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「日本書紀声点本の研究」概要

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Academic year: 2022

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(1)「日本書紀声点本の研究」概要 鈴木. 豊. 本研究は第Ⅰ部~第Ⅲ部の 3 部から成る。この概要では、冒頭に目次(「部」「章」のみ示し「節」 は示さない簡略版)を示し、以下、研究の大要、序論要旨、第Ⅰ部の概要と各章の要旨、第Ⅱ部の概 要と各章の要旨、第Ⅲ部の概要と各章の要旨、結論の要旨の順に記す。. 目. 次. はしがき 凡例 目次 序. 論. 第Ⅰ部 『日本書紀』声点本の資料的価値に関する研究 第 1 章 『日本書紀』神代巻の声点 第 2 章 乾元本紀所引『日本紀私記』の声点 第 3 章 岩崎本『日本書紀』の声点 第 4 章 訓読漢字の声点のアクセント表示法 第 5 章 『日本書紀』被訓注字の声点 第 6 章 『古語拾遺』の声点 第 7 章 『日本書紀』声点本の濁音表示 第 8 章 『古語拾遺』声点本の濁音表示 第Ⅱ部 『日本書紀』声点本の成立過程に関する研究 第 1 章 『弘仁私記』序の「以丹点明軽重」 第 2 章 乾元本紀所引『日本紀私記』の万葉仮名 第 3 章 『日本書紀』古写本中の万葉仮名表記の和訓 (付)『日本書紀』古写本中の万葉仮名訓語彙索引 第 4 章 『和名抄』所引『公望私記』の万葉仮名訓 第 5 章 延喜『公望私記』の構造 第 6 章 日本紀講書とアクセント 第Ⅲ部 平安時代京都アクセントに関する研究 第 1 章 和語声点資料の差声方式 第 2 章 助詞「の」のアクセント 第 3 章 アクセント史研究における拍内下降 第 4 章 平声軽点の消滅過程 第 5 章 アクセント体系大変化の要因 第 6 章 『金光明最勝王経音義』所載「以呂波」のアクセント. 結論 参考文献 本研究と既発表論文との関係. -1-.

(2) 研究の大要 本研究の第一の目的は『日本書紀』古写本に注記された声点について、アクセント資料としての性 質を明らかにし、アクセント史研究上に正しく位置づけることである。第二の目的は『日本書紀』声 点本の成立過程を明らかにすることである。第三の目的はそれらの研究成果に基づいて古代アクセン トの歴史的研究を深化させることである。現存する『日本書紀』声点本と『日本紀私記』などの関連 資料は他の文献に比して多様かつ膨大であり、声点から直接アクセント体系を再構築することは困難 である。よって本研究では第三の研究目的を達するためには第二の研究目的が必要不可欠であると認 識し、文献学・歴史学・文学研究の成果をも採り入れることにより、本研究全体の中心に据えること にした。このような事情で本研究の題目を「日本書紀声点本の研究」とした。 日本語アクセントの歴史的研究、とくに文献資料による古代アクセントの研究は金田一春彦氏によ り観智院本『類聚名義抄』を中心資料として進められた。京都アクセントは南北朝時代(室町時代初 期)に大きな体系変化を起こし、古代アクセントの時代は終焉を迎える。金田一春彦(1955)は平安時 代末期から鎌倉時代のアクセントを「古代アクセント 」、体系変化後の室町から江戸初期のアクセン トを「中世アクセント 」、江戸時代後期~現代のアクセントを「近代アクセント」と位置づけた。そ の後図書寮本『類聚名義抄』が世に出て小松英雄氏により「平声軽点」が発見され、さらに研究が進 展しより多くのアクセント型をもつアクセント体系として平安時代末期の京都アクセント体系が再構 築された。金田一春彦(1960)は小松英雄、馬淵和夫両氏の研究成果を受けて金田一春彦(1955)を改訂 したものである。その後も古代アクセントに関する研究は金田一春彦氏、築島裕氏、秋永一枝氏、桜 井茂治氏、馬淵和夫氏、望月郁子氏、奥村三雄氏らによってさらに進展した。しかし『日本書紀』声 点本は古代アクセントの資料として存在は知られていたものの、その資料的性格が明らかでない点も 多いことなどから、これまでのアクセント史研究で十分に利用されてきたとはいいがたい(金田一春 彦(1960)では「やや不精密ではあるが」として『世尊寺本字鏡』『観智院本類聚名義抄』『高山寺本類 聚名義抄』などとともに平安末期の資料に加えられている)。『日本書紀』古写本に注記されている 声点は量において十分な価値を持つが、その質の面についていまだ十分な検証がなされてこなかった といえよう。 本研究第Ⅰ部は『 日本書紀』声点本の性質を明らかにするための実態調査を主とし、第Ⅱ部では『 日 本書紀』声点本が現在のような形になるまでの過程について考察した。第Ⅲ部では第Ⅰ部第Ⅱ部で得 られた研究成果を基に平安時代のアクセント資料に関する通説の見直しを行い、古代京都アクセント の史的変化に関して新しい考え方を示した。 本研究の基盤は岩崎本『日本書紀』や乾元本『日本書紀』所引日本紀私記などの平安時代中期以前 の姿を現代に伝える資料を詳しく分析した結果にある。第Ⅰ部・第Ⅱ部を通じて『日本書紀』声点本 の声点の大部分は平安時代に行われた日本紀講書における産物であることを明らかにした。第Ⅲ部で は古代アクセントの弁別的特徴が「押さえ」と「下げ核」の二種類であり、拍の短縮や助詞アクセント の独立性消失がアクセント体系の変化をもたらしたことを明らかにした。去声点・平声軽点の消滅、 差声方式の六声体系から四声体系への移行の理由は、「押さえ」が拍を抑圧する(低平調に発音する、 抑圧がなければ高平調に実現する)という弁別的特徴を導入することによってはじめて無理なく説明 できるのである 。「古代アクセント」の資料は、差声方式・平声軽点の有無・去声点の有無・濁音表 示の方法などの諸特徴を基準にすることにより、前期と後期に分類することが出来る。院政期までの 諸文献からの抄出によって成った図書寮本『類聚名義抄』は前期・後期両方の特徴を備えている資料 であるという、通説と異なる考えを示した。図書寮本『類聚名義抄』を中心に記述・再構されてきた. -2-.

(3) 古代前期アクセント史は修正されるべきであると考える。. 序論要旨 『日本書紀』古写本には声点が注記されているものが多く存在する。声点は本文の万葉仮名および 傍訓の片仮名に、漢字音の声調・和語のアクセントを表すために注記されている。量において膨大、 注記箇所・注記部分・注記位置・形態などにおいて多様な声点をアクセント研究資料としてどのよう に位置づけるかが本研究の最初の、また中心的課題となる。声点注記のある善本を選び、そこに注記 されている声点について、それが声点であるか否か、声点であれば<平><上><去><入><東><徳>のいず れと認定すべきであるのかという作業は、アクセント史研究を行う者にとって避けては通れない基礎 的作業である。本研究に先立って、あるいは並行して以下の声点付き語彙索引を作成した。 『古語拾遺声点付語彙索引 セント史資料索引第 4 号. 乾元本日本書紀所引日本紀私記声点付語彙索引』 1986 年 2 月. アク. アクセント史資料研究会. 『日本書紀神代巻諸本声点付語彙索引』1988 年 3 月. アクセント史資料索引第 7 号. 『日本書紀人皇巻諸本声点付語彙索引』2003 年 3 月. アクセント史資料索引第 19 号. 本研究で示した『日本書紀』声点本関係の用例はすべてこれらの索引からの引用である。また、 『日 本紀私記甲本・丙本声点付語彙索引』(未刊)も利用した。文献学的批判とアクセント史研究で得られ た知見を踏まえて作成された基礎データは、アクセント史・日本語史研究の前進に寄与するものと信 ずる。 『日本書紀』全 30 巻(他に系図 1 巻、現存せず)は養老 4 年(720)年の成立、六国史の第一である。 成立の翌年には養老の講書が行われ、以後康保の講書まで朝廷において 7 回の日本紀講書が開かれて いる。全 30 巻を読み通す日本紀講書はほぼ 30 年ごとに定期的に行われた。講義ノートとしての『日 本紀私記』も作成されたが、現存する『日本紀私記』は成立時の姿を留めていないものが多い。『日 本書紀』は古写本にも恵まれており、岩崎本・前田本・図書寮本のように平安時代の訓点を注記され ているものもある。しかし諸本間で注記箇所・注記位置の異同が見られるため、これまでのアクセン ト研究において必ずしも『日本書紀』の声点が活用されてきたとは言いがたい状況である。 そこで『日本書紀』声点本に関する研究史を概観し、どのような問題点があるのかを整理したうえ で、岩崎本の平声軽点注記例と諸本の声点を対校することにより、声点注記に異同が生じた理由につ いて考察した。岩崎本の平声点と平声軽点を厳密に区別する声点注記例の存在が 、『日本書紀』声点 本に関わる多くの問題を解決する糸口になることの一端を示した。. 第Ⅰ部の概要と各章の要旨 第Ⅰ部 『日本書紀』声点本の資料的価値に関する研究 第Ⅰ部の目的はアクセント資料としての『日本書紀』声点本の資料価値を見きわめることにある。 研究対象となる資料は『日本書紀』古写本の中から選定した、資料価値が高いと認められる 14 文献(神 代巻 7 文献、人皇巻 7 文献. 図書寮本は神代・人皇を各 1 文献として取り扱う)と『日本紀私記』甲. 本・乙本・丙本および乾元本『日本書紀』に 205 箇所にわたって引用された『日本紀私記』の逸文、 関連資料として『古語拾遺』古写本 2 文献に注記されたすべての声点である。『日本書紀』は朝廷で 行われた日本紀講書のために講博士が用意した講義ノート、あるいは受講者が記録したノートである。 成書としての私記は国史大系に収められている甲本・乙本・丙本・丁本が知られている。御巫本『日. -3-.

(4) 本紀私記』は乙本より古い応永 35 年(1428)の書写。乾元本『日本書紀』所引の『日本紀私記』の万 葉仮名訓は嘉元 2 年(1304)に乾元本の書写者卜部兼夏が「私記」から抄出し、主として本文の右側あ るいは左側に傍訓形式で書き加えたものである。 第Ⅰ部は全 8 章から成る。以下に各章の題目と要旨を記す。 第 1 章 『日本書紀』神代巻の声点 『日本書紀』の古写本に注記された声点は、国語アクセント史研究のための重要な資料である。そ の声点の性格を明らかにすることを目的とし、『日本書紀』神代巻諸本の声点について考察する。 『日本書紀』神代巻諸本に注記されている声点は、(a)本文の万葉仮名、(b)(a)以外の本文(①訓 で読むもの、②音で読むもの )、(c)傍訓の片仮名、(d)「乾元本」所引『日本紀私記』のそれぞれに 差されたものに分類することができる。このうち、(a)(d)の部分に差された声点は、諸本の声点の比 較・声点そのものが持つ特徴などから、平安時代末期以前のアクセントを反映していると考えられる。 (b)の声点もこれに準ずる。これに対して(c)の部分に差された声点は諸本間の異同が大きく、(d)の 声点と関係あるもの、声点の形態がさまざまで時代を隔てて数度の加点を経たと思われるものなどが ある。 これまでのアクセント史研究において、資料として利用されたのはおもに(a)の部分に差された声 点に限られていた。今後は、(b)~(d)の部分に差された声点も活用されることが望まれる。 第 2 章 乾元本紀所引『日本紀私記』の声点 乾元本『日本書紀』所引『日本紀私記』の声点は、 『日本書紀』本文の万葉仮名に注記された声点と 比較しても遜色無く、御巫本や甲本・丙本など他の現存『日本紀私記』の声点よりも差声時期が古く、 平安時代末以前のアクセントを反映している可能性が高い。そのためにアクセント史研究のみならず、 書紀訓読史におけるアクセントの扱われ方などを探るうえでも重要な資料であることを示した。章末に声 点注記語彙の品詞別・拍数別・アクセント型別一覧を付す。 第 3 章 岩崎本『日本書紀』の声点 この章の目的はアクセント史研究資料としての『日本書紀』声点本諸本のうち、その要たる岩崎本 の声点の資料的性格をより確かなものにすることにある。岩崎本は書写年代の古さと訓点を含めて書 写の正確さとから、声点注記を持つ『日本書紀』諸本の基礎資料あるいは「基準資料」となるべき文 献で、その存在価値は計り知れない。 岩崎本の声点の注記箇所はまずa万葉仮名、b 漢字、c 傍訓の片仮名の三種に大別することができる。 a万葉仮名の声点は 1 歌謡と 2 訓注のものがある。b 漢字の声点には 1 音読するものと 2 訓読するも のとがある。 1 音読するものには 1.1 呉音読のものと 1.2 漢音読のものとがある。さらに 1.2 漢音読す るものには 1.2.1 被訓注字に注記されたもの、1.2.2 破音字に注記されたもの、1.2.3 特定の語彙に注記 されたものがある。これらの分類の枠組みに収まる声点は差声方式や機能・性質に共通性がある。本 章では岩崎本の声点のうち上記の分類のうちのいずれに所属するのかが疑問なものと声点の注記位置 が確定しないものについて具体的に考察した。特に岩崎本に注記されているすべての声点の認定を行 っている築島裕・石塚晴通(1978)、林勉(1968)、鈴木豊(2003)の認定を比較し、認定の異なっている 例について詳しく検討した。その結果、厳密に注記されている岩崎本の声点にも認定に問題のある語 が相当数にのぼること、岩崎本の声点は注意深く移点されたものであるが、完全なものではなく、そ. -4-.

(5) の注記位置に移点の際の誤りを含むことが明らかになった。 第 4 章 訓読漢字の声点のアクセント表示法 『日本書紀』声点本諸本には数は多くないもののほとんどの声点本に、訓読する漢字に声点を注記し てその漢字の訓のアクセントを標示するという方法が見られる。声点注記例を検討した結果、2 拍名詞の 場合平声点は LL、上声点は HH、去声点は LH、平声軽点は HL、平・上の 1 字 2 声点の同時注記は HL か、との結論に達した。これら固有名詞を中心とした声点注記も、アクセント史研究の資料として利用さ れるべきである。 第 5 章 被訓注字の声点 本研究は『日本書紀』声点本諸本の被訓注字に注記された声点について、声点注記箇所 ・注記位. 置についての整理を行ったうえでその注記時期や差声方式等について検討し、資料的性格を明 らかにすることを目的とするものである。全 30 巻におよそ 330 箇所ある被訓注字のほとんどに 漢音声点(漢音四声を表す声点。基本的に韻書の四声と一致する)が注記されている。それら の声点に関し、( 1)諸本の声点注記の比較から被訓注字の声点は同一系統と見られること、(2) 韻書の四声に合致するものが大部分であるがごく稀に韻書の四声と合致しない声点注記が存在 すること、(3)例外となる声点には韻書の四声との間で去声と上声、上声と去声の対応関係にあ るものが多いこと、(4)岩崎本の東点(平声軽点)注記例の存在から被訓注字に対する声点注記 は六声体系の差声方式で始まったであろうこと等を明らかにした。なお、漢風諡号に注記され た声点についても、一部を除くと漢音四声を反映する声点が注記されており、被訓注字の声点 と同様の性質をもつことを指摘した。以上の考察を踏まえ『日本書紀』声点本の成立過程を推 定した。 第 6 章 『古語拾遺』の声点 『古語拾遺』古写本諸本(嘉禄本・暦仁本・伊勢本)の声点について、次の4点を中心として資料価 値を指摘した。(1)平安末~鎌倉時代のアクセントを正しく反映している。(2)他文献では声点注記がな く『古語拾遺』のみに声点が注記されている語がかなりある。(3)嘉禄本は卜部本『日本書紀』の声点を考 察するための重要な関連資料となる。(4)暦仁本はアクセント史資料として有用であるばかりでなく、清 濁資料としての価値も大きい。 第 7 章 『日本書紀』声点本の濁音表示 『日本書紀』古写本諸本は大部の資料であるにもかかわらず、他の文献に比して濁声点や濁点の注記 が少なく、濁音表示について消極的であるといえる。 『日本書紀』声点本諸本のうち、書写年時が古く、 声点の位置が正しく注記されている本、つまり声点資料としての価値が高いと認定した 14 文献について その濁音標示について考察した。濁声点の不使用または稀な使用について、差声の古さ、濁音仮名の存 在、表記との関連などの点から考察した。 第 8 章 『古語拾遺』声点本の濁音表示 濁音表示に積極的な声点資料である暦仁本『古語拾遺』を中心資料として、アクセントと濁音の両方. -5-.

(6) の表示をおこなう声点資料について考察した。アクセント表示とともに濁音表示を行う資料は、濁声点が 存在した一時期に見られるものである。本稿において、暦仁本『古語拾遺』が、双点注記率が高く、濁音 の卓立表示を行い、かつ濁点は存在しないという資料であり、濁音表示史をたどる上で貴重な資料である 事を明確に示した。. 第Ⅱ部の概要と各章の要旨 第Ⅱ部 『日本書紀』声点本の成立過程に関する研究 第Ⅱ部は日本紀講書と『日本紀私記』の研究を通じ 、『日本書紀』声点本の成立過程を明らかにす ることを目的とする。日本紀講書は『日本書紀』成立の翌年の養老 5 年(721)に行われ、その後およ そ 90 年後に第 2 回弘仁講書が行われた。以後およそ 30 年ごとに第 3 回承和・第 4 回元慶・第 5 回延 喜・第 6 回承平・第 7 回康保と都合 7 回行われ、最後の康保の講書は中断したままで終わった。「公 望私記」は 5 回目の講書である延喜講書に尚復として臨んだ矢田部公望の手になる『日本紀私記』で ある。公望は次の承平の講書では講博士を務めており『日本紀竟宴和歌』の序によれば学者として高 く評価されていたようである。この「公望私記」は源順によって『和名抄』の和訓の主たる出典とし て利用され、多くの和訓が引用されることとなった 。「公望私記」の万葉仮名訓には声点が注記され ていたと考えられ、おそらく『和名抄』にも声点が注記されることになったと考えられる。さらにそ の声点付万葉仮名訓はおそらくそのまま正確に『名義抄』に受け継がれた。 第Ⅱ部の第 1 章は序論、第 6 章は結論に、第 2 章から第 5 章までは各論に相当する。日本紀講書の 実態が明らかなのは弘仁からであり、現存する彰考館蔵甲本『日本紀私記』は万葉仮名が片仮名に改 められるなどその原姿を大きく改変されてはいるものの『弘仁私記』そのものであると考えられる。 乾元本『日本書紀』所引『日本紀私記』の逸文の万葉仮名訓 205 例は「弘仁」「弘仁説」等の注記が 付されているものがあり、それらは第 3 回講書のさいに作成された「承和私記」の姿をとどめている。 乾元本神代紀以外の写本に散在する 62 例の万葉仮名表記の和訓もそれに準じてよいだろう。『日本書 紀』の訓読作業は承和講書のときにほぼ完了したようである。卜部兼方が著した『釈日本紀』には第 4 回元慶講書に参加した矢田部名実の「私記」が多数引用されている。これは第 5 回延喜講書に参加し た矢田部公望の手になる「公望私記」の引用を通じて間接的に引用されたものである。矢田部名実と 矢田部公望はおそらく親子であり、そのために公望は名実の私記を譲り受けることができ、そこに自 説を書き加えることで延喜『公望私記』を作成したのである。名実の私記は「承和私記」をベースに したものだったと考えられるので、結局公望私記は弘仁以来の和訓を引き継ぐものであったと考えら れる。源順が『和名抄』に引用したのは「公望私記」の中から漢語と和語の対応のある語であったと 考えられる。前田本仁徳紀の「度子」の傍訓に「ワタリモリ養老 」「ワタシモリ 」(巻一一・ 42 行) とあるのはおそらく私記から採られたものであり、私記では万葉仮名表記だったと考えられる。現存 『 弘仁私記』である彰考館蔵『 甲本私記』に「 度子」の項目は存在しないが、 『 和名類聚抄』には「 渡 人…日本紀云渡子和名和太之毛利一云和太利毛利 」(前・真・伊二十・元の諸本すべて同じ)として 引用されており、図書寮本『類聚名義抄』にも「-子 答云和多之毛利<上上上○平>」(複製 51 頁 2 行. 順云日本紀私記云. 和多利毛利<上上上上平>. 「-」は前掲の「渡」字を表す)として『和名抄』. を引用している。以上から養老講書で「 ワタリモリ」と訓まれた「渡子」は弘仁講書で「 ワタシモリ」 に訓みが改められたことを知ることができる。さらにわれわれは公的記録のない養老講書が実際に行 われたこと 、『弘仁私記』は養老講書の訓(『養老私記』記載の訓と考えて良いだろう)を「養老」の 注記を付して書きとどめたことをも知ることができるのである。. -6-.

(7) 第 1 章 『弘仁私記』序の「以丹点明軽重」 中国での声点の発明(8 - 9 世紀後半か)と日本での声点の使用例(9 世紀後半から現存)の間に 位置して、日本での声点の起源に関わる可能性のある資料が『弘仁私記』序である。序の中の「以丹 点明軽重」の記述は「声点を用いて日本語のアクセントを示す」の意味とするには問題があるとする 考えもあるが、内部徴証と外部徴証の種々の観点から考えて、9 世紀半ばに『日本書紀』講書の場で 声点が使用された可能性は否定されないとの結論に至った。 第 2 章 乾元本紀所引『日本紀私記』の万葉仮名 乾元本『日本書紀』所引『日本紀私記』の万葉仮名訓について、御巫本および甲本『日本紀私記』を中 心に他の万葉仮名資料の仮名とも比較し、その用字法を検討した。本資料には「弘仁」 「弘仁記」などの注 記や朱書など、研究を進める上で重要な手がかりとなる情報が豊富に残されている。本資料が国語史およ び書紀訓読史研究上、重要な位置を占める資料であることを明らかにした。 第 3 章 『日本書紀』古写本中の万葉仮名表記の和訓 (付)『日本書紀』古写本中の万葉仮名訓語彙索引 『日本書紀』古写本中に見える万葉仮名表記の和訓を収集し、上代特殊仮名遣いの検討・歴史的仮名 遣いの検討・現存『日本紀私記』の訓との比較対照などの語学・文献学的検討を行った。その結果上代 特殊仮名遣いに関しては 1 例を除いて正用であり、これらの万葉仮名訓の古さが確認された。また「養 老」の注記をもつ和訓も国語史資料として信頼できるものであることを明確にした。 『日本紀私記』の成 立事情についても触れた。章末に語彙索引を付した。 第 4 章 『和名抄』所引『公望私記』の万葉仮名訓. 『公望私記』は養老から延喜に至るまでの数次の日本紀講書の成果に基づく著作であり、そ れまでに作られてきた『日本紀私記』の和訓の集積をも包含するものと考えられる。源順は『和 名抄』を作成する際にその中から 118 例(現存十巻本・二十巻本の異なり語数)の万葉仮名表記 の和訓を選び、引用している。現存『和名抄』の和訓の字母は、ある場合は原資料の表記が継 承され、ある場合は源順あるいは別の改編者個人の用字法に基づく改変を受けて、その継承関 係をたどることができない複雑な状況を呈している。そこで小稿では、まず現存『和名抄』の うち書写の古い高山寺本・『 名義抄』所引本・真福寺本に共通して存在する和訓の字母を直接比 較することと、『和名抄』の主要な和訓の供給源である 4 種の資料のうち原資料の和訓の表記を 知ることができる『本草和名』の和訓の仮名字母の「継承」と「改変」についての検討という 二つの基礎作業を行い、次にその結果から帰納される源順の用字法に基づいて『公望私記』の 和訓仮名字母の原姿を復元した。 第 5 章 延喜『公望私記』の構造 『公望私記』は延喜の日本紀講書に尚復として参加した矢田部公望が作成した『日本紀私記』であ り、現在は逸文として『釈日本紀』等に伝わるのみである。延喜『公望私記』は矢田部名実の残した 「元慶私記」に公望が自説を加えることによって成ったと推定されている。同様に「元慶私記」は承. -7-.

(8) 和講書の成果の上に成り立っていると考えられる。弘仁から康保にいたる講書は、前代の講書の成果 を包摂しつつ、より適切な訓を制定していく場であった。講書の成果を集成しているといわれる『釈 日本紀』や乾元本『日本書紀』所引『日本紀私記』の万葉仮名訓・『 和名抄』所引『公望私記』の比 較・分析を通じ、延喜『公望私記』の構造と原表記を明らかにし、日本語史資料としての価値の大き さを明確にした。 第 6 章 日本紀講書とアクセント 『日本書紀』や『日本紀私記』に注記されている一群の声点(「 日本書紀声点」と総称する)は、 『日本紀私記』甲本(『 弘仁私記 』)の序の中の「以丹点明軽重」の記述から、弘仁の日本紀講書に 端を発し、その後の講書を通じて『日本紀私記』の万葉仮名訓に付される形で伝承されたと推定され る。講書は朝廷により組織的・計画的に一定の期間ごとに行われ、また師説を簡単には改めないとい う学問的で慎重な姿勢をもって行われた。講書の場では漢文で書かれた本文を和語に「復元」し、そ れを声に出して読み上げるという講義形式をとったため、教授者である講博士や尚復は私記の和訓に 声点や句点を施し、正しく音読するための準備を怠らなかった。弘仁講書で古語を多く含む神代巻や 歌謡を中心に声点が注記されたのち、承和講書で新たに付された和訓にも声点が注記され、それらの 声点付き和訓はのちの講書へ継承されただろう。康保の講書が未完のままとなり、その後講書が行わ れなくなってから、私記の万葉仮名訓は片仮名化されて書紀本文の傍に注記され、前田本や図書寮本 の『日本書紀』のような古訓を有する形に姿を変えたが、その際万葉仮名に注記されていた声点も移 点の対象となった。声点は不注意や知識不足によって、またアクセント変化を反映したりしてその注 記位置を変えることもあったが、日本紀講書の博士による「訓み」は、声調をも含めて「師説」とし て後に伝えられたと考えられる。平安時代中期の書写と推定されている岩崎本『日本書紀』の声点を 始めとする現存『日本書紀』古写本や一部の『日本紀私記』の声点は、移点に伴って大なり小なり後 世の改変を被ってはいるが、去声点の存在、下降拍に対する平声軽点の注記、助詞のアクセントの独 立性、濁音表示をほとんど行わないことなど、基本的には平安時代中期以前のアクセントの姿を今に 伝えていると考えられる。このように講書を通じて注記された声点は最後となった第 7 回の康保講書 の後ほどなくして平安時代中期には訓点本の中に移され 、「集積」されて「保管」されることになっ た。その後日本紀講書が開かれることがなかったので講書を通じて形成された「日本紀学」は衰え、 「日本書紀声点」は古写本の中に「封印」されることになったのである。小論では主として現存する 最古の『日本書紀』声点本である岩崎本(推古紀・皇極紀)の声点の観察、特にその移点上の誤りと 見られる例の考察を通じて、『日本書紀』声点本の成立事情を以上のように推定した。. 第Ⅲ部の概要と各章の要旨 第Ⅲ部 平安時代京都アクセントに関する研究 第Ⅲ部は京都アクセントの歴史のうち、古代アクセント(平安・鎌倉時代)に関するいくつかの重要 な問題について考察する。古代アクセントの弁別的特徴である「押さえ」と「下げ核」によって平安 時代アクセント体系を再構築し、鎌倉時代以降差声方式が平声軽点を区別しない四声体系となること、 鎌倉時代末から室町時代初にかけて、低起式のうち低い拍が連続するものが高起式に変化(LL …型が H …型に変化)するというアクセント体系大変化の理由を明らかにする。また第Ⅰ部と第Ⅱ部によっ て得られた知見、特に『日本書紀』声点本の声点注記は平安時代末に始まったものではなく、弘仁・ 承和の講書時の声点を引き継ぐものであり、現存『日本書紀』声点本はそれらを移点したものである. -8-.

(9) という研究結果をもとに、平安時代のアクセント資料に関する通説の見直しを行う。平安時代のアク セント資料はすべて平安時代末期(院政期)のアクセントを反映するというこれまでの見方は改められ るべきである。特に平安時代アクセントの代表的資料とされてきた図書寮本『類聚名義抄』は声点付 き和訓の抄出と類聚によって成った文献であり、声点は成立時期を異にする多くの資料から採られた ことが明らかになった今、声点を共時的な視点によってのみ分析・考察するというこれまでの研究方 法を改めなければならない。図書寮本『類聚名義抄』の声点は、観智院本など改編本系『 類聚名義抄』 の声点と比較した場合、声点注記位置が正確でより古いアクセントを反映することは確かだが、しか し一方で形容詞終止形語末の仮名に上声点を注記していること、濁音拍には全面的に上声点を注記し ていることにおいて鎌倉時代以降の声点注記資料と共通する性質をもっているのである。 11 世紀末 は六声体系の差声方式が終焉を迎えた時代であると同時に、新たに声点に濁音表示機能を担わせるこ とが始まった時代でもある 。『類聚名義抄』の編者達はアクセント表示にではなく濁音表示にこそ声 点の実用性を認めただろう。観智院本では声点は粗雑に移され、ある場合は大幅に省略されている。 これは和訓のすべての仮名に声点を移点することになんら重要性を見出していなかったことを示して いる。これは当代のアクセントと異なるそれ以前のアクセントを反映する声点の意味するところが不 明になり、結果としてそれまで声点がもっていたであろう「師説を伝える証拠」としての価値を失っ たことを示している。一方で濁声点による濁音表示機能は重視され、小松英雄(1971c)によれば観智 院本では濁音拍だけに濁声点を注記するという形式の声点注記が仏中帖を中心に全体で 134 例存在す る。さらに観智院本ではアクセント表示と切り離された去声点・入声点位置の双点も見られる。これ らの声点はアクセント表示機能を失って濁点に変質する直前の段階にある。双点注記のない『日本書 紀 』『 ・ 和名抄 』『 ・ 金光明最勝王経音義 』『 ・ 医心方』の声点はいずれも本来は六声体系の差声方式で 声点が注記されていたと考えられるのに対し、図書寮本『類聚名義抄』では、四声体系の差声方式の 資料をも内包し、成立時から濁音表示を目的とした濁声点が全面的に採用されたという点で両者はそ の性質を大きく異にしている。図書寮本『類聚名義抄』は多くの新しい性質を有した資料なのである。 これまでのアクセント研究史において図書寮本『類聚名義抄』は六声体系を代表する文献として位置 づけられてきたが、六声体系最末期の文献として四声体系の文献との間に位置して両体系を繋ぐ役割 を果たすと共に、むしろ四声体系の声点資料の始まりを告げる文献であると位置づけるべきだろう。 第 1 章 和語声点資料の差声方式 和語の声点資料における差声方式の四声体系と六声体系の相違は、下降調拍が高平調拍へと変化した ことの反映ではなく、下降調を表示しうるか否かという差声方法の相違である。差声方式の違いが、直 接背後にあるアクセント体系の違いを示しているものではない。 『日本書紀』声点本諸本を中心に、差声 方式決定のための手続きの方法を示した。岩崎本は六声体系を今に伝えるが、他の諸本の声点は平声軽 点が平声の位置に移点され見かけ上は四声となっている。鎌倉時代の声点資料では、音節の長さが短く なったこと、助詞アクセントが独立性を失ったこと、によって下降の音韻論的意味が変化したために差 声方式は四声体系となり、平声軽点が注記されなくなったのである。 第 2 章 助詞「の」のアクセント 平安・鎌倉時代における助詞「の」のアクセント面での接続について、 『日本書紀』声点本諸本を中心 とした新資料を用いることにより、先行研究を補足・訂正した。助詞「の」のアクセントは他の助詞と 異なり、2拍名詞第4類の LH 型には低く接続するが、これまで声点注記例が少ないためにその接続形. -9-.

(10) が不明だった3拍名詞の LHH 型、4拍名詞の LLHH 型などに、高低両様の接続があることを明らかに した。 第 3 章 アクセント史研究における拍内下降 アクセント史の研究史上、拍内下降(下降調)を専用に示すアクセント記号である平声軽点の発見とそ れに基づくアクセント体系の新たな再構は、研究を大きく前進させる原動力となった。拍内下降の音韻 論的解釈に関しては研究者間で必ずしも統一した見解が得られているとは言えないが、現在では具体音 調としての拍内下降を考慮しない研究者はいない。本稿では平安時代末京都アクセントのより合理的な 音韻論的解釈を試みた。 第 4 章 平声軽点の消滅過程. 差声方式が六声体系であると認められる資料(平声軽点と平声点の位置がはっきりと区別され ている資料)として岩崎本『日本書紀』『 ・ 金光明最勝王経音義 』・半井家本『医心方』・図書寮本 『類聚名義抄』があるが、それらの資料に見られる平声軽点注記のある語彙や注記位置などに ついて検討してみると、その様相は必ずしも一様ではない。六声体系であることが明らかであ る資料であっても、声点注記例の中には平声軽点を平声点に移し誤ったものや四声体系で注記 されたと考えられるものが含まれており、必ずしも平声軽点が期待される拍に平声軽点が注記 されているわけではない。図書寮本『類聚名義抄』では形容詞終止形語末に約 100 例の声点注 記があり、平声軽点と上声点が同程度の割合で注記されているが、そこに両者を分かつ規則性 は認められない。このことから、(1)声点は撰者のアクセントを注記したものではなく、当時存 在したであろう声点付和訓を類聚してそれを正確に移点したものであり、(2)原撰本『類聚名義 抄』成立時(1100 年頃)に形容詞終止形語末拍はすでに高平調に発音されることが一般化してい た、との結論に達した。図書寮本類聚名義抄は六声体系の資料としては末期の資料であると同 時に、その内部に四声体系の混入が見られることのほかに、全面的に双点注記による濁音表示 を行う、片仮名に声点注記を行う、声点の形態が簡略なものであるなど、その後の声点資料で は一般的になっていく新しい声点の用法を兼ね備えている。これまで図書寮本『類聚名義抄』 は六声体系の代表的資料と見なされその古さが強調されてきたが、むしろそれまでの資料には 見られない声点資料としての新しさを備えていることを重視し、後に現れる四声体系の資料の 先蹤となった資料であると位置付けられるべきである。 第 5 章 アクセント体系大変化の要因. 平安時代から鎌倉時代末までの京都方言アクセント(これを「古代アクセント」と称する。 また室町時代以降のアクセントを「近代アクセント」と称する)は「押さえ」(低く始まりかつ 押さえが及ぶ拍まで低く発音する )」と「下げ核 」(直後の拍から低く発音する)という二種類 の弁別的特徴をもっていた。鎌倉時代末から室町時代の初めにかけて起こった 、「押さえ」が2 拍以上にわたって続くすべてのアクセント型が高く始まる型に変化するという京都方言アクセ ント史上最大の変化は、音韻論的には弁別的特徴「押さえ」が助詞アクセントの独立性喪失(こ こでは「が 」「に」「は」「を」など平安時代中期頃までは常に高く発音された助詞がそれ以降に は助詞の直前の語の末拍と同じ高さに接続するようになる現象)によって機能しなくなること. - 10 -.

(11) が引金となり起こった変化である。助詞アクセントの独立性喪失は2拍名詞第五類(LF 型)など 下降拍直後に位置するものから始まりやがて同第二類(HL 型)などの高く始まり低く終わる型に も及んだ。助詞アクセントが独立性を保っていた時代では「押さえ」の直後に位置する助詞は 常に高く実現していたが、助詞アクセントの独立性喪失によって助詞は前に位置する語の最終 拍と同じ高さに接続しようとする性質をもつに至り、それまで2拍名詞第三類+助詞は安定し て LLH 型(音韻論的には /○○○ /型)を保ってきたが、低平型の語にも低く接続する兆しが生 じた。その結果「「 押さえ」の後の助詞は高く実現する」という古い規則と「「 押さえ」の後で も助詞は平らに(すなわち低く)実現する」という新しい規則が衝突することになった。両者 はしばらくの間せめぎ合いを続けたが、その間に古い規則を守るための手段として、低く接続 しようとする助詞の直前の拍をより低く発音するという対抗手段がとられた。その結果しばら くの間は「押さえ」が維持されたが、そのような発音を聞く新世代の者たちにはそのより低ま った「押さえ」の最終拍の前に下げ核が生じたと認識されるようになり、一時的に HLH 型が生 じた。しかしアクセント型内部にアクセントの山が2箇所以上に分かれて存在する型は不安定 であるため、アクセント型は HLL 型に再調整されて結局古い規則は消滅した。またわずかに残 された最初の拍だけに「押さえ」がある型は、2拍以上にわたって「押さえ」のある型がすべ て高く始まる型になったために音韻論的な対立項を失い、「押さえ」はやがて新しい弁別的特徴 「低起式 」(低く始まる)に変質した。以上のような過程を経て古代アクセントは終焉を迎え、 近代アクセントに変質したのである。 第 6 章 『金光明最勝王経音義』所載「以呂波」のアクセント. 大東急記念文庫蔵承暦抄本『金光明最勝王経音義』所載「以呂波」大字の借字(万葉仮名)に 注記されている声点は、和歌として唱えた場合のいろは歌のアクセントを反映する部分がある。 それは以下の成立事情による。この音義の編者は、抄出によって音義本文の掲出字に音注と和 訓を施し、承暦 3 年( 1079)年に一応の完成をみた。編者は音義本文の前書きとして序および本 文の借字の用法についての凡例を作成した(「先可知所付借字」「次可知濁音借字」「次可知レゝ 二種借字 」「次可知声」)。現「以呂波」大字の配列は、全行の仮名の各段の声調が〈上平平上 平〉になるように配列されていた五音図を、編者がいろは順に改編したものである(近藤泰弘 (1981)説)。編者は一部の仮名をいろは歌のアクセントに一致させるべく小字と入れ替える、大 字の稀用字を小字と入れ替える、小字に他の借字を追加するという作業を行ったため、 「以呂波」 は現在の姿となった。編者による改編作業は一つの原則によって完全に実行されたわけではな かったため 、「以呂波」の声点は元の五音図のアクセントといろは歌のアクセントのどちらにも 約 70 %の割合で一致することになったのだろう。和訓の声点はすでに抄出以前の資料に注記さ れていたものであったので、新しい体系のアクセントをもつ編者には理解できないところがあ った。たとえば「以呂波」の借字の声調は音仮名は呉音声調に、訓仮名は和語アクセントに基 づくが、そのいずれもが去>上の変化を反映している。その結果前書きの凡例は本文の借字と 声点の関係を正しく説明したものになっておらず、本音義の正しい理解を妨げる結果となって いる。以上は現時点での成立事情についての仮説であって 、「須 」「連」字がなぜ大字となって いるのかなどをはじめとして、説明のつかない問題も残されている。. - 11 -.

(12) 11 世紀後半には、すでに片仮名表記の傍訓形式が一般化し、また図書寮本『類聚名義抄』に 見るように、濁声点によって積極的かつ高い割合で濁音表示をすることが始まっていた。本音 義の本文掲出字に付された和訓の借字では、濁音仮名による濁音表示、単声点によるアクセン ト表示、唇内韻尾([m])・舌内韻尾([n])・喉内韻尾([ŋ])の区別等が行われている。本音義の編 者が果たした主たる役割は、平安時代中期以前のものとも推定されるより古い資料から声点付 和訓を正確に抄出したことと、その凡例に当たる前書きを作成したところにある。 結論の要旨 結論では本研究の成果を再確認するとともに、残された課題と今後の展望について記した。 岩崎本『日本書紀』や乾元本『日本書紀』所引日本紀私記などの平安時代中期以前の姿を現代に伝 える資料を中心に 、『日本書紀』声点本の成立について考察した 。「古代アクセント」資料は、差声 方式・平声軽点の有無・去声点の有無・濁音表示の方法などの諸特徴を基準にすることにより、前期 と後期に分類することが出来る 。『日本書紀』声点本の声点の大部分は平安時代に行われた日本紀講 書における産物であること、院政期までの諸文献からの抄出によって成った図書寮本『類聚名義抄』 は前期・後期両方の特徴を備えている資料であるという、通説と異なる考えを示した。図書寮本『類 聚名義抄』を中心に記述・再構されてきた古代前期アクセント史は修正されるべきであると考える。 課題について具体的に記せば、(1)本研究で十分に考察することができなかった『日本書紀』声点 本の関連資料の『日本紀私記 』、『古事記 』、『釈日本紀』等の声点について考察を行いその性格を明 らかにすること、(2)日本紀講書の成果が中世の歌学等の世界でどのように継承されていったのかと いうこと、(3)『古事記』声注のうち音仮名の声注について施注原理を明らかにすること、(4)『日本 書紀』万葉仮名原音声調とアクセントの関係について未解決の問題を解決すること、(5)濁音表示方 法の変遷などである。(1)(2)は主として鎌倉時代のアクセント、(3)(4)は上代語のアクセントに関す る研究である。(5)は上代から現代にいたる濁音表示方法の変遷のうち、平安・鎌倉時代の声点(単声 点)から濁声点への変遷に声点を当てた研究である。本研究の成果に基づき以上の課題に取り組んで いきたい。. - 12 -.

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参照

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