日本の高等学校における熱中症対策:
アスレティックトレーナーによる介入事例
小出 敦也
1),細川 由梨
2) 本稿では日本の高等学校におけるアスレティックトレーナーの介入例として熱中症対策の実践報告をまと めた.実践された熱中症対策には(1)活動時間に関する取り組み,(2)環境温度に基づいた運動指針,(3) 水分補給に関する取り組み,(4)物品・環境の整備,(5)教育・啓蒙活動が確認され,様々な学校関係者の 参画によって実現された.今後は取り組みの効果を測定し,汎用性のある熱中症対策を提案する必要があ る. キーワード:スクールアスレティックトレーナー,スポーツセーフティ,労作性熱中症 (受付日:2020 年 2 月 7 日,受理日:2020 年 4 月 22 日)Ⅰ 緒言
熱中症はスポーツ活動中に好発する重傷傷害の一つに あげられ1),適切な応急手当てが行われなければ死に至 る場合もある病態である2).熱中症の予防対策は一般的 に(1)活動時間に関する取り組み,(2)環境温度に基 づいた運動指針,(3)水分補給に関する取り組み,(4) 物品・環境の整備,(5)教育・啓蒙活動に分類され,で きるだけ多くの熱中症リスク因子(e.g., 脱水, 体調不良, 不十分な暑熱馴化,高温・多湿環境,睡眠不足,不十分 な休憩時間)を取り除くことが推奨されている2).国内 外ではすでに暑熱環境下における活動指針2-4)や熱中症 予防に関する啓蒙資料5, 6)が公開されているものの,学 校スポーツ現場における熱中症予防対策の効果に関する 報告はまだ少ない7, 8).例えば,アメリカではアメリカ ンフットボールの夏季練習(プレシーズン)開始 14 日 間と湿球黒球温度が 28℃以上の条件に熱中症の発生が 集中していたことから9),プレシーズン期の運動時間と 運動強度の漸進的な増加を目的とした暑熱馴化期間の導 入が 2009 年から提唱されるようになった4, 8).この効果 を検証するために,Kerr ら7)は 2005 年度から 2016 年 度の間に暑熱馴化期間の義務化を導入した州としなかっ た州における熱中症の相対危険度を検証したところ,暑 熱馴化期間導入群において熱中症の罹患率比が 0.45 で あったことから,暑熱馴化期間の実施による熱中症予防 の効果が示された. アメリカにおけるこれら一連の取り組み2, 3, 7, 9)の背景 には,学校スポーツ現場で働くアスレティックトレー ナーによる熱中症データの収集と暑熱馴化期間の実践が あった.その一方で,国内においては高等学校のアスレ ティックトレーナーの普及は進んでいない10).2018 年 に国内のアスレティックトレーナーを対象に行われた調 査によると10),国内の有資格者の中でも高等学校の運動 部に携わっていると答えた者は日本スポーツ協会アスレ ティックトレーナー(JSPO-AT)を保有する者で 32.8% (226/689),アメリカの Board of Certification AthleticTrainer(BOC-AT)を保有する者で 13.5%(7/52)と 報告されている10).実際にアメリカのように有資格者が 高等学校の常勤教職員として採用され,職務の一つとし てアスレティックトレーナー活動を行なっている事例は 少なく(例:早稲田実業学校[東京],成立学園高校 [東京]),近年ではスポーツ科学・体育系の学位をもつ 養護教諭がスポーツセーフティを実践する事例(岩倉高 等学校[東京],世田谷区立上祖師谷中学校[東京]) や,大学職員の有資格者が附属校または近隣校に派遣さ れる日本独自のスクールアスレティックトレーナーのあ り方が散見されるようになった(常勤:大阪体育大学浪 商中学校・高等学校[大阪],明星学苑明星高等学校 [宮城];非常勤:立命館附属小学校・中学校・高等学校 [京都・滋賀・北海道],早稲田大学本庄高等学院[埼 玉]). 筆者(AK)が勤める早稲田実業学校では,2005 年か らアスレティックトレーナーの教員としての雇用形態が 実現され,国内ではまだ少ないアスレティックトレー ナーが常勤している高等学校(中・高)である.本報告 では,アスレティックトレーナーが常勤することによっ て可能となった,早稲田実業学校で実践されている熱中 症対策の事例を紹介し,(1)学校の運動部活動を想定し 1)早稲田実業学校(中・高等部),〒185-8505 東京都国分寺市本町 1-2-1 2)早稲田大学スポーツ科学学術院,〒359-1192 埼玉県所沢市三ケ島 2-579-15
実践報告
た熱中症対策の工夫と,(2)それを実践するために講じ たプロセスについて報告する.
Ⅱ 実践報告
早稲田実業学校で 2019 年度までに実践された熱中症 対策は表 1 の通りであった.熱中症対策は(1)活動時 間に関する取り組み,(2)環境温度に基づいた運動指 針,(3)水分補給に関する取り組み,(4)物品・環境の 整備,(5)教育・啓蒙活動に分類することができた(表 1). ・ 学校として熱中症予防対策を実践するための準備 2014 年から早稲田実業学校では,毎年 10 月に開催さ れる専任教員対象の教員会でその年の熱中症件数や熱中 症対策の報告をアスレティックトレーナーが行っている (表 2).教員会では保健室とトレーナー室で対応した熱 中症患者数をデータの集計結果や,グランドと体育館で 計測された気温と湿球黒球温度が報告され,熱中症発生 の時期と環境温度の関係を提示している.教員会では熱 中症予防の成果報告,重症事故が起きた場合の振り返 り,次年度に向けた取り組みを話し合う時間が設けら れ,熱中症予防に対する教員の理解と協力を得るために は大変重要な機会である.また,本校では翌年度の予算 申請が同時期(10 月)に行われるため,教員会での振 り返りを踏まえた上で来夏に向けた備品購入の準備も行 う. 現場の顧問やコーチから活動時間に関する取り組み, 環境温度に基づいた運動指針,熱中症に関する講習会に 関する理解を得るためには,教員会の時期まで待たず に,予防対策を実施している期間から頻繁にコミュニ ケーションをとることが重要である.顧問やコーチとの コミュニケーションの目的は,現場の声をできるだけ多 くすくい上げ,彼らのフィードバックを元により良い予 防対策の立案に繋げることである.例えば,現状把握の 手がかりとして,「トレーナーや養護教諭の目の届かな い場所で熱中症の重症事故が無かったか」,「熱中症発生 時の対応で困っていることはないか」,「熱中症対策のた めに設置して欲しい備品があるか」について尋ねたり, すでに実践している取り組みについて(例:「練習可能 時間の変更によって練習環境が良くなったか」)どのよ 表 1 アスレティックトレーナーによる熱中症対策の例うな効果を実感しているか尋ねたりすることで,現場に とって意味のある予防策を提案することが可能となる. また,予防策の提案においても,事前に顧問やコーチの フィードバックを積極的にもらうことで(例:「もし練 習時間を制限する事になったら練習にはどのような支障 がでるか」,「外部指導員が生徒を引率する場合に備え, 外部指導員にも講習会が必要と考えるか」),予防策実践 時のコンプライアンスは大きく変わると考える. 熱中症予防対策を学内の制度として導入するためには 教頭先生や生徒指導部主任などの学校管理職とも協議を 重ねる事も必要である.熱中症予防対策を学内の制度と して導入することは,責任の所在をはっきりさせること ができるだけでなく,ガイドラインそのものに強制力を 持たせる利点がある.全学的な予防対策を初年度から導 入することは学校関係者の理解を得ることが困難である が,本学では 2014 年に教員会での報告を開始してから 5 年目の 2019 年には高温時のガイドライン(表 3)を実 施することができた. ・ 顧問の教員やコーチにみられた行動・意識の変化 環境温度の測定は当初はアスレティックトレーナーが 一人で行なっていたが,アスレティックトレーナーが遠 征で不在の際に養護教諭に測定をお願いしたことをきっ かけに,日々の測定と測定値の掲示は養護教諭の役割と なった.数年前までは気温や湿球黒球温度を掲示するこ とで生徒や保護者の不安を煽る可能性があるため,顧問 の教員やコーチから掲示を控えてほしいという相談が あったが,現在では教員会での熱中症報告や熱中症に関 する講習会が定例化したことで,環境温度の測定と掲示 の必要性に対する理解が深まり,そのような要望はな い. 2019 年度からは講習会の対象者を広げ,外部指導者 にも講習会の参加を促した(表 1).講習内容は科学的 根拠に基づいた熱中症予防や応急処置方法(図 1・2) に加え,他校で報告された熱中症重症事故の事例を紹介 し,熱中症予防に関する共通認識を構築することを目的 とした. 全国で歴史的な酷暑を記録した 2018 年の夏において は,例年通り熱中症予防対策を行なっていたのにも関わ らず,7-8 月に 41 件の熱中症患者が確認された(図 3). 41 件中のうち 34 件は湿球黒球温度が計測されていた活 動場所で発生しており,そのうちの 31 件(91%)は湿 球黒球温度が 31℃以上または気温 35℃以上の日に発症 していたことがアスレティックトレーナーと養護教諭の 記録から明らかとなった.この結果は教員会でも共有さ れ,高温時の運動が危険である事が再認識された.2018 年の反省を踏まえ,翌年の 2019 年では,具体的なガイ ドライン(表 3)がアスレティックトレーナーより提案 されたが,提案に関する反対意見はなく,日直の教員が 中心となった環境温度の測定と環境温度に基づいた運動 内容の調整が実践された.このガイドラインが導入され たことで,今までグランドや校内を巡回する事のなかっ た教員も積極的に湿球黒球温度測定を行い,学生に注意 喚起をする姿がみられた.2019 年度は 7-8 月に 18 件の 表 2 熱中症対策準備の流れ(例) 表 3 早稲田実業学校における高温時(気温 35℃・暑さ指数 31℃以上)のガイドライン
熱中症患者が確認され(図 4),そのうち湿球黒球温度 が計測されていた活動場所で発生したのは 14 件であっ た.この 14 件のうち暑さ指数 31℃以上または気温 35℃ 以上の環境で熱中症を発生していたのは 6 件(43%)で あり,前年度よりも減少した. ・ クラブ毎の傾向と学生教育の工夫 クラブ毎に熱中症の発生件数を集計すると,熱中症報 告数の分布にはが多いクラブに偏りがある事が明らかと なった(図 4).例えば,(体育とその他を除いて)アメ リカンフットボール・バスケットボール・硬式テニスの 3 クラブは 2018 年度と 2019 年度の両方で一貫して熱中 症者数が他のクラブよりも多く報告された.一方で,酷 暑を記録した 2018 年度においては,バレーボール・チ アリーディング・軟式テニス・卓球において熱中症が多 数確認されたものの,2019 年度では熱中症者数が前年 度から 75%〜100%減少した.しかしながらラグビーや 野球においては 2019 年度のみ熱中症が報告されている ため,気象条件だけで熱中症の相対的なリスクを判断す ることは困難である.このようにクラブ毎に熱中症者の リスクが異なることから,顧問と連携して熱中症者数が 比較的多いクラブから優先的に生徒向けの講習会を開催 しており,アスレティックトレーナーから生徒へ直接教 育する機会を設けている(図 5).
Ⅲ 考察
今回の実践報告で明らかとなった熱中症対策の取り組 み(活動時間に関する取り組み,環境温度に基づいた運 動指針,水分補給に関する取り組み,物品・環境の整 備,教育・啓蒙活動)は,学校からの理解と協力が必要 不可欠であり,毎年少しずつ取り組み内容が更新されて いたのが特徴的であった.また,高校スポーツにおける 熱中症予防の先行研究1-3)や事例7-9)がアメリカに集中す る一方で,本報告は日本の高等学校で働くアスレティッ クトレーナーの事例という点で,国内におけるアスレ ティックトレーナーの職域を学校スポーツに広げる利点 を示唆する内容となった. 日本におけるアスレティックトレーナー資格団体の一 つである日本スポーツ協会によると,アスレティックト レーナーとはスポーツドクターやコーチらと緊密な協力 のもとに,スポーツ選手の健康管理,傷害予防,スポー ツ外傷・障害の応急処置,リハビリテーションおよび体 力トレーニング,コンディショニングなどを担当する者 としている11).特に傷害予防の実践は,スポーツ傷害に 関する知識を有するだけでなく,アスリートと共にス ポーツ現場にいる時間の長いアスレティックトレーナー だからこそ担うことのできる役割の一つであり,本稿で 紹介した熱中症対策の事例もアスレティックトレーナー の主体的な働きがけによって実現したものであるといえ る.また,このような取り組みを成功させるためにはア スレティックトレーナーだけではなく,運動部活動に関 わる様々な人々(ステークホルダー)によって問題が認 識され,目指すべく理想像が共有されなくてはならな い.問題の根本的な解決には,ある個人(i.e., アスレ ティックトレーナー)の働きがけだけではなく,指導 者・保護者・学校・スポーツ協会などに代表されるよう な,異なる立場において問題が認識され,それぞれの立 場 で 環 境 や 行 動 の 変 化 が 伴 わ な け れ ば な ら な い. Scarneo ら12)は学校スポーツにおける死亡事故の予防を 啓蒙するためのフレームワークとして, ヘルスプロモー ション分野で用いられることの多い社会生態学モデル (social ecological model; SEM)を応用している.この SEM ではアスリート(個人)を中心に,アスリートに 影響を与えうる社会的階層として,アスレティックト図 1 労作性熱射病対応の練習風景(1)
レーナーや指導者(個人間),所属チームや学校(組織), 運動部活動の文化や競技に特化した文化(社会的背景), 協会や国によって定められたルール(政策)の 5 階層が 存在するとしており,これら全ての階層において死亡事 故を予防するために必要な知識や行動が認められるまで は,啓蒙活動は完了しないとしている.本稿で挙げた例 においては,アスレティックトレーナーは学生を熱中症 から守るために,学生に直接働きがけるだけでなく(図 5),保健室(養護教諭)との連携やクラブ(顧問)との 連携を深めることで個人間や組織における行動変容を促 すことに成功した(表 1・2).5 年間にわたる教員会で の熱中症報告,養護教諭による熱中症集計や環境温度測 定の協力,日直の教員が中心となった環境温度の測定, 対象者別(教職員,外部指導員,学生)講習会の実施 は,熱中症予防に関する共通の「理想像」をステークホ ルダーらに構築したといえる.また,本事例では学内の 慣習や制度を見直すために,教頭先生や生徒指導部主任 などの学校管理職と連携を図り,熱中症対策の一つとし て全学的な取り組みとして「気温 35℃・暑さ指数 31℃ 以上の高温時のガイドライン」(表 3)を実践した.こ のように熱中症対策がアスレティックトレーナー個人の 取り組みではなく,学生の安全に関わる多くの人々がそ れぞれの立場から熱中症対策に参画できた点において, 早稲田実業学校では SEM に基づいた包括的なアプロー 図 3 2014 年度から 2019 年度の月別熱中症者数 図 4 2018 年度と 2019 年度のクラブ別熱中症者数とその変化 図 5 学生向けの講習会風景
チが実現できたと考える. アメリカでは専門家によって作成されたガイドライ ン3, 8, 13, 14)への準拠をアスレティックトレーナーに推奨ま たは義務化することで,安全基準の一元化と子ども達が 安全にスポーツできる環境を担保している.ガイドライ ンの中には実際に高校部活動生を対象とした研究データ に基づいて作成されたものもあり8),エビデンスに基づ いた安全改革が積極的に進んでいる.一方で,アメリカ の高校で働くアスレティックトレーナーを対象に行った 緊急時対応プランの実践調査15)によると,約 9 割の回 答者が(1014/1138 名)スポーツ活動用の緊急時対応プ ランを作成していると回答したものの,緊急時対応プラ ンの実践の程度を図る全 12 項目において,全てを満た していた回答者は全体の約 1 割であった.すなわち,ア スレティックトレーナーの普及が進んでいるアメリカに おいても,アスレティックトレーナーによる安全の取り 組みの「実践」は課題であり,SEM で提唱されるよう な理想的な相互関係を築くことに苦労している現場も少 なくない. 今回紹介した早稲田実業学校での取り組みはあくまで 一例であり,他校への汎用性を担保するエビデンスはま だ存在しない.特に表 1 に挙げた具体的な対策や表 3 に まとめたガイドラインは,現時点において全て事例証拠 であり,今後これらの取り組みに効果(=熱中症者数の 減少)があったのか,定量化していく必要がある.その ためには今後さらにスポーツ現場のアスレティックト レーナーと研究現場のアスレティックトレーナーがエビ デンスを構築する過程で協働していく必要がある.
Ⅳ 結論
本稿では国内でもまだ珍しい,高等学校(中・高)の 教員として常勤しているアスレティックトレーナーの実 践報告を行った.対象となった高等学校では熱中症予防 対策として(1)活動時間に関する取り組み,(2)環境 温度に基づいた運動指針,(3)水分補給に関する取り組 み,(4)物品・環境の整備,(5)教育・啓蒙活動が実践 されていた.これらの取り組みはアスレティックトレー ナーによる介入をきっかけに,学生の安全に関わる様々 な人(養護教諭,顧問,学校管理職)がそれぞれの立場 から熱中症対策に参画することで実現された.今後はそ れらの取り組みの効果を定量化することで,他の学校に も汎用性のある,エビデンスに基づいた熱中症対策を提 案する必要がある.文 献
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Exertional Heat Illness Prevention lead by Athletic Trainer
in Japanese High School: A Case Study
Atsuya KOIDE1), Yuri HOSOKAWA2)
1)Waseda Jitsugyo Junior & Senior High School, 1-2-1 Honcho, Kokubunji, Tokyo 185-8505 2)Faculty of Sport Sciences, Waseda University, 2-579-15 Mikajima, Tokorozawa, Saitama, 359-1192
Abstract We aimed to report a case study of exertional heat stroke prevention strategies imple-mented by full-time athletic trainer in a Japanese high school. Exertional heat stroke prevention strate-gies included: (1) modifications in practice time, (2) activity modification guidelines based on environmen-tal condition, (3) proper hydration, (4) optimizing available equipment and practice environment, and (5) education. These prevention strategies involved various stakeholders of school (e.g., administrator, school nurse, faculty, coach) for implementation. Future effort to quantify effects from these strategies are war-ranted to establish exertional heat stroke prevention program that can be applied in other schools. Key words : school athletic trainer, sports safety, exertional heat illness