将(象)棋のルールから見る中日両国の国民性の特徴
張 建立 はじめに 日本の国民性を研究するには、様々な方法や視点があるが、ゲームのルールという角度 から国民性の特徴を研究するのは、まだ新しい試みの一つであろう。ゲームはあらゆる文 化の芽生えであり、「文化の過程を通じて、ある種類のゲーム要素が活躍しており、この ゲーム要素は社会生活の多くの重要な形態を生み出した」、「儀式というものは神聖なゲ ームから生まれ、詩というものはゲームから生まれ、しかもゲームにより繁栄された。む ろん音楽と踊りはもともと純粋なゲームである。知恵と哲学は、宗教的な競争に由来する 言葉と形式で表現されている。戦争の規則や高尚な習わしはすべて各種類のゲームの中で 作り上げられたのである。」(1)したがって、ある国家民族によって作成および継承されて きたゲームのルールは、国民の価値観、行動、および文化心理の形成において無視できな い役割を果たしていると考えられる。しかし、現在、ゲームのルールという角度から国民 性の比較研究は、大きな進展はまだ見られないようである。 数多くのゲームの中で、ボードゲームは最も社会文化とは密接な関係にあるのであろう。 「人生は棋のようだ」と言われているように、ちょっとした思い違いで勝負は変わるかも しれないので、前進と後退、また攻撃と守備のタイミングをきちんと把握しないといけな い。その小さな盤から世界全体を見通すことさえできる。シンプルなルールには、人生の 知恵が含まれており、ある程度その人の考え方や価値観をうかがえると思われる。本稿は、 中国の象棋と日本の将棋のルールを比較した上で、中日両国の国民性の特徴を大まかに分 析してみたい。 1.日本の将棋と中国の象棋のルールの概説 図1 中国象棋の試合開始前の駒配置図中国の象棋の開発は長いプロセスを経てきた。早くも二千年以上も前の春秋戦国時代に は、象棋に関する記録はすでにあったが、現代の象棋はおそらく北宋の末期になって初め て定まったようである(2)。図 1 に示されているように、中国象棋の盤は縦 9 本、横 10 本 の線が引かれ、中央に河界がある。盤上には 90 個の交差点があり、駒はこれらの交差点に 配置され、移動される。駒は合計 32 枚で、赤と黒の 2 つのグループに分かれ、赤方の「帥」 と黒方の「将」は各々7 種 16 枚の駒を率いて対戦する。赤方が先手で、二人の対局者が交 互に一手ずつ指して、勝、負、あるいは和局(引き分け)がわかると、対局は終了する。 駒を適当に置いても混乱は起こらない。 図2 今日の日本将棋の駒配置図 日本の将棋はまた「本将棋」とも呼ばれ、その発祥については、これまで東南アジ ア起源説(3)、また中国起源説(4)などの説が唱えられてきた。そして、日本に伝来し た時期も奈良時代か平安時代か、物証に乏しいため、まだはっきりわかっていないよ
うである。現在、将棋が最初に記載されていた文献は、藤原明衡による『新猿楽記』 (1058 年~1064 年)であることが明らかにされている。今の将棋が生まれる前に、 日本には大将棋、中将棋、小将棋などがあった。16 世紀に入ると、「小将棋」の中の 「酔象」という駒が除去され、ようやく現在の人気の「本将棋」が生まれた(5)。図 2 に 示すように、現在使用される盤は縦 10 本、横 10 本の線で構成され、駒はサイズも形 も同様で、全部ゴシック体で表記されている。合計 8 種類の 40 枚の駒は 2 つのグル ープに分けられ、試合開始時点は各々20 枚ずつ持ち、サイコロを振ることで先手が決 まり、二人の対局者が交互に一手ずつ指しながら進行する。勝、負、あるいは和局が わかれば、対局は終了する。 2.将棋の持ち駒ルールから見る日本の社会移動 中国の象棋と日本の将棋にとって、「王様を取ったら勝ち」というのが共通の基本ルー ルであるが、駒の使い方には大きな違いがある。最も大きな違いの 1 つは、日本の将棋に は「持ち駒」というルールがある。「持ち駒」ルールとは、相手の駒が自分の進めた駒と ぶつかったら、動かしたほうがぶつかった相手の駒を「獲得」することができることであ る。日本の将棋の場合、持ち駒は自分の右手に置いて、獲得した駒を自分の順番の時に好 きなところに置くことができる。一方、中国の象棋の場合、取った駒は取り捨てで再使用 できないのである。つまり、中国の象棋において、赤方の駒は生きても死んでもあくまで 赤方の所属であり、赤い陣営を攻撃するための黒い勢力に加わって戦いに再参加すること は不可能である。むろん黒方の駒も同じである。 上記の図 2 から、日本の将棋の駒は同じ形で、全部五角形であり、色も同じく、黒い文 字でマークされていることがわかった。そのため、盤に 2 つのグループに分けて置かれた 駒を全部混ぜると、ついさきほどまで、盤のどちら側にあるのかは誰にもわかるはずがな い。したがって、形も色も一様な駒にとって、きちんと五角形のとがった先を決めて盤に 置かないと、どちら側に所属する駒なのかわからない。 この将棋の駒の特徴および「持ち駒」ルールから、日本の有名な社会人類学者の中根千 枝がその「タテ社会」論を述べた時に提出した「場」と「資格」という二つの概念を思い 浮かべる。「場」と「資格」は社会集団を構成する 2 つの要因で、中根の説によれば、日 本人が集団へ参加する時、そして自分の社会的位置づけを行う時、個人の保有する「資格」 よりも当人の属する「場」にウェイトが置かれるというのは日本的集団の最も重要な特徴 とのことである(6)。日本人は自己紹介をする時、職種(=資格)よりも、A 社、B 社といった 自分の属する職場(=場)を優先し、自分の社会的位置づけを説明するのが普通である。「場」 と「資格」という概念は、その「タテ社会」論の出発点といってもよい。日本人にとって は、個人の「資格」よりもその置かれた「場」が重要視されるため、異なる資格を持つ者 でも同じ集団に参加できる。そのため、日本的集団は閉鎖的であると同時に開放的でもあ る。実生活では、日本人が異なる集団で移動することは、「持ち駒」ルールに従って駒を 再生するようなものではないかと思われる。
実は、「持ち駒」ルールのせいで、第二次世界大戦後、将棋は GHQ の標的にされ、禁 止されそうになったことがある。その危機に対して、日本将棋連盟はなんとか将棋を守ろ うと考え、当時関西本部長代理の升田幸三を GHQ との交渉に送り込むことにした。「チ ェスと違い、将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であ り、人道に反するものではないか。今すぐ日本から将棋をなくせ!」と GHQ の将校たち は言ってきた。すると升田は、「チェスで取ったら駒を使わないことこそ、捕虜の虐殺で はないか。そこへいくと日本の将棋のほうは、捕虜を虐待もしないし、虐殺もしない。つ ねに全部の駒が生きている。これは能力を尊重し、それぞれにはたらきを与えようという 思想なんだ。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車という元の役職のま ま仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」と切り返した。こうして、日本の 将棋がいかに素晴らしいかを説いた上で、ようやく GHQ の許可をもらい、将棋を生き残 された(7)。 このほか、将棋の「持ち駒」ルールから、日本人の善と悪の対立を弱め、力や権利の強 いものだけに従うという本性もうかがえる。なぜかというと、取った駒は簡単に再び盤の 上に戻ることができ、しかも前に所属していたグループを攻撃することさえできるように なるからである。現実生活に目を移すと、米国の文化人類学者ルース・ベネディクト著『菊 と刀』に述べられたように、日本人はある行動から逆の行動に移行しても決して心理的な 苦痛を感じることはなく、第二次世界大戦中の日本の捕虜の激変と戦後の米国に対する日 本国民の 180 度の態度の変換は、その最良の例であろう(8)。 また、今日でも、現実生活では日本人は絶えずに自分の社会位置づけをリセットしてお り、所属する社会空間に変化が起きると、すぐそれに応じて自分の行動を調整する。日本 人にとって、すべての社会的空間に適用される善と悪のいわゆる普遍的な基準は存在せず、 善と悪は相対的で、力や権利の強いものだけに従えばよいのである。罪悪感などはまった くない。こうした性格の形成は、将棋の「持駒」ルールが長年にわたって感化されてきた 影響にも関係しているであろう。 3.成金ルールから見る日本の社会移動 図 3 日本将棋の駒
将棋における陣地は 2 種類あり、将棋盤の手前 3 段を「自陣」、奥 3 段を「敵陣」とい う。味方の駒が敵陣に進むと、駒の性能をアップさせる「成る」という仕組みができる。 また、敵陣の中で動いたり敵陣から出ても成れる。もちろん、成ることができる駒をあえ て成らせないことも可能で、成るか成らないかは状況に応じて使い分けていくとよい。成 る場合は駒を裏返すことで、成らない場合は、相手にはっきりと「成らない」と宣言する ことが基本的なルールである。 将棋の駒は表面と裏面の両方に文字が書かれており、それぞれ別の動きをする駒となる。 なお玉将、金将は裏面が無地で、成り駒はない。表と裏はまるで異なる人生の道を象徴し ており、どうするかは自分の努力にかかっている。図 3 に示しているように、「飛車」は 縦、横のマス、可能な範囲どこまでも動かせるが、成ると「龍王」になる。「龍王」はも ともとの「飛車」の動きに加え、斜め前方と斜め後方に 1 マス動かせるようになる。「角 将」は斜めのマスに、可能な範囲どこまでも動かせるが、成ると「龍馬」になる。「角将」 の動きに加え、さらに縦と横1マス動かすことができるようになる。残る「銀将」(前方 3マスと斜め後ろに動かせる)、「桂馬」(上2マス、横1マスの場所に動かせる)、「香 車」(前に可能な範囲どこまでも動かせる)、「歩兵」(前に1マスだけ動かせる)は成 ると「金将」と同じ動きになり、いわゆる「成金」である。「金」となると元の動きはで きなくなり、「金将」(斜め後ろ以外の方向に、1マス動かせる)と同じ働きしかできな い。 理想的な社会の移動は、ポストの空きをガイドとし、自発的な原則に基づき、機会平等 を前提とするとともに、弱者に必要な保護を与えるべきであると考えられている(9)。理想 的な社会移動を最大限に実現させれば、人々の積極性を有効に引き出すことができ、また 人々の才能を十分に発揮させ、社会システムに強大な活力を与え、社会の進歩と発展を推 進することができる。将棋の「成金」ルールは、まさに理想的な社会移動のパターンに近 いものである。まず、将棋のルールから見ると、「金将」というポジションが中間層の社 会地位に当たると考えられる。そして、「成金」ルールによると、「金将」のポストには 常に空きがある。つまり、「金」の下にある四種類の駒である「銀将、香車、桂馬、歩兵」 は、いつでも自分の努力により、自由な選択と平等な競争を通じて自分自身を高められる ことになる。機会平等の条件の下で、最も能力が弱くても一度に一歩しか前に進まない「歩 兵」は、自らの努力を経て、高い重みを持つ「銀将」よりも早く「金将」に引き上げられ る可能性さえある。そして、銀将、香車、桂馬、歩兵は「金」となった後、既存の機能を 持たなくなり、「金将」の機能を行使することしかできなくなる。これはまた、対応する 空きポストをもたらし、社会の移動を促すことができる。したがって、「成金」ルールは、 ほぼ完璧に近い理想的な社会移動のモデルであるといえるであろう。 しかし、中国の象棋において、このようなルールはないのである。「兵・卒」は自陣に いる間、前方に1マスしか動けない。「河界」を越えて敵陣に入ると前方と左右の3方向 に1マス動けるようになるが、しょせん「兵・卒」のままで一生を終えてしまう。地位の 下降とはいえないが、上昇することも絶対ない。図1と図2から、象棋にせよ将棋にせよ、
「兵・卒」が最も数多く配置されており、陣頭に突き進んでいることはわかる。しかし、 象棋の「兵・卒」は前向きに 1 マス動けるが、後退することはできず、相手のベースライ ンに激突したとき、基本的に戦力を失ってしまう。前途も退路もなく、左右に移動するし かない、いわゆる「卒は底に沈むと死ぬ」のである。それに対し、将棋の「兵」はそうで はなく、「成金」ルールによると、ベースラインまで歩く必要はなく、相手の陣営すなわ ち奥の 3 段に入ると「金」になることができる。異郷で終死した結末を避けることができ るのだけでなく、王に伴って故郷への復帰も可能になる。社会学的に言えば、「成金」ル ールに基づく社会移動は、典型的な世代内移動である。 駒をより強力な駒へと進化させるルールにおいて、象棋と将棋はだいぶ異なることから も中日両文化において社会移動に対する態度は明らかに違うことがわかるのであろう。中 国では、個人のアイデンティの安定を重視し、世代間の社会移動に焦点を合わせている。 「龍の子は龍で、鳳の子は鳳で、ネズミの子は生まれついて穴を掘ることができる」とい う俗語は、中国社会において世代間移動の割合が比較的高い状態を面白くまとめている。 中国社会の歴史を通じて、世代間移動は高すぎるため、各社会階層の間にギャップが大き すぎて耐え難い段階に至ったら、屈辱に耐える人々は「王侯貴族は生来私たちより高貴か」 と怒号し、武器を持って立ち上がって支配者に反抗する。すると、数多くのおとなしい庶 民はたちまち革命の闘士になり、その結果、構造的な社会移動が引き起こされ、激しい変 化が起こる。 一方、日本社会の組み方は将棋のルールときわめて類似した特性を持っている。一般的 に、日本社会は世代間移動性の高い社会とも言えるが、将棋の「成金」ルールのように、 特定の階層内における世代内移動をも重視している。個人の価値の実現を大切にし、自分 自身の努力によって個人の社会的地位を上昇することを励ますことで、将棋の「成金」の ように、社会の矛盾を最大限まで解決し、ほぼ完璧な社会移動を達成する。例えば、個人 の出身にかかわらず、東京大学に入れば、お互いに平等になれる。また、現代日本人はほ とんど「中流意識」を持っている(つまり、自分は中流階級だと思っている)など、「成 金」ルールが現実の生活に反映されているといえるのであろう。 日本の歴史を振りかえてみると、武家の権力者は何度も改められたが、「万世一系」と 呼ばれる天皇制は今も保持されており、無視できない役割を果たしている。中国でも日本 でも、個人の境遇を改善してほしいという気持ちは誰でもあり、人として当然のことであ るが、比較的に言えば、中国人の上に行く気持ちは日本人よりも極端である。なぜかとい うと、「順番に皇帝の位につくなら、来年は俺の番だ」という妄想を抱いている人は本当 にいたからである。 日本では、昔の武士たちは大名になって将軍になるという夢を持っていたかもしれない が、天皇になることを夢みる人はめったにいなかった。今の日本も、一般庶民はもちろん、 たとえ政治家であっても、首相としての野心を抱いているにもかかわらず、天皇を幻想す ることは不可能であろう。 なお、将棋では、「成金」ルールにより進化された6種類の駒が一度相手に取られると、
その駒が再び盤上に戻った時は元の状態に戻り、また元の身分から再スタートしなければ ならないそうである。日本語には意味が同じく、文字表記が違うだけの語がある――「(一 所)一生懸命」。中国語に訳すと、「命がけで物事をすること」、「全力を尽くして何か をするさま」という意味である。この言葉は日本人が一生の精力をある社会空間に注ぎ込 んだ価値観にぴったりと思う。何をするにしても、「一生懸命」でこそ、成績が上げられ、 自分自身の価値を実現することが可能になり、また、限られた範囲内で上に移動し、自分 の生活を最大限に改善することができる。実生活では、日本人はある職場に就職すると、 退職までその仕事をしている人が多く、途中でやめる人はほとんどいない。その理由につ いては、将棋の「成金ルール」から何らかのヒントを得ることができるかもしれない。進 化した駒が一度取られると、その進化後の性能はすべて消えてしまうのと同じように、今 までの職場で努力して積み重ねた手元は、転職する際には転用できなく、全部台無しにな ることが多い。そのため、あるグループから別のグループに移ると、個人にとっては大き な損失を被ることになる。特に、普通の「兵」からすでに「玉将」の腹心である「金将」 に上昇した人にとって、今のグループを去ったら、また無名の「兵」に戻り、一から頑張 っていかなければならない。現実的には、給料など物質の面に大きな損はなく、さらにあ げることもあるが、転職すると、人間関係ではすべてを新たに開始しなければならない、 あるいはゼロから始めなければならないといっても過言ではない。そのため、仕事がうま くいくかどうかもわからないので、多くの日本人はリスクを冒して転職することより、む しろそのまま目の前の職場で専念するほうがよいのである。世間から称賛されている日本 人の「忠臣が二君につかえない」、「それぞれが適所を得、それぞれが職務を遂行し、責 任を果たす」などの国民性格には、将棋のルールが知らずのうちに影響をもたらしたので はないかと思われる。 4.象棋と将棋の相違点から見る中日社会移動の相違点 最後に、象棋と将棋の駒間の組合せに関するルールを簡単に分析しよう。一言にいうと、 象棋のほうは制限が多くて活用しにくいのに対して、将棋のほうは自由に運用できると同 時に秩序を重視している。 象棋であろうと、将棋であろうと、駒が動いている時、味方の駒が到達可能な位置に相 手の駒があれば、その駒を取って自分の駒に入れ換えることができる。 昔、中国の元帥たちは兵を率いて戦争をする時に、後方にあって策を練るのを重視した。 そのため、象棋の首脳である「将・帥」は両方の奪い合う的として、いつも警戒厳重な九 宮の本営の中に前後左右に 1 マス動き、九宮から出ることができない。「将・帥」を守る ための駒として、「仕・士」は斜め線上ならば前へも後ろへも行けるが、「将・帥」と同 じく「九宮」から外へ移動することはできない。また「将・象」も「将・帥」を守るため の駒で「田」の字の対角線を2つ跳ぶような形で移動し、「河界」を越えて敵陣に攻めて いくことができない。こうだとすると、7種類の駒に、攻める用の駒は残りの「車」、「馬」、 「炮」と「卒・兵」の 4 種類しかないのである。その上象棋の駒の動かし方にも互いに制
限が多く、将棋より柔軟性と統一性ははるかに劣る。 象棋の「馬」は縦横に 1 マス進んで進行方向の斜めに 1 マス進んだところに動き、即ち 「日」の字の対角線を跳ぶように移動する。この駒に隣接する点に他の駒がない場合、移 動可能な選択肢は四方八方の 8 つの点に達することができるため、「威風あたりを払う」 という説がある。将棋の「桂馬」は 2 マス前の 1 マス右か左のどちらかにしか移動ができ ず、象棋の「馬」より全然威風ではないが、進める速さと自由さに関しては、将棋の「桂 馬」のほうが勝るのである。なぜかというと、「桂馬」は「馬」と性質が違い、間に自分 の駒や相手の駒があったとしても、それを飛び越えて動かすことができるからである。 「馬」の前後左右に駒があると、「馬」はその方向には飛び越せないことを「馬の足首 を挫く」という。現実の生活では、いったん馬の足首が挫かれると、動きがとれなくなり、 たとえ一匹の駿馬であっても、千里の志があるにもかかわらず、老いて倒れてしまっては どうにもならないのであろう。「馬の足首を挫く」と類似し、象棋には「象の鼻を塞ぐ」 という言葉もある。「象」は「田」の字の対角線を2つ跳ぶような形で移動するが、跳ぶ 先の中間地点(「田」の字の中心)に駒がある場合はその先に移動することができないこ とをイメージ化した言葉である。いったん象の鼻が塞がれると、いくら高い学識があり、 大事業を仕切る優れた才能があるとしても、手も足も出ないのではなかろうか。「馬の足 首を挫く」にせよ、「象の鼻を塞ぐ」にせよ、敵もいれば友もいるという現象は、昔の封 建社会でよく起こるだけでなく、今日の現実生活においても珍しくない。「内輪もめ」、 「一人の坊主が水を担いで飲む、二人の坊主が水を運んで飲む、三人の和尚が水を飲むこ とができない」、「中国人は一人なら竜で、中国人が十人一緒にいると虫になる」などと いう言葉は、いずれも象棋のこういうルールの典型的なマイナスの例ではないであろうか。 中国の象棋とは対照的に、日本の将棋の駒は、単に「桂馬」が自由に動くことができる のだけでなく、8 種類の駒はどの駒も敵中に攻め入ることができる。「歩兵」は勇敢に突 き進むことができ、敵陣に侵入し戦うこともできる。「玉将」は自ら出征することができ、 また兵士の先頭に立つこともできる。さらに、将棋は、駒を再生させることができる「持 ち駒」ルールを行うことで、駒をより自由に運用することができる。 そのほか、象棋のルールでは同種の駒なら、縦方向の順序には何の制限もないらしい。 「兵・卒」を例とすると、2 つあるいは 2 つ以上の兵や卒が同じ縦列にあるとしてもルー ル違反ではなく、後から来た兵・卒が同じ縦列にあったほかの兵・卒の前に割り込んでも まったく問題ないそうである。しかし、将棋はそうではなく、相手の「玉将」を取るため に、各種類の駒はそれぞれあるべき場所につき、それぞれ行くべき道を行き、異体同心で あることを中心にしている。特に同種の駒の間では、秩序のある協力を実現しようとし、 競争をなくすようにすることが重視されている。将棋のルールにおいて、三つの禁じ手が あり、その一つは、最も能力の低い「歩兵」を対象としたものである。「同一の縦列に 2 枚以上の歩兵を配置することはできない」ということは明らかに規定されている。最下層 による秩序を維持するためのものであろう。中根千枝が指摘した日本人の現実生活におけ る「同期生意識」は、まさにこの禁じ手のルールを反映しているといえる。例えば日本の
会社では、同じ年に入社する人は「同期会」を組織することが多い。中には重用された人 がいると、同じ年に就職しても抜擢されていない人は、自分が抜擢された者より劣ってい るわけではないのにと文句をつける人が多いようである。同期の間でさえ、後輩が先輩よ りも早く重用されていたら、なおさら大変なことになる。また、中根千枝は、日本のあら ゆる業界にこういう「同期生意識」(10)が存在することを指摘していた。 以上の考察から、ゲームのルールは確かにゲームをする人の考え方や価値観などをある 程度反映していることが明らかになった。しかし、ただゲームのルールを分析するだけで は、そのゲームを創立した国民の性格を判断するには不十分であることも言うまでもない。 例えば、中国の象棋のルールから中国人の価値観を推測すると、第二次世界大戦の時、中 国に売国奴が出るはずがなかった。むしろ日本の将棋の「持ち駒」ルールのほうは多くの 裏切り者を作りやすいのではないかという結論になりやすいのであるが、周知のように、 事実は正反対である。したがって、北宋年間に成立した中国の象棋のルールに変わりはな いが、どの程度現代中国人の思想を反映できるのかは、深く考える必要がある。秩序を創 造したゲームの最大の貢献は、この完璧でない世界に大変な生活を送る人間に、短い間が 有限な完璧さを体験させてもらうことと、時々、人々に理想的な社会秩序や生活様式を考 えさせてくれることであろう。どうやって完璧なゲームのルールを作り、またそれに基づ いて現実世界を計画するのは、やはり現実世界の私たちに任せなければならない。ある意 味では、中日関係も将棋のようである。中日の友情を大切にする人には、文化交流を通じ て相互理解を深め、中日関係の一層の発展を成し遂げるために協力してほしいと祈ってい る。 (中国社会科学院日本研究所 教授) 【注】 (1)[荷兰]胡伊青加著、成窮訳『人:遊戯者——対文化中遊戯因素的研究』贵州人民出版社 1998 年版、222 頁。 (2)李不大主编《象棋完全入门》世界图书出版公司 2004 年版。 (3)木村義徳「将棋の日本到着時期をめぐって:増川宏一説に対する批判」『桃山学大学総合 研究所紀要』30-2(2004 年 12 月);山本亨介『将棋文化史』(筑摩書房 1980 年版)。 (4)増川宏一『ものと人間の文化史 将棋』法政大学出版局 1977 年版。 (5)清水康二「将棋伝来についての一試論」(『遊戯史研究』6 号、1994 年);大内延介の 『将棋の来た道』(小学館文庫版 1998 年)。 (6)中根千枝:『タテ社会の人間関係』講談社 1967 年版、28-32 頁。 (7)升田幸三『名人に香車を引いた男』朝日新聞社 1980 年版、第 223 頁。 (8)R.ベネディクト著、長谷川松治訳『菊と刀』社会思想社 1992 年初版第 90 刷、第 50-51 頁及第 199 頁。 (9)龚维斌《社会流动:理想类型与国际经验》,载《中国社会科学院研究生院学报》2003 年 第 5 期。 (10)中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社 1967 年版、74 頁。