WordsworthのGrasmereへの隠遁 : 彼の農村共同体 志向とその歴史的意味合い
著者 高井 由利子
雑誌名 Core
号 6
ページ 19‑36
発行年 1977‑03‑31
権利 同志社大学英文学会Core編集部
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016378
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Wordsworth の Grasmere への隠遁
一 一 彼 の 農 村 共 同 体 志 向 と そ の 歴 史 的 意 味 合 い 一 一
高 井 由 利 子
1799年の12月に, 29歳の Wi11iamW ordsworthは,妹Dorothyを伴 って,湖水地方のちょうど中心に位置し,四方に山と湖を臨む Grasmere の,古い田舎家, Dove Cottageに移り住み,その後1808年まで, 9年間 に渡って定住する.この期間に ,Lyrical Balladsは何度も版を重ね,序 文が書き加えられ,The Prelude, The Excursi01ら あるいは,未完の長 詩 ,The Recluseも,すでに書き始められている Wordsworthの創作 の量の大きさからも,この時期は,詩人が大きな創作意欲に,っき動かさ れていたことが知れよう.一方ヲ詩人の精神生活においても Grasmere 在住のいく年かは,ひとつのきわ立った変化を遂げた時期であることは,
彼の詩の中に,あるいは,散文で、書かれたものの中に読みとることができ る.ここで、は, W ordsworthの Grasmereに対する強い愛着の表現の,
思想的,情緒的根拠を, Grasmereという農村の,具体的事象の中に求め,
それが,詩人の感情の上におよぼした感化力を推しはかることによって,
Wordsworthの精神的遍歴の転換点となった Grasmereで、の生活の意義 を,とらえようとするものである.
Wordsworth は,The EXCU1叫onの αPreface" (1814) の中で,
"the Author retired to his native mountains"や , apoet living in retirement"と自分を表現している(1) あるいはThePrelude に続く はずの長詩が ,The Recluseというタイトノレを与えられていることを考え れば,詩人の一貫した sec1usion志向のパターンを,それらの中に読みと
20 WordsworthのGrasmereへの隠遁
ることができょう M.H. Abramsも,その著 NaturalSupernatural‑ ismで,指摘するように, W ordsworthは,一連の自叙伝的長詩を書き 続げながら,常に, "home"への回帰というテーマを固執し続けている.
とりわけ ThePreludeでは,最後に詩人が帰り着く地点は,彼の遍歴の 最終点となる場所で,常に Grasmereと一致している(2) TJze Prelude の Introduction"でも,長い旅を終えて,心の休息苦ど求めて "home"
めざして帰路にっこうとする詩人の自画像が,提示されている.
...bidding then A farewell to the City left behind,
Even with the chance equipment of that hour I journey'd toward the Vale that 1 had chosen. (3)
ここでは City"と Vale"が対照的につき合わされ,詩人 は Vale"
を目的意識的に,希求の対象として,認識していることが知れる.続いて 彼は,到着した谷間を, myhermitage"と呼び,その土地で発見した,
無類の喜びを語っている.
A pleasant loitering journey, through two days Continued, brought me to my hermitage. (4)
未完の TheRecluseの部分として残る Homeat Grasmere"において も, Grasmere IJ:.,旅の終着点として,また詩人の理想郷として,強く意 識されている.
This small Abiding‑place of many men
,
A termination, and a last retreat,
A Centre, come from wheresoe'er you will, A Whol巴 withoutdependence or defect. . Perfect Contentment, Unity entire. (51
Wordsworthの後に続く,ロマン派の詩人たちは多くの場合,祖国英菌
WordsworthのGrasrnereへの隠遁 21 をあとにしたまま,異郷でその生涯を終えている Byronはミソロンギ の戦場で果て, Keatsローマで客死し, Shelleyはやはり,イタリアで水 死するという共通の運命を背負っている.ところが Wordsworthは,フ ランスラスイス, ドイツと,大陸旅行をしながら,そして,フランスで、は,
革命に直接的な参加をしてながら,最終的には,英国へ帰郷して一生を終え る.この点、において, W ordsworthの放浪は,後輩の詩人たちのそれとは,
決定的は相違が見出せる161.M. H. Abramsは前掲書において, i.l¥f ords‑ worthのこの遍歴が,円形の構成 (circularorganization)を持つこと を,指摘している(7) つまり,彼の,円形の軌跡を描く遍歴の出発点は,
幼い月日を過ごした湖水地方の山々であり,彼が遍置を彩えて帰り着く地 点も,同様?こ,湖水地方,より具体的には, Grasmereと理解することが できる.
Wordsworthにとって, Grasmereが,このように抗い難い魅力を持 っていたことの,最も単純は理由は,何よりもまず,その絵画的映像の 美しさにある.1769年の出版になる,湖水地方の旅行記 Journalin the Lakesで, Thomas Grayは, Grasmereの景観を, oneof the sweet‑ est landscapes that art eve;‑ attempted to imitate"と呼んで,湖 や,村,教会を,こと細かに:描写し,その全体の印象を thislittle un‑
suspected paradise"という言葉で,しめくくっている181,1807年:こ初め て Wordsworthを訪れる DeQuinceyも¥Vordsworth兄妹の住む家の,
花に埋れる様を,回想して,次のように書いている.
One window there was‑‑a perfect and unpretending cot‑ tage window...embowered, at almost every season of the year, with roses; and, in the summer and autumn, with
a profusion of jessamine and other fragrant shrubs. (9)
あるいは又, W ordsworthの 1800年の創作になる OnNaturels In‑ vitation Do 1 Come"の最後の5行ーなども,谷あいの村に民家の点在す
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る,牧歌的な風景を,読む者によく伝えている.
Thy Church. and cottage of mountain stone Clustered like stars some few, but single most, And lurking dimly in their shy retreats, Or glancing at each other cheerful looks, Like separate stars with clouds between.倒
詩人が特に,この土地 Grasmereを選び, 自然のさそうがままにやっ て来たことの背後には Homeat Grasmere"の官頭にのべられている ような9 少年時代に,偶然こ目の当りにしたときの,強い印象のあったこ とが考えられる. そのような体験以外にも retirement" hermitag巴"
行巴cluse" retreat"といった一連の言葉で表現されている詩人の seclu‑ sion志向には,別の, 内的な動機の裏付けがあり, そこに, 1,皮の何らか の意図や,目的を見い出し得るように思われるe
上に述べたような,様々の表現を与えられたGrasmereが,現実的にはヲ どのような経済的基盤の上に成立していたかという疑問に答える手がかり として,妹 DorothyのjournalやWordsworthの散文の作品より多く の素材を求めることができる.
当時の Grasmereの日常的な生活の様相は Dorothy W ordsworth の Grasmerejournalの中にうかがい知れる Dorothyは,この中で,
1800年5月より, 1803年1月までの Grasmereでの兄との生活を,日誌 の形でこと細かにつづ、っており, 詩人の日常生活を, のぞき見たれ そ の創作活動の秘密を知る資料としてだけではなく,当時の農村の生活や,
村の人々の気質まで忠実に伝えていて,たぐいまれな文学的香気を放つ.
Grasmere journalの叙述のきわ立った特徴のひとつは,刻々に変化して やまない,山や湖,木々や花,鳥の印象のそのままの,スケッチである@
もうひとつの特徴的な叙述は,この平和な自然と,村の生活が成り立って いた経済機構や,村の住人の日々の営みや,生活感情までをも,無意識の
WordsworthのGrasrnereへの隠遁 23
うちに,写し取っていることにある.
二つの世紀の転換点という時期にあって ,Journalは, Grasmereの村 tこまでおしょせる,近代化の波の跡を,はっきりと記している.Dorothy の描いた,一見平和な村を,ひんぱんに,乞食や,浮浪者,水夫や古参兵,
老人,病人など宿のない人々が,横切ってゆく.彼らは,通りすがりの農 家で物乞いし,食べ物や金銭,あるいは寝床をあてがわれ,再び放浪を続 けている.Dorothyは, 1800年の時勢全般について,ある日物乞いに来た 女性が thesehard times"と嘆いたことを書きとめている(11). Grasmere への近代化の影響とは,これらの放浪者の運んで来る間接的なものだけに は,とどまらず, Grasmereはすでにその内部に,崩壊の危機をはらんでい ることが知れる.Dove Cottageの近所に住む JohnFisherはDorothy に向って,中小の土地所有者が,その土地を買い上げられて,その結果,
極端な貧富の差が広がりつつあることを語っている.
He talked much about the alteration in the times, and observed that in a short time there would be only two ranks of people, the very rich and the very poor, for those who have small estates says he are forced to se ,1l and all the land goes into one hand.ω
John Fisherの語った言葉にうかがえる,零細な借地農民のこうむった 生活難は, T. S. Ashton, H. J. Habakkuk, Raymond Wil1iamsとい った歴史学者や思想史家の見解と一致している凶.彼らは一様に,下層農 民の生活難は,大規模な生産の集中と向上をめざす9 イギリス農業全般に 見られた,耕作地の少数者による再編成の結果であると説明している.
さらには,これら閤い込みによる生活苦に加えて, 18世 紀 末 に 物 価 が 驚異な高騰をしたJ(14)と, Habakkukが論証していることをみれぽ "these hard tim巴s"と表現された事実の裏付けを得たと言ってもよいだろう.
Dorothy W ordsworthの書き記している数知れない放浪者の発生する
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根拠は,農業生産の急速な増加をはかろうとする,固い込みにあると言え る.The lndustrial Revolution, 1760‑1830の中で, T. S. Ashton は,囲い込み以前には, Common" と呼ばれる村の寄合い地で,最少必 要限度の生活の糧を得ていた cottager"とか squatter"とか呼ばれる 無産の人々が,囲い込みによって生活基盤を失い,放浪をはじめ,やがて,
都市労働者として形成されてゆく過程を,次のように,簡潔に表現してい る.
Evicted from their cottages ... they crowded to areas where the fields were stil1 open, or took to vagrancy. They and their descendants must have contributed largely to the body of semi‑employed, inefficient labour...証明
なお Ashtonの言う squatter"の内容などは, Dorothy 司,Tordsworth の写しとっている貧民の群れと酷似している点でも,きわめて興味深いM.
ItVilliam W ordsworthの Guideto the Lakes(f司はさらに明確に, 18 世紀末に顕著に威力をふるう近代化と,古い農村の経済の破壊との,因果 関係を語っていて興味深い.湖水地方とそこに住む人々は Wordsworth kこは, commonwealth"と呼ばれ,生活の様式と,主要な思想を共有し た集合体としての機能を持っていると言われる,従って,詩人が湖水地方 を語るときには,単にその風光明拐なことだけでなく,そこに住む人々の 精神的素養が,一層の重みをもって語られているのを見ることができる.
Guide中で, W ordsworthは,囲い込みが深刻な影響をおよぼす以前の Grasmereを写した, GrayのJournalを引用し,その美しさが何に由来 するのか,順次に説明を加えてゆく.旅行者にしかすぎないGrayである が,その包は, Grasmereの美しさが,共同体としての生活の基礎に多く を負っていることを見抜いている.
Not a single red tile, no flaming gentleman's house, or
WordsworthのGrasmereへの隠遁
garden walls break in upon the repose of this little un‑
suspected paradise, but all is peace, rusticity, and happy poverty in its neatest, most becoming attire. 11母
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Grasmereの古い農村社会は,ほとんど自給自足の経済の上に成り立ち,
農業,牧畜そして全〈人間の手による紡織を,主な稼業としていた.18世 紀の Grasmereを語る Wordsworthの言葉はヲ我々に,それが,独立 自由農民の集合であったという印象を与える担01
…
person and possession exibited a perfect equality, a community of shepherds and agriculturists, proprietors, for the most part, of the lands which they occupied and cu1tivated. 信由そしていく世代にも渡って,人々は同じ仕事に従事し,祖先伝来の生活様 式を守り,家屋の造りにいたるまで,長い年月の自然との同化作用の中で,
全体がひとつの見事な調和をなしていたことも言われている.この土地の 交通の手段比需であり,気候は厳しく,その土地生まれの羊飼いでさえ,
雪の中で遭難することがしばしばあったと言われる。11暗
Grayが littleunsuspected paradise"という高い賛辞を与えたこの 共河体も, 18世紀末より, 19世紀初頭にかけて,外部より侵蝕され,また 次第に内部より崩壊してゆこうとする多くの兆候をWodsworthは感じと っている.この長く続いた共同体の死をもたらすものの最たるものは経済 的要因である. W ordsworthは,紡織に機械が導入されたこと(し、わゆ る産業革命〉と,続いて起る農業の大規模化と生産力増大(農業革命〉の 双方に押されて,小規模で生産していた農家が,稼業をすべて放棄せざる を得なくなったという,英国産業革命の大きな筋道と,農村への重圧を,
簡潔な筆づかいで描写しており,その洞察力の深さは,このことからだけ でもよくうかがえる.W ordsworthの言う古い共同体が,経済な平等を基 礎としていたこととは対照的に,富の力の行使よって,古い住民は分散し,
26 WordsworthのGrasmereへのi翠遁
共同体が,その機能を失ってゆく過程が,次のように,巧みに言い表わさ れている.
. proprietors and farmers being no long巴r able to maintain themselves upon small farms, several are united in one and the buildings go to decay, or are destroyed; and . the lands
… …
fall into the hands of w巴a1thypurch‑3.sers, who
… …
erect new mansions out of the ruins of the ancient cottages...・経済的な面で,著しい変化をもたらした近代化の影響が,村の景観まで をも侵蝕しつつある現状に YVords'vvorthは危機的な不安の念を抱いて いる.京Tordsworthの Guideでの最も重要な論議のひとつは,湖水地方 の景観を,その古い形態のまま保存せねばならぬという主張にある.この 地方の景観が損われつつあることの原因のひとつは,先に述べたように,
外来者が大量に土地を買い上げたことにあり,他のひとつは, 18世 紀 に 始まった,新しい庭園術の流行とヲこの地方への旅行者の増加にある.
Wordsworthは英国中から旅行者が,この地に群がり集まった」凶と表 現しているし,妹の Dorothyも 1800年6月9日の Journalに,自分た ちの家や庭までヵ"旅行者の見せ物となり始めたことの居心地の悪さを記 しているω.長い年月かかって,農村と9 自然とが織りなして来た統一的 美観は,村の新しい住人や旅行者といった,外部より持ちこまれた不調和 の要素によって,たちまち崩れ去ったと言われる.W ordsworthの,これ ら外来の越味に対する観察と批評は厳しく,家屋の造り,その色づかい,
新しく植えられる樹の種類に至るまで,批判の対象となっている.例えば Wordsworthは,山?こからまつを大量に植えて,その生育の早いことを 利用して,商業価値をひき出そうとする,当時の改良主義に対して,から まつの姿Jこ気品がないからという第一の理由で,反対している凶.この場 合の彼の反対の根拠といえども,美観に関すでる個人的見解の押し付けでは
Wordsworthの Grasmereへの溜逓 27
なく,からまっ栽培という商業的精神への対抗という,道義的骨子のある ことは,見のがすことができない.風光や景観といったものまで, Word‑
sworthにあっては,それを媒介する人間の生活や思想の表象として,認 識されているa
Guideは,その題名から判断する限り, 19世紀初頭の,湖水地方への旅 行熱の流行に則ったものであるかのような印象を与えるが,実際には,急 速に失われつつある湖水地方の美しさの擁護と,農村の生活の破壊されつ つある現状に対する抗議を,その主観としている.
従って Grasmereは, M. H. Abramsが home"と呼び, Words‑
worth自身 atermination",a last retreat"とαHomeat Grasmere"
で表現するような,その古い制度や,住民をそっくり残した,永遠のユー トピアではなく,詩人の遍歴している聞に,次第に古い面影を失い,現実に は,相当に面変わりのした故郷で、あるということができる.1802年に創作 された詩の中で Wordsworthは Grasmereに求めたものが studious leisure"であったことを九・tothe attraction of the busy worldf Preferring studious leisure, 1 had chosenfA habitation in this peaceful Vale. "同とうたっているが9 この谷あいの村とても,騒々しい 外の世界の影響を全くまぬがれてはいなかったと言える,こうして詩人は,
隠遁したはずの谷あいの村で,古い農村共同体擁護のため,近代化の攻勢 に対する闘争を余儀なくされる運命にあったと考えることができる.この ような, W ordsworthの遍歴と,隠遁にある一種のアイロニーに, 18世 紀より, 19世紀にかけての,歴史の大波に翻弄された詩人の姿が,とらえ られよう.下に引用する Guideの一節などには, 'Vordsworthの生きた 時代の大きな変化の波と,その中での Wordsworth自身の道義的立場が,
明快に述べられており,宣言とも言うべき意味内容を備えている,
The author has been induced to speak thus at length, by a wish to preserve the native beauty of this delightful
28 WordsworthのGrasmereへの隠遁
district, because sti11 further changes in its appearance must inevitably fol1ow, from the change of inhabitants and owners which is rapidly taking place. ~m
今ここで二つの世紀のつなぎに当る時期を,歴史的に把握するために,
大きく時代の特徴をながめてみたい.
産業革命以前の,イギリスの社会の形態が,土地所有を経済的基盤とし ていたことは,歴史学者,経済学者のしきりに指摘するところである.18 世紀後半になって,産業革命と,それに呼応した農業生産の巨大化は,旧 来の,経済の秩序を大きく変えたことはすでにのベた.潟水地方に関して みれば,囲い込みはいくらか行なわれて来てはいたが,山あいの土地に,
広大な囲い込みをされない土地が残され9 その牧草を利用して牧畜が行な われ,家畜の数は,必要な牧草の供給量を,はる7J‑:'に上まわっていたとい うことを, 18世紀末の文献に則して Macleanが,論じている凶.この囲 い込みをまぬがれた土地が広大にあることは,そこで、わす9かばかりの生活 の糧を得ていた,多くの零細な農民の存在したことも,同時に意味する.
Macleanは,同じ世紀末の文献 (General View of the Agricultw〆6
of the County of Cumberland)によって論証しているが,カンノミーラン ドで、は,他の地方には類のないほど9 土地が細分割され,その各々に所有 者がいたと言う.この文献の出版が1794年であることを見ればV¥1ordswo‑ rthが,零細な自営農民の集合としてとらえている,古い農村共同体が,現 実性の稀薄な昔ばなしであったとか,詩人の空想力の産物であるとかいう
ことは,まずもって考えられない.これらの裏付をもって読めば Words‑
worthが, thispure Community, " an ideal society"あるいは,
an organised community"と高い賛辞を与える農村の牧歌的風物も,詩 人は過去形で、記してレるにもかかわらず9現実感を伴って,読む事がで、きる.
Toward the head of these Dales was found a perfect Re‑
pub1ic of Shepherds and Agriculturists, among whom the
WordsworthのGrasrnereへの隠遁
plough of each man was confined to the maintenance of his own family …… Two or three cows furnished each family with milk and cheese.側
29
あるいはまた, Homeat Grasmere"では, VV ordsworthがGrasmere の住人は,自由民であり,その労働は,疎外を知らないと現在形で表現し ている,印象的な叙述も叫同じ理由で,全くの虚構だとは言うことがで きないであろう.
Wordsworthの,古い形態、の農村への追慕の念は,減びゆくものに対す る弱々しい哀惜の清ではない.Raymond Williamsや, E.P.Thompson も, W ordsworthにも共通したこの感情が, オくい間, さまざまな表現を 与えられていることを指摘している.Raymond Williamsは映像 a picture... of independent and honourable men, living in a working rural democracy憾と呼び, E. P. Thompsonは神話,‑‑thesocial myth of the golden age of the village community before enclosure and before the 奇iVars:311と呼んでいる .E. P. Thompsonによれば,この感情 は根強く残わ農村を追われた人々のみならず, 19世紀中ごろになって,
都市労働者たちの,土地復帰の願いへと高まわ同じ時期に,土地を失っ た,地主と農夫も9 自分たちの,共通の9 生活基盤として,土地の回復を 願うようになるといった,きわめて永続的で9 切実な要求となって持続す る凶.W ordsworthの場合にも,古い農村追慕の念は,年を経るにつれて 衰えることはなし逆に,一層強固なものとなっていったことは,以下に のべるような,さまざまな作品の中に9 明らかであると思われる.
Guide (1810)以降に書かれた散文による作品の主要な論点にふれてみ たい.1818年の出版になるTwoAddresses to the Preeholders of Wes‑
初wreland倒という論文では Wordsworthは,相次ぐ選挙法改正の立 投 者 reformer" という語;こ権力奪取をめざす新興勢力というネガティ ヴな含みを持たせ,彼らの liberty"は licence"と同義だと説き,さ
30 W ordsworthのGrasrnereへの隠、選
らには "democracy"と言う語でさえ,彼らのスローガンを表す,産業 資本家にのみ快い響きのする語として,それらの意味内容を,自分流に規 定している Wordsworthの,農村社会擁護の姿勢は,この論文では,
ウエストモーランドの選挙区より選ばれる代議員として,古い家柄の地主 を推すという,政治的活動となって表われる. Z. S. Finkもその論文,
Wordsworth and the English Republiean Tradition"倒で言うように,
Wordsworthが家名の古さや,広大な地所を持つことを,代議員として選 ばれる資格として数え挙げている事実は,青年時代フランス革命に燃えた Wordsworthに共感を寄せる人々の多くを,失望さぜてきた.しばしば,
V¥T ordsworthが,後半生において,政治的に転向したと批評されるのも,
彼のこうした主義や,主張を突いたものである倒.
さらに, 1844年出版の ,Kendal and Winoermere Railwayとして知ら れる,新聞への寄稿文でも町 70歳をとうに越した Wordsworthが9故郷 の,湖水地方への鉄道創設をもくろんでいる張本人として, Utilitarian"
に,その抗議のホコ先を向けている.ここでも Wordsworthは,鉄道建 設という商業主義を湖水地方へ持ちこむことに反対し,古い住民が土地を 去り, trade"や manufacture"で、産を成した,本来,この土地とは縁
のない人々の侵入することを,極端に恐れている.
1845年の出版になる, 75歳の高齢を数える Wordsworthの最後の4つ のソネットも,根強い反骨の精神で貫かれている. 有名な, "ls then no nook of English ground securefFrom rash assault?"で始まり,
protest against the wrong勺で終るソネットの語気の強さも我々を驚 かせるものがある信~.鉄道工事にたずさわる労働者に素材をとった最後の ソネット凶でも,労働者の群れに対しては,一言の抗議もなされておらず,
Furness Abbeyという,寺院の廃嘘をとりこわそうとする,鉄道企業家 に対して,憤りの念をうたっている.このソネットの面白さは, 18世紀で あったならば,おそらく,隠者や,詩人,風景画家などが,好んで訪れた
WordsworthのGrasmereへの際、適 31
であろう,古い文化的遺跡に,鉄道工事にたずさわる,まさしく近代的な 意味における労働者が昼休みにいこい,寺院の廃嘘という歴史的遺物と,
現代的風俗とが,一種の不協和音Aをかなでながら,現代的風景画を,おのず から,作り出している点にある.これが Wordsworthの最晩年の作品で あることにも,彼の Grasmere隠遁以後の世相の大きな変化というもの を思いばかることができる このような筋道で見るならば Wordsworth の後半生の思想は, Grasmereや,その近辺の土地と社会に関するものだ けでも, Finkが, Republicanism"と呼ぶ, 古い農村社会擁護の思想、
を機軸として,展開していることが分る.Basil V司lilleyがWordsworth の思想を,前半,後半に二分し,その各々に対して「革命的JI保守的J,
「抽象JI具象J, r理性Jr感性」とし、ぅ,相対立した概念をあてはめて,その 変化を説明しているのは町 Wordsworthのミドルクラスとの対抗の内容 吟味を欠いており,半面の真理を見落したものだと言わねばならない.若 き日の Wordsworthが,立憲民主政をうたい, I日特権階級の廃止を主張 したにもかかわらず, 1818年の論文では9 旧地主階級を擁護しているのは,
「革命Jと「保守Jというこつの対立概念のカテゴザーで分 類できるもの ではないように思われる.つまり, W ordsworthの,地主階級の擁護は,
急速な, ミドルクラスの台頭に対する防禦策のひとつとして理解しなけれ ばならない.さらに言うならば Macleanなどが言うように叫 1812年 より1816年にかけて,英国は全体的な農業危機に見舞われ,かつて囲い込 みを行って,大きな利益を得た大土地所有者といえども,小作人などと運 命を共にするようになり,もはや,地主層は,本当の意味での,権力者の 地位を失墜している.
これらの事柄に見るべきは, W ordsworth が,わずか20~30年の間に,
相容れない二つの見解をのべたと考えうるほどに,当時の英国が,社会的 な様相の変貌をとげたということであろう.M. H. Abrams も指摘する ように ,The Preludeなどでは,詩人の遍歴の中で,時の経過が,非常に
3~ 可Tl/ordsworthのGrasmereへのE害、遁
あざやかに,怠識されている.倒傑作に分類される,詩人の個人的感情をう たった, TinternAbbeyや ImmortalityOde"も,時の経過と,詩 人の感受性や意識の変化を,その中心テーマとしている. Immortality Ode"が, 'vV ordsworthの Grasmere在住の期聞に書かれたものであり,
現実的に, Grasmereが,大きな変化の波にさらされていることを考えれ ば詩人のうたう,幼年時代の vision"の喪失という精神的危機と,彼の 住む農付社会の危機的状況とが,同時に進行しているという,象徴的な意 味も,そこに読み取れない訳ではない.極端な言い方をするならば,詩人 の言う,ヘTision" の喪失とは,彼一身に起った現象であると同時に,外 界,つまり故郷の山や湖そのものが,変化しつつあるのだとも言いかえる
ことヵ:で、きょう.
従って1799年12月より, 1808年6月までの Grasmereでの Words‑
worthの生活に,次fこような二重の意味合いを求めることができるだろうe すなわち,否定的な意味においては, Grasmereは近代化の攻勢に,太万 討ち出来ずにいる9 言わば,死を宣告された農村社会の,不吉な図を提供 している.しかし一方,侵害されずに,依然として残る自然の美しさも,
偉大なものがある.例えば DorothyW ordsworthは1802年4月15日の Journalに,後に詩人が 1wandered onely as a cloud…"と詠んだ,
湖のきわに,何千という水仙の群がり咲く様の,直接的体験を記している が,彼女の描写は Wordsworthの詩にある憂いの情が一点もなく,輝
きに満ちている。
. they (d巴ffodils)grew among the mossy stones and about them, some rested their heads as on a pi1low for w邑 む 七less and the rest tossed and reeled and danced as if they verily laughed with the wind that blew upon them over the lake … 制
このように,古い共同体として機能を失いつつある,湖水地方の農村と,
Wordsworthの Grasrnereへの路道 33
依 然 と し て 残 る , 自 然 の 感 化 力 の 偉 大 ざ と い う こ 者 の , 危 い パ ラ ン ス が , αImmortality Ode"の 詩 人 の 嘆 き と 信 条 を 告 白 し た , 有 名 な 一 節 に , 日 い つ く さ れ て い る よ う に 思 わ れ る .
Though nothing caIl bring back the hour Of splendour in the grass, of glory in the flower;
W e will grieve not, rather find Strength in what remains behind...
In th色 soothing thoughts that spring Out of human suffering.同
) 注
(1) Wordsworth: Poetical Works,巴d.Thomas Hutchinson(Londol': Oxfoγd Univ. Press, 1950), p. 589.以下省略して PoeticalWi!7仇とのみ記す。
(2) Abramsは ¥"lordswor・thの遍歴が,台典的なパターンをふまえていること を指摘し,次のように言う。 Thatgoal, as in al1 the ancient genr己of the circuitous pi1g1‑image, is home‑Ho丹zeat Grasmere. " M. H. Abr‑
ams, Natural SUJうerllaturalism:Traditio1Z and Revolution in Romantic Poetry (New York: Norton, 1971), p. 288
(3) Wil1iam Wordsworth. The Prelude 01 Growth 01 a Poet's Mind, ed. Ernest de Selincourt (London: Oxford Univ. Press, 1970), P. 3. The Preludeからの引用は以下,この版 liこ拠るものとする。
(4) Ibi d., p. 4.
(5) The Poetical works 01 William Wordsworth, ed. Ernest de Selincourt and Helen Darbbishire (London: Oxford Univ. Press, 1949), V, 318.
Home at Grasmere"からの引用は,以下この版に拠るものとする。
(6) Allan. D. Mckillopは,遍歴と帰郷としちうパターンを軸に論じながらWords‑
worthについてヲ極めて示唆?こ豊む指摘をしている。 AllanD. McKillop, Local Attachment and Cosmopolitanism‑‑The Eighteenth‑Century Pattern. "From Sensibility 10 Romanticism, ed. F. iV. Hi1les and Harold Bloom (New York: Oxford Univ. Pr号SS,1963), pp. 191‑218. (7) M. H. Abrams, Natural Su戸ernaturalism,pp. 287‑288.
{s) Th~ Works 01 Thomas Gray in Prose and Verse, ed. Edmund Gosse (London: Macmillan, 1884), 1, 265‑266.
34 可WordsworthのGrasmereへの際、遺
(9) Thomas De Quincey, Recollections 01 the Lakes and the Lake Poets, ed. David Wright (Harmondsworth: Penguin Books, 1970), p. 128. (10) Poetical Works, P. 486.
帥 Journals01 Dorothy Wordsworth, ed. Mary Moorman (London: Oxford univ. Press, 1971), p. 6.
(
1合 Ibid.,p. 9.
M 後 ら は そ れ ぞ れ 産 業 卒 命Jr農業問題Jr農村と都市に関する精神史Jを 論 じてL、て,一致した見解を持ち,筆者に多くの手がかりを与えてくれたこと は,以下に論ずる。
紳 ハノミググ著, )11北稔訳『十八位記イギリスにおける農業問題』社会科学ゼミ ナーノレ(東京未来社, 1976)p. 75.
持 T.S. Ashton. The Industrial Revolutio,1l 1760‑1830 London: Oxford Univ. Press, 1968)p. 20.
M Ibid , p. 20. On the fringe of most open‑field villages, ther巴were many squatters who obtained a precarious living, either by primitive husbandry on tiny intakes, or by wage‑earning, poaching, begging, thieγing, or the receipt of poor relief."
制 正 確 に は,A Guide through the District 01 the District 01 the Lakes etc.,lor the Use 01 Tourists and Residentsとし寸表題を持たが,ここ では多くの販に従ってこのように省略した。なお後出の散文の作品からの引 用はすべて ,Prose Works 01 William Wordsworth, ed. Wil1iam Knight (London: Macmillan, 1896), II,に拠るものとするO
([8) Thomas Gray, Journal ilZ the Lakes, p. 266. (18) William Wordsworth, Guide to the Lakes, p. 56.
倒 De Quinceyは1807年という比較的遅い時期に, Easedaleに住むGreen夫 妻が吹雪の中で死んだ痛ましい妻故のエピソードを ,RecollectiolZs 01 Gra‑
smereにおいて伝えている。 D巴Quincey,op. cit., pp. 248‑281. 制 Guideto the Lakes, p. 83.
鈎 Ibid.,p. 64…visitore flocked hither from all parts of England..."
制 GrasmereJournal, p. 25. A coronetted Landall went by when we W己resittimg upon the sodded wall. The ladies (evidently Tourists) tllrned an eye of interest upon Ollr little garden and cottage. "
制 De Qllincey Soceity 01 the Lakes‑III , Wordsworthのからまっ嫌いが 高じて,ある日散歩の途中に束ねてあったからまつに呪いの言葉を浴びせ,
すでに植えられたものに対しては,自分の帽子をつかんで、投げつけることさ
WorbsworthのGrasmereへの熔遁 35
えあったと言う DeQuincey. op. cit., p. 360. 劫 PoeticalWorks, p. 119.
車
。
Guide to the Lakes, p. 82.朗 Kenneth MacLean, Ag問rian Age: A Background 101' Wordsworth (1950; rpt. Archon Books, 1970), p. 92.
空母 Guide to the Lakes, pp. 62‑63. 制 Homeat Grasmere,"p. 326
・
・ … this deep Vale ……
where kindred independ巴nceof esta te Is prevalent, who tills th巴field,
He, happy Man, is Master of the field...,
帥 RaymondWilliams, The Country ω1d tJze City (Londoo: Chatto and windus, 1973), p. 100.
(l~ E. P. Thompson, The Making 01 the English珂lorking Class Class (Hannonds
、
vorth:Penguin Books, 1968), p. 254.申書 Ibid., pp. 255‑256. 的 ProseWorks, pp. 279‑332.
申~ Z. S. Fink, "y司Tordsworth and the English Republican Tradition,"
JEGP, 47 (April, 1948). 107‑126.
的 この見解の代表的なものは HerbertReadなどに見られる。 HerbertRead は Wordsworthの詩人としての自己確立が,フランス革命の理念の否定と,
Annetteのへの愛情の冷却を代償として達成されたとみている。 Herbert Read,防Tordsworth (London: Faber & Faber, 1965), pp. 96、一97.こhと は逆に, wordsworthの後期の保守性を全閥的に否定しないまでも,前期後 期を貫く思想的な首尾一貫性を求めているものに, Crane Brintonの The Political Ideas of the English Romanticists (The University of Mic‑
higan Press, 1966), pp. 49‑65がある。Brintonは,後期のvVordsworthの 思想の根本を Nationalism"と規定し,必ずしも,転向説を肯定していない。
む母 Prose Works, pp. 383‑405.
制 Lionel TrillingはWordsworthに特徴的な, quietude"や passivity"
が戦闘性 (spiritor militancy") を特徴とする,西欧思想の中で,異質な ものであるという議論を行っている。 Lかし,彼の散文による作品などには,
Trillingの言う戦闘的精神は,みなぎっていると言ってもよい,iVordsworth は,詩作を,いわゆる静寂の中で、行ったので、あったなら,激しい感情は直接 表現されないであろうが,そのような感情や思想がないと言い切ることは無