中国朝鮮族の民族教育について −1910〜1920 年代を中心として− [ PDF
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(2) 鮮族は二つに分類される。一つは韓国内で日本の「大討伐. 教育の展開に大きな障害要因になったりもしたのである。. 作戦」で抗日闘争が難しくなり、満州地域に移動した復権. 日本の朝鮮族教育に対する干渉と統制は1907年8月統監. 主義系列の義兵階層で、もう一つは開化思想を背景に愛国. 府間島臨時派出所が設置されると同時に始まった。日本は. 啓蒙運動に従事した新民会共和主義系列の知識人階層であ. 派出所を設置して延辺朝鮮族の保護という美名下で朝鮮族. った。しかし、義兵系統の儒林派たちが主張する独立運動. を彼らの影響力の下にしようと朝鮮族に対する懐柔策とと. 基地構想は儒教思想に頼った士を中心とした民衆組織であ. もに朝鮮族の民族教育に対抗するための植民地主義教育政. ると同時に儒教組織を背景にしたので、当時の時代的状況. 策を推進していった。当時、延辺地方で日本が朝鮮族民族. で大きな限界性があったばかりではなく、移住朝鮮族たち. 教育に対抗して植民地教育を扶植・推進した方法は朝鮮族. の共感と支持を得られず、民族教育運動に繋げることがで. 設立の書堂および私立学校に対する買収と懐柔、親日教育. きなかった。これとは違って近代化を志向しようとした開. 団体の設立、親日団体の朝鮮人民会を通じての以韓制韓政. 化思想と実力養成を通じて国権を回復しようとする愛国啓. 策と民族分裂策、民族主義私立学校に対する強制閉鎖及び. 蒙運動系列の共和主義思想は時代の潮流に沿いながら延辺. 焼却などであった。このような植民地主義教育とともに日. 地方の多くの移住朝鮮族を覚醒させることができ、反日独. 本は朝鮮族の民族意識を抹殺し、朝鮮族の日本人化のため. 立運動を推進するに比較的に成果をあげることができたの. の同化教育も画策した。しかし、民族主義気勢が強かった. である。したがって、延辺地方での民族教育は主に独立運. 延辺地方では以上のような植民地主義教育と同化教育が根. 動基地を建設するために亡命した愛国運動共和主義系列の. を下ろすことができず、成果をあげることができなかった。. 民族指導者たちが各種教育機関と反日団体を設立して独立. 一方、延辺地方移住朝鮮族は日本に負けないくらい中国. 運動を推進していく過程で生じたと見ることができる。. 側から多少の干渉と迫害を受けてきた。早く清は延辺地方 の移住朝鮮族村落を対象に土地税・戸税・牛税などの各種. 3 日本と中国の干渉および弾圧. 税金と薙髪易服などの同化政策で帰化を強要し、これに応. このような基盤の下で延辺地方民族教育は、時代的・空. じない場合は移住民の土地と財産所有権を剥奪し、辺境外. 間的状況と中・日両国間の利害関係が対立する状況で多少. に追い出す場合まであった。中国側の朝鮮族教育活動に対. の干渉と弾圧などを受けながら展開された。特に、1910 年. する関心と干渉は日本と間島侵略とともに始まった。日本. 日本が朝鮮を併合して以降、中・日間の緊張状態が持続し. が 1907 年 8 月、統監府臨時間島派出所を設置して、続いて. ながら、延辺地方に居住する朝鮮族はこれら国家の政治・. 1908年間島普通学校を設立して移住朝鮮族に対する親日教. 経済的目的などの利害関係の中で相当な試練を受けなけれ. 育を実施しようとすると中国政府もこれに対抗してこの時. ばならなかった。つまり、日本は朝鮮族を利用して、中国. から朝鮮族を自国の教育機関に受容しようとする動きが現. 側の農地を占有しようとする経済的政策を画策する一方、. れたのである。その方法として中国は延辺各地域に官立学. 教育政策としては移住朝鮮族に対する懐柔と親日化で植民. 校(県立学校)を慌てて設立して、朝鮮族子供たちを入学. 地教育を扶植しようとする計画を推進した。そして、中国. させて中国の教育制度に合わせて教育させる一方朝鮮族が. はこのような日本の朝鮮族干渉を払拭しようとする同化政. 設立した私立学校を中国学校に改編することを強要しなが. 策を展開しながら朝鮮族に同情したりもする一方、日本の. ら同化政策を推進しようとした。そんな中、日本の延辺侵. 大陸侵略の走狗と見て、経済的な排斥・弾圧を加えたりも. 略が露骨化されていくと、中国政府は朝鮮族社会に対する. した。また、中国と日本は自国の利害関係によって、延辺. 日本の勢力浸透を排斥して朝鮮族教育機関を自国の勢力圏. をはじめとする満州での朝鮮族の活動を干渉・弾圧する目. に入れるための 「劃一墾民教育弁法」 を 1915 年 6 月に制定・. 的で、両国間各種条約を締結した。これらの条約は延辺朝. 公布した。この時期から中国は朝鮮族を自国の統制下に置. 鮮族の民族教育運動に影響を及ぼしたばかりでなく、民族. くための方案を計画して移住朝鮮族教育のための経費補助. 2.
(3) などの方法で朝鮮族を懐柔する同化政策を強力に推進する. 年程度の短期速成課程であった。これら教育機関の維持経. 一方、強硬な姿勢で朝鮮族学校を中国式学校に改編し、朝. 費、つまり財政の調達を見れば、私立学校は学校毎に相違. 鮮族子供を中国学校に入学させることを強制したのはもち. ではあるが、大体に①学生たちの月謝金、②個人、地方有. ろん、朝鮮族学校に中国人教師を採用するように支持する. 志及び親たちの寄付金、③宗教団体の補助金、④学校財産. など干渉と弾圧を強行した。特に、1925 年日本の強要で「三. の収入によるものであった。当時、延辺地方の私立学校を. 矢協定」を締結した以降からは中国官憲の延辺朝鮮族に対. はじめとする民族教育機関では漸次封建的書堂教育から脱. する教育的弾圧は一層強化されるようになった。彼らは朝. 出して近代学問を採択して、授業中には徹底した民族意識. 鮮族が設立した民族教育機関を日本の走狗と見て弾圧した. および愛国精神などの鼓吹を通じて民族的誇りと自負心を. り、朝鮮族書堂および私立学校を不逞鮮人の集合場と注目. 涵養することはもちろん反日民族主義教育を実施して独立. して取捨したり、各種法規・訓令を発して朝鮮族教育機関. 運動に必要な人材養成に大きな役割を果たした。当時、民. を強制に撤廃するなど中国側の朝鮮族教育に対する迫害は. 族教育機関が教育課程を通じて志向しようとした教育目標. 1931 年の「満州事変」が起きるまで続いた。しかし、中国. を見れば大きく二つに区分することができる。一つは、旧. は朝鮮族を非圧迫民族として同情しながら懐柔するための. 教育の経典中心の教育内容から脱皮して新学問・新文化を. 同化政策も推進し、彼らの朝鮮族に対する教育的干渉は排. 受容した近代指向的側面の目標で、もう一つは日本の侵略. 斥および弾圧政策とともに懐柔および同化政策を採る両面. に抵抗して民族の自主独立精神と排日意識などを鼓吹する. 政策で施行された。. ための民族主義指向てき側面である。従って、当時反日的 性格の民族教育機関で採用された教材は学校毎に差はある. 4 朝鮮族教育機関の設立、教育理念、内容. ものの、近代的新学問とともに自主独立のための民族精神. このような日本と中国の二重的支配の干渉および弾圧、. および愛国心を鼓吹できる教育内容が共通に含まれていた。. そして延辺の劣悪な経済的与件の下でも移住朝鮮族たちは. 3・13運動以降には日本の弾圧が本格化されたばかり. 民族教育機関を設立して民族教育を展開していった。朝鮮. ではなく中国の日本の二重的干渉および弾圧で朝鮮族の民. 族社会の経済的・人的応援と支持を受けながら成長した民. 族教育は弱化されていく状況だった。そんな中でも排日お. 族教育機関は朝鮮内の開化思想と繋がった愛国啓蒙運動と. よび抗日性格が強かった私立学校は宗教系学校で、特にキ. その運動の一環として展開された教育救国運動そして中国. リスト系の教勢は延辺地方朝鮮族社会に根を下ろして、拡. 内での変法論および洋務運動と繋がった新学運動の影響の. 大され、この系統の民族教育機関が民族教育および抗日独. 下で設立されたものである。延辺各地に設立された民族教. 立運動に及んだ影響は大きかった。また延辺民族教育で注. 育機関は延辺地方の中でも延吉県と和龍県に集中して設立. 目されるのは女学校設立を通じての女性教育を図った点で. されたが、それは地理的条件とこの地域には既に多くの朝. ある。. 鮮族が住んでいたからである。当時、設立された私立学校 の初期学制は大体小学科(初等学校レベル)と高等科(中・. 5 教科教育を通じての民族教育実践. 高等学校レベル)に区分はしているが、統一された学制は. 最後に延辺民族教育の実践様相を教育科目を中心に検討. なく大概が初等教育、つまり5∼6年の小学段階レベルの. した。延辺地域に設立された朝鮮族民族教育機関の教科内. 教育を中心にしたものである。1910 年以降漸次小学校に中. 容は設立系統または経営主体によって各学校毎に若干の差. 学部を設置したり校名を中学校に改称した学校が現れはじ. はあったが、近代的新学問の教科目を採択するとともに抗. めてから2∼3年の学制で運営される中学校が多かった。. 日民族精神と愛国心を鼓吹できる教科などを採択して教育. そして軍事教育を担当した武官学校(軍事学校)の学制は. を行ったのは、大部分の学校に共通したことである。つま. 一定の年限はなかったが、大体の場合6ヶ月、あるいは1. り、一方では近代的学問と科学的知識を学び欧米の先進物. 3.
(4) 質文明を受容して近代化を図り、もう一方では民族的自主. おわりに. 独立という究極的目標を達成しようとしたのである。. 以上考察したように延辺地方での朝鮮族は中国という特. 教育科目を通じた民族教育では近代指向的側面での実業. 定した地域的環境で、移住民としての排他性と経済的窮乏、. 一つ教育科目と民族主義指向面の理念に焦点を置いた 7 つ. 日本と中国両国の朝鮮族に対する教育権を囲んだ葛藤、そ. 教育科目、つまり歴史・国語・修身および倫理・音楽・体. して両国の二重的干渉などを克服して民族教育を展開して. 育・軍事・宗教教育科目を考察した。これら教育科目はそ. いったのである。しかし、階級的局限性で当時民族教育の. の内容の性格によって実業教育を通じた飢餓脱解と経済自. 原動力になる朝鮮族基層勢力を充分に吸収できなかったな. 立(実業教育科目) 、国権回復と民族の自主独立(歴史、国. どの限界性も現れている。. 語、修身・倫理、音楽の教育科目) 、武力養成と独立軍養成. 本稿は延辺地方朝鮮族の民族教育を 1910∼1920 年代を. (体育、軍事の教育科目) 、宗教教育を通じての民族教育(宗. 中心として考察した。しかし、資料と時間の限界上民族教. 教教育科目)など四つの領域に区分して民族教育の様相を. 育を主導した人物についてはほとんど扱うことができなか. 考察した。1、実習農場設置を通じての農事教育実習と勤. った。従って、これらの問題は今後イデオロギー的制約に. 労意識および職業観の涵養、そして副業の拡張などである。. 制限されず研究すべき課題でもある。ともに延辺地方朝鮮. その理由は当時延辺の移住朝鮮族たちは大部分が貧農で彼. 族の民族教育だけではなく、ほかの地域の朝鮮族民族教育. らがもっとも早急に解決すべき課題は飢餓脱出と経済的自. についても考察してみるべきだと思われる。. 立を達成することだったからである。2、国権回復という 民族の自主独立を中心理念として、これを具現するに中枢 的役割を担った代表的教科は民族主体性確立の必要性と対 日従属関係が不当だという時代状況に対する認識、そして 自主独立という民族的課題を強く表出した教科で、その教 科書は主に朝鮮内で私立学校設立運動の推進勢力だった民 族先駆者によって編纂・普及されたのである。3、武力養 成と独立軍養成に重点を置いた教科は体育および軍事科目 だった。国権喪失と亡国という当時の時代的状況で、国権 回復と独立戦争を行うためには強健な身体の鍛錬と文武両 道の愛国人材および独立軍の養成が至急に達成すべき民族 的目標だったからである。このような時代的潮流に合わせ て、延辺の民族教育機関では体育時間または軍事学校の武 官教育および軍事訓練を通じて民族教育を実践したのであ る。4、各種宗教系私立学校での宗教教科を通じての民族 教育が挙げられる。当時延辺には侍天教・済愚教・水雲教・ 太乙教などの親日的宗教もあったが、キリスト教・天主教 などの外来宗教と天道教・元宗教などの民族宗教系統人士 たちは抗日的で、民族主義的性向を持った宗教系学校を設 立して排日教育と反日啓蒙運動に多くの影響を及ぼした。. 4.
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