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仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について

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(1)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について二一 一︑はじめに   仙公系靈寶經は傳承では三國吳の葛仙公︵葛玄︶が太極眞人徐來

勒から授かったといわれる靈寶經であるが︑實際には歷史上のある

時期に一定の思想を同じくする人々によって編纂されたものである︒

仙公系靈寶經の中には道敎史上重要な多くの事亱が記されているの

で︑その編纂年代と編纂者が確定できれば︑道敎史を正確に復元す

るうえで非常に有用である︒

仙公系靈寶經について最初に考察した論文は

︑三〇年前の拙稿

﹁劉宋における靈寶經の形成 ︵1︶﹂である︒拙稿では元始系靈寶經と仙

公系靈寶經の違いに注目して︑元始系靈寶經は劉宋初期の葛氏道︑

仙公系靈寶經は劉宋初期の天師道によって編纂されたと論じている

が︑この說は道敎硏究者の間で廣く承認されるには至らず︑一般に

は元始系靈寶經も仙公系靈寶經もともに東晋末期の靈寶派によって 編纂されたと考えられている︒近年發表された論文でも東晋末期の靈寶派の作と推定している ︵2︶

  拙稿﹁劉宋における靈寶經の形成﹂を發表した時點では︑私はま だ劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想 ︵3︶を發見していなかったので︑仙公

系靈寶經の中に劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想に基づく記述がある

ことに氣づいてはいなかったが︑後に﹁三天﹂の思想を發見してか

らは︑仙公系靈寶經の中にも劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想の影伖

があることに氣づき︑仙公系靈寶經を劉宋の天師道の作とする自說

は正しいと確信できた︒しかし︑天師道の﹁三天﹂の思想の存在を

認めない道敎硏究者の多くは相變わらず通說を信じているので︑私

は長い間仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について集中的に論ずる

必要があると感じていた︒今回幸いにも論文執筆の機會が與えられ

たので︑この問題について考察してみたい︒

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について

小  林  正 

(2)

二二

二︑仙公系靈寶經の種類と編纂時期の下限

  仙公系靈寶經とは︑宋文明﹁靈寶經目︵假︶二八六一の二︑ 二五 ︵4︶六︶に﹁右十一卷︑葛仙公の受くる所の敎戒訣要︑及び行業を

說くの新經﹂と記している靈寶經である︒十一卷の新經とは︑﹁太

上洞玄靈寶天文五符經序一卷﹂︑﹁太上玉經太極隱注寶經訣一卷﹂︑

﹁太上洞玄靈寶眞文要解上經﹂︑﹁太上太極太虛上眞人演太上靈寶威

儀洞玄眞一自然經訣上卷﹂︑﹁太極眞人敷靈寶文齋戒威儀諸要解訣下

一卷﹂︑﹁太上消魔寶眞安志智慧本願大戒上品一卷﹂︑﹁太極左仙公請

問經上一卷︑仙公請問經下一卷﹂︑﹁仙公請問本行因緣衆聖難一卷﹂︑

﹁太極左仙公神仙本起內傳一卷﹂︑﹁太極左仙公起居經一卷﹂であるが︑

このうち﹁太上洞玄靈寶天文五符經序一卷﹂と﹁太上洞玄靈寶眞文

要解上經﹂は相當する道藏本の內容から仙公系靈寶經とは認めがた

いので︑仙公系靈寶經から除外する︒また︑宋文明﹁靈寶經目﹂︵假︶

で﹁右元始舊經紫微金格目三十六卷︑二十一卷已出︒﹂とある元始

舊經の中にも︑その內容から仙公系靈寶經と認められる經典がある︒

それらを卷目で示すと︑﹁卷目云︑太上說太上玄都︹玉︺京山︹步虛︺

經﹂︑﹁卷目云︑太上洞玄靈寶自然至眞九天生神章﹂︑﹁卷目云︑太上

洞玄靈寶大道无極自然眞一五稱符上經﹂︑﹁︹卷︺目云︑太上洞玄靈

寶智慧上品大戒威儀自然︹經︺﹂︑﹁卷目云︑太上洞玄靈寶眞︵文︒文

は衍字︶一勸誡法輪妙經﹂である︒そこで︑これらの仙公系靈寶經 を列記すると︑次の通りである︒  なお︑一覽表では初めに﹁靈寶經目︵假︶﹂に載せる經典名を記し︑

次にそれに相當する道藏本や敦煌資料や引用する諸文獻を記して︑

││線で繫げている︒

1︑

 

﹁太上玉經太極隱注寶經訣一卷﹂││﹃上淸太極隱注玉經寶

訣﹄四二五︒以下﹃太極隱注﹄と略す︶

2︑

 

﹁太上太極太虛上眞人演太上靈寶威儀洞玄眞一自然經訣上卷﹂

︵以下﹁眞一自然經訣﹂略す︶││道藏本缺︑﹃眞一自然經訣﹄︵P

二三五六︶︑﹃眞一自然經訣﹄二四五二︶︑﹃眞一自然經﹄︵﹃道

敎義樞﹄卷二︶

3︑

 

﹁太極眞人敷靈寶文齋戒威儀諸要解經訣下一卷﹂││﹃太極

眞人敷靈寶齋戒威儀諸經要訣﹄三二︒以下﹃敷齋經﹄と

略す︶

4︑

 

﹁太上消魔寶眞安志智慧本願大戒上品一卷﹂││﹃太上消魔

寶眞安志智慧本願大戒上品﹄二四六八二四〇〇︶

︑ ﹃ 太

洞玄靈寶智慧本願大戒上品經﹄四四︒以下智慧本願大

戒上品經﹄と略す︶

5︑

 

﹁太極左仙公請問經上一卷﹂︑﹁仙公請問經下一卷﹂││﹃太

極左仙公請問經上﹄一三五一︶︑﹃太上洞玄靈寶本行宿緣經﹄

一一〇六︒以下﹃本行宿緣經﹄と略す︶

6︑

 

﹁仙公請問本行因緣衆聖難一卷﹂││﹃太上洞玄靈寶本行因

緣經﹄︵道藏一一〇七以下﹃本行因緣經﹄と略す︶︑﹃太上洞玄靈

(3)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について二三 寶妙經﹄卷第十五衆聖難二四五四︶

7︑

 

﹁太極左仙公神仙本起內傳一卷﹂︑﹁太極左仙公起居經一卷﹂

││道藏本缺︒

8︑

 

﹁太上說太上玄都︹玉︺京山︹步虛︺經﹂││﹃洞玄靈寶玉京

山步虛經﹄一四二七︒以下﹃玉京山步虛經﹄と略す︶

9︑

 

﹁太上洞玄靈寶自然至眞九天生神章﹂││﹃洞玄靈寶自然九

天生神章經﹄一八︒以下﹃九天生神章經﹄と略す︶

10  

︑﹁太上洞玄靈寶大道无極自然眞一五稱符上經﹂││﹃太上無

極大道自然眞一五稱符上經﹄七一︒以下﹃五稱符上經﹄と

略す︶

11  

︑﹁太上洞玄靈寶智慧上品大戒威儀自然︹經︺﹂││﹃太上洞玄

靈寶智慧本願大戒上品經﹄三四四︒以下智慧本願大戒上品

經﹄と略す︶

12  

︑﹁太上洞玄靈寶眞︵文︶一勸誡法輪妙經﹂││﹃太上洞玄靈寶

眞一勸誡法輪妙經﹄四八︒以下﹃法輪妙經﹄と略す︶

  右に列記した仙公系靈寶經は梁・宋文明の﹁靈寶經目︵假︶﹂に

基づくものであるが︑この目錄は陸修靜が編纂し︑泰始七年︵四七一︶

に明帝に奉呈した﹃三洞經書目錄﹄による︒したがって︑右の仙公

系靈寶經は劉宋の泰始七年には存在していたものである︒なお︑8

12

の靈寶經は陸修靜の﹃三洞經書目錄﹄では︑元始舊經に分類さ

れていたが︑しかしその思想內容から判斷すれば︑仙公系靈寶經で

ある︒ただ︑9の﹁太上洞玄靈寶自然至眞九天生神章﹂は︑元は道 藏本﹃九天生神章經﹄の序の後半部︵5と九天章の箇所が

元始系靈寶經として作成されたが︑後に序の前半部︵14b

三寶章と太極眞人頌三首を付け加えて︑仙公系靈寶經に作り直した

經典である ︵5︶︒また︑8の﹁洞玄靈寶玉京山步虛經﹂は︑最初は道藏

本﹃玉京山步虛經﹄の序文と洞玄步虛吟十首までが作成され︑その

後︑太上智慧經讃八首を﹃太極隱注﹄から︑太上太極五眞人頌を﹃眞

一自然經訣﹄二四五二︶から︑禮經三首呪を﹃智慧本願大戒上品經﹄

から︑末尾の太極左仙公葛眞人から葛洪に至る靈寶經傳授の記述は

﹃眞一自然經訣﹄二四五二︶から取り入れて插入したものである︒

  陸修靜は元嘉十四年︵四三七︶に著した﹁靈寶經目序﹂

︵ ﹃

七籖﹄

卷四︶で﹁或是舊目所載︑或自篇章所見︑新舊五十五卷﹂︵5

記しているが︑ここで﹁舊目の載する所﹂とある經典は﹁舊目﹂に

載せる三十六卷の﹁元始舊經﹂︑﹁自から篇章の見 あらはす所﹂とある經

典は︑續いて﹁新舊五十五卷﹂と記しているところから察すれば︑

葛仙公の受けた﹁新經﹂を指す︒そうすると︑﹁新舊五十五卷﹂の

うち﹁新經﹂の卷數は︑五十五卷から﹁元始舊經﹂の三十六卷を引

いた十九卷である︒すなわち︑陸修靜が﹁靈寶經目序﹂を著した元

嘉十四年には仙公系靈寶經が十九卷存在していたのである︒

  ﹁靈寶經目序﹂によれば︑陸修靜は當時存在した靈寶經を分類し

て﹁今︑舊目の已出竝びに仙公の授かる所を條す︒﹂と述べている

ので︑仙公系靈寶經の﹁新經﹂は葛仙公が傳授された經典と考えら

れている︒そうすると︑先に列記した1から

12

の靈寶經はすべて仙

(4)

二四

公系靈寶經として數えられていたと見てよいであろう︒﹁靈寶經目

序﹂執筆の時點では︑仙公系靈寶經が十九卷存在していたというこ

とから推測すれば︑先に列記した仙公系靈寶經はすべて元嘉十四年

には編纂されていたのである︒なお︑﹁太上洞玄靈寶自然至眞九天

生神章﹂も﹁太上說太上玄都︹玉︺京山︹步虛︺經﹂も元嘉十四年の

時點では道藏本﹃九天生神章經﹄︑道藏本﹃玉京山步虛經 ︵6︶﹄とほぼ

同じ形態であったと考えてよいであろう︒

三︑劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想

︵一︶  ﹃三天內解經﹄に見られる﹁三天﹂の思想   天師道の﹁三天﹂の思想は︑劉宋永初元年︵四二〇︶頃に天師道

によって編纂された﹃三天內解經﹄一九六︶で初めて說かれ

た思想である︒﹃三天內解經﹄では︑﹁三天﹂の思想を次のように說

いている︒

太上以漢順帝時︑選擇中使平正六天之治︑分別眞僞︑顯明上三

天之氣︒以漢安元年壬午歳五月一日︑老君於蜀郡渠亭山石室中︑

與道士張道陵將詣崑崙大治新出太上︒太上謂世人不畏眞正而畏

邪鬼︒因自號爲新出老君︑卽拜張爲太玄都正一平氣三天之師︑

付張正一明威之道新出老君之制︑罷廢六天三道︑時事平正三天︑

洗除浮華︑納朴還眞︒

 

︵卷上・

  太上老君は後漢の順帝の時に使者を遣わして六天の治を公平で眞 正なものにし︑眞僞を分別し︑上三天の氣を顯彰しようとした︒そこで漢安元年五月一日に老君は蜀郡渠亭山の石室中にいる張道陵と連れ立って︑崑崙山の大治にいる新出太上老君を詣でた︒新出太上老君は︑世間の人々が眞正を畏怖せず︑かえって邪鬼を畏怖している︑と語り︑自らを新出老君︵新たに出現した老君︶であると名乘った︒

そして新出太上老君は張道陵を敬って太玄都正一平氣三天の師とい

う稱號を授け︑新出太上老君の定めた實踐規範の正一盟威の道を張

道陵に付與して︑六天の三道を廢棄させ︑同時に公平で眞正な﹁三

天﹂に仕えさせて︑人々が浮華を捨てて︑質朴に戾り眞實に返るよ

うにさせた︒

  ここには︑後漢の順帝の時に鬼神界の統治者が惡鬼化した六天か

ら公平で眞正な﹁三天﹂に交代し︑﹁三天﹂の部下である新出太上

老君が張道陵に太玄都正一平氣三天の師という稱號を與え︑同時に︑

新出太上老君の定めた正一盟威の道を授けてそれを實踐させた︑と

いう一種の歷史觀が見られる︒この歷史觀を﹁三天﹂の思想と呼ぶ

のである︒

  この﹁三天﹂の思想では︑最高神の﹁三天﹂やその部下の﹁新出

太上老君﹂という新しい神格名が見えることや︑張道陵の稱號とし

ての﹁太玄都正一平氣三天の師﹂︑あるいは張道陵が實踐した﹁正

一盟威の道﹂という︑﹁三天﹂の思想獨特の諸觀念が見える︒

  また﹁三天﹂の思想には獨自の神々の體系があり︑﹃三天內解經﹄

には次のように記す︒

(5)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について二五 有太淸玄元無上三天無極大道︑太上老君︑太上丈人︑天帝君︑九老仙都君︑九氣丈人等百千萬重道氣千二百官君︑太淸玉陛下︒今世人上章書太淸︑正謂此諸天眞也︒

 

︵卷上・

  ここに記された神々は︑劉宋初期の﹁三天﹂の思想を信奉する天

師道が上章儀禮を行う時に︑關啓の對象とする神々である︒これら

は同時に天師道の﹁三天﹂の思想における神々の體系であった︒最

高神の太淸玄元無上三天無極大道には二種の意味があり︑一つは太

淸玄元無上三天に居る無極大道という意味である︒この場合には︑

太淸玄元無上三天が﹁三天﹂という天界の名稱であり︑無極大道が

神格の名稱である︒もう一つは太淸玄元無上三天である無極大道と

いう意味である

︒この場合には太淸玄元無上三天は神格としての

﹁三天﹂の名稱であり︑同時に無極大道という神格の別稱である︒

つまり︑﹁三天﹂と無極大道は同じ神格である︒

  このように天師道の﹁三天﹂の思想では︑﹁三天﹂は神格と天界

の兩方の意味で用いられている︒また︑太上老君は太淸玄元無上三

天無極大道に次ぐ第二位の神格であり︑張道陵に太玄都正一平氣三

天の師の稱號と正一盟威の道を授けた新出太上老君も︑この太上老

君である︒﹃三天內解經﹄によれば︑太上老君は時代ごとに世に出

現するが︑張道陵に太玄都正一平氣三天の師の稱號と正一盟威の道

を授けた太上老君だけが特別に﹁新出太上老君﹂あるいは﹁新出老

君﹂と呼ばれている︒

  張道陵が新出太上老君より授かった﹁正一明威之道﹂は︑﹃三天 內解經﹄に﹁天師受太上正一盟威之道三天正法︑付子孫︑傳爲國師︑謂當終於無窮︒豈有雜錯︒﹂︵卷上とあるように︑﹁三天正法﹂

と呼ばれている︒正一盟威の道が﹁三天正法﹂と呼ばれるのは︑新

出太上老君が張道陵に授けた正一盟威の道だけが﹁三天﹂の正法で

あるからである︒

  ﹁三天﹂の正法の正一盟威の道の內容を﹃三天內解經﹄では次の

ように記す︒

民不妄淫祀他鬼神︑使鬼不飮食︑師不受錢︑不得淫盜治病療疾︑

不得飮酒食肉︒民人唯聽五臘吉日祠家親宗祖父母︑二月八月祠

祀社伽︒自非三天正法︑諸天眞道︑皆爲故氣︒疾病者但令從年

七歳有識以來︑首謝所犯罪過︑立諸儀章符救療久病困疾︒醫

所不能治者︑歸首則差︒

 

︵卷上・   ここに見られる正一盟威の道の特色は︑民間信仰を否定している

ことである︒﹁民は妄りに他の鬼神を淫祀せず︑鬼をして飮食せし

めず︑師をして錢を受けざらしめ︑︹師は︺淫盜して治病し療疾する

を得ず︑︹鬼神は︺飮酒食肉するを得ず︒﹂とは︑民間信仰の祭祀を

禁止しているのである︒

  正一盟威の道が民間信仰を否定する內容になっているのは︑新出

太上老君が張道陵に正一盟威の道を授けた目的が︑民間信仰の禁止

にあったからである︒先の﹁三天﹂の思想を述べる一節の前に︑次

のような一文がある︒

於是人民雜亂︑中外相混︑各有攸尙︑或信邪廢眞︑禱祠鬼神︑

(6)

二六

人事越錯於下︑天氣勃亂在上︑致天氣混濁︑人民失其本眞︒

 

︵卷上・   ここでは人民が邪惡を信じ︑眞實を廢棄して︑鬼神を禱祠したた

めに︑人事も錯亂し︑天氣も混亂して︑結局天氣は混濁し︑人民は

眞實を喪失してしまったという︒これはまさに民間信仰が流行して

いる狀況である︒それゆえ︑この文のすぐ後で︑新出太上老君は張

道陵に﹁世人は眞正を畏れず︑邪鬼を畏る︒﹂と語って︑民間信仰

が流行している時代狀況を嚴しく批判しているのである︒そしてこ

の言葉の後で︑新出太上老君が張道陵に正一盟威の道を授けて︑﹁時

に平正の三天に仕へさせ︑浮華を洗除し︑朴を納め眞に還らしむ︒﹂

と記しているが︑これは張道陵が三天正法である正一盟威の道を實

踐して民間信仰を廢絶することを述べるものであるから︑正一盟威

の道には民間信仰を禁止する內容が含まれているのである︒

︵二︶  ﹁三天﹂の思想を信奉する天師道の神仙術   ﹃三天內解經﹄には﹁三天﹂の思想を信奉する天師道の思想が說

かれているが︑その第一の特色は︑天師道の修行法がすべての人々

の昇仙を目的とする神仙術︵神仙道︶である︑ということである︒﹃三

天內解經﹄では理想的な修行法を次のように述べている︒

大乘之學當怡心恬寂︑思眞注玄︑外若空虛︑內若金城︑香以通

氣︑口以忘言︑慈心衆生︑先念度人︑後自度身︑悉在昇仙︑不

念財錢︑廻心禮謝︑不勞身神︑求眞於內︑然後通玄念與道合︑ 自無多陳︒可謂呼吸六合︑歷覽未聞︒

 

︵卷下・

  この中に﹁大乘の學は︑⁝⁝衆生を慈心し︑先に人を度するを念

じ︑後に自から身を度して︑悉く昇仙に在り︒﹂とあるように︑す

べての人々の昇仙を願うことが大乘の修行法であるという︒

  第二は︑﹃道德經﹄を特別に尊重していることである︒﹃三天內解

經﹄では︑﹁生可貴也︒夫有心者可熟案五千文︒此經皆使守道長存︑

不有生死︒道之宗本在乎斯經也︒﹂︵卷上

10

と述べて︑﹃道德經﹄

は長生不死を說く經典として特別に尊尙されている︒

  天師道の前身である五斗米道では後漢時代から﹃道德經﹄を最高

の經典として尊尙していた︒﹃三國志﹄卷八張魯傳に所引の﹃典略﹄

に﹁祭酒主以老子五千文︑使都習︑﹂とあり︑後漢の五斗米道敎團

では祭酒が老子五千文︵﹃道德經﹄を信徒全員に學習させていたと

いう︒劉宋の﹁三天﹂の思想を信奉する天師道で﹃道德經﹄を特別

に贊美するのは︑後漢の五斗米道以來の傳統を繼承するものである︒

  第三の特色は︑﹃三天內解經﹄卷下で佛敎用語の﹁大乘﹂と﹁小乘﹂

の槪念を用いて︑修行法の優劣を論じていることである︒神仙術を

﹁大乘之學﹂︵3と﹁小乘之學﹂︵3とに分けてその優劣を論じ︑

また﹁沙門道人︑小乘學者﹂︵4b︑﹁道士︑大乘學者﹂︵4bとあ

るように︑佛敎の沙門を小乘の學者︑天師道の道士を大乘の學者と

評價している︒

(7)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について二七 ︵三︶  ﹃三天內解經﹄以後の天師道の﹁三天﹂の思想

︵ア︶  指敎齋法と﹁三天﹂の思想   ﹃正一指敎齋儀﹄九七︶に﹁正一眞人三天法師曰︑指敎齋戒

有十二法︒﹂︵4とある︒﹁正一眞人三天法師﹂という張道陵の稱

號は︑﹃三天內解經﹄の﹁三天﹂の思想で說く﹁太玄都正一平氣三

天の師﹂の稱號に由來するものであり︑指敎齋法が天師道の﹁三天﹂

の思想の影伖を強く受けて成立していることを示唆している ︵7︶︒   ﹃正一指敎齋儀﹄の﹁宿啓儀﹂の次東向に

係天師陽平治左平炁姓名稽首再拜︑謹關啓太淸玄元上三天無

極大道︑太上老君︑太上丈人︑天帝君︑天帝丈人︑九老仙都君︑

九炁丈人等百千萬重道炁︑千二百官君︑泰淸玉陛下︒

 

︵2

とあり︑ここで先ず指敎齋法を施行する祭酒あるいは道士の法位が

﹁係天師陽平治左平炁﹂という天師道獨自の法位であることが注意

される︒これは指敎齋法が天師道で行われた齋法儀禮であることを

明確に示唆している

︒また

︑祭酒あるいは道士が關啓する對象の

神々が︑﹃三天內解經﹄で說く﹁三天﹂の思想における上章儀禮の

神々である點が注意される︒これも︑指敎齋法に天師道の﹁三天﹂

の思想の影伖のあることを示唆していよう︒なお︑﹃正一指敎齋淸

旦行道儀﹄九八︶の﹁次便四方朝﹂の次東向でも︑同一の神々

への關啓が行われている︒ ︵イ︶  ﹃陸先生道門科略﹄における﹁三天﹂の思想

  劉宋の道士陸修靜︵四〇六〜四七七︶の﹃陸先生道門科略﹄︵H

一一九︶の冒頭部は﹁三天﹂の思想に基づいて記されており︑前半

には六天の故氣︵古い鬼︶が率いる惡鬼の軍團によって︑人民は邪

淫な祭祀を要求されて疲弊している樣子が記されており︑後半では

その狀況を憂えた太上老君が︑張天師に正一盟威の道を授けて人民

を敎育する樣子が次のように記されている︒

太上患其若此︒故授天師正一盟威之道禁戒律科︑檢示萬民逆順

禍福功過︑令知好惡︑置二十四治三十六靖廬︑內外道士二千四

百人︑下千二百官章文萬通︑誅符伐廟︑殺鬼生人︑蕩滌宇宙︑

明正三五︑周天匝地︑不得復有淫邪之鬼︑罷諸禁心︑淸約治民︑

神不飮食︑師不受錢︑使民內修慈孝︑外行敬讓︒佐時理化︒助

國扶命︑唯天子祭天︑三公祭五嶽︑諸侯祭山川︑民人五臘吉日

祠先人︒二月八月祭社伽︒自此以外︑不得有所祭︒若非五臘吉

日︑而祠先人︒非春秋社日而祭社伽︒皆犯淫祠︒若疾病之人不

勝湯藥針伮︑惟服符飮水︑及首生年以來所犯罪過︒罪應死者︑

皆爲原赦︑積疾困病︑莫不生全︒故上德神仙︑中德倍壽︑下德

延年︒

 

︵1

この一節は︑﹃三天內解經﹄の﹁三天﹂の思想における正一盟威の

道と類似の內容である︒

  さらに﹃陸先生道門科略﹄では﹁盟威淸約の正敎に背き︑邪僻䉷

巫の倒法に向かふ﹂︵8と述べて︑天師道の信徒が正一盟威の道

(8)

二八

に背いて民間信仰に向かう有樣を嚴しく批判している︒正一盟威の

道である﹁盟威淸約の正敎﹂に︑次のような注記を付している︒

盟威法は︑師は錢を受けず︑神は飮食せず︑これを淸約と謂ふ︒

病を治するに︑針伮湯藥せず︑唯だ符を服し水を飮み罪を首し︑

行ひを改め︑章奏するのみ︒居宅︑安塚︑移徙︑動止の百事は︑

日を卜し時を問はずして︑心に任せて行ひ︑避就する所無し︑

︹これを︺約と謂ふ︒千精萬靈︑一切の神祇は︑皆廢棄する所なり︒

老君︵老子︶・三師︵張陵・張衡・張魯︶を臨奉す︑これを正敎と

謂ふ︒

 

︵8   ﹃陸先生道門科略﹄の內容から推察して︑陸修靜が﹁三天﹂の思

想を信奉する天師道の道士であることは明瞭であろう︒

︵ウ︶  新型鎭墓券と上章儀禮に見られる﹁三天﹂の思想   徐副の新型鎭墓券

︶8

である湖南省長沙縣出土の劉宋元嘉十年︵四三

三︶の徐副の鎭墓券には︑﹁新出太上老君﹂や﹁太淸玄元上三天無

極大道︑太上老君﹂のような︑劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想に特

有の神格名が見える︒また﹁遵奉太上諸君丈人道法︑不敢選時擇日︑

不避地下禁忌︑道行正眞︑不問龜筮︒﹂とあり︑ここにいう﹁太上

諸君丈人の道法﹂とは﹃三天內解經﹄にいう﹁三天﹂の思想の神々

の道法であり︑正一盟威の道を指す︒その內容が﹃陸先生道門科略﹄

の﹁盟威淸約の正敎﹂の注記に見られる思想と同じであることも︑

新型鎭墓券の製作者が天師道の﹁三天﹂の思想の信奉者であること を示している︒あるいは﹁至三會吉日︑當爲丘丞諸神言功擧遷︑各加其秩祿︑如天曹科比︒﹂とあって︑天師道の祝祭日の三會日︵正月

七日︑七月七日︑十月五日︶に言功章の上章儀禮を行うように指示して

いるので︑新型鎭墓券を用いる人々の間では︑﹁三天﹂の思想を信

奉する天師道の上章儀禮が實施されていたようである︒

  徐副の鎭墓券が天師道の﹁三天﹂の思想に基づいて書かれている

となれば︑徐副の鎭墓券とほぼ同じ內容の鎭墓券である廣東省仁化

縣出土の劉宋元嘉二十一年︵四四四︶の磚券や湖北省武昌縣出土の

齊永明三年︵四八五︶の磚券や湖南省資興縣出土の梁天監四年︵五〇

五︶の磚券や湖南省資興縣出土の梁普通元年︵五二〇︶のM413

8號磚券や湖南省資興縣出土の何靖のM4137號磚券︑等の存

在から︑南朝では﹁三天﹂の思想を信奉する天師道が廣い地域で活

動していたことが確認される︒

  新型鎭墓券には天師道の上章儀禮が見えるので︑鎭墓券が埋めら

れた地域では天師道の上章儀禮が行われていたことが確かめられる︒

また唐の朱法萬﹃要修科儀戒律鈔﹄六三︶卷十一には﹃太眞

科﹄や﹃玄都律文﹄を引用して上章儀禮について解說しているが︑

﹃太眞科

︶9

﹄は劉宋初期︵四二〇年代前半︶︑﹃玄都律文

︶10

﹄は劉宋末期に

編纂された天師道の經典であるから︑ここに上章儀禮が記されてい

ることは︑劉宋期には﹁三天﹂の思想を信奉する天師道が江南の地

域で盛んに活動していたことを示唆していよう︒

(9)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について二九 ︵エ︶  ﹁三天﹂の天界說と三洞說の形成   梁代の﹃太上洞玄靈寶業報因緣經﹄三三六︶卷十︑敍敎品第

二十六に三洞說の思想が次のように記されている︒

道君曰︑元始以一炁化生三炁︑分爲三天︒一曰︑始炁爲淸微天︑

號玉淸境︑天寶君所化︑出洞眞經十二部︑以敎天中九聖︒二曰︑

元炁爲禹餘天︑號上淸境︑靈寶君所化︑出洞玄經十二部︑以敎

天中九眞︒三曰︑玄炁爲大赤天︑號太淸境︑神寶君所化︑出洞

神經十二部︑以敎天中九仙︒

 

︵4   ここにいう﹁洞眞經﹂・﹁洞玄經﹂・﹁洞神經﹂とは︑三洞說の經典

分類法による洞眞部上淸經・洞玄部靈寶經・洞神部三皇經を指す︒

そして三洞部の經典は﹁三天﹂の三寶君によって說かれたと述べて

いるので︑三洞說が天師道の﹁三天﹂の思想における﹁三天﹂の天

界說に基づいて構成されていることがわかる︒﹁三天﹂の天界說は

早くは劉宋初期に編纂された﹃太眞科﹄︵﹃道敎義樞﹄卷七混元義第二十

五︶に次のように見える︒

太眞科云︑三天最上︑號曰大羅︑是道境極地︑妙氣本一︒唯此

大羅︑生玄元始三炁︑化爲三淸天也︒一曰︑淸微天玉淸境︑始

氣所成︒二曰︑禹餘天上淸境︑元氣所成︒三曰︑大赤天太淸境︑

玄氣所成︒從此三炁︑各生三炁︑合爲九炁︑以成九天︒

 

︵5   ﹁三天﹂の天界說は﹁三天﹂の思想における天界の﹁三天﹂が玄

元始三氣と結びついて形成された宇宙論である︒さらに︑﹃九天生

神章經﹄の三寶章の中にも﹁三天﹂の天界說が見える︒三寶章とは︑ 始靑淸微天寶章・元白禹餘靈寶章・玄黃太赤神寶章であり︑三寶章を構成する諸觀念を圖で示すと次のようになる︒

始靑淸微天寶章始氣│靑│淸微天│天寶君

元白禹餘靈寶章元氣│白│禹餘天│靈寶君

玄黃太赤神寶章玄氣│黃│大赤天│神寶君

  ここで三寶章の﹁天寶﹂に天寶君︑﹁靈寶﹂に靈寶君︑﹁神寶﹂に

神寶君を當てているのは︑元始系靈寶經の﹃九天生神章經﹄に後か

ら三寶章とともに付加された序の前半部から︑天寶・靈寶・神寶が

三寶君であると推察できるからである︒

  このように見てくると︑三洞說が天師道の﹁三天﹂の思想におけ

る﹁三天﹂の天界說に基づいていることは明らかであろう︒三洞說

が﹁三天﹂の天界說に基づいて形成されているのは︑三洞說が﹁三

天﹂の思想を信奉する天師道によって唱えられたからである︒

  三洞說が﹃太眞科﹄と﹃九天生神章經﹄の序の前半部と三寶章に

基づいて作られたのであれば︑その成立は﹃太眞科﹄や仙公系﹃九

天生神章經﹄の成立よりも後である︒天師道による元始系靈寶經の

攝取の開始は︑﹃太眞科﹄の成立する四二〇年代前半以降であり︑

また永初元年頃に始まる元始系靈寶經の編纂期間を考慮すれば︑お

そらく元嘉二年︵四二五︶以降であろう︒そうすると︑元始系﹃九

天生神章經﹄を改編した仙公系﹃九天生神章經﹄の成立は元嘉六︑

七年︵四二九︑三〇︶頃と見れば︑大過なかろう︒さらに仙公系﹃九

天生神章經﹄に基づく三洞說の形成

︶11

は︑元嘉七︑八年︵四三〇︑三一︶

(10)

三〇

頃と推測できる︒この點は後に仙公系靈寶經の編纂時期の上限を考

えるときに重要な指標となる︒

四︑仙公系靈寶經に見られる劉宋天師道の

   ﹁三天﹂の思想   仙公系靈寶經には劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想に由來する諸觀

念が多數見られる︒その幾つかを取り上げて︑仙公系靈寶經の編纂

者が﹁三天﹂の思想を信奉する天師道であることを實證してみたい︒

︵ア︶  正一眞人三天法師張道陵の稱號   ﹃玉京山步虛經﹄の﹁正一眞人無上三天法師張天師頌曰︑靈寶及

大洞︑至眞道經王︑唯有五千文︑高妙無等雙︑奉行致飛仙︑﹂︵9

や﹃眞一自然經訣上﹄二四五二︶の﹁太上正一眞人无上三天法

師張道陵頌曰︑靈寶及大洞︑至眞道仙公︑如有五千文︑高妙无︵缺︶

奉行立飛仙︑﹂︵一一九頁下段︶に見える張道陵の稱號﹁正一眞人無上

三天法師張天師﹂や﹁太上正一眞人无上三天法師張道陵﹂︑あるい

は﹃敷齋經﹄に﹁太極眞人曰︑飯賢福食︑各有人數︑外來之客︑先

亦同食︒正一眞人三天法師臨昇天︑以百姓貧弊爲復減損作福︒︵以

下略︶

14b︶とある﹁正一眞人三天法師﹂の稱號は︑﹃正一指敎齋儀﹄

に見える﹁正一眞人三天法師﹂の稱號に由來する︒指敎齋法は﹃太

極左仙公請問經上﹄の﹁高上老子曰︑其道家所先︑莫近乎齋︑齋法 甚多︑大同小異耳︒其功德重者︑惟太上靈寶齋也︒但世希能學之矣︒學之者︑皆大乘之士︑前世積慶所鐘︑去仙近也︒又有三天齋法與靈寶相似︒仙公曰︑三天齋者是三天法師天師所受法︑名爲旨敎經也︒抑亦其次矣︒此法悉在五稱文中︑莫不畢載也︒﹂︵八六頁下段︶に﹁三

天齋法﹂として言及されているので︑仙公系靈寶經の述作時には旣

に成立していた︒張道陵の稱號である﹁正一眞人無上三天法師﹂や

﹁太上正一眞人無上三天法師﹂や﹁正一眞人三天法師﹂の稱號が指

敎齋法の﹁正一眞人三天法師﹂に由來するのであれば︑仙公系靈寶

經の編纂時期は指敎齋法の成立時期よりもさらに時代が下るのであ

るから︑劉宋の永初年間︵四二〇〜四二二︶以降であることは間違い

なかろう︒

  また︑﹃眞一自然經訣上﹄や﹃玉京山步虛經﹄では︑正一眞人三

天法師張道陵が葛仙公に洞玄靈寶經を授ける五眞人の一人として現

れる︒﹃本行因緣經﹄では﹁仙人請問曰︑近登崑崙玄圃宮︒侍座見

正一眞人三天法師張道陵降座︒䥮都伺迎︑三界稽首︒諸天禮問動靜︑

龍駕曜虛︑項負圓明︑身生天光︑文章煥燗︒先世何功德︑故是得道︒

其獨如是乎︒願聞之︒答曰︑天師本行︑所歷亦彌劫︑勤苦齋戒︑讀

經弘道︑大度高範︑玄眞耽味︑希微轉輪︑求道尤過︒於吾不可具其

志大經︑行大道︑故得三天法師之任︑太上正一眞人之號矣︒豈不大

乎︒﹂︵7とあって︑葛仙公は張道陵に﹁三天法師の任︑太上正

一眞人の號﹂が與えられた由緣を述べて︑張道陵を贊美している︒

これらの事例から︑﹃眞一自然經訣上﹄や﹃玉京山步虛經﹄や﹃本

(11)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について三一 行因緣經﹄の編纂者が︑正一眞人三天法師張道陵を葛仙公よりも高く評價していることがわかるので︑仙公系靈寶經の編纂者は﹁三天﹂

の思想を信奉する劉宋の天師道の道士であろう︑ということは容易

に推測できよう︒

︵イ︶  ﹃道德經﹄の尊崇   劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想では太上老君は最高神の無極大道

に次ぐ地位の神格であり︑同時に張道陵に正一眞人三天法師の法位

や正一盟威の道を授けた重要な神格である︒老子の著作である﹃道

德經﹄も﹃三天內解經﹄では長生不死を說く經典として特別に尊尙

されている︒劉宋の天師道で﹃道德經﹄を特別の經典として尊尙す

るのは︑後漢の五斗米道以來の傳統を繼承するものである︒

  ところが︑葛氏道では﹃道德經﹄をさほど尊重していない︒﹃抱

朴子﹄內篇・釋滯篇で﹁又五千文雖出老子︑然皆泛論伂略耳︒其中

了不肯首尾全擧其事︑有可承按者也︒但暗誦此經︑而不得要道︑直

爲徒勞耳︒﹂とあって︑﹃道德經﹄を暗誦しても神仙になることはで

きず︑單に徒勞にすぎないとまで言っている︒したがって︑仙公系

靈寶經で﹃道德經﹄を特別に贊美するのは︑その編纂者が天師道で

あることを示唆する格好の證據である︒仙公系靈寶經には﹃道德經﹄

を特別に尊尙している事例が十例ほどあるが︑その中の三例を次に

示す︒

① 

 

高上老子曰︑︵中略︶道家經之大者︑莫過五千文︑大洞玄眞之 詠也︒此經虛遠︑誦之致大聖爲降雲車寶蓋︑馳騁龍駕︑白日昇天︒五千文是道德之祖宗︑眞中之眞︑不簡穢賤︑終始可輪讀︑敷演妙義︑則王侯致治齋而誦之︑則身得飛仙︒七祖獲慶︑反胎受形︑上生天堂︑下生人中王侯之門也︒

 

︵﹃太極左仙公請問經上﹄八七頁上段︶

② 

 

太極眞人曰︑賢者欲修無爲之大法︑是經可轉︑及諸眞人經傳

亦善也︒唯道德五千文至尊無上正眞之大經也︒大無不包︑細

無不入︑道德之大宗矣︒歷觀夫已得道眞人︑莫不學五千文者

也︒尹喜松羨之徒是也︒所謂大乘之經矣︒

 

︵﹃敷齋經﹄

12

③ 

 

太上玄一眞人曰︑道德五千文︑經之至賾︑宣道之意︑正眞之

敎盡也︒煥乎其文矣︒誦之千日︑虛心注玄︑白日昇仙︑上爲

太上四華眞人︒此高仙之宗也︒亦能致慶於七祖矣︒

 

︵﹃眞一五稱符上經﹄卷下

14

︵ウ︶  三洞說と大乘   ﹃九天生神章經﹄以外のすべての仙公系靈寶經では︑經典の分類

法として三洞說が用いられているとともに︑三洞部全體の經典が尊

尙されている︒たとえば︑﹃眞一自然經訣上﹄二三五六︶には﹁得

見洞眞・洞玄・洞神︑太上三洞寶經﹂︵一一七頁下段︶とあって︑﹁洞

眞﹂﹁洞玄﹂﹁洞神﹂という三洞說の經典分類法が用いられていると

ともに︑三洞部全體の經典を﹁太上三洞寶經﹂と呼んで尊重してい

る︒また﹃敷齋經﹄には﹁等今歸命太上無極大道︑至眞無上三十

(12)

三二

六部尊經寶符︑太上三尊︒﹂︵7とあり︑ここでは太上無極

大道と三十六部尊經と太上三尊への歸依を實施しているが︑三十六

部尊經とは三洞部十二類のすべての經典の總稱であるから︑三十六

部尊經への歸依は三洞部のすべての經典に歸依することを意味して

いる︒すなわち︑﹃敷齋經﹄の編纂者は三洞部のすべての經典を尊

尙していたのである︒

  ﹃本行宿緣經﹄には﹁道德上下經及洞眞・洞玄經・三皇天文・上

淸衆篇詠等︑皆是太上虛皇衆眞十方自然眞仙︑及帝君之隱位︑﹂

10

b〜

11

とあって︑﹃道德經﹄とともに洞眞部の﹃洞眞經﹄︵上淸經︶

や洞玄部の﹃洞玄經﹄︵靈寶經︶や洞神部の﹃三皇天文﹄が特別の天

書として尊尙されている︒また﹃太極隱注﹄では初めに﹃道德經﹄︑

次に三洞部の﹃大洞眞經﹄︑﹃靈寶洞玄經﹄︑﹃三皇天文﹄の順にそれ

ぞれの傳授儀が記されているので︑﹃道德經﹄を特別に尊重する天

師道において三洞部のすべての經典が傳授されていたことがわかる︒

﹃五稱符上經﹄卷下には﹁三皇天文大字︑洞眞經本同於靈寶︒﹂

11b︶

とあって︑洞眞部の﹃洞眞經﹄や洞玄部の﹃靈寶經﹄や洞神部の﹃三

皇天文﹄のすべてが尊重されている︒

  さて︑仙公系靈寶經では三洞部のすべての經典を信奉することが

﹁大乘﹂の立場であると言っている︒﹃本行宿緣經﹄には﹁宗三洞玄

經︑謂之大乘之士︒先度人後度身︑坐起臥息︑常慈心一切︑皆念經

營之︑无有怠倦︒﹂︵6とあり︑三洞部全體を尊尙する道士は大

乘の士であるという︒また﹁復有凡人︑行是功德︑願我後生常見三 洞大經︑後生便見大經︑受而誦之︑三界所敬︒﹂︵8とあって︑

三洞部全體の經典を﹁三洞大經﹂や﹁大經﹂と呼んでいる︒﹃本行

因緣經﹄には﹁吾後爲諸人作師︑志大乘行︑常齋誡讀經︑竝齎珍寶

詣大法師︑受三洞大經︑供養禮願︑齋誡行道︑服食吐納︑因緣未盡︑

命過太陰︑卽生賢家︑復爲道士沙門︑復得同學︑相爲師徒︑復受大

經︑齋戒行道︑是故上聖盻目︑䣦眞降敎於我也︒﹂︵5とあり︑

ここに見える﹁三洞大經﹂や﹁大經﹂も三洞部の經典全體を意味す

る︒仙公系靈寶經で三洞部の經典全體を尊重することが大乘の立場

であると高く評價するのは︑編纂者である天師道の道士が三洞部の

經典すべてを信奉していたからである︒

  ﹃法輪妙經﹄に﹁太上命太極眞人徐來勒保汝爲三洞大法師︒﹂︵2b

とある﹁三洞大法師﹂は三洞部の經典すべてに通曉した法師の意味

であるから︑﹁三洞大法師﹂の稱號に高い價値が置かれている︒こ

れは﹃法輪妙經﹄の作者が三洞說を信奉する天師道の道士であるか

らである︒ちなみに︑陸修靜が﹁靈寶經目序﹂で﹁三洞弟子陸修靜﹂

と稱しているのも︑陸修靜が三洞部全體を信奉する天師道の道士で

あるからである︒

  このように仙公系靈寶經で三洞說を贊美して︑三洞部全體の經典

を尊尙するのも︑仙公系靈寶經の編纂者が三洞說を唱えた︑劉宋の

﹁三天﹂の思想を信奉する天師道の道士たちであるからである︒

  ところで︑﹃法輪妙經﹄の冒頭に﹁太上高玄太極三宮法師玄一眞

人說太上洞玄靈寶眞一勸誡法輪妙經︒﹂︵1とあって︑法輪妙經

(13)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について三三 の經名に﹁洞玄靈寶﹂という語が付されている︒また﹃玉京山步虛經﹄には﹁太上太極五眞人於會稽山虞山授葛仙公洞玄靈寶經︒﹂︵8

﹃眞一自然經訣上﹄ではこの箇所が缺損している︶とあって︑葛仙公に授け

られた靈寶經を﹁洞玄靈寶經﹂と呼んでいる︒これらは︑﹃法輪妙經﹄

や﹃玉京山步虛經﹄︵あるいは﹃眞一自然經訣上﹄が洞玄部の靈寶經と

して編纂されたことを示唆しているのである︒この三經のみならず︑

﹃九天生神章經﹄を除く︑すべての仙公系靈寶經は洞玄部の靈寶經

として編纂されていた︒このことは︑﹃太極隱注﹄の傳授儀で靈寶

經を﹁靈寶洞玄經﹂と︑﹃本行宿緣經﹄では靈寶經を﹁洞玄經﹂と

呼んでいたことも參考になろう︒﹃九天生神章經﹄を除く︑すべて

の仙公系靈寶經は三洞說成立後に洞玄部の靈寶經として編纂された

のである︒したがってその編纂時期は三洞說が成立する元嘉七︑八

年以後である︒

︵エ︶  ﹁三寶﹂說   ﹁三寶﹂という觀念は旣に元始系靈寶經でも用いられている︒﹃洞

玄靈寶長夜之府九幽玉匱明眞科﹄一四〇〇︶の﹁明眞科曰︑生

世念善︑敬樂神明︑供養三寶︑禮受師宗︑命過昇天︑爲太上之賓︑︵下

略︶︵5や﹁明眞科曰︑生世願樂︑宗奉至經︑供養三寶︑廣開

法門︑捐棄財物︑散施貧民︑︵下略︶︵6︑あるいは﹃太上洞

玄靈寶智慧罪根上品大戒經﹄卷上︵Hの﹁十惡﹂の﹁三者

輕師慢法︑傲忽三寶︑﹂︵6等に見える︒しかし︑元始系靈寶經 の三寶が具體的に何を指すのか不明であり︑佛敎の﹁三寶﹂の槪念を單に借用しているに過ぎないようにも見える︒  仙公系靈寶經の﹃智慧本願大戒上品經﹄では︑﹁太極眞人曰︑宿

世禮奉經師︑口誦身行︑布施死困︑願樂三寶︑君親忠孝︑遠慕山水︑

︵下略︶︵3や﹁十善勸戒曰︑勸助禮敬三寶︑供養法師︑﹂︵9

とあり︑後者の十善勸戒によれば︑實際に三寶への敬禮が行われて

いたようである︒後者の注に﹁三寶者︑道經師也︒能養生敎善行︑

爲人範︑是名法師︒﹂︵9と記すので︑仙公系靈寶經の﹁三寶﹂

が道寶︑經寶︑師寶の意味であることがわかる︒﹃本行宿緣經﹄に

も﹁三寶者︑道寶・太上經寶・師寶︑是爲三寶︒﹂

12

とあって︑

道寶と太上の經寶と師寶が﹁三寶﹂であるという︒

  劉宋の天師道の道士陸修靜は元嘉十八年︵四四一︶

︶12

に著した﹃太

上洞玄靈寶授度儀表﹄︵Hで﹁謹んで身を潔め︑三寶の御

前に淸齋す︒﹂︵表と述べており︑陸修靜が實際に﹁三寶﹂へ

の敬禮を實踐していたことが知られる︒﹃太上洞玄靈寶授度儀﹄に

は﹁至心稽首禮太上無極大道︒至心稽首禮三十六部尊經︒至心稽首

禮玄中大法師︒﹂

41b︶とあるので︑陸修靜が敬禮した﹁三寶﹂は

道寶の太上無極大道︑經寶の三十六部尊經︑師寶の玄中大法師であ

ることがわかる︒道寶の太上無極大道は劉宋の天師道の﹁三天﹂の

思想における最高神であり︑經寶の三十六部尊經は劉宋の天師道で

信奉されている經典の總稱であり︑師寶の玄中大法師は﹃敷齋經﹄

に﹁老子︑玄中大法師矣︒﹂

13b︶とあるので︑太上老君︵老子︶

(14)

三四 ある︒  このように見てくると︑仙公系靈寶經の﹁三寶﹂說は﹁三天﹂の

思想を信奉する天師道によって考え出されたものであり︑したがっ

て﹁三寶﹂への敬禮を說く仙公系靈寶經の編纂者は﹁三天﹂の思想

を信奉する天師道の道士であることがわかる︒

︵オ︶  指敎齋法と上章儀禮   ﹃敷齋經﹄の靈寶齋法の儀禮は﹃太極左仙公請問經上﹄で﹁又三

天齋法有り︑靈寶と相似る︒﹂︵八六頁下段︶とあるように︑指敎齋法

︵三天齋法

︶13

と似ており︑明らかに指敎齋法を模倣して作られている︒

靈寶齋法で上啓の對象となる神々も指敎齋法の神々や

﹃三天內解

經﹄の﹁三天﹂の思想の神々と同じである︒この點からも︑﹃敷齋經﹄

は﹁三天﹂の思想を信奉する天師道によって編纂されたことが知ら

れる︒  ﹃眞一自然經訣上﹄二四五二︶に次のような一節がある︒

臣甲誠惶誠恐︑頓首死罪︑奏恩惟太上分別求哀︒謹因眞官︑飛

仙値使︑正一功曹︑左右官使者︑陰陽神決吏︑科車赤符吏︑剛

風騎︑置驛馬上章飛龍騎︑神龍騎︑天仙飛眞騎吏︑各廿四人出︒

奏臣授王甲靈寶經素赤章一通︑上詣上上太上曹︒

 

︵一二〇頁下段︶

  ここに見える神格は﹁三天﹂の思想を信奉する天師道で行う上章

儀禮や指敎齋法の﹁出官﹂の神々である︒このことから︑上記の儀 禮を載せる﹃眞一自然經訣上﹄の編纂者は﹁三天﹂の思想を信奉する天師道の道士であると推知できる︒︵カ︶  仙道と﹁道敎﹂

  仙公系靈寶經では︑昇仙の道の意味の﹁仙道﹂を得ることが修學

の目的である︒﹃智慧本願大戒上品經﹄の十善戒の中に﹁戒曰︑勸

助齋靜讀經︑今人世世不墮地獄︑卽昇天堂︑禮見衆聖︑速得反形︒

化生王家︑在意所欲︑玩好備足︑七祖同歡︑善緣悉備︑終始榮樂︑

法輪運至︑將得仙道︒﹂

10

とあり︑﹃敷齋經﹄にも﹁學仙道︑欲

長生久視︑享無期之年劫︑﹂

11b︶とある︒仙道を得れば︑不死の

眞人になれるのであり︑﹃敷齋經﹄では﹁夫先生者道士也︒於此學

仙道︑成曰眞人︒體道大法︑謂之眞人矣︒﹂

17b︶と述べている︒

  ﹃太極左仙公請問經上﹄には﹁高上法師歌辭曰︑見有道士︑勇猛

精進︑端坐家門︑撰心受經︑晨夜誦習︑思念仙道︒見有道士︑勇猛

精進︑侍從明師︑請受經文︑晨夜誦習︑思念仙道︒︵以下略︶︵八七

頁下段〜八八頁下段︶とあって︑ここに道士や賢者や女人たちの實踐

する修行の多くの事例が記されているが︑そのすべての修行におい

て必ず最後に仙道を思念することが要求されている︒これは仙道を

思念してこそ初めて仙道が得られると考えるからであろう︒

  ﹃眞一自然經訣上﹄二三五六︶では﹁苦厄積功︑求滅度︑轉輪生

死︑求仙道︑﹂︵一一七頁上段︶と述べて︑佛敎の滅度︵涅槃︶を得る

ことよりも︑昇仙の仙道を得ることの方を目標にしている︒仙公系

(15)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について三五 靈寶經においては修行して獲得すべき究極の目標は︑不死を得て神仙になることであった︒仙道を得て昇仙することを修道の目的とする仙公系靈寶經の思想は︑﹃三天內解經﹄の﹁慈心衆生︑先念度人︑

後自度身︑悉在昇仙︒﹂︵卷下・3bと說く﹁大乘之學﹂と通じ合い︑

ともに昇仙に最高の價値を置く劉宋の天師道の思想である︒

  また﹃智慧本願大戒上品經﹄には﹁太極眞人曰︑︵中略︶道士持齋

燒香淸淨讀經︑天下之盛事也︒而不欲見︒見之如不見矣︒聞巫師鬼

語︑皆傾產厚禮奉之也︒持齋靜漠而致福︒巫師歌舞而招禍︒禍之及

也︒彼我魂神俱致考罰︒︵下略︶

12b〜

13

と述べて︑道士の行法

と巫師の呪法との違いを銳く指摘して︑民間信仰を嚴しく批判して

いる︒これは﹃智慧本願大戒上品經﹄の編纂者が﹁三天﹂の思想の

正一盟威の道を信奉する天師道の道士であることを證するものであ

ろう︒  さて︑﹃眞一自然經訣上﹄二三五六︶には﹁道行具足︑自然好仙︑

好仙必得仙經︒夫人不信仙道者︑是其宿對未盡︑道行未立︒故不令

得學仙道不死之法︑具宣道敎︑添付天人︒雖塗殊而同歸太上矣︒﹂︵一

一六頁下段︶とあり︑ここに﹁道敎﹂の觀念が見えるが︑この﹁道敎﹂

は﹁仙道の敎え﹂の意味である︒﹃玉京山步虛經﹄の﹁太上玄一第

三眞人頌曰︑︵中略︶受命宣道敎︑眞爲超俗才︑事畢昇神仙﹂︵9

の﹁道敎﹂も︑﹃本行宿緣經﹄の﹁昔有貴人︑善信道敎︑供養三寶︑

治寫經書︑建立靖舍︒﹂

15b︶の﹁道敎﹂も︑また﹃智慧本願大戒

上品經﹄で三徒五道の苦痛を歌う太極眞人の言葉の中に﹁大賢明道 敎︑慘戚愍頑夫︑﹂

16b︶とある﹁道敎﹂も︑すべて﹁仙道の敎え﹂

の意味である︒

  このように仙公系靈寶經に見える﹁道敎﹂は﹁仙道の敎え﹂の意

味であり︑﹁大道︵老子︶の說いた敎え﹂の意味の﹁道敎﹂︵あるいは

敎﹂という宗敎名は見出せない︒これは︑仙公系靈寶經が編纂さ

れた時代には︑天師道はまだ神仙道であって︑三敎の一つとしての

﹁道敎﹂ではなかったからである︒

  三敎の一つとしての﹁道敎﹂の﹁道﹂は無極大道であり︑同時に

太上老君でもあるので︑宗敎名としての﹁道敎﹂や﹁老敎﹂が用い

られるようになるのは︑劉宋の天師道で最高神の無極大道と次位の

太上老君︵老子︶が同格の神格と考えられるようになる劉宋の中頃

過ぎの四六〇年代である

︶14

︒したがって︑元嘉十四年を編纂時期の下

限とする仙公系靈寶經の時代には三敎の一つとしての﹁道敎﹂はま

だ存在していなかったのである︒

五︑むすび

  以上見てきて︑陸修靜の﹁靈寶經目序﹂にいう仙公系靈寶經十九

卷のうち︑小稿の﹁二︑仙公系靈寶經の種類と編纂時期の下限﹂の

項で列記した1〜

12

の仙公系靈寶經は︑劉宋の元嘉七年頃から十四

年までの約七年間に﹁三天﹂の思想を信奉する天師道によって編纂

されたことが明らかとなった︒旣に述べたように︑﹃九天生神章經﹄

(16)

三六

以外の仙公系靈寶經は劉宋の﹁三天﹂の思想を信奉する天師道が三

洞說を唱えた後に︑洞玄部靈寶經として編纂されたものである︒し

たがって︑天師道による仙公系靈寶經の編纂は葛氏道による元始系

靈寶經の編纂よりも後の時代である︒劉宋の天師道は葛氏道によっ

て劉宋初に編纂された十卷ほどの元始系靈寶經を自派の經典の中に

攝取して︑それらを洞玄部に配置する三洞說を唱え︑その後でさら

に洞玄部の靈寶經を增やすために︑仙公系靈寶經を編纂したのであ

る︒  通說︵舊パラダイム

︶15

︶では仙公系靈寶經の編纂者は元始系靈寶經

の編纂者と同樣︑東晋末期︵東晋隆安五年︵四〇一︶頃︶の靈寶派と

主張する︒このような主張がなされる背景には︑﹃眞一自然經訣上﹄

二四五二︶で﹁太極眞人稱徐來勒以巳卯年正月一日日中時於會稽

上虞山傳太極左仙公葛玄︑字孝先於天臺山傳弟子鄭思遠︑沙門竺法

蘭・釋道微︑吳先生孫權︑思遠後於馬跡山傳葛洪︑仙公之從孫也︒

號曰抱朴子︑著外內書典︒︵下略︶︵一二一頁上段︶と述べるように︑

仙公系靈寶經が太極眞人徐來勒から葛玄に授けられ︑葛玄から弟子

の鄭思遠︑さらに弟子の葛洪へと傳授されたという傳承があるから

である︒この傳授の次第は葛氏道の系譜と一致するので︑通說では

仙公系靈寶經傳授の傳承は編纂者である葛氏道︵靈寶派︶によって

作られたと考えられてきた︒しかし︑仙公系靈寶經傳授の傳承も﹃眞

一自然經訣上﹄の編纂者である劉宋の天師道によって作られたもの

である︒   三洞說を唱えた劉宋の天師道は﹃道德經﹄とともに︑上淸經も︑元始系靈寶經も﹃三皇天文﹄も尊んでいたので︑當然︑上淸經を編纂した上淸派の傳統も︑元始系靈寶經や﹃三皇天文﹄を編纂した葛氏道の傳統も尊重していた︒仙公系靈寶經の中に上淸派や葛氏道の傳統的要素︵各流派の神格や眞人や人物の名︶が部分的に見えるも︑仙

公系靈寶經の編纂者である天師道が上淸派や葛氏道の傳統を尊重し

ていたからである︒

  劉宋の天師道が仙公系靈寶經の傳授の傳承において受經者を葛玄

にしたのも︑仙公系靈寶經を靈寶經として編纂する以上︑その受經

者を靈寶經の傳統をもつ葛氏道の祖師葛玄に假託せざるを得なかっ

たからである︒旣に葛氏道の傳統を尊重していた天師道にしてみれ

ば︑仙公系靈寶經の受經者を葛玄にし︑それが葛氏道の間で傳授さ

れてきたという傳承を作ることは比伂的容易であったであろうと思

われる︒

︵注︶

︵1︶ 拙稿﹁劉宋における靈寶經の形成﹂は﹃東洋文化﹄六十二號︵東京大學

東洋文化硏究所一九八二年三月︶に揭載拙著﹃六朝道敎史硏究﹄

文社︑一九九〇年一一月︶に所收︒

︵2︶ 神塚淑子﹁六朝靈寶經に見える葛仙公﹂︵麥谷邦夫編﹃三敎交涉論叢﹄

所收︑京都大學人文科學硏究所︑二〇〇五年三月︶には︑葛仙公が登場す

る靈寶經は東晋末期の﹁靈寶派﹂によって編纂された︑という見解が述べ

られている︒

(17)

仙公系靈寶經の編纂時期と編纂者について三七 ︵3︶ 劉宋の天師道の﹁三天﹂の思想について︑最初に拙稿﹁劉宋期の天師道の﹁三天﹂の思想とその形成﹂︵﹃東方宗敎﹄七〇號︑日本道敎學會︑一九

八七年一一月︒拙著﹃六朝道敎史硏究﹄所收︶︑續いて拙著﹃中國の道敎﹄

︵創文社︑一九九八年七月︶で論ずる︒

︵4︶ 小稿で用いる敦煌資料はすべて大淵忍爾著﹃敦煌道經 圖錄編﹄︵福武書

店︑一九七九年二月︶に據る︒

︵5︶ 道藏本九天生神章經﹄の編纂の經緯については︑拙稿﹁﹃九天生神章經﹄

の形成と三洞說の成立﹂︵﹃東洋の思想と宗敎﹄五號︑早稻田大學東洋哲學

會︑一九八八年六月︒拙著﹃六朝道敎史硏究﹄所收︶

︵6︶ 元嘉十八年︵四四一︶頃に編纂された︵注

12を參照︶太上洞玄靈寶

授度儀﹄の步虛を詠ずる儀式︵

38b〜

41において﹁步虛吟十首﹂を詠

じた後續けて禮經頌三首﹂を誦しているので︑﹁靈寶經目序﹂が書か

れた元嘉十四年の﹃玉京山步虛經﹄には禮經頌三首︵禮經三首咒︶が載せ

られていた可能性が高い︒他の﹁太上智慧經讃八首﹂等も旣に存在してい

る仙公系靈寶經からの拔粹であるので︑元嘉十四年の﹃玉京山步虛經﹄に

は載せられていたものと推測される︒

︵7︶ 指敎齋法については︑拙稿﹁道敎の齋法儀禮の原型の形成││指敎齋法

の成立と構造│﹂︵拙編﹃道敎の齋法儀禮の思想史的硏究﹄所收︑知泉

書館︑二〇〇六年一〇月︶︑參照︒

︵8︶新型鎭墓券については︑拙稿﹁新パラダイム道敎史の妥當性の檢證﹂︵﹃東方宗敎﹄百十四號日本道敎學會︑二〇〇九年一一月︶參照︒なお

小稿で紹介する新型鎭墓券は白彬著﹃中國道敎考古﹄中國

線裝書局︑二〇〇六年︶第三册所收の﹁吳晋南朝買地券︑名刺和衣物疏的

道敎考古硏究﹂に買地券として揭載されている︒

︵9︶ ﹃太眞科﹄の編纂年代については大淵忍爾著﹃道敎とその經典││道

敎史の硏究 其の二││﹄︵創文社︑一九九七年一一月︶の﹁第五章太眞

科とその周邊﹂︑參照︒

10︶ ﹃玄都律文﹄の編纂年代については︑拙著﹃唐代の道敎と天師道﹄︵知泉 書館︑二〇〇三年四月︶第四章の注

21︶を參照︒

11︶ 三洞說の成立年代については︑拙稿﹁劉宋・南齊期の天師道の敎理と儀

禮﹂︵拙編道敎の齋法儀禮の思想史的硏究﹄所收︶の三洞說﹂も

參照︒

12︶ ﹃太上洞玄靈寶授度儀表﹄の執筆年代は文中に﹁自從叨竊以來一十七年﹂

と記しているので︑陸修靜が十八歳で天師道に入門したとすれば︑それか

ら十七年後の元嘉十八年と推定した︒

13︶ 三天齋法が指敎齋法の別稱であるということについては︑前揭の注

︶の拙稿を參照︒

14︶ 儒佛道三敎の一つとしての﹁道敎﹂の成立については︑拙稿﹁東晋・南

朝における﹁佛敎﹂・﹁道敎﹂の稱呼の成立と貴族社會﹂︵中國社會科學院

歷史硏究所・財團法人東方學會﹃魏晋南北朝における貴族制の形成と三

敎・文學﹄所收︑汲古書院︑二〇一一年九月︶︑參照︒

︵﹃駒澤大學佛敎學部論集﹄第四十三號︵駒澤大學佛敎學部︑二〇一二年一 15︶ 道敎史の舊パラダイムについては拙稿﹁道敎史のパラダイム轉換﹂

〇月︶︑參照︒

(18)

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