︹翻訳︺
二 一 世 紀 犯 罪 学 の 展 望 ( 六 )
二一世紀における犯罪統制
〜ニュー・リアリティーを分析する〜
ル ネ ・ ヴ ァ ン ・ ス ワ ー ニ ン ゲ ン 著
竹 村 典 良 訳
訳 者 解 題
本稿は︑二〇〇一年一一月七日から一〇日に米国のアトランタで開催されたアメリカ犯罪学会第五三回年次大会
(53rd annual meeting of American Society of Criminology)における報告(Crime Control in the Twenty
‑First Century: Analysing a new reality)を訳出したものである︒著者のRene van Swaaningenは︑ロッテルダ
ム・エラスムス大学(オランダ)の犯罪学準教授であり︑また︑同大学︑アムステルダム自由大学︑ライデン大学に
おける犯罪学学士・修士プログラムの指導者であり︑ヨーロッパを中心に積極的に国際的な研究活動をしている︒報
告の後︑翻訳の意向を申し出たところ︑ご快諾いただきここに訳出する次第である︒翻訳の申し出にご快諾いただい
たRene van Swaaningen教授博士に謝意を表したい︒
桐 蔭 法 学10巻1号(2003年)
著者は︑経営管理的司法(managerial justice)︑保険数理的司法(actuarial justice)︑包摂・排除的司法(inclusive
and exclusive justice)をキーワードとして︑一二世紀における犯罪統制に見られる﹁新たなリアリティー﹂(new
reality)を描出する︒
経営管理的刑事司法システムの指導原理は︑効率性︑計算可能性︑予測可能性︑統制︑合理化である︒あらゆる領
域の社会制度を指導するこれらの原理は︑社会の﹁マクドナルド化﹂(McDonaldization)と呼ばれてきた︒マクドナ
ルド化は︑ウェーバー主義者による合理化プロセスのポストモダン的な継承者であり︑多数の国家機能が民営化ある
いはビジネスに変形された現実に適合する︒それは︑公共サービスがハンバーガー・チェーンのように経営管理でき︑
そしてされるべきだという考えに基づいている︒犯罪者の個別処遇は︑高度に標準化された刑罰生産過程によって置
き換えられる︒この過程は︑判例法や政策的優先性ばかりでなく︑主として統計的確率研究に基づくガイドラインに
基礎を置く︒現在における刑事司法政策の最大の問題は︑﹁ある手段が犯罪率を下げる働きがあるかどうか﹂である︒
新しい犯罪統制システムのいま一つの特徴は︑保険数理的司法とリスク・マネージメント(risk‑management)で
ある︒ある一定の刑罰的介入は︑次第に︑査定とリスクのプロファイリングによって先導され︑そして︑これらに基
づくようになっている︒現在︑リスク分析は︑警察から刑務所システムまで︑小規模犯罪の予防プログラムからマネー・
ロンダリングとの闘いまで︑刑事司法システム全体において用いられている︒刑務所システムにおいて︑リスク・プ
ロファイルはある受刑者をどのような種類の刑務所に収容すべきかを決定するのに用いられる︒また︑犯罪予防にお
いて︑リスク・プロファイリングはどのような種類のプログラムが︑どこで誰に向けて行われるべきかを決定し︑ど
のようにして実際にある種の犯罪が犯される機会を制限することができるかを明らかにするために用いられる︒
さらに︑現在の刑事司法システムには︑象徴的次元(symbolic dimension)と実用的次元(pragmatic dimension)
二 一 世 紀犯 罪 学 の 展望(六)(竹 村)
の間の大きな﹁二極分化﹂が観察される︒それらはそれぞれ別の機能を持ち︑別の聴衆に向かい︑別のクライエント
を扱い︑別の言語を語る二つの異なるシステムに近いものである︒﹁包摂的﹂犯罪統制システムから﹁排除的﹂犯罪統
制システムへの移行という考えは︑物事の一面を見ているだけである︒現実には︑ある一定の集団を社会から排除し︑
同時に︑伝統的な社会に人々を統合しようとする傾向が強まりつつある︒象徴的システムのディスコースは排除的で
あり︑人々を社会から追い払って社会問題を解決しようとする︒これに対して︑実用的システムのディスコースは包
摂的で︑人々を伝統的な社会に統合することによって社会問題を解決しようとする︒前者のキーワードが犯罪である
のに対して︑後者のキーワードは安全とリスクである︒リスクを基盤とする保険数理的犯罪統制システムは︑リスク
が精密にしるされ︑計算され︑取り替えられ︑取り除かれるということを前提とする︒
最後に︑主要な問題は︑どのような種類の刑事司法政策の中で新たな犯罪統制のテクニックが用いられているかで
ある︒これらすべての犯罪統制のメカニズムに関して︑それらが埋め込まれている社会統制のビジョンとの関係にお
いて︑詳細な経験的分析が必要である︑と指摘する︒
はじめに
社会は変化し︑それとともに犯罪のパターンも変化する︒したがって︑社会が犯罪を統制しようとする方法も連続
的に移り変わっている︒過去二〇年間︑犯罪統制の領域において︑事態はとりわけ急速に変化して来ている︒多数の
新しい統制モード︑新しい捜査方法︑新たなテクニック︑まったく新しい機関が︑比較的短期間に導入された︒現在︑
私たちは︑約四半世紀前とはまったく異なる刑事司法システムを持っている︒刑事司法の原理が変ったと論じること
桐 蔭 法 学10巻1号(2003年)
さえできる︒これが本稿で論じられる問題である︒私は以下の問題について解答するように努めるであろう︒すなわ
ち︑過去二〇年間の刑事司法政策における最も明らかな変化は何であろうか︒そして︑これらの展開の分析は妥当性
を有するであろうか︒
アメリカ文化とヨーロッパ文化の比較
本稿は︑西欧︑とりわけオランダの情勢について論じる︒これによって︑変化しつつある刑事司法政策の領域にお
いて優勢を占める英米的な分析の有効性に関するいくつかの間題が生じる︒したがって︑私たちの現実のテーマに取
りかかる前に︑この点で最も関連があると思われる北米と西欧の間の何らかの﹁文化的﹂差異を対照させることが有
用と思われる︒ヨーロッパの内部にも大きな差異はあるが︑ヨーロッパとアメリカの情勢を対照させると︑すぐに欧
州諸国の類似性がきわめて明らかになる︒
米国(US)と欧州連合(EU)の間の主たる差異は︑刑事司法システムの規模と様式にある︒EUの拘禁率は平
均して米国の拘禁率の約八分の一であり︑死刑はどのEU加盟国にも存在しない︒米国のブートゥ・キャンプのよう
な軍隊的な制度︑﹁三振アウト﹂(three strikes and you're out)実務︑一つの鎖につながれ屋外労働させられる受刑
者のような米国南部のノスタルジックな習俗は︑ヨーロッパのどこにおいてもけっして実現性のある選択肢として存
在しない︒したがって︑本稿では︑米国がすこぶる批判される(Christie,2001; Garland,2001; Zimring et al.,2001)
﹁懲罰的隔離﹂(punitive segqregation)にはほとんど注意が向けられないであろう︒このことは︑欧州諸国の拘禁率
が高まって来ていない︑あるいは︑欧州諸国の刑務所人口の大部分が人種的マイノリティーによって構成されていな
い︑ということを表わしているのではなく︑拘禁が社会に与えるインパクトが米国と比べそれほど劇的ではないとい
二 一世 紀 犯 罪 学 の展 望(六)(竹 村)
うことを表わしている︒
他の二つの明確な差異は︑刑事司法政策におけるアメリカの﹁麻薬との闘い﹂(war on drugs)の中心性と人種間題
である︒確かに︑これらの問題はEUにも存在しないことはないが︑同様に︑それほど著しいものではなく︑米国と
比べそれほど積極的ではない︒ますます多くのEU諸国において︑そして︑オランダでは明らかに︑麻薬の消費に関
して︑危害の縮小に方向付けられた保健衛生アプローチが刑罰アプローチに勝っている︒政治的正当性︑および︑人
種的マイノリティーに対する明らかな差別とゲトー化のプロセス︑これら両者に関して︑ヨーロッパの状況は北米と
比べそれほど極端ではない︒したがって︑これらの要素にも北米の分析と同様の注意が向けられることはない(Miller,
1996; Amnesty International,1998)︒ヨーロッパと米国の間の第三の重要な差異は都市文化と関連がある︒ヨーロッ
パでは︑人々は︑都心を歩き住むことを好む︒人々は︑都心のパブで飲み︑レストランで食事をし︑映画を見るため
に︑外出する傾向もある︒北米の大部分の都市では︑都心部はビジネス・コミュニティーに占領され︑日没後はかな
りわびしい様相を呈する︒そこでは︑人々は郊外に住むのを好み︑レストランと映画館は高速道路のジャンクション
に集中している︒このことは︑どちらかといえば暗示的で民営化された統制構造をもついわゆる﹁非居住地﹂(non
‑places)〜商店街︑スーパーマーケットや(ファーストフード)レストランが集結する交通の要地︑あるいは空港の
ように︑多数の人々が行き来するが︑誰一人として実際に﹁帰属﹂しない場所〜の分析にまったく異なる光を当てる
(Shearing and Stenning,1985)︒明らかに︑そのような﹁非居住地﹂はヨーロッパにも存在し︑増加しさえしてい
るが︑おそらく米国におけると同様な文化的役割を果していないであろう︒
第四の重要な差異は人々の考え方に関係する︒米国では︑ある人に生じたことはすべて彼自身の手柄とされ︑ある
いは︑彼自身の責任として非難される傾向がある︒ヨーロッパでは︑この極端な個人主義の両面がよりやわらげられ︑
桐 蔭 法学10巻1号(2003年)
そのコンテクストの中に置かれる︒概して︑ヨーロッパの人々は︑北米の人々と比べ︑﹁道徳請負人的﹂(moral entre‑
preneuria)ではない︒北米の人々が﹁邪悪﹂や﹁不善﹂について語るような事例において(主として︑﹁他﹂人が楽し
むようなことに関して)︑ヨーロッパの人々はよりリベラルでプラグマティックなアプローチをする傾向にある︒米国
で刑罰を強調するのは︑この厳格な道徳的個人主義と明らかに結び付いている(Melossi,2001)︒この意味において︑
本稿は︑著しくヨーロッパ的な論調︑すなわち︑刑事司法政策におけるプラグマティックな傾向の優勢をもって著さ
れている︒
何らかの形でこの﹁自責自負﹂(own merit‑own fault)の文化と関係するのは︑福祉の分配における国家の役割
である︒EUでは社会民主的福祉国家の全盛期も過ぎ去ったが︑それでもなお︑米国と比べ︑国家は著しく大きな社
会的役割を果している︒国家は︑住宅ならびに労働政策︑失業給付ならびにあらゆる種類の助成金.補助金の支給に
おいて重要な役割を果し︑また︑良い公立学校︑国民の健康管理︑公共輸送システムに多大な投資をし︑他の多くの
インフラストラクチャーに関わっている︒これらは︑米国では市場の力に任されている︒貧しい人々が多数の施設に
アクセスすることができず︑実際︑見苦しくない存在であることを維持できなくなっているという事実は︑もちろん︑
ゲトー化︑犯罪と関連する貧困︑社会的排除として︑犯罪学のテーマにとって著しい社会的重要性をもつ︒犯罪の統
合的アプローチを強調する本稿は︑さらに典型的にヨーロッパ的である︒
最後に︑ヨーロッパにおける犯罪学の位置は米国におけるものとはまったく異なることを強調することが重要に思
われる︒米国犯罪学がきわめて経験主義的であると特徴づけられるとするならば︑ヨーロッパの犯罪学者はより解釈
学的な(verstehende)伝統の中で研究を行っている︒ヨーロッパ大陸では︑犯罪学は通常法学部に基盤を置き︑ヨー
ロッパの犯罪学者は英米の犯罪学者と比べはるかにより規範的法思考のスタイルを取る︒しかしながら︑犯罪学者と
二一世 紀 犯罪 学 の展 望(六)(竹 村)
法律家との問には共通の誤解がある︒たとえ犯罪学者が経験的な情勢について述べていても︑法律家がそれを一定の
実践が好ましいかどうかについての判断として捉えることが多い︒逆に︑たとえ法律家が事実に反するスタイルで法
原理.原則について論じるとしても︑犯罪学者はこれらの原理・原則が実際には確認されないという経験的主張によっ
てこれらの誤りを立証できると考えることが多い︒この規範的論法はいま一つの結果ももたらす︒一方において︑E
Uには米国と比べはるかにより確立され制度化された批判的犯罪学が存在する(van Swaaningen,1997)︒他方において︑ヨーロッパの犯罪学者は︑米国の犯罪学者と比べ︑刑事司法政策が立てられる場所で働くこともはるかに多い︒
政策は︑透明な民主主義において︑まさに〜あるいは主として〜人民主義や政党政治的優先権に従うのではなく︑科
学的研究結果に基づかせるべきであるという考えが︑衰えつつあるとはいえ︑EUの多数の国々においていまでもな
お広範に共有されている︒これら前者の要素は米国における刑事司法政策の分析に際して言及されることが多いが︑
本稿ではそれほど注意が向けられない︒ヨーロッパでは︑いまだ犯罪が米国ほどに選挙のテーマとなることはなく︑
裁判官や検察官の任命はいかなる選挙結果にも左右されない︒
以上の概説の後に生じる重要な問題は︑これらすべての差異が︑刑事司法における近年の変化に見られる﹁主要な
パターン﹂(master pattern)はヨーロッパのコンテクストには適用できない︑ということをどの程度まで含意するか
である︒この﹁主要なパターン﹂によって︑私は︑同時に統合的で排除的である犯罪統制システムの出現︑刑事司法
システムの経営管理的で保険数理的志向︑犯罪との闘いにおける多様な当事者の責任化に言及している(Garland,
2001)︒
桐 蔭 法学10巻1号(2003年)
社 会 統 制 と 刑 事 司 法
刑法は全体的な犯罪レベルにわずかな影響を及ぼすだけであり︑さらに︑犯罪を統制する多数の方法のうちの一つ
にすぎないことを否定する犯罪学者はほとんどいない︒ある社会の犯罪レベルは︑法執行に左右されない社会経済的
文化的発展による大きな影響を受ける︒大部分の犯罪は少しも解決しない︒なぜなら︑単に︑犯罪者が発見されず︑
あるいは︑被害者が発生したことを忘れ︑我慢しようとするからである︒多くの犯罪は︑いかなる制度的介入もなく︑
何らかのインフォーマルな方法で解決される︒極めて多数の犯罪もまた︑実際の訴追の脅威の下で︑インフォーマル
に解決される︒刑法が実際に動員されるのは極めて稀なことである(Black,1976)︒
このような事実認識にもかかわらず︑犯罪に対する社会的反作用が研究される時︑大部分の犯罪学者は刑法の周り
を旋回し続ける︒ようやく過去二十年強にわたって︑インフォーマルならびにフォーマルな非国家的犯罪統制メカニ
ズムに関する本格的な経験的研究が犯罪学において何らかの地位を得るようになった︒犯罪学者でさえ︑刑法が存在
しなければ混沌と無秩序が社会全体に蔓延するという格言をいまでもまだ信じているように思われる︒しかしながら︑
経験的データは︑刑法が犯罪統制のプロセスにおいて何らかの中心的位置を占めるという考えを支持しない︒小さい
けれども人口密度が高く︑高度に産業化され︑千六百万の人口をもつ多文化社会のオランダでは︑被害者調査によれ
ば︑年間約四百八十万件の犯罪が犯されている︒それらの約三分の一にあたる百六十万件が実際に警察に届け出られ
ている︒公式警察統計は年間百三十万件の犯罪を記録している︒これらの六分の一が解明されているだけである︒警
察以外の機関(様々な経済・財政統制機関︑軍事警察︑税関︑入国管理局など)によって発見された犯罪とともに︑
二 一世 紀 犯 罪 学 の 展望(六)(竹 村)
これが裁判所における年間約二十三万五千件の取扱件数となる︒これらの半数が検察によって解決される(検察罰金
(prosecutorial fines)︑裁判外解決︑棄却など)︒推計される犯罪総数の二・四%にあたる残りの十一万五千件の犯罪
が裁判にかけられる︒これらの訴訟事件の約九二%において︑犯罪者に有罪の判決が下される︒そのうち三二%が罰
金刑︑三〇%が拘禁刑︑一四%が(公益のための無報酬労働︑何らかの教育的プログラムのような)コミュニティー
制裁である︒これらの制裁は︑相互に︑他の刑罰と︑そして︑入院命令(hospital order)︑免許や不法取得利益の回
収のような刑罰手段と併科することができる(Huls et al.,2001,p.224)°こうして︑刑事手続が実際に始まったまれ
な事件でさえ︑訴追犯罪の大部分は裁判にはけっして至らない︒事件が刑事手続に係らせるか否かの最大の選択は︑
警察レベルで行われる︒
本稿では︑犯罪が実際に刑事司法システムと関わる前に解決されるあらゆるインフォーマルな方法については論じ
ない︒私たちは言葉の厳密な法的意味における刑法︑すなわち︑法律家によって実践され研究される規則と原理の体
系についても論じない︒私たちは︑通常︑刑事司法のより社会学的な用語によって示される︑犯罪に対するあらゆる
制度的応答について論じる︒これには︑国家によって組織されたか民間のものであるかどうか︑あるいは︑法的︑治
療的︑行政的︑政治的のいずれの特徴があるかどうかの問題にかかわらず︑犯罪統制を目的とするすべてのフォーマ
ルな制度と政策が含まれる︒
社会統制の変化
社会統制〜社会が好ましくない行為を統制しようと努めるあらゆる手段・方法〜の分析から︑五つの分析的特徴を
引き出すことができる︒私たちは︑通例︑フォーマルな社会統制とインフォーマルな社会統制︑国家によって組織さ
桐 蔭 法 学10巻1号(2003年)
れた統制と民間の統制︑事前統制と事後統制︑強制的統制と説得的統制︑私的領域における統制と公的領域における
統制をそれぞれ区別する(Scheerer and Hess,1997)︒私たちは︑すでに︑旧来の処罰的アプローチがヨーロッパの
どの地域においても明らかに存続しないことを論じた︒たとえば︑オランダの刑務所人口は過去二五年間に五倍に増
加した︒しかしながら︑この原因は︑主としてより長期の刑期にあり︑きわめてより多くの人々が刑務所に送られた
という事実にあるのではない(van Swaaningen and de Jonge,1995)︒犯罪統制における全体的な情勢は︑よりイン
フォーマルで︑私的で︑事前的で︑説得的な統制形態に向かう傾向にあった︒この経過に関して︑社会統制のさらな
る分散というStan Cohenの予言(1985)は︑ある程度まで実際に起った︒
犯罪統制は伝統的に公的領域に限られていたが︑このはっきりとした境界が今日ではよりぼんやりとしている︒電
話の会話を盗聴し︑CD‑ROMに記録する︑あるいは︑遠く離れた所から高感度マイクを使って私的な会話を盗聴
する新しい捜査テクニックは︑家庭をその者の城ではなくした︒そして︑ドメスティック・バイオレンスや近親相姦
のような問題が政策の議事日程において確固たる位置を占めるようになり︑警察が以前は﹁私的﹂なものとされてい
た問題に実際に介入するようになった︒私たちは︑特殊な統制様式をもつセミ・プライベートな領域の出現も見るこ
とができる︒このセミ・プライベートな領域は︑原則として公衆に開かれているが︑民間のセキュリティーの職員に
よって統制される場所によって構成される(Jones and Newburn,1999)︒このセミ・プライベート領域の例は︑ショッ
ピングモール(商店街)あるいはオフィス地区のような﹁非居住地﹂ばかりでなく︑ヨーロッパではまれにしか見ら
れない︑ゲイティッド・コミュニティー(gated community)あるいはコンドミニアムのような誰でも入ることがで
きない場所もである︒
今日︑刑事司法機関が公式文書で︑刑法が犯罪統制においてあまり重要な役割を果していないこと︑および︑多く
二 一 世 紀 犯罪 学 の 展望(六)(竹 村)
のずっとより効果的な統制メカニズムが存在することを認めるのは︑まったく新しいことである︒ネオ・リベラル的
なグローバリゼーションが進行する中で国家が後退する方向に沿って︑刑法はきわめて多くの領域を民間企業と市民
社会に引き渡した︒オランダ司法省の近年の政策プラン(二〇〇一年)は︑﹃犯罪統制〜可視的な政府への投資〜﹄と
いうこのような関心を示すタイトルが付けられている︒明らかに︑これまで国家はあまりに不透明すぎた︒白書に一
貫して見られる思想は︑効果的な犯罪統制は︑新しいグローバル化され情報化された社会では︑多数の一般人と専門
の機関が協力し︑国家がその中心的な統制機能を奪還して初めて可能となる︑ということである︒
何が刑事司法におけるこれらの変化を引き起こしたのであろうか︒五つの主要な展開から始めよう︒
刑 事 司 法 の 理 論 的 根 拠 の 変 化
刑事司法の変化のあり方に影響を及ぼした第一の要因は︑被害者の解放と呼ぶことができるであろうことにある︒
伝統的な刑法では︑被害者は著しく不安定な立場にあった︒﹁被害者﹂という単語が出てきさえしない刑法の参考書を
読むことはまれなことではない︒被害者が刑事手続において実際に果すことができる唯一の役割は証人の役割である︒
犯罪者あるいは国家の当事者としての役割は︑民法における役割を超えるものである︒刑法は第一に犯罪者の有罪に
関係している︒ひとたび有罪が確定したとしても︑刑法は被害者を補償し︑損害を修復するための道具を何も提供し
ない︒一九七〇年代における被害者の解放︑一九八〇年代における被害者化の影響および犯罪の恐怖に関する数百に
及ぶ研究によって︑このことは容認することができない刑事司法の欠点として広範囲に認められた(Boutellier,
2000)︒それ以来︑被害者支援と損害回復のための広範囲にわたる諸施策が提供されている(Blad,2001)︒これらの制
桐 蔭法 学10巻1号(2003年)
度改革に続いて︑被害者の解放は刑事司法の理論的根拠にとって極めて重要な結果をもたらした︒システムの内的論
理は︑﹁犯罪の恐怖﹂﹁不安﹂あるいは本当の復讐心のような主観的︑非合理的要素によって﹁かき乱され﹂る︒
これと関連し︑私たちは犯罪レベルの上昇に対する関心の増大と犯罪に対するメディアの関心の変化との間の相互
作用を見ることができる︒一九八〇年代まで︑メディアが犯罪に向けていた注意は︑少なくともオランダでは︑きわ
めてわずかであった︒その後︑メディアは︑街路犯罪とホワイトカラー犯罪を同様に︑ますます多くの犯罪を報じる
ようになった︒﹁捜査的ジャーナリズム﹂﹁リアリティTV﹂﹁情報娯楽﹂(infotainment)の旗印の下に︑私たちは犯罪
に関するテレビ番組のまったく新しいカテゴリーを手に入れた︒この展開に関して二種類の説明がある︒このメディ
アの関心の増大が一般の人々の間の犯罪に関する関心の増大に対する反作用であったと主張される︒一九八〇年代末
までに︑犯罪レベルが高まり︑犯罪はより重大な問題となり︑犯罪の恐怖はますます増加した︒メディアは社会で何
が起っているかを報じただけである︒しかしながら︑犯罪の恐怖の増大は︑メディアの犯罪に対する関心が増大した
結果︑そして︑多様なメディア間の競争が激化した結果としても考えられる︒今日︑実際に︑メディアはいずれも生
き延びるためにできるだけ多くの視聴者を引きつけなければならない︒試合中継︑ソフトコアのポルノ︑メロドラマ
に次いで︑﹁リアル・クライム﹂ショー(real crime show)は多数の視聴者を引きつけている︒その結果︑犯罪問題
は猛烈な勢いで増幅される︒この犯罪報道の過剰摂取は︑今日︑ヨーロッパでも︑犯罪統制に関して強硬な主張をす
ることによって票を獲得しようとする政治家を通じて︑刑事司法政策に人民主義的特徴を付与している︒
第三の主たる変化は︑犯罪の概念が安全まで拡張されたことである︒構造︑状況︑個人レベルにおけるあらゆる範
囲の犯罪予防手段が取られてきた︒中央の国家よりも︑むしろ︑地方自治体がこの点で重要な役割を果す︒本稿では︑
これらの内容については言及しない(van Swaaningen,2001)︒ここでは︑現在︑どの地方自治体も自身のセーフ
二一世 紀 犯罪 学 の展望(六)(竹 村)
ティー・プランを持っていることを強調することが重要である︒これらのプランは︑単語の法的意味における犯罪に
それほど向けられているのではなく︑﹁不快な行為﹂(nuisance)あるいは﹁無礼な行為﹂(incivilities)として定義づ
けられる著しく広範な行為との闘い︑いやそれどころか︑極めて一般的な用語における不安や(街路)犯罪の恐怖と
の取り組みに向けられている︒公式文書において︑この点で︑明らかに破れ窓(修理)アプローチ((fixing)broken
windows approach)が反響している(Kelling and Coles,1996; Ministry of Justice,2001)︒犯罪予防プログラム
は︑ユース・ワーク︑ストリート・コーナー・ワーク︑コミュニティー・ワーク︑そして︑住宅︑公衆衛生︑街路.
街路灯整備等の領域における地方自治体のいくつかのサービスの職員と共同して︑警察によって実施される︒この戦
略は︑これらすべてのサービスが犯罪予防と犯罪との闘いに関して果すべき役割を持っているという認識に基づいて
いる︒二〇〇一年オランダ司法省政策プラン(Ministry of Justice the Netherlands,2001,p.3)の巻頭言に次のよ
うな一文がある︒すなわち︑﹁犯罪統制は︑行政︑社会︑企業︑市民︑警察︑司法に等しく課された任務である︒﹂David
Garland(2001)は︑犯罪統制における個人︑政府機関︑協力事業を含むような積極的な政策を表わす新語﹁責任化﹂
(responsibilization)を造り出した︒監視から錠前や電子装置の生産と販売まで︑民間の警備産業の激増は安全言説(safety discourse)の著しい流行によって説明することができる︒
第四の傾向は︑刑事司法機関自体が︑多くの場合︑行政的方策が刑罰的介入よりも遙かにより効果的な犯罪統制手
段であることを認めるようになったことである︒ゆっくりとしかし確実に︑法の支配の優位は行政的権力の優位に道
をあけつつある︒とりわけ公の秩序の領域では︑刑罰的権限よりも行政的権限が潜在的な犯罪温床的状況を統制する
ために用いられる︒一定の業務を規則違反があると取り消すことができる認可・免許と結びつける行政的実践も広まっ
てきた︒速度制限違反のような道路交通法違反は︑ほとんどすべて自動化され︑単なる行政処分として処理される︒
桐 蔭 法 学10巻1号(2003年)
高速自動車道のカメラが交通違反を記録し︑数日後︑違反車の所有者はいわゆる行政罰の通知を受け取る︒彼あるい
は彼女が違反金を支払った場合︑刑事訴追は開始されない︒極端な場合︑厳罰が科されることがある︒すなわち︑運
転者は彼あるいは彼女の運転免許を取り消され︑あるいは︑自動車を押収される恐れさえあり得る︒諸規則の行政的
執行も企業犯罪の統制において広範に実践されている︒企業が税法あるいは環境保護に関わる法に違反した場合︑こ
れらの規則の不遵守を理由として︑規則にしたがって業務が遂行されるまで︑毎日︑一定の損害賠償を負わせること
ができる︒極端な場合︑たとえば︑環境を汚染している企業が廃棄物処理方法を改善することを拒絶した場合︑当該
企業は閉鎖されることがある︒この実務も︑企業の一定の従業員あるいは重要な地位にある者を訴追するよりも︑は
るかにより効果的であることが証明されている︒近年における行政措置増加の例は︑オランダにおいて売春宿の経営
を非犯罪化したことである︒今日では︑売春宿を開業することを望む者は誰でも︑認可を申請し︑安全︑健康管理︑
労働環境等に関する一定の条件に従わなければならない︒これらが遵守されない場合︑許可は取り消されることがあ
る︒
第五の傾向は︑刑法の執行がますます刑事手続の予備段階に移行しつつあることである︒現在︑最も重要な決定が
なされるのは︑最早裁判所ではなく︑警察レベルにおいてである︒刑事司法政策の発展によって︑犯罪行為が実際に
発生する前に介入するという要求が増加している︒いわゆる事前的取締が伝統的な事後的取締と比べはるかにより重
要になった︒監視と潜入はこの実務の最もよく知られた例である︒しかしながら︑最新かつおそらく最も重要な傾向
は︑怪しい場所と﹁ホット・スポット﹂(多数の街路犯罪が集中して発生する場所)を地図上に正確に描き︑一定の犯
罪に関して︑リスクならびに犯罪者プロファイルを作成するいわゆるリスク・プロファイラー(risk‑profiler)の重要
性が高まっていることである︒
二一 世 紀 犯 罪 学 の展 望(六)(竹 村)
経 営 管 理 主 義 と 法 原 則
刑法の古典的規範原則の多くは︑犯罪統制の新たな実践において︑効果に関する経験的カテゴリーによって拒絶さ
れた︒いわゆる﹁何が効果があるのか﹂(what works)基準の流行︑すなわち︑犯罪統制に寄与するものとして評価
されてきた﹁最善の実践﹂を鼓舞することは︑この最たる実例である(Sherman,1997; Ministry of Justice,2001)︒
専断的国家介入への反対を保証するものとして刑法を考える古典的でベッカリーア的な仮定は︑国家による社会の保
護に関するディスコースに取って代わられた︒それはまったく新しいことではない︒一九世紀末に︑Franz von Liszt
と刑事科学の近代学派も︑彼が社会防衛と呼んだものに向かう機能主義的方向性を提案した(van Swaaningen,1997,
p.29‑44)︒しかしながら︑今日︑私たちが刑事司法について語る方法は︑von Lisztの時代におけるものと根本的に異
なる︒かつては市民権としてのマグナカルタが中心に置かれていたが︑今日では︑﹁企業組織﹂(company)が秩序と
制裁を生み出すと考えられている︒オランダ司法省の政策プラン(Ministry of Justice the Netherlands,2001,p.
5)からの引用は︑この意味論上の変化の実例である︒﹁刑罰連鎖(penal chain)は統一体である︒監視と取調べが多
くなれば自動的により多くの刑事事件を導く︒(⁝)したがって︑監視と取調べへの投資は︑予想される事件の増
加に対処するために︑きっと刑罰連鎖(検察︑裁判所︑刑務所︑プロベーション︑近隣司法センター︑児童の保護︑
法律扶助)における次の連結節への投資を導くであろう︒﹂刑事司法に関する政策文書は︑オランダでは︑主として︑
刑事司法の社会的機能や効果よりも︑﹁企業組織﹂の内部機構により関係している(van Swaaningen,2000)︒
刑法に関する古典的でベッカリーア的な考えはほとんどすべて事実上過去のものとなっている︒刑法の事後的性格
桐 蔭 法 学10巻1号(2003年)
は弱まりつつある︒個人責任原則ならびにこれと関連する刑事手続の諸原則も中枢的な重要性を失いつつある︒罪刑
法定原則(刑罰的介入は︑刑法典に定められた場合のみ︑これらの規定に定められた方法でのみ許されるというロー
マ法の考え)は︑いかなる刑法の執行もそれを超えることが許されないという制限として最早機能することがなく︑
今日では︑リスクの発生前(ante delictum)マネージメントやあらゆる種類の迷惑行為︑無作法な行為︑それどころ
か恐怖の統制にまで拡張されている︒von Lisztでさえ︑これらの古典的な刑法原則を刑罰的介入の絶対的限界と考
えていた︒今日では︑犯罪統制機関に民間警備会社︑市民社会︑特殊法人(国家の任務を遂行する半民間の機関)が
含まれ︑国家も﹁暴力の独占﹂を失った︒そして︑法の前での平等の原則もその意味の大部分を失い︑今日では︑い
かなる反作用がなされるべきかを決定するのは︑最早︑犯罪者の罪責と犯罪の重大性ではなく︑一定の反作用に見込
まれる効果である︒社会的成熟の欠如あるいは自己統制の低さが︑ある者が警察と関わるようになった原因であると
考える場合には︑この犯罪者はこれらの技能を高めるコースに参加しなければならないであろう︒同様の犯罪を犯し
ながら異なる診断を受けた者は︑他の種類の刑罰を受けるであろう︒
この新しい経営管理的刑事司法システムには︑いかなる原則もないのであろうか︒いや︑存在する︒その指導原理
は︑効率性︑計算可能性︑予測可能性︑統制︑合理化である︒あらゆる領域の社会制度をあまねく指導しているこれ
らの原理は︑社会のマクドナルド化(McDonaldization)と呼ばれてきた(Ritzer,1996)︒マクドナルド化は︑ウェー
バー流の合理化プロセスに取って代わるポストモダン的な継承者であり︑多数の国家機能が民営化され︑イデオロギー
的にビジネスに変形される現在のリアリティーに適合する︒それは︑公益事業はハンバーガー・チェーンのように経
営管理することができ︑そして︑すべきであるという仮定に基づいている︒あらゆる犯罪者の個別処遇は︑高度に標
準化された刑罰産出過程(penal production process)に取って代わられる︒後者は︑判例法と政策的優先性ばかりで
二一世 紀 犯罪 学 の展 望(六)(竹 村)
なく︑主として︑統計的蓋然性に関する研究に基づくガイドラインに準拠する︒現在における刑事司法政策の究極的
な問題は︑ある施策が犯罪率を減少させる効果があるかどうかである︒これが必然的に無効であるかどうかという問
題に答える前に︑新しい犯罪統制システムの他のいくつかの特徴を検討しなければならない︒
新しいテクニックの役割
いま一つvon Lisztの時代と比べまったく新しい事は︑社会防衛が遂行されるテクニックである︒今日の社会では︑
概して︑私たちの行動が科学的技術的に広範に統制されるのを観察することができる︒契約・商取引︑閲覧したウェ
ブサイト︑送受信した電子メールは︑すべて追跡することができる︒カメラが私たちの行動の多くを追跡する︒そし
て︑私たちの医療︑学業︑労働︑納税︑警察に関わる記録は︑関係当局が第三者の利益を認める場合︑原則としてそ
の者の利用に供することができる︒犯罪統制に関する二〇〇一年オランダ政策プランにおいて︑これらすべての新し
いテクニックに対する高度の期待︑および︑法執行機関がとりわけ組織犯罪との﹁闘いに勝つ﹂ための主として情報
伝達テクノロジー(ICT:information and communication technology)に関する十分な知識をまだ持っていないこ
とに対する懸念︑これら両者が表明されている︒
高等テクニックが今日の法執行においてすでに果している役割が︑過大評価されることはけっしてあり得ない︒今
日︑大きなメモリーを備える巨大コンピュータを手にしており︑ある日時︑場所で発生したすべての犯罪を犯罪者と
被害者の平均的プロファイルと一緒に記録し︑これらの変数の間のすべての相関関係を表わすスプレッドシートを作
成することができる︒このようにして︑﹁ホット・スポット(犯罪・非行頻発地帯)﹂および犯罪者・被害者プロファ