序
ー高橋虫麻呂の
ほととぎすは、 うぐいすやみそさざいの巣 に卵を産み育てても らう習性、 託卵本能をもっている。 この託卵本能に滸目してほと とぎすをうたった歌が万策集にある。 布極述虫麻呂の手になる、 霰公鳥を詠む歌がそれである。 11ととざす あほ 筏公烏を詠む一首 井せて短歌, かUご うぐひすの 卵 の 中に ほととぎすひとり生れて 己が父に 似ては嗚かず 己が母に似ては⑱かず」 卯の花の咲きたる C へ か り とよ たしばな ゐ 野辺ゆ 飛ぴ翔り来嗚き 和?9 し 橘 の 花を居散らし ひ ねもすに嗚けど間きよし」 賄はせむ返くな行きそ 我がや どの花橘に 住みわたれ鳥(9 -七五五) 反歌 9 ょ かき霧らし雨の降る夜をほととぎす嗚きて行くなりあはれそ の烏〈 一七五六) 犬簑孝「虫麻呂の心ー孤愁のひと ー」(国語と国文学三三殊J l II家
II雹公鳥を詠む歌の構成
と
二号)は、 かつて一首を次のように読み解いた(犬迷氏は長歌を 三段に分けて述ぺている。 歌中にその段落の区切りを示しておい た)。 IIた化方
II 時は初夏。所は珍しい鴬の巣、 主人公は径公烏。霰公烏は 親なしの天涯孤独、 生まれおちた異常の場所は克明に描かれ、 その克明さの律動の中に荏公烏へのいとしさが注がれてゆく。 かくてこそ、「汝が父に・・・」「汝が母に・・・」の対句となって、 迎命の孤独の鳥によせるいとしみの詠歎は律勁化され、 しか も鳥自身に孤独の自党なきあは れさにおい て描か れる。(第 一段) 所はかはつて、 卵の花ざかりの野原から花橘の庭へ。 主人 公はわが世の夏と叩きちらす。 色彩豊かな美化された舞台。 ・◆・・・・さうした表現のされ方の中 に、 島によせるいとしみの心 梢は逆に、 発展に沿うて、 移動に沿うて、 花橘の枝の中の徽 細描写に沿うてたゆたひ深められる。(第二段) . 終鼎。 このいとしさ、 あはれな美しさを、 刹那にくひ止め含白
織
浩
文
ようとする作者の吐息の結品は、 烏をひ きとめようとし、 行 かせないやうにし、 もう 一度美的背原を描いて、 ここに居つ づけよ と、 三段の波動でうちあげる。(第三段) 反歌では突如転換の妙を示して 、 時は夜、 ぽうつとけぶつ て雨のしよぽしよぽ降るわぴしい.背飛。 天涯孤独の径 公烏は、 いとしみをもふりきるかのやうに、 また嗚きながら旅立つて ゆく、 深泊の旅へ°・・・・・・上の二句づつの感動は結句に融合結 品して、 いとしみとあはれ さの叫ぴに終 る。 結句はしみじみ とした感動でこそあれ、「ああ おも しろ い」などではあり得 ない。(反歌) と。 そして、 一首全体について、 あらはすところ、 花公烏ではあるが、 自己の孤独感へのあ はれさではなくて 何であらう。或は孤独感への省察なくして、 この造型をなし得ようか。 伝説をうたふのではなくて、 習性ないし伝承をかりきたっ て、 霰公鳥、 実は自己の宿命を描く。一見、 島の歌であって、 、 、 そこに は人間がゐる。旅の歌ではなくして、 却つて虫麻呂の 「旅」がある。 あらはにしない中に、「孤愁のひと」がゐる。 と述べた。 これ以後の解釈 は、 たとえば、 虫麻呂は、 霰公烏の親烏がほかの烏の巣に自分の卵を産ん で、かえさせ育てさ せるということに対して、 その無情さや 狡さにはなんにも触れず、 ただ 、 そう した親烏に産まれてー" それは捨てられて、 とも 言えよヽ?ー全く他人である蓑い親に よってかえされ脊てられる子烏の身の上だけを 、 孤独だと思 い、「あはれ」と言っ て同梢を寄せているよ うである。 そこ に流れている孤独感と哀愁とは、 虫麻呂の多くの歌に通じて いるものである。(金子武雄「窃橘虫麻呂」) 生まれながらにして孤独な生命を自然界とひぴかせながら、 死界との往遥の中に生きる 生ー、 それを具体的にいえば暗黒 の雨夜を鳴きながら飛ぶ、 ということにな る。 そうなれば、 もはや一個の烏の生態ではない。 人間をふくめて生における 孤独とい ったものを、 作者は考えていたのである。(中西進 「旅に棲む」) というように、 犬蓑氏が結治として述べ たところの「孤独感」 (「孤愁」)ということをとくに支持した立場からなされている。 だが本秘は、 その「孤独感」ということについて、 犬狡氏があ る明確な一点を述ぺていることを尊重したい。「旅」がそれであ る 。 先に引用したとおり、 犬妥氏は 、 反歌において、 ほととぎすの 「旅」が強く表現されていると捉えている(ただしその論拠はと くに示されてい ない)。本稲は 、 犬尭氏のこ の見方をさらに広げ 、、 、、 て、 一首全体がほととぎすの「旅」にかかわってうたわれている ということを 、 歌の内部構成を考えることによって述 ぺようと恩
本稿はま ず はじめに、 一首の中でうたわれているほととぎすの 嗚き声が、 どのような声であるのかを考えようと思う。 長歌第三 段を除いて、 全体で計五回も「嗚く」という言葉が繰り返し用い られている という事実によって明らかなように 、.一首の主たる迅 材はほととぎすの⑭き声にほかならないからである。 ①うぐひすの卵の中にほととぎすひとり生れて己が父に似ては 叫洲ず己が母に似ては
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ず この第一段でわかることは、 当然のことながら 、 ほととぎすは 生まれつき、 うぐいすの嗚き声とは述う声を発するということで ある。うぐいす の巣に「ひとり」生れおちたとき から、 ほととぎ 、、、、 すはそれ特有の嗚き声を発する。 そして、 うぐいすの巣を飛ぴ立ったほととぎすは、 ②卯の花の咲きたる野辺ゆ飛ぴ翔り来邸剥閤もし橘の 花を居散 らしひねもす に嗚けど聞きよし というよ うに、「卯の花」を経由し「橘 の花」を散ら して、 一日 中、 生まれつきのほととぎす特有の 声で 嗚きつづける。 ここで虫麻呂が、 その声に対して「喝けど間きよし」とうたっ二
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首の題材
う。 そして、 犬養氏のいう . 旅 の歌ではなくして、 却つ て虫麻呂の「旅」がある。 ということを、 別途に論じようと思う。 ていることが注目される。 これによって、 第二段でうたわれてい るようなほととぎすの喝き声は、 時によって人によって、 必ずし もいい声とはさ れていなかったことがわかるからである。 そのほととぎすの鳴き声を「よし」として、 虫麻呂はつづけて、 ③賄はせむ遠くな行きそ我がやどの花橘に住みわたれ烏 とうたう。先に述ぺたとおり 、 こ の第三段には「嗚く」という言 葉がない。 このことは、 第一段•第二段でうたわれてきた ほとと ぎすの嗚き声が、 虫麻呂をして卯三段のようにうたわしめる要因 をす でに含みもっていることを物栢る。 このように考えるとき、 虫麻呂がうたっ た「住みわたれ烏」と いう一句が注目されてくる。「住む」という言栞は、 さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君(6九五 五) み立たしの島 をも家と住む 烏も荒ぴ な行きそ年かはるまで ( 2-八0) 、 、 、 、、、 などの歌からわかるように、 ある場所を家として住むことを意味 す るからである。 つま り第一段 •第二段でうたわれているほとと ぎすの戸は、 虫麻呂をして「わがやどの花橘」を家としてずっと 住めよとうた わせるよ うな嗚き声なのである。 その声の主ほととぎすは、 しかし 、「住みわたれ島」という虫 麻呂の希望に反して、 ®か き霧らし雨の降る夜をほととぎす嗚きて行くな りあはれその烏 というように、それ特有の芦で嗚きながら飛んで行ってしまうの である。その嗚き戸は、虫麻呂をしてついに「あはれその烏」と うたわしめるような声な のであった。 一首の中でうたわれているほととぎすの嗚き戸を以上のように 考えたとき、万菜びとが間いていた、ほととぎすの次 のような 声 が想起される。 鳥を詠む ふるさと ますらをの出で立ち向ふ 故郷の神なぴ山に さと ut 里人の間き恋ふるまで う ^ 即のさ枝に 夕されば小松が末に つlごひ ほととぎす要恋すらし ぁひとよ 山彦の相愕むまで (10-九三七) (一九三八) 恋」の声として、 .がわ か る 。 明けくれば さ夜中に嗚< ょム 反歌 旅しいで変姻がかい ほととぎす 神なぴ山にさ夜更けて閲< 巻十夏雑歌の冒頭に据えられたこの古歌によって、万禁ぴとが、 ほととぎすを「旅」をつづける烏として捉え、その嗚き声を「要 いわば”家“を求める声として間いていたこと 万菜集中には、ほととぎすの鳴き声をこのように開いてうたわ れた歌が少なくない。たとえば、 岱磁 の 元叩な るに ほととぎすいづくを家と嗚き渡るらむ (10-九四八) さみ 沙弥が霰公届の歌一首
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けば家なる妹し常に偲はゆ “3 あ し ひきの山ほととぎす汝が喝 (8-四六九) 太宰帥大伴卿が和ふる歌一首 しつつ嗚くし日ぞ多き(8 かた •JII 橘の花散る里のほととぎす片恋 一四七三) などの歌のよ うにである。 一首の中でうたわれているほととぎすの嗚き声がこのような声 であるならば、長歌第三段において虫麻呂が「住みわたれ島」と うたった理由はもちろん のこと、長歌第二段において虫麻呂が 「嗚けど聞きよし」とうたう理由がよくわかる。 中臣朝臣宅守が、越前に配流されるという苦しい旅にあって、 とよ 恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思ふ時に来喝き抑め る(15三七八0) ぁ 旅にして物思ふ時にほととぎすもとなな嗚きそ我が恋まさる (三七八一) 照翫り物恩ふ時に ほととぎ す我が住む里に来悌き饗もす (三七八二) 旅にして船に恋ふればほととぎす我が住む里にこよ嗚き渡る (三七八三) 心なき烏にぞありけるほ ととぎす物思ふ時に嗚くぺきものか(三七八四) 今UL “ ぁ ほととぎ す間ししまし憐け汝が鳴けば我が思ふ心いたもす べなさ(三七八五) . とうたったように、 また、 坂上郎女が、 何しかもここだく恋ふるほととぎす嗚く声間けば恋こそまさ れ(8-四七五) . a ゐ ほととぎすいたくな 喝きそひとり居て麻の寝らえぬに開けば ・ 苦 しも(8-四八四) とうたったように、 旅にある者・思う相手と離れている者には、 家を求め要恋をす るほととぎすの鳴き声はむしろ好ましい声では ない。 その声は、 彼らの家(要) を思う心・離れている相手を恩 う心を、 よりいっそう強めるからである。 現代のわれわれは、 ほととぎすが、 夏の季節だけを日本で過ご す典型的な渡り鳥であることを、 その間、 昼も夜も鋭い声で嗚き つづけることを 知っ ている 。 万薬の人ぴ とは、 ほと とぎすを 「旅」をつづける烏として捉え、 その声を「要恋」をする 声、 「家」を求める声 として間いていた。 これがすなわち、 一首の中 でうたわれているところのほととぎすの嗚き声ではないかと考え られるのである。
一首の構成
ご・におけるほととぎすの閲き声は、「要恋」をする芦、「家」 を求める声としてうたわれている。 とすれば、 一首の構成が鮮明 に見えてくるように思われる。 ①うぐひすの卵の中にほととぎすひとり生れて己が父に似ては 嗚かず己が母に似ては嗚かず この第一段において表現されていることは、 ほととぎすは生来焔 るぺき家をもたない という ことではないか。 そして、 生まれたと きから、 "旅. する鳥として .“家” を求めて嗚き始めるとい う こ とではなかったか。 すで に説かれているように、 “家” と "旅“ とは万菜ぴとの中 で一対となって存在した観念である(伊藤博「古代和歌と異郷」 「万業のいのち」)。すなわち、 本来 “旅“ は、 ”家” を離れたと きに始まるものなのである。 しかしこのほととぎす は、 生まれた ときにすでに帰るべき家がない。 生まれたときから ”旅" の中に ある。 そしてあ われなことに、 その鳥がもつ本性として ”家“ を 求めて嗚き始めるのである。 生まれたときか ら ”旅“ の中にあるほととぎすが、 その “旅“ を終わらせるためには、 新たに住むぺきよ冬“ を探し出すこと、 つまりその要を得ること以外にはない。 とすれば、 虫麻呂がここ 、 、 、 で「ほととぎすひとり生れて」 とうたって いる意味は大きい。万 菜集中「ひとり」は、 妹・背(二人)に対して用いられることが 圧倒的であ り(稲岡耕二「憶良梅花歌と七ク歌の背飛」武蔵野文 学17•伊藤博「図梅の賦」 I 万菜集の歌人と作品 j 下など)、 これによって、ほととぎすは生まれたときに、将来その姿となるぺき •ものもないことがわかるからである。 畑るべき家 ではないうぐいすの巣を 飛ぴ立ったほととぎすは、 あたかもそ の“旅”が終わることを顧うかのように、痰恋をし ”怠を求めて嗚き わたる。 扉の花の咲きたる野辺ゆ飛ぴ翔り来嗚き魯もし橘の花を居散 らしひねもすに嗚けど聞きよし この第二段で、虫麻呂は、「卯の花」・「橘の花」をもち出し ている。中西進「旅に棲む j は、 ほととぎす 嗚く声聞くや卯の 花の咲き散る岡に葛引く娘子 (10-九四二) 朝霧の応厨越えてほととぎす卯の花辺から嗚きて越え如ぬ (一九四五) 配か叫JJn の 如炉記 ほと とぎす 聞けど も飽かずまた嗚か ぬか も 、 ( 一九五三) かくばかり雨の降らくにほととぎす卯の花山になほか嗚くら む(一九六三) などのほと とぎすと卯の花とを取り合せた歌をあげ、また、 る と よ ほととぎす 花橘の枝に居て鳴き響もせば花は散りつつ(10 -九五0) つら
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ほととぎ す来居も嗚かぬか我がやどの花橘の地に裕ちむ見む (一九五四) 橘の林を梢ゑむほととぎす常に冬まで住みわたるがね(一 九 五八) などのほとと ぎすと橘の花とを取り合せた 歌をあげ、集中、「卯 の花」はほととぎす の「原郷」として、「根の花」はほととぎす の「現郷」としてうたわれている、と捉えた。 本税の見方は、基本的に中西氏の捉え方と同じなのだが、本稿 なりの首い方をすれば、「卯の花」 も「橘の花」もともにほとと ぎすの要となる資格をもち、ほととぎすの住むぺき家となっても おか しくはないという ことになる。だが、第二段でうたわれてい るとおり、ほととぎすは、そのいずれにも家として定住すること がない。依然として”旅をつづけ、一日中”家“を求めて嗚き つづける。 先に述ぺた ように、その声は 、旅にある者・思う相手と離れて いる者にとっては、必ずしも好 ましい声ではない 。しかし虫麻呂 は、ここであえて「叫けど闘きよし」とうたう。このように断じ ておくことが、第三段への展開を可能にしている と言ってよい。 そして虫麻呂は、”旅“をつづけ”家“を求めて嗚きつづける ほととぎすに対し、 ③賄はせむ遠くな行きそ我がやどの花橘に住みわたれ烏 とうたいかけるのである。 しかし ほととぎすは、この「我がやどの花橘」にも家として定 住することがな い。虫麻呂の呼びかけにしたがうことなく、. の鳥 .というように、永遠に”旅"をつづけ、そして”家“を求めて賜 きつづけるのであ った。 反歌の上二句「かき霧らし雨の降る夜を」といううたい方は、 虫麻呂がそのほととぎすに 対して 「あはれその鳥」と感咲する、 決定的な条件になってい ることを表わしている。 ・ 当 然のことながら、「夜」は万 葉ぴとにとって 要と共寝をする (あるい は共寝を欲する)時間 常である。しか もここでは雨が 降っている。 こるもで はるさ" ぬ 衣手の名木の川辺を春雨に我れ立ち涸ると家思ふらむか (9-六九六) さ" 苦しくも降り来る雨か 1 二輪の的狭野の渡りに家もあら なくに (3 二六五) などの歌からわかるように、旅にあって雨に油れるのは、非常に 苦しいこととされた。なぜなら、 は ぬ 9ぬ e あぶり干す人もあれやも涵れ衣を家には逍ら な旅のしるしに ( 9-六八八) ー い11 秋田刈る旅の脱りにしぐれ降り我が袖沿れぬ 干す人 なしに (9 二二三五) などの歌からわかるように、旅 にあって は涸れた衣を乾かしてく れる要がいないからである。 ®かき霧らし雨の降る夜をほととぎす鳴きて行くなりあはれそ 雨の降る夜に旅をつづけることなど、万葉ぴとは到底考えない はずである。しかしこのほととぎすは違っていた。反歌において 虫麻呂がうたおうとしたことは 、たとえ雨が降ってもたとえ夜で あっても、いかなる状況であっても、ほととぎすは宿命的とも言 える”旅“をつづけ、”{秀を求め嗚きつづけるということでは なかったか。 一首の構成を以上のように捉えるならば、虫麻呂がほととぎす のどういう側面を捉えうたい、感動していているのかがよくわか る。生来”旅“の中にいる ほととぎすが、生涯かけて いか なる状 況でも”旅"をしつづけ、生涯かけて“家"を求めて嗚きつづけ るというこ とを捉えうたい、彼はその烏に 対して「 あはれその 烏」とうたったのだと考えら れる。 一首の構成ということを中心に考えてきた。 すの“家"と”旅"とを対比させ ながらうたわれている。とすれ ば、本稿には、虫麻呂の手になる別の一首が想起されてくる。捕 島伝説歌がそ れである。 みづ?^ うらし2の・) 9“ 水江の涌島子を詠む一首 井せて短歌 かす すみのえ い C 春の日の霞める時に 住吉の岸に出で居て ふ見れば かつ七 た U 鰹釣り鯛釣りほこり
四
結
一首は、ほととぎ つりぷわ 釣舟のとをら いにしへのことぞ思ほゆる なわか こ 七日まで家にも来ずて 水江の浦島子が 齢 印 を 過 ぎ反歌 ひに 死にける ぬ •l-て消ぎ行くに •-» 相とぷらひ首成り しかば たへ との 内のへの妙なる殿に 家は あらむと わたつみ をとめ 海神 の神の娘子に たまさかにい 消ぎ向ひ とこよ かき結ぴ営泄に至り 宮の いもせず死に もせずして の愚か人の 我妹子に告りて叩叩らく らり U は あ す 父母に事も栢らひ明日のごと我れ は来なむと ・し と・』よへ ば妹が口へらく常枇辺にまた帰り来て くしげ ' ならば この栖笥開くなゆめと ―― 吉に帰り来りて 長き世に ありける ものを 海神の神の ゐ たづさはりふたり入り居て 老 ょn なか 世間 ねて あ や し み とそこに 思はく 珈 9 う 垣もなく家失せめやと しま しくは家に帰りて 言ひけれ 今のごと逢はむと かた こと そこらく に堅めし言を 家見れど家も見かねて 里見れど里も見か 人とせ あ U だ 家ゆ出でて三年の間に ゆなゆなは息さへ絶えて この箱を開きてみてば もとのごと しらく� 玉櫛笥少し開くに 白裳の 箱よ り出でて 常世辺にたな ぴきゆけば 立ち走り叫ぴ袖振り 臥いまろぴ II う し C 足す りしつ つ たちまち に心梢失せぬ若くあ りし 肌も敷み のら 馬くあり し嬰も白けぬ 後つ 水江の浦島子が 住 家ところ見ゆ(一七四0) . っるr たらな 常世辺に住むぺ き も のを剣太刀己が心からおそ やこの君 . . ( 一七四一 ) 本稿に は年来、浦島伝説歌における”家 " と”旅.について考 えていることがある(詳細については別稿を予定している)。本 .稿の考えをかいつ ま んでいえば、一首もまた“家.と.旅“との 対比をもちこんで同じ 構成 をとり つ つうたわれているということ である。 一首の中で、捕局子は、 「住 吉」の 「家」を雌れて"旅”をし、 「常批」の「海神の神の宮」に至る。そして「常世」の「海神の 神の宮」を離れて“旅“を続け、その "旅"の途次で老い死んだ、 とい うようにうたわれる。そしてその浦島子に対して、虫麻呂は 「おそやこの君」とうたうのである。 花公烏の歌と涌底伝説歌との間に通うところがあることは、そ れぞれの反歌を 並ぺ てみるだけ でわか る。 かき霧らし雨の降る夜を ほととぎす嗚きて行くなり れそ の烏 常泄辺に住む ぺき ものを 剣太刀己が心から おそや この君 虫麻呂は、筏公烏の歌では 、住むぺき"{承"を求めながら”旅. をつづける烏に対して「あはれ その烏 j とうたい、一方補島伝説 歌では、住むぺき”家“があるにもかかわらず 、自ら “旅”に出 て、その途次で老い死んでしまった男 に対して「おそゃこの店」 とうたったわけであ る。 虫麻呂が、住む ぺき ”家 “を求めながら”旅“をつづけるほと とぎすに対して より同情的であり 、住 むぺき”家“を離れて、 ”旅”の途次で老い死んだ浦島子に対してより批判的であること を思え ば、彼の実人生は、やはり”旅とは切り雌せない 人生で あっ たと考えるほかはな い で あ ろう。虫麻呂は、“旅"というこ あは
とに対して多感であり、 以上述ぺて きたとおり、 基本的に “家“ . と いうものを希求してやまないからである。 ・ た だし、 歌人としての彼の生き方を考えるならば 、 虫 麻呂がこ うした歌をうたう要因として、 藷原宇合の存在ということをも考 慮しておく必要がある。忘根虫麻呂は、 字合のもとでうたいつづ F2) けた歌人だからである。 藤原宇合は、「懐風藻』. に次のよう な淡詩を残している。 さいかい“,«っピし • 五 琶。 西海這節度使を奉ずる作。 一首。 いにしとし とうざ人 L だ 9 -二のとし さいかい eu 往歳は東山の役、 今年は西海の行。 かうじ人いつしゃう 9 ら い くたび へ人ぺい う 行人一生の裏、 幾度か邊兵に倦まむ。 この一首を読めばわかるように、 字合は、 自分自身の人生に強く ”旅" ということを感じていた人であった。 霰公烏の歌にしても、 捕烏伝説歌にしても、 虫麻呂は、 宇合の "旅” ということを弛く意識して うたわなけれ ばな らなかったの ではなかろうか。 とすると、 ほととぎすに対しては同梢的に、 浦 島子に対しては批判的に、 虫麻呂がうたっている当然の理由がわ かるように思われる。 こうした宇合と虫麻呂の歌とのかかわりに ついては、 別に論ずる機会をもちたいと思う。 (一九九0年九月三十B稿) (])中西氏の解釈は、 ほととぎすが平安以粋「死Illの