雨
語 ﹂
論
||﹁怪異性﹂を通してみられる秋成の世界
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月
物
序 ﹁雨月物語﹂といえば私たちはただち広係談小説だなと思う。そ して、その作者上回秋成といえば、大半の人がまず﹁雨月物語﹂を 想 起 す る で あ ろ う 。 事実、﹁雨月物語﹂は上回秋成の数ある作品の中の代表者であ り、また係談小説としても特異な存在を示しているのである。 しかし、この怪異小説﹁雨月物語﹂をみるに当って、単なる怪談 小説としてかたづけられてよいものであろうか。﹁隔月物語﹂の伴 異性をまったく否定するつもりではないけれども、﹁雨月物語﹂に 怪談小説というレッテルを貼りつける前に、はたしてその怪談小説 というのが妥当であるのかどうか。怪談小説だとキツパリいいさつ てよいものであろうかと思うに至った。 私には﹁雨月物語﹂の全篇を通してみられると乙ろの﹁怪異件﹂ の底に、﹁↓雨月物語﹂の全体があり、そこにとの﹁雨月物語﹂の作 者である上回秋成の赤裸々な姿が秘められているように忠われるの で あ る 。 ﹁雨月物語﹂においては﹁怪異性﹂がすべてを物語っていると児佐
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われてならない。したがって、その﹁怪異性﹂を眺めて、 そ解明してゆきたいと思う。 と の 問 題 本 論 ﹁南月物語﹂は九つの一知篤から成り虫っており、そのすべての篇 に、超現実の世界に関する説話が典拠として選びとられて、怪異の 出 現 が み ら れ る 。 きて九篇中には種々様々な怪異の描写がある。しかしそのすべて において、怪異性は﹁一雨月物語﹂を特徴づけるものであって、それ を代表するものであると思われる。しかし、怪異性はあくまで﹁雨 月物語﹂を特徴。つけるものであって、﹁怪異の現われ﹂そのものが この﹁雨月物一語﹂を形作っているのではないと思えるのである。そ れぞれの篤には作者秋成の投影の色濃いものがある。 だからといって、﹁雨月物一泊﹂の怪異性を脊定するのかといえば 決してそうではない。怪異性は﹁雨月物語﹂の表面に強く現われ出 でた特徴であって、作者の考えなりそ強調する手段であったのであ ると考えられないであろうか。 これについて山口剛氏は﹁秋成は信を守るの筋を徽せさせるために幽霊を出現させた。とれは筋の運びがおのづからさうさせたもの ︻ 註 一 ︸ とも考へられる。﹂と述らべておられる。 また重友毅氏は﹁諸問越への真撃な探究は人間行動のあり方にも 向けられ、そ乙にさびしい侮理的批判となって示されている。︿中 略︶怪異はある時は誠実心の高揚の極として、またある時は不誠尖 心への手ひどい懲罰として出現せしめられるのであって、読者はそ とに恐怖感に似た、しかしそれとは別の深い感動に打たれざるを得 ないのである@したがってここに視点を据えれば、怪異はむしろ作 者の倫理的批判を強調するための方便であったと見る ζ ともできる ︷ 註 三 ︸ の で あ る 。 ﹂ と 述 べ て お ら れ る 。 ととで﹁雨月物誼巴の中に現われる陪民のあらわれをみてみると 次 の よ う に な る 。 篇 時代背景 は る や 。 ζ は そ れ り し を 「 て み 白 乙 る 峯 の と 」 う ち い 1−一日一一一 | 吉 で ろ
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し て と ! 山 後 中 山 中 中 時 後 た い が | 代 期 期 代 期 期 代 期 が る わ i つのカュ 名 白 峯 菊 花 の 約 浅 茅 が 宿 夢応の鯉魚 仏 法 僧 吉備津の釜 蛇 性 の 熔 青 頭 巾 貧 福 論 て、単なる山富奨小説とするならば、怪異の様相の強く現われている 怨霊諦を多くとった方が、怪異小説としてはより効果的であろう し、また読者︵一般大衆をさす﹀の興味を引くためにも、その方が よ い で あ ろ う 。 しかし九篇中には怨霊諌はわずか二篇であって、その他の篇をみ わたす時、怪異の要素の極めて少ないものもある。 さらに怪異の描写に目を点ずれば、怨震諦は勿論の ζ と、他の篤 においても‘自を奪うだけの要素はある。乙れは重友毅氏も述べて おられるように、作者の技巧に由来するものであろう。すなわち重 友氏は﹃秋成の怪異描写は、決して単に彼の幻想の測りがたい﹁霊 能﹂からおのづからに生れ来ったものではない。むしろそれより も、そ ζ に得来ったものを基に、いかにすれば読者を恐怖の底に引 き込むべく最大の効果を挙げ得るかについて、周到綿密な知的判断 が下されたと ζ ろに成。立ったものであるといふととができるので ある。︵中略︶それらの資料となり、典拠となったものは、作者の 知的判断によって、適切に整理し、按排せられて・いはば寸分の隙 ︵ 註 一 三 も な い 構 成 の 中 に : : : ︵ 略 ︶ と 述 べ て お ら れ る 。 事実、﹁雨月物語﹂は描写に中国の白話小説集、日本の古典の資 料を駆使して、よりすぐれた物語の構成をなしている。その巻々に は知識がふんだんに盛られている。 私は﹁雨月物語﹂の愛読者もまた、そのような知識を理解するこ と が で き る 所 謂 知 識 階 級 で は な か っ た ろ う か と 思 え る 。 ﹁ 雨 月 物 語 ﹂ の再版も初版から十年ほど後の天明七年頃にだされており、再版後 十余年にして三版も山山されている点から、相当の知識階級から愛読 さ れ た の で あ ろ う 。これらの点からも、﹁雨月物語﹂がいわば興味本伎につくられた ものではなく\換言すれば、怪異小説としての存在以上のものを有 し て い る と み て よ い の で は な い だ ろ う か 。 秋成の作品をみると﹁雨月物語﹂以前に﹁諸道聴耳世間猿﹂﹁刊 間妾形気﹂という西鶴の流れをくむ気質物、所謂八交字屋本と呼ば れ る も の を 出 版 し て い る 。 ﹁ 雨 月 物 語 ﹂ の 序 に よ れ ば 、 ﹁ 雨 月 物 語 ﹂ は明和五年三月に一応成立をみたわけであり、﹁世間妾形気﹂が明 和四年に成っているからして、下度一年余で気質物から怪異小説へ の 転 換 を な し え た よ う に な る 。 その当時、古く﹁日本震異記﹂﹁今昔物語集﹂にも求めることが で き る わ が 悶 に お け る 怪 異 文 学 に 、 中 国 か ら の 怪 奇 白 話 小 説 ﹁ 前 月 燈 新話﹂の及ぼすところとなって、殊に怪異文学や怪異談が流行して いたようである。これらの怪異小説の中で、秋成の﹁雨月物語﹂と いう怪異小説に大きく影響あったのは都賀庭鐘、別名,近路行者 e と称した人の﹁英草子﹂それに続く﹁繁野話﹂と一般にいわれてい る 。 乙の庭鐘の﹁英草子﹂﹁繁野話﹂、秋成の﹁雨月物話﹂も当時の 怪異小説がそうであったように、中国白話小説にその範を仰いでい るととはいうまでもない。﹁努燈新話﹂を中心とした一連の中間山 話 小 説 で あ る 。 ﹁江戸文学研究﹂の中で山口剛氏は秋成の﹁雨月物語﹂につい て、日さういふ怪異小説の聞に於て、最も傑出し、また最も高い独 自性を有するものは上回秋成の﹁雨月物語﹂である。怪異小説は ζ 乙に至って、その実を現はしたといふべきである。︵中略︶彼が翻 案の上に立って、更に翻案を重ねるが為めに、いよいよ﹁支那﹂を 遠 ざ か っ て 、 ﹁ 秋 成 ﹂ に 迫 る 便 宜 が な る 。 ﹁ 雨 月 物 語 ﹂ の 光 彩 は 一 に ここを基準として発する。単なる流行に動かされてなした﹁雨月﹂ ︽ 註 四 ︸ ではないロ彼の全心全霊が乙れを成し得たのである。﹂と述べてお ら れ る 。 事実、秋成においてはそれをそのまま臼木化したような部分もあ る。しかしそれらに中国的匂いが多分にあるにもか﹄わらず、秋成 の 筆 に な る と 、 原 話 よ り 一 一 層 秀 れ た も の と な っ て い る 。 原 話 を 中 国 白話小説にとりながら、そ乙には燦然と秋成独自の世界が現わされ て い た の で あ る 。 それでは秋成独自の世界とはどういう世界を指すのであろうか。 乙れについては秋成の特異な生い立ち、それに由来する性情、そし て怪異小説流行の素因をなしたと恩われる時代背景について述べな け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 まず秋成の生い立ちであるが、秋成は享保十九年︵一七三四年︶ 大阪曽根崎新地の妓屋に、所謂私生児として生れた。そしてまだ物 心っかぬ四才の折に、大阪堂島永来町で手広く紙油商を営んでいた 上国家の養子となった。秋成自身、自像を収めた箱の蓋に﹁無腸生 浪輩、客子京師十六年、無父不知其故、四歳母亦捨、有倖上田氏所 養﹂と記している。養家には秋成にとっては義理の姉にあたる実子 がいたが、養父母とも秋成を大層かわいがったという乙とである。 ところが五才の折、重い痘療に樫り、悪性のもので一命が危ぶま れた。そ乙で養父母はその身を案じて歌島の稲荷に祈って助命を請 うた。さしもの病も全快するに至ったのであったが、秋成はその病 毒のために生れもつかぬ片輪となってしまった。﹁雨月物語﹂の序 に 、 ﹁ 開 校 崎 人 と れ を し る す ﹂ と 署 名 あ る の も 、 ζ の 病 の た め に 不
具となった指になぞらえていったものだと恩われる。 大病した翌年、滋愛深かった養母を失い、後母がくることになっ たが、彼女もまた慈愛深い人で、秋成は養父母の必慢の下にかなり 我 俸 に 育 っ た ら し い . 重友毅氏は秋成の暗い出生と、性格とについて、﹃彼自身の出生 に 対 す る 葉 、 恥 と 苦 闘 と を 解 決 す る も の で は な か っ た 。 山 由 ヂ ろ 養 父 母 の 恩を感ずれば感ずるほど、そこに除え難い距離を感じ、突き離され た寂しさを感ずる彼であったろう。そしてそれは、 ζ れも生家に人 となって、卑しい家業に甘んじてゐたなら、必いはそれほどまで気 にしなくて済んだかも知れない指の不具に対する引け
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や背以たし さと相結んで、彼をして次第に自棄と反抗の態度を取らしめるにいで ︵ 誌 と っ た の で あ ろ う 。 ﹂ と 述 べ て お ら れ る − 。 とのような生い立ちの不幸が、若き日の秋成にとって、耐えがた い重荷となったであろうし、それに対する引け悶から、おのずと明 るさよりも附さに向う、内向的性抽柄、閉鎖的な性格を形作ったので あ ろ う ・ ま た ζ の附さは時代や社会の影響からもうかがわれる。 秋 成 が 作 山 そ ・ つ け た 一 札 . 戸 時 代 は 一 般 に 町 人 文 化 の 華 々 し く 咲 い た 附 代 だ と い わ れ て い る 。 し か し 秋 成 が 生 き た 一 享 保 の 頃 か ら 、 商 業 柑 神 的 に基づいた同人文化の発展は行き詰まりをみせ、加えて、亭保以米 の大飢僅の波状的襲米は深刻な社会問題ヘとなっていった。 秋成は丁度このような、社会に重苦しい雰囲気が謀っている時代 に町人階級のもっともめいが強かった上方に、町人として成長した のであった。したがって、こω
時代的な暗さは﹁雨月物語﹂の上に も 投 影 さ れ て い る し 、 ま た 、 秋 成 が ル ん を v つけた乙の近世中期になっ て殊に、怪異小説の流行をみたのもとの時代的な暗さから納得でき る で あ ろ う 。 堺光一氏は時代と怪異性の結びつきについて、﹁この重苦しさの 中でなお何らかの救いと解放を人聞は願望する。そして現実におい てそれが求められないとなると自然、人聞は現実の世界を超えた空 想の世界に乙れを求めようとする。か h る空想の世界での自己の願 望の充足は真に積極的でなくかっ不健康ではあるが観念的には重苦 しい人間の虚無感を一時的にみたしてくれるものである。このよう 芯消極的な要求によって、怪異曹は生れて来たものであろう。そこ では現実に満たし得ない人間性の解放が時間や空聞を超えて達成さ れる。そとではあらゆる社会的規範を無視して人間の白山な世界が ︿ 註 六 V 展 開 す る 。 ﹂ と 述 べ て お ら れ る 。 更に﹁解釈と鑑賞﹂の中でも辻森秀英氏は﹁宝腐元年に将軍吉宗 が寂し、国沼滋次時代が始まろうとしていることである。幕府政治 の衰退は併定できないととであり、縦済は引き詰って、一冗疎時代の ような希望に充ちた伎一%を見山すことは出来ない。歩一歩、文化・ 文 政 時 代 の 燭 熟 時 代 に 近 づ き つ つ あ る 。 沈 滞 と 類 出 関 と の 中 に い て 、 而も何らかの救いと解放を人聞は求める筈である。 覗実の中に救いが求められない時、空想の世界にそれが求められ るのではなかろうか。而も乙の時代は、積極的な者望の中にそれを 求めることができないで、いじけた、頚廃的なものにしか求めると 円 註 七 ︼ とができない。﹂と述べておられる。 このように重許しく押えつけられた時代の宗一囲気・退廃的であ り 、 威 圧 的 で あ り 、 附 い 俗 的 で あ っ た か ら こ そ 、 秋 成 独 内 の 何 百 異 小 説 をつくりあげることができたのであろう。﹁ 一 雨 月 物 語 ﹂ を そ の 物 語 の 主 人 公 の 行 動 を 通 じ て み ら れ る と こ ろ の信義の世界、反逆の世界、人間性本来の世界としてみる時に、人 間秋成と、以上のような時代の様相がみられるであろう。 ﹁ 雨 月 物 語 ﹂ の 各 地 加 に 摘 さ だ さ れ て い る 時 代 が 近 世 代 に あ る の で はなく、すべて過去すなわち、中世代を根拠として摘さだされてい る点からしても、中世代の方が、秋成的世界を仙くのに治していた か ら だ と も 思 わ れ る 。 時代此相の及ばす影響は、秋成の処女作である﹁諸道聴耳悶問 猿﹂にまつわる逸話にも及んでいると思える。逸話とは享保二年 ︵ 一 八
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一 一 年 ︶ 九 川 六 日 の 旧 宮 仲 出 回 一 か ら 大 岡 南 畝 宛 の 書 簡 ︵ 南 畝 著 ﹃ 一 話 一 二 一 一 に 書 収 ︶ に ﹁ 一 、 官 間 狙 之 事 、 世 上 に 存 知 候 古 老 甚 だ 稀 に 成り、相分り不巾候故、与芥に承り懸り候処、甚だ怒り、剰へ絶交 か ぎ に 及 び 巾 候 上 、 い ろ い ろ と 非 を 荘 り 候 。 ﹂ と の 一 ー 文 で あ る 。 どうして秋成が江の気質物の作者であることを否定しようとした のであろうか、興味深い問題であるが、秋成はこの気質物の作者た 忍ことを余程後悔しているように推測される。秋成の若い時、かな りの放蕩者であったことから、その勢いでもって、気質物を書いた のであろう。が、そうすれば若い時の道楽を今さら思い出したくな い気持と、そのような世界を嫌恋する気持ちがはだらきかけていた のではないだろうかロ気質物の世界は当代である。そこには前に挙 げたような退廃的、世俗的なものが満ちあふれでいる。 ﹁雨月物語﹂が時く魂の反逆を描き、あるいは秋成の理怒の品川界 を描いたのだとみる時、以上のような近住中期の時代位相によるも のであると思われる。そして R ﹁ 雨 月 物 語 ﹂ を 著 わ す と と に よ っ て 、 秋成が嫌った社会、すなわち重苦しく、あまりにも低俗化した社会 に対して、自分自身を守り、あるいはひそかに自己を慰めていたの だと思われる。﹁雨月物語﹂のなかで秋成は現実の世界を超越し て、幻界という沢界をつくりあげた。その世界は現実社会に反逆し ながらも求めた、秋成の甥想の性問介であり、また秋成が現状に甘ん じされずに、いた﹀まれずに描いた地であって、いいかえれば安住 の地をみいだすべくして描いた陛界であった。 ともかくも、秋成の人となった時代位相、環境は秋成の人格精神 形成に多大の影響を与え、更に﹁雨月物語﹂にそれは受け継がれて いると思われる。次に﹁雨月物語﹂を通して秋成の性絡ならびにそ の精神について考えてみることにしよう。 秋成の性格は﹁雨月物一誌﹂の諸篤の一応主人公と目される人物の そ れ ぞ れ に 投 影 さ れ て い る 。 先﹁菊花の約﹂では営段の秋成の姿をみる。性絡的には侃和であ り、普通の人と比べたら異常とも思われるような純粋な人である。 た Y 純粋な心ゆえに生一本なところもみられる。いわば純情にし て哲多感な心情の持ち主である。ところが、一歩誤れば﹁白峯﹂の 上皐においてみられるように融通のきかなさをさらしだす。心が 健康であれば抱くまでもない妄執に自らを縛って、苦しむのであ プ 一 d 乙乙で、このことについて森山重雄氏の述べておられる、秋成の 彼害者意識という考えをもっできたら一層理解できると思える。 森山重雄氏は秋成の被害者意識と加害者意識として、﹁秋成には 人間も動物も神も断霊もみな同一であった。牛一あるものにとって は現世とそ幽界にほかならないとみたのであろう。現世という幽界 にはいくたの加害者と、さらに多い被害者とが充満しており、たまたまぞの矛盾の尖鋭にあらわれる場合があれば、それが暦史上であ ろうとまた現代のできどとで喝ろうと、秋成はそ乙に物語結実の素 材 を み い だ し た 。 ハ 中 略 ︶ こ と に 秋 成 は 知 識 人 が 世 の 商 業 主 義 に 感 染 し 、 玩 物 喪 士 山 の 徒 と な りさがっているのを嫌悪し、とれにはげしい批判の ζ と ば を な げ つ けるとともに、さげすみの娘で自己をこうした現実から駿拒しよう とする。秋成の ζ の対社会への議離は逆におのれが人生や社会から ︷ 註 八 V 加害されているという宿命的な観念を育てていった。﹂と述べてお ら れ る 。 この森山氏のいわれる被害者意識が、﹁白峯﹂の上皇を形成した ものであろう。被害者意識は絶えず働き、加害者に対して‘その意 識は怨恨としてしか境わしえない。このような被害者意識がおのづ と妄執ヘと誘ったのであろう。そしてその被害者意識のために、秋 成は現実社会との接触において苦しんだのであろう。 私 に は ζ の被害者意識が秋成の暗い生い立ち、指の不具に因を発 しているように思える。秋成は本来、素直な人であったであろう。 それが、同払生児としての出生、指の不具など幼年時代の不幸が次第 に純粋な心不︸蝕ばみはじめ、不幸なできごとに対するひけ自と共 に 、 そ の 純 山 内 帆 日 比 識 を 募 ら せ 、 他 へ の 反 逆 へ と 向 っ て い っ た の で あ ろ う 。 いうならば、秋成の幼年時の不幸に対するコンプレックスが秋成 本来の直き心にはたらきかけ、その性情の純粋ゆえに、秋成を苦し め傷つけ、排他的な人間にしていったのであろう。 ﹁雨月物語﹂が成ったのも秋成の満されない心からだと料われ る。暗い生い文ちに劣等安感じ、そのやり場のない憤りにさらに退 廃的な社会、みにくい人間関係などと、秋成の化な精神をいためつ け る s そのようなたたきのめされた心を反逆に転じて唯一の安息所 を﹁雨月﹂の中にみいだそうとしたのであろう。 一般に秋成の性格といえば、偏狭執動にして頑僻間隔なる性質と か、調介な性格だといわれている。しかし棉介だといろ性格の底に は秋成の悲しみを隠した強がりの虚勢があるように恩われてならな ’ l v ま め と 本論で、﹁雨月物語﹂の怪異性について、それと共に作者秋成に ついて考えてきたけれども、終極的には、怪異は秋成の思想につな がるものであると忠える。当時がちょうど係異小説の流行期にあた っ て い て 、 秋 成 も そ の 流 行 に 便 乗 し た と し て も 、 ﹁ 一 雨 月 物 語 ﹂ は 単 なる悦奥小説とは異っている。﹁同月物語﹂の本質からみれば、怪 川火性は秋成の魂を現わす手段であり、いっそうそれを強調するもの で あ っ た 。 ﹁ 雨 月 物 語 ﹂ は 作 者 秋 成
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人となった重苦しく暗い時代に、俗化 しはて、すっかり退廃化した秋成自身をも介む町入社会に反逆し、 秋成本来の性情である﹁直き心﹂を現わす一泊料での開似の世界 を、思くいうならば逃避の世界を描いたにすぎない白そして特異性 はそのような時代に、環境に押しひしがれて、深い傷を負った秋成 の魂の叫ぴを現わすものであった。現実ではあらわせられない秋成 の心のわだかまりを、側凶作に託して、その悲痛な魂の発露を試みた のである。その悲痛な魂のほとばしりを、解放を摘くのにもっとも 有 効 な 手 段 で あ っ た の が 、 w l 時 流 行 の 係 異 で あ っ た 。この限りにおいては、怪異小説﹁雨月物語﹂は単なる怪談小説で はなく、封建時代に生をつけ、時代環境にとけとみきれなかった一 人の人物の、孤高にしてみい出した理想の境地の、やがてはその涜 に到達せんとして、あえいでいるある過程のなかの一過程の現われ と み て よ い で あ ろ う 。 詑一、山口剛著﹁江戸文学の研究﹂