南里有隣『真教十要』解説と翻刻
著者
片岡 龍
雑誌名
日本思想史研究
号
44
ページ
86-94
発行年
2012-03-25
URL
http://hdl.handle.net/10097/56517
南里有隣『真教十要』解説と翻刻
一、はじめに (解説・凡例) 広んりゆうりん 本稿は、佐賀県立図書館鍋島家文庫所蔵の南里有隣『異 教十要』の全文を翻刻したしのである。南里右隣は、文化 九(一八一二)年、鍋島藩士の家に生まれ、のち江戸に出 て璃保己一(一七四六∼一八二一) の塾で国学を学び、天 保十一(一八四〇)年、鍋島藩の学校である弘道館の和学 寮の教授となり、また私塾「本数館」を開いている。安政 二 (一八五五)年、主著の一つである『神理十要』を著し、 元治元(一八六四)年、五十三歳で没した。墓は佐賀市真 覚寺にある。 南里右隣の研究に先鞭をつけたのは、村岡典嗣(一八八四 ∼一九四六) である。同著『日本思想史研究』(岡書院、 一九三〇)、村岡典嗣著作集刊行会編(代表者石澤照璽)『神 道史』(創文社、一九五六)に詳しい解説がある。また前 者には、南里右隣『真数概論』の翻刻が附録に付されてい る (増補版では削除)。 片 岡醍
近年では、吉田寅、前田勉によって、ウィリアム・マー ティン(丁蓮良)『天道遡源白 の『神理十要』に対する影 響関係の考察が深められ、また前田は、村岡未見の資料で ある、右隣の記紀注釈についても考察の範囲を広げている。 しかし、活字化された資料が少ないためか(『肥前叢書二 に『肥前旧事』が、村岡『日本思想史研究』附録に『真数 概論』が翻字されている)、その研究はいまだ遅々として 進んでいない。 村岡は、有隣の著書は凡て未刊行とするが、本稿に翻刻 した『真数十要』は、木版本である。ただし、書醇や刊行 年など一切記されておらず、刊行事情は不明である。なお、 『真数十要』は『神理十要』のダイジェスト版に相当する。 すなわち、『神理十要』は、「惣論」と各論十章から成るが、 各章の冒頭に章旨に相当する文章が置かれている。『真数 十要』は、この章旨の部分のみを抜粋して並べたものである。『神理十要』の各章旨と『異教十要』の内容は、ほぼ一 致しているが、若干の異同がある。たとえば、『異教十要田 第一一では、世界の内には、「天つ国」「中つ国」「根の国」 の三つの国があるが、「天つ国」は「高みむすびの神と、 天照大神」の共同統治とされている。これに対して『神理 十要』では、「天つ固」は「天照大神」の単独統治とされ ている(両書とも、「中つ国」 の君は、高みむすびの神と 天照大神との子孫、「根の国」 の君は、その国人が選ぶと メ されている)。両書の先後関係については、後考を候ちたい。 『真教十要』は、管見では、鍋島家文庫にしか現存しな い孤本であり、虫喰いや印刷のかすれが激しいため、翻刻 に当たっては、『神理十要』を参照した。本稿の責任は、 すべて片岡に帰するが、実際の翻刻作業は、二〇二年度 前期・二〇一二年度前期の東北大学文学部「日本思想史基 礎講読」の履修者が担当した。二〇二年度は、荒井樺・ 安蔚瑠里・江顕彰太郎・遠藤直美・奥友優美・柴田朗・佐 藤真希・佐藤真奈美・高橋要望・原紗英子・増子大紀・目 黒蹄、二〇一二年度は、柴田一郎・井出貴幸・伊藤早紀・ 小原早織・加賀南実・朽木雄介・小山善貴・坂岡凱歌・佐々 木隼柏・佐藤真海・山口美智・チエゼホの諸君である。 思えば、『異教十要』の翻刻を思い立ったのは、もちろ ん本研究室に縁の深い村岡典嗣が神道思想家として最大の 評価を与えた南里右隣研究のいっそうの進展を願ってで あったか、また一一〇二年三月十一日に起こった東日本大 震災に対する思いとも無関係ではない。 右隣没後二〇年、明治十七(一八八四)年に牛まれた村 岡典嗣が、南里有隣の存在を知ったのは、大正十(一九二一) 年であったという。『日本思想史研究』に収められる「南 里右隣の神道思想」を彼が脱稿したのは、その二年後 (一九三二年三月)ベルリン郊外の「旅寓」においてであっ た。その半年後に関東大震災が起こっている。明治牛まれ の村岡にとって、世界に任すことのできる日本人の道徳の 新たな確立は、切実な課題であっただろう。 実は南里有隣は、功利主義・経験論許学のジョン・スチュ アート・.ミル (一八〇六∼一八七三) や進化論のチャー ルズ・ダーウィン(一八〇九∼一八八二)とほぼ同時代人 である。十九世紀は、産業革命に成功した西洋列強が、原 料供給と市場開拓を求めて、アジアに本格的に進出してき た時代であった。それに先立つ数世紀の間、地球は小氷期 に襲われ、自然災害は多発し、西洋ではそれを遠因とす る度重なる宗教戦争などによって、国民は疲弊していた。 一七五五年のリスボン大地震はヨーロッパ全土に衝撃を与 え、思想界は大きく転換する。 十八世紀の束アジアでも、同様の問題意識から、「国」 八七
と「民」の関係、「天(神)」と「人」の関係(道徳/幸福 の関係と言ってもよい)などの思想の再定位が模索されて いた。南里右隣の思想営為も、大きく言えば、そうした流 れの延長線上にある。しかし、ワットの蒸気機関の発明 (一七六九年)以降の、物理エネルギーの利用を中心にし た西洋の科学・軍事技術の進展と、それにもとづく経済発 展の伸張は、それらの営為を、あっという間に呑み込んで しまった。 そのエネルギー利用の極まった原子力発電所の放射能災 害、また多くの命を呑み込んだ巨大津波による自然災害に 直面し、もう一度新たな目で、族をかぶった当時の思想を 読み直すことは、けして無駄な作業であるとは思わない。 ただ、そのためには、やはり史料の翻刻という地道な作業 から真撃に取り組まねぼらない。まだ一〇代後半、二〇代 前半の若い諸君が担当した本稿が、その一つの礎石となる ことを切に願っている。 翻刻に当たって、行の変わりには「/」を付した。字体 はできるだけ原本を尊重したが、現行の文字に改めた箇所 も多い。清濁も、読みやすさを主眼として、濁点を補った。 句読点は、原本の句点を参照しながら、新たに付した。ル ビは、原本に付されたままである(濁点は補った)。 なお、原本の一丁は十八行(表裏各大行)、版心には、 ._\-\ ノノ 丁数のみ記され、全十三丁である。一子表一行目表題の下 に「鞭尾文庫」の印が押されている。 二、翻刻 真数十要/ 肥前南里有隣述/ 第一/ い.」\し砂 神に仕へ奉ることは、異同の儒仏の法のごとく、人の初/ あよ)かみあま,\rり しゎざにはあらず。天孫降臨の時、高みむすびの神/ T・小鼻点 在一・1-L rTT一LLのり 若鳥、に疾し の、皇孫の尊に勅し玉ひ、大国主の尊に約し玉ひし/ 跡にして、人をして神を祈り、守護を願はしめ玉ふも、神/ の教也。神をして人の祭をうげ、守りをなさしめ玉ふも、/ 神の勅也。かの儒仏の仙仏鬼神の如きは、祭る者/ もあり、祭らぬものもあり、守るもあり守らぬも有な/ るべし。され共我国の掟は、大きにこれとことにして、神をま/ っるは人の追出。人を守るは神の道にて、守らざるも神勅/ に背き、祭らざるも神勅にそむく物也。然るを今/ の世の人、唐土天竺の教をのみ誠と思ひて、神代よ/ り伝はる、誠の道を忘れ、我一の宮産神をも、かの仙/ 仏のたぐひにみなし、あなどり転じめないがしろにして、/ 必仕祭るべき物といふことをしらず。或は異国の神仏/
にへつらひ、おのが君たり父たる一宮産神を捨て、不/ 忠不孝を行ひ、重き神勅を背き奉て、厚き神/ 罰を蒙んとするは、甚嘆くべく悲むべきの至極に/ あらずや。/ 第二/ 囲ほ 世界の内に国三あり。天つ国は天つ神のおはす所也。/ 中つ国と根の園とは人のすむ所也。天つ国といふは上に/ / ある故にいび、中つ国根の国といふは、中と下とにある故/ 九\れ方一_とあまつか互 也。脚、天つ国といふは、隠身の別天神の作り玉ひし国/ にして、其地は清浄に、英国の大つ神は、不老不死の/ 神仙にして、人のたぐひにあらず。其君は高みむすびの/ 神と、天照大神と相並びてしろしめす所也。中つ国は/ 大つ神いざなぎの尊いざなみの尊二柱の神の沼/ 言、 掘起を持て、泥海を緒かため作り玉ふ此日本にして、/ 真也は浄械相半し、其国の人は正邪相まじり、真吾は/ 高みむすびと、天照大神との御孫にして、不老不死の/ 御身を'老死の身となし、かたじけなくも万民の為に、此/ あはこり 園を治めに下り玉ふ所也。根の国は汐の泡の凝てなれ/ るにて、初は数百千の小嶋なりしか、やう--に長じて一連に/ 瓜ひJ 一大国の夷国となり、其地は械悪多く、真人は邪曲/ 多し。真書は異同の人どもゑらびて走る所也。真一一高に/ おのI-隠世隠身あり。大つ国の隠身は、天御中、王の神/ わ〓みrよ の分魂にて、正神のみ也。中つ国の隠身は、皆人のなる所/ にて、正邪相半し、根の国の隠身も、人のなる物にて、邪/ 神多し。抑、人も神も、始は御中主の神の分魂也。其/ たよ-+tあらは 魂しばらく現身の形につきては、人と成て現世に顕れ、/ 其親身死ては、隠身と成て隠世に入り、人のめに見/ えざる物也。たとへば隠世は簾の内の如く、現世は簾の/ 外のごとし。内にある隠身の神は、よく外の現身の人/ を見すかし、外にある現世の人は、内の隠世の神をみる/ ことなし。大枚誠の教をしらぬ人は、神にみられてある/ 我身をさとらず、只しるものみるものなしとのみ思ひ/ て、恥べく恐るべき悪行忠心をほしいまゝにし、ひそかに/ とがをつみ非を重ねて、おもき禍をうけ、惇き苦/ みに落ること、甚嘆くべく悲むべきの至極にあら/ ずや。/ 第三/ 人ゝ顕世の君父あるを知て、隠世の君父あるをしら/ ず。いはゆる隠世の君父とは誰ぞや。神代の昔高み/ むすびの神の詔にて、皇孫の尊は韻事の天皇に/ 走り玉ひて、顕世に出玉ひ、大国主の尊は隠事の天/ ラ)し,_か、打よ 里に定り玉ひて、隠世に隠れ玉ひしより比のかた、顕隠/ ー\ IU ノ/
う)Lこときんり の万機を持分つかさどり玉ふとて、顕政には朝廷の御/ か/、れことおは 名代として、国,に大名を置、英国の君としへ隠政には幽/ やしろ 席の御名代として、国ゝに一の宮を置、英国の君とし、大/ 名は又真下に、家老組頭をたて、それを寄親となし/ そぅしゃ-ぷ,な て組子をつかさどらしめ、一の宮は又真下に惣社産神/ をたてゝ、それを産子の親として、産子を義はしめ/ 玉ふ。笈を以所,の産神、其領地を支配し、産子をば/ 御身と固く、耳目鼻口身体を具足せしめて、其働/ *Jきみi'ま を自由にさせ、又御魂をわけ産子の幸魂となして、/ 身の内に鎮座し、私慾の為に身をあやまらぬ様に、守/ 護し玉ひ、又山川草木鳥獣魚虫等の万物をそ/ めしつかひ だてて、其産子の衣食住の為につかふべき奴僕となし/ て与へ玉ふ也。然るを入営、君父たる一宮産神を、敬せ/ ず愛せず、邪念を以幸魂の守護をこぼみ妨げ、嗜/ 慾を以、万物の主人たる身をかへつて万物につかはれ恥かし/ められ、其大恩を忘れ、其賜物を失ひ、不忠不孝の/ 罪人と成て、現身にては禍ひにかゝり憂にしづみ、隠世に/ 帰りては賎しき邪神と成て永さ苦みを受んとする/ こと、甚嘆くべく悲むべきの至極にあらずや。/ 第四/ -)ぢがみ 産神は一体にして三あり。此三はたとへは、空にある日の/ 九〇 又川の水にやどり、又草の露にやどるかごとし。英一は隠世/ にあり。一は御社にあり。一は産子の心中にあり。彼隠世/ にあるは、もとより隠れてしられ玉はず。此御社にあるは、/ 皆人のおがむ所也。身にやどり心中にあるは、人,の幸魂/ 也。人よく此幸魂の思ひより出る正念にしたがふ時は、/ 真心のびて楽み、耳目の慾より生る妄意にまか/ する時は、其心恥てちゞまる。これ胸中の産神の、悦/ つつし び玉ふと、とがめ玉ふとによりて也。笈を以狸を慎み、みづ/ から恐れて、其あやまちをくび改め、日にI-新に悔改め、/ いさざよき正念を以、心中の御社を清浄にし仕奉/ れば、幸魂の守護力をまし、智恵福棟もいよI-加はり、/ 無病息災も疑ひなし。然るを、きたなき妄慮を/ のみつみたくはへ、胸中の御宮を、けがしあらし奉れば、/ 果して神の御いかりを起し、御たゝりを蒙りて、遂には/ 檀,の災難をうけ、或は多病になやみ、或は貧窮/ に苦み、永く憂患にしづむこと、甚歎くべく悲む/ べきの至極にあらずや。/ 第五/ *3++.. 人の心に三あり。一は霊性といひ、一は本心といび、一は/ 俗情といふ。其霊性は御中主の尊の分魂にて、/ 善なく悪なき真心也。これは万物万事の生殺/
を心に任せ、よく本心俗情をつかひ、顕隠の身に/ わたりて、生もなく死もなき物也。本心とは身を守/ る幸魂より出る所にて、生れ付の正念也。これは世の/ 為人の為に、善と悪とを分別し、始終偽りなき物也。/ 俗情とは、世上のくせを見馴聞馴てする所にて'外よ/ り付し妄念也。これは身の為慾の為に、損と得とを/ はかり、始終誠なき物也。世の末の人、此霊性ある/ 事を忘れ、つかふべき所の俗情に、かへつてつかはれ苔む/ / といヘビも、本心の助によりて、わづかに其身を安く/ する也。たとへは俗情は風のごとく、霊性は舷の如く、本/ 心は梶のごとし。然るを誤てひたすら俗情の風に任/ する時は、いつのまにか邪神どもに取つかれ、ます-i-/ 邪慾に力をそへられ、本心の梶の譲を用ひず、我/ とが 非をとがめて、恐れ憧る心を拙きとし、我答を責て、/ 悔恥る心を悪也とし、只損と得とをみ分て、善と悪と/ なかま をしらざるに至り、遂に邪神の黛に引入れられ、隠/ 顕二世の苦みを受んとするは、甚歎くべく悲むべ/ きの至極にあらずや。/ 第六/ わrはひざいはひ 人の禍福に二あり。一は前の現身の時の善悪に/ よりて、今の現身に受る禍福也。これは、隠政に御足/ め有て愛し所ゆえ、二度かゆるあたはざる物にして、たと/ よしあし へば形に美醜を生れ付たるが如く、叉木は一牛木にて、/ 革は一生草なるがごとし。一は今の現身の善悪によりて/ 受る禍福也。これは隠政の御足の外にて、禍も福/ もおのが行ひ次第に神の与へ玉ふ所にして、たとへば衣/ 服の美悪は、いかにも着替らるゝが如く、又草木の栄/ ふるも、かしぐるも、養ひのよしあし次第によるがごとし。 されば/ 定の内の禍ひを持ても、定の外の福を受れば、形/ みにくけれ共衣服の美なるがごとく、人これを敬ひ、定/ の内の福を持ても、定の外の禍を受れば、形うるはしけれ/ 共衣服のきたなきが如く、人これをいやしむる也。其定の/ 外の福を受る道といふは、我身は産神の子たることを/ 信じて、其大恩を悦び、其身を大切にし、我本心はうぶ/ すなの御心を分得たることを信じて、其本心のまゝに/ 正直を守り、人を愛すべし。かくのごとく我心よく神の/ 心に交り親む時は、神の心も我心に交り親みて、ま/ すI-我をめぐみ玉ふ也。我と神と互に、心の交り深/ く睦じければ、外より入くる俗情の慾も、夫に化せら/ れて、人をにくまず、私曲の思ひなくなる也。これを福を/ 受る道といふ。然るを我は神の子也と信ぜず、正直/ を守らず、人を愛せず、正直は損也、人を愛すれば賀/ 九.
有とて、只目前の利をはかり、偽をなし'不仁不義を/ 行ひ、神の御心には背き離れ、邪神の心にのみしたが/ ひ頼みへ福の道にはます-遠ざかり、禍の道にいよ-負/ ぐ事、甚歎くべく悲むべきの至極にあらずや。/ 第七/ 午-へー)L-人は一宮を君とし、惣社産神を父として、そたち養はる、/ 物なれば、ひたすら神恩のかたじけなきを悦び、何事/ も隠政の御はからひに任せ、/御あてがひに従ひ、今の貧/ 富寿天は、前の現身の時の善悪によりて、定め琵た/ まふことを信じ、其貧賎をも憂ず、災難をも恐れず、/ かの富貴をも願はず、利益をも求ず、火にも水にも/ 仰のま、にかしこまるべし。かくてこそ後に神のご褒美/ も有て、定の外の福をも蒙るぺけれ。然るを隠政に/ 極め玉ふ御あてがひをいやがり嫌い、御ゆるしなきを願ひほ/ しかり、限りある命を無理に憎み、種のなき福を非道/ に求る時は、其すかぬことの返れ難く、好む所の得がたき/ のみならず、御意にさからひ仰にそむく不忠不孝のつ/ みをえて、定の外の禍をも受けんとすること、甚歎くべく/ 悲むべきの至極にあらずや。/ )し一一 tiノ 一 第八/ あらはか/、れ 人のしわざに顕事隠事の二あり。外行に君に仕へ人に/ 交りて、力を尽すは人の顕事也。内心に神に仕へ先祖を/ 祭りて、心を尽すは人の隠事也。人は耳目にしるところを好/ むを以、世に交るには顕事の行ひを勤て'他の見聞する/ 所に身を労し善に進むべし。神は人のしらざるところを愛す/ るを以、神に仕ふるには隠事の思ひを慎て、犯かへりみひそ/ かにせめて、ひがみを直しあやまちを改むべし。其隠事/ の思ひとは、物にふれてきざすこころをいふ。たとへは がりその 仮初に酒を/ 見てほしと思ふは、口にこそのまね心はすでに酒をのむ也。/ 人の物をみてほしと思ふは、手にこそとらね心はすでに物/ <おかり を盗む也。女をみてうつくしと思ふは、心すでに姪を犯也。/ 人をにくみてのゝしらんと思ひ打んと思ふは、心すでにかれ/ と争ひ戦ふ也。まざるをそねみ富るをねたみて、かれが禍/ ひをこひ願ふは、心すでに人をそこなふ也。目上にふさがり/ 前にさ、はるを忌嫌ひて、かれが病あらんことを思ひ死んこと/ を思ふは心すでに人を殺す也。かくのごときたぐひ人に対し/ ては、いまだ人を破らず人を害せずといぶ共、神に対し/ てはいかでかいまだそこなはず破らずといふことをえんや。心/ の底には人の禍を悦び、大の字ひをにくみながら人の前/ にてはこらへ隠して、心に根ざさぬ善を偽り行ひ、一旦其/
賞をたばかり取共'いかで神を欺きて御罰をのがれま/ ぬかるることをえん。人の顕事の賞罰は火鉢の火にあ/ た、め、たらひの水にひやすがごとく、身にあたること急/ にして身に受る事せはく燻し。神の隠事の禍福は/ 夏の署にあたゝめ、冬の寒にひやすがごとく、身にあ/ たることゆるやかにして身に受ること広く久し。然るを人/ の賞罰は顕れてしるゝ故に、誰も恐れて我顕事を/ 慎むといへ共、神の禍福は隠れてしれぬ故に、人皆/ メ なをざりにして我隠事をかへりみず、只目前しばしの、/ 人の福のみを貪り求て、かへって後来久しき、袖の禍/ を受んとするは、甚歎くべく悲むべきの至極にあら/ ずや。/ 第九/ カり 人の身に本の身と仮の身と「あり。本の身とは生/ が、れう)し れぬ前の隠身をいひ、仮の身とは生れて後の親身/ やそ/\t をいふ。脚、此正体を弄れば、八十隈の隠世に有て、不死/ i の隠身也。其隠身其以前の現身の時の善悪にて、/ それに走る禍福を受終りしかば、今又前のごとく、仮/ の親身と成て、愛に生れ、しばし善悪の行を試ら/ れ、再び隠身の栄辱を定んとする、此我身也。されば/ 今の身の善悪は、後の身の苦楽の塞ひなるをさと/ り、此世は仮初の身をやどす旅宿ぞと知て、一口も急/ ぎて善事を励み行ひ、道に薄氷探測の候を守/ て、此暫時の誠をよく勤め、もとの隠身に立帰りて、/ 永福の身とならんことを願ひ、あらかじめ隠世に帰りて/ の後を思ひはかりて'終にわが君父朋友と頼むべき、一/ ナて)..jヽ))ち 宮惣社産神其外の相違の心に交り親み、将来/ 永久の安堵をぞ願ふべきに、我帰るべきよみをにくみ/ いとひ、行さきを頼むべき隠身達を忌嫌ひ、いたづら/ に罪をかさね、あやまちをつみ、とがを重くし、又も禍ひの/ utたた たねをまきて、再び隠身の憂苦を描くは、革欺く/ べく悲むべきの至極にあらずや。/ 第十/ 世の中の事に、道理のしらること,、しられぬ事と一"つ/ あり。わけのしらるゝは、人のする顕車型しられぬは神のし/ 九くれまつり・」と 玉ふ隠事也。英人のしわざも、人にさするは、隠世の政の/ 行はる,所にして、其根本のわけはしられぬ隠再出。夫/ 故さいはひとみえて、実は禍ひとをるもあり。禍ひとみえて、/ ).Jいお7 実は福となるも石て、其塞翁が馬をつかふ神の御心/ は、人のしるべきことにはあらず。さればしらざるをしら ずとして、/ 是非得失をゑらはず、吉凶善悪をわかたず'只来る/ -し一二 ーノ一二
まゝ受るまゝにしたがひて、われはわが正直を行ふべし。/ 然るにこれを聞あやまりて、是非をゑらばぬはよし、/ ぇらぶはわろしと思ひ、又吉凶をわくるもよし、わけぬも/ よし、わくるもわろし、わけぬもわろしと思ひ、しらぬこと/ をしひて福とし禍とし、みづから吉凶の名を作り出し/ さ,Jみたま て、胸中に鎮座し玉ふ幸魂をなやまし奉り、其御/ とがめに苦しまんとするは、甚歎くべく悲むべきの/ 至極にあらずや。/ )も 囲