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地域振興 のための簿記 の役割

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(1)

129

戸 田 龍 介

地域振興 のための簿記 の役割 ( 3)

一従来の農業簿記の批判的検討 を中心 に一

<研究ノー ト>

1.はじめに

2.従来の農業簿記の問題 ‑教育および実務の面より‑

3.従来の農業簿記の問題 一教授理論の面より‑

4.従来の農業簿記の問題 ‑ 「規則的記録」の重要性の看過‑

5.「規則的記録」 と 「複式簿記」の異同 6.おわりに

1.は じめに

2 0 1 0

1 0

月に,菅直人前首相が環太平洋経済連携協定

( ′ Ⅰ TP)

へ の参加 を検討す る と表 明 し てか ら,にわかに 日本の農業について議論が沸 き起 こった感があった。それ まで も, 日本の農業 の競争力 向上 については各所で議論が行 われて きたに もかかわ らず,全 国民的な議論 とはなって こなかった。 しか しなが ら,例外 な き関税撤廃が原則 である

TP P

へ の参加 の是非 を検討す るに あたって,特 に米の ように高関税 によ り国内米作農家 を保護 しているような分野 を巡って激 しい 論争が沸 き起 こったのである。 ところが

,2 0 1

1年

3

月 に生 じた東 日本大震災やその後 の原発事 故の対応 のため

,TP P

交渉参加 に向けた議論 ・準備 は事実上 ス トップ して しまった

。′ Ⅰ ?P

交渉 参加 の結論 をまとめる時期 について も,菅直人前首相 は予定の

2 0 1

1年

6

月か らの先送 りを表明

している (日本経済新聞

2 0 1 1 . 4 . 5 . 5

面)。

当研 究 ノー トをは じめ とす る一連 の研 究 は

,′ Ⅰ で

p‑ の参加 の是 非 を直接 問 う もので は ない が

,TP P

についての議論の中で露 になった,米 を中心 とす る 日本 の農業 の非効率性 には大 き く 注 目す るものである。 なぜ農業 に注 目す るのか とい うと,農業 を中心 とした第

1

次産業 と当該農 産物の加工 ・販売 を行 う第

2

次 ・第

3

次産業が連携 した 「第

6

次産業」 こそが,疲弊 した地域経 済 を復活 させ る切 り札 とな り得 るか らである。地域振興のためには,各地域 に適 した農林漁業 を 中心 とした上記第

6

次産業が,産業 として興 る必要がある。そ してそのためには, まず川上 に位 置す る第 1次産業が産業化 されている必要がある。 しか しなが ら現状 では,特 に 日本の農業 につ いては世界の競争力のある農業 に比 して,小規模化 ・非効率化が著 しく,産業化が遅れていると 言わざるを得 ない。

ただ し, 日本 の農業 を効率的に運営 しようとい う試みが無 か ったわけで は決 して ない。過去

(2)

1 30

商 経 論 叢 47巻第1 (2011.9)

営 々として,例 えば 「営農指導」 とい う名の もと,農業の効率化 は試み られて きた。営農指導の 中には,複式簿記 に基づ く簿記会計

(

「農業簿記」)指導 も含 まれていた。 さらに,各地の農協 あ るいは営農指導員1)による複式簿記 に基づ く農業簿記指導や,農業高校 お よび農業大学校 におけ る簿記教育 も行 われて きた。 また理論 において も,大槻正男氏 の発案 に よる京大式農家経済簿 記2)等の注 目に値す る研究 もあった。 しか しそれで もなお, これ らの例 に もかかわ らず,農業簿 記 は農業の効率的経営 に役立って きた と言い切 ることは難 しい と思われる。 もし,農業簿記が農 業 の効率化 に役立 っていたのな ら

,TPP

の議論 において明 らか になった ような 日本 の農業 の非 効率性 はかな り改善 されていたはずである

なぜ,従来の農業簿記 は,その研究の蓄積 と農家‑ の指導体制 に もかかわ らず,農業の効率的 経営 に寄与す ることが難 しか ったのであろ うか。 この問い に対す る答 えを探 す こ とが,当研 究 ノー トの研究 目的である

2 .

従 来 の 農 業 簿 記 の 問 題 一教育および実務の面よ り一

農業簿記 は,先 にあげた ように, これ まで各地の農協 あるいは営農指導員 による指導や,農業 高校お よび農業大学校 における教育 として実践 されて きた。 ここでは,主 に農業高校 における農 業簿記教育 について,その使用教科書 を参考 に考察 を行 う。考察 にあたっては,成川正晃氏 (高 崎商科大学短期大学部)が

2 01

1年

6

2 4日に明治大学 アカデ ミー コモ ン 309 D教室で行 った,

簿記実務研究部会の研究会 における報告 を中心 としている

成川氏 によると,現在,農業高校 で使用 されている教科書 の うち主 に簿記 を扱 っているものは

2

つ あ り

,1

つ は 『農業会計』 (工藤 ・新 井著

19 9 4

年〜)で あ り, もう1つ は 『農業 経 営』 (七 戸 ・工藤著

2 00 4

年〜) とい うことであ る。両著 とも,勘定科 目において農業特有 の勘定科 目が 散見 されるという。特 に後著 においては

,

「末販売農産物」 とい う,収穫基準 を適用す る際の特 殊 な棚卸資産勘定や

,

「育成家畜」 とい う,建設仮勘定の ような特殊 な資産勘定が使用 されてい ることが報告 さゴ1た。ただ し成川氏 によると,前著 は第

2

章 において 「複式農業簿記」 として簿 記一巡の手続 きが説明 されてお り,「基本 的に簿記の説 明 としては商業簿記 において説 明 されて いるところと何 ら変わ りはない」 (成川

[ 2 011 ]2

頁)。 また,後著 も,例題 の設定が商店 ではな く農業 となっているが,勘定科 目が商業簿記 と異 なるとい うだけで,簿記の説明 としては商業簿 記 と同様 であることが指摘 されてい る。以上の ような特徴 に鑑 み,成川氏 は

,

「現在 の農業簿記 とは,複 式簿記 で あ り,い わ ゆ る商業 簿記 に よる説 明 と大 き く変 わ る ところ は ない」 (成 川

[ 2011 ]3

頁) と結論づ けている

ここで

,

『農業会計』の内容 に少 し立 ち入 ってみたい。 同書 「まえが さ」 は,次の ような文章 で始 まっている。「会計 にはい くつかの方法があるが,現在 で は複式簿記 による方法が もっ とも す ぐれた もの とされている。 したが って農業経営 は,商業 ・工業の会計 とも共通す る複式簿記の 基本原理 を理解 し,記帳の実際 を身につ けることか らは じまる」 (工藤 ・新井

[ 2 011 ]

i頁)。 ま

(3)

地域振興のための簿記の役割 (3) 131 た,第

2

章 「複式農業簿記」 は,次の ように

1

1項か ら構成 されている (工藤 ・新井

[ 2011 ]1 0

9 6

)0 1

簿記 の基本,2勘定科 目と元帳,3取引,4仕訳 と転記,5伝 票 に よる仕訳,6資産 の 記帳,7減価償却の記帳,8負債 ・資本 の記帳,9収益 ・費用 の記帳,1

0

試算表,11決算。むろ んこの中には,農業 に独特の勘定や考 え方 も含 まれている しか しなが ら

,

「まえが き」 の文章 お よび 「複式農業簿記」の項 目か らも,複式簿記 に基づ く商業簿記がその教授 の基本 に据 え られ ていることが明 らかである

ま た,農 業 高 校 で は な い が,三 重 県 農 業 技 術 情 報 シ ス テ ム

( Mi eAgr ic ul t ur a lTe c hno ‑ I nf om a t i o nS ys t e m;MATe)

の農業簿記講座 メニューを見 て も,商業簿記の適用 は強 く感 じられ

る。農業簿記講座 メニューは全

1 6

回であ り

,HPに掲載 されてい る講座 メニ ュー は以下 の通 り

で あ る。第

1

1

.農 業 簿記 講 座 をは じめ ます

2.簿 記 の種 類 3.簿 記 の 必 要 性

2

回 1.一定のルールに従 って帳簿 に記録す る

2 .

農業経営の財政状態 を明 らかにす ること 貸借対 照表

3.農業経営の経営成績 を明 らかにす ること 損益計算書 4.簿記一巡の流れ

3

回簿 記記帳の開始 第

4

回勘定科 目の設定 第

5

回 1.簿記上 の取引 とは

2.取 引の種類

6

回 1.仕訳

1

左右 に分ける 第

7

回 1.仕訳

2「

現金

預金」が増 えた ら左 ,減 った ら右

2.演習

問題 第8回 1.第7回までを振 り返って 簿記一巡の流れ 第9回試算表 ミスチ ェ ック機能 第

1 0

回決算

1

棚卸資産の整理 第

1

1回決算

2

固定資産の減価償却 第

12

回決算

3

固定 資産 育成高の整理 第

1

3回決算

4

家事 関連経費の整理,生産物家計仕 向の計上,未収金 ・未払金 (売掛金 ・買掛金)の整理 第

1 4

回精算表の作成 第

1 5

回 1.貸借対照表

2.損益計算書

16

回 まとめ習 うよ り慣 れる。農業 に固有 の処理 も,第

1 2

回お よび第

1

3回において見 られ る も のの,やは り商業簿記の教授内容 と基本的に同一であると見て良いのではなかろうか。

これまでの例か ら指摘可能なことは,農業簿記の教授 に際 して,複式簿記 に基づ く商業簿記が 単純適用 されているきらいがあることである。その理由については,農業簿記の最終 目標が青色 申告書の作成 となっているのではないか とい う点 と,他の 目的 として商業簿記検定の合格 とそれ による大学進学‑の道の確保, とい う点があるのではないか と推測 されるのである。大学進学 に ついての農業高校 の苦難の歴史について,京都府立桂高校教諭の片 山‑平氏 は次のように述べて い る

「農業高校‑行 った ら大学‑ は行 けない。農家 の跡継 ぎであ って も大学‑ は行 きたいの で,普通科へ進 む。そ うい う流 れが 70年代 にはで き上が った。その後 も大学 ・短大 ・専 門学校 への進学率 は上昇 を続 け,今や大学進学率 は

5 0%

超。専 門学校 ・短大 を含めると80%近い高校 生が進学す る。進学 に不利 とい うイメージが定着 した農業高校が苦戦す るの も当然 だ」 (日本経 済新 聞

2 011. 4. 25. 23

両 「教育」)3)。農業高校 は,大学進学 について不利 な立場 に置かれていた に もかかわ らず,農業高校の在学生の進学意欲 に応 えようとした。当然,授業の内容 も,農業の 学習の中に,大学進学 について有利 となるような ものが組み込 まれて くる。 ここに,農業 に固有 の農業簿記ではな く,簿記検定合格 に有利 となる商業簿記へ の依拠が強 くなる傾 向が見 て取 れ る。そ して,すべての簿記検定は複式簿記 を大前提 に組 まれているのであるか ら,簿記検定合格

(4)

1 3 2

商 経 論 叢

4 7

巻第

1

(201

1 . 9 )

を視野 に入 れた農業高校 における農業簿記教育 も,当然 の ことなが ら複式簿記 を大前提 に して行 われることになった と推測 され る

しか しなが ら,商業簿記 と農業簿記 を同一視すべ きでない ことについては,次章で詳述す る近 代農学 の始祖 と称 され るアルブ レヒ ト ・テ‑ア も次 の ように言 ってい る

。1 8

世紀末 の ドイ ツに おける農業簿記 の記帳形式 には

,

「‑欠点や 問題点,あい まい さを残 す もの となってい る。 これ は当た りまえ とい うべ きで,商業簿記が今 日の完成度 にいたるため に費や した努力 と洞察力 をど れ ぐらい農業 に投入 して きたのか疑 わ し く, また,商業簿記 で さえなおかつ意見が割れている現 状があるか らである。商業簿記 にさえ見 られない完壁 さを,農業簿記 に求め るのは至難の技 であ る」 (邦訳

2 3 5

, 「§ 2 3 3 .

記帳形式の多様 さ

」 )

。 さらに次の ように言 っている

「その うえ,農 業 に も精通 し同時 に学 問的で もある人物 に,機会 を与 えてで きるか ぎ り合理的で完壁 な簿記 の考 案 に到達 させ るべ く,簿記の研 究 に向かわせ ることは無理であ る。時 には,その時間 と労力 を簿

度の合理的農業経営 についての全般的な知識 を有 しないか, または必ず しも実践 的にそれ を実行 した者 ではなか った。特 に農業実践 の有無の点では,その方法 を実際 に種 々の複雑 な経営 に適用 してみ ることが必要 と思 われる。 なぜ な ら実際 にや ってみ る と,理論 では考 え られない ような問 題点が次 々に生 じて くるか らである」 (同)。

以上 の ように,教育の面では,複式簿記 に基づ く商業簿記が,農業簿記 に単純適用 されて きた 問題があった。 この問題 は,農業経営 に真 に役立つ農業簿記 とは何 か とい う視 点ではな く,大学 進学 に少 しで も有利 となるように とい う別 な視点か ら農業簿記が見 られることが多か った ことに 起 因 している。つ ま り,農業経営 の効率化 とい う目的 とは異 なる 目的 によ り複式簿記が単純適用 されたわけだが, これは教育 の面 だけに とどま らず,実務 において も同様 であった。農業会計研 究会 の

2

代会長である桧 田藤 四郎氏 は,次 の ように述べ てい る

「戦後簿記 の普及率 は急速 に高 まったが,最大 の要 因は課税対策,す なわち青色 申告 の普及 であ る。 ここにおいて税務会計が優 先 され,経営会計の立場が弱 く,記帳結果が経営管理 に活か されない とい う問題 を生 じてい る」

(松 田

[ 2 0 0 0 ]9

頁)。つ ま り,実務 において も複式簿記 は導入 されたわけだが,その理 由は,多 くの論者が指摘す るように,青色 申告 に よる税控 除 目的であった。勢 い,経営会計 と税務会計 の 矛盾が顕在化 して しまうことになる。 これ について,新井

[ 2 0 0 0 ]

は具体 的に次 の ように述べ て いる

「農業簿記 の多 くが税務会計 を優 先 してい るため,経営判 断のための会計 とい う点か らみ ると,多 くの修正が必要 になる。例 えば,乳牛の処分益 は一定規模 以下 の経営 では譲渡所得 とさ れるため簿記上 の収益 に算入 されないが, これは酪農経営 の常識 に反 している。 また税法では, 固定資産 は取得価額

1 0

万 円未満 (以前 は

2 0

万 円未満) の場合,償却 資産 に計上す る必要が ない ため,一部の繁殖豚 は資産勘定 にも, またその償却費が損益計算書 に も記載 されず, この まま分 析 すれば経営の実態 を反映 しな くなる等 である」 (新井

[ 2 0 0 0 ]2 0 4

頁)。

上記の ように, 日本 においては,農業会計実務が税制 と強 く結 び付 いて きたわけだが,結 び付

(5)

地域振興のための簿記の役割 (3) 133 きの強 さは, 日本 だけで な く, ドイツ も同様 の ようであ る

「ドイツにお け る農業簿記 の普及 は,所得税法の展 開 と密接 に結 びついている。す なわち

,1 9 2 5

年 の所得税 法 か ら,農業簿記 の 記帳結果が農業所得 の算定 に用 い られ ることにな り,そ して

,1 9 3 2

年 の租税基本法 に よって初 めて一定の農業者 に対 して農業簿記記帳の義務が導入 された。その後, しだいに記帳義務 の条件 を満 たす経営が増加す るにつれ,農業簿記 の普及 は拡大 していった」 (四方

[ 1 9 9 6 ]6 4

頁)。 さ らに,四方

[ 1 9 9 6

] によると

,1 9 8 0

年 の所得税法改正 に よ り,農業者 は,正規 の簿記 に よる記 帳が義務づけ られる農業者,利益 の算定 に収支余剰計算 を行 う農業者,それ以外 の記帳 を必要 と しない農業者 に分 け られることになった ようである (同)。 ドイツにおける農業簿記 について, 特 にその記帳義務 と利益 の計算方法 について

,2 0 0 0

年 当時の状況 を四方

[ 2 0 0 0

]の記述 に よ り 見てい くことに したい。

「現在 の租税基本法 の第

1 4 1

条 による と,農林業者 は,次の限界 を

1

つで も超 える と簿記 の記 帳義務が生 じる

a.

売上高

5 0

万マルク (暦年)

b.

自分で経営 している農林業用地の経済価値

4

万マルク

C .

農林業か らの利益

4

8 , 0 0 0

マルク (暦年)

この簿記記 帳義務者 は,所 得税 法 第

4

条 第 1項 に よ り,利益 の算 定 が経 営財 産

( Be t r i e bs v e r ‑ mo e ge n)

の比較 によって行 われ る。 ここでい う経営財産 とは 自己資本 の ことである。経営財産 の比較 は次のようになる。

(当該会計年度末における経営財産)‑(前会計年度末 における経営財産)

+

(経営主の払 出 し)‑

(経営主の払込み)‑(会計年度の利益 または損失)」 (四方

[ 2 0 0 0 ]1 5 6

頁)。

ここで注 目されるのは,利益が期首期末の 自己資本 によ り行 われる,いわゆる財産法 によ り計 算 されることである。 日本の青色 申告制度 においては,複式簿記 を前提 とした損益法 によ り利益 (課税所得)が計算 され るのに対 して, ドイツの租税基 本法 に よる利益 (所得)計算 にお いて は,特 に複式簿記 を前提 とした ものではない ことに注意すべ きである しか も

,

「ドイツ農業会 計 は と くに税制度 と密接 に結 びついて発展 して きたが,農業者 は 自 ら簿記 を記帳す るので はな く,税 の 申告 との関連で外部の会計事務所等 に委託 して きた」 (四方

[ 2 0 0 0 ]1 4 7

頁) とい うの が実情 の ようである。注意すべ き点 は, ドイツでは,農業簿記 と税務 が強 く結 び付 いてい る と いって も,課税所得の計算 は財産法 によっていることである。 これに対 して 日本では,農業所得 の申告が青色 申告,つ ま り複式簿記 によって行 われることが多い とい うことが指摘 で きる0

本章における考察の結果 として, 日本 においては教育お よび実務 の両面で,複式簿記が本当に 農業振興 ・発展のためになるか どうか とい う点は必ず しも鑑み られることな く,別の 目的のため に適用 されて きたことが指摘で きると思われる

(6)

1 3 4

商 経 論 叢

4 7

巻第

1

( 2 0 1 1 . 9 )

3 .

従 来 の農 業 簿 記 の 問 題一教授理論の面より一

前章は,従来の農業簿記の問題 を,教育および実務の面か ら考察 した。本章以降では,理論の 面 を中心 にして,従来の農業簿記の問題 を考察 してい きたい。考察 にあた り,アルブ レヒ ト・

チ‑ア (

Al br e c htDa ni e l

T

ha e r )

を取 り上 げるこ とにす る。テ‑アは,アダム ・ス ミス 『国富 論』に比肩す る歴史的名著 と称 され る

,

『合 理的農業 の原理

( Gr unds a t z ede rr a t iO ne l l e n h nd‑

w

ir t s c ha f

t

)

』全

3

巻 (相川哲夫訳。相川 による訳 を文 中では以下 「邦訳」 と称す る) を

1 8 09

年 か ら

1 81 2

年 にかけて ドイツで刊行 している。 この 『合理的農業の原理』上巻第

2

編 「経営 ・農 法論 (エ コノ ミー)‑すなわち農場経営の諸関係,組織,管理の学‑」の第

5

章 こそが

,

「農業 簿記」 をテ‑アが単独で著 した ものである。

以下に,第

5

章 「農業簿記」の冒頭節

「§225.簿記の重要性」 を示す。「

経営 を完全 に,かつ 合理的に管理す るために避けて通れないのは,すべての経営諸関係 を完壁 に,かつ正確 に表す簿 記が必要 ということである。業務について十分に学び,実地の体験 を積 んだ一定の水準以上の人 であって も,すべての経営諸関係 を一 目瞭然 に示す ことはで きないのである。経営が少 しで も複 雑になれば,感 じとか記憶では,経営諸関係 を明快 に示 した り,確実に規定 した りす ることがで きない。そ うしなければどの仕組みが経営の最高 目標の達成に正確 に対応 しているのか,それゆ え,その仕組みが経営の維持 になるのか,改善になるのか,修正になるのかす らわか らないので ある」 (邦訳

2 2 7

頁)0

上記文言を要約するなら,農業経営 を合理的に管理するためには,記憶や勘 に基づ くのではな く,簿記 と簿記に基づ く表が必要であるとい うことになる。 ここで注意 してお きたいのは,テ‑

アの言 う 「簿記」 とは,ここでは複式簿記 を指す ものではな く,様々な農業関連帳簿 または台帳 へ記入することであ り,まさに帳簿記入 を意味 している。 また

,

「簿記 によって与 え られるよう な表」 とは,貸借対照表や損益計算書のような財務諸表 を指す ものではな く,一覧表形式の帳簿 を意味 している。

テ‑アによれば

,

「一般 に簿記 は,〔価値の財産変動 を記録す る〕実在勘定部分 と,〔日々の経 済活動 を記録す る〕名 目勘定部分 とに分かれ」 (邦訳

22 7

頁)

,

「前者の部分 は,元帳 (基本簿) と称するのが常である。 これは,農場 をその全体像 とともに個 々の有益部分のすべての姿 をとら えるもので,で きるか ぎり明快 に,かつ確定的に,すべての諸関係 を完壁な姿において提示す る ものであ る」 (邦訳

2 2 8

頁)。 この 「元 帳 (基本簿

)

」 には,地 図類 (測量 地 図,土地評価分級 図,土地利用国)

(§2 2 6.

)や地図類 に付属する台帳類 (

§2 2 7.

),お よび財産台帳 (農場のすべ ての用益権,評価 された土地資本,農場の年代記)

(§2 2 9. ‑ §2 3

1.)が含め られる。対 して, 農業的営業の 日々の経済活動 を記録す る名 目勘定 としては,現金勘定簿 (

§2 3 5. )

,穀物勘定簿 のような現物勘定簿 (

§2 3 6.

),家畜勘定簿 (

§2 3 7. )

,労働勘定簿

(§2 3 9. )

等が含め られる。

さらに

,

「これまで見て きた台帳の類 に次いで簿記の第

2

の主要 な種類 は,一覧表形式の帳簿で

(7)

地域振興のための簿記の役割 (3) 135 ある」 (邦訳

247

頁) とし,具体 的には,播種 一覧表 (

§242.

),取 り入 れ一覧表 (

§243.)

,樵 厩肥一覧表 (

§244.)

, 日賃金計算書のような労働一覧表 (

§245.

)等があげ られている

テ‑アは上記の ような具体的な帳簿 (台帳) を例示 しなが らも

, 「§233.記帳形式の多様 さ」

において次の ように言 っている

「記帳形式 にはいろいろあ り得 る。今 日にいたるまで, ヒの形 式が最 も合理的であ り完全 な もの といえるのかは今 なお決め られない し,おそ らくはそ うした も のは,今 なお存在 しない と思わjtる だか ら,無条件 に普遍的 と勧 め られるものはない し,経営 と経営者 の都合 に よって,多少 ともベ ター と思 われ る形 式 を選 ぶ以外 に手 はない」 (邦訳

235

頁)。つ ま り

,

「この記帳様式はいろいろ修正で きるのであって,各 自の考 えと目的に即 して形式

を工夫す るこ とがで きる。それ を決 め るの は各 人 の 自由であ る」 (邦訳

2 45

頁)ので あ る。 ま た

,

「実際上 は,完成度の低 いや り方で も選 ばれることが多 い。 なぜ な ら,そ うしたや り方で も 各 自の 目的は十分達成 されるわけで,やれ もしない ような高度の理想 よ りもよほ どや りやす く, また大体 において不完全 なや り方のほうがや りやすい ものである」 (邦訳

236

頁)。つ ま り,不完 全 なや り方で構 わないので, まず はベ ター と思われる農業 についての記録形式 を選 び実行す るこ とが

,

「農業者の能力,生産諸力,資産状況 に応 じて,で きるか ぎ り最高の利潤 を持続 的に引 き だす」 (§2.邦訳

43

頁) とい う農業者の 目的を達成で きることになる

本章 で取 り上 げたテ‑ アの言説 は,前 々稿 (戸 田

[ 2011

] (a))の結論 と同一 で あ る。つ ま り,効率的な農業経営 を目指すのな ら, まず必要 なものは 「記録」であ り, さらにその 「記録」

を統一的 ・規則的に記帳 ・記録す る 「規則的記録」 なのではないか とい うことである。 この規則 的記録 を 「簿記」 と言い換 えられるな らば,記録 に基づいて規則的に記帳す る 「簿記 な くして, 経営管理な し

」 ( NoBoo kke e pi ng,NoMa na ge me nt )

とい うことになろう

4 .

従来の農業簿記の問題‑ 「規則的記鋸」の重要性の看過一

前章で見た ように,チ‑アは,農業簿記の重要性 について,現代 に通ず るような慧眼 を有 して いた。 ところが,そのテ‑アに して も,複式簿記 についての認識 ・説明については,相 当苦慮 し た ようである。テ‑アは,複式簿記 について,先 にあげた 「表式化法 に くらべ て複式簿記の仕組 みは決定的に優 れている」 (邦訳

25 4

頁) し,複式簿記 を会得すれば 「経営 の個 々の細部だけで な く,相互 の関連 について明快 に洞察で き,経営諸 関係 の是正 を喚起 で きるアイデ ィアが浮か ぶ」 (邦訳

262

頁) ことがで きる として,基本 的には称賛 している しか しなが ら,農業簿記 を 複式簿記で行 うにあた り,その説明に際 し壁 につ きあたっていた と感 じざるを得 ない。最大 の

「壁」 は,我 々が損益勘定 と呼んでいる勘定へ の記入法則 の説明である。 この点 について, まず 以下のテ‑アの説明を見てみたい。

「家畜の購入 は,家畜勘定の借方 に くる し,家畜の販売 はその貸方 に くる。家畜 1頭が笑死す れば, こjlは棚卸表の貸方 に くるし,続 く家畜勘定の借方 に転記 される。た とえば乳牛が笑死す れば,その損失は酪農部門,す なわち乳牛用益勘定 に回される し,役馬が笑死すれば,損費 は連

(8)

1 36

商 経 論 叢

4 7

巻第

1

( 2 0 1 1 . 9 )

畜勘定が負担す ることになる。 この点は,たいていの者が初めの うち壁 に突 き当たることの一つ である。なぜ な ら,損費が家畜の棚卸表で借方のほ うに記載 されるとい うことは奇異 な感 じを与 えるか らである。柴死 によって年度末 に家畜の価値が減 るとい うか ぎりでは,た しかに損費は棚 卸表の借方 に くる。あ らゆる点 において ここで大切 なのは, こ うした複式簿記 の仕組 み全体 を はっ き り理解 してお くことであ って,借 方,貸方 が,前者 は,つ ま りそ こに,"受 け入 れた も の",そ こに "向け られた もの"であ り,後者 は "出ていった もの,与 えた もの" といった正 し い意味 を兼 ねていることを理解 さえ しておけば,あれ これのむずか しさ も容易 に解消 で きる」

(邦訳

2 6 0 ‑2 6 1

頁)0

上記説明文において

,

「たいていの者が初 めの うち突 き当たる壁」であ り 「奇異 な感 じ」 を抱 くものに,勘定 (上記文中では棚卸表)の借方 に,増加 だけでな く減少 (上記文中では損費) ち 記入 されることがあげ られる。今 日,我 々は,この間題 について,実在勘定 と名 目勘定 は増加 ・ 減少が逆 に記入 されることを,時に残高試算表 などを例示 しなが ら説明 しているのではないだろ

うか。 しか し,チ‑アの生 きた

1 8

世紀後半か ら1

9

世紀前半 において,なぜ増加 はすべ て借方側 ではないのか,についての説明は困難 を極 めた と思 われ る

。2 1

世紀 の現代 に生 きる我 々には, 複式簿記の結果か ら生 じる貸借対照表 と損益計算書 をは じめか ら前提 に した り,資本等式 を示す ことによ り,借方記入 は増加 だけでな く減少 もあることを認識 している しか しなが ら,チ‑ア ヤ同時代人の研究者 には,差額 としての資本概念が まだな く,法的に強制 されることになる貸借 対照表形式 自体が全体 に知 られていなかった4)。 この ような中,農業取引 を複式簿記 によ り説明 す ることに困難が生 じた と思われる。テ‑アは

, 「§2 47.複式簿記の当初のむずか しさ」 におい

て次の ように述べている

「‑,複式簿記 の当初 のむずか しさについては よ く考 えて練習 を繰 り 返す ことによって,十分克服で きる。それゆえ, この種 の簿記 (複式簿記一戸 田) を取 り入れた い と考 える者 に勧 めたいのは,1年 間これを試行 してみることである。同時並行 して従来か らの 記帳 を続 けてみて,その中で誤 りを重ねなが ら,複式簿記の仕組み を自ら会得 してい くことであ

る」 (邦訳

2 6 2

頁)。 まさに,習 うよ り慣 れろ,である。

テ‑ア もうま く説明で きなかった,なぜ損費 とい う減少が借方 に くるのか とい う問題 につい て,今 日の我 々な ら,費用 とい う資本 を減少 させ る項 目が発生 しているか ら,そ してそ もそ も収 益 とい う資本 を増加 させ る項 目は貸方 に くるか ら, とい う説明をす るのではないだろ うか。その 際,資本 は資産 とは道の記入法則であることを,資本等式あるいは貸借対照表等式か ら説明す る か,あるいは貸借対照表の形式 を示 して説明す るのではないだろ うか。 この際,収益 を資本の増 加,費用 を資本の減少 として説明す る前提 として,収益 ・費用 は資本 と同性質,つ ま り同 じ名 目 勘定 として説明 していることになる しか しなが ら,チ‑アの説明体系 の中で,資本 とは土地資 本であ り,財産台帳の中にある実在勘定 とい う位置づ けになる (

「§ 2 3 0 .

土地資本の評価」)。資 産 とは異 なる 「資本」概念の確立があっては じめて,複式簿記の体系が説明可能 となることに, チ‑アの苦闘によ り改めて気づか されるのである。

(9)

地域振興のための簿記の役割 (3) 137 我 々が今 日知 る 「資本」概念が未確立 な中で,複式簿記 を体系 的 に教授す るのが困難 な よう に,実は意外 なところに複式簿記の難 しさは潜 んでいる。それは,会計公準 としては基本的なこ とであるが,貨幣的評価 とい う点である。 この点 について,チ‑アはまず

,

「‑,商業簿記 では すべてをひとつの共通尺度である金銭 に還元す るのは比較的容易 だが,農業簿記ではそ うはいか ない」 (邦訳

2 3 5

頁,

§ 2 3 3 .

) と明確 に述べ ている。 この点 は,農業簿記 を考 える上 で大変重要 となる点である。金銭 に還元 ・換算で きる 「取

」があってこそ,複式簿記 による記帳 に意味が 生ず るのである。特 に小規模農業 を営む農家 において,金銭 に還元 して意味のある取引が,実際

にどれほ どあるのか疑問である。

しか しなが ら,複式簿記 とい う計算 システムは,貨 幣 に よる統 一 的表示 を前提 としてい る

チ‑アも

「§246.複式簿記の形式」 において,次の ように述べている 。

「もちろん絶対 に必要 な ことは,すべてを一つの共通尺度に還元す るとい うことであ り, これは金銭以外 には考 え られな い」 (邦訳

2 5 4

頁)。そ して続 けて,次の ように述べ るのである

「なぜ な ら, どの ような経営計 算 も,結局の ところはすべてそ こに帰着す るか らである。 ところが,計算 をやってい くうえで し ば しば問題 になって くるのが,必ず しも直接 には金銭 に還元で きない ような項 目を, どの ように 金銭価格 で評価すべ きなのか, とい う点である」 (同)。 ここで注 目したいのは,金銭への統一的 還元 を必須 とす る複式簿記 とい う計算 システムが

,

「評価」 とい う行為 を求めている とい う点で ある。そ して

,

「こうした価値評価 問題 に当たって必要 なことは,なん らかの原則 であって,常 にそ うした原則 に基づか なければな らない」 (邦訳

2 5 8

頁)のである。つ ま り,複式簿記の適用 こそが,金銭 による 「評価」 を必要た らしめ, さらに評価 を貫 き通す 「原則」 をも必要た らしめ ていると考 え られるのである

以上,当章で取 り上げて きたことは

,

「複式簿記 は特殊 な条件 において効力 を発揮す る もので あ り,そ もそ も初心者 には難 しい」 とい うことである。複式簿記 を体系 的 に説 明 しようとす れ ば,土地や設備資本 とは異 なる 「資本」概念 を前提 としなければ困難であった。 また,複式簿記 とい う計算 システムを取 り入れようとすれば,金銭 による統一的 「評価」や,その評価 を貫 き通 すための 「原則」が必要 となる。複式簿記 は,条件が整 っている場合 には,次の ようなテ‑アの 言 う通 りの効果が期待 で きる

「簿記 (複式簿記一戸 田) を会得すれば経営 の個 々の細部だけで な く,相互の関連 について明快 に洞察で き,経営諸 関係 の是正 を喚起 で きるアイデ ィアが浮か ぶ。 また現場 に出かけることな く居 なが らに して経営 を正確 にコン トロールで き,あれ これの注 意点 についての指針が出せ る」 (邦訳

262

, 「§247.複式簿記 の当初 のむずか し き」 )

。 しか し なが ら,チ‑アの著書 において も不完全 な説明に終わっていることが最大の証左 であるように,

「複式簿記 は難 しい」のである。農業 に複式簿記 を導入す ることには,その基本 的な諸条件が存 在 しているか どうかについての相当の配慮が必要であった し,それは今で も変わ らない と考 え ら れるのである

(10)

1 3 8

商 経 論 叢

4 7

巻第

1

( 2 0 1 1 . 9 )

5 .

「規則的記録」 と 「複式簿記」の異同

これ までの考察で注 目して きたことは

,

「規則 的記録」 と 「複式簿記」の関係 である。現在, 例 えば 「農業簿記」 と言 う場合,多 くの人が複式簿記 に基づ く記録形式 を農業 にあてはめた も の, とい うイメージをもつだろう しか し,規則 的記録 と複式簿記 と区別 して,その対象,評価 法,資本概念 さらには会計主体等,局面が異 なることを指摘 した方が,少 な くとも今 回の考察 に おいては有益であった。

違いの焦眉 は,複式簿記が対象 とす る 「取

」である。複式簿記が主 に対象 として きた取引 と は, 日々生 じる商品取引 を中心 とした ものであ り,それを名 目勘定で捉 えなが ら総体 として利益 額 を確定 させ るものであった と考 えられる。 しか しなが ら,農業 における自然増加 は,その よう な取引 とは異質な ものである。 また,土地の肥沃度は,農業の収穫高 にとっては非常 に重要なの で記録 の対象 としなければな らないが,金銭評価 お よび将来‑ の貢献度が測定 で きるわけ もな く,複式簿記のシステムに載せ ることな ど現実的ではない。つ ま り,特 に小規模兼業農家 におい ては,複式簿記が対象 として きた ような 「取引」 は殆 ど生 じない と考 え られる。 これについて, 稲 葉

[ 2 0 0 0 ]

は次の ように言 っている

「家計 を ともにす る家族 間の金銭 のや りと りに も

,

引』の条件が乏 しい。『取引』がなければ仕訳 も不可能である。 (中略) この ように個人経営 と法 人経営 はその外観 に相違がない ようにみ えた として も

,

『取引』の認識,す なわち簿記上の コス トの把握の仕方 には全 く異なった ものがある。農業会計学 は どち らの経営組織 を研究の対象 にす るのか。 このことが明確 に区分 されていない」 (167頁)0

上記の 「取引」の問題 は,会計主体 の問題 とも考 え られる。そ もそ も, 日本 に多 く見 られる小 規模兼業 「農家」 を,複式簿記 に基づ く会計 を行 わねばな らない ような会計主体 と見て よいか と い う問題が存 していたのではないだろ うか。例 えば

,

「ここに

5 0 0

万 円の現金があって これ を農 機具更新 に使 うか,住宅改善 に使 うかは家族経営が しば しば迫 られる意思決定であるが, こjtは 本 来家族経営 が農家 とい うひ とつ の会計単位 であ る こ とを意 味 して い る」 (新 井

[ 2 0 0 0 ]2 0 5

頁)。会計が当然 の前提,いわゆる公準 として きた 「家計」 と 「経営」が分離 した 「会計主体」

とい う考 えは,実 は通常の農家 には当てはまらなかったのではないだろうか。 さらに言 えば,一 言で 「農家」 と言 って も,戦前の大規模専業農家 と戦後農地改革で大量 に生 まれた小規模兼業農 家 を,同一の会計主体 と見 な して良かったのか とい う問題 もあると思われる

加 えて戦後 は,農地改革によって多数生 まれた小規模農家ではな く農協が記録 ・記帳す る主体 となって しまい,特 に兼業零細農家 に農業 に関す る記録 ・記帳 を行 うイ ンセ ンティブ とその必要 性が欠如 していた ことは,前稿 (戸 田

[ 2 0 1 1 ]( b) )

で指摘 した通 りである。当該農家 ではな く 農協が記録 ・記帳す る主体 になっていたのではないか とい うことについては,次の言 を参照 され たい。「片手間に しか農業 をしないため時間的余裕 のない兼業農家 は,経済事業等 と金融事業の 両方 に関 して,農協 に圧倒的に依存 している。必要 な資金 は農協が貸 して くれる し,資材の購入

(11)

地域振興のための簿記の役割 (3) 139 や農産物の販売 もすべ て信用事業 の口座で決済で きる。 したが って,サ ラ リーマ ンで もあ る農家 は,農協 に頼 り,農協任せ に してお けば,彼 らの農家 と しての地位 は守 られ,営 農 を継続 で き る。 このため,農協 は,農業地域 の預金の大半 を持 ち,地元の農民 の資産状況,家族構成,家族 の職業等 について詳 しい情報 を持 ってお り,農民‑ の貸付 に関 して圧倒 的な優位 を持 っている

農協が経済事業等 と金融事業 を兼業で きることが, この状況 をつ くり出すのに大 きな貢献 を して い る とい え よう」 (八 田 ・高 田

[ 2 01 0 ]1 6

頁)。農協 の存在以外 に も, 日本 の零細 兼業農家 に記 録 ・記帳のイ ンセ ンテ ィブが薄い理 由 として,農業経営 の効率化 を 目指す とい うよ り,転用益 の 期待 を担 った 「農地 とい う資産維持」 (渋谷

[ 2 01 0 ]1 2 8

頁)が別 な 目的 としてあ る点 もあ げ ら れ よう

さて ここで、現在 の 日本 における農業者 を

3

つ のモデルに分 けて考 えてみたい5)。 まず,圧倒 的多数 を占め る小規模兼業農家 (土地持 ち非農家 を含 む) を 「モデル

1

農家」,そ して営利 的か つ 自立的思考 を有 し,農業経営 を効率 的 に行 お うとす る農家 を 「モデル

2

農家」, さ らに農工商 の連携 によ り農業 の産業化 を目指す大規模農業法人 を 「モデル

3

農業法人」 としてモデル分 けす ることに したい。す る と,本論稿 において議論 の中心 であった,効率的経営 ・管理 を自らが 目指 す農業従事者 とい うのは

,

「モデル

2

農家」 に該 当す る と考 え られ る。モデル

2

農家 に とって必 要 なのは, まず農業 に関す る記録 をとること, さ らにはその記録 を規則 的 ・統一 的に行 うこと, つ ま り 「規則 的記録」 であることは論 を侯 たないだろ う。 これ らの記録 をい きな り 「複式簿記」

で行 うことは,ただ 「難 しい」か らとい うだけでな く,経営改善意欲 のある農家 ・農業従事者 に 対 して,真 に必要 な情報 を提供す る機会 を阻害 して しまう可能性 もある。 ここでは,次の言 を参 照 された

い 。

「農水省 もお金 を使 うな ら,‑青色 申告特別控 除

5 5

万 円は複式簿記 と貸借対照表 に 対 してで はな く

,J A

に入力 して もらったので はない 自前 の コンピュー ター原簿 をその まま報告 す る者 に

1 0 0

万 円の補填 を出す。それは産業のイ ンフラを作 り上 げる努力 に対す る補填 であって 補助金ではない」 (杉 山

[ 2 0 0 8 ]1 09

頁)。

難 しいが基礎 的な条件が整 っていればその有効性 を発揮 で きる複式簿記 は,そ もそ も記録へ の イ ンセ ンテ ィブが働 いてい ない 「モデル

1

農家」 だけで な く

,

「モデル

2

農家」 に とって も必要 不可欠 な ものではなか ったのか もしれない。既述 の ように

,

「モデル

2

農家」 に とって真 に必要 なのは複式簿記 ではな く規則的記録 だ と考 え られるか らである。複式簿記が真 に必要 なのは,農 工商の連携 によ り農業 の産業化 を 目指す大規模農業法人である 「モデル

3

農業法 人」 なので はな いか。次の表 は,以上 の考 えを

,

「規則 的記録」 と 「複式簿記」 の違 い を明確 に示 した上 で一覧 に した ものである。

(12)

140 商 経 論 叢 47巻第1 (2011.9)

農業 を対象 と した記寺形式

規則的記録 複式簿記

(主たる)対象 面積,数量,等級等 外部 との 「取引」

測定 対象 に応 じた尺度 による 金銭 による一元評価

総計 .連係 を行 う目指 さない○連続記録 の変化 に よ り分析 行 うことが前提

資本 土地資本,実在勘定 貸方 としての資本,名 目勘定

(あるべ き)会計主体 全般(効率的経営 .管理 を目指す)農業従事者 農工商 の連携 を 目指 し,出資 .分 配が必要 な大規模農業法人

上記の表 よ り改めて明 らかになるのは,規則 的記録 と複式簿記の違いである。 ここで改めて, 現代 の農業問題 を考 えるうえで,「規則 的記録」 と 「複式簿記」 を明確 に区別 した方が有益 では ないか と思われるのである。そ うす ると,取引の二元記録 をすべて統一的貨幣額で行 う特殊 な記 録形式である複式簿記 との異 同が際立つ と考 え られる。その意味で,現在効率的経営 を目指す農 業従事者

(

「モデル

2

農家

」 )

にとって真 に必要 とされているのは,農業 に関す る規則的記録であ るとい うことになろう。言 うまで もないが,その規則 的記録 は複式簿記 に基づ く必要 はないので ある。

6.

おわ りに

なぜ,従来の農業簿記 は,その研究の蓄積6)と農家へ の指導体制 に もかかわ らず,農業の効率 的経営 に寄与 して きた と言い切 ることがで きなかったのであろうか。当研究 ノー トでは上記の疑 問に答 えるべ く, これ まで行われて きた農業簿記 について,その教育 ・実務 ・理論 についてそれ ぞれを新 たな視点か ら見直 してみた。 まず教育 については,農業高校で使用 されているテキス ト

を批判的に分析 した。そこか ら見 えて きたのは,農業 とい う特殊 な分野に対 して,複式簿記 を無 条件 に前提 とす る商業簿記が,単純適用 されていることに気づか さゴ1た. また実務 については, 複式簿記 に基づ く農業簿記 を導入す る 目的が,青色 申告 における税控 除 目的に大 きく偏 っている ことに気づか さjtた。 また前稿 において,特 にモデル

1

農家 に とって,そ もそ も農業 に関す る記 録 ・記帳 をす るイ ンセ ンテ ィブが各農家 に欠如 してお り,その理由 として,農家でな く農協が記 録 ・記帳主体 となっている問題が あ るこ とも指摘 した (戸 田

[ 2 01 1 ( b) ] )

。 さ らに理論 につ い ては,複式簿記その ものに対す る問題,つ ま り先 に述べた ように農業 とい う特殊 な分野 に複式簿 記が本当に適合す るか とい う重大 な問題が看過 されがちだった ことに気づか された。対象 に対す る手段 の適合性の問題 に加 えて,会計主体 の問題 も看過 されがちだったのではないだろうか。つ ま り,特 に 日本 において,戦前の大規模専業地主 と戦後の零細兼業農家 は,記録 ・記帳の会計主 体 として,同 じレベルで捉 えていいのであろうか。 さらに言 えば,戦後農地改革で大量 に生 じた 小規模兼業農家

(

「レベル 1農家

」 )

を,そ もそ も会計主体 として捉 えて良かったのであろうか。

(13)

地域振興のための簿記の役割 (3) 141 むろん,当該分野の研究者 により,上述 した問題点はすでに 「個 々」 には指摘 されて きた7)。た だ し,これまでの農業簿記 「全体」の問題 として,捉 えられてきたことは少なかったのではない だろうか。

上記のような従来の農業簿記に対する批判的考察により,当研究 ノー トでは 1つの結論に到達 した。農業簿記の研究,発展,普及にかけて きた先人の叡智 と努力 にもかかわ らず,農業簿記が 日本の農業の経営効率化 に大 きく寄与 してきた と言い切れないのは何故か。それは, これまでの 農業簿記が暗黙理に前提 として きた 「複式簿記」 にあるのではないか。そ もそ も,戦後農地改革 後 に生 じ現在で もその構成比率 において多数 を占める零細兼業農家

(

「モデル 1農家

」 )

に とっ て

,

「複式簿記」 は本当に必要だったのだろうか。モデル 1農家 は,記録 をとるとい うイ ンセ ン ティブさえ欠如 していたのが実情であったにもかかわ らず,にである。 さらに言 えば,営利的か つ 自立的思考 を有 し,農業経営 を効率的に行お うとする農家である 「モデル 2農家」 にとってさ え

,

「複式簿記」が必要不可欠な記録形式か どうかは疑 わ しい。当該 「モデル 2農家」 にとって 必要だった,そ して現在 も真 に必要 なのは,農業に関する継続的かつ規則的な記録であ り,それ を他の規則的記録 と比較 ・分析することで効率的経営 に資することではないだろうか。つ ま り, 農業経営の効率化 を志向するモデル 2農家 に とって,必要不可欠 なのは 「複式簿記」 とい うよ り, まず 「規則的記録」なのではないだろうか。換言すると,農業経営の効率化 を図るモデル2 農家 にとりまず必要なのは,複式簿記 により導出される財務諸表や青色 申告書ではな く,農地台 帳や農業 に関する補助簿への記録 ・記入,あるいは土地の肥沃度や農薬管理 を含めた作業手順 に ついての規則的な記録だ と思われるのである。「経験」や 「記憶」 に基づ く 「勘」ではな く,秩 序ある 「継続的 ・規則的記録」 に基づ く 「経営」 こそ,農業経営の効率化 を目指す現在の 日本の 農家

(

「モデル

2

農家」)に求め られているものだ と考 えられるのである。

ただ し上記の結論は,モデル 2農家 にとってであ り,これか らの地域振興の最大の担い手 と期 待 される,農工商の連携 を志向する大規模農業生産法人

(

「モデル

3

農業法人」

)

にとっては異 な るものである

「モデル3農業法人」の ような一定の規模以上の農業生産法人は,複式簿記がそ の対象 として きたような,資金調達,雇用,税金支払,利益分配 といった多様 な 「取

」 を行 う 経営主体である。 したがって,産業化 ・効率化 を追求す る農業生産法人の ような組織 にこそ,

「規則的記録」だけでな く 「複式簿記」が真 に必要 なのだ と思われるのである。つ ま り,実 は今 こそ,複式簿記に基づ く農業簿記が必要 とされる時代がは じめて来た とも考えられるのである。

しか しなが ら,本当に必要 とされる状況が到来 しているに もかかわ らず,農業簿記 は教育 ・実 務 ・理論それぞれに関する状態 を見 る限 りは問題が山積 していると言わざるを得 ない。

「今 日ほど生 きた農業会計が求め られているときはない」 (松・田

[ 2 0 0 0 ]9

頁)のである。その ための一歩 として,今 回の研究では,従来の農業簿記 を批判的に検討 した。そこで得 られた知見 は,複式簿記の特殊性の認識であ り,かつ また,複式簿記 は必要 とされる条件の もと,は じめて その有効性 を発揮で きる記録形式であるとい う認識である

(14)

142 商 経 論 叢 第47巻 第1号 (2011.9)

1) 営 農指 導 員 に対 す る農業 簿記 指 導 も行 わ れ て きた。 これ につ い て ,北 田紀 久 雄 氏 は次 の よ うに述 べ て い る。 「農 業 簿 記 普 及 活 動 は今 日の農 業 改 良 普 及 セ ン ター に お け る経 営 管 理 指 導 の 重 要 な任 務 とな っ て い る。 筆 者 らは以前 , こ う した普 及 セ ンター にお け る農 業 簿記 学 習 を支 援 す る 目的 で ,パ ソ コ ンに よる農 業 簿記 学 習 シス テ ム を開発 した し,筆 者 の所 属 す る東 京 農 業 大 学 で は,普 及 員 や営 農指 導 員 な どを対 象 と し て40年 近 くにわ た って,毎 年 農 業 簿記 講 習 会 を開催 して お り, そ の 受 講 生 はす で に2,000人 を超 え て い る」 (北 田 [2000]114頁)0

2)大槻 正 男 氏 の考 案 した京 大 式 農家 経 済 簿 記 は,後 に 日計 式 農 家 経 済 簿 記 と改 称 され る。京 大 式 農 家 経 済 簿記 の特徴 は,「企 業 簿記 の複 記 式複 計 算 簿 記様 式 を と らず 単 記 式 複 計 算 簿 記 と して ,経 営 と家 計 を含 め て い る」 (松 田 ・稲 本 [2000]ii頁) ところ にあ る。 なお,「この大槻 簿記 の精 微 さ と熱 心 な普 及 活 動 の結 果 ,大槻 簿 記 の フ アンは多 く,大槻 先 生 の人柄 と も相 まって一世 を風 廃 した。 しか し, 高 度経 済 成 長 を通 して選 択 的拡 大 が進 む なか で ,家 族 経 営 も資本装 備 率 が 高 ま り変 質 して きた し,協 業 経 営 ,生 産組 織 ,法 人経 営 な どが発 展 す るにつ れ ,複 式簿 記 に よる農 業 簿 記 の必 要性 が , また原価 会計 や そ れ と連携 した経 営 計 画手 法 の 開発 の必 要性 な どが 高 まる なか で ,大槻 簿 記 か らの脱却 が徐 々 に進 んで きた」 (同)0 3)これ に対 して桂 高校 で は,学 年 ・学科 を超 えて新 技 術 を研 究 す る な どの カ リキ ュ ラム変 更 を行 う こ とに

よ り,農業 高校 復 権 に取 り組 んで い る。 そ の結 果,「懸 案 の大 学 進 学 で も成 果 が 出つ つ あ る。 こ こ数年,1 学 年 の生徒80人 の うち5人 か ら7人程 度 が 国公 立 大 学 へ 進 ん で い る。 私 大 の環 境 学 部 へ の 進 学 者 も増 え て い る」 (日本経 済新 聞2011.4.25.23面 「教 育」)。

4)チ‑ ア 自身 は,次 の言 に よる と貸借 対 照 表 につ い て は知 って い た よ うで あ る。 「‑ さて私 (チ ‑ ア) は, 商 人 の複 式 簿 記 につ いての さ ま ざ まな著 作 を読 ん だ結 果 ,複 式 簿 記 の 表 示 と貸 借 対 照 表 (Bilanz)の 考 え は な るほ ど全 体 的 には良 いが , しか し商 人 の形 式 は農 業 簿 記 に とっ て は合 目的 で は な い と確 信 した」 (四 方 [1996]17頁)

5)農 業 者 の レベ ル分 け につ い て は,神 奈 川大 学 経 済 学 部 の 岡村 勝 義 教 授 よ り有 益 な示 唆 を頂 い た。記 して 感 謝 申 し上 げ たい。

6)農 業 簿 記 ・農 業 会 計 に 関 す る文 献 は大 量 に存 在 す る。 家 串 [2000] は,「農 業 会 計 学 文 献 目録 (表2‑ 1)」 (家 串 「2000」39‑53頁) と して,1879年 か ら1999年 まで に著 され た 農 業 会 計 学 文 献 を15頁 に わ た

り掲 載 して い る

7)本 稿 で は取 り上 げ て い な い部 分 もあ るが , 農 業 簿 記 ・農 業 会 計 に対 す る次 の よ うな 問 題 点 の 指 摘 もあ る

「今 日,農 業 会 計 にお け る問題 は基 本 的 に は次 の点 にあ る よ うに思 う

a .

農 産物 に は, 人手 の賦 課 ,物 財 の添 加 な しに 『自然 増 殖 』 あ るい は 自然 に増 加 す る現 象 が あ る

ア.成 長 と加 工 努 力 との 関連 は必 ず し もパ ラ レル で は ない。 コス ト ・イ フ ェ ク トが と らえ に くいo ィ.会 計 処 理 に当 た って は 自然 増加 を無視 す るか ど うか。

b.農業 は,生 産 プ ロセ ス の 区切 りが 明確 にで きな い。 例 え ば,繁 殖 肥 育 一 貫 経 営 の場 合 ,繁 殖 の工 程 と 肥 育 の工 程 に明確 な区分 け をす る こ とが で きるか。 また,成 長 の度合 いが揃 わ ない ま まに製 品 と して 出 荷 され る こ とが あ る。 製 品 に成 長 して もなお 出荷 され ない まま維 持 の コス トが負 担 され て い く場 合 もあ

る」 (稲 葉 [2000]168頁)

また農業 簿記 会計研 究 に対 す る次 の よ うな内在 的 ・根 本 的批 判 もあ る。「これ まで の農 業 簿 記 会 計研 究 の成 果 の特 徴 は,一 般会 計 学 の理論 や技 法 を農業‑ 適 用 し, そ の有 用 性 や妥 当性 を検 討 す る傾 向が 強 か っ た よ うに思 わ れ る。 しか し, そ の重 要 性 を否 定す るわ けで は ないが , この よ うな, い わ ば受 身 の方 法 論 だ けで は な く,今 日の多 様 な農業 経 営 実 態 の 中か ら農業 に オ リジナ ル な簿 記 会計 の論 理 を抽 出 し, そ れ を理 論 化 し, さ らに そ れ を技 法 化 して い く とい う研 究 方 法 論 が と られ る必 要 が あ る の で は な い か」 (大 童 [2010]244頁)。

(15)

地域振興 のための簿記の役割 (3) 143 参考

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当研究 ノー トを含 む一連 の研究 に対 して,科学研 究費補助金 (基盤研究 (C),課題番号23530601)を受 け ている。

参照

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