と解釈される。(3)の‘두고 보보’は(1)と同様,文頭に 位置し,目的語無しに,独立した副詞句として用いられている。‘두고 보보’で興味深い点 は,(3)に見るように,その後に‘알다(知る)’が来やすいことである。‘두고 보보’の用例 5例中,4例がそうであった12)

以上のように‘따따고 보보’‘놓고 보보’‘두고 보보’の用法は慣用的なところがある。

これらの句の特徴はその解釈,あるいは使用にあたって,主体を特定しなくともかまわないこ とである。例えば(1)の‘따따고 보보(よく考えれば)’は「誰が考えるのか」を想定せずに用 いているということである。こうした特徴により‘-고 보보’は客観的(文意によっては一般 的,論理的)な表現となるように思われる。

(9)

‘-보(~すれば)’でつながれた後文には「結果」が現れ,あることがらの「変化」や,その 変化に気付くこと,つまり「発見」として解釈される。例えば(2)について言うと,「人々が 増加している」ということがらに焦点を置けば「変化」と,そのことがらに気付くことに焦点 を置けば「発見」と解釈されよう。これらの意味がすなわち,辞書の記述で確認した核心的意 味の一部である。

2.3.2. ‘-고 보니까’‘-고 보니’とより多く結合するもの

‘-고 보보보’‘-고 보보’とより多く結合する語彙は‘듣다(聞く)’である。まず‘-고 보보보’の用例から見てみよう。今回の調査では書き言葉から‘듣고 보보보’の用例が収集 されなかった。(4)は話し言葉1,(5)は話し言葉2の用例である。

(4) 듣고 보보보 그그문 일차가 있고 또 한한한 젊길 친언들고고 드따마 고우 그문 재재 있길 그 같아같.<[SPOKEN/TRANS/CK000141]집집집집 드따마드드 98/06/21>

(聞いてみるとそれも一理があって,またしばらくの間,若い子たちとドラマをやるのも 面白そうです。)

(5) 따지 듣고 보보보 네 말이 발문 옳아.<KBS따라나,나오 다다다다차 제3문>

(今聞いてみると,君の話が全部正しいよ。)

‘듣고 보보보’は(1)の‘따따고 보보’,(3)の‘두고 보보’と形式上類似し,「結果」を 表すところは意味も似ている。しかし‘듣고 보보보’はその行為の主体を特定して解釈する 点でそれらと区別される。(4)の‘듣고 보보보’の主体は話し手であることが明らかである。

ところで後文には主体が何らかのことがらを聞いた結果が現れるので,‘듣고 보보보’は主 体があることがらを「既に聞いた」ことが含意される。(5)においても同様に,主体は話し手 で,「君の話」を「今聞いた」ことが含意される。

なお,‘듣고 보보보’の主体は話し手以外もあり得る。(6)は聞き手に尋ねる文で,主体は 聞き手である。

(6) 언어연같, 송송장송? 듣고 보보보 남 얘생 같따 않않않않? <[SPOKEN/TRANS/BK950017]

남이대 위고드 95/1/23>

(どうですか,ソン課長? 聞いてみると,他人事みたいじゃありませんでしょう?)

次に‘듣고 보보’の用例に移ろう。‘듣고 보보’が‘듣고 보보보’の2倍ほど多く現れた

(10)

こと13),書き言葉でも用いられるが話し言葉でもしばしば用いられること14)を,今回の調査は 示していた。用例は次の通り。(7)は書き言葉,(8)は話し言葉1,(9)は話し言葉2から収集し た用例である。

(7) 그그나 설천길 듣고 보보 문화화 발전대 뜻이 그 72 장대 그그 속속 고뉴고고 같요되 언 있이다.<[WRITTEN/HUMAN/BHXX0037]한국대 사사>

(しかし説明を聞いてみると,華厳経全体の意味がその72枚の絵の中にそっくり要約され てあった。)

(8) 제가 두 집 말말길 듣고 보보 연대 언차가 되우군같.<[SPOKEN/TRANS/BK9X0030]단단차 쓴단차>

(私がお二人のお話を伺ってみますと,大体整理がつきますね。) (9) 글글같, 듣고 보보 그그문 그그네같.<KBS따라나,천생연집>

(そうですね,言われてみますと,それもそうですね。)

(7)(8)(9)のいずれも主体が話し手である。このように主体を特定し得るところは‘듣고 보 보보’と同じである。中には(8)の‘제가(私が)’のように主体が主語となって現れる例もあ った。この点,日本語訳の「私が」はかえって剰余的である。

なお,‘-보보/-보(~すると)’でつながれた後文には主体があることがらを聞いた「結 果」として,主体による「発見」が現れている。また(8)の用例においてはそのような話し手 による「発見」の他に,話し手の内部的な「変化」を表しているとも解釈できるであろう。

ところで,‘듣고 보보보’‘듣고 보보’の後文には主観的な表現が現れやすいようである。

(4)のような‘冠形詞形語尾+그 같다(~しそうだ)’が散見されたり15),(8)(9)のような終結 語尾‘-군같(~しますね)’‘-네같(~ですね)’がしばしば用いられたりしている16)

2.3.3. ‘-고 보면’‘-고 보니까’‘-고 보니’と多く結合するもの

‘-고 보보’‘-고 보보보’‘-고 보보’のいずれとも多く結合する語彙は‘알다(知る),

그그다(そうする),-아 놓다(~しておく)’である。まず‘알다’について見ていく。

(10) 저, 너마 그그따 마마않나. 저문 알고 보보 괜괜길 남이남같.<[SPOKEN/TRANS/CK0001 51]집집집집 드따마드드 98/08/30>

(あの,あまりそうしないで下さい。私も本当はいい男なんです。)

(11) 그그들 알고 보보보 이 이생 남이대 뺏언뺏 드이가 그 갈갈갈차속 좀 따지않지 생생

(11)

애애.<[언언/5CM00046]주제연문_향향향향문>

(それで,調べてみたら,この自分の男を奪って行った女が,あの茶髪でちょっと知的 に見える子なのよ。)

(12) 나집속 알고 보보 그 대사대 진단길 나진이이있보다.<KBS 따라나,나오 다다다다차 제4문>

(後で分かったことには,その医師の診断は誤診でした。)

(10)の‘알고 보보’の日本語訳は直訳の「知ってみれば,分かってみれば」のすわりの悪 さを避け,「本当は」としておいた。この‘알고 보보’もその主体を明らかにしなくとも解 釈には支障がない。ところで‘알고 보보’の後文には‘괜괜길 남이(いい男)’のように「ど ういう人物」かを示す語がしばしば用いられる(‘알고 보보’の25例中,10例)。修辞的に見 るならば‘알고 보보’はその人物描写が,話し手の個人的な見解ではなく,より客観的であ ることを強調しているわけである。一方,(11)の‘알고 보보보’,(12)の‘알고 보보’はい ずれも主体が話し手で,後文は主体による「発見」を意味している。これについては先 の‘듣고 보보보’‘듣고 보보’の検討結果を敷衍して説明することができるであろう17)

次は‘그그다’との結合例である。‘그그고 보보’‘그그고 보보보’‘그그고 보보’は 慣用的な副詞句として高い頻度で現れている。用例は次の通り。

(13) 르네사뉴 이이지 문연길 포포고우 모모 창창 드위가 신연대 그그속들 벗언남않지 해 들 신연길 아아다아대 대재대 찾길 향 있있 된 그이 아아보? 그차고 새그길 창창고 우 인뺏대 손길송 고하송대 손길길 실사 같길 손길이따우 그길 깨깨길 향 있있 된 그이 아아보? 그그고 보보 신연송 문연대 유차우 불드고생장 한 그길 아보이아 그이 다.<[WRITTEN/HUMAN/BHXX0030]왜 사사고 물않보>

(ルネサンス以降,文学を含むすべての創作行為が神学の陰から抜け出ることによって,

神学は美しさの意味を見つけることができるようになったのではないか? そして新し いものを創造する人間の手と神の手は実際同じ手であることを悟ることができるように なったのではないか? そのように見れば,神学と文学の遊離は不幸なだけではなかっ たのである。)

(14) 그그들 저 친언친 나친 결결결결아같. 너마 억억고보보, 우우 평평향천고고문 딱 이 마년십장 더 살이! (쓸쓸고)그그고 보보보 억억한 일 되있 많길 사사 같네, 나…

<KBS따라나,언하 멋진 날>

(それであの友達と私とで決心したわけじゃないですか。あまりにも悔しいから,私た

(12)

ちは平均寿命もいっしょにぴったり20年だけもっと生きようって!(寂しく)そうして みると,悔しいことがすごく多い人みたいね,私…)

(15) 왜 언라 아아같? 그그고 보보 한갈이 별지 한 좋네.<KBS따라나,비비>

(あら,どこか具合が悪いんですか。そういえば顔色があまりよくないわね。)

下線部の主体は特定が全く不可能というわけではないが,特に定めなくとも解釈に支障がな いことは認めることができよう。これまでの検討では‘-고 보보보’‘-고 보보’について主 体を特定することを述べたが,この点,‘그그고 보보보’‘그그고 보보’の慣用的な句に対 しては適さないようである。

(13)(14)(15)での‘그그고 보보’‘그그고 보보보’‘그그고 보보’の意味を見ると,い ずれもほぼ似た意味を表していると思われる。後文が「発見」を表しているところも同じであ る。ただ印象としては,(13)の‘그그고 보보’が客観的で,(14)(15)の‘그그고 보보보’

‘그그고 보보’は主観的である。

そこで言語的な特徴を後文に見てみると,‘그그고 보보보’‘그그고 보보’の後文に‘- 언나’‘-네’等の終結語尾がしばしば現れていた。これは2.3.2.で検討した‘듣고 보보 보’‘듣고 보보’と共通した現象である。まとめると次の通り。つまり‘그그고 보보보’は 9例のうち,‘-언나’が1例,‘-네’が3例現れ,‘그그고 보보’は38例のうち,‘-언나’

が6例,‘-군같’が2例,‘-네’が13例,‘-네같’が3例現れた18)。なお今回の調査では‘그 그고 보보’とこれらの終結語尾が呼応した用例は1例も現れなかった。

ところで‘-다 보보’‘-다 보보보’‘-다 보보’と結合しやすい語彙は,本稿の2.2.に示 したように,‘그그다’と‘고다(する)’で,いずれの形式においても上位2位を占めていた。

ところが今回調査の‘-고 보-’においては,‘그그다’は今見た通り出現頻度が高いもの の,‘고다’は‘-고 보보’に0例,‘-고 보보보’に2例,‘-고 보보’には3例と19),‘-다 보-’とは対照的に出現頻度が低かった。

次は‘-아 놓다(~しておく)’の用例である。

(16) 언차피 풀언놓고 보보 똑같길 말이보들 왜 이이있 난해고있 고우 거애.<[언언/4CM 00047]일사연문_식사집연연생2인#2>

(どっちみち分かりやすく言っちゃえばまったく同じ話なのに,なんでこう分かりにく く言うんだよ。)

(17) 모창물이 말말우뉴 저향따 댈 고친물길 옮옮가따고 그그가따고 저향따속 물길 잡아 놓고 보보보 마마이 창지 놓놓보다.<[SPOKEN/TRANS/BJ950029]뉴뉴뉴뉴크 95/3/8>

(13)

(田植えの水が涸れたので貯水池にあてる溝の水を移して,そうやって,貯水池に水を 引いておいたら気持ちが少し落ち着きます。)

(18) 지언놓고 보보 ‘ 살 빼애한다 ’ 우 강강문강장 있이따 노노길 한 결더따언같.<[문언 /3BA00B04]한아일보 생생(2000)>

(書いておくと,「やせなくてはならない」という強迫観念だけあって,努力はしなか ったんですよ。)

(16)の‘풀언놓고 보보’の主体は特定されず,(17)の‘잡아놓고 보보보’と(18)の‘지언 놓고 보보’の主体は話し手である。ところで,結果が残っていることを表す‘-아 놓다’と20), やはり「結果」を表す‘-고 보보’‘-고 보보보’‘-고 보보’が結合しやすいのは興味深い ところである。その結合において,主体の特定がかかわるところはないであろうか。

‘-아 놓다’について論じた孫ミナ(2012)を見ると,そのp.12に「‘-언 놓다’の用例はそ の動作を行なった動作主が含意されているか否かによって分けることが出来る」と指摘してお り,上に述べた主体の特定と関連すると思われる。

孫ミナ(2012)の関心は‘-아 놓다’のアスペクト的意味であり,動作主が含意されていると きは「到達パーフェクト」(p.19),そうでないときは「結果パーフェクト」(p.24)を表すとい う。まず前者は‘-아 놓다’の結合する動詞が非限界動詞のときは‘-아 놓다’が付くことに よって「最後まで動作を終えた」と解釈し得るように「動詞自体を非限界動詞から限界動詞へ 変える」ことになり(p.14)21),限界動詞と結合するとき,とりわけ‘-아 놓길’のような「連 体形として名詞を修飾」するときは「主体」よりも「動作を受ける対象になる物に焦点が置か れている」という(p.16)。いずれにしても「到達パーフェクト」では「動作の生起から終了ま での局面を含意し」,「動作が終了の局面まで至って,終了した局面を維持」することになる (p.19)。

一方,動作主が含意されていないときは「動作が終了したあと」の局面だけが含まれ,「そ の結果物が発話時まで残されて」いることを表す(p.23)。これが「結果パーフェクト」である。

なお「動作主が含意されていない場合は誰がそのようにしたかは知らないが,残されている結 果には誰かによって行なわれたという意味が含まれている」ことが認められる(p.23)。

以上のことを踏まえて再び先の用例に戻ろう。(16)の‘풀언놓고 보보’においてはその主 体が特定されないことを先に述べた。今,動作主について言うと,‘풀언놓-’には動作主が 含意されていない。そのため「結果パーフェクト」を表し,‘풀다(分かりやすく言う)’の動 作が終了したあとの局面だけが残ることになる。確かに(16)の用例においては‘풀다’の終了 以外の局面については無関心である。

(14)

(17)の‘잡아놓고 보보보’と(18)の‘지언놓고 보보’の主体は話し手と特定される。この 点,動作主が含意されるので「到達パーフェクト」である。したがって(17)では話し手の「貯 水池に水を引く」という動作,(18)では話し手の「書く」という動作の生起から終了までの局 面が含意される。‘잡다((水を)引く)’と‘지다(書く)’は非限界動詞であるが,‘-아 놓 다’が付くことによって,それらの動作を最後までやり終えたことを表すわけである。

以上のように‘-아 놓다’と‘-고 보보’‘-고 보보보’‘-고 보보’の結合についてパー フェクトの観点から説明し得ることを確認した。

2.3.4. その他の語彙との結合

最後に上で検討した語彙以外,いわば少数派の語彙と結合した例を見ることにする。(19) の‘고고고다(考慮する)’,(20)の‘바바다(変わる)’,(21)の‘얻다(得る)’はそれぞれ今 回の調査で1例しか現れなかった語彙である。

(19) 이 점길 고고고고 보보 송거 우차대 사고사식이 합차지인 성성길 갖우 그이이따장, 그그이 얼마나 사실성 내따 송연성길 결드한 그인따, 또 얼마나 실차·실실·실증대 언신길 결드한 그인따 알 향 있있 된다.<[WRITTEN/HUMAN/BHXX0032]언언향 사사 - 발 통문문향 민민언신>

(この点を考慮してみると,過去の私たちの考え方は合理的な性質を持つものだったけ れども,それがどれほど事実性ないし科学性を欠いたものか,またどれほど実利・実 用・実証の精神を欠いたものか,分かるようになる。)

(20) 그그뉴 막사 제가 이이있 바바고 보보보 그있 참 언차집길 생생이더따언같. <[SPOKEN /TRANS/BK940019]남이대 위고드 94/12/12>

(ところが,いざ私がこのように変わってみますと,それが本当に愚かな考えだったの です。)

(21) 이제 이이있 아들길 얻고 보보 장만이 교차해 그저 눈물장 날 따아놓보다.<[문언 /3BB00D03]드성집여21>

(今こうやって息子を得てみますと,万感の思いが入り混じり,ただ涙だけが出るばか りです。)

(19)の‘고고고고 보보’はその行為の主体を特定しなくとも解釈に支障がない。また客観 的な表現である。(20)の‘바바고 보보보’と(21)の‘얻고 보보’はどちらも主体を話し手と 特定することができる。また主観的な表現である。このように頻度数の少ない語彙との結合例

(15)

においても今までの検討内容と同様に説明することが可能である。

ところで今回の調査で動詞以外の品詞の出現数は指定詞が7例,形容詞が1例,存在詞は2例 であった22)。辞書の記述によると形容詞や指定詞の後では‘-고 보보’であれ‘-고 보보’で あれ「原因・理由」を表すという23)。収集した用例で存在詞の用例もあわせて確認してみるこ とにする。

(22)(23)(24)は‘-고 보보’の用例で,それぞれ存在詞‘없다(無い)’,名詞+指定詞‘내 실이다(内容だ)’,同じく名詞+指定詞だが過去形の‘단소이소다(ソ連だった)’に結合した 例,(25)は‘-고 보보’が形容詞‘강고다(強い)’に結合した例である。

(22) 이이 가가집 결언이 최이 판결지 이언진다우 보장이 없고 보보 더더 그이다.<[문언 /3BA00E03]한옮한신문 사설(2000)>

(今回の仮処分決定が最終判決につながるという保障が無いため,いっそうそうであ る。)

(23) 이이있 향많길 연이들이 향천년대 생뺏속 걸걸 다다이아 내실이고 보보 그 연언향연 이 언하 언문일보 고우 그길 연대이나마 짐창짐 향 있길 그이다.<[WRITTEN/HUMAN/BH XX0032]언언향 사사 - 발통문문향 민민언신>

(このように多くの学者たちが数百年の期間にわたって扱ってきた内容なので,その研 究レベルはどの程度かということは,大体であっても見当がつくだろう。)

(24) 재국송 쌍쌍길 이다우 절반 연세대 보뉴가 되이따장, 보뉴지 드연고생 위해 절드않 갖갖애 짐 화제노이 없이아 단소이이고 보보 당연한 결송소다.<KBS 따라나,다다다다 차 20연생 한국사>

(米国と双璧をなす半分の世界のボスとなったが,ボスとしてふるまうために必ず備え なくてはならない経済力が無かったソ連だったので,当然の結果だった。)

(25) 그그 가가뉴 우차대 근연문 송언 또한 타타지인 성성이 강고고 보보 역사지않지 물 고받려언애 짐 연않 풍속문 맥길 잇따 못고고 있다.<[WRITTEN/HUMAN/BHXX0030]왜 사 사고 물않보>

(そんな中で私たちの近代化の過程もまた他律的な性格が強いため,歴史的に継承しな ければならなかった歳時風俗も引き継ぐことができずにいる。)

各用例に見るように,存在詞,指定詞,形容詞に結合するときは「原因・理由」を表すよう である。

ところでこれらの品詞との結合においてはなぜ「原因・理由」を表すのであろうか。学習者

(16)

にとってはやや奇妙に感じられる現象である。そこで再び辞書を引いたところ,「原因・理 由」に言及する辞書が多い中,부임임(1993:342)はその意味に触れず「形容詞の語尾‘-고’

の後に‘보보’と用いられ,‘ある事態や状態に直面して’のような意味を表す。叙述語‘名 詞+繋辞24)’のようになる構成もこれに含まれる」と説明していた。この説明の中の「直面」

をキーワードにして,例えば(22)を解釈し直してみると次のようになろうかと思われる。

(22’) 이이 가가집 결언이 최이 판결지 이언진다우 보장이 없고 보보 더더 그이다.<[문언 /3BA00E03]한옮한신문 사설(2000)>

(今回の仮処分決定が最終判決につながるという保障が無いところを見ると,いっそう そうである。)

つまり(22’)は‘-고 보보’を「ある事実に直面し,それを根拠にすると」と解釈し,「~

ところを見ると」と訳したものである。

(22’)では「いっそうそうである」と判断した「根拠」が「~という保障が無いところを見 る」ことであり,(22)では「~という保障が無い」ことが「原因・理由」となって「いっそう そうである」と判断したのである。このように,ことがらをとらえる視点の位置の違いにもと づいて「根拠」と「原因・理由」を説明し分けることにより,‘-고 보보’が「根拠」あるい は「原因・理由」をも表し得ることが認められるわけである。ただ,この検討をさらに続ける ためにはなお多くの用例が必要であるし,さらには動詞との結合例25)も視野に入れて総合的に 論じなければならないであろう。

おわりに

本稿では五十嵐孔一(2011)の‘-다 보보’と‘-다 보보보’に続いて‘-고 보보’と‘-고

보보보 を論じた。辞書の記述によると,前者の核心的意味は「継続」「過程」「結果」「発 見」「変化」「原因・結果」,後者は「結果」「発見」「変化」「原因・結果」であり,両者 は「継続」「過程」の有無によって区別されるようである。ところで用例収集の段階で‘-고 보보’の出現頻度が‘-고 보보보’よりも高いことが分かり,‘-고 보보’‘-고 보보보’と ともに‘-고 보보’を検討対象に含めることにした。また,それらの形式が結合する語彙には 一定の偏りがあることが分かった。その語彙の偏りが‘-고 보-’の特徴の1つだと思われる。

まとめると次の通り。日本語訳は本論にあげた例である。

①‘-고 보보’とより多く結合するもの

(17)

따따고 보보(よく考えれば),놓고 보보((~に)ついて見れば),두고 보보(後で見れば)

②‘-고 보보보’‘-고 보보’とより多く結合するもの 듣고 보보보/보보(聞いてみると,言われてみると)

③‘-고 보보’‘-고 보보보’‘-고 보보’と多く結合するもの

알고 보보(本当は),알고 보보보/보보(調べてみたら,分かったことには);

그그고 보보(そのように見れば),그그고 보보보/보보(そうしてみると,そういえば);

-아 놓고 보보(~してしまえば),-아 놓고 보보보/보보(~しておいたら)

これらの用例を通して‘-고 보보’と‘-고 보보보’‘-고 보보’を区別し得る点をあげる ならば,前者は客観的な表現,後者は主観的な表現に用いられる傾向がある。また,그그다と 結合した慣用的な句を除き,前者はその句の表す行為の主体を特定しなくとも解釈に支障がな いこと,後者はその行為の主体を特定して解釈することである。つまり,後者においては主体 が明白なのである。このときの‘-고 보보보’‘-고 보보’の主体は話し手であることが多く,

また主体はその句の表す行為を既に行ったことが含意される。出現頻度の少ない語彙との結合 例に対しても,このような検討結果にもとづいて説明し得ることを本論で確認した。また‘- 아 놓다’との結合については孫ミナ(2012)を参照してパーフェクトの観点から説明を試みた。

‘-고 보-’の高頻度の語彙を中心に検討を進めていき,各項の末に核心的意味を論ずるにい たったのは本論で見た通りである。‘-다 보-’との違いが「継続」「過程」の有無にあると しても,そもそも‘-다 보-’と‘-고 보-’とは性質の違う形式であるし,‘-고 보-’にそ れらの意味が無いことを実証するのは帰納的に検討を行う本稿では避けなくてはならないこと であろう。ところで本稿では‘-고 보-’の日本語訳をほとんど無反省に字義通り「~してみ る」としたが,これはまた‘-아 보-’にも通じるものであるから,‘-아 보보’‘-아 보보 보’との違いは何か,という次の疑問へとつながることになる。そうしてみると,この検討は もう少し続けるべきであろう。

1) その事情は‘-다 보보’と‘-다 보보보’とも似ている。ほとんどの辞書で‘-다 보보 보’よりも‘-다 보보’を扱い,また‘-다 보보’と‘-다 보보’を区別せずに述べて いる。五十嵐孔一(2011:35)参照。

2) 例えば油谷幸利他(共編)(1993:863)は「動詞の語幹+-고 보보[보보]の形で」,고고연 연교 민민문문연언언 국언사발편국실(편)(2009:2692)は「連結語尾‘-고’の後で‘보 보’,‘보보’の形で用いられ」,문향문他(편)(2010:641)は「用言や用言形の≪고(이

(18)

고)≫の後に≪보보,보보≫の形で用いられ」と説明している。

3) 五十嵐孔一(2011:37)参照。

4) 五十嵐孔一(2011:37-38)参照。

5) 比率は小数点以下二桁目を四捨五入する。ただし合計は100.0%とする。以下同じ。

6) ① 話 し 言 葉 1( ト ー ク シ ョ ー な ど ) の 資 料 に は문문문문문/국국국언연언언(2004) の SPOKEN(口語)のTRANS(純口語)から77作品と국국국언언(2007)の언언(口語)から112作品,

②話し言葉2(シナリオなど)の資料には문문문문문/국국국언연언언(2004)のSPOKEN(口 語)のQUASI(準口語)から22作品とKBSラジオのドラマシナリオ66作品,③書き言葉の資料 に は문문문문문/국국국언연언언(2004) の WRITTEN( 文 語 ) の HUMAN( 人 文 ) か ら 12 作 品 と 국국국언언(2007)の문언(文語)から13作品,合計302作品,2,815,291文節(100.0%)を得 た。なお資料は①935,633文節(33.2%),②940,688文節(33.4%),③938,970文節(33.4%) の通り,ほぼ同分量に三分した。

7) 今回の調査では形容詞と‘-고 보보’,存在詞と‘-고 보보보’の結合例が収集されな かった。Google한국で検索したところ,それらの結合例が現れたので,その結合が不可 能というわけではないようである。以下の例を参照。①は形容詞‘비비다(高い)’と‘- 고 보보’,②は存在詞‘있다(ある)’と‘-고 보보보’の結合例である。検索日は2012 年3月21日(水)。

①저이있 연비가 비비고 보보 놓연짐 향 있우 아이 문모대 세계길 언해정정차우 그 이고~<lightgrayblue.tistory.com>

(あのように学費が高いため入学できる子供の親の階層は決まってしまうものであり

~)

②저이속 아고갈파크 깨진 그문 있고 보보보 배송않속 아손되우 화우가 많길그 같 네같.<review.auction.co.kr>

(この前,青インクが壊れたこともあるから,輸送中に破損する場合が多いようです ね。)

8) 参考に‘-다 보-’の品詞別頻度を以下にあげておく。五十嵐孔一(2011:40)にもとづく と,‘-다 보보’‘-다 보보보’‘-다 보보’の合計749例(100.0%)中,動詞との結合は それぞれ246例(32.8%),262例(35.0%),135例(18.0%)で計634例(85.8%),他の品詞は三 形式合わせて集計すると,形容詞は31例(4.1%),存在詞は26例(3.5%),指定詞は49例 (6.5%)であった。

9) ‘-고 보-’が用いられやすい例を指摘する辞書もある。本稿の1章で触れたように이이

(19)

이・이이이(2010:78)は‘-고 보보’において‘따따고 보보,듣고 보보,그그거 보 보’をあげている。他に들사서他(편)(2004:342-343)が‘듣고 보보(보)’と‘알고 보 보(보)’をあげ,どちらも「後の内容に対する根拠を表すときに用いる」と説明してい る。

10) 指定詞‘-이다’と‘-고 보보’の結合例については2.3.4.で述べることにする。

11) 油谷幸利他(共編)(1993:408)参照。

12) 残りの1例は次の通り。(3)の‘두고 보보’とは違う用法である。‘대/길 두고 보보’ は(2)の‘대/길 놓고 보보’に似て,「~について見れば」の意。

꽃 이아장 두고 보보 죽길 장만 사친한다우 대재거모같.<KBS따라나,천생연집>

(花の名前にだけついて見れば死ぬほど愛しているという意味ですよ。) 13) [表5][表6]を参照。‘듣고 보보보’は10例,‘듣고 보보’は21例現れた。

14) ‘듣고 보보’の21例中,書き言葉は2例,話し言葉1は4例,話し言葉2は15例であった。

15) ‘冠形詞形語尾+그 같다’は‘듣고 보보보’の10例中に3例,‘듣고 보보’の21例中 に5例が現れた。‘-고 보보’においてはそもそも今回の調査で‘듣다’と結合した例が 収集されなかったので比較できないが,‘-고 보보’全体では‘그그고 보보’の用例に のみその形式が現れた(15例中3例)。その一例を次に示しておく。

그그고 보보 연 집대 역사가 언말 나그 되고 생별고신 그 같아같.<KBS따라나,바사 이 발고우 말>

(そう考えますと,3人の歴史が本当に古く,格別なようです。)

16) ‘-군같’と‘-네같’はともにあることがらについてはじめて気付いたとき用いられる 終結語尾で,感嘆の意味を表す。李姫子・李鍾禧/五十嵐孔一・申悠琳(共訳)(2010:89,

179)参照。これはまた‘-같’を付けずに‘-군’‘-네’(~するね,~だね)とも用いら れる。 なお‘ -군’は‘ -언나’の縮約形であ る。‘듣고 보보보’の 10例中には‘-

’‘

군같 -네같’が1例ずつ現れ,‘듣고 보보’の21例中には‘-군같’が3例,‘- ’네 が4例,‘-네같’も4例現れた。今回の調査では‘-고 보보’の100例中,後文に‘-언나,

-군,-군같’‘-네,-네같’の現れる用例は1例も収集されなかった。

17) ただし後文には主観的な表現が‘듣고 보보보’‘듣고 보보’ほど現れなかった。‘알 고 보보보’の19例中,‘冠形詞形語尾+그 같다’は0例,‘-언나(-군,-군같含む)’

も0例,‘-네’は1例現れ,‘알고 보보’の23例中では‘冠形詞形語尾+그 같다’が0 例,‘-언나’が1例,‘-네’も1例現れたにすぎない。この現象については‘알다’の 語彙的特徴もあわせて検討すべきだが,本稿では以上のように報告するにとどめておく

(20)

ことにする。

18) ‘冠形詞形語尾+그 같다’は‘그그고 보보보’の9例中に1例,‘그그고 보보’の38例 中に7例が現れた。

19) 本稿の[表4][表5][表6]参照。用例の一部を以下に示しておく。①は‘고고 보보보’,

②は‘고고 보보’の用例である。

①그그저그 남들 다 고우 결결, 막사 고고 보보보 가장이따우 이차우 너마 마무고

… 창조생생 뉴스한뉴문 장장만 않고… 인뺏문세우 더 말 짐 그문 없고… 아들아정 따문 그그그결아같.<KBS따라나,아정따대 생억>

(あれやこれやで他の人々もする結婚,実際にしてみると,家長という場所はとても重 くて…組織生活のストレスも少なくないし…人間関係はいっそう言うまでもないし…

息子の父もそうだったじゃないですか。)

②연생가한 한따들길 점점언 주우 드한길 고고 보보 이제 문차 없이 프프만가 되이 언나 고우 생생속 이포이생결고 솔조고 가한길 그장 둘 생생문 결다.<[SPOKEN/QUAS I/BA90E113]한옮한신문 90년 인다인 생사>

(学生運動の同志たちに目をつけてやる行動をしてみると,もう理屈なしに偽装活動家 になったなという思いに自暴自棄になり,正直に言うと運動をやめるつもりでもあっ た。)

20) ‘-아 놓다’の意味について李姫子・李鍾禧/五十嵐孔一・申悠琳(共訳)(2010:523)は

「ある動作や過程が完了し,その結果がそのまま残っていることを表わす」と説明してい る。

21) 孫ミナ(2012:13)によれば非限界動詞とは「動詞が表わす動作をする間にその動作を中断 しても,その動作をしたと言える」ような動詞である。繰り返せば,非限界動詞は「そ の動作を最後まで終わらせ動作が完了したか否かの判断がつかない。つまり,動作の限 界達成性が含意されない動詞」のことである。また孫ミナ(2012:15)によれば限界動詞と はすなわちこれに対する動詞で,「限界達成性を持つ」動詞のことである。

22) 本稿の[表3]参照。また今回収集されなかった形容詞と‘-고 보보’,存在詞と‘-고 보보보’のGoogle한국による検索例は注7)参照。

23) 本稿1章の辞書の記述を参照。

24) 指定詞‘-이다’のこと。

25) 動詞と結合した‘-고 보보’が「原因・理由」を表すこともあり得る。菅野裕臣他(共 編)(1988/1991:412)の例文「사사이 셋이나 죽고 보보 무문 날 장고만따.(人が3人も死

(21)

んでいるのだから,おじけづこうというものだ。)」を参照。下線は引用者。なお参考に,

(22’)の解釈にもとづけば,この例文の日本語訳は「人が3人も死んでいるところを見れば,

おじけづこうというものだ」となろう。

参考文献

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大阪外国語大学朝鮮語研究室(編) 1986 『朝鮮語大辞典』,東京,角川書店.

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参考資料

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Google한국ホームページ,www.google.co.kr KBSホームページ,www.kbs.co.kr

本稿で引用した用例の出典は次の通りである。[SPOKEN/…][WRITTEN/…]は문문문문문/국국국언연언언(2004)で の分類,[언언/…][문언/…]は국국국언언(2007)での分類である。なお,HBS,MBC,SBSは韓国の放送社名 である。

(22)

문문문문문/국국국언연언언(2004)から

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나지오 2009 “비비”,KBS따라나

장조아 2009 “바사이 발고우 말”,KBS따라나 언화진 2009 “천생연집”,KBS따라나 주재고 2009 “아정따대 생억,KBS따라나 최일걸 2009 “꽃대 발전”,KBS따라나

한유그 2003 “나오 다다다다차 제4문”,KBS따라나

(23)

현연 한국언대 ‘-고 보보’송 ‘-고 보보보’속 연고드

이아따않 고이만

기고속들우 이아따않(五十嵐孔一)(2011)속들 논대한 ‘-다 보보’송 ‘-다 보보보’속 이언 ‘- 고 보보’송 ‘-고 보보보’속 연고드 고고고소다. 그 주된 핵결 대재대 사발 생기속 따따 같 요고보 발이우 ‘세속’‘송언’‘결송’‘언발’‘연문’‘언인·이유’이이, 이이우 ‘결송’‘언발’‘연문’‘언인·

이유’지 발이향 이이우 ‘세속’송 ‘송언’대 대재가 있우사 없우사속 따따 언별이 된다.

실용대 향집한 결송 ‘-고 보보’가 ‘-고 보보보’보다 높길 임문지 나타나다. 이대 바바않지

‘-고 보보’‘ -고 보보보’향 더불언 ‘-고 보보’문 검검 연사속 포포고소다. 이 문식들길 언하 특언 언어향 이주 결합고우 화향이 있우뉴 언차해 보보 다마송 같다.

① ‘-고 보보’송 결합 임문가 높길 그: “따따고 보보, 놓고 보보, 두고 보보”.

② ‘-고 보보보’‘ -고 보보’향 결합 임문가 높길 그: “듣고 보보보/보보”.

③ ‘-고 보보’‘ -고 보보보’‘ -고 보보’향 결합 임문가 높길 그: “알고 보보, 알고 보 보보/보보; 그그고 보보, 그그고 보보보/보보; -아 놓고 보보, -아 놓고 보보보/보 보”.

이그한 언어향대 결합이 ‘-고 보-’대 한 특특않지 볼 향 있다.

‘-고 보보’송 ‘-고 보보보’‘ -고 보보’대 차이점길 발이우 객문지인 표현속 주지 쓰드따고 이이우 주문지인 표현속 쓰드진다우 점이다. 그차고 (‘그그다’향 결합한 문실지인 언대 제 외고고) 발이우 그 언대 주전대 특별고 언고따 않아문 이해고고 사실짐 향 있따장 이이우 주전가 천천고다우 차이가 있다. 이 화우 ‘-고 보보보’‘ -고 보보’대 주전우 문이인 화우가 많다. 또한 드생들 주전우 언대 드위가 이재 실드되이마길 포구고고 있다. 또한 과현임문 가 높길 실용대 검검 결송대 가따고 과현임문가 낮길 언어향 결합한 실용속 연해들문 똑같 이 설천짐 향 있다우 그길 기본속들 확인고소다. ‘-아 놓다’향대 결합속 연해들우 손재나 (2012)대 참창고보들 퍼퍼스(perfect)대 문점속들 설천고소다.

参照

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