近年におけるブナ帯山村の山域利用の変貌 : 山形
県置賜小国の場合
著者
石井 英也, 山本 正三
雑誌名
筑波大学人文地理学研究
巻
7
ページ
109- 132
発行年
1983- 03
その他のタイトル
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近年におけるブナ帯山村の山域利用 の変 貌
一 一 山 形 県 置 賜 小 国 の 場 合 一
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l はじめに
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車- 1 伝 統 的 生 業 形 態
JI[- 2 伝統j'iりな山 城の 利)lj)陪出
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Qュ tQ ZェセAヲM QI QN - 2 人会山町の利丹i
百- 3 近 年 の 山 域 利 用 の 意 義
V おわ りに
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はじめに山 形 県 西 置 賜A-I ): の小
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IHIJは , お お よ そ 北 粋38 0,東 経140 0
近 くに位 置し ,ブナ 帯に! 寓する1) ( 第 1図)
0 4 O km
ゥセセ@ 11泊 MI ピヲ ムj 象 i色 jャセ@
ブナ帯 とは , TUセ 851J f に
発 達 する 冷 温花: 洛 葉 樹 林 帯を 意 味 す
る2) こ こ に は 有 用 な 動 . j宙物が多く. それ ら は 古 くか ら 資 源 と し て活 用 さ れ
てきた . と く に 来 日 本 の 山 地 で はy そ
れらの 山地 資説、の利用が人々の生活隊
式 の 形 成 に 大 き な 役 割 を 果た し て き
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めた j 守猟 や 探 集 とい っ た 素 朴 な 利 用 形
態 は , そ の 後 , 稲 作 や 養 蚕 を は じ め3
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入な どに よ ってその 意義を 減じ, 変 質
したり, Q↓ セ ■@ ゥセjセ N しかし3
山 地 資 源 や 山 域 を 利 用 す る と い う 特 性
は3 フごナ
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山 村 に お け る生 活 様 式 形 成の基底条件とな っ た は ず であ り3),今 日 そ れ は 弱 ま り つ つ あ る とはいえ3 そ
の 環 境 に 過 した 新 し い 複 合 形 態 が 形 成
さ れ つ つ あ る は ずである
このよ うな
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えか ら,我 々は, ブナ:
110 人 文 地 3A 学 研 究 班
に す る た め の 1つの事例として, ここで はLL i形県の 位協小国を例に, とくに 生 業 を つ くるJ
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長としての山域; f
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の 変 貌 と そ の 窓 誌 を 検討す る. 小l;illは U_/)
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まれた地 域 で ,Gᅪ mセi GjG j QN ゥ SRゥ N し か し , そ れ は 近 年3 とくに1960年 代 のlEJ j度 経 済 成 長 期 以 降 急 速 に 崩 壊 し つ つあり, [ ョセ[ lャNャ Q セi
しうるj也i或と考-え られる
ところ で我々は, 長 崎 県 の 白 馬村や背 エjZなど の
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村 に お い て4),3J1¥1' [行 な わ れ て い る 経 済 活 動や, か つて行なわれた経済活動の技象を手がかり( . こ地域生態論1:";J1iJi究 を 進 め て き た . 地 域 生 態ijiHとV;J:,短 に い え ば5), ある地域の人々が, ある11も: 代の政治・経済的条件や以
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水 準 に 対 応 し な が ら , そ の 地セ ○サ セ ZエN セZ ャ
るいは 土 地 利
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を 形 成 す る さ ま を 解 明せ ん と す る 視 点 で あ る . 従来のM
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究 成 果 に よ れ ば , 生 業 や土 地利用の変貌と( ム 一般にIIJj:1日!と空11¥1の利Jfl の 強 度化 を は か る べ く, ある 地 域 の 各 要 素 が 専I"I J分 化 し て
い く 過 程 と い え る が , そ の 対 応 の 仕 方 は さまざま である. この点、に
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刻 す る 在 諸 積 す る こ と も , 本 m Q Q セ QQ セ iGjJL 地 域 の 概 況
イAャ tセ Gj ,越後山lJ眠中の断層盆地を
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心とし て,北i}ISは 大 朝 日 岳 ( 1. XWPュI [G[MQI ェセォ iJ_/ ( 2, 105m ) を主111全とする連山に12I l まれた地域であ る
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,町主Iltiifこ起泌をも つ い くつ か の 川)11が こ の 余 地 を 持 ちtj設Eこを 形 成 し , 人 々 の 生 活 の 非 合 を 提 供 し ているが, 大自ら分は 出111変なL lJJ也j戒 に お お わ れ ‘て い る. III
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ェセ ■IH@は 東 西 約15k01, 南 北51k01で,* 日羽積 は約7 4 0 k m2 に 達 す る が , そ の9 5 %は
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林であり,人口 は12,649 4こすぎ ない6) 気 候 は 典 型 的 な 妥 日本 書! の気候であり,冬季 に は 全l
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の降雪がある.i
置法積雪l主.i ut iセ エ セヲi I R 7凡を│ご らな いし3 山 I'M'jfil Sでは5,..._.,6 mに も及ぶ . また , 地 形 の 関 係 から , 日
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が 少 な い こ と や 秋 り ん 現 象 が 目 立 つ こ と な ど も , この地 域 の 気 候 上 の 特 色 で あ る . こ れら の 厳 しい自然条件は, 小 田 の 人 々 の 生 活 に さ ま ざ まな 影 響 を 及 ぼ し て き た .
小越後地 ブ7と 米 沢 を 結 ぶ 組 後 街 道 沿 い に 発j主した小 国本 村 を 中心 lこ, QYUTセ Z Q QQ OJ
,
│習村 北 小
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主l村と 合 体 合 併 し, 1960年 に は 津 川村を編入合併こして成 立 した. これらの1¥::1村 に は各々 ,玉 川 ・ 荒 川 横 川 が 流 れ , こ れ ら の 支 流 を 含 む 流 域 に 大 小100余 に お よ ぶ 集 j 容が 散 ,紅 している . QセQA
山 を め ぐ ら す 地 形 の た め , 他 地 域 と の 交 通 が二
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まか ら! 到来であ った. 明治時代にな って現在の1 J51巡113J
;j-械 が 漸 く 開i刊され, QYSV ャセュIャャゥ N しかし, iセ QYWU QZ{Z
保 さ れ る よ う に な っ た に す ぎ な い
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の中心部には, 1937年 に 立 地 し た 日 本 竜 興 株 式 会 社 〈 現 在 の 東 芝 セ ラ ミ y クスと! とi本 意 化 学 工 業〉があり7), 他 の 関 連 工 場 も 立 地 す る . そのため,第二次産業に従事ーする人口のj1nl合 は1975年で38. 7% に 達 し , 山 村 に し て はかなり 高い. しかし, I1I
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iセ i ャ ゥjイj Aゥ ェ ] 975i'f
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以 降 改 良 さ れ つ つ あ る が途絶す ることが多く, とくに山n
日の 集 部 では ,農業と111Aかな林j'2C
物 に 強 く 依 存 す る伝 統 的 生 活 が 長 いl'lJi
営 ま れ てきた. 人口 は1955年 の18,366をピ ー ク に 減 少 の 一 途 を た ど り, 小[ 同( j :1
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近年におけるブナ帯山村の山城利用の変貌
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lt 伝 統 的 生 業 形 態 に お け る 山 域 利 用
伝 統 的 生 業 形 態 11[ - ]
そ の た め , 人 々 ぬ そ の う ち の
7 0 %
強 は 国 有 林 で あ る小
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りで は 全 加 積 の 約9 5 %
が 山 林 で あ る が ,あ く ま で も農 業 を 主 体 と し て 彼 ら の 生 業 形 態 を つ く っ て き た . くか ら,
まず
:1935
年 頃 の 生 業 第 二 次 世 界 大 戦 前 の 北 小1
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の 経 済 活 動 を 考 察 し た 上EEIの 論 文8) などを参考に,他 の
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日付 で は9 0 %
近 く を 占 め て い た (第 成家: 宇治2小 国 本 村 をi
徐きp形
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也利j刊 を 概 す ると,耕地は戸 r)I
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] 弘之). 彼 ら の ほ と ん と は 問 : 業 で あ っ た が , 経 営 規 模 の 小 さ い 小 作 や 自 小 作 が 多 か っ た .
森 林 の 大 部 分 は ブ ナ や ミ ズ ナ ラ な ど の
第l 京農家;lflJ 合と操業経営戸数 ( 1935年)
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決らj,しス ギ の 植 林 地 と 草 刈 場 が 集 溶 の 近 く に み ら れ る に す ぎ な か っ た .
しかし ,集 活 に 近 い 部 分 は 薪 炭 の 獲得ー など の た め に 利 森 林 は
? 在葉樹林からなる天然林で,
ほ と ん ど 伐j采 さ れ な か っ た 交 通 が 不 便 な た め ,
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ltは 宅 地 の 近 く に 存 在 し,ここで は ダ イズり の 緩 斜 面 にf f: られ,
ま た , 麓 の 原 野 を 利 用 して, i カ ノ 」 と 呼 ば れ る 焼 ン な ど の さ ま ざ ま な 自 給
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作物が栽培ーされていた.モ ロ コ シ な ど は ほ と ん ど 作 ら れ な か っ た の
ヒ エ よ111が 若 干 行 な わ れ , ソ パ が 少 し 栽 培 さ オ し た が , アワ
こ れ に
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1 I l 地での{ 韮かの商業的 農 業 と自給 月 多くの 農 家 が 稲 作 を 中 心 と して3このようトこ /ト 、でV
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詰 品 作 物 と し て は , 養j乏し、! 出あ
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けらオもできた 作 物 の 栽 培 を 組 み 合 わ せ て:
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1 も な く 衰 退 し¥ 3rl tJ )J主主:
多くの 農 家 が これ を 行 な うよ うに な った が, 第 二 次111:界 大 戦 後 に は │ 京と! この 飼 育 が 導 入 さ れ3
何 れ に せ よy 既 に み た よ うな/ ト
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の 厳 し い 自 然.
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生 産 額 に Ili め る そ の 割 合 は20%
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,こみ た な か っ た .と りオっけ悲
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玲ノ1:.計 を 維 持 す る の に さ ま ざ ま な7; 11'1業 の 存 在E 必 然 な ら し め た i セエ Vj:,
そ の 必 ブ ナ と い う環 境 の1:1:1で 年 による 収 量 の 変 動i慌 が 大 き い こ とな ど も,
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f Lj f とともい え る稲作は,
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にしたのが, iセiセ セスwゥ ゥ山地の来リ
稲 作 は 冷 夏 や 初 駄 の
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義 援 と と も に ,
労 働 の 季 節 配 分 を みると, 水 田 耕 作
1937
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三頃 の 重 要 な 生 業と して, そ れ に 少 数 で あ る が1
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,稼ぎが挙げられていた.fJ'ij述 の j二
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の 論 文 によっ ても ,,
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112 人 女 地 主1¥学 研 究 班
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の 襲 来 を 避 け る た め, なる べく 111摘 を 早 め る よ う に 工 夫 さ れ て い た . 3月 の 末 , ま だ 雪 が あ る う ちjャ セ
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雪 し て
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月 初 旬 に 播 航 し た . ついで撃地して,6
月1
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月 末 か ら1
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月 上旬(,こはJ!
記入れがなされた。養蚕は, eiセQ X ャ N
1920
年 代 の 最 焼 却jに は 生 糸 に がJ
い だ が , そ の後 は 繭 の ま ま 出 荷 さ れ た . こ の よ う な 農 業 活 動 の 合
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を ぬ什て,さまざ‘ まな 山 城 キI j J lJ
の活動が行ーなわ れてきずこわけ で、あるj f f - 2 伝 統 的 なL
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l或 の 利 用 形 態。
新 炭 の 製 造長 い 間 営 ま れ て きた , し か も 重 要 な 山地の利用形態として, 主ず示
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切りや 木 炭 の 製 法 が 挙 げ ら れ よう. 新 は 炊 事燃 料 と し て の ほ か , ャゥ jェセN ャゥ} ヲ セセェイ S 雪が! 固まる 2
月 か ら3月 に か け て 行 な わ れ た. 私有林, 共 有 林 の ほか, 払 い
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ごげを受 けた│ 盃!千f
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本、fこ入り, フIナ材ーなど を 伐 採 し , そ れ を 縫 で 直 接 宅 地 に 迎 ん だ り , あ る い は 川 の 近 く 主 で 燥 で
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月 下 旬: こ雪が降 る 前に)1 1に 流 し . 宅 地 に 運 ん だ . 宅 地 で は , 縦4. 2
尺 (1
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8m ), Q セGiᅫ U HQN UQQQIが
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を つ く り 乾 燥 し た11) かつてはどの家でも, 一冬: ここの手I
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必要とした. しかし , 近 年 で は 灯 油 な ど の 埠 入 に よ り , 訴 を た く 家 は 少 な く な っ たij HIェ セャ ↓セゥjャj W
して急 速 に 発 達 し た . これは , 共 有 林 や , セゥゥイ セャヲ S M
イタヤ . グリなどを) }衣料とし て 行 な わ れ た . 北 小 │羽のがりを
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て も7 木 炭 の 生 産 量 は1
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年 頃 に は 約4
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t に す ぎ な か ったが, ャセェセj Qヲャ ゥ F QYSW ゥZ ェ UVP t に ふ え た ( 第2
閃) . 小 │五│におけーるi
長ーも- ---fi]支3,500
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1,000
[ f @ J 小国町会仰木炭生産量
園 北 小 国 の 木 炭 生 産 量
1929 iき351937 1957 1960
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lIJに お け る 木 j長引陀の1 ft
移近年におけるブナ帯i J
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の山域利用の変貌1 '
1';;な 炭 焼 形 態 は,
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停で 共同でヰ の 払 い 下 げを受け, そ れ を く じ 引 し て 個 人 に 分 割 し ,各自こ に 祭 を 築 い て 炭 を 腕 く とい う も の で あ った. 10月 下 旬 か ら 楽 作 り が 始 ま り , そ の 後3月 下 匂 ま で 炭
焼 が 行 な わ れ た .
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生 産 し た と い う . 雪が深く, 原 料 の 伐 採も3 ニ荷負つての炭の柄引+11も 大 変 な 仕 事 で あ 勺た . 炭 焼 は 第 二次 111:界 大 戦 後 も 暫 く の 問 臨 ん で あ っ た
が ,QYVP セ -) て, 急 速 に 衰 退し た . 北 小 閣 の 五 味 沢 の 例
をみ、ると,炭焼 に 従 事 し てい た 人 数 は, 第 三; 大大 戦 中 に は 約20人であっ たが, 1955年 頃 l こはそ の 数 は
8人となり, 現在ではI! 仕 1人がこ れ に 従 事 し て い る に す ぎないという
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菜 と 茸 の 採 集山 地 利 用 の 三 つ め の 形 態 は ,宅 地 の 問 辺 か ら │司 有 林 の 普 通 共 用 林 聖 子 ま で に お け る 食 料 と し て の L
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SU NセG I N lliセ 雪 解 け 直 後 の 前 山 で の フ グ ノ ズ 〈 フ キ ノ ト
ウ) . コゴミ( クサソテツ〉 の 採 集 で始まった。 5月 中 句 か ら 奥 山 に もJ采集範囲を広 げ , ゼン マイ
ウド シト。ヂナ 〈モミジガ サ) ・ショーデ ( シオデ ),
6
月 に 入 る と ワ ラピ・ブキ . ミズ( ミズ ナ 〉 な ど を 採 集 し た . ゼ ン マ イ 以 外 の 山 菜 は 一 般に野菜といわれ, そ の 筏 類 は30種 類 にものぼる] 皇ーから 駄にかけては, ナメコ マ イ タ ケ アガキノコ( マスタケ〉 ムキタケ・ワガイ( ヒラタケ) ・シシタケ
キ ク ラ ゲ な ど の 多 間 多 様 な 茸 類 や 卜 チ グルミ ーヤ マ ゲ り な ど の 木 の 実 が 採 集 さ れ た . こ れ ら の 多 く は イ セ Zj キ=. t: , 什)1は 乾 物 あ る い はj話漬 けにさ れ , 積 雪 期 の 大 切 な
食 料 に なっ た これらのうち? とくに ゼ ン マ イ とナ メ コ の 探11支や栽培が , 山 城 利 用 の 経 済 活 動 という
Iセ@.I, で , 炭 焼 と と も に 最 も 重 要 な も の と な' : ) てき た これらも 現 在 で は 衰 退 傾 向 に あ る がp 今J=iまだ 続 け ら れ て お り , 近 年 の ー 一つ の 特 徴 的 な 土 地 利 用 で あ る 「 ワ ラビHl}J 12 )と と も に 後 で 述 べ る
3) 木地の製作こと
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猟木j也の製 作,木の皮や/ ) る の)JlIT_, Qセf
と っ て 重 要 な 現 金 収 入 源 で あ った. 木 地 の 製 造 は ,小 国 で は 五味? 尺や赤 沢 で 盛 ん で あ っ た13) とこで
は同 開 の
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汗Jな 雑 木 を 利 用して, KQZャゥ セゥセ N 木 地 に す る 木 は 夏 に 伐 採し , そ の ま ま 山 に放置し, 私'十こ水量: が多 くなった l時 期 に 各 家 の 区 別 の た め に 「 判 」 を 山 刀 で 彫 っ て 目
印 を つ け , 共 同 で 川 に 流 し て 述 ん だ14) 冬 に な っ て , ん よ う な 〈 手 斧 〉 で 荒 型 を 作 り , 水 力 ろ く ろ で 木 地 を 作 っ た . i セ ャ エ Q GI 多 く は 詮 り を 施 し て 商If j! と した ! 日. これら
セi ゥイ 1922年 に 斉 際 某 に
よって再建され, 工 場 が 設 立 さ れ た が, 1952年 頃 再 び 消 滅 してし主' ),1こという. し か し , 木i也の製 造
は, こ れ ら の 集 治 で はト ー! 昨冬 季 の 重 要 な1;';IJ3it
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で あ 1 た本 のJ支や つ る の
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J 1 l 工も仁冬の話I j 業として行なわれた たとえば,フ, 1,ウの本! 支から山刀の袋やノ、ヶ マタタピやアケビのつるから- ザノレやテンコi /_
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r::られ, マ ダ ( シ ナ ノ キ 〉 か ら はl支を来 iJm
して 昼 飯p ゥセGiI iェ jャ j シG N QPセ Qャ
い は 古rpに 保 存 し , 冬 に し7こ. これらはlまとんどが 女
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の{ 士)
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主で、あ4〉fこ.114 人 文 地 理 学 研 究 班
翼 冬 のアオシシ( カモ シカ〉 到: りと春と秋 の
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狩 りが主なもので あった16) これらの 集 裕 に は;J
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越ま た ぎ 共 通の,d
守猟に まつわるイヌ説,U
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言葉や狩a 7i ¥? 去 ?狩猟組! など が存不E
して いた17) しかし, これも カ モ シ カ が 天 然 記 念 物 に 指 定 さ れ た か 厳 し い 戒 伴 と 作 法 に し ば ら れ る こ と か ら 若 者 に 敬 遠 さ れ91955
年頃には衰退した. 現在三では, 狩猟はウサギ・ニヤジ ・ ヤ マ ド リ ・ タ ヌ キ な ど を 対 象 に 趣 味"1りに行 ー ゥ Q ャiA ス S Pセ4) か や と 干 草 の 採 取
山城のもう一つの重姿な矛
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形態が, 入会山で のかやと干 の 採 取 で あ コた これは現金収入訪日としてよりも3 家 の 保 持 や 農 業 を 営 む た め に 不 可 欠 な も の で あ っ た GセQOP Ijセ@ 1;I1Jが あ
るのが一般で3 こ の 意 味 で は , 共 同 体1'1守│生絡の強い伝統的な生活版式を制
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ーする仁│川家ともなってき た . か や は 屋 根 を 葺 く の と , 冬 lこ 家 の 周 囲 に 雪 囲 い を す る の に 必 要 で あ っ た . かやは,1
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月 下 匂 か ら1
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月 の 降 雪 ま で のn
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セ か やj易で共同で採取された . メIJり取ったかやは一 地えの大 きさに束ねて , 保 販 後 全 員 に 平 等 に 分 配 さ れ た. このか やは雪間いと して使用し た あ と , 保 存し,屋根葺 きに利用 した.屋 恨 を 葺きかえ る家があるj易壬七 かやを
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定供し合うかや無 jまがあったまた,小匡! では大抵の農家ヵ: 馬か牛を飼育していた i セH Z エャ ャ ェエゥェ セjャ
し て 飼 育 さ れ た . こ れ ら 家 畜 の 飼 料 と し て , あ る い は と く に 厩肥 をつくるために,
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采ljiは 農 業 経 営 上必 要 不 可 欠 な も の で あ っ た . 5 月上 旬 ,
1
向雪とともに採草地に火入れをし ,匠! の平取が終る 7f セ@ 1=j:1句X N セiMZj ! 日{J 革や午革の採取
は共同 で行なわれた. その場壬弘 1戸 あたりの人数 (11;出ミがな されていた. によっては,
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采草地を個 人 に 分 割 し た り , 草 が 豊 富 たζ とこ ろ で は い く ら 刈 っ て も よ い 場 合 も あ っ た . メJIり液った翠[は,
1
宗主主 地 で 乾 燥 さ せ て か ら 家 に 淫 んfご. 小国では DFi'草の成育がよく, ,主! 有地の-i }l ) も 採 草 地 と し て 利 用 さ れていたため, か つ て は 周 辺 農
4
寸ーか ら 干 草 を 買 い に く る も の も 多 か っ たこの ように山 村 で の 生 活 に 重 要な 意 味 を も っ て い た 入会山 も3 しかし ,新建材の 普 及 や と く に 化 学
肥料の出現によって,
1960
年 l演 を 境 と し て その多 くが不用にな った. これが3 後 で 述 べ る ワ ラ ビ 町 が成立する 直 接 的 な条件となっ? と .
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ヲセ Izノト匡! の伝統的な生業形態を担乏観してきたが,その特徴は3 シ Q セ Q Z Q
のであ ったがp 農 業 だ け で は ゴ三計を維 持 す る こ と が できず, 災 に さ ま ざ ま な形での山 城 の 利j刊を 組 み
合 わ せ てきたこと にあった . しかも, その山j或の利 用 は , 後 で述べるナメ コ,ゼン マイやワラビ 採 取
も 合 め て , あ く ま で 国 有 林 と 入 会 山 の 利 用 をlこ│二l核 と し た 生 産 性 の 低 い も の で あ っ た . このことが, 方では住民が農業を中心にさ住吉 十を つ く る こ と を 余 儀 な く し た が , 他方で、はそれを補うべく1!IRji広い i上IJ 或
利 用 の 機 会 を 提 供 す る 悲
2
2
と な っ て き た周知iのように 東 北 諸 県 で は , ! 亙有林 野 の 割 合 が 非 常に正j:い. これは, :J也秘改正に お け る 明 治 維 新11ネ
の勢力 関 係 の 反 映 とか , 官 民 辛子IK分 事 業 笑 施 の 際 の 淳 一 者 の 欠 如 などから 説 明 さ れ て い るが3 小 田 も
近 年 に お け る プ ナ 帯LLJ村 の
JJj
域 利 用 の 変 貌115
セセl
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ィ。
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このうちp お お よ そ 半 分 ほ ど が ,入 会 林 野 の国 有 林 へ の 編 入 の 代 償と し て の 共 用 林 と し て , 住 民 の さ ま ざ ま な 利 用 に 供 せ ら れ て き た . た と え ば ,
1962
年 に は1
8
,891ha
にィ
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j Gf i セ Qス
L899ha
の 薪 炭 共 用 林日1}と
148ha
の放牧共用林町' が存在していた. 現在で も 約
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ha
の普通共用林野が, IlJJ
全 体 に 広 範 に 分 布 す る ( 第3図) . これは住民が山菜や茸などの 天 然 物 を 採 取 す る林 野で,現在ではH l } が そ の 利
用 権 を 営 林 署 と 契 約 す る が , 実 際 の 利 用 に あ た っ
て は 従 来 の 利 用 慣 行 が 重 視 さ れ , 部 落 の 専 用 利 用
に供せられること が多 い18) すなわち, 共 用 林 野
は一 方 で は , 住 民 の 伝 統 的 利 用 権 を 保 護 す る 側 面
をも ってい る. しかし,共用林野は{ 也方では,住
民 に 国 有 林 を 保 護 管 理 す る 義 務 を 課 す . そ の た
め,その利用( ,ζ は さ ま ざ ま な 規
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が伴う.1942
年 頃 , 小 国 の 農業 生 産 の 諮 問 題 を 検 討 した斉 藤 も こ の こ と を 指 摘 し て い る19) 彼は,
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明治ノ
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3
5
( 1902)
年頃までは官有地の無断開墾も寛大? と喜多 国 石 共 用 林 野
- ナ メ コ 栽 培 貸 付 地
第31盟 小悶IHTの 国 有 共 同 林 野 と ナ メ コ 栽 培 貸 付
地 の 分 布
許 可 さ れ , 米 ・ ソ パ な ど の 収 益 も あ り , 村 民 の 経
済 生 活 は 決 し て 憂 慮 す べ き で は な か っ た しか
し,
t
斬 次 取 締 り が 厳 霊 化 せ る 結 果 , 無 断 使 用 は 全く不可能となり, 生 産 活 動 の た め の さ ま ざまな 弊
害 が 目 立 っ て き た .
J
と述べている . つ ま り , 計 画 伐 採 と 植 林 に 伴 う管 理 強 化 や 国 有採 草 地 で の火入 れ の 禁 止 な ど を 通 じ て3 音)1落 自 体 か ら 生 ま れ る
経 済 活 動
v
; t 大きく制約されることになったわけで、ある.
資 料 : 小 国 営 林 告 の 資 料 よ り , 斉 jj渠 功 - 市 南 女 ー と と も に 作 成
ま た , 小 国 に は 入 会 山 と し て 利 用 さ れ て き た 民
有 林 野 も あ る . こ れ は 近 年 で は 植 林 さ れ た も の も
多 い が3 か つ て は そ の 多 く が 薪 炭 林 や 採 草 地 と し て 利 用 さ れ , 国 有 共 用 林 野 と 同 様 の 機 能 を 果 た し て
きた. 1]Xel; 4図 は ,I日} 有 地 の 一 部 〈 部 落 へ の 慣 行 貸 付 地 ) ) 部 落 有 林 と 共 有 林 の 合 計 で20), 入 会 的 に 利
用 さ れ て き た 氏 有 林 市 積 を 部 落 男JIに示したものである. 南 小 医 ! と 津 川 に 多 い パ タ ー ン を 示 し て い る
が, これらの総市在
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は尖に1
3
,400ha
に達し3 こ れ だ け で も 私 有 林 面 積 の3
倍 に 近 いこ の よ う に 国 有 林 と 入 会 山の 広 範 な 存 在 は , 住 民 の さ ま ざ ま な 山 城 利 用 を 共 同 体1(悦生格の強い , か
っ粁げj文的なものにとどめ る大 き な 条 件 に な っ て き た. しかし ,
1960
年 代 の 高 度 経 済 成 長 期 を境と し¥ -﹁ ︹ J / / J J 1 1 / r J { /
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近年におけるブヅ;fi ¥:iiiセZ[I QiQ ェ ェ
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百 近 年 の 山 域 利 用
日1 - - ]
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主i
有林間・の手U
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刊伝 統 的 なj主
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有 林 野 利 用 を 引 き 継 ぎ ¥ し か も 支 経 済 成 長 期 以 降 も 特 徴 的 な , し、なむしろその問に急したLLI 域 別 と し て , ゼ ン マ イ と ナ メ コ の 採 取 が 挙 げ ら れ よ う
1) ゼンマイ j
采
JI支で い つ 頃 か ら ゼ ン マ イ 際 取 が 行 な わ れ る よ う に な っ た か は 不 明 で あ る . 自 給 食 料 と し て の 採 取
は く か ら 行 な わ れ た ら し し 、 が , ゼ ン マ イ が 商 品 化 さ れ , 小 国 の 住 民 の 経 済 活 動 と し て 意 味 を も つ よ
う に な っ た の は 明 治 末 頃 か ら と い わ れ て い る . 1937年 頃 lζ は3 そ れ は 生 業 と し て か な り 重 要 な 地 位 を
li ゥ RQI ャャャセ 1955,:
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ミ頃から,消費生活の向│二lと伴う成 長 し た22) ( 第
5
図) .15
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閣
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1957 1960
1952 1965 1967 1970
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51玄i ゼンマイとナメコの生産主の推移資料:ノト│ 主]OIT勢 変
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な ど よ り 作 成ゼ ン マ イ の 探JI支は, 5月 初 旬 にTFTLLJで始まり,
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日もなく奥山に移行し, 5月末、まで行なわれる. か118 人 女 地 ]当l 学 研 究 VII
導 入 に よ っ て 田 植 時 期が 早 ま ったが,
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司
¥1寺に省力化 も実現し,ii ャェZ セ
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れ て い る.ゼンマイの採取は, 滑りおや福島県などの他の地域と同様に? 宿泊と
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い の 二 つ の 形 態 で 行 な わ れ てきた23) 両者ーには伝統的な採取区があり ,互 い に 淡 合 し な い よ う に 配 広 さ れ て き た . 百
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1
宗としての採 取 区 は , 大 字 界 で 決 定 さ れ て い る 5月初旬 , この付 近ーで は ブ ナ が 芽 吹 き 始 め る . そ の ブ ナ の 業 の 色をみて , ス ノ 山 ( UJ菜とりのi J _j ) 入りの 日を決める . 宿泊の 場 合 , 4月下旬 か ら 資 材 食料を) iliび あ
げ3 スノ 小屋と 呼 ば れ る 小 屋 づ くりを始 める. ス ノ 小j屋歪土コ、はは十lj主: ブオ' ( " 常;
に建てら れ る 仮 小
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屋歪で、ある. Hセ j場揚如J
所珂 は' 探] 収反の{ 使史' エ平F-宜坦J
j地色であ ること》 日当りの よいこと , 水 流 が あることなどを考! をして選ばれており ,サ j 内iセセ灼│Iqに三淀E
まつている .u
山J jに 入 る の は ,一i判! 何司からおり人( 男
1
性) 1人 と も み 人 ( 女i
性生) 1人 の2名でで、ある 各 戸 がj採采l板反するu
山J
幻-
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1.
でで、あるが , 実 際 には慣例│めな「なわばりj が 存 在 す る24)
お り人はゼン マ イ を 採 取 し , これを 1: ]1: に 午 前 と 午 後 の 2[ f I 1,小尽にわ
1
ける . も み 人 は 小 康 で そ のわたをと り, 3階 級 に 品 質 区 分 を し て わ らで料り3 灰 を 入 れ た鍋でゆでて, 冷 水 で 冷 や し て か ら 廷 に
広げて乾佼ーさせる. こ の 間 に 品 質 を よ く す る た め に ,何 度 も 〈 一 般 に7凶〉手でもむ. 天:: ]1:乾 燥 が 一
般であるが, 雨 の 日 な ど は か ま ど の 上 に 金 網 を ひ い て 弱 火 で 乾 燥 さ せ る こ と も あ る . 天 候 に よ っ て 異
な る が , 乾 燥 に は 2,.__,4 日位要する . こ う し て 完 全 に 乾 燥 し た も の は , 生 ゼ ン マ イ の10分の 1に 重 量
が 減 少 す る . そ の 後p 家 に 運 び , 麻 袋 に 詰 め て 入 梅 前 に 業 者 に 売 り j皮す. お り 人 は 個 人 授 が あ る がp
1X GTPセXPォァ 約20E:] 1M] LLiで 生 活 を し て , で80,.__,150k gの] ; 吃ゼ
ンマ イ を つ く る . これは3 最 盛 期 に は こ の 地 域 の 1 h a 弱の水田に1 2 . s 敵するl収益をあげたとし内、25) 1970年 頃 に は50以 上 の ス ノ 小 屋 が あ っ た . 通 い の j場 合 は , 早 朝 家 をtl:',て夕方まで採1]記し,それを自宅
で 夜9時 頃 ま で か か っ て 処 辺 す る . 採 取 す る沢は ,協 議 し て 時 々 か え る と と も あ る が , 宿 泊 の 場 合 と
向 様 , 各採 取 者 の な わ ば り が 暗 黙 の う ち に 認 め ら れ て い る .
これ らのゼン マ イ 採 取 は , 五 味 沢 や 長者原など, 荒川
l
と玉川 の 上 流 地 域 で と く に 盛 ん で あ っ た . しかし ,最近で は 他 の 震 用 機 会 の 増大, 家 政 構 成 の 変 化 や 、 あ るいはゼンマイ 係 坂 は 危 険 な 重 労 働 で、あ
ることな どから26), そ の 活 動 は 急 速 に 衰 え て き た 〈 第5図参照) . iセ i A S
1981年 に 宿 泊 で ゼ ン マ イ を 採 取 す る の は 五 味 沢 に13軒 , 石 市 に 2iH
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存 在 す る に す ぎ ずp あ と は 全 て 通 いで、ある . そ の 採 坂 活 動 は , 次 第 に 高 齢 者 の 小 遣 い 稼 ぎ の よ う な'1):1:1
:
名 を 帯 び て き て お り , 代 わ っ て よそ 者 が う 町 に 入 山 料 を 払 っ て , ェ セI
てきた
2) ナ メ コ 生 産
天 然 ナ メ コ の 採 取 は3 ス ゥヲゥゥゥ{セゥ
て い る が , 鉄 道 が 関 連 し た193611:ミ頃から
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えした. ェ [セ ゥ事する 家 が 北 小 国 だ け で10戸ほどあったと い: )27) . 1940年頃 に ナ メ コ の 校 日 に 成 功 し2 第 ごj大11LW大
ゥャ セf Oヲ 19551=1三頃から再び 急 成 長 し た く 第5 1玄
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参照) . ナ メコの係/
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支や栽培120 人 文 1:也 主: I! 学 研 究
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[jセ@ 6I立I /j'-I'
巴 川 川 川 山lヒM一 ミ 夕 ワ
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協
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月肥M叶仙断η附ψ fj山伽託巴十山:い山'7うヒYi口机ワラヒlii l
j庄{I二におけるブナ;:lhiLj;、jのL1. 1域手I j nJ の変引!
と さ れ て い る ( 第2 1ミ) . し か し , 王 な 状 態 で は10 aあたり300kg位の1 j 児島: があると
わ
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してJ;すり,実I
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の は こ の 数 促iーをかなり上回るものと考えられる121
小 の ワ ラ ビ リ
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,の現 在 約1,100haに達する. ワ ラ ビ 野 の 分 布 を み る と 61辺) , 4ha以
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の 上 に 多 く 分 布 し て い る . サセ[セセョ jゥ QPPィ。 itャス これは全く
*
1リ
j文│ 杓に利jご円されている荒したワラピU
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1
である. LLJ菜 は 経 済 林 が 育 ち に く い 所 で よ く 繁 茂 す る と い わ;flJて い る が3
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むこ述べたように共同利用の林野面積が広いうえ, 1975年まザで、小
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と の 冬 季 交 通 が 完 全 に 途 絶 す る よ う な 地 域 で あ っ て , 造 林 事 業 も 遅 れ た 地 域 で あ っ た .ワ ラ ビ 栽 は , セu ェ ャ
対立であるが,
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焼きをしたり, Iゥj ェ[[Zセ _ZZ 1976: ;=r ' - 頃からj主 成 さ れ る よ う に なJげ'こ. こ れ は ? 北 小i
五! の針生平に5ィ。 iセ ゥ RPィ。i
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:lj11の 新 肢 と 河 原 角 lこ10haS iセji ffj H V IN
ワラピD l } は,よそ者の
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,
[1引采 11;<をlU
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も あ っ て3 ら れ て い る . か つ て の 探 平 地 や か やj易のうち, も の が ワ ラ ビ 野 と し て 利fj干されているjっけである. ワラビW
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は,の( 頃会
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の緩やかな分 5 0 0 m以 F ) に位置するものもあるが, 多 く は 河 川 に 国 しる. セセ ャ ワラピ く, lJ
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J . 、で,とくに保水力に富む地によく繁茂するためとえ ら れ る . 日 照 は そ れ ほ ど 多 量 に 必 要 と し な い が , セ SRI ,日のあ
た る 斜
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に つ く ら れ て い る . 大 規!
1
英なワラビU l }は ( 100ha),ノトヨミ)11 ( 80ha), 片 貝 ( 60ha),( 60ha), 五 味 沢 ( 50ha),ノ? 山・尻尺 ( 50ha),大石沢 ( 50ha) などにみられるが, Qo セSPィ。@
ものが多い. ほかに,
は 一 両 も え ゥセ
ごく近辺にも,小規模なワラビり! } がみられる. ワラビ野は, 夏 に
らは牧] 草地のようにみえるが, Iぬ 駄 に は も て 茶 褐 色 に な る .
2) ワラピy !} の利用Jf: ?岳1.
ワラビUFI ' は,かつての
J
未 草 地 や か や 場 に つ く ら れ て い る た め , そ の 経 営 ・ 信 はi
刊 誌 に よ っ て 行 な わ れ て い る も の が ほ と ん ど で あ る . 北小毘! の石I
む と 川 の 沼 沢 ・ 新l
i
支. 大石沢ー [=::I子 沢 に は 共 有 地 を よって経営されてし¥るワラピ野があるが, 他 の ワ ラ ピU! J 'はその地がIWf有 地 の 貸 付 地であれ, あれ,
1
iiJ
れもワラビU ' } の一般的な造成法は, ワラ
の 場 合 , 火 入 れ 後 約1 週間jから101:]
が で き る よ う 調 整 し な が らp
JV
J
に , よ そ 者 が 無11)[で ワ ラ ビ行1:た況をみながら,
そ れ に 近 く に
lこ迎給する lilHJ'fき
ワ フ ヒ
ある.
■セQ N
ることができるようになるので, その! 日) f こ
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丑は5月15,.__,20 1-=1
る の を 防
きを行なう こし: 立}日=lj直[Ij片手jの
もある. 火 入 れ[1は, {i
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雪 の 状 悲 や 作 業 の 進予め1週間のill
日
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λ て ,IHJp 大入) ,しのをEj : J 話しておく. 実施日には,
] 戸 か ら1 人 で る に一
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人 文 地
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存j廷の 総 意 でt
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支の おFJ始1- ': と終了l二,セZZャZ @6月末 まで続 く
ワラビ の
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采取は日刊直後に始まり,ェ j iQiセ ヲZャ iji セ]M ェャ QT QQ H 採 取 人 数 ( ] 戸
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人まで〉部 落 に よって 若 干 異 な るが,採取日 される
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支するまた,
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しか し, ; 刊誌か ら
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た 人 は5 [:1 に1uUI決 される とい った決 ま り な ど も あ る .こ と が で き る が3
ェ ャ jjセセ ヲ N J采取
次 第 に 意 味を うたい, 規 定 は 近 年 の 就 業 の 多 様 化 に 伴 い3
RU」ュ H ャセ ュ セ
に は , 老 人 や 主 婦 が 従 事 す る こ と が 多 い
[ セ ィ[セ 普通, 採 取 開 始 後
3
1
1
寺山 位 で 引 き あ げ る.暑 く な る と 労 働 がき つ い の で1
1
人で1
日20
_____,40k g
採 取 す る . 野焼きワラビ野の場合,採取終了後,3
・2
年 の 火 入れまで欣I' iR
する刀〉,
次 第 に ワ ラ ビ の 品 質 が 溶ち るという
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ワ ラ ピ の 発
ャ iセi ゥ Z ST I
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j巴培ワラビ野の造成は,
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ニ じ 雑 草 が 多 く な る 6月初旬と 7月中旬頃に,
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年 こ れ を 施}j巴管辺lする 生を 促 進 さ せ るために ,3:1'1二
面 刈 払 い を 行 な って 肥 料 を 泌 す . 肥 料 は ,
10 a
あたり2
袋( 40kg)
のJ未来ヵ 肥料 を 投 下 す る 探取引j 始 │ヨは 天 候 によって影 響 さ れi
可じ方法で管 l盟する目から4Aイセ
成 長 の 度 合 い を み な が ら ,3r--J 5 E: I お き に 採: J医する . 養 分 の その後,
5月25日 頃 か ら 始 ま る るが,
必 要 な 場 合 に またワラビが│頂 くなることもあ って,
1
*
11
支は6月 末 でや め る.蓄積をはかるためと,
Jl 巴培ワラビ日l}で は 火 入 れ を し な い の が は , 融 雪 後 の ワ ラビ の 萌 芽I1寺 (5月上 旬 〉 に も 施 肥 を 行 な う
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一 般 で あ るが,
5月 l:j= 1 句に雑木の
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j!f :!L
い と 施 肥 を 行 な う といっ たが1]35) もあ で,セゥ QP
そ れ 以 る
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ブゴ が 採 取 に従 事することが 多い .施} ] 巴の効果は ,前 の 収 穫 量 の デ ー タ が な い の で 不 明 で あ る が , 発 生 率 が ふ え たう 持口ワラピ闘の観光 客数
( 1 981年〉
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数
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第 3表
ワ ラビ が太く, 質 が 一 様 に な っ た と い う
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多 く は 山 系統
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土日fjされるも の も あ る が ,j采取 され
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こワラ ピは,津川
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で は ほ と ん ど が 農 協 を 通 菜のイ111I
ヨ 商 に 生 の ま ま 販 売 さ れ るマミ叱i、1.1.1
i1 叶ゾti ェセQQ| G ゥj@
し た 系 統 出 荷 で あ る が3 他 で は 多 く が 個 人!=Uサ Giセj N
と個人 出荷の ;! 司令は,小 国 i1lT全 体 で お お よそ2対8 と推定 され て
系 統
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パ苛の場合,1
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の 束 に し て ,4
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業 者 に 販 売 す る 場 合 ,
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の束 にして そ の まま波すl
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反 す る が ,イ1:11
貿 業 者 は , 小 田 売
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各は ,1980
年に1 kg2
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円で あ った米 沢 市 な ど か ら も 買 い に
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ITIJーか ら だ け で は な く , 新 潟 市
その 数は, 約
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人 と い わ れ て い る . さI:=-で、売り 残 し た ワ ラ ビ くるn
A e F h u円
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そ れ ピニ ール 袋にiijiめ か え ,
ェ } jQ セ[
を さ ら に1斗 協 に 詰 め て 迎 宣 販 売 す る
43
このI ;IJ:JUI )に は 労 働 力 の 集
そ と で
1976
年から入山平│を と っ て ,制 光 客 に自1
1
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:1に ワラビの採 取 は繁J切にあたるた め,1=1:]が
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しい近年におけるブナ帯IJli'すのはl城京)J刊の変貌
ヲ I JMセi
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年に日ff ' 焼きワラビ野で1
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円, lJE
培 の 場Q UPPセR ooo N そ れ よ り 長 い ワ ラ ビ を 自 由 に ほ 較 さ せ る が , ほ
と ん ど の ワ ラ ピ
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で は , 地 元 氏 が 採 取 し 終 え た 午l
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浪 し て 観 光 客 に 開 放 し て いる.
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シ ー ズ ン で1
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人{ 立の観光客を入山させているワラビ閣もあり3
表), ワラビの成育の関係 か ら 毎 日 入111さ せ る こ と が で き な い の でp 現在では[ j1: し 込 み に 応 じ き れ な い と い う . 観 光 客 は 県 内
存 地 か ら の ほ か , 新 潟 ・ 市 応 ・
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などの都市ーからくるが1
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帰 り が ほ と ん ど で あ る 。 こ の よ う な ワ ラビ狩りの観光客数は, lilJ全体で1万 人 近 く に な る と み ら れ て い る .1
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近年のi - ! _ JJ1J兄弟 jJljの以上, この章では
1960
年l表 以 降 の 山 城 利 用 を み て き た . そ の 特 徴 の 一 つ は3 一1
1
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上i菜 需 要 の 増 大 としてゼンマイとナメコの生産が急) 瓦長したが, 〕; 去近で、は{也の伝統的1111或手l J ) 二百と同様,し て き た こ と で あ っ た . こ れ ら は ,L況 に 述 べ た よ う に 国 有 林 を 利 用 し た 経 済 活 動 で , そ の 衰 退 の
の原│ 主! が千七氏の
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にあれ,u
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に あ れ , 小 田 のUJr ! 日注氏の「国有林離れ」と み る こ と が で き ょ う
実際,住民の伝統的なLLJ域 活 動 の 哀 退 とH
引
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す る よ う にJ
1960
年 頃 か ら 国 有 林I
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における に 行 な わ れ る よ う に な っ たノト
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君 は 広 大 な 林 野 間 積 を 拾 え な が ら , 交 通 条件 の 改 良 が
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れ , 人 工 林 の 造 成 は そ れ ま で ほとんど、行なわれてこなかった.
1960
年 以 降7100
r---'300ha
の ス ギ の 造 林 が な さ れ て き た( 第
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悶) •1970
年 に 入 っ て か ら は ? 林 業 構 とし2 ,600
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ミ 有 林 に お い て も に対ーする関心が ま っ て き た . そ の 結 果 , 人 工 林 率 は
1961
は
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にすぎなかったが,1975
年 に は1 2 . 6 %
, 現 在 で は2 0 %
近 く に 増 大 し て き た こ の 造 林 事 業 の つ い て は 後 で ふ れ る一 方 , 伝 統 的 な11r J 或利用が一般に弱化する
な か でJ
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利 用 の 新 し い 一 つ の 形 態 と し て↓セHセ N ここでは
ワラビ! H }の成立と j到 す る 若 干 の 条 件 を
ることによコて, J_j_JJ)j日手!J)羽
しよう
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設に お け る ワ ラ ビ野 の 成 立 と発 達 を 支 え る条例こと して,もIIJ : ) らカ斗 こさjしてし、ZJ
必 ず し
ワ ラ ビ の 自 生 地 がJi足斗けーる.E JUj]=jについては,
挙むずることが で き ょ う.
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雪? 立その保温効果によって,
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してし¥るが J卜1,1:.1,1
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この 点 で も ワラピ III}の
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こ れ ら の 自 然 条 利 二 はUlf '卒の) j x宵にも過して. ic;; り,
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j采] 草 地l t,
矢11ら れ て きた
i セ ォ A二,
イ セ Q j Oセ|Z Lて い た
農 家 が 良 質 な 野 草Lを 求 め て 買 い に く る こ と も あ っ て ,
/ ょと(こよ
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採 草
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自のほとんどは不1 +1になづ1こ"I '-,
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宗fJ 三, 1960年 頃 か ら
全 て ほ 苧
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ワ ラ ビ 野 が 存 在 す る が3
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このよ うに
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ぶ し た ワラビ虫干 は,l_ .,.. 、7 .-,ペ
三二千c _/コ ¥._,
そ の 利JFJ は , 必 ず
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t :J度 経 済 成 長 期 以 降 に 9 E 達 し た も の で あ る に も か か わ ら ず ,ワラビ聖子lよ,
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そ れ に は ,
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{ 也の{ 工、統1'1
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ワラビ!ll 予を 存 立 さ せ て い る 条件とも与ーえられるし,
そのこと( 立 ,
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主に ,る; よずである
1960年 以 降 の 小
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J i Iの経済活動 トこ│ 刻するii1
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欠に,j或手I j )I-Jの 衰 退 の 条 件 と も :考 え ら れ る
い くつ か の 特 徴 的 な 変 化 を み て み よ う4
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ま ず3 農 業 は 耕 地 面 積 が1960年 か ら1978年lこ, l,667 haか ら1,304haに 減 少 し た こ と に 示 さ れ て い る
1幾 械 化 な と に よν〉て
イゥ セ iZ ヲIt{ 間 場 整 備
稲 作v'i) よ う に , 相 対 的 に そ の 意 義 を 減 少 さ せ て き た .
S jセ QQ Q あ る
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水1: 1:1面 積 そ の も の さ え 減 少 し て き た37)
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1960{ 1三頃か
)J巴育はp 良 質 な 草 資 こ 恋 ま れ て い る こ と も あ っ て 第 二 次 I : I
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界 大 戦 後 急 述 に)iii:及 し た が ,円
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が, サl [ ヲセiyj LLJJ 或平IJそ れ ゆ え3
1970年 か ら 飼 育 頭 数 も 減 って きた38)
ら 飼 育 農 家 数 は 減 少 し,
用 の 衰 退 や ワ ラ ビ 野 成 立 の 条 件 と な っ て き た と は 考 え ら れ な い
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J j或 利 用 の ー っ と し て 造 林 事 業 が 活 発 に な 3た こ と に つ し、てはl況に ふJ=JEEJ
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5-, 高 度 経 済 成 長 期 以 降p{以内などのー述の作業: を
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1のほかに,の 休 業 労 務 者 を 躍 っ て い る 〈 第
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Aセ i j ュ IN造 林 の た め の 伐 採
れ た- } 玄 い 意 味 で の 造 林 事 業 と は ,
合之f " _
森 林 組 合 も
220
人 の 林 業 ジ;f
先者 在 抱 えて いる?9)よ り少数 まずこ,
う に , 近 年 の 造 林 業 は , 住 民 全 員 が か か え っ る 伝 統 的 な 山 城 利 ) 刊 を 京j差 さ せ た ;ゥ、わりに,
近 年 に お け る ブ ナ;Hfl Lii、J:のIL i 域利用の変貌 代'125
Mセセセセセ⦅|セ
1960
年以降の,-
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度 経 済 成 長 は , さらに 大 き な い く つ か の 変 化 を も た らし た . す な わ ち ,二 次 産 業 の 拡 大 を も た ら し , OェZ⦅ ji GH セセゥセj ゥャヲイ サQ QO iセZ ェ
KjヲQj N ZセG ゥ セセ@ , Iェスセ QYVP _ 減 少 傾 向 が:x しくな った 4
災) . 炭 家 ネ は , 第 二 次W-_ 界 大 戦 前 に は
8 0 %
をj也えていたが,1955
年 に は 約505
ちになり,1975
年 に は業
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年 か ら1
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年 に か け て , 兼業民家のうら, セ ( 士約55 %
か ら 僅 か4 %
に 減 少 しアこ が , 常 勤 兼 業 は2
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か ら4 8 %
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年 に は2 2 %
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年 に2 0 %
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