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フィッシャーの景気循環論における貨幣市場の役割 -負債デフレーション理論を中心に-

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フィッシャーの景気循環論における貨幣市場の役割

―負債デフレーション理論を中心に―

倉 田 知 秋

目   次 はじめに 1.フィッシャーの景気循環論 2.過渡期の分析 3.負債デフレ論 4.貨幣市場の役割 おわりに

はじめに

 昨今、デフレの問題について語られることが多い。政府の政策においてもデフレ脱却がたびたび目 標とされる。そのデフレに関する代表的な理論がアービング・フィッシャー(Irving Fisher)の負債デ フレーション理論(以下、負債デフレ論)である。フィッシャーは 20 世紀を代表する経済学者である。 その貢献は理論や統計といった幅広い分野に及ぶ。シュンペーター(Schumpeter(1954,p.219)) は、「アメリカ最大の理論経済学者」であり、景気循環の貢献について、「われわれのほとんどが理 解する以上にはるかに重要である」(Schumpeter(1954,pp.229-230))と述べている。特にその中 でも負債デフレ論は景気循環に関する集大成的な研究である。その理論は 1932 年の『Booms and Depressions』(『好況と不況』)とそれを要約した 1933 年の論文において提示されている。これらは フィッシャーが世界恐慌に直面して、そのような深刻な不況がどのような要因によってもたらされるのかを 明らかにしたものである。  フィッシャーの研究は一貫して物価水準を中心に利子率との関係や景気循環を中心として展開され た。現代においてもこれらの理論は大きな示唆を与えてくれると思われる。フィッシャーの分析は断片的 に利用されるだけで、フィッシャーの分析を詳細に整理し論じられたものは少ない。特に負債デフレ論に ついてはフィッシャーの理論全体でどのような位置にしめるかはこれまでほとんど議論されてこなかった。 その中で、笹原(1982)では、フィッシャーの景気理論の特徴を、1930 年以前と以後でどのように変 化したかを分析している。小島(1995)はミンスキーを中心に負債デフレ論のフィッシャーやホートレーと 比較して考察している。Tobin(1980)のピグー効果と比較した分析はたびたび取り上げられている。 田中(1996)は総需要曲線と総供給曲線から負債デフレ論をモデル化している。  そこで、本稿ではフィッシャーの景気循環論の展開の中で負債デフレ論の特徴を検討する。負債デ

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フレ論はそれまでのフィッシャーの景気循環論とは異なる特徴がみられる。『貨幣の購買力』(Fisher (1911))以後の景気循環分析を取り上げ比較することから負債デフレ論の特徴を明確化することにす る。  第 1 節では、フィッシャーの景気循環に関する考え方を検討する。特に、Fisher(1933)ではその 考えが整理されており、それ以前の考えを踏まえつつ景気循環に関する考えの特徴を明らかにする。 第 2 節では、負債デフレ論の特徴を明確化するために、それ以前の景気循環に関する分析を検討す る。特に、Fisher(1911)の中の過渡期に関する分析を取り上げる。第 3 節では、負債デフレ論をフィッ シャーの考えにそくして説明する。第 4 節において、貨幣市場を中心に以前の考えと比較しながらその 理論の特徴を考察する。最後に、今後の課題とともに理論のさらなる発展について考える。

1.フィッシャーの景気循環論

 はじめにフィッシャーの景気循環に対する概念を検討する。Fisher(1932)の導入でフィッシャーは 不況を次のように定義している。 不況は事業が利益性の悪い状態になることである。それは「私的利益」の病と呼ばれる。 最悪の結果、企業倒産と幅広い失業が生じる。しかし、一定の窮乏化を逃れる人はほとん どいない。(Fisher(1932,p.3)) フィッシャーは、不況は企業利潤の悪化であると明確に述べている。しかし、それは原因ではなく不況 において表れる結果として見ている。また、さらに不況による社会的影響について続けて次のように述 べている。 要するに、不況はほとんど万人の相対的あるいは絶対的な貧困の形態である。そして、こ の貧困は社会全体としては一時的なものであるが、数多くの個人にとっては不幸にも永続 するのである。(Fisher(1932,p.3)) 不況とは社会全般に対して悪影響を及ぼすものであると考えた。したがって、景気循環の原因を特定 しその対応を検討しなければならない。そのために書かれたものが Fisher(1932)である。  さらに、Fisher(1933)においてこれまでの景気循環を整理し、景気循環がどのようなものであるか を簡潔にまとめている。フィッシャーは、景気循環を以前からたびたび振り子で例えている。振り子の振 動のような自己発生的な自由な循環は、一般に、外部からの介入がない限り、徐々に弱まり均衡に至る と仮定される。均衡周辺の狭い範囲ではそのような安定傾向があるかもしれないが、そのように均衡が 達成されることはめったになく、長期的に維持されることもない。ある点を超えると均衡から乖離するよう な傾向も持つ。このことを簡潔に次のように述べている。

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すべての変数が一定であり、「需要と供給」を通して均衡が維持されると いうのは想像上だけのものである。(Fisher(1933, p.337)) また、景気循環は一つの要因によって循環するものではなく、様々な要因によって循環するものであると している。したがって、景気循環分析は必然的に不均衡動学になる。  そのような状況においては、どのような変数であっても均衡を上回るか下回っている。現実にも経済 変数は均衡と一致することがほとんどなく、常に過剰生産や過少生産のような状態にあって、均衡にと どまるような状況はまったく常識的な想定ではない。そして、このような大きな不均衡は景気循環の原因 ではなく、貨幣との相対的な関係の結果であると述べている。フィッシャーが景気循環における貨幣の 役割を重視していることは明らかであろう。  さらに深刻な不況においては、重要な要因として二つ挙げている。それがデフレーションと過剰債務 である。負債デフレ論では、その二つの要因を出発としてさまざまな要因の因果関係から不況の説明 を試みたのである。  フィッシャーの景気循環論は自身が述べているようにそれまで全般的に分析したことはなかった。しか し、負債デフレ論の多くの要素は以前からの分析の流れを受け継いでいる部分も多い。そこで負債デ フレ論の特徴を明確化するためにそれ以前に見られる景気循環についてのフィッシャーの考えを検討す る。

2.過渡期の分析

 フィッシャー自身は負債デフレ論までまとまった景気循環分析を行っていないと述べているが、その一 部はすでに Fisher(1911)に見られる1。Fisher(1911)の分析には、それまでの理論的展開が多 く含まれている。その中で均衡における貨幣量と物価水準の関係を次の交換方程式で表した。   MV + M'V' = PQ (1) M、M' は現金通貨量と預金通貨量であり、貨幣量を現金通貨と預金通貨に分けたことにこの式の特 徴がある。フィッシャーは決済手段としての預金通貨を重視し現金通貨と切り離した。そして、それぞ れの流通速度(VとV' )が存在する。貨幣量と流通速度は物価水準(P)と取引量(Q)に等し いことを示している。また、現金通貨と預金通貨の比率に対して物価が変化すると考えた。  しかし、フィッシャーはこの均衡における関係は硬直的なものではなく、むしろほとんどの時期で成立 していないと考えている。そういった時期をフィッシャーは過渡期と呼んだ。最終的に貨幣量の変化は 物価水準において同じ大きさになるように向かうが、その過程では物価水準の変化は上下に振動する。 すなわち、貨幣量の変化によって物価変化が生じるが、その大きさは常に等しいとは限らないということ である。  そして、この物価変動に景気循環の原因があると考え、その物価の変化に対して利子率の調整の 遅れによって生じる企業の借入行動を検討した。この状況を図 1 で表している。何らかの原因で物価 の上昇が生じることから始まる。この物価上昇の影響は二つの経路を持つ。第一に景気循環の状態を

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表す企業利潤の増加である。そのとき利子率が調整されれば実質的に変化がないが、もし利子率が 調整されなければ企業の費用が増加せず、実質的に利潤が増大する。そして、企業はさらに借入を行っ て投資を行う。この行動は預金通貨の増大をもたらし、それが取引量の増大とともに物価の上昇をもた らす。結果、企業の利潤がまた増加するという循環となる。一方、名目利子率もまったく変化しないわ けではなく少しずつ調整されるため、これが貸し手の積極的な貸出行動にもつながる。第二の経路は、 流通速度の上昇である。このような過程を好況と考えた。流通速度の上昇は貨幣量の増加と同じ効果 を持ち、取引量を増加させさらなる物価上昇をもたらす。このように物価上昇と利子率調整の遅れが、 この二つの経路から物価をさらに上昇させるのである。物価上昇は企業の利潤を増大させ、この状況 はまさに好況を意味する。 図 1 『貨幣の購買力』(Fisher(1911))における景気上昇局面  そして、やがて利子率が調整されると景気下降局面となる。フィッシャーは景気循環の上昇局面と下 降局面を対称的に説明している。利子率が調整されると企業の期待が後退して借入需要が減少する。 貸出の減少は預金通貨の減少となり物価低下をもたらす。それに伴い担保価値も低下しさらに貸出は 減少する。また、預金通貨の減少は銀行の準備不足となってさらに貸出減少に拍車をかけるとともに銀 行経営に対する懸念をもたらす。このようにして景気は後退していくことになる。  好況期の企業の借入の結果から、景気後退時には返済のために借入を行うという状況が生じる。 貸し出しは古い債務を持続するために、あるいは新しい貸し出しを生み出すことによって これらの債務を返済するために必要とされる。(Fisher(1911,p.67)) そのような負債の返済が進まない状況からいかに抜け出すかが不況時の問題である。これは利子率が 調整され低下し始めても企業の破産は生じる可能性を示している。  そして、これらの景気循環を次のようにまとめている。

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われわれは、物価の上昇、頂点、下落、そして回復を考慮してきた。これらの変化は、何 らかの最初の攪乱に基づく異常な振動である。したがって、上方および下方への動きは一 体となって完全な信用循環を構成するが、この信用循環は振り子の前後の動きに類似して いる。(Fisher(1911,p.70)) 振り子に例えている信用循環の原因として、フィッシャーは企業心理の変化、農作物の収穫状況、発 明などを挙げている。そして、最も重要で共通の原因は貨幣であることを強調する。金量の変化などに よってもたらされる貨幣量の変化が物価の変化を生じさせ景気循環を生み出していると考えたのである。  この分析の後、物価の変化と景気循環に関しての実証的分析を行うようになる。Fisher(1923)では、 物価について景気との関係2を統計的に分析している。特に強調されていることは、景気と関係する のは物価の水準の高さではなく変化率であるということである。つまり、景気とインフレあるいはデフレは 関連性が強いことを示した。物価の上昇は生産者の収益の増加であり、費用を上回って利益を得るの で景気を刺激する。一方、物価の下落は取引量を押し下げると考えた。その一つの結論的な分析が Fisher(1925)である。取引量の変化に先行して物価が変化していることを明らかにした。物価変化 の影響が取引量に徐々に現れ、ある時点(9 か月半程度)を頂点に少しずつその影響が弱まることを 実証的に示した。物価上昇によって生産者は利益を得るが、即座に賃金などの費用に反映されない。 それらは契約で固定されているためである。費用の調整が遅れることで生産者は大きな利益を得ること になるのである。また、物価下落は逆の影響をもたらすと考えた。このように、物価水準の高さと物価 の変化を区別し物価変化の影響を強調した。そして、景気循環を安定させるためには、その物価変 化の安定が必要であると結論付けた。しかし、景気変動に物価の影響はみられるが、それだけです べてを説明できると考えていたわけではない。フィッシャーは景気循環の要因として実質利子率を強調 している。実質利子率は名目利子率と物価水準からなり、名目利子率の影響の可能性も示唆し、さら には第三の要因の可能性も考慮に入れている。フィッシャーは、物価の変化を中心に分析しているが、 相対的に何が重要かということは難しいと述べており、一意的に物価だけが景気循環の要因であるとし ているわけではない。  このような分析を行っている時期に世界恐慌が起きる。フィッシャー自身も想定しない事態に見舞われ、 発言に対する大きな批判を受けるとともに自身も大損害を受ける。そういった状況の中で執筆されたの が Fisher(1932)である。そして、その内容を簡潔にまとめたものが Fisher(1933)である。そこで、 次にこの負債デフレ論の考えを再考しフィッシャーの考えの変化を考察する。

3.負債デフレ論

 負債デフレ論において景気の悪化は過剰債務と物価下落からはじまる3。しかし、景気循環は両方 を必ず伴って起きるものとは考えていないが、これら二つの要因が組み合わさることにより深刻な不況に なることを示したのである。その状況を 9 つの要因として説明している。その論理過程が表 1 のもので ある。

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表 1 論理的な負債デフレ過程 この負債デフレ過程の因果関係を図 2 で示した。物価の下落をはじめにもたらす影響は 3 つある。第 一に、資産の投売りである。負債の増大と悲観が債務者の清算を促す。清算を早めるために資産を 投売りする。しかし、それは担保価値を低下させさらなる物価下落をもたらす。清算による債務の減 少以上に物価下落が大きいと実質債務負担の増大につながる。第二に、清算の結果として預金通貨 が減少する。債務の減少は預金通貨の減少を意味し、預金通貨の減少は貨幣量の減少であるので、 その結果さらに物価が下落する。第三に、人々の心理的要因から流通速度の低下と貨幣の保蔵が生 じる。これらは同様に物価を低下させる影響をもたらす4  これら物価の下落は企業利潤を減少させ、それは取引量の減少となる。取引量の減少は失業をもた らし、財需要の減少につながる。実質債務負担の増大と需要の減少によって、企業経営は悪化し破 綻に迫られる。このような物価の下落と実質債務負担の増大という連鎖が負債デフレ論の構造である。  表 1 の関係は理論的な順序であるが、フィッシャーは現実的な順序として時間順も示している。過剰 債務から清算過程に入る転換として心理的要因と利子率を挙げている。心理的要因は図 2 における 悲観から始まる経路である。人々の利潤獲得の期待が弱まることで借入の増加がとまるだろう。そして、 清算することで預金通貨の減少、投売りが生じる。それが物価下落とつながっていく。また、利子率 によるはじまりは、名目利子率の上昇であると考えられる。人々は利潤獲得機会が小さくなることから安 全貸付の需要が高まり危険貸付への需要が減少する。したがって、安全貸付の利子率は低下する一 方、危険貸付の利子率は上昇することで、その対象の債務者から清算がはじまる。すべての貸付の 利子率が変化するのではなく一部の貸付からはじまるのである。実際、フィッシャーは、すべての債務 者から清算が生じるとは限らないと述べている。脆弱な債務者が大量に清算を行うことから始まる可能 性を指摘している。その脆弱な債務者の清算を行うことによって、より余裕のある債務者のポジションを

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脆弱にしてしまう。その債務者も急いで清算を行おうとする。それがさらに余裕のある債務者のポジショ ンを脆弱にする。このように脆弱な債務者から始まって全体に波及していく。たとえ一人が清算を行わ ないとしても、他者が大量の清算を始めれば全体の実質債務負担は増大してしまう。結果、その個人 も清算をせざるを得なくなる。これは対称的に債権者にも言える。債権者が貸出の回収をすれば、貨 幣の縮小が促進する。ある債権者が行わなくても、他の債権者が行えば債務者は破産視してしまう可 能性があるため、結局はすべての債権者は貸出回収の競争に陥ることになるのである。このようにして、 フィッシャーは一部から全体への波及を説明する。同様に、上記のような一部の貸付利子率の上昇か ら全体の清算行動へとつながる経緯を考えることができるだろう。

4.貨幣市場の役割

 負債デフレ過程では貨幣市場における負債に関する役割が特に強調されていた。以前の過渡期の 分析でも債務問題は一部議論されているが、それは議論の本質的部分ではなかった。負債デフレ論 では議論の中心となったのである。負債デフレ論では債務状況と物価水準の変化が景気循環の主要 な要因として挙げられた。これらはともに貨幣市場の問題であり、フィッシャーの関心は常に貨幣市場に あったのである。したがって、貨幣市場における過剰債務と物価変化に負債デフレ論の特徴があると 思われる。そこで、過剰債務と物価変化の果たす役割から負債デフレ論の特徴を捉えていくことにする。  まず物価の変化は以前の景気循環分析から引き続いてその中心にあり、以前の分析では基本的に 物価の変化は貨幣量の変化によると想定されている。負債デフレ論では物価の下落の原因は清算によ る投売りと貨幣量の減少、保蔵の 3 つの側面から言及している。前者二つは過剰債務の清算からの 図 2 負債デフレ論における要因の関係

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影響であるのでその原因は過剰債務と言えるだろう。後者の保蔵は悲観のために流通速度が低下し て生じる。したがって、物価の変化は債務状況と期待から影響を受けているということになる。この考 えはそれまで見られず負債デフレ論の大きな特徴と言える。しかし、以前の物価理論を放棄したわけで はない。清算行動や期待と直接関係のない貨幣量の変化による物価の変化にも言及している。それ は負債デフレ論において不況を深刻化しない方法としてたびたび指摘されている金融政策である。こ れはそれまでの物価理論が引き継がれていると思われる5。負債デフレ論における物価水準の分析は、 それまでの理論的分析に負債の状態と期待の役割を付加して展開しているのである。  一方、過剰債務は負債デフレ過程の初期状態を示すものである。過剰債務についてフィッシャーは 単に量的な意味だけではなく質的な意味にも言及している。つまり、過剰債務は満期の問題でもある のである。より返済の早い債務ほどリスクは高まり過剰となりうる。通常、債務者は借換えによって満期 を調整しようとするが、このような過程においてはその行為が困難となり債務者の債務負担が増大す る。それにより債権者はより返済を迫るようになって債務者の破綻の可能性を増大させてしまうのである。 したがって、過剰債務とは単なる量的問題ではなくその質的な部分にも注目する必要がある。しかし、 Fisher(1911)にもそのような考えがなかったわけではない。Fisher(1911)との相違は 3 点あると 考える。第一に、過剰債務が生じる原因である。債務者が借入を増加させるのは投資を行うためである。 投資の期待収益が借入額を上回れば、債務者はますます借入を行う。そのとき、同時に人々の心理 には希望と熱狂が広がる。したがって、新たな投資機会における期待収益が極めて大きい場合、人々 は何のためらいもなく借入を行い債務が膨れ上がっていくと考えられる。フィッシャーは、このような新発 明や新しい資源の発見などの通常よりも大きな利益が期待される新しい投資機会が過剰債務の誘因で あるとしている。しかし、借入はその投資機会に見合うものにとどまらない。その投資機会に即発されて、 詐欺師が現れ、利益を見誤った投機がなされてバブルが発生する。この投機によるバブルがなければ 危機に陥ることはないのである。Fisher(1933, p.349)は利益を得るために借入れる人々の心理の段 階を次のような 4 つに分類している。 (1)将来の所得に見込まれる大きな利得への魅力。 (2)利益獲得と将来の利益実現に対する希望。 (3)大きな期待に対する人々の慣れとそれを利用した無謀な販売促進。 (4)信じ安く騙されやすくなった人々に対しての明白な詐欺の広がり。 はじめは投資機会に対して適切な負債であるが、徐々に人々の心理は楽観に支配されていき、負債は 単なる投機となっていくのである。これは債権者である銀行も同様である。これはまさにミンスキーの「ユー フォリア」である。この考え方は Fisher(1911)のときとはまったく異なる。Fisher(1911)では、物 価水準の変化と利子率の関係から借入が増加すると考えていた。すなわち、これは合理的バブルであ る。物価水準と利子率というファンダメンタルズに基づく合理的期待から生じたバブルであり、その後、 利子率が調整された結果として過剰債務となるのである。しかし、負債デフレ論の過剰債務はファンダ メンタルズに対する期待を超える非合理的バブルである。当初は新たな投資機会に対する期待から債 務が生じるが、それは次第に投資家の心理によって投機的になっていく。これは明らかに合理的行動

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に基づかない金融の不安定性を示したものである。したがって、貨幣市場が景気循環をきわめて不安 定にする要素となることを示している。この点は負債デフレ論の大きな特徴の一つである。  第二に、債務者を指す範囲が広くなっている点である。Fisher(1911)の時点では債務者は明ら かに企業を指していた。物価変化に対して利子率が低いことから企業が投資のために借入を行い、 利潤を獲得し、さらに借入を行う状況を示していた。しかし、負債デフレ論の債務者とは企業だけを想 定しておらず、市場参加者全体にまで範囲が広がっていると思われる。市場に参加するすべての投資 家を巻き込み、膨れ上がった債務によって深刻な不況へと発展する状況を描いているのである。当時 の時代背景からこれは世界恐慌の発生とそれ以前のブームから影響を受けたのではないかと考えられ る。Fisher(1911)と比較しても、景気循環のより広い経済社会への影響を分析したものと捉えること ができるだろう。  第三に、一般によく指摘される実質債務負担の問題である。債務者の負債を減らそうとする清算行 動が、物価下落を通してむしろ債務負担を増大させてしまうというものである。第 2 節で述べたがこの 主張に類似した記述は Fisher(1911)にもみられる。その相違は、Fisher(1911)では借換えによ る返済のため負債が減少しにくい状態を不況の問題と指摘したにとどまっているが、負債デフレ論では むしろその負担が増大することを示した。債務者の合理的な清算行動がかえって自らを苦しめることに なってしまうのである。これは Fisher(1911)の主張よりもさらに厳しい状況になる可能性を指摘してい るのである。したがって、不況そのものがさらに状況を深刻化させる循環的要因となることを明らかにし たのである。  これらにフィッシャーの負債デフレ論の特徴があり、それまでの理論的分析をこの点において大きく発 展させた。負債デフレ論で詳細には展開されていない理論的部分は基本的にそれ以前の主張を引き 継いでいると考えられる。貨幣量により物価を調節できるという議論である。つまり、金融政策の効果に ついてはそれまでの貨幣量と物価水準の関係を想定していると思われる。したがって、決してそれまで の主張を否定したものではないのは確かである。それまでの景気循環分析に加え貨幣市場における過 剰債務や期待に関して理論的に発展させ景気循環の不安定さを明らかにしたことが負債デフレ論の大 きな貢献であると考える。

おわりに

 負債デフレ論は不況という現象の全体的説明であり、景気循環の要因として 9 つのものをあげ、そ の中でも特に過剰債務と物価の変化を重視した。すべて要因が相互に影響し合って生じることで深刻 な不況となっていく状況を明らかにしたのである。しかし、フィッシャーは不況においてすべての要因が 生じるとは考えていない。つまり、一部の要因のみであっても不況は発生すると考えている。それは主 要な要因として取り上げられている過剰債務や物価の変化も同様である。フィッシャーの関心は Fisher (1911)以後、特に物価水準の変化にあったことは確かであるが、それが景気循環のすべての要因 であると主張しているのではなく、むしろその他の可能性も示唆している。したがって、フィッシャーの理 論から直ちに不況の原因はデフレであるという結論が出るということでもないのである。

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 確かにフィッシャーの負債デフレ過程の中心的役割を担っているのは物価水準の変化である。物価 水準の変化が様々な要因を結びつけている。しかし、その点からフィッシャーは物価水準だけでも下落 を防ぐことができたならば不況は深刻化しないと考えたのである。それが景気安定の政策として金融政 策を強調する理由となっている。『好況と不況』の後半では政策に関して詳細な議論を行っている。『好 況と不況』の目的は不況の原因を特定しその深刻化を防ぐことにあったと推測される。フィッシャーは貨 幣量の増加によって物価下落を抑え深刻化と防ぐと何度も述べているが、その著書の中でその方法を 細かく検討している。そして、この議論はフィッシャーが後に主張する 100%準備につながっていると思 われる。しかし、今回、政策に関しては検討できなかったため、この分析は今後の課題とする。  また、フィッシャーは取引量と失業に関係があることを主張している。しかし労働市場や賃金に関する 記述は負債デフレ論には一切ないが、貨幣市場の影響を受け実物市場における取引量が変化する。 その結果、労働需要が変化することで雇用が決定されると想定していたと推測される。フィッシャーの 景気循環の分析は不均衡分析であるため、賃金調整が完全には機能せず失業が存在していると思わ れる。この考え方はケインジアンのようである。フィッシャーの分析は貨幣市場中心であって労働市場の 考察は多くはないがその考え方は注目に値するだろう。Fisher(1932)の冒頭でも失業や貧困の悲惨 さを指摘しており、この点に関して、フィッシャーがどのように失業構造を考えていたのかを明らかにして いく必要があると思われる。

1 古川(2005)では『価値上昇と利子』(1986)から検討しているが、ここでは負債デフレ論を中心に検討するため、 その比較として『貨幣の購買力』(1911)以後を取り扱う。 2 論文の中では取引量を景気の代理変数としている。Fisher(1925)では景気の概念はあいまいでさまざまな要 素からなるため捉えることが難しいことから、より明確な取引量を分析に利用している。 3 以下では景気の下降局面を説明するが、上昇局面はその説明の逆となる。つまり、フィッシャーはそれらの変 動を対称的に考えていた。

4 フィッシャーは Thorp and Mitchell(1926)の統計的な観察の結果を根拠に物価の影響を強調している。 Thorp and Mitchell(1926)では、物価の低下を伴う不況はそうではない不況と比べ 3 ~ 4 倍長く続く結果を 得ている。「これらの結果は、不変で顕著に、卸売物価水準の長期的な趨勢は景気循環の特徴を決定する極め て重要な要因であるということははっきりしている」(p.66)。 5 ただし、貨幣量の変化に関しての概念は変わっている可能性がある。負債デフレ論における貨幣量の変化は主 に政策介入と借入の増減である。一方、『貨幣の購買力』において、借入の増減は共通して取り上げられているが、 その他に例として金の量の変化が挙げられている。その事例はまさに当時の金本位制下にあったことを示して いる。負債デフレ論のときには制度的背景から貨幣量に関する概念に変化があった可能性もある。 参考文献

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表 1 論理的な負債デフレ過程 この負債デフレ過程の因果関係を図 2 で示した。物価の下落をはじめにもたらす影響は 3 つある。第 一に、資産の投売りである。負債の増大と悲観が債務者の清算を促す。清算を早めるために資産を 投売りする。しかし、それは担保価値を低下させさらなる物価下落をもたらす。清算による債務の減 少以上に物価下落が大きいと実質債務負担の増大につながる。第二に、清算の結果として預金通貨 が減少する。債務の減少は預金通貨の減少を意味し、預金通貨の減少は貨幣量の減少であるので、 その結果さらに物価

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