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刑事訴訟上の証拠使用禁止に関する慕本的諸原理 クヌー卜・アーメルンク

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講 演

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刑事訴訟上の証拠使用禁止に関する基本的諸原理

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ト・ア

lメルンク

子(訳)

一 序 二真実発見の保障 一実体的真実の保障 二訴訟的真実の保障 三刑事訴追機関の訓育 四刑罰の正当性の保持 五情報支配権の保護 六 諸 原 理 の 帰 結 一情報支配権の保護の帰結 二刑罰正当性の保持の帰結 三訓育原理の帰結 四真実発見の保障の帰結

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いわゆる証拠禁止論は、第二次大戦後の自由諸国の刑事訴訟法における最も重要な発展の一つである。たしかにそ うではあるが、この理論の根源は、それよりもはるかに古いものである。 国家が被疑者に不利な情報を、考えうる限りのあらゆる方法で収集することは許されないという観念は、被疑者・ 被告人および証人は、証拠収集にあたって、国家の刑事訴追機関に対置しうる固有の権利を有するという思考と同じ くらい古いものである。この種の最も古い限界は、おそらく、聖職者については後期中世まで、医師および弁護士に ついては一七世紀まで遡って追跡されうる、職業上の証言拒否権の承認であろう。被疑者については、 コ モ ン ・ ロ 1 ヨーロッパ大陸の多数の国においては一八世紀以来承認された、拷問に対する人間の 尊厳の保護の点に、決定的効果が認められる。刑事訴訟上の情報収集が法的限界に突き当たった第三の重要な領域は、 の領域においては一七世紀に、

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イギリスおよびアメリカ合衆国に由来するが││ヨ 1 ロ γ パ世界では一七七

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年から一八五

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年までの聞に生じ ハ 4 ﹀ てきた、空間的な私的領域の承認であった。 刑事訴訟上の証拠収集に対する法的限界の承認は、 し か し な が ら 、 まだ、非合法的に収集されたかまたは蓄積され た情報の使用も、法的制約に服するということを、意味するものではなかった。強制による自白の使用可能性に対す ヨーロッパにおいてたしかに、すでに非常に早くから存在しており、イギリスからは、その留保がすでに 一七世紀に法実務をも規制していたことが伝えられている。しかし、その他の点では、証拠使用禁止の承認は、証拠 る 保 は 、 収集禁止の承認からは、広範に切り離されていた。証拠使用禁止の承認への多大な努力は、 ︿ 6 ﹀ ( 7 ﹀ ( 8 ) アメリカ合衆国、ドイツおよびフランスにおけるよりも、刑事訴訟上の基本 一九世紀末頃になっては じめて行われた。ここで特徴的なのは、

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権保障の母国であるイギリスにおけるほうがその努力はより少なかったということである。もっとも、ドイツおよび フ ラ ン ス の ア プ ロ ー チ は 、 一九四五年までにはあまり展開されてはいなかった。それに対し、 アメリカ合衆国最高裁 判所は、すでに第二次大戦までに、違法に、とくに基本権を侵害して獲得された情報の使用禁止についての、広範な 判例を形成してい椛第二次世界大戦後のファシズムとコミユニズムの経験を経て、基本権を保障する法治国家のル ネッサンスが登場し、その結果、 アメリカ合衆国が、証拠使用禁止の発展にとって、国際的に承認された模範となっ た の で あ る 。 刑事訴訟上の証拠使用禁止が生じてきた、国々、時代および法規範は、このように多種多様であり、その証拠使用 禁止が正当化されそして限定される事由は、見通しのきかないほど多数に及ぶ。この状況において指針を獲得しよう とするならば、能動的あるいは受動的な還元主義になる危険に陥るように思われる。能動的な還元主義者は、証拠使 用禁止の正当化事由のすべてを非難し、唯一の事由に帰する。たとえば、三

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年来、ほぼ警察の訓育︹違法捜査の抑 止︺を使用禁止の基礎とする考えだけを承認してきたアメリカ合衆国最高裁は、この立場に近い。受動的な還元主義 者は、正当化の雑多性に屈伏しており、正当化論拠のすべてを覆うような、意味のない一般的言い回しに逃げ込んで い る 。 ド イ ツ に お け る 、 しばしば批判されてはいるが、支配的な見解は、この立場に近い。この見解によれば、訴訟 規範違反が使用禁止という結果に至るか否かという問題に答えるには、被疑者・被告人の利益と、効果的な刑事司法 についての公共の利益とが衡量されなければならな

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しかし、ドイツの法規定の中に、このような衡量の基準を見 ( ロ ﹀ 出すことはほとんどできない。 このニつの危険を免れようとするならば、刑事訴訟上の証拠禁止の理由づけについての多くのかつ非常に種々様々 な論拠が存在することを承認しなければならない。それにもかかわらず、概観を保持しようとすれば、これらの論拠

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を、見通しうる数の基本原理に帰着させ、これらを体系化しようとしなければならない。このような概観を準備する ことによって、現在の訴訟法秩序に近づき、これらの原理のうちのいずれが承認されてきたのかを吟味することがで きる。これは、現行法の扱い方を容易にする。同時に、使用禁止の基本原理を明確化することは、ーーーたとえば、か つて共産主義者の支配下にあった諸国家における││立法者が、いかに証拠使用禁止を最も良く規定すべきかを熟考 する場合に、彼を導くことができる。その点で、提案されるアプローチは、新しい権利の創造に役立つ。 私のテーゼは、証拠使用禁止の承認のための諸理由は、その中核においてもその限界においても区別され、僅かな 事例においてのみ重なる、 四つの基本原理に帰せられうる、ということである。それらの原理は、次のものである。 す な わ ち 、 1 . 真実発見の保障 2 . 刑事訴追に携わる職員の訓育 3 . 刑罰の正当性の保持

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情報支配権の保護

真実発見の保障

て実体的真実の保障 使用禁止が導き出される最も古い思考は、 らない、という考慮であろう。この思考は、とくに信頼のおけない証拠方法を刑事訴訟上の立証において利用するこ おそらく、人間の処罰を真実に達しない事実認定に基づいて行つてはな とを、最初から禁止するように促す。この種の考慮は、 お よ び 、 たとえば、拷聞による自白、嫌疑のある証人の供述、

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ハ M H ) 被告人の親族の供述の使用を排除するために、刑事訴訟の歴史において引き合いに出されてきた。 真実発見の保障のための使用禁止は、裁判官による立証を園定的な規則に拘束するような訴訟体系に十分に適合す る 。 こ の こ と は 、 ヨーロッパ大陸で市民革命の時代まで妥当していた普通刑法︹の下での法定証拠主義︺ た と え ば 、 に当てはまったことである。証拠規則は、本質的には、裁判官に真実発見への確実な方法を指示することになるよう な、理知の規則なのである。ある証拠方法が、すでにその性質上、信頼できないものとして現れる場合、 一 般 的 に 刑 事判決における使用からその証拠方法を排除することが、このアプローチの論理的帰結である。 真実発見の保障のための使用禁止は、それに反して、 ヨーロッパ大陸においてフランス革命以来受け入れられてき た自由心証主義に従う訴訟体系との緊張状態にある。自由心証主義は、裁判官には原則としてすべての証拠方法が開 かれており、彼はそれらの使用の後にはじめて、それを通じて獲得された情報がいかなる真実内容を有しているかに ということを前提としている。裁判官が、このために必要な判断力を有して いると信ずる立法者は、裁判官に対して、例外的な場合にのみ、ある種の証拠方法については一括してそれを不適切 であると定義することによって、最初からその証拠方法の利用を禁じるであろう。 ついて独立に判断しなければならない、 ドイツ刑事訴訟法の作成者達にとって、そのような評価がいかに疎遠なものであるかは、 たとえば、彼らが、子供 または精神障害の証人の尋問を一度も禁じていない点に示されている。嫌疑のある証人または被疑者・被告人の親族 の供述の使用もまた、その真実価値に疑いがあるにもかかわらず、今日のドイツ法から、最初から排除されるのでは ハ お ) なく、このような人が証言拒否権を引き合いに出す場合にのみ排除されるのである。ドイツ刑事訴訟法一三六条

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に おける拷問禁止でさえも、真実発見の保護によっては説明されうるものではない。拷聞による供述を後の捜査の出発 点として利用するために拷問を許容するというのであれば、それは、真実保障の原理と完全に合致するであろう。そ

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こで拷問による供述が正しいと実証されるならば、真実保障の原理からは、刑事判決においてその供述を使用するこ とが完全に許容される。その供述と事実との合致は、この場合、もはや疑われえないからである。 ドイツの刑事訴訟法もまた、個々の証拠方法を真実発見へのその適格性に応じて評価するという規則を、 まったくなしに済ましているわけではない。このことを、刑事訴訟法二五

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条以下における証拠書類の制限に関する も っ と も 、 諸規則が示している。これらの規則の基礎には、人に対する尋問は、個人的な印象の獲得および供述者への質問の可 能性が、真実に近付くより良い機会を提供するという理由から、その人の書面に固定された表明の朗読よりも優先さ れなければならない、という観念が存在する。裁判官が公判審理においてこれらの規則に違反した場合は、彼は、そ の結果、最大限の真実探究への法律上の要求に答えていないことになる。そして、裁判官にできるかぎり良い証拠方 法の顧慮を強制するためには、規則に反して収集された証拠の使用を彼に対して禁ずることが必要となる。この使用 禁止は、したがって、真実保障に役立つものである。 被告人またはその弁護人に、証拠調べの際に在廷し、あるいは、少なくともその証拠に対して態度を明らかにする ことができることを保障する、刑事訴訟上の諸規則も、同様である。このような諸規則は、ドイツにおいて法的聴聞 ( 却 ) の保障とよばれているものの結果である。法的聴聞もまた、宣(実発見との関連を有している。それは、事案が完全に、 すなわち、被告人に有利な事実を含めて、調査され、獲得された情報が位置している状況が、裁判所の知るところと なることを保障するものである。右のような被告人およびその弁護人の参加なしに取り調べられた証拠は、使用され てはならないのであって、このような使用禁止もまた、真実の保障に役立っているのである。

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ニ、訴訟的真実の保障 ところで、ドイツの文献においては、とくに弁護人の立場において、真実概念を、それが使用禁止論のためにこれ まで言われていた以上に利益をもたらすように、定義しなおす試みも行われている。このために、司法形式的に訴訟 法の諸規則に従って発見されたことのみが真実であるとする、形式的・訴訟的真実概念が形成されてい

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その手本 ( 泣 ) は、真実を、規則に導かれた真実追求手続の結果として理解する、哲学上の真実論にある。この方法で始められるな らば、証拠法規則に対する違反のすべては、必然的に、 ﹁真実﹂を発見するという訴訟目的を損なうことになる。そ の結果、すべての規則違反には、規則に違反して獲得された証拠の使用禁止が課ぜられなければならないことになり、 もしそうでなければ、必然的に訴訟目的は達せられないということになるであろう。 このようなアプローチによれば、訴訟において発見される真実と日常的真実とは必ずしも常に一致するものではな ぃ、ということは正当である。たとえば、吉弘己主。

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の原則は、裁判官に対して、その判断の基礎に、 日 常 において﹁真実﹂とはみなされないような事情を置くように強制することがありうる。しかし、この訴訟上の真実は、 必ずしも日常的真実と無関係に併存しているわけではない。むしろ、刑事訴訟は、両者がお互いに合致することを目 ( お ﹀ 指している。刑事訴訟は、より価値のある利益を保護するために、両者をすべての場合にかつどんな犠牲を払っても (哨品﹀ お互いに一致させることを断念しているにとどまる。訴訟的真実が日常的真実と関連がないとすれば、刑事判決は、 何ら特別予防的または一般予防的な効果を生ぜしめることはできないであろう。なぜなら、もしそのような関連がな ければ、有罪判決を受けた者も、法律の教育を受けていない市民も、刑事判決から彼らの日常行動のための効果を引 き出すことはできないからであり、むしろ、それは、文字どおり他の世界で生じた事件に当てはまるにすぎないこと に な る か ら で あ る 。

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しかし、刑事訴訟が、最終的に、それ以外の領域でも真実として妥当するようなものの発見に向けられているとす れば、このような真実もまた、最終的には、ある訴訟行為が真実発見に有害なものとみなされなければならないか否 かについての基準を形成するものでなければならない。そうであるとすると、規則違反すべてが真実を損なうことに なるということは、決して必然的なものではない。ドイツ刑事訴訟法五八条一項の規定によれば、証人は、個別的に かつ後に聴取されるべき証人が不在の状態で尋問されなければならないとされている。この規定の目標は、それぞれ 後に一尋問される予定の証人から、その前に尋問された他の証人の証言によって影響を受けていない証言を獲得するこ とであ一制裁判官がかなり多くの証人を法廷に召喚するような場合、他の証人の在廷中に最初の証人を尋問すること は す で に 、 五八条一項に対する違反となる。もっとも、この最初の尋問は、他の証人の証言によって影響を受けた証 したがって、この場合、真実保障の観点の下でも、その証言を使用禁止にする必然的な理由 言を導くものではない。 は 存 在 し な い 。

刑事訴追機関の訓育

証拠使用禁止がそこから導き出される第二の原理は、そのような禁止によって、刑事訴追機関およびその職員に手 ( お ) 続法を尊重させるという考慮である。使用禁止は、この場合、刑事訴追機関の訓育のための手段とみなされる。使用 禁止は、手続に違反して収集された証拠に効果を与えないことによって、刑事訴追機関の手続法違反を防ぐべきもの とされているのである。ここで区別されなければならないのは、このアプローチの個人主義的なヴァリエーションと 超個人主義的なヴァリエーションとである。個人主義的なヴァリエーションは、使用禁止による威嚇を通じて合法的 な行動へと促されることになる、刑事訴追機関の個々の代表者に、 アメリカ合衆国では個々の警察官に、向けられる

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ものである。超個人主義的なヴァリエーションは、使用禁止の威嚇を理由に、全体としての刑事訴追システムが違法 な捜査方法の回避へと組織化されることを、求めるものである。 訓育思想の超個人主義的なヴァリエーションの帰結は、手続違反のすべてに使用禁止を課することである。これは、 高い対価である。このように理由づけられた使用禁止の、第一のそして直接的な効果は、捜査機関の﹁処罰﹂ではな く、むしろ、国家に損害を与えることだからである。国家の刑罰請求権は、行為者の有罪立証のために利用されえた であろう証拠方法が奪われるとすれば、危殆化され、あるいは、まったく無効にされるのである。かくして、手続違 反によって生ずる損害に、最終的には一般公衆に関わる別の損害︹犯人の不処罰︺が付け加えられる。 訓育アプローチが支配的であるアメリカ合衆国では、この点から、このアプローチに対する基本的な留保が導き出 されている。それに対する反批判として、訓育の原理に依拠する判例がもたらす一般の負担は、度を超していないと 一九八三年に実施されたこの間題に関する実証的調査の派生的分析によれば、 いうことが指摘されている。 合衆国では、刑事手続の

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薬物事犯においては││七%までの聞で﹁排除法則﹂のために︹有罪判決 ハ m U ﹀ を得ることに︺挫折しているにすぎないというのである。 ア メ リ カ しかしながら、この反批判は、訓育アプローチに対する原理的な疑念を取り除くものとはいえない。なぜならその 疑念は、この原理の結果として生ずる負担の配分からのみならず、利益の配分からも生じているからである。何故に、 その犯行が証明されている被告人が、刑事訴追機関が失敗をしたという事情のみから利益を得ることができるのかが 関われているのである。裁判官カ l ド I ゾ

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NO ﹀は、このような異議を意味深長な簡潔さで、次のように表現 ハ お ﹀ した。すなわち、﹁犯人は、警察官が失敗したために解放される﹂と。 アメリカ合衆国最高裁は、遅くとも八

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年代以来、訓育アプローチの超個人主義的なヴァリエーションではなく、

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個人主義的なヴァリエーションに従っている。個人主義的なヴァリエーションは、使用禁止の承認に、若干狭い限界 を引いている。これによれば、使用禁止は、警察官が有責に行為した場合にのみ行われる。なぜなら、個人に対して 一九八四年のある裁判で、この帰結を明白 訓育目的で科せられる処罰は、責任を前提とするからである。最高裁は、 に引きだし、違法に行為した警察官に対して過失の非難をすることができなかった事例について、使用禁止を否定し 門 却 ﹀ た。そのさらなる帰結は、しかし、精神病の警察官によって拷問されて行われた自由でさえも使用可能となることに はたしてこのような結論を引き出す覚悟のある者が なろう。ここでも、訓育思想の限界は明らかとなる。なぜなら、 いるかは疑わしいからである。 さらに、個人主義的なヴァリエ I シ Z ンは、訓育アプローチの超個人主義的な枠組みよりも一層明白に、正当化の この形態が、使用禁止に疑わしい代替的機能を割り振っていることを認識させる。刑事訴追機関の職員の訓育にとっ て、もともと存在している手段は、懲罰刑法および職務刑法による制裁である。その効果は、 たしかに、刑事訴追機 関が、それに所属する職員に対して、その者が過度の熱意をもって法的許容範囲の限界を超える場合に、制裁を科す 用意があることに広範に依拠している。この用意が十分な程度に存在しているか否かについては、正当な疑念が生ず ( 羽 ﹀ る。それゆえに、とくにアメリカ合衆国においては、一種の代替的制裁としての使用禁止が称賛されているのである。 しかし、法に携わる者が、法規定がもともと刑事訴追に携わる官憲の訓育のために予定している手段を用いたがらな いということによって、証拠方法の排除を正当化することには、問題があるように思われる。そこでは、結局のとこ ろ、││少なくとも、訴追強制を伴うシステムの下ではーーさらに法違反が行われることを恐れて、そこから生ずる 不利益を問題のあるあり方で責任転嫁しているのである。すなわち、刑事訴追機関(および多くの裁判官﹀の指導者 層にとっては、違法に行為した職員の現実の処罰︹懲罰︺による予定された訓育が不適切と思われるために、訓育は、

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まず第一に一般公衆を損なう方法によって、行われることになるのである。 使用禁止の機能を代替的処罰に転換させることに対する右のような内容的留保に加えて、多数の法規定において形 式的疑念が生ずる。刑事裁判官は、事案の調査のために、必要なすべてのあるいは少なくとも提供されるすべての証 拠を用いるという義務を負っている。ドイツでは、この義務は、法律上規定されている。裁判官が、違法に行為した 刑事訴追機関に対するみせしめにするだけのために、この義務から免れる権限をどこから受け取ることになるのかが 間われる。フランスでは、このためには、明示的な法律上の権限付与が不可欠のものと考えられている。そこでは、 73一一刑事訴訟上の証拠使用禁止に関する基本的諸原理 ﹁ 無 効 と い う 制 裁 に よ っ て ﹂ ハ £ 宮 一 吉 ω 品 。 ロ ロ E$J 、捜索、押収、尋問などについての規定の遵守が定められており、 同時に、この種の違法な捜査方法の結果は、記録から取り除かれるべきことが、命じられてい一物これに対して、ド イツ法では、それに比肩しうる諸規定あるいはこの種の出発点すらさえも欠如してい硲 w したがって、ドイツで、純 粋な訓育アプローチがほとんど支持者を得ていないのは、不思議ではない。

刑罰の正当性の保持

証拠使用禁止の正当化についての第一一石原理は、国家が法違反者を法律違反を理由として処罰する場合に、国家は、 法の番人として登場するという思考に関連している。この特別の︹処罰︺請求権は、その実行の際に法が破られるな らば、信頼性を失うことになる。したがって、国家自身が法違反によって獲得したような証拠方法を法違反者の有罪 立証から排除することは、もっともなことである。 使用禁止の基礎を、先行する法違反による刑罰の正当性のこのような喪失に置く考慮は、刑事訴訟の諸文献におい て、重大な役割を演じている。正当性の現象の特殊性に相応して、より強度に規範的な色彩かあるいはより強度に心

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理学的な色彩がその諸文献に与えられる。純粋に規範的には、国家は、法を保持するために法違反を行うならば、そ ハ 泊 ﹀ の固有の請求権と矛盾することになるということができる。心理学的な観点においては、有罪判決を受けた者および 手続に関与しなかった市民が、国家自身が法に違反したことによってのみ有罪宣告に至ったと考えるに相呉ない場合、 円引品﹀ 刑罰は、その特別予防および一般予防の効果を有しないということが強調されている。 このような印象は、さらに、国家の信望に害を与える。法治国家としては、国家は、道義上優越した権力として行 為者に対置するのであって、無秩序な闘争において彼を圧倒する純粋な権力機構として彼に対置するのではない、と いうことを重要視しなければならな

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そのかぎりで、違法に獲得された法違反者に不利な証拠方法すべてを利用し ないことに、公益が存在する。 ドイツでは、右に概要を述べたような考慮は、拷聞に対する諸規定において実定法的に承認されてきた。これらの 規範は、拷問およびそれに類似した法違反によって獲得された供述の使用を禁じており、それは、供述者が使用に同 意することを表明する場合でさえ、同様である。このことは、上述の諸規定が公益に役立つものであることを示して い一明このような公益は、人間の尊厳の侵害のもとで獲得された証拠方法の利用によってその信望をおとしめさせな ハ 明 剖 ︾ いようにしようとする、すべての文明国家に見い出される努力である。ドイツ連邦共和国は、その建国と同時に、こ れを実定法的に表現したが、それは、連邦共和国によって代表されるドイツの部分が、国家社会主義の滅亡後に再び ハ 叩 拍 ﹀ 文明国家圏に戻ったことを示すためであった。 刑罰正当性の喪失という思考が、どの程度使用禁止をもたらすかは、問題である。この思考は、拷聞の下での尋問 の禁止に限定されえない。なぜなら、処罰の主体である法治国家の尊厳を明白に侵害するような、他の形態の証拠方 法の収集も存在するからである。たとえば、麻薬密輸業者に不利に、吐剤の投与を通じて行為者の胃から出された一

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箱の薬物を利用することは、許容されるべきであろうか。 歴史的な経験から基礎づけられた拷問禁止と同様の実定法上の個別規範は、 一般的法思考の表現としてのみ解釈さ れうるのであり、その射程は、最終的にはそれ自体からのみ引き出されなければならないのである。そのためには、 その法思考が、精確に示されなければならない。その拠り所となる心理学的な諸論拠は、ここではあまり助けにはな らない。違法な証拠収集の社会心理学的効果についての諸説は、原理的ではなく統計的な性質のものである。したが って、それらは、常に、個々の事例に合致するわけではないという留保の下にある。その留保から、国家による刑罰 しばしば引 を社会心理学的に正当化する可能性の喪失によって使用禁止を根拠づけることに対する原則的な異議が、 ハ 川 明 ﹀ き 出 さ れ る 。 国家が刑罰に対する正当性を喪失する前提を精確に示すためには、したがって、自己矛盾という規範的な論拠のみ が残る。国家は、刑罰を科す際に、その目的と矛盾する場合には、自己矛盾に陥る。刑罰の目的は、刑罰法規の中に ある倫理的最低限の諸規範を確証することである。この確証は、国家自身が、刑罰を科すことに到達するために、倫 理的最低限を侵害する場合には、成功しえない。なぜなら、この場合、国家は、刑法がその妥当性をまさに保障しよ うとしている基本的な諸規範を侵害しているというに値する、ということを示しているからである。国家は、国家が 人聞の尊厳を軽視する場合、または、国家の名において刑罰法規に違反する場合は、倫理的最低限を侵害している。 したがって、刑罰正当性の保持の原理からは、国家は、それが人聞の尊厳を軽視してあるいは刑罰法規に違反して獲 得した証拠方法を、処罰のために利用してはならないということが、導き出されなければならないであろう。そのよ うな証拠方法に支えられた処罰は、処罰される者の権利領域への重大な侵害以外の何ものでもないと考えられるべき であるので、国家は、そのような証拠方法を使用してはならない。

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自己矛盾の思考から、さらにより広範な使用禁止が導き出されることがよく行われる。アメリカ合衆国における少 数意見によれば、すべての違法な証拠収集は、法の番人としての国家の尊厳と矛盾し、これによって、違法に収集さ れた証拠方法を法の保持のために刑事手続において利用することへの国家の請求権を破壊するものであ泊目ドイツの 刑事訴訟法学者デンカ

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﹀によれば、少なくとも、違法に個人的法益を侵害するような証拠収集のすべ ハ H H V ては、そのようにして獲得された証拠方法を刑罰請求権のために利用するという国家の道義上の権限を排除する。 しかしながら、法違反の利用によって国家は刑罰への正当性を失うという思考は、その思考を、可罰的なものの限 界および人間の尊厳の侵害を下まわるような国家の法違反に及ぼすならば、過度に用いられていることになる。なぜ なら、国家の規範違反と行為者の規範違反との聞には、このような事例では、その価値に差があるからである。すな わち、刑罰規範を軽視する者は、倫理的な最低限を侵害しているが、それに対して、手続に違反して行為した国家は、 。 也 ﹀ 倫理的な最低限を軽視してはいないのである。したがってそのかぎりでは、国家は行為者に対して道義的に優越しつ づ け る の で あ り 、 たしかに国家自身が尊重していない当の規範を他の者に遵守させることは矛盾であるとしても、 円 必 ﹀ ︹この場合はそれにあたらないので︺その結果、非難される必要はない。 このことによって、国家が、刑事手続におけるそれぞれの法違反を通じて一定の正当性の喪失をこうむること自体 は、疑問視されるべきではない。しかし、右に挙げられた限界を下まわる場合には、国家は、違法に収集された証拠 方法の放棄によって、必ずしも妥協させられる必要はない。原則として、法治国家は、それが、ある法違反の後に、 それに対して実定法に規定された法的効果︹懲戒処分など︺を生じさせる場合には、その請求権で満足する。たしか に、この法的効果には、ーーーそう指示されうるであろうように││損害賠償等々とならんで使用禁止もまた属しうる。 しかし、国家は、それがまさにこの使用禁止という効果を予定しているわけではなく、むしろ国家の法的過誤にもか

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かわらず、その刑罰請求権が、損なわれることなく

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知られていることすべてに従い

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刑罰を受けてしかるべき であるとされる者に対して実行されることを主張する場合、刑罰の目的に反しているわけではない。 五

情報支配権の保護

第四の原理は、使用禁止は個人的諸権利あるいは法益を保護する役割を担っているという、 しばしば主張される思 考に結び付いている。たいていは、この思考は、 たしかに、これまでに挙げられた二つの原理の独立的ではない構成 要素としてのみ理解されている。このように解される場合には、刑事訴追機関の訓育または﹁汚れた﹂証拠方法の却 下が、最終的には、市民の諸権利あるいは個人的法益を将来の侵害から守るという意味をもつことが、強調されるこ ( 訂 ﹀ と に な る 。 それに対して、個人的権利の保護の思考を、独立した原理として把握することは、 かなり閤難である。ドイツの刑 事訴訟法学者デンカ 1 は、それどころか明示的に、この種の独立した原理が存在することを否定した。彼は、前述し た︹二つの原理を通じての︺間接的形態における保障をも否定して、使用禁止による個人的権利の保障は、まったく 成し遂げられえない、と主張している。彼によれば、違法な基本権侵害の直接的被害者にとっては、使用禁止は、何 ら保護を提供するものではない。なぜなら、使用禁止は、生じた権利侵害を再び取り消すには適していないからであ ( 必 ﹀ る 。 一見すると、デンカ l は、正しいように見える。刑事訴追機闘が、法律上の諸規定に反して、嫌疑のない者を身体 の内部への苦痛を引き起こす侵襲に従わせ、これによって、禁止された薬物の消費についての知識を得る、という場 合を考えてみよう。たしかに、この知識を、許容されない薬物所持を理由とする当該者に対する手続において利用す

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ることの禁止は、こうむった苦痛を除去するものでもなく、加えられた傷の治癒に寄与することもない。しかしなが ら、このような月並みな確認をそれでよしとするならば、それは、使用禁止が違法に侵害された個人的法益の保護の ために直接になしうることについて注視することを、偽って知らないふりをしていることになる。 ひとつには、右のような侵襲は、当該者の身体の完全性を侵害するのみならず、刑事訴追機関が、侵害された者が 手許に保有して出さないことを許されていた情報を獲得するということにも導いている。このような情報は、完全に、 たとえば、摂取された血液を違法に 個人的法益侵害の使用禁止による﹁修復﹂の対象になりうる。刑事訴追機関は、 収集された情報の担い手として廃棄し、以後は、それについて何も知らされなかったように振る舞うことを強制され う る 。 たしかに、デンカ l は 、 おそらく異議を唱え、このような処置でさえも、生じた侵襲を再び取り消すものではない と主張するであろう。しかし、ここに、彼の論証の第二の思考上の落とし穴が存在する。 ﹁ 取 り 消 さ れ ﹂ う る の は 、 そもそも、決して以前に生じた出来事ではない。 したがって、法規定もまた、生じたことのいずれをもなかったもの とすることはできない。たしかにそうではあるがしかし、法規定は、個人的権利の継続的効果を有する侵害が除去さ れるように取り計らうことはできる。このような継続的効果を有する侵害は、侵害される個人的権利がその獲得を刑 事訴追機関に禁止している情報を、刑事訴追機関が蓄積し使用する場合に、生じることにな一明なぜなら、情報がど こ に 蓄 積 さ れ 、 いかなる目的でその情報が利用されるかを自分で決定する権利保持者の権能は、このような禁止を内 包しているからである。法規定は、 したがって、違法に収集された情報の蓄積および使用を禁ずる場合には、この権 利を保護することになる。 かくして、刑事訴追機関は、他人がそれを手許に保有して出さない権利を有しているために、 いかなる請求権もそ

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れに対してもたないような情報を使用してはならない、ということを意味する、独立した、個人的権利の保護の原理 は存在する。この原理は、訓育理論および刑罰正当性の保持とは、厳密に区別されるものである。訓育理論は、国家 がそれ自体利用することができる証拠方法を、刑事訴追機関がその獲得の際に手続法規に違反したという理由だけで、 国家の手から叩き落とされることを、許容する。かくして、この理論は、使用禁止が国家および国家によって代表さ れる一般公衆に損害を与えることを、甘受し、 それどころか、威嚇の理由からまさしくそれを狙っているのである。 国家の刑罰正当性の保持のための証拠方法の排除も、類似した不利益に至る。証人の拷聞によって得られた供述は、 ドイツ刑事訴訟法六九条三項によれば、 たとえば、証人に証言義務があるという理由で、刑事司法がこの供述への請 求権を有している場合でさえ、使用不能である。情報の保有に関する個人的諸権利から導き出される使用禁止は、そ れ に 反 し て 、 一般公衆に、何ら付加的な負担を負わせるものではない。この使用禁止は、単に、国家の刑罰請求権の 実現に最初から引かれる法的限界は、情報収集の場合のみならず、手続のその後の経過においてもまた尊重されるこ とのみを取り計らうのである。 上述のような、個人的権利に根拠づけられた使用禁止は、 したがって、厳密に言えば、何ら独立した正当性を必要 としない。この使用禁止は、国家の情報処理に対していずれにせよ対立する諸権利から正当化される。国家が、その ような権利を承認した場合、論理および正義が、国家は、その権利を情報獲得の際のみならず、その後もまた尊重す ( 切 ﹀ べきことを要求する。この単純な演緯は、ここで取り扱われた原理の強さを表している。 その保持者に情報を手許に保有して出さないことを許容する個人的権利を、情報支配権と呼ぶことができお v 最も 重要なもののうちいくつかを挙げると、被疑者の供述の自由、書簡・郵便および通信の秘密、住居の不可侵性、 お よ び、患者の秘密のような諸権利が、これに属する。情報請求権を刑事訴追機関に対して遂行するための法技術的手段

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は、情報支配権から導き出される公法上の保護請求権である。情報支配権を侵害することの禁止は、情報に関する防 御請求権︹妨害排除請求権︺から明らかとなる。この請求権は、刑事訴追機関がそのための法的権限づけを得ること なしに情報支配権を侵害する場合に、提起される。しかしながら、当面の関連性においてより重大な意味を有するの は、情報支配権への違法な侵襲の後に、違法に獲得された情報の蓄積と使用による継続的効果を有する情報支配権の 侵害が、どのように阻止されうるかという問題である。ドイツにおける一般的見解によれば、公的権力によって権利 を侵害された者は、それによって生じた結果の除去への請求権を有する。この請求権が、違法に獲得された情報の権 限なき蓄積および使用に広げられるならば、情報に関する結果除去請求権が得られることになる。情報に関する防御 請求権および情報に関する結果除去請求権は、実定法上保障された情報支配権の派生語であり、 によって根拠づけられる情報支配権の実定法上の基礎を形成する。 したがって、それら 情報の蓄積および使用の禁止が、個人的権利である防御請求権および結果除去請求権に基づきうることは、ドイツ ( 臼 ) 行政法においては、かなり前から承認されている。アメリカの﹁情報処理﹂アプローチもまた、使用禁止を同様の方 ハ 町 田 ﹀ 法で展開している。それに対して、ドイツ刑事訴訟法理論においては、この思考は、ごく最近になってはじめて注目 ( 目 出 ) さ れ て き た 。 ム ノ、

諸原理の帰結

証拠使用禁止の正当化のための四つの基本原理を叙述するにあたって、個々の原理が、そのような禁止の射程に関 して異なった帰結を有することについては、すでに何度も、問題とされてきた。最後に、この相違は、 いま一度体系 的に跡づけられるべきである。その際、証拠使用禁止理論においてしばしば議論される四つの問題が、吟味のための

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思考パターンとして役立つ。すなわち、 1 . 使用禁止の理由づけにつき、証拠収集行為の違法性に結び付けられるべきか、 または結果の違法性に結び付けら れ る べ き か 。 2 . 使用禁止が、さらに別の、違法に獲得された証拠に基づく証拠収集につながる場合、その結果、使用禁止は、ド イツで言うところの﹁遠隔効果﹂を有するか。

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被告人は、証拠使用禁止を放棄することができるか。

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被告人は、証拠収集が第三者の権利を侵害することを理由に挙げることができるか。 一一刑事訴訟上の証拠使用禁止に関する基本的諸原理 て情報支配権の保護の帰結 最後に展開された原理、すなわち、情報支配権の保護から取り扱うことにしよう。なぜなら、それによって、上述 の四つの問題が最も容易に明瞭にされうるからである。 訴訟行為の違法性、あるいは、そこから生ずる結果の違法性のいずれが、使用禁止の発動にとって決定的であるの か、という問題は、情報支配権の侵害について、非常に頻繁に、ひとつの役割を有する。住居捜索の実質的要件は存 在するが、捜索する警察官は、必要な裁判官の承認を入手するのを怠った、という事例を想定してみよう。ここで、 実質的な住居捜索の要件が存在していることによって、刑事訴追機関は、獲得された情報に対する請求権を有してい ることは、確実である。このことは、このアプローチにとって決定的である。その情報は、情報の獲得という結果が 法律によって求められているので、使用されうる。警察官が裁判所の承認なしに行為したために、証拠収集行為が手 続法に違反した、という事情は、使用禁止の理由づけについてのこのアプローチによれば、重要でな鴻

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それに対して、国家が、ある者の情報支配権に麗する情報に対して何ら請求権を有しない場合、国家は、ーーその 情報を違法な方法で獲得するときには││それをさらに別の証拠収集の拠り所としてはならない。国家は、それどこ ろか、その情報を何らかの方法で利用することについての請求権をまったく有していない。したがって、警察は、押 収してはならない書簡を押収した場合、この書簡の中で発見されたさらに別の証拠についての手掛かりを追跡するこ したがって、遠隔効果を有する。 とは許されない。情報支配権から生ずる使用禁止は、 情報支配権に基づく使用禁止の放棄は、承認を得るに値する。なぜなら、情報支配権とは、情報を自由に処理する 権利だからである。これは、 いつでも放棄する権限を含む。 第三者の権利の侵害を理由とすることは、ここで取り扱われたアプローチの立場からは、原則として排除されてい る。たとえば、裁判官が、嫌疑のある証人にその供述拒否権について教示しなかった││教示は、ドイツ法によれば 必要である││場合、被告人は、この証言は使用不能であることを引き合いに出すことはできない。なぜなら、被告 人ではなく、嫌疑のある証人が、情報保持の権限を有していたからであり、この権限は、被告人ではなく、専ら証人 の保護に役立つものだからである。 たしかに、被告人を(も)刑事判決による負担から保護することを目的とする、第三者の刑事訴訟上の情報支配権 は存在する。最も重要な例は、家族の構成員の証言拒否権である。このような証言拒否権は、被告人を(も)有利に 取り計らうことになる諸規範の重要部分に属する。被告人を有利に取り計らうことを目的とした規範のいずれかの侵 害に異議を申し立てることが、││ドイツ法におけるように││被告人に許容されている場合、そこでは、被告人に、 上述のような他者の情報支配権の侵害の下で獲得された証拠の使用に異議を申し立てる権限を認めなければならない で あ ろ う 。

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二、刑罰正当性の保持の帰結 刑罰正当性の保持の原理からの帰結は、前述の帰結とは著しく異なる。 この原理は、使用禁止の根拠を、それによって国家が証拠を収集しようと試みる手続違反行為の特別な不正義に求 めている。なぜなら、この︹手続違反︺行為こそが、国家による刑罰を唯一正当化しうる道義的優越性を国家から奪 うものだからである。それに対して、証拠獲得の結果が適法か違法かという問題は、重要ではない。そのかぎりでは、 証人に対する拷問の禁止が思い起こされる。すでに叙述されたように、ドイツでは、拷聞による証人の証言は、証人 したがって、証人が提供する情報に対する請求権を国家が有する場合でさえ、使用不能とされる。 が 証 言 義 務 が あ り 、 それに対

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て、遠隔効果の問題においては、刑罰正当性の保持の原理は、情報支配権の保護の思考と同様の結論に 至る。刑事訴追機関の手から拷聞による自由を叩き落とすのみならず、拷聞による証拠に基づいて獲得されたすべて の別の情報を使用しないことが、この原理の論理的帰結である。なぜなら、そのような情報すべてには、人聞の尊厳 の軽視によって国家の知るところになった、という評判が付きまとっているからである。 刑罰正当性の保持の原理に基礎づけられる証拠禁止の放棄は、無効である。このことは、この原理が、最終的に、 被告人が自由に処理しえない公益に奉仕するものであるということから、明らかである。 同様の理由から、国家の法違反が、被告人の権利に関連するか、あるいは第三者の権利に関連するかは、重要では ない。被告人は、証人の拷聞による供述の使用にも異議を申し立てることができる。なぜなら、前述のように、その 供述もまた、被告人に対して信頼性のある判決を言い渡す道義上の権限を、国家から取り去るからである。

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三、訓育原理の帰結 訓育原理の帰結は、刑罰正当性の保持の原理からの帰結と類似している。このことは、この二つの原理にとって、 刑事訴追機関の規範違反が使用禁止の確立のための決定的な支点を形成していることに原因がある。 したがって、訓育アプローチにとっても、刑事訴追機関の証拠収集行為が違法であったことが、決定的である。た またま国家が本来その請求権を有していた情報の獲得の点に、違法な行為の結果が存していたということは、このア プローチによれば重要ではない。上述の、裁判官による命令なしに行われたが、実質的に許容される家宅捜索の例に おいては、したがって、警察官が必要な承認なしに行為したという事情のみで、発見された証拠物は使用不能に至る のである。訓育の思考と情報支配権の保護の原理とは、ここでは、正反対の結論に至る。 アメリカ合衆国最高裁の判例においては、使用禁止は遠隔効果を有することが承認されている。警察に ﹁毒樹の果実﹂の享受をも認めないことは、訓育アプローチの論理的帰結である。そうでなければ、このアプローチ 同 様 に 、 が使用禁止に割り当てている威嚇効果は、損なわれることになるだろう。 これに対して、使用禁止の放棄可能性は、訓育アプローチの帰結にはない。違法に行為した刑事訴追機関構成員の、 使用禁止による﹁処罰﹂は、個人が自由に処理することのできない公益の関心事である。個人がすでに、その個人的 権利を侵襲ずる証拠収集に対して提出することができるような異議については、それとは別のことが当てはまる。し たとえば、住居権の保持者は、警察官が必要な裁判官の命令なしに行おうとする家宅捜索について、有効 に同意することができる。このような同意は、捜索行為の違法性を除去し、訓育アプローチにとっては使用禁止の確 た が っ て 、 立のための支点が欠落することに導く。 第三者の権利の侵害は、訓育アプローチによれば、 つねに、その権利侵害によって不利益を受けなかった被告人の

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ためにも有利となる使用禁止という結果に導かざるをえないことになろう。他者の権利の侵害においても、やはり、 刑事訴追機関がそれを行ってはならないような法律違反が存在する。そのことから、カリフォルニア州最高裁は、五 ( m w )

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年代に、この帰結を明示的に引き出したのである。しかし、合衆国最高裁は、カリフォルニア州最高裁には追随し なかった。合衆国最高裁も、訓育理論から出発するのではあるが、その貫徹のために、 ﹁被告人のスタンディング ︹申し立て適格︺﹂を要求している。合衆国最高裁は、それを、原則として、被疑者がその固有の権利を侵害された場 合にのみ承認してい石町アメリカの学説は、正当にも、この点に矛盾を見い出しているル 四 、 真 一 実 発 見 の 保 障 の 帰 結 最後に、宣一実発見の保障の原理について述べる。上述したように、この原理は、 一般的に真実発見に適していない かまたは十分には適していないとみなされる資料による証拠調べを禁じている。このような証拠方法が個々の事例で、 真実の探究のためにおそらくいくばくか寄与するか否かについての吟味は、上述のことによって最初から排除される。 そのかぎりで、証明の結果という意味での手続の適切性は、この原理の適用にあたっては原則として何らの役割も果 た さ な い 。 この結果は、遠隔効果問題の取り扱いについてこの思考から導き出される帰結によって、緩和される。遠隔効果の 問題は、信頼性がないとして禁止されるにもかかわらず禁止に違反して収集された証拠が、それに基づいてその後に 信頼性のある証拠方法が発見されうるような指示へと導く場合に、生ずる o たとえば、刑事訴追機闘が、幼児の尋問 が禁止されている場合に、その禁止に違反する尋問を通じて、被疑者の指紋のついた凶器を発見するに至ったような 場合がその例である。このような証拠方法の発見は、具体的な事例にとっては、最初の使用禁止の理由となっていた

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非信頼性の判定を公式に否認することになる。新しく発見された信頼性のある証拠方法を使用することが、真実の発 見を保障するという目的には相応する。そのか、ぎりでは、真実発見に役立つ使用禁止は、遠隔効果については否定さ れなければならないだろう o は ドイツ刑事訴訟法のように、訴訟が実体的真実の発見をめざしているか、あるい コ モ ン ・ ロ l の世界のように、当事者によって提出された証拠のみが刑事判決の事実上の基礎を形成するか、と 放棄不可能性の問題については、 いうことによって区別されなければならない。実体的真実の探究という目的は、公益の表現であり、この公益は、真 実に役立つ使用禁止の私的放棄によるすべての影響から免れてきたのである。それに対して、当事者のみが訴訟資料 を決定するシステムにおいては、少なくとも双方の放棄が受忍可能なものと思われる。 証拠収集が第三者の権利を侵害するか否かは、真実発見にとって重要ではない。その結果、真実に役立つ証拠規則 に対する違反で、同時に他者の権利を侵害するような違反を、被告人が引き合いに出すことは、許容されなければな らない。たとえば、ある被疑者に対して供述を強制することの禁止には、信頼性のない事実表明を訴訟から遠ざける という意味が与えられているとするならば、被告人もまた、ここから導き出される使用禁止を引き合いに出すことが ( 釘 ﹀ できるはずである。

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参照。これによれば、教会の人々の証言拒否権は、普通法上の訴訟において、その者が従 属 し て い る 者 の 承 認 が あ る 場 合 に の み 存 在 す る 。 ( 2 ) 園 田 岡 富 山 田 w ﹀ ロ

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(28)

diss. in US v. Calandra 414 US 338 , 357 (1979) ~盟主。厳割包t-'~ç' ν , 1草案制榔 ii t-':t!~:" ~J Q ト、爪 n-¥l、 Q 組組主 i 0:"ν 士-:.' Kamisar , Fn. 27 , S. 604 ~~O )J~μ 認穿 ii .f王..ßl Q ...\J,...) ν , SehroekjWelsh , 59 Minn. Law Review , 1975 , 25 1ff., 263ff. 沿線的。 〈苫〉 掌 E ミトド古塁側額聴か子(l..sl Q ...¥J,...) ν , Osmer , Der Umfang des Beweisverwertungsverbotes nach ~ 136a StPO , Diss. Hamburg 1966 S. 10 丘.; 1 緩和銀占回世話聴かl'Q..sl Q ...¥J,...) ν , Deneker , Fn. 16 , S. 59ff. ~~的。 (gs) Osmer , Fn. 34 , S. 12; Halfke , GA 1973 , 65ff. , 72; "ス=--R 4a 桜田 ,¥l

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S. 12; Roehin v. California 342 US 165 (1952) 偽座長。 (~) Rogall , Fn. 11 , S. 13; Gossel , NJW 1981 , 651; Herrmann , ZStW 95 (1983) , l11ff. , 113ff.; Dala 量。 uras , Fn. 26 , S. 117. 例以, Otto , GA 1970 , 289 任., 290 ..ßl~El!至。 (弓) -<~Q 担 F溢 Q 騨車事主 l :ilK,...) ν 士-:.' !i[縫 μ , BGHSt 5 , 332 , 333ff.; l 原通 Q ..sl Q ...¥J,...) ν , B.GHSt 31 , 296 , 299 ~~O "スコ -R 4a~ 繰回以 0:"ν t!' Brown v. Mississipppi 297 US 278

285 任. (1936); Roehin v. California 342 US 165

172 妊. (1952); f"¥ 1 1¥ ;'¥κμ0:"ν t!' MerlejVitu , Fn. 26 , S. 168 m. w. N. 黒田正 l と 4君主」付時梅田量判胤 ,¥l 0:" ν 士!' !i[縫以, Holmes u. Brandeis , diss. in Olmstead v. US 277 US 438 , 469 弘, 483ff. (1928) 偽盟主。 制.{J.' BGHSt 31 , 304 , 306ff. ..sl 41亀援。

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(必)この点につき、洛意の禁止、および、不適切な国家の行為によって国民の有罪を立証することの違憲性に関する連邦憲法 裁判所の諸判例を指摘することができる。同町田

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もまた、刑罰の正当性を司法から取り上げるためには、違法な刑事訴追処分による国家の正当 性の喪失は、訴追される犯罪行為と同様の価値基準に基づいて判断されなければならない、としている。しかし、デンカー が個人法益の侵害すべてがこのために十分であるとするならば、彼は、国家の不法行為の必要な重さを厳密には十分に定義 しているとはいえない。なぜなら、とりわけ過失の領域において、不可罰的な個人法益の侵害が存在するからである。刑事 訴訟法九四条以下、一

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二条以下による正当化理由の諸要件を誤って仮定した場合の差押えあるいは家宅捜索を想定してみ れ ば よ い で あ ろ う 。 (必)﹁国家の道義的優越性の保障﹂の観点は、たとえば実証的な不可欠性によって説得される必要はないが、処罰される者を 納得させうるような、矛盾のない法律行為を保障するという機能を有している。観点をこの機能に限定するならば、証拠禁 止論においてこの観点に対してなされる法哲学上および社会心理学上の批判は、空虚なものになる。このような批判につい て は 、 。 件 件 。 ・ 司 ロ ・ さ

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参照

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