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『落窪物語』における邸第の伝領 : 平安京におけ る継子苛めの物語

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『落窪物語』における邸第の伝領 : 平安京におけ る継子苛めの物語

著者 廣田 收

雑誌名 人文學

号 177

ページ 74‑116

発行年 2005‑03‑20

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007636

(2)

﹃ 落 窪 物 語 ﹄ に お け る 邸 第 の 伝 領

││平安京における継子苛めの物語││

廣 田 收

︵一︶はじめに

﹃落窪物語﹄の冒頭は次のようである︒

今は昔︑中納言なる人の︑御女あまたもち給へるおはしき︒大君︑中君には婿どりして︑西の対︑東の対に︑

花々として住ませ奉り給ふに︑三四の君︑裳著せ奉り給はんとて︑かしづきそし給ふ︒時々通ひ給ひけるわかう

どほり腹の君とて︑母もなき御女おはす︒北の方︑心やいかゞおはしけん︑仕うまつる御達の数にだにおぼさ

ず︑寝殿の放出の︑又一間なる所の︑落窪なる所の︑二間なるになん住ませ給ひける︒君達ともいはず︑御方と

はましていはせ給ふべくもあらず︒名をつけんとすれば︑さすがに︑おとゞのおぼす心あるべしとつつみ給ひ

て︑﹁落窪の君といへ﹂との給へば︑人々もさいふ

知られているように︑物語の冒頭は︑伝統的に主人公を提示するところから始まる

︒﹃落窪物語﹄の冒頭におい

― 74 ―

(3)

て︑中納言の姫君達の中でひとりの姫君の存在に焦点があてられる︒その姫君は︑継母から実子たちとは全く対照的

に︑酷い扱いを受けている︒﹁北の方︑心やいかゞおはしけん︑仕うまつる御達の数にだにおぼさず︑寝殿の放出

の︑又一間なる所の︑落窪なる所の︑二間なるになん住ませ給ひける﹂︵四三頁︶というふうに︑姫君が住むことを強

いられている場所が説明される︒そのような場所は何を意味するのか︒この物語の難しさはまずここにある︒いった

い﹁寝殿﹂に﹁放出﹂は︑どのように造営されるのか

る落﹁がこそ︑りあが﹂所な︒間一又﹁に﹂出放﹁にらさ窪

なる所﹂であるということは︑どのように理解すべきなのか︒この解釈にはすでに諸説がある

︒この表現の意味す

るところはよく分からないが︑姫君の住む場所の説明としてはいかにもしつこい︒それは︑姫君に与えられた場所が

実に不当なものであるということをいうものと理解できる︒いずれにしても物語は︑実際にはありえないような空間

を︑継子にとって居心地の悪い場所としてわざわざ作り出している︑と理解することができる︒姫君は︑他の子ども

たちとは異なる︑おとしめられた場所を住み処として与えられることにおいて︑まさに虐げられている︒藤井貞和氏

は︑落窪君に実子達と違って裳着が行われないことに触れ︑姫君の﹁待遇は完全に実子から差別されている﹂とい

い︑﹁この物語は差別の物語︑本文中の語彙で示せば﹃懸隔﹄の物語なのである﹂

と見る︒私は藤井氏の指摘に導か

れて︑﹃落窪物語﹄の苛めが所遇︑待遇の問題として語られているところに︑この物語の特質があると見る︒身分階

層社会における貴族にとって︑相応の所遇こそ彼の

identity

を約束するものであったと考えられるからである︒とこ

ろが継母は姫君を﹁君達ともいはず︑御方とはましていはせ給ふべくもあらず﹂と所遇する︒この表現には︑まるで

人を人とも扱わないことを非難するようなニュアンスが感じられる︒同時に︑この姫君は継母によって﹁落窪の君﹂

︵四三頁︶と呼ばれる︒この﹁落窪﹂という語も他にあまり例を見ないものであり︑姫君の名としては︑あまりにも残

― 75 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(4)

酷な蔑称

め言葉による苛にで他ならなかったにすでうある︒このよに︑呼ぶこと自体が︒

ここでは十分に論じる余裕はないが︑継子苛めの昔話や御伽草子に比べると︑継子に課せられる試練の内容

は︑大きな違いがある︒確かに︑落窪君︵以下︑姫君と略称する︶は継母から︑女童のあこぎ以外に女房や乳母が与え

られなかったり︑亡き母の形見の品を奪い取られたり︑期日までに裁縫しておくように課せられたり︑琴を教えるよ

うに課せられたり︑老人の典薬助に襲わさせられたりする︒要するにどこに住まわせられるのか︑どのような名で呼

ばれるのかということから始まって︑継母の働きかけはすべて姫君を姫君であることからおとしめることであった︒

﹁お銀小銀﹂系の昔話では継子が継母によって命を奪われる危機に晒される

物苛るけおに﹄語窪の落﹃︑てし対にめ

はまったく異質である︒

つまり︑本来姫君が受けるべき所遇がなされない︑不当な扱いを受けるところに︑﹃落窪物語﹄の平安京における

貴族の物語としての特質がある︒なかでもこの物語を最も特徴付ける点が︑邸第をめぐる問題である︒藤井氏は巻三

に﹁三条の家の所有をめぐる攻防﹂に注目している

をるす考愚とるいてい貫体が全語物のこは題問のこ︑︒

すでに﹃落窪物語﹄の研究において︑物語の構成や構造という視点から︑﹃落窪物語﹄は苛めと報復が整然と対応

し︑報恩が長々と述べられるなどの特徴のあることが指摘されてきた︒あるいは物語の基盤となる婚姻史の視点か

ら︑物語における姫君の結婚をどのように読むかという問題が論じられてきた︒今そのような研究史を丹念に辿る余

裕はないゆえ︑その詳細については省略せざるをえない︒ただ一点︑高群逸枝氏の言葉を借りて言えば︑古代におい

ては母系制といい招婿婚といい︑女性が︑邸宅というものに象徴される財産を相続していたにもかかわらず︑中世に

なると嫁入婚へと歴史的に婚姻の制度が変化することで︑女性が男性に従属する立場へと転換していくと見る理解

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

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があることは周知のとおりである︒私はむしろ︑女性が母系に即して財産を相続するとしても︑女性は財産を自由に

処分することはできなかったと見る︒言い換えれば女性には︑そのような自由はなかったといえる︒私的な財産であ

るといいつつ︑自分の自由にならないものは財産とは言いがたい︒つまり︑女性は邸宅と一体のものとして結び付け

られていたことを意味する︒

さて︑﹃落窪物語﹄の主な邸第には︑表現ということからみると︑

﹁三条殿﹂⁝落窪姫君が母方から伝領している邸第

﹁二条殿﹂⁝道頼が母方から伝領している邸第

など︑条坊名をもって呼ばれる事例と︑

﹁大将殿﹂⁝道頼の父の邸第

﹁中納言殿﹂⁝落窪君の父の邸第

など官職名をもって呼ばれる事例が挙げられる

邸第に注目して物語を読み進めると︑落窪君が三条に邸第を伝領していることは︑物語の冒頭においては読者に対

して隠されており︑姫君が道頼によって救出されて後に明らかにされるという仕掛けのあることが分かる︒苛められ

た主人公が実は高貴な出自をもっていたというのは︑御伽草子にしばしば認められる手法であるが︑メルヘンにおい

ても﹁醜いアヒルの子﹂として知られる話型である︒この邸第の所有をめぐっては︑道頼と父中納言・北の方との間

に主張の相違があり︑姫君の所有していたその家の権利書である﹁券﹂は︑継母に対する報復の切り札となる︒

父中納言が死に臨んで遺産を分配するときにも︑姫君に特別に多くを譲ることが記されている︒そのとき﹁処分﹂

― 77 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

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︵そうぶん︶という言葉がみられる︒そもそも平安京は︑天皇の交替に伴なう都移りがない︒邸第の伝領はまさに平

安京に固有の問題であったといえる︒なかでも﹃落窪物語﹄にあっては三条殿だけが︑邸第伝領の系図を伴うことが

注目される

ばは︑邸第の伝領はしし﹄ば系図を伴って記さで語︒幾例えば︑物語世界が世物代にもわたる﹃源氏れ

るが︑﹃落窪物語﹄では唯一︑邸第伝領の系図は三条殿だけに限られている︒姫君は結婚と継母に対する復讐の過程

において︑継母のもとに継子として置かれていたかりそめの系図を壊すとともに︑邸第の伝領に象徴される隠された

系譜をあらわにさせる︒この邸第の伝領の行方が︑継子である姫君の運命と不可分であるところに注目したい︒邸第

に注目するときに︑従来の継子いじめとは異なった﹃落窪物語﹄の評価が開かれてくるに違いない︒

私は︑邸第という視点から︑家の﹁券﹂と﹁処分﹂という二つの言葉を手掛かりとして︑﹃落窪物語﹄における邸

第に関する伝領の問題を整理することによって︑姫君の担う︑隠された系図の回復が邸第の奪還を通して実現され︑

王家統流としての彼女が本来座るべき場所

identity

を回復していくことこそ︑﹃落窪物語﹄の展開を導いているとい

うことを明らかにしたい︒

︵二︶三条殿と母方の伝領

まず︑姫君の伝領している邸第の初出は次の条である︒継母の重なる苛めに対して復讐がなされる中︑姫君が道頼

によって救出されたことを︑継母たちは姫君が失踪し行方不明になったと考え︑姫君の伝領する邸第を手に入れよう

とする条︑ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

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中納言は老いほけ給へる上に︑物思のみして︑をさ

! "

給ゐり入とくづくつ︒なしも事ふ給ひらじまで出へ

り︒落窪の君の伝へ給へりける家︑三条なる所にて︑いとをかしかりける︑落窪の君になん取らせたりけるを︑

﹁今は世になくなりたれば︑我にこそ領ぜめ﹂との給へば︑北の方も︑﹁さらなる事︒世に生きたりとも︑さばか

りの家領ずばかりにはあらざらまし︒よき我子たち︑我等住まんに︑いと広う︑よし﹂といひて︑二年出でくる

庄の物を尽くして︑築土よりはじめてあたらしくつきまはして︑ふるき一つまじらず︑これを大事にてつくらせ

給ふ︒︵一六二頁︶

ここでまず︑﹁落窪の君の伝へ給へりける家﹂が﹁三条なる所﹂にあることが知られる︒姫君は︑はやく実母を失

い︑継母と同居することになったと推測される

し邸のそ︒るかわがとこるいて領が伝を第邸るあに条三は君姫︑第

が三条にあることから︑姫君は高貴の出自であることが知られる︒そのことは︑この物語の冒頭に︑

時々通ひ給ひけるわかうどほり腹の君とて︑母もなき御女おはす︒︵四三頁︶

さるはわかうどほりばらななりかし︒︵四六頁︶

と︑繰り返し提示されることから明らかである︒平安京造営時における宅地班給を想起すると︑京域の三条に配置さ

れるということが︑この家の階層を示している

︒ 漓わす立場にあったことがかをる︒父中納言は︑道頼許とのは条において︑父中納言三こ条殿を姫君が相続するが

姫君を盗んだことにまだ気が付かず︑姫君が他界したと考えてその邸第を自分が所有しようといい︑北の方も中納言

の意見を当然のこととした上で︑もし生きているとしても︑格式が高く維持するのにも大変な邸第を︑伝領するほど

のものではないであろうという︒そして自分たちが住むには広くて良い︑として財をつぎこんですっかり改築してし

― 79 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(8)

まう︒﹁二年出でくる庄の物を尽くして﹂新造したという表現は︑中納言と北の方がいかにこの邸第に投資したかと

いうことと︑彼らの経済力がどれほどのものであったかを表している︒

興味深い点は︑邸第の所有者である姫君が失踪し︑死亡もしくは行方不明になったと判断した父と継母は︑姫君の

捜索もせず邸第を勝手に占有してしまうことである︒邸第の相続について︑法的所有とは別に︑実質的に占有してし

まうということもありうる︒この改築は︑すでに占有を意味している︒自己の所有物だという主張でもある︒ここ

に︑邸第の所有と相続に対する継母の側の考え方がみてとれる︒

かゝる物思ひにそへて︑三条いとめでたく造り立てて︑六月に渡りなん︑こゝにてかくいみじきめを見るは︑

こゝのあしきかと心みんとて︑御娘ども引き具して︑いそぎ給ふ︒衛門聞きて︑男君の臥し給へる程に申す︒

﹁三条殿はいとめでたく造りたてて︑皆ひきゐて渡り給ふべかなり︒故上の﹁ここ失はで住み給へ︒故大宮のい

とをかしうて住み給ひし所なれば︑いとあはれになんおぼゆる﹂と︑かへす

# "

聞えおき給ひし物を︑かく目に

見す

! "

﹁券は有りや﹂との給へば︑﹁いとたしかにて︑男君領領じ給ふよ︒いかでじ︑させはてじ﹂といへば候

ふ﹂︒︵一六八頁︶

この条が﹁三条殿﹂という名の初出である︒道頼が姫君から聞き出したところによると︑この邸第は︑落窪君の母

である﹁故上﹂から︑さらにその母の﹁故大宮﹂から︑代々母方の伝領した邸第であることがわかる︒中納言は︑自

分の所有する邸第を姫君に伝領させたというよりも︑母方に伝わる邸第の︑姫君への相続を承認したということにな

る︒それが今になって︑後悔しているというわけであるから︑場合によっては︑伝領について異議を申し立てること

も可能であったということなのかもしれない︒このことは︑母方の邸第の伝領にとって父のとる立場がどのようなも ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

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のであるかを示している︒

しかるに︑後になって中納言は︑姫君が生存していたばかりか道頼の妻となっていたことを知るとともに︑三条殿

の所有をめぐる対立の謎が解け︑姫君の所有権を認めるが︑継母は我慢がならない︒

かの家はこの人の母の家にて︑ことわりなりけり﹂といひいます︒かゝれば︑北の方ねたくいみじくて︑けし

き我にもあらで︑﹁かの所をこそさも領ぜられめ︑此の年比作りつる草木を︑物入れて︒それ運び取り給へ︒家

買ひ給ふ価にこそわたし給はめ﹂といへば︑︵一八二頁︶

と自らが三条殿を伝領する正当性を納得する︒また︑さらに後に︑大納言となった父は財産を分配するに際して︑次

のようにいう︒

三条の家は我が家かは︒本よりかの御れい也︒︵二一二頁︶

波線の箇所︑異本に﹁かの御領也﹂とある

に︑ていつに有所の殿条三︑は父︒くかもと︒るあで快明が方のこ姫

君の所有であることに対して異論のないことが分かる︒

次の条にも︑三条殿の伝領の問題がうかがえる︒姫君が道頼に盗まれ︑妻として据えられているとは思いもしない

中納言が︑姫君の所有する三条殿を自分の所有になったと考え︑改築して自分たちが移り住む計画を進めていたとこ

ろ︑道頼に妨害される︒困惑した中納言は︑道頼の父大臣を訪れる︒姫君の邸第の相続の問題であるから︑当然大臣

は関知しない︒それで大臣がわが子道頼に尋ねる条︑

澆事る事は︑いと非道なる﹄くとこその給ふなりしかすか﹁りかの中納言は︑﹃我よ外︑に領ずべき人なき家を︒

そこにはいつより領じ給ふぞ︒券やある︒誰が取らせしぞ﹂との給へば︑﹁かしこに侍る人の家に侍り︒母方の

― 81 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

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祖父なりける宮の家なりける︑伝りて侍るを︑かの中納言はほけて︑妻にのみ従ひて︑情なく︑物しき心のみ侍

りしかば︑にくさに此の家も取らせ侍らじとてなん︒券いとたしかに侍り︒︵略︶﹂︵一七四頁︶

道頼と父の会話の中で︑やはり券の有無が邸第の所有の根拠となっていることがわかる︒道頼は自分の所有を主張

せず︑姫君の所有であることを明言している︒ここでは︑三条殿が姫君に母方の祖父から伝領されたものであること

になっている︒

滷のは図系の領伝殿に条三︑とるよ︑

故大宮⁝故上⁝姫君

という関係になる︒

澆父︑﹁おほぢ﹂を祖とるとれば︑﹁母方のとよはい道頼が父右大臣にうに言葉であるが︑これ祖

父なりける宮の家﹂とは︑﹁かしこに侍る人の家に侍り﹂というのであるから︑姫宮から見て祖父とは姫君の母の父

のことであり︑その祖父が宮であり︑この家がその宮の所有であったということを表していると解釈される︒

滷の条

澆=適ほぢ﹄は指すもの︵用﹃対象︶に幅のある語でお﹁のお条とは︑記述の内容にい︑て矛盾するようであるがあ

った﹂として﹁曽祖父宮を︑きっちりとした続柄でなく大まかに﹃おほぢ﹄と言ったと見るのが適当﹂ではないかと

する見解もある

の別の条で﹁かく子う﹄まれたるに︑祖父に語︒もただ﹁おほぢ﹂のう物一例が︑同じ﹃落窪︑

父︑よろこびをする︑かしこき子なり﹂︵一六一頁︶という例があり︑﹃落窪物語﹄の用法として﹁おほぢ﹂は︑父の

父である祖父のことをいうとみるべきかもしれない

︒ 伝の第邸るけにお﹄語物窪落﹃領

― 82 ―

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あるいは﹁家なりける︑伝はりて侍る﹂という語法から︑直接の祖父と限定しなくとも可能ではないかとも考えら

れる︒すなわち祖父宮が先に死去した場合︑故大宮を介して故上へと伝領されたことも予想される︒その場合︑

祖父宮⁝故大宮⁝故上⁝姫君

という伝領を示すことになる︒

所弘氏は﹁大宮﹂を﹁父宮﹂と注しておられる

はのもぶ呼を宮母︑か后太皇とが﹂宮大﹁はで﹄語物氏源﹃︑で

あろう︒したがって故大宮と祖父宮とは別人の可能性がある︒そうであったとしても︑どちらも宮であるところに姫

君の出自が示されている︒

このように︑三条殿の伝領の遡及しうる上限が︑姫君の祖父宮と呼ばれる男宮であるとすると︑その系譜の祖は平

安京の初まりにおける宅地班給にまで至りうるものかどうか︑考えをめぐらすべことは多い︒いずれにしても︑三条

殿は︑かつて宮の所有していた邸第が︑母方によって伝領されてきた邸第であることが明らかにされている︒

︵三︶邸第の所有と﹁家の券﹂

さて︑伝領の根拠が何かということについて物語はしつこくこだわっている︒さきに掲げた

滷・ 澆の例において︑ 滷

かく目に見す

! "

男君︑﹁券は有りや﹂との給へば︑﹁いと︑ばへで領じ給ふよ︒いか領いじさせはてじ﹂とた

― 83 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(12)

しかにて候ふ﹂ 澆

そこにはいつより領じ給ふぞ︒券やある︒誰が取らせしぞ﹂

とあるように︑邸第の所有を保証する根拠となるものは券である

という︒

滷の第邸るす領伝君で姫︑が頼道︑はで

あると知りながらみすみす中納言や継母に占有されることは許せない︑として姫君に券の存在を確かめる︒また︑

では︑道頼の父大臣が︑子道頼が三条殿の所有を主張する根拠を尋ねられたところ︒これも︑券の存在をもって説明

している︒

滷 澆三は姫君の父中納言が条道殿を改築し移り住もう頼︒に言見える﹁領ず﹂という葉るは︑占有を意味していと

していることを聞き︑家司を派遣して真偽のほどを確かめる条︑

﹁しか

"

!

に︑源中納言︑いかす程る事にかあらん︑其にふあ家る所の︑三条なる領思ずるを︑わたらんと所

を領じて作ると聞きつるを︑さりとも消息してあるやういひてんと︑︵一七一〜二頁︶

さらに︑姫君が確かに券をもっていることを確認した道頼は︑家司や職事を派遣して﹁此の殿は殿のしろし召すべき

所なるを︑いかにして御消息をもせで︑渡り給ふべかなるぞ﹂︵一七二頁︶と中納言の引越しを妨害する︒ここでは︑

三条殿は姫君の配偶者である道頼の占有するものであると主張している︒このことは︑所有者である姫君を全面に押

し立てるのではなく︑世に名の知れわたっている道頼に味方して支持したものと考えられる︒

﹁年比我が領じ侍る所三条に侍るを︑此の月比つくろはせ侍りて︑明日まかり渡らむとて︑侍共皆物ども運ば

せ侍る程に︑衛門督の殿の家司と申す物まうで来て︑殿のしろし召すべき所也︒いかで御消息もなくてはわたる

べき︒殿も明日なん渡らせ給ふべき﹂とて︑まうで来居て︑下べども通はし侍らず︑妨ぐる事の侍れば︑驚きて ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 84 ―

(13)

なん︒︵一七三頁︶

この条も同様である︒問題は︑道頼の主張と︑父中納言の主張との食い違いである︒中納言の主張の根拠は︑親子の

関係に依拠している︒

中納言殿︑老心地にまどひ給ひぬ︒﹁いといみじき事かな︒かの家には︑我が手に券こそなけれども︑我が子

の家なり︒我ならで誰か領ぜん︒その子落窪の世にあると聞き侍らばこそ︑それがするならんとも思はめ︒

︵一七二頁︶

﹁天下の親にて︑おのが家おし取らるゝ人やある︒︵略︶﹂︵一七六頁︶

中納言は︑券はないが︑わが子の家であるから︑自分以外に占有することができるわけがないという︒

しかしながら﹃落窪物語﹄では︑券の所持者が︑家の正当なる所有者である︑という考えに貫かれている︒特に︑

次の例は︑法制を対照させうるような表現である︒

越前守︑﹁︵略︶券は実にや候ふらん︒それを委しくうけ給はり定めん︒又︑年比殿しろしめすと︑かけてもう

け給はらましかば︑かくまで誰も

! "

聞えさせましや︒︵一七五頁︶

﹁年比は券の爰にあれば︑家といふ物は︑券もたる人より外にしる人なきと聞きしかば︑おだしう思ひて︑我

が家とも名のらで有りつるは︒︵略︶﹂︵一七五頁︶

後者では﹁家といふ物は︑券もたる人より外にしる人なき﹂とあるように︑券を所持することが家の占有の根拠で

あるとする法制上の考えが前提となっている︒

﹁此の家の券失ひ給へ侍りて︑尋ねさせ侍れど︑いまだ聞き出で侍らず︒もしそれを人の売り申して侍るにや

― 85 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(14)

あらむ︒たゞその疑のみ侍る︒さてこの家領ずべき人なん侍らぬ﹂と申せば︑﹁券をぬすみて売りたるを買ひた

るにもあらず︒道理に任せて︑おのれより外に領ずべき人なんなきとおぼゆれば︑さるやうこそあらめと︑思ひ

やみ給ひねかし︒︵一七六頁︶

ここには﹁家の券﹂ということばがある︒﹁家﹂に対して立券されたものが﹁家の券﹂である︒そしてそれが売買

の対象ともなることが知られる︒

実態的に家の売買が許容されていることもわかる︒中納言は︑姫君が道頼の妻となっているとは想像もしていない

ので︑券は所持しないが︑親子関係を根拠として家の占有することは妥当であると主張する︒

﹁落窪の君の母の死ぬとて︑かの子に取らせおきしを︑我も忘れて乞ひ取らざりし程に︑かくうせたるぞ︒何

か︑それが売りたるを買ひて︑かくしたるぞ︒︵略︶おほやけに申すとも︑此の殿の御世なれば︑誰かは定めむ

とする︒︵一七七頁︶

姫君には母の死に際して券が渡されたはずだが︑中納言は確認していなかった︒それが失われて売り買いされたも

のだと推測している︒と同時に︑邸第の伝領について︑訴訟を起こすとしても︑道頼の時代であるから歯が立たない

という︒法的な正当性が必ずしも有効でないことの無力感の表明である︒いわば︑中納言や北の方の占有とは逆に︑

道頼のような人物が所有とは別に占有を主張した場合︑これに抗議することが無駄である︑ということにもなる︒ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 86 ―

(15)

︵四︶別の邸第の場合

煩雑になるゆえ︑他の邸第について触れることは最小限にとどめ︑代表的な事例だけを記しておきたい︒

まず︑道頼の父大将殿がある︒姫君と出会うまで︑道頼は父の邸第に住んでいる︒

帯刀︑大将殿に参りたれば︑︵略︶らうたう猶おぼえば︑こゝに迎へてんを︒︵四七頁︶

道頼は姫君を懸想して気に入れば迎えたいという︒﹁大将殿﹂も﹁ここ﹂も︑ともに少将の父の邸第である︒この段

階では︑少将は父と同居している︒結婚してなお︑父の邸第に妻と同居する形態もありうることを示している︒

次に︑道頼の母の邸第︑二条殿がある︒道頼は︑姫君を盗むことによって︑別に妻を据えて住む邸第を準備する︒

それが二条殿である︒

﹁ここにはしばしは住まじ︒二条の殿に住まん︒いきて格子あげさせよ︑きよめさせよ﹂とて︑帯刀つかはし

つ︒︵一一九頁︶

﹁ここ﹂とは大将殿をいう︒少将が父邸ではなく︑父の別邸に住む計画を立てる︒道頼は︑姫君を大納言殿から盗み

出して二条殿に住ませるつもりである︒所有しているが︑住まない邸第が存在する事例でもある︒

二条殿は北の方の御殿なり︒︵一三九頁︶

この邸第は︑少将の母方の伝領である︒権貴の場合︑子は父方と母方と両方の邸第を伝領する可能性がある︒道頼

は︑妻を据える邸第として母方の二条殿を選んだ︒大将殿が京域のどこに位置するのかは不明であるが︑母の邸第が

― 87 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(16)

二条にあることは︑姫君の伝領している三条殿よりも階層は上位にあるといえるかもしれない︒

︵五︶﹁処分﹂と﹁庄の券﹂

頼もしげなくなりはて給ひて︑﹁生ける時処分してん︒子どもの心見るに︑はらから思ひせず︑女どちの中に

もうと

! "

越前守を御前に呼びゑすて︑所々の庄の券︑︑とてうしくあめれば︑論な恨﹂ごとども出できなむお

びなど取り出でて︑えらせ給ふに︑少しよろしきは︑只大将殿の北の方にのみ奉り給ひて︑﹁異子供︑是うらや

ましとだに思ふべからず︒同じ様に力入り︑親に孝したるだに︑少し人々しきになんよろしき物取らする︒

︵二一〇〜一頁︶

ここには﹁庄の券﹂ということばがみられる︒﹁家の券﹂とは別に︑荘園に対して立券されたものである︒中納言

は︑死に臨んで財産の相続を考える︒家司である越前守に事務的な作業をさせている︒﹁所々の庄の券︑おびなど﹂

の分配が行われている︒均等に分割されるとまではいえないが︑前提となる考えは分割相続である︒姫君︑現在の道

頼の妻に主要なものは伝領されることになる︒

﹁此の家も古りてこそあめれど︑広うよろしき家也﹂とて︑大将殿の北の方に奉り給へば︑北の方聞きて泣き

ぬ︒︵略︶など此の家をおのれに給はらざらん︒︵略︶﹂︵二一一頁︶

中納言の邸第は﹁広うよろしき家﹂である︒大納言の北の方︑姫君の継母は︑大納言の邸第がなぜ妻の自分に伝領

されないかを抗議する︒ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 88 ―

(17)

越前守︑かく帰り給ふと聞きて︑かのおとゞの奉れとて処分し集め給ひし物共︑所々の庄の券とり出でて︑も

て参りて︑︵略︶庄の券︑こゝの図となむ有りける︒︵二一五頁︶

妻が夫の邸第を相続することは普通のことであろう︒他の男の妻となった娘に贈与するところに︑中納言の姫君に

対する特別の配慮がある︒

︵六︶﹃源氏物語﹄姫宮の邸第││一条宮の場合││

﹃落窪物語﹄の邸第を考える上で︑﹃源氏物語﹄の邸第を対照させることにしたい︒﹃源氏物語﹄においても︑邸第

は住居のための空間であるにとどまらない︒邸第の意味することがある︒具体的な事例として一条宮を取り上げるこ

とにしたい︒

次は︑柏木が病の床で夕霧に対して︑自分の没後︑朱雀院女二宮︵落葉宮︶の後見をしてくれるよう依頼する条︑

一条にものしたまふ宮︑ことに触れてとぶらひきこえたまへ︒心苦しきさまにて︑院などにも聞こしめされた

まはむを︑つくろひたまへ﹂などのたまふ︒︵柏木︑五・二九四頁︶

﹁一条にものしたまふ宮﹂という呼び方は︑敬語の働きだけではなく︑いささか改まった表現であり︑敬意が籠め

られている︒もちろんこのようにいうだけでひとりの存在を特定することができるのは︑柏木と夕霧の間に了解が成

り立っているからである︒と同時に︑語り手と聞き手との間に了解が成り立つことでもある︒以後︑この女宮は﹁一

条の宮﹂と呼ばれる︒﹁一条﹂という名をもって朱雀院女二宮が呼び出される︒

― 89 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(18)

﹃源氏物語﹄には︑一条に属する︑他の姫君の邸第も存在する︒例えば末摘花の住む常陸宮邸︑花散里の住む麗景

殿女御の里邸などが一条に属すると考えられる

名御らか院雀朱︑はとこう負をの︒坊条ういと﹂条一﹁が宮条一息

所に御処分になった邸第であったと推測される︒それではまず︑一条宮という邸第はどこに位置するのか︒

一条の宮は道なりけり︒いとどうちあばれて︑未申のかたの崩れたるを見入るれば︑はるばるとおろしこめ

て︑人影も見えず︑月のみ遣水の面をあらはに澄みましたるに︑大納言︑ここにて遊びなどしたまうしをりをり

を︑思ひ出でたまふ︒︵夕霧︑六・六三〜四頁︶

これは︑夕霧が︑﹁小野といふわたり﹂の一条御息所の﹁山里﹂︵六・一二頁︶から﹁松が崎﹂︵六・一三頁︶を経て︑

三条殿へ帰り行く条である︒﹁一条の宮は道なりけり﹂とあるから︑小野山荘から夕霧の三条殿への道の途中に︑一

条宮がある︒小野からの帰途であるから︑一条でも京域の北辺付近であろう︒加納重文氏は︑この邸第の位置を︑東

洞院大路に邸第の西側を接して高倉小路との間に︑北辺大路に邸第の北側を接する場所に置く

︒加納氏は結局︑一

条南東洞院東か︑と推定されるとともに︑京域内で﹁どちらかといえば︑東に寄ったほうが似つかわしいか﹂と結論

だけを記しておられる

平安京の実態においては︑大宮大路から東︑東洞院大路まではほとんど官衙の町であるので︑一条宮の邸第をこの

付近に重ねて考えることは無理がある︒二条から北︑東洞院大路に面する両側に考える方が穏やかである︒一方︑夕

霧の帰る三条宮︵大殿︶の位置は︑定かではない︒南北の大路は︑東洞院と西洞院と二つの大路がある︒夕霧が南下

するのには︑この二つの大路のどちらかであろう︒森本茂氏は︑光源氏の二条院の考察に触れて︑﹁公的巡行の場

合︑左京では︑東西の通では二条大路︑南北の通では東洞院大路を通るのが慣例﹂であり︑また東洞院川と西洞院川 ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 90 ―

(19)

の流水量の相違から︑同じ道幅ながら﹁実際には東洞院の方が通りやすかった﹂のではないか︑とされる

︒東洞院

大路を用いるのが公的のみならず︑通行に関して一般的だと考えられる

し︑ていおに例た出︒掲︑ばらなるすと一

条宮の位置が推測できる︒夕霧は一条の宮の﹁未申のかたの崩れたる﹂さまを見ている︒これはこの邸第がどこかを

示す手掛かりになる︒夕霧が一条宮の﹁未申のかたの崩れたる﹂さまを見たのは︑東西の大路から南北の大路へ︑町

の北西角で曲がったからである︒つまり推測を重ねるならば︑小野から戻り︑北辺の一条大路を東から西へ︑東洞院

大路で南へ折れて︑三条殿へ向かったと考えることができる︒一条宮の位置は︑一条南東洞院東の角付近と想定する

ことができる︒﹁一条の宮﹂という名によって︑この宮が一条のおよそどのあたりかが了解される︒

夕霧の見た一条宮の邸第は︑格子を﹁はるばるとおろしこめ﹂ており︑その寝殿の大きさを伝えている︒これは偉

容を伝えるのみならず︑かつて亡き大納言柏木が﹁ここにて遊びなど﹂したことを夕霧が回想することで︑饗宴を催

すことのできる庭をもつ格式の高い邸宅であることが知られる︒このような邸宅を特に﹁邸第﹂と呼ぶことにした

この邸第は次のようにも表現されている︒

一条の宮には︑ましておぼつかなうて別れたまひにし恨みさへ添ひて︑日ごろ経るままに︑広き宮のうち︑人

気少なう心細げにて︑親しく使ひならひたまひし人は︑なほ参りとぶらひきこゆ︒好みたまひし鷹︑馬など︑そ

のかたの預りどもも︑皆つくところなく思ひ倦じて︑かすかに出で入るを見たまふも︑ことに触れてあはれは尽

きぬものになむありける︒︵柏木︑五・三〇三頁︶

﹁広き宮﹂とは貴紳の邸第をいう︒先に﹃落窪物語﹄における中納言邸が﹁広うよろしき家﹂と表現されたことに

― 91 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(20)

対応している︒広き宮︑とは一町以上の邸第をいったものか︒一条御息所の娘である朱雀帝女二宮は﹁下臈の更衣

腹﹂︵若菜下︑五・一九八頁︶とあるので︑母方の出自が低いとされている︒それで︑母方の邸第ならば︑一条に︑し

かもこのように広い邸第を持ち伝えていたということは考えにくい︒考えられるのは︑父朱雀院からの御処分の可能

性である︒

院のうちにやむごとなくおぼす御宝物御調度どもをばさらにもいはず︑はかなき遊び物まで︑すこしゆゑある

限りをばたゞ﹁この御方に﹂とわたしたてまつらせ給ひて︑そのつぎ

"

!

はあもど分処御にをちた子御他んなり

ける︒︵若菜上︑五・一二頁︶

これは︑朱雀院の御子とりわけ女三宮に対する御処分を説明する条である︒女三宮は︑女二宮と異腹であるが︑姉

妹である

ると語り手は伝えてい︒っが︑朱雀院の財産のたあ︒す朱雀院の女三宮に対るで御処分は︑格別の扱いす

べてが女三宮に譲られたのではない︒﹁他御子たち﹂にも﹁御処分どもありける﹂となっており︑姫宮たちに対する

分割相続が行われていることはまちがいない︒朱雀院は女三宮の処遇に頭を痛めているが︑この若菜上巻の本文によ

って︑御処分に際して女二宮にも分割相続が行われたものと想像できる︒このとき︑一条宮は朱雀院から御処分され

た可能性がある︒

その際︑財産の相続だけが問題になるのではない︒

院にも︑いかがはせむとおぼしゆるしけるを︑二品の宮の御こと思ほし乱れけるついでに︑﹁なかなかこの宮

は︑行く先うしろやすく︑まめやかなる後見まうけたまへり﹂と︑のたまはすと聞きたまひしを︑

︵柏木︑五・二八八頁︶ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 92 ―

(21)

という条から︑朱雀院は柏木を女二宮の後見として評価していたことがわかる︒朱雀院は︑女二宮の場合も︑女三宮

の場合も︑相続と後見とを合わせて配慮している︒

︵七︶﹃源氏物語﹄における邸第の荒廃と後見

このように一条宮という邸第は︑朱雀院から女二宮に対して御処分され︑伝領されたものかと推測される︒しかし

それがいつのことかは明らかではない︒皇女に与えられた財産の一としての邸第である一条宮は︑出家を遂げようと

する朱雀院が︑姫宮のためになしうる限りの配慮をしたものであろう︒考えるに︑男御子は︑皇位継承の可能性が閉

ざされていても︑官位官職にともなって政治的・経済的な権勢を保持する方途は残されている︒ところが︑姫宮には

主に邸第の伝領だけでは︑以後の生活を支えていくことはできない︒いかに朱雀院から賜った邸第ではあっても︑宮

としての格式を備えた生活を維持するのに︑朱雀院在世中こそ院の影響力は味方していようが︑婿の右衛門督柏木が

急逝し︑さらに母一条御息所が病に没すると︑邸第は一挙に荒廃の影がさしてくる︒

先の柏木巻の﹁一条の宮には﹂以下の本文が示すように︑婿柏木の没後︑家人の中に一条宮を離れようとする者と

残ろうとする者がある︒若き衛門督に期待して働いてきた家人たちの︑自分たちの将来を考えた離散はいちはやいも

のである︒

さきに見たように︑自らの余命いくばくもないことを感じた柏木は︑自らの亡き後の女二宮の零落を予見したかの

ように︑夕霧に女二宮の後見となってくれるように依頼している︒先の﹁一条にものしたまふ宮︑ことに触れてとぶ

― 93 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(22)

らひきこえたまへ﹂︵柏木︑五・二九四頁︶云々という柏木の言葉は︑院への聞こえを配慮したものにとどまらない︒

柏木は︑残される女二宮の生活と運命を夕霧に託したとも捉えうる︒柏木への見舞以後の︑夕霧の女二宮への懸想

は︑単に恋愛の問題にとどまるものではない︒友人柏木に託された後見の具体的な行動として夕霧の懸想は遂行され

る︒それだけに︑男に無理じいに犯される落葉宮の内面とのずれがあらわにされることになる︒

かの一条の宮にも︑常にとぶらひきこえたまふ︒卯月ばかりの空は︑そこはかとなうここちよげに︑ひとつ色

なる四方の梢もをかしう見えわたるを︑もの思ふ宿は︑よろづのことにつけて静かに心細う︑暮しかねたまふ

に︑例のわたりたまへり︒庭もやうやう青み出づる若草見えわたり︑ここかしこの砂子薄きものの隠れのかた

に︑蓬も所得顔なり︒︵柏木︑五・三一二頁︶

夕霧の訪問に際して︑夕霧のまなざしを通して一条宮のさまがあらわにされる︒柏木没後︑邸第はすでに﹁蓬も所

得顔なり﹂と荒廃の兆しを見せている

とを意味するとも如に︑女二宮の意不︒木そのことは柏没的後の宮の経済精

神的な悲哀をも表している︒

さらに︑婿柏木の没後︑続いて母が死去してしまう︒次は女二宮はこのまま小野の別邸に隠れ住もうと決意する

が︑女二宮の決意を聞きつけた朱雀院が諌言する条︒

宮は︑かくて住み果てなむとおぼし立つことありけれど︑院に︑人の漏らし奏しければ︑﹁いとあるまじきこ

となり︒げにとざまかうざまに身をもてなしたまふべきことにもあらねど︑後見なき人なむ︑なまなかなるさま

にて︑あるまじき名を立ち︑罪得がましき時︑この世後の世︑中空にもどかしき咎負ふわざなる︒

︵夕霧︑六・七〇頁︶ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

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(23)

後見のない女性が︑憂き名を流し︑罪障をもつくりだして︑現世・来世いずれにも傷を負うものだ︑と危惧する朱

雀院の発言は︑姫宮の処遇の難しさと後見の必要性を説いている言葉として注目される︒朱雀院ばかりではない︒

今は国のこともはべり︑まかり下りぬべし︒宮のうちのことも︑見たまへゆずるべき人もはべらず︑いとたい

だいしう︑いかにと見たまふるを︑かくよろづにおぼしいとなむを︑げにこのかたにとりて思たまふるには︑か

ならずしもおはしますまじき御ありさまなれど︑さこそは︑いにしへも御心にかなはぬ例多くはべれ︒

︵夕霧︑六・七二頁︶

これは︑甥の大和守の言葉である︒大和守は︑赴任のため女二宮の世話ができないと女房に伝える︒ここでも︑後見

の必要性が説かれている︒﹃源氏物語﹄にはずっと︑女性の処遇と運命に関する言説が繰り返される

後見は︑とくに父や母のいない姫宮や︑婿のいない女宮には不可欠であることがわかる︒その意味で落葉宮にとっ

て夕霧の懸想は︑後見の出現であった︒次の二例は︑夕霧の後見によって一条宮が再び活気を取り戻す条である︒

おはしまし着きたれば︑殿のうち悲しげもなく︑人気多くてあらぬさまなり︒︵夕霧︑六・七三頁︶

かくおぼえぬやむごとなき客人のおはすると聞きて︑もと勤めざりける家司など︑うちつけに参りて︑政所な

どいふかたにさぶらひていとなみけり︒︵夕霧︑六・九一頁︶

夕霧が住むことによって︑ひとたびは離れていた︑宮の家人たちが戻ってくる︒女二宮は父朱雀院から広大な邸第

を御処分として受け取ったが︑その維持管理は姫宮や女宮たちのよくするところではない︒家人たちがいかに働くか

にかかっている︒それは︑夕霧のような権勢家を後見とすることが望ましいということを明らかにしている︒

― 95 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(24)

︵八︶﹃源氏物語﹄における女三宮の邸第

女二宮の経済的基盤と女三宮のそれを比較するとどうか︒先の例において︑女三宮は他の御子に比べて格別の扱い

を受けていることが知られた︒次は︑女三宮が朱雀院に出家を願い出たとき︑朱雀院は光源氏の女三宮に対する処遇

に不満を感じつつも︑光源氏に女三宮の行末を︑なお委ねようと考える条︒

おほかたの後見には︑なほ頼まれぬべき御おきてなるを︑ただあづけおきたてまつりししるしには思ひなし

て︑憎げに背くさまにはあらずとも︑御処分に広くおもしろき宮賜はりたまへるを︑つくろひ住ませたてまつら

む︑︵柏木︑五・二八三〜四頁︶

女三宮の邸第は明らかに﹁御処分に広くおもしろき宮賜はりたまへる﹂というように︑朱雀院の御処分の邸第であ

ることが明記されている︒落葉宮の一条宮が﹁広き宮﹂であることが想い合わされる︒また﹃落窪物語﹄における中

納言邸も﹁広うよろしき宮﹂であったことを想い合わせれば︑広い宮であると表現されることは︑まさに帝から相続

した皇族や貴紳の邸第を表すものと考えられる︒御処分という表現がなければ︑女三宮の三条宮は︑母方の伝領する

邸第でもありうる︒だが︑この条で三条宮は明確に朱雀院からの御処分であることが明らかにされ︑京域内で天皇が

皇子女たちに分割処分できる区域をどこにもっていたかをうかがわせる︒そして︑朱雀院は処分しうる宅地を少なく

とも一条と三条に保有していたことがわかる︒

女二宮の邸第も広き宮であった︒ただ︑女二宮の賜った邸第が一条の邸第であったのに対して︑女三宮は三条の邸 ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 96 ―

(25)

第であることが異なっている︒女二宮が一条に邸第を与えられたことと︑女三宮が三条に邸第を与えられたこととの

違いは何か︒この違いは︑父の愛情の問題ではない︒女二宮はすでに見たように﹁下臈の更衣腹﹂︵若菜下︑五・一九

八頁︶といわれる出生をもつ︒女三宮は︑朱雀帝の︑これも更衣腹の宮として生まれている︒

御子たちは︑春宮をおきたてまつりて︑女宮たちなむ四所おはしましける︒そのなかに︑藤壺と聞こえしは︑

先帝の源氏にぞおはしましける︑まだ坊と聞こえさせし時参りたまひて︑高き位にも定まりたまふべかりし人

の︑取り立てたる御後見もおはせず︑母方もその筋となくものはかなき更衣腹にてものしたまひければ︑御まじ

らひのほども心細げにて︑大后の︑尚侍を参らせたてまつりたまひて︑かたはらに並ぶ人なくもてなしきこえた

まひなどせしほどに︑気おされて︑帝も御心のうちにいとほしきものには思ひきこえさせたまひながら︑おりさ

せたまひにしかば︑かひなくくちをしくて︑世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし︑その御腹の女三の宮

を︑あまたの御なかにすぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ︒︵若菜上︑五・一一〜二頁︶

女三宮は﹁母方もその筋となくものはかなき更衣腹﹂とあるから︑出自において︑女三宮と女二宮に決定的な差異

はない︒両者を分けている差異は︑出生の順序の差ということになる︒

ただ︑女三宮の場合は︑朱雀院が光源氏に﹁親ざまに﹂譲るという︑比類のない後見を設けることによって固めよ

うとしているところが大きな意味をもっていよう︒

この院をば︑なほおほかたの御後見に思ひきこえたまひて︑うちの御心寄せあるべく奏せさせたまふ︒二品に

なりたまひて︑御封などまさる︒いよいよはなやかに御勢添ふ︒︵若菜下︑五・一六一頁︶

さらに︑朱雀院によって女三宮は﹁二品﹂の待遇を受ける︒このような待遇は女二宮にはない︒

― 97 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(26)

院の帝は︑この御処分の宮に住み離れたまひなむも︑つひのことにて目やすかりぬべく聞こえたまへど︑︵略︶

なほ生ける限りの心ざしをだに失ひ果てじ﹂と聞えたまひつつ︑かの宮をもいとこまかにきよらに造らせたま

ひ︑御封のものども︑国々の御庄︑御牧などよりたてまつるものども︑はかばかしきさまのは︑皆かの三条の宮

の御倉に納めさせたまふ︒またも建て添へさせたまひて︑さまざまの御宝物ども︑院の御処分に数もなく賜はり

たまへるなど︑あなたざまのものは︑皆かの宮に運びわたし︑こまかにいかめしう置かせたまふ︒

︵鈴虫︑五・三五〇頁︶

朱雀院は﹁御処分の宮﹂を女三宮に与えた︒その上でなお自分の在世中は︑できる限りの世話をしようとする︒さ

らに︑御封︑諸国からの献納物を女三宮に集中させている︒また伝来の宝物も多くを伝えたという︒朱雀院がこれほ

どまでに経済的な援助を惜しまないことで︑女三宮の威容はようやく保ちうるとすらいいうるのではないか︒

故朱雀院の︑取り分きて︑この尼君の御ことをば︑聞こえ置かせたまひしかば︑かく世を背きたまへれど︑お

とろへず何ごとももとのままにて︑奏せさせたまふことなどは︑かならず聞こしめし入れ︑御用意深かりけり︒

︵宿木︑七・二四七頁︶

女三宮が出家して後も経済的保証を確保するために朱雀院は天皇にまで特別の依頼をしていたことがわかる︒朱雀

院女三宮の三条宮は︑かくて荒廃の経験をもつことはない︒後には︑火災にも合うが︑光源氏亡き後には︑薫によっ

てこの邸第は維持されていく︒

朱雀院が出家に際して︑女三宮の処遇に心を痛める条は︑姫宮の邸第をめぐる姫宮の運命の問題として重要であ

る︒姫宮の運命が︑後見と深く関係することは︑もともと朱雀院が女三宮の処遇をめぐって︑後見となるに足る男を ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 98 ―

(27)

探そうとしたことから始まっている︒

﹁この世に恨み残ることもはべらず︒女宮たちのあまた残りとどまる行く先を思ひやるなむ︑さらぬ別れにも

ほだしなりぬべかりける︒さきざき人の上に見聞きしにも︑女は心よりほかに︑あはあはしく︑人におとしめら

るる宿世あるなむ︑いとくちをしく悲しき︒思ふやうならむ御世には︑さまざまにつけて︑御心とどめておぼし

尋ねよ︒そのなかに︑後見などあるは︑さるかたに思ひゆづりはべり︒︵若菜上︑五・一四頁︶

これは︑朱雀院が東宮に対して述べた言葉である︒子への執着が﹁さらぬ別れにもほだし﹂となる︒女の負う宿世

が朱雀院の悲痛の原因であり︑これを解決するのは︑後見に譲る形で︑女三宮を委ねることであった︒光源氏に︑姫

宮の夫であるとともに︑親であるような役割を期待するところに朱雀院の後見論の帰結があった︒

なほやがて親ざまに定めたるにて︑さもやゆづりおききこえまし︑などもおぼしめすべし︒

︵若菜上︑五・二一頁︶

と語り手はいう︒乳母までもが︑姫宮の運命を厳しく言い抜いている︒

かしこき筋と聞こゆれど︑女は︑いと︑宿世さだめ難くおはしますものなれば︑︵若菜上︑五・二三頁︶

この乳母の言葉には︑皇女も女であると認識し︑女ゆえに宿世に翻弄される恐れを抱いている︒

しか思ひたどるによりなむ︑皇女たちの世づきたるありさまは︑うたてあはあはしきやうにもあり︑また高き

際といへども︑女は男に見ゆるにつけてこそ︑くやしげなることも︑めざましき思ひもおのづからうちまじるわ

ざなめれど︑かつは心苦しく思ひ乱るるを︑また︑さるべき人に立ちおくれて︑頼む蔭どもに別れぬるのち︑心

を立てて世の中に過ぐさむことも︑昔は︑人の心たひらかにて︑世に許さるまじきほどのことをば︑思ひ及ばぬ

― 99 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(28)

ものとならひたりけむ︑今の世には︑すきずきしく乱りがはしきことも︑類に触れて聞こゆめりかし︒昨日まで

高き親の家にあがめられかしづかれし人の女の︑昨日はなほなほしく下れる際のすきものどもに名を立ちあざむ

かれて︑なき親の面を伏せ︑影をはづかしむるたぐひ多く聞こゆる︑言ひもてゆけば皆同じことなり︒ほどほど

につけて︑宿世などいふなることは︑知りがたきわざなれば︑よろづにうしろめたくなむ︒︵若菜上︑五・二六頁︶

これは朱雀院の言葉︒はからずも朱雀院の危惧するところはたちまちに惹起する︒﹁皇女たちの世づきたるありさ

ま﹂は軽薄である︒身分が高くても女は男に結ばれることで左右される︒頼りとする人に遅れ︑別れて世の中を生き

ることは今の世には難しい︒﹁高き親の家に﹂かしづかれていた女でも︑身分の低い男たちに名を汚し︑親の恥とな

る︒つまるところ︑宿世はわからないから︑心配は尽きることがない︑と︒

朱雀院の女三宮に対する︑限度のない心配から︑格別の配慮が実行された︒親としての子の偏愛が︑親子の恩愛の

執の深さに転じる︒邸第をめぐる姫宮の運命の問題として見るならば︑朱雀院の心配に表されているように︑姫宮の

生活の基盤というものがいかに脆弱なものであったか︑それゆえに後見は不可避の大事であることをうかがわせる一

例であるといえる︒

次は︑夕霧と女二宮の噂を聞いた光源氏は︑自己の半生に照らして︑思いをめぐらす条︒

宿世といふもの︑のがれわびぬることなり︒ともかくも口入るべきことならず︑とおぼす︒女のためのみこ

そ︑いづかたにもいとほしけれ︑とあいなく聞こしめし嘆く︒︵夕霧︑六・六七頁︶

女二宮と夕霧の関係も︑つまるところ宿世に関与することであるという諦めと︑なお女宮には気の毒であることを

いう︒一方︑光源氏と同時に︑紫上の思いが記される︒ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 100 ―

(29)

女ばかり︑身をもてなすさまも所狭う︑あはれなるべきものはなし︑︵夕霧︑六・六七頁︶

これは紫上の思考の一端を示している︒女の︑世に処していくことの困難さをいう︒ここでは皇女でさえ︑女その

ものの避け難い運命に触れている︒皇女に女の運命を見るまなざしは︑宇治十帖に至ってはもっと辛辣である︒

﹁女子うしろめたげなる世の末にて︑帝だに婿もとめたまふ世に︑ましてただ人の盛り過ぎむもあいなし﹂な

ど︑そしらはしげにのたまひて︑︵宿木︑五・三八頁︶

これは︑匂宮が明石中宮に述べた言葉である︒帝でさえ婿を求める世とは︑皇女の生き方が︑女の生き方として深

刻な問題となっていることを示している︒

後見柏木が没し︑同居していた母御息所も亡くなると︑これほどの広大な邸第も︑女二宮の一代限りのことのよう

に見えてくる︒邸第は恒久的なものとして建造されているわけではない︒邸第には不断の維持管理が必要である︒女

宮一代だけで邸第が壊滅するのには十分である︒落葉宮に限らず︑﹃源氏物語﹄においては︑しばしば邸第の主であ

る父母︑あるいは夫を失った姫君や女宮がひとり残される︒相続したというよりも︑ひとり広大な邸第に取り残され

たという体である︒邸第そのものに盛りと衰えの時があるように見える︒そのような繁栄と凋落とを分けるのが︑婿

を含めた後見の有無である︒

︵九︶﹃源氏物語﹄の邸第の特質

﹃源氏物語﹄における姫君や女宮の邸第のすべてが︑荒廃の運命をたどるわけではない︒例えば大宮と呼ばれる三

― 101 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(30)

条宮は︑左大臣が婿となって住み︑後には夕霧の邸第となるので︑繁栄を保ちつづける︒桐壺帝の弘徽殿女御の二条

宮も︑荒廃は記されることがない︒また︑朱雀院女三宮の邸第三条宮は︑すでに触れたように︑朱雀院の異例の支援

によって存続するし︑後には︑薫が住むようになる︒二条︑三条付近の権勢を誇る大臣家たちや姫君︑女宮の邸第

は︑荒廃とは無縁であろう︒夕霧や薫は︑邸第を改築修理しているが︑それは伝領した邸第を自らのものとして据え

直すことであったともみられる︒それだけに﹃源氏物語﹄においては︑一条に置かれた皇族の姫君達の邸第とはひと

つの対照をなしている︒﹃源氏物語﹄において︑姫君の邸第の荒廃や改修は︑姫宮の運命そのものである︒後見の有

無が︑邸第を維持管理する家人たちの働きをも左右する︒父である天皇の在世と退位︑母の生死や︑夫となる婿の後

見の有無によって︑姫君の邸第は生と死の消長を繰り返すことになる︒

﹃源氏物語﹄の伝領は︑﹃落窪物語﹄の伝領と異なって︑相続と所有の具体的な根拠が具体的に記されることはな

い︒表現において相続が明確に記述されていなくとも︑次の世代の誰かが同じ邸第に住むことが明らかになると︑そ

こに系図や系譜が示されていると見ることができる︒

このことは邸第の伝領に対する関心のありかの相違である︒﹃源氏物語﹄の伝領には︑邸第を引き継ぐことのうち

に︑人物の系図や系譜が含まれている︒伝領とは︑相続のように明確な所有権を主張する法制的な概念であるより

も︑領有することのうちに系図や系譜の継承を意味するものといえる︒

さらにいえば︑﹃源氏物語﹄が﹃落窪物語﹄や﹃宇津保物語﹄と異なるのは︑物語の内部に開かれる出来事の場所

が︑寝殿︑東対︑西対あるいは︑母屋︑廂間︑簀子などと細分化されていることである︒そのことと人物の誕生︑元

服や裳着︑結婚︑死去などがどこにおいてなされるか︑また内裏との関係などが常に関係している︒邸第が登場する ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 102 ―

(31)

存在それぞれの

identity

を保証するものとして︑より細分化︑複雑化しているといえる︒

考えてみれば︑光源氏の恋は単に精神的な問題であるにとどまらない︒まず光源氏による藤壺に対する犯しは︑光

源氏が追放された皇位への道を開くものである︒さらに多くの女性たちに対する恋は︑姫君や女宮の邸宅や財産︑時

には明石君のように一族を守護する住吉神をも自らのものとして抱え込んで行く営為といえる︒光源氏が姫宮を集め

ることにおいて︑姫宮と邸第︑調度や器物︑庄・牧などを収斂させていく︒実は︑邸第や調度器物などを通して︑す

べてが光源氏に収斂している︒父や母を失って荒廃し︑古宮となった邸第に住む姫君や女宮のもとに︑光源氏が通

い︑やがて自邸に移すことが語られる︒そのとき︑姫宮の邸第のその後は記されていないことが多いが︑光源氏が領

有するようになると読める︒姫君との婚姻や後見は︑経済的政治的後見のみならず︑邸第の領有も含まれるのではな

かろうか︒いったい︑物語において男性が官位官職名をもって呼ばれることが多いのは︑男性の

identity

が官位官職

名にあると捉えられるからである︒これに対して︑女性は財産分与として継承する邸第が名を与えられることが多い

ことも頷けよう︒ただ︑姫君や女宮が莫大な財産の処分を受けたとしても︑広大な邸第や庄・牧などの管理維持をす

ることはたちまち困難となる︒邸第の荒廃をもって︑後見としての親や夫を失った姫君の運命を伝えることは︑﹃源

氏物語﹄の得意とする方法である︒

その他︑﹃源氏物語﹄における他の姫宮の邸第の問題や︑とりわけ光源氏六条院の問題については多岐にわたるの

で︑改めて別に論じることにしたい︒

― 103 ―

﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(32)

︵一〇︶﹃落窪物語﹄における邸第の伝領 このように﹃源氏物語﹄を対照させると︑﹃落窪物語﹄において邸第が人物の

identity

にかかわるのは︑ひとり落

窪姫君と三条邸との関係に限られることが分かる︒

そこで︑これまでに論じてきた問題点を﹃落窪物語﹄の側から改めて整理すると︑次のようである︒

1邸第は︑父の伝領するものと︑母の伝領するものとの両方がある︒

2伝領と占有︑居住などとの間には差異がある︒

3伝領の根拠は︑券である︒

4法的な伝領の正当性は︑権貴の政治的経済的勢力の前で必ずしも実現しない︒

このように伝領に関する問題を整理した上で︑邸第から見るときに﹃落窪物語﹄はどのようにとらえられるだろう

か︒

落窪姫君は︑継母によって中納言邸の寝殿に付属した﹁落窪﹂という部屋に住むことを強いられることで︑虐げら

れる︒しかし︑姫君が︑母方に伝わる三条殿という邸第をなお所有していることは︑継母に隠されている︒姫君が道

頼に盗み出されるという形で救助されると︑父や継母たちは姫君が失踪したものとして︑姫君の邸第の所有を主張

し︑自分たちが住むべく改築する︒姫君と道頼は︑父や継母たちが改築したその邸第を奪い返し︑券を所有すること

をもって正当性を主張して︑その邸第に住むことになる︒結果的には︑子に対する継母の従属が実現したのだといえ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

― 104 ―

(33)

る︒

邸第ということから見ると︑王家統流の出自をもつ姫君が︑何代にもわたって伝えられた邸第を自らのものとして

回復するところに︑この物語の根幹がある︒﹃源氏物語﹄を参看することによって︑﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

は︑いわば︑

相続

居住

領有

という差異の問題として押さえることができる︒相続は︑法的な概念である︒だから︑相続にあたって財産を相続す

る資格を有するかどうか︑が問われる︒姫君は︑祖先から伝来の邸第を直接的には実母から相続したのであるから︑

当然所有する資格をもつ︒ところが︑姫君自身が道頼に盗み出されることによって︑姫君の父と継母は子が行方不明

となったとして︑子の所有である邸第の所有を主張することになる︒このことは︑本当に行方不明になったのであれ

ば必ずしも不当ではない︒ところが︑所有の根拠としての券を姫君が有することにおいて︑姫君による三条殿の所有

が改めて確認されることになる︒

一方︑相続に対して︑邸第の所有者である主とともに︑家族などが同居する︑ということは現実的な居住の問題と

いうことができる︒たとえば︑中納言の邸第には所有者である夫とともに︑妻や実子たちは同居しており︑まだ伝領

を云々するまでには至らない︒父である主とともに住むという関係である︒

さらに︑領有とは︑正当な根拠がなくとも︑所有とは別に︑実態的に占有することもありうるというものである︒

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﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

(34)

特に婿が︑親のいない妻の邸第を実態的に所有するような形である︒道頼は︑夫として妻姫君の本来の邸第を姫君の

両親から奪い返すが︑邸第の所有とは別に︑実際的にこの邸第を領有する結果となっている︒むしろ物語の構造から

いうと︑本来姫君が邸第を奪還すべきところ︑道頼がその役割を代わって帯びていると見ることができる︒

考えるに︑姫君の父中納言は﹁御女あまたもち﹂つつなぜ︑継母の娘たち大君・中君を︑時の天皇の後宮に入れよ

うとはしなかったのだろうか︒﹁大君︑中君には婿取りして︑西の対︑東の対に︑花々として住ませ奉り給ふに︑三

四の君︑裳著せ奉り給はんとして︑かしづきそし給ふ﹂︵四三頁︶とある︒この娘たちは皇族ではない︒現象的には︑

継母と継娘との対立と見える︒が︑本当の対立は︑継母︵藤原氏の出自か︶は︑王家統流の亡き実母と関係である︒

中納言は︑王家統流の妻が在世していれば︑姫君を入内させようとしたかもしれない︒改めていうまでもなく︑﹃落

窪物語﹄には継母が娘を入内させるとか︑姫君をめぐる王権への志向というものがない︒他の物語と異なって︑娘を

入内させ一族の夢を託そうとする企ては見えにくい︒

姫君の系図は︑姫君の先祖が父帝から三条に御処分とされた邸第の系譜と重なっている︒姫君は︑ある帝から発す

る系図を家筋として持つ︒家筋を有することにおいて︑姫君はその存在の根拠

identity

を保証されている︒姫君がそ

の本来の系図を邸第の奪還において回復することこそ︑姫君が根源的に課せられた課題である︒その実現を道頼が援

助する役割を帯びているにすぎない︒邸第は単なる住居であることを超えて︑物語を組み立てている系譜そのものを

記憶している︒

物語後半に描かれる﹁継子の徳﹂︵二三七頁︶と呼ばれる長々しい孝養の叙述は︑このような邸第の問題と︑おそら

く家という問題として関連してくるのであろうが︑その点については他日を期したい︒ ﹃落窪物語﹄における邸第の伝領

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参照

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