江州甲賀の杣・木挽仲間について
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(2) . 第5 巻 第1号. 北 海 道 学 馨 大 学 紀 要 (第一部). ・. 昭和29年8月. 汀 州 甲 賀 の 柚 ・木 挽 仲 間 に つ い て 石. 沢. ・. 轍. 北海道学聾大学旭川分校史学研究室. Tるru ISHIZAWA : A study on the Cra f t of Wr oodmen a1 ・d Sawyers in Kるga Gosh負 ,. 次. 目. 革 口. 江州軸・木挽仲間の意. 義. 江州柚・木挽仲間の構. 成. イ、 京都禁裏並に幕府の 誉造物建設に当っての 義務. 閏 木挽 中間の対タト・対内 関係 イ. ‐役免 ロ、 代償としての諸 除. -、 序. 回. 官司に対する関係. ロ 仲間相互の関係 ノ ・ 仲間の権利侵害に対. ハ、 江州都 ー・木挽仲間の 機能. ニ 仲間の内部関係. 日 江州袖・木挽仲間の浩. 以. 言. 本論女は、 江州甲賀郡貴生川町大字宇川 (元宇治河原 村) 共有文書並に、 同郡柏木村大字泉の共有 文 書 の探. する処置 上. た。 特に断らな い場合は、 すべて字月枚書による。 本論 文は、 出来るだけ資料紹介の意味をかねて 資料を本文 、 の中に挿入して註としなかった。. 訪、 調査に基く研究である。 昭和二年十月一日刊行の田. 二、 江湖の袖・木挽仲間の意義. 島錦治博士の還暦組念論文集に黒正巌博士が 「江州甲賀. 封建社会に於ては、 武士達はその需要を確保するため に、 商業を保護し、 干渉 していた。 そのために、 特定の 商業者に独占権を輿え、 それに対して一種の消費税徴」及. の大工仲間」 について述 べられているが、 それと殆んど 類似のクラフト・ギル ドと しての柚・木挽仲間のことに ついての研究であるので、 本論女の作成の便宜上、 同博 士の論述の序目に従って、 まとめる事 にする。 勿論 同 、. 氏の論文は主として甲賀郡寺庄村深川の小出九平氏所蔵. の任に当らしめて、 財政的必要をも充たすように してい. た。 徳川時代には、 重要な商業は殆んどすべて座叉は株 仲間と称する団体を組織 していたので あり、 厳格な独 占. の文書による大工仲間の研究であるが、 これ は 宇 川 文. 権をもっていた。. 書、 泉村文書による袖・木挽仲間の研究である。 然 しこ の研究は同氏の論文を補うような意味をもっている事は. 然るに工業者については、 その特別な技能的素養を要 する事、 極端な競争の必要の少い事、 勇み肌の職人気質. 云うまでもない、 資料としては、 主と して宇川文書により、 それに僅少. の考慮から、 幕府は職人の団結と独占権をみとめなかっ たが、 特殊の由緒や経済的関係のあるもののみについて みとめた。 江州の柚・木挽仲間は、 大工仲間と同じく特. ながら泉村文書を加 え、 それらを補うに滋賀厭史・甲賀 郡志・ 日本経済史 (竹越輿三郎) 掲出の資料をもって し 一 39. 殊の由緒に基いて、 多くの特権を輿えられて、 仲間を組.
(3) . 石. 織 し、 クラフト・ ギル ドと しての機能を示 していたので ある。. 徳川時代には、 五畿内及び江州の大工・柚・木挽の三 蔵は京都禁裏並に幕狩の営造物の建設に対して、 特定の 奉仕をす べき義務を負わさ れ、 それと同時に、 彼らはク ・確保すると ラフト・ ギル ドとしての保護 を受け独占権を の であ けていた の待遇をう 共に更に村に於ける諸役御免 る。. (イ) 京都禁裏並に幕府の営造物建設に当 っ て の 義. 務。 に 字川女書の紹介を乗ねて、 これらの義務はどのよう・ 以下特に但 ( 行われていたかについて述 べる事にする。. ) 書をせぬ場合は、 す べて字川女書である。. 覚 此度禁裏院中御普請御用之御手麦二付、 汀州甲賀郡中 ェ御郡代衆御廻紙御出シ篇吟味森作右ヱ門指下シ候処二 大鋸高弐拾七ヶ村之内拾ヶ村者、 故を致領状候得共、 人 数不分明之由、 残七ヶ村者、 致難渋徒御郡代衆被仰渡儀 相背申二付重而中村虎助篇吟味指下候。 御用役之木挽下 ・可 知次第於罷出者、 故帳面二可致印形候。 若シ令違背者 篇越度者也。 中. 二月 廿七日. 江州甲賀郡. 主. 水. 治 安. 沢. ◎. のである。 これは、 甲賀木挽の大鋸高木挽 (役木挽) と 平木挽にあてて出している。 役木挽は高に陛じて負担せ ねばな らぬであろうし、 平木挽は労力を提供せねばなら なかったようである。 これに対して氏河 原 村 で は、 庄 屋・年寄の名で木挽十二名をあげて寛を出したわけであ る。 造営のための大鋸高並に人数改 である。 こ の 覚 で は、 合十二名としているのに、 同年同月 の人別故-隈には 十六名となっている。. 大鋸・柚木挽人別畝帳 大鋸高村中預り 二石三升 高九十 、 挽 木 瀬兵ヱ、 三郎兵ヱ、 源八、 ……… (以下省略) 十六人 合. 今度禁裏院中様御普請御用木挽御手麦二付、 被仰付候 趣奉承知則当村吟味仕候 人別相故右之通壱人も相違無 御座候 若隠置外より露顕仕候は、 越度可被仰付候。 尤 御作事初り次第随御下知壱人も不残出之御用等相勤可申 候。 鴬後日依而如件。 宝永六年 丑二月 甲賀郡氏河原村 新右ヱ門 庄屋 顔右ヱ門 年寄 中村虎肋様. 大鋸高木挽共. 氏川原村の大鋸高は、 宝永四年四月 の報告では、. 同廿七ヶ村平木挽共、. 鳥居伊賀守様湘1知行所 江州甲賀郡氏川原村 一、 七十九石三升 (寛永年中持主 若右ヱ門). 寛 奥三兵衛 (以下省略) 合. 内. 拾 二人. 新右ヱ門. 年寄. 菌右ヱ門. ・当分借り高二付上ル 是ノ 七十三石四 斗三升 惣持也. 一、 拾三石 寛永年中. 村. 虎 助. 持主. オ 沫. 西. 林西株退鴎仕候 二口合、 八拾六石四斗三升. 宝永六年丑二月 中. 若右ヱ門子孫. 権十郎. 右之者共峠二罷出候 尤御差図次第差出シ御用篇相勤可申候 以-ヒ 甲賀郡氏河原村 庄屋. 五石六斗. 庄屋. 殿. これによると禁裏 院中普請の御用で、 甲賀郡に御 郡代 ・下 っ た 衆より廻状を出し、 森作右ヱ門がそれを調査・に が、 甲賀郡二十七ヶ村の中、 十ヶ村は大鋸高 及び人 員改 を致し、 その負担を了承したが、 人数は不分 明 で あ っ たo 残りの十七ヶ村は郡代衆から仰波されたるにも拘 らず 相 背いているので、 重ねて五畿内及び江州六ヶ国柚・木. 挽頭の一人たる中村虎助が吟味のために指下ったので下 知次第、 御用役の木挽を差出すべしと大工・柚・木挽仲. 新右ヱ門預り. 古検写 惣合 九拾三石三升 ・庄屋支配二仕候へ共、 高役無差引ヶ高大鋸御用御 是ノ 役儀急度相勤申候 (以下御免役のことを記 しているので省略して次草へ ゆずる。) 大津代 官への報告には、 (正徳 二年九月) 加藤左膳殿知行所 江 州甲賀 郡氏川原村. 間の関係役 所たる中井主永 (世襲職) より命令 している - 40 -. 、 前々より役引高、 九十二石 三升 権十郎 内、 五石六斗 柚木引.
(4) . 江州甲賀の柚・木挽仲間について 残ヲ. 八十六石四斗三升預り. 庄屋 新右ヱ門. 以上の如き大鋸高、 木挽人数の改めが (調査) 、 屡々行. 庄屋 新右ヱ門 年寄 金右ヱ門 同郡三雲村組頭 孫太郎. われているが、 先の禁裏院中普請と関係あるものと思わ れる文書に、 高割付によって氏川原村は九人出す べき所 を二人 しか出さなかったので至急不足人足を出す べ しと. 留兵ヱ. 同郡北脇村組頭 右之通相違無御座候. 以. の命令が中村虎助 (木挽頭) から出されている。. 上. 正徳二壬辰九月 雨宮庄九郎殿 雨宮源次郎殿. 右之通大津御代官家へ御畝指上申候、 以書。 因みに、 当村の総高内訳は、 天明七年四月 廿 三 日 の 「書上-帳」 によれば、. 一、 高八百九拾九石五升 内、 二百九十八石九斗八升五合 永荒、 川成. 禁裏院中御作事御用二付、 甲賀郡山北組大鋸仲間御役 木挽百人衣仰付置候。 御普請御急二付、 木挽手麦候故、 候処、 九ヶ村之内八ヶ村右百人之割、 凡相 役木挽数相改 , 揃候。 氏川原村より高割付木挽九人可出申之処、 漸々二 人出し候二付、 年中行事肝煎へ相尋候処、 右之割申触候 ても滞候由闇、 不屈之至二候。 右七人之不足木挽来ル廿 六- 日進二急度出シ可被申候。 遅 延 有 之 候ノ ・・可及越度. 候 己上 中村虎助. 高二四ッ四分之毛内、. 十一月廿三日. 毛付高. 六百石六升五合. 氏河原大鋸肝煎. 六ッ六分壱毛余. 一、 家数. (花 押). 三拾七石二斗四升四合. 大工高. 槍以御急候間、 御用之義重而年行事より申触 , 候。 延引 無之可被仰付候。. 九拾二石三升. 大鋸高. 以上の資料は割付人員を氏川原村が出さぬた めに、 更. 助郷高. に出すように注意されたものであるが、 禁裏造営・幕府 御用のために、 預め心得として中村虎助より出 した書状. ,. 残テ七百六拾九石七斗七升六合 但. 前. 高預り庄屋 新左ヱ門殿. 右者拾年之余定免ニ而御座候 右 八百九拾九石五升 内. 筑. 権重郎殿. ・当村ニ無御座候 磁多高之儀ノ 九拾七軒. がある。 春宮御殿普請について、 享保十二年の文書があ. (以下省略). るので、 次の文書は年次不明なるも恐らくは享保十二年 の末の年のものであろうか。. 以上の高に隙 じて、 禁裏、 幕府の御用の際に負担す べ き義務があるが、 それは労力による提供のみでなく、 金 銭に替えて差出す場合も多いよ うである。 助郷高の如き も金銭 にて 差出すのが普通であったように。 この金銭に よる貢納と思われる資料として次のものがみられる。 覚 (年月不明。 申五月廿二日とある、). 一、 七百廿六女 拾石二付七十五女七分ヅツ高割 一、 四百女 村割 一、 三拾匁六分九リン 百石二付三十三匁三分五リン ヅッ高割. 春宮御殿御普請〒付、 如前大鋸木挽御用被仰付候。 末 ・不定候得共、 鴬心得申触候。 来正月早々初り 手助之儀ノ 可申由御噂ニテ高掛役木挽之義其節被仰付次第 可 申 遣 候。. 一、 山北組八ヶ村年行事定近年隈加ましく有之候間、 右御用之坂噌井ニ来ル申ノ年中迄之年行事酒人村より四 兵ヱ、 泉村嘉右ヱ門両人ェ申付候間、 相残大鋸肝煎平二 申合セ無滞相勤候様之心得可在之候。 別此趣役所へも申 達加此ニ候. 右之通当月廿六日二酒人村由兵ヱ方迄無相違御出シ可 被下候 以上 泉. 村 善右ヱ門. 末十二月七日 江州甲賀 郡. 中村虎助 大鋸. 山 北 組 泉. ◎. 村. 三雲村 平松村 氏河原村. 酒人村 由 兵 ヱ ◎ さるノ五月廿二日 氏川原村. 以上. 若右ヱ門殿. 惣高 〆 八百拾九石八斗 京木引 五百弐拾六人 壱人ニ付五分ヅッ. 植. 酒人村由兵ヱは、 山コ臨温の組頭であったようだ。 氏川. 原村若右ヱ門は大鋸肝煎であった。 公儀御用のために、 - 41 -. 村. 宇田村 平野村 酒人村.
(5) . 石. 撒. 沢. 北組中から氏川原村の大鋸高を除くべしと木挽頭中村虎. 右大鋸肝煎中. る時期を知らせ正月 より初るらしいから心得ておくよう. 助に願出たろに、 中村虎助より組中のものに了簡させて 除かぬことにしたので、 これからの諸参会には必ず出席 して義務を果すとの一札を中村虎助へ出しているのであ. にと申している。 尚、 山北組の年行事を二人任命 してい. る。. 同. 高預り庄屋中. 急に御用命があっては困るであろうので予め普請の初. 一 札 之 事. る。. 次の資料は、 懇々山北組へ人員を出すようにとの命令 である。. 就 春宮御殿御普請御用先達而京都大鋸木挽罷出相勤居申 候処、 追々増人数被仰付候間、 山北組より役木挽弐拾人 当月 十七日二被至京着十八日より御普請場所へ相勤様二. 無相違可破申候 申. 以上 中村虎助. 四月十日. 江州甲賀郡. 山北組. 大鋸高村々 大鋸肝煎中. 一、 此度朝鮮人来聴御用二付、 大鋸高篇御改、 年行事 依之字川二大鋸肝煎中参会在之候処二、 拙 . 迄御廻厭被下 者不参仕候段誤り二御座像。 就夫私議常々仲間諸参会に も不参仕組中之支配ニ相背御用之支障二付、 此度駿河守 ・氏河原村之高 ヲ相除度由、 組中より 様へ差上ヶ申帳面ノ. 担中得心被致恭率存候。 然上ノ ・向 被願候処ニ被下了簡、系 後何事二不寄仲間諸参会立会可申候。 其外年行事より申 渡候儀御違背申間敷候。 鴬後日証人加判一札如件。 江州甲賀郡氏河原村 大鋸肝煎 権十郎 庄屋新右ヱ門病気二付 年寄. 同高預り庄屋中 酒人村肝煎 泉村. 同断. 金 太 郎 半 太 郎. 四兵ヱとの 正徳元年. 嘉右ヱ門との. 中. 以上の如き春宮御隣普請についての命令が出されたの であ るが、 それについて、 宇田・三雲・氏 川原村三村は 大鋸高村惣持 であるので、 即ち、 庄屋預りであるので、. 村. 卯十一月 虎. 助 殿. 寛政元年十月の御所造営普請御用の仰波書は、.その具 体的内容を知るに便宜である。. 寛政元年酉十月大鋸高持へ被二仰渡-御書付之写. 高持の役木挽は一人もないから、 これら三村の木挽は、. 即ち、 役木挽でない。 従って、 役木挽に対する義務負担 である春宮普請の負 担を負う必要はない。 同じく役木挽 の負う べき運上の事も負担す べき理由がないと考えられ るが如何に解す べきものか京都へたづねるにつし て、 領 主・(地頭) より尋ねてもらった方がよいか、 それとも庄 屋より直接尋ねて 然る べきかについて、 大庄屋に尋ねる 書状が存しているが (享保 十三年正月廿五日付) 長くな るので省 略する。 木挽頭の中村虎肋の方では、 出来るだ けか る際には、 村の役木挽を多くして其の負担を負わ せようとするのであるが、 村の方では役木挽は存在 しな いと称して、 その役木挽にか}る負担の義務を免れんと するの である。 村の方では、 大鋸高は惣村預 り高である し、 村の高持木挽は、 村からの借り高特の木挽であるか ら、 員の高持木挽・役木挽ではない と、 即ち、 配分米版 の木挽 (村高の中からの配分米坂の木挽) であると解 し て、 諸負担を免れんとするのである。 然 し、 如何に、 こ の義務的負担を軽減 し、 免れんと願うも、 組,より追放さ れては、 木挽職が出来なくなるので、 やはり組と して負. (甲賀郡志五〇八頁). 此度御所方御造営御普請御用二付、 五畿内近江六ヶ国 役木挽共篇二呼登-御用篇ニ相勤-候。 右惣木挽共之内往 古より大鋸高致二所持一夫役被し免候者有し之候。 右大鋸 高所持の者は、 木挽職不 致候ても木挽指出し御用相勤 贋者は 候先格に候。 将亦大鋸高不 致二所持-木挽職計致 ・ 自身罷登御用相勤候儀に候。 依し之明和七寅年仙洞御所 御普請の節、 大鋸高不 致二所持-木挽職計致候者は、 走 りの日数銘々相勤、 大鋸高所持之者は、 高百石に付木挽 十人指出候割合に而相勤、 且叉大鋸高所持致木挽職も致 候者は、 木挽顔役外並同様に相勤高掛り者右之割合にて 別に相勤優越に候。 然る処、 此度御用御大造之儀に付、 木挽出人数も多、 其上近年村方困窮に付、 及二難儀-候 間、 大鋸高掛り之儀高百石に付四人或者三人之割にて相 勤候様致度旨将亦大鋸高所持致し木挽職致候者顔役高掛 り二重に相勤候而難儀に付、 顔役一通り相勤度旨申立、 将亦、 輿類年寄大鋸高所持之者は、 高掛り赦免之儀中立 並大鋸高夫役赦免無 之分は、 地頭掛ヶ合之儀相願候に 付、.右一件左之通り申渡候。. うべき義務や負担は果さねばならぬ。. 次の資料は氏川原村大鋸肝煎権十郎が朝鮮人来聴の際 の御用負担の割 当の相談の時に参会せざり しために、 山. 一、 大鋸高致二所持-、 職分不し致者此度者高百石に 付、 四人掛 りに相勤可し申候。. - 42 -.
(6) . 江州甲賀の柚・木挽仲間について 一、 大鋸高所持致職分致候者常々被し免ものの外に 、 自身之稼も致候事故、 高百石に付四人掛り之儀は 前段 、 同様相勤候上此度惣御用に外主より者二役余慶 相勤可し 申候0 左候得者被し免物有し之候職分も致候訳相立候間 左之通相心得可し申候。. 之上二て一所二御願可被成候事、 一、 此儀二付別心有間数と存候間 来る十八日二酒人 、. 村国中へ五ツニ御寄可被成候事、 篇其態々如此ニ御座候 正月十五 日. 一、 輿頭年寄人数之差付御場所之世話等候に付 右翼 、 頭年寄所持之大鋸高は、 高百石に付、 一人掛り之割にて 指出し可 申候。 一、 大鋸高夫役地頭より赦免無し之分掛合之儀相頗候 此儀はいっ比迄赦免有し之いつ比より赦免無 之と申儀 相札地頭並役人名前等相礼可二申出-候。 其上地頭へ掛 け合可し遣候。 併し年久敷赦免之儀及二中絶-掛合候而も 赦免無し之時者・村方之平高と同様に大鋸高之訳不二相立 - 事故、 此分者高掛け差免可じ申候。 此儀は、 地頭掛け. おか役人 孫 太 郎 、 同. 木挽仲間は、 先に述べたような義務があるが その代 、 償と して諸役を免ぜ られている。 先に引用した宝永四年 四月の中井役所へ提出 した大鋸高報告書の内に 此等の 、 諸役免除に ついて次の如く列挙して いる 。. 一、 宿助馬、 助人足御赦免二而御座候 一、 横田川橋入用人足並道中掃除人足御赦免二而候 一、 堤川除普請等之人足他村ェ出哲鱒隣ノ ・御赦免二而候 百姓並二役鱗相勤候分. これをみると大鋸高所持 して職分致さざる者と 大鋸 、. ものは、 中井役所(中藤三郎)より掛合ぅと述べている。. 尚、 木挽用命に付、 打合せの篇の寄合の召集を山北組年 行事から各村の肝煎に出した通牒が次の資料である。. 一、 地1二而堤川除井水人足之儀ノ ・百姓なみ相勤申候. 一、 毛見に御廻り被成候賀寵人足之儀ノ ・百姓なみに相 勤申候 一、 役人家御年貢納二御越成候駕こ人足百姓なみ相勤 申候 一、 御納所御普請並二御蔵番百姓なみ相勤申候 一、 御制札場普請之入用百姓なみ相勤申候 .御蔵欠米津出 一、 ・百姓なみに相勤申候 シ之義ノ. (年次不明). 右之通吟味仕り相違無御座候. 拙者共今日下り申候、 夫二付、 北方より木挽五十人被 仰付候間、 村々にて木挽之吟味後成、 明八日辰之刻二国 中へ御寄合可被成候。 篇其如止 ヒニ候、 以上 酒人村. おか役人. (口) 代償と しての諸役免除. 相心得可し申候事。 酉十月 中藤三郎 御役所. ではないだろうか) 年寄の場合の負担分と各々分けて命 且、 大鋸高の夫役は免除なるに免除となっていない じ、.. 三雲村木挽中. 氏川原村庄屋殿へ. 合之上ならでは、 治定之儀は難二申渡-候間 先右之通 、. 高所持し職分も致せる者、 世話役である輿頭 (組頭の誤. 以上. 宝永四年丁亥 四月. 由兵ヱ. 子ノ十月七日. 大鋸肝煎. 久右ヱ門. 庄. や. 新右ヱ門. 寄. 久 兵 ヱ. 年. 植村権三殿. ″. 宇田村、 善右 ヱ門殿. 理右ヱ門. 中井主水様. 氏河原村、 権十郎殿 右村々大鋸肝煎. ’. 以上. 中井源八郎様. 中. 国中とは酒人村国中明神で、 こ で木挽の参会は屡々 行われている。 由兵ヱは、 山北組の年行事を命ぜられて いるものであろう。 かくの如く木挽出動に当っては そ 、 の細工場所は山北組として一所にて働く方がよいので 、 ー所にて働かせてもらいたいとの願書を出すべき参会の 寄合が行われる。 (年次不明) 正月十五日. 一、 今度木挽細工場所二付、 新面之儀、 被初候二付 、 当村木挽共不残打寄願之筋之儀相極候間、 其元お加 (大 鋸、 筆者謎) 高之村々にておか役人木挽衆中御寄御相談. これは、 氏川原村役木挽の諸役免除の具体的な実例で あるが、 泉村文書には氏川原村・泉村・北脇村・深川村 の報告書があり、 甲賀郡志五一四頁には井沢庄五郎氏所 蔵文書として同一のものが記載されて いる 寛政六年寅 、 正月の日付であるが、 その内容は多少先に紹介 したもの と異る所があるが、 ほ ゞ同一であるので省略する。 然 しながら次の井沢庄三郎氏所蔵女書による資料は 、 諸役御赦免の訳として、 その内訳が一般的に書きあげら れているので引用 しておく。. 五畿内並近江国大工柚役高御赦免之訳 一、 夫役之事、 右者江戸御台所陸尺給、 此度五畿並近. - 43 -.
(7) . 石. ・沢. 江丹波播磨相添凡御料七十万石と申博候。 此陸尺給米高 割に掛り申候。 此高割之割付京都土池之内八ヶ村之在高 五謡内江州之大工柚木挽役高之分は御免許之事。 右陸尺 給米御入用之高、 毎年員数高に有之由、 高一石に三升五 京都御 合にも 及し申由、 徒二江戸-相極り参り候。 右割付. 郡代断より御支配に御座候而江戸御勘定所に御構無二 御 座-候高割被一印付-上納有し之候事、 一、 千石夫之事、 御所方作事江戸大阪御城御普請山門 之御普請等之節奉行小屋並諸職人之茶わかし茶番食持夫 被し下御入用往古より諸大名之御知行所高に割 掛 申 候 高割に 由、 之を千石夫と申候。 朝鮮人来朝之時も国々へ 挽共之 地とも大工木 夫御料給 右千石 被二仰付-侯へ共、 義は御免許に御座候。 一、 給所高には右之夫米御池頭様より高一石に二斗三 升づ 相掛り申候。 是は給地より台所召遣人足知行所よ り可二呼寄一事に候へ共、 人夫者生地にて抱に相成扶持 ・高へ掛り申候。 御料陸尺米之格を以 御 免 許 之 給米知行 事、. 撒 ・枠も杭木・柵▲水畑龍入用に 成候。 池川普請に付、 樋、 付、 竹木を伐、 其持運人足右之川役にも高役にも色々掛 り申候。 肩役之義は、 大工柚木挽は御赦免之事。 一、 米出蔵番之事、 村々御年頁納泊蔵有し之納置重而 こては、 蔵番二篠大阪御城御詰米に被 御詰米に成候村々を 成候船着迄之持運 是も津出と申候。 前々の道是叉御赦 免之事、 一、 御奉書之写、 天女十七戊申年足利義揮公御代就二 諸儀一之義、 従二往古-番匠和之義は諸公事御赦免候傑今 以不し可し有二別義一之旨被二仰付出ー候者也。 十一月廿九日 (天正元辛酉). 処高には、 代官陣屋御普請入用縄藁造是叉御赦免之事、 一、 竹木持之事、 二憐大阪御城詰御運上並処々御用木 候時、 持運等御国役同前に高割に相 ′ 之義伐御詰木と相成. 御印 御印. 板 倉 内 匠 守 殿. 朽木和 泉 守 殿 内. 藤 図. 西. 口. 市. 書 殿 正 殿. 竹. 中. 監. 物. 殿. 横田甚右ヱ門殿. 一、 広沢之池河州ふこうの池之類大き成池に而何ヶ村. ま 四ヶ国へ掛り申候。 右縄藁入草御赦免之格に准し、 給. 駿河 山城. 鳥井播 磨 守 殿 稲垣安 聾 守 殿 遠藤主 膳 守 殿. =・木挽御免被し成候 ー 村々之高掛に相成候。 此義大工・キ 事、 宿次之御鯨馬入用諸国一統御料私領共高割に掛り候 へ共、 右大工 小山・木挽役高之分者御免許之事、 一、 御用役・川普請之事、 木津川筋堤普請入用南山城 三郡御料私領共高掛之割に候。 是を国役と申候。 淀川筋 堤普請諸色入用橋津河内両国へ高割に被二申付-候事、. 其外御蔵普請入用は、 山城大和丹波近江四ヶ国へ掛り申 ト御蔵御普請入用は、 橋津河内和泉はり 候。 大阪御城内タ. (花 押). 巳十二月十五日. 入用 仕候に付、 隣在を助郷として被二 仰付- 候。 宿々之. にこもり候而格別内訳上方高は難二相知-候。 二係御蔵. (花 押). 田川 三河 守 己. 走井備前 守 感 (花 押) 近江国御料私領大工袖木挽高役之義、 古来より公儀よ り御免許之事に候然る処、 近年給所方より夫役掛り候而 迷惑之旨相開候儀、 向後者右之分准二御料之格-夫役其 後相定り候御赦免之分は高役可し被二相除-候 以上. 一、 迫立夫之事、 右者廻状之届宿次村次之送り物、 臨 時之公用駕人足歩徒物議参会之水汲庭働きヶ様之類を迫 立と申候。 在高之夫役は大工木挽は御免許之事、 馬近年入用之由宿は困窮 一、 御鰍馬之事、 海道筋御樽,. も用水に成申候に付、 右堤普請堀俊之人足入用郷中之高 割に相成候。 此義も御国政役之類にて大工柚木挽之義は ・御赦免之事 、 一、 瞳銅之事、 先年御薦銅有し之候節、 餌之御入用並 御飼大扶持上方八ヶ国御料地凡七十万石高割に相掛り申 候。 但陸尺給米一統割付御座候而内訳には、 無二御座- 候。 近年は瞳銅大無二御塵-候事。 一、 細藁入草等之事、 江戸御厩入草之義陸尺給米之内. 吉釜長門守能忠. 井. 酒. 主. 馬. 殿. 梅 田 庄 右 ヱ門 殿 美の部八郎右ヱ門殿. 右順廻候而留之分は駿河守へ可二相返ー候 代宮. 以上. 中. こ諸役免許について通達せられて 以上、 引用 したようマ いるにも拘 らず、 領主は財政困窮諸費増高のために、 其 の費用を村に負担せしめ、 村方にても、 この 負 担 を 大 工・ヰ D・木挽仲間に負担せしめようとするの で、 これら I の免許の特権が侵害される結 果となるので、 中井役所の 方 から各村々にある柚 ・木挽共の諸役免許の駅況の調査 トフ 年頃に行われている。 が、 享保四年か叉ハー. 相 尋 之 覚 帳面組 ー、 組中柚木挽共、 先規より所持仕来候柚木引1 帳面二而可在候。 持主 頭方二可在之候。 尤寛永年中改候-. - 44 -.
(8) . 江州甲賀の柚・木挽仲間について の名もちかい可申候。 先旭の名を其ま 置只今之持主を 服に書付帳面に仕立差越可申候、 壱かぶか、 二かぷ、 三 かぶにわかり候はその石高持主被分て書付可申候。 一、 御地頭かわり可申候間、 ま きれなきやぅに口々書. 付可申候 一、 柚木弓形1ヶ高をしろうとゆつり請候ヘハ、 持居申. ・不仕候而も柚木引仲ヶ間之御 と可在候。 其者柚木挽職ノ 用役義等相勤候やつとめづ候のわけ書付可申候 一、 しろうとへゆつり申候柚木挽引ヶ高御地頭よりい. 亥 正月. 中 源. 八. 主. 水. 中. かふる調査が中井役所の方から行われ、 先に引用 した こ諸役免除のこと、 先例の如く御赦免せ ら る べ し よう} と、 各領主にあて 通牒が出されているのである。 この 書類の写は、 字川文書の内に同一のものがある。 (郡志 には宛名の内に、 西口市正とあるが、 宇川女書には西郷 市正とありこれが正 しいように思う。). ( 、 ′ ) 江州柚・木挽仲間の機能. ろいろ役俵御引被下候のわけ承届可致吟味候 一、 柚木引引ヶ高持主相果、 其諸相続不致たいてん致. は黒正博士のそれに堆じて概括的に諸機能を略述するに. ・・、 書付可申候。 乍併、 田畠二たいてんと し杯在之候ノ. と ゞめ る。. 申候こと無之候間可致吟味候。. この点については、 更に詳細に後述するので、 こ. で. 外部に対 しては、 地頭代官等よ ,り仰出される諸通牒の. 一、 新検ニ而田畠之高建これあり新検高にて役儀御引. 組中への鯨達、 或は、 大鋸高報告書の提出、 其の他の訴. 被下候其古検之高を其ま 置、 服に新検高と迎書付可申. 訟事等に当 って、 組頭・年行事らが活動し、 村々には村. 候. .. 一、 御定之通夫役国役以下御赦免之わけ、 叉、 百姓な ・何々御 みに勤 鞠隣々御地頭により違ひて在ば、 どの村ノ. 赦免とくわしく書付可申候別而御領の御代官所様子承届 奥書二成共別紙二成共書付可申候、 一、 高懸之夫役博馬の助郡並に他捌 ~池川さしゑふしん. 等の事勿論御赦免二候 ヶ様之 (二字不明) 御ゆるされ. の大鋸高肝煎があって、 常に組中参会の議決をな して決 定せることを村の木挽に対 して諸行事を執行 していた。 外部に対する事としては、 他の仲間との間の関係の調 整のこともあげられる。 他組の働場 (独占区域) へ出稼 に出るときは、 所属組頭からその働かんとする他組の組 頭へ連絡せねばならぬ。 山北組は、 京廻りの山々にて細工に従事 していたが、. くりおのかこかち荷等の夫役懸り候や書付可申候. 京大仲間組 (十一組) が、 その地方への入工銀として毎 月壱匁五分の上銀を徴収する事を決定せる際に、 か る 上ヶ銀は不当な新法であるとな して、 その撒 廃 を 要 求. 一、 御地頭方用木或者池川普請二付、 所々ェ竹木をき り、 其もちはこひヶ様之かこ役人足勤候や、 ゆるされ候. 原村三村は山北組を脱会して三者一つとなって (一組合. や書付可申候、. と して) 之がために奮闘した記録が残されているが結果. し品々も書付可申候、 一、 御代官毛見巡見之駕寵人足ならびに村ェ宿ェのを. し、 山北組の中でも同一の立場にある三雲・宇田・氏川. は失敗に縫っている。 これらの仲間は、 その特権の侵害 の検察を行い、 利盆の擁護につとめたのであるが、 地頭 ・百姓な′ よりの諸役免除の侵害に対 しては、 中 井役所を通 じて、 ・右之入用等銀にて懸り候ノ オ 候や書付可申候叉ノ 一、 御代官麹廻り之時とまり休之節本陣にて水くみ庭 ・村々止り状のと けかょふのあし役ゆるさ はたらき叉ノ. 一、 ,火役自身番並二願事訴候事二て村中かわるに御地. 従来の免許の権利の擁護につとめ、 或は利益擁護のため には、 木挽仲間の切手 (木挽頭中村虎助より発行) の所. 頭御城下へ参候或者納所二被参候等のかまと役相勤候や 書付可申候、. 持者に限り細工せしめるようにして、 素人・他組のもの の侵入を防いだ。. みにか り候や書付可申候. 之面定あい勤申傑々も書付可申候、 其外納所之蔵、 制札. 組仲間内部にあっては、 仲間員の加 入、 除 名 を 考 査 し、 その業務の監督を し、 一定の仲間入用 金の課徴をな し、 或は官府に対する奉仕について統 一、 統制をはかっ. 場ふしん並二蔵番米津出し道つくり等のわけ勤候や勤め. た。 氏川原村大鋸肝煎が山北組肝煎の参会に出席せず. ず候や委細書わけ可申候 右之趣御郡代所より御尋被成候二付、 相尋候委細二得 心仕り組中柚木挽共逐相談を田畠之高御池頭之名書御赦 ・ 候、 此外にも役 免之品々相違なき様に相改書付差越可申. 組の定めた事を忠実に行わぬので、 役木挽より除名せら れんとしたことは先にあげた資料にみられるが、 それは 権十郎の詫一札を入れて落着 しているが、 か る機能を. ・・書付可申r候。 無油断早速帳 儀之てんか}る事在之候ノ. 合、 細工場を一所にせんと願書を出 し、 或は、 所要人員 を相談できめるなど内部の統制が行われている。. 一、 居在所の池・川ふしんの時、 杭木伐けづり仕 (四 字不明) うりそん等之歳、 尤百姓なみに相勤可申候加様. 面可致持参候. 以上 - 45. もっていた事がわかる。 官府に対する奉仕と し て の 場.
(9) . 石. 沢. か る仲間は、 全く経済的職業的利釜団体 で あ る の で、 郷村の自治的政治団体とは別個の存在であって、 仲. 間員は夫々私領・天領の一般行政の支配を受けるが、 荷 くも柚・木挽に関 しては、 全然村役人と独立 して、 柚・. 木挽・大工頭中井役所の支配の下にあり、 柚・木挽仲間 の特有の規定によ って統制せられ、 原則と しては、 村役. 人は何等直接にこの団体の行動には容壕出来なかった。 かくの如く原則的には、 村役人はこの仲間に対 しては 容啄出来なかったのであるが、 氏川原村に於ては、 宝永. 年間に、 木挽頭中村虎肋より任命せられている村大鋸肝 煎権十郎との間に雫が起り、 即ち、 大鋸高改の際に、 役 木挽権十郎を役木挽に非ずとして報告した事から権十郎 は役木挽を主張し、 中村虎助もかく取扱っているのを、 村では、 これはす べて村預り高であって、 権十郎の高は 借り高であると主張する所から零となり、 村中 で権十郎 に火法度、 即ち、 絶交の取扱を したために、 権十郎側は 折れて、 詫一札に及んでいるo また先にあげた京大仲間より人工銀毎月壱匁五分づ の上銀を命ぜられた際は、 「享保十一年午正月 より大鋸. 高木挽上ヶ銀之儀二付、 京都三ヶ所へ御願申上 候一件書 ・ 付」 には、 山北組木挽 (特に三雲・宇田・氏 川原 村 木 挽) は、 其の村庄屋と一緒になって、 この一匁五分上ヶ 銀の反対、 撤廃運動を している。 これに対 して、 中井役 所からは、 木挽の事について、 庄屋どもがわかる筈がな いから口出しするなと申 し、 庄屋 どもが木挽仲間のこと について容嫁し妨げをなすので、 以後妨げをせぬように 仰付けてくれるようマ こと小浜志摩守 (奉行) に申請 して. 撒 鞭並年行事共三人は致請判候に付、 在所 ェ差 下候、 然 所、 氏河原村大鋸肝煎権十郎儀は、 庄屋ェ相尋印形可仕 由申候処、 右証女は庄屋ェ懸り候儀ニ無之候処、 権十郎 不得心二而印形不仕儀を庄屋ェ譲り候仕形不屈二候β Fシ 様子承在之候ハ、 致吟味候得者、 氏川原村木挽共之儀ノ ・ 他村二違常々庄髭捌に仕、 肝煎役之者二至迄、 申付を不 用候而ハ、 難儀之筋有之候、 拾九年以前大鋸高御政之節 にも親主水触書之通相守り可申由権十郎願候得共庄屋よ り火法度を致し村中付合等を篇致不申久々耕作も不罷成 候鎌仕及難儀候。 此度之印形をも庄屋ェ不相存仕候而ノ ・ 身分難立迷惑二罷成候庄屋より印形仕間数由申儀候ハ・ 何分にも印形難仕由権十郎申二付難捨置御当地二差留置 候処当十ー月権十郎御書を以判形之義は勝手次第可仕旨 在所より申候間、 印形可仕由申出候、 然共支配筋二付、 余人より指図之印形可版置様無御座故、 吟味 之 筋 有 之 間、 旅宿二差控可罷在旨、 申付候処此上逼留仕候儀不罷 成候、 肝煎役も相止メ候と申捨ニ仕候而在所ェ帰候由二 ・ 御座候。 此度肝煎共召登候義ノ 、 先達而志摩守殿ェ申達 在京致させ置候処、 暇を不請罷帰其上肝煎役を相止候杯 と申儀は庄屋指図仕候や尤庄屋肝煎儀も木挽職二付候大 鋸高を預り罷在候得ハ・木挽職之- 鎌二おいては肝煎共二 続キ拙者支配筋ニ候処、 職法二付而申付候儀を庄屋可差 妨訳在之間数義二御座候、 則肝煎共ェ申付候証女之写壱 通在之候。 ………以下略」 山木挽仲間の沿革 ネ 1 三、 江畑 江州甲賀の山地は、 大森林があり良材を産するので有. い る。. 名であった。 奈良時代に巨利の建立に当って木材を供給. これに対して、 庄屋の云い分は、 この三村 の 大 鋸 高 は、 村庄屋預りの高であり ・ 、 村大鋸肝煎も村庄屋から任 命するのであるから、 庄屋の宰配なしで、 中井役所の命. し、ヰ 山川・野洲川を下して運んだ。 従って奈良の名匠も 出入 していた。 古来より甲可柚の名声は世上に高く天平. に肝煎が権限を行,便し得ぬことを主張 している。 それ故に、 原則として木挽組仲間 は独立 した存在 で、 村 役人の容隊を許さぬものであるが、 村の大鋸高が村庄屋 のま. 預りとなり、 村庄屋の背後には各領主 (地頭) があった のであるから、 村庄屋たちが色々と容致してくる事にな るのである。 山北組でもこの大鋸高のことに つ い て 庄. 屋・年寄 (各村の) 等までが大鋸肝煎と共に参会に参加 して、 相談に興っているのをみるのである。 「享保十一 年八月、 覚」 の中に、 中井主水 (大工 小山・木挽役所) より恐らく ・浜志摩守奉行へ提出した書面の写と考えら れるものの中に、 次の如き文面がある。. (前略) 一、 右木挽共二申渡候趣、 肝煎共致承知於在所相残木 挽共ェ可申渡由之証文申付候処、 三雲村・宇田村大鋸肝 .. - 46. 勝宝、 宝字年間に、 信楽其の他の亘材を伐採して石山寺 の建築に、 宝亀年間には東大寺、 延暦年間には延暦寺堂 舎の建築に拝送している。 蔵部郷は林木蔭深 の意 で あ り、 柚荘・杉谷・柚中等の名は皆森林の意味をもってい るのでも明らかなようにこの方面の工業は古来より有名 であった。 甲賀柚し木挽仲間の由来については、 小山氏 所蔵旧詑 (郡誌五〇八頁) によれば、. 足利三代将軍義満公御代後小松院御朱印諸役之義番匠 和之義諸公事免許今以別義之旨不し存候。 天女十七年十一月二十九日御支配頭吉益長門守田川三 河守走井備前守織田信長公御代番亦 山免許給□□臨時之新 義□□棟別今□不し可し有二別義一者也。 天正七年極月支配頭織田□□□太閤様御代慶長七年二 月五日前例之通免許可し有し之候者也 支配頭伊藤左馬様 片桐市之丞様徳川家康公御代大工袖田畑□□之義如二前.
(10) . 江州甲賀の柚・木挽仲間について 之免許-被し成、 後支配役中井大和守代也云々。 これによれば、 足利三代将軍義痛の頃、 番匠柚は諸公 事御赦免であったとある。 また天女十七年の足利義輝の 御代にも番匠柚は諸公事御赦免であったと述べている。 京都御所向大概覚書によると、 足利氏末期より徳川氏. より壱人宛江戸ェ罷下り相詰候得は被仰出難在率存亥年. 初世の状態に就いて述べてあるが、 それによると五畿内. 正月よ り京都ヲ立出江州より山本但馬山城より下根興兵. 近江柚大鋸木挽人数について記しているが、 五畿内江州. ヱ大和より三輪五郎次良” 、 河内より三右ヱ門、 掃 津より 仁左ヱ門、 和泉より治郎兵ヱ、柚頭大坂より檀兵 ヱ、大和 より典七郎皆之者共亥正月 廿三日より御江戸へ下着比候. 柚木挽頭四名あって、 其の内、 中村虎助、 藤 村,治 右 ヱ. 都ェ罷登り御江戸御老中様ェ御訴訟申上五十日斗り相談 申上候得バ、 土井大炊様御意被成候者、 礎是江戸罷下り 候得は被仰出其時二下之御大工頭中井五郎肋様被仰候者 古来より無之夫役ヲ是叉大工二仕セ申間数候傑、 六ヶ国. 門、 森作右ヱ門の三名は京都に在住 し、 吉田五郎兵ヱは 大阪に借宅していた。 この四名の柚・大鋸木挽頭の下に. 得共御話なにも無之候処二同亥二月十九日酒井讃岐守御. 棟梁四十六名あって、 京都・和泉・法隆寺其外に散在し. 殿中二御寄御唖候二承り廿六日八ッ時下刻二御城より御. て い・た。. 老中様御下向待請極楽橋二畏御上落之節上方御訴訟申上 柚大鋸木挽人数. 山城国. looo人. 大和国. 235人. 河内国. 148人. 候大工共二而御座候と申右之御断申上候得ば、 土井大炊 様酒井讃岐守様松平伊豆守様松平加賀守様阿部豊後守様 佐久間主膳様柳生但馬守様板倉周訪守様小堀遠江守様五 味金右ヱ門様右之御衆中御同心被鴬成於御前上方ニ而御. 和泉国. 162八. 掃津国. 2053人. 訴訟申上」候大工柚共にて御n 出候、 権群児様御代之ことく上. 近江国. 2750人. 方五畿内江州六ヶ国大工柚諸役御免と申次第ヲ具二申上. 右六ヶ国柚大鋸木挽. 候得ば土井大炊様御念ニ被篇成候は是より酒井讃岐守様 御屋鋪ェ参り候得は無仰出難在奉存候、 直二相詰其夜丑. 合計6356人. 241人は高役御免でこの作高5 この内、, 76石7メお升5勺 5 5才 (御所造営普請の役仕事をつとめ しもの) で、 其の .寅之時迄、 罷詰右六ヶ国頂載仕ル古筆之書物二目安ヲ相 115人は高役御免無きもの、 町並住居であった。 添差上申候然上い其時堀式部様、 中井五郎助様、 被仰出 余の6. これは寛永十二年小堀遠江守、 五味鰐前守が調査して 従来の如く 高役免除の奉書を出したものであると云 うか ら、 其の由来する断の久しい事を知る事が出来る。 (日本経済史、 竹越28頁). 次の資料は、 寛永十二年十一月に五畿内江州六ヶ国大 工柚仲間が諸公事赦免の特権を主張して訴訟した時の覚 であるとされている。 大部長いものであるが資料 .と して 貴重であるから紹介する。. (柏木村大字泉共有女書、 ) 五畿内江州六ヶ国大工* 山御訴訟申上僕 御赦免被篇成候 覚書控 江州甲賀郡之内. 山本但馬. 一、 五畿内江州御公儀向大工* 山夫役破二皆迷惑存談合 仕候得共、 五畿内大工柚調不申依夫右大和様ェ江州壱ヶ 国より申上候者、 大宮様御朱印之写関白様御朱印江州二 御坐候是を以御前ェ御披露被成可被下と申上候得ば、 尤 ニ被仰御話申上候と被仰出難在奉存江州より弐人江戸へ 罷下り壱ヶ年之内大和守様より御扶持被下相談申候得共 調不申僕故、 御奉行北見五郎左ヱ門殿より折紙を申癌罷 上り御袷人家御埋り申上候得ば御同心被成候方も有之叉 御同心無之家中も有之右六ヶ国之肝煎中残念二存寛永拾 壱年六月御公方様御上洛二付、 六ヶ国之大工柚肝煎共京. 銘々之地頭殿ェ訴訟二出候様二と被仰付同月 廿 五 日 六 日、 両日内二堀式部様御意之趣申上候得ば、 御地頭方に も皆々御間達同二日在之訳段々土井大炊様御前二畏申上 候処、 伊井掃部隊松平下総守様被仰候ば、 廿ヶ年も上方 大工柚御免訴之筋破候由御聞被成候而御両所之御屋敷及 破損其時上方之大工柚以使者ヲ御雇被成夫より諸役御免 1附向後上方大工 之訳江州山本但馬江戸御老中様より被仰 ・江戸駿河大坂三ッ之御城別而大御所様方御本陣 柚之儀ノ 御役相勤公儀御役之大工袖と被篇仔 P下候其節 大権現様 御陣場平野と申処二大工柚五百七拾人相勤並御本陣大工 七百人住吉音塚二三百人伊井掃部殿御陣場へも百五拾入 宛相詰申候掃部殿より被成候清呂矢倉つき山、 か年堀入 切通し被成切立其上茶磨山御矢倉も露夜二五日之内人足 無御n 出候得共、 上方之大工柚千人斗召連職場蔵家をこわ し大工柚共特はこび茶磨山二五日目二山本但 馬 棟 梁 二. 而仕立申候其時に十一月六日大権現様住吉より茶磨山御 ・御作事 陣替被篇成候、 其節板倉周防様、 被仰候者今程ノ 方も入札にて御用も事欠ヶ不申候得共、 御陣等之御触も 御n細侯節、 誰入札二致間敷と御念被成候其時御老中様尤 二恩召土井大炊様五味金右ヱ門様記載鏡跡書頂載 仕同七 . 月六日二従御江戸中井五郎助様と不残同道仕都ェ罷登り. 忠誠中井五郎助様聖徳太子之御尊組と朝夕奉仰候。. - 47 一.
(11) . 石. 撒. 沢. た。 天正十一年九月浅井長政が江州諸職人中へあてた書 欺には、 「先度江州大鋸大工其外職人之儀、 秀吉様御免 許之御折紙被下候処、 在々給人、 夫役並地下 並之 諸 役. 奉撲御訴訟罷出御衆中 松 平 伊 豆 守様 酒 井 讃 岐 守様 土 井 大 炊 守様 阿 部 豊 後 守様 柳 生 但 馬 守様 佐 久 間 将 監様 板 倉 周 防 守様 小 堀 遠 江 守様 五味金右 ヱ 門様. 被二申付-候由候。 一切無二承引-、 可し仕二御折紙‐之旨 ミニ大阪-被二召仕一役儀堅可二相勤-候…… 由御詫候膝、方 …」 と。 天正十 年八月浅井長政から近江諸職人にあて た書状に 「諸職人之事、 御免除以二 御目録- 被二仰出-. 候。 於二大阪-御普請御用可し被二仰付-候憐、 可二其心 得-候。 向後別之役儀不 可し在候」 とあり、 大阪築城の. 記様. 72頁) 際の特許附興の一例 である。 (豚 史4 「 職道由緒書 にある 」 には、 五 井沢庄五郎氏所蔵文書. 加 賀 瓜 民 部様. 叢内並近江国の大工・柚共が、 安土城普請以来の御所造. 部様. 伊 野 牛 十 郎様. 営や諸城築造の由緒を記してあるが、 宇川女書にも殆ん どこれに同じような元蔵十六年正月の寛がある。 但し、. 茂様. 後半の記載に多少の相違がある。 井沢氏所蔵女書の職道. 加. 内. 仁. 式. 堀 青. 山. 大. 右之御奉行様方ェ日々御訴訟申上候 (御赦免被成下候品々之覚) 一、 千石夫並御台所夫、 江戸立尺夫、 迫立夫、 一、 堤之御普請並多少ニテも縄藁ぬか. 由緒書は大工案とあるように、 主として大工の側につい て述 べられているに対 して、 宇川女書の覚は柚 工の出働 人数を明らかに している所に特色がある。. 次の泉村女書は、 山北組大鋸の由緒書である。 天正三年亥二月吉日、 江州甲賀郡山北組大鋸 天下様御代々御役相勤寛 一、 信長様御代二御朱印頂戴仕候 一、 於安土二御城被篤成候二付御材木被仰付候江州甲 賀山二而御材木版申候 一、 太閤様御代二御朱印頂戴仕候、 其後国々御陸等ェ も相詰御役相勤申候 一、 江州信楽郡御普請ならびに大坂御城御普請伏見御. 入荷之事 一、 御嫁馬並門役御順検 一、 御鷹銅犬之事 一、 在所二而竹木不持事 居在百姓家相勤分 一、 御入部入用 一、 米津出シ. 一、 居在所井堀溝堀 一、 在所二而川欠枠杭作樋寛在仕候事 一、 同御年貢入申御蔵普請事 一、 田地川欠ヶ永荒居在所百姓並 一、 欠米並売損百姓並. 城御普請ェもまいり御役相勤申候、.. 一、 大f 弗御建立被嬬成候刻駿河国二而富士山二而御材. =共被仰付柚七十人余御材木裸 木裸被篇成候二付近江之れ 出申候 一、 高麗之御陣刻筑紫之国名古屋被成候時分是ェも柚. 寛永十二年亥十一月廿日 江州甲賀 郡. 山本但馬. 頭書之写. 諸職の特権免許状について、 天正四年十一月の例をみ るに、 柚・大鋸引・鍛冶・桶結・屋根葺・畳指等に対し て、 近江諸 郡甲賀上下の棟別・臨時・夜銭・人夫 札銭・ 札米等を免許し、 代わりに、 国役として作事を申付ける と云っている写が川路文 書にあるが信長の捉書とみられ る。 (滋賀豚史471頁) 秀吉時代になると此の種の特許炊が繁く出 さ れ て い る。 天正十一年八月近江国職人中 へあてた燦々には、 錨. 治・番匠・大鋸引屋葺・畳指・塗師・桶結を列記し諸役 を免除 し先々の如く勤務せ しめている。. 然し、 各村の領主・給人等は、 諸役を彼等に賦課する もの多く、 絶えず紛擾を来 したが常に職人の勝訴を示 し. 共参り御役相勤申候 一、 権現様御朱印頂戴仕候 仕御城申 . 一、 駿河国府中二御普請被罵成候二付、 山入 酉両年御役相勤申候 一、 尾張名古屋御城被篇成候刻信濃国木曾ニ而御探被 篇成候二付六ヶ国柚木挽五禽三千人差帳二雨楳御役相勤 申候 一、 禁中様御殿御普請辰之年被鴬成候段夫度々御普請 相勤申候 一、 大坂御城冬春寅卯両年御陣、 大工柚木挽七百人相 詰権現様住吉より茶磨山二而御陣替被篇成候柚共大工五 ・ 百七十人御役相勤候刻伊井婦F部様よりせひるに、 矢倉深. き山之下かね堀入切通シ被成候切立込大工柚共七百五人. - 48 -.
(12) . 江州甲賀の柚・木挽仲間について 宛相詰申戦場之蔵家をこわしはこび茶磨山に五日之内二. 仕立御役殿相勤申候 一、 大坂御殿ノ壬亥子両年被儒成御普請則相詰御役相 勤申候 一、 二僕之御城御普請牛年より寅之年まで両年相詰御. 勤申候 千五百四拾五人 中宮様御殿に而 一、 宝暦元末八月迄、 二儀御城内御用相勤申候 一、 宝暦三画七月迄、 禁中様御用相勤 一、 宝暦五年亥七月迄、 御役相勤申候 一、 明和四亥 年. 准后様御別殿三月 上旬より八月まで. 役相勤申候 一、 江戸御城御普請成年被鴬成其刻にも相詰御役相勤 申候 一、 勢州羅山並江州水口御茶屋御普請被篇成候時も相 詰御役相勤申候候 一、 江戸御城御普請牛寅両年相詰御役相勤 一、 江戸御城御普請亥年被篇戒相詰御役相勤 }、 寛女弐年寅五月より禁中様御作事柚木挽六拾人余 り九月迄相詰御役相勤申候. 人数五百廿人御用相勤申候. 一、 寛文三年卯正月より禁裏様御作事柚木挽七拾五人 相詰五月迄御役相勤申候 一、 寛女四年辰二月より禁中様御作事柚木挽六人相詰 フ 月まで相勤申候. の百姓と共に、 天領地内では代官預所からまた侯領地で. 一、 寛女拾三年丑十月より十二月迄、 禁中様御作事柚 木挽大工数八百拾五人相勤申候 一、 延宝弐寅四月より六月迄、 禁中様柚木挽工数百壱 人相勤候 一、 延宝三卯年四月より十月迄、 禁中様御普請柚数千. 二百四十五人相詰勤申候 一、 延宝四年辰七月より十月まで禁中様御普請柚木挽 両組より千三百八人余り御役相勤申候 一、 延宝五年己七月より九月迄、 禁中様御普請柚木挽 六百八人相詰御役相勤申候 一、 貞享元年子十月より十二月迄御役相勤御普請柚木 挽八百八拾三人御役相勤申 候 ・ 一、 貞亭二丑年正月より同御普請柚木挽百九拾人相詰 御役相勤申候 一、 元敵拾四年丑八月より禁裏様御作事柚木挽五拾人 余り御役相勤申候 一、 其後仙洞御所様御殿御作事柚木挽工数五十人宛罷 出御役相勤申候 一、 宝永四亥年院御所様御作事柚木挽九百七拾五人御 役相勤申候 一、 宝永五年子年より丑七月迄、 禁裏様御殿御作事柚 壱万七千五百三人御役相勤申候 一、 正徳五年末年女御殿御普請柚木挽千二百三十四人 御役相勤申候 一、 享保拾三申年春宮様御殿御作事柚木挽御役相勤申 候. ′. 一、 明和八年卯三月 より十 一月まで仙洞御所御普請三. 百三拾人御用相勤 以上に紹介 した資料にみられるような経過を経てきた. のであるが、 天保十四年に水野越前守が一切の経済的組 織に変革を加えた時に、 これら柚木挽大工の三職も組合 を解き一切の職業自由となり、 組合の制限を撤廃したの であるが、 事実に於ては、 三職は依然と して中井氏が之 を支配していた。 即ち、 他国よりの営業者は、 六ヶ国内 は領主‘地頭へ出願 してその筋より中井氏へ達し印札を 授けしめた。 かくの如き方法で新規開業を許 したのであ るから其の制は旧時とあまり異ならなかった。 この天保. 十四年の組合廃止の命令は、 日本経済史 (竹越三十頁) に載せられているが、 こ. には引用 しない。 この改革も. 多少の変革を輿えたかもしれぬが、 和・木挽仲間の統制 に対しては、 大 した変化をもたらすものではなかった。 然 し乍ら明治維新によって、 この特権は廃止となり、 多 くは農業を事業とするに至っている。 四、 江畑ネ山・木挽仲間の構成. 五畿内江州六ヶ国の柚・木挽は、 中井役所の支配の下 にあり、 この五畿内江州柚・木挽頭として四名あった。 これは先に述 べた所であるが、 徳川氏の初世にそうであ ったように、 これらの木挽頭は世襲職と して後世までも つづけられ、 宇川文書の中にも、 中村虎肋・藤村治右ヱ 門・森作右ヱ門の名が出てくる。 殊に甲賀の組は中村虎. 助との交渉が深い。 其の下に棟梁四十六名あったと云わ れているが、 宇川文書の中には直接その名は 出 て こ な い。 これら六ヶ国の柚 ・木挽は、 まず国別によって区別 せられているが、 然し一国全体としての独立の団体をな. す仲間ではない。 後には一層分割されるが、 大体一郡限 りに柚・木挽仲間を組織していた。 宇田・氏川原村庄屋 より大庄屋に出した 「口上之覚」 によると (享係十一年 八月) 京には京大仲間なるものが出来、 京大仲間十一組 と称 しているが、 彼等庄屋の云う所によると京組八組が あって、 これは中井主水の直支配であった。 他 の 三 組 は、 棟梁三人の支配であったのが、 去ル辰年(享保九年) に壱所 (壱組) に仰付られて十一組と云うようになった. 一、 延享三寅年霜月より卯三月 まで相勤禁中様相詰相. のであって 、 、 前々から京組木挽と大鋸役木挽とは別のも. - 49 一.
(13) . 石. 撤. 沢. のであって、 御用も別々にやっていたので、 大仲間と大 鋸木挽とは何ら関係がなかったものであると主張してい. 村、 毛枚村、 野尻村、 池田村、 虫生野村、 倉治村、 柑子 村、 龍法帥村、 野田村、 五反田村、 下磯尾村、 油日上野. る。. 村の十七ヶ村の名をあげているが、 甲賀郡大鋸高二十七 ヶ村 (宝永六年) とあり其の内八ヶ村が山北組、 独立村. 甲賀郡の場合は、 初めは一郡限りの仲間組織であった. 北脇を除くと、 十八ヶ村が山南組と山西組 となる。 寛政六年の寅 正月の泉村文書に は、 山北組として、 三. ようだ。 柚・木挽が義務的奉仕をなすときには、 形式的 には直接に各自の柚・木挽が中井役 所の命によって、 奉 仕する形をとっていたようで、 一人一人の人名が指名せ. 雲、 泉、 宇田、 氏川原、 北脇、 酒人の六ヶ村をあげてい る。 (大鋸高所持村々). られて行われているが、 只、 その義務履行の手段と して 各組仲間が連帯の責任を有 していたようである。. 山西組としては、 深川、 虫生野、 杉谷、 大原中、 小佐 治、 平野、 植村、 平松、 岩根村九ヶ村をあげている。 正 徳二年の頃には山西組の村々は山南組に入っ て い る の で、 この山南、 山西両組は一所になってい たのが、 寛政 年間前陥後に二組 に分れたもののようである。 この点賛料. 然し乍ら、 奉仕部署の割 り当の如き場合には、 木挽仲. 間が之を決定するの権はなく、 中井氏が従来の慣例の如 くに専断したようである。 それ故に、 山北組が部署割当 について一所にしてくれるようにとの頭を相談 したこと が先に引用 した字川文書に残されている。 かくの如く中 井役所は、 専断的な力をもち、 宰配 していた の で あ る. によって区々であるので、 筒不明の点がある。 大体は、 以上の如き組に分けられていたよ う で あ る. が、 各木挽仲間の組をみとめ、 あらゆる接面には木挽頭 の中村虎助より之等組仲間を相手と して行われているの である。 然るに柚・木挽の人数の増加するにつれ、 叉、. が、 享保十一年の上ヶ銀毎月壱匁五分の徴集について山 北組の三雲、 宇田、 氏川原三ヶ村は、 北脇に倣って、 山 北組を庄屋だちの考えで脱退したのであるが、 寛数五年. 仕事の増すにつれて、 ,ー郡 として仲間の単位とする事に 支障を来 し、 郡内を区分して組仲間とするに至った。 甲. の先に紹介した 「口達」 をみると、 山北組の中にあるの で独立をみとめられなかったようである。. 賀郡にあっては、 すでに宝永・正徳の頃には、 山北・山 南・山西の三組であったものが、 更に山北組の中か ら北. 木挽仲間の内部的問題については、 各組で統制し、 只 他郡に対する問題、 組相互間の紛争についてのみ各組は. 脇村 (現在柏木村大字北脇) だけ一村独立して四組とな. 合議して処理 したのであるが、 実質的には各組は完全に. っている。 従って享保十一年の女書に山北組九ヶ村な り しに、 北脇村が脱退して別 個となったので山北組八ヶ村. 自主性をもっていた。 正徳元年の氏川原村大鋸肝煎権十 郎が中村虎助に出L .た一札には、 朝鮮人来聴御用につい て、 山北、 山南大鋸肝煎中の参会の召集があり、 彼が之. と云っている。 寛政五年の 「口達」 (郡志五一四頁) には、 一、 八百十九石八斗二升 ,山北組・(八ヶ村). に出席せざりしだめに、 一札をとられているのをみる。. 木挽仲間の形式的構成要素は、 大鋸木挽株であって、. 泉村、 酒人村、 三雲村、 宇田村、 氏川原村、 平野村、 植村、 平松村 山南組 一、 千百八十六石二升九合 深川村、 同村十六ヶ所、 杉谷村同村十二ケ所、 虫生野 村同村八ヶ所、 大原中村、 小佐治村同村六ヶ所 一、 二百八十一石四斗五升 北脇村九ヶ所. この大鋸木挽株は一定不変と云ってよい程、 あまり変化 はないが、 この中に、 特高株 (役木挽・大鋸木挽株) と. ・ 無高株 (無役木挽或は平木挽) と二種あった。 この株は 一定の権利義務関係を示すものであって、 特高株の所持 者はその木挽家業を営むと否とに拘らず、 その特高に対 して、 種々の賦役を免ぜられる代りに、 一且禁裏その他 の建築についての奉仕を命ぜられる時は、 その特高に鷹. 右大鋸高有し之. (中略) 丑十二月 (寛政五年) 山北組 山南組 山西組. じて一定の金銭的給付をなすべき義務があった。 無高株 の所持者は、 義務奉仕として、 木挽の労働を提供せねば. 木挽棟梁. ならないが、 断定の木挽仲間に所属 して、 その生業を保 護せられていた。 かくの如く高持も平も義務を有するの. で大鋸高・木挽人数改には、 高持も平も共に調査し報告. 北脇村 とあり、 これには犬鋸高の所在箇所のみをあげているの で、 山西組の村名は全く出ていない。. せねばならず、 その人名を明 らかにしておかねばならな かった。 木挽を営まず退轄した場合は、 木挽仲間たるこ. 隈には 正徳二年九月十七日の山南組大鋸柚役引高御改1 深川村、 杉谷村、 小佐治村、 鳥居野村、 大原中村、 和田. これらは何れも仲間の特権が特許せられた寛永十二年. とが出来なかったことは云うまでもないことである。. 50 一.
(14) . 江州甲賀の柚・木挽仲間について 以来存続するものであって、 それは古株と称せられ 大 、. 鋸高書上帳には、 寛永の 「古検」 には云々と記載する断. をはるかにこえてい. る! 。 (高役御免の木挽は、 六 ヶ 国. 中、 二四一人で他の六一一五人は高役御免無きもの、 即. である。 この外弟子筋と して、 柚・木挽仲間に加入す る ことが許されたが、 それは新株木挽 (新規筋) として仲 間に加入をみとめられた。 高持木挽については、 退陣叉. 永十二年九月七日赦免高として、 近江国柚高 之 覚 と し. は絶家する時は、 他組のものがこの木挽高を取得する事. 二四一人の高役御免の作高五五七六石七斗四升五勺五才. は許されない。 先に引用 した宝永四年四月のそれに 、. ち、 2F木挽である。 )井沢庄五郎氏所蔵文書によると、 寛. て、 四千九百四十八石八斗八升八合五匁とある。 六ヶ国 とあるから、 近江国はその大半を占める。 その近江国の. 鳥居伊賀守様御知行所 江州甲賀郡氏川原村 一、 七拾九石三升 寛永年中 持主若右ヱ門 内 五石六斗 若右ヱ門子孫 権十郎. 中でも、 甲賀郡は三三四五石五斗九升七合五勺とあるか. 是ノ ・当分借り高二付上ル. 挽よりも役持木挽は仲間の間で多少でも有利であったか. 七拾三石四斗三升 一、 拾三石. ら近江国中でも甲賀はその過半を占めている 事 が わ か るo. 柚・木挽大鋸高が謎渡せられてゆくのは、 それが平木. 惣持也. 寛永年中. 持主. .. らである。 役持木挽は諸役を免ぜられるのみでなく、 木. 林西. 林西株退轄仕候 二口合 八拾六石四斗三升 床屋新右ヱ門預り 惣合 九拾三石三升 古検写. 挽頭の方でもなるべく無役木挽を退けて、 役持木挽に仕 事を輿えんと し、 か る目的で三人の棟梁より切手を発 行 してそれを優先的に仕事に当らしめたのである。 役持. 木挽の有利であったことは宝永四年十一月の権十郎の謡. ・庄屋支配二仕候 へ共、 高役無憲Bーヶ高大鋸 是ノ. 御用御役儀急度相勤申候 とある。 これによってみるに、 寛永年中 (古検) には七 十九石三升が若右 ヱ門株であり、 十三石は林西な るもの が持主であったのに、 今は (宝永年中) 七十三石四斗三 升が村の惣持、 且、 林西は退聴せしによりその分も合せ. て八十六石四斗三升庄屋預りで、 筒、 若右ヱ門子孫の権 十郎の五石六斗は当分の村預りの内からの借り高である と云うから、・古検 (寛永の) 九拾三石三升はすべて庄屋 支配となっている。 これをみてもわかるように人には退 簡あるも土地には退轄あるべき理由がないと して大鋸高 を有するもの (林西株の如き) が居なくなっても、 何人 かゞ之を保持せねばならぬので、 宮司としては、 その需 ‐要に隙ずればよいのであり、 仲間としては同業者の増加 は却って生活を脅すので、 木挽以外のものが大鋸高を保 持するのをみとめたのである。 か る理由から庄屋預りとか、 役持木挽の預りと 記さ れるようになってくるのである。 かくの如く実際には木 挽をなさず、 大鋸高預りをなすものが、 木挽仲間員とし て集会に列し、 決議に加わりしや否やと云う事になると 疑問があるが、 宇川女書によると、 氏川原村大鋸高九十. 三石三升すべてが庄屋預りであるから、 庄屋の代理人と して年寄や庄屋が任命 した大鋸肝煎を参加せしめている のをみるのである。 木挽株・木挽大鋸高は、 形式上、 一定せられている。. 寛永十二年の柚・木挽人数 (大鋸木挽人数) は、 六ヶ国 大鋸木挽六三五六人中、 近江は二七五〇人あり三分の一. 証文によって知られる。. 御詫言申証女之事 一、 氏川原村大鋸高九拾二石三升往古より庄屋預り二. 而村中支配二粉無御座候処、 当春中井主水様より御吟味 被成候二付、御帳面我等株村二被書上ケ候得共、私往古よ り大鋸高所持下仕候二付、 大鋸高五石六斗借り高仕則村 役人家と私手形平二版かわし申義踊以相違無御座候、 其 上当五月二中村虎助様より氏川原村大鋸高之儀御尋可被 成由二而村方私双方罷登り候様ニ被仰下候得共、 大鋸高 古来之通和順之上事相済候、 殊ニ根付最中之御、 京都ェ 罷上り申義双方共二迷惑二率存候。 折節三雲村大鋸肝煎 長次兵ヱ罷上り遣申候、 幸と存双方より古来之通村中支 配二紛無之由、 村役人衆私一紙之手形以長次兵ヱ中村虎 助様へ差上ゲ申義、 少茂相違無御座候。 然ル処、 当七月 二中村虎助様より大鋸肝煎株へ被仰付候。 就夫私欲二迷ひ累々村中へ新法なる義申かけ段々、 不. 届仕其上虎助様へ所持高並二肝煎之儀御願申上候、 依之 村中御立腹被成候段此度私得心仕御尤至極二存候、 然上 は御帳面二被書上ヶ候借り高之義ノ ・勿論、 並、 大鋸肝煎 迄、 縦へ従御公儀様被仰付候共、 達而御訴訟申上一切申 請間徴候。 依之村中へ右新法申かけ不届キ仕候儀何とそ 御詫言申度と存候。 以身寄衆を称名寺様、 利右ヱ門殿、 庄右ヱ門殿此三人を額、 御役人村中、 先規之通和順被下 候様二顔申候。 依此訳三人之衆御埋被成被下夫故惣中御 ・大鋸高二付、自今以 了簡之上和談被成被下恭存候、然上ノ 後少しも御願申間敷候。 篇其親兄共二判形仕相渡申候、 僑而詫言済欺如件. ヤ 51 一.
(15) . 石. 氏川原村. 一、 此度大鋸肝煎役権十郎へ相務させ候様にと組中よ ・今更株 ・先規より村勤にいたし来候得ノ り被申越候其段ノ ・少も ノ 尤御用之儀 存知不寄義二御座候 勤二仕候儀中々 、 無速滞急度相勤可申候。 自今以後も是迄之通久右ヱ門と 申ものに肝煎役相勤させ可申候、 御用等少も油断仕間敷. 権十郎 印. 親. 中右ヱ門. 印. 兄. 平. 蔵. 印. 撒. 沢. 宝永四年亥十一月十二日 氏川原村庄屋 新右ヱ門殿 年寄 久 兵 ヱ 殿 肝煎 利兵ヱ‘金右ヱ門殴. 候。 古来之通被篇仰付被下候はゞ難在可率存候 以上 宝永四年. 門の子孫であるのに、 此処では、 ,その木挽高すべてが村 惣持となっているのである。 従って、 権十郎は所持高と. 木挽肝煎役を中村虎助へ願出たろに対して 村中が之に 立腹し反対 して、 村中 で彼に対 して火法度を決議 し縄 交 せしために、 彼は之に敗北して詑証女に及ん だ の で あ る。 この文 中にみられるように、 「就夫私欲に迷ひ累 々 村中へ新法 なる義申かけ」 とある如く役木挽・大鋸肝煎. 亥十一月. 氏川原村. 惣 中 権十郎は寛永中 . 、 九十数石を所持せし高持木挽若右ヱ. 中村虎助様. 庄や. 新右ヱ門. 年寄 、. 久 兵 ヱ. r 権十郎を組中が推薦せるに対して、 村では之を断って 久右ヱ門を任命してくれと願っている。 一般には、 組頭及び村の肝煎は、 世襲職であるが、 彼 らの職務は、 他部との交渉、 或いは、 義務的工事の人数. 役の如きが名誉と共に有利なものであったことが知られ る。 氏川原村では、 高持木挽は庄屋預りとなっているの. の配置などをなし、 叉、 彼等は文書に連署してその責任 を負うものであった。 これら木挽仲間には議決機関、 或は、 諸諭 機 関 と し. で、 すべての勤は村勤となっている。 大鋸肝煎も村庄屋 よりの任命であり、 権十郎の五石六斗は 庄屋預りの中か らの借り高にす ぎぬとな しているの である。 従って借 り. 期集会の外に臨時集会が義務的作業の発生した場合や他. 高特にすぎぬ権十 郎と しては、 あまり有利な事がないの で、 高特に、 而 して、 肝煎役に中村虎助より仕命されん と願ったの であろう。 組仲間の組織については、 それが一郡限りの時代には 仲間の首 長として、 組織が一人あったであろうが、 甲賀 郡が三叉は四組中に分かれるようになってからは、 其の. て、 集会があり、 ,定期集会が正月上旬に開催せられた。 そこで年行事を 二名きめ其の年の行事が定められた。 定 の仲間との間の葛藤を生じた場 合に、 また仲間員の加入. 脱退、 入用金徴収額、 その他官司に対する請願等につい て問題の生 じた都度に開かれたのである。 山北組の集会 は、 酒人村国中明神で行われることが多かった。 組頭が 酒人村にいたからでもあろうが、 それに関する資料は、 すでに先に (二) の所に紹介した。 細工場所一所の願の. 行事が毎年正月に決定せられ組中の執行に当っていた。. 相談は一月 十八日の五ッより国中明神 で、 また、 北方よ り五十人の仰付のことで十月八日に、 辰の刻に国中明神. うである 筒、 補佐役と して惣代と云うものもあったよ・ が、 宇川文書の中には出てこない。 而 して各村々には肝. に参会している。 固より此の集会の決議は対内的には絶 対的の性格をもっているのであるが、 即ち、 組頭、 年寄. 各組に組頭があった。 この組頭を補 佐するものと して年. 煎が任命せられて、 村の大鋸高木挽について一切代表し て集会に参加 し、 叉、 決議 し、 決議を執行 していた。 村の肝煎役は木挽頭中村虎助からの任命であるの であ るが、 氏川原村は、 村庄屋預りであるので、 組中の推薦 によるそれさえも庄屋から断りを申 し述べている。. で、 仲間を除外されんとして、 その詫証文 「一札」 を出 しているのでも明ら かである。. 口上書以奉願候 久 兵. . っていた事は、 先に引用した資料 、 朝鮮人来聴に当って. 大鋸肝煎中の参会のあった時に、 権十郎が不参 したの. 次の宝永四年十一月の文書はそれを示している。 年寄. の如き (年行事の如き) 執行機関を拘 束するものである が、 仲間の最高統轄者たる中井氏に 対しては何らの拘束 力をももつものではなかった。 その点でこれら仲 間が官 庁的性格を帯びてくるのであった。-組の集会が権威をも. ヱ. 一、 大鋸高九十二石三升、 古来より庄屋預り高則篇名 代と肝煎久右ヱ門と申もの二諸事御用等相勤させ置候御. (イ) 宮司に対する関係. 事、. 一、 同村権十郎大鋸株二御座候得共所持高無御座候二 付五石六斗村中よりかし高二いたし御帳面 差上ヶ相済申. 候御事、. 五、 木挽仲間の対タト・対内関係. 大工・* =・木挽の権利は、 寛永十二年の特許状による ‘ ものであるが、 従来より東 照権現のために五畿内江州大 工・柚 ・木挽が大いに功労があったと云うので特許歌が. - 52 -.
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