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信義則違反と詐欺罪(一)

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〈 論 説 〉

信義則違反と詐欺罪

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191一一『奈良法学会雑誌』第13 3・4号 (2001年 3月) 次 問題の所在 日本の判例・学説(以上本号) ドイツの判例・学説 両者の比較 結論 日 五 四 三 二 一

問題の所在

民法一条二項は﹁権利の行使及ぴ義務の履行は、信義に従ひ誠実に之を為すことを要す﹂と規定し、 いわゆる信義 則(信義誠実の原則)を掲げている。これは民法の規定に当初はなかったが、すでに大正期頃から学説・判例によっ ( 2 ) て肯定され、戦後の民法改正によって規定されたものである。その意義としては、﹁社会共同生活の一員として、互い ( 3 ) に相手の信頼を裏切らないように誠意をもって行動すること﹂を要求するル

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ルであるとされる。そして、その具体

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第13巻3・4号一一 192 的な民法上の機能に関しては、①裁判官の職務的機能の手段(法規自身の具体化)、②衡平的機能(法規外の確立した 基本命題に基づく法の修正)、③社会的機能(実際上の必要性に基づく弱者保護)、④権能授与的機能(法の創造)に 分類する学説や、①社会的接触関係にあるもの同士の規範関係を具体化する機能と②条理の一形態として、制定法の 規定しない部分を補充し、さらには制定法の形式的適用による不都合を克服するという機能に分類する学説、さらに は①規範形成的機能(積極的機能 ) H 義務者側の行為準則(﹁信義則上:::すべき義務を負う﹂)としての機能と②規範 抑制的機能(消極的機能 ) H 権利者側の行為準則(﹁:::は信義則上許されない﹂)としての機能に分類する学説等があ る。そして何が信義誠実の原別であるかは、具体的事情に応じて決定しなければならないとされる。これは、 ( 7 ) る一般条項の代表的なものである。民法においては、このような一般条項は重要な機能を担っている。しかし罪刑法 い わ ゆ 定主義の妥当する刑法においては 一般条項から可罰性を直接導き出すことは許されない。それにもかかわらず、こ の信義則を不作為の欺同行為の判断原理として強調されたのは牧野博士である。すなわち﹁要するに、法律の基本原 理としての信義誠実の原則に依り之を判定すべし。凡そ権利を行使し義務を履行するに付きでは信義誠実の原則に従 わざるべからず。故に、信義誠実の原則に依り作為の期待せらるる場合に於いて其の作為を為さざるときは、其の不 ( 8 ) ( 9 ) 作為に因る詐欺罪の成立あるべきなり﹂とされるのである。牧野博士自身も強調されているように、これはフランス ( 叩 ) ( 日 ) の自由法思想の影響を受けた見解である。しかし例えば草野博士は、回 c m n y の見解を引用し﹁要するに、個人主義的 自由主義的思想を排斥して国家社会主義的思想を尊重する限り、法律上の取引関係はすべて信義誠実の原則によって 律 せ ら れ ね ば な ら ぬ 、 と云うことに帰着するのである﹂が、牧野﹁博士の所謂自由法論は国家社会思想と一脈相通ず る も の が あ る 、 と解さざるを得ない﹂とされる。このような思想的背景から見てもまた、 刑法における信義則の援用 は、問題があるように思える。それにもかかわらず戦後の学説においても、﹁特に詐欺罪は取引関係を通じて行なわれ

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ることが多く、人間の信頼関係を悪用することによってその目的を遂げるという犯罪の性質から、取引関係における 信義誠実の原則が強く支配する﹂とされ、また判例もしばしばこの信義則を強調する。最近でも誤振込に関する事例 ( ロ ) について、大阪地裁堺支部判平成九年一

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月二七日(判例集未登載)は、﹁振込自体は有効になされたものとして、振 込相当額が被告人の銀行に対して有する普通預金債権の一部となるが、形式的手違いによる明白な誤振込の場合、当 該振込に係る金員が最終的に誤って指定された受取人に帰属すべきものではないことは明らかであるから、普通預金 債権を有する口座名義人といえども、誤振込であることを認識した以上、自己の預金に組み込まれている振込金相当 額を引き出し、現金化することは、銀行取引の信義則からして許されない行為であって、対外的法律関係の処理はと もかく、少なくとも、対銀行との関係でみるかぎり、右誤振込みの金額部分にまで及ぶ預金の払戻しを受ける正当な ( 日 ) 権限は有しないものと解するのが相当である﹂として詐欺罪の成立を認めた。このように判例においては、現在でも 信義則違反から告知義務を認めるものが見られるのである。学説においても、 いわゆる釣銭詐欺において、信義則上 の告知義務を認め、詐欺罪の成立を認めるのが通説である。しかし日本においてもこのような傾向に批判的な見解も 存在する。例えば浅田教授は、﹁単なる信義誠実上の告知義務(錯誤に陥らせない義務)は、不真正不作為犯としての 詐欺罪を成立せしめる作為義務(財産的損害を生ぜしめない義務)とはなりえないと思われる。 いかなる場合にかか る作為義務を認むべきかを決するには具体的事例の検討を要するが、 かかる義務が認められるためには、単なる先行 行為では不十分であって、長期継続的取引関係にある場合(先行行為+引き受け)や事前に特別の約定がある場合(契 犯人と被害者との間に、相手方の財産について配慮すべき特別な人的関係(保障人的地位) ( U ) 必要とすべきものと思われる﹂とされる。 があることを 約 ) な ど 、 このような日本における判例・学説に対して、ドイツにおいては、信義則に基づく保障人的義務については制限的

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第13巻 3・4号一一 194 ( 江 川 ) ないし否定的見解が有力になりつつある。例えば、同日可は、﹁信義誠実から保障人的義務を演緯することには疑問が ある。:::信義誠実という法原理は、刑罰を基礎づけるメルクマールとしては、あまりにも輪郭がはっきりしないも ( 国 ) のである﹂とし、最近学生によく用いられている注釈書で守

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は、﹁晶子生はあまりにも早急に民法二四二条から告 ( げ ) 知義務を導き出しがちである﹂が、﹁信義誠実からの保障人的地佐は存在しない﹂としている。本稿においては、不作 為犯における作為義務を安易に一般条項である信義則から導き出すべきではないという立場から、 日本の判例・学説 とドイツの判例・学説を比較し、批判的に検討する。 ( 1 ) 粂文・判例などのカタカナ文については、ひらがなになおし、濁点句読点を付した(以下同じて ( 2 ) 四宮和夫・能見善久・民法総則(第五版増補版・二 000 年 ) 一 八 頁 。 ( 3 ) 我 妻 栄 ・ 新 訂 民 法 総 則 ( 一 九 六 五 年 ) 三 四 頁 。 ( 4 ) 好 美 清 光 ﹁ 信 義 則 の 機 能 ﹂ 一 橋 論 叢 四 七 巻 二 号 ( 一 九 六 二 年 ) 七 三 頁 以 下 。 な お 内 田 貴 教 授 は ﹁ 少 な く と も わ が 国 で は 、 : : : 実 定法の中に異なる次元の規範を導入する一種のパイプとして理解すべきではないだろうか﹂とされる(内田貴・契約の再生(一 九 九 O 年 ) 二 三 O 頁 ) 。 ( 5 ) 四宮和夫・民法総則(第四版・一九八六年)三 O 真 。 ( 6 ) 辻正美・民法総則(一九九九年)三三頁 ( 7 ) 内田貴﹁現代契約法の新たな展開と一般条項 ( 1 1 4 ) ﹂ NBL 五一四号六頁、五一五号二二頁、五一六号二二頁、五一七号 三 二 頁 以 下 ( 一 九 九 三 年 ) 参 照 。 ( 8 ) 牧 野 英 一 ・ 刑 法 各 論 下 巻 ( 追 補 版 ・ 一 九 五 四 年 ) 三 七 三 頁 。 ( 9 ) 牧 野 英 一 ﹁ 刑 法 に お け る 信 義 誠 実 の 原 則 ﹂ 刑 法 研 究 第 六 ( 一 九 三 一 六 年 ) 一 頁 以 下 。 (叩)草野豹一郎﹁事実の黙秘と詐欺罪﹂刑法判例研究三巻(一九三五年)三七 O 頁 以 下 (日)切窓円 F 回目可 z m 門 吉 門 n F ︿巾吋凹 n y d ︿ 巾 F m m H r 司巾印 g n F E 枠 内 ロ 円 E n y R 己 ω 円 } 戸 B E F S ω ? ω -H N H R

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( ロ ) こ の 判 決 文 の 一 部 は 、 渡 辺 恵 一 ﹁ 誤 っ て 振 り 込 ま れ た 預 金 の 引 出 し 行 為 と 犯 罪 の 成 否 ﹂ 研 修 五 九 九 号 ( 一 九 九 八 年 ) 一 一 五 頁 、 判 タ 一 OO 二 号 二 九 O 頁等で引用されている。この判決及び控訴審判決で問題となった誤振込の問題については拙稿﹁誤 振 込 と 詐 欺 罪 ﹂ 本 誌 二 二 巻 二 号 ( 二 000 年 ) 一 頁 以 下 を 参 照 。 ( 日 ) 傍 点 は 筆 者 に よ る ( 以 下 同 じ ) 。 ( M ) 浅田和茂﹁詐欺罪の問題点﹂現代刑法講座四巻(一九八二年)三二四頁。そこから﹁たとえば通常の釣銭詐欺の場合に(た し か に 契 約 関 係 は あ る が ) 直 ち に 作 為 義 務 を 認 め る こ と に は 疑 問 が あ る ﹂ と さ れ る 。 ( 日 ) ド イ ツ に お け る 学 説 は 後 に 詳 述 す る が 、 最 近 の 著 書 で も っ と も 重 要 な も の と し て 同 ミ 尋 問 母 国 示 、 ﹃ 叶

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∞ ・ 日本の判例・学説 ( ー ) 日本の判例 一一信義則違反と詐欺罪(ー) まず日本の判例において、 ① いかなる場合に信義則が援用されているかを検討する。 ( 凶 ) 大判大正七年七月十七日刑録二四輯九三九頁 (事案)準禁治産者であることを知れば相手方が取引をしないと予想される場合に、ことさら準禁治産者であること を黙秘し、能力者であるかのように相手方に誤信させ、貸借名義で金員を交付させた。 ( 判 旨 ) 民 法 二

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条により法律行為を取消すことができても、﹁準禁治産者が法律上の取引を為さんとするに当り其相 手方に於て準禁治産者たることを知らば取引を為さざるべき場合に於ては法律上の取引の安田を保持する必要に鑑み 其準禁治産者たることを告知するの義務あるものと解するを一般法母上か掛合ル適するものと言はざるべから吋)と

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第13巻 3・4号一一 196 し、詐欺罪が成立するとした。 この判示においては、信義誠実という一言葉は用いられてはいない。しかし牧野博士は、この﹁判例には、信義誠実 という語は見えないが、同じ趣旨に理解すべきである﹂とされ、﹁この判例では、特に一般法理上の観念といふことが ( 初 ) 揚言されてゐるのである﹂とされている。また平場博士及ぴ尾中判事は﹁このことは代理権その他法律上の処分権限 についてすべて同様に言えるものと考えられる﹂とされている。 大判大正二二年三月十八日刑集三巻二三

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頁 ② (事案)金円貸借のため提供する担保品が、あらかじめ示した見本品と異なる場合において、その旨を告知せず、貸主 をして見本と同一であると誤信し取引をさせた。 (判旨)﹁信義誠実を旨とする取引上の必要に鑑み本件の場合に於て被告人の現に提供する担保品が前に示したる見 本と異る他物なるときは被告人は之を告知するの義務ありと解するを相当とすべく而して本件加島銀行福島支底長

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が担保口問は見本と同一なりと誤信して取引を為すに至らしめたるものなれば・:欺同行為ありと謂はざるべからず﹂と し、詐欺罪が成立する。 こ の 判 例 は 、 明示的に信義則を援用したものとして注目される。告知義務との関係では、前掲①判決と同じく﹁一 つの契約関係にすでに入っている者の照において、その後に発生した、あるいは発見された事情について告知義務を ( 幻 ) 認めている判例﹂の一つであるとされる。但しこれが不作為犯であるかどうかは問題があり、﹁これは見本品と異なる ( 幻 ) 物品を、ことさらに担保に差入れたという点に作為による欺同行為を認むべき事例であろう﹂という評価もある。し かし判示部分からは信義則から直接的に告知義務が導き出されているように見え、検討が必要である。 大判大正二二年十一月二十八日法律新聞二三八二号二ハ頁 ③

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( 事 案 ) 被 告 人

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は、大正四年一月中東京株式取引所の仲買人となり、同年三月頃より東京日本橋に底舗を設け、その 営業に従事していた。同五年八月頃までの聞に、 およそ金十六万円の欠損を生じ、到底営業を継続することができな い状態に陥ってしまったので、翌九月頃同

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及び被告人

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は共謀の上、最早誠実に株式売買の仲買業をなす意思がな い に も 拘 ら ず 、 それがあるかのように装い、株式売買委託の証拠金名義の下に財物を編取しようと企て、 犯 意 継 続 し 、 同八年二月下旬までの聞に

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他数百名をして株式売買の証拠金又はその代用として現金若くは株券等およそ三百万円 余に相当するものを交付させ そ れ を 踊 取 し た 。 (判旨)大審院は、まず原則として﹁商取引を為すに当り商慣習其の他特別の事情なき限り何人も自己の信用力に影響 を及ぽすべき事実を相手方に告知すべき義務を有するものにあらざるなり﹂としたが、﹁然れども自己が現に認識する 事情及境遇の下に於て其の状態が相手方に暴露するとせば到底其の信用を得て取引を為す事能はざることを了知する に拘らず沈黙して之を告げざる場合は之に異なり其沈黙は詐欺罪の手段たる欺同に該当すと言はざるべからず﹂とし た。その理由としては﹁蓋し信義誠実を旨とする取引の通念上此の知き場合に於ては何人も相手方に対し真実なる事 実を告知する義務を負担するものにして其の義務に違背し沈黙するときは之に因り相手方をして認識の対象を錯覚せ しめ事実の判断に付き錯誤に陥らしむべきものなればなり﹂として、信義則を援用する。そこから、真実を告知した ならば、到底その信用を得て取引をすることができない事情を了知しているにかかわらず、これを沈黙して告げない のは、詐欺罪の欺同行為となると判示したのである。 ( お ) これは﹁信用状態、支払能力に関する事項の不告知が問題となった事例﹂の一つであるとされる。そしてこの事例 についても﹁この事件では欠損を生じ営業継続の不能となった株式仲買人が証拠金編取の目的で営業を継続するよう に装って株式売買の委託をうけ証拠金を受取ったという事実が認定されているわけで、単純な不告知とは言えない﹂

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第13巻3・4号一一 198 との評価がある。ここでは前掲②判例と同じく作為犯と不作為犯の区別が問題となっている。なおこの時期の判例に おいて、作為と不作為の区別が問題となったものとして無銭宿泊に関する大判大正九年五月八日刑録二六輯三四八頁 がある。そこでは、飲食庖または旅館で注文者または宿泊者が、支払いの意思がないのに、 その事情を告げず、単純 に注文または宿泊をする行為は、欺く行為であるとされ、作為による欺岡であるとされた。しかしこの③判例の事案 においては、作為犯とみられうる事例においても告知義務違反ということが詐欺罪成立の中心的論拠とされているこ とが注目される。 ④ 大判昭和四年三月七日刑集八巻一

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七 頁 (事案)被告人は、抵当権設定登記のある不動産売却に際し、該抵当権の負担を黙秘した。 (判旨)﹁抵当権の設定及其の登記ある不動産を売買するに於ては、抵当権の行使により買主は、其所有権を失う虞あ るべきを以て、買主に於て抵当権設定及其の登記あることを知りたらんには或は之を買受けざることあるべく、又従 令之を買受くるも代金の支払に関し自己の利益を保護する為相当の措置を為す要あるべきを以て、右設定及登記の事 実を知らずして買受け代金を交付せんとする場合に於ては、信義誠実を旨とする取引の必要に鑑み売主は右事実を買 主に告知する法律上の義務あるものと謂はざるべからず﹂として詐欺罪の成立を肯定している。 ( 幻 ) この事例は、﹁目的物の性状に関する事項の欺同についての事例﹂の一つであるとされる。そしてここでも信義則か らの告知義務が問題となっている。 ⑤ 大 判 昭 和 一

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年三月二三日刑集一四巻二九四頁 (事案)被告人は、疾病にかかっていることを秘し、保険会社係員を欺同して健康体と誤信させて保険契約を締結させ た上、保険金の交付を受けた。

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(判旨)保険者がその事実を知らなかったことについて過失があり、保険会社が商法旧四二九条一項但書(現行六七八 条一項但書)により保険契約を解除することができない場合であっても、﹁法令上、慣習上又は契約上其の他法規上の 一般条理として存在する告知義務﹂に違反するものであり、詐欺罪の成立を認めることを妨げないとされた。 この事例は、法令に基づく告知義務を認めたものとみられるが、﹁法規上の一般条理﹂をも挙げている点が特徴であ る このように、既に大審院時代の判例において信義則からの告知義務という構成がとられていたことが注目される。 これに対して戦後の判例においては、若干異なった観点から信義則に言及するものが現れる。 東京高判昭和二七年二月九日高等裁判所刑事判決特報二九号二七頁 ⑥ (事案)事案の詳細は、判例集に記載されていないため不明であるが、被告人は生地を入手するあてがないのに、注文 ( 却 } をうけたという事例であることが弁護人の控訴趣意に対する判示から窺える。 (判旨)﹁詐欺罪の成否を定める標準の一つである欺同手段は信義則に合するかどうか即ち一般通常の見地から正直 であると認められるかどうかの点にある。 若し一般通常の見地からする正直に関する平明な法則に反すると認められ る程度の欺問手段:::の施用によって人を錯誤に陥入れ、その財物を編取したときは詐欺の罪を構成するものという べきである﹂として、本事案の欺岡手段は﹁一般通常の正直の法則に反するものである﹂とした。 いわゆる欺同の程度に関するものであ句作次の判例も、告知義務以外の文脈で信義則が こ れ は 告 知 義 務 で は な く 、 用 い ら れ て い る 。 ⑦ 名古屋高金沢支判昭和二七年一

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月三日高等裁判所刑事判決特報三

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号 一

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頁 (事案)地方自治団体の癖長および出納員が、内容虚偽の支払命令書および支払通知書を発行し、県金庫事務処理者を

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第13巻 3・4号一一 200 してその旨誤信させ、同人より不正に金員を受領した。 (判回目)この世事案について、この地方自治団体の癖長および出納員の行為は、詐欺罪を構成するとされたが、その際、 県金庫事務を処理していた民間銀行の義務が問題となった。この点について﹁民間銀行が県の委託を受け県金庫事務 を処理するに当り、支払通知書を持参した者に対し専ら形式的事項について調査すれば足り、支払の当否について調 それに記載された債権者が 県に対し何ら債権を有しない者であることを事前に知ったとするならば、銀行は、県に対し信義誠実にのっとり事務 を処理する義務の履行として、支払要求を拒否しなければならない立場にある﹂とされた。 査する義務を負わない建前であっても、銀行がたまたま支払命令書の記載が虚偽であり、 これは、相手方に信義則上の確認義務があることから、欺間性を論証しようとしたもので、同様の議論は、後述の ( 但 ) ように自己名義のクレジットカードの不正使用をめぐる判例(判例⑫)および学説においてもみられるものである。 ( 認 ) 東京高判昭和三

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年九月六日東京高等裁判所(刑事)判決時報六巻九号三

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五頁 ⑧ (事案)被告人は、駐留軍の工事に用いるから代金の支払は確実だということでパイプの売買契約を締結したが、その 後売主

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の自己の金策のため他へ安く転売せざるを得なくなった。 (判旨)売買代金の支払を確保するため、目的物件の使途が売買契約の一一要件となったと認められる場合に、契約成立 後物件引渡前に使途変更の事態が発生したときは、売主にその旨を告知する義務があり、右の事実を秘して物件の交 付を受けた行為は、詐欺罪を構成するとされた。その際、東京高裁は﹁もし最初から買主がその買受けた物件を自己 の経営する会社の金策のため他へ安く転売するということがあったならば、売主は到底右売買契約に応じなかったも のと推測されるから、もし契約成立後物件引渡以前において右のような事態が発生したとすれば買主はこれを売主に その承認を受くべき義務の存するものと認むべきことは商取引における信義誠実の原則に照して当然である 告 知 し 、

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といわなければならないからである:::被告人が原判決認定のように売買契約締結後において発生した前記のような 事実を秘し売主たる

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の錯誤を利用して物件の交付をうけた行為が詐欺罪になることは論をまたない﹂と判示してい る 本件について平場博士及び尾中判事は、﹁この事例は不作為による欺同としてはかなり純粋な型をもっていると言つ てよかろう﹂とされ、不作為による欺同の典型例とされる。 ⑨ 東京高判昭和三一年一月一六日高等裁判所刑事裁判特報三巻一・二号二一頁 H 判タ五六号七六頁 (事案)売主と買主は重油の継続的な取引関係にあり、買主は代金支払のために第三者名義の手形を使用していたが、 その第三者よりその手形の使用を差止められた。しかし売主はその手形を信用して重油を売っていたので、買主とし ては経理状態が行き詰っており、手形の使用が禁止された事実を売主に告げれば、重油の買入れができなくなること をおそれ、使用を禁止された手形が手許にあるのを利用し、重油の買入れを続けた。 (判旨)東京高裁は﹁すでにして本件各重油の商取引前、

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側から、これが約束手形使用の禁止を通告された被告人と しては、もともと、財政的に行き詰まり一般の信用を無くしていた折柄、財政上の一般信用を得ていた

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振出名儀の 約束手形を使用して

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商底との聞の当面の商取引を工面していたものである関係上、これが手形に信頼して重油代金 の遅滞なき支払あるを信用して取引して来た問販売係

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に対しては依然重油の買入取引を継続するかぎり前記約束手 形使用の禁止となった事情を誠実に告知すべきであったというべく:::﹂として詐欺罪の成立を認めた。即ち、詐欺 罪が成立するためには、必ずしも相手方に対し積極的に虚偽の事実を告知する必要はなく、﹁信義誠実を旨とする商取 引をするような場合﹂には、事の真相をことさらに秘匿隠蔽した場合にも成立するとされたのである。 これは再び告知義務に関する判例であるが、平場博士及び尾中判事は、﹁これは一回限りの契約関係でなく、継続的

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第13巻3・4号一一202 な取引関係の継続中に起った信用状態の変動であり、このような関係にあるものの信義則上の義務として、より強い 意味で告知義務が認められることがあるのは当然であろう﹂とされる。このような継続的取引関係における告知義務 はドイツでも議論されており、重要な類型である。 ⑮ 東京高判昭和三一年一二月一九日東京高等裁判所(刑事)判決時報七巻一二号四八二頁H判タ六七号八

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頁 他の牛と引き換えて交付させた。 (事案)被告人は、奇形のある牛を、正常な良い若牛であるかのごとく装い、 (判旨)東京高裁は、﹁凡そ商取引においては信義誠実を旨とすべきことは勿論であるから若し真実を告知すれば相手 方は交換を肯んじないような場合に故意に真実を告知せず、却って真実に反した事実を告知し相手方を錯誤に陥らせ 交換を承諾させ交換の物件を交付させた場合には詐欺罪の成立することは固よりであって、これをもって商取引上の 単なる掛引にとどまるものとして不問に付さるべきものではない﹂と判示した。 この事例も告知義務に関するものであるが、もし真実を告知すれば相手方は交換を承知しないような場合には告知義 務を広く認めている点に特徴がある。 ⑪ 東京高判昭和三五年三月九日東京高等裁判所(刑事)判決時報一一巻三号六

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頁 (事案)被告人が代表取締役として経営していた

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物産株式会社が営業不振のため多額の負債を生じ売買契約に基づ く大豆の引渡を受けても到底その代金の支払いをなすことが不能な状態になったのに、その事情を相手方に告知せず、 あたかも代金支払いの意思および能力があるかのように装って大豆の引渡を請求し、指図書の交付を受けた。 (判旨)東京高裁は、﹁詐欺罪における歎同行為は必ずしも積極的に虚偽の事実を告知する場合に限らず信義誠実の原 則に従い真実の事実を告知するべき義務があるに拘らず故らに沈黙して真実の事実を告知しない場合をも包含する﹂ とした上で、買主が﹁契約締結後物品の引渡を受ける以前において自己の営業不振のため代金の支払いが不能の状態

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に陥った場合にはその旨を売主に告知する義務があるものと解するを相当とする。蓋し代金の支払を受けられるかど うかは売主にとって最も重大な関心事であるからたとえ売買契約の成立後と難も物品引渡以前に買主に代金支払不能 の状態が生じたときは右の事情を売主に告知し売主をして不測の損害を蒙らしめないようにする義務があることは商 取引における信義誠実の原則に照らし当然といわなければならない﹂として、本件においても自己の営業状態およぴ 代金支払の能力等に関する真実の事実を売主に告知すべき義務があるものと解するのが相当であり、詐欺罪が成立す る と し た 。 東京高判昭和五九年一一月一九日東京高等裁判所(刑事)判決時報三五巻一

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一二号八六頁 H 判タ五四四号二 五一頁 ⑫ (事案)代金支払の意思も能力もないのに、これがあるように装って、クレジットカードの名義人と共謀して加盟底か ら電気製品等を交付させた。 (判旨)東京高裁は、﹁会員に、後日クレジット会社に代金:::を支払う意思も能力もないことが明らかな場合には、 販売庄は右会員に対し物品の販売を拒否することにより、クレジット会社に不良債権が発生しないようにすべき信義 則上の義務をクレジットカード会社に対して負って﹂おり、﹁したがって、販売底において、会員が後日クレジット会 社に代金:::を支払う意思も能力もないことを知りながら会員に物品を販売した場合には、クレジット会社は右販売 底に対し信義則違反を理由として、右代金の立替払いを拒むことができるといわなければならない﹂とした土で、﹁会 員が後日クレジット会社に代金:::を支払う意思及ぴ能力を有するかどうかについて、販売底としても関心を持たざ るをえない﹂とし、 そこからクレジット会社に対して代金を支払う意思も能力もないのにこれがあるかのように装い、 自己名義のクレジットカードを提示行使して加盟底から商品を交付させたときは、加盟底を被害者とする一項詐欺罪

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第13.巻3・4号一一204 が成立するとした。 この判例は、上述判例⑦と同類型のものであり、相手方に信義則上の確認義務があることから、欺向性を論証しよ うとするものである。この判例に対して京藤教授は﹁加盟底にそのような信義則上の義務を認めることは、カードの 有効無効の確認のみで取引を行うことを可能にしたクレジット取引の基本的性格にそぐわないことは否めない﹂とさ ( お ) れ る 。 以上日本の判例を概観したが、 そこでは①信義則から告知義務を導き出すもの、②欺聞の程度の基準として信義則 を援用するもの(判例⑥)、③相手方に信義則上の確認義務があることから、欺同性を論証しようとするもの(判例⑦ ⑫)がある。それらの評価についてはドイツの判例との比較において行う。 ( 一

、 ・J 日本の学説 次に信義則と詐欺罪との関係について述べた日本の学説の内、比較的詳細に述べたものを紹介する。ここでも判例 と 同 じ く 、 ( 1 ) 告知義務に関するもの ( 2 ) 欺同の程度に関するもの、 ( 3 ) 相手方の信義則上の義務に関するものが あ る 。 ( 1 ) 告知義務に関するもの 告知義務に関しては、冒頭に挙げた牧野博士の学説以来いくつか信義則との関連について述べたものがあるが、こ ( 世 相 ) こではそれについて詳しく述べられる平場博士及び尾中判事の見解と浅田教授の見解を紹介する。 ① 平場博士及ぴ尾中判事の見解 平場博士及ぴ尾中判事は﹁はたしていかなる場合にこの法律上の告知義務があるか﹂という問題について分析され、

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判例は一般的には、①﹁法令上、慣習上又は契約上其の他法規上の一般条理として存在する告知義務﹂、②﹁信義誠実 を旨とする取引の通念上此の如き場合に於ては何人も相手方に対し真実なる事実を告知する義務を負担するものにし ( 幻 ) て﹂等として、﹁不真正不作為犯における作為義務の一般原則にしたがっているようである﹂とされる。そしてここで ﹁注意しなければならないのは、:::真実の黙秘が問題となる事例のすべてが不作為による欺同の事例というように は考えられないということである﹂とされ、むしろ、﹁一般的には真実を告げないということと、虚偽を印象づけよう とする挙動とが合して、事実を仮装し、あるいは真実を隠蔽して、相手方錯誤を生ぜしめるという場合が多い。この ( お ) ようなものはむしろ黙示の挙動による欺岡で作為の内に入れて考えてよい﹂とされる。即ち①﹁無銭飲食は、金銭を もっていないことを告げることにではなく、 むしろ金をもっているように装って飲食物を注文するという点に欺同行 為があったとみられるのであり﹂、②﹁担保を求められて提供する際、その品物が他に所有権留保されていることを告 げなかったという場合、告げなかったということよりも、担保力があるように装ってその品物を担保に供したという 点に暗黙の欺同行為が存在するものということができ﹂、③電話によってその日の大引立会相場を知りながらこれを告 げずそのいくらかによって勝負をきめる博を申出るという行為は、事実の沈黙と他の行為とが合体した積極的欺同行 ( ぬ ) ( 川 叩 ) 為であり、④これまでの判例の多くは﹁むしろ作為による欺同ということができる。このような場合その行為の構成 要件該当性を確定するについて、黙秘された事実の告知義務があったかどうか問題にすることは必要ではない﹂と分 析される。これに対して、﹁すでに何らかの原因で錯誤に陥り、そのまま放置しておけば、その誤った認識にもとづい て財産の処分行為をなす状態にあるものについて、 その錯誤におちいっていることを告げず、そのまま給付を、つける という場合においてはじめて不作為による欺問として作為義務の存在が、その構成要件該当性を根拠づけるのに決定 的なものとなってくる﹂とされ、﹁こう考えると純粋な型の不作為による欺問の例はむしろ少ないと言ってよい。実際

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第13巻3・4号一一 206 には真実を告げないということの上に、相手方の錯誤を確保し利用するための積極的挙動をともなうことが多い﹂と される。典型的な不作為による歎同としては﹁いわゆる釣り銭詐欺、すなわち、相手方が誤って過分な反対給付をな その過分であることを黙秘してそのまま受領するという事例﹂をまず挙げられ、 そうとするときに、 そして告知義務 の存否についての基準は不真正不作為犯の一般原則が通用するとされ、﹁特に詐欺罪は取引関係を通じて行なわれるこ とが多く、人間の信頼関係を悪用することによってその目的を遂げるという犯罪の性質から、 取引関係における信義 誠実の原則が強く支配する。前掲の諸判例すべてこの信義則を強調するのであるが、 その具体的適用は困難な場合が し ば し ば あ る 。 一般的に言って、すでに一つの契約関係に入っている者相互間では、契約上の一般的な義務として、 かなり高等の信義則上の義務を認めることは可能である。たとえば継続的な銀行取引契約、問屋と小売商との聞の継 続的な物品の売買契約等では、借受金返済、代金支払等の信用状態に関する事項、あるいは契約にもとづき給付され る物品の性状に関する事項について、告知義務を認めることはできるであろうし、組合のような共同行為、委任、雇 用のような関係に立つ者の聞でも、 かなり高度の信義則上の義務を認めてよい。しかしながらこれから新たな取引に 入ろう、特に一回限りの取引をなそうとする者には、すでに契約関係に入っている者と同様の告知義務を要求するこ とのむずかしい場合が多い。特に買主が自己の鑑識眼に信用して行なう取引の場合がそうである。:::不作為の場合 のみでなく、作為による欺岡においでも、 それが詐欺罪の欺間にあたるかどうか、許された欺同ではないかどうか、 信義則の観点から区別されなければならない。不作為による欺同における告知義務の存否、すなわち、許された沈黙 か否かを区別するについて、:::同様の基準が通用すると考えられる。そのうえ、不作為による場合は、特に相手方 それが消極的利用にすぎないことという特質を考慮して、慎重に定めなけ ( 組 ) ればならないことになる﹂とされるのである。 のおちいっている錯誤の利用であること、

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ここでは、限定的ではあるが、告知義務を認める究極的基準として信義則が援用されている点が注目される。これ に対して、その援用を否定されるのが冒頭にも挙げた浅田教授の見解である。 浅田教授の見解 ② まず不作為の詐欺罪については、﹁詐欺罪は放火罪と並んで判例・学説上不真正不作為犯の成立が比較的広く認めら れてきた犯罪類型であり、その際とくに作為義務としての告知義務の範囲、挙動による欺問との区別が問題とされて きた﹂が、﹁現行法の解釈として﹃不真正不作為犯﹄としての詐欺を認めること自体に罪刑法定主義上の疑問があり、 したがって、もし認めるとしても、:::きわめて稀な場合に限られるべきものと思われる﹂とされ基本的に限定的見 解を採られる。そして﹁不真正不作為犯としての詐欺罪という場合、﹃不作為による欺問﹄と﹃不作為による詐欺﹄と を同一視して良いであろうか﹂という問題提起をされ、次のような分析をなされる。﹁刑法二四六条は作為犯の規定と 解 す べ き で あ り 、 その実行行為は﹃欺岡による踊取﹄であって単なる﹃欺同﹄ではない。とすると不作為による詐欺 も、欺同による踊取という行為全体が行為者の不作為(専ら被害者側の作為)によって行なわれる場合をさすとすべ きであろう(例えば、継続的取引関係にある一方が、支払不能状態に陥ったにもかかわらず、定期的に送ってくる商 品をそのまま取込んで転売したような場合は行為態様として﹃不作為による詐欺﹄といえるが、抵当権付きの不動産 をそれと告知せずに売却し代金を取得したような場合は、 たしかに﹃不告知﹄という﹃不作為による欺岡﹄は含まれ ているが、行為全体としてはむしろ作為犯と解すべきであろう)。このような考えは、いわゆる﹃沈黙による詐欺﹄の 多くの場合を不作為犯から除外することになるが、 それが﹃挙動﹄による欺岡として可罰的詐欺とされるためには、 その挙動が本罪の欺問とするに足る質・量を備えていなければならないことはいうまでもない﹂とされる。そして﹁﹃欺 聞による踊取﹄が相手方の錯誤に基づく処分行為を介して行なわれるとすると、 それに対応する作為義務(結果回避

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第13巻 3・4号一一 208 義務)も、相手方の処分行為を阻止することによってその財産的損害を回避すべき義務を指すことになる(そのため の 作 為 は 、 たしかに錯誤の覚醒によって行なわれることが多いが、重点はあくまで財産的損害の回避におかれねばな らないことされ、﹁これは、詐欺罪を純粋に財産犯ととらえ、違法性を法益の侵害脅威と解する本稿の立場において、 不真正不作為犯の作為義務の本籍が違法性にあることを考える場合、最も理解しやすい理論的帰結であり、同時にこ のように解してはじめて放火罪や殺人罪の場合の作為義務が結果(法益侵害)回避義務ととらえられていることと統 一的に解釈することも可能になる﹂とされる。そこから﹁単なる信義誠実上の告知義務(錯誤に陥らせない義務)は、 不真正不作為犯としての詐欺罪を成立せしめる作為義務(財産的損害を生ぜしめない義務)とはなりえないと思われ る﹂と結論づけられるのである。そして、﹁いかなる場合にかかる作為義務を認むべきかを決するには具体的事例の検 討 を 要 す る が 、 かかる義務が認められるためには、単なる先行行為では不十分であって、長期継続的取引関係にある 場合(先行行為+引き受け)や事前に特別の約定がある場合(契約)など、 犯人と被害者との聞に、相手方の財産に ついて配慮すべき特別な人的関係(保障人的地位) があることを必要とすべきものと思われる﹂とされ﹁したがって、 たとえば通常の釣銭詐欺の場合に(たしかに契約関係はあるが)直ちに作為義務を認めることには疑問がある﹂とさ れ る の で あ る 。 これは、信義則に基づく告知義務の存在を否定される点で注目すべき見解である。その評価についてはドイツにお ける学説のとの関連において述べたい。 ( 2 ) 欺岡の程度について 次に判例でも問題となった欺聞の程度に関して、信義則との関係について言及している福田博士および林幹人教授 の 見 解 を 紹 介 す る 。

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① 福田博士の見解 福田博士は、﹁われわれの日常生活において、商人が商品を売買するばあい、多少のかけひき、または商品の広告・ 宣伝に多少の誇張がともなうものであることは 一般経験的にみとめられ、ある程度、当然のことと是認されている。 このように、社会生活において一般に是認されている程度のかけひきや誇張は、詐欺罪の構成要件に該当しないもの、 ﹃欺問﹄にあたらないものといわなければならない。そこで、 どの程度までのかけひき・誇張が欺間にあたらないる の か が 問 題 と な る が 、 その判断の基準は、結局のところ、社会的相当性の思想であろう。すなわち、当該行為がわれ われの社会生活の中で歴史的に形成された社会倫理的秩序の枠内にあり、こうした秩序によって許容されているもの、 いいかえれば、社会的に相当な行為といえるかどうかの判断にかかっている﹂とされ、 上述判例⑮等が﹁その規準と して、いわゆる取引における信義誠実の原則をあげている﹂ことを指摘され、﹁このばあい、信義誠実の原則といって も、それは、道徳の原理として高度な道徳的義務を要求するものではなく、ある程度の誇張や隠蔽の存在を是認する 取引社会における信義誠実の原則である。とすれば、当該誇張や隠蔽が欺間にあたるかどうかは、取引において通常 ともなうものとして容認される限度をこえたものかどうかによって判断されることになる。したがって、 それは、結 局のところ、当該行為が社会的に相当といえるかどうかと同じことになろう。そして、ある行為が社会的相当性の枠 内にあるかどうかは、行為の態様、法益侵害(危険) の程度を綜合的に考慮して判断しなければならない。そこで、 欺間にあたるかどうかの限界づけにあたっては、具体的事案を分析することから欺同行為の類型化をはかり、 ( 必 ) 型ごとに、より具体的な標準を見出すことが必要となろう﹂とされるのである。 その類 ② 林幹人教授の見解 林教授は いわゆる﹁欺岡の程度﹂の問題について福田説等を引用され﹁判例・学説の中には﹃社会相当性の逸

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第13巻3・4号一一 210 脱﹄﹃信義誠実違反﹄を基準とするものがある﹂が﹁虚偽の表示をすることは、ある意味ではすべて社会的相当性を逸 脱し、信義誠実に違反することだともいいうる﹂とされ、このような基準ではなく﹁錯誤に陥り、財産を処分する危

( ω )

険の程度によって決定されなければならない﹂とされるのである。この問題についての評価もドイツの学説との比較 で 行 い た い 。 ( 3 ) 相手方の信義則上の義務について 上述の判例⑦⑫は、相手方に信義則上の確認義務があることから欺同性を論証しようとしたものであったが、学説 においては、判例⑫と同様に、特に自己名義のクレジットカードに関して同じロジックが用いられている。代表的な もとして大塚博士と高橋判事のの見解を挙げる。 ① 大塚博士の見解 大塚博士は、﹁クレジット・カ

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ドの利用の場合には、加盟底は、ヵ

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ド呈示代者に、売上票に署名するだけで売買、 飲食、宿泊等のサービスを行うべく、 その代金は、中間で信販会社から加盟庖へ立替払いされ、後日、利用者から信 販会社へ返済することが建て前とされているが、もし加盟庖が利用客に代金支払いの意思および能力のないことを知 クレジット・カ

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ドによる取り引きを拒絶すべきことは信義則上当然であり、したがって、代金支払い っ て い れ ば 、 の意思および能力のない者が、 その情を知らない加盟底から財物の交付を受けることは、詐欺罪にあたるといい カード呈示者に物品、飲食物等が交付されるこ ( 必 ) とを編取とみて、加盟底に対する詐欺罪をみとめることの方が素直で実際的な解釈である﹂とされる。 う る ・ ・ ・ 被 欺 問 者 を 加 盟 底 の 庖 員 と し 、 その財産的処分行為によって、 ② 高橋判事の見解 高橋判事も﹁クレジット・システムは、究極的には利用者たるカ

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ド名義人とカ

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ド会社と加盟底聞の信頼関係に

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基礎を置くものであるから、支払の意思も能力もないカ

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ド名義人の不正使用に対しては、加盟庄は取引を拒絶すべ きことは信義則上当然である(このような場合、加盟底は取引を拒絶することにより、カード会社に不良債権が発生 しないようにすべき信義則上の義務をカ

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ド会社に対して負っているといえる)。また、加盟底が不正使用者の人を欺 く行為により商品を交付すること自体、すでに加盟底の損害と解しうるから、加盟底が後日カ

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ド会社から支払を受 (日制) けることが、加盟底に対する詐欺罪の成立を否正する理由とはならないと思われる﹂とされる。 この両者の見解における論理は、行為の相手方に信義則上の確認義務があるが故にそれは相手方にとっても関心事 であり、その点について告知せずに行為することは欺同となるというものである。この点についてもドイツとの比較 ( 円 引 ) において後述する。

( m )

本 件 に つ い て は 牧 野 ﹁ 不 作 為 に 依 る 詐 欺 ﹂ 同 ・ 前 掲 書 注 ( 9 ) 三 二 八 頁 及 ぴ 平 場 安 治 ・ 尾 中 俊 彦 ・ 総 合 判 例 研 究 叢 書 刑 法 ( 日 ) ( 一 九 六 一 年 ) ) 一 四 頁 ( ︻ 国 ︼ ) 参 照 。 ( 凶 ) 傍 点 は 筆 者 に よ る ( 以 下 同 じ ) 。 ( 初 ) 牧 野 英 一 ﹁ 刑 法 に お け る 信 義 誠 実 の 原 則 ﹂ 前 掲 注 ( 6 ) 一 七 頁 。 ( 幻 ) 本 件 に つ い て は 平 場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 日 ) 二 O 頁 ( ︻ M ︼ ) 参 照 。

( n )

平 場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 時 ) 二 O 頁 。 ( 幻 ) 平 場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 時 ) 二 O 頁 。 ( M ) 本 件 に つ い て は 平 場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 日 ) 一 八 頁 ( ︻ 幻 ︼ ) 参 照 。 ( お ) 平 場 日 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 団 ) 一 八 頁 。 (Mm) 本 件 に つ い て は 平 場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 日 ご 六 頁 ( ︻ 四 ︼ ) 参 照 。 ( 幻 ) 平 場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 凶 ) 一 六 頁 。 ( お ) 判 例 評 釈 と し て 瀧 川 幸 辰 ﹁ 告 知 義 務 の 違 反 と 詐 欺 罪 ﹂ 瀧 川 幸 辰 著 作 集 第 三 巻 ( 一 九 八 一 年 ) 二 六 八 頁 以 下 。

(22)

第13巻3・4号一一 212 ( m U ) さらに﹁電車内等で被害者 M と何回か同車した際世間話の序に話した結果本件洋服の貿入方を依頼された﹂可能性があった こ と も 窺 わ れ る 。 (初)なお信義則という用語は用いていないが同旨の判例として、単なる債務不履行であるか詐欺罪であるかは、諸般の状況から 被告人の行為が一般普通の取引に伴う正直さと公正さを具備するかどうかによって区別されるとする東京高判昭和二四年一二 月三日高等裁判所刑事判決特報八号二九頁、単なる消費貸借であるか詐欺罪であるかは、被告人の行為が普通一般の貸借とし ての取引に伴う正直さと公正さを具備するかどうかによって区別されるとした仙台高判昭和二八年二月二日高等裁判所刑事判 決 特 報 一 二 五 号 一 二 頁 が あ る 。 (担)なおこの議論に関しては非常に多くの論文があるが、最近のものとして大山徹﹁自己名義の有効なクレジットカードの不正 使用と詐欺罪の成否﹂法学政治学論究四七号(二 000 年)二三夏以下がある。この論文は、結論的に錯誤・欺岡が欠落す ることを理由に詐欺罪の成立を否定している。 (詑)本件については平場川尾中・前掲書注(凶 Y 二 頁 ( ︻ お ︼ ) 参 照 。 (お)判例評釈として江碕太郎・金融法務事情九五号四頁。なお平場 H 尾中・前掲書注 ( v m ) 二 O 頁 ( { 幻 } ) 参 照 。 (担)判例評釈として吉田敏雄・刑法判例百選 ( 2 ) 各論(第 3 版、一九九二年)九 O 頁 以 下 。 {お)京藤折口久﹁第三者間詐欺﹂刑法基本講座第 5 巻財産犯論(一九九三年)二 O 八頁。但し京藤教授は﹁会員には、カ 1 ド会社 との契約により、当然引落し時点での代金の支払意思・能力がないときには、カード取引を差し控える契約上の義務があ﹂り、 ﹁したがって、会員が、代金支払意思・能力がないのにカ!ドを呈示してクレジット取引をなすなら、これは、クレジット取 引をする意思がないのにこれを秘したもので、クレジット取引を行おうとすることを信じて取引に応じた加盟庖に対する欺同 行為にあたることになる﹂とされる(同・二 O 八 頁 ) 。 (お)なお団藤博士は﹁欺岡は必ずしも作為によることを要しない。事実の不告知によって、相手がすでに錯誤に陥っている状態 を継続させ、これを利用することによっても、詐欺罪は成立する。しかし、取引における信義誠実の原則に反しない程度のも のは、違法性が阻却される﹂と述べられる(団藤重光・刑法綱要各論(第三版・一九九 O 年)六一二頁)。この見解に対して福 田博士は、﹁もし、社会的相当性がみとめられるものも、詐欺罪の構成要件的行為としての﹃欺岡﹄に該当し、ただその違法性 が阻却されるだけであるという趣旨であれば、このばあいに﹃欺同﹄にあたらないと解する﹂自己の見解とは異なることにな

(23)

るとされる(福田平・注釈刑法 ( 6 ) 各則 ( 4 ) ( 一 九 六 六 年 ) (幻)平場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 団 ) 一 四 頁 以 下 。 (お)平場 H 尾 中 ・ 前 掲 書 注 ( 日 ) 一 二 頁 。

( ω )

こ れ は 大 判 昭 和 一 O 年 一 一 月 二 八 日 刑 集 一 四 巻 一 一 一 四 六 頁 の 事 案 に 関 し て で あ る 。 (紛)例えば①大判大正四年九月一八日法律新聞一 O 四八号二八頁、②大判大正一三年三月一八日刑集三巻二三 O 頁 ( 上 述 判 例 ② ) 、 ③大判大正一三年一一月二八日法律新聞二三八二号二ハ頁(上述判例③)は作為犯だとされる。 ( M U ) 平 場 H 尾中・前掲書注 ( M ) 一 二 頁 以 下 。 (位)浅田・前掲注 ( M ) 三 二 三 頁 以 下 。 ( 川 町 ) 福 田 ・ 前 掲 注

( m g

一 八 一 一 良 以 下 。 ( H H ) 林 幹 人 ・ 刑 法 各 論 ( 一 九 九 九 年 ) 二 三 O 頁 以 下 。 (必)大塚仁・刑法各論上巻(改訂版・一九八四年)五 O 八 頁 。 { 叫 叫 ) 高 橋 省 五 口 ・ 大 コ ン メ ン タ i ル刑法・二四六条(二 000 年)九

O

頁 以 下 。 ( U ) なお自己クレジットカードの不正使用に関するドイツの学説を紹介した最近の論文として、大山徹﹁自己名義の有効なクレ ジットカードの不正使用に関する考察﹂法学政治学論究四二号(一九九九年)二七七頁以下がある。 一 八 一 頁 ) 。

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