dfgg〟β∫おGd∂C∂紬∫,8鹿=おr紺βrゐ〃乃dゐβ涼α別∽g∫おf柁滋r帆∫∫β〃(1582)・−La gravured,androgγneOCCupelap喝e221decevolume・〉〉
55)月と再生の神話については,拙論「ネルヴァルの黒い幻想(1)」第三章「女
性神話または変容と再生の神話」,『明治学院論叢』169,pp・155−211・において若 干触れた。
56)〆PierreGRIMAL,肋J言β〃聞古柁鹿Jα吋ゐ0んgfggrβ叩〟g gf r珊αi乃g,P・U・Fリ 1963;0vIDE,上β∫ル〟′d∽∂ゆ血−g∫,IV,285et suiv・etC・
57)拙論「ネルヴァル『パンドラ』の謎(1)」,『立教大学フランス文学』1,pp・
31−3.
58)且P・α・J4,p・356・
59)A肋鍋毎Ⅰ,2,βP・ぽ・∫4,p・361・
60)A肌鍋也Ⅰ,1,βP・ぽ・J▲,pp・360−1・
61)エαP〃〃ゐrα,βP・α・′4,p・351・
62)MircealミLIAD屯,乃diggd,戌∫わfrgあ月gJ妙〃∫,Coll・ Biblioth主quescienti−
后que ,Payot,1964(nouvelleさd・,1970)・
63)乃fd.,pp・352−3・
64)助詞.,p・353・
65)〆励朗g言Jg滋T観〃m叫Cit占dansle上)g ′i〃乃〝〃∫rβ滋尊m占βJg∫,p・34・
66)〆EmanuelSwEDENBORG,粕川(肋有姑m=払履㊥1771・
67)血r〟fα,ⅠⅠ,6,βP・α・JA,p・404・
68
)戯れ
p.
368.
69)Herv占MASSON,加古わ〃〃αirgf〃言ffd殉〟β,Pierre Belfbnd,1970,pp・132−3・
70)βiめ花〝αirβゐ∫岬mム〃Jg∫,p・35・
71)乃よd.,p.34,
72)Dom PERNEⅣ,肋め〃乃αirg嘲カ〃−ゐβγ正和〝β,1758,p・498・
73)血r〟よα,Ⅰ,8,βP.α.′4,p・377;拙論「ネルヴァルの黒い幻想(1)」第二 章「地下の世界Mundussubterraneus」,『明治学院論叢』169,pp・130−155・を参 照。
74)〆JeanGⅥLLAUME,く(む∫αi椚如∫》ゐノ帖rひdJ,さdition critique,19弧 75)〆Jean RICIiER,くくNeⅣaldansla Nuitdu Tombeau〉〉,〟ダ・,nOV・1952,
p.478.
76)¢Fragmentsd,unepremiむe version d Aur占Iia,[ⅤIt】,βP・凪J▲,pp・
422−3;拙論「ネルヴァルの黒い幻想(1)」,pp・196−7・
77)Maxime du CAMP の証言,〆Jean RIC−TER,Cみ〟rd鹿ノ帖rぴαJg=g∫
血frf〃β∫ゐ〃fみfヴ膨∫,p・123・
78)dr血iちⅤ.14:く(Lasainte del abime est plus sainte a】meS geuX・〉〉,J・
GuILLAUME,申.拍.,p.18.
79)nOリβタ.α■.J8,pp・1267−8・
80)拙論「ネルヴァル『パンドラ』の謎」(1),p・25・;¢J・SENELIER,と玩
dm〃〟r f乃Cけ〃乃〟滋Gみdrd鹿〟旨rひβJ,1966.
48
『シルゲィ』に関する一通の手紙
内 村 瑠美子
ジュラール・ド・ネルヴァルの中篇小説『シルヴィ』邸び才g(1853)−
それは,思い出と夢と回想を織糸に,「緋色あるいは紫がかった緋色」に 織りあげられた,作者晩年の珠玉の一篇である。その絵画的な美しさで,
まずわれわれを瞳日させるこの綴織は,そのうえ古くなつかしい歌の響き 凄え伝えてくる。このように,それ自身完全を調和の世界である『シルヴ
.イJは,織糸を解きほぐすように分析研究されることを拒んでいるように さえ思われる。プルーストが,そのネルヴァル論−シルゲィ諭−で注意を 促したのも,こうした点にあった。『シルゲィ』が現実の世界では目にす ることはおろか,言葉ですら表現することもかなわないような,ただ時と 七て夢のをかで経験することができ,あるいは音楽ならば表現可能な,そ のような「名づけがたいなにか」を行間に漂わせ,その「名づけがたいな にか」が,「おののき,かすかな不安,そのおののきが喚起する真の歓び」
を穣しだすことこそ『シルゲィ』の真価であると評価したのが,プルース トであった。1)
だがまた,プルーストが最後に,いささか不満の口調で指摘したネルヴ ァルのintd11igence,つまり「意味づけようとする傾向」もまた,ネルヴ アルの文学に特徴的な一面である。かれは,作家の使命は,人生の重大な 事態のうちに己れの感じいる事柄を,「誠実に分析すること」であり,「自 ら有用であると信ずる目的を立てなければ,この場で筆を置くだろう」と 述べる作家である。しかも,この分析にしろ有用夜目的にしろ,ことに経 済的困窮と精神的疲弊のどんぞこにあったと思われる晩年のネルヴァルに とって,それはなによりも自身の救済獲得のためにとられ夜ければをらを かった必至の婆勢であった。こうした内的要請に促されて,一時期死の神 を待たせておいて,矢つぎぼやに善かれていったのが,『シルゲィ。であ り,P廃嫡者。且Jββ∫ゐカα血(1853)であり,『オーレリア。血r〟iα(1855)
49
であった。2)
このような背景から生まれた『シルゲィ』であるが,ここにおけるネル ヴァルは,なによりもまず心やさしい物語り手として,比類まれな美しい 作品を語った。執筆当時の悲惨と言っても過言ではない内的外的状況を合 せ考えるとき,このやさしさ美しさば,驚異ですらある。はたして,ネル ヴァルの『シルゲィ』創作意図はどの辺にあったのか。
こうした疑問に答えるがごとく,つい最近,リシュJean Richerによ って,ネルヴァル自身が『シルゲィ』について語っている極めて重要な一
過の手紙が発表された。(¢αざ〝之β言〃β励みαオγ♂,du16au31mai1971)3)
以下,この手紙をめぐって,『シルゲィ』理解の若干を試みることにしよ う。
これは『シルゲィ。が「両世界評論」(Revue des Deux Mondes,15
aout1853)に発表されてから三月彼の1853年11月5臥 モーリス・サンド Maurice Sandに送られた手紙である。モーリスは当時すでに高名 なジョルジュ・サンドの息子であり,画家であった。『シルゲィ』刊行を 計画していたネルヴァルのこの手紙は,かれに銅版画による挿絵を依頼L たものである。依頼の内容が具体的なイマージュを要求する挿絵のことで あるだけに,作者ネルヴァル自らが,はからずも『シルゲィ』の解説をか ってでることになった手紙である。ちなみに今まで発表をみたネルヴァル の手紙には,これほど詳細に自作を語っているものは皆無と言ってもよ く,それだけに一層この手紙の資料としての価値は大きい。
まず関心をひくのが,この手紙にもまた「アストルフ」の名が記されて いることである。
「現在わたくしは《パシーのパンシュエーゲル城》に住んでいます,と 言ってもただの《診療所》ですが。ここでは,月に行ったアストルフのよ うに為すこともなく日を過ごしています。ですがまもなく,小填0のをか にわたくしの理性を取戻したことを,世に知らせるつもりです」4)
ネルヴァルが自分をアストルフになぞらえているのは,この手紙だけで はなく,Emile de Girardinへの手紙(1841.4・27),Louis Perrotへ
の手紙(1841.4・29),Franz Liszt への手紙(1854.10.10),そして
『火の娘。エβ∫苗〟 血♪ の序文として掲げられている『ァレキサンド ル・デュマに』ノ1」協動∽め官J九憫皿(1854)のなかに,それぞれアスト
50
『シルゲイ』に関する一通の手紙 ルフの名を見ることができる。5)
このアストルフ(Astolphe ou Asto股)は,イタリアの詩人アリオス
.ト(LudovicoAriosto,ditl ,1474−1533)の凡壷肌㌧伽壷Mに登場す る,シャルルマーニュ大帝に仕えた一勇士である。
シャルルマーニュ大帝に仕えた勇士ローランはサラセン人と闘う英雄で あるが,最愛の恋人アンジェリクをメンドールに奪われ,理性を失い狂人 となってさまよい歩く。かれの理性は月にいる聖ヨハネが小填のなかに保 存している。アストルフはゃはり一勇士ではあるが,この風流肌㌧伽壷…
では,とりわけ神の恩寵のとりなし人として活躍している。聖ヨハネに導 かれて月へ昇ったアストルフは,そこ月に地上で失われた全てのものを見 出すのだった。かれはそこでサラセン人を伐ち放かし,同胞を解放する。
そしてローランは小填の中味を吸いこまされることによって理性を取戻す のである。以上は壮大な 一ぬ山肌㌧私壷似 のほんの一部を月へ昇るアスト ルフに焦点を合わせて概略してみたのだが,6)ネルヴァルがなぜアストル アの名をしばしばもちだしたのかという謎を知る一助にはなるだろう。
、つまりネルヴァルの手紙にみられるアストルフは理性を失ったローラン を念頭においてはじめて理解可能をものであり,アストルフの名がみられ る先に列挙した三通の手紙と「火の娘」序文のいずれもが,ネルヴァル白 身の狂気の時期と符合している点に注目しなければならない。(ネルヴァ ルの最初の狂気の発作は1841年1〜2月。1849年以降は1855年の死の 年まで毎年入院退院を繰りかえしている。)ネルヴァルは恋人アンジェリ 軒を失って狂人となりはてたローランその人であると同時に,そのローラ ンに理性を取戻させた神のとりなし人アストルフたらんとするのである。
この一人二役の運命を甘受しようという決意が,手紙のなかのアストルフ の名にはこめられているのだ。そしてネルヴァル自身の小填の中味は,
rシルゲィ』『廃嫡者。『オーレリア。等の晩年の創作活動のをかに探し求
められていった。
さて,このような背景から生まれた『シルゲィ』であるが,これがすく をからず,ジョルジュ・サンドのべり地方を舞台にした田園小説に範を求 めて創作されたことが手紙に語られている。
「これは−種の牧歌(idylle)であり,あなたの高名な母上の,ペリ地方 を措いた田園小説(bergeries)が,すくなからずこの牧歌を書く動機とな っております。わたくしもまた,わたくしのヴァロワ地方を世間に知らせ
51
たいと考えました」
7)
ところで,ネルヴァルのこの手紙に対するモーリスの返書は,なにかの 手違いから差出人に戻ってしまい,ネルヴァルの手には届けられないでし まった。そこで,ジョルジュ・サンドに仲介の労をとってくれるよう依頼 した手紙が,のちに.
A助邪
C鮎∽∂
rg∫ にも収められた
Fサンド夫人に。
d
肋ゐ∽β助柁
dの十四行詩を含む手紙であった。(
1853.
11.
22)
ジョルジュ・サンドと,彼女より四才年下のネルヴァルが,文学上,ある いは実生活上,どれほどの関係にあったのか今日多く不明のままである。
ただ,例えば先の十四行詩は,十年も前に愛するサンドに捧げるつもりで 創作されたものだということが同手紙で告白されている。8)またPierre
Bocageへの謎めいた一過の手紙(■1841.3.14)には,「
D・
a S紬
COLLUMBA滋
P瓜
Jmα(
G・
S−
d)に会ったら,話したい ことがあると伝えてほしい」といった言葉が見られ,これがジョルジュ・
サンドを意味していると,リシエは考察している。しかもこの手紙にはさ らに,『シルゲィ』中のアドリエンヌの原型をなす−女性HenriIIde
Montmorencyの貞淑な未亡人
Marie−
Fさ
1ici・
e des Ursins(
Orsini)
(
1601一?)を意味すると考えられている奇妙にも思われる「表記」がつづ いているのである。9)
以上のことを考え合わせるならば,ジョルジュ・サンドとネルヴァルの 関係,さらには『シルゲィ』の創作動機とジョルジュ・サンドの関係をま ったく無視するというわけにはレゝかない。したがって,モーリスの手紙 中,先に引用した部分を,単:なる外交辞礼とLてかたずけるわけにはいか なくをる。ともあれ,ジョルジュ・サンドがネルヴァルに特徴的な女性憧 憬の範囲内にあった一女性をのか,また当時すでに高名なこの女流作家に 文学上の関心をのみ抱いてい■たのか,いろいろ興味ある問題をはらみなが らも,今日この点はまだ資料不足でほとんど謎につつまれている。ただネ ルヴァルがサンドに送った手威の数は,すくないものではなかったと考え られているだけに,今後それらが見出されてゆけば,二人の関係の多少 は,肯定的にしろ否定的にしろ,明きらかにされてゆくだろう。以上のこ とから,モーリス宛手紙の先の引用の部分に閑しては,単をる外交辞礼と して片付けてしまうわけにはいかない。むしろ,ネルヴァルージョルジュ・
サンドー『シルゲィ』のこの関係を追求してみることもまた今後の『シル ゲィ』研究の一方法になりうるかもしれないと考えてよいのではないだろ
52
うか○
さて,Fシルゲィ』の内容に関するものとして,ネルヴァル吼 まず『シ ルゲイJの主題は「青春の愛」であるとことわり,つぎのような梗概を モーリスに伝えている。
「ひとりのパリッ子が,ある女優に魅せられてゆくに際して,昔,田舎 の娘に抱いた恋がしきりになつかしく蘇えってきはじめる。かれはパリの 危験な情熱を蒐服することを願い,シルゲィのいる地方−エルムノンゲィ ル近郊のロワジーーの,ある祭りに出かけてゆく。そして美しい娘と再会 はするが,彼女には新しい恋人ができており,その恋人というのが,パリ ッ子の乳兄弟にほかをらない」10)
これが,ネルヴァル自身の語る,あっけ凌いまでに単純な,しかも凡庸 と言ってよい「筋書き」である。このことは逆に,『シルゲィ』において
「筋書き」が重要な要素とはなり得ていをいことを証明している。「筋書 巻」、というのが水平の時間を担わされているとすれば,たとえばバシュラ ールが述べているような内的時間としての「詩的垂直時間」11)こそ,Fシ ルゲィJに非凡を輝きを与えているものである。「筋書き」を幹とすれば,
それに絡みつきノ 生い繋げる回想,夢想が,複雑な時間を構成してはじめ て,▲・rシルゲィ。は一篇の傑作に完成したのである。プーレ George5
Ib山dが,この複雑な時間構成を問題にしたその視点が,『シルゲィ』理解把ほ不可欠であろう。12)
■さて,Fシルゲィ』に無視できないひとつの要素として,ヴァロワ地方 の美しい風景描写が数えられるが,モーリスへの手紙によって,ネルヴァ ルがワットー Antoine Watteau(1684−1721)あるいはまたランクレ
Nicolas Lancret(1690−1743)の絵画の世界を目していたことが明らかにされている。
「作品に描かれている風景が,ワットー,ランクレの絵に見られる種類 の風景であることは十分おわかりいただけるでしよう」13)
ネルヴァルがワットーの絵画の世界に少夜からぬ共感を抱いていたこと 姓,例えば,『シルヴィ。と少なからず重なりあう部分をもつrアンジェ リク』A轡狗岬(1854)の「第五の手紙」にも知ることができる。14)そ
53
してワットーの風景のなかにネルヴァルが求めたものは,傷つき疲れた魂 にやすらぎをかえしてくれるヤさしさと静けさであり,それはそのままヴ ァロワの風景を喚起するものであった。
さて,このような自作解説のなかで今ひとつ関心をひかないではおかな い記述がみられる。
「ふたりの女性がでてきます。ひとりは金髪の女優−ブルボン家に典型的 な女性一例えばルイーズ・ドルレアン。もうひとりは,ギリシャ女性の典 型=御理解いただけるなら,にこやかでナイーヴなミネルヴァ」
15)
ネルヴァルが「ふたりの女性」として指示した登場人物が,先にあげた
「筋書き」との関係から言っても,オーレリィとシルゲィであることはあ きらかであろう。ただここで問題にしなければならをいのは,このモーリ ス宛書簡を発表したリシエが,解説中この点に触れて,「アドリエンヌが ルイーズ・ドルレアンを思いおこさせ,シルゲィがミネルヴァであること がはっきりしたわけである」16)と述べていることである。シルゲィに関し ては問題はない。だが,ルイーズ・ドルレアンが,直接的にはオーレリィ に関わるはずのところを,そのオーレリイを飛びこしてアドリエンヌに結 びつけられている点はいささか問題のように思われる。たしかに現在まで のネルヴァル研究の成果は,アドリエンヌとオーレリイの同一視もまた,
ネルヴァルの女性神話形成上重要を部分であることを明きらかにしてき た。このことを十分踏まえながらも,なおかつネルヴァル自身が「女優」
をルイーズ・ドルレアンに比していることを卒直に受けとめ,今一度『シ ルゲィ。考察の原点に戻ることが,この手紙を『シルヴィ。理解の一助と して生かす道であろう。したがって,ここでは,ごく自然に,女優−オー レリィールイーズ・ドルレアンが成立するはずである。
以下手紙のこの部分に関してなお詳しく検討してみることにしよう。
金髪の女優,これは前記の事情からオーレリイである。そしてオーレリ ィは,ネルヴァルの実生活におけるジェニイ・コロン
Jenny Colon(
1808−
1842)であることは言うまでもないだろう。さらにオーレリィを ベルギーの女王,ルイーズ・ドルレアン
Louise−
Maried Orl占
ans(
1812−
1850)に比しているのも,単なる思いつきの例としてあげられたもので はない。
1840年ベルギー滞在中,ネルヴァルはルイーズ・ドルレアンを 目にする機会をもったと考えられる。しかも同年
1840年から翌
41年にか
54
『シルゲイ』に関する一通の手紙 けて,ジェニイ・コロンは,ブリュッセルのモネー王立劇場に出演してい
た。この間のことを記した一断章には次ぎのように記されているという
0(JeanRicher:Nerval,Exp占rienceetCrゐtionp・421)
「ダランダルモニー音楽堂で盛大な音楽会が催された。これには二人の 女王が出席していた。そのひとり歌の女王は,のちにわたしがオーレリィ と名づけることにをる女王だった。もうびとりの女王はベルギーの女王 で,こちらもまけずおとらず美しく,年齢はもっと若かった。二人は髪形 も同じく,編みあげた髪のうしろに,メディチ家の金のヘヤネットをつけ ていた。この夕べは,わたしに強い印象をのこした」
これが,手紙に描写されたオーレリィの背景である。
つぎにミネルヴァとされているのはシルゲィを意味していることもあき らかである。作中のシルヴィは,「アテネ風の微笑」をうかべ,「アテネの よう夜理智の輝き」をヤどし,古代芸術のような容貌に措かれている。さ らに,ミネルヴァがアテネとも呼ばれている女神であり,知恵の女神であ ると同時に女の技芸の庇護神として,紡ぎ,裁縫,機織りの術を女に教え た神であることを考えあわせるならば,シルゲィが刺繍,レースづくり,
手袋縫いを仕事にしていることとの一致は容易であるからである。
このようにオーレリィとシルゲィの姿が具体的に指示されていること が,手紙のこの箇所のひとつの特徴である。しかし同時にこの箇所はある 問題をわれわれに投げかけてくる。
『シルゲィ』を一読すれば,登場する女性として,われわれは二人では なく三人を考えないだろうか?すなわち,シルゲィ,オーレリィ,そして アドリエンヌである。ところがネルヴァルは「女性」としてはオーレリィ とシルゲィの二人を考えていた。もっとも,ここでアドリエンヌが除外さ れているのは,アドリエンヌが,先に引用した筋書きの時点を測った回想 のをかに在るイマージュだからだ,という説明はつくのである。しかし,
このアドリエンヌこそ,『シルゲィ』全体の雰囲気を醸しだしている,そ の重要性を無視することはできない。しかも,モーリスへの手紙のなかで ネルヴァルが一言もアドリエンヌについて語っていをいことは,むしろ
R ticence
(故意に言わないでおくこと)の効果をもって一層アドリエン
ヌの深い意味を問いかけてくるように思われる。
事実,<シルゲィ>全体が,アドリエンヌの光の単におおわれた世界で
55
あると言えるだろう。
「一女優に対して私が抱いた漠とした望みない愛は,蒼白い光に花開い た夜の花,白い霧にひたった線の草の上を,静かに滑っていったばら色と 金髪の幽霊,アドリエンヌの想い出にその萌芽を持っていた」17)
「青にまたばら色にかわるがわるアルデバランの変光星のように光をか えたその星は,アドリエンヌであったかシルヴィであったか−それは私の 唯一の恋の南半分だった。一方はけだかい理想,今一方はなつかしい現実 だった…」18)
このように,オーレリィもシルゲィも,アドリエンヌの章をのがれられ ないのであるが,だとすれば,R占ticenceとしてのアドリエンヌの意味を あらてため考えてみる必要があるだろう。
アドリエンヌに投影されている現実の女性については,リシエ,マリ,
Aristide Marieその他の多くの研究家が触れていることである。Adrien de Fouch主res男爵夫人SophieDawes(1790−1840)であり,HenriII de Montmoreney
の貞淑を未亡人として知られた
Marie−
F 1icie des Ursins であり,Louise−C 1ine deJunqui主res(1806−1875)である。いずれにしても,ネルヴァルがヴァロワで過ごした少年時代に,かれの心 に生涯消えることのない強い印象をあたえた女性はいたであろう。だがそ の女性がいったいどこの誰であろうと,今の場合はあまり問題にはならな いと考える。というのも,幼年期とは「幻惑の時であり,それ自体幻惑さ れているからだ。この黄金時代は開示されぬがゆえに輝かしいある光のを かに浸っているようだ。だがそれはこの先が開示とは無縁であり,開示す べき何ものも持たず,単をる反映,あるいはイマージュの放射にすぎぬよ うを光線」としてある時期だからである。
19)
アドリエンヌとは,まさにこのようを幼年期にあらわれた光の束なの だ。そしてネルヴァル自身もまた,幼年期の恍惚と不思議を語っている。
「こうして子供たちの頭のなかに形成される世界は実に豊かで美しいの で,−休それが習い覚えた観念を誇張した結果なのか,それとも何か前生 の記憶とか,未知の遊星の魔術的な地理学をのか,わからなくなる」
20)
人生を半ば過ぎて,まるで灸出し
Palimpsestの文字のように記憶の底
56
から浮かびあがってくる想い出は,単にネルヴァルを抒情させるものでは をく,かれが追い求めたのはまさにこの前生の記憶への道であり,魔術的 夜地理学を辿ることであった。すをわち想い出すということの本質には,
人生という水平の時の綱目から欠落しつづけるそれ自体世界の到達点であ る幼年期の純粋性,豊かさを回復したいという願望が,ひいては原初的世 界の回復を願望することがあるのではないだろうか。したがって,想い出 のをかに感じられるのはつねに喪失への悔恨のはずであり,その悔恨は個 人の痛みを超え,人間が時のなかを歩むことへの反省へとつながるもので ある。アドリエンヌの意味はこのような視点からとらえられ,それはその まま『シルゲィ』全体に「言いあらわしがたいをにか」として凍っている のである。モーリスへの手紙に,アドリエンヌの名がついに一度も見出さ れない深い意味もそこにあるわけで,アドリエンヌは『シルヴィ』に注ぎ こまれた作家の感情なのだ。
こうしてアドリエンヌを『シルヴィ』の中心に据え,今一度オーレリィ とシルヴィの意味をとらえなおすことが可能になるだろう。
オーレリィは,「私」の理想,アドリエンヌの鋳型にはめこまれようとす
いけにえ
る犠牲,理想の愛を現実のをかで完全なものに近づけようとする「私」の 欲望の犠牲にすぎない。ネルヴァルの「方針」は理想を獲得し定着させる ことだったのだから。
21)だがオーレリィはこうした作家の試みの過程にあ って,未だ『オーレリア。とはなり得ていをい。(オーレリィがオーレリ アにまで高められるためには,おそらくネルヴァル自身が死の直前に立つ 瞬間を待たなければをらをかったのである。)「私」がオーレリィに,「未 知の男より」としるした手紙を送るのは,甘い感傷からでも戯れからでも をい。「未知の男」とは,ブランショが言う「誰でもない人間」
Personneを志向することであり,この言葉のイマージュは原初的で純粋,迷宮とし ての世界のなかを黄金時代へ還る旅をする人間のイマージュである。そし てまた女優とは,その職業によって「未知の女」なのである。女優は,少 女から娘,娘から母へと自然のなかで成熟一あるいは堕落−してゆく女性 ではをい故に,ネルヴァルにあらゆる接近のしかたを可能にするものであ った。「私」がオーレリイのをかにアドリエンヌを求めてやまないのも,
未知の女に内在する純粋のイマージュを追い求めるからである。
つぎにシルゲィであるが,シルゲィはオーレリィとは異なって,「私」
の理想化の意図から無痕のまま成熟一堕落しつづける。夜ぜならば,オー レリィが「私」のたのみとする未来を象徴しているとすれば,シルゲィは
57
現在そのもの,決して定着させることのできない瞬間の積み重ねとしての 現在を象徴するからである。少女から娘へ,娘から母へ。刺繍からレース づくりへ,そしてミシンによる手袋縫いへ。シルヴィは変化しつづける。
そして鋸こよりも彼女は,歌いつがれてきたヴァロワ地方の古いなつかし い歌を忘れ,気取った歌い方で,「近代歌劇の歌曲」を歌って聴かせ,「私」
を悲しませるのである。回想のなかにあらわれるシルゲィは,生き生きと 跳ねまわる個体としての少女であると同時に,ヴァロワの自然と一体化し た少女,つまりヴァロワの地の伝説の仙女であった。だが,彼女は成長し て,先に述べた経過でただの女になってゆく。成長とは大地からの遊離を 意味し,忘却を意味し,それ自体完全な光のなかにあった幼年期が不透明 に遠ざかることを意味する。これは一種の堕落である。
このようにシルゲィという娘はシルヴィでなくてもいっこうかまわな いわけで,事実,Sylvain,Sylvieといった名前は,ヴァロア地方ではご くありふれた名前であることが,『ァンジェリク』中「第十の手紙」で語 られている。また同じ主題による三つの断章,Emerance,Sylvain et
Sylvie,UnSouvenir22)のなかで,シルヴィに相当する娘は,Emeranceでエメランス,Un Souvenirでシドニーと呼ばれている。すをわち,シ ルゲィとは現実の時の流れに調和しをがら生きてゆく娘たちの総称であ り,ひいては現実そのものにつけられた名前でもある。
以上のように,R封icence としてのアドリエンヌを考察することからは じめて,オーレリィ,シルゲィの意味をさぐってきた今,『シルヴィ』の 主題は,ネルヴァル自身がモーリスへの手紙で語っている「青春の愛」に おさまりきらないものであることが明きらかになる。すなわち,われわれ が『シルゲィ』で経験することは,アドリエンヌ,オーレリィ,シルゲィ が,それぞれに象徴しているところの過去と未来と現在の三つの「時」の 絡み合いである。ではこれら三つの「時」はどのように絡み合っているの だろうか。
「わたしたちが生きているとすれば,先に進んで生きているか,後にさ がって生きているか,そのどちらかをのだ」
これは,友人Stadler に送った手紙の冒頭であるが,この手紙は先に あげた『シルゲィ』に関する断章Un Souvenirとして,プレイヤード版
(1961)ではCorrespondanceに収録されずに,Themes de Sylvieとし
58
『シルゲィ』に関する一通の手紙 て収録されているものである。この冒頭の言葉のあとは,ただちに『シル
ゲィ』のなかのひとつのエピソード,少年時代,川で溺れかけた「私」の 諸に席を譲っていくだけに,なお一層この冒頭の言葉は孤立して意味深い ものがある。われわれには,ネルヴァルが『シルゲィ』で語りたかった思 想があるとすれば,それはこの冒頭の言葉にこめられていると感じられる のである。ここに明きらかなのは,現在という時の欠落意識にほかならな い。たとえば,「私」がシルヴィの前ではいつも俊巡し困惑し,機会を失 ってゆく姿を追ってみれば,牧歌的に美しい二人の愛の散策にもなにがな し不吉の影がつきまとうのである。
「私は彼女の足許に身を投げだし,熱い涙を流しながら,私の不決断の 気粉れの数々を打明けた,『救っておくれ!私は永久におまえのところに 帰ってきたのだ』彼女はその優しい眼ぎしを私に向けた。…この時,私達 の話は,激しい煤けるよう夜笑いに断ち切られた」
23)
このように「私」はいつもシルヴィに達する一瞬を失ってしまうのであ り,二人をびき裂く吠笑は,シルゲィの兄の戯れにすぎないとしても,こ の吠笑は暗示的だ。
さて現在の時の欠落意識は,逆に未来と過去に作家の日を向けさせ,垂 直の時間を形成していく。すなわち,オーレリイをアドリエンヌに一致さ せようとする試みのなかで,過去への回帰と未来の開示は同時に展開され スパークする。そしてその時の火花から,最後の『オーレリア』は生ま れた,と考えられるだろう。
ともあれ,ネルヴァルは,眼前にあるものを本来の姿で受け入れること のできない「幻惑された人」であり,「幻惑された人」は常に「何の顔か たちも持たぬ量りしれない誰かに根本的に結びつけられている」のであ る。24)そしてこの「誰か」にネルヴァルはアドリエンヌの名を与えたので あり,アドリエンヌの倖む世界は,黄金時代としての幼年期であり,幼年 期の本質は個人の思い出の世界をはるかに執って世界の幼年期一原初的世 界につながっているのである。『シルゲィ』という美酒は底にかすかな苦 みを感じさせるが,それは人間が生のなかを歩むということが,原初的世 界から一歩一歩遠ざかり,不透明になってゆくことを認識するとき,ひと つの罪として意識されるからである。ネルヴァルはその悔恨をルソーに語 りかけた。
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「ああ賢人よ,あなたは私たちに力の乳を与えた。それなのに私たちは それを役立てるのには余りに弱い。父親たちが覚えていたあをたの教えを 私たちは忘れ 古代の賢者たちの最後の反響とも言うべきあなたの言葉の 意味がわからなくなってしまった」25)
ネルヴァルの文学に特徴的な古典への造詣の深さ,過去の英雄たちとの 自己同一視の願望,『オーレリア』で完成する女性神話も,言ってみれ ば,「忘却」に対する悔恨の意識に促されて辿った幼年期への旅の形であ った。
こうして,「創作とは,思い出すことである」26)と言うネルヴァルの言 葉が,『シルゲィ』において鮮やかに輝きだすのである。
以上,モーリスに送ったネルヴァルの一通の手紙は,『シルゲィ』に関 して幾つかのことをわれわれに明きらかにしたが,発表されて間もない現 在,なお究明の余地を残すところ大である。本稿では,重要と思われる部 分の若干の紹介と,さらにこの手紙でついに一度も触れられていないアド リエンヌに R占ticence の意味を求めて,『シルゲィ』理解のひとつの試 みとしてみた。
Notes
l)MarcelProust,Cみdrd滋〟βr〃dJ,dans Cb乃如∫αiJifβ−βg〟ぴg,Paris,Gallimand,
1954,pp・157−169・
2)血r〟fdI・3.伍uvres completesI・Biblioth〜que dela Pl占iade(以下B・P・と
する)1960,p.364.
3)この手紙は1969年12月に売りに出された。リシエはこの時手に入れること
ができず,売却のカタログでextraitsを手にしただけであった,と説明している。
4)Pourle pr占semtje demetlre(くau CIlateauI,cnti〜vre a Passy〉〉,Simplement く(maison de sant¢〉〉,OuJe ne ねis que passer,COmme Astolfも danslalune.
Bient∂t,je fヒraisavoir que j y airetrouv占ma raison dans une O bouteille−
dabondance…
ところでune O bouteilleがなにを意味するか不明であるが,リシエの解説をそ のまま借用すれば,0はまず水(1
eau)であり月の hi占roglyplle である。だがここでは0−abondanceと読んで,ネルヴァルが理性を取り戻した自分を世間に知ら せるために創作しようとした une ode de bonne plume,de bonne encre,de
bonne fictureと理解しようと,リシエは説明している。5)A Madame Emilede Girardin B.P.Ⅰ.pp.898−899.
A Louis Perrot
ノ方正,
pp.
899−
900.
A Franz LisztJあfd.pp.1151−1152.AAlexamdre DumasJ出故p.149.
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6)La恥nt−Bompiani:βむJJ〃〃〃αf柁滋∫肋ひ柁∫・TomeIV,Paris,Soci丘t d
揖itions
dedictionnaires et encyclopo丘dies.1954pp.292−295.7)C est une sorte d idylle,dont votreillustre mむe est un peu cause par d田bergeries du Berry・J aivouluillustrer aussimon Valois.
8)Jean Ricber;ルrひαJ,申夕身よβ〝Cββ才crゐJわ〃,Paris,Hachette,1963.p・539・
9)A Pierre Bocage B・P・p.893・
ちなみに Ma∫ie−Fさ1icie des Ursins を指すとされている表現はune con−
stuproeloygni¢e,di月f〃〟かM.Ⅴ・L・d 0−1ibi−Ursulna.(〆B.PりNotes)
10)Le slづet est un amour de jeunesse:Um parisien,quiau moment de
devenir亡pris d une actrice,Se met a r吉ver d un amour plus ancien pbur une
丘11e de village・IIveutcombattrela passion dangereuse de Paris,et Se rendえ
une r釦e dansle pays otleSt Sylvie−a Loisy,pr主sd Ermenonville・Ilretrouvela bdle,mais elle a un nouvelamoureux,1equeln est autre quele丘主re delait duparisien・11)Gaston Bachelard;九一加中細叫坪Ⅷ=叫加=適坤旬両町Messages Vol・2,
1939.
12)Georges Poulet;卿〃f=〃Jα♪g那ゐ滋〟旨r‡′αJ,dans 7す∂f∫g∫∫品=お力勿ぬ−
んg‡g r抑α〃′タグ〟g,Paris)Corti,1966・
13)La r10uVelle vousindiquera・5u爪sammentle genre du paysages quiest celuides Watteau et des Lancret.
14)血新物明月.P.p.189.
15)朋y a deux鈷mmes,i une,1 acとrice e5t blol−de−tyPe bourborlrlierl,−
Louise d Orlゐns par exemplc・L autre ale type grec=Minerve souriante et na‡ve,Sicela peutse concevoir.
16)La prさcision qu Adrienne¢voqueI」Ouise d Orlさans et que Sylvie((eSt〉〉
Mil】erVe.
17)塾Jひざβ,8・P,pp.246−247.
18)Ibid・p・272.
19)Maurice Blanchot;上
且ゆα√βJ摘みβg,一β,Paris,Gallimard,1955.(粟津則雄・
出口裕弘訳)
20)γ吻dggg乃0γgβ鴫Classiques Garnier,αuvres TomeII,1958,pp.2ト22・
21)鞄血れB・P.p.270.
22)[Emmerence]−Chantillyで発見される。1925年3月6日,Pierre Audiat
によってParis−Midiに発表された。
【Sylvain et Sylvie]−1850年11月17日,National紙文芸欄,Faux Saul−
niersに発表。耳油壷の最初の草案。
[Un Souvenir]−A・Houssaye によって1883年発表された。つぎにJ・
Marsanによって unelettre a Stadlerとして Correspondanceに収録されたが,
A.Marieはmanuscritとして扱かったことから,B.P.(1960)では現在Thとmes de Sylvie として収録されている。なお同じエピソードが 瑚〃fちChap・ⅤⅠ,B・P・
pp.253−256 のほか,A血rヴ〟言∫滋句〃JJβ,Chap.X・B.P・p・645,Pr〃∽g〃d血− β′
助〟ひど〃れchap.V,B.P.pp.136−137.に見られる。
23)塾蝕もB・P.p.259.
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24)Maurice Blanchot;エ 且申αα肋加古Ⅳ,既出。
25 )邸〃 fg , B . P . p . 262 .
26)上g∫薫〃郎成りれA Alexandre Dumas,B・P.pp.150−151.
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ルソーにおける言語の問題
−−−−・『エミール』を中心として−
原 好 男
ルソーにおける言語理論の諸問題は,近年言語一般にたいする関心のた かまりとともに,いろいろと注目をあびているのではあるけれど,つねに
『言語起源論。をもって,ルソーの言語理論はすべてであるといったふう に論じられてしまうといった傾向を認めざるを得ないのが現状である。な るほど,ルソーが言語の理論をまとまって論じたものとしては,『言語起 源論』をおいてほかには求めえないのであるから,この現象はもっともな 理由があるとはいえども,『言語起源論』のみでもって,ルソーの言語論 のすべてはつくされているといってしまえば,あまりに性急に結論を出し 急ぐということになるのではあるまいか。
たとえば,『言語起源論』の成立をめぐって,つぎのような事実がある。
『言語起源論』は,最初『不平等起源論』の註として書かれ,あまり大部 のものになったということである。1)こうした作品成立の事情を考慮に入 れるとき,もし『不平等起源諭」のみで,ルソーの政治・社会思想,広く は人間学の理論の総体はできあがっていると考えれば,大きを誤りを犯す ことになり,そうした理論を導き出すには,『エミール』,『社会契約論J その他晩年の諸作品まで考察の対象にしなければならないのと同じこと が,ルソーの言語理論と『言語起源論』についてもいえるのではあるまい か。『不平等起源論。で展開される人類の歴史は,自然状態から,財産の 私有制の発生を転回点として,自然状態と社会状態の対比,不平等の増大 が中心となっているため,人類の歴史は凋落の歴史という趣きをみせ,
「自然に帰れ」と主張しているように思われるのであるけれど,『ェミー
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