〔1〕 各回の検討文献・論評者
第1回(4/23)
第2回(4/30)
第3回(5/14)
第4回(5/28)
第5回(6/11)
第6回(6/25)
第7回(10/8)
第8回(10/22)
第9回(11/12)
第10回(11/26)
第11回(12/21)
第12回(1/21)
Bettie M. Feruzi氏(ボストソ父母会議 アシスタントディレクター)の講演
James J. Shields, Jr.氏(ニューヨーク
市立大学シティカレッジ教授)の講演 茂木俊彦『教育実践に共感と科学を』
(論評:坂元忠芳、田久保清志)
山住正己『日本教育小史』(大串隆吉、
井口博充)
坂元忠芳「『同一化』作用の『段階性』
をめぐって」(黒崎勲、富田充保)
修士論文中間検討(報告:梁戊煕、江 釣子真一)
①佐藤広美「留岡清男のr教育政策』
認識(戦前)についての一考察」(高橋 智、佐藤隆)
②平田勝政「大正デモクラシー期にお ける青木誠四郎の特殊教育観」(山住 正己、福島智)
①荒井文昭「教育政治学の課題と方 法」(笹川孝一、村上純一)
②佐藤隆「地域教育計画の思想に関す る一考察」(柿沼秀雄、大串隆吉、佐藤 広美)
大串隆吉「青年会自主化運動の研究」
(田辺敬子、荒井容子)
①荒井容子「都市郊外神奈川県茅ケ崎 市における1970年代の社会教育実践の 展開」(松浦勉)
②博士課程院生の研究計画検討(1)(報 告:田久保清志、富田充保)
同(2)(報告:朴恩嬉、徐和子、村上純
一)
同(3)(報告:片岡洋子、村井淳志、中 山一樹、佐藤広美)
〔2〕各回のゼミの内容
第3回(1987年5月14日)
茂木俊彦著『教育実践に共感と科学を』(全国障害者 問題研究会出版部,1984年)の検討。コメンテーターは 坂元忠芳(教員),田久保清志(D院生)。
(1)坂元は,この著書の意義について,障害児がおかれ ている生活と親の教育要求に「共感」するところからは じめて,実践上の問題を理論的に進める試みであると評 価した。その上で,「共感と科学を」という表現では問題 を二元的にとらえてしまう誤解が生じるのではないか,
むしろ「共感」,r−一体化」という問題こそを「科学」の 対象とする視点が必要であるとの問題提起を行なった。
田久保も同様の問題指摘を行ない,教育実践記録分析 の方法にひきつけて,「教師の中の心理的一体化と発達 追求との間にある矛盾の諸相についてはもっと具体的な 言及がなされるべきで」あったと批評した。
茂木はこれらの批判の正当性を大筋で認めた上で,今 日の障害児教育実践・研究の到達点からみて,上述の視 点の獲得が相当に困難な作業であると発言した。この点 にかかわって茂木からは,発達診断など,障害児の発達 研究は比較的蓄積されているのに対して,教師の実践な ど一般の教育学研究において主題となる一したがって 論争となる一ようなテーマへのアプローチが極端に少 ないという,障害児教育研究の動向についての補足説明 がなされた。
(2)また上述の問題ともかかわるものであるが,障害児 教育実践における教育目標をどう設定するかについても 議論がなされた。
茂木は著書の中で,今日の障害児教育の実践の場にお いて設定される教育目標が小中高の一貫性をもっていな いこと,目標と具体的なとりくみとの乖離が事実として 存在していることを指摘して,一例を次のように述べて
いる。
「高等部では教育目標が事実上r社会からの要請』に 従属しがちであり,小学部では教育目標がr社会からの 要請』はとりあえず横において事実上『子どもたちの発 達段階からみて当面めざされるべきもの』に従属しがち であって,いずれの場合も,『社会』と『子ども』の双方 から要請されるものの統一としてまとめあげられること が少ないのである」
こうした状況に対して茂木は,「緊張をふくんだ教育
目標の設定を」として,「社会からの要請」を念頭におき
つつ,これを教育の論理をくぐらせて吟味する必要があ ることを強調した。
これについての議論では,
「どんな社会からの要請であるのかを明らかにする作 業が実践的にも理論的にも必要であろう。」
「あらゆる教育実践のなかにもr社会的要請』がはい りこんでいるのだから,その矛盾体としての側面に注目 することを通じて,社会に適応せざるを得ないというこ
とと社会をのりこえるということとの関係を明らかにす る作業が不可欠である」等の指摘が参加者からなされた。
(3)その他,障害児の発達と他者(健常児)との交流の 場の保障の関係についての疑問・意見(小沢,福島)が 出されたほか,障害児・健常児の発達の筋道の異同をど う理解するべきか(坂元,小沢),障害という概念を歴史 的にどう位置づけるべきか(笹川)などの質疑があった が,時間切れとなり,それぞれ論争的なテーマではあった が,その検討は今後の課題となった。 (文責佐藤隆)
第4回(1987年5月28日)
今回の総合ゼミでは,山住正己r日本教育小史』(岩波 新書,1987年)の検討を行なった。コメンテーターは,
井口博充(D院生),大串隆吉(教員)であった。
まず,井口は全体的な感想として,「よくまとまった 教育政策史の本だと言える」と述べ,「新しい教育史の 見方を示したというよりは,今までの研究の成果をうま
く統合したところに」この本の意義があるのではないか
とした。
その上で,以下4点のコメントを加えた。
(1)教育史イコール学校史(それも政策史)という側面 が強く,そのため民衆の生活の中における学校の相対化 という観点に乏しいのではないか。その点で,近代学校 導入期に就学率の増加が鈍かった点の考察を進めて欲し
かった。
(2)大正自由教育期の位置づけが楽観的なのではないか。
確かに,この時代から戦後に引き継がれた実践もあった が,この時代が戦争準備期としての帝国主義的要素をか なり強く持っていたことへの視点が弱いように見える。
(3)アイヌ民族,障害者への視点の欠如。貧困者,部落 問題,在日朝鮮人への言及はあるものの傍流として扱わ れて,それぞれが完結していないのではないか。
(4)戦後に大きな比重が置かれていることは評価できる が,従来の反動一革新の図式に力点を置きすぎて見えな
くなっている問題があるのではないか。例えば,アジア への経済侵略・公害輸出等の新帝国主義問題,在日朝鮮 人・中国帰国者などのポスト植民地問題等々。
次いでコメントにあたった大串は,先の井口のコメン トとはやや対照的なものになると前置きした上で,おお よそ以下の様な意見を述べた。
(1)歴史研究に対する著者の立場について 井ロコメントとは異なりむしろ著者の立場が鮮明な教 育史ではないか。それは,①現在から過去へ,②過去か ら現在へ,という2つの方向性を有していると思われる。
前者は,日露戦争からを「軍国主義への加速する歩み」
にしたことに現われているように,今日一方で臨教審等 の唱える「国際化」の主張がありながら,他方で教科書 検定をめぐる諸外国からの批判のように,世界及びアジ ア認識が問われるような事態が日本に存在している中 で,改めて過去の戦争と教育の連関を問いなおそうとす る立場である。後者は,前者とも関わって未来に向けて の見識と力量を身につけるために,教育を「国家百年の 計」と捉える様な狭い国益を越えて,「普遍人類的な文 化の価値」を探究しようとする立場である。
(2)著者の教育史総括の特徴について
時期区分から見た時,本書の特色は「皿軍国主義への 加速する歩み」とrV教育の保守化と高度経済成長」に ある。それは,「過去から現在へ」という視点で見た時,
「軍国主義への加速する歩み」と「教育の保守化」が,
「新教育運動」などや「自主的な教育運動」「教育実践の 発展」にもかかわらず,進んだあるいは進んで行くと読 めないこともない。とすると,かつて,勝田守一が『〈現 代教育学5>日本近代教育史』(岩波書店,1962)で述べ たrr平和と真理と人格』という教育的価値が,日本国民 の生活と文化にとって,どれほどの深さで,その歴史的 な意味を充たしうるようにとらえられるのか。これが,
いま過去を忘れたかのように繁栄しているようにみえる 日本の教育に課せられている試練である」とした課題 は,その後どうなったのか。この本からどう読みとるべ きなのかと提起した。そこには,主体たる国民・教師の 中の矛盾,国民・教師による運動の継承,等の問題が含 まれることになるだろうと述べた。
(3)臨教審第三次答申からなげかけられたもの 一つには,産業構造転換等と関わって生涯教育構想・
校区の自由化等の主張がなされているが,それらと関 わって「労働・職業と教育の歴史」及び「学校と地域あ るいは学校と大人一社会教育との構造的連関の歴史」
をどう捉えるかが問われている。この点で,本書105
ページには「学校に対する政府の統制がすみずみまでゆ
きわたっているとき」という記述があるが,教育政策が 学校のすみずみまでゆきわたるということがありうるの か再検討が必要ではないかと述べた。
もう1つは,声高に叫ばれている「国際化」と,教育 の歴史との関係という問いである。その際,学問と教育 の分離というような教育の二重構造は克服されたのか,
又,そうした日本教育の二重構造と,教育的配慮等の名 による史実の歪曲がアジア諸国から批判を呼ぶような対 アジア認識は,どのような関係にあり,いかなる段階に たち至っているのか,と論点を提起した。
以上のコメントに対し,山住はおおむね以下の様な返 答を行なった。まず近代学校導入期の就学率の点につい て,その上昇のテンポが特別遅いとは思わないし,むし ろ戦後教育史の中でその点について取り上げ過ぎだと考 えていると述べた。次に,大正自由教育期の位置づけに 関しては,井ロコメソトは楽観的だと言うが,時期区分 のmを「軍国主義への加速する歩み」とした様に,決し てそうは思わない。大串コメントではむしろ評価が消極 的ではないかと指摘されたが,いずれにせよ皿の中での 大正自由教育の位置づけは引き続き検討課題である。そ して,新帝国主義問題・ポスト植民地問題等の主に対ア ジアの問題は,戦争とも関わって重視して取り上げたつ もりであるが,本来一国史の枠内ではすまない問題だと
考える。
さて,以上を受けた議論ではおおむね以下3点が取り 上げられた。
第1に,「国際化」及び対アジア認識と教育の歴史の 問題である。本書には,台湾と朝鮮への支配への言及が なされている点は評価できるが,それは従来からなされ ていた事であって従来からの通説とほとんど変わってい ないのではないか。「大東亜共栄圏」と言われるように,
東アジア全体への占領支配及びその構想が姐上にのせら れないと,通説を発展させる今日的課題に十分迫れない のではないか,という意見が出された。
第2に,大串コメントにもあったように時期区分とそ の標題についてである。議論では1950年以降を「教育の 保守化」というタームで括るのは,どのような意味が込 められているのか。又,そのタームの構造はどのような ものなのかが問われた。そして,1950年〜現代を「教育 の保守化」とするのは,かなり重い提起ではないか,と の意見が出された。
第3に,著者の姿勢及び本書のテーマについてである。
本書を貫ぬいているのは,戦争・平和と教育というテー マであり,それは時期区分・標題に密接に関連している。
しかも,そのアプローチは,非常時である戦時と日常的
戦争準備との両面と教育との関連に目が向けられてお り,それが本書の特色となっている,という指摘がされ
た。
以上,全体として普遍人類的課題と一国の国民教育の 在り方の密接な連関,特にアジア認識と日本の教育の国 際化との連関が今日改めて問われている事を浮き彫りに したゼミであった。 (文責 富田 充保)
第5回(1987年6月1旧)
今回の総合ゼミでは,坂元忠芳(教員)の「同一化作 用の矛盾について」(r人文学報』第184号,1986年3月)
と「同一化作用の段階性をめぐって一試論的考察一」
(r人文学報』第193号,1987年3月)の検討が行なわれ た。コメンテーターは黒崎勲(教員)と富田充保(D院 生)であった。
黒崎は,主に「自然的なもの」と「社会的なもの」の カテゴリーについて,いくつかの間題をコメントした。
(1).自然的なもの=市民社会以前の共同体的関係の人間 のあり方の性質とすれば,なぜ,それが市民社会におけ る人間の「同一化」作用における矛盾の基本的なエレメ ントとなりうるのか。(2).同一化作用の矛盾の重層性
(「同一化」作用の古層)と個人の共同体からの自立の指 標とされるものについての関係が整理されていないので はないか。要するに,同一化概念規定と同一化作用の分 析および同一化作用の矛盾において「自然的」とされる
ものが,前近代的共同体関係であるのか,超歴史的な,
文字どおりの「自然的」なものとされているのかが明瞭 でないのではないかということである。③.発達段階性 の性格的理解と法則的理解に関する問題。
富田は,(1).同一化作用の現状認識が最も典型的に妥 当するのはどのような状況に置かれ,どのような層の子 どもなのか。(2).思春期以降の同一化作用の段階的同一 性は,従来には存在しなかったものなのか否か。(3).(2)
と関わって,思春期以後の同一化作用の段階的同一性と いう理解の歴史的社会的基盤は,青年期が近代の産物で あり,自立に際して従来のモデルが役に立たなくなると ともに,新たな歴史的選択的可能性が広がったが,その 可能性が,今日,学校,家庭の能力主義的国家主義的支 配と青年文化の支配によって封鎖されている。こうした 理解とどのような関係になるのだろうか,という疑問を
出した。
二人のコメントを中心として,議論は次のような順で
進行された。(1).発達段階性の「性格的理解」と「法則
的理解」に対して。(2).青年期における段階的「同一
性」の問題。(3).「自然的なもの」と「社会的なもの」の
カテゴリー問題。
(1)について坂元は,ある類型的なものにおいて,その 組み合わせの違いから性格も違うといわれているが,法 則的な理解と性格的な理解は,その数量的な組み合わせ の問題から見るのではなくて,歴史的な運動から考えて 見たい。歴史的なものが数量的なものとの関係論的なこ
ととして,その歴史的なものを法則的に理解しうるし,
そのプロセスそのものが個別的であると思う。したがっ て,「性格的理解」と「法則的理解」との関連を通して理 解できるだろうし,又,その「性格的理解」が理解でき るのではないだろうか,と述べた。黒崎は,戸坂潤は個 性を個体的なものとして見ている反面,坂元は個性的な ものと性格的なものを一体としてみているが,その違い についてあらためて議論してみる必要があると述べた。
(2)について,段階的な「同一性」は発達段階の還元主 義的考え方ではない。今日,平衡と非平衡,バランスと アンバランス,それがもつ人格構造,identityがもつ「分 極化」とその多面性が現実には起こっている。今の子ど もを段階的に「同一性」を使って表現すると,どういう ふうになるのか(黒崎)。「段階的同一性」はそれまでの 発達の段階を全部ひきずって,思春期段階に全部それが 矛盾化関係であらわれる,そういう発達の段階形成に なっているということではないか(坂元)。赤ちゃんの 時から同一性の水準と段階があって,低次の水準と段階 がより高次のものに順次くみこまれていき,最終的に,
同一性がそれ以下の同一性を全部コントロールしうるな らば,それは安定したものになるけれども,そうならず に,いくつものレベルが混在し,矛盾した関係をもって いたりし,caseによってはそれが思春期にいっきょに現 われる(茂木俊彦)。青年期にかかわって,自然一体的な 関係と市民社会的な関係の青年期の同一化区分が明瞭で はない。今後,学校論として学校と子どもの同一化危機 というものを正面化した理論をもう一度やってほしい し,同一化危機の移りゆきを学校の成立過程の中でどう とらえるかという方法論をもっと出してほしい(佐藤広 美)。坂元論文は,学校の教育内容が競争的に行われ,そ のなかでその「同一化」の危機の問題であるということ が提示されているが,その関係をどうするべきかと,そ
こで行なわれている学習が認識論として改めてもう1回 やらざるを得ないではないのか(佐藤隆)。
(3)について,坂元は次のように述べた。「自然的なも の」と「社会的なもの」は人間においては一体化されて 形成される。母子関係でのattachmentは,多分に「自然 的なもの」とみなされているが,これも,進化の歴史の なかで,種におけるimprintingの結果,形成されたもの
であろう。だから,「自然的なもの」は「本能的なもの」
といえるかもしれないが,これも又,自然史のなかで歴 史的・社会的に形成されたものであろう。
(文責 徐 和子)
第7回(1987年10月8日)
前半では佐藤広美の「留岡清男のr教育政策』認識
(戦前)についての一考察一生産力理論へのr偏向』を 中心に一」を検討した(r教育科学研究』第6号,1987年 6月)。コメンテーターは高橋智(教員),佐藤隆(D院
生)。
佐藤隆は本論文の特色として,(1)従来の教育史研究で ほとんど注意されていなかった「生産力理論」の成立・
展開過程そのものに立ち入った検討をくわえているこ と,(2)1937〜1938年に留岡と佐々木を中心とする生活綴 方人との間でなされた生活教育論争がまさに「生産力理 論」の解釈をめぐってなされたこと,そして「生産力理 論」克服の契機がこの対立の中に存在していたことを検 証しようとしたことを上げた。また,疑問と問題点とし ては(1)留岡に対する佐々木の反発に『偏向』の克服の契 機は実際にあったのか。すなわち,佐々木と三木との関 係,佐々木とプロレタリア文学者との関係,教師,生活 綴方人との関係で検討する必要がある。(2)留岡の価値心 理学の研究が研究の実証的方法を身につけることに役 立ったとあるがその内容が不明だと指摘,また,政治運 動に連結した農民の教育運動に高い評価をしているが,
もっとくわしい検討が必要である。(3)生産力理論が論争 を通じて形成されてきたという書き方はおもしろいが,
これが一般の生産力理論研究,社会学史,経済学との関 連,または違いを明らかにしてほしいと指摘した。ま た,本論文の意図は達成されたかという問題については 留岡の教育政策認識及び権力機構内部参入への理由の中 で生産力理論そのものがどれぐらいの影響をもっていた のか,つまりもっと違う要因,外在的な要因があったの ではないか。また,留岡の「生産力理論」への「偏向」
に対する克服の契機を佐々木の反発に見い出そうとする 筆者の見解については,佐々木自身がどうだったのかの 問題が明らかになっていないと指摘した。
高橋智は本論文の新しさとして(1)留岡清男の「教育政 策」認識の形成過程とその中での生産力理論への「偏 向」プロセスの検討を通じて,留岡,教科研の国家権力 機構への参入の論理の実証につとめようとしたこと。(2)
後期生活教育論争の性格に生産力理論という新しい視点
をつけ加えたこと,また,その観点から留岡と生活綴方
人との対立,ないし批判に関心をもったことを挙げた。
また,問題点としては(1)後期生活教育論争を通じて留岡 の生産力理論への偏向の特徴を解明しようとする意図に ついては,生産力理論を克服する契機,または佐々木の 反発に「偏向」克服の契機を見い出したがその過程につ いての分析が説得的ではない。(2)「偏向」の要因を留岡 の教育政策認識の形成過程に見る点について,留岡の発 達観・教育観を「教育=調教」観とまとめることは問題 であり,単純化すぎるのではないか,留岡の実践の分析 が必要である。(3)生産力理論の形成過程と留岡の偏向要 因の関係の問題については,社会政策論争と留岡,生活 綴方人,生活教育論争との関係が明確ではない。(4)「留 岡の偏向克服の可能性」については,生活教育論争や 佐々木の反論の指摘においては論証不足であり,また,
留岡の実践と実践から理論化への姿勢においては「偏 向」克服の契機がよわいととらえる根拠になるのかと疑 問を提出した。
後半では平田勝政の「大正デモクラシー期における青 木誠四郎の特殊教育観」(r教育科学研究』第6号,
1987年6月)を検討した。コメンテーターは山住正己
(教員)と福島智(M院生)。
福島は,(1)デモクラシーの概念について,青木が影響 を受けたというゴダードのデモクラシー観と当時の新教 育運動のデモクラシー観とはおなじものだと見てよいの か,両者の関係をもっと明確にしてほしい。(2)青木は
「個性」というものを障害者教育でどうとらえているの か。青木は,障害者の「特殊性」および「特異性」とい
うものと「個性」を,混同ないし同一視しているのでは ないか。すなわち,青木の「個性」に対する見方が問題 なのではないかと述べ,さらに筆者の「個性」に対する 考え方を質問した。(3)青木が主張する,障害者問題を社 会問題としてとらえようとする考え方,すなわち,障害 児を相互扶助的な一職業人として育てることをもって障 害児教育の理想とするという考え方は,現在にも根強く 残っていると思われる。しかし,これは,子ども自身の 立場に立った考え方ではなく,一職業人として生きてい けるかどうかで最終的価値づけを行おうとする「擬似能 率主義」であると述べた。
山住は,(1)「個性」ということばの中身をはっきりす る必要がある。(2)大正デモクラシーの規定というのが はっきりしていない。特に障害者教育にとっての大正デ モクラシーの概念をもっと慎重に使ってほしい。(3)青木 が「連合心理学」から「形態心理学」へ移行する事に よってどうなったのかがはっきりしていない。(4)「先天 的に精神能力に段階がある」というとらえ方が障害老教 育におけるデモクラシーと一体どういう関係があるのか。
つまり,「先天的な知能の段階」とは知能の段階を固定 的にとらえている様にしか見えない。どういう条件をと
とのえて,どうやって知能を伸ばしていくのかというよ りも,段階が固定して,段階にあわせての教育という事 になってくる。この様なゴダードの論文には大変疑問を 持ち,よってこういうゴダードの論文を有益なものと考 えている青木の考え方にも疑問を持つと述べた。最後 に,青木の「個性」のとらえ方が教育を発展させる方向 にあったのかどうかを検討すべきであり,これが中心の 問題になると述べた。
平田は質問に対して,新教育運動とゴダードのデモク ラシー観との関係について,新教育のデモクラシー観と いうのは,「自由概念」を中心にした使い方をしている として,その自由教育論は個性の自由という概念をキイ ワードにして構築されているように思うが,ゴダードの デモクラシー観はアメリカンデモクラシーの検討が必要 であり,その中でのゴダードが提起した人間能力主義
(human efficiency)の観点からのデモクラシー論がど ういう位置にあったのかについて今後,検討したいと述 べた。また,青木の「個性」のとらえ方を理解するため には,当時の新教育実践レベルでの個性教育論と児童心 理学者の個性教育論を検討することが必要だと述べた。
そして,青木の社会観についての質問に対しては,青木 は共同主義的な社会観を持ち,基本的には,社会有機体 論が前提となっているのが確実であり,能率主義を個人 においても社会においても,社会構成の原理として貫徹 させていくという観点から社会改造,教育改造をしよう としたと述べた。 (文責 朴 恩嬉)
第8回(1987年10月22日)
今回は本誌『教育科学研究』第6号(1987年6月発 行)に発表された論文,佐藤隆「地域教育計画の思想に 関する一考察一戦前郷土教育連盟と『地域教育計画』
一」と荒井文昭「教育政治学の課題と方法一ギッテ ルの研究における参加観の分析一」との二論文につい て検討し,議論した。
はじめに佐藤論文について検討した。コメンテイー ターは大串隆吉(教員),柿沼秀雄(教員),佐藤広美
(D院生)であった。
コメントの主な内容としては,まず,戦前郷土教育連
盟の郷土教育論を「(教育の)『方法』ないし運動論的側
面をこえて,『学校論』の視点で戦後改革との連続を明
らかにしようとした点」(佐藤広美)として論文の意図
が評価された一方,地域教育計画論の先駆を郷土教育連
盟の郷土教育論にまで遡らせて論じる意義如何という根
本的疑問(柿沼)も出された。また戦後の地域教育計画 と郷土教育連盟の郷土教育論との「連続・非連続」問題 について,著者が「教育の地方自治」「教育と教育行政」
「学校と地域住民との関係」の三点から探ろうとしてい る点が指摘された(大串)。一方,著者自身が論文の目的 の中で「戦前の地域教育計画の理論と実践が,この郷土 教育論の限界を如何に克服しえたか否かを問うことにつ ながる」と書いていることと関わって,論文の中では
「連続・非連続」「克服」という点に関して結論が不明確 である点(柿沼)が指摘され,著者自身の考えが問われ た(佐藤広美)。また,郷土教育連盟の郷土教育論に対す る評価に関わって,著者がその特徴として整理した「教 育と教育行政の分離」「教育行政・制度の地方分権化」
「教育行政の権力的性格の排除と指導・助言機能の強 化」の三点は郷土教育連盟に固有の主張と言えるか,そ れ以前から議論されていたことではないか(柿沼),「連 盟」は「現体制」を「資本主義的秩序の再編成によっ て」克服する契機を含んでいた,という著者の評価から すれば,「連盟」こそ「上からの郷土教育」よりもずっと 一むしろ「科学的」一現体制を「補完」したという
こととなり、つまり,著者の最終評価とは逆の結論にな 広美),「連盟」の学校論によれば「学校は政治の機能を
も負わざるを得なくなる」という「連盟」の学校論に対 する著者の批判に対し,「なぜ」そのことが「教育と政治 を同一レベルで」扱うことになるのか,問題なのは「政 治の機能」の性格なのではないか(大串),「連盟」のい
う「教育結社」はユートピア的ではないか(柿沼),「連 盟」の教師論に対する著者の評価の不整合(大串),鍵概 念と思われる「郷土の教育化」とは結局何なのか(佐藤 広美),など様々な疑問が出された。また,全体をとおし て,著者の「郷土」の捉え方は経済面に限定されている が,もっと幅広く捉える必要があるのではないか(大 串),著者が「連盟」の郷土教育論として検討している理 念・学校論は,実際には尾高豊作のそれであり,内部で 議論が分かれていた「連盟」のそれとは区別すべきでは ないか一特に「連盟」の郷土教育論の典型的な実践例 は川口幸弘によると,鳥取県の上灘尋常小校の峰地光重 の実践とされているのに何故滋賀県島村の実践を検討す るのか〔註㈱と関わって〕一(柿沼)等の意見が出さ
れた。
著者の佐藤隆からは,戦後との「連続・非連続」問題 と関わって,戦後の地域教育計画の一つである本郷プラ ンは「近代人の形成」をとおして民主的社会を形成しよ うとした点など,弱点も含めて,「連盟」の郷土教育論と 対応している,と解答された。また,「連盟」の郷土教育
論の典型的実践として滋賀県島村の島小学校の実践を考 えているのは,峰地の上灘小の実践を客観的実践,島小 の実践を主観的実践としている川口幸弘の評価に対し,
川口は島小の昭和7年の実践をみてそういっているので あって,昭和8年段階では自力更生運動の影響なども あって一政治と教育の問題としてはどこまで主体的実 践となっていたかは検討の余地があるが一島小の実践 は「連盟」の主張に最も近い実践となっていた,と反論
された。
他に,「上からの郷土教育」の矛盾構造をもっと分析 すべきだという意見(笹川)や,「連続・非連続」問題を 明らかにする方法をめぐっての議論(坂元,松浦)がな
された。
次に,荒井論文について検討した。コメンテーターは 村上純一(D院生)と笹川孝一(教員)であった。また 著者の荒井からは別に「研究計画一紀要6号論文とそ れ以降の作業状況」という報告もなされた。
コメントの内容は,村上からまず論文全体を貫くもの として「教育への参加は手段にすぎないのだろうか」
(著者)という「問い」(村上)と「諸個人の競争と対 立,お互いの敵対的で疎遠な関係をとおしての『主体 性』の発揮ではない」(著者一r』は村上)参加がある はずだ,という「仮説」(村上)の二つがあるという指摘 がなされ,その上で,この「問い」と「仮説」のなかに はra.政治参加とは違った,教育参加の持つ独自の意 味」とrb.政治及び教育(への一記録者)参加のも つ教育的意味」(村上,但し下線は記録者)という二つの テーマが含まれており,論文の中でそれらが充分整理さ れていない,と指摘された。またギッテルの参加観の変 化を論証する素材として,調査方法よりも調査内容にこ そもっと注目すべきではないかという意見も出された。
また,笹川からはまず,「事実としての教育と政治の関 係に注目する」(著者)教育政治学の存在とその動向や,
コミュニティ・コントロールの具体的な調査過程でギッ テルの「参加」観が変化し,そこに多元主義をこえる要 素が見出されるとする著者の指摘が興味深かったという 感想の上で,しかし,論文中に引用されているバクラッ クの多元主義批判の中には,多元主義に対する,「(a)参 加の実質的不平等を克服する視点の欠如」と「(b)参加に よる参加者の 変化 を把握する視点の欠如」(笹川)
という二点の指摘があるのではないか,しかるに何故著 者はギッテルの参加観を上述(b)の点に限定して評価する のかという疑問や,バクラックの多元主義批判そのもの に対する疑問が出された。また,「発展的人間のモデル」
(著者)とは何かという疑問や,「コミュニティー・コン
トロール運動のなかでの『教育政治学』の具体的意味に ついての分析」(笹川)の必要なども語られた。
これらのコメントに対し荒井文昭は,「政治運動」を 従来と違った形で捉えようとする意図があったがまだ充 分とらえきれなかったために,村上が指摘したような,
「問い」と「仮説」におけるテーマの未整理が生じた。
また多元主義論には階層論がなく,従って貧困層等は理 論上では排除されているわけではないという説明の上 で,今回は参加者の変化を把握する視点の欠如を重要な 問題点として検討した。「発展的人間」という言葉はマ クファーソンのものだ,等と答えた。
他に福島智から①自己尊厳〔self−esteem〕の概念をど う捉えるのか,②ギッテルの調査対象として具体的にど ういう参加があったのか,③教育政治学研究の日本にお ける発展の展望はどのように見通せるか,という質問が 出された。特にその①に関わって,坂元忠芳から,ギッ テルが捉えたような問題を今後深めていくなら,「自己 尊厳」「正義」など人間のモラリティーに関わる問題に 突き進み,運動の中で参加者自身の中に生じる矛盾とい うものを捉えるところまで進まなければならない。その 矛盾とは自己尊厳の中にある自分の地位を高めようとす る意識が功利主義に流れていくときに生じ,それは結局
「正義と貨幣」「正義と制度」の問題であり,例えばそれ はロールズとハーバーマスの問題とも言え,そういう問 題に大胆に踏み込む必要がある。またこの問題を解くに は理論的枠組みが必要だ,という発言がなされた。また 佐藤広美からは,「コミュニテa−・コントロールと教 育政治学」は「コミュニティー・コントロールと教育社 会学」という関係とはどう異なるのか,S.ボウルズ,
H.ギンタスなどの教育社会学者はコミュニティー・コ ントロールに関与していないのかという質問が,松浦勉 からは,ギッテルの背景にあるものは何か,教育政治学 の意義と限界をどう考えるのか,という質問が出され,
佐藤隆からはコミュニティー・コントロールに参加しな かった人々の存在を考えると,コミュニティー・コント
ロール参加者の変化が示す人間像も結局「市場的人間モ デル」(著者)に繋がりかねないのではないか,という意 見が出された。
荒井は,福島の①の質問に関わって, self−esteem を
「自己尊厳」と訳すことが妥当かどうかについてはまだ 検討中だが,少なくともそこにはアメリカのマイノリ ティー(黒人,少数派)が自己卑下を克服していく中で 獲得していくものが表現されている,と答えた。なお,
これに対し福島からは再び,その self−esteem はself−
identityとは違うのかという質問が出された。また,荒井
は,福島の質問②について,ギッテルの調査対象はコ ミュニティー・コントロールであり,それは簡単に言う と統合教育プログラムに対する反対運動で,その具体的 な経過についてはアメリカで多数の論文が発表されてい る,と紹介した。そして最後に荒井は,いま文献をレ ビューしている最中だが,教育政治学の諸論文の中での ネオマルキストらとのやりとりなどの中に坂元の出した 問題も探ってみたいと発言した。
(文責 荒井 容子)
第9回(1987年11月12日)
大串隆吉「青年自主化運動の研究一茨城県水海道地 域の場合一」(『人文学報』第193号,1987年3月)の検 討。評者は田辺敬子(教員),荒井容子(D院生)。
はじめに,評者によるコメソトが行なわれた。まず,
田辺は「門外漢の立場からではあるが」と前おきした後 で,(1)筆者の課題意識と,(2)論文の具体的内容について 以下のような疑問点ないし問題点を指摘した。(1).①
「なぜ茨城県の水海道地域なのか」が全体として把握で きない。②対象期とされている1920年代から30年代初頭 にかけての「時代のマクロな状況」との関連で「青年自 主化運動」を位置づける方法的視点が欠如している。
(2).「五箇村の青年団の状況は興味深く読んだ」が,全般 的に言えることは,「これだけの分析からではわかりに くい」ことである。例えば,①大串のいう 自主化 概 念の内実が不鮮明であるために,「青年会自主化運動と 官製青年団運動との混同」が生じるし,②五箇村青年会 の「最盛期」とはいつのことなのか,具体的なデータと 指標が示されていないので判然としない,など。
次に,荒井が大串論文の概念を紹介した後で筆者の課 題意識と方法について以下のように疑問点を指摘した。
①さきの田辺のコメント(1)①とほぼ同じ。②これ迄の く教育の遺産史〉研究批判を意図した筆者自身には「現 在の教育に対する鋭い課題意識」はあるのか,またそれ は従来の研究のそれとどう異なるのか。③これ迄の研究 が分析・解明できなかった「民衆の学習・教育運動の多 様性」ないし多様な展開にスポットをあてようという、
筆者の課題意識と方法自体の「教育史研究上の意味と位 置を説明してほしい」。
以上のように,両者のコメントは直接的には大串論文 の意義に論及するものではなかったが,その中で提出さ れた諸論点は結果的にはそれ自体を問うものとなった。
この二人のコメントに対して大串はこれまで書いた論文
もあげながら回答を行った。特にその中には後の討論の
際にも問題にされる論点を含んだ次のような返答があっ
た。一つは,荒井のコメント②にたいするもので,「遺産 史を継承する青年主体の弱体化」の現状と,その認識に 基づいた,「青年(団)運動史に関心をもたない現代青 年」群像への大串自身の焦燥と憂慮の感慨が示されたこ とである。もう一つには,大串がこの論文をまとめるに あたって,対象とした水海道地域の関係者と議論せねば ならないという発言があった。第1の点は,過去への迂 回と内在化を不可欠とする歴史研究者としての課題意識 の一つのあり方を示すものであるが,それが何故に五箇 村の青年会の「自主化」運動と結びつくのか,という本 質的な問題への言及は説得的には行なわれなかった。
第2の点については,討論の中で坂元忠芳が,「実際 の青年の自己形成史からのズレをもたらす歴史研究」ま たは「遺産史が顕彰史にならないために」も必要だとい
う原則的な指摘を行なった。これに対して大串は,この 論文は遺産史をふまえながら,それを批判的におこなう 今後の「本格的な研究への足がかりをつくった」(だけ の)ものだと回答したが討論の中ではこの大串的な手法 ないし研究のスタイルそのものは,研究の方法意識と歴 史叙述における重大な問題として十分に検討されなかっ た。なお,この大串論文に関する先行研究には,大串自 身も「依拠」している(はず)の次のような研究がある。
「大正デモクラシー」状況から戦争とファシズムへと転 回していく時代の中で地方青年組織「惜春会」の思想と 行動およびその歴史的意義・役割を考察した,雨宮昭一
「大正末期〜昭和初期における既成勢力の 自己革新 一『惜春会』の形成と展開一」(日本現代史研究会編
r日本ファシズム(1)国家と社会』大月書店,1981年)が それである。「日本ファシズムの発展過程を構成する固 有の不可欠な要素」を含意した歴史的概念として「自己 革新」概念を提示・駆使した雨宮論文は,大串同様,関 係者ないし「存命者」からの 聞き取り による史実の 確定も行なってはいるが,読者のためにも,雨宮の課題 意識と方法およびその結論が大串のそれとは一定の対照 性を示していることだけは付言しておきたい。
以上のような議論とは別に,討論の中で次のような意 見や質問・疑問点等が提出された。箇条書き的に主なも のを列挙しておこう。「何故,高島惣吉なのか?」(荒井 容子),「全国的に見た場合の水海道地域での構造を示す べきではないか」(坂元),「方法としての遺産史批判を 試みた点に意義がある」(笹川孝一),「大串は,1930年代 に入ると高木惣吉は 右傾化 していったというが,む
しろ第1次大戦後に『自主化』運動の推進力となった高 木は,従来の官製青年団運動を担った青年像とは一定異 なる新たな農村の体制的中堅青年になりあがっていった
というべきではないか」(松浦勉),「生活綴方教師・増 田実と五箇村の青年たちとの関わりについて,増田が村 を去る前と後での関与のしかたのちがい,および全体と しての増田の歴史的位置と役割についての具体的な分析 が行なわれていない」(松浦,田辺)など。
このような質問・疑問等について大串はとりあえず回 答を行なったが,質問者と回答者との議論があまりかみ あわず,討論が必ずしもスムーズに展開しなかったこと は否定できない。 (文責 松浦 勉)
第10回(1987年11月26日)
荒井容子「都市郊外神奈川県茅ケ崎市における1970年 代の社会教育実践の展開一社会教育職員,鈴木敏治氏 の社会教育実践一」(未発表論文)の検討を行った。コ テイターは,松浦勉(D院生)。(今回はそのほか,田久 保清志,富田充保の研究計画の検討が行われた)。
コメンテイターから提出された本論文に対する論点 は,次の諸点であった。その内訳は,研究の課題と方法 に係わるもの3点,分析内容とその結果についてのもの
2点である。
まず課題と方法に係わる第1点目は,論文の対象とし て取り上げられている実践を同時代の歴史の中に位置づ けるという視点をこの論文が欠いているのではないか,
というものである。コメンテイターは,社会教育研究で は歴史研究が大幅に立ち遅れていると言われている現状 が,本論文に影響していることも考えられるとしながら も,「歴史の構造把握という基本的視点を欠いた分析と 評価は,科学的なものといえるだろうか」と疑問を述べ
た。
第2点目は,「社会教育実践」に関する概念規定の問 題とも言える内容であった。この点はすなわち次のよう なものである。本論では鈴木氏の実践に「学習主体から 教育主体への転換の可能性を育てる」というような,島 田修一によりすでに提起されてきている原則を確認して いる。しかし,論者が捉えたこの実践にある「学習の共 有」という教育=学習観は,島田らの「社会教育実践」
とは異質のものではないか?コメンテイターは「この点 について論者は必ずしも自覚的ではないように思われ る」と述べた。さらには,「筆者の課題意識は先学たちと は別のところにあるのではないか」とも述べた。
そして第3点目は,社会教育職員に一つの焦点を当て るのであれば,「鈴木敏治氏のプロフィール」が簡単に 叙述されるだけでは不十分であり,鈴木敏治の思想の形 成過程を論じるべきではないのか,というものであった。
分析内容とその結果についての論点は次のものであっ
た。本論で論者は鈴木の実践の特徴を次の3点指摘して いる。①学習者=講座の対象を「底辺に生きる弱い立場 の人達」にすえるに至ったこと,②学習の主体としての これらの人達が学習権を「自らのものとして捉えること だけに満足せず,…より弱者ヘ…普遍化して捉える」よ うに促したこと,③都市化現象に批判的な鈴木が,実践 を媒介にして「住民の単なる知的要求に答えるというよ うな,…いわゆるr都会的』社会教育事業とは違うも の」を考えるようになったこと,がそれである。コメン テイターは,この論者のまとめに対して次のような批判 を提出した。「鈴木は実践の展開過程で,人権思想にも とつく教育権=学習権論をむしろ拒否・否定していった のではないか。したがってr底辺に生きる…人達』は,
論者のいうように『学習の共有』者であっても,近代思 想の核心ともいえる基本的人権=生存権を基底にもつ教 育権=学習権の主体として位置づけられてはいないので はないか」。コメンテイターは,論者が捉えたような鈴 木敏治の「学問」観=「民衆」観に対して「復古的ロマ ン主義」,あるいは「失われた民衆の世界」への懐古では ないか,と疑問を投げかけた。また,これを,「すべての 個人=学習者が生存と幸福のために対等平等の権利と能 力をもつ,という近代思想への懐疑と批判ではないか」
とも述べた。さらには次のようにも述べた。すなわち
「『農村型』をめざす一方で『都市的』社会教育をも拒否 する鈴木の実践は,70年代の国家主導による社会教育政 策再編成の動向を『下から』補完するという陥穽におち いってしまっているのではないか」というのが,それで
ある。