律 令 注 釈 書 研 究 の 現 状 と 問 題 点
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(2) 早法六三巻二 号 ︵ 一 九 八 八 ︶. 八六. いる︑または形成されつつある︑というようにはみえない︒端的に言えぼ︑現在の注釈書研究は︑論文数の多さにも. かかわらず︑混迷におちいっているといわざるをえないのである︒この混迷を徴象するとおもわれる問題をいくつか. とりあげて検討し︑問題点をあきらかにし︑この混迷からぬけだす手がかりをえたいということが︑本稿の目的であ. 令集解の﹁読み﹂をめぐって. る︒なお︑本稿で使用する令義解・令集解・政事要略は騎禰国史大系本である︒. 二. 本稿では7 0年代前半におこなわれた三つの論争をとりあげて検討を行うことによって︑先にのべた混迷が 0年代と8. 由来する原因を考えてみたいのだが︑結論を先取りして提示するならば︑それはつぎの二つの間題に収敏するであろ うo. 時代の理解の全体性あるいは全般的状況の認識. ω 令集解の読み. ㈹. 律令注釈書研究において︑この二つの問題が単独で現われることはなく︑必ず絡み合ってでてきている︒ωの間題. は︑あまりにも基本的であるためか︑これまで論じられることはなかったようである︒しかし︑研究の現段階におい てこそ︑この問題をとりあげて明確にする必要があるだろう︒. ここで﹁読み﹂というのは︑㈹の一部でもある明法家の説の形成の仕方・在り方︑令集解の成立などについての認 識と一体となった︑いわゆる句読のきりかたと語句の理解のことである︒.
(3) このような令集解の﹁読み﹂という問題は︑ときに指摘されることはあっても︑中心的な問題としてとり上げられ. ることはなかった︒また︑そうした﹁読み﹂についての一致点というものも明らかになっていないようにおもう︒ ︵1︶ 一九六四年︑虎尾俊哉氏はつぎのような指摘を行った︒. 令集解がわが古代史研究上すこぶる価値の高い文献であることは︑今さら言を用うるまでもないことであるが︑. 同時に︑これほど読解の困難なものも少ないであろう︒その文章が多く和風の偽漢文であり︑独特の法律用語や. 略記が用いられ︑さらに諸註釈書の引用の範囲が必ずしも明確でない上に︑転写の間に生じた誤脱をも考慮に入. れなければならないからである︒⁝⁝令集解を引用する古代史家のいずれもが⁝⁝その︵令集解を史料として使. 用するー引用者︶際︑諸家の論考の表面に現われるのは︑謂わぱ氷山の一角であって︑海面下にかくされた巨. 大な部分 基礎的な令集解読解の原理ーはなかなか学界の共有財産となりにくい︒ ︵2︶ 一九七二年︑井上辰雄氏はつぎのようにのべた︒. 令集解を絡くとぎ︑私達を一番困惑させるのは︑令集解の諸註が︑一体どこで切ったらよいかということであろ うo. ︵3︶ 一九七五年にも嵐義人氏によってつぎのような指摘がなされた︒. 本書︵令集解のことー引用者︶そのものの基礎的研究はそれほど進んでいない︒特に︑﹃令集解﹄に引かれ. た各注釈私記︵古記︑令釈︑穴記︑朱記の類︶の成立時期︑その文章の段落︑続き方︑切れ目︑また相互の. 八七. 引用関係︑節略のなされ方︑編者の補筆の有無など︑撰者惟宗直本の編纂方針に帰結する諸点に不明の点が多 律令注釈書研究の現状と問題点.
(4) い︒. 早法六三巻二号︵一九八八︶. 八八. 間題とすべき諸点はすでに提出されているのである︒しかし︑これらの問題をすべて解決してから令集解を読むと. いうわけにはいかないことは自明のことであって︑研究をおこなうには令集解を使用しつづけなければならない︒と. すれば︑さしあたり︑私たちが自覚しなければならないことは︑読み方の相違そのことも問題の解決への一歩となる. 可能性のあることだろう︒ある読み方をとるときに︑なぜそのように読むのかが他の研究者にもわかるように明示す. べきであろう︒そうすれば︑議論を行うにも無用の誤解が避けられるのではないか︒また必要に応じて︑史料を原文. でひくだけではなく︑書き下し文をつけたり︑現代語訳ー大意などではなくーをおこなうことも考えるべきであ. ろう︒そうしたことなしに︑どのように理解しているのかが他の研究者にわかるような史料でも現状でもないのであ る︒. 儀制令祥瑞条集解の古記をとりあげて考えてみよう︒同条はつぎのような規定である︒. 凡祥瑞応見︒若麟鳳亀竜之類︒依図書合大瑞者︒随即表奏︒其表唯顕瑞物色目及出処所︒不得萄陳虚飾︒徒事浮詞︒. 上瑞以下︒並申所司︒元目以聞︒⁝:. 問題となるのは︑この注のなかの﹁出処所﹂に附されている古記である︒古記はつぎのような注釈をおこなってい る︵七一一頁︶︒. 古記云︒出処︒謂二川内国一也︒所謂若江郡弓削里也︒又云Q処所︒謂レ所︒. この一二点︑レ点︑圏点は国史大系本のものであるが︑傍線部﹁所謂﹂はどう読むのか︒.
(5) ︵4︶ 漢文はもともと同じ大ぎさの漢字が同じ間隔でならべてあるだけで︑文や語の切れ目はなかった︒. したがって︑どのように読むのかが一つの問題となる︒しかし︑どのように読むのかは︑読者が恣意的にきめるこ とができるものではなく︑文が決定するのである︒ ︵5︶. ︵6︶. 右の﹁所謂﹂を従来﹁いはゆる﹂と読んでぎたようである︒たとえば井上辰雄氏は国史大系本の圏点︑一二点にし たがっており︑嵐義人氏も同様に読んでいるらしい︒嵐氏はつぎのようにのべる︒. ﹁⁝⁝弓削里也︒﹂の直下に﹁又云﹂とあるが︑これは集解の編者が再度﹁古記﹂の文を引いたものであること. を示している︒そこで︑﹁又云﹂の代りに﹁古記云﹂と復して今一度当該古記を引用するなら︑. 古記云︒出処︒謂川内国也︒所謂若江郡弓削里也︒古記云︒処所︒謂所︒. という文章となり︑如何にも落着かない︒但し︑﹁所謂若江郡弓削里也﹂を古記本来の文章と見ず︑出所を異に. する挿入文︑即ち追記と見倣すならば︑右の如き構成も肯われるのであろう︒また︑常識で考えてみても︑﹁出. 処︒謂川内国也︒所謂若江郡弓削里也︒﹂なる文章が一つの纏まりある説明文の体をなしているとは見倣し難い. 少なくとも﹁出処︒所謂川内国若江郡弓削里也︒﹂と説明する方がより適当であることは︑自明の理である︒. ﹁所謂﹂を﹁いはゆる﹂ととるから︑コつの纏まりある説明文の体をなしているとは見徹し難い﹂という評価に なるのであろう︒. 私は先の古記の 文 を つ ぎ の よ う に 読 む ︒. 八九. 古記二云ク︒出処トハ川内国ヲ謂フナリ︒所トハ若江郡弓削里ヲ謂フナリ︒又云ク︒処所トハ所ヲ謂フ︒ 律令注釈書研究の現状と問題点.
(6) 早法六三巻二号︵一九入八︶. 九〇. ﹁処﹂を国︑﹁所﹂を郡里と注釈しているととるのであり︑﹁又云﹂は﹁処所﹂は﹁所﹂というのと同じという注釈. もあると付加的にあげている例ととる︒このようにとれば︑格別の問題なく古記の文を理解できる︒. ﹁令文の語または語句. なぜこのように読むのかといえば︑明法家の注釈は令文についてのべているという当然の前提から出発するからで. ある︒したがって注釈のなかにある令文の語または語句を手がかりに読んでいくことになる︒. 十謂⁝⁝﹂という形であったり︑問答体であったりする注釈のなかにある令文の語または語句を手がかりにするので. ある︒なお附言すれば︒﹁令文の語または語句十謂⁝⁝﹂の形態をとるとき︑﹁謂﹂は従来﹁オモヘラク﹂とか﹁イフ. ココロハ﹂とか読まれてきたが︑このことは﹁謂﹂が﹁謂フ﹂という動詞ではなく︑注釈がはじまる目印︵記号︶的 なものとしてとらえられてきたことを示しているのではないであろうか︒. 令文の語または語句が︑令集解の注釈の範囲をきめる一つの手がかりともなる︒公式令諸司受勅条集解︵八九五頁︶ をみてみよう︒同条はつぎのような規定である︒. 凡諸司受勅︒不経中務径来︒及宣口勅者︒不得承用︒若奉口勅索物者︒不得経中務︒所司承勅即進︒傍附状奏︒. 傍線部﹁及宣口勅者﹂にはつぎのような注釈が付されている︵八九五頁︶︒一連のものだが︑理解しやすいように分 かち書きにする︒. 古記云︒問︒宣口勅︒未知︒勅経中務省殿不︒答︒凡口勅錐経中務︒不得受用︒径誰宣於所司︒々々不可受用︒ 跡云︒不得承用︒謂︒縦中務言不合承用︒覆奏亦不給也︒. 朱云︒及宣口勅者︒亦不経中務宣可云︒但雛経中務︒宣此口勅者︒除下条急事之外事者︒不受用耳財何︒問︒及.
(7) 宣口勅者︒未知︒此亦不得中務宣殿︒為当錐経中務未覆奏先元文︒直以言宣亦同不承用鰍︒答︒ 穴云︒仮令︒宣口勅来︒中務不得承用耳︒. 古記・朱記・穴記は﹁及宣口勅者﹂について注釈をおこなっている︒しかし跡記のみは﹁不得承用﹂についての注. 釈である︒したがって︑私は先の前提から︑ここは本来つぎの﹁不得承用﹂についての注釈であったが︑編纂の際 ︵7︶ か︑伝写の過程でかはわからないが︑配列違いとなったものとみるのである︒. 右のように分けたのは︑穴記は︑一見したところ︑問答の答としてひかれているようにみえるが︑ここには答の部 ︵8︶. 分が欠けていて︑穴記がはじまると読むからである︒朱記はしばしぽ疑問の辞でおわったり︑答の文を欠いて終るか らである︒. このように令集解の読みは︑いかにある箇所をそれとして正確に読みたいという願望があっても︑その読みは必ず. 読み手の全体的な理解と結びついている︒いうまでもなく︑ときにはある事項について不明であると考えることもふ くめてである︒. 職員令左馬寮条集解をみてみよう︒同条はつぎのように規定している︒ 左馬寮右馬寮准此︒. 九一. 頭一人︒⁝⁝助一人︒大允一人︒少允一人︒大属一人︒少属一人︒馬医二人︒馬部六十人︒使部廿人︒直丁二 人︒飼丁︒. この﹁飼丁﹂の直下につぎのような注釈が記されている︵一四六−一四七頁︶︒. 律令注釈書研究の現状と問題点.
(8) 早法さ二巻二号︵一九八八︶. 九二. 穴云Q飼丁猶言飼戸Q古記云及釈云︒別記云︒左馬寮飼造二百滑六戸︒馬甘三百二戸︒右馬寮︒馬甘造戸二百母. 戸︒馬甘二百六十戸︒右馬造等仕寮者︒為伴部︒免調雑樒︒不仕者取調︒其馬甘為雑戸︒免調雑径︒以前雑戸品. 部戸︒莫差兵士︒但品部︒或常品部︒或差人夫年代充品部︒天平勝宝三年官符云︒馬飼者悉充雑径︒如旧︒作番 上下︒左右馬寮︒国司与本司共検校︒勿令遺漏︒. この文で︑古記と令釈とがともに別記を引用していたとみることについては︑おそらく異論がないであろう︒問題. は天平勝宝三年官符である︒この官符は︑一見したところ︑古記と令釈とが︑別記とともに引用したかにみえる︒し. かし︑研究者の多くは令集解編纂時に記されたものと考えているであろう︒編纂時ではないとしても︑古記が引用し. たものでないという理解に立っているであろう︒また︑選叙令在官身死条集解︵四六九頁︶には︑. 古記云Q跡云︒穴云︒考解自附考帳︒申上︒⁝−. という記載もみえ︑通例であれば︑古記がひいた跡記に穴記がひかれていたことになるのだが︑これも錯簡であろう. と研究者の多くがみているであろう︒現在考えられている各々の私記の成立年代から考えて右のように理解するので ある︒. このように仮設的な前提をもって読まざるをえないのであるが︑この前提のなかに注釈の成立時期・筆者が異なっ. ているという視点を導入し︑注釈の文言を区分しながら読もうという提言があいついでなされた︒ 一九七〇年︑押部佳周氏は跡記について︑. 従来跡記と称する場合︑私記形式と問答形式を含み︑ともに跡某の法解釈であると考えている︒しかし︑それは.
(9) 妥当であろうか︒. と疑問を投げかけ︑結論として︑つぎのように述べる︒. 跡記と称される法解釈書は私記部分︑問答部分を含めて︑単純に同一人物による同一時期著作のものと考えるの. は改めるべきで︑アト某によって著わされたことが明確であるのは私記の部分のみと考えられる︒とくに問答部. 分にアト某の法解釈と考えられないような箇所が検出され︑そうでない部分といえども素直にアト某のものと考. えるのが正しいのかどうか︑あやぶまれるのである︒いちおう跡記のうち私記体裁をとっているところ以外は疑 ってみるべきであろう︒ ︵10︶ 一九七八年︑北条秀樹氏は穴記についてつぎのように述べた︒. 原穴記︵令文十謂⁝⁝という部分ー引用者︶を中心とし︑私案・今説・師云等の時期・著者を異にする見解. が︑あるいは本文形式を採り︑あるいは紙背行間の書きこみとして次々に附加されていった︑いわば諸説の複合 体・編纂物として穴記は存在していたのである︒ ただし︑問答は︑. その成立時期・筆者を特定するのは困難であり︑個々の事例においてのみ︑その内容・形式から︑原穴記に属す ︵11︶. るか否か︑追記となすべきかを判断する以外に方法はない︒ と指摘している︒. 九三. 両氏の論文によって令集解の読みは一挙に深まったかにみえるのであろう︒しかし︑先にのべたように︑また右の 律令注釈書研究の現状と問題点.
(10) 早法六三巻二号︵一九八八︶. 九四. 引用からも明らかなように︑その読みは前提と分かちがたく結びついている︒前提を受けいれるならば︑令集解の諸. 注釈の読解は精密になったとみえるであろうが︑前提をうけいれなければ恣意的な読解とみえるであろう︒. 押部・北条両氏の論は︑令集解の成立・その原本の形態・写本の流布と伝来︑またその前提として存在する各私記 の形態などの問題へと私たちをいざなうものであるが︑いまは注釈の間題に限定する︒. 律令注釈書関係の論文を読むとき︑私がときおり感じる疑問は︑論者はある私記の注釈は︑その私記の著者が創案. したものであるという前提をもっているのではなかろうか︑ということである︒私もある私記の著者による律文や令. 文の語句の解釈が存在するということは認めるのであるが︑私記の注釈のなかには中国の注釈書や先人の注釈が︑典. 籍の引用という形をとらずに記されていることがあるだろう︑といいたいのである︒とくに律・令の語や語旬の注釈. を行っているときには︑暗黙のうちに前提としがちな私記の著者による創案という前提を疑うほうがよいのではなか. ろうか︒令集解にみえるある私記の注釈は︑令集解の撰者がみたであろう私記にはそのように記されていたという事. 実を示すのであって︑それ以上でもそれ以下でもない︒ある私記が他の私記や典籍を引用した箇所もふくめて︑ある. 私記の注釈ができあがった時期は︑その私記の成立の時期に一致することもしないこともある︒このことは個々に検. 討すべぎ課題であるだろう︒ようするに︑ある私記が他の私記をひいた箇所以外は︑その私記の著者の創案だろうと いう前提または暗黙の了解事項を再検討すべきではなかろうか︒. たとえば考課令内外初位条集解の穴記をみてみよう︒同条の規定はつぎのとおりである︒. 凡内外初位以上長上官︒計考前麓事︒不満二百計目︒分番不満一百滑日︒若帳内資人不満二百目︒並不考︒.⁝・.
(11) 傍線部の令文について穴記はつぎのような注釈を行っている︵六九〇頁︶︒. 穴云︒比徒条云︒流外不用此律︒本令云︒流内流外長上官︒故可云内外初位︒何者︒自考流内官以下皆京州約︒. 即知︒論位非云司之内外︒又考流外論位︒又非司也︒於京国之処︒只称内外文官九品以上耳︒内外初位以上長上. 官︒謂︒位之内外是也︒非云内外官也︒但於理無損益也︒私案︒称内外位者︒散五位以上約︒只称内外官時︒只. 云職事︒散官不約︒故知︑不可云無損益︒公云︒本令云流内流外故耳︒云内外官︒私云︒師同之︒鷲八. 穴記に云く︒比徒条に云く︒流外は此の律を用いず︒本令に云く︒流内・流外の長上官なり︒ゆえに内・外初. 位と云ふべし︒なんとなれば︑流内官を考するより以下は皆京州を約しぬ︒即ち知りぬ︒位を論じ︑司の内・. 外を云ふにあらざるを︒また流外を考するも位を論ず︒また司にあらず︒京国の処においてはただ内・外の文. 官九品以上を称するのみ︒内・外初位以上の長上官とは︑謂ふ︒位の内・外これなり︒内・外の官を云ふにあ. らざるなり︒ただし理において損益なし︒私案ず︒内・外と称するは散五位以上を約しぬ︒ただ内・外官と称. するの時︑ただに職事を云ひ︑散官は約さず︒ゆえに知りぬ︒損益なしと云ふべからず︒公云く︒本令流内・. 流外と云ふがゆえなるのみ︒私云ふっ師これに同じ︒嫉嬬粟 ︵12︶ 冒頭の﹁比徒条云︒流外不用此律︒﹂は唐律の語句である︒養老律は﹁流外﹂を﹁初位﹂に作る︒また︑つぎに﹁本. 令云︒流内流外長上官︒﹂という文も考えあわせると︑右の﹁比徒条⁝⁝︒﹂はやはり唐律の語句とみなければならな. 九五. の説がでてくるのは︑当然のことであるが︑それまでの律令についての理解のつみかさね. い︒穴記の注釈がでてくる前提として︑唐律令についての理解があることがわかる︒ここで明らかなことは︑律令注. 釈書−明法家の私記. 律令注釈書研究の現状と問題点.
(12) 早法六一二巻二号︵一九八八︶. の上にたってである︒言うまでもないが︑無から有は生じない︒. 九六. ある私記の注釈は︑それまでの律令についての蓄積のうえにたってという限定をつけてであるが︑その私記の著者. の創案かもしれない︒あるいは中国の説もふくめて︑先行説を承けたものであるかもしれない︒このことは個々に検. 討を必要とするであろう︒繰り返しになるが︑ある注釈ができあがった時期は︑その私記の成立時期に一致すること. も一致しないこともある︒令集解を読んでいると︑しばしば義解の注釈のあとに﹁古記元別﹂﹁釈元別﹂という注記. のあることに気がつく︒この注記はその令義解の注釈が︑令義解の成立期ではなく︑古記や令釈の成立時期に一致し. ていることを示している︒このようなことは個々に検討すべきことであって︑ある私記が他の私記をひいた箇所以外 ︵13︶. は︑その私記の著者の創案であるという無意識の前提は誤りにみちびきやすいものであることがわかるであろう︒. 右の穴記の注釈は︑穴記の著者が先行説︵令文の語句十謂⁝⁝︶を記し︑私案として自己の見解をのべたものとと ︵14︶. る︒﹁公云﹂の﹁公﹂とは誰か︑また﹁私云︒師同之︒﹂という注記者の﹁私﹂とは誰かについては定案をもたない︒. ﹁在穴記﹂という注記は﹁公云︒⁝⁝﹂以下にかかるものとみる︒﹁iに在り︒﹂という注記は︑しばしば﹁或云﹂. が成りたつためには︑明法家における注釈の成立と展開とい. という引用形式をもつ注釈にかかるものであり︑ここもそれと同様の記載であろうと考えるからである︒. かりに北条氏の理解をこうよべば. じつに困難なー問題が待ちかまえているのであるが︑今は明法家の注釈をどのようにとるかで︑注釈につい. 穴記加上説. う. ての理解が異なっていくことを指摘しておくにとどめたい︒. 押部氏の論も︑﹁令文の語または語句十謂⁝⁝﹂︵押部氏は私記形式と呼んでいる︶の部分が︑なぜその私記の著者.
(13) の創案と考えることがでぎるのか︑という反間をよびおこすであろう︒問答部分についても︑先にみた古記のよう. に︑﹁古記云︒問︒⁝⁝答︒⁝⁝﹂というものもあり︑こうした注釈形式をどのように考えるべきなのであろうか︒. 問答一般がとか︑私記形式一般がではなく︑個々に検討すべきようにおもわれるのである︒. これ以上のことを述べるためには︑すでに指摘したように︑令集解の成立・その原本の形態・写本の流布と伝来︑ また︑その前提としての各私記の形態などの問題に向かわなければならないであろう︒. 繰り返しになるが︑令集解の読みは読み独自の問題としては成りたたないのである︒したがって︑ある前提を認め. るならば成りたつ論も︑それを疑うならば恣意的なものとうけとらざるをえなくなる︒しかし︑いろいろな論が発表. 令集解考証三題︵古代典籍文書論考 吉川弘文館 一九八二︶一八六1一八七頁︒. 注︵2︶七四九頁︒. 一九七五︶四八頁︒. ︵5︶. ほかにも︑たとえば田令荒廃条集解︵三七一頁︶の跡記︑考課令内外初位条集解︵六一四頁︶の朱記・穴記なども同様とみる︒なお水本浩. 注︵3︶六一頁︒. 一九五七︶三頁︒. 一九七二︶七五八頁︒. されるような百家争鳴はよい状況である︒大いに問題を論じたほうがよい︒従来の判断の枠組みが行き詰っている. ︵1︶. ﹁令集解﹂雑考1﹁令釈﹂﹁穴記﹂を中心としてー︵続目本古代史論考中巻. 以上︑他の方法を導きいれなければならないからである︒. ︵2︶. 酊駒蛋燗漢文入門︵岩波書店. 古記の成立と神砥令集解︵神道及び神道史二五. 吉川弘文館. ︵3︶. 国学院大学神道史学会. ︵4︶. ︵7︶. ︵6︶. についてく続 日 本 紀 研 究 二 四 三 号 V. 続目本紀研究会. 一九八六︶︒. 井上光貞氏は令集解の朱云はことごとくが跡朱ではないかとのべた︵目本律令の成立とその注釈書く日本思想大系3律令V. 九七. 岩波書店 七. 典氏は職員令玄蕃条集解︵九〇頁︶に︑伝写の際の錯簡によって︑義解の文が穴記の文に混入したことを論証した︵職員令玄蕃条義解の復元. ︵8︶. 律令注釈書研究の現状と問題点.
(14) 早法六一二巻二号︵一九八八︶. とらない︒朱についての理解を井上氏と異にするからである︒. 九八. 九五i七九七頁︶︒この理解にしたがって︑跡記は朱の注釈にひかれてこの箇所にきたとみることもできるであろうが︑いま私はこの考えを. 一九七八︶三九一頁︒. 令集解﹁穴記﹂の成立︵日本古代の社会と経済下巻. 跡記と穴記︵目本律令成立の研究 塙書房 一九八一︶二六九−二七一頁︒. 一九七五︶一〇〇頁︒ちなみに唐律では﹁流外官不用此律﹂とある︒. 吉川弘文館. ︵9︶. 律令研究会編. 注︵10︶三八四頁︒. ︵10︶. ︵U︶. 穴記の著者がもっていた写本にすでにこの説が記されていたという可能性もあろうが︑そうした写本の伝来についてはまったくわからない. 訳註日本律令二︵東京堂. ︵皿︶ ︵13︶. 北条氏ものべているように︵注10︶︑他の私記に﹁穴案﹂とひかれる例のあることも考えあわせ︑このようにとる︒﹁私案﹂︵私案ずるに︒私. ので︑今はい ち お う 穴 記 の 著 者 が 記 し た と 解 し て お く ︒ ︵14︶. 氏は﹁令文の語または語句十謂⁝⁝﹂﹂の注釈を﹁原穴記﹂︵おそらく穴記の著者が書いたという理解であろう︶ととり︑そこに他の注釈が. 案ず︒︶ということばと︑令集解の文などから考えて︑穴記の著者と異なる入物の記した文とみるのはむつかしいであろうからである︒北条. 三つの論争をめぐって. 加上されたものとみるのであるが︑私は本文にのべたようにとるので︑穴記の著者の私案ととることになる︒. 三. 穴記・古答・説者についての論争を本稿の問題関心からとり上げてみたい︒. ろんそう︵論争︶. 意見の違う者が互いに自分の説を譲ること無く主張・する ︵し︑ついには第三者から見ればどうでもいい事まで議. 論し合う︶こと︒1新明解国語辞典第三版.
(15) 互いに違った意見を持った者同士が︑ それぞれ自分の説を主張してゆずらずに言い争うこと︒議論をして争うこ. と︒i学研国語大辞典. 前節で私は百家争鳴はよい状況であるとのべたが︑現状はー残念なことに1争鳴を避ける傾向にあるようだ︒ ︵1︶. むしろ大いに論争し︑問題点をあきらかにすべきではないだろうか︒論文という以上は︑なにごとかについての主張 ︵2︶. であろうからである︒また︑学問の性格としても﹁論争的学問﹂の方が発展の可能性が大きいのではなかろうか︒論. 争をおこなうには自己の﹁タコツボ﹂からよりひろい場にでることになり︑視野もちがってくるかもしれない︒論争. によって研究に新たな局面がひらかれることもあろうし︑少くとも立論の前提・行論の再検討もなされるであろうか. ︵4︶. ら︑論争を回避することはないと考えるのである︒にもかかわらず︑論争をおこなうまえに︑偏見のない︑率直で寛. ︵3︶. 容な精神態度を身につける必要があるとすれば︑すこし残念なことである︒. ①穴記論争. 穴記は︑通説によれば︑延暦年中に成立したとされるが︑一九七一年に森田悌氏は﹁令集解﹁穴記﹂について﹂を. 発表し︑穴記は令義解を引用するから︑穴記の成立年代は令義解施行︵承和元年.八三四︶以降であると主張した︒ ︵5︶. 九九. 同年︑林紀昭氏は﹁穴記義解施行以降成立説への疑問﹂を発表し︑令義解の文は令集解編者の挿入であるとのべ︑. 森田論文を批判した︒ 律令注釈書研究の現状と問題点.
(16) 早法六三巻二 号 ︵ 一 九 八 八 ︶. ︵6︶. 一〇〇. ︵7︶ 森田氏の再論に接してi﹂を発表し︑再批判をお. 一九七二年︑森田氏は﹁令義解﹁穴記﹂再論﹂を発表し︑反論をおこない︑新たに史料を追加して自説を補強し た︒. 一九七三年︑林氏も﹁続穴記義解施行以降成立説への疑間 こなった︒. 森田氏が一九七一論文で穴記が﹁確実に義解の文章を引いていると考えられる︒﹂︵三一頁︶と指摘した箇所からみ てゆこう︒. 職員令宮内省条集解︵二三頁︶ 注力 穴云︒内親王嫁等家事︒送宮内省日︒僅送上日行事︒或定等第︒両説可式定︒考課令云︒嬢以上内親王家事︒隷. 宮内省︒義云︒家事者考事︒即宮内省承主旨︒定考第︒又女王命婦等家事︒古説︒送正親司︒未審︒所帰亦可定 也︒. この文について森田氏はつぎのようにのべる︵ゴニi三二頁︶Q. 元来内親王・嫁家等の家政所職員の成績評価は宮内省へ本家より考文が送られるが︑穴記では本家での考文作成 可 は上目行事を注送するにとどめるのか第第まで定めるかを問題にし︵両説司式定︶︑考課令家令条義解の解釈を. 採用して等第を定めるのは宮内省であると考え︑従って本家では等第を定めず︑上日行事を注送するにとどめる. という解釈を採っている︒更に女王・命婦等家の家政所職員の場合を問題にし︑古説に正親司に送るとある説を. 引いているものの注釈未了のままとなっているわけだ︒⁝⁝以上から︑右の宮内省条穴記は④論理の展開が一貫.
(17) している︒自ら説問して解答を与える文体や時として解答を与えず注釈未了のままであることは︑集解諸説に屡. 見られる所で不自然ではない︑◎穴記と関係の深い古説の前に令義解の文章が位置していることの二点から︑令 義解を引用していることに疑いないと思う︒. これにたいして︑林氏は一九七一論文で全面的な批判をおこなう︒林氏はいう︵三三頁︶︒. 現在の令集解諸私記についての研究状況は︑単に偶然に目についた史料をもって考察するような段階はこえて︑. 各私記全ての内容や相互の引用関係の検討を経て提出されていると考えられる︒それだけに︑森田氏の提起され. た新史料等を︑従来の研究者は全く看過してしまったものか︑それとも総合的判断の上で採択しなかったかにつ. いては︑慎重な検討が必要かと思う︒私の考えでは︑従来当該史料が論及されなかったのは︑それだけの理由が あったからであると思う︒. そして森田氏の提示した箇所についてはつぎのようにのべる︵三五頁︶︒. 職員令集解宮内省条の内容を訳しつつ︑森田氏の訳の問題点を指摘していこう︒内親王や嫁以上の家の考課は︑. 宮内省へ送る目︑上日行事を注しそれを送るにとどめるか︑或いは等第も定めて送るのか︑両説どちらをとるか. は式︵別式のことか︶によって定むべきである︒考課令は云々︒義解云々と言っている︒︽﹁両説可式定﹂を﹁⁝. ⁝を問題にし﹂と訳すことは余りにも原文とかけはなれた意訳と言えよう︒また穴記自身はどこにも﹁解釈を採. っている﹂とは直接には言及していない︒氏は内容から判断されると解されたらしいが︑先ず原文を忠実に訳し. 一〇一. た後に︑氏の見解を挾まれることが望ましかった︒Vまた女王命婦等の家の考課については︑︵養老令では削られ 律令注釈書研究の現状と問題点.
(18) 早法六三巻二号︵一九八八︶. たが︑大宝令にはそれに関する規定があったために︶古説では正親司へ送ると言っているが︑. 一〇二. ︵現在では︶いま. だよく判明しないので︑結論については亦︵式によって︶定むべぎである︒︽﹁所帰亦可定也﹂を氏は﹁注釈未了. のままになっている訳だ﹂と︑穴記の見解の訳か氏自身の判断のいずれか判明しない曖昧な解釈をとっている︒. ヤ. ヤ. しかし︑穴記は﹁注釈未了﹂ではなぐ︑明確にその内容は公権的に決せられるべぎだとの解釈を提出しているの である︒V. 従って森田氏の穴記の﹁解釈の展開﹂についての﹁解釈﹂の問題点は︑﹁所帰亦可定也﹂の部分の解釈を放棄. されたことにあるであろう︒穴記が﹁亦﹂という以上︑別に﹁可定﹂き対象が前に記載されていなければならな. い︒そしてその対象についても︑穴記は後の問題と同様に︑自己の見解は﹁どちらにするかは公権的に決せらる. べき﹂との回答に終っていたと解さねば︑﹁亦﹂字の存在意義は見失われることになる︒従って︑穴記の説の範. 囲に考課令義解の文章が含まれていたと考えるには︑困難な点が存在する︒更に少し視角を変えて検討を加えて. みるならば︑穴記が考課令義解の存在を知っていたなら︑何故﹁両説可式定﹂との解釈を一度は取らねばならな. かったのであろうか︒公権的機能が附与された義解の施行を知っていたならば︑そのような言の不要なことは明 白である︒. 以上の理由から︑穴記の範囲は﹁両説式定﹂迄と︑﹁又女王⁝⁝亦可定也﹂迄と解さねば︑この部分の一貫し. 恐らく編者惟宗直本. による挿入句と判断される︒この. た法理的構成の解明は不可能となる︒それ故︑考課令及びその義解の語句は︑後になって﹁式﹂に代わるべき義 解の中に該当する内容の存在することを知った者.
(19) 場合︑二つの﹁可定﹂き内容が存在するので︑敢えて間に挿入といいう形態を採ったのであろう︒. ながい引用となったが︑森田・林両氏の論を読み比べるならば明らかなように︑両氏の理解の相違は令集解の読み と注釈のあり方についての全体的な理解にもとづいている︒. 引用者︶具体的な批判で有益な教示は受けたものの拙論の主旨を変更する必要はないと考え. 森田氏は一九七二論文で右の批判にたいし反批判をおこなう︒森田氏はいう︵三一頁︶︒. ︵林氏の批判は. るので︑小稿で林氏に対する反批判と私の考える所の補強を展開したいと思う︒ 具体的にみてゆこう︒穴記の訳・解釈批判については︑. ︵林氏の批判は1引用者︶拙論において原文に忠実な訳と私の解釈とが混同されており︑その結果として正し い解釈が得ら れ て い な い ︑ と い う こ と に あ る ︒ と反批判し︑つぎの訳文を提示する︵三三頁︶︒. 内親王嫁等家の家政所職員の考課については︑宮内省へ報告する時上日行事を注送する︵という説がある︒しか. し︶別な説として等第まで本家で定める︵という説もある︶︒両説のうちいずれが正しいと確定すべぎ︵だろう. か︶︒︵そこで穴が考えてみるに︶考課令云々︑義解云々︵とあるのでそれに依るとする︶︒また女王命婦等家の. 場合についてみると︑古説に正親司に送る︵とある︒しかし新古令の間に相異があるので古説に︶納得すること. 一〇三. ができない︒︵この場合もまた内親王嬢等家の場合と同様に考察をすすめて︶解釈を確定しなけれぽならない︒ この訳文についてさらにつづけてつぎのようにのべている︒ 律令注釈書研究 の 現 状 と 問 題 点.
(20) 早法六三巻二号︵一九八八︶. 一〇四. 括弧内は私が補った︒意訳といわれればそれまでだが︑漢文を訳す場合にはある程度補わない限り︑論理の脈絡. を追えなくなることは珍しくない︒特に集解に見る古代法学者は︑しばしば独特の論理展開をするのであって︑. それを把握するためには各私記の特徴等をも考慮しながら補わねばならないことが多い︒⁝:私の読み方は︑. ﹁穴云︑︵問︶︑内親王嫁等家事︑︵中略︶両説︵誰︶可式定︑︵答︶︑考課令︵下略︶﹂のごとく﹁問﹂﹁誰﹂﹁答﹂. を補い問答体として読みたいのである︒ また︑﹁両説可式定﹂の箇所については︑. 林氏は︑﹁式定﹂の意味を古代国家の制定法たる別式により定めることと解釈されている︒如何にも尤な感じが. するが︑そのような限定的な意味にとる必要はなく︑もっと一般的な決定ないし確定といった意味ではあるまい か︒. とのべ︵三五頁︶︑さらに︑一九七一論文では﹁確実に穴記が義解を引用している資料として︑宮内省条穴記しか挙げ. なかったが︑それ以外にもあるので検討し︑私見の補強を行っておきたい︒﹂︵三五頁︶と︑禄令食封条集解の穴記. ︵六六七頁︶を追加する︒その文はつぎのとおりである︒ 不 穴云︒・⁝−問︒位田合古︒答云︒神亀五年三月廿八日格云︒外位々田者︒内位減半給之︒女減三分之一︒無故不. 上経一年者︒停給︒職田資人何︒答︒凡諸条引此条為証︒然則︒封禄亦停給耳︒令釈云︒位田資人︒案︒内位元. 故不上︒経六年以上者︒停給也︒又田令云︒職分田︒太政大臣滑町︒左右大臣冊町︒大納言廿町︒義解云︒以理 解官及致仕者︒准職封減半︒其郡司以理解︒其職田即収︒不可准此︒.
(21) 又軍防令云︒資人︒太政大臣三百人︒左右大臣二百人︒大納言一百人︒義解云︒若致仕者准禄令減半︒大納言亦. 准此︒資人等元追文故︒不可追︒両説誰為是︒答︒師云︒位田資人不在此限︒即知︒令釈一同︒其職事百廿日不 上者解官︒則元給職封︒但今論以理解官耳︒ 森田氏はここをつぎのように解釈する︵三六頁︶︒. ︵ある説に︶位田は︵支給を停止するか︶どうか︵という問題については︶神亀五年三月廿八日格に云々︑︵と. あるので支給を停止する︶︒職田資人の取扱いはどうするか︵という問題については︶職田資人関係の諸令条を. 食封条をもって類推解釈し︑封禄の場合に准じて支給を停止する︵という説がある︶︒︵しかるに別な説として︶. 令釈では内位の者が故なく不上六年以上にして始めて位田資人の支給を停止する︵と解釈し︶︑また田令云々︑. 義解云々︑また軍防令云々︑義解云々︵とあるのみで︶︑資人等の支給を停止するという明文規定がないので支. 給停止処分は行わない︵とする学説があるが︶︑両説のうちいずれが正しいだろうか︒その答は師説に位田資人 は停止する限りでないとあるので令釈説が正しい︵と穴は考える︶︒. 森田氏はこれにつづけてつぎのようにのべている︒. ﹁位田合不﹂から﹁習封禄亦停給耳﹂までが︑位田資人の支給を停止するという学説で︑令釈以下がそれと対立する. 支給を停止しないとする学説である︒令釈は︑不上六年以上は停止するという学説で︑絶対に支給を停止すると. はしていないが︑穴はここで不上二年で支給を停止するか否かで学説を整理しているのであり︑不上六年以上と. 一〇五. する令釈説は︑支給を停止しないとする学説扱いされているのである︒ここで対立する二説のうち︑後のほうの 律令注釈書研究の現状と問題点.
(22) 早法六三巻二号︵一九八八︶. 一〇六. 学説に令釈とともに田令職分田条とその義解および軍防令給帳内条とその義解があげられている︒先に指摘した. 特異なスタイルからしてもまた意味内容からしても︑この部分の義解が穴記の問答体の設問部分を構成している. ことに疑いの余地がないだろう︒従って︵この条のー引用者︶穴記が義解を引用していることは明白である︒. 先に拙論でとりあげた宮内省条穴記とともに⁝⁝穴記義解施行以降成立説の根拠として使用し得ると考える︒. 森田氏は右にみてきたところによって︑﹁部分的には林氏の批判により︑訂正する必要はあるものの︑主旨におい. て拙論を改める必要はな﹂︵三六頁︶い︑というのであるが︑林氏は一九七三論文で再批判をおこなう︒. 宮内省条集解の穴記の読みについては︑森田氏の反論をうけて︑つぎのように批判する︵三〇1三一頁︶︒. 森田氏の立場から一貫した訳を追求すれば︑﹁再論﹂で発表のような訳になることは理解される︒殊に氏が指摘. される穴記独特の﹁﹃間﹄と﹃両説誰是﹄との間に対立する二説を掲げ︑﹃答﹄以下で解答を示す﹂文章構造︵穴. 記全体を通じて特徴的なその文体の見受けられることは筆者も承認する︒︶の一例として︑﹁問﹂﹁誰﹂﹁答﹂を補. って読むことが許されるならば︑氏の結論は承認されよう︒筆者も﹁答﹂の一字が存在する写本が一本でも存在. するならば︑私見に固執することは無いであろう︒だが︑現在の文章ではどうしても意味がとれないのならばと. もかく︑現在の語旬でも︑私なりに一貫した論理からなる訳が成り立つことを証明した積りである︒更に︑﹁答﹂. の一字といえども︑双方の結論の対立をもたらす重要な語句である以上︑﹁答﹂の字が無い事実︑それを踏まえ て論を出発すべきであろう︒︵傍線−引用者︶. ようするに︑恣意的な読み方であるという批判であるが︑ここでのべられていることは重要である︒論争にかかわ.
(23) ろうがかかわるまいが︑また意味がとれようがとれまいが︑私たちが存在するものから出発しなければならないこと は︑自明のことであるQ. ﹁両説可式定﹂については︑穴記における﹁定﹂字の用例を検討し︑つぎのようにのべる︵三二頁︶︒. 日本的な漢文の用例が多数集解に認められる以上︑﹁式定﹂も﹁定式﹂と同意に用いられたと考えてよいのでは ︵8 ないだろうか︑⁝⁝﹁可式定﹂を拙稿の如く﹁式によって定むべきである﹂と訳すことに支障は無いと考える︒. 結論として林氏は︑森田氏の﹁批判は当らない﹂のであって︑﹁職員令宮内省条集解穴記の中には義解の文は含ま れていなかったと再度主張せざるをえない﹂︵三五頁︶とのべている︒. つぎに森田氏が追加した禄令食封条集解の穴記について林氏の所論をみてゆこう︒林氏はいう︵三六頁︶︒. 本資料の﹁問⁝⁝両説誰為是︑答⁝⁝﹂という穴記独特の発問形式︑更にその対立する﹁両説﹂の一つとし. て︑引用令釈説と田令義解・軍防令義解とが︑﹁又﹂字で連結されて﹁支給を停止しないとする学説扱いされて. いる構造等を眺める時︑氏の指摘の正当性は充分立証されている様に思われる節も存する︒ だがしかし︑である︒. だが︑氏の論においては︑写本問の異同︑令集解成立以後の混乱・補筆の有無︑編者惟宗直本の書入れの有無と. いった令集解を資料として扱う際には常に必要な前提作業が必ずしも十分に行われている訳でもないので︑その 検討を試みなけれぽならない︒. 一〇七. そこで林氏は検討をおこなう︵三六i三七頁︶︒それによれば︑間題とすべき穴記の注釈には﹁多数の錯簡があっ 律令注釈書研究の現状と問題点.
(24) 早法六三巻二 号 ︵ 一 九 八 八 ︶. 一〇八. て︑校訂者の手によってその配列替えが企てられている︒﹂もので︑﹁接続を訂正した﹂という︵しかし︑これ以上に 錯簡の内容にふれる言及はない︶︒ついで︑注釈の内容の検討にうつる︵三七ー三八頁︶︒. 第一に注意されるのは︑位田に次いで職田・資人の支給の停止の条件について穴記は問題にしているが︑・. ﹁職田﹂の扱いが問題となっている場所で﹁位田﹂に対する原令釈が引用されている事実は︑何らかの混乱︑又. は原令釈を引用した原穴記に誤解があったと考えるのが妥当であろう︒⁝⁝︵穴記のひくー引用者︶﹁資人等. 元追文故︑不可追﹂の文は︑⁝⁝原令釈﹁位田資人元追文故︑不可追﹂と比較する時︑間に二令義解が入り込ん. でいるが︑本来は原令釈の一部であることが判明すると共に︑﹁資人等﹂とは本来﹁位田資人﹂を指すことが認 められよう︒. したがって︑つぎにはこの令義解を記したのかは誰かが検討課題となるのだが︑﹁判断の決手となるような確たる. 証拠の検出でぎない現状﹂のゆえに︑﹁敢えて大胆な推論﹂を提出するのである︵三八ー三九頁︶︒. ︵当該集解のー引用者︶二令義解こそが﹁諸条引此条為証﹂の内容を指すと認めて良いのではあるまいか︒. ・︵というのは−引用者︶先述の職田が質間の対象となっているのに︑位田を取扱う令釈を引用し︑また. ﹁位田資人﹂とあったのを﹁資人等﹂と改めた⁝⁝理由として想しうるのは︑本来の穴記では一方の説として令. 恐らく編者直本ーが軍防令帳内資人条義解と. 釈説に仮託して自己の見解を入れ︑令釈説の﹁位田資人﹂とあるのを﹁資人等﹂に改めてその根拠としていた が︑それだけでは一方の説として問題が残ると判断した後人. ともに田令職分田条義解を挿入し︑﹁資人等﹂︑すなわち職田・資人共に両条義解では追文がないことを根拠に︑.
(25) 停給されない説を構成したのではないだろうか︒⁝⁝そして他方︑恐らく﹁習封禄亦停給耳﹂と︑禄令食封条を. ﹁類推解釈﹂して停給するとのみあったであろう原穴記に︑両条義解が食封条を﹁准用﹂している事実を知った. 同人が︑より他方の説として成立するに足る根拠と判断し︑﹁凡諸条引此条為証︑然則﹂の字句を挿入したので はないだろうかQ. このような行論は︑林氏自らも﹁非常に回りくどい推論﹂︵三九頁︶と評するもので︑私もまた同様の印象をうける のだが︑林氏はつぎのように結論する︵三九頁︶︒. 恐らく令集解が成立した折には︑穴記が義解を引用した形態になっていたのであろう︒だが︑原私記の穴記が義. 解を引用していたいというには︑森田氏が試みられた論証では︑上記した種々の矛盾した内容が解明されていな. い点︑確証とまではいかず︑後人i編者惟宗直本ーが書ぎ入れた可能性も多少は存するのである︒. ﹁穴記が義解を引用している可能性も認めら. 一九七一論文にくらべると声調が和いだようにも感じられるが︑やはり穴記は令義解をひいていないという結論で あろう︒しかし︑これと矛盾するかのようだが︑林氏自ら附論の形で︑. れる二資料を取上げ︑﹂︵三九頁︶る︒それは公式令勅授位記式条集解の穴記︵ム三頁︶と︑政事要略にみえる︑のち ︵9︶ に林氏が令集解的註釈とよぶものである︒本稿では前者をとりあげる︒. 穴云︒私思︒女五位己上位記者︒式部不預也︒六位以下初位己上位記者︒只中務卿署之︒式部卿不預也︒跡同此. 説︒但師属意︒男女元別耳︒後日従上記︒問︒造勲位々記様︒依誰式哉︒選叙令︒内外五位以上勅授条義解云︒. 一〇九. 勅授奏授判授︒謂宮人授法亦同︒其勲位亦依相当法︒准文官式︒仮令︒六等以上為勅授︒十二等以上為奏授之 律令注釈書研 究 の 現 状 と 問 題 点.
(26) 類︒. 早法六三巻二号︵一九八八︶. この資料について林氏はつぎのようにのべている︵四〇頁︶︒. 一一〇. 法論理追求の一貫性の立場からは︑公式令集解穴記が義解を引用していても︑矛眉は生じない︒しかし︑当該文. 章︑中でも義解が引用されている問答部分は短かく︑穴記が義解を確実に引用しているという明白な証拠を提出. しえないことも︑また事実であろう︒例えば﹁問⁝⁝﹂という疑問文に対して﹁答﹂字が無く︑直ちに選叙令義. 解が文末に附されている点について︑穴記の問が未回答で終っていたので︑編者が関係する内容の義解を追記し. たとも考えうるのである︒⁝⁝結局︑本資料をもって穴記が義解を引用していると立証するにせよ︑否定するに. せよ︑断定するには根拠が不足しているので︑原私記としての穴記を今後考察していく中での課題として残して おきたい︒. 穴記論争の経過を煩環なほど両氏の文をひきつつ見てぎた︒森田︑林氏の論争の主調は︑森田氏が穴記の著者︵と. いってよいだろう︶が令義解をひいたと主張するのにたいして︑林氏は令義解は令集解編者が記したか︑またはその. 可能性がある︑という点にある︒論は︑文の読み方をはじめとして︑注釈の在り方︑令集解の成立などの理解にもお よんでいくことが明らかであろう︒. ヤ. ヤ. この論争を現在︵一九八七年︶からふりかえるとき︑議論を続けたほうがよかったのではないかという感にとらえ. られる︒この論争以後も多くの論文が発表され︑いくつかの論争があったし︑いまもあるのだが︑それらは︑もしこ.
(27) の論争が深化・拡大したとしていたならば︑おそらく存在しなかったか︑したとしても別の形をとったであろう︒現. 在からふりかえれば︑この論争は︑のちに発展することになる多くの問題を潜在的にもちながら︑それがうまく顕在. 化しなかった︒このことは律令注釈書研究の進展という観点からみれば︑残念なことであった︒この論争のなかで︑. 文の読み方︑文と文との接続︑分節化をはじめ︑注釈の現代語訳︑書下し︑そして各私記および令集解の成立という. 豊富な問題が︑いったには浮び上がったのだが︑再びそれらは沈んでしまった︒とくに各私記と令集解の関係および. 令集解自体について︑林氏が一九七三論文でつぎのようにのべた方向で議論が展開したならば︑研究上ずっと有益で あったであろう︵四二頁︶︒. 個々の令集解の文章を取扱う時︑現行令集解が直本編纂の﹁令集解﹂の形を留めているのか︑また原私記と直本. によって編纂された折の各私記とはどのような関係にあるのか︑といった問題を常に考慮しない限り︑その究明 自体不完全なものに終ると言えよう︒. この発言に沿って﹁考慮﹂の内容を提起していったならぽ︑論争の収拾はつかなくなったであろう︒しかし︑その. 混乱自体がつぎの研究につながるという意味で︑実り多いものとなったのではなかろうか︒. 附言すれば︑右の発言で﹁原私記﹂とか﹁編纂された折の各私記﹂とか︑﹁直本編纂の﹁令集解﹂の形﹂とか言っ. ているのは︑誤解をまねきやすいであろう︒令集解所載の私記の写本は︑現在までのところ︑発見されていない︒お. そらく将来も発見される見込みは少ないであろう︒とすれば︑﹁原私記﹂をどのように﹁考慮﹂するのか︒編纂時の. 一一一. 令集解と各私記をどのように﹁考慮﹂するのか︒具体的事実をどのようにとらえるのか︒方法の問題をとりあげ︑そ 律令注釈書研究の現状と間題点.
(28) 明 す. 途. る. 一. 占. 早法六三巻二号︵一九八八︶. れを試行錯誤的であれ論じつつ︑具体的事実を﹁究明﹂していくということ以外に︑ はないであろう︒右の発言には方法という問題への意識が希薄なようにおもう︒. 指 摘. の. た. し. を コ 解 一. 注記によって編者の見た穴記にすでに令義解をひく或云が記されていたことは明らかである︒. 入者責膀︒簸胤牲. 穴云︒⁝⁝或云︒師云︒⁝⁝在穴︒又或云︒義解云︒除兵器之外入物者︒不可責膀者︒案之︒於兵器︒縦一隻出. 宮衛令諸門出物条集解︵六九五頁︶. しているように︵一九七一論文去西頁︶︑編者がみた穴記に令義解をひく或云が記されているからである︒. 追記というのであるが︑私には編者がみた穴記にすでに記されていたように感じられる︒というのは︑森田氏が指摘. 考課令と義解の文について︑林氏は追記であると指摘しているが︑私にもそのようにみえる︒林氏は令集解編者の. 又女王命婦等家事︒古説︒送正親司︒未審︒所帰亦可定也︒. 考課令云︒嬢以上内親王家事︒隷宮内省︒義云︒家事者︒考事︒即宮内省承主旨︒定等第︒. 職員令宮内省条穴記︵二三頁︶ 注 穴云︒内親王嬢等家事︒送宮内省日︒狸送上日行事︒或定等第︒両説可式定︒. れることになるであろうから分節化して史料を記してみよう︒. 穴記論争をふりかえってきて︑一︑二感じたことや問題点とおもったことをここで記してみよう︒私の読みも問わ. 林 氏.
(29) またつぎのような或云もある︒ 厩牧令官畜条集解︵九一七頁︶. 穴云︒⁝⁝或云︒間︒義解云︒其牧馬不在此例者︒未知︒駅伝馬何︒答︒不可養也︒礁八. この二例のように令義解に言及する書入がある以上︑令集解編者のみた穴記に令義解の文が記されていたというこ. とはありそうなことではないだろうか︒というのは︑先の穴記の文は︑考課令と義解の文をとばして︑﹁両説可式定︒. 又女王⁝⁝﹂と読むと自然におもえるからである︒この前提として︑私は﹁両説可式定﹂の﹁式﹂字を律令格式の式. ととっていないことがある︒私にはこの﹁式定﹂はあまり意味をもたないようにおもえる︒﹁両説モッテ定ムベシ︒﹂. と読んでいる︒ ﹁古説︒正親司二送ル︒イマダ審ラカナラズ︒帰スルトコロマタ定ムベシ︒﹂とあることから︑内親王. 嬢等家事についても︑女王命婦等家事についても注釈を確定すべきである︑とのべたと理解している︒前の問題につ. いて︑のちに誰人が令文と令義解の文を傍注として記し︑それが伝写の間に本文に混入したのではないかと推測して いるのである︒. 令集解編者のみた穴記がどのように伝わってきたものか不明であるが︑そこには多くの書入がなされていた︒それ. が令集解編者の注意をひぎ︑令集解に記されたのであろうから︑右のような推測をもつのである︒いま一つの理由は︑. もし式によって定めるべぎであるとすれば︑なぜその式を記さなかったのかという疑問が生じるからである︒また︑. もし式を制定すべきであるとすれば︑そのようなものは明法家の注釈には相応しいものとはおもえないからである︒. 一二二. 私の理解が正しいのかどうか︑私としても自信はないが︑いまはこのように読んでいる︒読みによって︑つぎの論 律令注釈書研究の現状と問題点.
(30) 早法六三巻二号︵一九八八︶. 理の展開がまったくちがってしまうことが明らかであろう︒ 禄令食封条集解︵六六七頁︶ 不力. 一一四. 穴云−⁝︒問︒位田合古︒答云︒神亀五年三月廿八日格云︒外位々田者︒内位減半給之︒女減三分之一︒無故不. 上経一年者︒停給︒. 職田・資人何︒答︒凡諸条引此条為証︒然則︒習封禄亦停給耳︒. 令釈云︒位田・資人︒案︒内位元故不上︒経六年以上者︒停給也︒. 又田令云︒職分田︒太政大臣珊町Q左右大臣冊町︒大納言廿町︒義解云︒以理解官及致仕者︒准職封減半︒其郡 司以理解︒其職分田即収︒不可准此︒. 又軍防令云︒資人︒太政大臣三百人︒左右大臣三百人︒大納言一百人︒義解云︒若致仕者︒准禄令減半︒大納言 亦准此︒. 資人等元追文故︒不可追︒両説誰為是︒. 答︒師云︒位田・資人不在此限︒即知︒令釈一同︒其職事百廿日不上者解官︒則元給職封︒但今論以理解官耳︒. 論争のなかでもでてきたが︑田令・軍防令・令義解の文は︑一読配置の不適切さという印象をあたえる︒﹁答︒師. 云︒位田資人不在此限︒﹂という文からみると︑問われていたのは︑位田と位分資人が無故不上で停給されるかどう. かであったはずである︒また︑﹁両説誰為是﹂というときの﹁両説﹂とはなにかがはっきりしない︒分節した箇所だ. けを読むならば︑意味はとおらないことはなさそうであるが︑全体としてはどうにもちぐはぐな感じである︒さら.
(31) に︑末尾に﹁但シ今ハ理ヲモッテ解官スルヲ論ズルノミ︒﹂とあるので︑無故不上のことが議論されているようでも ない︒. 私にはなんとも理解できないのだが︑林氏が指摘したように︑この箇所に錯簡があったことを知ると︑理解できな いことに合点がいく︒. 論争にかかわることでいえば︑この箇所に錯簡があるとすれば︑それを訂するか︑そうでなければ論争からこの箇. 所を除外するしかないのではあるまいか︒議論をするとすれば︑訂しての上でなければならないであろう︒それとも 森田・林両氏とも国史大系本の配列で錯簡が正されたと考えているのであろうか︒. 私としては︑内容はよくわからないながらも︑先の職員令の穴記と同じように令集解編者のみた穴記に令義解が記 されていたようにみてよいのではないか︑とおもう︒ 公式令勅授位記条集解︵八二二頁︶. 穴云︒私思︒女五位己上位記者︒式部不預也︒六位以下初位己上位記者︒只中務卿署之︒式部卿不預也︒跡同此 説︒但師属意︒男女元別耳︒後日従上記︒ 問︒造勲位々記様︒依誰式哉︒. 選叙令︒内外五位以上勅授条義解云︒勅授・奏授・判授︒謂︒宮人授法亦同︒其勲位亦依相当法︒准文官式︒仮 令︒六等以上為勅授︒十二等以上為奏授之類︒. 一一五. この箇所についても︑問にたいする答のようにうまく配列されているが︑私は先の二つの穴記と同様に解してい 律令注釈書研究の現状と問題点.
(32) 早法六三巻二 号 ︵ 一 九 八 八 ︶. 一一六. る︒林氏と私との相違は︑林氏が編者の追記とするのにたいし︑私が編者がみた穴記にはすでに記されていたという ところである︒. 以上明らかなように︑令集解の読みは全体的な理解と結びつかざるをえないのである︒. の古答論争. ︵10︶ 一九六〇年︑利光三津夫氏は﹁大宝律令と﹁古答﹂について﹂を発表し︑令集解と律集解逸文とにみえる古答は大 ︵11︶. 宝律令の注釈書であり︑それは古記と同系統の注釈書と主張した︒. 一九八三年︑稲葉佳代氏は﹁令集解における古答について﹂を発表し︑古答は﹁古令の注釈書と限定するのではな. く︑古人先達の問答として広くとらえた方がよい﹂︵一頁︶という観点から利光説を批判した︒. ︵12︶ 一九八四年︑利光氏は﹁再び﹁古答﹂についてi稲葉佳代氏の﹁古答﹂に関する見解を駁す﹂を発表し︑稲葉氏 に反論をくわえ︑持説を再主張した︒ 利光一九六〇論文からみてゆこう︒利光氏はいう︵三i四頁︶︒. 令集解には︑﹁古答云﹂なる引用が︑全篇に亘って約二十二箇処引かれている︒又名例律裏書︑同勘物︑政事要. 略︑平戸記︑師守記︑式目抄等に引かれている﹁律集解逸文﹂にも︑﹁古答云﹂なる引用が︑約二十五箇処みえ. ている︒令集解所引の古答は︑令の注釈であり︑律集解逸文所引の古答は︑律の注釈である︒従って︑古答とい. う名称が︑この律令注釈書本来の書名であったとは思われないが︑とにかく令集解︑律集解が編纂された平安時.
(33) 代に︑明法家達の間で︑古答という名で親しまれていた律及び令の全般に亘る注釈書が存在していたことは疑い. がない︒⁝⁝古答は︑奈良・平安時代に作られた問答体の法律注釈書の一つであって︑その本来の書名は﹁律令 問答﹂といったのであろうと思われる︒. 古答の成立年代は﹁令集解における引用書相互の関係からみて︑⁝⁝延暦年間を下るものではないと推断しうる﹂. ︵六頁︶のであり︑また﹁古答が︑その内容において︑大宝律令の注釈書である古記と多くの一致をみること﹂︵八頁︶. から︑﹁古答と古記とは同一系統の明法家の著作であって︑且つ︑その成立年代は︑接近していたという推定を下し. てよいと思う︒﹂︵コ丁二一責︶とのべる︒さらに︑平戸記・寛元三年︵一二四五︶四月一四日条にのせる定詞にひか. れた古答の文に︑大宝令の用語﹁内門﹂がみえることは︑古答が﹁大宝律令の注釈書であることを推断せしめる有力 な証処となし得るものであると信ずる︒﹂︵一九頁︶と結論づける︒. この見解にたいして︑稲葉氏は先述の﹁古人先達の問答として広くとらえた方がよい﹂という観点から批判する︒ 稲葉氏はいう︵一ー二頁︶︒. 瀧川政次郎氏は﹃律令の研究﹄の中で︑古答は古問答と共に古人先達の問答私記の意であって︑古私記の如く古. 記であるとぎもあるが︑そうでないとぎもあるとされている︒瀧川氏の解釈で興味深いのは︑古私記や古答を古. 令の私記の意味としてはとっておられない点である︒⁝⁝古答については︑瀧川氏の言われる様に︑古令の注釈. 書と限定するのではなく︑古人先達の問答として広くとらえた方がよいと考える︒⁝⁝古答を古令の私記とする. 一一七. のではなく︑古人先達の問答ととらえた場合︑それは大宝令の注釈書の場合もあれば養老令の場合もありうる︒ 律令注釈書研究の現状と問題点.
(34) 早法六三巻二 号 ︵ 一 九 八 八 ︶. 一一八. ましてや︑各明法家が古答としてひく場合に︑それぞれの明法家によって古答のさすものが違う可能性もあるの. ではなかろうか︒令集解の古答が直接に引用された説でないことの意味は重要であると考える︒利光氏は︑律集. 解に古答があるため︑令集解の古答も同じものと考えられたが︑その前提自体を疑ってみる必要があろう︒古答 の分析は︑古答を引用する明法家別にそれぞれ吟味すべきであると思う︒. こうして稲葉氏は古答を﹁一番引用する例の多い讃記から︑穴記・伴記・朱記・公云のひく古答の順に検討してい. く﹂︵三頁︶︒しかし︑本稿は︑この検討事例を逐一みてゆく余裕もなく︑またその必要もないので︑讃記の事例から 二例だけをみてゆくことにしたい︒ ﹁同一条文中の古記と文章が完全に一致している︒﹂︵四頁︶事例︒ 戸令新附条集解︵二七五頁︶. 讃云︒⁝⁝古答︒女不在此例︒随便耳︒. 古記云︒従本国為定︒謂︒父国是︒但女不在此例︒随便耳︒ ﹁多少語句の違いはあるものの古記と内容を同じくする﹂︵四頁︶事例︒ 戸令国守巡行条集解︵三二七頁︶. 讃云︒⁝⁝或云︒好者妊︒詐也︒融潴 古記云︒好謂詐誰之類︒. ﹁細注から︑或云の内容は古答と同じであったことがわかる︒或云の文章は古記と少し語句が異なるが︑内容は同.
(35) じであるので︑古記と古答が同一と考えてもよかろう︒﹂︵四ー五頁︶︒. 後者の事例を検討したのち︑稲葉氏はつぎのようにのべる︵六頁︶︒. これらの古答は字句の違いはあるものの古記と内容を同じくするものであった︒利光氏は︑古答に古記と字句の. 違う箇所があること︑また︑古答が古記より簡略した説であることから︑古記とは別の注釈書と考えられた︒だ. が︑果してその判断は正しいと言えるであろうか︒ここにみる古答はすべて讃記の引用した古答であって︑直接. 引用されたものではない︒明法家が他の説を引用する際︑一字一句すべて同じに引用するとは考えられず︑時に. 引用者︶古答と古記が同一のものと考える史料として有効な. はその説を簡略して引用したり︑他の表現にかえて内容を伝えたとしても不思議はないと考える︒︵多少語句の. 違いはあるが︑古記と内容を同じくする事例は ものである︒. 讃記の事例を検討したのち︑稲葉氏は結論としてつぎのようにのべる︵九頁︶︒. 以上の考察から︑讃記のひく古答⁝⁝一八例のうち︑一六例までが古記と一致し︑二例は古記と考えてもおかし くないことがわかった︒讃記の引く古答は古記であると断定してもよかろう︒ 穴記の事例の検討からはつぎの結論が導きだされる︵一二ー二一貢︶︒. 以上︑穴記のひく四例の古答を検討してきたが︑そのいずれも古記と一致することはなかった︒また令釈と一致. するものは一例あったが︑少なくとも別の一例はその令釈とも異なる説であることが確認できた︒穴記の古答が. 二九. 一体何であるのか︑現段階では明らかにすることができない︒穴記が古答と言った場合︑常に同じ説をさしてい. 律令注釈書研究の現状と問題点.
(36) 早法六三巻二号︵一九八八︶. 一二〇. たかどうかも疑問である︒穴記の古答は︑その一例が養老令の注釈書であると推定できるので︑穴記は古答を古. 人先達の問答の意味として使っていたことがわかる︒⁝⁝讃記のひく古答と穴記のひく古答は別のものであるこ. とが明らかになったと思う︒利光氏のように︑令集解の古答をすべて同じものとして分析することは非常に危険 であるQ. 伴記・朱記・公云の事例の検討からつぎのようにのべる︵一四頁︶︒ ︵13︶. 伴記・朱記の古答は明らかにすることがでぎなかったが︑公云のひく古答は利光氏の言われるような大宝令の注 釈でないことが確認でぎた︒. 稲葉氏の批判は︑すでに讃記の事例の検討において出尽している︒稲葉氏の主張の核心は古答が普通名詞であっ. て︑特定の注釈書をさすものではない︑ということである︒論証過程も︑基本的には先にみた手続きをおこなってゆ くという手法である︒右の主張について稲葉氏の評価をぎこう︵二〇頁︶︒. 本稿の目的は︑令集解中に登場する古答があたかも一つの固定した注釈書であるのか如く考える通説に対して︑. その根底を打ち崩すことにあった︒各諸説別に古答を検討することから︑ほぼその目的は果せたものと考える︒. しかし︑利光氏は︑一九八四論文でこの稲葉氏の論を全面的に反批判する︒稲葉氏の﹁古人先達の問答として広く とらえた方がよい﹂という観点についてつぎのようにのべる︵五八頁︶︒. ﹁古答﹂なる注釈が︑特定せる一書であるか︑為当︑﹁古人先達の説﹂を述べたものに過ぎないかは︑確実な証. 拠によって︑それを決することは甚だ困難である︒しかし︑筆者は︑⁝⁝﹁古記﹂を一書とみる限り︑これもま.
(37) た一書とみた方が自然ではないかと考える︒⁝⁝﹁古記﹂と﹁古答﹂には︑同一のことを論じながら︑その挙示. せる例が異なっている事例も見出される︒更に論を重ねれば︑﹁古答﹂は︑あたかも﹁令集解﹂における﹁古記﹂. の如く︑律集解に数多く引かれている︒従って︑律集解と令集解とが︑同一人によって︑ほぼ同時期に編纂され たとすれば︑両書の間で︑書名を統一する程度のことはなされたはずである︒ かく考えると︑私はやはり別書説に傾かざるをえないのである︒ 利光氏の古答についての考え方もここに尽きているのである︒. 古答論争の主調は︑古答をどのように把えるのか︑ということである︒つまり古答を一書とみるか否かなのであ. る︒論争の経過をふりかえるとき︑従来の注釈書研究の意識と方法とが︑両氏ともに︑じゅうぶんに自覚されている ようにはみうけられないのは残念である︒. 注釈書研究は︑従来︑基本的には︑一般的なものをさす普通名詞をたんに普通名詞として一般の中に拡散させず︑. 逆に固有なるものへと収敏することによってなされてきた︒﹁古記﹂・﹁釈﹂・﹁朱﹂などが示すことばの意味を想起す. れば︑このことは直ちに諒解しうるであろう・. たとえば﹁古記﹂は令集解の全篇にわたって出てきているが︑元来は古き記文︑古き書という意味であって一つの ものに特定でぎるようなことばではない︒宮衛令諸門開鍵条集解︵六八九頁︶に︑ 釈云︒⁝⁝古記云︒:::穴云︒⁝⁝或古記云︒⁝・. 一二一. とある記載は︑﹁アルヒハ古記ニイハク﹂ではなく︑﹁アル古記ニイハク﹂である︒従来の注釈書研究は︑このような 律令注釈書研究の現状と問題点.
(38) 早法六三巻二号︵一九八八︶. 一二二. ものを除けば︑﹁古記云﹂という記載を一つのまとまりあるものと取り扱かってぎた︒また古記には養老令を注釈し. た箇所もあるが︑基本的には大宝令の注釈書としてあつかっている︒このような処理の仕方で研究のうえで不都合が あったようにはおもわれない︒. また﹁釈﹂についてもつぎのような史料がある︒ 考課令内外官条集解︵五三二頁︶. 釈云︒⁝⁝或釈云︒⁝⁝讃案︒・⁝. 釈云︒⁝⁝或釈云︒唐令釈云︒⁝⁝古記云︒:・. 二〇九1二一〇頁︶. 右の﹁或釈云﹂は﹁アル釈ニイハク﹂であって︑﹁アルヒハ釈ニイハク﹂ではない︒ 西宮記︵騎闇故実叢書7. ①仮寧令日︒凡元服之蕩︒姓能明至本服三月︒給仮三日︒一月服二目︒七目服一日︒釈日︒充服之蕩︒謂︒未成人死. 日蕩也︒本服三月︒謂︒其於五月以上服親︒元服鵜之︒故唯云︒本服三月︒若不帯官人遭此喪者︒准仮目数︒心 喪若居憂︒但 文 云 元 服 ︒ 故 不 可 着 服 ︒. ②凡師経受業者喪︒給仮三目︒釈日︒謂︒師博士也︒依律︒已成業者是也︒私学亦同︒. ③凡聞喪挙哀︒其仮減半︒有乗日者︒入仮限︒釈日︒減半︒謂︒仮有官人遭祖父母喪︒本仮珊日︒若在遠聞喪︒所. 在挙哀減半︒給十五目之類也︒有乗日者入仮限︒謂︒仮有本服三日減半︒以所乗一日入仮限給二日之類也︒. ω凡文武官長上者︒父母在畿外︒三年一給定省幌樽蔚茨融麟馳ゼ吻仮珊日︒除程︒若巳経還家者︒計還後年給︒義解釈日︒.
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