• 検索結果がありません。

語と文とを繋ぐ単位と文法論の構成 -「連語」と「連語論」をめぐって-

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "語と文とを繋ぐ単位と文法論の構成 -「連語」と「連語論」をめぐって-"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

語と文とを繋ぐ単位と文法論の構成 −「連語」と

「連語論」をめぐって−

著者

斎藤 倫明

雑誌名

文化

83

1,2

ページ

16-35

発行年

2019-09-28

URL

http://hdl.handle.net/10097/00128840

(2)

語と文とを繋ぐ単位と文法論の構成

−「連語」と「連語論」をめぐって−

斎 藤 倫 明

(3)

語と文とを繋ぐ単位と文法論の構成

−「連語」と「連語論」をめぐって−

斎 藤 倫 明

1.はじめに  森岡(1969)に、言語単位と文法論の体系との関わりに関する次のような言 が見られる。 (1) 語と文とは「文法論の土台をなす、最も基本的なもの」である。 (2) 「日本における各文法論の体系の違いは、実は、この二つの単位(引用 者注:語と文)の関係づけのしかたから発生していると考えられそうで ある。」 さらに、森岡に拠れば、同じ「語」「文」という用語を使用していても、その 解釈が文法論によって異なっており、それは畢竟「辞」(いわゆる助詞・助動 詞)の位置付けが異なっていることに起因するという。  筆者は、森岡のこの見解に基本的に賛成するが、更に言えば、語、文といっ た基本的な単位だけでなく、一般にどのような単位を設定するかということが 文法論の体系に影響を与えるものと考えている。そして、その場合、語と文と いう基本的な単位以外で特に問題になってくるのが、標題に掲げた「語と文と を繋ぐ単位」である。  そこで本論では、従来の日本語文法論を対象とし、語と文との間に設定され た何らかの単位(あるいは、「単位的まとまり」。この意味合いについては第 4 節参照)を取り上げ、それがそれらの日本語文法論の中で、明確に単位として 位置付けられているかどうか、そしてそれを扱う部門がその内部に明確に設定 されているかどうかという点を検討することを通して、語と文とを繋ぐ単位 (的まとまり)の設定という観点から日本語文法論の類型化を試みてみたいと 思う。従って、本論においては、以下、森岡の言うような文法論の「体系」と いう用語ではなく、より大雑把な括りを表わす文法論の「構成」という用語を

(4)

用いる。また、各文法論の細かい単位規定や部門規定の細部には踏み込まない こととする。  ただ、「語と文とを繋ぐ単位」といってもいささか漠然としているので、本 論では、より具体的には、副題に掲げたように、「連語」という言語単位、お よびそれを論ずる「連語論」という部門を中心として考察を行ないたい(ただ し、第 3・4 節で述べるように、それらに限定するわけではない)。というの は、本論の考察が、直接的には、いわゆる「教科研文法」(「教育科学研究会 (教科研)・国語部会」という「民間の国語教育の研究会」を言語研究者とし て支える「言語学研究会」の文法論)の提唱する「連語」「連語論」の批判的 検討(斎藤[2016・2017]参照)を一つの契機としているからである。なお、 その意味で、本論は筆者の言語単位論の一環をなすものである。 2.「連語」について  本節では、教科研文法における「連語」について、ごく簡単に説明する。な お、教科研文法の「連語論」とその特色については、後(5.3)に別途問題と して取り上げる。  最初に、教科研文法における「連語」の規定を掲げる。代表的な論者のもの を以下に二つ引用する。  (3) 連語とは、名づけ的な意味をもった一つの単語と、それにかかって、そ の名づけ的な意味を限定する一つ以上の(名づけ的な意味をもった)単 語とからなりたち、全体で一つの合成的な名づけ的な意味をあらわす単 位である。(鈴木重幸[1972:25])  (4) 連語とは、ふたつ以上の自立的な単語のくみあわせで、かつ、ひとつの 名づけ的な意味をあらわしている合成的な言語単位のことである。(鈴 木康之[1983])  このように規定される「連語」の具体例としては、次のようなものがあげら れる。  (5) 「パンを食べる」「本を読む」「村へ帰る」「壁にポスターを貼る」「毛糸 でマフラーを編む」「街から近い」「きれいな花」「ガラスのコップ」etc.  次に、教科研文法における「連語」の特色としては、以下の 3 点があげられ よう。  (6)  語、文とともに言語単位である。

(5)

 (7) 「名づけ的な意味」(「現実の断片の一般的な区別的な特徴にもとづい て、その断片をさししめす」という「語彙的な意味」の性格[鈴木重幸 (1972:196)]):同じく語彙的な意味の一種である代名詞やコソアドの 有する「指示的な意味」に対立する)を有する。  (8) 「カザリ・カザラレ」(修飾・被修飾)という従属的な結び付きの関係を 有する(「彼はやさしい」「犬が走る」といった「陳述的なむすびつき」 [主述の関係]などは対象から除かれる)。  以下、若干補足する。まず (6) についてであるが、教科研文法においては、 「連語」が明確に言語単位の一つに位置付けられていることが大きな特徴であ る。この点は、後で様々な文法論を比較する際の重要な観点として取り上げら れることになる。次に (7) についてであるが、「名づけ的な意味」が「連語」を 決定づける一つの要因とされている点に注意しなければならない。なぜなら、 「名づけ的な意味」を有さないものは「連語」とは見なされないからであり、 その点が他の二つの単位「語」「文」と決定的に異なるからである。すなわち、 「語」の場合には (7) に記したように「名づけ的な意味」を有さないものがあ るし、「文」の場合には「名づけ的な意味」と「陳述的な意味」が常に文内部 において溶け合った形で存在しているとされているからである。そして、この (7)が (8) にも関わってくる。というのは、教科研文法においては、幾つかの単 語が「従属的なむすびつき」を構成する場合しか「連語」として認められず、 「陳述的なむすびつき」(主述関係)、「並列的なむすびつき」(並列関係)を構 成する場合には「連語」でなくなるのであるが、それはまさに、そういう「む すびつき」は純粋に「名づけ的な意味」を表わさないからなのである。なお、 教科研内部で、(6)(7) の点に関しては異論が見られないが、(8) の点に関しては、 立場の相違が存在することを付言しておく。 3.本論で取り上げる文法論  本節では、本論で考察の対象として選んだ文法論(文法書)の選定方法につ いて述べる。基本的には次の 3 つの基準に従って選定した。  (9) 北原編(1982)で「連語」が出てくる文法書:10 書     中等教科明治文典(芳賀矢一・M37[1904])/文語口語対照語法(吉 岡郷甫・M45[1912])/国語国文法要義(小林好日・S2[1927])/言 語学的日本文典(上)(岡沢鉦治・S5[1930])/日本文法学概論(山

(6)

田孝雄・S11[1936])/国語法論攷(松尾捨治郎・S11[1936]<「連 語」単独ではなく「形容詞性の連語」「副詞的連語」で出てくる>)/ 改制新文典別記口語篇(橋本進吉・S12[1937])/語法の論理(木枝 増一・S16[1941])/日本文法学原論(前・後)(鶴田常吉・S28[1953]) /日本語文法・形態論(鈴木重幸・S47[1972])  (10) 上記 (9)に松本(1970 = 2006)中で言及されている以下の文法書を加 える(ただし、同論文で言及されている文法書の全てを加えるわけでは ない。本論の観点から見て関連性が高いと筆者が判断したもののみであ る):3 書     改選標準日本文法(松下大三郎・S3[1928]、<『標準日本文法』T13 [1924]から変更>)/新国文法(金田一京助・S16[1940])/国語文 法論への道(本位田重美・S50[1975]<「文章法の一問題」S19[1944] から変更。なお同論文は本位田(1975)に収載されている>)  (11) 筆者の判断で独自に加えた文法書:2 書 国語学原論(時枝誠記・S16[1940])/文節による文の構造について(橋 本進吉・S19[1944])  上記のうち、『言語学的日本文典(上)』(岡沢鉦治・S5[1930])は、そこで 言われている「連語」が「おや - こ」「兄 - 弟」「あめ - つち」のような並列構 造の複合語を指し、本論で問題とする語と文とを繋ぐ単位(的存在)とは別物 であるので、対象から除外する。このようにして、本論では、最終的に 14 書 を選び出した。  なお、上記 (11) に関して補足する。第一に、橋本進吉(1944)についてで あるが、周知のように、橋本文法は前期と後期とで語と文とを繋ぐ単位に関す る捉え方が若干変化する。後期にはいわゆる「連文節」の考え方が取り入れら れるのであるが、その点を考慮して、同文献を新しく加えた(ただし、橋本進 吉[1937]は教科書[解説書]であるため、「国語法要説」[1934 年]に見ら れる「文節」の考え方は出されていない点注意を要する)。第二に、時枝誠記 (1940)についてであるが、時枝文法は、語と文とを繋ぐ単位という観点から は見逃せない文法論であると、筆者は考えている。しかし、時枝文法は (9)、 (10)の基準では掬い上げることができない。そこで筆者の判断として本論の対 象に新たに付け加えた。時枝文法については、本論の観点から見たその特異性 について後(5.3)に触れるところがある。

(7)

4.調査の観点と調査結果  前節で述べた 14 書の文法書に関し、次の点から調査を行なった。   観点①:語と文とを繋ぐ単位的存在を明確に単位と認定しているか否か。   観点②: 当該の単位的存在を扱う分野(部門)を明確に設定しているか否 か。   観点③: 当該の単位的存在に関し、単位内部に階層性を明確に認めている か否か。  以下、これらの観点に関し、補足説明を加える。  観点①に関して。第 3 節で記した本論の調査対象の設定法から言って、上記 14 書において、語と文とを繋ぐまとまりを全く認めないということはありえな いのであるが、今、問題としたいのは、その存在を明確に言語単位と認定して 文法論を構成しているかどうかという点である。以下の表 1 に見るように、こ の点に関しては、明確に認定するもの(○印)、認定しないもの(×印)、その 点について明確には言及されず不明なもの(△印)が見られる。  観点②に関して。この点については、単位(的存在)を設定しても、それを 特に取り上げその在り方について論じる分野を文法論内に設定するかどうかに 違いが見られ、設定する場合(○印)、設定しない場合(×印)、明確にはわか りにくい場合(△印)がある。ただし、○については、必ずしもその単位(的 存在)のみを独立に取り扱う分野の設定でなくともよいものとする。なお、こ こで興味深いのは、以下の表 1 に見られるように、観点①と観点②が必ずしも 厳密に平行する(○ - ○、あるいは× - ×)わけではないという点であり、そ のことが次節(第 5 節)で示すように文法論の類型化に影響する。  観点③について。この観点については、やや詳しい説明が必要であろう。 筆者は、一般に単位といわれているものに二種類あると考えている(斎藤 [2016:第 2 部第 3 章第 2 節]参照。ただし、そこでは、「単位」と「レベル」 という名で区別したが、ここでは、単位の二種と考える)。すなわち、一つ は、内部に階層性を有しうる単位で、語構成要素や文節のような単位がこれに 相当する。これらは、たとえば「寒がりや= [[[ 寒 -] がり ] や ]」、「庭の大きな 石= [ 庭の [ 大きな [ 石 ]]]」のように、自らの中に自らを包含することができ るので、階層性のある単位と見ることができる。それに対して、語や文は、「庭 石≠ [ 庭 w[ 石 ]w]w」、「天気がよい、外で遊ぼう。≠ [[ 天気がよい ]s 外で遊ぼ う s]s」(あるいは、[[ 天気がよい」s[ 外で遊ぼう ]s]s か)というように階層性

(8)

を有さない存在である(ここで、「w =語」「s =文」を示す)。なぜなら、時枝 文法が指摘するように、語や文といった単位は「質的単位」であって、構成要 素に分けてしまえば、もはや異なった別の存在になると見られるからである。 なお、このように考えると、複合語は一般に「語+語」と考えられているが、 その考え方が否定される点に注意されたい。「庭石」を構成する「庭」と「石」 はあくまでも語構成要素(=語基)であって、語ではないのである。こう考え ると、語や文や文章のような基本的単位は階層性を有さず、語構成要素や文節 のような単位は階層性を有しうるということになろう。観点③は、上記 14 書 にも語と文とを繋ぐ単位(的存在)に対してそういった考え方が見られるかど うかを確認するために設けた。このことは、観点③に関し、各文法書が語と文 とを繋ぐまとまりの単位性について、観点①とは違った意味でどれくらい自覚 的であるかを示す指標の一つとして捉えることもできよう。  以上の三つの観点から見た上記 14 書に関する調査結果を以下(次頁)に表 1 として掲げる。 [表 1についての注]  (i) 観点②の c.f. は、観点①が×印であった場合に、その単位的存在を扱っ ている部門を示したものである。  (ii) 観点①・③に関しては、語と文とを繋ぐ単位(的存在)に関して、一つ だけ認めるのか複数個認めるのか、という点とも関わってくる。たとえ ば、 鶴田常吉の場合、いわゆる語(鶴田の「単語」)と文(鶴田の「単 位文」)との間に、「連語」「単位部」「単位句」といった複数の単位が設 定されているが、このうち語と文とを繋ぐ単位(的)まとまりとして何 を第一義的に取り上げるか(観点①)については議論の余地がある。た だ、本論では、下記 (iii) に記す立場から、「連語」を観点①の対象とし て選んだ。また、当該単位的存在に関して階層性を認めるかどうか(観 点③)については、設定される単位の数にも左右される点があるが(実 際、鶴田の場合、単位の種類が多いので、「連語」に関しては実質的に 階層性が問題となることはない)、本論では、そういった点について考 慮することはしていない。  (iii) 「当該の単位的存在の名称」欄における c.f. は、当該単位とは別系統の 単位系列を示すが、本論では、二系列の単位が見られる場合、「連語」

(9)

という名称を有する単位の系列を重視した。ただし、この扱いは本論の 方法論からくる便宜的なものであり、そのことの含む問題点については 別途改めて論じる必要があると思われるが本論では深入りしない。な お、同欄の「全体の系列中の囲み部分」というのは、あくまでも、「当 [表1]各文法論における「連語」的存在の取り扱い方一覧 称 名 の 在 存 的 位 単 の 該 当 等 点 観 観点① 観点② 観点③ 分 部 み 囲 の 中 列 系 の 体 全 ) 門 部 う 扱 ( 書 法 文 : 芳賀矢一( ) △ ○ △ 単語→連語→文  1904 : ( 品詞相互の関係「 」 活用連語の構成) 吉岡郷甫( ) △ × × 単語→連語→節→文  1912 語→文の成分→文 c.f. 小林好日( ) △ × × 単語→連語→句→文  1927 松下大三郎 ○ ○ ○ 単詞→連詞→断句  (1928) (詞論) 山田孝雄( ) × △ × 語→連語→句(文)  1936 (c.f. 語論) 松尾捨治郎 △ × × 単語→連語→句→文  (1936) 橋本進吉( ) △ ○ × 語→連語→文  1937 語→文の成分→文 (文の成分の論) c.f. 金田一京助 △ ○ ○ 単語→連語→文  (1940) 単語→語節[文の成 (連語篇) c.f. 分=文の最小分節]→分 節→文 木枝増一( ) ○ × × 単語→連語→文  1940 語→文節→文 c.f. 時枝誠記( ) × ○ ○ 語→句→文→文章  1940 (c.f. 文論:入子型構 ) 文論 橋本進吉( ) ○ ○ ○ 語→文節→連文節→文  1944 文構成法) ( 鶴田常吉( ) ○ ○ × 単語→連語→単位部→  1953 単位句→単位文→文章 (連語論[連語組成論 ・連語性能論 )] 鈴木重幸( ) ○ ○ △ 単語→連語→文  1972 (連語論) 文の部分→文 c.f. 本位田重美 △ ○ △ 語→陳述の内容→文  (1975) (連語論)

(10)

該単位的存在」の位置づけを示したものであって、それが当該文法書に おいて単位の一種とされていることを意味するわけではない。また、「系 列」には語以下の単位(的まとまり)は省略してある。  (iv)  同著者の他の文法書に異なった記述が見られる場合があるが、ここで は、あくまでも当該文法書の記述に従った。たとえば、本位田重美 『日本文法講話』(1984、和泉書院刊、本位田の没後出版されたもの) には、「陳述」「陳述の内容」とは別の次元のものとして「句」「(連) 文節」が設定されている。  (v)  「語」と「単語」も当該文法書の用語に従い、特に区別しているわけで はないが、 吉岡郷甫や  木枝増一は両者を明確に区別しているので 注意されたい。  表 1 中、 山田孝雄の[②△]、 時枝誠記の[①×]について、若干補足 説明を加えておく。山田孝雄(1936)においては、「連語」は「語論上の名目」 とされているが(898 頁)、実際には、語論において「連語」が取り上げられ ることはなく、「連語」が問題とされるのは、「多くの単語を集めて一に連続し たる語」(=「連語」897 頁)と「文」との違いを論ずる「句論の序説」の 部分である。ただ、そこにおいても「連語」の構造そのものが問題となるわけ ではない(45-46 頁において、「『梅の花』『川の水』の如き語の叢り」を「連 語」と呼び、上記の「連語」とは異なった扱いを示唆しているが、これらはあ くまでも「思想上には一のものをさせるもの」であり、「数多の語を列ねては あれど未だ一の思想をあらはせるものにあらず」[897-898 頁]と言われる上 記の一般的な連語とは異質であると考えるべきであろう )。そういう点で表 1 では△としているわけである。時枝誠記(1940)においては、「句」が単位の ように見える説明部分もあるが(実際、時枝文法の「句」を単位とする論者も いる。この辺のことについては、斎藤[2016:第 2 部第 3 章第 2 節]参照)、 時枝文法の単位は、「語・文・文章」の三つであると明言されており、「句」は 時枝文法の単位には含められないとするのが至当である。  なお、表 1 中、 鈴木重幸の観点③が△となっているが、下線が付されてい る意味については後述(5.3)する。取り敢えずは、その他の△と同じものと して論を進める。

(11)

5.タイプ分け 5.1. 第一段階の分類とタイプ分け  本節では、表 1 に基づいて、14 書の文法書を分類し、それに基づいて、14 書を幾つかのタイプ(類型)に分けることを試みる。まず、上記の観点①、 ②、③をその順序で適用し分類する。図 1 参照(配列は、それぞれの観点内で <×→△→○>の順)。  図 1は、観点をそのまま適用して 14 書を単純に分類しただけなので、今度 は、それに基づいて、もう少し大きく括り幾つかのタイプに分けることを試み る(次頁図 2 参照)。  図 2で最初に大きくタイプ化される Type Ⅰと Type Ⅱは、観点①について ×か否かという点で分けられたものであり、まず×であるものが Type Ⅰとし て括り出される。それには、 山田孝雄と  時枝誠記とが属する(両者は、 観点②③によって、さらに Type Ⅰ -1 と Type Ⅰ -2 とに下位区分される)。次 に Type Ⅱが、設定した単位(的存在)を特に取り上げその在り方等について [図1]14書の分類(基準①→基準②→基準③ :第一段階) [観点①] [観点②] [観点③] [①×]→[②× :なし] [②△ :] 山田孝雄(→[③× )] [②○ :] 時枝誠記(→[③○ )] [①△]→[②×]→→ [③× :] 吉岡郷甫・小林好日・松尾捨治郎 ( ③△ :なし)[ ] ( ③○ :なし)[ ] ( ②△ :なし)[ ] [②○]→→ [③× :] 橋本進吉 [③△ :] 芳賀矢一・本位田重美 [③○ :] 金田一京助・ [①○]→[②×]→→ [③× :] 木枝増一 ( ③△ :なし)[ ] ( ③○ :なし)[ ] ( ②△ :なし)[ ] [②○]→→[③× :] 鶴田常吉 [③△ :] 鈴木重幸 [③○ :] 松下大三郎・橋本進吉

(12)

論ずる分野を設定するか否かで二分される。設定しないものが Type Ⅱ -1 であ り、それ以外が Type Ⅱ -2 である。ここでは、前者を括り出し、 吉岡郷甫・ 小林好日・ 松尾捨治郎・ 木枝増一、を一括する。これらは、何れも観 点③については×である。最後に Type Ⅱ -2 が観点③によって三分化される。 Type Ⅱ -2-1(観点③×)の  橋本進吉・ 鶴田常吉、Type Ⅱ -2-2(観点③△) の  芳賀矢一・ 鈴木重幸・ 本位田重美、Type Ⅱ -2-3(観点③○)の  松下大三郎・ 金田一京助・ 橋本進吉、である。 5.2. 第二段階の分類(大分類)と程度性による更なるタイプ分け 上記図 2で示したタイプを、ここではさらに大きく 2 分類したいと思う。一 つは、語と文との間に<階層性のある(可能性の認められる)(観点③)>< 単位(である可能性の認められるまとまり)を設定し(観点①)><それ自体 の在り方を論ずる部門を設定している(可能性の認められる)(観点②)>グ ループで、図 2 のタイプでいうと、Type Ⅱ -2-2・Ⅱ -2-3 がこのグループに属 する。今これを「グループα」とする。もう一つは、上記の観点①・②・③の うちのどれか一つが×であるものであり、Type Ⅰ・Type Ⅱ -1・Ⅱ -2-1 である。 今、これを「グループβ」とする。この区分を大分類として改めて記せば次の ようになる(次頁図 3 参照)。 [図2]14書のタイプ分け Ⅰ: ①×] 語と文とを繋ぐまとまりは設定するが単位とは認めない。 Type [ › Ⅰ- : ②△] それを取り扱う部門を明確には設けない Type 1 [ › …山田孝雄( ③× )[ ] Ⅰ- : ②○] それを取り扱う部門を設ける Type 2 [ › …時枝誠記( ③○ )[ ] Ⅱ: ①△ ○] 語と文とを繋ぐまとまりを設定する(単位か否かは不問) Type [ or Ⅱ- : ②×] それを取り扱う部門を設けない( ③× ) Type 1[ [ ] …吉岡郷甫・小林好日・松尾捨治郎・木枝増一 Ⅱ- : ②△ ○] それを取り扱う部門を設定するか、その点について Type 2 [ or › は明示しない Ⅱ- - : ③×] 階層性を認めない… 橋本進吉・ 鶴田常吉 Type 2 1 [ ›   Ⅱ- - : ③△] 階層性については不明… 芳賀矢一・ 鈴木重幸・ Type 2 2 [ ›   本位田重美  Ⅱ- - : ③○] 階層性を認める… 松下大三郎・ 金田一京助・ Type 2 3 [ ›   橋本進吉・ 

(13)

 このように見ると、グループαは、語と文との間に明確に階層性のある単位 (的まとまり)を設定し、それ自体の在り方を論じる部門を設定している(可 能性の認められる)文法論であり、いわば「言語単位論的に透明な構成の文 法論」の体裁を備えていると見てよいものであると言えよう。それに対し、 グループβは、そのどれかの特徴に関し明確に否定する文法論であり、いわば 「言語単位論的に不透明な構成の文法論」であると位置付けてよいであろう。 もちろん、この場合の「透明・不透明」はあくまでも本論の観点、すなわち語 と文とを繋ぐ単位(的まとまり)から見ての話であり、全体的な(あるいは総 合的な)評価ではない。ただ、むしろここで問題にしたいのは、グループαの 中にも、更に「透明性」に程度差が見られるのではないかということである (グループβにも程度差が存するであろうが、今はそれは問わない)。  そこで、今、この点を考えるためにあらためて観点①・②・③の性格に立ち 戻って考えてみよう。そうすると、観点③は、既に述べたように筆者の単位 観に基づいた基準であり、それが○であるということは、語と文とを繋ぐ単位 を、語や文に比べて二次的な単位であり自らの内部に階層性を含みうる(つま りそれだけ「質的統一性」が弱い)ものであると見なすということを示すもの であった。その点では、本論の立場からすれば、観点③に関しては明確に○で ある方が(語や文の有する強固な「質的統一性」との違いを実際に意識してい るかどうかは別として)言語単位論的に「好ましい」文法論ということにな る。また、観点①と②、すなわち、語と文とを繋ぐまとまりを明確に単位と設 定するかどうか、設定する場合その在り方について論ずる部門を設定するかど うか、に関しては、両者の連動性、すなわち、ともに○であるということが言 語単位論的に一貫した構成を有する文法論であるためには必須の条件であると

(14)

さえ言える。そこで、そういった目でもう一度 14 書を見てみると以下の図 4 のようになる。

 今、これをグループαに関してのみ、先の図 1 の第一段階の分類に従って、 並び替えてみる。以下の図 5 がそれである。

(15)

のグループと、[①○ - ②○]である  と、[②○ - ③○]である  のグ ループ、の三グループが存在することがわかる。これと上に述べた観点①②③ の性格とを考え合わせれば、グループαの中で最も言語単位論的に透明な構成 を有すると言えるのが全て○である  のグループ(今これを「グループα A」とする)であり、次が観点①②が連動して○である  のグループ(今これ を「グループα B」とする)であり、最後が観点②③が○である  のグルー プ(今これを「グループα C」とする)であることになろう。ただ、この捉え 方だと、 が外れる。これは、同書が観点①・③において△であるからであ る。そういう意味では、 はグループαとグループβの境目に位置するもの であると言えようが、本論では、一応グループαの中で最も言語単位論的に構 成の透明性が低いものと捉え、グループα D とする。そうすると、図 5 で言え ば、全体がちょうど上から下に向かって、言語単位論的に構成の透明性が高ま るようにタイプ化されることが見て取れる。 5.3. 大分類の修正と異質な文法論  図 4を改めて見てみると、グループβにおいて、帰属に関して若干問題にな りそうな文法書が三つあることに気づく。一つは、 鶴田常吉である。同文 法書は、観点①・②がともに○であり連動性が認められるのにも拘わらず、観 点③が×であるためにグループβに入っているからである。しかし、先に述べ た観点③の性格、観点①・②の連動性の重要性を考えると(さらに、鶴田の場 合には、表 1 の注 (ii) で述べたような問題もある)、 鶴田常吉はむしろグルー プαに入れた方がより適当であるように思われる。そこで、 鶴田常吉をあ らためてグループαに入れ直し、位置づけとしては、グループα B(○ ○ -△)の一段階下とするのが妥当であると考えられるので、新たに「グループα B′」(すなわちα B とα C との間)を作成しそこに入れることにする(新たな 「グループαC」としないのは、グループα B の  の観点③が下線付きの△ だからであるが、この点については、以下の△の説明を参照)。二つ目は、 橋本進吉である。同書は、鶴田と同様、観点③が×であるが、観点①△、観点 ②○と、①②が不完全ながら連動しているため、グループαに組み込むことが 可能である。ただし、言語単位論的な透明性は鶴田よりもかなり落ち、先にグ ループαで最も透明性の低いグループとしたグループα D(△ - ○ - △)より も更に一段階下に位置付けられよう。よって、今、これを新たに「グループα

(16)

E」とする。  一方、これらとちょうど逆の立場にあるのが、三つ目に問題となる文法書 である  時枝誠記である。すなわち、同文法書は①が×で、②・③が○であ る。グループβで観点①・②・③のうち二つが○であるのは、上記の  鶴田 常吉とこの  時枝誠記だけである。しかし、前者は、グループαに移すこと が可能であるが、後者はそれが難しい。なぜなら、グループαの重要な要因で ある①と②の連動性が見られないからである。そして、このことは時枝文法の 異質性を示す。すなわち、語と文とを繋ぐまとまり(=「句」)を設定しその 在り方についても論ずるけれど(時枝文法の「文論」で論ぜられる「入子型構 文論」である)、あくまでもそれを単位とは認めないということである。この 点は、いわば時枝文法の「質的統一体」という独特の単位観が強く作用した結 果であると言えるが、本論の立場からは、その点から見てどうしてもグループ αに入れることはできない。  なお、図 4・5 では明確に表われてこないが、更に問題にしなければならな い文法書が存する。それは  鈴木重幸である。本論では、同書を教科研文法 を代表するものとして捉えているが、本論との関係で言えば、同書には二つの 点で特異性が見られる。一つは、観点②に関してであり、表 1 では○となって いるが、その内実(具体的には「連語論」の目的)は他の文法論に比べてかな り異質である。というのは、鈴木・鈴木(1983:8-11)によれば、教科研文法 の「連語論」の最終的な目的は、「連語論的なむすびつき」(「連語における単 語の結びつき方」)の「体系を明らかにすること」であり、他の文法論の「連 語論」があくまでも「連語」的な存在の syntagmatic な側面に重点を置いてい るのに対して、教科研文法ではむしろ「連語」の paradigmatic な側面により重 点を置いていると見なせるからである。  二つ目の特異性は、観点③に関してである。表 1 を見ると分かるように、 鈴木重幸はこの点に関し△となっている。この下線付きの三角印に関しては、 第 4 節の末尾で述べたように、今までは普通の△と同じものとして扱ってきた が、実は、同書は観点③に関して○と×の二通りの解釈の可能性があるのであ る。下線付きの三角印にしたのはそういう意味である。同書を○で扱うという のは、教科研文法の言う「連語」間に「ひろげる・ひろげられる」という関係 が認められる場合がある(たとえば、「帯を結ぶ」という「もようがえのむす びつき」を実現する「連語」から「リボンを髪に結ぶ」という「とりつけのむ

(17)

すびつき」を実現する「連語」に「ひろげられる」場合[奥田(1968-1972) =言語学研究会編(1983:29・34)])とされているからである。ただ、この 「ひろげる・ひろげられる」というのがいわゆる単位内部の階層性に相当する ものと見なしていいのかどうかははっきりしない。むしろ、この関係について は、「包み包まれる」という関係と見ることは難しく、階層性を表すと考えに くいという解釈も充分に可能である。そして、その場合には×になる。この問 題はなかなか一筋縄ではいかず、教科研文法の「連語論」の詳細な検討を通し てはじめて明らかになる問題であるので、ここでは二つの解釈の可能性を示す に留める。ただ、確認しておくべきことは、もし  鈴木重幸を観点③につい て○と解釈するならば、同書は①・②・③全て○となり、α A のグループにな るが、観点③について×と解釈するならば、同書は①○・②○・③×となり、 α B′のグループとなって、 鶴田常吉と同じグループとなるということであ る(その場合には、α B′が消え、単なるα B だけが残り、 鶴田常吉と  鈴木重幸が所属することになる)。  以上のように考えてくると、結局、グループαとグループβとの本質的な差 は、語と文とを繋ぐ単位を明確に設定し、それを論ずる部門を文法論の中に設 定するか否か、ということになる。本論の立場からすれば、それが言語単位論 的に透明な部門構成であるかどうかを見分ける一つの重要な指標なのである。 なお、このことは、本論で観点③を設定したことが無駄であったことを示すわ けではない。なぜなら、分類に当って観点③がうまく効力を発揮しないのは、 上記の三書、 橋本進吉、 時枝誠記、 鶴田常吉だけであるからである。  最後に、本節での修正を経た最終的なグループαとグループβの大分類、お よび前者の下位タイプを以下に図 6(次頁)として示す。 5.4. 松本(1970 = 2006)の記述に関して  松本(1970 = 2006)は、日本の明治以降の近代文法論を、教科研文法の 「連語」「連語論」の立場から眺めたもので、第 1 節に述べたような目的を持 つ本論にとっては、非常に示唆的な内容の論文である。しかし、両論の間に は、基本的な立場において大きな相違が存在する。それは、以下の 2 点に集約 される。  (12)  松本論文は、あくまでも教科研文法の立場から、他の文法論を眺めた ものであり、どこまでも教科研文法中心の考え方によって貫かれてい

(18)

る。それは、同論文の「筆者(引用者注:松本)は、奥田−鈴木(引 用者注:奥田靖雄と鈴木重幸)の線の連語観をものさしにしつつ、明 治以来の諸説を検討してみたい。」ということばによく表われている。 しかし、本論は、教科研文法の「連語」「連語論」に触発されながら も、あくまでも語と文とを繋ぐ単位(的存在)を中心に据え、教科研 文法をも含めた様々な文法論を単位論の観点から対照させようとする ものである。  (13)  松本論文では、特に、「連語」の基になる単語規定の問題、「連語」の 有する「名づけ的意味」性の問題、といった観点から「連語」(的存 在)を各文法論がどう捉えているか、といった論が中心であり、「連 語論」の位置づけの問題はその関わりで論じられているという感が強 い。それに対して、本論は、語と文とを繋ぐまとまりを単位として明 確に認定しているかどうか、そのこととその存在を論じる分野・部門 を文法論の中に明確に設定しているかどうか、という両者の対応の在 り方に重点を置いて文法論の構成を論じるのが目的である。  以上のような松本(1970 = 2006)の立場が、たとえば、山田孝雄の「連 語」に対し「陳述性をきりすてることによって文の中からとりだされる単位で ある」という点に基づいて比較的好意的に捉えていることや、橋本進吉の「連 語」に対して「橋本理論のワク内においても、連語概念と文節∼連文節概念と [図6]14書の大分類(最終案)とタイプ(は③△とする) グループα(観点①・②に×を含まない)➡言語単位論的に透明な構成の文法論 グループα (○・○・○)…A 松下大三郎・橋本進吉 グループα (○・○・△)…B 鈴木重幸 グループαB′(○・○・×)…鶴田常吉 グループα (△・○・○)…C 金田一京助 グループα (△・○・△)…D 芳賀矢一・本位田重美 グループα (△・○・×)…E 橋本進吉 グループβ(観点①・②に×を含む)言語単位論的に不透明な構成の文法論 …吉岡郷甫・小林好日・山田孝雄・松尾捨治郎・木枝増一 時枝誠記  ※グループα内の言語単位論的に見た構成の透明性:αA>αB>αB′>αC> D E α >α

(19)

が両立共存しえたとは思われないのである。」と厳しい評価を与えていること によく表われている。さらに、本位田重美に対して、「本位田氏がここで論じ ているのは、文における主体的なものと客体的なもの、陳述とことがらとの基 本的な相違」であると述べ、「単語のつながりすべてを連語、連詞ととらえる 金田一氏や松下の観点に比し、考察が深まっているものと考えられる。」と評 価した上で、「本位田氏の見解は、実質的には、奥田靖雄氏によって継承発展 させられているとみるのが正当だろう。」というような最大級の評価を与える ことに繋がっているのであると思われる。  しかし、本論の立場からは、第 5 節で見たように、山田孝雄の「連語」は単 位と認定されておらず、それについて論ずる部門も明確に設定されていないと いう点で、教科研文法を代表する鈴木重幸の文法論(グループα B)とは大き く異なったタイプ(グループβ)に分類される。次に、橋本進吉の文法論につ いては、既に述べたように、「連語」という用語を使用している橋本(1937) と「文節」「連文節」の連なりから文構造を捉える橋本(1944)とは区別する 必要がある(この点については、『日本語文法事典』「連語」の項目に「文節又 は連文節の考え方を取り入れてから以降、橋本文法においては『連語』という 用語は見られなくなった。」[丹保健一氏執筆]との指摘がある点に注目した い)。そして、それを踏まえて言うならば、橋本(1937)はグループα E、橋 本(1944)はグループα A であり、後者のいわゆる橋本文法に関しては、本 論の立場からはむしろ鈴木重幸と連続的なタイプに属していると見ることもで きる。さらに、5.3 で論じたように、鈴木重幸の観点③を○か×かに固定すれ ば、鈴木重幸の文法論はグループα A なり、グループα B(′)なりに属するこ とになるわけであり、前者ならば橋本(1944)、後者ならば鶴田(1953)と同 グループということにさえなるのである。教科研文法は、学校文法の単語規定 を厳しく批判する立場に立つ関係上橋本文法に対しても評価が厳しいが、言語 単位の認定の有無という点についての認識が弱く、その点から文法論の構成を 見るならば、むしろ両者は意外と近い関係にあると言えるのである。さらに本 位田重美に関しては、単位としての位置づけが曖昧であり、本論ではグループ α Dと位置付けられるので、松本論文の言に見られるほど、教科研文法との親 近性が強いとは思えない。むしろ、本論の立場からすれば、本位田重美は松本 が批判する金田一京助(グループα C)よりも透明性の低いグループ(グルー プα D)に属している点に留意すべきであろう。

(20)

 もちろん、本節の初めに述べたように松本論文と本論とは立論の観点が異な るので、各文法論の位置づけが違って当然なのであるが、重要なことは、「連 語」を第 2 節で述べたような教科研の言う性質を有する単位に限定せず、あく までも語と文とを繋ぐ単位(的な存在)と捉えるのであれば(この言い方自体 は松本論文の中にも「連語」を「単語と文とを結ぶ中間的単位」と捉えるとい う言い方で出てくる)、また違った見方もできるということである。なお、さ らに言うならば、5.3 で述べたように、そもそも教科研文法の「連語論」はそ の方法・目的からいってかなり独自の存在であり、どの文法論とも異質である ことも見逃すわけにはいかない。 6.おわりに  本論では、日本語文法において、独特の単位であるとみられる教科研文法の 「連語」とそれを扱う部門である「連語論」の設定を考察の出発点として、 (「連語」に相当する)「語と文とを繋ぐ単位」(あるいは、「単位的まとまり」) が何らかの形で認定されている幾つかの文法論を対象として取り上げ、それが どのように取り込まれているか(明確に単位として認定されているか否か)、 またそれを扱う文法論の部門が明確に設定されているか否か、という点から 14 書の文法書を対象として粗々見てきた。  このようなアプローチを取ることの背景には、こういった調査を行なうこと によって、語と文とを繋ぐ単位(的まとまり)に則った言語単位論的な日本語 文法論の位置づけや分類ができるとともに、それに基づいて、出発点となった 教科研文法の位置付けもより明確になるのではないか、という予想、あるいは 見込みが存在したからであるが、実際に調査、分析を行なってみた結果、以下 の諸点が明らかになったと言えよう。  (14)  日本語文法論が、基準①(語と文とを繋ぐ単位的存在を明確に単位と 認定しているか否か)・基準②(当該の単位的存在を扱う分野(部門) を明確に設定しているか否か)・基準③(当該の単位的存在に関し、単 位内部に階層性を明確に認めているか否か)の組み合わせパタンから 大きく「グループα」(=言語単位論的に透明な構成の文法論:基準① ②に×を含まない)と「グループβ」(=言語単位論的に不透明な構成 の文法論:規準①②に×を含む)とに分けられるということ。  (15)  両者の本質的な相違は、基準①・②に○(あるいは△)の連動性が見

(21)

られるかどうかであり、この点が、文法論が「言語単位論的に透明な 構成」を有するかどうかの分かれ目になるということ。  (16)  基準①・②の連動性の強さと規準③を考慮することによって、グルー プαが更にα A ∼α E に細分され、α A >α B >α B′>α C >α D >α Eの順に言語単位論的に見た構成の透明性が弱くなるというこ と。および、そのことによって当初グループβに属していた鶴田常吉 (1954)、橋本進吉(1937)の新たな位置付け(グループα B(′)、グ ループα E)が可能になるということ。  (17)  言語単位論から見た時枝文法と教科研文法の異質性が指摘できるとい うこと。  (18)  教科研文法の異質性(特に「連語論」のあり方の異質性)が「連語」 の単位としての異質性と密接な関連を有するということ。  (19)  以上の点から見た場合、松本(1970 = 2006)の指摘は必ずしも充分で ないということ。  本論は、あくまでも教科研文法の「連語」と「連語論」の設定を直接の契機 とし、それとの関連で設定された、語と文とを繋ぐ単位(的)まとまりの取 り扱い方如何という基準によって他の文法論を位置付け、分類しており、それ がどれくらい一般的な意味合い、効力を有するものとなっているのかについて は、今後更に検討を重ねる必要がある。また、当然のことながら、その過程に おいて、それぞれの文法論におけるより細かな言語単位の設定や文法論の部門 設定に関する分析が必要になってくるであろう。今回は、あくまでも概括的な 捉え方しかできなかった。特に、表 1 を作成する際に明らかになった日本語文 法における二系列の単位の存在については、これからより厳密に考察を深めて いくことが不可欠である。なお、教科研文法の「連語論」の在り方、目的の特 異性については、もう少し細かく検討する必要がある。これらの点について は、全て今後の課題とする。 参考文献( 本論で取り上げた 14 の文法書のうち、新たにテキストを参照した○K橋本進吉(1944)、 ○N本位田重美、の 2 書以外は特に「参考文献」としてここに掲げることはしない) 奥田靖雄(1968-1972)「を格の名詞と動詞とのくみあわせ」言語学研究会編(1983)所収 北原保雄編(1982)『日本語文法論術語索引』有精堂 言語学研究会編(1983)『日本語文法・連語論(資料編)』むぎ書房

(22)

斎藤倫明(2016)『語構成の文法的側面についての研究』ひつじ書房 斎藤倫明(2017)「『連語』の単位性について−『連語』概念に見られる問題点との関わ りで−」『文化』81-1/2 鈴木重幸(1972)『日本語文法・形態論』むぎ書房 鈴木康之(1983)「連語とはなにか」『教育国語』73 鈴木重幸・鈴木康之(1983)「編集にあたって」言語学研究会編(1983)所収 橋本進吉(1944)「文節による文の構造について」『国語学』13・14 松本泰丈(1970 = 2006)「『連語』概念の発達」『連語論と統語論』所収、至文堂 本位田重美(1975)『国語文法論への道』笠間書院 森岡健二(1969)「日本文法体系論 連載 (4)」『月刊 文法』1-4、明治書院 [補足] 本論文は、筆者が中国海洋大学「緑卡人材工程」の事業の一環として執筆したものである。

(23)

On the Composition of the Japanese Grammatical

Theory from the Viewpoint of the Linguistic

Units which Connect a Word and a Sentence

− Concerning “Word Combination” and “Word Combination Theory” −

Michiaki SAITO

In this paper, attempts are made to categorize previous Japanese grammars (14 books) into types by broadly investigating elements such as configuration of the linguistic unit equivalents like a “word combination” in the Grammar which connect a word and a sentence, as well as composition of the grammar.

As the result, this paper suggests the followings;

(1) The previous Japanese Grammars are divided into “Group α” (the transparent compositional grammar in respect of the linguistic unit theory) and “Group β” (the nontransparent compositional grammar in respect of the linguistic unit theory) according to 3 criteria (First, whether the unit equivalents which connect a word and a sentence are clearly regarded as the linguistic unit or not. Second, whether the field which deals with the concerned unit equivalents is clearly determined or not. And finally whether the unit equivalents concerned have a hierarchy or not).

(2) The strength in the linking between first and second criterion determines whether or not a grammar theory has the transparent composition in terms of the linguistic unit theory. Furthermore, by considering the third criterion, “Group α” is subdivided into “αA, αB, αC, αD, αE,” as in order of strongest to weakest.

(3) Uniqueness can be pointed out in grammar and grammar, from the viewpoint of the linguistic unit theory.

参照

関連したドキュメント

The linguistic forms of apology expressions were classified into 7 types, and irrespective of whether the seriousness was high or low, “moushiwakenai type”

(2005) The Penn Chinese Treebank: Phrase Structure Annotation of A Large Corpus. Paper presented at The 17th Annual Meeting of the Association

The Chinese Literature Association, Kyushu

Regarding the connection between self-portrait and naked woman, man and woman were drawn in one screen in the divided space, but since 1925, from the viewpoint of gender

In Proceedings of the 2018 Conference of the North American Chapter of the Association for Computational Linguistics: Human Language Technologies, (Volume 1: Long Papers), pp.

This study aims to clarify the relationship between the surreal settings such as a future-predicting computer or water-oxygenating humans in Inter Ice Age 4 and Abe’s

In the structure of complex sentences, the expressions of purpose will appear in the various levels of structure. Essentially there are three types of points of

Our joint research project at Center for Asian and Pacific Studies, Seikei University, titled “Invention of Identities and Development of Pluralism: From the Perspectives