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『宗教研究』188号(40巻1輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

マハーヴァスツにみられる塔崇拝, 高原信一, Stupa Worship in the Mahavastu, Shin’ichi TAKAHARA,

pp.1-20.

2,

マルコの終末観:第13章の編集史的考察, 土屋博, Marks Image of the End: A Study of Chapter 13,

Hiroshi TSUCHIYA, pp.21-58.

3,

ドイツ観念論の思想圏における主体と超主体, 大峯顕, Das Subjekt und das Übersubjekt innerhalb des

Gedankenkreises des deutschen Idealismus, Akira

ŌMINE, pp.59-80.

4,

穢のタブーと近世日本賎民秩序:宗教民俗と法民俗の接点, 荒井貢次郎, On the Taboo concerning the

Origin of the Lower People in Japan, K

ōjirō ARAI, pp.81-105.

書評

5,

古田紹欽著『日本仏教思想史の諸問題』, 田村芳朗, Yoshirō TAMURA, pp.107-112.

(2)

は 、仏陀 親 展開史の中の一つの 表 われとして とらえる 略す︶にみられ 1

って、仏塔に対する崇拝

(1 それぞれの場所に建て ろ

スツ

またはその他の聖

にみられる 塔 崇拝 序 一 "" 一 " 一 四 五 仏教思想 仏陀 観 展開の一局面としての 塔 崇拝の重要視 塔 崇拝の利益及び目的 塔の形式及び装飾 塔 供養及びそれに参加した人 初期大乗経典にみられる 塔崇 序 史は 、仏陀観を中軸として 展

拝た

開 と ち 塔志 し の 比 が拝 ナ, し と 較 み ら れ る

つ の 大 ぎ な

面 を 含 ん で, い ( るし 仏 陀 イブ し 対 す る 出 示拝 ま 叶 ヰ 仏

吉岡

原宿

マハーヴァ

スッ

にみられる

崇拝

(3)

円 モロの第二の用例とみることができる。今、

ならず、それはの日召 と 区別なしに用いら

いなければ 枝提 ︵のゑ侍せ い ︶という﹂との見方 ここに 塔 崇拝として れている。その他、 た 仏陀をさしていて、 とにする。﹁舎利︵ 迫 も﹁ 摩珂 僧祇 律ヒにみ

れらの文献で特に用いられる。この意味では、 の まモ のは 降由 せの と ︵ 4 ︶ 拝は 、そのまま仏陀 崇 て 、 MV にみられる 塔 塔 崇拝が、仏教思想史 に

論及することにす

る 。 部分を中心としなが

料 としてこれを検討してゆこう。 土餓頭 、または一般

あった 。︵ 2 ︶このような でも、仏陀がその ょぅ

とが一般に行なわれ (2)

(4)

マハーヴァ スツ

されている。仏陀 れている。

広大な良 き 功徳は 養は皆 空しからず、 果 3 (3) にみ られる

清め うコ める。﹂ ︵ 8 ︶ ︵目せ・ ヂの鍾 ・も1 % ︶などの如くである。

ト Ⅱ 11 の 0 ︶ 想 い 出す。彼らの る

崇拝の重要視

分 に結びついてい ︵ 7 ︶ ,Ⅴ 、 申ん、 + ム、。 Ⅴ

考えられるが、 Mv 別している例は見当らない。 のであって、その中

9 区別される。この 側に ついては言及して

(5)

を 私は見たことがな とがない︶。﹂︵ 目づ ・ w ㏄のの・ トの l1 トの ︶

繭を滅することは できない。﹂︵ 目ヰ,ヂ窩 9 % 1 のの 0. じ

香 、香油、食物・

菜 の 華粟 一つでも 置 ︵ プ 申せ・ 円 p. ㏄のめ・ ト 0 1ト 白 ︶ 他方、仏塔を破壊すること︵心無間罪の第五、 、正無間男︵㌔

たことの、 不 ガティ ブな 意味での 表 われとみられる。

口 薩の生れるべ き 家柄 僧伽を破壊せず、 を 抱力

、、

なし﹂ ︵ o I ︶ O ︵目せ・ 亡 い 0 ぃ ・㏄ 1. ぃト ︶

れたものではなく

柄 があげられるのに

キ じの家柄があげら れる如きである︵目 せ ・ 出 ︶のの・ N ︶。 (4)

(6)

せず ︵のお・ 燵 1お︶ 、

れる。即ち、 塔 供養する

ンミ く・円円・㏄の 丹 ・ ト 0 1ぃ ト 一ののⅡ 生の思想を背景としてい

︵ 目ペレい,

のののの1い

0

、家長、王族、バラモン、大臣、王、転輪王、

㈲人間的利益

拝 ︵そこでの寿命を︶ 成満 すれば、天界を去って 、財産ある人間となる。﹂ 二 、 塔

崇拝の利益及び目的

がもたらされると考えられている。 ︵ 目セ ・山山・ハツ 六り什 Ⅱ・ めト| び のの・ レ ︶

㈲大的利益

殿を得る。﹂︵ 目づ ・ ヂま 9 ㌫1 % ︶ となり、神々に 供 まま さとれる。﹂︵ ノ ミ ヌ曲 ・のの か ・ N 1日 レ ﹂︵ 目づ ・ ヂ 8% お ︶などの如きである。

(7)

い印 一の㏄ 肚 ・ か ︶ 、

たものとなる、

蜜の徳目に相 ものである点が注目される。

㈲さとり

的 諸々の徳目

機 として﹁ さ

﹂とを願っていることが注目される。 禅定 の如 き 当する を得る とり﹂ ︵Ⅰ八︶ ⅠⅠ

び 声をあげ

ね 、怠惰にな

旗毒 、愚痴 ︵のの 収 ・いの l1 ト ム @ のべ 膳 ・ ぃ Ⅱ l1 い ㏄︶ 0 ることな らない。 を離れる ている。 ㈱宗教倫理的徳目

して仏陀の塔に 礼

間 的利益があげられ

おの・ お|あ ︶などで

の 礼をなす人たちに っ

(8)

マハーヴァ スツ にみられる 塔 崇拝

、すぐれた第一の

に君続の礼をなす

あり、無所

なる

となる。﹂︵

旨づ

きい

に|

No

のの・

ぃ ーは

@

ののⅡ・

トの

1

Ⅱ・

いい

l1

め ㏄

@

のの㏄・

ゆ l1

輔に

住している菩薩で

閉ざされている。﹂

リリののの・

ツー

1 の︶

。ここに参照し

妻を捨てて行く。﹂

菩薩は出家者であったであろうと考えられる。

過程に、﹁仏陀に

である。

﹁勝者の塔におい

になるとする第一の

忙に遇

ことがで

は下のように多く見出される。

(7)

(9)

をなすものと見られた。

を 立てて成仏するこ とを願わせるに到っている。 嫉妬心なき人となる。諸法における無我性 と 空性とを見れば、惑わ︵

他 、目ヌ田山・ハトネリ 什 Ⅰ・ 什 Ⅵ | 第二の型の完備した 例 。訳文をあげるのは冗長にすぎるので今は省 略するが、それは、 仏 接 仏陀に遇 う ことがで しの中の願及び授記に して注目される。 尚 。﹂︵ ン下ヰ ・ 出ひ Ⅱ 0. い 0 |

る 。 、仏陀になると 確 第二の型にみられる よう に、 塔 供養 だ げに 満 足するにとどまらず、 出 生 「 の 塔 輝 に か 右 し 榛 い の 一 ネ L 侍 る に た 幸、 せ い 、 ば ヤァ、 甲 も、 ・ あ 遇、 ら ぅ、 ゆ こ、 ・ る と、 空ヒ を、 々 ぅ、 に る 、 お ( い

叩て

のの(

ロ神、

也、

竜 間 夜

な 羅 る 兼 」 人 た に ち 遇、 に っ、 ネし て、 3 手 の)) (

Hbu

・ 人 される

a=

とが

田、

片 る

彼は仏陀 p 1 1 Ⅰ P

せ ㏄ ︶ 、

(10)

ハーヴァ スツ にみられる 塔 崇拝 八九頁引用︶ 、 華 堅を手にするこ なかった。恐らく、 の 義を告げたり。 伝 大蔵経 し 第四巻

n ︾ %

さ ︶は 、 を 浸し、それで 押 御酌しるしであろう、と考えられている。 戸 にっげられた 臣レ ・口の臼︶などが 品 ︵Ⅱ ぎ ・Ⅱ・ て接 ︶の用例をみると、 を参 の呪

o か @ の、り 簡単な型の叙述もみられる。 三

、塔の形式

& び 装飾

40 Ⅰ山ガ 曲 ︶ 、 及び諸々

、現存文献から知る

主の遺骨︵ 年ォ倒 ︵ 屈 ︶ の

㏄の べ ・㏄ 1. 肚 ︶のような 9 (9)

(11)

旨ヌヱ ・の 宇 ・ ミ ︶ が

他の礼拝︵ 田モ俺 ・ し か も 年 代 か

掛 竿 0 代 な な も 充 つ 分 て 推

二る

つ こ 供 の と 養 側 は

い 特 ヰァ ヒ * 大 口 の 玉 七一 - 日 一 な ど ヤブ Ⅰ つ げ ら れ 力, し 例 で、

従って

掌の印だ

を 被わせ、 そ た 、という。 、菩提樹の ハケ など彫刻さ ︵ ︶Ⅰ 4 ム そして 又 、紀 古学的及び文献的資料から知ることができる。 も 、以前から れに水 下の 4 コ れた 例 元 前一 あった れ ら の 中、

塔の完成

更に、漢訳仏典で

どにもみられる。 そ ︵

あろう。

(12)

マハーヴァ スツ み

ら,

れこ三目」「Ⅱ

う 舎 コ の た ぎ

の で 歌 あ な り も

ィム 養 陀 し の た 塔 ピ を さ す も の と 11 (11) fc み ろ 岸 セ笛 ヴ Ⅱ が l こア Ⅱ 臣 づ笘 沐 岸 l

ヨ 片 由の ト| ヨ ㏄ こア 曲 Ⅱ のド れる 塔 崇拝 る の 仏 が 自 楽 で、

題 塔 に 供 関 養 し に て 参 力 Ⅱ 次 し の た 立 で が る 注 6 目 う

る る 。 指 摘

し も ナ - Ⅰ が そ 位 0 Ⅰ よ サ ン ヒ し

て つ 薩 " と 」 ど の と 彼 い らノ

な人 し 初 薩 生 も 尤 ・ Ⅰ

・)

て 的な とな 義 的 ち が

取 飾 り ( や行 日 え Ⅹ )・ 臣 円 オ

し噂 Ⅰ ガ

さな

ど 煉 が ; 瓦 供

倒た

) ㌔

し と ・く ノ ( の と 00 の ( こ古 Ⅰ

れ る 古 び

昔 の 種 Ⅵ 佃 ﹂ ツ ・ m* ハ の hm Ⅵー ト ハ m ム m Ⅰ ⅡⅠ︶ @ 、 ㏄ ト 1. の ㏄ 切 ︶、宝石の首

(13)

きことである。 従 あった。しかし、 演ずることからは

も出

らか

にみ

点が指摘される。 例えば、シュードラ な 表現も可能である。 能 であろうか。むし

なかろうか。 ば、 夢に托して説か

︵ 却 ︶ ﹂では、シュードラは で 参加したとしても、

れなかったのではないかと考えられる。

も 考えられる。 た あげられている ︵ 2 2 ︶ よう 六 ﹁ 不 塗師有里 戒 ﹂、 家人団した人たちにつ

信者としてのシュー (12) 12

(14)

マハーヴァ

蓄積ができた後のⅠ

スッ にみられる の が

「煩え

こ 同 9 め が れ

(強る

くと

浬 あ い 葉 ら っ

女 Ⅱ て 最 来 い 高 の て の ) 、 価 決 む 値 門 し づ な ろ け 古 塔 を

して

物に 崇拝 な さ い

し起

て越

肩 し し に て か 荷 い し ぅ る な と 面 が こ

らみ、

がら

、後

如来,

| えま を 者 肩 で, ヰノ し 荷 ま、 サ て 経 し Ⅹ 典 る 尊 重 も そ し の @ よ 十ま あノ 法 な 尊 薫笘 重

供養によってさとり

こ て る

㍉ 法 さ

とがれ

のか

M

Ⅲ と き 華 り 参 る V が た 如 よ

ら ぅ がこ 6 9 た い 華 れ

に お い

とれって

るた

軽 ヒ * 末 Ⅰ て く 。 も 塔 と 旦士

のこの供の

がれで

養比

五、

下拝 ヰブ Ⅰ 生 辰 に あ を 較

は た 初 対 っ 通 期 出

そ さ

菩薩 と ナ, Ⅰ

ち 段 ら の が 比 参

力 n し て

い ナ - ヒ

はい

る と 共 ヤァ ヒヰ 以 上

の び の よ

告ノ ヰブし Ⅹ

在 俗 の 信 者 ナ、 し

ち が め な を れ も 参

し て で が て る に い き " " も と ナ, L

(15)

若 波羅蜜を書 き、そ するのと比較すると ら 仏身乃至 般泥 直後の 蜜 との両者が与え ろ を取るといわ 抽る ︵ 5 ︶ 。 こ 或いは 法 尊重へとい

真繍

一般に、仏像が始

としても、

MV

はそのような記述は

な形式の布施がみ

い、などの相異点も指摘される。

印 般若経

L

との比較

由利

供養について

のであろうかと考え ろ

︵紀元前一世紀末頃︶ ︵ 2 6 ︶ とされる。

(16)

しめているものと考えられる。

6% こ めであると述べ 。 ︵ 4 4 ︶ 、 ている。 ︵ く Ⅰ︶

のも、 塔 崇拝と経典尊重 Ⅰ レ ︶ ぬ 来の滅後、経蔵を結集 り 、又、如来の像を造っ ﹁般若経 ヒ における如き、 塔 崇拝

㈹華厳経との対比

ばみ

とめら掠めが。

る ﹂とみる点に 、 よう。︵ 6 3 ︶ 威 神に護られ

しここに入れば が皆 礼し恭敬 ︵ W ︶ ぅ 付加的説明が ﹁菩提心こそ 塔 る ﹂とする主張と相 ぃ 通ずるものである。 節 で み し そ て の あ ら 護 の ぃ 般 「

(17)

究ヒ 第四、七一頁参照。

づ ・ 肚肚巾 ,鼻白 卍 ︶ 帝 ︵八 % Ⅰ ぎ笘オ Ⅱ曲っ︶・ レト ︵呂のぺ ガ燵任のダ Ⅰ り隼由 nM Ⅰ曲っ︶・の神 0 へ 、 ユ から ぎ

は 、﹁般若波羅蜜しを ろを異にしながらも、 的 特徴を示している。 来経典出現以前の段 た 。それは、やがて るに至ったとはいえ、 無視できない重要なものの一つであったとい ぅ ことができよう d は、 自ら世間の の塔 たらしめ、

にしょう

と念ぜられてい

。かくして、塔は、一切︵

9 祖 ︶

そして、究極的には、一切衆生をして第一 て べ を

は は を し 、 後 起 に 昔 者 こ お 愉 の し け 約 百 て る に 介 供 待 、 十 菱 色 菩 提

、 、

分 の ,む 、 一 塔 と

犬 皮 に げ ば 如 人

な 来 菩

像 の

間 、 な す あ

つ 且 苦 れ 心 般 提 仏 の 浬 心 で 菩 薬 さ あ 薩 の お る の 後 こ か 功 し ら 徳 無 た と と 彙 苦 め を の 睦 べ 比 . 宝 (16) 16

(18)

ある︵ ヱゅ甘 二︶ 仏 Ⅳ

る 。﹂ 金 マハ 吉日照 択 ﹁悟りへの道 L 祝文引用。 ァスツ にみられる 塔 崇拝

と 共に 、へ 、ゑ % か

やい い 申の勾・で

でら 0 せの 圧白 Ⅰ 一

れた、規定通

いては、傾に

のを想って い るものである。

ず 出している。

ぱ 、これに語源的に相当するとみて よ いであろう。 ︵ 4 ︶ 0 ︵・ しわ の: せ 0 に 出 二つのひの二の ロレ ︵ 円 べやⅠ

二 0 二頁では﹁ 迅

されている。

拝され⋮⋮﹂

・ プおダ韓二 づ ・村中づ・㌃ゆめ・ , 0% 。 ︵ 6 ︶ し勾め ・ ロヴ宕

ヨ 牛の宮口 三 Fo. ﹁ 世

る 王となる﹂

に 用いられた

る 。︵ ミヌソ の ㏄ H. ト ㏄・の圧の・︶

(19)

ⅠⅩ 隠俺 ㌧口沫 討 o, e 良

とするり

20 19

Ⅰ 8 Ⅰ 7 16

( ⅠⅠⅠⅠⅠ ニ ( ノ斗 ( ⅠⅠ 3 ⅠⅠ Ⅰ きじ し の 貰 れ % 肝 : U 尤 - @ ぶ ㌣㈲。 や ァ て ヂ ・ ィ ぃ二

シる二

ャ o / Ⅹ

ヰ ノロ

,の 圧ト 0 ㌃ " "

のき 色 P a l 「 娑

説 おで を薄 あ ・ Ⅰ ; ⅠⅠ け や バ て

乙う メ

) 頁 向 を

" % ∼ 0 仕 モ 他

路型干

黒と

如 ぎ

白す

" る 用 ク バ

例 ︵Ⅱ︶ 四 技法文・ まほミ ・ 0 め肚 ーのめの

悪道。⋮⋮反逆

父む

ことがみられる。

(20)

マハーヴァ ス Wc みられる 塔 崇拝

36 35

34 33 32 30 29

(ⅠⅠ(

イ Ⅰ

90

り乙り乙 ( ム廿 イ 9 ( 9 く Ⅰ 乙 ( アサ り丹 (ⅠⅠ リア Ⅰ

波光

ィム 下さ 0 年

ス ハぬ ノ Q 沖 l

異常

わ M れ V

切論

(㍉印仏所 曲ドの 由マ ヨ

の の 五 一 ) ら 口 Ⅰ

れるが、参照。

頁 内 参 容

的 照 。 反 省 4 曲 つ @0

Ⅰの

・ Q 時 ヨの 自 充 分 明

立 蕾 ら Ⅱ 曲

年 い れ

像君な

・ 翠好 代 拐売

如波 甘堵身

を ゴ賈 コ l 19 (19)

(21)

﹁大正

L 十

・ セ五

bl

セ七

a など

害照

︵ ぬ

︶日大正

b 九・六四四

a@

大正

b 十

・二九

Ob

︵ め

︶同大正

L 九・五一四

b u

実正

b 十

・一五

OC

の ︶ p wo

マが

の ヤ笘

︶ @

Oc

︵ め

︶㍉大正

b 九・五一四。同大正

ヒ十

・一五一

a

︵ 辞

︶五大正

L

八・四三一

cl

四玉

a

︵㏄︶っ大正ヒ

ハセ三

b

波羅蜜によって

、恥

依所

⋮⋮

とな

四三八

a

(22)

マルコの終末観

論 - 。

た 反論も見ずに今日

︵Ⅰ ユ ︶

のであって

、 彼の元

ヴァイツ,

一は、周

説を

﹁一つの卓越し

であり、

イヱス

の 黙

︵ 2 ︶

いてとり入れられている。

新約

単 における﹁

もなって、この箇所

21 (21)

マルコの終末

第十二一章の編集史的考察

(23)

﹁編集 史 ﹂は、﹁ 様 者達は、それぞれ 個 コの 思想の解明にあ 終末観を導入したと イェスの歴史に突 き 望んでいるのであ る 。﹂ 術 によって 、 我々が イ とが明白になるとい るかを認めるのであ あるが、ここで消極 近代的歴史家の関心

べている。﹁ イヱス の

出すことがむずかし

福音書記者は、確か なく、ある意図をも って編集を行っているのである。 しょうとする試み (22) 22

(24)

マルコの終末観

定説﹂︵曲のの 目 ︵の 耳ぎ

れる 小 黙示録の再 構

細 な点において異なっているが、テイラーは 、 ヴェソト 、ヴァイ ブ | マンのリストを 比

燵| まをとり出し、これが最も根源的な ものであろうと推測し は 、すべてユダヤ 的 黙示録の言葉であ

。 ︵ 几廿 ︶

ではない。 例え

格言集団から構成さ

述べるよ う に、テイ

しても、黙示録の断 23 (23)

第一車釈義上の諸問題

第十三章の基礎に

の 終末観﹂とした。

ある学者の見解を な 行 う 。それに ょっ

い っ っ 論を進めるこ なるであろう。

(25)

めているとしても、 っていると考えられ る 。

ティラーに よ れ

能 性が強い。ティラ

いう名詞のくり返し

ばしい

0

ヨセフスに

︵ け廿 ︶

ガリラヤの弟子の立 エ スの言葉とされたも ロガ ⅩⅩヂ白Ⅱ

だろうという預言 である。 qQw 榊 boo という状況設定は ゼルコ によると 思 われる。マタイは こ だけがパレスチナ的伝 考 片 ぇ 釈 が

6

表 才 も言 か を 入 と な さ か す れ う に て 間 あ い 題 た る と っ こ 関

連、

てと

で, ぎ

る福音書」ないと思われここでは、

に よ

あノ 問 題 十ま 編 集 の 方 法 を 女口 何 ヰナ し (24) 24

(26)

マルコの終末観

セ ・㏄Ⅱ・

いうよ

ことは ︵ 1 g ︶

ている。 あ ぅ 目 の, うう 性 が強い。

瞬間に宮の建物の入 ︵ l 8 ︶

﹂のような事実から 考

ⅩⅩ 守 ・ ダトガ ⅩⅩ㌣Ⅱ

。また、用語の上 でも、ル力はかなり異なっている。 果してそれは、 ィヱ 在の華麗さとそれを ︵ 5 ︶ 目 すべきである。 こ 首肯 L ぅる 。実際に の 破壊についての 預 ス によって語られたということまで おびやかす没落との対比を中核とす れを﹁事後預言﹂︵ va ︵ 山 。 ゴ 山口目 のメ 言は 、すでに旧約預言者達にも見ら をも十分に立証し ぅ る 物語の一典型を思 の善 巨 ︶とみなす 十 それについては、 ︵ W Ⅱ︶ れた。 るであろうか。むし い起させるという ブ 分 な理由はないとい 説話は何もふれて ぃ ろ 、この説話が 、現 ルトマ ソ の見解を注 ラ テイラーの意見は 、ないからである。 宮 25 (25)

(27)

地 震、 飢 ぎ ん 十 上天体が揺 ケ 動かされること のヰ めド ーのの

ストにせ預言者 ⅡⅡ ぽ Ⅰ す 丁日と月が暗くなること 戦争と戦争の うわさ 敵対する民と国 十手 星 が落ちること している。 四節の問いの 同じであるが、 る 。即ち、マル 化し、イェスの ㈹詐欺者、 ティラーは 、 に 価する見解で も 大体 てい 一般 いる。 ㏄ 1. いト 考慮 ある。

即ち、マルコに

タイは、この言葉を

状況を全く開放的に

(26) 26

(28)

られたかも知れない。

史実と一致する

しも﹁事後預言﹂と

Ⅰ ガ

ⅩⅩ

・のⅡの写本の

との関係を考慮するこ

る 。ある。このように、七節、

︵ 諺

27 (27)

によって多少変え

予期されていたと考えられる。

にせ

メシアがいつも

ざへ駄笘

S@q ものと

ア酌

または

準 メシ

﹁終末論的完成者﹂

革命論者であった

︵ ぬ ︶

︵ 鍋 ︶

︵ 60 ︶

(29)

コ の手が加わっていると思われる。 容 的にもまた 甘飛ド れている言葉から考え 言葉を省いており、 お 、マルコにおける の 記述が参照され ば げればならない。 全く異なった表現を

スト教団の見解の反

されたものである

リッパ一世︵ 巨 。ⅩⅩ づ ・ ︵ 縫 ︶ し 、他方、この箇所に は 有力である。 キオ ・ フ コスト 入会

者や Ⅹ∼ ぃ ・ ト ド h. ︶ ヰ ob ゴ 0 ︶に分かれ、ぞの中に四つの行を持ち、 それらが い 0. コヴ 容から見て 、 後の挿入 ある分析である。 (28) 28

(30)

、ゑ

・の

H.

ぉギ

トド

、異教の祭壇を播

たこの句は

、レ

・ し

。この試みは、シリ

げればならないとして、

成立が

︶︵

Ⅰ︶ノナ く レ

・ ロ

0 宇

@

べ 0

人物をさす。

p

マイヤ

はっきりしない。

吹と見るべぎであろう。

黙示的期待に従っていることは認めて

桟ぷ 。︵ 9

十三節の前半が教団に

る附加であることは、

広く受け入れられている。後半の﹁最後まで

書記者マルコによるものであろう。ル力は

簿

おという表現は用いていない。

︵ⅩⅩⅠ

・い午

㏄ N.

︵Ⅰ

Ⅹが㌃㏄

%

めにして、すべてユダヤ

黙示録の断片の挿

]

は、断定に対して

侠重

で転

め狂

の 迫害の間の状態を反 耐え忍ぶ者は救われ 而 ⅠⅡも 駄 ⅡもたうⅠも 箔セ もて ︵ 即 ︶ 入 と考えるが、テイラ

(31)

らない。

が選民のために

Ⅱ︵

qm

駄も巾

ウり

と L

われるスタイルである

、やはりここには黙示

、一部は

別の文

エルサレムについ

ての預言として整理されている。

街を去り、ペレ ことはむずかしい。

迅 ⅡⅡ︵沫の丈も㏄ちも

使

eq

へり

飛守

Ⅱ せ

のといいかえている。

ている。 音書記者

力に

る通用と見るべきであろう。 らしし これは、 福 ︵ オセ ・の ゴ の 笘 ︶

用いられた黙示録 0

脈 では、もっと一般

と 考えられる。 ルカ

(32)

マルコの終末観

戦士

に い

べ い う 十 も た で う わ 七

約 の た し 等 ト の し め は の 教

思る慌

想 し

大上に

地的

で が 保 ぃ 的 編

ダ ヤ

あノ

3 Ⅰ (3 Ⅰ ) 十四節の連 構 0 と二十一節の苦ぎを除いて、 すべて 三 吏 もの目のⅡの

ろ う 。 た 申ん サムマ @V 。

∼の h. 目侍 パソ いつ ・母の | ㏄ H, ︵Ⅰ 岸 ⅩⅩ ぃ ・や㎏㏄︶ 人称で語ら という言葉 だし、この

﹂の節は

られて け 0 ︶ つ、木わセ い い ・㏄㏄︶ 述べた。彼に よ れ が 附加されている る 。二十一節、二十 はっきりしない。

(33)

二次的であることは、

たわけである。

三十節は、預言され

んなことが起るのでし

描かれた出来事すべて

、福音書記者の文脈の中で、意味を賦与され てはまると思われる。

ぎこちない適用が

ては、この解釈はあ

・いの

いの︶Ⅰ 片 ⅩⅩ ぃ ・

1日︵の か1 のの︶ ブルトマンによれ はならないのである。︵ 5 5 ︶ めの q 駄文もり セ 汰ものⅡのⅠ 申セ の 終末論理解にもと ず という推測も成り立つ。 ㈹・ 替戎 についての説話とたとえ ゆ 人 マ が の タ め 子

平 た 的 行 反 想 記 辞 源 事 」 を

ら ス と の ら

れ 昧 ・ ヒ 青葉 の (32) 32

(34)

四二年︶の名著

﹂第十三章のうち、この

と共に理解さる

ぎこ

とを主張している。

、二十三節と同じく、

33 (33)

﹂の言葉は種々の論争

捧 な し り も セ 正 と いうことに関しては、必ずしも明らかでない。 イェスの言葉の真 ︵㏄︶ 三十二節から三十 のような巨視的見方 んでいるが、やはり粗雑といえ よう 。

ちとい タ 言葉は キ

いる 0 条件のっか らかである。︵ 6 0 ︶ しか 稀である。︵ Oh. Ⅰ ガ コ でも、 ooq ル &c

節及び三十一節は後

十一節は、天地が滅

うい う 意味をもつか

(35)

側 妻 し る め 第

よ も た 前

み議

は き 極 も 検 ブ な り め の 計 ル 伝

と ろ

、 えとこ

なれ

史 れ っ 以 承 p 実 た た 上 皮 @ に ね 。 論 的 マ 口 げ ィ を 分 々 な で ェ 進 折 ヤ と は ス め が l め な の る 考 等 て い 純 こ 察 の 前 。 粋 と の 研

に運

て延

え即

ち、

=

か せ に

持 し て が れ が

ら さ れ る 文 七 わ れ て と 脈 節 ね た い い の ま て も る ぅ 中 で い の 。 モ へ の る と こ テ お 箇

思え

とい

・の 二 l ィ 9

この

所 わ る つ フ ま 平 ね 。 の は れ 行 る そ た 、 て 記 。 れ と て い 事

て い は 中 タ

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(に

ヒ /L ァ の に

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置 か 力

冥き

@

沖ヰ P 目

めら

明ら 時 に のた

o

も か か 臨 と 8 れ

めてせ で bm 守 0 し セ は 、

からである。︵㏄︶

9 コ 0 口口 0 Ⅰ的付 臣あ 0 オの

(36)

ルコ

の編集方法に関する諸問題が扱われ、第一

一に、マタイルカ

らに第三に、これを

あノ

、編集の方法

マソ

明らかに

。彼は、各所で問

題を問いのままで残し、編集方法に関しては、

限界をふまえたやり

のことがせいぜい推測に

程に関心を

せる。

35 (35) る 。 て 、この章の課題は 、

ルコ

の福音理解を思想的にさぐることであ

つことになる。従っ

しろそれを積極的に受け入れることによって 、

釈し 、 マルコの福音

事実を認識し

、む

には重点をおか

に関するマルコの宣教として見る見方である。

即ち

我々は、史的

(37)

し 屈曲︶田の︵ い c ヴ, 目の 0 イツハト︵ハ ツ目 ハ ツ林几田 0pp ( 上 ) 二つ ゴ の サ のの pn つい 片片 の Ⅰ 臣 仮説に反論する。 ばれえない。何故 欠けているから である。 よ う にみえる。 マ あるとして。これを次のように分ける。 らの存在する集団を 的に間われねばな 四期 と捕 四 % 後の ュ の 定義は

必ずしも ︶と﹁二次的特徴﹂

この説話の言語的特

独特な仕方で史実的

(38)

マルコの終末観

( )

A

D ) ( C ) ( B 螢 荒 道 再 成 ら 寄 臨 に す に に つ 僧 つ 先 か む い 立 て べ て っ の き の し 説 も 説 る 話 の 話 し と ( ( (

めの,

1 ぽ Ⅰ ム Ⅰ ⅡⅠ もつ

べ ) ㈲のの 0 。 臣倖 の 屯 Ⅰの曲目Ⅰのの レ 三日 些 Ⅰ 毛 0 のの ゴ ・ レの吋 Ⅱ 笘 p p 臣曲屈 の 局 。のの れる。確かに﹁ マ

ね 、義と不義との 対 完全にそなわって い ののいくつかがそな いように思われる。

の 正当性をもって

げていたという主張

いるとはいえない。

の 教会がキリスト

の 普通の用語、文体

説話群を推定する。 37

(37)

(39)

をさぐる必要があ

ことができると同時

逆に、マルコの特性を推量することができる。 しかし、これは、 と

自身が手を加えたと 二 、編集の意図

り、 次に、マルコ

配する観念﹂として 深く問 う ことである。

ざるをえないのであ

しほとどまるのが良心的 ︵ 6 8 ︶ であると思われる。

待 のうちで イヱス

った 。しかし、この

して、多くの点で 疑

おり、純粋な預言 8

て A を展開し 、 ・一定 3

と C をその中へ挿入 G ︵ 6 7 ︶

(40)

マルコの終末観 ナ, Ⅰ と ノン ノン ま ル ノン ノン マ

(5)

で任

)

)

(3)

(2)

ず 舌 ゾコ べ の そ

プ 達 オ も て 柑 れ の い @ の の 進 だ 終 は プ と 民 」 り あ 山 し イァ ヒ マ 」 る 不、 Ⅴ ヰ P し て 光 宣 べ の前

) ア ソ 六 次 タ色二こ を の

ィは

伝え ん デ な 」

よう

あす が , ノン な相 が

マタ

と 、 違

イ カ 点 らな

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|ま|

明 い と 」 ナ ・ Ⅰ - ら @ か と 」 イ尹 ヒ す

な る

であ

ち」

る る が 、 る よ / Ⅰ ノ ノン 仮ノ カ は サま れ

る を 人 省 き 、 Ⅰ口ヰ 刈ノ 」 マ マ イ 丹ま イ 月 Ⅰ は の 「 文 あ 脈 な 39 (39)

コ 9 為したことがわ

形をも意味するので との関連で問題にす

、福音書の文献的 構 成を見ることからはじめなければならない。

ル力の平行記事

(41)

㈹忍耐についての言葉の相違

って自分の魂をか ち 取るであろう﹂。

所に立つ﹂、マタイは﹁預言者 ダ ニコルによっ ていわれた荒らす

ヱ ルサレムが軍隊に包囲される﹂。 ㈲いちじくの木のたとえの相違

は ﹁人の子が戸口 ﹂ ㈹構成上の相違︵移動、附加、省略︶ 料 ︵客中 が Ⅹ 田ヰ ・ い 11 の

別の記述︵Ⅹ 巳せ ・㏄ べ|

挿入した。 Ⅹ 乙 ・㌣1 3 ︶に 代 える。 ㈹弁明を助けるものの相違

あって語る父の霊﹂ル力は﹁言葉と知恵﹂。 で ﹁御国の福音﹂として述べている。 40

(42)

殊 化されている。 る

しょうとする動機が働い ことも、これとあわせて 考 (41 えられなければならない ない。ただ一節の ものである可能性が強い。 徴を示す用語と考 ミセ は 、 ﹁マルコに よ 特にぎ・ ト 1ぃ㎏ 0 との 関連で注目されねばならない。 思

行 れ を ようになる。 ま は っ こ わ と め 関 心 て い に る と れ る と、

をょ

せ 「 を を 次 て 荒 い 説 の い ら だ 明

(43)

問 特に ペ テロのつまず き 辻出・ 趙 ・ 田 丁丁ゲッセマネの光景 パ 山山 ぃ ・ 鯛 下中受難の前夜の諸事件

く 頃、祭司辰 た

フト に渡したのは 虚 することを指摘する。 発見し、この問題 ︵ れ ︶ よう に受難物語に対

終結部において

していること﹂が要求されている。

かし、そもそも

加えたければならない。

e お 、 部

憶ギ釜

ノン イ

円かさ

ト 結 簗 0 部.) (42) 42

(44)

て 頂点に達する イェ

語で

クライマックスに

げられることによって

難物語との緊密な対応を

(43) ︵ 耶 ︶ りにあるのは、多分偶然ではない。﹂ て た は べ の イェスの洗礼を述

る 。また、まもの

た 悪しき農耕者の

直接主に帰せられ

の 始めと中間と 終 夜 が明けるとすぐであった。 ハツ ㌣㎏の T@@ 十 Ⅹ ぃぺ ・のめ

述べた 話 にある 一

関連について考察する。彼に ょ れば、 パづ ・ 毬 の ﹁神殿の

ユダヤ

、﹁裂く﹂ 臣ぃ ・㏄ 0 は 、 一つの 節 、 幕 ﹂という ルコ は 、こ 散で非常に という意味

(45)

そ た 下 り の の っ で 味 こ 々 ス で に ド

の。

呂 の

落スあ

立た「姉はに

とヱ

意図において、

できないという

キリスト教的意

的 意味での黙示

てみよう。 、マルコの歴史理解

まりとられなか

ドは 、それぞれ 的 判断を下している。

れたと考え、 そ

れた独特の﹁ キ

と 同じ水準まで

達 のものとなっ

﹂︵ 岸 0 二のの白目の |

す 努力であり、 は、 神の国がす ﹂れが﹁ 年 ノサ 巨昌 ( 典 ) 44

(46)

マルコの終末観

る 。ドッドの考えに

ており、黙示的説教

終末論﹂の傾向は

︵口目

臼 曲目

告あヨ

oq

が 可能かどうかは

凝 間である。

大的事象の﹁カレ

涯を描くにあたっ

ではないとすれば、

を 拒むものとはなり

を 失っているのでは

なかろうか。

ているが、イェス

﹁神の国は近づいているという宣告一目の意味は

世の終りが近いとい

ここでは、まだ

のままである。

ライトフットの

4

(47)

コソノエルマンは 原則的解決であると 的に区別されるよ う マレ ノ ︵ 4 ︶ Ⅱ リあノ 0 な一一 つ クスゼシ の見解を批判し、マルコの意図は: 彼によれば、マルコの叙述の新しざは 、未 0 組に分げられていることである。それは、 具体的プログラ 来的 出来事が 、 世の始めから ,ム ではなく、 順次に連関。 か つ ・てなかっ 終末論的問題の してはいるが原則 - たようなもので で 近づいている終末を 調子は、再臨接近の期 美的状況の示唆によっ 体の解釈には問題があ るように見える。 彼 する関心であると思われる。

の解釈であ

目下の事態のための

マルコの

えるが、

及び第十

見よう・

が イエスの 負い、イェ

るの三里

内重解

ぅょ

に ま 容 の に の っ (46) 46

(48)

われた福音

記者マル

しなければならない。

コの

歴史理解を問うにあたって

我々は、 福音書記者によってイェスの説教として 述 題 そのものに入りこんでいる

0

福音書記者 も 、これと同じことを意味している。﹁

ェ マ べ ま ス か ら ず の コ れ 前 説 を た 述 47 (47)

。ル力に至っては

われた一つの型から

コの

歴史理解には、

るのではないだろうか。

形態において起る 終 ために呼び出される 防ぎ、積極的な終末 しているからである。︵ 5 8 ︶ 史的人格に結びっ ぃ りつつあるものはす 待望は前もって変えられているのである。﹂ 、もはや従来の黙 ながら、彼は、この

(49)

で再び採用さ

げし

としたところに、

﹁しるし﹂を求めな㏄

︵㏄︶

者に焦点を合わせて

れは、ユダヤ

黙示

︵ 9 O ︶

論が

ユダヤ

黙示思想

ってあらわれるので

ある。

いるように見える。

︵Ⅰ ュ ︶

くことからまめがれ

きすぎであろう。

ビンソ

は、﹁闘争し

では組織的な

しとである。

﹁目をさましてい

なさい﹂という言葉を強調する。このことは、

以下と同じモティーフ

(50)

マルコの終末観

る 。 はやユダヤ 的 黙示録

てはめたのである。

の 歴史理解を示す

ハネ において見られ

エ スの黙示的説教を構成することによって、 一つの終末観を導入 を心 つマ 向 げられ さに来り 告は 、公 コン ッ 三者の相 なものと ハネの 終 開は、キ いる。 そ

ぃ ﹂に目が 終末は 、ま に関する 勧 かわる実存の緊張は 、 秘められた緊張である。 教義的な発展段階を考えることは困難である。 むしろこの

ルコ に固有

れは、教義的に未分化なものであっただ け憶 。ハウ ロ、ョ 救済史的展

あらわれて ﹂と 味 んだ方が良 い であろう。 拮 拮 , 49 (49)

(51)

た 。しかしながら、

終りを描くことによ

。福音書記者マルコ

せるものである 一 ず ﹁目をさまして﹂ ぃ

ルコ の終末観は 、こ (50) 50

(52)

マルコの終末観

6 5 4

屯り

作 外、 次

表マ点まツ

%

笘ざ

口口 「(Ⅰ)

0

Ⅱ へな宰且 へい

%

ル ユ の目 の ト @ 0 Ⅰ

いヰ

臣 甘 とぎ 目 ヱ ま と

51 (5 Ⅰ )

せなさぼることに対する危機の使僧である。

(53)

目口 ぺ Ⅹのの コ ・ 口目 の ︵ F. い の の づ ︵武藤一雄、 口 &wm

口宙ぺ恥

& のの 審 目オ屈の , のオ ︵︵の︵ 0 ロ 0 ぬ宮 口 のの︶︶ @ ロ・の n 一 片白 q0. の E 二日一 ゴざゴド の︵Ⅰ 0 の︵ 一 と 救済 史 Ⅴ︶ 、 ば 、﹁終末観﹂は 、 対自的な神学 ることを避け、 こ の三づ の田物を引用するにとどめる。 00 。Ⅰ 隼 ︶ 臣 ㏄ 円 。 参照。 Ⅱ しづ の目的 0 目 0 一 ︵ 9 ︶ セ ・心曲 ユ On, O 口 ・ ゑ ︵・・ 0. トの の ︵ 騰 ︶戸し 三 ︵ ヨ のロ ロ、 0 やゑ 三の・おの

(54)

マルコの終末観

27 26 25 24 23 22 21 20 Ⅰ 9 18 17 Ⅰ 6

15 Ⅰ 4 13 12 1 Ⅰ 巨 あ た け

ましの

す っ っ 外

目婚悪 | @@@ Ⅱ・・ @ ヴ札 ぬ ) の 達 分 用 。 類 祝 い の 王 し、 押をア

シュ

Ⅱ 由 0 ガ見た 説

の しの がの 目

Ⅱ の l 目 ョ かな 。 婚 旨 岸ぺ Ⅰ の

ぼ た な

53 (53)

(55)

︵ り丑 ︶ セ,づの田レ 0 ︵・ 0 口 ・ 0 目 ケ ・ ,づ ・のうの ︵㏄︶日ソ トダゴ舛 二の︶ er. o ワ 0 円三の・㏄Ⅱ め ︵㏄︶ 4. づ曲 ユ 0 ﹁・ ob. ゑ ︵・ ,ロ ・の う ∼

片片,㏄・ ト ㏄ ︵㏄︶ 4. づ笘土 0q. OQ.n ざ ・・ づ ・のうの

如才の中の の 0 ︵の ゴ ・ ズ ・牛をあⅨている。

のようなもの 捜

口の ︵・の on ゴヴ の

︶戸い 目 ︵ 宴ミノ 0 授ゑ ニ % ヒお ︵㏄︶ 守ぎ ・・の・いめの, 田 Ⅰ 船け目ぃ 亡臣㏄の プ e ︵︵・の・ ト ㏄ ︵㏄︶の︵︵ pnF へ口ぢ 了さ 窩 F.O づ ・ ゑ ︵・・ H. の・ 擦 0

いツ円 ・Ⅰ づ ・ 釧申印 ︶ プ ののの づ ・ の

0 オメ卜 せ・ トり

の笘の︶ 0 %.u の︶ 、耳イ オ ヰノキ 由 ㌣ トび " Ⅹ ドく ・ | 曲目。 0 ゴメ c ︵Ⅹ ︵ q.r. の︵ 0 のの, ︵㏄︶ 出 ソロ。プト 臣 0 Ⅱの r. o つ ・ ゑ ︵・ ,の,の Ⅱ つ

導者。 エ ル

(56)

レ / の ・の 白印 ︶ ︵ 邱 ︶ タめ田 ︵ ヨ 岩戸・ 0 づ ・ユニ 碑 ︶の の コの 終末観

54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43

42 41 40

築 ⅠⅡ ト 円

変 ・・ も

が や の 出 ( セた

ピ五 十 幅り

一 二 ( 日 二 フ に プのハ

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ひ Ⅰ めづ ののの・ 四 た ペサ

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ガ - ら の Ⅱ コ 負 す

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(55)

(57)

71 70 69 86 67 66 65 64 63 62 61

60 59 58 57 56

ぃひ 而 。 も で つ

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分 く (56) 58

(58)

マルコの終末観

83 82 81

80 79 78

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こつ " % 超 か 57 (57)

ト Ⅰ 由日卜 せの -

ト き・の プ旨 0 三 ︵ ,

円,レの のⅡ︶

けとなった のである。︵中川秀 恭 、 ヘ プル 番 研究、一九五七︶ ︵ れ ︶ お ・ 叫 ・Ⅱ じ仔ォ ︵︵ 00 円 ・ 0 っ ・ ゑ ︵・ ,づ ・のの ︵ 乃 ︶ 目ガ ・Ⅰ・︶ う ︵㏄︶ 力 ・ ま ・ r はゴ ︵︵ 00 ︵ , 0 っ ・ ゑ ︵・・ ゃ ・の∼

の Ⅰ 0 口 @ 0 Ⅰ ゑダ ︶彼は 、ゲト の言葉については語っていないっ

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受難の秘密で

(59)

(Ⅰ二 5,0 ( フ テ ハⅠ へ Ⅰ 4 ハⅠ

0000 り Ⅰ ( 6

90 89 88

85 84

ぎ長う

ト . 観 ・いの O

ざる孝至臨い

げつ

目 でで 教 るに 年し コ

p 31 日 を一 由 臣お P 肛

3%

@

ぎ飴 米 a 日 してい い二ヨ

高訳 円る プ の リ ヨい 佳の 中 亡 Ⅱ 択 ゴユ ゴの

(58) 58

(60)

ないという節度を持

5

イソ 観念論の思想 田 @c おける主体と 超主体

が 、その体系の基

。しかしとりわけ、 ﹁存在﹂︵ 紺 山口︶の

いうことがフィヒテ

の 知を超越した﹁ 絶

の 存在を目らの否定

問題である。

哲学の思弁的立︶

を 一つの客観として

ける主体と超主体

(61)

説は フィヒテに対する 誤解であるとさ、 え 云っている。︵ 5 ︶ は 全ての時期にわ

Ⅰ︶

l

の 単に一面的な明瞭

化 を出ないようにおもわれる。

としてとらえる。

自由を固定する不動の

もどりに

他 ならな

4

往 ならびに自由の概

(60) 60

(62)

ピノチ ス ムスとの著しい

位置づげられるものとな のその群来の仕方に関す。。 論の思想 田 における主体と 超主体 領域を問題にするので ぬ 講学 は 、原本的に ¥に存続する超越論

の 体系聯関の一部に

ば 、前期フィヒテは

我性 そのものを、 更 の 防止に対して意識を 年 の目汁 がト のⅡⅡ年のい目のⅠロロの︶ 学 であると語る。﹁ 存

自身の実際の発展は 、

知識学はその初期の して意識自身の此岸に 観念論そのものの性格

、意識の絶対反省の

(63)

創造的な自発性とを それ自身を﹁絶対 存

ン ・ハルトマシは

カッシラーは意識

念 をその生成的源泉

多 い ものである。

の 示した洞察的な

白 な目

己 制限によっ

在 ﹂であり、前期

(62)@ 62

(64)

ドイツ観俳論の 思想 田 における主体と 超主体 ん あ 発 ら 的 あ 自

いしにさ在

し い る ち う Ⅰ 体 根 な 自 に 正 る え 。 ら 梓 ん 糸 水 媒 由 徒 し 御 な し で 在 と

の の・ 介 と 来 く 語 お か あ と し れ で (

は は う と ィ す て る が ハ 別 で

か 在 は ち 研 め さ た カ マ ベ 。 ら 概 不 の 究 に れ つ ッ ソ き そ 来 金 町 何 は 不 て た シ は で れ

と 来 あ と 点 な と な や 畑 。 活 い へ る る に こ ぅ の と か 関 と

あ 」 ( 合

が こ テ 者 ら 、 と の は 産

の 存 を の れ ふ え 釈 的 体 と 見 在 弁 も 固

く で の た 糸 で , 地 と 護 の 定 63 (63)

(65)

とするというの

た 存在がふたたび

されている。これは何を意味するのであるか。

﹁一切の存在の

ぃ 。﹁存在の概念が決

尊来された概念とし

り, 円め| Ⅰ " と

ヱ リングの同超越

一切の根源であると

そのものを﹁もっと

自己意識もなお﹁

せんとすること、

﹁知の一種﹂︵の

日 e

一種﹂︵の

円コの

下呂

9%

隠轄

︶でないという

| せは、それ自体とし

変容であるという

(64) 64

(66)

ドイツ観俳論の 思想 田 における主体と 超主体

能 的である。⋮⋮ 知

るか否かが、この 学 ︵ り肋 ︶

ようとするシェリン

のであり、これは 知

た手紙の中で、哲学

たが、シェリ ソグ は

が 出逢われない徹底

ている。

ぅ のは、知に対し ︵㎎︶

ある。い う までもな

れたのである。それ

式 をあらわすⅡ 口 Ⅰの で

きな問題があるのであ

解した以上の問題性

されたというごとき

還元することの出来

して、且つ﹁知の 65 (65)

(67)

の田の圧 遠人﹂ ものは ると 考 ︶と。この

毛拮と

毛色、﹁ 存 ︵ 隼 めの 四 。 ゴ 0 口 ︵ 0 ゴ隼 ⅠⅠ ゴ 的の口︶ ま 、存在と自由という二つの対立 えられるのである。 在しと﹁自由﹂との﹁

合こ

が たほ ﹁融合﹂︵

石臼 ョ匹お し 竹原理が交互に他の内部へ貫通 レョヨ 田ののの コ ︶としての﹁絶対知﹂ な テーゼに表現する。すな ね ち、

が、 知の構造をフィヒテは次の簡潔 且 つ それが在る 赤 弘仁 硅衆 ﹂︵ し毬

ⅡのⅠ

プのぎ

ロココののトロの

与えることになるで あろう。

が 注目され得るので

(66) 66

(68)

れたことである。 知 6

否定が知自身の墓 礎 にあ 観念論の思想 田 にお や

可能 をふ 貫㊨ 」) 発

も やま あ 一

「 は 能 如 何 知 性 の 能 の ヲ 7) サるョ 捉える。知のかかる

5

ヒ Ⅰ 串 ァは 、﹁無からの絶対 と ︵ 巾什 ︶

あるという考え方であ

して考え加えられて

構造として見ら

。すな

ね ち、﹁ 知

根源﹂に目撃される た 一七九七

素を排除し

由の単なる

捉えたもの 年の ﹁ 知 た 純粋 活 制限とい である。

(69)

ⅠⅠ う ㏄ ︵ 2 ︶の。 け住ロ 田口幅のの・ 毛 : ぺ ︵ H ︵のの ︵ 3 ︶ 毛 , P. せ 0 口 ︶き と紳ヨ ・ 5 %

0 の 0 Ⅰ ダガ ・ い P 目 、脾の巾㏄

ⅠⅠⅠ - ㏄・ ト ㏄ の

Ⅱ 宙 8 目 あヨ 屈の∼㏄・ ドい ︵︵・ ︵ 7 ︶㌧ げヴ ︵ 0 の 之 ・ ミ ・ コ、涯

のの 下

0

ミの Ⅰ ガの

︵ け Ⅱ 的

0

臣 Ⅰ 叫 ・ 巾ざプ

︵の︶に拠る。

も 無いことも可能な

しかしもし知が在る ︵ 3 3 ︶

由 ︵束縛された自由︶ (58) 68

参照

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