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黄金時代オランダの教養女性の活動 : コンスタンタイン・ホイヘンスに関わる3人の女性に焦点をあてて

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Academic year: 2021

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(1)77. 黄金 時代 オ ラ ンダの教養女性 の活動 ―― コ ンス タ ンタ イ ン・ ホ イヘ ンス に 関 わ る 3人 の 女性 に焦 点 をあて て一―. 島. 有S. Activities of Cultured Women During the Dutch Golden Age: The Case of Three WoⅡ len in Constantttn Huygens'Circle. MISHIMA Kaoru Abstract:Constantttn Huygens(1596-1687),was a secretary of Stadtholder,Willem. ⅡI of Orange in the. Netherlands,and was an active musician and poeto He was a `homo universalis' and lived during the Dutch. Golden Age.He maintained relatiOns with Ren6 Descanes(1596-1650)and music theorist Marin Mersenne (1588-1648)and exchanged letters with musicians at the French court.He particularly ettoyed educated cir― cles including those indulging in music.These circles were frequented by educated women who played a ma― jor role.. In this paper,I will analyze and exanline the activity of threc of the most educated Dutch women at that time― Utricia Ogle(1616-74),an English diplomat;Anna Maria van Schurman(1607-78),a highly edu―. cated woman proicient in 14 1anguages;and Maria Tesselschade Roemers Visscher(1594-1649),a poet_ ess.Huygens' corespondence with these women sheds light on a part of the culture life at that tilne.The trio spent lnuch of their tilne composing poems,Inaking music,and studying philosophy. It is interesting that the. women mentioned playing music with their fricnds and famous musicians, and also exchanged information about new instruments and musical scores in detail with famous French and German musicians。. は,顕 微鏡 を発 明 した科学者 レー ウ ェ ンフ ック Antoni は じめ に 三 「 普 遍 人 hOmO universalis」 ホ イ ヘ ン ス. van Lceuwenhock(1632-1723)や 画家 フェルメール JO_. hannes Vemeer(1632-75)な ど',自 然科 学 や芸術 な ど様 々 な分野の人物 たち と幅広 い交流 を もってい る。. コンス タンタイ ン ・ホ イヘ ンス cOnstantttn Huygens. と りわ け,フ ラ ンスの宮廷付 き音楽家や理論家 との あ. (1596-1687)は ,日 本 で は ,物 理 学 者 や土 星 の 輪 の. い だで書簡 を盛 んにや り取 りしてお り,そ の 中には後. 発 見者 と して名 高 い ク リス テ ィア ー ン ・ ホ イヘ ンス. に 言 及 す る 作 曲 家 ボ エ セ Antoine Boё sset(1586-. Christiaan Huygens(1629-95)の 父 と して知 られ る。. 1643),作 曲家 デ ュ 0モ ン Henry Du Mont(c1600-. しか しコンス タ ン タイ ンの ほ うも,黄 金時代 の オ ラ ン. 84),リ ュー ト奏 者 の デ ュ フ ォ Dufaut(c1604-72以. ダが生 み出 した教養人 と して,歴 史上 た いへ ん重 要 な. 前 ),そ して理 論 家 の メ ル セ ンヌ Marin Mersenne (1588-1648)な どが い た〕。その よ うに音 楽家 との 交. 人物 で あ る。 ホ イヘ ンス は,オ ラ ン ダ総 督 オ ラニエ 公 ウ ィ レム 3. 際 が あ るの も,ホ イヘ ンス 自身が ,み ず か ら リ ュ ー. Dの. 秘書 官 ,そ して詩 人であ った 。 デ ン・ハ ー グに. ト,テ オルボ,ヴ ィオ ール,チ ェ ンバ ロ,ギ ター な ど. 生 まれ ,ラ イデ ン大学 で法律 な どを学 び,そ の 後法律. 多 くの 楽器 を演奏 し,作 曲をお こな うな ど,愛 好家 の. 家や外交官 と して ヨー ロ ッパ 中を飛 び 回 ってい る。 彼. 域 をはるか に超 える音楽活動 を行 っていた ゆえんで も. 世.

(2) 甲南女子大学研究紀要 第 46号. 78 .。. ある. さ らに,彼 自身が作 曲 し,テ オ ルボ 用 の 通奏. 低音付 きの 22曲 の ラテ ン語 の 宗教 曲,12曲 の イ タ リ. 文学 。文化編 (2010年 3月. ). selle de Lenclos(Ninon de Lenclos)(1616/20-1706) ゛ がサ ロニエ ー ル をつ とめ るサ ロ ンの 人気 が あ った 。. ア語 の世俗 曲,そ して 7曲 の フラ ンス語 の世俗 曲 を所 Pathodia sacra ct proね na"(1647)も 収 した歌 曲集 “. リュー トやチ ェ ンバ ロの才があ るニ ノンの サ ロ ンでは. 友 人の ,ル イ 13世 下 で 出版 の特 権 を もつ 唯 一 の 出版. ホ イヘ ンス 自身 だ け で な ・ く ,文 芸批評 家サ ン ・ テ ヴ. 者 で あ るバ ラー ル Robe■ BJlard(c1610-before 73). ルモ ン Charles de Saint― ЁvremOnd(1610-1703)も 彼 鱒 女 をす ぐれた リュー ト弾 き と して評価 して い る 。 し. ,. の もとで出版 して い る (Rasch 1992:3)。 この よ うな 「普遍 人」 であ るホ イヘ ンスが ,様 々な 人た ち との交流 の 中 で と りわけみずか ら楽 しんで熱心. しば しば コンサ ー トや音楽談義がお こなわれてお り ,. か しホ イヘ ンスの 本拠 地であ るオラ ンダの主 な音楽 の 集 いの場 を簡単 に概観す るこ とにす る。. に行 っていたのが ,音 楽 の演奏 を含めた教養 サ ー クル の活動 であ った。 この よ うな活動 には教養 の 高 い女性. 1。. 1.コ レギ ウム・ ム シクム De. muziekcolleges. た ち も参加 してお り,そ の 中で彼女 たちの果 たす役割. 彼 の最初期 の音楽家 との交流 は,子 供 時代 に体験 し. は重要であ った。本論 で は,こ の よ うな ホ イヘ ンスが. た,ア ムス テル ダムで ス ウ ェー リ ン ク Jan Pieterszoon. 関 わ り書 簡 を多 く交 わ して い る,黄 金時代 オラ ン ダの. Sweelinck(1562-1621)が 指揮 して い た コ レギ ウム ・. もっ とも高 い レベ ルでの音楽活動 を含 めた知的サ ー ク. ムシ ク ムで あ った (Grttp 1987:2)。. ル内外 で ,彼 に もっ とも近 い オラ ンダの教養 人女性 で. 供 を もつ よ うにな ってか らも,ア ムス テ ル ダムの友人. あ る,イ ギ リス女王 メア リーの侍女 ユ ー トリシア ・ オ. で あ る商 人 ソイエ Nicolas Sohier(1590-1642)へ 宛 て. ー グ ル utricia Ogle(1616-74),ユ トレ ヒ トの知識 人. た 手紙 の 中 で ,「 通奏低音 の な い ヴ ェ ネツ イア人 [作. ス フー ルマ ン Anna Maria van Schurman(1607-78),. Dの 音 楽教育 のた 曲家 ]り のマ ドリガルを,小 さな歌 手. そ の 後 自身が子. emers Visscher(1594-1649)の 教 養 活 動 の 内容 を分. め に 送 つ て くれ ませ ん か 」 と頼 ん で い る (1810: 1638.3.6。 )。 自身 の 虐、 子 たちのための コ レギ ウ ム ・ ム. 析 ,考 察す る。. シクム を主宰 して い るホ イヘ ンスは,イ タリアのポ リ. そ して詩 人 テ ッセ ル ス ハ ー デ Maria Tesselschade Ro―. 尚 ,本 稿 で 使用 したホ イヘ ンスの 書 簡 資料 は ,「 オ. フ ォニー の声 楽 曲 を手 にい れ ようと,友 人 に頼 んで い. ラ ン ダ歴 史協 会」 が ,Worpが ま とめ た書 簡集 をウ ェ. るの で あ るH。 音 楽 に秀 で た 貴 族 や ,裕 福 な商 人 ら. ブ上 に公開 し,ホ イヘ ンスの書簡 の ほ とん どが 参照 で. が ,宮 廷 や邸宅 で 私的 に音楽 を楽 しむだけで な く,子. ,19世 紀 末 に. 供 たちの学習の場 に も力 を入 れて い たのであ る。その. きる「ホ イヘ ンスの 書 簡集 1608-1687」. Jonckbloet&Landが 編 集 した音 楽 に 関 す る書 簡 集. 他 に,ホ イヘ ンスはアムステル ダムの Collegium Auri―. (1882),そ して 2008年 にオ ラ ン ダの ホ イヘ ンス研 究. acum(オ ラ ニエ の コ レギ ウ ム )や. の 中心 的存在 で あ る Raschが この 1882年 の もの を よ. ど音 楽 の 勉 強 や 演 奏 が で き る機 関 に も関 わ つ て い た 曖。. り正確 に編纂 し,さ らに書簡 につ い てはすべ て現 代 オ. 11lustere Schoolな. ラ ンダ語 に訳 した 『ホ イヘ ンス をめ ぐる音楽 に関す る. 300通 の書 簡』 で あ る。. 1。. 2.マ ウデ ンのサー クル Muiderkringい. ). 当 時 ,代 表 的 な詩 人 ホ ー フ ト Pieter Corneliszoon. 1.音. Hoo■ (1581-1647)が. 楽 の 場. ,ア ムス テ ル ダム郊外 の マ ウデ. ン Muidenに あ る 自宅 ,通 称 「Muiders10tマ ウ デ ン し,ま た他の場所 で も参加 して い た。すで に晩年 に近. 城 」 で「Muiderkring(マ ウデ ンの サ ー クル)」 とい う 知識 人サ ー クル を開催 して い た。 そ こでは,ホ イヘ ン. づ く 1679年 に,彼 はデ ン・ハ ー グの オ ラ ン ダ総 督 の. ス を始 め として ,オ ラ ンダの建築家 ,美 術家 カ ンペ ン. 家系 オラニエ =ナ ッサ ウ家 の 同族 であ るナ ッサ ウ公 マ. Jacob van Campen(1596-1657)H),作 曲家 の ス ウ ェー. ホ イヘ ンスは さまざまな種類 の音楽 の 集 ま りを主宰. ウ リツ Maurits van Nassau(1567-1625)に. ,オ ルガ ン. リ ンク,詩 人 ,外 交官 のブル グ Jacques Van der Burgh. のあ る宮廷 の広 間 の 使用許可 を もらえる よう願 い 出 て. (1599-?)な どが お り,主 に詩作 の 交換 を して い た。. お り (7137:1679。 10.2.)',彼 が まだ活 発 に音 楽 活. そ して メ ンバ ーの一 人で あ る音 楽理論 家 バ ン JOhann. 動 を行 っていたのが わか る。. Albe■. 当時 パ リで は,ル イ 14世 の宮 廷生活 ,社 交 界 で 中 心 的存在 であった,ニ ノンことラ ン ク ロ夫 人 Mademoi―. Ban(1597/1598-1644)の マ ドリ ガル集 『音 楽. の花束 Zangh― Bloemzel』. (1642)の 歌 曲にお いて は. ,. ホ イヘ ンス,ホ ー フ ト,テ ッセルスハー デ らが そ の歌.

(3) 三島. 郁 :黄 金 時代 オ ラ ンダの教養女性 の活動. 詞 を書 くな ど,サ ー クルあ っての 音 楽 活 動 で もあ っ た。 バ ンは ,イ ギ リス 女 王 付 き音 楽 家 の Varenneが 来 た際 に,メ ンバ ー で,チ ェ ンバ ロの伴奏 な どで二. ,. 2。. 1.ユ ー トリシア・ オー グル ユ ー トリシア ・ オ ー グルは,イ ギ リス 人のユ トレ ヒ. トの軍 の 総 督 ,オ ラ ン ダ軍将校 ,大 佐 オ ー グル JOhn. 三声 の歌 や ,ラ テ ン語 ,イ タリア語 ,オ ラ ンダ語 の単. Ogle(1569-1640)と オ ラ ン ダ人の母 の娘 で あ り,ホ. 声 の歌 を歌 い ,Varenneが それ を賞賛 した こ とをホ イ. イヘ ンスの姪 で あ った。 幼少時 をイギ リスで過 ご し. ヘ ンス に報告 して い る (2299:1640。 1.31.)。 その よ. ウイレムニ 世 の妻 ,メ ア リー に宮廷 の侍女 と してオ ラ. うに彼 らが ,Muidenで ,さ まざまな様 式 の歌 曲 をプ. ン ダに赴 く。 1646年 に ,ホ イヘ ンスの 秘書 官 に な っ. ロの耳 に耐 え得 る程 度 の実力 で演奏 して い た こ とが わ. たデ ン ・ハ ー グの総 督 ス ワ ン William Swann“. かる。. した。 尚本論 で は,結 婚 後 にス ワ ン夫 人 と宛名が変 わ. さ らに , また オ ラ ン ダで は この ホ ー フ ト宅 以外 で. ,. .と. 結婚. る こ ともあ るが ,煩 雑 さを避 け るため にユ ー トリシア. は,ホ イヘ ンスの デ ン・ハ ー グの 自宅や ,妻 が亡 くな. で統 一 す る こ とにす る。 ユ ー トリシア. つた 1642年 以 降 には ,デ ン ・ハ ー グ郊 外 の ヴ ォー ル. はホ イヘ ンス か ら音 楽教 育 を受 け てお り,ホ イヘ ンス. ブ ル ク v00rburgに あ る ホ ー フ ウ ェ イ ク HOfwttck. Pathodia"を 献 呈 して い が ,ユ ー トリシアに歌 曲集 “. 宮廷 を避 け る」 の意 )と 名付 けた別荘 や そ の庭 5),. るこ とか ら,彼 が ユ ー トリシアを もっ とも優 れた音楽. そ して後 にユ トレヒ トのス フー ルマ ンの家 で も音 楽実. 家 の一 人 と して扱 ってい るこ とは,次 の ,彼 の 別荘 の Hofwttk"に お い て も明 らか で あ 名 に ち な ん だ詩 “. (「. 践 を楽 しんだ (Smit 1980:214)。 次 にマ ウデ ンでの よ うに,ホ イヘ ンス らが 中心 とな. (と. 彼女 の娘 ). る。. って活動 して い た教 養 サ ー クルに関 わ っていた女性 た ちについ て具体 的 にみてみ る ことにす る。. 彼女 が ここで歌 うの を聞 い た ,そ して今 で も。 ナ イチ ング ール の よ うに歌 う,い やナ イチ ンゲ ー. 2.オ. ラ ン ダ の 教養 女性 た ち. ル を しの い で い る。 (Hofwttk,lines 409-410,Lcerintveld 2002: 26)17,. ホイヘ ンスが教養人の集うサークルで主に活動 した のは,上 述 したように,ア ムステルダムとデ ン・ハー. ユ ー トリシアの名が登場す る書簡 は,Rasch(2008). グ,そ してそれ らの近 郊 であ った。それ はホイヘ ンス. が編 集 した書 簡集 にお い て全 37通 で あ り,そ の うち. が い るか らこそオ ラ ンダで もっ ともレベ ルの高 い サ ー. 19通 が ホ イヘ ンス か らユ ー トリシ ア宛 へ の もの で あ. クルであ る とい って もよい。 そ こに参加 して い た女 性. る。 また彼 女 に宛 て た手紙 の 書 き出 しには,「 私 の た. たちは,ユ ー トリシア ・ オ ー グル,ス フー ルマ ン,テ. い へ ん立 派 な ,そ して た い へ ん 博 学 な生 徒 さ ん 」. ッセ ルス ハ ー デ ,ア ン トワー プの商 人 Gaspar Fernan― des Duarteの 娘 , フラ ンシス カ 0ド ゥアルテ Francisca. (3279)や ,「 私 の親愛 なる立派 な学者 さん」 (3302) な どとあ る もの もあ り,自 分 の弟子 であ りなが ら,彼. Duarte,ホ イヘ ンスの 妻 Suzanna van Baerle,ホ イヘ. 女 を敬 愛 して い る様子 が窺 える。本論 では,こ れ らの. ンス の ドル プ Dorothea van Dorp(1592?-1657?),そ. 書簡 の 中か ら直接音楽 に 関す る書簡 を選 び,ホ イヘ ン. して カゼ ンブ ロー ト Marictte casembrOot(1621-?)な. ス か らユ ー トリシア宛 の もの を 14通 (表 1),そ して. どが主 なメ ンバ ー で あ った。それぞれが 学識 ,教 養が. ユ ー トリシ ア に言 及 して い るそ の 他 の 書 簡 を 12通. 高 く,楽 器演奏 に長 け,優 れた歌 手 で もあ り,ま た彼. (表. らの 中でバ ンやホ イヘ ンス作 曲の歌 を歌 っていた こ と. 号 は Raschに よる もの で あ る。 尚 ユ ー トリシアか ら. が ,ホ イヘ ンスが 友 人たち と交 わ した書簡 か ら明 らか. の ホ イヘ ンス 宛 の 手紙 はその ほ とん どが 失 わ れ て お. で あ る (Brom― Struick 1932:245-246;Vanderauwera. り,夫 のス ワ ンの ホイヘ ンス宛 の書簡 のい くつ か にユ. 1989:142)。 本論 で は ,と りわ け ホ イヘ ンス と交流 が深 く,オ ラ ンダの トップ ・ レベ ルの教養活動 を して. ー トリシアの文 をみ るこ とがで きる。 また書簡 中に登 場 す る人物 につ い て は ,表 5の リス トで確 認 され た. い た「主 要 メ ンバ ー」 で あ るユ ー トリシア,ス フール. い。. マ ン,テ ッセルスハ ー デ につい て ,書 簡 の 内容 か ら彼. まず表 1で は,ホ イヘ ンスからユー トリシア宛の書 博 すな 簡について,そ の内容を分類す ることにする わち,① 彼女の演奏に関するもの,② ホイヘ ンスの 自. 女 たちの音楽活動 を分析 ,考 察す るこ とにす る。. 2)の 内容 をみ てみ る こ とにす る。 手紙 の 整 理 番. )。. 作品の報告. (ま. たその演奏),③ ユー トリシア以外の.

(4) 甲南女子大学研究紀要第 46号. 80. 表 整理番号 日付 (年 月 日 地名. ). 3092. Den Haag. ). l Huygensの UtHcia宛 の音楽 ・演奏 に関す る手紙. 宛先 地 名. 1642.8 5. 文学 。文化編 (2010年 3月. 要約,備 考. 内. (○ 付 き数字は内容 の分類 を示す). 昨 Fl Dorp嬢 か ら二 つ の美 しいエ ー ル を受 け取 りま した こあ なたの ため にそ れ を複写 します ^. こ Huygensか ら utriciaへ の 初 め ての手紙。. Bodebcrgの 軍 3279. Dcn Haag. あなたにタブラチュア譜. (楽 譜 )を. 0約 束 の鍵盤楽器 曲の楽譜 の 送. 送ることがで きません。. 付c. 1643.6. 19. Voom. 3302 1643 7 6. Asscncde. Dcn Haag. 私 はあ なた の美 しく気高 い 手 に最 も適 して い る と思 われ る曲の 中か ら,新 しい T[3279]の 続 き。鍵盤楽器曲の もの をい くつ か送 りま したこ これ らの 曲 をあ なた に練 習 させ た ら,非 常識 に も 楽譜 を添付。 あ なたのす ば ら しい 能力 につ いて 忘 れで もした のか 。 とい うこ とになるで しょ Utnciaの 音楽能力 を賞賛。 (追 伸 )あ なたは,こ の歌 が ,私 が 以前 あ なた に教 えた もの とは少 しちが って. 追伸で,自 作の歌曲の以前 のまち がい をオ 旨オ 商。. い る こ とが わか るで しょうこ しか しこち らが本 当 の 音 です。私が 間違 ってい ま した = 3862. Utrecht. 1645. l. I. Den haag 4242. Utrecht. 1646. l.7.. ユ トレ ヒ トで あ なたが約束 して くれ た音 楽 は,ま だ当分 ともに演奏 で きないで しょうね。 (追 伸 )ど の ようにあ なたは Sibylla(schurnlan)を 制 御 して い ます か c彼 女 に ラテ ン語 の 本 を送 ってか ら 8ケ 月にな りますが ,jE事 が あ りませ んc Ll■iな あなたのすばらしい声でしたら,こ のような最もナ きると思いますので,ぜ ひ歌ってほしいです. (私 の)曲. ② アンサ ンブルを願 う。 OSchurmanか ら長 い 問返事 が な いことを本 目言 炎。. でも表現で T自 作曲の演奏の依頼。. [. Dcn Haag 4762 1648.2.23.. Tcilingcn. ある人の不快 なテオルボと,あ る人のハ スキーな声によって,祝 宴が煩 わされ ました,両 者がハーモニーにぶつか り,日 をくらませ ました しか し StoefRen氏 と私は 2本 の リラ式のヴ イオー ルで驚異 を弾 きました。そ れはうっとりさせるような美 しさで した= Lach五 mae≫ ※を弾 きました。私 の バ ス声部 私はオルガンで悲痛 な 《ラクリメ ^に L卜 の_Lで その素晴 らしい弓が、 動 きました 1. Den Haag. .. 5310 1653 9 5/15. Utrecht. HofwJck. 8自 身の失敗に終 わったテオルボ. のアンサ ンブル。 OStocffken氏 の ヴ イオールの演 奏 の賞賛。 ※この 《ラクリメ》は,お そ らく Sweelinckか Scheidcmann作 の も のであろう。. さまざまな新 しい ア ルマ ン ド,ク ラ ン ト.サ ラバ ン ドな どが ,あ なたの い らっ ② 自作 の 曲を,ut五 ciaに 弾 いて しゃるの をお待 ち してお ります .Francisque(Francisca Duarte)が い らっ しゃ もらうのを待つ。 OSchurmanの 動向についての心 る前 にマ ス ター しておか なければ な りませ ん 我 々の 名高 い Sibylla(Schurman)が なぜ 去 って い ったのか ,ま た どこに行 か 配 c れたのか ,こ れ は我 々に とつて最 も不 口解 な知 らせ です「 も しあ なたが それ に つ い て教 えて くだ され ば うれ しいです =. ]・. .. 5338. ついて,あ なたが い 禁た8鯖 iギ ν ば t出 電 ぜ考瞥 β∫著R71に あなたは,(新 しい調律の)リ ュー トとチ ェンバロのための,新 しいすば らし い曲を聴 くことになるで しようこそ してその曲のハーモニーがあなたの耳 を喜 ばさないとして も,そ の輝か しい タイ トルがあなたの 日を驚かすで しよう。そ れは.《 ロレーヌ公女の嘆 き Plaintcs dc Mad.la Duchcssc de Lorraine≫ ,《 彼女 の 娘 ,王 女 の嘆 き Plaintes de Mad la PHncesse,sa ille》 ,《 ドウワルテ氏 の トンボ ーと葬儀 Tombeaux et funerailles de M.Duartcが です。. ヽ し 2 Schurmanの 信仰 につい ての′ 配。 21リ ュー トとチ ェンバ ロのための 新 しい曲についての報告。Ut五 da に聞いてほ しい。. テ オ ルボ だ け の もの で は な く,ハ ー モ ニ ー の 伴 奏 が つ い た もの (歌 曲集 “ Pathodia")を ,差 ります. Cテ オルボの通奏低音ではな く. Utrecht?. (追 伸 )あ なたが ブ レダで,Corbetta嬢 のすば らしい ギ ターを楽 しめた らと願 い ます.聴 く価値があ り賞賛 に値 します=. 3Corbettaの ギター演奏の賞賛。. London. 私は家を出てか ら約 30の 新 しい曲を作曲 しました,Dufaut氏 にその うちの何 CHuygcnsは ,パ リでフラ ンスで 曲かを聞いて もらい ました。私の取 るに足 らない曲に喜んで くれました。あな 活躍 していた リュー ト奏者兼作 曲 たが Tcilingenで 評価 して くださつたジグもそ うです。た しかに彼は私が今 ま 家 Dufaut と知 り合 い ,自 分 の リュー ト曲をみて もらった。Ut五 ― でになた中でまれにみる作曲家です。そ してユーモアのある人です。 ciaと 彼 の夫 Swannも デュフォと 知 り合えばと願 う。. Utrecht. 1654. 3. 17/27. HO帥 可Ck. 5568 1658 1 30.. Utrecht. .. Dcn Haag 5647 1660.5.7. ,. 通 奏 低 音 を と もな っ た 3声 の Pathodiaを 送る。. Den Haag 5899 1662.8. 17/27 Parls. 6594 1666 12.29. Hamburg. Dcn Haag. 6665. Utrccht. 1668.6.6.. Dcn Haag 6873. Utrccht. 1672. 12. 10/20.. 最 近私 は Frobergcrの 曲 を知 りま した 1去 年 か ら多 くの 曲 を送 って きて くれ て CUtHchの 夫 Swannが Huygcns はマ インツの選定侯 の官 廷 で彼 に会 に紹 介 した ,ド イ ツ の 作 曲 家 い るのです [ラ イン河 を下 った ときに,型 、 い ま した =す ば ら しい Frobcrgcrの 類 い まれ な上 達 を聴 き,ま た彼 が 私 の 話 を Frobergcrに マ インツで会 う。彼 我慢 して聞 いて くれ る こ とほ ど喜 ば しい こ とはあ りませ んで した。彼 の 曲 を リ の 曲をリュー ト用に編曲。 ュー トに編 曲 しま した「. それではもし4.25オ ランダ 。エル (約 293 cm)の 長 さの 2段 鍵盤 のチェンバ CIHuygCnsの 新 しいチ ェ ンバ ロ ロを説得 された ら,今 の私 と同様,ど うで しょう,あ なたに,そ の もっとも素 を,Utndaに 見せ た い 。 当時発 明 されたばか りの 2段 の鍵盤 をも 晴 らしい音 とその他の部分が完壁であると言うことがで きるで しようc 我 々は,Casembroot夫 人のチ ェンバ ロ と私のテオルボで「物音」 をたて ます ③ Huygcnsら のチ ェ ンバ ロ とテ オ ルボの ア ンサ ンブル。 が,あ なたがそれを非難 しない という自信はあ ります。. Dcn Haag 6887 1673 3. 10.. Dcn Haag. Hamburg. 私 は,不 機嫌 に ヴ イオ ール.リ ュー ト.テ オルボ.二 段 鍵盤 のチ ェ ンバ ロ を弾 OHuygcnsが 演奏する楽器。 フイ くこ とに ときをつぶ して きま した ,こ のす べ ての楽器 で 楽 しい 時 間は過 ご しま ドル,リ ュー ト,テ オルボ,チ ェ したが。一年以来私 はギ ターばか り弾 いて お り,こ の 「 ミゼ ラブ ル な」楽器 に ンバロ,ギ ター。 3ス フールマ ンの状況についての あ らゆ るジ ヤ ンル,そ して音律 で 30曲 以 _Lの 曲 を作 りま した 、 亡 配。 (追 伸 )あ なた古 くか らの友 人 sybilla(Schurman)が .我 々が 聞 か され た よ う ′ に。彼 らの結婚 につ いて 係争 中であ る と嘘偽 りな く告 白 しま したこ =.

(5) 三島. 郁 :黄 金時代オラ ンダの教養女性の活動 表 2 Utriciaに 言及する手紙. 手紙番号 日イ 寸 軍月日) 差出入 “名) (地 3726 1644.8.30. Huygcns. 宛先 受取人 (地 名) Beringhen (Paris). 内. 要約 ,備 考. 容. (○ 付 き数字は内容 の分類 を示す). オーグル嬢 (Ut五 da)が 私のテオルボ伴奏でイタリアの歌を歌 って く ①Ut五 daと の共演を友人へ報告。 れるという骨折 りをしてくれました。. (Voor sas_van― Gent). 4256 1646. 1.22.. Huygcns (Den Haag). Utriciaは ま もな くあ なた (Huygens氏 )に 会 える と思 い ます。 (追 伸 )あ なた にチ ェ ンバ ロ用 のす ば ら しい 曲 をお送 りします。. ⑥Ut五 daの 夫 Swannに よる 4242 (表 1)へ の返 事。Ut五 chに よる 追伸。. Huygens (Dcn Haag). Utriciaは あなた (Huygens氏 )の 新 しい 曲を知 りたいので,あ なたに. ⑥UtHdaに よる短い追伸。. Huygens (Dcn Haag). 私 の妻 (utricia)が 風邪で声が出な くな り,悲 しんで い ます。彼女 ⑥ Utriciaが 長期 間ア ンサ ンブル が,あ なたの コンソー トに参加で きればと思 ってお ります。 に参加 してい ないことを彼女の夫 ヽ が′ 亡 配。. Huygens (Den Haag). 私の妹 (Utricia)の チェンバロが鳴 らない と言 ってお ります。彼女 の ⑥妹 の Utriciaの 悪 い調子 のチ ェ 声 も,あ なたの国の,氷 の_Lの 一足の スケー ト靴 のようです (声 が し ンバロと,悪 い声 の調子 の報告。 ゃがれてい る)。. Cimens. あなたが作 ったカンツ ォーナとアリアを,Breda出 身のヴイル トゥオ ①Cimens作 の歌を udHcaに 演奏 ーザ (Utricia)に 歌ってほ しいです。 依頼予定。. Swann (utrecht). 4299 1646.3.25.. 会いたがってお ります。. Swann (utrccht). 4527 1647. 1.24.. Swann (Breda). 4561. 1647.3.3 John(Э glc (Breda). 4692 1647. 10.21.. (Antwerpen). Huygens (Den Haag). 4719A. Schurman. 1647.12.ca 20-25 Huygens (Dcn Haag). (Utrccht). 4724A 1647. 12. 18. Huygcns (Dcn Haag). Pathodia") 我 々のすばらしいセ イレーン (utricia)は その (歌 曲集 “ ① Schurmanは ,utnciaと ともに の 中か ら一つ選んで歌 い ました。私の ミューズは,音 符 に関 しては 演奏するには,自 分の出来が不十 Utriciaと のハーモニー に, まだ満足で きるものではな く, 白鳥 の と 分 との感想 をもつ。 な りにい る鵞鳥のようです。 またともに練習 したいです。. Huygens (Dcm Haag). あ なたはチ ェ ンバ ロ を持 ちた い とお っ しゃって い ま したが ,高 声 の歌 の 伴 奏 を よ くす る swann夫 人 (Utrida)の もの よ りも,ア ルマ ン ド や クラ ン トを弾 くため には,二 音低 くまで ,二 段 目の鍵 盤 は一 音低 く まで音 が なけれ ばな らな い で しょう。. ④ Duaicは cOuchctに よ る 三 段 鍵盤 のチ ェ ンバ ロ につい て説 明。 そ の 際 Utriciaの 楽 器 を比 較 に使 用。 また音色 ,音 の 高 さ,上 鍵盤 と下鍵 盤 の違 い な どにつ いて 詳細 に説 明。. Huygens (Den Haag). Dumc氏 と彼 のお嬢 さん. ⑥Utridaの 健康 のため に訪 れ た ブリュッセルで見聞 した演奏会 そ してア ン トワー プの Duanc家 での演奏についての報告。. Huygcns (Dcn Haag). (追 伸 )我 が妻 (Utricia)の 歌声 とチェンバ ロ を超 える者が ここには ①⑥ Swannは ,皇 帝 フェルデ イ い ません。 ナ ン ド3世 の ところでアンサ ンブ ルを聞 き,Frobergerを 知 った。 彼 は Frobergcrか ら曲 を手 に い れ,Huygensに 送 った。 Swann夫 人 (utricia)と 私が,こ の曲集 “ Pathodia"の 楽譜 Pathodia"の 何 曲か につい ①Lanicr氏 に “ て「美 しい演奏 beau bruit」 を奏でるのを,聴 きに来て くれた らうれ を送付。感想を求める。 しいです。. Schurlnan (Utrccht). 4812 1648.5.3. Duarte (Antwcrpen). 4839 1648.7. 1. Swann (Brcda). 4979 1649.9, 15. Swann (Wcncn) 5324 1654. 1.20.. Huygcns (Den Haag). Pathodia")が 遅 れて いて す み ませ ん。彼女 (Ut五 da)の ① Schurmanと ut五 daの 両 方 に 本 (歌 曲集 “ Pathodia"の 演奏 の依頼。 す ば ら しい声 だけで な く,彼 女 の人 を魅 きつ ける力 ,そ してす ば ら し “ い趣 味 も,あ なたの学識 あ る耳 とうま く合 うで しょう。. Lanler (Brussel?). (Francisca)の ところで ,す ば ら しい ア ンサ ンブルのハ ーモニー を聴 きま した。 リュー ト,ヴ ィオ ール, ヴ ァー ジ ナル,そ して歌 です。 と りわけ ヴ ァイオ リ ンや コ ン トラバ ス とともに 演奏す るブ リュ ッセルの カス トラー トは筆舌 につ くしが たいです。. ,. 音楽家の演奏の報告,ま た彼 らとの音楽活動,④ 新 し いチェンバロについての報告,⑤ 返事のないスフール. ヘ ンスが ,声 楽やチ ェ ンバ ロの演奏が うまいユ ー トリ. マンに対す る心配,と する。 これらの手紙において は,4242に おけるように,ユ ー トリシアの歌唱力を. ルで演奏す る意 図 でそ う して い る こ とが わか る。 また. 5310,5338の よ うに,ユ ー トリシアに楽譜 を送 らな い. 賞賛 し,自 作 品 の演奏 を依頼 して い る ものが 多 い. まで も,自 身が新 しく書 い た 曲につい て報告す る もの. 同様に,3092,3279,3302,3862,5568に おける ように一― ホイヘ ンスはユー トリシアに歌 曲やチェン バロ曲の楽譜を添付することが多いのだが―― ,ホ イ. もあ る (② )。 また 4762,5647,5899,6594,6873は. (① )。. シアに演奏 を して もらう,あ るい は ともにア ンサ ンブ. ,. ホイヘ ンスが ,彼 が見 聞 して きた音楽家 につい ての報 告 ,6887は. ,自 身 が 演 奏 す る 楽 器 に つ い て で あ る.

(6) 文学 。文化編 (2010年 3月 (3)。. また 6665は ホ イヘ ンスが新 しく購入 したチ ェ. ンバロについての報告 である. ). レヒ トに移 った 。 スフールマ ンの専 門 は宗教学 であっ たが ,彼 女が い くつ かの ヨー ロ ッパ の言語 を含め ,ア. (Ci)。. さらに表 2の ,ホ イヘ ンスが 彼 の友 人 らに宛 てた. ラ ビア 語 ,ヘ ブ ラ イ語 ,ア ラ ム 語 な ど 14言 語 を解. り,彼 らがホイヘ ンスに宛てた りしたユー トリシアの 名が登場す る手紙 においては,ユ ー トリシアの演奏 と. し,科 学 や文芸 にす ぐれて い ただけで な く,肖 像画 な り),音 にす どの絵画 ,彫 刻 ,模 型製作 な どの美術 ぐ 楽. その評価 についての報告が多い (分 類番号 は表 1に 準. れて い たのは当 時 のだれ もが認 め る ところであ った。. じ,家 族 による彼女 についての報告 を⑥ とする)。 そ れはユー トリシアの演奏 (① :3726),あ るい は これ. また彼 女 は ,ホ イ ヘ ンス ,デ カ ル ト Ren6 Descanes. か らの 演 奏 予 定 や そ の 希 望 (① :4692,4719A,. -1676),そ して メルセ ンヌ ら,当 時 の トップ ・ レベ. 5324),あ るい は彼女 の歌唱の賞賛. (①. :4724A)が. ほとんどである。 またユー トリシアの夫 スワ ンや彼女. (1596-1650),ヴ オエ テ イウス Gisbe■ us Voctius(1589 ルの学者 とラテ ン語 で書簡 を交 わ して い た。 スフールマ ンは,そ の よ うにデ カル トとヴ ォエ テ イ. の 兄 の オ ー グル JOhn Ogle(Jr。 )(1605/10?-1663?)に. ウスの両哲学者 と親 しか ったが ,新 しい哲学対 ア リス. よる,彼 女 につい ての詳細 な (風 邪 を煩 う,歌 えない. トテ レス学派 の哲学 とい う論 争 に巻 き込 まれ る ことに. な ど)近 況報告 が あ り (⑥ :4256,4299,4527,4561,. な り,結 局 1644年 にはプ フ アル ツ伯夫 人 エ リザ ベ ス. 4839,4979),家 族 ぐる み の付 き合 い で あ る こ と もわ. に,デ カル トが無神論者 で あ る と批 判 し,ヴ ォエ テ イ. か る。 またホ イヘ ンス とユ ー トリシアの チ ェ ンバ ロの. ウス を擁 護 して い る (Irwin 1999:7)20。. 性 育ヒの上ヒ較 を した りして い る もの もあ る (④ :4812)。. の ヴ ォエ テ イウ スのサ ポー トもあ り,ユ トレ ヒ ト大学. この よ うにユ ー トリシアヘ の 手紙 は,彼 女 の音楽能. で 講義 を受 けた最初 の女性学生 で あ った。男性 の学 生. 力 を高 く評価 した上 で ,と りわけ演奏 に関す る ものが. が 彼女 の姿 をみ られ ない よ うに,教 室 の 後 ろに隔離 さ. 多 い。彼女 には,こ う したオラ ンダ内外 の音楽家 との. れた小部屋 で授業 を受 けて い たのである。 また後述す. 交流 や ,そ の際 に演奏 した曲 目を詳 しく書 き送 って い. るテ ッスルスハ ーデ も,ス フールマ ンの ギ リシア語. る。 しか もここには フラ ンスの リュー ト奏者 デ ュ フオ. ラテ ン語 ,カ リグラ フ イー,銅 版画 ,絵 の教養 ,歌. や ウ ィー ンの宮廷 オ ルガニ ス トの フ ローベ ルガーな ど. チ ェ ンバ ロ,そ して リュー トの 演 奏 を賞 賛 して い る. の ,当 時 ヨー ロ ッパ で 名 を馳せ る音楽家が登場 して い. (Irwin 1999: 5)。. る。 ホ イヘ ンスが 彼女 に,単 なる社交辞 令 で はな く ,. 彼 女 は ,こ. ,. ,. ス フー ルマ ン に言 及す る書 簡 は ,Worpに 25件 あ り,Raschに お い て はその うち 5件 を含 む 18件 が掲. 本心 か ら彼女 の音楽能力 を賞賛 してお り,ま たそれだ か ら こそ 自身 と他 の音楽家 との個 人的 なつ きあ い につ. 載 されて い る。 またそ の うち 5件 はユ ー トリシアの も. い て も喜 んで彼女 に報告 してお り,個 人的 に親 しか っ. の と重 複 して い る。 ホ イヘ ンスか らスフールマ ンヘ は. た こ とが窺 われ る。 また音 楽 に関 わ る もの で は な い. 3件 ,ス フールマ ンか らホ イヘ ンスヘ 2件 で ,そ れ以. が ,ユ ー トリシア と共 通 の 友 人 ス フー ルマ ン に つ い. 外 は他 の書 き手 に よる もので あ る。 ス フールマ ンにお. とい う愛 称 で 触 れ (3862,5310,5338,. ける手紙 の分類 は,① 演奏 に関す る もの ,② ス フール. 6887),ま た内容 もス フー ルマ ンの 信仰 の 変化 に関 わ. マ ンに音楽 につ い て識者 の意見 を求 め る もの ,③ それ. る もの な どで あ り,彼 らの親 しさを示 す もの で あ る. 以 外 の もの,⑤ 既 に宛 てた手紙 に対 して返事 の ないス. て ,「 Sibylla」. (⑤ )。. またユー トリシアに関す る手紙 には,演 奏 やそ. フー ルマ ンに対す る心配 ,と す る。. の 内容 ,ま たユ ー トリシアに対す る賞賛 ,ま たユ ー ト. 表 3を み る と,ス フールマ ンとホイヘ ンスの や りと. リシアが聞 い て喜 びそ うな他 の友 人や知 り合 いの音楽. りは,ユ ー トリシア とは少 しちが った もの になって い. 活動 の報告 な ど,具 体 的 にその内容 を伝 える,音 楽 に. る ことが わか る。 た しか に スフールマ ンはユ ー トリシ. 直接 関 わる ものが ほ とん どであ る。 そ の相手 は必ず し. ア と同様 に歌 を歌 い ,チ ェ ンバ ロ を演奏す るのであ る. もマ ウデ ンのサ ー クルでの顔 な じみ ばか りで な く,パ. が ,多 くの手紙 にみ られ る よ うに,彼 女 に求め られ る. リ,ロ ン ドン,そ してア ン トワー プの音楽家や知 人な. 役 目には よ り学識 的 な面が大 きい 。 ホ イヘ ンスが ,ス. どもお り,彼 女 の歌 唱能力 の 高 さや交際範 囲 の 広 さが. フー ルマ ンヘ 宛 の 手紙 にお い て ,ス フールマ ンとユ ー Pathodia"中 の 曲 を歌 って ほ しい トリシア の 両方 に “. 窺 える。. 2。. 2.Ao M.veス. フール マ ン. ス フー ル マ ンは ,ケ ル ンで 生 まれ ,1615年 に ユ ト. と頼む際 も (① :4719A),ユ ー トリシアに対 して は す ばらしい声 をまず求めてい るのに対 し,ス フールマ ンには「学識あ る耳」 を求めてい るのである。.

(7) 三島. 郁 :黄 金時代 オラ ンダの教養女性の活動. 83. 表 3 Schurmanと 彼女 の音楽 に関す る手紙 手紙番号 日付 (年 月日) 差出人 (地 名). ) ○ のない ものはそれ 場の分類外。. Ban. 2422 1640.6。. 要約,備 考. 26。. (Haarlcm). Huygens (Maldcghem) 2482 1640.8. 13. Ban. (○ 付 き数字は内容 の分類 を示す。. 手 紙 文 の 内 容. 宛先地名. Huygens (Dcn Haag/. Mcrscnncか ら受 け取 り,写 しを取 った もの (Boё ssctの 歌 曲)を ,き ちんとした配慮 と趣味 をもった音楽の手引 きを備 え持ってい る,す ばらしい女性 Schurmanに ,私 の代理 で送 ったらいかがで しょうか。 (中 略 )Mersenncが 最近送 って く れた新 しい記譜法の楽譜 も彼女に渡 して もらえませんか。. ②Huygcnsは ,Banに ,エ ール・ ド・ クー ル論争 に使用す る Ban自 身 と Boё ssetに よる “ Me vcux― tu voir mourir"と ,Lc Ⅳhire の新 しい記譜法 (musique Jm6riquc)の 楽 譜の,Schurmanへ の送付 を提案。. Schurmanに フラ ンスの歌 と新 しい記譜法 を送 りま した. ②Banは ,自 分 の作品 と Boё ssetの 曲に対 す る分析 ,そ して フランスの記譜法 (Le M触 rcの )を schurmanに 送付。. 右項 を参月. ②Banは Schurmanに エール・ ド・クール 論争 の対象になる Boё ssctの 歌 曲に対する 批判的な分析 を送付 (2422,2482参 照)。. 右項 を参照. ②2495Aの Schurman宛 の手紙 の写 しを Huygensに 送付。. 右項 を参照. ②2495Aの 手紙 の写 しが Merscnncに 送 ら れた。Mcrsenncは この論争に関す る Huy― gcnsと schurmanの 意見を請 う。. Rttnberg). (Haarlcm). 2495A. Schurman. 1640.8.20.. (Utrecht). Ban (Haarlem). 2546A 1640.9.23.. Huygens (Den Haag). Ban (Haarlem). 2564 1640. 11.3.. Huygcns (Dcn Haag). NIerscnnc (Paris). 2661. 1641.3.8. Huygens (Den Haag). 2671A 1641.3.8(/18). Voctius (Utrecht). (追 伸 か. )2番 目の譜例 を名高い Schurmanに. 。. 渡 して くれません ③Huygensは vOctiusに 『オルガ ン奏法 Or_ gclgcbruyck』 を送 り,彼 の 意 見 を請 う。 Schurmanに も同 じもの の 送付 を彼 に頼 む。. Huygcns (Den Haag). Schurlnanに 譜例 を二つ送 りました。. Schurmanが 自身で描 き,彫 った 肖像画 を送 ります。. ② Voetiusは 譜例 を schurmanへ の 送付 を 報告。 また Schurmanが 自身で彫刻 した 肖 像画 を送付。. Huygens (Dcn Haag). 先 日 Hoo■ が,Schurman宛 の私 の手紙 (2495A)を 読 んだ 際に,私 に次の言葉 を書 きました。「私が音楽の識者だ とし て も,わ た しはあなたの音楽の発音の正確 な ルールについ て,即 座 に率直に賛成す ることにまった くひるみません」. ③Hoo貴 が一連の論争において彼が Banを 擁護 してい ることを, Banは Huygcnsに 報告。Banは ,パ リの助言者 (Mcrscnne) の コメン トは気にかけていない。. Huygcns. イ ン グラ ン ドの女 王付 き宮 廷 楽 長 Robert氏 が ,Johan God― schalk van Schurman(A.M.v.Schurmanの 兄 )が よこ した賛. Voctlus (Utrecht). 2990 1642.5. 1.. Ban (Haarlem). (Haarlcm). 辞 を,私 に送 って くれ ま した。彼 は私が彼 の妹 に 2年 前 に書 い た手紙 に感謝 を して い ま した。. ③ Schurmanの 兄 は ,Banが Schurman (妹 )に 送 った 手紙 を読 み ,そ の内容 に感 銘 を受 け ,音 楽 に つ い て Banと 音 楽 談 義 を した い とい う趣 旨の 手紙 の 報告 。. 3862. 表 1参 照。. ⑤. 3155 1642.9。 16.. (Sonsbeck). Ban. 4617 1647.7.8. Huygens (Den Haag). Schurman (Utrecht). Pathodia"の 出版 の報告。そ の うち し 私 の (“ Pathodia"の )詩 編 は,あ なたが我慢 強 い 耳 で 手 を貸 ② “ して くれた のですが ,す べ て 印刷 しま した。私が加 えた フラ くつかの曲を schunnanに 送付。 ンス語 とイ タリア言 吾の歌 が続 きます。. 4719A. 表 2参 照. ①. 4724A. 表 2参 照。. ①. 5310. 表 1参 照。. ⑤. 5338. 表 1参 照. ⑤. 右項 を参照. ② Schurmanに 教会で使用す るための詩編 を送付。彼女の意見を請 う。. 右項 を参照 。. ② 5667へ の返事。Huygensが 送付 した も のに同意。. 表 1参 貝. ⑤. 5667 1660 12.5. Huygens (Den Haag). 5679A 1661.1.23/2.2. Schurman. Schurman (Utrecht). Huygens (Dcn Haag). (utrecht). 6887.

(8) 甲南女子大学研究紀要 第 46号. そ の 様子 が顕 著 に表 れ て い るの は ,1640年 の 「 エ ]に お い てで あ る。 表 3に お ー ル 0ド ・ クー ル論 争 」 い て 5通 の 手紙 が そ れ に関係 す る もの で あ る (②. :. 文学 。文化編 (2010年 3月. ). カル トと親 しい ホ イヘ ンス を気遣 ったのだろ うか。 ユ ー トリシアの箇所 で 既 述 した よ うに ,ホ イ ヘ ンス は 「Sibylla」 の 愛称 で ス フー ルマ ンの 消 虐、 を気 にす る内. 1640年 に メルセ. 容 の書簡 を書 い てお り,こ こに もホ イヘ ンスの私 的な. ンヌ,ホ イヘ ンス,そ してデ カル トは,マ ウデ ンのサ. 気遣 い がみ られ る。 さらにホ イヘ ンス とヴ ォエ テ ィウ. ー クルに参加 して い た バ ンと,ル イ 13世 治世 下 の 宮. スがや り取 りす る中に スフールマ ンの 名 が 挙が る こと. 廷作 曲家 ボエ セ に,同 じくサ ー クル仲 間 の カ ンペ ンを. もあ り (③ :2661),ホ イヘ ンスは デ カル ト側 に もヴ. 通 して ,フ ラ ンスの 聖 職 者 の 詩 人 ア ベ ー ル Germain Me veux… tu voir mou五 r Habert de C6Hzy(1615-54)の 詩 “. ォエ テ イウス側 に もつい てお らず 中立的 で あ るこ とが. 2422,2482,2495A,2546A,2564)。. わか る。. (わ た しが死 ぬの をみた いの ですか )"に エー ル ・ ド・. クール を作 曲 させ ,「 歌 比 べ 」 を させ た。 バ ンが そ の. 2.3.テ ッセル スハ ーデ アムステル ダム に生 まれたテ ッセルスハ ー デ も,商. エ ールの 中 で実践 した「普遍的 な音楽 の作 曲法」 を彼 、 と耳 を楽 し 亡 らは強 く批判 し,メ ルセ ンヌは「音楽 は′. 人であ る父 Roemer Visscher(1547-1620),そ. ませ る もの ,人 生 を少 し甘 くして くれ る もの 」 (2573. Anna Visscher(1583-1651)と ともに,オ ラ ン ダ黄金. A:1640。. H。. 14。. )と し,ボ エ セ を擁 護 した 。 バ ン. tノ. て姉. 時代 の 詩 人 と してそ の 名 が刻 まれて い る。彼女 もラテ. が ,デ カル トや メルセ ンヌか らその歌 曲の出来 をたた. ン語 ,ギ リシア語 ,イ タリア語 に優 れ,絵 画 ,彫 刻. かれ る と,彼 はスフールマ ンに長 い手紙 を書 い て助 け. エ ッチ ング,タ ペ ス トリー の制作 をお こ ない ,歌 唱 を. を求めた。 またホ イヘ ンスは そ の あ い だ をと りもち. 中心 と してす ぐれ た音楽家 であ った。現在 もア ムステ. ,. ,. 手紙 の写 しな どをバ ンに送 ってい る。それ以外 に も. ル ダム 国 立美術館 には,彼 女 の 手 に よるカ リグラフイ. ス フールマ ンとの や りと りで はな く。 スフールマ ンに. ー をほ どこ した グラス作 品が残 っている。彼女 は 1623. 曲につ い て の 意 見 を求 め る もの もあ る (② :2671A,. 年 に船 長 の Allard Jansz Crombalch(?-1634)と 結 婚. 4617)c. し,彼 が亡 くな った 後 に,ホ イヘ ンスや ,マ ウデ ンク. ,. この ように,ス フールマ ンは,ホ イヘ ンスのみ な ら. リ ン グの メ ンバ ー で あ る詩 人 の バ ル レ ウ ス Caspar. ず ,ま わ りの哲学者や学識者 た ちが意見 を求め るご意. BaJacus(1584-1648)が 彼 女 に求婚 したが ,彼 女 は. 見番 の ような存 在 で もあ った。 しか しそれゆえに,神. 断 ってい る。主宰者 ホ ー フ トも,彼 女 につい て しば し. 学論争 に巻 き込 まれ て しま った と もい える。 1660年. │ゴ. 代 に一 度両者 の 詩編 の 送付 やそれ に対す る返事 のや り. ほ どであ り,「 マ ウデ ンのサ ー ク ル」 の 仲 間 で は 中心. (②l:5667,5679A),そ. 的 女 性 の メ ンバ ー で あ っ た こ とが 窺 わ れ る (Van_. とりがあるが (表. れ以外は 3862. 1,1645年 )の 手紙 に始まる,ス フールマ ンか ら. 「甘 い ミル ク ・ハ ー ト zoetemelkha貢 」 と口 乎んで い た. derauwera 1989: 142)。. の 手 紙 が 途 絶 え る ブ ラ ン クの期 間が 長 く続 く。 デ カル. この テ ッセ ル ス ハ ー デ に も,マ ウデ ンの サ ー クルの. トとヴ ォエ テ イウ スの 神 学 論 争 の た め に ,結 局 は ヴ オ. メ ンバ ーで あ る作 曲家 バ ンは ,メ ンバ ー 作 の 歌 詞 に よ. エ テ イウ ス 側 に つ くこ とに な った ス フー ルマ ンが ,デ. る 自作 の 曲 を歌 って も ら って い た。 テ ッセ ル ス ハ ー デ. 表 4 Tesselschadeへ の音楽 に関す る手紙 手紙番号 、(年 月「1) ロイ 差出入 (地 名 1‐. 宛先地 名. 内. 要約 ,備 考. ). 2973 1642.4 2 Ban. Huygens (Den Haag). まず Hoo■ の 時 を,そ の 後す ば ら しい 女性 Tesselschadeの 詩 を選 び ま した〕. Banは Descaiesの 提 案 で ,三 声 の 歌 を. Ban. (追 伸 )あ なたが 聞 い 合 わせ て い た ,あ なたの 音楽 に選 びた い と して い た。John博 十 の優 れた詩 を “ Engels huis"か らな くして しまい ま した↑同 じ著 者の エ ピグラムにつ い ての私の オ ラ ンダ語 の ヴ アー ジ ヨンを Tessclschadcに 聞 いてみ て くだ さい. Huygensが な くして しまった,詩 の著者 の 著 作物 に つ い て ,(そ れ に詳 しい )Tes¨ sclschadcに 問 い あわせ るように Banに 提 案.. Hooftと Tesseschadeの オ ラ ン ダ語 の 歌 詞 で 出版。. (Haarlem). 3114 1642.8. 19.. (Haarlem). Huygens (Bodc 2 bcrg). :. 3234 1643.4. 10. Ban (Haarlenl). Huygcns (Den Haag). 私を訪れ,私 (Ban)の 音楽 を聞 くた Banは Huygcnsに 『 歌 の 花 東 Zangh― めに,あ なたが耳 を貸 して くれるか どうか尋ねてい ました。 blocmczcndel』 を送 る。Tcsselschadeの 訪 間を受けた。 (追 伸 )Tcssclschadcが.

(9) 三島. 郁 :黄 金時代 オラ ンダの教養女性の活動 表. 名前,生 没年. 5. 85. 手紙 中に登場す る人物 リス ト 職業,そ の他,Huygensと のつなが り. (生 没年). Ballard,Robcrt(c1613-73). ルイ 13世 から出版の特権 をもつ唯一の出版者。Huygcnsの “ Pathodia"を 出版 (1647)。 1612年 か ら フランスの王室で リュー ト奏者 。作曲家であった同名の Robc■ BJlard(c1575-c1645)の 唐、 子。. Ban,Johann Albert(1597/98-1644). ハー レムのカ トリックの家に生 まれる,司 祭 ,音 楽理論家。Mersenneの 企てた Boё ssetと の「エー ル ・ ド・クール」競争に敗れる。. Barlacus,Caspar(1584-1648). 詩 人 ,神 学者 ,哲 学者 。 アムステル ダム大学 の前 身,Athenaum 11lustreの 哲学 と修辞学 の教授 。. Bcringhen,Hcnri dc(1603-1692). フランスの官僚で,後 にフラ ンス王の主馬頭。. Boё sset,Antoinc(1586-1643). ルイ 13世 の王室で,王 室の子虐、 のための楽長 (1613-),女 王の音楽長 (1617-),王 室 の秘書 (1620 -),王 室の音楽の監督 (1623-)な どを歴任。エール ・ ド・ クールの作 曲家 として名高 く,フ ラ ン スでは最 も早 く通奏低音付 きの歌 曲を書 いていた (出 版 は Huygensの “ Pathodia"(1647)が 先 )。 Mcrscnncは 彼 を「歌曲の装飾音の師であ り,彼 を模倣すべ き」 とする。. Burgh,van der Jacques (1599-?). 詩人,外 交官。1628総 督 の秘書. Casembroot,MarieJc(1621-?). (フ. ロニ ング ンとフ リース ラ ン ト). チェンバロ奏者。ホイヘ ンスの詩『1台 のチェンバロを 2本 の対にならない手で (2人 の奏者で)Twee (1648)は チ ェ ンバ ロ奏者 の彼女 の ことを うたった もので あ る。. ongepaerdc handcn op ccn clavccimbel』. Cimenes,Marchese R。 Corbetta(?―. (?― ?). Ximenes"姓 か 不詳。 スペ インかポル トガル系 の “ イタリア出身のギター奏者。. ). ア ン トワ ー プのチ ェ ンバ ロ製作 家。 Huygensの た め にチ ェ ンバ ロ を製 作 して い る。 (1655年 4月 6 日). Dcscartes,Rcn6(1596-1650). フランスの哲学者。Mcrscnncの 企てた Boё ssctと の「エー ル ・ ド・ クール」論争 にお いて も意見 を 述べ る。. Dorp,Dorothea van(1592?-1657?). ハ ー グで Huygensの 近 くに住 んで い た ,彼 の従姉妹 。. Duarte,Gaspar Femandcs(1584-1653). アン トワー プの銀行家。ア ン トワー プ在住のチ ェンバ ロ製作家 Couchetの チェンバ ロを Huygcns I 紹介する。. Duね ut(c1604-bebrc 72). フラ ンスの作 曲家 ・ リュー ト奏者 。Gauldcrの 弟子。. Froberger,Johann Jacob (1616-67). ウ ィー ン宮廷 のチ ェ ンバ ロ奏者 ,作 曲家。 オ ラニエ 公 の イギ リス大使 Swannが 1649年 に彼 の演 奏 を 聴 き,「 チ ェ ンバ ロ にお いてたいへ ん稀 にみ る人物 」 と Huygcnsに 報告 。. Gaultier,Dennis(1603-72). フラ ンスの リュー ト奏者 ,作 曲家。. Hacquart,Carolus(c1640-1701?). ユ トレヒ ト,ア ムステルダム,デ ン・ハ ーグの宮廷でヴイオール奏者 ,作 曲家。Maurice公 (ブ ラジ ル総督)と Huygcnsの 庇護を受けていた。. Hotman,Nicolas(1610-63). ベ ルギー出身のフラ ンスで活躍 した リュー ト,ヴ ィオール奏者。作 曲家。Saint― Colombeの 師。 1659 年 Huygensに ヴイオール とリュー トの 曲を送る。Huygcnsは 彼 を「音楽の偉大な巨匠 cc grandc ma↑ trc de la musique」 としている。. Killigrew,Judith(. イギ リスの女王付 き侍女。夫の Dr.Robe■ Kinigrew(1579-1633) は王付 きの聖職 者 で ウェス ト スターの主任司祭。虐、 子の一人は劇作家 で ヨー ク公国の聖職者の Hcnry Killigrcw(1613-1700), の娘は詩人で画家,ヨ ー ク公妃の侍女の Anne Kilhgrew(1660-85) が い る。. Lanier,Nicholas(1588-1666). イギリスの リュー ト奏者。1622年 にロン ドンでホ イヘ ンスは彼 と知 り合 う。. Le Maire,Jean(1581-1650). 五線譜のシステムでは な く,「 musiquc alm6riquc」 とい う音高や リズム を記号で示す新 しい記譜法 を 発明 した (こ の記譜法は彼 の死後使用 されてい ない)。. Lorraine,卜 4adame de B6atrix de Cusance. ロ レーヌ公 国公妃 。 クラヴサ ンを弾 いた 。. ン そ. Couchet,Joanncs(1615-55). (1614-63) Mcrscnnc,NItarin (1588-1641). 音楽理論 家 ・哲学者 。『音 楽汎論』 (1647)の 出版。Descanesと 深 い 交流 が あ る。 1638年 Huygensが Banに Descaiesを 紹介 し, Dcsca貢 esと Huygensが Banを Merscnncに 紹介 した。. Robert,Antoine(?― ?). 17世 紀 のイギ リスの女王 (HcnHette_Maria dc Bourbon,1609-69)付 き宮廷付 き楽長。. Saint― Luc,Jacques. フラ ン ドルのテ オルボ ,リ ュー ト,ギ ター 奏 者 ,作 曲家 。 1639年 ブ リ ュ ッセ ルの王 室礼 拝 堂付 き音 楽家。 17世 紀末 にサ ヴ ォワの Eugё ne公 に仕 えた。. dc (1616-c1710). Schurman,Johan Godschalk van(1605-. A.M.v Schurmanの 兄。. 64). Sohier,Nicolas(1588-1642) Stoeffken,Diet五. ch(17世 紀初 め 一 ?). Swann,William (c1620-78). アン トワープ出身のアムステルダムの商人。 ヴ イオール奏者 。おそ ら く Holstein出 身。. デ ン・ハ ー グの総督。1646年 に Utricia Oglcと 結婚。オラニエ公の外交使節団の一員 として ドレスデ ンとウィーンにともに赴 き,皇 帝 の佃1で 謁見 もしてい る。. ※論文 中に説 明 の あ る人物 は この表 で は省 い た。.

(10) 文学 。文化編 (2010年 3月. 86. ). 自身が ,「 不 死 身 の バ ンは幾 度 もエ コー をす る」 と言. ハ ー デは,そ れぞれが 多方面 に才能や教養 を もつ 黄金. い ,バ ンがおそ ら くサ ー クル内で何 回 も曲を試 して歌. 時代 に名 を残す代 表的 な,ま さに普遍 人であ つた。. わ せ ,彼 女 も ま た 歌 っ て い た こ と を も窺 わ せ る (Brom―. 彼 らは,ホ イヘ ンス を中心 として,そ の私 的 な親 し さを示す ,共 通 の友 人の様子 を心配 した り,健 康 を気. Stmick 1932:246)。. 彼女 の 名 に言 及 して い るホ イヘ ンス関連 の書 簡 で残. 遣 った りな どの ,心 の こ もった私信 も多 くや りと りし. ってい る もの は全 24件 で 音 楽 に関す る書 簡 に関 わ る. て い た。 しか しそれだけで はな く,そ の一 方 で 当時 の. ものが全 3件 であ る。その うちホ ー フ トか らホ イヘ ン. 社交生活 の一 面 を明 らか にす る,音 楽 の演奏 ,あ るい. スヘ 4件 ,そ の逆が 5件 ,ま た上述 の バ ル レウスか ら. は詩作 につい ての具体 的 なや りと りを行 ってお り,当. ホ イヘ ンスが 5件 ,そ の逆 の 2件 が主 な もので あ る。. 時 の 教 養 人た ち の 文化 生 活 ぶ りを明 らか に して くれ. ホ イ ヘ ンス は バ ル レウ ス ヘ の 手 紙 (2960:1642.3。. る。す なわち,余 裕 の ある商 人や外 交官 たちが詩作 や. )に お い てテ ッセルスハ ー デ につ い ての詩 を載せ る な ど してお り 22,そ の 内容 の ほ とん どが詩 作 に関す. 作 曲,演 奏 に時間 を費や し,新 しい楽器 や 自作 の 曲. る もので あ る。 本稿 の 表 4に は,Raschに 掲 載 された. 楽譜 を手 に入れた り,ま た彼 らの演奏 な どについ ての. 音楽 に関す る書簡の 3件 のみ を載せ た。. 報告 な ど,ど ん欲 に情報交換 を した りして い るのであ. 5。. ,. 著 名 な ドイツや フラ ンスの作 曲家や演奏家 の 曲な どの. 2973に み られ る よ うに,マ ウデ ンの サ ー ク ルで 作. る。 と りわけ この オラ ンダの地 は一― フラ ンスや イタ. 曲 を行 っていたバ ンは,詩 人のホ ー フ トとともにテ ッ. リアの よ うな文化 の 中心地 とはい えな くとも一― ,17. セルスハ ー デの詩 を曲に使用 して い る。 またホ イヘ ン. 世紀前半 の黄金時代 にお い て消 費 にお い ては中心 地の. ス も詩 に関 してバ ンか ら問 い 合 わせ の あ った もの をテ. 一つで あ り,む しろそ こには多 くの情報が集 まってい. ッセル ス ハ ー デ に問 い合 わせ る よ うに返 事 を書 い てお. た こ とを物語 ってい る。当時 ,都 市 間 の距離 は現在 よ. り. (3H4),詩. 作 に関 して彼女 を信頼 して い たのが わ. りも大 き く感 じられたはず だが ,彼 らは よ く旅行 し ,. またホ イヘ ンス 自身 もパ リで歌 曲集 を出版す るな ど. か る。. ,. フ ッ トワー ク軽 くヨー ロ ッパ 大 陸 を縦横無尽 に動 き回 ,. わ. っていた。そ の 中 で ,女 性 たちは政 治 の要職 に就 くこ. ︶. お. とはな く,ま た夫 の転勤 に ともな う移動 に よ リサ ー ク 本論 で はホ イヘ ンスの書簡 を通 して ,オ ラ ン ダ黄金. ルの メ ンバ ー た ち と遠 く離 れ る こ とに な った と して. 時代 の 3人 の女性 たちの教養活動 を書簡 の 内容 か らみ. も,ま るで現 在 の 電 子 メ ー ル や電話 の よ うな気 軽 さ. て きた。 ホ イヘ ンスが オラ ン ダの ,と りわけ彼が住 ん. で ,書 簡 を絶 えず交 わ して い る。そ して ,上 述 した音. で い たデ ン ・ハ ー グやその近 くのホー フウェイク,ア. 楽や詩作 につい ての情報交換 や ,エ ール ・ ド・ クール. ムス テ ル ダム,そ してその近郊 の マ ウデ ン,ま たユ ト. 論争 にお ける よ うな互 い の音楽美学観 につい て まで も. レヒ トとい った地理 的 に近 い 中での付 き合 いの あ った. 率直 に述 べ あ って もい るのであ る。. 女性 た ちの ,ホ イヘ ンス をめ ぐる中 での ,彼 女 たちが. 本稿 で はホ イヘ ンスの居住 して い たデ ン・ハ ー グや. 交 わ した書 簡 ,あ るい は彼女 たちに言及 して い る書簡. アムステル ダムな どを中心 にみて い ったが ,今 後 は活. か ら,彼 女 た ちの行動 や そ れ に対 す る評 価 をみ て き. 動域 の広 い ホ イヘ ンスが ロ ン ドンや パ リで も親交 を も. た。それ は彼 のサ ー クルの一 部 に しか過 ぎない が ,そ. った友 人たちについ て も,そ の 活動 内容 を分析 し,彼. れで も女性 たちのはなばな しい活躍 をみせ て くれ た。. らの文化生活 につい て明 らか に して い きた い 。. 彼女 た ちが関わるオ ラ ンダのサ ー クルには,と りわ け フラ ンス,オ ラ ン ダ,ベ ルギーにお ける各分野 の最 ヘ ンス とい う大 人物 と関 わって い る。 デ カル トや メル. 参考文献 赤木昭三,赤 木富美子 2003『 サ ロンの思想史 一デカル トから啓蒙思想へ』名古屋 :名 古屋大学出版会。. セ ンヌ,ヴ オエ テ ィウス らと論争 を し,ス ウェー デ ン. BroΠ l― Struick, Willerllien。. 高 レベ ルが 集 ま ってお り,そ の人物 た ちはす べ てホ イ. 女王 とも知 己であ る ス フー ルマ ン,こ の ス フールマ ン とも親 しく,同 時代 の ,と りわけ フラ ンスの音 楽家 の 作 品 を積極 的 に演奏 し評価 を得 て い たユ ー トリシア. ,. そ してそ の二 人 とも付 き合 いが あ り,ホ イヘ ンスや ホ ー フ トと並 んで歌 曲に詩 を採用 されて い たテ ッセル ス. Stemonderzoek door Neder― 1932. “. Nι グ α κお sθ ttr′ グ ι″力 r``′ Jgj4gソ θθr Nθ θrグ ‐ landers,"71ル グ `r′. 豚ι に '`た. 13,no.4: 238-267.. g′ sc力 j`グ `17,s。. Cohen,Albert.1963.“ Jean le Maire and La musiquc AlⅡ. 16ri―. quc," Acrα ″夕sjε θ′ θgjε α. 35: 175-181.. Crawbrd,Tim.2001.“ ConstantJn Huygens and his musical circle'notes for CD“ M"sjε. 几 Cθ κ―. j“ θ ル ο朋 油 ″ げ レ 昭. “.

(11) 郁 :黄 金時代 オ ラ ンダの教養女性 の 活動. 三島. s′. " αれ′ ヴれ″ yg`れ Sα れグたJs“ sjθ αιCjrε ι `。 “ “. Mctronomc MET. Snlit,Jacob。 1980。. ルソ. Hc′. `ん. GrJp,Louis Pcter.1987.“ Huygens en de muzick,"θ. ル ν夕z‐ “. No.2-2: 38-40.. Anna Maria van. Irwin, Joyce, edited and translated。 1999。. Schurlnan.Nh`′ んιrα C力 ris′ jα れ ″ο αれ S力 0“ Jグ b``グ ′θ α′ `グ “ 力ιr ″rj′ jれ g/ra“ 力 αれグ θ′ たJJι ε′ 夕αJ ε てJθ o Chicago: J′. `r jれ. ``Anna Maria van Schurman." Wo“. 2005。 C力. κんιjグ. jん. αr`れ ら ρ. `J。. 's…. Gravenhage:Martinus Ntthoff・. more than letters." Wilson, Katharina M. and Frank J。 r′ れフ ア rJた だ り ん Warnke,edited.助 ι. ′rソ ′ ι ′ たCι れ′ `S`ッ `ん `κ “ Athens and London: The University of Georgia Press. :. Wθ. .. 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Jた ル. αα′ sソ α 4Cθ んs協 れ′ ρι ヴれ〃 ygι んSo Walburg Pers:Zutpehn. “ 三 島郁 2005「 17世 紀 ヨー ロ ッパ に お け る音 楽 ネ ッ トワ ー クの 形 成 ―情 報 交 換 の 中 心 人 物 ホ イ ヘ ンス をめ ぐ っ て 」『民 族 藝 術 』 21号 :160-168。. ィ レム. 3世 は イギ リス の チ ャ ー ル ズ 2世 (1660-. 85)と オラニエ 公 国 メア リー王女 の虐、 子。 トロ ンや顧 客 を紹 介. した (Crawford 2001:non page)。. 3)そ の他 に も王室付 きオ ルガ ン奏者 ラ 。バ ール Piere. Maria van Schurman." Baar, de Mttam, et al。. de. La Bare(1592-1656),王 室付 き副楽長 の ゴベ ール ThO― mas Gobert(17世 紀 初 め -1672),ヴ イオ ール奏者 の オ トマ ン Nicolas Hotman(1610-63)な どが い る。三 島. “`An exceptional nlind'. The learned Anna. θgjれ g′λιbι ′ r C力 θ. 注. 1)ウ. 2)ホ イヘ ンス は フェル メ ー ル にパ. 化 を彩 どる七 人 の 女 主 人 公 た ち』 東 京 :大 修 館 書 店 。. Rang,Brita。 1996。. http:〃 wwwoinghiston1/Onderzock/Prttecten/Huy…. 1882.Cο rrθ ―. edited。. Lciden: Brill.. Lcerintveld,Ado ed。. denis.". gens(2009年 10月 25日 最終 アクセス). Harper Collins.. Jonckbloct, Wo J.A.遷 しLand, Jo Po N。 ,. 川 田靖 子. sれ. `れ. gι れ S f59σ ―f6∂ Z α4′ ゲん 〃タ ακ CO郷 ′ ソ ッ. versity of Georgia Press.pp.164-185。. Georgia Press.: 164-185.. 力. ー αれレ ッ οθ漁 ダ. Wilson,Katharina M.and Warnke,Frank J。. ιパ (√ ′ Ⅵ乃可′ 力 ソ ι れたι ′り。WilSOn,Katharina M. んr/2 Cι れ′ `Sι and Frank Jo Warnke, edited by. Athens : University of. sθ. `rソ. Vanderauwera,Ria。 1989.“ Maria Tesselschade: A wollllan Of. `れ. Jager,Atrid de。. s′. 141-163.. University of Chicago Press. Irwin Joyce L。 1989。. D`grθ θ″ η `ι. CD 1051.. j`た. 87. 2005. 参照。. , edited.. 『αrJα ソ αれSθ 力′r“ αれ (1607 ραrム A4κ α動. `θ. 4)彼 の秘書官 ス ワ ン William. Swann(不 詳 )が ,派 遣先. の ウ イー ンで演奏 を聴 い た フ ローベ ル ガー Johann Jacob. -1678).Dordrecht,Boston,London: Kluwer Acadedmic. Froberger(1616-67)の 曲 を知 る とす ぐにそ の価値 を い. Publishers.: 23-41.. ち早 く認 め ,彼 に フ ラ ンス の 宮 廷 ク ラ ヴサ ン奏 者 の シ. Rasch, Rudolf。 2007 Drj`λθんグι rグ brjι ソ ι ん θソ. ααん. rθ 4グ. Rasch,. `r ““. COれ s′αん′ zJκ. `κ. Rudolf.. 2005.. zj`た. ソ αれ ,. “Descartes. en. de. Ban― ]Boё sset―. controverse"。 Koops,Willenl,Lcen Dorsman and Theo Ver―. beck, cditedo NCι Car′ ι sι ι κれ ααんsc力 G`わ θθr`れ `/ Car′ `sι D`sθ αrた s θ 4グι υ′ 疑ァ εんな. Van Gorcum.: 178-195。 Rasch,A.Rudolf。. 1999.Gι. `Acα. グ. `“. jι. f6J6-2θ θ. 5。. r. Assen:. zj`た Jん グ `r`― ““ ιrJα んどι れ f572-ノ 795.http : //. Rasch,A.Rudolf。 1992.“ Constanttn Huygens.Zttn muZiCk Ltts772“ zj`た. No.3:3-6.. 1983.“ Ban's lntonation," TJdschrift Van de. Vereniging voor Neグ ι r′ α れJ5・. 9。. Carolus Hacqua■. (c1640-1701?)の 住 ま い は 手 狭 なの. で ,オ ル ガ ンの 置 い て あ る宮 廷 の 広 間 を,週 に 1度 使 ナ ッサ ウ公 は オ ラ ニエ 公 の 弟 で あ り,し たが つて ホ イ ヘ ンス とは 非 常 に近 し く,そ れ に よ リホ イヘ ンス の 願 い も叶 い ,ハ ー グ宮 廷付 きヴ イオ ー ル 奏 者 の Hacqua■ の監 督 の も と,週 ご との 集 い は 1年 に 120回 にの ぼ っ. 年 10月 15日 最 終 ア クセ ス ). en ZJn 100pbaan(deel I),"氏. 15。 )。 であ つた (4979:Swann→ Huygens:1649。 5)「 最近 ハ ー グに移 って きた ばか りの 実力 の あ る音 楽家. わせ て もらえ な い で し ょうか」 (7137:1679.10.2.)。. scん j`グ ι 4Jsソ αれグι. ρ bJjι た グθr ソ 2jgグ `nη ` Ncグ “ wwwolet.uu.n1/∼ RudolfoA.Rasch/persona1/dmh 12.htm (2009. Rasch,Rudolf。. ャ ンボ ニエー ル Jacques Champion de Chamboniё res(1601. /02-72)の 作 品 をフ ローベ ル ガー に紹介 したの もまた彼. yg`κ s. Hilversum: Verloren。 〃′. `″. gι scん j`グ 夕zjι た. is, 33, no.1/ `れ. た。 それ は 1704年 にマ ウ リツホ イ ス Mauritshuisが 火事 にな る まで毎 週 土 曜 日に続 け られ た。 また 人数 は常 に 約 12人 で あ り,指 揮 の Hacqua■ には給 与 も支払 われ た とい う こ とで あ る (Rasch 1999:Hoogdstuk twaalf:De 尚本稿 で は ,Raschに 所 収 され. 2: 75-99。. muzickcolleges:8-11)。. “Cθ れs″ ん′れ 〃タ g`れ s ―Lθ ″ ゼ げ Z夕 JJjθ んθ ッ ヴ “ "(essential vermeer.com)http:〃 ― wwwoessen― (f59σ f687)。. て い る書 簡 に はそ の 番 号 を,そ れ以外 の もの に つ い て. Rech,Adelheid。. ti五. lvermeer.com/history/huygens_b.html(2009年 10月 25. 日最 終 ア クセ ス ). Worpが 編集 した番号 を付 し,必 要 が あれ は差 出人 ,受 取 人 ,そ して 日付 を ( )括 弧 内 に記す。. 6)彼 女 は,文 学 ,科 学 に も精 通 し,デ カル トと親 しか.

(12) 文学 ・文化編 (2010年 3月. 甲南女子大学研究紀要 第 46号. 88. った ス ウェー デ ン女 王 ク リス テ イー ナ. KHsdna(1626-. ろ 19世 紀 以 降 ホ イヘ ンス をめ ぐる教 養 サ ー クルの名 と. 89)も パ リ訪 間 の 際 に彼女 を訪 ねて い るほ どであ つた。. 7)ホ. して定着 した。. 14)ヴ. イヘ ンスは ニ ノ ン を,「 リュー トが巧 みで あ る」 と. 賞 賛 し,同. 画 を収 め て い る美術 館 で あ る マ ウ リツホ イ ス や ア ム ス. 侍 女 キ リ グ ル ー 夫 人 Madame Killigrew(Judith Killi― 14。 )。. アン ・ カ ンペ ンは ,デ ン ・ハ ー グの ,当 時 は宮 廷. で あ り,現 在 は フェ ル メー ル や レ ンブ ラ ン トな どの 絵. じ く音 楽 の 才 の あ る ,イ ギ リスの 女 王 付 き. grew)に 彼女 を紹 介 した と (6796:1671.5。. ). テ ル ダムの王宮 の 設計 を行 った。. この. キ リグ ル ー 夫 人 は ,ホ イヘ ンス に よる と「 リュー ト,. 15)現. ギ ター ,テ オ ル ボの ,ど の 楽 器 にお い て も難 な くゴ テ. 在 Ho帥 Jkは ホ イヘ ンス博 物 館 とな って お り,彼. が設計 した庭 や建物 を楽 しむ こ とがで きる。. 16)表 17)原. イエ やデ ュフ ォな どのた いへ ん美 しい 曲 を弾 く」。. 5参 照。. Dic heb ik hier gehoord,die denk 文 で は以下 の 通 り。“ 8)サ ロ ンが 開 か れ て い る際 に ,ニ ノ ンが リュー トで ク ik nOg tc horen,/Dic heb ik hier gezien de nachtegalen ― ラ ン トを弾 き,客 た ちが踊 る とい う場 面 もあ った よ storen." うであ る (川 田 1990:178)。 "弧 内 の ○付 き数 字 は内 容 の 分 類 す る もの 中 の括 18)文 9)引 用文 中の [ ]は 著者 の補足 。 であ る。 10)こ の 虐、 子 こそ ,幼 い 頃 の ク リ ス テ イア ー ンで あ り, 19)彼 女 は 1643年 にユ トレヒ トの画家 ギル ドに も入 る。 彼 もまたチ ェ ンバ ロや リュー トをた しなんで い た。 20)オ ラ ン ダの理 論 家 バ ンは ,そ の 事 実 を知 って い たか H)ソ イエ は マ ドリ ガ ル を送 っ た と返 事 を送 っ て い る らこそ ,後 述 す る「 エ ー ル ・ ド・ クー ル論 争 」 で デ カ (1813:1638。 3.12。 )。. 12)ホ イヘ ンスは メルセ ンヌ に,Collegium AuHacum(オ. ル トらと対 立 した際 に,ス フー ルマ ンに擁 護 を請 う手. ラ ニエ の コ レギ ウム )や ,ホ イヘ ンスの 師が Bredaに. 紙 を書 い た (2495A参 照 )。 21)エ ー ル ・ ド・ クー ル とは 17世 紀 の フラ ンスの宮 廷 で. 設 立 した ば か りの Illustere Schoolに つ い て 「 IHustere Schoolに は 5,6人 の 優 秀 な教 師 が い る」 と報 告 して い る (4446:1646.9。 12.)。 22)原 13)ホ イヘ ンスが この 言 葉 を手 紙 で 使 用 して い るの は ア ム ス テ ル ダ ム の Athenacumの 教 授 Banacus(1584-. 1648)に 1回 あ るのみ で あ り (263:1625。 5.7.),む し. 作 曲 され歌 われて い た「宮廷歌 曲」。 Verstact ghJ't,Tes_ 文 で は 以 下 の よ う で あ る。 “. sdscha?/Uw aendcht is aen stucken;/Ten minsten leert. hLr na/Aen bedden niet te bucken。 ".

(13)

表 5  手紙 中に登場す る人物 リス ト

参照

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