対日戦に関する英国の大戦略
サ キ ・ ド ク リ ル 序 文 極東の戦争(一般的には太平洋戦争と呼ばれている)は、真珠湾、マレー半島、香港、 フ ィ リ ピ ン 、 お よ び 中 部 太 平 洋 の 諸 島 に 対 す る 日 本 軍 に よ る 一 連 の 攻 撃 に よ っ て 始ま っ た 。 第 二 次 世 界 大 戦 は 、 突 如 、 ユ ー ラ シ ア 大 陸 の 反 対 側 ま で 及 び 、 広 大 な 太 平 洋 に 広 が っ て い っ た の で あ る 。 英 国 外 務 省 の あ る 職 員 は 、1941 年 12 月の日本軍による奇襲のニ ュースを聞いて、日記に次のように書いた。「 日 本 が わ が 国 と 米 国 を 同 時 に 攻 撃 す る と は 思 わ な か っ た 。 日 本 は 気 が 狂 っ た に 違 い な い 」。 ま た 、 オ ー ス ト ラ リ ア の 新 聞 は 、「 わ が 国 に と っ て 最 も 深 刻 な と き 」と 報 じ た 。米 国 を パ ニ ッ ク が 包 ん で い た 。西 海 岸 の 人 々 は 、 「12 月 7 日の夜、日本の飛行機がサンフランシスコ上空を飛んでいた」と主張した。一 方、首都のワシントンでは、数人 の 上 院 議 員 が 、 敵 機 が ワ シ ン ト ン ま で わ ず か 150 マイ ルに迫っているという話を聞いたと述べた。だが、ホワイトハウスの反応は、「 優 柔 不 断 のときは終わった。危機は、全国民を団結させることになるだろう」1というように落ち 着 い た も の で あ っ た 。 英 国 の 首 相 ウ ィ ン ス ト ン ・ チ ャ ー チ ル も 同 様 の 反 応 を 示 し た 。 真 珠 湾 攻 撃 が 行 わ れ た 日 の 夜 就 寝 す る と き に 、「最終的には、我々が勝利する」と言い放っ た の で あ る 。 チ ャ ー チ ル は 、 米 国 が 英 国 の 側 に つ い た こ と で 、 こ の 世 界 的 な 戦 争 に 勝 利 する自信を深めた。彼は、次のように書いている。「 ヒ ト ラ ー の 運 命 は封じられ、ムッソ リ ー ニ の 運 命 も ま た 封 じ ら れ た 。 そ し て 、 日 本 は 粉 々 に な る だ ろ う 」2。 米 国 は 、 日 本 を 打 ち 破 る う え で 主 要 な 役 割 を 演 じ た 。 そ の た め 、 日 本 や 西 欧 の 著 述 家 ら は 、 英 国 の 戦 略 に 対 す る 分 析 を 軽 視 あ る い は 無 視 す る 傾 向 が あ っ た 。 さ ら に 、 太 平 洋 戦 争 勃 発 前 後 に 、 英 国 が ど の よ う な 極 東 戦 略 を 立 て て い た か に つ い て 、 正 し く 理 解 さ れ て い な い こ と が 多 い 。 英 国 は 日 本 の 軍 事 的 脅 威 を 軽 視 し す ぎ た の で 、 そ の 結 果 東 の 帝 国 を 失 っ た 、 あ る い は チ ャ ー チ ル は ア ジ ア と 太 平 洋 の 重 要 性 を 「 み く び っ て い た 」 と 主 張 さ れ る 場 合 も あ る 。 英 国 は す で に 力 を 使 い切 っ て い た が 、 チ ャ ー チ ル と 米 国 大 統 領 フ ラ ン ク リ ン ・ ロ ー ズ ベ ル ト と の 間 に は 「 特 別 な 関 係 」 が 構 築 さ れ て い た た め 、 英 国 は 対 日 戦 に 勝 利 す る こ と が で き た と の 見 方 も あ る3。だが、本書は、そうしたいずれの見解もす1 Christopher Throne, The Far Eastern War: States and Societies 1941-1945 (London: Unwin,
1986), pp. 4-10.
2 John Keegan, “Churchill ’s Strategy,” in Robert Blake & Wm. Roger Louis, C hurchill: A Major
New Assessment of his Life in Peace and War (Oxford: Oxford Univ. Press, 1993), p. 337.
べ て が 正 し い わ け で は な い こ と を 証 明 す る も の で あ る 。 英 国 は 世 界 各 国 に 膨 大 な 戦 略 上 、 貿 易 上 の 利 益 を 持 つ 世 界 の 強 国 で あ る 。 戦 時 お よ び 平 時 に お け る 英 国 の 戦 略 が 、 白 紙 の 状 態 で 、 あ る い は 単 一 地 域 の み を 対 象 と し て 作 成 さ れ た こ と は 決 し て な か っ た 。 太 平 洋 戦 争 時 の 英 国 の 最 高 レ ベ ル の 戦 略 を 分 析 す る た め に は 、 第 一 に 英 国 の 安 全 保 障 上 の 利 益 が ど こ に あ っ た の か 、 両 大 戦 の 間 に そ の 利 益 の 優 先 順 位 は ど の よ う に 付 け ら れ た か 、そして 1939 年から 41 年にかけての第二次世界大戦の 勃 発 に よ っ て そ の 利 益 が ど の よ う な 影 響 を 受 け た の か を 評 価 す る こ と が 重 要 で あ る 。 第 二 に 認 識 す べ き は 、 日 本 が 東 南 ア ジ ア を 攻 撃 し た と き 、 英 国 は 世 界 レ ベ ル で の 戦 争 を 遂 行 す る た め の 明 確 な 戦 略 を す で に 作 成 し て お り 、 ア ジ ア ・ 太 平 洋 地 域 で の 戦 争 は 英 国 の 軍 事 活 動 の 一 部 に 過 ぎ な か っ た こ と で あ る 。 英 国 は 、 米 英 同 盟 を 核 と す る 連 合 の 一 部 に な っ た が 、そ の た め に そ の 優 先 順 位 を 結 局 の と こ ろ 変 え る 必 要 は な か っ た 。英 国 は 当 初 、 米 国 と の 行 き 違 い を ど の よ う に 克 服 し た の だ ろ う か 。 ま た 、 欧 州 の 戦 争 は 太 平 洋 戦 争 に お け る 米 英 の 戦 略 に ど の よ う な 影 響 を 与 え た の だ ろ う か 。第 三 は 、中 国 の フ ァ ク タ ー が 、 東 南 ア ジ ア の 戦 争 へ の 取 り 組 み に お い て 米 英 同 盟 に 亀 裂 を 発 生 さ せ た こ と で あ る 。 本 書 で は 、 中 国 の フ ァ ク タ ー が 、 ビ ル マ に 対 す る 英 国 の 戦 争 戦 略 の タ イ ミ ン グ と 特 質 に ど の よ う な 影 響 を 与 え た の か に つ い て 分 析 を 加 え る 。 欧 州 の 戦 争 が 終 結 に 向 か う に つ れ 、 英 国 は 対 日 戦 の 最 終 段 階 に 参 加 す る こ と に 重 大 な 関 心 を い だ い た 。 本 書 の 最 終 セ ク シ ョ ン で は 、 英 国 の 対 日 戦 勝 利 に 対 す る戦 略 に つ い て 論 じ る 。 大 戦 略 「 戦 略 」 と い う 言 葉 は 、「 戦 術 」 と い う 言 葉 と 平 行 し て 使 用 さ れ る こ と が 多 い 。 カ ー ル ・ フ ォ ン ・ ク ラ ウ ゼ ヴ ィ ッ ツ に よ る と 、 戦 術 は 「 戦 闘 に お い て 部 隊 を 駆 使 す る 技 術 」 で あ り 、 戦 略 は 「 戦 争 に 勝 利 す る た め に 戦 闘 を 駆 使 す る 技 術 」 で あ る 。 し か し な が ら 、 War’,” in Saki Dockrill, ed. From Pearl Harbor to Hiroshima: The Second World War in Asia and
the Pacific 1941-1945 (Basingstoke: Macmillan, 1994), pp. 1 -7ff を 参 照 。 大 英 帝 国 そ の 他 に つ い て
の よ り 悲 観 的 な 見 解 に 関 し て は 、Dick Wilson, “Churchill Belittled Threat of Pacific War, ” Japan
Times (27 August, 1992) および Correlli Barnett,The Collapse of British Power (Gloucester, UK:
Alan Sutton,1972) を 参 照 。 太 平 洋 戦 争 に 関 す る 最 近 の 研 究 で は 、 英 国 を 含 む 国 際 的 な 視 点 が 考 慮 さ れ る こ と が 多 く な っ て い る の は 事 実 だ が 、1941 年 か ら 45 年の戦争指導そのもの ではなく、その原因 と 結 果 に 焦 点 が 当 て ら れ る 傾 向 が あ る 。 例 え ば 、 細 谷 千 博 ・ 入 江 昭 ・ 本 間 長 間 他 編 『 太 平 洋 戦 争 』(東 京 大 学 出 版 会 、1993 年), 軍 事 史 学 会 編 『 第 二 次 世 界 大 戦 ( 一 ) ∼ ( 三 )』(錦正社、1990∼1995 年) を 参 照 。 太 平 洋 戦 争 の 文 献 の 中 で 特 筆 す べ き2 冊 は 、Thorne, Allies of a Kind:the United States,
Britain and the War Against Japan, 1941 − 1945 (London: Hamish Hamilton,1978), お よ び
Ronald H. Spector, Eagle against the Sun: the American War with Japan(Middlesex: Penguin, 1987)であり、米国による戦争指導と共に、英国と中国の役割についても説明されている。太平洋戦 争 の 一 般 的 な 説 明 に つ い て は 、Guy Wint and John Pritchard, Total War: The Cause and Course of
the Second World War: The Greater East As ia and Pacific Conflict , Vol.2(London: Penguin, 1989 )
時間の経過に伴い、双方の言葉とも修正する必要が生じた。軍事面にとどまらず、「 経 済 戦 略 」 や 「 平 和 の た め の 戦 略 」 な ど 、 よ り 幅 広 い 文 脈 で 使 用 さ れ る よ う に な っ た か ら で あ る 。 大 戦 略 は 単 な る 戦 略 で は な く 、 よ り 広 い 目 標 と 長 期 的 な 目 標 の 双 方 を 内 包 す る 。 そ れ は 、 国家 の 資 源 を 管 理 ・ 制 御 し て 、 あ ら ゆ る 種 類 の 国 家 利 益 ― 経 済 的 、 軍 事 的 、 政 治的、そして 文化 的( 価 値 観 や 信 念 )な 利 益 ― を 最 小 限 の コ ス ト で 維 持 す る 技 術 で あ る4。 国 家 の 指 導 者 た ち は 、 国 の 経 済 的 、 政 治 的 、 軍 事 的 な ニ ー ズ を 、 戦 時 の み な ら ず 平 時 に も 有 効 な 大 戦 略 に 統 合 す る 能 力 を 持 た な く て は な ら な い 。 大 戦 略 は 、 手 段 と 目 的 を 一 致 さ せ 、 優 先 順 位 の バ ラ ン ス を と っ て 、 国 家 の 必 要 を 満 た す 技 術 な の で あ る 。 英 国 の 大 戦 略 も そ の 例 外 で は な い 。 英 国 の 大 戦 略 は 、 経 済 戦 と 同 盟 に よ る 戦 争 を 志 向 す る と い う 特 徴 を 持 つ 英 国 の 戦 争 様 式 と と も に 発 展 し た 。18 世紀から 19 世紀にかけて、 こ の 「 周 辺 戦 略 」 に よ り 、 英 国 は 極 め て 大 き な 力 を 獲 得 し た 。 強 力 な 海 軍 力 を 展 開 し て 欧 州 大 陸 の 敵 を 封 じ 込 め 、 敵 の 艦 隊 を 打 ち 破 り 、 敵 の 本 土 お よ び 海 外 領 土 を 攻 撃 し た 。 だ が 、 欧 州 大 陸 に 自 国 の 部 隊 を 派 遣 す る こ と に 以 前 か ら 消 極 的 で あ っ た 英 国 は 、 欧 州 の 傭 兵 部 隊 を 採 用 し 、 同 盟 国 の 軍 隊 に 依 存 し た 。 あ る い は 、 英 国 の 支 配 下 に あ る 大 英 帝 国 の 軍 隊 を 使 用 し た の で あ る5。英国は、全世界に多様な貿易上、戦略上の利益を有してい た た め 、 欧 州 大 陸 の 安 定 を 必 要 と し て い た 。 そ し て 、 あ る 一 国 が 支 配 的 に な り 、 欧 州 の 力のバランスが崩 れ る の を 防 ご う と し た の で あ る 。19 世紀半ばを過ぎると、英国は閉鎖 さ れ た 帝 国 経 済 圏 の 中 で 固 い 帝 国 を 構 築 す る の で は な く 、 自 由 貿 易 や 条 約 締 結 を 重 視 す る と い う 、 よ り 繊 細 で よ り 間 接 的 な 、 そ し て よ り 安 価 な 方 法 で 英 国 の 力 と 影 響 力 を 拡 大 す る こ と を 好 む よ う に な っ た 。 い わ ゆ る 大 英 帝 国 は 、 固 定 的 、 あ る い は 統 一 さ れ た 存 在 で あ っ た こ と は 一 度 も な く 、 植 民 地 、 保 護 領 、 属 領 、 自 治 領 な ど で 構 成 さ れ る 明 確 な 形 の な い 存 在 だ っ た の で あ る 。 大 英 帝 国 は 、 主 に 英 国 の 対 外 活 動 の 目 的 で は な く 、 そ の 結 果 と し て 生 ま れ た の で あ る 。 英 国 は 、 帝 国 が 自 国 の 安 全 保 障 や 、戦 略 上 ・ 貿 易 上 の 利 益 を「明確に規定する」ものであるとは決して考えなかった6。当時の大英帝国は英国の利 益 の 源 泉 で あ り 、 英 国 の 優 勢 を 象 徴 す る 言 葉 だ っ た の で あ る 。 20 世紀に入ると、英国の運命は変わり始めた。欧州大陸に産業革命が波及し、米国が 英 国 の 海 軍 力 と 富 を 凌 駕 す る よ う に な っ た の で あ る 。 伝 統 的 な 大 戦 略 の 最 初 の 破 綻 は 、 第 一 次 世 界 大 戦 の と き に 起 こ っ た 。 こ の 大 戦 も 同 盟 間 の 戦 争 で あ っ た が 、 英 国 は 大 規 模
4 Paul Kennedy, “Grand Strategy in War and Peace: Towards a Broader Definition,” in Paul
Kennedy, ed., Grand Strategies in War and Peace (New Haven: Yale Univ. Press, 1991), pp.1 -5ff.
5 英 国 の 戦 争 様 式 に 関 す る 簡 潔 な 説 明 に つ い て は 、David French, The British Way in Warfare,
1688-2000 (London: Unwin Hyman, 1990), pp. xi-xviii 参照。
6 Bernard Porter, The Lion's Share: A Short history of British Imperialism, 1850-1983 (London:
Longman, 1984), pp. 1 -7; John Darwin, Britain and Decolonisation: The Retreat from Empire in
な 部 隊 ( こ こ で も 、 イ ン ド お よ び 自 治 領 の 部 隊 が 大 き な 貢 献 を し た ) を 欧 州 大 陸 に 派 遣 せ ざ る を 得 な か っ た 。そ し て 、第 一 次世界 大 戦 の 終 結 は 英 国 に 新 た な 責 任 を も た ら し た 。 ド イ ツ が 敗 北 し た 欧 州 の 平 和 、 お よ び オ ス マ ン 帝 国 が 崩 壊 し た 中 東 の 平 和 を 維 持 す る 責 任 を 担 っ た の で あ る 。 要 す る に 英 国 の 相 対 的 な 力 は 増 大 し た 。 ラ イ バ ル 国 が 消 滅 、 あ る い は ( 世 界 で は な く ) 地 域 の 大 国 に 没 落 し た か ら で あ る 。 そ の こ ろ 、 米 国 は す で に 経 済 力 ・ 工 業 力 で 英 国 を 上 回 っ て い た が 、 第 一 次 大 戦 後 孤 立 主 義 に 陥 っ て い た 。 そ の 結 果 、 英 国 は 第 一 次 世 界 大 戦 で 経 済 的 に 弱 体 化 し て い た に も か か わ ら ず 、 依 然 と し て 世 界 唯 一 の 大 国 の 地 位 に 止 ま っ た の で あ る7。貿易面でも、欧州大陸や海外で危機が発生したとき の 人 的 資 源 確 保 の 面 で も 、 帝 国 の 構 成 要 素 に よ り 依 存 す る よ う に な っ た 。 第 一 次 世 界 大 戦 が 終 了 す る と 、 自 治 領 ( 大 英 帝 国 内 で 自 治 権 を 持 つ 国 家 ) は 、 英 本 国 の 安 全 保 障 上 の 利 益 を 満 た す た め に 自 国 の 人 材 を 犠 牲 に す る こ と を 強 く 躊 躇 す る よ う に な っ た が 、 一 方 で 、 ア ジ ア ・ 太 平 洋 地 域 で の 日 本 の 脅 威 の 増 大 か ら 自 分 た ち を 守 っ て く れ る こ と を 英 国 に 期 待 し た の で あ る 。 第 二 次 世 界 大 戦 が 勃 発 す る 前 、 オ ー ス ト ラ リ ア と ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド の 防 衛 費 はGNP の 1%未満だったが、英国の GNP に対する防衛費の 割 合 は 、 そ の5 倍にも達していた。以前は英国の極めて重 要な人的供給源であったイン ドは、 部隊 を イ ン ド 国 外で使 用 するこ と に反対 し 始めた 。 そし て 、1933 年以降、英国政 府 は イ ン ド 亜 大 陸 の 外 に 徴 兵 さ れ た イ ン ド 兵 部 隊 を 展 開 す る 場 合 に は 、 給 与 を 支 給 し な け れ ば な ら な く な っ た の で 、 大 英 帝 国 の 部 隊 の 使 用 が さ ら に 高 価 に つ く よ う に な っ た 。 1918 年の選挙法改正により、英国社会がより民主化され、戦費がかさんだ第一次世界大 戦 の あ と に 、 英 国 の 大 衆 は 軍 事 費 の 削 減 と 社 会 保 障 費 の 増 額 を 要 求 し た8。 し か し 、 そ う し た 不 利 な 状 況 自 体 が 英 国 の 安 全 保 障 上 の 利 益 に 直 ち に 影 響 を 与 え る こ とはなかった。英国 は、第一次世界大戦後軍事的脅威が縮小したため、1919 年には「 10 年 規 則 」 を 採 用 す る こ と が 可 能 と な っ た 。 欧 州 大 陸 で 今 後 10 年間は戦争が起こらない で あ ろ う と の 想 定 に 基 づ い た 原 則 で あ る 。 そ の 後 の 内 閣 も 、 防 衛 支 出 を 最 小 限 に 抑 制 し た 。 英 国 は 、 極 東 に お い て 最 終 的 に は 英 国 の 海 軍 力 を 凌 ぐ 可 能 性 が あ る 日 本 と 米 国 の 軍 事 力 の 増 大 に 対 す る 監 視 を 強 め た 。1919 年、英国のジェリコー提督(前海軍軍令部長) は 、 シ ン ガ ポ ー ル に 海 軍 基 地 を 建 設 す る こ と を 提 唱 し た が 、 費 用 が あ ま り に も 多 額 に な るとの理由で、その案は前進しなかった。しかし、1921 年に英国は、日本の海軍力の脅 威 を 「 抑 止 す る 」 手 段 と し て シ ン ガ ポ ー ル に 基 地 を 建 設 す る こ と を 発 表 し た の で あ る 。 基 地 が 建 設 さ れ れ ば 、 非 常 時 に は 艦 隊 を そ の 基 地 に 派 遣 す る こ と が 可 能 と な る 。 当 時 、
7 French, The British Way in Warfare, p. 175; Paul Kennedy, The Rise and Fall of the Great
Powers (New York: Random House, 1987), pp. 275 -291.
8 French, The British Way in Warfare, pp. 179 -180, 185-186. ディヴィッド・レイノルズ「イギリ
米 国 の 潜 在 的 な 能 力 を 認 識 し て い た 英 国 は 、 消 耗 的 か つ 高 価 な 米 国 と の 戦 争 の 可 能 性 を 度 外 視 し て い た 。 戦 争 で は な く 、 米 国 と の 協 力 の な か に 英 国 の 安 全 保 障 が あ る と の 見 解 を 固 め て い た の で あ る 。 南 ア フ リ カ と カ ナ ダ も 英 日 同 盟 の 維 持 は 、 米 国 と 大 英 帝 国 と の 関 係 を 損 な う こ と に な る と 英 国 に 警 告 し た 。 英 日 同 盟 は 、 日 本 、 米 国 、 英 国 を は じ め と す る 四 大 海 軍 国が 、1921 年にワシントン会議において 4 国条約を締結したことにより、 消滅した9。 チ ャ ー チ ル は 、 次 の よ う に 回 想 し て い る 。「 我 が 国 の 力 と 優 位 の 源 泉 で あ っ た 日 本 と の 同 盟 に 終 止 符 を 打 つ の は 残 念 だ が 、 日 本 お よ び 米 国 と の 友 情 の 間 で 選 択 を 迫 ら れ た と き に 、 我 々 が 進 む べ き 道 に つ い て 迷 っ た こ と は な か っ た 」10。1920 年代半ばま で に は 、 見 せ か け の 安 定 が 欧 州 に 回 復 し て い た 。1928 年に英国政府は、10 年規則を延 長 す る こ と を 決 定 し 、 シ ン ガ ポ ー ル で の 基 地 建 設 を は じ め と す る い く つ か の プ ロ ジ ェ ク ト を 延 期 し た 。 ド イ ツ は 依 然 と し て ロ カ ル ノ お よ び ヴ ェ ル サ イ ユ の 両 条 約 に 縛 ら れ て お り、1925 年以降の英・仏・独三国間の和解の風潮は、日本が欧州の列強と同盟を組むの を 阻 む こ と に な っ た 。1933 年まで英国は、日本が英国への脅威になる可能性は少ないと の 考 え に 固 執 し て い た 。 英 国 外 務 省 は 、 中 国 の 共 産 主 義 の 拡 大 、 お よ び そ れ が 上 海 で の 英 国 の プ レ ゼ ン ス に 与 え る 影 響 に 、 よ り 強 い 懸 念 を 抱 い て い た11。 両 大 戦 間 の 早 い 時 期 の 平 時 に お け る 英 国 の 大 戦 略 で は 、 外 交 あ る い は 条 約 締 結 に よ っ て 潜 在 的 な 敵 を 抑 止 す る こ と が 重 視 さ れ て お り 、 潜 在 的 、 あ る い は 仮 想 の 脅 威 に 対 す る 軍 事 的 な 準 備 を 行 う こ とに 、 英 国 は 極 め て 消 極 的 で あ っ た 。 1 9 3 1 年 か ら 1 9 4 1 年 に お け る 英 国 の 世 界 的 な 安 全 保 障 上 の 利 益 の 優 先 順 位 1931 年以降、国際的なシステムは急激に悪化への道を辿った。日本は満州に手を伸ば し 、 日 本 の 傀 儡 国 家 で あ る 満 州 国 を 樹 立 し て 、1933 年 3 月には、国際連盟から脱退し た。そして、1936 年1月 15 日にはロンドン海軍軍縮会議からも脱退した。1933 年の 末 に な る と 、 ア ド ル フ ・ ヒ ト ラ ー に 率 い ら れ て い た ド イ ツ も 、 軍 縮 会 議 と 国 際 連 盟 の 双 方 か ら 脱 退 し 、1937 年 11 月には日本とドイツにイタリアが参加し、三国防共協 定が形 成 さ れ た 。 そ し て 、 そ の 協 定 が 1940 年 9 月に三国軍事同盟に発展したのである。それ は 、 英 国 が そ の 安 全 保 障 上 の 利 益 の 優 先 順 位 を 付 け る べ き と き で あ っ た 。 1934 年に新設され、閣僚のモーリス・ハンキー卿が委員長を務めた国防諮問委員会は、
9 James Neidpath, The Singapore Naval Base (Oxford: Clarendon, 1981), pp. 28-31; David Dilks,
ed., Retreat From Power, 1906 -1939 (London: Longman, 1981), pp. 12 -14.
10 Winston, S.Churchill, The Second World War:the G rand Alliance, Vol.3 (London: Cassell, 1950),
p. 516.
11Anthony Best, British Intelligence and the Japanese Challenge in Asia, 1914 -1941
地 理 的 に 近 く 、 経 済 的 な 潜 在 力 も あ る ド イ ツ が 、 日 本 よ り 「 強 大 な 敵 国 」 で あ る と 結 論 付 け た 。 委 員 会 は 、 大 英 帝 国 東 部 の 防 衛 に 関 し て は シ ン ガ ポ ー ル の 基 地 を 完 成 さ せ る こ と を 提 案 し た が( 基 地 の 建 設 は 前 年 に 再 開 さ れ て い た )、日 本 と は 外 交 的 手 段 で 関 係 を 回 復 す る こ と が 可 能 で あ り 、 そ う す べ き で ある と 考 え た12。 従 っ て 、 英 国 の 再 軍 備 計 画 で は 防 空 が 最 優 先 事 項 で 、 次 に 海 上 貿 易 の 保 護 と 帝 国 の 防 衛 が 優 先 さ れ 、 派 遣 軍 は 第 三 の 優 先 事 項 と さ れ た の で あ る 。 ま た 、 防 衛 と 経 済 の 適 正 な バ ラ ン ス を と る こ と も 重 要 で あ っ た 。1934 年から 1937 年にかけて、ネヴィル・チェンバレン蔵相は、再軍備が経済の 民 間 部 門 に 影 響 を 与 え た り 生 活 水 準 を 低 下 さ せ る こ と は な い よ う 試 み た 。 実 際 、 英 国 の GNP に占める防衛費の割合は 1935 年にはわずか 3%だったが、1939 年には最終的に約 18%まで増加した。一方、1935 年のドイツの防衛費は GNP の8%だ ったが、第二次世 界 大 戦 が 勃 発 す る 前 に は 23%に上昇していたのである。日本の再軍備は、1937 年に本 格的に開始され、1940 年になると国家予算の半分近くが軍事支出に向けられたのである。 1941 年の日本では、民間使用に割り当てられる石油あるいはガソリンはなく(自動車は 石 炭 を 燃 焼 さ せ る 蒸 気 機 関 に よ っ て 走 ら ね ば な ら な か っ た )、 食 糧 と 生 活 必 需 品 ( 石 炭 、 砂 糖 、 マ ッ チ 、 米 、 塩 、 綿 な ど ) に は 厳 し い 配 給 制 度 が 適 用 さ れ た13。 1939 年から 1941 年にかけて、英国の優先順位の決定は、より明らかになった。1940 年6 月、フランスが降伏し(そして、英国は欧州の戦争で唯一の主要な同盟国を失った)、 イ タ リ ア が 枢 軸 側 に つ い て 参 戦 し 、1941 年にはヒトラーがソ連を攻撃した。それらの要 素 す べ て が 、 オ ー ス ト ラ リ ア と ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド が 、 あ る 期 間 緊 急 の 課 題 と み な し て い た シ ン ガ ポ ー ル の 防 衛 準 備 を 行 う 英 国 の 能 力 を 削 い で い っ た 。 帝 国 の 東 側 の 防 衛 で は な く 、 ド イ ツ を 攻 撃 す る た め に 、 英 国 空 軍 は 構 築 さ れ て い た 。 ソ ビ エ ト 連 邦 と の 新 た な 同 盟 を 維 持 す る こ と は 、 欧 州 の 戦 争 に お い て も う ひ と つ の 重 要 な 考 慮 事 項 と な っ た 。 と い うのは、英国は、1937 年から 1938 年における大 粛清後のソ連の軍事力を当初は過小評 価 し て い た か ら で あ る 。 チ ャ ー チ ル は 、 ボ ル シ ェ ヴ ィ キ に 対 す る 憎 悪 を 長 年 に わ た っ て 抱 い て い た が 、「 ヒ ト ラ ー は 協 力 し て 戦 う べ き 敵 で あ る と の 原 則 に 基 づ き 、ロ シ ア 人 に 可 能 な 限 り の 激 励 と 支 援 」 を 与 え る こ と を 決 意 し た 。1941 年 9 月、英国の貴重な戦闘機 は 、 マ レ ー や シ ン ガ ポ ー ル で は な く 、 ロ シ ア に 送 ら れ た14。 恐 ら く 、 英 国 の 対 シ ン ガ ポ ー ル 戦 略 の 最 大 の 障 害 は 、 フ ラ ン ス の 敗 北 と 、 イ タ リ ア の 枢 軸 へ の 加 盟 で あ っ た 。 前 者 は 、 日 本 の イ ン ド シ ナ へ の 侵 入 を 容 易 に し 、 極 東 で の 戦 争
12 “Defence Requirements Sub-Committee Report,” 28 Feb. 1934, DRC14, CAB16/109 cited in
Michael Howard, “British Military Preparations for the Second World War,” in Dilks, ed., Retreat
From Power, pp. 108 -109.
13 French, The British Way in Warfare, p. 194. 林茂『太平洋戦争』( 中 央 公 論 社 、1980 年)173-1 8 3
頁 。 藤 原 彰 『 日 本 軍 事 史 』 上 巻 ( 日 本 評 論 社 、1987 年)254 -67 頁。
14 Martin Gilbert, Finest Hour: Winston.S.Churchill, 1939-1941 (London: Heinemann, 1983), p.
の 可 能 性 を 高 め る と 共 に 、 地 中 海 に お い て イ タ リ ア を 封 じ 込 め る の に 役 立 つ フ ラ ン ス の 海 軍 力 を 英 国 か ら 奪 い と っ た 。 シ ン ガ ポ ー ル の 基 地 は 最 終 的 に 1938 年に完成したが、 英 国 艦 隊 は 地 中 海 に 集 中 し て い た 。1939 年 11 月、各軍の参謀長は、イタリアの脅威に 対 抗 す る こ と を 目 的 と し て 、 次 の よ う な 見 解 を 発 表 し た 。「地中海、スエズ運河、そして 紅 海 か ら 東 洋 に 至 る 海 上 ル ー ト は 、 こ の 戦 域 に お け る 英 国 の 第 一 の 戦 略 的 利 益 で あ り 、 そ の 次 に く る の が 英 領 の イ ラ ン 油 田 、 お よ び イ ン ド 北 西 部 の 国 境 地 帯 で あ る 」15。 イ タ リ ア の 参 戦 は 、 英 国 の 安 全 保 障 の 第 二 の 柱 を 脅 か し た 。 そ し て 、 帝 国 東 部 の 防 衛 は さ ら に 遅 れ る こ と に な っ た 。 ま た 、 英 国 の 対 シ ン ガ ポ ー ル 戦 略 は 、 シ ン ガ ポ ー ル お よ び マ レ ー の 防 衛 、 あ る い は 、 東 洋 の 大 英 帝 国 の 防 衛 に 対 す る 米 国 の 否 定 的 な 姿 勢 に よ り 、 一 層 蝕まれた16。 1939 年から 1941 年にかけて、英国の安全保障上の利益に優先順位が付けられ、英国 を ド イ ツ の 侵 略 か ら 守 る こ と が 最 優 先 事 項 に さ れ た 。 大 英 帝 国 に 関 し て は 、 地 中 海 / 中 東 の 防 衛 が 第 一 の 優 先 事 項 で 、 帝 国 東 部 の 防 衛 が 第 二 で あ っ た 。 そ し て 、 太 平 洋 の 自 治 領 か ら せ か さ れ て は い た も の の 、 英 国 は 、 極 東 で 大 規 模 な 危 機 が 発 生 し た と き の オ ー ス ト ラ リ ア とニ ュ ー ジ ー ラ ン ド の 防 衛 に 関 し て は 明 確 な 保 証 を 与 え る こ と が で き な か っ た の で あ る 。 い ず れ に し て も 、 日 本 は 1937 年以降、中国で戦争を行っていた。英国は、 中 国 の 窮 状 に 同 情 は し た が 、主 に 上 海 と 香 港 に お け る 貿 易 上 、戦 略 上 の 利 益 を 考 慮 し て 、 中 国 を 支 援 し た 。 も ち ろ ん 、 英 国 の 満 州 に お け る 利 益 は ほ と ん ど な か っ た 。 英 国 は 、 満 州 は 中 国 に と っ て 必 須 の 部 分 で あ る と は 決 し て 考 え な か っ た 。 英 国 の 多 く の 指 導 者 は 、 日 本 が 満 州 を 支 配 す る こ と に 対 し て 、 ほ と ん ど 反 対 し な か っ た 。 英 国 か ら 見 れ ば 、 太 平 洋 に 進 出 し よ う と い う 日 本 の 矛 先 を 満 州 へ 振 り 向 け る とい う 明 確 な 利 点 が あ っ た の で あ る17。 い ず れ に し て も 、 太 平 洋 戦 争 が 勃 発 す る ま で 、 英 国 は 日 米 間 の 細 部 に わ た る 交 渉 に は 関 与 し な か っ た 。 日 中 の 紛 争 を 解 決 す る の は 主 に 米 国 の 問 題 で あ る と み な し て い た 18。 英 国 の 世 界 戦 略 と い う 、 よ り 広 い 文 脈 の 中 で 考 え る と 、 極 東 の 紛 争 は 主 要 な 問 題 で はなか った の で あ る 。 そ う し た す べ て の 要 素 が 、1941 年日本の意図に対する英国の相矛盾する対応につなが っ た 。 そ の 年 、 チ ャ ー チ ル も 英 国 外 務 省 も 、 ド イ ツ が ロ シ ア に 勝 利 す る 前 に 日 本 が シ ン ガ ポ ー ル を 攻 撃 す る こ と は な い と 考 え て い た19。 事 実 、 日 本 が い つ 、 最 終 的 に ル ビ コ ン
15 WP(39)148, 28 Nov.1939, CAB80/5 cited in John Pritchard, “Winston Churchill, the Milita r y
and Imperial Defence in East Asia,” Saki Dockrill, ed. From Pearl Harbor to Hiroshima, p. 34.
16 Pritchard, op.cit., pp. 41 -42.
17 Peter Lowe, Great Britain and the Origins of the Pacific War (Oxford: Clarendon, 1977), pp.
6-7 .
18 イアン・ニッシュ(相澤淳訳)「 ア ジ ア ・ 太 平 洋 戦 争の 終 結 と イ ギ リ ス 」( 軍 事 史 学 会 編 『 第 二 次 世
界 大 戦 』(三) 錦 正 社 、1995 年)282 頁。
川 を 渡 る 決 意 を 固 め た か を 検 証 す る の は 難 し い 。 右 翼 で 拡 張 主 義 者 で あ っ た 日 本 の 松 岡 洋右外務大臣は、1940 年に三国同盟を締結した。また、松岡はシンガポールへの攻撃を は じ め と す る 南 方 へ の 進 出 を 支 持 し た 。 近 衛 首 相 は 、 ア ジ ア ・ 太 平 洋 地 域 に お け る 日 本 の 勢 力 範 囲 に 関 す る 問 題 を 米 国 と の 交 渉 に よ っ て 解 決 す る 望 み を ま だ 捨 て て お ら ず 、 1941 年 7 月に内閣を解散して松岡を罷免した20。太平洋戦争への作戦準備が本格化した の は 、1941 年の秋になってからのことであった。日本の帝国陸軍は 1941 年 9 月には作 戦 計 画 の 作 成 を 完 了 し 、同年の 10 月に本格的な軍事訓練に着手した。日本海軍は、適 切 な 種 類 の 魚 雷 の 調 達 に 苦 労 し て い た 。 そ の 魚 雷 は 、 の ち の 真 珠 湾 作 戦 で 重 要 な 役 割 を 担 う こ と に な っ た の で あ る 。1941 年 11 月になってようやく、日本海軍は魚雷の操作に 成 功 し た 。 チ ャ ー チ ル が 、 日 本 は 東 南 ア ジ ア に お い て 軍 事 的 な 冒 険 を 開 始 す る こ と は な い と 確 信 し た と し て も 、 そ れ が 不 合 理 な 判 断 で あ っ た と は 思 え な い 。 な ぜ な ら 、 戦 争 を 選 択 す る と い う 日 本 の 事 実 上 の 軍 事 的 決 定 は 、 様 々 な 考 え が 交 錯 し 、 多 く の 混 乱 が 発 生 し た 末 に 、 ぎ り ぎ り に な っ て 行 わ れ た か ら で あ る21。 英 国 の 大 戦 略 と 同 盟 国 ― 相 違 の 克 服 英 国 の 資 源 が 限 ら れ て い る こ と を 念 頭 に 置 い て 、 戦 争 に 関 す る 最 も 重 大 な 決 断 を 行 っ た の は 、 チ ャ ー チ ル で あ る 。 彼 は 、 相 互 に 関 連 を 持 ち 、 英 国 の 大 戦 略 の 形 成 に 大 な り 小 な り 貢 献 す る 様 々 な レ ベ ル の 、 様 々 な 戦 略 を よ り 広 範 な 文 脈 の 中 に 組 み 入 れ る 能 力 を 持 っ て い た 。 強 い 意 志 と 大 胆 さ を 持 ち 、 と き に は 無 謀 な 行 動 に も 出 る チ ャ ー チ ル は 、 原 則 に 基 づ い て 行 動 し 、 戦 争 中 も 終 始 、 そ の 姿 勢 を 崩 す こ と は な か っ た22。 1941 年は英国の大戦略が変化した年であった。その年の末、ソ連、中国、米国が同盟 国 と し て 英 国 の 側 に つ い た 。そ し て 、 第 二 次 世 界 大 戦 は 世 界 的 な 同 盟 に よ っ て 戦 わ れ る こ と に な っ た 。 英 国 に と っ て 最 も 重 要 な 同 盟 国 は 米 国 で あ り 、 チ ャ ー チ ル の 最 初 の 任 務 は 、 両 大 国 間 の 相 違 を 最 小 限 に 抑 制 し 、 米 国 が 英 国 の 大 戦 略 を 支 持 し て く れ る よ う に す る こ と で あ っ た 。 そ の 後 、 第 二 次 世 界 大 戦 が 終 了 す る ま で 、 最 も 高 い レ ベ ル に お け る 英 米 の 戦 略 が 、 世 界 的 な 同 盟 に よ る 戦 争 の 進 路 を 決 定 付 け る こ と に な っ た 。 か つ て 、チ ャ ー チ ル は ア メ リ カ 人 を 次 の よ う に 評 し た こ と が あ る 。「 彼 ら は 大 量 生 産 ス タ イ ル の 思 考 様 式 を 持 っ て お り 、 そ の た め あ ま り に も 近 視 眼 的 で あ ま り に も 直 接 的 、 直
20 Saki Dockrill, “Hirohito, the Emperor ’s Army and Pearl Harbor, ” Review of International
Studies , 18 (1992), pp. 324 -8.
21 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ハワイ作戦』( 朝 雲 新 聞 社 、1967 年 )12-19、189 -193 頁, お
よ び 『 戦 史 叢 書 大 本 営 海 軍 部 聯 合 艦 隊 (2)』(朝雲新聞社、1975 年)523 頁 。 ま た 、Saki Dockrill, “Hirohito,the Emperor's Army and Pearl Harbor, ” pp. 329 -332.
22 チ ャ ー チ ル の 指 導 力 に つ い て の 最 近 の 研 究 に 関 し て は 、Eliot A. Cohen, Supreme Command:
截 的 に な り 、 軍 事 的 勝 利 に こ だ わ り す ぎ 、 そ し て 戦 争 の 大 き な 目 標 を 忘 れ て し ま う 傾 向 がある」23。 チ ャ ー チ ル は 、 日 本 の 奇 襲 攻 撃 に 激 怒 し た 米 国 は 太 平 洋 で 日 本 に 対 す る 迅 速 な 行 動 を 起 こ す こ と を 欲 す る だ ろ う と 予 想 し た が 、 そ れ は 的 を 射 た も の で あ っ た 。 だ が 、 そ う な る と 米 国 の 関 心 と 資 源 は 、 ナ チ ス ・ ド イ ツ と の 戦 争 か ら 分 散 さ れ て し ま う こ とになる。1941 年 12 月 22 日から 1942 年 1 月 3 日かけてワシントンで開かれたアルカ デ ィ ア 会 談 に お い て 、 チ ャ ー チ ル は フ ラ ン ク リ ン ・ ロ ー ズ ベ ル ト 米 大 統 領 と 会 見 し 、 長 期 的 な 戦 争 戦 略 に つ い て 話 し 合 っ た 。 チ ャ ー チ ル と 英 国 の 軍 事 指 導 者 た ち は 、 周 到 な 準 備 と 打 合 せ を 終 え て ワ シ ン ト ン に 乗 り 込 み 、 相 手 側 で あ る 米 国 の 油 断 に 付 け 込 ん だ 。 英 国 が 参 戦 し て か ら す で に2 年以上が経過しており、英国の軍隊はすでに戦線に投入され て い た 。 そ し て 、 十 分 に 組 織 化 さ れ た 官 僚 が 国 家 の 戦 争 活 動 を 支 援 し て い た の で あ る 。 そ の 会 議 に お い て 、 欧 州 を 最 優 先 す る 戦 略 と ア ジ ア ・ 太 平 洋 戦 域 の 防 衛 戦 略 が 確 認 さ れ た24。 欧 州 最 優 先 の 戦 略 は 、 英 国 が 米 国 に 押 し つ け た も の で は 決 し て な か っ た 。 ロ ー ズ ベ ル ト は 抜 け 目 が な く 、 得 体 の 知 れ な い 政 治 家 で 、 米 国 が 担 う べ き 国 際 的 な 役 割 を 認 識 し て お り 、 集 団 安 全 保 障 を 通 し て 戦 後 の 新 し い 世 界 秩 序 を 構 築 す る こ と を 目 指 し て い た 。 ロ ー ズ ベ ル ト 政 権 は 、 ミ ュ ン ヘ ン 会 談 に よ る 和 解 が 失 敗 に 終 わ っ た あ と 、 当 然 の こ と な が ら、欧 州 の 民 主 主 義 へ の 脅 威 の 増 大 に 対 し て 警 戒 感 を 強 め て い た 。ロ ー ズ ベ ル ト 政 権 は 、 1940 年 9 月に三国同盟が締結されたのを受けて、欧州の戦争がアジア・太平洋地域に 拡 大 す る 可 能 性 が あ る こ と を 認 識 し た 。1941 年に米国は、英国さらに中国の財政負担を 軽減す るよ う 模 索 し 、Lend-Lease(軍事物資貸与プログラム)を実施した。米国の軍事 計画立 案者 は 数 多 く の 不 測 事 態 対 応 計 画 を 作 成 し た 。 そ の 計 画 で は 、 日 本 に 対 す る 防 衛 作 戦 を 実 施 す る 一 方 、 欧 州 の 防 衛 が 優 先 さ れ た 。1941 年 2 月、英国と米国は欧州最優 先 の 戦 略 に 合 意 し た25。 従 っ て 、 チ ャ ー チ ル と ロ ー ズ ベ ル ト は 、 ナ チ ス ・ ド イ ツ の 脅 威 に つ い て は 完 全 に 合 意 し た の で あ る 。 二 人 は 、 ド イ ツ の 敗 北 は 必 然 的 か つ 最 終 的 に は 、 日 本 の 敗 北 に つ な が る と 考 え た が 、 日 本 の み 先 に 敗 北 す る こ と が 、 第 二 次 世 界 大 戦 の 終 結 に つ な が る か ど う か
23 Maurice Matloff, “Allied Strategy in Europe, 1939-1945,” in Peter Paret, ed. Makers of Modern
Strategy: From Machiavelli to the Nuclear Age (Princeton: Princeton Univ. Press, 1986), pp. 691,
697.
24 Spector, Eagle Against the Sun, p. 127; R.A.C.Parker, Struggle for Survival: the History of the
Second World War (Oxford: Oxford Univ. Press, 1989), p. 117; John Charmley, Churchill: the End of Glory: A Political Biography (London: Hodder and Stoughton, 1993), pp. 475 -476.
25 Warren F. Kimball, “Wheel Within a Wheel: Churchill, Roosevelt, and the Special
Relationship,” in Blake & Louis, ed. Churchill , p. 296-299; Matloff, “Allied Strategy, ” in Paret, ed.
Makers of Modern Strategy, p. 680; D. Clayton James, “American and Japanese Strategies in the
は 分 か ら な か っ た26。 チ ャ ー チ ル と ロ ー ズ ベ ル ト の 関 係 は 、 ロ ー ズ ベ ル ト が 亡 く な る ま で 親 密 で あ っ た が 、 そ れ は 、 両 国 が 連 合 国の 戦 争 努 力 の 方 向 に つ い て 、 す べ て の 点 で 意 見 が 一 致 し た こ と を 意 味 す る も の で は な い 。国 際 問 題 に つ い て の 長 い 経 験 を 持 つ 英 国 は 、 特 定 の 諸 国 に 対 す る 明 確 な 意 見 や 先 入 観 を 持 っ て い た 。 例 え ば 、 ソ 連 は 帝 政 ロ シ ア に 共 産 主 義 が 加 わ っ た も の で あ り 、 か つ て ロ シ ア 帝 国 が 示 し た 拡 張 主 義 的 な 傾 向 を ミ ッ ク ス し た 国 で あ る と 見 て い た 。 ま た 、 英 国 は 国 際 紛 争 を 米 国 が 好 む 集 団 安 全 保 障 で は な く 、 地 政 学 的 な 調 停 で 解 決 し よ う と す る 傾 向 が あ っ た 。 そ し て 、 国 際 的 な シ ス テ ム に お け る 新 参 者 で あ る 日 本 な ど の 諸 国 に 対 し て 、 父 親 的 温 情 主 義 で 接 し よ う と し た の で あ る 。 チ ャーチルは「日本は歴史は長いが背景のない国」で、「 英 国 と 米 国 の 指 導 」 の 下 で 近 代 的 な 工 業 国 家 に 生 ま れ 変 わ っ た と 考 え て い た 。 従 っ て 、 チ ャ ー チ ル に 言 わ せ れ ば 米 国 も 英 国 も 新 生 日 本 の 「 代 父 母 」 な の で あ る27。 ローズベルトは、チャーチルの政治観は「古臭く」、ビクトリア朝の価値観に染まって い る と 考 え て い た 。 従 っ て 、 第 二 次 世 界 大 戦 が 勃 発 し な か っ た ら 、 二 人 が 親 友 に な る こ と は な か っ た だ ろ う28。 米 国 は 、 英 国 の 帝 国 主 義 的 な 利 益 、 お よ び 戦 後 の ア ジ ア そ の 他 地 域 に お け る 英 国 の 意 図 に つ い て 疑 念 を 抱 き 続 け て い た 。 さ ら に 重 要 な の は 、 米 国 は 真 珠湾 攻 撃 に よ っ て 戦 争 に 引 き ず り 込 ま れ た が 、 本 来 は 伝 統 的 に 欧 州 の 紛 争 に 介 入 す る こ と に 消 極 的 だ っ た こ と で あ る 。 も ち ろ ん 、 米 国 の 国 民 と 軍 事 指 導 者 た ち は 、 日 本 を 直 接 の 敵 と み な し て お り 、 欧 州 最 優 先 戦 略 の 制 約 の な か で 、 日 本 を 可 能 な 限 り 早 く 打 ち 破 り た い と 考 え て い た 。 だ が 、 日 本 打 倒 に 関 す る チ ャ ー チ ル の 考 え 方 は や や 異 な っ て い た 。 ア ル カ デ ィ ア 会 談 に お い て 米 国 に 提 示 さ れ た 覚 書 に お い て 、 英 国 首 相 は 、 日 本 は 「 中 国 で の 消 耗 戦 に よ っ て 、 長 期 に わ た っ て 張 り つ め て お り 、 真 珠 湾 攻 撃 の と き の 力 が 最 大 で あ っ た 」 と 主 張 し た 。 従 っ て 、 チ ャ ー チ ル の 処方 箋 は 、 最 近 の 勝 利 に よ っ て も た ら さ れ る 果 実 を 享 受 さ せ な い た め に 、 日 本 が 占 領 し た 領 土 に お い て 日 本 を 「 忙 殺 さ せ て 」 お く と 共 に 、 日 本 の 戦 争 行 動 に 休 む 暇 を 与 え な い と い う も の で あ っ た 。 英 米 と も 、 そ れ を 実 現 す る た め に 、 連 合 国 は 可 能 な 場 所 で 日 本 に 対 す る 限 定 的 な 攻 撃 を 仕 掛 け る べ き で あ る と 考 え た29。 そ う す れ ば 、 連 合 国 は 最 小 限 の 費 用 で 日 本 を 疲 弊 さ せ 、 掃 討 作 戦 レ ベ ル の 対 日 最 終 作 戦 を 実 施 す る こ と が で き る は ず で あ っ た 。 そ れ が 、 チ ャ ー チ ル の 典 型 的 な 「 周 辺 戦 略 」 で あ っ た 。 米 国 の 再 軍 備 が 本 格 的 に ス タ ー ト し た の は 、1941 年 12 月のことであった。当時、 英 国 の 軍 事 生 産 高 は す で に 最 大 時 の 約 60%に達していたが、米国の生産高は 11%に過
26 Parker, Struggle for Survival, p. 122; Churchill, The Second World War, Vol.3 , p.622. 27 Churchill, The Second World War, Vol.3 , p. 515.
28 Kimball, “the Special Relationship,” p. 299.
ぎ な か っ た30。 当 然 の こ と な が ら 、 ア ル カ デ ィ ア 会 談 は 英 国 が 支 配 権 を 握 っ た 。 そ の 会 談 で は 、 世 界 的 な 戦 時 意 思 決 定 機 関 を 設 立 す る こ と も 同 意 さ れ た 。 そ れ を 受 け て、合同参謀本部(CCS)が設立され、日々の戦争行動が調整され、連合国の戦略の調 和 が 図 ら れ た31。 ア ジ ア ・ 太 平 洋 地 域 に 関 し て は 、 日 本 の 攻 撃 の 脅 威 に さ ら さ れ る 地 域 全 体 を 対 象 と す る 米 ・ 英 ・ 蘭 ・ 豪 軍 の 包 括 的 な 司 令 部 と し て 、ABDA(米、英、蘭、豪 の 略 ) を 設 立 す る こ と が 同 意 さ れた 。 英 米 と も 、 日 本 が そ の 戦 域 を 自 由 に 占 領 し 、 連 合 軍 が さ ら な る 危 機 に 陥 る こ と を 認 識 し て い た の で 、報われないABDA の司令官に自国軍 人 を 推 薦 し よ う と は し な か っ た 。 結 局 、 イ ン ド 駐 屯 軍 司 令 官 で あ っ た 陸 軍 大 将 ( の ち 元 帥 ) ア ー チ ボ ル ド ・ ウ ェ ー ヴ ェ ル 卿 が そ の 任 に 就 い た 。 そ し て 、 予 想 さ れ た と お り ウ ェ ー ヴ ェ ル は 、 オ ラ ン ダ 領 東 イ ン ド 諸 島 、 マ レ ー 、 シ ン ガ ポ ー ル 、 ビ ル マ で 連 合 軍 の 一 連 の敗北を目撃し、ABDA の司令部はその目的を完全に失ったのである。1942 年 3 月 始 めにABDA は解散し、派手で議論好きな米国のダグラス・マッカーサー大将の下、南西 太 平 洋 方 面 連 合 軍 司 令 部 と し て 1942 年 4 月に再構成された32。 新 た な 同 盟 国 で あ る 中 国 は 、 当 然 、 英 米 の 参 戦 を 歓 迎 し た 。 中 国 国 民 党 の 指 導 者 で あ っ た 蒋 介 石 は 、 必 要 な す べ て の 支 援 を 同 盟 国 か ら 得 る こ と が で き る と 考 え た 。 彼 は 即 座 に 、 連 合 軍 の 軍 事 司 令 部 を 重 慶 に 設 立 す る こ と を 提 案 し た33。 チ ャ ー チ ル も ロ ー ズ ベ ル ト も 中 国 を 戦 争 に 参 戦 さ せ て お く こ と は 重 要 で あ る と 考 え る 点 で は 一 致 し て い た が 、 そ れ 以 外 の 点 で は 、 中 国 に 関 す る 考 え 方 は 英 米 で 大 幅 に 異 な っ て い た 。 英 国 は 、 中 国 の 軍 事 力 を ほ と ん ど 重 視 し て い な か っ た 。 そ し て 、 以 前 中 国 の 反 帝 国 主 義 運 動 の 標 的 で あ っ たこと から 、太 平 洋 戦 争 終 了 後 に 香 港 が 中 国 に 接 収 さ れ る の で は な い か と 懸 念 し て い た 。 一 方 、 米 国 は 日 本 を 打 破 す る う え で の 中 国 の 潜 在 的 な 役 割 に 期 待 し て い た 。 巨 大 な 中 国 陸 軍 を 再 訓 練 し 、 日 本 本 土 に 対 す る 大 規 模 な 攻 撃 作 戦 の 準 備 を さ せ る こ と が 可 能 だ と 考 えていたのである(だが、それは誤った判断であった)。さらに、ローズベルトは中国が 戦 後 の 日 本 に 対 抗 で き る 大 国 に な る こ と を 望 ん だ 。1941 年 12 月末、米国は中国戦線を 立 ち 上 げ 、 蒋 介 石 を 最 高 司 令 官 に 据 え る こ と を 英 蘭 に 説 得 し 、 同 意 を と り つ け た 。 そ の 後 、 中国 陸 軍 の 戦 闘 効 率 を 向 上 さ せ る た め に 、 米 国 の ジ ョ セ フ ・ ス テ ィ ル ウ ェ ル 中 将 が 中 国 に お け る 米 国 軍 事 代 表 に 任 命 さ れ た 。 ま た 、 ス テ ィ ル ウ ェ ル は 蒋 介 石 の 参 謀 長 で あ り 、 中 国 、 ビ ル マ 、 イ ン ド 戦 域 に お け る 米 陸 軍 の 司 令 官 で も あ っ た 。 し か し 、 中 国 フ ァ
30 Eliot a.Cohen, “Churchill and Coalition Strategy in World War II, ” in Kennedy, ed. Grand
Strategies , p. 50.
31 Matloff, “Allied Strategy, ” p. 682.
32 Martin Gilbert, Road to Victory: Winston S.Churchill , 1941 -1945 (London: Heinemann, 1986),
pp. 31 -32.
33 Spector, Eagle Against the Sun, p.327; Wenzhao Tao, “The China and the Pacific War, ” i n
ク タ ー は 、 英 米 の 初 期 の 合 同 戦 争 戦 略 に と っ て 重 要 な 要 素 で は な か っ た34。 英 国 に と っ て よ り 重 要 だ っ た の は 、 英 米 の 世 界 的 な 同 盟 の 一 部 と し て 、 英 連 邦 と 英 帝 国 の 団 結 を 維 持 す る こ と で あ っ た 。 戦 間 期 、 英 帝 国 に 対 す る 英 国 の 支 配 に は や や 陰 り が 見 え て い た が 、 第 二 次 世 界 大 戦 当 時 、 英 国 は そ の 帝 国 か ら 優 秀 な軍 隊 を 入 手 す る こ と が 可 能 で あ っ た 。 第 二 次 世 界 大 戦 を 通 し て 、 英 国 の 軍 隊 の ほ ぼ 半 分 は 、 イ ン ド 、 西 ア フ リ カ 、 そ し て 自 治 領 か ら 調 達 さ れ た 軍 隊 で あ っ た 。 帝 国 の 軍 隊 は 、1940 年から 42 年にか け て 、 中 東 と 地 中 海 地 域 を 防 衛 す る 英 国 に 大 き く 貢 献 し た 。 と い う の は 、 英 本 土 の 軍 隊 は 、 ド イ ツ の 侵 攻 に 備 え た 本 土 防 衛 に 携 わ っ て い た か ら で あ る35。 太 平 洋 戦 争 が 勃 発 す る 前 、 英 国 は オ ー ス ト ラ リ ア を 中 東 の 防 衛 軍 に 組 み 込 む の に 苦 労 し た 。 オ ー ス ト ラ リ ア が 、 英 国 の 指 揮 か ら は 分 離 さ れ た 、 独 立 し た 自 国 の 陸 軍 軍 団 に 固 執 し た か ら で あ る 。 太 平 洋 で 戦 争 が 始 ま っ た と き 、 英 豪 の 関 係 は か な り 緊 張 し て い た 。 チ ャ ー チ ル は 、 オ ー ス ト ラ リ ア の 軍 隊 の 大 半 が 中 東 か ら 撤 退 し て 自 国 の 防 衛 に 当 た る こ と に 同 意 せ ざ る を 得 な か っ た 。 シ ン ガ ポ ー ル は 、 依 然 と し て 帝 国 東 部 の 防 衛 に お け る 要 で あ っ た 。 ア ル カ デ ィ ア 会 談 の 間 、 フ ィ リ ピ ン が 陥 落 し た 場 合 は 、 米 国 は 部 隊 と 航 空 機 を シ ン ガ ポ ー ル に 送るこ とに 同 意 し た 。1 月中旬になると、火砲と戦闘機を装備した英国の 9,000 人の増 援 部 隊 が シ ン ガ ポ ー ル に 到 着 し た 。 そ の 増 強 直 後 、 シ ン ガ ポ ー ル は 要 塞 と は 程 遠 い 状 態 に あ る こ と を 、 チ ャ ー チ ル は 初 め て 明 確 に 認 識 し た 。 後 方 か ら の 攻 撃 に 対 し て 、 完 全 に は 要 塞 化 さ れ て い な か っ た か ら で あ る36。 そ れ か ら 3 週間後、シンガポールは日本軍の 手に陥ちた。 こ の 不 幸 を 議 会 に 報 告 す る チ ャ ー チ ル の 演 説 は 、英 国 で は 十 分 に は 理 解 さ れ な か っ た 。 パ ー シ バ ル 中 将 が 降 伏 し た と き 、 日 本 軍 は 弾 薬 が 不 足 し て お り 、 兵 士 の 士 気 も 低 下 し て お り 、 シ ン ガ ポ ー ル 陥 落 は 、 日 本 に と っ て い く つ か の 幸 運 な 要 素 が 積 み 重 な っ た 結 果 だ と 受 け 止 め ら れ た の で あ る37。 英 国 の 世 界 戦 略 で は 、 東 南 ア ジ ア は 優 先 順 位 が 最 も 低 い 地 域 で あ っ た 。 従 っ て 、 そ の 防 衛 の リ ス ク は 計 算 済 み だ っ た の で あ る 。 米 国 は 、 参 戦 し た 当 時 、 多数 の 部 隊 を 送 り 出 せ る 状 態 に は な か っ た 。 そ し て 、 連 合 軍 は 太 平 洋 地 域 全 体 で 12 個の師団しか召集することができなかったが、そのうちの 4 個がシンガポールで 失 わ れ た の で あ る 。 シ ン ガ ポ ー ル の 日 本 軍 の 兵 力 は 連 合 軍 よ り 少 な か っ た が 、 空 軍 力 と 海 軍 力 は 連 合 軍 を 上 回 っ て い た38。
34 James Clayton, “Strategies in the Pacific War,” p. 720; Spector, Eagle Against the Sun, p p .
328-330ff.
35 David French, The British Way in Warfare, pp. 198, 205.
36 Gilbert, Road to Victory, pp. 29, 41, 46-7; Robert O'Neill, “Churchill, Japan, and British
Security in the Pacific, 1904-1942,” in Blake & Louis, ed. Churchill, pp. 275-289.
37 Gilbert, Road to Victory, p. 61. 児島襄『太平洋戦争』上(中央公論社、1987 年)158 -159 頁 。
Wint&Prichard, Total War, vol.2 , pp. 394 -397ff; Allen Louis, Singapore 1941 -1942 (London: Davis-Poynter, 1977), pp.15-22ff.
シ ン ガ ポ ー ル 陥 落 後 、 太 平 洋 の 自 治 領 は 母 国 に 裏 切 ら れ た 気 分 に 陥 り 、 米 国 へ と 接 近 し て い っ た 。 英 国 も 米 国 も 、 こ れ ら の 諸 国 の 戦 争 行 動 へ の 貢 献 を 評 価 し て は い た が 、 自 身 の 戦 略 に は 干 渉 さ れ た く な い と 考 え て い た 。1942 年春に設立された太平洋戦争評議会 は、小国の「ガス 抜 き 」 を す る た め の 組 織 で あ り 、 意 思 決 定 機 関 と し て 意 図 さ れ た こ と は決してなかった。いずれにしても、米国は、太平洋戦争は「米国のみのプロジェクト」 で あ る と 考 え 、 外 部 の 諸 国 が 介 入 す る の を 嫌 っ た 。 そ の よ う な 風 潮 の な か で 、 ロ ー ズ ベ ル ト と そ の 軍 事 指 導 者 た ち は 、 オ ー ス ト ラ リ ア が 太 平 洋 戦 争 で 主 要 な 役 割 を 演 じ た り 、 米 国 の 戦 後 計 画 に 参 加 す る の を 一 貫 し て 妨 げ た 。 当 初 、 オ ー ス ト ラ リ ア は マ ッ カ ー サ ー が オ ー ス ト ラ リ ア に 南 西 太 平 洋 方 面 連 合 軍 司 令 部 を 設 立 す る の を 歓 迎 し た が 、 や が て 、 そ の 新 司 令 部 は マ ッ カ ー サ ー の 権 力 の 基 盤 で あ る こ と が 明 白 と なっ た39。 太 平 洋 戦 争 の 初 期 の 段 階 に お い て 、 役 割 の 分 担 は 主 に 英 国 の 利 益 に 基 づ い て 決 定 さ れ た 。 こ こ で も 、 ロ ー ズ ベ ル ト と チ ャ ー チ ル は 世 界 戦 争 に お け る 両 国 の 各 々 の 役 割 に つ い て の 考 え 方 が 一 致 し て い た 。1942 年 の 3 月末になると、米国は太平洋における作戦を 担 当 し 、 英 国 は シ ン ガ ポ ー ル か ら イ ン ド 洋 、 紅 海 を 経 て 地 中 海 に い た る 「 中 央 地 域 」 で の 作 戦 を 担 当 す る こ と が 同 意 さ れ た 。 欧 州 と 大 西 洋 に つ い て は 、 合 同 参 謀 本 部 の 指 令 の 下 で 英 米 が 共 同 で 作 戦 を 遂 行 す る こ と と な っ た40。 問 題 は 、 欧 州 最 優 先 の 戦 略 を 実 際 に ど の よ う に 実 施 す る か で あ っ た 。 そ し て 、 そ れ が 認 識 さ れ な け れ ば 、 日 本 を い つ 、 ど の よ う に 打 ち 破 る か を 展 望 す る の は 困 難 で あ っ た 。 欧 州 フ ァ ク タ ー チ ャ ー チ ル は 、 徐 々 に ド イ ツ 周 囲 の 「 輪 を 強 化 す る 」 と い う 伝 統 的 な 「 周 辺 戦 略 」 を 好 ん だ 。 ま ず 北 ア フ リ カ を 片 付 け 、 地 中 海 を 解 放 す る が 、 ド イ ツ の 士 気 と 抵 抗 能 力 が 衰 え る ま で 、 ド イ ツ に 対 す る 大 規 模 な 上 陸 作 戦 は 避 け よ う と し た の で あ る41。1914 年から 1918 年の世界大戦、そしてつい最近の英国本土をめぐる戦闘に関する経験を持つチャー チ ル に と っ て 、 ド イ ツ と の 戦 闘 に 漸 進 主 義 的 な 手 法 を 取 る の は 、 ご く 自 然 で あ っ た よ う に思 わ れ る 。し か し 、巨 大 な 戦 争 機 構 を 迅 速 に 構 築 す る 能 力 が 米 国 に あ る こ と を 確 信 し 、 早 期 に 日 本 を 叩 き 潰 し た い と 考 え て い た 米 軍 の 指 導 者 た ち ( 特 に ジ ョ ー ジ ・ マ ー シ ャ ル 大 将 と キ ン グ 提 督 ) は 、 英 国 が 考 え て い る よ り 早 く 欧 州 大 陸 で ド イ ツ と 交 戦 す る こ と を 望 ん だ 。 米 国 の 軍 事 指 導 者 た ち は 、 英 国 に 操 作 さ れ 、 一 連 の 陽 動 作 戦 、 補 助 作 戦 の 実 施
39 James Clayton, “Strategies in the Pacific War, ” p.723; Spector, Eagle Against the Sun, p. 143. 40 Spector, Eagle Against the Sun, p. 142.
41 Brian Bond, The Pursuit of Victory (Oxford: Oxford Univ. Press, 1996), p. 160; Matloff, “Allied
に 合 意 さ せ ら れ る 一 方 、 海 峡 横 断 作 戦 が 遅 延 さ せ ら れ て い る の で は な い か と の 感 情 を 抱 い て い た 。 英 米 間 の 亀 裂 は 1942 年の夏に顕在化し、ソ連、英国、米国が、海峡横断作 戦―のちに「オーバーロード」作戦と呼ばれた −を実施するおおよその時期(1944 年の 春 ) に つ い て 最 終 的 に 合 意 し た 、1943 年の末まで続いた。 キ ン グ お よ び マ ー シ ャ ル が 希 望 し た1942 年あるいは 43 年に海峡を渡るという作戦は、 明 ら か に 現 実 的 な 要 素 に よ っ て そ の 実 施 が 阻 ま れ た 。 訓 練 を 受 け た 英 軍 部 隊 は 利 用 可 能 で あ っ た が 、 英 国 に は 十 分 な 数 の 米 軍 部 隊 が 存 在 し て い な か っ た 。 従 っ て 、 英 国 の 同 意 が な け れ ば 、 作 戦 の 実 施 は 不 可 能 で あ っ た 。 一 方 、 ロ ー ズ ベ ル ト も チ ャ ー チ ル も ロ シ ア の 参 戦 を 維 持 す る こ と を 望 ん で い た 。 ス タ ー リ ン は 、 東 部 戦 線 に お け る ロ シ ア の 負 担 を 軽 減 す る こ と に な る西 欧 で の 戦 闘 を 是 非 と も 実 施 す る よ う 、 英 米 に 常 に 要 請 し て い た 。 最 悪 の シ ナ リ オ は 、絶 望 感 に 囚 わ れ た ロ シ ア が ド イ ツ と 和 睦 す る こ と で あ っ た 。従 っ て 、 英 米 の 政 治 的 義 務 は 、 両 国 と も ド イ ツ と 直 接 交 戦 し て い る こ と を モ ス ク ワ に 示 す こ と で あった。英米の国内要素も、一定の影響を与えた。ローズベルトは、早い段階でアジア・ 太 平 洋 の 連 合 国 に 日 本 が 連 続 し て 勝 利 を 収 め た こ と を 知 っ て い た 国 民 が 、 太 平 洋 最 優 先 の 戦 略 へ の 転 換 を 要 求 す る こ と を 恐 れ て い た 。 従 っ て 、 米 国 の 世 論 の 関 心 を 欧 州 に 向 か わ せ 、 米 軍 の 剛 勇 さ に 対 す る 信 頼 を 取 り 戻 す た め に は 、 連 合 軍 が欧 州 で の 作 戦 に 成 功 す る こ と が 極 め て 重 要 で あ っ た 。チ ャ ー チ ル に と っ て も 、欧 州 で の 作 戦 に 成 功 す る こ と は 、 第 二 次 世 界 大 戦 が 始 ま っ て 以 来 、 欧 州 と ア ジ ア で の 長 い 一 連 の 敗 北 に 打 ち ひ し が れ て い た 英 国 民 の 士 気 を 昂 揚 さ せ る の に 役 立 つ こ と に な る 。 こ れ ら の 理 由 に よ り 1942 年 7 月 に 英 米 は 、 秋 に 北 ア フ リ カ に 進 攻 す る こ と (「 ト ー チ 」 作 戦 ) で 合 意 し た42。 英 米 の 指 導 者 た ち が 1943 年 1 月に北アフリカのカサブランカで会ったとき、両国と も 、 ど ち ら か 一 方 の 国 が 同 意 し な い 作 戦 に 同 意 せ ざ る を 得 な く な る こ と を 恐 れ た43。 し か し 、 両 国 と も 資 源 に 関 す る 同 じ 問 題 を 抱 え て お り 、 連 合 国 は 枢 軸 と 欧 州 大 陸 で 戦 う 準 備 が で き て い る こ と を ス タ ー リ ン に 示 す こ と を ロ ー ズ ベ ル ト が 望 ん だ こ と か ら 、両 国 は 、 シシリーへの進攻が次の作戦(「ハスキー」作戦)になることで合意する一方、第二戦線 に 備 え る 英 国 駐 留 の 英 米 軍 は 大 幅 に 増 強 さ れ た44。 マ ー シ ャ ル 大 将 が 適 切 に 予 測 し た よ う に 、 北 ア フ リ カ と 地 中 海 で の 作 戦 は 連 合 国 に 活 力 を 与 え 、 そ の 活 力 が 英 国 の 統 合 参 謀 本 部 の 戦 略 に よ っ て 更 に 増 大 し た が 、 枢 軸 国 に 対 す る 他 の 上 陸 作 戦 は 遅 延 さ れ る こ と に な っ た45。シシリーへの進攻は 1943 年 7 月に行われ、その後、イタリ ア 本 土 へ の 進 攻 が 実 施 さ れ た 。1943 年中頃には、50 万以上の米軍と 11 万の英軍が地中海地域に展開し
42 Parker, Struggle for Survival, pp. 121-123; Kimball, “the Special Relationship,” p. 301. 43 Gilbert, Road to Victory, pp. 293 -294, 308; Parker, Struggle for Survival, p. 124. 44 Gilbert, Road to Victory, pp. 307 -308.
た。そして、10 月 8 日にイタリアは降伏した。 中 国 フ ァ ク タ ー 欧 州 で の 戦 争 は 進 展 を 見 せ て い た が 、 中 国 を め ぐ る 英 米 の 不 一 致 は 、 ビ ル マ 奪 回 に 関 す る 連 合 国 内 の 乖 離 を 増 加 さ せ た 。 中 国 と ビ ル マ の 両 戦 域 の 相 互 作 用 は 、 何 の 価 値 も な か っ た 。 と い う の は 、 チ ャ ー チ ル も 英 国 の 統 合 参 謀 本 部 も 、 ビ ル マ の 戦 域 は 対 日 戦 を 行 う に は 最 悪 の 場 所 で あ る と い う 見 解 で 一 致 し て い た か ら で あ る 。 チ ャ ー チ ル は 、 シ ン ガ ポ ー ル を 奪 還 す る 序 幕 と し て 、 ビ ル マを 迂 回 し て オ ラ ン ダ 領 東 イ ン ド 諸 島 を 占 領 す る 選 択 肢 を 希 望 し た46。 英 国 か ら す れ ば 、 対 日 作 戦 を 作 成 す る 上 で 、 ビ ル マ は 優 先 順 位 の 最 下 位 に 位 置 し て い た 。 一 方 、 米 国 は 、 英 国 が 東 南 ア ジ ア の 植 民 地 を 奪 還 す る の を 支 援 す る こ と に 何 の 興 味 も 示 さ な か っ た 。 い ず れ に し て も 英 国 は 、 米 国 が 太 平 洋 で の 作 戦 に 集 中 し 、東 南 ア ジ ア は 英 国 が 担 当 す る こ と に 同 意 し た 。太 平 洋 戦 争 の 初 期 の 段 階 に お い て 、 英 米 の 対 日 戦 略 で は ビ ル マ は 忘 れ ら れ た 戦 域 で あ っ た 。 し か し 、 や が て 明 ら か に な る と お り 、1942 年の半ばには、ビルマが両国における戦略上の論争の的になったので あ る 。 ビ ル マ の 陥 落 と と も に 、 ビ ル マ 北 部 の ラ シ オ か ら 中 国 の 昆 明 に 至 る 、700 マイルの旧 式 の 交 通 路 ( ビ ル マ ・ ル ー ト ) が 遮 断 さ れ た 。 ビ ル マ ・ ル ー ト の 喪 失 は 、 中 国 唯 一 の 補 給 線 が 、 イ ン ド か ら 険 し い ヒ マ ラ ヤ 山 脈 を 越 え る 非 効 率 な 空 輸 シ ス テ ム の み に な る こ と を意味した。だが、その空輸経路は日本の戦闘機の迎撃を受けやすかった。1941 年から 44 年にかけて中国に貸与された軍事物資の量は、米国がその同盟国に与えた援助物資の 1%にも満たなかった。空輸活動が拡大され、ビルマ・ルートが再開された 1945 年に なって初めて、米国の対中支 援 の 規 模 は 大 幅 に 増 加 し た の で あ る (1944 年から 45 年に かけて、以前の 10 倍になった)47。 蒋 介 石 の 参 謀 長 で あ る ス テ ィ ル ウ ェ ル は 、 ビ ル マ 北 部 を 奪 回 し て 、 中 国 の 補 給 問 題 を 解 決 す る こ と を 決 意 し た 。 ワ シ ン ト ン の 米 軍 の 指 導 者 た ち も 、 同 様 な 理 由 と 、 中 国 が 日 本 と 和 睦 す る の を 抑 止 す る 手 段 と し て 、1943 年の春あるいは夏にビルマに大規模な攻撃 を 仕 掛 け る こ と を 支 持 し た 。 蒋 介 石 は ス テ ィ ル ウ ェ ル の 計 画 に 同 意 し た が 、 そ の 計 画 を 必 ず 成 功 さ せ る た め に 、英 国 が 上 陸 作 戦 を 実 施 す る と い う 条 件 を 付 け た48。英 米 は 、1942 年の8 月にこの問題を話し合ったが、英国の反応は芳しくなかった。当初、ビルマに対 す る 米 中 の 意 図 に 疑 惑 を 持 っ て い た 英 国 は 、 上 陸 用 部 隊 の 提 供 を 断 っ た 。 欧 州 で の 戦 争 に す べ て 投 入 し て い た か ら で あ る 。 そ し て 、 モ ン ス ー ン の 季 節 が 到 来 し た た め 、 米 国 が
46 Spector, Eagle Against the Sun, p. 349; Thorne, Allies of a Kind, p. 227.
47 Wenzhao Tao, “The China Theatre,” p. 135; Spector, Eagle Against the Sun, p. 327. 48 Thorne, Allies of a Kind, pp. 225 -226; Wenzhao Tao, ‘The China Theatre,” pp. 135 -136.
希 望 し た 時 機 に そ の よ う な 攻 撃 を 実 施 す る こ と が で き な く な っ た 。 英 国 は 、1943 年 1 月 の カ サ ブ ラ ン カ 会 談 に お い て 、 ビ ル マ で 大 規 模 な 攻 撃 作 戦 ( コ ー ド 名 は 「 ア ナ キ ム 」) を 実 施 す る こ と の 重 要 性 を 認 め た が 、 上 陸 用 舟 艇 が 不 足 し て い た た め 、「アナキム」作戦 は 1944 年の末でなくては実施できないと主張した。キング提 督は、その決定を「気ま ぐ れ 」49と 評 し た 。 英 国 に と っ て 、 ビ ル マ 奪 回 は 危 険 な 行 動 で あ り 、 ビ ル マ 国 境 地 帯 の 英 印 部 隊 が 増 強 ・ 再 装 備 さ れ て い な け れ ば 、 考 慮 し 得 な い 作 戦 で あ っ た 。 ビ ル マ 北 部 か ら 日 本 軍 を 掃 討 し 、 中 国 に 続 く 道 を 建 設 で き た と し て も 、 ビ ル マ 中 央 部 に 残 っ て い る 日 本 軍 か ら 道 路 を 防 衛 す る の は 大 変 な 任 務 で あ っ た 。 ビ ル マ 中 央 部 お よ び 北 部 へ の 攻 撃 の 第 一 段 階 と し て 、( 蒋 介 石 が 固 執 し て い る )ラ ン グ ー ン へ の 上 陸 作 戦 を 実 施 す る こ と だ け が 、 ビ ル マ か ら 日 本 軍 を 一 掃 す る 現 実 的 な 方 法 で あ っ た50。 従 っ て 、 英 国 に よ る 上 陸 作 戦の時 期は 、 英 米 中 の 同 盟 を 維 持 す る 上 で 極 め て 重 要 な 要 素 に な っ た の で あ る 。 し か し 、 運 は 英 国 側 に あ っ た 。 ビ ル マ で 大 規 模 な 上 陸 作 戦 を 実 施 す る と い う 考 え 方 全 体 が 、 遅 れ る こ と に な っ た の で あ る 。 第 一 に 、 蒋 介 石 は 自 分 の 軍 隊 が 米 国 に よ っ て 再 訓 練されるのを快く思わなかった。スティルウェルの狙いは、戦闘準備ができた中国の30 個 師 団 の 陸 軍 部 隊 を 設 立 し て ビ ル マ 道 路 を 再 開 す る こ と だ っ た が 、中 国 国 民 党 の 陸 軍 は 、 ス テ ィ ル ウ ェ ル の 命 令 に は 従 お う と し な か っ た 。 命 令 は 、 蒋 介 石 か ら 直 接 出 さ れ な け れ ば な ら な か っ た の で あ る 。 中 国 語 が 流 暢 な ス テ ィ ル ウ ェ ル は 、 中 国 人 に は 親 愛 の 情 を 抱 いてい たが 、蒋 介 石 を ま っ た く 尊 敬 し て お ら ず 、米 国 宛 の 暗 号 電 報 の な か で 蒋 介 石 を「 ピ ーナッツ(つまらぬ人間の意)」 と 呼 ん で い た51。 中 国 軍 の 状 況 は 、 ア メ リ カ の 将 軍 に と って重大な関心事であった。スティルウェルは、次のように嘆いた。「 中 国 の 陸 軍 は 動 か な い ま ま 腐 っ て い る 。 軍 は 中 国 全 土 に 無 秩 序 に 広 が り 、 将 校 た ち は 金 持 ち に 、 兵 士 た ち は 栄 養 失 調 や マ ラ リ ア で 死 ん で い る 。 病 気 の 兵 士 は た だ 放 っ て 置 か れ る だ け だ 。 将 官 た ち は 愚 か で 無 知 で 、 無 感 動 。 蒋 介 石 に 対 す る 個 人 的 な 忠 誠 心 が 、 能 力 や 効 率 よ り 重 要 な の だ 」52。 蒋 介 石 と ス テ ィル ウ ェ ル の 関 係 は 、 次 第 に 険 悪 に な っ て い っ た 。 結 局 、 蒋 介 石 が 米 国 に 望 ん だ の は 食 糧 と 軍 需 物 資 で あ り 、 ス テ ィ ル ウ ェ ル が 自 分 の 雑 役 夫 と し て 働 き 、 食 糧 ・ 補 給 品 の 獲 得 を 促 進 す る こ と を 欲 し た 。 だ が 、 米 国 は 、 中 国 の 軍 隊 を 使 用 し て 連 合 軍 の 戦 争 行 動 を 支 援 す る こ と を 蒋 介 石 に 求 め た の で あ る 。 中 国 と 米 国 は 、 対 日 戦 に お け る 互 い の 役 割 に つ い て 、 完 全 に 一 致 す る こ と は 決 し て な か っ た 。 第 二 の フ ァ ク タ ー は 、中 国 本 土 か ら 航 空 戦 力 を 使 用 し て 日 本 を 爆 撃 す る こ と に つ い て 、 蒋 介 石 と 米 国 の 考 え 方 が 変 化 し た こ と で あ る 。 そ れ は 、 中 国 に お け る 米 国 志 願 兵 の グ ル
49 Spector, Eagle Against the Sun, pp. 342 -343. 50 Thorne, Allies of a Kind, p. 226
51 Jonathan Spence, The Search for Modern China (London: Hutchinson, 1990), p. 471.
52 Wesley Bagby, The Eagle-Dragon Alliance: America's Relations with China in World War Ⅱ