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同志社大学設立運動とキリスト教界

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同志社大学設立運動とキリスト教界

著者 田中 智子

雑誌名 キリスト教社会問題研究

号 65

ページ 1‑41

発行年 2016‑12‑22

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014730

(2)

同志社大学設立運動とキリスト教界

田 中 智 子

はじめに

同志社の大学設立運動とはすなわち義捐金募集活動であった。中央官財界や 地域の有力者がこれに賛同するのと並行し、支援の波はキリスト教界に広く伝 播し、一方で各地の学校・私塾や結社、果てには製糸工場や監獄にまで及ぶこ とで、運動は重層的・複合的な性格を帯びるものとなった。

筆者はこれまで当該運動の分析に取り組んできたが(以下拙稿「スケッチ」、

拙稿「京阪神」と略記

(1)

)、本稿はその一環として記される。運動の一側面を明 らかにすべく、今回は、キリスト教界がみせた同志社大学設立への協力実態に ついて検討したい。ここで言う「キリスト教界」とは、教会やキリスト教系の 学校・諸団体、およびそれらの構成員を指すものとし、具体的にどのような集 団がいかほどの義捐金を支出したのかを整理して示す。ただし、同志社の教員 や生徒からの寄附に関しては別稿の課題とし、今回は、いわば「外部」のキリ スト教界からの呼応状況を把握することを目指す。

大学設立計画に対する寄附は、A同志社に直接寄せられ、社内に設置された

「事務所」が逐一記録したもの、B新聞雑誌上の義捐金募集に応じたもの、の 二種に分かれる。Bの場合、個々の寄附者・寄附額は各社の紙誌上に報告され、

同志社側の簿冊には原則的に反映されない。簿冊には、各社がまとめて届けた

(3)

金額が社名とともに記載されるだけである。要するに、同志社側の記録を見る だけでは、大学設立計画への寄附の詳細はつかみきれず、新聞雑誌の紙誌面に あたることで初めて光の当たる協力者が多数あるということになる。

Bは、徳富蘇峰の民友社による音頭取りに呼応した各種新聞雑誌社に届けら れた寄附である。すでに拙稿「京阪神」にて明らかにしたように、『大阪朝日 新聞』『神戸又新日報』などの地方紙も、キリスト教界の寄附を受け付ける窓 口として機能した。だがその意思を反映する主たる媒体となったのは、民友社 の『国民之友』、および警醒社の発行する『基督教新聞』であった

(2)

本稿は以上をふまえ、同志社社史資料センター所蔵の義捐金募集関係帳簿類、

および『国民之友』『基督教新聞』を中心とする新聞雑誌類を史料に用い、キ リスト教界の寄附実態を明らかにする。

いまだ所蔵される冊数あるいは表題すら不明確な同志社側の義捐金募集関係 帳簿類については、全体像や各簿冊の特質、簿冊同士の相互関係を別稿にてま とめるつもりである。本稿ではこのうち主に、①『同志社大学義捐者姓名簿』

②『同志社大学義捐金姓名帳第二回募集之分 創立事務所書記』③『明治三十 年一月調製 各府県別調 同志社大学義捐金者名簿 同志社資産管理委員 社 務第参拾五号』を用いた(3)

①は、1884(明治17)年以来の明治専門学校設立計画に対する募金関連帳簿 も転記しつつ、1888年11月に開始された「第一回募金」(1889年4月末日締切)

への応募を記録した簿冊である。②は、1889年5月を始期として引き続き行わ れた「第二回募金」の記録であるが、同年11月末日の締め切りを越え、さらに は新島襄が死去して以降も申し込まれた寄附を合わせて記録している(最終は 1894年1月受取分)。③は、かなり時を経た1897年になって、募金事業がいか なる成果を挙げたのか、その実際を把握すべく調製された簿冊と考えられる。

日付情報は割愛して府県ごとに全寄附者を並べ直し、金額の確定を行った総括 的な記録である。現実に納付があったか、あるいは申し込みだけに終わったの

(4)

かについても判別している(4)

本稿では、Aに関し、①と②から寄附の個別事実を拾い出し、③を照合に用 いるという方式で作業を進めた。簿冊や紙誌面に記載された個々の寄附情報の 出典を注記する際には、煩わしさを避け、注として末尾に回さず、本文中に

(典拠と日付、金額、人数

(5)

)の形で付した。典拠となる簿冊名は、上記①を

「大」、②を「二」とし、①②でカバーできない事実に言及する必要がある際に のみ、③を「30」と略記して示した。また、Bに関わる『国民之友』『基督教 新聞』からの出典注記も、それぞれ「国」「基」と省略した。関与が確実な教 会や諸団体名(太字とした)については、当時の通称を知る一助とすべく、で きるだけ史料上の表記をそのまま転用し、研究史上の呼称との違いが大きい場 合や、広く知られていない固有名の場合は、適宜「 」付で表記した。

なお、『国民之友』に寄せられた義捐金については、『同志社百年史』(1979 年)の第九章「大学設立義捐金募集運動」(杉井六郎執筆)が、行論に沿った 任意の摘記をなしている。しかし、約1500件に上るその全容を知らしめるもの ではないため、各号掲載の寄附者氏名・金額を網羅した「『国民之友』掲載同 志社大学設立義捐者一覧」を今回あらたに作成し、末尾に収録した。

一方、『基督教新聞』経由の寄附についても、本稿に一覧を添付するのが便 利であろう。しかし、第一回募集期(1888年11月〜1889年4月)の寄附は、本 誌前号掲載拙稿(「京阪神」)収載の「「第一回同志社大学義捐金」新聞雑誌別 総覧」においてすでにリストアップ済みであるため、そちらを参照されたい。

また、第二回募集期(1889年5月〜同年11月)に関しては、第一回分同様に諸 紙誌と並べ、「「第二回同志社大学義捐金」新聞雑誌別総覧」として別稿に添付 する予定である。したがって本稿には収録せず、本文中での注記という形での 提示にとどめる。

寄附情報には、教会や学校などの所属が書かれず、単に居所と個人名のみが 記されたケースも多い。しかし例えば、同一地域の男女が集団的に列挙され、

(5)

そのうちに名の知れた当該地域の教会員が含まれるような場合には、おそらく その教会からの、あるいは教会員が地域を主導しての寄附ではないかとの推測 が成り立つ。各教会史や学校史(これらを用いた場合、常識的な事柄との判別 が難しく、また煩瑣となるため、今回は一々の典拠注記は省略している)、あ るいは『日本キリスト教歴史大事典』(教文館、1988年)などの力を借りつつ、

可能な範囲での考定を行ったが、キリスト教関係者かどうかの判断、その所属 組織の特定が及ばない件々も多く残った。

このような次第で、本稿は、同志社の大学設立義捐運動に応じたキリスト教 界に関わる網羅的・厳密な言及ではなく、推論を含み漏れもある不十分な論考 であることを、あらかじめことわっておきたい。まずは多彩かつ膨大な寄附者 リストを読み解く手引きとすることを目標としている。

Ⅰ 組合教会系教会

1886(明治19)年に正式発足した組合教会の系統に属する教会は、塩野和夫 の整理に基づくと以下の通りである

(6)

。大学創設義捐金の募集が公的に締め切ら れた1889年までを対象に、創設順に並べた。

1874年 神戸教会、大阪教会 1875年 三田教会

1876年 兵庫教会、平安教会、同志社教会 1877年 浪花教会、多聞教会

1878年 安中教会、明石教会

1879年 天満教会、彦根教会、今治教会 1880年 岡山教会

1882年 島之内教会、高梁教会、東京第一基督教会

1884年 郡山教会、甘楽教会、笠岡教会、高崎教会、西条教会、丹波教会、

(6)

天城教会

1885年 四条教会、西宮教会、松山教会、小松教会、福岡教会、長浜教会、

熊本教会、岸和田教会、姫路教会、水沢教会、八代教会

1886年 丸亀教会、福井教会、落合教会、浦河公会、前橋教会、新潟教会、

原市教会、番町教会

1887年 金ヶ崎教会、中条教会、宮城教会、宮崎教会、尾道教会、土佐教会 1888年 佐野教会、堺教会、宇和島教会、吾妻教会、沼田教会、新発田教会、

波止浜教会、高鍋教会、長岡教会、倉吉教会

1889年 本郷教会(岩代大沼郡)、緑野教会、名久多教会、標茶教会

以下、これら教会による支援実態の有無を、地域ブロックに分けて探ってい く。個々の金額や人名は必要に応じて言及するにとどめ、基本的には額や人数 を合算して示すこととする。

1 京都府の教会

はじめに述べたように、同志社内からの寄附については別途考察予定であり、

また今回用いるいずれの史料にも教会名としては登場しないため、同志社教会 はここでの検討の対象から外す。

同じく同志社とのゆかりが深く、簿冊中、寄附額・人数ともに存在感を示し ているのが平安教会である

(「二」1889.9.24カ、203.8円、35名╱12.3、50円、1名

╱12.24、8.7円、14名 ╱12.31、33.2円、3 名)

。当 教 会 は、多 数 の 会 員 が「申 込 書」による寄附の「登録」を行った点が特徴である。そのせいもあって当初の 記載は200円を超える高額に上り、実際に寄附があった時点で、再度氏名や寄 附額が記録される方式となった。なかでも児玉精齋(同志社病院にも勤務し米 国在留医師となった児玉信嘉の伯父・嗣父)が100円という多額の寄附を約束 しているのが目を引く。だが最終的に同志社側は、平安教会員に関し8割方の

(7)

納付を確認できなかったのが現実であった

(「30」)

。児玉も、登録した年末に 30円を支払っているが、残りは未払いのままであった。

次に四条教会は、平安教会にはるかに及ばないが、同じく直接同志社に複数 回、複数人が義捐金を寄せている

(「大」1.5円╱「二」1889.8.22、3.5円、7名╱

1890.3.10、2.3円、4名)

。「木曜婦人会」名を付記した寄附もあるが、これは中 村栄助の妻はるが主宰した組織であったとみられる

(「30」)

郡部では、「丹波第一基督教会」からの30円を超す寄附が同志社側の記録に みられ、ここには留岡幸助の名が挙がる

(「大」30.45円、45名)

。丹波園部の

「幼年会」も、この教会の関係であろうか

(「二」1891.1.9、4円)

。このほか教会 形成には至っていないが、『日出新聞』『中外日報』には「伏見基督教講義所」

信徒からの寄附も記載されている

(1889.2.14、6.3円)

なお、京都の近郊ということで、ここで滋賀県下の教会に触れておくと、彦 根教会

(「二」1889.9.7、1名)

と長浜教会

(「二」1889.12.2、2.2円、2名)

からの 寄附が、同志社側の記録に認められる。彦根教会の女性の方は、秩父縞の小袖 売却代金という寄附形態であった。

2 大阪府の教会

同志社側の簿冊には、大阪所在の4教会、すなわち大阪教会

(「二」1889.7.

9・10、31円、2 名 ╱7.24、2円、2 名 ╱9.24カ、22.5円、5 名 ╱12.4、50円、1 名 ╱ 12.27、1円、1名╱1890.8.22、1円、1名)

、浪花教会

(「二」1889.10.11、10円〔未 納〕、1名)

、天満教会

(「二」1889.9.3、2.99円、12名╱1890.2.13、0.5円、1名╱4.4、

1円、1名╱5.8、0.5円、1名╱7.15、1円、1名)

、島之内教会

(「二」1889.6.28、14.9 円、20名╱1890.3.17、3円、1名╱9.23、0.2円、1名)

からの寄附記録が残る。ま た、金森通倫らによる「大阪青年会」

(「二」1889.10.30、13.2円╱「30」)

の名も ある。

一方、各紙誌上には、具体的な大阪の教会からの寄附は記されておらず、大

(8)

阪を居所とする人物も少ない。全体的に、それほど多くの寄附が大阪のキリス ト教界からなされたとは考えられない状況となっている。ただし後述のごとく、

大阪所在のキリスト教系学校からの寄附があり、アメリカン・ボード宣教師の ゴードン夫妻

(「二」、20円)

、ドーデー

(「二」1889.7.24、5円)

の個人的な寄附記 録も残されている。他の都市における外国人宣教師からの醵金は、いずれの記 録にも見当たらないので、大阪の特徴と言えるのかもしれない。

なお岸和田教会や堺教会については実態がつかめなかった。

3 兵庫県の教会

神戸教会からの義捐金は、直接同志社に寄せられたものもあるが

(「二」

1890.4.7、1.1円、2 名)

、主 に『神 戸 又 新 日 報』を 窓 口 と し て 行 わ れ て い る

(1889.4.17、55.9円、10名 ╱4.23、8.5円、3 名 ╱5.1、12.75円、10名)

。兵庫教 会も

『神戸又新日報』を利用したが

(1889.5.1、0.1円、1名)

、同志社への直接寄附 も多い

(「大」、98.8円、16名╱「二」1890.10.31、6円、1名╱1892.7.11、11.2円、1 名)

。多聞教会と明記された寄附は、同志社側の記録の一件にとどまる

(「二」

1890.2.25、5円、1名)

とはいえ、これら三教会に所属する可能性の高い神戸居住の個人名が、『神 戸又新日報』には多数並んでいる。それらをキリスト者であるかないか、キリ スト者の場合いずれかの組合教会に所属するかどうか、すべて判断していくの は困難であるが、拙稿「京阪神」で指摘したように、鈴木清(神戸)、山田良 齋(兵庫)、小林茂兵衛(多聞)など著名なクリスチャンの名が散見する。

次に三田では、主に『神戸又新日報』経由で集団寄附がなされており、若林 元昌ら11名の「三田基督教会」会員名が掲載されている

(1889.4.25、6.25円)

。 明石教会は、新聞を通じた寄附を熱心に行った教会である。『大阪朝日新聞』

には、約30名の明石教会員から、地域有力者を中心に合計50円を超える寄附が なされている

(1889.1.27、54.4円、27名)

。また『神戸又新日報』には、明石郡

(9)

からの集団寄附が二件認められるが、少なくとも一件については、県下義捐金 募集の委員に明石教会から選ばれた鈴木武や竹内束の名が確認され

(1889.5.1、

18.7円、24名)

、教会員の、もしくは両者が地域において主導した結果の寄附と 考えられる(以上、拙稿「京阪神」参照)。

姫路では、「姫路基督教会」員の名が『神戸又新日報』に並んでおり

(1889.

4.28、78.75円、23名)

、50円を寄附した者もあった。

なお西宮教会からの寄附実態は不明である。

4 岡山県の教会

同志社とゆかりの深い岡山県下においては、教会の集団寄附が目立つ。まず

「高梁基督教会」は、多数の教会員が『基督教新聞』を通じた寄附を行い、赤 木蘇平の個人寄附もあった。

(「基」1889.5.1、25.05円、84名╱6.5、2.4円)

。また

『大阪朝日新聞』には、「笠岡村基督教会」員らから集団的な寄附が行われてお り

(1889.4.24、27.6円、29名)

、村からは『基督教新聞』への個人寄附事例もみ られる

(「基」1889.2.6、0.1円、1名)

。「天城基督教会」は、直接同志社に義捐 金を送っており

(「二」、11.55円、29名╱1889.11.18、1円、1名╱1890.6.2、3円、

1名)

、高梁・笠岡同様、その寄附者数は多い。美作国落合においても、集団 の寄附がみられるが、落合教会の会員の寄附によるものであろう

(「基」1889.

5.1、2.3円、12名)

。津山教会の正式な誕生は1890年であるが、野呂直定などの 名があることから、津山とその周辺からの集団寄附は、津山講義所からのもの であったと考えられる

(「国」1889.12.22、33円、43名)

。また、講義所すら発足 していない段階であるが、伝道師による布教が熱心に行われていた香登一帯か ら『大阪朝日新聞』への集団寄附もある

(1889.4.6、25名)

一方、岡山教会については、集団的な寄附はうまく捉えられないが、関連す る個人の義捐金がいくつか目に留まる。炭谷小梅と、中川横太郎との間に生ま れた娘豊の寄附がある

(「二」1889.7.11、2.5円)

。倉敷教会の発足は20世紀に入

(10)

ってからのことではあるが、林源十郎、あるいは大原孫三郎の父幸四郎などの 寄附もみられる

(「二」1893.6.22、5円╱9.1、10円)

5 関東の教会

すでに杉井六郎が前掲『同志社百年史』第九章にて指摘するように、『国民 之友』には群馬県あるいは上州からの寄附が非常に多い。寄附件数の半数を占 める勢いであり、同地における地域的な同志社支持熱の強さを印象付ける。同 志社側の帳簿にも50名ほどの上州人名がみられるが(例えば「安中日曜学校幼 年生」

〔「大」、1円、5名〕

など)、この地方からの寄附は、主に『国民之友』を 媒介としていたと言える。

ただ、安中教会をはじめとする既設教会名そのものはほぼ登場せず、「前橋 教会」員

(「国」1889.5.22、2円、1名)

、緑野教会を指すと思われる「上州藤岡 教会」員

(「国」1889.5.22、1円、1名)

の二語が見えるのみで、教会の所在地す る地域の名称が寄附人名録全体に散らばっているような状態である。

前橋では、前述の前橋教会員の前後に松宮・富樫・住谷・椎名・大畠といっ た氏名を確認でき、同教会員による集団寄附であったことがわかる

(「国」

1889.5.22、計21名)

。藤岡でも教会員大戸甚三郎

(「基」1890.1.17、5円)

らの名 が挙がる。

安中とその周辺からの寄附件数はあまりに多く、神戸同様、キリスト者であ るかないかを逐一確定することは困難を極めるが、高橋立哉、田島一齋、小山 豊吉、山田光就、松井十蔵といった安中教会の議員クラスをはじめ教会員の寄 附が別個に多数確認される。そのほか、「碓氷馬車鉄道会社内信徒一同」とい った職場単位での信徒の寄附もなされている

(「基」1888.11.21、5円)

甘楽郡からの集団寄附

(「国」1889.5.11、6.4円、24名など)

は、山田忠平をは じめ同家一族の教会員名を含み、甘楽教会の関係と考えてよい。『国民新聞』

創刊にも資金を提供した半田平次郎

(300円)

を筆頭とする原市村からの集団寄

(11)

(「国」1889.3.12、381.9円、22名)

も、原市教会由来であろう。

件数としては『国民之友』にははるかに及ばないものの、『毎日新聞』も上 州からの寄附の割合が多い媒体である。利根郡沼田町からの集団寄附が掲載さ れ

(1889.2.3、13.15円、24名)

、「同郡同町基督教信者」5名が含まれているが、

これは沼田教会の会員であろう。また高崎からの寄附も掲載されており、クリ スチャンの実業家藤巻喜兵衛を含む拠金は、高崎教会の面々によるものと推察 される

(1889.2.9、70.2円、27名)

残る群馬県下の吾妻教会・名久多教会については創設期の情報を欠き、同志 社への寄附との関わりは不明であるが、少なくとも両教会が所在する吾妻郡か らは『国民之友』誌上に多々寄附者名が挙がっている。

『毎日新聞』には福島県の岩代大沼郡からの寄附も掲載され、これは同地の 本郷教会関係者の可能性もあるが確証はない

(1889.4.21、3.55円、13名)

。また、

まだ教会を形成していないが、若松講義所のメンバー名がみられる

(「国」

1889.5.11)

。福島の郡山教会、栃木の佐野教会については不明である。

最後に東京においては、後に霊南坂教会として知られる「東京第一基督教 会」から、大西祝、海老名リンなど個人レベルの寄附が五月雨式に行われた

(「基」1888.11.28、1円、2 名 ╱1889.3.6、1円、1 名 ╱6.19、37.6円、14名 ╱7.17、

11.3円、5名)

。また、番町教会関係と推定される「東京番町婦人会」からの拠 金がある

(「基」1889.5.22、10円)

。小崎千代個人名での寄附は、夫弘道の意思 も込めたものであろうか

(「基」1888.11.14・21、1.5円)

6 北海道・東北・北陸の教会

浦河公会からの寄附については、『北海道毎日新聞』を通じたそれが、小枝 弘和の研究(7)にて紹介されている。標茶教会や岩手県水沢教会の動向はわからな い。金ヶ崎駅を居所名とする集団寄附は、水沢教会から派生した金ヶ崎教会か らのものと考えられる

(「基」1889.3.13、8.5円、19名)

(12)

アメリカン・ボードのステーションが開かれた仙台における「宮城基督教 会」からの寄附

(「基」1889.5.8、4.6円、6名)

は、後出の東華学校生徒寄附と ほぼ一体でなされ、派生した「志津川基督教会」の名もみえる

(「基」1889.5.8、

2.2円)

新潟県下では、集団的な寄附が特徴的である。まず、同じくアメリカン・ボ ードのステーションが置かれた新潟では、新潟教会名での教会員の拠金がある

(「基」1889.5.8、4円、19名)

。また中条町からの集団寄附は、無牧時代を支えた 信徒高橋寅松の名があるので、中条教会員のものと推定される

(「基」1889.5.

15、約20名、約4円╱9.25、2名、0.7円)

。越後新発田町を居所とする集団に関わ る記載は、教会内に原忠美が英学校を設置していたり、連隊の軍人が教会員に 含まれたりした事実と符合し、新発田教会からの集団寄附だろう

(「国」1889.

3.22、9.7円、15名+2件)

。また古志郡からの集団寄附は、長岡教会における動 きと推定される

(「国」1889.1.12、1.6円、7名╱「基」1889.3.20、1.5円、2名)

福井では、福井教会名での醵金は確認できないが、同志社を出て伝道師とな っていた松原孫七郎の寄附があり

(「二」、1円)

、続く「南越基督教青年会」名 での寄附も、この教会に関係する可能性がある

(「二」、1.78円)

7 四国・九州の教会

岡山県以外の中国地方にすでに設立されていた倉吉教会、尾道教会について は詳細不明であるため、続いて四国の教会についてみていきたい。

今治近辺からの集団寄附は、明らかに今治教会員によるもので、木綿業方面 の豪商柳瀬義富や熊野長太郎などが多額の寄附をしている

(「国」1889.5.2、

140.06円、60名)

。全体としても、金額・人数ともに規模が大きい。また今治か ら派生した波止浜教会からは、直接同志社に寄附が送られるとともに、雑誌を 通した集団寄附もみられ

(「二」1889.7.4、5円╱「国」1889.4.22、17.6円、38名+

1件)

、「波止浜基督教青年会」の名も含まれる。

(13)

松山教会からの寄附は、地元紙『海南新聞』が引き受けることになったもの と思われる(拙稿「スケッチ」参照)。教会の初代牧師を務めた二宮邦次郎

(1889.5.1、1円)

の名を含む50名以上の男女の小口醵金は、この松山教会関係 者と推定される。

高知も松山同様、地元紙『土陽新聞』(拙稿「スケッチ」参照)が寄附の窓 口となったようで、土佐教会の特別委員岩戸孫之進、婦人執事大脇ウタといっ た名が挙がる

(1889.4.21、0.1円╱5.1、0.4円)

。「高知婦人会」からの寄附もあ るが

(「二」1889.9.7、2円)

、教会史によると、後に述べる一致教会系高知教会 と土佐教会とが合同で婦人会を組織し、慈善活動などを繰り広げていたという。

このほか丸亀教会と思しき集団の寄附があるが

(「基」1889.9.18、3.55円、15 名)

、西条教会、小松教会、宇和島教会の動きは不明である。

さて『国民之友』は、蘇峰お膝元の熊本から、上州に次ぐ件数の寄附を集め ている。そのなかには、「熊本基督教会」の女性たち

(「国」1889.4.2、2.55円、

7名)

、あるいは「熊本婦人矯風会」

(「国」1889.4.2、1円)

の寄附があった。熊 本の八代郡から集団的な寄附がなされているが

(「国」1889.3.2、31.7円、25名)

、 組合系によるのか一致系によるのかそれともキリスト者とは無関係なのかは判 明しなかった。

このほか、「福岡基督教会」名による有志寄附の記録が、同志社側の簿冊に みられる

(「大」、3.5円╱「二」2.9円)

。また「日向基督教会」による寄附も簿冊 に登場するが

(「大」、2.5円)

、これは高鍋教会の方ではなく、宮崎教会(「宮崎 部」)からのものである。

Ⅱ 組合教会系以外の教会

1 一致教会系

組合教会以外からで件数・金額ともに多いのは、一致教会系の教会であり、

(14)

まずは東京・横浜方面の各教会からの寄附がみられる。

東京では、規模の大きなものからみると、新栄教会

(「基」1889.5.15、20円)

、 牛込教会

(「基」1889.4.3、8.5円、25名)

、両国教会

(「基」1889.5.15、4.1円╱6.12、

4.1円)

、本所教会有志

(「基」1889.5.8、3.7円)

、中橋一致教会

(「大」、1円、1名

╱「基」1889.5.8、2.5円)

、数寄屋橋教会

(「基」1889.6.12、0.5円、1名)

、矢ノ倉 教会

(「基」1889.5.8、0.3円)

である。日本橋教会も比較的寄附規模は大きく、

「一致教会員婦人中」の名による寄附もある

(「国」1889.3.22、10円╱「基」1889.

6.12、5.3円)

。下谷一致教会からは、「安息日学 校 幼 年 生」の 醵 金 が あ っ た

(「基」1888.12.12、1.53.4円)

。横浜では、後に指路教会となる住吉町教会有志

(「基」1889.4.10、8円)

、「横浜基督一致海岸教会」の有志多数名

(「基」1889.11.6、

50円、30名)

、「横須賀基督教会」会員

(「基」1889.6.5、0.5円、1名)

が挙がって いる。

東北では、山形県上ノ山からの集団寄附がみられるが

(「基」1889.3.13、5円、

14名)

、伝道師上野松次郎(松治郎)の名があるので、パーム伝道に淵源をも つ上山教会からの寄附と考えて間違いない。仙台では、押川方義らが開設した 仙台一致教会において、かなりの会員が寄附に応じている

(「基」1889.5.8、19 円、61名)

。ここには仙台神学校生も加わっている。

組合教会系が強い北関東ではあるが、「伊勢崎基督教教会」

(「基」1889.5.8、5 円)

、桐生教会

(「二」1889.12.6、2円)

、「足利一致講義所」

(「基」1889.12.6、1.05 円、9名)

、和戸教会

(「基」1889.4.10、2円)

、千葉では保田一致教会

(「基」1889.

4.3、0.32円、2名)

からの寄附がみられる。

長野県からは、老舗の上田教会

(「基」1889.5.1、5円)

、「小諸村基督教一致講 義所」

(「大」、1.3円)

の名が挙がる。横浜の海岸教会が開拓した静岡の三島教 会からは、「男子少年会」「女子青年会」といった有志の寄附がある

(「基」

1889.2.13、10.7円)

『基督教新聞』には、居所記載を欠くが、明らかに金沢教会からとみられる

(15)

集団寄附が掲載されている

(「基」1889.3.13、20.35円、31名)

。筆頭にて10円を 寄附しているのは、「小登」と誤植されているが、後に衆議院議員にもなった 教会員の水登勇太郎であることは確かであり、石川郡立模範農場長の教会員渡 邊譲太郎も醵金している。

北関東と同じく組合教会系の強い近畿一円に目を移すと、京都の「桑田郡長 老教会」「基督教一致講義所」信徒名での寄附がある

(「30」)

。和歌山において は、カンバーランド長老教会のヘールによる伝道成果として生まれた諸教会か らの寄附が確認される。「和歌山長老教会」信徒

(「大」、10.35円)

、紀州の「田 辺長老(基督)教会」信徒

(「基」1889.1.16、6円╱3.6、0.75円)

、和歌山の那賀 教 会

(「基」1889.5.15、4.75円)

、新 宮 教 会

(「基」1889.5.15、9.95円、17名)

が そ れである。新宮教会には、執事玉置酉久の名がみられるほか、後に文化学院の 創設者として知られることになる西村伊作の名がある。ただし彼はこの時まだ 4歳のはずである。

中国・四国からは、広島教会

(「基」1889.6.5、7.8円)

、「山口基督教会」の有 志や青年会

(「大」4.17+1.11.2円)

、「豊浦一致基督教会」

(「基」1889.5.1、3円)

、 高知教会員の寄附がある

(「二」1889.7.22、10円)

。高知教会については組合教 会系の土佐教会同様、『土陽新聞』も教会員による寄附金の委託先となってお り、同紙には細川亨吉、荒尾祥作といった信者名がみられる

(1889.4.14、1円╱

4.24、1円)

2 メソジスト系

メソジスト系の教会の表記は、カタカナの「メソジスト」「メソヂスト」、あ るいは漢字でも「美以」「美以美」といろいろであるが、以下史料上の表記に 従って記す。

東京では、「日本メソヂスト下谷教会」「日本メソヂスト駒込教会」会友の集 団的な寄附

(「基」1889.8.14、5.63円、31名╱12.13、2.5円、11名)

と、「美以美築

(16)

地教会」からの寄附がある

(「国」1889.5.11、1円、1名╱「基」1889.5.15、2円)

。 そのほか北からみていくと、「函館美以美教会」

(「基」1889.5.8、25円、10名 余)

、「青森美以美教会」

(「基」1889.5.15、2円)

、イングが創始した「弘前教会」

の寄附がある

(「基」1889.5.22、2.36円)

。居所が藤崎村となっている人々

(「基」

1889.3.20、13.15円、18名)

は、長谷川誠三・佐藤勝三郎・清水理兵衛といった 名が挙がることから、近辺の村の人々もあるいは含め、弘前教会から発展した 藤崎教会の教会員だろう。「秋田聖書之友会」員

(「基」1889.11.6、3円)

が、結 成間もなかったはずの秋田美以美教会と関係するのかは不明である。

栃木県では、「宇都宮美以美教会」

(「基」1889.1.2、0.5円)

、佐久山教会

(「基」

1889.1.2、0.8円)

から、信州からは「坂下美以教会」

(「基」1889.1.30、2.8円、10 名)

、「高遠教会」

(「基」1889.2.27、0.5円)

、「松代美以美教会」

(「基」1889.5.1、

1.11円)

からの寄附があり、カナダ・メソジストの宣教師イビーが開拓した山 梨県の穂積教会

(「国」1889.4.2、0.2円、2名)

、あるいは「豊橋メソジスト教 会」

(「基」1889.5.1・15、3.3円、7名)

の名も挙がっている。

九州では、「鹿児島美以美教会」の有志

(「国」1889.5.22、3.21円)

、「熊本美 以美教会」

(「基」1889.6.12、1.2円)

による寄附があった。

以上のほか、同志社への個人による直接寄附として、平岩愃保の名が認めら れる

(「二」1891.1.28、5円)

。一年前の新島の死を悼む意味もあったのだろうか。

また『神戸又新日報』には、大阪南メソヂスト教会においてランバスから洗礼 を受けたばかりのはずの芦田慶治の名もみられる

(1889.4.17)

3 聖公会系

牛込聖公会

(「基」1889.5.1、2.5円)

、「テモテ教会講義所」

(「二」1891.4.16、1 円、1名)

、熊本聖公会

(「基」1889.5.15、3.3円、5名)

、佐賀聖公会

(「基」1889.

5.15、0.2円、1名)

、延岡教会

(「基」1889.5.8、1.5円)

からと思しき信徒中の寄 附があり、高知聖公会の秦呑舟は個人で多額の寄附をしている

(「基」1888.11.

(17)

14、20円)

4 福音派系

アメリカ福音派の教会からの寄附は東京に集中している。まず、清水政忠ら の牛込福音教会から集団的な寄附があり

(「基」1889.4.24、2.85円、13名)

、神田 福音教会

(「基」1889.5.15、3.8円)

からの寄附もある。「八王子町福音教会」員 からの寄附があるが

(「基」1889.6.19、0.5円、2名)

、そのうちの一人は、幼少 時に先述の組合教会系長岡教会へ通った高野丈三(山本五十六の兄)である。

5 その他

北海道では、札幌農学校関係者も集う札幌基督教会の72名以上が『北海道毎 日新聞』を通じた寄附を行ったことが、前掲小枝論考にて明らかにされている(8)

東京築地の聖保羅教会からは、「安息日学校生徒」その他による寄附がなさ れた

(「基」1888.11.21、12.85円╱1889.5.8、1.53.8円)

。また、同一教会であろう

「横浜第一バプテスト教会」

(「大」、2円)

、「横浜浸禮教会」

(「基」1889.7.10、0.5 円、1名)

からの寄附も見受けられる。

一方、海外の教会からの寄附もあった。アメリカのカリフォルニア州に所在 する諸派教会のそれである。「オークランド日本教会」

(「基」1889.6.19、7$、

14名)

、サンフランシスコ「ジセー街日本人美以美教会」

(「国」1889.7.22、65.92 円)

の名が挙がる。同じくサンフランシスコからは、キリスト同信会の丹森太 郎が送金しており

(「国」1889.5.11、1円)

、「日本人基督教青年会」の寄附もあ る

(「基」1889.6.12、76$〔100円〕、45名+伝道費常備金)

Ⅲ キリスト教系学校

教会のほか、各地のミッションスクール、あるいはクリスチャンが設立した

(18)

キリスト教系の学校からの寄附が散見する点が注目される。

東 京 で は、立 教 大 学 校

(「国」1888.12.7、7.32円)

、明 治 学 院 神 学 部

(「基」

1889.4.10、10円)

、東京英和学校

(「基」1889.5.8、26.7円)

の生徒有志の寄附が ある。もっとも額の多い東京英和学校は、元良勇次郎ら131名の個人名が挙が っている。また拙稿「スケッチ」にて述べたとおり、『女学雑誌』は、第一回 義捐金募集期間において、巌本善治

(5円)

以下、主に明治女学校教員・生徒 からの醵金を受け付ける窓口として機能した。「明治女学校」と明記された分 は、合算して14円程度であるが、寄宿舎の部屋単位での集団寄附が目立つ。一 方、櫻井女学校からも、矢島楫子を筆頭に58名の寄附があった

(「基」1889.4.

10、15.86.5円)

同志社「分校」とも位置づけられた仙台の東華学校では、多数の生徒や市原 盛宏・片桐清治・和田正幾といった教員が寄附を行った

(「国」1888.12.21、6.5 円、52名╱「基」1889.5.8、10.4円、6名)

、同様に新潟女学校からは、教員の成 瀬仁蔵や生徒ら(「大畑町女学生徒」)の醵金があった

(「二」1889.4.20、1.3円、

9名)

。北陸では、アメリカ長老教会系の北陸英和学校からの寄附もあった

(「国」1889.2.22、0.72円)

阪神地域では、『神戸又新日報』に、神戸英和女学校生徒86名による寄附が 掲載され、個別の追加寄附もあった

(1889.4.23、35.98円╱5.1、2円、1名)

。か たや梅花女学校関係者は、少額ではあるものの、新島の死後に至るまで五月雨 式の寄附を同志社に届け続けている

(「二」1889.6.28、3.15円、13名╱7.1、1円、

1名╱7.24、1.2円、6名╱1890.2.10、0.9円、1名)

。このほか、『大阪朝日新聞』に 大阪一致女学校生徒

(1888.12.26、0.5円、1名)

、『神戸又新日報』には神戸伝道 学校女生徒

(1889.4.19、0.1円、1名)

、同志社の記録には神戸神学校

(「大」、6 円)

、大阪川口の三一神学校

(「二」、3.52円)

の名がみられる。

岡山の高梁順正女学校の生徒たちも、額こそ神戸英和女学校にかなり劣るも のの、人数ではひけをとらない規模の寄附を行っている

(「基」1889.5.1、9円、

(19)

71名)

。人数の多さは、同じ地域の高梁教会と同様である。広島の「府中英和 学校」なる学校からは、同志社に直接寄附があった

(「大」、0.2円、2名)

蘇峰の故郷熊本では、熊本英学校生徒

(「国」1889.2.22、8円)

、熊本英和女学 校生徒

(「国」1889.4.2、1.55円)

が、いずれも『国民之友』に義捐金を寄せた。

徳富健次郎は、熊本英語学会の名で寄附を行っている

(「国」1888.12.7、2.5円)

「長崎ステル英学校」とは、改革派が経営したフルベッキ由来の学校、スチ ールアカデミー(Steel Academy、後に東山学院と改称)のことで、多くの生 徒が寄附に加わった

(「基」1889.5.1、4.6円、35名╱5.15、0.1円、1名)

。「スタル ヂス女学校」とは H・スタウトの妻が開いたスタージスセミナリーであり

(“Sturges Seminary”、翌年梅香崎女学校と改称)、女学生らが醵金している

(「基」1889.5.8、1.1円、7名)

なお、キリスト教系の学校ではないが、官立私立高等教育機関の校内組織で ある「東京専門学校内基督青年会」(

「基」1888.12.19、1.5円)

、あるいは「札幌 農学校農芸伝習科生徒舎内聖書会」

(「基」1889.4.17、1.2円)

を通じた寄附も目 を引く。

おわりに

以上、同志社大学設立計画に対するキリスト教界の多彩な寄附実態を整理し て概観した。組合教会系以外の種々の教会や学校からの寄附があったこと、

「大学」が女子の進学先として想定されていたとは言えない時期であるにもか かわらず、女性からの寄附が多く含まれていたことは特記されよう。実際、詳 細のわからない集団的な寄附実態について、それが例えば単なる地域有力者連 や町単位での寄附ではなく教会員らのそれであるとあたりを付ける際には、一 定の女性名を含むかどうかが判断材料となった。

同志社大学設立運動に対する個々の寄附の背景にどのような思いがあったの

(20)

か、本稿はその意識の掘り下げには至っていない。だが、「大学」設置事業に 対するキリスト教界の広範な協力姿勢が、地を這うように存在したことは確認 できたといえよう。同志社を取り巻く超教派的なプロテスタント・キリスト教 界の連携状況を、ここにみることができる。今回会員による寄附が確認された 教会は、講義所レベルも含め百を超え、組合教会系よりもその他の教会の方が 多数に上る。学校の所属教派もバラエティに富む。

1888年11月に始まった第一回義捐金募集は、半年後の1889年4月末日をもっ ていったん締め切られた。そして翌5月1日を始期とし、同年11月末日を期日 とした第二回義捐金募集がはじまる。この第二期になると、新聞雑誌社が窓口 となった募金活動は全体として勢いが衰え、そこに1890年頭の新島の死が加わ ると、大学設立運動自体も自然と退潮していくこととなった。しかし、『国民 之友』の民友社、『基督教新聞』の警醒社を窓口としたキリスト教界の呼応は、

第二期以降も持続性を有し、キリスト教界からのより広い支援を取り付けたと 言える。

組合教会からの寄附は、直接同志社に行くものも新聞雑誌社を通じたものも あったが、組合教会系以外の教会からの義捐金については、『国民之友』や

『基督教新聞』を通じた寄附が多かった。

同志社側の記録

(「30」、「大」)

によると、最終的な寄附金額(若干の未納分 を含む)は、警醒社経由が877円5銭2厘(第一期581円、第二期以降296円)

であり、大学設立義捐金募集の窓口となった約20の新聞雑誌社中、2913円64銭 6厘を集めた民友社(第一期2709円、第二期以降205円)に次ぐ第二位を占め る。総募金高は大きく水をあけられているものの、第二期に限ってみれば、上 記のように、『基督教新聞』が『国民之友』の実績を上回っている。従来、同 志社の大学設立運動については蘇峰による『国民之友』の働きが強調されてき たが、キリスト教界に根を張る『基督教新聞』という媒体が果たした役割には、

独自かつ多大なものがあったことも等閑視できない。

(21)

この当時は、いわば新聞雑誌による「寄附金の時代」であった。『基督教新 聞』も、同志社大学設立支援と並行して、水害義援金、岡山孤児院義捐金など、

様々な募金事業の窓口となっていた(9)。同志社の大学設立義捐金は、それら募金 の一つであったが、警醒社では1年間に50回を超す広告(報告)の掲載(平均 すれば週1回すなわち毎号となる)というキャンペーンを張ったのである。

警醒社は、設立発起人で経営責任者の小崎弘道や湯浅治郎が同志社に移った ことで経営困難に陥り、1888年8月から東京福音社の福永文之助に事業を譲渡 したばかりの時期であった

(10)

。とはいえ、いまだ小崎は「発行人兼編輯人」であ った。並行する教会合同問題における軋轢を傍らにして、教派を問わず広くキ リスト教界からの義捐を集めようとした警醒社の姿勢に、小崎という人物の意 向をみてとることも可能であろう。

最後に、今回用いた義捐金募集関係帳簿類あるいは『国民之友』『基督教新 聞』をはじめとする紙誌上の個別募金記録は、組合教会系か否かを問わず、草 創期プロテスタント・キリスト教会全般について、創設時期・教会通称・設立 場所・教会員等々に関する詳細な情報を提供している。地域教会史研究への寄 与が期待されるとともに、キリスト教系の団体史、信徒個人史研究にも資する ところがあるだろう。要するに、近代日本における草創期キリスト教界の実相 が活写された、利用価値の高い史料であることを付言しておきたい。

(1)拙稿「同志社「大学設立義捐金募集運動」再考―取扱窓口となった新聞雑誌につ いてのスケッチ―」(『新島研究』第106号、2015年)、「同志社第一回「大学設立 義捐金募集運動」―京阪神諸新聞社の報道にみる」(『キリスト教社会問題研究』

第64号、2015年)。前者を「スケッチ」、後者を「京阪神」と略記する。

(2)警醒社は『基督教新聞』のほかに『六合雑誌』も発刊し、同志社大学設立募金の

広告は両紙誌に打たれていた。しかし、警醒社に寄せられた義捐金についての報

告は『六合雑誌』に掲載されず、もっぱら『基督教新聞』がその役割を担ってい

(22)

たとみられる。よってここでは『基督教新聞』を検討対象とした。

(3)①〜③の3冊のほかに存在が確認される帳簿のうち、『同志社大学義捐者県別姓 名簿』は①を府県別に整理した簿冊であり、①の記載の確認のために本稿も時に 援用した。例えば、金額の小さな齟齬などがみられる。

(4)高久嶺之介が指摘する寄附金未納問題の実態(「新島襄と京都府政の人々―大学 設立募金運動をささえた人脈―」『同志社談叢』36号、2016年)については、こ の薄冊によりかなりの部分が解明できると考えている。

(5)このうち不明事項があれば、それについては記載しない。複数件に及ぶ場合は、

一件ごとにスラッシュで区切った。また、金額は円を単位とし、小数点以下は銭、

厘をあらわす。

(6)塩野和夫「日本組合基督教会史」(同志社大学人文科学研究所編『日本プロテス タント諸教派史の研究』教文館、1998年所収)。ただし、「基本資料」とされた

『日本組合教会便覧』と照合し、誤記と判断した箇所は修正した。

(7)小枝弘和「北海道における同志社大学設立運動 『北海道毎日新聞』を手がか りに 」(『新島研究』第99号、2008年)。

(8)注(7)論文参照。

(9)一致教会系品川教会牧師の加藤覚は、このような義捐金募集に警鐘を鳴らした。

具体的には、第一東京中会が田村直臣牧師の動議によって、明治学院本科生補助 のための義捐金を新設伝道学校生徒補助金へと使途変更する決議をなしたことを 批判した。そして、同志社の場合でも、すでに集まった「同志社大学」義捐金を 例えば「同志社学院」へと流用することは許されないだろうと述べている(加藤 覚「教会の寄附金は当初の目的を変更して之を流用し得る乎」『基督教新聞』

1889年10月9日)。同志社の場合、1890年1月に新島襄が逝去すると、「同盟青年 会」が追悼慈善会を行い、その寄附残金を「同志社大学」に送っているが(「基」

1890.3.28)、同志社ではこれが「大学」への義援金として帳簿処理されている

(「二」1890.3.11、37.56.5円)。このようなケースも、理屈では加藤の批判対象 となろうが、結果的にすぐに「大学」ができなかった状況の下、集まった48000 円を超える資金が同志社でどのように会計処理されたのかは、別途つきとめなく てはならない。

(10)杉井六郎「警醒社について」(『キリスト教社会問題研究』第30号、1982年)。

(第19期第1研究会による成果)

(23)

『国民之友』掲載同志社大学設立義捐者一覧 凡例

・本表は、同志社大学設立義捐金の取扱窓口となった民友社『国民之友』誌上 に掲載された寄附者および寄附額の総覧表である。

・日付は、寄附情報を記した誌面の発行日である。

・「寄付額」欄の単位は円で、小数点以下銭、厘である。

・旧国名など、誌面上の表記を極力そのまま転記し、修正加筆箇所や注記は

〔 〕にて示した。

・旧字体は原則的に新字体に直したが、氏名・地名に関しては、適宜旧字体を そのまま記した。

・明らかな誤植は注記なく訂正した。

(24)

掲載日 寄附額 居所・所属 寄附者名

〔第一回募金〕

1888.11.16 0.5 芝区櫻川町十 一番地

池田辰太郎

0.2 牛込区肴町十 七番地

活神堂

1 京橋区尾張町 二丁目

天賞堂

1888.12.7 1 陸前仙台区清 水小路三番地

梶原保人

0.5 遠州森町 山内寅吉 1 静岡県富士郡

中里村

稲垣信夫

1 相州浦賀港荒 巻町

一貧生

0.5 筑後山門郡矢 留村

内山田民治

7.32 築地 立教大学校生徒有志者 5 京橋区日吉町

民友社

八木廉

10 石川県金沢高 等中学校

山田謙次

5 京橋区日吉町 民友社

人見一太郎

2.5 熊本県熊本区 英語学会

徳富健次郎

2.5 赤阪区榎阪町 五番地

徳富久

5 同 徳富静

2 京橋区日吉町 民友社

頴娃孝之助

1 同 垣田純朗

1 同 児玉熊吉

0.6 同 草埜茂松

1 同 二階堂才之助

1 同 房前達

1888.12.21 0.2 福岡県三池郡 今山村

浅井喜一郎

0.2 福岡県三池郡 新町

坪井与吉郎

0.4 広島県沼隈郡 松永村

石井豊太 石井英雄 0.3 同 石井一朗 0.3 同 石井廣吉 0.5 熊本県山鹿郡

山鹿町

村上重瓢

0.3 熊本県熊本区 安巳橋通

千場和太郎

0.4 千葉県香取郡 津宮村

久保木義夫

6.5 陸前仙台 東華学校第一回寄附金 (1.05) 第五年生六名

(0.9) 第三年生十名

(2.6) 第二年生甲組廿三名

(1.55) 同 乙組拾名

(0.4) 第一年生三名

0.2 石狩樺戸月形 村

今百吉

1889.1.2 10 上州南勢多郡 新川村

竹内鼎三

10 同佐位郡今井 村

中島祐八

10 同緑野郡中島 村

高津仲次郎

5 前橋竪町 無名氏 5 南勢多郡樽村 角田喜右作 5 佐位郡伊勢崎

細野次郎

5 桐生新町 森宗五郎 5 碓氷郡安中駅 小林竹七郎

高崎新町 矢嶋八郎 10 緑野郡新町駅 三俣素平

西群馬郡伊香 保

小暮武太夫

3 東群馬郡紅雲 分村

猪谷秀麿

3 高崎龍見町 天野宗忠 3 山田郡安楽土

小島邇一郎

3 南甘楽郡萬場 村

黒沢信一郎

3 北甘楽郡高瀬 村

清水永三郎

3 碓氷郡東上磯 部村

萩原鐐太郎

2 前橋北曲輪町 蜂巣長五郎 2 南勢多郡溝呂

木村

小暮松三郎

2 高崎新町 岡田謹吾 2 佐位郡伊与久

宮崎有親

2 那波郡大正寺 村

松本宗蔵

2 那波郡下新田 村

島田重作

2 邑楽郡石打村 荒井啓五郎 2 邑楽郡篠塚村 新井格太郎 2 上州南甘楽郡

生利村

新井春吉

2 同 北甘楽郡 磐戸村

無名氏

『国民之友』掲載同志社大学設立義捐者一覧

(25)

2 同 北甘楽郡 宮崎村

無名氏

同 西群馬郡 北牧村

島田音七

5 同 西群馬郡 上野田村

森田一作

同 佐位郡上 田村

多賀恒信

1 同 山田郡安 楽土村

小島萬一郎

1 同 新田郡鳥 山村

武藤道齋

1 同 新田郡本 町村

瀧原義雄

1 同 邑楽郡古 海村

白石好

1 同 北甘楽郡 雨引村

森平三郎平

1 同 多胡郡吉 井町

田村竹次郎

1 同 多胡郡多 胡村

井上孝三郎

5 同 吾妻郡澤 渡村

福田和五郎

2 麴町区五番町 二番地

上野岩太郎

1 神田佐柄木町 廿一番地

平野晋

1 同 小川町六 十二番地

松川福三郎

0.2 肥後八代郡新 牟田村

由解怡太郎

5 日本橋区本町 四丁目

柏原洋紙店

0.5 同 本町四丁 目

高松彦三郎

0.25 遠州濱松元城 町二番地

清水貞吉

0.5 京橋区瀧山町 無名氏 1 本所緑町四丁

目廿五番地

藤本巌猛

0.5 駿河国沼津三 枚橋町

多家宜平

1889.1.12 1.71.6 肥後水俣 青年誼会 0.5 陸中鹿角郡毛

馬内村

内藤練八郎

1 越後新潟郵便 電信局

秋山四郎太

1 越中高岡第一 国立銀行

三木徹之介 0.5 越後古志郡六

日市村

野沢尚輝

0.1 越後古志郡三 俵野村

野上脩平

0.1 越後古志郡中 潟村

塚越七郎

0.2 越後古志郡三 俵野村

野上儀太郎

0.5 越後古志郡六 日市村

細見國太郎

0.1 越後古志郡六 日市村

野上廣吉

0.1 越後古志郡中 潟村

塚越久四郎

0.5 肥後葦北郡久 木野村

伊藤角馬

0.3 茨城県鹿島郡 賀村

石津徹

1 肥後八代町 江口多榮 0.2 兵庫県多紀郡

古市村

服部政太郎

1 肥後熊本新屋 敷町

武田元熙

1.5 同国宮之原町 宮城康規 2 群馬県多胡郡

多比良村

木村善十郎

1.5 同 原口鍋十郎

1 同 瀧川満壽三

1 同 喰代かう

1 同県多胡郡片 山村

山口八郎

0.3 同 加藤兵内 0.2 同 西澤賢次郎 0.2 同 唐澤富三

1 同県多胡郡塩 村

向井周彌

1.5 同 新井重太郎 0.4 同 増尾元一郎 0.4 同 朝比奈米吉

1 同県多胡郡小 串村

原文吉

0.5 群馬県多胡郡 長根村

本島義武

0.3 同 浅田信芳 0.5 同県多胡郡池

新井巴

0.5 同県多胡郡吉 井町

臼田束

1 同 田中清三

0.5 同 高橋義路 0.4 同 清海千代吉 0.25 同 齋藤喜三郎 0.2 同 秋山豊次郎

1 同 浅見喜三郎

0.4 同 宮下要助 0.3 同 上原常七

(26)

0.2 同 小田壽吉 1 群馬県多胡郡

多胡村

山田金五郎

2 同県同郡矢田 村

小林省吾

1889.1.22 0.4 肥後飽田郡鹽 谷村

宮本亮平

信州南佐久郡 野澤村

並木直次郎

1 同 並木鶴次郎

同 並木伯太郎

5 同 南佐久郡 前山村

早川権彌

1 同 南佐久郡 伴野村

木内四郎

0.5 同 南佐久郡 臼田村

井出雄太郎

0.5 同 南佐久郡 三條村

田原秀八

1 肥後葦北郡水 俣陣内村

依田儀三郎

1 同 深水頼寛

3 同 徳富體平

1 同 園田義勝

1 同 赤星雄熊

1 同 園田仁一郎

1 同 無名氏

5 同 深水頼備

5 同 徳永昌龍

0.5 同 戸波易治 0.5 同 深水吉敬 0.3 同 淵上實之 0.2 同 小柳徳次

1 同 葦北郡水 俣濱村

徳富長範

0.5 同 高野芳太郎 0.1 同 森田婦久

1 同 葦北郡津 奈木村

竹田一行

1 同 津奈木利源太

1 同 緒方安直

5 府下京橋区日 吉町

飯島静謙

1889.2.2 50 群馬県前橋 佐藤與三 12.5 同 曽我部道夫 12.5 同 飯塚忠成 12.5 同 森岡眞 12.5 同 雨宮克

0.2 福岡県遠賀郡 蜑住村

山崎徹郎

0.5 在仙台 溝江嘉三郎 0.25 紀伊国伊都郡

丁ノ町自助校 居谷英一

20 上州前橋神明 町

稲葉秀作

0.2 日向高千穂上 野村

佐藤毅

0.1 同 佐藤四番蔵

1 同 黒木五十七

0.2 日向高千穂田 原村

佐藤仲

0.5 同 日向北隅一書生 0.1 大分県直入郡

竹田村

大竹正夫

陸前仙台 十文字信介

同 竹田壽貞

同 武世傳二郎

同同 戸澤精一郎

同 佐伯眞満

32 同 山内信實

同 但木良次

同 熱海孫十郎

同 守屋孝太郎

同 鈴木純之進

同 富田廣信

0.5 肥後玉名郡庄 山村池田

野田玄英

0.5 同 荒木矯

0.5 同 瀧下作太 0.2 同 坂本覺次郎 0.5 肥後玉名郡庄

山村池田

松本卓爾

5 府下麴町区飯 田町五丁目卅 番地

佐々城豊壽

0.2 右長女 佐々城ノブ 0.1 右次女 佐々城アイ 250 上州西群馬郡

倉ヶ野駅光鹽 社

松本勘十郎

10 同 松本亦太郎

5 同 松本ヱイ

5 同 松本テウ

5 同 松本イサ

2.5 同 松本フキ

2.5 同 松本忍

25 同 書上順四郎

1 同 書上カウ

1 同 書上ヨ子

3 同 書上安吉

10 同 今坂熊三

(27)

1 同 今坂コウ

5 同 高野貞吉

5 同 蓮田文翁

3 同 蓮田レン

5 同 鈴木新吉

2 同 小林幸次郎

2 同 蓮田淺治

0.5 同 藤巻元二郎

2 同 笠原宇八

0.5 同 齋藤作二郎 1.5 同 飯島弘郎

2 同 奥村頼太郎

0.5 同 是永壽

1 同 立川松太郎

0.3 上州西群馬郡 倉ヶ野駅光鹽 社内

谷岡熊二郎

0.3 同 木野直三 0.2 同 山本愛雄

1 同 増田辰之助

0.2 同 柳澤彦太 0.15 同 諸田松太 0.3 同 本嶋彌太郎 0.3 同 井原松太郎 0.2 同 平尾吉太郎

1 同 戸塚アサ

1 同 戸塚イ子

1 同 戸塚ヤス

0.6 同 佐藤ヨシノ

1 同 青森マサ

1 同 堀口ミツ

1 同 小池キク

1 同 永井サク

1 同 瀧ソテ

0.2 同 柳澤ヨシ 0.1 同 鈴木安五郎 0.2 同 林亀太郎

1 同 佐藤ブン

1 同 瀧澤モト

1 同 荒山千代

0.3 同 臼田マキノ 0.3 同 黒澤シマ 0.3 同 柴沼トク 0.3 同 峯村ミヨ 1.5 同 松崎タキ

1 同 六服トヨ

0.2 同 筒井キク 0.5 同 今井マキ

0.2 同 飯田タセ 0.2 同 筒井チヨ 0.2 同 唐澤ハル 0.2 同 平林シケ 0.1 同 小板橋ケイ 0.1 同 高橋ソメ 0.2 同 大井ジヤウ 0.2 同 松本フヂ 0.5 同 臼田ツキジ 0.3 同 井出シカ 0.2 同 蓬田テイ 0.2 同 横内マツノ 0.2 同 飯島アサ 0.3 同 柴山ハマ 0.1 同 吉江ヨシ 0.1 同 桑原トヨ 0.1 同 松本ハナ 0.5 同 須藤ヨシ 0.1 同 萩原イソ 0.1 同 大屋シン 0.2 同 池ノ谷タケ 0.1 同 日下部キク 0.3 同 大手タク 0.2 同 渡邊レン 0.1 同 森山トヨ 0.1 同 筒井ウメ 0.3 同 北澤テウ 0.3 同 上田カ子

1 同 霜 ツル

0.2 同 小澤クニ 1889.2.12 100 上州碓氷郡安

中駅

湯浅治郎

30 東京日本橋区 元濱町

菊池晋二

10 上州吾妻郡中 ノ條町

田中省二郎

5 上州碓氷郡原 市

無名氏

3 同 眞下珂十郎

3 同碓氷郡安中 駅

山田光就

0.3 同 柳澤愛三郎

5 同 高橋立哉

1 同 松江秀方

5 同碓氷郡中秋 間村

奥原仙吉

3 富山県婦負郡 下井澤村

正谷亮太郎

(28)

1 陸前仙台清水 小路三番地

梶原保人

0.5 上州西群馬郡 渋川駅

都丸梁香

0.1 同 水野七三郎

0.1 同 岸忠夫

0.1 同 勝島周示 0.1 同 佐々木荘次郎

0.2 同 澤井隈

0.1 同 都丸道太郎 0.2 同 児玉房次郎 0.3 同 峰岸乙平 0.2 同 江利川藤平 0.3 同 吉田小源太 0.2 同 成田駒蔵 0.6 同 石坂雄吾

1 上州西群馬郡 尻高村

都筑為吉

1 同 松井七郎

0.5 同 知高慶福 0.5 同 飯塚文三 0.5 同 都筑佐金次 0.3 上州西群馬郡

尻高村

松井牧四郎

0.3 同 都筑庄三郎 0.2 同 三浦寛常 0.2 同 河原田菊造 0.2 同 山田庄三郎 0.2 同 割田金平 0.2 同 荒木専六 0.2 同 松井銀五郎 0.1 同 小笠原小三郎 0.2 同 松井ウメ 0.1 同 知高トス 0.1 同 小笠原トス 0.1 同 荒木ソウ 0.1 同 小林孫吉 1.2 同 田村和七郎 0.2 同西群馬郡中

山村

西形平七郎

0.2 同 奈良新八郎 0.2 同 飯塚喜三郎

0.1 同 佐藤信

0.1 同 湯本徳三郎 0.4 筑前国那珂郡

下警固村

越知直己

1 上州南勢多郡 宮田村

諸田新造

2 筑後柳河本町 大堤専太

0.3 同 大堤益

0.1 同 大堤十三郎

0.5 同 諸藤林

0.1 同 諸藤千代 2 上州碓氷郡鷺

宮村

萩原國太郎

1 同碓氷郡安中 駅

金井才次郎

1889.2.22 10 筑前福岡天神 町七十三番

小野琢磨

5 肥後下益城郡 赤見村

鬼塚佑

0.5 岡山県窪屋郡 老松村

板谷節太郎

0.2 岡山県淺口郡 鉾島

渡邊芝治

0.1 同県同郡柳井 原村

西川順蔵

0.2 肥前長崎区今 魚町八十 番

神近鷹次郎

0.1 鹿児島県薩摩 郡川内

小林新八

0.1 宮城県桃生郡 廣淵村

増子市治

1 新潟県西蒲原 郡砂子塚村

金内優次郎

0.2 同県同郡地蔵 堂町

宮本道次郎

0.5 秋田県秋田郡 十二所町

千葉七之助

0.3 福岡県三池郡 新町

内苑豊吉

1 但馬國七美郡 村岡町

炭口幸之助

0.3 肥前西松浦郡 川内野村

川内野青年金蘭会

0.1 同 一番ヶ瀬佳康 0.1 同 出雲綏親 0.5 筑前遠賀郡蘆

屋村

桑原榮次郎

0.5 群馬県西群馬 郡渋川駅

狩野定次郎

1 肥後葦北郡陣 内村

丁廣之

0.5 同 前田傳

0.2 同 倉野榮

0.2 同 井本仙太郎 0.2 同 北本庄太郎

0.1 同 橋本清

0.15 大分県大分町 字絵物町

篠田温五郎

(29)

0.6 東海道金谷宿 十五軒町

高木三郎

0.72 石川県金沢区 飛梅町

北陸英和校生徒中 3 上州邑楽郡館

林町

南條新六郎

8 肥後詫摩郡九 品寺村

熊本英学校生徒中 0.5 岡山県岡山区

廣瀬町

高田富

2 上州松井田駅 松本庄三郎

1 同 神戸源三

0.3 同 神戸やす 0.2 同 神戸すて 0.2 同 瀬間力三郎 0.2 同 松本常三郎 0.1 同 松本けい 0.1 同 横山かね 0.2 同 横山こう 0.1 同 河原康次郎 0.2 同 田島さよ 0.2 同 木野むめ

3 同 畑中七郎

1 同 畑中りう

1 栃木県那須郡 黒磯

山本春治

1889.3.2 5 肥後八代郡鏡 町

濱田康喜

3 同 島田卯太郎

3 同 白石彌一郎

2.5 同 濱田覺太郎 2.5 同 蓑田恒三郎

2 同 岡田宜

1 同 沼田寛三

0.5 同 檜前謙三 0.5 同 岡田友策 0.3 同 富田貞記 0.3 同 遠山半治 0.3 同 緒方安太郎

1 同郡鏡村 岡本武 1.5 同郡上鏡村 伊藤和七

1 同 伊藤幸七

1 同 遠山静夫

1 同 宮本耕作

0.5 同 下村某

1 同郡有佐村 吉田脩三 1 同郡芝口村 衛藤濟

1 同 衛藤正躬

0.5 同郡内田村 嘉悦長顕 1 同郡鹿野村 内田玄眞

0.1 同 伊藤久

0.1 同 黒田俊作 0.1 肥後飽田郡杉

島村

三角新八

1 岩代國若松上 市之町九番地

藤井久太郎

0.5 府下本郷春木 町二丁目

坂本富彌

0.5 肥後熊本坪井 村

山田胤雄

0.2 肥前南高来郡 島原村

里見義正

1 肥後宇土郡前 越村

高橋逞治

0.1 長男 高橋文充 0.1 長女 高橋ウネ 0.1 二男 高橋憲蔵 0.1 二女 高橋ミヨ 1.5 同郡郡浦村 松枝剛毅地郎 0.5 妻 松枝ヒテ 0.3 母 松枝マツ 0.2 長男 松枝脩蔵

1 同村 松枝慎吾

0.1 妻 松枝ツル 0.1 長男 松枝改蔵 0.1 二男 松枝元治郎 0.1 三男 松枝顕三

3 同村 松枝俊蔵

1 同 松枝シツ

0.2 同 松枝正造 0.2 同 松枝ナヲ 0.1 同 松枝コト 0.5 岡山第三高等

中学校内

堀周造

0.5 同 沖利喜太 0.35 同 緒方銈次郎

0.3 同 高橋武三郎 0.3 同 近藤寛平 0.2 同 難波益太

0.2 同 林武平

0.2 同 島村鐵太郎 0.2 同 矢野恒太 0.2 同 堀内謙吉 0.2 同 藤田荒次郎 0.1 同 木原亀蔵 0.1 岡山第三高等

中学校内

岡本一之助

0.1 同 赤松是三郎 0.1 同 矢野武三郎 0.1 同 澤田光壽

(30)

0.1 同 澄川吉太郎 0.1 同 伊賀健蔵 0.1 同 小出亀雄 0.1 同 國方長三郎

0.1 同 無名氏

0.5 岡山県赤坂郡 是里村

近藤善三郎

0.3 同 近藤孝平 0.2 同 近藤謙哉

1 奈良県吉野郡 下桑原村

中世古傳一郎

0.5 石狩国神戸郡 月形村

八木橋隼人

0.3 伯耆国汗入郡 淀江宿

國頭房太郎

0.2 越後中頚城郡 新井村

金子桂太郎

0.2 石川県金沢区 櫻畠町

竹村幸太郎

0.3 金沢高岡町 寺田興周 0.2 金沢春日町 興津仁三郎 0.2 金沢上本多町 手下正幸 0.2 金沢鹽屋町 柘外茂三郎

1 金沢茨木町 中村武忠 1 上州碓氷郡安

中駅

小板橋忠平

1 同郡東上秋間 村

戸塚信太郎

0.2 渡嶋函館仲濱 町廿壹番地

青柳久太郎

0.5 三河国南設楽 郡海老村

加藤眞久郎

0.1 麴町区紀尾井 町三番地

段清吉

0.2 筑前宗像郡池 田村

井土徳十

0.1 陸奥中津軽郡 弘前東長町五 番地

和嶋和三

1889.3.12 300 上州碓氷郡原 市村

半田平次郎

20 同 半田千代吉

15 同 半田伊平

10 同 半田今作

10 同 田中京四郎

10 同 宮口二郎

5 同 五十貝鶴郎

3 同 半田芳平

3 同 高橋次郎

2 同 半田富三九

1 同 中島榮十郎

1 同 杉山ヒサ

0.5 同 杉山シヅ 0.5 同 有坂杢次郎 0.2 同 半田仁作 0.1 同 吉田清吉 0.1 同 吉田ふく 0.1 同 宮口利三郎 0.1 同 一萬田慶太郎 0.1 同 有坂ウメ 0.1 同 眞下ユリ 0.1 同 有坂スミ 5 同郡中後閑村 上原春朔

5 同 稲川富治郎

1 同 中嶋伊藤次

0.5 同 金井里次郎 0.2 同 伊藤辰五郎 0.5 同郡下後閑村 神宮藤三郎 0.5 同 茂木儀平 0.5 上州碓氷郡嶺

中島酉八

0.2 同 中島寅吉 0.2 同 清水妻吉 0.3 同郡郷原村 松本島吉 0.2 同 中島淺五郎

2 同郡下磯部村 田村森三郎

1 同 田村林造

1 同 須藤 兌太郎 0.2 同 須藤長次郎 0.1 同 田口サト

2 同郡東上磯部 村

萩原作太郎

2 同 萩原長五郎

0.5 同 武井佐太郎 0.5 同 平形又吉 0.5 同 角田辰造 0.1 同 田島重吉 0.1 同 高橋重太郎 0.2 同郡西上磯部

関根浦次郎

1 同郡郷原村 山中兵三郎 15 同郡安中駅 中村源次郎

3 同 橋本惟孝

1 同 近藤忠一

0.5 同 山田立起

1 同 深川克己

1 同 千良木棟吉

1.5 同 星野りう

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