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――19 世紀ロシアの「自己意識

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Academic year: 2022

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(1)博士論文概要書. 指導教授:. 題. 目:. 井桁. 貞義. 教授. フョードル・チュッチェフ研究. ――19 世紀ロシアの「自己意識」――. 早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻. 氏. 名:. 坂庭. 淳史.

(2) 1). 考察の対象 本論考のおもな考察の対象は、ロシアの詩人フョードル・チュッチェフ(1803-1873)の著. 作である。チュッチェフは、アレクサンドル・プーシキン(1799-1837)、ミハイル・レール モントフ (1814-1841)と並んで 19 世紀ロシアを代表する詩人である。 チュッチェフの抒情詩の世界における特徴のひとつとして、いわゆる「抒情的我」と「詩 人」自身の距離がきわめて近いことがある。これはチュッチェフが生涯を通じて「詩人」 としての職業的自覚がなく、あるいはその使命をほとんど意識していなかったことが関連 しているようだ。一般的に言うなら、「抒情的我」と「作家・詩人」を同一視しないことは 文学研究の前提となる事項だが、チュッチェフの場合にはこの前提を外して考える方が有 効であるだろう。チュッチェフの作品には、ひとりの 19 世紀ロシア人としての彼の心理が 反映されているし、さらに当時のロシアやヨーロッパ、故郷オリョールやペテルブルク、 モスクワといった彼をとりまくさまざまな環境が作品に大きく作用していると思われる。 また、チュッチェフは、外交官、政治思想家としても活躍した。大学卒業後、ミュンヘ ンやトリノで外交官として 20 年余りをヨーロッパで過ごし、ロシア帰国後には外務省上級 検閲官(1858 年からは外国出版物検閲委員会議長)を務めている。その間、彼はロシアの国 内外で政治論文を発表している。彼は詩人としてだけでなく、さまざまな顔を持っていた のである。 2). 考察の目的 本論考の大きな目的は、チュッチェフの著作をおもな研究対象とし、彼の周辺で活躍し. たロシア国内外の文学者や思想家との比較を通して、19 世紀ロシアにおける「自己意識」 の変遷を、さらには 19 世紀ロシア独自の文学と社会の関係を明らかにすることにある。 本論考では、具体的に 19 世紀ロシアの二つのレベルの「自己意識」を考察する。すなわ ち、第 1 には、文学作品における「私」 (いわゆる「抒情的我」)の「自己意識」であり、 第 2 には、思想・評論などに現れるロシア(人として)の「自己意識」である。そして、 これら二つのレベルの「自己意識」が密接に結びつきながら形成されてきていることを示 す。こうした研究の対象として適しているのが、 「抒情的我―現実に存在する個人―ロ シア人としての私」という意識がつながっているチュッチェフの著作なのである。 さらに本論考では、19 世紀ロシアのなかでもとりわけ「ナポレオンとの戦争からクリミ ア戦争での敗北まで」という時期をおもな研究対象とする。この時代には、ロシア文学に おいては、ロマン主義からリアリズム、詩から散文へとゆるやかではありながらも大きな 変動がある。60 年にわたるチュッチェフの詩の歴史は「ロマン主義からリアリズムへと移 行していくロシアの詩の歴史そのものである」とも言われているが、本論考では、独自の 視点によって文学史におけるチュッチェフの位置付けを行う。それは、チュッチェフとい う中心点を設定して、19 世紀ロシア文学の流れを再考する作業でもある。 この時代はまた、ロシアの社会・政治思想においても、ヨーロッパとの関係のなかでの ロシア(人として)の「自己意識」 (国民意識)のひとつの大きなうねりがある。西欧から 押し寄せて来る文化や世界観、さらに「ヨーロッパに対してロシアがとるべき態度」をめ ぐって当時の国内を二分していた西欧派とスラヴ派の著作、政府の政策・言論と比較しな がら、チュッチェフの思想の独自性を示してゆく。. 1.

(3) 3). 先行研究と本論考の研究の特徴 本論考の研究の特徴に関して、先行研究をふまえながら、 「ロシア研究」「チュッチェフ. 研究」という二つの側面から述べておく。 1、ロシア研究の側面から 第 1 にはロシア人としての「自己意識」を研究テーマとしたことにある。このテーマは 現代のロシアでもさまざまに議論されている。特に、「自分たちは果たしてヨーロッパなの か?」という問題は焦眉の問題でもあり、アレクサンドル・ソクーロフ(1951-)監督の映画 『エルミタージュ幻想』(2002)でも、ロシアの歴史をたどりながら主題として提示されてい る。現代ロシアの問題を考えるうえでも、その根源にある 19 世紀のロシア人たちの「ロシ アとヨーロッパ」にまつわる自己意識の揺れ動くさまを理解しておく必要があるだろう。 第 2 には、19 世紀ロシアの文学と社会の相互関係の考察である。ロシアでは近年、ブル ミストロフ『ロシアと西欧』(2000)やレイトブラト『プーシキンはいかにして天才になった か――プーシキン時代の書籍文化の歴史社会学的記述』(2001)といった著作において、19 世紀における文学と社会の有機的なつながりが積極的に論じられ始めている。本論文では、 最近の研究の流れをとらえつつ、チュッチェフを中心に「自己意識」という概念を用いて ロシアの文学・思想を検証し直すねらいもある。 2、チュッチェフ研究の側面から 第 1 の特徴には、チュッチェフの著作全体を通底する世界観を示すことである。 前述したように、チュッチェフというひとりの人間のなかには「詩人」の他にも、「外交 官」、「思想家」、 「国民」、「政治批評家」、「検閲官」といった側面が混在している。先行研 究では、これらの側面は個別に扱われる傾向にあり、チュッチェフの著作は、おおまかに 抒情詩/政治論文(政治詩を含む)という二つのジャンルに分けて研究されてきた。 本論考では、とりわけ二つのジャンルにおける「自己意識」の表出に注目しながら、共通 して見えてくるチュッチェフの世界観を提示し、抒情詩と政治論文を有機的に結びつける ようなかたちでチュッチェフへの理解を一層深めていく。 第 2 には「チュッチェフを中心とした歴史記述」である。これまでチュッチェフの伝記 的記述はスラヴ派的な言説の枠組みの中で記されてきた。ロシア思想の伝統の外部からの 視点、中立的な視点を提示することに意義があると思われる。 第 3 には、ソ連時代にはイデオロギー上の理由から敬遠されてきた「ロシアにおけるシ ェリング哲学の受容」を研究対象としている点である。ロシアの詩には伝統的に哲学・思 想とより強いつながりがあるが、本来の思想の独自性を際立たせるうえでも、シェリング 哲学との関係を詳細に見ておくべきである。そのうえで、チュッチェフとシェリング思想 の類縁性、さらにチュッチェフの詩の思想のオリジナルな部分を明確にしてゆく。 第 4 には、社会と文学という二つの領域に直接かかわるテーマとして 19 世紀の検閲に注 目していることである。これまで否定的な面だけが強調されてきた検閲であるが、例えば スターリン時代の検閲について現在では積極的に見直すような研究が見られる。検閲が一 方で文化を成熟させる役割を担ってきたことも含め、文化のシステム内で果たした機能に ついて、19 世紀においても確認しておく必要がある。本論考では、チュッチェフが検閲官 として記した論文「ロシアの検閲についての書簡」(1857)を中心にしながら、さまざまな世 界観の衝突が、彼の著作における「私」の意識に対して及ぼした影響を考える。. 2.

(4) 3). 各章の内容 以下、各章での内容について大まかに記述しておく(本論考の「目次」は 11 頁に添付) 。 序章においては、まず論文の目的および構成を記した。この点は、すでに本概要のこれ. までの部分で多くの内容に触れているので、ここでは記述しない。その他には、本論考の 研究テーマである「自己意識」に関連して重要と思われる伝記的事実を紹介した。第 1 に は、彼が外交官としてロシアを離れてドイツ、イタリアで長年にわたって暮らし、また二 人のドイツ人女性と結婚していることである。ロシア人でありながら、チュッチェフはほ ぼヨーロッパ人として暮らしていたと言える。そして自ら「祖国なしには生きられぬ」と まで言って帰ってきたロシアでは、その言説や生活スタイルから「ヨーロッパ人」と認識 されたのだった。第 2 には、当時のロシアでステイタスの高い職業である「外交官」であ った彼が、自身の失態から免職されていることである。社交界の寵児であり、多くの人々、 とりわけ女性に愛されたチュッチェフの人生は一見華々しくあるが、心理的にも、経済的 にも、社会的な立場においても、安寧とはほとんど縁がなかった。そうした生活の不安定 さや存在の曖昧さもまたチュッチェフの作品に反映されているのである。 第 1 章では、本論考における二つのレベルの「自己意識」に関する考察の出発点として、 チュッチェフの詩「聖なる夜が天の蒼穹に昇り…」(1849)とチャアダーエフの『哲学書簡』 (1836)を比較した。どちらの作品も「自己意識」をテーマとしている。チュッチェフの詩は、 抒情的我の自己意識を、チャアダーエフはロシア人の自己意識をそれぞれ描いているが、 まるで「私生児」「孤児」のように周辺(チュッチェフにおける自然・世界/チャアダーエ フにおける東洋・西洋)から何のつながりも支えもなく孤立した「卑小」な存在を描き出 していることにおいて共通している。この「抒情的我」と「ロシア人」の「自己意識」の 類縁性は、19 世紀のロシア文学(詩)とロシア思想がジャンルを超えて強く結びついてい ることを十分に予感させるものである。 第 2 章では、1820 年代から 1840 年代(いわゆる創作前期)のチュッチェフの抒情詩に着 目し、同時代の詩人たちの作品とも比較しつつ、その特徴を示した。彼が作品内で「自己 意識」という言葉を明確に意識し始めるのは 1850 年代以降(創作後期)であるが、その土 壌となる基本的な世界観はすでに 1820 年代に出来上がっている。2-1 では「自然と人間」 の関係を考察し、彼の作品内での「同心円」を描くような世界観を提示した。その中心に ある人間は「卑小な存在」であり、最も外部にある自然は果てしない(同心円は閉じられ たものではない) 。この同心円の構造は「地球―海」 「夜―昼」などさまざまなレベルで見 出され、人間(自己)の足元には支えがなく、深淵が広がっている。人間は自然とひとつ になろうと望んでいる。さらに、この同心円は複雑化し、上下の二層構造へと変化してい く。また、同時期の哲学的な詩において「(夜に対する)昼のおおい」 、「(昼に対する)夜 のおおい」という「昼と夜」の二つの関係が表現されているように、あるいは詩「春雷」で 自然の風景描写とギリシャ神話の世界が平行して提示されているように、二つの思考がね じれを起こさずに同時に存在しているという特徴を明らかにした。2-2 では、チュッチェフ と同時代のロシア詩のリーダーであるプーシキンとの関係を考察した。プーシキンによる チュッチェフ作品の『同時代人』誌掲載を中心とした、 「プーシキンから見たチュッチェフ」 をテーマとする先行研究を検討しながら、先行研究では触れられてこなかった「チュッチ ェフから見たプーシキン」についても論じた。プーシキンやデカブリストにまつわるチュ. 3.

(5) ッチェフの数篇の詩の分析を通して、これまでプーシキンへの追悼と賛美の詩とされてき ていた詩「1837 年 1 月 29 日」のなかに、自分の才能を決闘によってつぶしてしまったプー シキンの熱情に対するチュッチェフの憤慨がわずかに現れていると結論した。詩聖プーシ キンのなかに、チュッチェフは詩人としての彼が生涯悩まされることになる「人間の悪」 を見ていたのである。2-3 では、プーシキンが雑誌『同時代人』に掲載しなかった詩「灰色 の陰影がとけあい…」(1831-1836)のなかにある、自然と人間の調和の象徴としての「薄闇」 の形象および「すべては私の中にあり、私はすべての中に!…」という表現に注目し、ノ ヴァーリスらドイツ詩人の作品と比較しながら、チュッチェフの詩が持っていた「ドイツ 性」について、さらには「ドイツ性」のみに収斂されないチュッチェフの感情表現の豊か さについて考察している。2-4 では、創作前期の詩にある「自己」と「他者」のコミュニケ ーション観を考えた。自然のなかに見出した立体的な二層構造(およびそこに潜む「不可解 さ」)を、チュッチェフは自身の内部にも見出すことになる。チュッチェフの詩の特徴は、 「自然」から学んだことを、「自己の内的世界」を描き出す際にも応用したことにある。こ こでは詩「シレンチウム!」(-1830)を考察対象とし、これまで「言語によるメッセージの伝 達の限界を表している」とされてきたこの詩の形式・内容を分析しながら、先行研究での理 解とは逆に、この詩において彼がいかにメッセージを他者へ伝えようとしているか、その さまざまな手法を明らかにした。 第 3 章では、ドイツの哲学者フリードリヒ・シェリングの思想の 19 世紀ロシアにおける 受容の多層性について、次の 3 点を中心に論じた。第 1 には、ロシアへのシェリング哲学 導入の歴史と当時のロシアの思想状況(3-1)、第 2 には、 「哲学と詩の融合」を掲げ、シェリ ング哲学のロシアでの普及に努めた愛智会の活動(3-2)、第 3 にはミュンヘンでの友人であ ったチュッチェフとシェリングの思想の類縁性(およびチュッチェフと愛智会の詩人との比 較)(3-3)である。先行研究でもシェリングの「世界霊魂」を中心とする自然哲学、および芸 術哲学の影響は触れられてきていたが、本論考では愛智会の詩人ヴェネヴィーチノフとチ ュッチェフがともに考えていた「自己意識(自己認識) 」という概念を取り上げ、シェリン グ哲学とのあらたなつながりを明らかにした。また、シェリング哲学にある主客二元論の 克服への志向とチュッチェフの「二つの思考が同時に存在する」思考や「すべては私の中 にあり、私はすべての中に!…」という表現の類縁性、さらにはチュッチェフの詩におけ る「悪」の概念など、他のロシア詩人には見られないチュッチェフとシェリングの関係も 指摘している。チュッチェフの前期の詩においては、「悪」の概念が出現するとともに、自 然と人間の合一の感覚が失われているのである。 第 4 章で、検閲など社会面からのアプローチも加えながら論じたのは、政治論文におけ るロシア人としての「私」の自己意識である。4-1 では、チュッチェフの政治論文「ロシア とドイツ」を取り上げた。当時のヨーロッパに荒れ狂っていた反ロシア的な言説の代表的 な著作である、キュスティーヌ伯爵の『1839 年のロシア』(1843)、およびこの著作に対する 同時代のロシアの人々のさまざまな反応と比較しながら、チュッチェフの政治的な世界観 の図(図 1。9 頁に添付)を提示している。 「一つの世界には二つの独自の原理が存在し、 一方には他方が理解不可能な部分がある」――これが、チュッチェフが「他者」を考える 際の基本構造になっている。そして、チュッチェフは、これまでのロシア(東欧)に対す る西欧の態度を、「現代人のコロンブスに対する態度」になぞらえながら批判している。西. 4.

(6) 欧の人々は自分たちとは別のもうひとつのヨーロッパ(東欧・ロシア)が存在し得ないこ とを信じてきたというのである。すなわち、相手の得体の知れない、不可解な部分をその まま受け入れることなく、自分たちの尺度で理解してしまうことを批判しているのである。 ただしチュッチェフは、ヨーロッパの眼そのものは、ロシアの「自己認識(自己意識)」の ために必要であると述べている。つまり、彼自身もまたヨーロッパ(他者)の眼を用いな がらロシア(自己)を見つめているのである。4-2 では、19 世紀ロシアにおける検閲の歴史 を紹介し、さらにチュッチェフとメディアの関連をテーマとして取り上げた。近年の研究 で解明されてきたのは、彼が皇帝直属第 3 部とつながりがあり、反ロシア的な外国メディ アをコントロールしようとするロシア政府の政策に関与していたことである。また、検閲 官としてのチュッチェフのリベラルな態度を検討するとともに、ロシア文学(作家)にと って「検閲」 (およびこの時代になって生まれてきた「見知らぬ読者」 )が「他者」として 現れてきていることを指摘した。 第 5 章では、チュッチェフの創作において「自己意識」のテーマが最も強く表れており、 彼の創作のなかでも円熟期の作品と言える『デニーシエヴァ・シリーズ』 (以下『シリーズ』 と略記)を考察の対象とした。5-1 では、『シリーズ』の伝記的背景(チュッチェフと若い 恋人デニーシエヴァの恋愛。『シリーズ』の主人公とヒロインは、ほぼチュッチェフとデニ ーシエヴァと同一人物であると考えられる。また『シリーズ』はデニーシエヴァの死(1864) を境として時間的に二つの作品群に分けることができる)を紹介し、詩「さだめ」(1851-1852) において「魂の合一」、「運命付けられた決闘」と表現された『シリーズ』の持つ性格を端 的に示した。5-2 では『シリーズ』の中でも特に、詩「言わないで。彼がわたしを、昔のよ うに愛している、と…」(1852)(詩①)と「おお、もっともな叱責で私を苦しめないでおく れ!…」(1850-51)(詩②)を取り上げ、チュッチェフが詩①をロール・リリックの形式(「抒 情的我」はヒロインに設定され、主人公は「彼」として現れる)にした意味を考えながら 図 2(9 頁に添付)を提示した。つまり、詩①では形式的にも内容的にも主人公が把握でき ない、 「不可解」な要素(一行だけの 4 脚弱強格、第三者)が作り出されているのである。 そして、チュッチェフの主人公はこのシリーズで、ヒロインの眼から見た自身について思 考することで確かな自己意識を得ている。図 2 の構図が、4-1 で示した図 1 とほぼ同一であ ることが分かるが、チュッチェフは同じ構図を詩「おお、預言的なわが魂よ…」における 自身の内的世界の描写でも用いている(図 3。10 頁に添付) 。こうして、チュッチェフは「自 己」にも「他者」にも「不可解さ」を見出しているのである。5-3 では、『シリーズ』の持 つもうひとつの重要なテーマ「合一」について論じた。 『シリーズ』の主人公はヒロインと の「魂の合一」を通して、チュッチェフの詩の世界で失われていた「自然と人間との合一」 を取り戻している。これは詩に描かれる空間の性格の変化からも窺い知ることができる。 また、詩「赤々と、燃えあがる炎…」(1855)にある「君は私とともにあり、君のすべては私 のなかに」という詩行は、3-3 でシェリング哲学との関係において触れた詩「灰色の陰影が とけあい…」(1831-36)の「すべては私の中にあり、私はすべての中に!」という詩行を意 識したものであろう。本論考ではヒロインの存在をシェリング哲学の「人格神」の概念を もとに読み解いている。このように、恋愛詩として前期の自然を描いた哲学的な詩とはこ れまで一線を画されてきた『シリーズ』に深い哲学性が潜んでいたのである。このヒロイ ン像は、ソロヴィヨフの「ソフィア」や、象徴主義の詩人たちの「永遠の女性」像の先駆. 5.

(7) けとも言える。 第 6 章では、 (1844 年のロシア帰国後から)1850 年代の著作、とりわけ 1855 年の著作に 焦点を当てながら、チュッチェフのロシア人としての「私」の意識と信仰の問題に関して 述べた。この時代の彼の作品に影を落としているのはクリミア戦争と皇帝ニコライ 1 世の 死であった。6-1 では、ネクラーソフが(ロシアの文壇においてそれまで忘れ去られていた) チュッチェフについて書いた論文「ロシアの二流詩人たち」にもとづいて、1850 年当時の ロシア文学におけるチュッチェフの位置を考えた。この考察によって、チュッチェフがロ シア詩のつながりにおける通時的(プーシキンの世代とネクラーソフの世代)、共時的(ネ クラーソフとフェート)な空白を埋める存在であったことが明らかになった。6-2 では、チ ュッチェフの政治論文(および政治詩、書簡)を分析し、彼の描くロシアのイメージの変 遷をたどった。チュッチェフがロシアに見た 3 点の特徴①広大さ ②何もないこと=空虚 ③人がいないこと=無人. と同時代の人々の持つイメージと比較しつつ、ロシアを見つめ. るチュッチェフの視点の特徴を論じている。6-3 では、チュッチェフの詩「この哀れな村た ちよ…」(1855)と画家アレクサンドル・イヴァーノフ(1806-1858)の作品『民衆の前に現れた キリスト』 (制作は 1836-1855 以前)というほぼ同じ時期に発表されたキリストを描いた二 つの作品を比較しながら、チュッチェフのキリスト・イメージについて検討した。詩「こ の哀れな村たちよ…」はこれまでスラヴ派的な作品とされてきた。チュッチェフには確か にスラヴ派的な、プロパガンダ色の強い作品もあるが、本論考ではこの作品(およびキリ スト・イメージ)をスラヴ派と区別し、チュッチェフの個人的な感情が吐露されたもので あると考える。そして、空虚なロシアのなかでチュッチェフにとって絶対的な存在であっ たニコライ 1 世の死が、キリストを描く契機となっているのではないかと推論した。本論 考ではさらに、詩「おお、預言的なわが魂よ!…」とともに全作品中で 1855 年の 2 篇の詩 にだけキリストが描かれることにも注目した。そして、それまで「信仰」と「不信仰」の 狭間で揺れていたチュッチェフがロシアの現実を見据えながら、その荒唐無稽さをなかば 認識しながらキリスト・イメージを提示したのであり、そこには彼独自の信仰の姿が現れ ていると結論した。6-4 ではさらに、チュッチェフの、教会など公式の宗教とは縁のない信 仰・信じるという「不可解さ」をふまえた行為が「自己意識」と結びついていることを述 べ、ドストエフスキー、さらにはアンドレイ・タルコフスキーにまでつながる信仰の系譜 を示した。また、ドストエフスキーの「プーシキン演説」のなかで引用された詩を足がか りに、チュッチェフが『シリーズ』のヒロイン、およびロシアに付した「不可解さ」を彼 の創作の特徴として確認している。 終章 1 で考察対象としたのは、1864 年(ヒロインの死)以降の『シリーズ』と 1860 年代 の抒情詩、および政治論文である。チュッチェフの世界観には変化が生じており、『シリー ズ』ではヒロインの死によって主人公は確固たる「自己意識」を失い、再び自然と人間と の合一の感覚も失われている。また、ロシアと西欧の問題に関しては、クリミア戦争での 敗北以降、ロシア対西欧、つまり「一対一」の対決の構図はなくなり、世界の中のロシア ( 「一対多」あるいは「多の中の一」 )という思考に移行している。それまでの図 1 のよう な構図を組み合わせたポリフォニックな、多元的な世界が描き出されているのである。ま た、詩「ロシアは―頭ではわからない…」(1866)や「自然は――スフィンクス、よりたし かに…」(1869)に見られるように、ロシアや自然に対する「不可解さ」はそのまま保たれて. 6.

(8) いることが分かる。終章 2 では、本論考で考察してきた「空虚」や「不可解さ」、 「自己意 識」が現代ロシアに至るまでどのように受け継がれていったのかについて、アルセーニー・ タルコフスキー(1907-1989)の詩に現れた「通りすがり」の形象にもとづいて分析した。な お終章 3 は本論考のまとめとなる部分であり、次項 4)研究の成果において内容を述べる。 4). 研究の成果 終章 3 では、 「私」をめぐる四つの関係(①「私と他者(人間) 」 ②「ロシアと西欧」. ③「私と自然」. ④「私とロシア」)を中心にこれまでの考察をまとめた。しかし、本概. 要では、ロシア思想に関するボリス・グロイスの論文「ロシアの国民的アイデンティティ の模索」(1998)を参照しながら、チュッチェフの著作における「不可解さ」の意味を論じた 箇所を記しておく。 チュッチェフは抒情詩において、他者に「不可解さ」を付与した。とりわけ『シリーズ』 のヒロインに付した「不可解さ」は、ミハイル・バフチーンがドスエトエフスキーの小説 の主人公の自意識について述べた「小さな規模のコペルニクス的転回」を髣髴させる。『シ リーズ』の詩では、登場人物の自己意識が分析されながら、同時に詩人によっても把握で きていないような自立した部分がわずかではあるが作り出されていた。もちろん、ヒロイ ンの「不可解さ」を生み出す原動力となった詩「言わないで。彼がわたしを、昔のように 愛している、と…」(1852)のようなロール・リリックを作り続けていけば、詩は大きな内容 (分量)を持つことになり、それはもはや純粋な抒情詩ではなくなってしまうだろう。し かし、チュッチェフの意義は、ドストエフスキーが小説で行なったのと同様の「転回」を 抒情詩というミクロコスモスのなかで示したことにある。 キュスティーヌ伯爵は著作の中で「ロシアの謎は解かれた」と高らかに宣言している。 これはロシアにとって西欧への屈服(西欧文明への吸収・埋没)を意味しており、「個」と しての死の宣告に等しい。スラヴ派、ロシア性をめぐる議論、パンスラヴ主義といった一 連の思想に対するグロイスの見方は批判的ではあるが、正当なものである。つまり、彼ら は「空虚」のなかに、逆転的に「空虚『ゆえ』の」偉大な価値を見出しているのである。 客観的に見れば、これは過大評価であり価値の不条理な転倒でしかない。しかし、こうし た考え方を完全に否定してしまって「空虚は空虚でしかない」と断言してしまえば、キュ スティーヌの「謎は解かれた」という確信やあるいはオリエンタリズムと同じ轍を踏むこ とになる。どちらも極端な思考である。チュッチェフの「不可解さ」 「謎」という考え方は、 その中間にバランスよく位置しているように思われる。これは他者について判断しないと いう消極的な態度ではない。「不可解さ」という自立性の余地を相手に残したうえでのコミ ュニケーションのスタイルである。思想や詩において特定の流派に属さなかったチュッチ ェフらしい柔軟性とも言えるだろう。この柔軟性はミュンヘンでの友人であったシェリン グ思想とも響きあうものである。 ①「私と他者(人間)」と②「ロシアと西欧」は、どちらの関係が先に生まれているのか、 影響の方向性を明白に示すことは難しいが、少なくともふたつの思考がチュッチェフの作 品において密接に結びつき、またそれぞれの思考の領域から自由に浸透しあっていること がわかる。文学史の視点から考えるならば、ロシアと西欧の関係と同じ構造での「自己認 識」を抒情詩の世界にも用いたことがチュッチェフの特徴となるだろう。そして、本論考. 7.

(9) で示した、図 1、図 2、図 3 が「入れ子構造」を作り出しているのである。 チュッチェフは「空虚」であるロシアや自己自身と、その生涯を通して向き合ってきた。 彼はロシアの「無/何もない」 「空虚」に、自身が内部に持っている「卑小さ」を呼応さ せている。そして、チャアダーエフやホミャコーフが「何もない」ことを根拠として、論 理的に飛躍しながら逆転的に価値を見出していったのに対し、チュッチェフは「その内奥 に何かがある」という「不可解さ」を提示するにとどめているのである。 「不可解さ」は価 値ではなく、コミュニケーションの条件のようなものである。チャアダーエフが『哲学書 簡』でロシアについて触れた、そしてチュッチェフ自身が人間存在のなかに痛感していた 「卑小さ」という、いわば「無」や「空虚」であるものに、あいまいではあるが「不可解 さ」という内容を加えたのであった。 では、チュッチェフが、ロシア、内的世界、 『シリーズ』のヒロインといった対象に付与 した「不可解さ」にはどのような意味があったのだろうか。終章ではサイードの『オリエ ンタリズム』、および西川長夫によるその読みときを援用しながら、チュッチェフの思想に おけるこの「不可解さ」に「オリエンタリズム」を克服するひとつの可能性を見出してい る。チュッチェフの著作がオリエンタリズムと同じように自己充足的な世界に陥らなかっ たのは、他者を描写する際に、他者の持つ「不可解さ」をそのまま残したためであった。 そして、そうした「不可解な」他者の眼を感じることで、自身の内部にもこの「不可解さ」 の存在を見出し、確固たる自己意識が生み出されているのである。自己に対して、他者に 対して、そしてロシアに対しても「不可解さ」を存在のよりどころとしている。チュッチ ェフの著作においては、この「不可解さ」こそが存在の重要な根拠のひとつなのである。 本論考における考察で、ヨーロッパに対するロシアの位置(およびその意識)が文学に も影響して、文学上にこうした「自己」や「他者」が生まれてきていることが理解された ように思われる。19 世紀の一時期、世界(ヨーロッパ)の舞台に、主役(あるいは敵方で ある準主役)として颯爽と現れたロシア、そして、見る側でもあり、見られる側でもあっ たロシアであったからこそ、そこからこうした思想が生まれてきたのだと言えるだろう。 また、第 6 章、終章においては、バフチーンがドストエフスキーの作品世界に発見した「自 己意識」と「ポリフォニー」についても論じてきた。チュッチェフの著作の中での「自己 意識」の変遷を見てきた私たちは、ポリフォニックな世界がロシアの芸術において生み出 されたことには、ヨーロッパおよび世界との関係のなかにおかれた 19 世紀ロシアの「自己 意識」が大きな影響を与えていると考えることができるのではないだろうか。その作業に おいて重要な役割を果たしたのが、チュッチェフをはじめとする「ヨーロッパ的ロシア人」 と言われる独特な視点をもった人たちであった。 「ヨーロッパ的ロシア人」と言われる人々 は多いが、とりわけチュッチェフの場合は、当時のロシアの鎖国的な状況のなかで、情報 を貪欲に追いかけ、さらには外交官(検閲官)として外国の新聞・雑誌を制限なく自由に、 心おきなく読めるという特権によって、ロシアを見つめる眼は培われていたのである。. 8.

(10) 博士論文概要 図1. 資料. (図表および目次). 「西欧とロシア・東欧」. A(B1+B2) :ヨーロッパ (ひとつの有機体). B1:西欧(西欧人). B2:ロシア・東欧. (視点). (ロシア人). B2-1:キリスト教 (西欧の姉妹). 図2. B2-2: 「不可解な部 分」. 『デニーシエヴァ・シリーズ』における「主人公とヒロイン」. (詩①+詩②) 共有される世界. 詩②:主人公. 詩①:ヒロイン. 6 脚弱強格. 6 脚弱強格. 5 脚弱強格:ヒロイ. 4 脚弱強格:第三者. ン(主人公が把握). (不可解). 9.

(11) 図3. 「チュッチェフの内的世界」. A(B1+B2) 主人公:бытие. B1 心:сердце. B2 魂:душа. 日常・意識. 女性(のイメージ). B2-1 情熱:мир дня. B2-2 予言的・不可解 :мир сна. 10.

(12) フョードル・チュッチェフ研究 ― 19 世紀ロシアの「自己意識」― 目. 次 頁 1. 序 章. 第 1 章 詩人の「自己意識」 、哲学者の「自己意識」―チュッチェフとチャアダーエフ 17 第 2 章 1820-1840 年代のロシアの抒情詩における「私」 2-1 自然と人間 2-2 チュッチェフとプーシキン 2-3 チュッチェフの「薄闇 сумрак」 2-4 詩「シレンチウム!」について. 22 33 50 59. 第 3 章 シェリング哲学と「自己意識」 3-1 ロシアとシェリング哲学 3-2 「愛智会」とシェリング 3-3 チュッチェフとシェリング. 71 79 87. 第 4 章 チュッチェフと 19 世紀ロシアの社会・政治思想 4-1 チュッチェフの政治論文における「自己」と「他者」 4-2 ロシアにおける検閲―検閲官としてのチュッチェフ. 100 117. 第 5 章 『デニーシエヴァ・シリーズ』における「自己意識」 5-1 『デニーシエヴァ・シリーズ』について 5-2 チュッチェフの抒情詩における内的世界 5-3 『デニーシエヴァ・シリーズ』における「合一」の変奏. 134 140 154. 第 6 章 チュッチェフの著作におけるロシア(クリミア戦争とニコライ 1 世の死) 6-1 ネクラーソフ論文「ロシアの二流詩人たち」をめぐって 6-2 チュッチェフの著作におけるロシア・イメージ 6-3 1855 年のキリスト―チュッチェフとイヴァーノフ 6-4 ロシアの信仰の系譜―チュッチェフとドストエフスキー. 168 182 193 206. 終 章 1 デニーシエヴァの死、1860 年代以降のチュッチェフの世界観の変化 2 チュッチェフから現代ロシアへ (アルセーニー・タルコフスキーの詩における「通りすがり」 ) 3 19 世紀ロシアの「自己意識」. 233 245. 参考文献一覧 目次(ロシア語). 254 264. 219. *本論文の 1 頁(1600 字)は 400 字詰原稿用紙 4 枚、全体(264 頁)では 1056 枚に相当する。 11.

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参照

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