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『宗教研究』新第8巻第6号(*65号)

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(1)

――目次――

1,

逝けるソェデルブローム先生のおもかげ,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.1-6.

2,

宗教史の諸形態,松井了穏,Ryōon MATSUI,pp.1-16.

3,

漢訳古経典取扱上の問題,特に其の一例について,小野玄妙,Genmyō ONO,pp.17-34.

4,

マルセル・モスの宗教社会学説,Sociologisme 宗教学説の発展,古野清人,Kiyoto FURUNO,pp.35-52.

5,

巴利律蔵と漢訳律蔵との比較研究,特に四波羅夷につき,上田天瑞,Tenzui UEDA,pp.53-81.

6,

バルザックとスエデンボルグ,水野亮,Ryō Mizuno,pp.82-91.

7,

イギリスにおける洗礼論の史的考察(下),朝日融溪,Yūkei ASAHI,pp.92-102.

8,

法華経の成立に関する諸問題,吉田龍英,Ryūei YOSHIDA,pp.103-124.

9,

誤謬の論理と無限者,鈴木龍司,Tatsuji SUZUKI,pp.125-144.

10,

宗教学史的一展望,Sellie, W.B., Religion and Life の一断面,村上俊雄,Toshio MURAKAMI,pp.145-150.

11,

日本古史神話の史的観察,松岡静雄著『紀記論究』を読みて,杉浦健一,Kenichi SUGIURA,pp.151-160.

12,

新刊紹介,pp.161-174.

(2)

逝けるソェデルブローム先生のおもかげ

石 橋 智 信

− 濁逸で宗教学の研究が漸く興らん与しつつぁつた頃、一九一二年にライブチッヒ大草 の暗に應Cてソエデルブローム教授が宗教撃の講義な︵その講義の内容は後に Wel・乙⋮ d誌GO川窪g㌻ul︸en﹄+、こJして出版されたJ Iした時に、常時ベルリンのレーマンの許にあつた 石橋博士は来ってソエデルブローム教授の許に助手ざ冤り彼の講義を助けて居られ㍗。 従って教授は博士の師でぁろ。︵編輯者︶ − 先生は、我が慶應二年に常る一八六六年の一月十五日、スウェーデン囲ソェデルハム讐dつー・訂賀己一のほとり、トロェ ノェT−.かコかに喋々の聾をあげた。父君は、その地の牧師の教職にあつた。父君はルッテル渡停統の熱とカの人であ ったらしい。我が子の葉巻に関してもその鮎は特に著しかつた。先生がウブサラ大挙々生時代、家庭にもどると、 いつも直ちに手忙せねばならぬのは鋤鍬。純粋の農夫として我が家の農作を助けねばならなかつたっが、農作の 手隙には、先生の家庭はひまになつた農夫のために楽しく公開された集合併であつた。あくまで明るい詞かな田 舎の牧師鰐だつたのである。先生の青年期に於けるかうした家庭生活は、先生の一生を通じて深く根をおろしてを った様に感ぜられる。即ち、研究に於て、先づ、農民の宗教たるペルシャ教を選ばれたについて見てもっまた、 滞在地、パリ、ラ.イブツイッヒ、ウブサラ等凡ての場所に於て、常に、梅めて家庭的な集曾を先生自宅に催すのを 逝けろソェデルブローム先生のおもかげ

(3)

逝けるソエデルブローム先生のおもかげ

楽しみにしてをられた新について見ても。大にしては、基督敬統一運動を起し、全世界からの代表をスウェーデ

ンの首都、ウブサラに招き、こ1に幽際約数徒大骨を開かれたことなぞも、悉く、先生の家庭生活に根ざすとこ

ろ少くなかつたと考へる。

畢生々活を了つて紳拳科を卒業されたのは先生が二十六歳の一八九二年のことであつた。畢生として先生は決

して帥童、鬼才ではなかつた。反つて、無邪気な、いたづらげに満ちた若人であつたらしい。がーその帝刺たる

カとl朗らかな明るさとは断然、光って居った楼である。常時、チノリストとして先生の冴えた力ある書替は、

今なほ、楽友の耳に残って居るところであると云ふ。多趣味、また、多能な先生は畢生の時、能く基督教育年曾

を指導し、国内詩経誌に文筆を拝ひ.なかにはウブサラ紳畢界を痛嘆し空一義なぞも少くなかつた。 卒業の翌年︵一八九三年三月︶、教職に任ぜられ、ウブサラ市立病院内の教師となつた。偶ミストックホルムへの 旋の列車中で播いたヂンマルクの額畢、ウォヅヅコフWa落。司の名著冒然崇拝と霊魂崇拝﹄に接してー感激措

く詑はぎるものがあり、此に、先生は粂て胸裡に兆して居つた一般宗教の研究を以て終生の課短と定むべき堅い

決意を得たものであつた。終生の目安に向つての弟一歩は早速に踏み出だされた。即ち、先生は翌年︵一八九四 年︶直ちにパヮに向つたのであつた。それは皆還、偶\ハサ大使館付教師の位置が峯席だつたからである。其地

に赴き、其職に就き、粂ねてフランス語港の海員教師をも務め、労らー従来の研究をもまとめて先生の鬼女出版

(4)

一戸ut−−e−■:e︼宣。−−。として各刊された。

一九〇一年に至る七年間、先生はバザを本擦として研究を深められた。

その間、家庭はいつも朗らから集合併であつた。集り来るものは、単に専門の同拳のみでなく、指導して居つた

海員のみでもなく、信念、宗派を共にするもの1みでもなく、養家∵詩人、音楽家等一般車術にたづさはる者も

多数であつたと聞く。貰際、先生自身が墓も能くすれば、辞も作る、興が湧けぼ作例まで試みられると云ふ風に多

能であつたゞけに、交友の範囲も亦極めて多方面であつたことが察せられる。先生には、堆かに、峯術家的要素

が多分に存して居った。若き日任職式の直後、先生はその感想を陳べて﹃任職式に際しての自分の感想は、整術

家がいざ作品にとりか1らんとするあの感じあのま1と云はんより他に言葉を知らぬ﹄と云って居られる。先生

こそ、眞に、生を創り、また、生を味ふ人であつた。宗教の研究も先生にあつては、宗教の離れた観察と云はう

より、むしろ、信仰の直接の味解であつたと信する。

その昧解を以て、先生はルッテルを味ひ、先生一生のいやさきに ご己責S邑山gi。−Jこ岩舟 の薯あり、いやはてに ソlC㌻=一邑iOC︼こ岩n︼Or邑−巴乙l・P︼打己−巧誉︷︼iCr︵︼Tu⋮○:≡dソE賀ChO︼ie一ごldH≡㌢rGどl︼一erきdie−1︶こヨロの著があつた。 また、基督の信仰的味鮮のあらはれとして、そこに、Jes亡be−・等邑i−⋮=邑︰⋮ニ与−S諾︵−簑忘︶﹃イエスの山上

垂訓と我等の現代﹄がある。

また、一八九例年以後、一九〇一年に至る先生のパワ滞在中、主力を注がれたゾロアスター探究は先づF潔∴ワ⊇・ ヨS己♂−S3となつて現はれ、後ち.ナp†㌻つ已≡■¢d首︼・訂︼e芦声l賢︸き一芸0 を大成するに至って居る。 逝けるノェデルブローム先生のおもかげ

(5)

逝けろノエテルブローム先生のおもかげ 四 ルッテルを昧ひ、イエスを味解し︰ソロアスターを小説せる先生は彿陀をも充分、味解して居られた。 ︵亡7 r意ぎ喜−−i告ri7︹訂≡−≡。︼t。邑giつーl讃邑1i︵≡icl・eAu冒発こ≡︶ 但し、この粘については.先生は妨崎教授の彿 基南教の名著を切りに推奨し、先生がライブツイッヒ大挙での教授の二年間、余が先生の助手を務めて居る際、﹃君 の先生、妬崎教授の著はニー︺ei。l己−ge毒1。貫に緻密だ。緻密を極めて居る﹄と繰り返へして居られた。莱府大挙 の宗教拳の演習に於て余が日蓮を紹介した時、先生は直ちに﹃イスラエルの墾一芸のほか世界宗教史上、異に汲言 者と認むべきは日本の日蓮、唯一人であらう﹄と味解の言葉を放たれたことを記憶する。この目を以て ぎl︷ど■ Si義hをも味解し ー Su−1d弓苧的ざを招いて、しばらく先生自邸の客としi−・そこに。警コ㌢−・苧等㌢−︵斉l−:つほ㍍ ﹃スンダル・シンについて﹄をも公けにせられて居る。 古へと云はす、今と云はず、大と云はす、小と云はす凡ての宗教人に封する理解の深かつた先生は、また、宗 教祀曾に謝する味解にも鎗どかつた。 。戸こ㌢己g㌻︼l亡己Liつ 一八九七年ストックホルムに於ける宗教挙世界大骨に於て先生が草表されたものに S〇邑e苧t已c︼ハぎ祇。あり.其他﹃宗教と国家﹄。訂︼ig喜eコ邑=t号コこ≡Sもあり、また、■−Ch−・㌻l㌢2︼〇W仏書.二重誓 ︵︵︼邑sc一二Die字−官−−g計r Cl−1・i告−−1−き︼諾い︶等もある。 ○ かく宗教の各部に渡り、それらの筒人側も敢曾側も理解に埋解を重ね、途に\いよいよ宗教全般に通じて苑藍

(6)

の探究を総算されたものに■6きWcrd冨d忘GCL︵e乳呂be。㌔−望石 がある。パリ七年間滞在の後、一九〇一年より 引績き、母国、スウ王−ヂンのウブサラ大挙に宗教拳並びに宗教哲拳の講座捨任教授として教鞭をとつてをられ たあとドイツ、ライブツイッヒ大挙の招将に應じ一九︼二年よりニケ年間、同大畢に宗教拳を講ぜられた先生がそ の講義に手を入れられたものが即ちこの名著である。紳信心のこ1ろを先生は先づカの感じと聴解し、原始未開 の宗教心︵殊に⋮い⋮⋮二倍念︶から蓉麺文化の諦観念︵殊に全能の紳の信仰︶に至るまでの諸宗教をその昧解に基 いて論述したところに先生のオリジナリティーが寄拝されて居る。また特に未開敢禽に行はれて居る宗教信念の内 容を﹁凡てのもの1ものだぬ﹂tさcb巧 についての信念と昧解したところに先生猫自の観察が試みられて屠る。 敢て﹁至高人格神﹂とむづかしい概念を未開人に退いるのでもなく、また、未開人の信仰封象を勿論、二内的に 自然紳だとか、祖先紳だとか片付けてし・まうのでもなく、要するに−未開人宗教は凡てのもの1ものだね ヨ︼−Cbe−・ についての信念、それゆゑ.それは天地の創造であらうが、時に宗教的一俵鰻であらうと、創造としてものだね であり、魅力ある儀椙としてものだねである。さうしたものだぬ二苧訂b︵■rの信念であると云ふところに昧解に基 く先生燭自な見が備はつてをる。 なほ宗教一般に関する著述に占山:己i告=芸計−■ヨdC。−芸書︼≡霊︶︵此著、フープンス語、イタワー語、スウェー デン語、デンマーク語、フィンランド語に弼澤さる︶また、貞已ニュic訂T︼岩つl鼠e一⋮d乙官⋮㌢ニ己山号︼−式e邑︼ic︼−−㌔ ︼3ふ。出㌻≡ヨ︼亡g㌻己e㌘︼eg山○−凛茸︼1i︵吉C。︼諾−︵;奴芯︶ ▲這1︼︰・e︼i乳訝G︼−写虎e dつr G2g⋮竜巨ニー誌−等がある。 宗教の各部に捗ってそれらの宗教敢曾に射する鎗い昧解と.それらの信仰人物についての深い理解とを集大成 逝けるソェデルブローム先生りおちかげ 五

(7)

逝けろソエデルブローム先生のおもかげ

してかくも美しき宗教学が完うせられた後ち、さらに、先生はかうした研究と一乗ての深い信仰とを調和して基

数一致の提唱右試むるに至つた。提唱を世界によぴかけたそのことばは英著2i裟巳l≡〇ノ一冬阜 であり、濁薯 字官式dC−.︵ぎ汝すーぎこ である。が、そのことばを現寮ならしめたのが一九二五年ウプサラに開かれたノノ1宣亨 ︼毛筆コi二きkt訂訂Cニー・i賢喜1⋮であつた。

昨年.これらの業蹟によつてウプサラの苧賢eh︹ちソェデルブローム先生にノーベル世界賞が授けられた。

今年、⋮⋮いま、その先生の計報に接せんとは。

事業に、祈究に.先生によつて蒔かれたる種の上に戒祉とこしへなれ。︵感謝の追憶のうちに筆を澗く︺

(8)

宗 教 史 の 諸 形 態

松 井 了 穏

宗教史の概念は一見極めて判然明確なるかに見えて、然かも其の賓は決してそうでなく、そこに種々複雑な内

容が盛られてをるし、又世上通俗の用例を見てもその意味するところは必ずしも一旗でなく、誤解や誤用の例謹

も従って甚だ稀れでない。かくの如きは抑如何なる理由に基くのであらうか。

宗教史とは、先づ、宗教に就いての歴史である。そこに致想せらる1ものは、云ふまでもなく、宗教及び歴史 の概念でなければならない。然るに宗教てふ通俗の概念には少くも二様の内容が包含せらる1。即ちそれはある

時は本質的に宗教的なるもの、宗教一般、或は宗教性と、其れの必然的開聯に置かれあるところの諸の表現形態、

の意味に用ゐられ、叉ある時は表現諸形態の随一としての、特に宗教系統を指すものとして使用せらる㌔而し

て此の二様の意義に封應して宗教史にも亦二種の形式が考へらる1ので、一は諸の創唱的宗教や其の他一定の民 族、若くは集圏融合にl覆生の基経を持ち叉蓉蓮の系統を据へつけてゐるところの一つ或は凡ての宗教系統の歴 史的研究であり、他の一はこれらの種々なる宗教系統や、其の中に現る1諸の宗教現象を統括しての宗教全鰹の

史的誉蓮の研究である。

然るに歴史てふ概念も.事案極めて意義の曜然たる概念なるかに似て、葦は単に事件の時間的経過や或はその 宗教史り諸形態 .ヲ0.与

(9)

u 二 宗教史の諸形態 再構成といふが如き狭義の顕路なる意味にのみ用ゐらる1とは限らす、そこに何等かの意味に於いて前後関係の 考へられる心理的過程や論理的範域にまで抵充して使用せらる1ことも稀れでない。それで此の﹁宗教﹂と﹁歴史 ﹂ の概念の定め方の相違に従って、その種々なる組み合せは、そこに叉宗教史の稜々の類型を生み出すことになる ので、従来現れた宗教史には、特定の宗教系統を封象とする特殊宗教史は旦らく別とするも、既知の譜有る宗教 の歴史を研究する所謂一般宗教虹の範同内に於いて、更に互に形式の相異つた種々の立場のものが見られる。 中に於いて最も一般に用ゐらる1宗教史︵通例世界宗教史とか一般宗教史とか耶せらる1もの︶は.普通、原始 諸民族の宗教を初めとし、後代蓉達した観民約宗教や世界的宗教に至るまでの幾多の宗教系統の年代記的牽廼を 個別的に研究した一?もの1綜括的叙述の如きものである。此の場合、か1る立場より、その取材の範囲に関して 先づ問題となるのはこ1に所謂原始宗教なるものであつて、現存の未開諸民族はより畢的には時として自然民族 と呼ばれるといふ事案が示す通り、これを全く歴史以前の民族と考へ、従って隣家なる意味に於ける一般宗教史 より除外することが遠雷であると主張する人もなくはないので、ソーセイも、宗教史が綴りに此の歴史以前の民 族の宗教を取較ふとしても、主力を注ぐところは寧ろ後代の文明諸宗教であるといひ、ムーアの如きも現に明か に、﹁原始﹂諸宗教と誤り呼ばる1ものはそれ自身一ケ濁立の置目であ少、方法も文化語族の宗教に射するとは異 ったものが要求せらる1と言明し、これをその宗教史より省略してゐる。 放て此の場合意味せらる1歴史とは軍なる事件の経過でもなく、又その再構成の意味でもなく、文字の存在で あり、これを朋ゐての文献記録が自然民族に放けてゐるためにこれを歴史以前の民と呼んで他の有文右記録の民 ∂クβ

(10)

族と区別してゐるのである。勿論此の制約の前提の下に立つ限りそれは正常であつて、有文たると無文たるとは 研究の資料の上に大いなる相遵を来し、従って要求せらる1方法も両者に於いて全く同一に非ざることは云ふを 伐たない。然し歴史の意味をか1る純範囲に限ることは、偏食流俗骨通の餌食であるにしても、飴りに人男的に 過ぎ決して正常なるものと云ふことは出来ぬ。事茸に於いての歴史はひとりあらゆる人文現象についてのみなら す、更に進んでは諸有の自然現象にまで存在すると考へて支障ない。それで語自然民族にしても、その文字を有 すると否とに閲せす、凡て歴史を有する民であゎ、その賓際を知れば、それも殆んど同一の事象が恒に操りかへ さる1如き靭ある自然現象など1ははるかに臭った複推多端な登遷牽蓮を嘉してゐるのである。 更に析究方法の上より考へても、歴史の意味を極めて狭義に解する人すら、古代の文献其の他を通して有文以 前の状態を語ることは甚だ普通であり、非常な瞥戒を用ゐればある程度盲でそれは決して不可能なことでもない。 更に又有文時代に降つても、歴史の研究は文献を以て最大最有力な資料とすること云ふまでもないが、単にそれ のみで足るわけではなく、ましてそれ以外のものを用ゐてならない理などのありやう筈もない。文献のみに限ら る1ことが僻りに容せても、文献を以てのみ歴史を語らせる潜度に徹底すれば、それは畢売文献の一定の秩序に順 っての排列羅列に終る外なく、単純な外的事愛の記述には或は可鴇ならむも夜雉な人事現象の眞の因果関係を究 ′し むるには勿論足らず、極端な寛恕主義者と駈も茂雄な事象の再建には多分に有理的な想像推理を事案混えてゐる のであ少.又混えぎるを得ぬのである。か1る場合、有文以前の研究と以後のそれとの相違は板場に云へば質的 のものといふよりは寧ろ量的のものと考へることも担乗る。史豪が苗代の文献等を通じて太古の状怒を跡づけん 宗教史の話形慰 ∂肝

(11)

とする場A‖、その文献の内容をなすものは概ね常代にまで語り残された惇詭紳話の頬ひであり、有文以後に入り

ても口碑停設民俗造物等亦歴史の貴重恵材料でなければならぬ。現存の自然族の宗教を研究するに於いても最も

大切な賛料は臨地研究にょる彼等の紳話停詮の蒐集、民俗慣習の観察、遺物退品の踏査によつて得らる㌔而し

て口碑悸承の煩ひはある意味に於いて筆録によらざる文献であ,リ、宇宙の文を謹むといふが如き比喩以上に濃厚

な程度の文章であり、その内容としては彼等の寮際控来った歴史の過程の物語りを他の造物民習等と相共に倖ふ

るものが砂くない。秀れた史家が文献等を通じて歴史の賛際を如暫ハに、寧ろ如賞以上に、倖ふる如く、畑限駿敏

なる観察者には無文の文を通じて自然民族の何等かの歴史を綴ることが出来る。勿論年代記的に事埜の生起草生

の年代日月を醒めることは不可能なるに近いが、しかもか1る漠然模糊たる歴史の相こそ、自費過程の極めて遅

鈍唆味な彼等の心性に、より峯術的に吻合するとも云ふことが椚来やう。かくて彼等の宗教を一般宗教史の範囲

より去斥する試みは、方法論上の大いなる識見と理由とか着するものとは云へ、今の戟鮎よりすれば.決して唯

一正雷のものとは見倣すことが出来す、鰹を考える上から云つても、宗教の包括的な歴史からこれを除外するこ

とは宗教史の蛮要な出費鮎を見落すこと1なり、通告な悪疫とは考へられない。 但し.在来の宗教史豪は厳重な歴史的立場に終始すると自負しっ1、しかも多くは此の自然民族の宗教に限り

これを所謂﹁原始宗教﹂として綜括的に叙述し、他の諸宗教の個別的な叙述とは矛盾した形式を取るを普通として

ゐる。如是きは自然民族の心理的一致の環断を前提とするか、或は彼等の革際に甚だ無知なるかより結果するの

で、ある程度の心理的一致はひとり自然民族には限らず.最高の蓉蓮を速げた民族の中に、従ってその宗教の中 宗致虹¢諸形態 四 β0β

(12)

に、さへ.存在するのであり、叉張番な一致となれば自然民族に於いても果してそれが蓉見し得るや否や、頗る

疑問とせぎるを得ぬ。それの覆生の動因が内存のものか自然的環境や経埼組織の基礎よりするものかは別として、

何らかの民族的特質は、嬰見や幼鬼に於いてすら個性の存在が明かに看取し得らるるに相封臆して、現葦の事葦

として存在するといはなければならないであらう。故にこれも要するところ質の問題に非すして又一般に程度の

差たるに過ぎないのである。それで概括的な単に﹁原始宗教﹂としての叙蓮や解明は次の女場の宗教史に於いては

ある制限の下に容され得ることかも知れないけれども、個別的叙述を主眼とする今の立場よりすれば明かに矛盾

であつて、適正には他の諸宗教に封すると一貫した態度に於いて検討されねばならす、歴史的に見て些少の関係

はあるも、互に別個の努生と覆達とを有する異系統の宗教は、夫々の民族系統に相ひ應じ相ひ即して叙説さるべ

きこと、言かホブキン㌘孟の如くで雪べきであり、更に初本的な宗警してはリュケ㍉やメナージュの

等が軍濁に取り扱ひたるが如き意味での先史時代の宗教をも包括するのでなければ完全な一般宗教史と稀するわ

けには行かないであらう。この鮎、ブリクー編纂の宗教史等は現存未開旗の宗教の叙述に関して上記同標の棟隕

と他の諸宗教に就いて包括の範囲が多少狭きに過ぎる等の短所とを有するとは云へ、方法論や宗教史の概念の整

理や宗教史の歴史の叙述等、ベルトレッート及びレーマン両氏補修のソーセイの宗教史など1共にある程度まで整

四 億せしむると同時に、他には比較的稀れな先史時代の考古拳的宗教をも概説せる鮎に於いて異数な特色を有する

ものと許することが出来やう。

放て、以上の如き立場よりなさる1一般宗教史は最も普通に見る宗教史であつて、一般宗教史なる名硲は此の 宗教史の諸形態 五 ∂∂タ

(13)

宗歌史の諸形態 q) 六 ヽノ ′し 尭場にのみ安富すると考ふ人もある程であり、然らすとしても語の最も鰐密なる意味での世界宗教史はか1る宗 教史であると云ふべきでもあらう。烈しそれは畢蒐するに特殊宗教史の椎柁的な羅列か論述であつて、宗教史的 知識の普及や通俗化には倍利な教科書的意弐を有するに過ぎず、内容としては個々の専門輩者が夫々の顔域に関 して研究したる特殊研究の鰐密詳細なるに若かない。勿論それが一ケの世界宗教史であり一般宗教史である限少 に於いて、多数専門単著の合仲になるものと錐、編纂者の一定の指導方針に基いてなさる1以上は多少の統一は あるのであつて、その瓢箪なる特殊宗教史の寄せ木細工の如きものとも異るであらうし、ましてそれが一人の手 によつて物せらるゝ場合には立場の統一は一層強く保たるるであらう。然しそれにしても、前者に於いては個々 の内容が結局概説紀要の如き紹介的のものにならぎるを得す、又多少の統一はあり得るとするもそれは夫々の聾 者の燭光を侵害し得るものでもないから、梅めて稀薄なものとなるのは止むを得ないのであり、後者の場合には よし全鰐を貰︿一般的原理の如きものが多かれ少かれ存在するにしても、夫々の歴史の研究に関して科挙性が失 はれ膠ちになるのも蓋し常然のことである。 それで結局は種々の宗教系統の歴史の寄せ集めと大差なき、かやうな一般宗教史とは異トノ、原始的諸宗教より 各文化民放のそれに至るまでの諸有る宗教現象を蒐集し.これを史的に観察し、相比較し、しかもこれを鬱蓮の 段階に腰じて適宜分塀排列し、他の段階から異らしむるそれの特性を明かにすると共に、叉それらの間を連結す る一般的法則に注意盲向くるが如き、詩宗教の有機的統一連絡の関係を葛見せんとする底の一般宗教史が要求せ られて来る。如是き宗教史にしてあるならば、それは年代記的考詮や時間的序列に従っての叙述を主眼とする前 3プロ

(14)

記の一般宗教史の立場を無視するものでもなく、又それと矛盾するものでもなく、それらの立場を十分褒重し且 つ利用しっ1、しかも単にそれ丈けに満足せすして、一定の立場と識見とを以て、諸宗教の塞き出せる歴史を適 雷に区切り、これを民族的類縁、質的接近、覆蓮の概念等を構軸として適正に彙類し系統づけるものであつて、 理想的には歴史としての資格から何物をも失ふことなく、却って一ケの科拳としての一般宗教史として最も相應 しい立場を開拓するものと考へられる。 一醍拳同研究の方法を吟味するに督ってその原埋に謝する確論的考察の重んぜらるべきことは言ふを侯たない が、従来看却され膠ちであつたところの賓除上の問題も亦これに劣らす重要であつて、畢間を進めて行くに富つ て賓際上遭遇するところの種々の制約に勤しては充分の考慮が排はれなければならない。それで寂密な意味に於 . が、然し賛際の問題としては、地理上並びに歴史上世界に分布し蟹現せる宗教現象の数は寮に計量の外に在り、 しての最も料率的なるものは、既述の通り、諸有る宗教の歴史の個別的且つ年代史的研究の総合にあるのであらう ける歴史とは、前にも云へる如く、事件の時間的経過或はその再構成に外ならないから、一般宗教史の、歴史と これを宗教系統丈けに限るもその教鬼石なるやを知らない。かくの如く無量の事案を一人の宇によつて悉く研究 し壷すことは、理論的には慣合不可能ならざる、までも.賓際的には、如何に優秀にして多面的な聾者にとつても固 より全く不可能の事に醸する。忠華厳jE疑雲の飴地を残さゞる底の研究の盛めには、一ケの宗教現象の歴史的行 程を復元すること丈けにでも秀れた聾者の生滅或はそれ以上のものを犠牲にしなければならない場合の決して稀 れでないことは勿論云ふまでもないっそれで科挙的研究てふ語の最賜重要な内包の一として、その研究に於ける 宗教史の諸形態 七 ∂Jヱ

(15)

宗教史の詩形悪

創始性の豊かたる存在てふ意味が綴りに合在されてゐるとすれば、個別的宗教史の総合の如き形悪に於ける一般

宗教史は、理論上最も歴史の名に伍する科学的なものでもあらうが、然し事賓としては如是き性質のものは偶人

の能力以上或は以外のものであつて.一個人の手によつてなさる1かやうな形悪の宗教史は、賓際的には、却っ て相営料率的ならぎるものを含むのも誠にやむを得ないこと1いはねばならぬ。文型や造形美術等に関して合作

の風潮が漸く再現し、それの蛮術的償値や塾術性の有無が近時論議の封象となり来ったやうであるが二元敦史等

に於いてはそれは夙に存するので、弦に云ふ第一の形態の一般宗教史に関する限り、その十分科挙的に優秀なる

ものが却って各分野の専門聾者の指常合仲に成ったものに多いわけは、全く上述の如き理由に基くのである。

けれども琴一の形態に於ける一般宗教史に在っては事情が飴程異って来る。第一の形式のものに於いては少く

もその﹁歴史﹂が十分創始的科挙的のものであり得る代りに.多数の拳徒の合作たる性質上、その必然の結果とし て、互の立場の上に統一性が甚だ稀薄となり.それを貴く統一的原理の如きものが極めて求め欺きものとなるこ と前述の如くである。然るに今二軍一の立場に於いては必ずしも凡ての宗教の守三︼Pnd な研究を必要とせぬゥ

それは一二或は二三の宗教系統に就いて存在するならば上しとせられねばならぬ。他の宗教系統に関しては信用

に値する夫々の聾者の研究の過程や成果を資料としつ1.これを十分自己の立場に應じて油化し一撃理統一して

使用して竜も支し障りない。要は自己の取る立場の性質と全鰹の統一の仕方にある。諸宗教個々の時間的歴史的

動きを充分に尊重しっ⊥、しかもそれにのみ固定膠着しないで、民族的に又歴史的に類縁あり従って共通の特性

の含まる1事多く、又互に泳格闘係あるものはこれを一ケの綱目の中に彙類概括し、時には全く系絡を異にする 罰ほ

(16)

宗教の中からも質的に同一若くは近似の機構を含むものや、全く反封の現象でも其性質を明かにする上に必要な

るものは、適時適所にこれを拉し来って互に相比較し二を以て他を照し、他を以て一を明かにしなければならぬ。

此の場合.此の尭場から必要なことは、全鰹の歴史に命あらしむる一ケの史観であつて、適正な統一ある史観

に立つて個々の宗教を眺め、それの歴史を委蓮の程度や段階に應じて分類し、個々の宗教の歴史に何等人工的改

費や修正粉飾を施すことな︿、大粒に於いては歴史の流れに随って時代を辿り下りつ\しかもそれを通じて全 経としての宗教が如何なる方向に向つて進みつ1あるかを充分に暗示し得るが如きものでなければならぬ。それ 故、それは第一の形態の下に於ける一般宗教史の如く、事件の時間的経過の復元に於いて必ずLも悉く創始的の ものでもなく.又それを主眼とするものでもないといふ意味に於ける限りは、科挙としての純粋な歴史たる性質 がやゝ滞少であるといつて支障ないが、如何なる歴史に於いても多かれ少かれ史戟の介在は兎る1を得す又必要

でもあるとすれぼ、歴史の進行を充分に尊重し、たゞそれに釘着けにされないといふ丈けの此の立場は、何等非歴

史的苦くは超歴史的のものではなく、全き意味に於いて宗教史の名に償するものであり二厚適切に云ふならば統

一的な原理に立つ眞の一般宗教史は却ってか1る立場のものに求められなければならないと思はれる程である。 以上は単なる私見ではなく、同様の主張を有する聾者はその敷板めて多いのであつて.ティーレやメンヂース が﹁宗教史﹂︵ⅠⅠぎ尋︵﹀︻RC︼⋮gi。エと﹁諸宗教史﹂︵ヨぎー・?ご、芝igぎBとを分った場合、自負するところは自己の宗

教史の立場が後者ではなくして前者にあることを示すにあると考へられるのであ少、ゼーデルプロムもティーレの

意見に左祖しっ1更にこれに註繹づけて、宗教の歴史は諸宗教の歴史から自らを区別する、それは何を措くも先 宗教史¢諸形態 九 3J3

(17)

■l■

宗教史の諸形態

1

︼○

つ、宗教がそれであるところの心埋挙的現象の統一性を示さんとするものであつて・世紀の良き経過と種々の民族

や国民の中に於いてそれが何故にかくも種々なる形態の下に費現するかの埋由を探究せんとするものであると云 り

ってゐー・叫。同様にフーカールも亦1諸宗教の一歴史﹂︵u=ニIi蔓e㌢ニ家斉ぎると1諸宗教の譜歴史﹂︵deニ一iきir註 dere−苦lBとを判別し、夫々の民族集囲の諸宗教を逐一取扱ふものが後者で、前者の基本的封象と終局の目的と は、諸宗教が外的影響から偶然に菅生し覆達したものか、不攣常恒の一般的理法にょつてその進化が決定せらる1

ものか、それとも人間精紳の本性及び偶生的環境てふ二ケの成美の複合的産具に非ざるや否やを探究するもの、

而して此の最後の場合なるに於いては出来得るならばニケの成案が如何なる割合を以て結合してゐるかを決定す ヽ′′ 1

るもの、の如く思はれると云ひ、シュミットも亦多少立場は興るけれども、民族研究の領域に於ける特殊個別的な

るものと一般普遍的なるものとの陸別、即ち民倖拳︵く宗一善吉と民族畢︵宗ぎーハu己e︶との障分に封應する如 き正首にして適確なる分化が、叙述的個別折究なる諸宗教史︵⋮gi〇コ2日笥⋮1e︶と綜合的研究皇息昧する宗教 史︵Re︼igi。−毒已をte︶との間に存在せざることを指摘しながら・自己の研究が比較宗教史と銘名さるべき所以を 均 ︵ 述べてゐるが、氏に於いて宗教史と諸宗教史との明瞭通帳な瞑別の不存在が云はれてゐるのはー従来かやうな夫 夫の短日の下に現る1宗教史も必ずしも内容上殿密な種差のあるものでないといふ事賓や、左様な名目上の使ひ

別けが一般に存在もせず普遍化してもゐないといふ理由に基くので、綜合的な歴史と個別的な歴史との区分は氏

に於いても十分前提せられてをり、かるが故にこそ自らの比較宗教史なる名将も前者に安著するものとして意義

づけられてゐるわけなのである。

3J4

(18)

然し、此の形式の宗教史にも箕際は種々の困難が随伴してゐるので、事案、以上の諸家のそれの如きも.諸の 宗教系統の類別や位置づけには相富の苦心が排はれてをり、無意味に、出まかせに、諸宗教の一々を叙述すると いふが如きものではないが、それにしても個別的な一般宗教史に於いても、それが諸人の合作たると然らざると を閃はず、どれ程かの程度に於ける系統づけや分察は試みられてをるのであつて、その間に質的区別を認むるこ との困難な場合が多い。加之.従来あらはれた程の分類は単に民族や宗教についての相普な汲備智諭がありさへ すれば.その是非や適否は兎に角、何人にも左程の固羅もなく試みられ得る比較的安易な間観で、それ丈けでは 大した仕事でもない。然るに従来のものに於いては、分類そのことよりは一屠大切な分類の根嬢の検討が看却さ 以上の諸家の所論には直ちに賛同し簸き表現や趣旨を含んだ粘もあるし.又その謂ふ靡の綜合的な宗教史の内 容も果して自分のこ1に規定したるが如き意喋にての第二の形態に於ける一般宗教史に全く該嘗するものなりや 否やについてもなほ吟味の飴地が紗くなく、却って第三類のものに吻合するもの多きやに思はる1が、何れにす るも、個別的な一般宗教史と綜合的な一般宗教史との応別は明瞭に認められなければならないので,しかもそれ が時間関係を全然無税することの出来ない筈の性質を持つべき歴史を目標とし.その名を胃すと同時に、宗教学 蓮の有機的な総合的統一研究を目指すものたる限り、純正なる意味の一般宗教史の名に植するものはか1る立場 のものでなければならないので、既存の書物について云へば、その内容や立場の上に大なる相違があり、又多少 ヽノ の程度に於い てはメンヂー 宗教史り諸形態 ス(14)て 3 1 ′し 完全性を放く鮎あるは勿論であるが、ティーレ・ゼーデルプアムのものや、ロビンソンのもの、さ のものなどがこれに近いものではないかと考へられる。 3J5

(19)

宗教史の諸形態

一二

れ或は軽嘩亡れてゐる傾きが多く、内容上より見て第一の立場のものと飴り多くの違鹿妻見ない揚合が通例であ

るか.然らぎれば.反射に、歴史と稀しっ1、事件の叙述やその時問的変相の状悪及びその因果閥係の究明に手

薄なところの、そうして夫々の宗教に現るゝ窮要な現象ヤ特性丈け霊草に一定の秩序に従って叙述したるが如き

類ひの、ものであつて、弦では歴史としての性質が極めて薄少なものとな少、次弟に第二衰の宗教史に接近して

来てをるので、唯此後者に於いては見ることの稀れな宗教系統の個別的叙述がなほ見らるゝ瓢に於いて、第二類

の宗教史の特徴を依然御か保持してをるに過ぎない。かやうな賞状は此の種の宗教史の目的とするところが一般

に、諸宗教の歴史過程と宗教の全般的発展の研究てふ、時として一致し難く見ゆるニケの概念の結合にあるとこ

ろより自ら結果するので、前者をより多く尊墓する場合には動もすれば第一の形式に近づき、反之後者に重黙を

置く場合には総じて第二石形式に接近して来るのである。然しそれが歴史の名を冒す限りは歴史としての意味は

充分告撃亡れねばならす、又かく歴史の立場に思寅であつてもその親粘如何によつては全笹としての宗教の委展

の経路を暗示するに不適常でも不可能でもない。何となれば、一系的な宗教の進化更蓬の観念は多分に理論的抽

象の産物で、現象として賢記せらる1ものは多元多系的のものであるが、しかもその間にありてすら伶、それは

全鰹としての人類の牽展に封應せるものであつて、人類はこれをその大鰐について綾観すれば進化の歩みを歩ん

でゐること疑ひなきが放である。

それで.此の種の宗教史と第一並びに堅一の形悪のものとの間には賓際に於いて、その何れかに多かれ少かれ− より多く傾いた多数の中間的立場のものが見らる1繹ではあるが、類型的に分類すれば結局三種に節すると見る 罰拍

(20)

ことが出来るっ然らば最後の第三の形態に屠するものは如何なるものかと云ふに、それは要するに歴史としての 性質が最も稀浮であつて、多くは種々の宗教に比較的普遍的に現る1諸現象や諸問題を拾ってこれを出来得る限 り系統的に彙察しその委蓮進化を概観せんとするが如きものである。従来現れた﹁宗教史入門﹂とか或は﹁比較宗 教史﹂等僻するもの1中には如是き性質のものが多く、又﹁歴疫﹂との限定はないが﹁宗教の更生と吾準﹂若くはそ れと類似の表題のものも内容上此の形悪に属するものが大部分であつて、ジェグォンス、トーイ 仙 、フーカー・ル、ヂ . ′し エッソー、さてはホプキンス、ムーア、クレランジェのあるもの等は背この種のものに近いと見ることが出来やう。 勿論、悶恕や個々の現象につけばとて、それを歴史的に取扱ひ得ない謬はなく、中には十分歴史的なものちあ るであらうが、しかし夫々の問題事項について民族や歴史の上にあらはるる諸の宗教から遍く材料を拉し来り、 それを十分歴史的に取扱はんとしても、その場合此の種の肝謂宗教史の屡倒的な根本目的であるところの富該事 項の右横的な綜合的な蕾展を迩づけることは、個性あり生命ある夫々の宗教系統自鰹に糾するのでなけれぼ極め て国許であるので、正直のところを云へば、それは歴史と稀しっ1も資はユーベルとモースとがその聖供論に於 の ′ ︷ヽ いて各自せる如く、歴史的尭後圃係の究明を目的としたものでなく、只論理的のそれを出し得るものに過ぎない。 それで極論するならば.か1る立場のものはその大多数が腋痺な意味の史的探究の企国をやめ、若くはそれに徹 するを得ないで、夫々の間短の、云はば心理的な展開の跡を尋ぬるに非ずむば、論理的に抽象化され概念化された 蓉連を求めてゐるのである。これは蓋し此の立場の性質上眞に止むを得ないところで、それ自身又甚だ必要な研 究でもあるのであるが.これを歴史と稀することは、若干の単著も指摘せる如く、厳密には不雷なるを免れない。 宗教史め諸形態 3ヱ㌻

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宗教史の諸形態

一四

かくの如きは畢蒐するに歴史の意味を異に時間的経過や其の復現と限らすして、心理的若くは論理的なものにま

で掩充するからであつて、諸現象に於ける蓉達てふ観念が枢軸をなすことから∵佗念的に糾象化せられた産物で

ある彼等の﹁委蓮﹂の概念を直ちに﹁歴史﹂と相即せしめて理解したがために外ならぬ、勿論﹁発達﹂の観念の中には

何等かの意味に於ける前後閲係が汲想せられてゐることは事案である。しかしそれは歴史的のものには限らす、

時には論理的閲係に於いても心理的過程に於いても見出されるのであつて、雨着は敬重に障別さるべきにも拘ら

ず、前後閲係の存在てふ類似から来る観念の聯合によつてその院別が忘れられ或は混同されてゐるのである。

このことは濁り費惑の問題ばかりでなく、起尉の問題に威しても.もとより同断であつて、宗教の起原なる概

念はおしなべて歴史の問題と見徹れてゐるやうではあろが、茸は心理的論錘的民族的歴史的等種々異質異種なる

ものが存在するのにそれを甚別して考へられてゐない場合が多い。

かくして此の琴二の形態に於ける宗教研究を歴史と稀することは、厳密なる意味での歴史と比論さるべき関係− 而して賓際上程々密接にこれと結びつける関係が、起原や蟹達の概念に含まる1がための、比喩的相法に従へる

ものと云ふべく、﹁歴史﹂の用法をそこまで塘張することは、人の意欒によるとはいへ、少しく行き過ぎであるか

に考へられる。たゞ比喩的にこれを用ゐる場合、それは他の何ものでもなく十分歴史らしきものであることに異

論はないので、さる意味に於いてこれを宗教史と耕することも亦得たりと云ふべきであらう。

但し宗教研究の諸分科の中で、かくの如き意味での宗教史が果して一般宗教史の中に編入さるぺきものである

か膏かは又別箇の問題であつて、率直に申せば、宗教拳なるものは.これを撞の関係から見て宗教の原理を探究 3Jβ

(22)

すると同時に.又竪の関係から見て宗教聾達の理論や法則を究明しなければその鰐系に於いて放くところがある と私考せらる1が故に、今の場合の所謂宗教史の如きものは寧ろ宗教畢の一年を構成するものと見撤すべく、こ れを他の種類の宗教史と厚別して考へなければならたいっ 況んや世上散見する宗教史入門や比較宗教史の中には黎蓮の概念すら極めて微弱であつて、唯程々の問題を比 較的無秩序に、しかし乍ら、相常理論的に、討究したるが如き形のものすら紗くたいに至っては、覇以てこれを 宗教史と解することの不営なること詳論を倹たずして明かであらう。勿論これら個々の間置は宗教史にとつて大 切な問題であり、然る限り個々の宗教の歴史的研究に入るが食めの総論の如き役割を働き得べく、その意味に於 いて宗教史の入門と解することも決して不常ではない。しかし又、宗教史には先づ宗教の概念が汲想せられ、そ れの研究や決定は宗教拳や宗教哲畢の問題であるが、さればとて宗教常襲或は宗教拳を宗教史入門と呼ぶには苦 らす、又左様な滑稽を敢てする人もないであらうっそれで、以上最後の形式として蓼げたところのものは閃より 宗教史そのものではなく、寧ろ鰐系に於いて鉄くるとこらの一種の経験的な宗教拳の如きものと見撤してをく方 が概念の整理上はるかに停利であると思はれる。雅人動もすれば心理学的ならざる個々特殊の問題を直ちに宗教 史の問題と科するけれども、特殊間思の研究が直ちに宗教史でもなく又必ずしも宗教史的とも限らないので、こ れが宗教史的となるのは宗教史的観鮎に立ちその方法によるからである。故にかくの如き廣汎なる軍国にまで宗 教史の名を適用することは宗教史の概念の不富なる摘充であり濫用であるといはねばならない。 以上試みられた種々の形態の宗教史の寧分は、云、ヤまでもなく極めて概括的な.膵れたるに嫁して論一ぞ依せる 宗教史の諸形態 凱は

(23)

宗教史の謂形態 二ハ 鹿の分類であつて、その賛これらは凡て互に審技に開僻し分境の明かにし鑑い黙が多いのであるが、しかしある 程度までこれを敢てすることは宗教史の性質や概念を明かにする上に決して致見なしとはしないであらう。 −・Cぎーliた.dニ小lSハ1u彗︶メ芦≡亡︵・二、〓きil・e︵訂1・ユ.g㌢ご︶.ふ ド〇・﹃∴≡〇つ1・♪︼−iきー・旬〇r芦︼覆〇n・:〇︼●↓﹀ワY. ∽・Cr・J・︼三cこき011Cコ邑︼、lを〇ぎ︰一e⋮e〓㌢nこt⋮=e︼こJ.夢 −・J・コu−︺ごCh−・i者︸ぎ⋮邑︵≡苧i−・︵︰訂︼・碁iこ=S−1言・コ・㌻ニさー≡≡⋮=訂蔓≡・Cごきぎ与こ︶弓ト﹂し昌。︸・ P声ノノ、﹂−〇−︶︼ハ訂︸Tl︼eコj告−′︸○=己直〇−−〟︶C11ヱ︶乃●〓−.jヂ 戸︵十︼−・T≒︼u″・tこゝlュet㌻r︵・︼igi三:︼Cニー2≡=つニ㌻軋︼芦 可・ゴ1・芝山li⋮gごlしeニ・c︼i賢妻計︼三︶︼±−is亡一山声 ∽﹂いー・㌢きOp・eit・〓︶↑丁⊥㌫−︶弓A.亡羊葬 っ・Ti㌢・叩已呈︶︼2=−写1−妻・︼d、−1㌻〇ぎユC:﹂L直〇コり一7︼. ︼P︷〓言−p.ド =・〇・−1︷≡⋮√≡賢ぎユ誌1■L啓三ユ⋮主−乙ec〇⋮−︶︰⋮1日vつ、C一l疇︼二JワTド ︼ド1.・ノ一.・≡1≡宣−○−覆コ⋮・ニ乙uこ三lニe︼:e︼ig㌻=こJワ︼㍑⊥=﹁ −㍗T一ニー・ヲ︼︶i=室−A=OLき1仁11きをエス.⋮l三︼1:︼を〇︼・︸〇r戸こ㌢責 ︼ト︼リ・︼︼・J∋こ一Ⅵこ喜〇︵言l㌻二〇;e書きい・y〇=㌢li祇㌻コ. ︵︼﹂−・宇さⅠ三⋮′ぎェ⋮言亡−亡Hぎこ・y一︶r訂︼⋮㌢≒. ヨ真弓t−Lぎ〇. ゝ・p−莞⋮︷一こ喜乙uユ㌻=ニ1i告ぎ︵㌃−■l﹂質≡ニ. 1∫し︼ハ訂、○−・掌1§Lヲつ一ut㌻≡︶=已亨芦 享−〇1.ご︼苧こ1弓︵=ぎw〓−〇rヲ︼覆〇=. ヨ・只−.邑㌻g⋮・∵て︼ざこ三iニ≡・e一⋮g㌃≡左上㌻︼、ぎ≡≡il︺. 1い,︼↓一−㌢ユニ享≒刀、雰エl∵∃︼:三≡・︵:、二;PICt㌻:ご︼ 空っ∴コcごプァ 3ヱβ

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︼ 研究上の諸問題 今更いふまでも無いことであるが、漢謬経典の取扱については、建て直しと云ひたいが寧ろその礎石から置き 撲へてか1らねばならぬのである。大乗併読問題などで騒いでゐたのは最早ふた苦しも前のことに窮する、大小 粟の経律が併設であるとの考の如きも何時の間にやら治し飛んでしまつてゐるし、勿論今頃になつてなほ三戒結 集の停設を固執すべ︿も無い。かくて従来の経典に封する見方なり取扱方なりが根低から破填されてしまつて見 ると其の結果はどうなることであらう。否どうしたら善いであらう。それは営然の締結として新しく行り直すほ かに致し方は無く、若し行り直すとしては、私どもが最近に接受した諸方面から出た新資料を使つて公平な歴史 的見地に立ち.それ等全経典に向つて或は箇別的に或は綜合的に十分に思ひ切つた解剖のメスを下して料理する ことにしなければなるまい。但し是れは仲々の大仕事である。 之を筒別的に研究するとしては先づ著作者が誰であるかと云ふことから定めてか1らねばならぬ。ところがそ れ等経典のすべてが名を彿設に慣托Lて著者自身の名を署してゐないのであるから之を誰の作と定めるわけには 沃謬音程典取汲上の間窺

漠謬古経典取扱上の問題

−11特に其 の一例 に就 い て・−−

野 玄 妙

3クJ

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ゆかない。それならば、せめてその製作された土地なりまた時代なりを知りたいと田心っても、それが常在授に本 文のどこにも明記されてゐないのであるから何としても手の付けやうが無い。若し之を綿密に考許することにな れば傍証資料としての諸文献の詞査と乗ねて王位本文そのもの1騒客なる検討を行はなくてはならない。しかも その調査研究の結果として倍々の綻此ハは執れも皆一棟ではない。釦ち地理的に云へば印度招来もあれば西域揖兼 もあり乃至は偽疑経に准すべき支那出来もある。同じ印度にしても中印度のものもあれば南印度のものもあり北 印度のものもあらうし、又一口に西域といつても月氏、安息、康居等の嶺酉のものもあれば千路、怨弦等支那新 窮省地方のものもあつて庶血ハの言語亦必ずしも一同でない。之を時代的に云へば一々の経典は各自各個に其の製 作の年代を異にしてゐるのであるから、是れ漫然と彼此混同して卒爾な説明を附するわけにゆかぬのである。 それから又之を結合的に研究するにしても亦色々と面倒な問題が終はつて来る。全謬の大経と別謬の小経との 関係の如き、始めから大控が製伸されてゐてそれが抄謬せられたといふ謬でなく寧ろ小控が先に出来.後になつて それ等が綜合されて一部の大経として編纂を見、全謬さる1に至った例も砂なくないのであるから是れ等経典の 成立について相互閲係を諭するにあたつては流量な考慮を要するは勿論である。又重謬の諸経の如き、前代の謬 と後代の謬とがいつも同一の原典を朝出してゐるのならば固より問題はないが、梓伽にしても金光明にしてその 他重要経典になるほど内容の欒動が多く、或は附け加があつたり或は書直しがあつたりして原本も一様でなかつ たらしいと同時に澤木にも非常な相違が出来てゐる。手近い話しが金光明の三身品は眞許諾に初めて禰出せられ てゐるが、それが此の経製作常初からあつたものかそれとも後に誰かゞ附け加えたものか、その判断は畢なる経 漢詩盲だ典取扱上の問題 3クβ

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典成立過程の証明以外、沸教教理昏蓮上の重大な意義を扶持する契横ともなるのである。その飴各経典全醍を通

じての脱落関野とか野澤鰹系とかいふやうなことまでも瞼証することになれば、問題は更に際限なく旗がつてそ

の数が殖へてゆく、それは吾々微力な人間のカで三年や五年で時の明きさうなことではない。

〓 出費鮎と療備知識

そこで斯く簾出し来る諸種の問題をどういう風に取り捌いてその始末をつけるかゞ今後に於ける彿敦畢徒の仕

事でありまた責務である。併かし何分にも研究の封象が何寓巻にわたる携斡な典籍でありそれに附隣して乱麻の

やうに複雑な問題が纏綿して絡まつてゐるのであるから、黄表紙の五十研や百研眼を通したくらいな程度で簡単

にあしらうわけにはゆかぬ。どのみち一生の仕事にしたところで猶ほ速く覚束ないのであるからそれには先づ手

近なところから一つ一つポッリくと片付てゆくより致し方はあるまい。それにしてもその出費鮎をどこに置い

たものかと云ふことになるが、私どもとしては.それには先づ倍々の経典に封して正碇な認識を得ると云ふこと

が第一著の問題であると考へられる。一口にいへぼ経典の倍別的研究であるが、是れが頗る簡単でありさうでゐ

て葦は仲々簡単でない。単なる一経一論の調査を行るとして、倶舎にかぢり付き唯識をお手の物にし乃至は法撃

や華厳の通になつたとしたところで、唯く文が諌めてその意味が解ったゞけでは、まだそれ等経論に謝する正確

な認識を得たものとは云へぬ。少なくとも後の綜合研究の前提としての倍別的研究である己上、それ等経論の歴

史的償植に勤しても明瞭とした知識が必要である。尤も倶舎や唯識などのやうに平生から誰でも取扱ってゐるも

のは別に際立つて新な詮索を加うる問題も無からうが、所謂月並のもの以外の経典になるとその鑑識は一寸容易

漢詩音経典取扱上の間毅 3β∂

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く行りかねるのである。 苦しは一切経といへば悉く彿の説であつてそれが前後何回かの三蔵結集に由つて編纂きれたものと考へてゐ た。が併しそれは結局苦し讃であつて今日には通用しない。事貰を事貨とする歴史的見地から云へば、それ等凡 ての控此ハは一々皆著者を異にし製作地を異にし製作年代を異にしてゐるのであるから、若し箇々の窪地ハの歴史的 償値一ぞ明にするためには、必須偵件として、何時、那應で、誰が之を製作したかと云ふことを明碇にしなければ ならぬ。勿論その中でも論部に属するものは概して執筆した著者が最初から解ってゐるだけにその判断は比較的 容易である、籠樹の大智度論は南印度、世親の倶含論は北印度、阿梨鋲摩の成案論は支那新弱省の疎勒地方で書 かれたものであるといふ事茸と、その製作年代も大約のところは撒断することが出来る。ところが繹樺の類にな ると作者の名は作者自身が併設に畷托して製作した事情から紀封に揖終に附せられてゐて一つも判然したものが ない。それゆへ今云ふ﹁何時﹂﹁那塩で﹂﹁誰が﹂といふ三つの必須條件を鮮明することは殆ど不可能と云はなくて はならぬほどに困難である。国雄ではあるがそれを此の棲放任してしまつたのでは問題は永久に之を解決する横 合を失ってしまうことになる。私どもの努力を要するのはそこである。今更常識論を振り舞はす必要もないかも 知れぬが、帳合作者の名は初めから逸して解らないにしても、何時か郡長ぞで誰人かが書いたものである己上 は、正確なとこまでは突きとめ得ないにしてもー或程度の製作地∵製作年代に封する推想は着け得らる1筈であ り、又それを着けなければ折角の研究が全然意義をなさぬことになるのである。 此の困難な研究を遂行するためには種ぞな汲備知識を必要とするは勿論である。それには文献の蒐集と相模つ 決謀音程典取扱上の問題 32卓

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て闊係史料の調査も行はなくてはならない。それを邁雷に某配して﹁何時一?といふ年代と↓何担うといふ地理を

常識の上に見出して来ることが最も重要萎え任務であるが、勿論それと同時に厳格な窪地ハ本文の内容瞼討も行ら

なくてはならない。内容の調査といふことになれば、謬語、謬文、思想、読詩等の︼切にわたる必要があ.リー原典

の存するものはそれと封放せねばならぬ。こうたると僅に一部の控此ハに封して正稽なる認識を得ることでさへ、

如何に骨が折れるものであるかと云ふことを深刻に私どもの頭脳に印せしむることであらう。蓋し彿教拳の研究

は.最近に於ける幾多新研究茸料の発見とともに、今や其の研究の方法を根城から立て直さねばならぬこ言にな ってゐる二軍空﹂直すといふより寧ろ礎石から置き摸へてか1らなくてはならぬ仕事になつてゐる。何時までも

英下の番阿蒙でゐる謬には参らぬのである。

三 金剛頂経論伽十八倉持繹

倍々の経興に封してしかと其の五経を認識することがどのやうに固妊であるかといふことは、貫際に宇をつけ

て見て始めて若くのであるが、今その一例として金剛瀕経線伽十八曾指蹄について自分の思ひついたことを一つ

二つ述べて見やう。

此の書は庸の不室一二束の謝辞したもので貞元錬磨十五に

金剛頂璃伽十八曾描線一億璃錆紬

とある。我国噂承の本については、八家秘録巻上に

金剛頂漁伽十八曾指師表別納新郎傭断定訴艶瑠鶉鏑熟知、枇

漢詩音程典取扱上の問題

ニー 3βう

(29)

漢詩古経典取扱上の間組 二二 車云つて、峯海、宗叡、同珍、同仁、最澄の六家の請来にか1る水が行はれたことを記してゐる。 ところで此の書中にどんなことが書いてあるかと云ふに、書机の文に﹁金剛頂綬癒伽に十苗侶十八骨あり﹂とあ るとほり、十甫偶の大本金剛頂経の綱要として十三鬼十八骨の品目を勒記して一部の始終を略説してゐるのであ る。いはゆる十八曾とは 初曾−一切如来異質店数王︵阿迦尼咤天宮にて説く︶ 第二曾.一切如来秘密王漁加ハ色究克夫に一一、説く︶ 第三曾、一切歌集戒伽︵法界宮殿にて試′\︶ 第川合、降三世金剛瑞伽ハ頻耐虚の頂にて訊く︺ 第五曾、世間出世間金剛魂伽︵波羅案国の空界中にて詑く︶ 第六合.大安架不琴二昧耶眞賓癒伽︵他化自在天宮にて訊く︶ 第七曾、普賢腐伽︵普賢菩薩の宮殿の中にて訊く︶ 第八曾、膠初唸伽ハ普賢の空殿l二て説く︶ 第九曾、︼切彿集合聾者尼戒綱琉伽︵重責宮殿にて説く︶ 第十曾、大三昧耶碗伽ハ法界宮殿l二て説く︶ 第十一骨、大乗現茫漁伽︵阿迦尼咤天富にて訊く︺ 第十二曾、三昧耶最膵液伽︵空界菩提場にて訊く︶ 都路

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第十三曾、大三昧耶眞賓癒伽︵金剛界党菟羅道場lニて説く︶ 第十四曾、如来三昧耶眞資魂伽ハ同島にて訊く︶ 第十五曾.秘密集曾唸伽︵秘密虞にて説く︶ 第十六曾、無二平等魂伽︵津界雷にて説く︶ 第十七曾、如虚容魂伽ハ茸際宮殿1こて説く︶ 第十八曾、金剛貿冠掘伽︵第四絆慮天にイ、説く︶ である。而して此の魂伽数十八曾は、或は囚十項、或は五千項、或は七千頃あつて、都て十再現を成すと末尾の 一節に記してある。 金剛頂敦の廃木が十筒項の大部のものであつたと云ふことは、金剛撃二戎の詳した金剛頂腐伽中略出念肩紐の 初にも我れ今首千項中の金剛頂大塊伽教王の中より、蔵伽を修する者をして塊伽の法を成就せしむるために略し て一切如来琉眞寮最膠秘密の法を説く﹂と記し、なほ不琴二戒諾の都部陀薙尼目の巻首にも﹁洩伽の本経は都で 十萬の偏あり、十八曾あり、初曾をば一切如来眞箕溝と名づく﹂云々と云つてゐる。即ち是れ等の文によると金 剛頂控の本経は十萬偽の大本であつて十八曾十三魔の設曾に成り、十八曾指蹄は此の全典の網格を解改したもの であり、そして金剛智謬の略出経や不室謬の三春の金剛頂綻ばその中の一骨又は言mの抄謬又は別謬であるとい ふことになる。 そこで問題になるのは此の金剛頂濾伽経十八曾指厨が、不攣二戒の謬であるか著であるかといつたやうな末節 漢詩吉祥典取扱上の間組 3ク7

(31)

渡諾古紹輿取扱上の問超

二四

の事項でなくて.此の十八脅指節を通して見た東経の十搭噴金剛瀕繚伽鮭の正鰐が如何な一?も0であつたかとい ふことを見讃することであるJ之に就いては 第一に十高額の金剛頂絞は果して質際に著作JUれたものなりや

第二に若し著作責在のものとせばそれは支那に停弘されたりや

琴二に著作樽弘の如何に拘はらす肝謂金剛頂鮭なるもの1成立の年代は云何

と云ったやうな賢際問題を提げて討議せねばならぬことになる。此の中第一の間近に就いては大村西尾氏の如き

否定論者もあり、攣一の問拉に就いては、古来一般の説としてはその二品分だけが支那に樽課されたことになつ

て居り、第三の問題に就いては相承の停説は頼めて曖昧であつて史乗の欲すべきものがない。従って之が検疫に

就いては相常に異論の勃覆すべきは営然である。但し私一個の考としては、その第一間につきては葦際に著作の

あつたものとし.第二間につきては金剛智三戒等に由つて夙に支那に費持せられl二戒等は親しくその大木を手に

してゐたものであるとし、聖二間につきては大凡そ西紀第七世紀の後期に製作されたものと推察したいのである。

今之に射する一往の卑見を運べて見たいと思ふのであるが、説明の順序として先づ簾二間から始めて次に第一−

第三の問喝にうつることにする。

四 薦福大和上金泥輸伽皇茶羅

五大院安然大悟の八宗秘録巻下諸国像部第二十線外秘塵芥羅三ノ下に

薦宿寺金剛三雲給金望蓑苗一横紙r餉鮎謂択那㌫射相恩

∂2占

(32)

の一目がある。軍に此の目を見たゞけでは、それは蔵宿寺金剛三戒︵即ち金剛智三戒︶が手から給いた金泥の蔓蒼 擢の苗木一棟を、慈覚大師同仁が曾呂滅法の臼に法全和上の好意に由り手工に属して一本を同せしめ附属せられ たのを持ち濁ったといふことがわかるのみで、その垂茶羅の内容が如何なる性質のものであつたかを知ることが 出来ない。 ところがこ1に何とも申しやうのない事なことは、智託大師は此の慈覚大師請来の塁茅羅を見て、其の著三部 垂蒼の中に左の如く設問してゐられる。

つ0000000

間、金串望蓋貰何鴛答、指担う蒜空曹、名一切敦令醸伽、説、此経中説大量恨警部、一一部五重

茅羅、各三十七、成一大里蒼羅、一一告各詭囲印、大印三味耶印法掲磨印、各設成就法。理経控云、金剛部中 乃至掲磨部中、常具五部、一一望衆具無量単陀羅.囲印等亦無量也云々、此中量茶羅廣大、如一切敦集線伽経 所詮薦病夫和上金泥戒伽塵芥羅是也。 問、此蔓茶羅様如何。答、須先甚大輪、其中安置五節大輪、一一輪中各道三十七普、其庭位横如成身曾、四方 外院安一切外金剛衆、肇如屏立間綾一城四逸而己、或持旗或把捧、或軌戟或軌戟或軌鼓鼓、其中主伴不可粥計。 著

抑賓薄雲璧、蛤諾鵬如什表

此の文富誤の多いために読み下し悪いところがある。束寺呆翼法印の理経繹秘要抄第十二に智記雑記云と挺して 今と同一の文章が援引してあるが、彼此封見すると棺ミその紋誤の文字を袖ふことが田禿る。 即ち此の文に由ると前後二段の中、前段には此の率帽大和上の金泥塵芥羅は、大本金剛頂経の第三曾の一切敦 漢詩音程典取扱上の問題 3g∂

(33)

漢詩古繹典取扱上の問題

二六

集線伽経に由つて手絡したものであることを断言してゐる。是れが弟一の靭鮎である。次に後段に至ってその塁

茶羅の国相の大要を略説し、その様は成身曾の塁茶羅と相似ては居るが茸はそれと異つた品委経であることを逆

説してゐる。是れ攣一の概粘である。既に斯のやうにその典接とするところが大本金剛頂控の第三曾の一切敦集

琉伽なることが明かであり、固相亦之と一致して、かの通途の成身曾曳茶羅とは全然異つた猫自のものとして見

れば、此の二つの戟搬を合せたところでどういふ結論が生れるかと云へば、金剛智三戒は大木金剛頂鰹節三曾一

切敦集戒伽経の本文そのものは速に翻澤を見るに至らなかつたけれども、その梵本に由つて塵芥尿だけは既に夙

に国昭して置かれたといふことになる。是れ鱒言薬を換へて云へば、金剛智二義は大本の金剛瀕控の梵本を座右

に所持してゐられたものであるといふ動かすべからざる迂援となる。それが果して十八曾具足してゐたかどうか

は別問題であるが、今の此の一切散楽璃伽については何人も異議を挟む飴地は寸宅もない。

それからもう一つこ1で注意しなければならぬ問題は略出軽翻謬の事情である。此の経は決して彼の不軍二戒

の三巻本の金剛頂経が大本金剛頂経中の初曾金剛界二申を詳出したのとは同日に語つてはならない。何故かと云

ふに此の略出控は既に経の題目そのものにも明瞭に金剛瀕壌伽中略出云々とあるとほり金剛瀕魂伽経の大本中か

らその必要な部分を略出して抄謬したものである。此の事につき、五智山の曇寂和上は其の薯金剛頂経私記第一

に此の経は多分は初曾を略出し兼ねて他骨の説を雑へてゐる。線じて囲骨を説く中に、成身.掲磨二二摩耶の三

曾は初曾の金剛界品に詮く大量蒼羅中の第一の金剛界大量蒼掻から出てゐるが、大供養の一骨は第四の廣大供養

箱磨舅蒼確から出てゐる。又召罪、擢罪、業障除等の印明の説いてあるのは第三の降三世品から出たものであり・

330

(34)

此の外の初起行住作法並に正餐壇十三尊重茅薙等は、皆是れは飴曾の中から出したものであらうと説明されてゐ る。が恐らくそれに相違あるまい。 して見ると金剛智三成が金剛頂線加の本鰹を座右に置いて常に見てゐられたといふことが益々事賢として疑の 無いことになる、之は私が此の大木金剛頂璃伽の梵本は早く金剛智三戒等によつて支那に賓持せられ、常に三戒 の座右にあつたものとする第一の論按である。 五 悼多借家哩五部心観 此の書博多倍菓哩五部心観の一書は智迂大師録外の請来で古来敏郎に附せられ久しく三井唐院の経戒に珍襲し て世に披露しなかつたために人家秘録にさへ其の目を開き、従って兼好家は勿論台密家でさへも此の書の停承に 言及したものは殆ど無い。併し乍ら大師帯衆の眞本そのものが三井の経戒に祓襲されてゐる。智迂大師全集に収 むる批記集五部心観批記に﹂ 外題日 欄比多偲莫哩五郎心親一巻 ︵考︶巳下大師親筆 此本是脊髄和上手中本分付閻珍 同巻末無長和上像背日 此無長和上眞也輿彩色輿也可按眞本 漢詩古経典取根上り間盈 33J

参照

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古物営業法第5条第1項第6号に規定する文字・番号・記号 その他の符号(ホームページのURL)

第73条

レーネンは続ける。オランダにおける沢山の反対論はその宗教的確信に

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き

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神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな

○村山会長