• 検索結果がありません。

ドイツの宗教授業 : 相互宗教間学習という特別な 観点から

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ドイツの宗教授業 : 相互宗教間学習という特別な 観点から"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

著者 リッカース フォルケルト, 石川 立

雑誌名 基督教研究

巻 64

号 1

ページ 89‑108

発行年 2002‑07‑29

権利 基督教研究会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004260

(2)

──────────────────────────────────── 

宗教授業は、ドイツではすべての公の学校で義務づけられている科目です。国は、

小学校 1 年からギムナジウムの最終年までのあいだ、また、様々な職業訓練学校で、

宗教授業を提供するように義務付けられています。すなわち、6 歳からだいたい 18 歳 までの生徒は全員、希望すれば、授業を受ける権利が憲法で保証されているのです。

少なからぬ子どもや青年が、12 年以上ものあいだ宗教の授業を受けます。さらに国 は、宗教教師の学術的な側面の養成を行わなければなりません。この養成は、神学部、

あるいは、神学部はないけれども教員養成のコースを持つ大学の神学研究室、あるい は数少ない教育大学、時にはまた専門大学校において行われます。ドイツで教員が養 成されるところでは、あるいはまた、卒業後も継続して訓練がなされるところでも、

宗教授業に対しては原則として国からの補助が出ます。たとえば、養成の継続が教会 によってなされる場合でさえも、ほとんど 100 パーセント、国から援助金が出ます。

このように非常にお金のかかる企画でもあるのですが、この土台となっているのが ドイツ基本法の第 7 条です。宗教授業と同じように法律的に保証されているような学 校の科目は他にはありません。他の科目は基本法の中では名前すら挙がっていないの です。その上、第 7 条は、ある種の法律グループ、すなわち、いわゆる「超実定的な」

法律である第 1 条から第 9 条のグループに入っているのです。それらの法律は、例え ば人権のように、国会の大多数をもってしても、その本質的な内容に関しては触るこ

ドイツの宗教授業

―相互宗教間学習という特別な観点から―

Religious instruction in Germany

― in the particular aspect of interreligious learning ― フォルケルト・リッカース

Folkert Rickers 

訳 : 石 川   立

Translation: Ritsu Ishikawa

(3)

とができない、せいぜい制限することができる程度のものです。このことによって、

宗教授業は絶対に犯すべからざる地位を得ています。その地位を廃棄することはでき ません。ただ、両親と生徒たちがその授業を敬遠すれば、そういう形でやっとこの地 位の力を失わせることはできるでしょう。というのは、この点に宗教授業と他の義務 づけられている学校科目との相違があるからです。つまり、両親は子どもたちに宗教 授業を受けさせないことができるのです。このことも同じように法的に保証されてい ます。生徒が 14 歳になり宗教的に見て大人になったときにかぎり、彼らは 1921 年に 出された子どもの宗教教育に関する帝国法に基づいて、自分自身の判断で宗教授業を 取らないこともできるのです。もっとも、例えばバイエルン州のように、宗教的に大 人になるのはやっと 18 歳になってから、と判断するドイツの州もいくつかあります。

このような宗教授業の強い法的な義務付けは、ドイツ憲法の中では今までになく強 力なものです。これは、1919 年のワイマール憲法にあるよく似た内容の規定をも超 えたもので、最近のドイツの歴史を少し見てみないと理解できません。国家社会主義

(ナチス)という災いが起こり、実際上すべての政治的、文化的価値、世界観の価値 が崩壊した後に、多くの人々が、とくに知識人たちが、教育、文化、社会、政治、学 問の分野でキリスト教の精神から新たに始めようという希望を抱いたのです。なぜな ら、キリスト教はそもそも、国家社会主義(ナチス)に対してある程度の抵抗を示し た唯一の社会的勢力であったと一般に言われていたからです。このことは確かに、例 外的な場合に限って歴史的に正しい核を持つ伝説にすぎませんでした。例えば、ディ ートリッヒ・ボンヘッファーの場合のように、です。しかし、その伝説は信じられて いましたし、戦後の時代に対して、重要な政治的意味を持っていたのです。そう信じ ていたのは、良心の呵責を感じつつですが、とりわけ、キリスト教会自身でした。し かし、また、占領国、とくにアメリカ人もそう信じていました。彼らは、ドイツ国民 を人権と民主主義などに連れ戻す再教育プログラムを行う中で、キリスト教の力に賭 けていたのです。このことが、1949 年に公布されたドイツ連邦共和国の基本法第7 条の成立に大きな影響を与えました。第 7 条ができたのは、おもに、一般社会がキリ スト教的な価値の基礎付けに関心を持っていたことに依っています。ここから、宗教 授業がはっきりと国

課題として考えられていることが説明できます。これはまた、

国教会法の伝統、とくに、ドイツ帝国の中で最も大きかった国プロイセンの国教会法 の伝統にも相応しています。

基本法公布の時点で、第7条の宗教授業の規則は、また、国民教会的な状況にも拠 り所を持っていました。当時、ドイツ住民の 95 パーセントが 2 つの大きな教派(カ トリック教会とプロテスタント教会)に属していたのです。

もちろん、1919 年(ワイマール帝国憲法)以来、教会と国家は厳しく分離されて

(4)

いるので、国が国家教会あるいは国家宗教を作り出すことは禁じられています。国は また、宗教授業の内容を決めることもできません。このことについては、国は第 7 条 に基づいて、一般に言う「宗教団体」にまかせなければなりません。授業はその「原 理原則」に従ってなされなければなりません。言いかえれば、国は、本来国が行うべ き一般的な教育課題、すなわち、国民の宗教的な、ひいては同時にまた、倫理的な能 力付与という教育課題のために、「宗教団体」の援助を要請するのです。ですから、

この宗教団体というのは、他の世界観を持つグループがよく宗教授業を非難している ように、特権を与えられているわけではないのです。これらの宗教団体の援助は第 7 条を実現するために是非必要なのです。国と宗教団体は、宗教授業のさい、望むと望 まざるとにかかわらず、互いに協同作業しなければなりません。

1949 年の基本法の本文には、はっきりと「宗教団体」について述べられています。

それにもかかわらず、実際には 2 つの大教会が考えられているにすぎません。つまり、

カトリック教会とプロテスタント教会です。プロテスタント教会は数多くの州教会

Landeskirche)に分かれており、そのほとんどの州教会は宗教授業に対して協同作業

する権利を持っています。2 大教会は今日まで、実質的に宗教授業の内容、すなわち、

授業計画や宗教の教科書を決定しています。2 大教会は決められた手順に沿って、さ らに、宗教授業が自分たちの教義にそってなされているかどうかを審査するために、

宗教授業を検閲することもできます。最後には、教会による教員資格(カトリック:

missio canonica布教辞令;プロテスタント:vocatio召命)を判定します。その資格は

原則的には、それなくして教師はドイツで宗教授業を行うことがゆるされないもので す。教会による教師資格は国家試験に合格したときにのみ与えられます。その証書は しばしば特別に決められた日の礼拝の中で手渡されます。

宗教授業はいつも教会によって統制されていたのですが、憲法の本文で(「教会」

ではなく」)「宗教団体」という概念が選ばれているのは不注意というわけではないで しょう。というのは、19 世紀終わりや、とりわけ、20 世紀の最初の数十年間は、公 のユダヤ人学校でも私立のユダヤ人学校でも、とにかくユダヤ教の宗教授業が正規の 科目として存在していたからです。その授業が消滅したのは、ドイツのユダヤ人学校 が最終的に廃止された時、すなわち 1942 年になってからです。そうこうするうちに、

この宗教授業はドイツに戻ってきました。少なくとも、ベルリンやデュッセルドルフ のような大きな都市ではユダヤ教の宗教授業が開かれました。この宗教授業はますま す重要になってくるでしょう。なぜなら、目下、かなりの規模でユダヤ人がロシアか らドイツに移住してきているからです。最近、わたしのデュッセルドルフの同僚の娘 さんが「ユダヤ教の教え」という科目でアビトゥアに合格しました。2001 年からは、

ベルリンでもこの科目のアビトゥアの試験が実施されるかもしれません。

(5)

このような(ユダヤ教の宗教授業の)可能性と並んで、ギリシア正教の宗教授業が あります。これはもちろんギリシア語で行われており、したがって、例えばセルビア やロシアから来た若者たちはすべて締め出されてしまいます。しかしながら、「ドイ ツ正教会委員会」はドイツ語で授業をするように努めています。こうすれば、全正教 会的、教会論的な統一理解に従って、す

正教会の若いキリスト者をも含めるこ とができるはずです。授業計画はすでにあります。しかし、能力のある教員が足りま せん。また、正教会の宗教授業をギリシア語から引き離す難しさもあります。

第 7 条に関する最も差し迫った問題は、目下のところドイツ語によるイスラム教の 宗教授業の企画です。これは国の教育政策や学校同盟やまたキリスト教会が強く要求 しているものですし、同じくいくつかの代表的なイスラム教連合組織からも強く要求 されています。なぜなら、イスラムはこの間

かん

、ドイツではとにかく 300 万人以上もの 信者を抱え、カトリック、プロテスタント両教会に次ぐ第 3 の勢力を持つ宗教になっ ているからです。イスラム教の宗教授業に期待されているのは、イスラム文化の中に アイデンティティーを見出していく働きだけではなく、権威主義的な教育とファンダ メンタリズムの傾向を持つと言われる数多くのコーラン学校からの離脱です。もちろ ん、この授業を導入する際の問題は、非常に大きいものです。主要な問題は、ドイツ のイスラム教が、キリスト教会とは異なる形で、国の交渉相手にもなりうるような代 表的な指導部を持つ宗教団体として認識されるべき点にあります。イスラム教徒は、

組織化されていないか、あるいは、多かれ少なかれ義務的に、宗教的、政治的、国家 的に見て極めてまちまちのグループが混じるモスク連合に属しているか、のいずれか です。ドイツには、すべてのアラブやアフリカ諸国、トルコ、バルカン諸国出身のイ スラム教徒がいます。ヘッセン州では、これらすべてのイスラム教の諸連合を一つの 総連合のもとに集めて、イスラム教の宗教授業実施の要求を強めようとする試みがな されました。しかし、このような制度作りは州政府によって拒否されました。なぜな らば、それは自然にでき上がってきた宗教団体ではなく、この場合は、基本法第 7 条 に基づく宗教授業の実施を目的とする純粋な目的貫徹のための同盟として理解される からだ、ということです。この他、ドイツの中央イスラム教諸連合に対しても同じこ とが言えます。その上、州政府は宗教授業に対して国家監督権を示唆してきました。

というのは、非民主主義的、ファンダメンタルな考え、及びテロの策謀のゆえに、何 年来、憲法擁護の立場から監視されている人たちがイスラム教の諸同盟のもとにいた からです。第 7 条によれば、国家が授業の内容に影響を与えることは許されていませ ん。しかし国家は、憲法のうたう基本的権利や、宗教授業において国の法律が守られ ているかについて、監視していなければなりません。例えば宗教的な理由から、男女 同権が軽視されたり、死刑が弁護されたり、民主主義に反対するように扇動されたり、

(6)

あるいは、イスラム教の国家体制が宣伝されたりすることを国は容認することはでき ないのです。さらに、例えば、社会的な正義や、平和や、地球保護というような事柄 に関して、イスラム教の宗教授業がどのような社会的な利益をもたらすのかに注目し ておかなければならないのです。

ですから、法律的に言うと、第 7 条に基づいたイスラム教の宗教授業の確立はさし あたり、かなり難しいのです。それゆえ、ノルトライン・ウェストファーレン州は数 年前から当座しのぎの解決策として「イスラムの教え」という授業を行っています。

実際にはそれはイスラム学です。その目標と内容はゾーストにある国立研究所がケル ン大学の宗教学者たちと共同で調整しており、目下、州の様々な学校で試験的に授業 が試みられています。ゾーストでは教員は再教育を受けています。「イスラムの教え」

はもちろん必修科目ではなく、ムスリムの生徒たちに自由選択として提供されていま す。しかし、キリスト教の宗教授業と同じく評点がつけられます。原則としてムスリ ムでなくても参加できます。アンケートによれば、「イスラムの教え」は親や若者た ちから非常に高く支持されていますし、また、いくつかのモスク連合にも受け入れら れています。ドイツの中央のイスラム諸連合は、当然のことながらこのような試みを 拒否しています。というのは、この授業によって、イスラム教の宗教団体が宗教授業 に共にかかわる可能性がなくなってしまうからです。

ブレーメンとベルリンには第 7 条から基本的に逸れる規定がありますが、これにつ いてはここではこれ以上詳しく扱えません。ブレーメンでは、キ

。こ の授業は小学校ではプロテスタントの宗教授業の教案に沿って行われ、さらに上の学 年では実質的に宗教学となります。ベルリンでは国による宗教授業はなく、ただ、教 会が自発的に提供する授業があるだけです。ブランデングルグ州の宗教授業について はあとで改めてお話します。

以上の概観の結果、第 7 条に基づいて提供される宗教授業の構造は次のように図式 的に説明できます。宗教授業を設置するのは国、具体的には州政府です。宗教授業を 設置するというこの課題を実現するために、州政府は、宗教的な事柄に対して原則的 に中立を保たねばならないので、宗教教団の助けを借ります。州政府がこのために用 いる宗教団体は、自分たちに権限があると思っている宗教グループではなく、国の側 がただそのように認め、州政府が「公法の法人」に格付けしている宗教グループに限 られます。すなわち、その宗教グループは、教会と国家を厳密に分離したときは、一 種の言わば国家的な地位を持つことになるのです。このことは、教会においては次の ような結果をもたらします。例えば牧師のような教会で働く多くの者たちが、役人と いう地位で仕事をすることになる、また、国の課税リストに基づいて教会税が徴収さ

(7)

れる、また、国が囚人牧会者や従軍牧師を置く、また、宗教授業に対する内容的な管 轄が教会に渡される、などなどです。法律家は国家と教会のres mixtae(ごちゃまぜ)

だと言います。国家と教会はドイツで国教会法的なシステムの特質を形作っているの です。以上から、宗教授業の原則的な構造については次のことが明かになりました。

すなわち、宗教授業は都市国家ブレーメンを例外として、原則的に宗

(信

)授業であり、厳密に法律的に見れば、それ以外ではありえません。90 年代の半ばに 2 大キリスト教会は覚書を交わし、2 大教会がこの基本的な立場に留ま ることを誤解のないようにもう一度はっきりと確認しました。

ここで次のことを付け加えておかなければなりません。宗教授業は実際には宗派に 偏ってなされているわけではありません。法的な規定に反して、プロテスタントとカ トリックの子どもや青年たちが一緒に授業を受ける場合がますます増えています。職 業訓練学校では、このことは、極端な教員不足のためにすでに普通のことになってい ます。学問的な宗教教育学の分野では、2 つの立場は非常に接近しています。宗教教 育学の辞典をわたしはあるカトリックの同僚と一緒に編集しました。わたしたちには 宗派上の問題はありませんでした。辞典の項目を執筆するために、わたしたちはもっ ぱら、どの執筆者がもっともふさわしいかを検討したにすぎません。

2 実践上の問題

──────────────────────────────────── 

60 年代の終わりまでは、この宗教授業のシステムは次のように行われていました。

すなわち、宗教授業はすべての公の学校で、プロテスタントかカトリックの授業とし て提供されていました。都市の中心部は別としても、全体として教員は充分いました。

これは、ギムナジウムや職業訓練学校でしばしば牧師が授業を受け持っていたので、

なおさらです。(生徒が)宗教授業を取らないことは実際上ありませんでした。たい ていの親も若者も、この授業をとらなくてもよいという可能性を知らなかったのです。

宗教授業を取らない理由は沢山あったことでしょう。なぜなら、宗教授業は戦後、と くに好まれた科目ではなかったからです。それはその内容的な構成に原因があります。

というのは、この授業は、プロテスタントの側で、弁証法神学の結果としてもっぱら 聖書のテキストに基づいて構成されていたからです。大雑把に言うと、50 年代には 宗教授業の中で福音が宣

、60 年代には、ブルトマンの聖書解釈の影響で福音 が解なければならなかったのです。それぞれの授業時間に、一つか複数の聖書 の箇所が扱われました。他の授業の教材、例えば、教理問答の一部、讃美歌あるいは 信仰の範例(exempla fidei)、模範的な信仰を持った教会史上の人物などは、ただほん

(8)

の付けたしの役割しか果たしませんでした。

聖書授業の教育上の原則は 60 年代の半ばになってやっと問題となり、文化革命

(学生運動)との関連で 60 年代の終わりには崩れてしまいました。学校の伝統的な教 育の諸規準が検討しなおされましたが、そのときに宗教授業も検討されたのです。聖 書の授業は実際一日一日と崩れていきました。それは、その形ではもはやそれ以降復 活しませんでした。宗教の教師がこの展開に乗り遅れると、場合によっては、クラス 全体が授業を取らないという目にあわなければなりませんでした。聖書の授業の崩壊 は、重大な影響を与える歴史的な出来事でした。聖書の授業の崩壊によって、宗教教 育学も、ある社会、つまり、確かにその構成員の 95 パーセントは 2 大教会に名目上 は属しているが、実際はすでに世の波にのまれて教会生活との接点を著しく失っ てしまっている社会の中で、キリスト教の授業の意味について新たに考えなおさざる をえなくなりました。そして、キリスト教はもはや決してドイツ社会の決定的な勢力 ではなく、価値付けの点で、他の諸勢力の中の一つの勢力にすぎないと見なされうる ことが、どんどん意識されるようになってきました。

事実上世

が新しい宗教教育学的考察の出発点になりまし た。これによって、「問題提起型宗教授業」の教案がうまれることになりました。こ のタイプの授業は今日でもなお広く宗教教育の基本モデルです。その基本思想は、キ リスト教的な教育や社会性付与が家庭内でもはや行われず、たいていの青年が伝統的 なキリスト教的指導を受けないときには、青年たち自身の実

の中、ないしは、

彼らを取り巻く社会という現実の中でのみ福音はなお説得力をもって伝えられうる、

というものです。例えば、搾取されている第 3 世界の人々のためにキリスト者が行動 を起こすことからも福音の力の何がしかを読み取ることができる、と考えられるので す。あるいは、愛と性についての新しい評価が問題になったこともあります。これに キリスト者の教えや生活についてのあからさまな情報が補われれば、福音の精神に関 して、間接的な形でもっと明かになるはずなのです。このように、キリスト教的に基 礎付けられた人間観に関する情報とそれへの実際的な関わりとは共に補い合うべきで しょう。これ以来、ドイツの宗教授業は倫理的、ないしは、社会倫理的に行われてい ます。

このような考え方は非常に様々な形と強調点をもって――これについてはここでは 報告できませんが――広くゆきわたっていきました。そして、宗教授業の受けも、プ ロテスタントの側でも、カトリックの側でも明かに良くなりました。今日では、宗教 授業は、青年たちの間では受けのよい、それどころか時には大事な科目になっている と言っても過言ではありません。60 年代や 70 年代の終わりにしばしば起こった宗教 授業の敬遠は、今日ではすっかり過去のことになりました。敬遠は個別の場合に限ら

(9)

れます。

これに対して、世俗化し多元化した社会の影響で新しい問題が生じてきました。す なわち、深刻な教会離脱の結果、キリスト者の若者の数が著しく減少したという事実 です。(旧東ドイツの)新しい州では、教会員は平均して住民の 30 パーセントにすぎ ません。例えば、ブランデンブルク州では 22 パーセントにすぎません。確かに、宗 教を持たない若者たちの多くがまだなお宗派による宗教授業に参加しています。しか しながら、問題は残ります――そしてこの問題は年々大きくなるのです――。この問 題とは、これらの宗教的に拘束されない生徒たちを教育的な観点でどう扱うべきか、

ということです。なぜなら、合意を得ている教育政策の考え方によれば、学校ではす べての生徒に、宗教的であるにせよ、宗教的でないにせよ、それにはかかわらず、一 般に個人的かつ社会的な生き方を形成するための諸価値について知る場が提供されな ければならないからです。この目的のために、この間

かん

、すべての州で、宗教授業の代 わりにこのような課題を担う科目が設置されました。それはたいてい倫理か哲学です。

その授業では、価値中立的であることを基本にして、キリスト教も他の世界宗教も教 えなければなりません。ある州では、つまり、ブランデンブルク州ですが、ここでは さらに一歩先を進んでいます。「人生形成−倫理学−宗教学」(LER)という科目を宗

設置しているのです。宗教授業はただ代替科目として見なされてい ます。国民の宗教意識の深刻な変化をこの例以上に強く示すものはありません。です から、ドイツの最高裁判所である連邦憲法裁判所が、ブランデンブルク州で将来効力 を持つべきは基本法第 7 条か新しい規則かについて、はっきりさせようとしているこ とは不思議ではないのです。この判決は楽しみです。目下のところ妥協案におさまり そうな気配です。それによると、LER(「人生形成−倫理学−宗教学」)は正規の科目 として残ります。しかし、宗教授業も少なくとも 12 名の生徒が要求すれば、設置し なければなりません。

3 多文化社会からの宗教教育学への挑戦

──────────────────────────────────── 

3.1 多文化社会

連邦裁判所の判決にさいして明かになることは、キリスト教は戦後の数年間はまだ 議論の余地なくドイツ社会の価値決定をする存在として通用していたのですが、しか し、今やもうそうではなくなったということでしょう。国民教会の終焉があります。

半世紀の間に、国民教会は空洞化されてきました。ゆっくりと、しかし、確実に。今、

教会は少数者の地位に向かって動いています。

(10)

それとは別の社会的変化が同時に起こっています。この社会の多元的な性格はさら に強まり、キリスト教は自らを他の宗教のうちの一つとして理解せざるをえないよう な位置に追い込まれています。宗教授業をもう一度根本的に変えるこの進展は、「多 文化社会」という概念でうまく把握されています。確かに、保守的で国家主義的な考 え方に縛られたグループはこの概念を容認しようとはしません。それどころか、彼ら は選挙の前になると、外国人の影響が大きすぎるとして、住民の中に不安を掻きたて、

場合によってはそれが成功してしまうこともあります。そして、もちろん、極右のグ ループもいます。彼らはドイツから非ドイツ人をことごとく追放したいと思っていま す。とりわけ、目だった皮膚の色をした人々あるいは目だった宗教的な行為をする 人々を、です。しかし、ドイツは経済的や政治的には多文化社会であり、ヨーロッパ の隣国と違わないという事実は、あまねく意識されています。このことは、街の風景、

企業、病院、学校や大学、そもそも至るところで、村や人里はなれた地域でさえも認 められるのです。国民の 11 パーセント、もしくは 850 万人もの人がすでに、もとか らのドイツ人ではありません。そして、そのパーセンテージは上がっています。しか し、それだけではありません。福祉や社会的システムを崩壊させるべきでないとする ならば、人々のドイツへの流入は、とにかく、人口学的にも経済的にも必要なのです。

国民の老齢化はすでに今恐るべき状態にまで進んでいます。年金システムや社会シス テムの財政を支えるためには、生まれてくる子供たち、すなわち将来の納税者はあま りにも少ないのです。この点では外からの流入だけが頼りです。経済界は必死で特殊 技能者を求めていますが、ドイツの高い失業率にもかかわらず、多くの部門で見つけ ることができず、外国で募集しなければなりません。経済界はもうすでに前から、ド イツがアメリカやカナダやオーストラリアのように移民の国であるという事実を了解 しています。2002 年には、保守的な勢力はまだ発言を控えていますが、全政党の承 認を得てドイツ史上初めての移民法が成立する見通しです。政治的な良識にまったく 反して、移民の問題を 2002 年に行われる全国選挙の争点にする見とおしが、目下の ところ非常に強いように思われます。

多宗教社会は言わば、ドイツ人にふりかかった運命の打撃のようにやってきました。

誰も本来それを望んではいませんでした。誰もそれを歓迎しませんでした。誰もそれ がこれほど進展し、現在の規模になることを想像することはできませんでした。60 年代の初めに、いわゆる「外国人労働者」がイタリア、スペイン、ポルトガルから、

そして、また、ギリシアやトルコあるいはチュニジアからも募集されました。しかし、

外国人労働者は、彼らに与えられた役割、すなわち、お客であり、充分に稼いで 2 − 3 年のちには故国にもどるという役割に留まってはいませんでした。その反対でした。

若い男たちや女たちはすぐに家族を呼び寄せ、レストラン、商店、礼拝の場、旅行会

(11)

社、スポーツ・クラブなどによって、自分たちの生活に基本となる施設を整えたので す。言い換えれば、彼らはドイツにしっかりと適応し、ドイツ社会の一部になり、ド イツへの帰属意識をかなりの部分、身につけたのです。

3.2 宗教教育学への挑戦

ドイツ人は、自分たちは本来労働力だけを求めていたが、実際は人間が来てしまっ たということを驚きと共に認識しました。もちろん、その人間にはドイツ人には馴染 みのない文化や宗教やメンタリティーがそなわっています。この認識は第一に、ムス リムに関する認識でした。というのは、ロマンス語系の国々から来た労働者は、例え ば、共通のカトリック信仰の基礎があって、比較的早くドイツ住民に同化することが できたからです。ドイツ人が感じた違和感はとりわけイスラムに対して、そして、外 見が異なる人々、すなわち、アフリカ人やアジア人に対してでした。つまり、あまりに 違うので、伝統的な規準からは評価できない、そういう人たちに対してでした。

このような状況からおのずと、学校や教育学は次のような貢献をするよう挑戦を受 けていることが明らかになってきました。その貢献とは、そのような異質性を理解で きるようにする、異なった文化の人間のあいだを橋渡しする、対話を始める、共同の 遊戯や共同の祭りによってコミュニケーションを可能にする、他の国の歴史、場合に よってはその苦難の歴史を聞き、その評価を認める、という貢献です。これらについ ては、教育学は相互文化間学習を計画してその実現に努めています。

この点では、宗教授業ももちろん問われています。それどころか、多文化社会から の挑戦によって、宗教授業は、自分たち独自の事柄を扱うときでさえも、外国人や彼 らの宗教との関係の中に立たされています。問題提起型の教案を進めれば、そういう テーマを選ぶことになるので、それはなおさらです。すでに 70 年代の始めに、宗教 授業では、外国人労働者、外国人、アウトサイダーといった問題を扱って社会的な統 合を得ようとしてきました。しかし、宗教教育学が他の文化の人々も宗教を持ってい たと発見するまでには、長い時間がかかったのです。それはドイツのこの科目の特別 な伝統と関係があります。なぜなら、宗教授業にとっては、「世界宗教」というよう なテーマは(まだ意識されておらず)、まず発見され、解明されなければならないよ うな状態でした。より正確に言うなら、再発見されなければなりませんでした。とい うのは、19 世紀、20 世紀には、啓蒙主義の考え方の成果として、自然宗教や外国の 宗教を宗教授業に取り入れ、それらを正しく評価するということがよく行われていた からです。しかし、聖書の授業が行われていた時代には、外国の宗教は教案や宗教の 教科書には実際上現れてきませんでした。そこでは、弁証法神学が各宗教に示した留 保の姿勢が大きな影響を与えていました。宗教授業の課題は、宣教や聖書テキストの 解釈を通して神の真理をイエス・キリストにおいて証言することだとされていまし

(12)

た。宗教や諸宗教、諸世界観などは、唯一の神の真理によって罪を示される代わりに 自分の力で真理、神への道を見つけようとする人間の思い上がりであると見なされて いました。この原則は取り消しようがないと見なされていたので、この科目の名前さ え、40 年代の終わりと 50 年代には変えられていたのです。「宗教授業」の代わりに、

「福音主義の教え」と言われていました。「宗教」と言う概念は、是が非でも避けるべ きでした。なぜなら、その概念は間違った連想を引き起こしかねないからです。

宗教教育学的に見て、宗教に対するこのような拒絶はひどい結果をもたらしました。

50 年代と 60 年代は、プロテスタントであれ、カトリックであれ、あらゆる世代の生 徒たちは、このわたし(講演者)をも含めて、何らかの他の宗教のわずかな知識も持 たないままに学校を卒業したのです。例外はごく少数でしかありませんでした。この ことは今日、国民の意識に大いに影響を与えています。ドイツの人々は、いわゆる教 養人も、イスラムについて、仏教について、ヒンズー教や他の宗教についてほとんど 何も知らないのです。これは不安を作りだしますし、先入見の申し分ない温床となっ ています。

問題提起型の宗教授業に変わって行くと共に、宗教教育学はもちろん、世界宗教の テーマにも目を向けるようになりました。とりわけ、このテーマは学生たちの文化革 命との関連で、批判的な生徒たちによって緊急に必要な科目として要求されたからで す。このテーマは、問題提起型という主要なアプローチを別にすると、最初は躊躇し ながら採用されていましたが、次第に全域に広がっていきました。驚くべきことに、

このときは宗教の教科書が指導的な役割を負いました。今日のドイツでは、高学年前 期(5 年生から 10 年生まで)の宗教の教科書で、一つの宗教ないし複数の宗教につい て記述していないようなものはほとんどありません。

もちろん、このような記述にはむらがあります。ユ

には特別な位置付けがな されています。これには、言うまでもなく、歴史的な理由と、しかしまた神学的な理 由があります。その記述の仕方は単に、他の宗教を扱うときのように、純粋に宗教の 情報を与える、もしくは宗教学的な方法ではありません。そうではなく、少なくとも ホロコーストのゆえに、ドイツにはユダヤ教と関わる特別な歴史があることを思い起 こさせるものになっています。このような文脈がわざわざ作られることもしばしばあ ります。しかし最近は、もちろんまだ、ためらいがちにではありますが、キリスト教 が、同じ神への信仰とヘブライ語(いわゆる旧約)聖書を通して独特な仕方で内容的 にユダヤ教と結びついていることが強調されてきています。聖書釈義や組織神学の新 しい理解に応じてユダヤ教に関する記述で強調されるのは、キリスト教から遠ざける ものではなく、両者を結びつけるものです。このような方向性をデュースブルクの神 学者や宗教教育学者はすでに長い間、苦心して明確にしてきました。この努力によっ

(13)

て、何年ものあいだの議論の末、1996 年にはラインランド州のプロテスタント教会 の基本規定が変わるまでに至りました。この基本規定には次のような注目すべき文章 が付け加えられたのです。「教会はご自分の民イスラエルの選びに留まりたもう神の 信実を証言する。イスラエルと共に教会は新しい天と新しい地を望む」。

この信仰告白は、ユダヤ人を姉妹兄弟と見なすために必要ですが、宗教教育学の分 野ではまだ広く行き渡ってはいません。しかし、宗教教育学の分野でもキリスト教と ユダヤ教の対話は受け入れられているので、そこにはユダヤ教とキリスト教の関係を 新たに評価しようとする精神も感じられます。

も宗教授業にとって特別なテーマとなっています。これは、歴史的に全く 新しい事態、すなわち、イスラムが宗教としても、また、文化としても定着したけれ ども、しかし、この新しい現象を克服していく過去の範例がないという事態に、ドイ ツ国民が 30 年以上も前から直面しているからです。イスラムはそれまで、ロマンチ ックに輝く「オリエント」であり、千夜一夜のメルヘン少々、カール・マイ少々で彩 られていました。ところが、言わば一夜明けたら突然、イスラム教を信じる隣人が入 り込んでいて、トルコの街角ができ、モスクが建てられ、街の風景にミナレット(イ スラム教寺院尖塔)がそびえているのです。イスラムの寺院で、場所の名前は忘れま したが、ある場所で、設立何百年になるキリスト教会よりも高く建てられる予定のも のがあるそうです。何年も前にデュースブルクで、スピーカーでイスラム教の祈りを 拡声させるのを認めてほしいとの要求が出され、ドイツ中に物議をかもしだしました。

イスラムは短い年月の間に、キリスト教一辺倒だった社会の姿をどんどん変えてきま したし、この変化はまだ続いています。このような変化に対応することは、先祖代々 ドイツに住んでいるドイツ市民にとっては容易なことではありません。彼らの意識の 中にファシズムの考え方が残っているとすれば、なおさらです。

したがって、イスラムを宗教授業で扱うという課題が緊急の課題となるのです。イ スラムの基礎知識を伝えて、ムスリムの宗教行為に理解と寛容を示し、先入見をなく すということは、かつては大変な苦労でした。モスクを訪問するとか、モスクの正式 なスポークスマンから正しい情報を得るということは(ちなみに、シナゴーグについ ても同様です)、ドイツでは今日、広く宗教教育の上で日常的に行われています。

最近は、イスラムの取り扱いに際し、授業に独自の神学的な特性を付与するような 観点が加えられています。出版されたばかりの『宗教教科書 5/6』(Cornelsen Verlag

Berlin2001)には、「アブラハムの子ら」という箇所があります(138 − 153 頁)。そ

こには実に様々なテキスト、写真や絵が集められており、全世界のユダヤ教徒、キリ スト教徒、イスラム教徒の生活が記述されています。そして、彼らの生活は次のよう な主理念によって一つの全体に属していることを理解させようとしています。「ユダ

(14)

ヤ人、キリスト者、ムスリムは同じ神を信じている。神はアブラハムと契約を結んだ。

神は彼とその子孫のためにいつも存在していることを彼に約束した。アブラハムはユ ダヤ人、キリスト者、ムスリムの共通の父である。彼の揺るぎ無い神への信仰はすべ てこの 3 宗教の中で今日まで模範となっている」(139 頁)。ここでも、3 つの宗教を 一つにするものを強調する努力が表面に表れています。これは、長年にわたるこの 3 つの宗教間の対話(鼎

)の経験に依っているのです。

最後には、仏教やヒンズー教が扱われます。これらを扱えば、宗教についての情報 を与えるカリキュラムは完成します。キ

宗教授業の中でキリスト教と共に すでに挙げた 4 つの世界宗教を扱うことは、この他にも次の点で優れています。すな わち、4 宗教に対して最終的にキリスト教の優位性を示すとか、それらの宗教に対し て宣教をするというようなことはしないのです。このようなことは、たいていの生徒 たちがキリスト教とのアイデンティティをほとんど見出していないので、不可能なの です。生徒たちにとっては、仏教もキリスト教も同じ重みを持っているのでしょう。

若者の中には、彼らにとって宗教が何がしかの意味を持つかぎりで、場合によっては、

実に様々な宗教的な要素が結びついた宗教精神のパッチワークに対して信仰告白する 者もあります。

今日の宗教授業では世界宗教は公平に扱われます。このような授業は、他の宗教を 信奉する人々と寛容をもって接するために少なからぬ貢献をしています。これは非常 に大きな進歩ですが、それにもかかわらず、これによって、今日様々な文化と宗教の 人々が相互理解するために必要なことが宗教授業の中で行われることになるのかどう か、との疑問を持たざるをえません。この疑問は、2 つの点に関わっています。一つ は、宗教授業で扱われるテーマの宗教学的な質の問題です。もう一つは、他者を本当 に理解するためには、宗教学的な情報だけで充分なのか、様々な宗教に属する人々が 互いに真の出会いをすることも必要ではないのか、との問いかけです。2 つめの観点 はわたしたちを、この講演の最後の部分のテーマである相互宗教間学習の領域に導い ていきます。

しかし、まずもう一度、宗教授業の中の宗教に関する情報について問題にします。

宗教の教科書のテキストと記述を見ると、ほぼ決まって、専門知識に乏しく、時には、

我流で書かれてあるものさえあります。それらの内容は、教育的な目的にはしばしば あまり適さないような概論風の知識の域をほとんど出ていません。ジハード(聖戦)、 イスラムにおける女性の地位、頭の被り物などについて、表面的、もしくは間違って 報告されてさえいることに、ムスリムはいつも苦情を呈しています。このような不備 の原因は直ぐに分かります。それは、たいてい学校の教科書の著者でもある宗教の教 師たちの宗教学的な下準備がまったく不足しているからなのです。

(15)

宗教授業における実際上の必要性を考慮して、現代の宗教教育学では今日、神学的 な訓練と並んで、しっかりした宗教学的な訓練がなされるべきです。この訓練は、ド イツの最も重要な宗教であるユダヤ教やイスラム教に関しては、深い研究の領域にま で至らなければならないでしょう。この研究の結果、本当に他の宗教を理解するよう になり、他宗教に対する感受性も培われていかなければならないでしょう。宗教の教 師はイスラムについて単に確実な知識を持つだけでは済まないでしょう。彼らは、専 門知識を持ってムスリムと宗教問題を議論することもできなければならないでしょ う。信仰告白に基づく(キリスト教派による)宗教授業に参加しているムスリムの若 者と議論するのです。これはしばしば起こっていることです。生徒の 50 パーセント 以上が信仰告白に基づく(キリスト教派による)宗教授業に参加することは珍しくあ りません。宗教教師は、イスラム教の学者(ホジャ)や礼拝を導く導師(イマーム)

と対話する力を持たなければならないでしょう。

この新しい課題を克服できるかどうかは、多くの要因に依ります。しかしとりわけ、

まずは、その課題が必然であるということが、宗教教師自身に、文部省に、大学に、

そして教師継続教育施設に自覚されなければなりません。これまでに到達しえたこと を認めて、宗教授業で他の宗教との我流の付き合いをやめることは緊急に必要なこと です。このことは、宗教授業を別にしても、この社会でも大切な点です。この社会で は、様々な文化と宗教の人々が、仕事上の集まりや、旅行や、学術的・文化的な交流 の場で、あるいはその他至るところで、以前よりはるかに頻繁に互いに出会い、直接 にかかわりあっているのです。

4.相互宗教間学習

──────────────────────────────────── 

4.1 相互宗教間学習の本質的要素

宗教学的な研究を通して他の宗教に属する人々と対話できるようになる、もしくは、

その前提を作るという必要性は、直接、相互宗教間学習のプロジェクトにつながって きます。なぜならば、相互宗教間学習の根底には、人が隣人の宗教について知るとき、

つまり、宗教の知識を得るときに、互いに寛容につきあうという目標だけでは不充分 であるという考えがあるからです。隣人の宗教は実際はどのように行われているのか、

その人はそれにどのような感情を抱いているのか、どのようにその人は祈るのか、そ の宗教にどのような価値を置いているのか、信者として日常の問題をどのように克服 しているのか、例えばムスリムだとすると、キリスト教の病院でどのようにやってい るのか、男女の関係、親子関係をどのように形成しているのか、などなど、こういう

(16)

ことに注意を払うことも大事なことなのです。これは人との出会いの中で、ある宗教 の生き方を具体的に見ることです。このようなことは学校の教科書には書かれてあり ませんし、宗教学的な研究によって獲得できることでもありません。

わたしはまず一つの例によって、わたしが相互宗教間学習というものをどう理解し ているかを説明したいと思います。

アーヘンにある、国から委託を受けているプロテスタントの小学校での宗教教育の ある日常風景です。子供たちは 8 歳から 9 歳。授業のテーマは「創造」。これは教案 にも基づいています。しかし、40 以上もの国から来て、それ以上の数の宗派、宗教 を持つ子供たちが集まるような学校のクラスで、このテーマはどう扱われるべきなの でしょうか。プロテスタントの宗教授業の伝統的な感覚で教材を取り扱うこともでき るかもしれません。そのさい、神は世界の創造者であり、そして、人間は、その能力 の限り世界と自然の維持に尽力すれば、この神の賜物にもっともふさわしい存在とな る、というふうに一般的に教えておけばよいかもしれません。このような教え方は問 題提起型の宗教授業の教案にも合っているでしょう。親たちも、学校がプロテスタン トの考え方によって授業を行うことと子供たちが信仰告白に基づく(キリスト教派に よる)宗教授業に義務的に参加することに同意しているのです。しかし、クラスの先 生(女性)は、このクラスにいるプロテスタントの子どもは 9 人にすぎず、10 人はカ トリック、7 人はムスリム、2 人は無宗教、1 人がユダヤ教、1 人が仏教であることを 考慮して、別の方法を取っています。他のクラスの状況も似たようなものです。先生 は一連の授業で、子供たちの諸宗教の創造神話を取り上げます。例えば、ユダヤ-キ リスト教の神話の他に、ヨルバ族2の神話、ナイジェリアの民の起源、あるいはコー ランの中の創造の描き方です。このことを通して子供たちは、彼らがその中で生まれ 育った文化の内側に入る経験を少しします。「生徒たちの」創造物語に関する授業を 通して、彼らは、自分たちのアイデンティティーを確認し、自分たちの宗教を見失わ ずにすみます。同時に、彼らは宗教の比較によって多元的な宗教理解の現実を経験し ます。すなわち、諸宗教間には解消されない相違がある。その相違は隠すことはでき ないし、また隠すべきではない。しかし、他の宗教をより良く理解するように努める ことはできる、ということを経験するのです。この学習の特にすぐれた効果は次の点 にあります。すなわち、子供たちにとって、他の宗教がある特定のクラス・メートと 重なり合うということです。このことは生涯、しっかり残るのではないでしょうか。

しかし、先生(女性)はさらに先を行きます。彼女は諸国民の創造神話に共通するも のに子どもたちの注意を向けます。「地球、この地は賜物である。それは神あるいは 神々に由来するもので、非常に貴重である。例えば、ヨルバ族は土地を売買すること はできないと信じている。人間は地球を用いる者ではあるが、それを所有する者では

(17)

ない。このことを基準にすれば、我々が、どこであろうと、自然とどのように付き合 っていくべきか、その仕方はおのずと結論できるのである」(Margot Rickers, Schöpfung als Thema interreligiösen Unterrichts, in: Folkert Rickers und Eckart Gottwald,[Hg.], Verständigung in religiöser Vielfalt, Duisburg 1996, 36)

この例は、相互宗教間学習の諸特徴を明かにしています。

(1)相互宗教間学習は、生

学習の可能性を利用します。このよ うな生徒主導型学習は、宗教教育学の分野では 30 年以上も前から議論され、実施さ れてきています。この学習では、子どもや青年の状況、この講演では彼らの宗教的な アイデンティティーということになりますが、彼らの状況を学習過程の出発点ないし 基本と理解し、また同時に、彼らが、進められている学習過程の対象であるが、むし ろそれ以上に主体であることを尊重します。このような生徒主導型学習の意図は、も っぱらある決まった教材を伝えるだけの授業とははっきりと異なっています。そこで は同時に、子どもや青年の成長も視野に入れられているのです。

(2)相互宗教間学習は、ある特定の宗教の中で行われる教育の代わりとして考え られてはいません。むしろ、その教育を前提としながら、しかし、それを越えて、宗 教学習の可能性を状況に応じて広げることに努めます。

(3)ですから、状況に応じて宗教学習の可能性を広げなければならないときに、

相互宗教間学習は必要とされるのです。教室内が混合文化ないし混合宗教の状況のと きにはいつもそうなります。どの宗教に属しているか知らないような子どもや青年も 対話の中に入らなければなりません。

(4)相互宗教間学習こそが本学習です。すなわち、他の宗教が、教室内で、

それぞれの宗教を持つ生徒たちによって(どれほどの規模であれ、また、どれほどの 熱心さであれ)本

代表されているという事態、この事態を、相互宗教間学習は利 用するのです。このような真実性は、本や絵や写真、映画によっては伝えることはで きません。学習過程の中で、ムスリムのクラス・メートが実際に朗誦し、続いて説明 してくれるムスリムの祈りは、それ以外の教材よりも印象的です。

(5)相互宗教間学習の状況主導性に対しては、次のような問いが議論されること があります。相互宗教間学習は、子供たちが自分の宗教の中で何らかの宗教的な成熟

(アイデンティティー)に達してから始めたらよりよいのではないか、と。しかし、

これは些細なことです。状況が多文化ないし多宗教であるかぎり――公立学校では、

今日これがほとんど普通です――第 1 年次でするにせよ、10 年次でするにせよ、相互 宗教間学習は絶対必要なのです。

(6)相互宗教間学習は「宗教的多様性における協調」(これは、わたしたちのデュ ースブルグの「研究グループ・相互宗教間学習」の本の題名です。上記参照)を目指

(18)

しています。そして、最近の 30 年間で「多文化」に発展した社会において、様々な 宗教がきちんと共にあることができるように貢献したいと思っています。相互宗教間 学習は、諸宗教お互いについて理解し合意し合うことによって、実際にある相違を解 消してしまうことなく、自分たちのものと他者のものとの間に深く根付いている障害 を克服できたら、という希望を持っています(ユートピア的な要素)。

(7)相互宗教間学習は、持

学習が進んでいくことを期待しています。すな わち、長い時間をかけての互いの歩み寄りや、学校、仕事場、スポーツ協会、街の一 画、それ以外の至るところで実際に変化が起こることを望んでいます。ですから、時

モスクを訪問したり、他の宗教の信者と時

話し合うだけでは相互宗教間学習とい うことにはなりません。

(8)話し合いは、相

という形であれば、主

となりえ ます。しかし、相互宗教間学習は話し合いに限定されません。相互宗教間学習は共同 で祭を祝うとか、社会参加や政治参加を共同で行う時にも成立します。簡潔に言えば、

他のものや異質なものを全感覚をもって経験する時、例えば、共同で料理したり、ダ ンスをする時に成り立つものなのです。

(9)相互宗教間学習は宗教を内容としていますが、宗教的な目標を追求するわけ ではありません。宗教的な目標は宗教そのものの事柄です。相互宗教間学習はむしろ、

一つの哲です、ないしは、哲な目的を追求します。人間は異なった宗教の 伝統を持っているにもかかわらず、互いに同じ尊厳を認め合い、そのように尊厳を認 め合うことによって、話し合いや活動の中で互いに出会うことができる――相互宗教 間学習はこのような考えによって突き動かされています。尊厳を認め合うことは、あ る程度、人権の実現としても理解できることです。一つの宗教が他の宗教に比べては るかに優れているというような考えから生まれてくる従来の状況が、このことによっ て克服されます。

(10)もちろん、アブラハムを父とする宗教の場合には、同じ神を信じ、アブラハ ムを自分たちの信仰の原型と見なしているので、問題が特殊です。共同の礼拝や共同 の活動の道を見つけることを目標に、共通の基盤に立って対話を行うことができます。

(11)相互宗教間学習は宗教授業に限定されずに、様々な宗教の人々が協調し合う という目標を持って互いに出会う様々な状況に関わっています。この意味で、相互宗 教間学習は決して授

ではありません。むしろ学習の原

なのです、もしくは、学習 の空

であって、そこでは、「教える者たち」はただ――場合に応じてですが――

「司会者」であればいいのです。なぜなら、基本的に生徒たちが自分自身で学習過程 を決定するのですから。相互宗教間学習はすぐれた意味で、自

学習なの です。

参照

関連したドキュメント

●社会科の統計資料や国語の表現活動,保健体 育の安全教育など,他教科との関連を図るこ

エチオピアの宗教別内訳は、統計ではエチオピア正教会 44%、イスラーム 34%、プロテスタン ト

第章「『宗教の社会貢献』を問い直す ――FRO

この発音の授業に限らず、授業は授業開始時に学生に配布する自作のプリントに基づいて行っ ているが、母音の回の教材プリントは次のページの通りである。..

授業終了の数時間後に,授業のビデオをチ ームの全員で観ながら授業の反省的検討を行

 海外で生活する義務教育段階の日本の子ども は,平成26(2014)年 4 月15日現在で76,536人と

すなわちキリスト教信仰を否定した上で成り立つものだという点である。つまり、SBNR

る。授業の実験的研究 を厳密に考 えれば考 えるほ ど ,教 育 における実験計画の条件統制の困難 さに つきあたる。 また ,授 業の実験的研究 には ,要 因 (条 件 )の