――目次――
論文
1,
マハーヴァスツにみられる塔崇拝, 高原信一, Stupa Worship in the Mahavastu, Shin’ichi TAKAHARA,
pp.1-20.
2,
マルコの終末観:第13章の編集史的考察, 土屋博, Marks Image of the End: A Study of Chapter 13,
Hiroshi TSUCHIYA, pp.21-58.
3,
ドイツ観念論の思想圏における主体と超主体, 大峯顕, Das Subjekt und das Übersubjekt innerhalb des
Gedankenkreises des deutschen Idealismus, Akira
ŌMINE, pp.59-80.
4,
穢のタブーと近世日本賎民秩序:宗教民俗と法民俗の接点, 荒井貢次郎, On the Taboo concerning the
Origin of the Lower People in Japan, K
ōjirō ARAI, pp.81-105.
書評
5,
古田紹欽著『日本仏教思想史の諸問題』, 田村芳朗, Yoshirō TAMURA, pp.107-112.
は 、仏陀 親 展開史の中の一つの 表 われとして とらえる 略す︶にみられ 1
って、仏塔に対する崇拝
(1 それぞれの場所に建て ろスツ
青
またはその他の聖
造
にみられる 塔 崇拝 序 一 "" 一 " 一 四 五 仏教思想 仏陀 観 展開の一局面としての 塔 崇拝の重要視 塔 崇拝の利益及び目的 塔の形式及び装飾 塔 供養及びそれに参加した人 初期大乗経典にみられる 塔崇 序 史は 、仏陀観を中軸として 展拝た
開 と ち 塔志 し の 比 が拝 ナ, し と 較 み ら れ るつ の 大 ぎ な
局
面 を 含 ん で, い ( るし 仏 陀 イブ し 対 す る 出 示拝 ま 叶 ヰ 仏吉岡
原宿
マハーヴァ
スッ
にみられる
塔
崇拝
円 モロの第二の用例とみることができる。今、
ならず、それはの日召 と 区別なしに用いら
いなければ 枝提 ︵のゑ侍せ い ︶という﹂との見方 ここに 塔 崇拝として れている。その他、 た 仏陀をさしていて、 とにする。﹁舎利︵ 迫 も﹁ 摩珂 僧祇 律ヒにみ
れらの文献で特に用いられる。この意味では、 の まモ のは 降由 せの と ︵ 4 ︶ 拝は 、そのまま仏陀 崇 て 、 MV にみられる 塔 塔 崇拝が、仏教思想史 に
論及することにす
る 。 部分を中心としなが料 としてこれを検討してゆこう。 土餓頭 、または一般
あった 。︵ 2 ︶このような でも、仏陀がその ょぅ
とが一般に行なわれ (2)
マハーヴァ スツ
されている。仏陀 れている。
広大な良 き 功徳は 養は皆 空しからず、 果 3 (3) にみ られる
清め うコ める。﹂ ︵ 8 ︶ ︵目せ・ ヂの鍾 ・も1 % ︶などの如くである。
拝
ト Ⅱ 11 の 0 ︶ 想 い 出す。彼らの る
Ⅰ
塔崇拝の重要視
分 に結びついてい ︵ 7 ︶ ,Ⅴ 、 申ん、 + ム、。 Ⅴ考えられるが、 Mv 別している例は見当らない。 のであって、その中
9 区別される。この 側に ついては言及して
を 私は見たことがな とがない︶。﹂︵ 目づ ・ w ㏄のの・ トの l1 トの ︶
繭を滅することは できない。﹂︵ 目ヰ,ヂ窩 9 % 1 のの 0. じ
香 、香油、食物・
菜 の 華粟 一つでも 置 ︵ プ 申せ・ 円 p. ㏄のめ・ ト 0 1ト 白 ︶ 他方、仏塔を破壊すること︵心無間罪の第五、 、正無間男︵㌔
たことの、 不 ガティ ブな 意味での 表 われとみられる。
口 薩の生れるべ き 家柄 僧伽を破壊せず、 を 抱力
、、
なし﹂ ︵ o I ︶ O ︵目せ・ 亡 い 0 ぃ ・㏄ 1. ぃト ︶れたものではなく
柄 があげられるのに
キ じの家柄があげら れる如きである︵目 せ ・ 出 ︶のの・ N ︶。 (4)
せず ︵のお・ 燵 1お︶ 、
れる。即ち、 塔 供養する
ンミ く・円円・㏄の 丹 ・ ト 0 1ぃ ト 一ののⅡ 生の思想を背景としてい
泌
︵ 目ペレい,
のののの1い
0
︶
、家長、王族、バラモン、大臣、王、転輪王、
㈲人間的利益
拝 ︵そこでの寿命を︶ 成満 すれば、天界を去って 、財産ある人間となる。﹂ 二 、 塔崇拝の利益及び目的
がもたらされると考えられている。 ︵ 目セ ・山山・ハツ 六り什 Ⅱ・ めト| び のの・ レ ︶㈲大的利益
殿を得る。﹂︵ 目づ ・ ヂま 9 ㌫1 % ︶ となり、神々に 供 まま さとれる。﹂︵ ノ ミ ヌ曲 ・のの か ・ N 1日 レ ﹂︵ 目づ ・ ヂ 8% お ︶などの如きである。い印 一の㏄ 肚 ・ か ︶ 、
たものとなる、
蜜の徳目に相 ものである点が注目される。
㈲さとり
的 諸々の徳目
機 として﹁ さ
﹂とを願っていることが注目される。 禅定 の如 き 当する を得る とり﹂ ︵Ⅰ八︶ ⅠⅠ
び 声をあげ
ね 、怠惰にな
旗毒 、愚痴 ︵のの 収 ・いの l1 ト ム @ のべ 膳 ・ ぃ Ⅱ l1 い ㏄︶ 0 ることな らない。 を離れる ている。 ㈱宗教倫理的徳目
して仏陀の塔に 礼
間 的利益があげられ
おの・ お|あ ︶などで
の 礼をなす人たちに っ
マハーヴァ スツ にみられる 塔 崇拝
て
、すぐれた第一の
に君続の礼をなす
徳
あり、無所
長
なる
人
となる。﹂︵
旨づ
・
ヂ
きい
に|
No
︶
のの・
ぃ ーは
@
ののⅡ・
トの
1
︵
桟
︶
Ⅱ・
いい
l1
め ㏄
@
のの㏄・
ゆ l1
㏄
輔に
住している菩薩で
は
閉ざされている。﹂
︵
田
リリののの・
ツー
ネ
1 の︶
か
。ここに参照し
き
妻を捨てて行く。﹂
菩薩は出家者であったであろうと考えられる。
過程に、﹁仏陀に
遇
である。
﹁勝者の塔におい
陀
になるとする第一の
忙に遇
う
ことがで
き
は下のように多く見出される。
(7)
をなすものと見られた。
を 立てて成仏するこ とを願わせるに到っている。 嫉妬心なき人となる。諸法における無我性 と 空性とを見れば、惑わ︵他 、目ヌ田山・ハトネリ 什 Ⅰ・ 什 Ⅵ | 第二の型の完備した 例 。訳文をあげるのは冗長にすぎるので今は省 略するが、それは、 仏 接 仏陀に遇 う ことがで しの中の願及び授記に して注目される。 尚 。﹂︵ ン下ヰ ・ 出ひ Ⅱ 0. い 0 |
る 。 、仏陀になると 確 第二の型にみられる よう に、 塔 供養 だ げに 満 足するにとどまらず、 出 生 「 の 塔 輝 に か 右 し 榛 い の 一 ネ L 侍 る に た 幸、 せ い 、 ば ヤァ、 甲 も、 ・ あ 遇、 ら ぅ、 ゆ こ、 ・ る と、 空ヒ を、 々 ぅ、 に る 、 お ( い
叩て
倒、
のの(ロ神、
)也、
。
竜 間 夜な 羅 る 兼 」 人 た に ち 遇、 に っ、 ネし て、 3 手 の)) (
Hbu
、
・ 人 されるa=
つ
とが田、
片 る。
彼は仏陀 p 1 1 Ⅰ P
の
せ ㏄ ︶ 、ハーヴァ スツ にみられる 塔 崇拝 八九頁引用︶ 、 華 堅を手にするこ なかった。恐らく、 の 義を告げたり。 伝 大蔵経 し 第四巻
一
n ︾ %増
さ ︶は 、 を 浸し、それで 押 御酌しるしであろう、と考えられている。 戸 にっげられた 臣レ ・口の臼︶などが 品 ︵Ⅱ ぎ ・Ⅱ・ て接 ︶の用例をみると、 を参 の呪o か @ の、り 簡単な型の叙述もみられる。 三
、塔の形式
& び 装飾40 Ⅰ山ガ 曲 ︶ 、 及び諸々
、現存文献から知る
主の遺骨︵ 年ォ倒 ︵ 屈 ︶ の
㏄の べ ・㏄ 1. 肚 ︶のような 9 (9)
旨ヌヱ ・の 宇 ・ ミ ︶ が
他の礼拝︵ 田モ俺 ・ し か も 年 代 か
掛 竿 0 代 な な も 充 つ 分 て 推
晴
二る
つ こ 供 の と 養 側 はな れ
い 特 ヰァ ヒ * 大 口 の 玉 七一 - 日 一 な ど ヤブ Ⅰ つ げ ら れ 力, し 例 で、
従って
、
掌の印だ
け
を 被わせ、 そ た 、という。 、菩提樹の ハケ など彫刻さ ︵ ︶Ⅰ 4 ム そして 又 、紀 古学的及び文献的資料から知ることができる。 も 、以前から れに水 下の 4 コ れた 例 元 前一 あった れ ら の 中、塔の完成
更に、漢訳仏典で
どにもみられる。 そ ︵
あろう。
マハーヴァ スツ み
ら,
れこ三目」「Ⅱう 舎 コ の た ぎ
の で 歌 あ な り も
ィム 養 陀 し の た 塔 ピ を さ す も の と 11 (11) fc み ろ 岸 セ笛 ヴ Ⅱ が l こア Ⅱ 臣 づ笘 沐 岸 l
ヨ 片 由の ト| ヨ ㏄ こア 曲 Ⅱ のド れる 塔 崇拝 る の 仏 が 自 楽 で、
る 題 塔 に 供 関 養 し に て 参 力 Ⅱ 次 し の た 立 で が る 注 6 目 う
る る 。 指 摘
し も ナ - Ⅰ が そ 位 0 Ⅰ よ サ ン ヒ し
て つ 薩 " と 」 ど の と 彼 い らノ
な人 し 初 薩 生 も 尤 ・ Ⅰ
・)
展ぼ
て 的な とな 義 的 ち が取 飾 り ( や行 日 え Ⅹ )・ 臣 円 オ
し噂 Ⅰ ガ
㏄
さな
ど 煉 が ; 瓦 供倒た
) ㌔し と ・く ノ ( の と 00 の ( こ古 Ⅰ
ど
れ る 古 び
昔 の 種 Ⅵ 佃 ﹂ ツ ・ m* ハ の hm Ⅵー ト ハ m ム m Ⅰ ⅡⅠ︶ @ 、 ㏄ ト 1. の ㏄ 切 ︶、宝石の首
きことである。 従 あった。しかし、 演ずることからは
も出
らか
にみ
点が指摘される。 例えば、シュードラ な 表現も可能である。 能 であろうか。むし
なかろうか。 ば、 夢に托して説か
︵ 却 ︶ ﹂では、シュードラは で 参加したとしても、
れなかったのではないかと考えられる。
も 考えられる。 た あげられている ︵ 2 2 ︶ よう 六 ﹁ 不 塗師有里 戒 ﹂、 家人団した人たちにつ
信者としてのシュー (12) 12
マハーヴァ
の
蓄積ができた後のⅠ
スッ にみられる の が「煩え
こ 同 9 め が れ(強る
般くと
浬 あ い 葉 ら っ女 Ⅱ て 最 来 い 高 の て の ) 、 価 決 む 値 門 し づ な ろ け 古 塔 を
して
物に 崇拝 な さ いし起
て越
る。
肩 し し に て か 荷 い し ぅ る な と 面 が こらみ、
がら
彼、後
如来,
| えま を 者 肩 で, ヰノ し 荷 ま、 サ て 経 し Ⅹ 典 る 尊 重 も そ し の @ よ 十ま あノ 法 な 尊 薫笘 重拝
、
塔
供養によってさとり
こ て る。
㍉ 法 さとがれ
のか
M
Ⅲ と き 華 り 参 る V が た 如 よら ぅ がこ 6 9 た い 華 れ
る
に お いとれって
説るた
、
軽 ヒ * 末 Ⅰ て く 。 も 塔 と 旦士は
、
のこの供の
がれで
養比
五、
下拝 ヰブ Ⅰ 生 辰 に あ を 較初
は た 初 対 っ 通 期 出大
家そ さ
乗
の軽
菩薩 と ナ, Ⅰ
ち 段 ら の が 比 参
較
力 n し てい ナ - ヒ
はい
、
る と 共 ヤァ ヒヰ 以 上の び の よ
告ノ ヰブし Ⅹ
在 俗 の 信 者 ナ、 し
ち が め な を れ も 参 加
し て で が て る に い き " " も と ナ, L
若 波羅蜜を書 き、そ するのと比較すると ら 仏身乃至 般泥 直後の 蜜 との両者が与え ろ を取るといわ 抽る ︵ 5 ︶ 。 こ 或いは 法 尊重へとい
、
銅
、
真繍
、
鉛
、
一般に、仏像が始
としても、
MV
に
み
はそのような記述は
殊
な形式の布施がみ
い、などの相異点も指摘される。
㈲
印 般若経
L
との比較
由利
塔
供養について
のであろうかと考え ろ
︵紀元前一世紀末頃︶ ︵ 2 6 ︶ とされる。
しめているものと考えられる。
6% こ めであると述べ 。 ︵ 4 4 ︶ 、 ている。 ︵ く Ⅰ︶
のも、 塔 崇拝と経典尊重 Ⅰ レ ︶ ぬ 来の滅後、経蔵を結集 り 、又、如来の像を造っ ﹁般若経 ヒ における如き、 塔 崇拝
㈹華厳経との対比
ばみ
とめら掠めが。
る ﹂とみる点に 、 よう。︵ 6 3 ︶ 威 神に護られしここに入れば が皆 礼し恭敬 ︵ W ︶ ぅ 付加的説明が ﹁菩提心こそ 塔 る ﹂とする主張と相 ぃ 通ずるものである。 節 で み し そ て の あ ら 護 の ぃ 般 「
究ヒ 第四、七一頁参照。
づ ・ 肚肚巾 ,鼻白 卍 ︶ 帝 ︵八 % Ⅰ ぎ笘オ Ⅱ曲っ︶・ レト ︵呂のぺ ガ燵任のダ Ⅰ り隼由 nM Ⅰ曲っ︶・の神 0 へ 、 ユ から ぎ
は 、﹁般若波羅蜜しを ろを異にしながらも、 的 特徴を示している。 来経典出現以前の段 た 。それは、やがて るに至ったとはいえ、 無視できない重要なものの一つであったとい ぅ ことができよう d は、 自ら世間の の塔 たらしめ、
にしょう
、
と念ぜられてい
。かくして、塔は、一切︵
9 祖 ︶
そして、究極的には、一切衆生をして第一 て べ をは は を し 、 後 起 に 昔 者 こ お 愉 の し け 約 百 て る に 介 供 待 、 十 菱 色 菩 提
、 、
分 の ,む 、 一 塔 と犬 皮 に げ ば 如 人
な 来 菩
も
像 の間 、 な す あ
つ 且 Ⅰ 苦 れ 心 般 提 仏 の 浬 心 で 菩 薬 さ あ 薩 の お る の 後 こ か 功 し ら 徳 無 た と と 彙 苦 め を の 睦 べ 比 . 宝 (16) 16
ヴ
ある︵ ヱゅ甘 二︶ 仏 Ⅳ
る 。﹂ 金 マハ 吉日照 択 ﹁悟りへの道 L 祝文引用。 ァスツ にみられる 塔 崇拝
と 共に 、へ 、ゑ % か
やい い 申の勾・で
でら 0 せの 圧白 Ⅰ 一
れた、規定通
いては、傾に
のを想って い るものである。
ず 出している。
ぱ 、これに語源的に相当するとみて よ いであろう。 ︵ 4 ︶ 0 ︵・ しわ の: せ 0 に 出 二つのひの二の ロレ ︵ 円 べやⅠ
二 0 二頁では﹁ 迅
されている。
拝され⋮⋮﹂
・ プおダ韓二 づ ・村中づ・㌃ゆめ・ , 0% 。 ︵ 6 ︶ し勾め ・ ロヴ宕
ヨ 牛の宮口 三 Fo. ﹁ 世
る 王となる﹂
に 用いられた
る 。︵ ミヌソ の ㏄ H. ト ㏄・の圧の・︶
ⅠⅩ 隠俺 ㌧口沫 討 o, e 良
とするり
20 19
Ⅰ 8 Ⅰ 7 16
(
り
( ⅠⅠⅠⅠⅠ ニ ( ノ斗 ( ⅠⅠ 3 ⅠⅠ Ⅰ きじ し の 貰 れ % 肝 : U 尤 - @ ぶ ㌣㈲。 や ァ て ヂ ・ ィ ぃ二シる二
ャ o / Ⅹヰ ノロ
,の 圧ト 0 ㌃ " "
のき 色 P a l 「 娑
説 おで を薄 あ ・ Ⅰ ; ⅠⅠ け や バ て
乙う メ
一
) 頁 向 を" % ∼ 0 仕 」 モ 他
路型干
黒と
如 ぎ
白す
" る 用 ク バ例 ︵Ⅱ︶ 四 技法文・ まほミ ・ 0 め肚 ーのめの
悪道。⋮⋮反逆
父む
ことがみられる。
マハーヴァ ス Wc みられる 塔 崇拝
36 35
34 33 32 30 29
(
(ⅠⅠ(イ Ⅰ
ん
90う
り乙り乙 ( ム廿 イ 9 ( 9 く Ⅰ 乙 ( アサ り丹 (ⅠⅠ リア Ⅰ波光
ィム 下さ 0 年ス ハぬ ノ Q 沖 l
異常
わ M れ V切論
(㍉印仏所 曲ドの 由マ ヨ
の の 五 一 ) ら 口 Ⅰ
れるが、参照。
頁 内 参 容
的 照 。 反 省 4 曲 つ @0
Ⅰの
・ Q 時 ヨの 自 充 分 明立 蕾 ら Ⅱ 曲
年 い れ
像君な
・ 翠好 代 拐売如波 甘堵身
を ゴ賈 コ l 19 (19)﹁大正
L 十
・ セ五
bl
セ七
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害照
。
︵ ぬ
︶日大正
b 九・六四四
a@
大正
b 十
・二九
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︶同大正
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四玉
二
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セ
・
ハセ三
b
波羅蜜によって
、恥
依所
⋮⋮
とな
|
四三八
a
マルコの終末観
論 - 。
序
た 反論も見ずに今日
︵Ⅰ ユ ︶
のであって
、 彼の元
ヴァイツ,
一は、周
説を
﹁一つの卓越し
であり、
イヱス
の 黙
︵ 2 ︶
いてとり入れられている。
新約
単 における﹁
様
もなって、この箇所
21 (21)マルコの終末
観
|
第十二一章の編集史的考察
|
屋
土
博
﹁編集 史 ﹂は、﹁ 様 者達は、それぞれ 個 コの 思想の解明にあ 終末観を導入したと イェスの歴史に突 き 望んでいるのであ る 。﹂ 術 によって 、 我々が イ とが明白になるとい るかを認めるのであ あるが、ここで消極 近代的歴史家の関心
べている。﹁ イヱス の
出すことがむずかし
福音書記者は、確か なく、ある意図をも って編集を行っているのである。 しょうとする試み (22) 22
マルコの終末観
定説﹂︵曲のの 目 ︵の 耳ぎ
れる 小 黙示録の再 構
細 な点において異なっているが、テイラーは 、 ヴェソト 、ヴァイ ブ | マンのリストを 比
燵| まをとり出し、これが最も根源的な ものであろうと推測し は 、すべてユダヤ 的 黙示録の言葉であ
乙
。 ︵ 几廿 ︶ではない。 例え
格言集団から構成さ
述べるよ う に、テイ
しても、黙示録の断 23 (23)
第一車釈義上の諸問題
第十三章の基礎に
の 終末観﹂とした。ある学者の見解を な 行 う 。それに ょっ
い っ っ 論を進めるこ なるであろう。
めているとしても、 っていると考えられ る 。
ティラーに よ れ
能 性が強い。ティラ
いう名詞のくり返し
ばしい
0
ヨセフスに
︵ け廿 ︶ガリラヤの弟子の立 エ スの言葉とされたも ロガ ⅩⅩヂ白Ⅱ
だろうという預言 である。 qQw 榊 boo という状況設定は ゼルコ によると 思 われる。マタイは こ だけがパレスチナ的伝 考 片 ぇ 釈 が
6
表 才 も言 か を 入 と な さ か す れ う に て 間 あ い 題 た る と っ こ 関連、
てと
はで, ぎ
る福音書」ないと思われここでは、
に よあノ 問 題 十ま 編 集 の 方 法 を 女口 何 ヰナ し (24) 24
マルコの終末観
セ ・㏄Ⅱ・
いうよ
ことは ︵ 1 g ︶
ている。 あ ぅ 目 の, うう 性 が強い。
瞬間に宮の建物の入 ︵ l 8 ︶
﹂のような事実から 考
ⅩⅩ 守 ・ ダトガ ⅩⅩ㌣Ⅱ
。また、用語の上 でも、ル力はかなり異なっている。 果してそれは、 ィヱ 在の華麗さとそれを ︵ 5 ︶ 目 すべきである。 こ 首肯 L ぅる 。実際に の 破壊についての 預 ス によって語られたということまで おびやかす没落との対比を中核とす れを﹁事後預言﹂︵ va ︵ 山 。 ゴ 山口目 のメ 言は 、すでに旧約預言者達にも見ら をも十分に立証し ぅ る 物語の一典型を思 の善 巨 ︶とみなす 十 それについては、 ︵ W Ⅱ︶ れた。 るであろうか。むし い起させるという ブ 分 な理由はないとい 説話は何もふれて ぃ ろ 、この説話が 、現 ルトマ ソ の見解を注 ラ テイラーの意見は 、ないからである。 宮 25 (25)
地 震、 飢 ぎ ん 十 上天体が揺 ケ 動かされること のヰ めド ーのの
ストにせ預言者 ⅡⅡ ぽ Ⅰ す 丁日と月が暗くなること 戦争と戦争の うわさ 敵対する民と国 十手 星 が落ちること している。 四節の問いの 同じであるが、 る 。即ち、マル 化し、イェスの ㈹詐欺者、 ティラーは 、 に 価する見解で も 大体 てい 一般 いる。 ㏄ 1. いト 考慮 ある。
即ち、マルコに
よ
タイは、この言葉を
状況を全く開放的に
(26) 26られたかも知れない。
の
史実と一致する
しも﹁事後預言﹂と
Ⅰ ガ
ⅩⅩ
守
・のⅡの写本の
一
録
との関係を考慮するこ
る 。ある。このように、七節、
︵ 諺
︶
27 (27)によって多少変え
予期されていたと考えられる。にせ
メシアがいつも
。
ざへ駄笘
S@q ものと
明
る
。
ア酌
または
準 メシ
﹁終末論的完成者﹂
は
革命論者であった
︵ ぬ ︶
︵ 鍋 ︶
︵ 60 ︶
コ の手が加わっていると思われる。 容 的にもまた 甘飛ド れている言葉から考え 言葉を省いており、 お 、マルコにおける の 記述が参照され ば げればならない。 全く異なった表現を
スト教団の見解の反
されたものである
可
リッパ一世︵ 巨 。ⅩⅩ づ ・ ︵ 縫 ︶ し 、他方、この箇所に は 有力である。 キオ ・ フ コスト 入会者や Ⅹ∼ ぃ ・ ト ド h. ︶ ヰ ob ゴ 0 ︶に分かれ、ぞの中に四つの行を持ち、 それらが い 0. コヴ 容から見て 、 後の挿入 ある分析である。 (28) 28
、ゑ
・の
H.
ぉギ
トド
か
、異教の祭壇を播
祭
たこの句は
、レ
・ し
。この試みは、シリ
げればならないとして、
成立が
︶︵
Ⅰ︶ノナ く レ
・ ロ
・
0 宇
@
べ 0
年
人物をさす。
p
一
マイヤ
はっきりしない。
吹と見るべぎであろう。
の
黙示的期待に従っていることは認めて
桟ぷ 。︵ 9
︶
十三節の前半が教団に
よ
る附加であることは、
広く受け入れられている。後半の﹁最後まで
書記者マルコによるものであろう。ル力は
、
芽
Ⅱ
簿
おという表現は用いていない。
︵ⅩⅩⅠ
せ
・い午
|
㏄ N.
︵Ⅰ
オ
Ⅹが㌃㏄
守
1
%
︶
めにして、すべてユダヤ
的
黙示録の断片の挿
]
は、断定に対して
侠重
で転
め狂
。
の 迫害の間の状態を反 耐え忍ぶ者は救われ 而 ⅠⅡも 駄 ⅡもたうⅠも 箔セ もて ︵ 即 ︶ 入 と考えるが、テイラ
らない。
神
が選民のために
Ⅱ︵
qm
せ
駄も巾
ウり
と L
か
、
われるスタイルである
、やはりここには黙示
文
り
、一部は
、
別の文
エルサレムについ
ての預言として整理されている。
、
街を去り、ペレ ことはむずかしい。︵
迅 ⅡⅡ︵沫の丈も㏄ちも
使
eq
へり
飛守
Ⅱ せ
のといいかえている。
ている。 音書記者ル
力によ
る通用と見るべきであろう。 らしし これは、 福 ︵ オセ ・の ゴ の 笘 ︶用いられた黙示録 0
脈 では、もっと一般
と 考えられる。 ルカ
マルコの終末観
戦士
一に い
べ い う 十 も た で う わ 七
約 の た し 等 ト の し め は の 教
思る慌
想 し大上に
、
地的
で が 保 ぃ 的 編ダ ヤ
入 あノ
3 Ⅰ (3 Ⅰ ) 十四節の連 構 0 と二十一節の苦ぎを除いて、 すべて 三 吏 もの目のⅡの
ろ う 。 た 申ん サムマ @V 。
∼の h. 目侍 パソ いつ ・母の | ㏄ H, ︵Ⅰ 岸 ⅩⅩ ぃ ・や㎏㏄︶ 人称で語ら という言葉 だし、この
﹂の節は
、
られて け 0 ︶ つ、木わセ い い ・㏄㏄︶ 述べた。彼に よ れ が 附加されている る 。二十一節、二十 はっきりしない。二次的であることは、
たわけである。
三十節は、預言され
んなことが起るのでし
描かれた出来事すべて
、福音書記者の文脈の中で、意味を賦与され てはまると思われる。
ぎこちない適用が
ては、この解釈はあ
・いの卜
いの︶Ⅰ 片 ⅩⅩ ぃ ・お
1日︵の か1 のの︶ ブルトマンによれ はならないのである。︵ 5 5 ︶ めの q 駄文もり セ 汰ものⅡのⅠ 申セ の 終末論理解にもと ず という推測も成り立つ。 ㈹・ 替戎 についての説話とたとえ ゆ 人 マ が の タ め 子平 た 的 行 反 想 記 辞 源 事 」 を
か ヱ ら ス と の ら
れ 昧 ・ ヒ 青葉 の (32) 32
セ
四二年︶の名著
と
﹂第十三章のうち、この
所
と共に理解さる
べ
ぎこ
・
ぬ
とを主張している。
節
、二十三節と同じく、
33 (33)﹂の言葉は種々の論争
捧 な し り も セ 正 と いうことに関しては、必ずしも明らかでない。 イェスの言葉の真 ︵㏄︶ 三十二節から三十 のような巨視的見方 んでいるが、やはり粗雑といえ よう 。ちとい タ 言葉は キ
いる 0 条件のっか らかである。︵ 6 0 ︶ しか 稀である。︵ Oh. Ⅰ ガ コ でも、 ooq ル &c
簾
節及び三十一節は後
十一節は、天地が滅
うい う 意味をもつか
側 妻 し る め 第
よ も た 前
み議
ては き 極 も 検 ブ な り め の 計 ル 伝
と ろ
、 えとこ
らなれ
伝史 れ っ 以 承 p 実 た た 上 皮 @ に ね 。 論 的 マ 口 げ ィ を 分 々 な で ェ 進 折 ヤ と は ス め が l め な の る 考 等 て い 純 こ 察 の 前 。 粋 と の 研
に運
て延
え即
」ち、
ず=
か せ に持 し て が れ が
ら さ れ る 文 七 わ れ て と 脈 節 ね た い い の ま て も る ぅ 中 で い の 。 モ へ の る と こ テ お 箇
思え
とい
・の 二 l ィ 9この
所 わ る つ フ ま 平 ね 。 の は れ 行 る そ た 、 て 記 。 れ と て い 事て い は 中 タ
マず
旨イ
(に
ヒ /L ァ の にあ
るい
置 か 力冥き
@沖ヰ P 目
めら
明ら 時 に のたo
も か か 臨 と 8 れめてせ で bm 守 0 し セ は 、
からである。︵㏄︶
9 コ 0 口口 0 Ⅰ的付 臣あ 0 オの
ルコ
の編集方法に関する諸問題が扱われ、第一
一に、マタイルカ
らに第三に、これを
歴
あノ
の
一
、編集の方法
マソ
は
、
明らかに
る
。彼は、各所で問
題を問いのままで残し、編集方法に関しては、
の
限界をふまえたやり
のことがせいぜい推測に
る
。
程に関心を
ょ
せる。
彼
35 (35) る 。 て 、この章の課題は 、ルコ
の福音理解を思想的にさぐることであ
つことになる。従っ
しろそれを積極的に受け入れることによって 、釈し 、 マルコの福音
ぅ
事実を認識し
、む
生
には重点をおか
に関するマルコの宣教として見る見方である。
即ち
、
我々は、史的
し 屈曲︶田の︵ い c ヴ, 目の 0 イツハト︵ハ ツ目 ハ ツ林几田 0pp ( 上 ) 二つ ゴ の サ のの pn つい 片片 の Ⅰ 臣 仮説に反論する。 ばれえない。何故 欠けているから である。 よ う にみえる。 マ あるとして。これを次のように分ける。 らの存在する集団を 的に間われねばな 四期 と捕 四 % 後の ュ の 定義は
、
必ずしも ︶と﹁二次的特徴﹂この説話の言語的特
独特な仕方で史実的
マルコの終末観
(
)
( )A
D ) ( C ) ( B 螢 荒 道 再 成 ら 寄 臨 に す に に つ 僧 つ 先 か む い 立 て べ て っ の き の し 説 も 説 る 話 の 話 し と ( ( ((
めの,
1 ぽ Ⅰ ム Ⅰ ⅡⅠ もつべ ) ㈲のの 0 。 臣倖 の 屯 Ⅰの曲目Ⅰのの レ 三日 些 Ⅰ 毛 0 のの ゴ ・ レの吋 Ⅱ 笘 p p 臣曲屈 の 局 。のの れる。確かに﹁ マ
ね 、義と不義との 対 完全にそなわって い ののいくつかがそな いように思われる。
の 正当性をもって
げていたという主張
いるとはいえない。
の 教会がキリスト
の 普通の用語、文体
説話群を推定する。 37
(37)
をさぐる必要があ
ことができると同時
逆に、マルコの特性を推量することができる。 しかし、これは、 と
自身が手を加えたと 二 、編集の意図
り、 次に、マルコ
配する観念﹂として 深く問 う ことである。
ざるをえないのであ
しほとどまるのが良心的 ︵ 6 8 ︶ であると思われる。
待 のうちで イヱス
った 。しかし、この
して、多くの点で 疑
おり、純粋な預言 8
て A を展開し 、 ・一定 3
と C をその中へ挿入 G ︵ 6 7 ︶
﹂
マルコの終末観 ナ, Ⅰ と ノン ノン ま ル ノン ノン マ
(5)
で任
)
が)
で(3)
マ(2)
マず 舌 ゾコ べ の そ
プ 達 オ も て 柑 れ の い @ の の 進 だ 終 は プ と 民 」 り あ 山 し イァ ヒ マ 」 る 不、 Ⅴ ヰ P し て 光 宣 べ の前
が
) ア ソ 六 次 タ色二こ を のィは
伝え ん デ な 」よう
あす が , ノン な相 がマタ
と 、 違イ カ 点 が らな
リス
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|ま|
明 い と 」 ナ ・ Ⅰ - ら @ か と 」 成 イ尹 ヒ す 就な る す
であ
ち」、
る る が 、 る よ / Ⅰ ノ ノン 仮ノ カ な は サま れる を の 人 省 前 き 、 Ⅰ口ヰ 刈ノ 」 マ マ イ 丹ま イ 月 Ⅰ は の 「 文 あ 脈 な 39 (39)
コ 9 為したことがわ
形をも意味するので との関連で問題にす
、福音書の文献的 構 成を見ることからはじめなければならない。
ル力の平行記事
㈹忍耐についての言葉の相違
って自分の魂をか ち 取るであろう﹂。
所に立つ﹂、マタイは﹁預言者 ダ ニコルによっ ていわれた荒らす
ヱ ルサレムが軍隊に包囲される﹂。 ㈲いちじくの木のたとえの相違
は ﹁人の子が戸口 ﹂ ㈹構成上の相違︵移動、附加、省略︶ 料 ︵客中 が Ⅹ 田ヰ ・ い 11 の
別の記述︵Ⅹ 巳せ ・㏄ べ|
挿入した。 Ⅹ 乙 ・㌣1 3 ︶に 代 える。 ㈹弁明を助けるものの相違
あって語る父の霊﹂ル力は﹁言葉と知恵﹂。 で ﹁御国の福音﹂として述べている。 40
殊 化されている。 る
。
しょうとする動機が働い ことも、これとあわせて 考 (41 えられなければならない ない。ただ一節の ものである可能性が強い。 徴を示す用語と考 ミセ は 、 ﹁マルコに よ 特にぎ・ ト 1ぃ㎏ 0 との 関連で注目されねばならない。 思る
行 れ を ようになる。 ま は っ こ わ と め 関 心 て い に る と れ る と、をょ
せ 「 を を 次 て 荒 い 説 の い ら だ 明問 特に ペ テロのつまず き 辻出・ 趙 ・ 田 丁丁ゲッセマネの光景 パ 山山 ぃ ・ 鯛 下中受難の前夜の諸事件
く 頃、祭司辰 た
フト に渡したのは 虚 することを指摘する。 発見し、この問題 ︵ れ ︶ よう に受難物語に対
の
終結部において
していること﹂が要求されている。
かし、そもそも
何
加えたければならない。
e お 、 部 ・
憶ギ釜
ノン イ
れ
円かさ
ト 結 簗 0 部.) (42) 42
て 頂点に達する イェ
語で
クライマックスに
達
げられることによって
、
難物語との緊密な対応を
(43) ︵ 耶 ︶ りにあるのは、多分偶然ではない。﹂ て た は べ の イェスの洗礼を述る 。また、まもの
た 悪しき農耕者の
直接主に帰せられ
の 始めと中間と 終 夜 が明けるとすぐであった。 ハツ ㌣㎏の T@@ 十 Ⅹ ぃぺ ・のめ
述べた 話 にある 一
関連について考察する。彼に ょ れば、 パづ ・ 毬 の ﹁神殿の
ユダヤ
、﹁裂く﹂ 臣ぃ ・㏄ 0 は 、 一つの 節 、 幕 ﹂という ルコ は 、こ 散で非常に という意味
そ た 下 り の の っ で 味 こ 々 ス で に ド
の。
呂 の落スあ
シ立た「姉はに
とヱ
の意図において、
できないという
キリスト教的意
的 意味での黙示
てみよう。 、マルコの歴史理解
まりとられなか
ドは 、それぞれ 的 判断を下している。
れたと考え、 そ
れた独特の﹁ キ
と 同じ水準まで
達 のものとなっ
﹂︵ 岸 0 二のの白目の |
す 努力であり、 は、 神の国がす ﹂れが﹁ 年 ノサ 巨昌 ( 典 ) 44
マルコの終末観
る 。ドッドの考えに
ており、黙示的説教
終末論﹂の傾向は
、
︵口目
臼 曲目
告あヨ
oq
が 可能かどうかは
凝 間である。
大的事象の﹁カレ
涯を描くにあたっ
ではないとすれば、
を 拒むものとはなり
を 失っているのでは
なかろうか。
ているが、イェス
﹁神の国は近づいているという宣告一目の意味は
、
世の終りが近いとい
ここでは、まだ
評
のままである。
ライトフットの
考
4
コソノエルマンは 原則的解決であると 的に区別されるよ う マレ ノ ︵ 4 ︶ Ⅱ リあノ 0 な一一 つ クスゼシ の見解を批判し、マルコの意図は: 彼によれば、マルコの叙述の新しざは 、未 0 組に分げられていることである。それは、 具体的プログラ 来的 出来事が 、 世の始めから ,ム ではなく、 順次に連関。 か つ ・てなかっ 終末論的問題の してはいるが原則 - たようなもので で 近づいている終末を 調子は、再臨接近の期 美的状況の示唆によっ 体の解釈には問題があ るように見える。 彼 する関心であると思われる。
ス
ゼ
ノ
の解釈であ
目下の事態のための
マルコの
えるが、
及び第十
を
見よう・
が イエスの 負い、イェるの三里
あ内重解
徒ぅょ
に ま 容 の に の っ (46) 46われた福音
榊
記者マル
しなければならない。
コの
歴史理解を問うにあたって、
我々は、 福音書記者によってイェスの説教として 述 題 そのものに入りこんでいる0
福音書記者 も 、これと同じことを意味している。﹁イ
ェ マ べ ま ス か ら ず の コ れ 前 説 を た 述 47 (47)る
。ル力に至っては
われた一つの型から
前
コの
歴史理解には、
るのではないだろうか。
形態において起る 終 ために呼び出される 防ぎ、積極的な終末 しているからである。︵ 5 8 ︶ 史的人格に結びっ ぃ りつつあるものはす 待望は前もって変えられているのである。﹂ 、もはや従来の黙 ながら、彼は、この
態
で再び採用さ
垢
げし
我
としたところに、
的
﹁しるし﹂を求めな㏄
︵㏄︶
者に焦点を合わせて
れは、ユダヤ
的
黙示
思
︵ 9 O ︶
論が
ユダヤ
的
黙示思想
ってあらわれるので
ある。
いるように見える。
︵Ⅰ ュ ︶
くことからまめがれ
きすぎであろう。
と
ビンソ
ソ
は、﹁闘争し
では組織的な
意
味
合
しとである。
﹁目をさましてい
なさい﹂という言葉を強調する。このことは、
以下と同じモティーフ
マルコの終末観
る 。 はやユダヤ 的 黙示録
てはめたのである。
の 歴史理解を示す
ハネ において見られ
エ スの黙示的説教を構成することによって、 一つの終末観を導入 を心 つマ 向 げられ さに来り 告は 、公 コン ッ 三者の相 なものと ハネの 終 開は、キ いる。 そ
ぃ ﹂に目が 終末は 、ま に関する 勧 かわる実存の緊張は 、 秘められた緊張である。 教義的な発展段階を考えることは困難である。 むしろこの
ルコ に固有
れは、教義的に未分化なものであっただ け憶 。ハウ ロ、ョ 救済史的展
あらわれて ﹂と 味 んだ方が良 い であろう。 拮 拮 , 49 (49)
た 。しかしながら、
終りを描くことによ
。福音書記者マルコ
せるものである 一 ず ﹁目をさまして﹂ ぃ
ルコ の終末観は 、こ (50) 50
マルコの終末観
6 5 4
屯り
作 外、 次
表マ点まツ
す・
こ
%
お
こ
笘ざ
口口 「(Ⅰ)0
Ⅱ へな宰且 へい%
ル ユ の目 の ト @ 0 Ⅰいヰ
臣 甘 とぎ 目 ヱ ま と51 (5 Ⅰ )
せなさぼることに対する危機の使僧である。
目口 ぺ Ⅹのの コ ・ 口目 の ︵ F. い の の づ ︵武藤一雄、 口 &wm
口宙ぺ恥
& のの 審 目オ屈の , のオ ︵︵の︵ 0 ロ 0 ぬ宮 口 のの︶︶ @ ロ・の n 一 片白 q0. の E 二日一 ゴざゴド の︵Ⅰ 0 の︵ 一 と 救済 史 Ⅴ︶ 、 ば 、﹁終末観﹂は 、 対自的な神学 ることを避け、 こ の三づ の田物を引用するにとどめる。 00 。Ⅰ 隼 ︶ 臣 ㏄ 円 。 参照。 Ⅱ しづ の目的 0 目 0 一 ︵ 9 ︶ セ ・心曲 ユ On, O 口 ・ ゑ ︵・・ 0. トの の ︵ 騰 ︶戸し 三 ︵ ヨ のロ ロ、 0 やゑ 三の・おのマルコの終末観
27 26 25 24 23 22 21 20 Ⅰ 9 18 17 Ⅰ 6
15 Ⅰ 4 13 12 1 Ⅰ 巨 あ た け
ましの
す っ っ 外目婚悪 | @@@ Ⅱ・・ @ ヴ札 ぬ ) の 達 分 用 。 類 祝 い の 王 し、 押をア 解
シュ
Ⅱ 由 0 ガ見た 説の しの がの 目
Ⅱ の l 目 ョ かな 。 婚 旨 岸ぺ Ⅰ の
ぼ た な
見
53 (53)︵ り丑 ︶ セ,づの田レ 0 ︵・ 0 口 ・ 0 目 ケ ・ ,づ ・のうの ︵㏄︶日ソ トダゴ舛 二の︶ er. o ワ 0 円三の・㏄Ⅱ め ︵㏄︶ 4. づ曲 ユ 0 ﹁・ ob. ゑ ︵・ ,ロ ・の う ∼
片片,㏄・ ト ㏄ ︵㏄︶ 4. づ笘土 0q. OQ.n ざ ・・ づ ・のうの
如才の中の の 0 ︵の ゴ ・ ズ ・牛をあⅨている。
のようなもの 捜
口の ︵・の on ゴヴ の
︵ お ︶戸い 目 ︵ 宴ミノ 0 授ゑ ニ % ヒお ︵㏄︶ 守ぎ ・・の・いめの, 田 Ⅰ 船け目ぃ 亡臣㏄の プ e ︵︵・の・ ト ㏄ ︵㏄︶の︵︵ pnF へ口ぢ 了さ 窩 F.O づ ・ ゑ ︵・・ H. の・ 擦 0
いツ円 ・Ⅰ づ ・ 釧申印 ︶ プ ののの づ ・ の
0 オメ卜 せ・ トり
の笘の︶ 0 %.u の︶ 、耳イ オ ヰノキ 由 ㌣ トび " Ⅹ ドく ・ | 曲目。 0 ゴメ c ︵Ⅹ ︵ q.r. の︵ 0 のの, ︵㏄︶ 出 ソロ。プト 臣 0 Ⅱの r. o つ ・ ゑ ︵・ ,の,の Ⅱ つ
導者。 エ ル
レ / の ・の 白印 ︶ ︵ 邱 ︶ タめ田 ︵ ヨ 岩戸・ 0 づ ・ユニ 碑 ︶の の コの 終末観
54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43
42 41 40
築 ⅠⅡ ト 円
変 ・・ も
が や の 出 ( セた
、
ピ五 十 幅り一 二 ( 日 二 フ に プのハ
負 う
ナて
十の前セ
出ロョヒ の い の Ⅹ
卜 れ
ィ Ⅰ 卜 会オ
ミ % 聖コ れ る ・ っ 宙ス Ⅰの ロト 研 は """" ノ H ■ H Ⅱ
Ⅱ
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㏄ Ⅱ 曲 田 言已 " 上 t, ヒ片 " Ⅹ
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ロロ 口ひ Ⅰ めづ ののの・ 四 た ペサ
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71 70 69 86 67 66 65 64 63 62 61
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けとなった のである。︵中川秀 恭 、 ヘ プル 番 研究、一九五七︶ ︵ れ ︶ お ・ 叫 ・Ⅱ じ仔ォ ︵︵ 00 円 ・ 0 っ ・ ゑ ︵・ ,づ ・のの ︵ 乃 ︶ 目ガ ・Ⅰ・︶ う ︵㏄︶ 力 ・ ま ・ r はゴ ︵︵ 00 ︵ , 0 っ ・ ゑ ︵・・ ゃ ・の∼
の Ⅰ 0 口 @ 0 Ⅰ ゑダ ︶彼は 、ゲト の言葉については語っていないっ
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(Ⅰ二 5,0 ( フ テ ハⅠ へ Ⅰ 4 ハⅠ
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ぎ飴 米 a 日 してい い二ヨ高訳 円る プ の リ ヨい 佳の 中 亡 Ⅱ 択 ゴユ ゴの
(58) 58
ないという節度を持
5
イソ 観念論の思想 田 @c おける主体と 超主体が 、その体系の基
。しかしとりわけ、 ﹁存在﹂︵ 紺 山口︶の
いうことがフィヒテ
の 知を超越した﹁ 絶
の 存在を目らの否定
問題である。
一
哲学の思弁的立︶
を 一つの客観として
峯
大
ける主体と超主体
説は フィヒテに対する 誤解であるとさ、 え 云っている。︵ 5 ︶ は 全ての時期にわ
︵
Ⅰ︶
l
の 単に一面的な明瞭
化 を出ないようにおもわれる。
としてとらえる。
自由を固定する不動の
もどりに
他 ならな
︵
4
︶
往 ならびに自由の概
(60) 60
ピノチ ス ムスとの著しい
位置づげられるものとな のその群来の仕方に関す。。 論の思想 田 における主体と 超主体 領域を問題にするので ぬ 講学 は 、原本的に ¥に存続する超越論
の 体系聯関の一部に
ば 、前期フィヒテは
我性 そのものを、 更 の 防止に対して意識を 年 の目汁 がト のⅡⅡ年のい目のⅠロロの︶ 学 であると語る。﹁ 存
自身の実際の発展は 、
知識学はその初期の して意識自身の此岸に 観念論そのものの性格
、意識の絶対反省の
創造的な自発性とを それ自身を﹁絶対 存
ン ・ハルトマシは
カッシラーは意識
念 をその生成的源泉
多 い ものである。
の 示した洞察的な
白 な目
己 制限によっ
在 ﹂であり、前期
知
(62)@ 62ドイツ観俳論の 思想 田 における主体と 超主体 ん あ 発 ら 的 あ 自
いしにさ在
し い る ち う Ⅰ 体 根 な 自 に 正 る え 。 ら 梓 ん 糸 水 媒 由 徒 し 御 な し で 在 との の・ 介 と 来 く 語 お か あ と し れ で (
は は う と ィ す て る が ハ 別 で
か 在 は ち 研 め さ た カ マ ベ 。 ら 概 不 の 究 に れ つ ッ ソ き そ 来 金 町 何 は 不 て た シ は で れ
と 来 あ と 点 な と な や 畑 。 活 い へ る る に こ ぅ の と か 関 と
あ 」 ( 合
が こ テ 者 ら 、 と の は 産
の 存 を の れ ふ え 釈 的 体 と 見 在 弁 も 固
く で の た 糸 で , 地 と 護 の 定 63 (63)
質
とするというの
た 存在がふたたび
自
されている。これは何を意味するのであるか。
が
﹁一切の存在の
ぃ 。﹁存在の概念が決
尊来された概念とし
り, 円め| Ⅰ " と
ヱ リングの同超越
一切の根源であると
そのものを﹁もっと
自己意識もなお﹁
説
せんとすること、
こ
﹁知の一種﹂︵の
日 e
一種﹂︵の
円コの
下呂
隼
9%
隠轄
︶でないという
テ
| せは、それ自体とし
る
変容であるという
(64) 64ドイツ観俳論の 思想 田 における主体と 超主体
能 的である。⋮⋮ 知
るか否かが、この 学 ︵ り肋 ︶
ようとするシェリン
のであり、これは 知
た手紙の中で、哲学
たが、シェリ ソグ は
が 出逢われない徹底
ている。
ぅ のは、知に対し ︵㎎︶
ある。い う までもな
れたのである。それ
式 をあらわすⅡ 口 Ⅰの で
きな問題があるのであ
解した以上の問題性
されたというごとき
還元することの出来
して、且つ﹁知の 65 (65)
の田の圧 遠人﹂ ものは ると 考 ︶と。この
毛拮と
毛色、﹁ 存 ︵ 隼 めの 四 。 ゴ 0 口 ︵ 0 ゴ隼 ⅠⅠ ゴ 的の口︶ ま 、存在と自由という二つの対立 えられるのである。 在しと﹁自由﹂との﹁合こ
が たほ ﹁融合﹂︵お
石臼 ョ匹お し 竹原理が交互に他の内部へ貫通 レョヨ 田ののの コ ︶としての﹁絶対知﹂ な テーゼに表現する。すな ね ち、が、 知の構造をフィヒテは次の簡潔 且 つ それが在る 赤 弘仁 硅衆 ﹂︵ し毬
ⅡのⅠ
プのぎ
ロココののトロの
与えることになるで あろう。
が 注目され得るので
(66) 66