幕末明治維新期の船事情
―我が国近代造船のはじめ-
正 会 員 平 山 次 清*
Ship-introducing-situation in the era of the end of Tokugawa-Shogunate and Meiji Restoration -On the beginning of modern shipbuilding technology of Japan-
by TsugukiyoHirayama Member
Key Words: history, ship technology, era of Meiji
1. はじめに 日本の「ふね遺産」を調査・発掘し、評価・認定する 動きが始まっている。世界遺産としては既に「明治日本 の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が認定さ れ、「ふね」関係ではドックなども含まれている。 「ふね」そのものについては国内建造船の実物は殆ど 残っていないことから認定は無いが、当時作成の模型や 資料など貴重な物で残っているものはある。また昭和期 であれば帆船(日本丸など)・観測船(宗谷など)・連 絡船(八甲田丸など)や弁財船(復元船の浪華丸など) の実物も残されている。 ここでは、実物だけでなく、資料や模型も含めた「貴 重な「ふね」遺産」の観点から、幕末明治維新期の洋式 船の導入・建造状況を時系列的に纏めた結果、および我 が国近代造船技術(設計・建造など)の濫觴についても 言及する。ただし、使用した一次資料は少なく、今まで に出版されている文献等を当ることによった。 2. 和船と洋船 我が国には「和船」と総称される独自の構造様式の船 があり、江戸時代後半から明治にかけて通称「千石船」 と呼ばれる大型の弁財船も建造された(明治期には和洋 折衷船も)。それ以外の様式で我が国でも建造された比 較的大型の航洋船としては、遣唐使船と呼ばれるものの ほか、江戸初期には洋式帆船が英国人指導により建造さ れ、スペイン人指導により仙台藩建造のサンファンバウ ティスタ号は太平洋を横断した記録がある。 なお、こういった洋式帆船も、もとは北方型と南方型 があり、それらが合体したものという歴史がある。 しかしながらそれら和船以外の造船技術は鎖国や我が 国特有の港湾事情にもより、それ以後は継承されず、幕 末になって改めて木造の洋式帆船や機船(蒸気船)の建 造が試みられた。更に鉄船・鋼船建造のために製鉄所・ 造船所も建設され艦船・商船が建造され現在に至ってい る。 「船」は機関システム・運航システム・生活システム を含む総合システムであり、周囲を海に囲まれた我が国 の発展の要であった為、明治政府としても育成に力を注 ぎ、裾野になる工業の発展をも促した例えば、1,2)。 総合システムである船を成立させる技術は、計画設 計・加工建造・艤装・運航といった広い要素技術に分け ることができるから、我が国の近代造船技術のはじめを 探る場合も、内容が多肢にわたる。ここでは、主として 設計・建造の面から、概略の濫觴を見る。これにより「ふ ね遺産」の評価作業に資することにもなると思われる。 3. 幕末・明治維新期の船事情 江戸末期、ペリーが来航し、大船建造禁止が解かれる と、洋式船建造も検討されたがすぐには実現できないと なるや、多くの藩が洋式帆船購入に走った3)。勝海舟の 「弁財船は外航に適しない」という評価も影響したよう である。ただし、日本の港湾事情や台風を含む荒天海象 海域という条件で比較した場合は必ずしも弁財船が劣っ ているわけではないという論考もある。 しかしながら米国の南北戦争後の古船を売りつけられ た例や、操帆・操船技術が未収得であったため、また時 代は蒸気船に移行する時期であったため、持て余して放 棄・幕府に献上された船も多かったようである。その中 で、薩摩藩や佐賀藩 は自前で洋式帆船や蒸気船を建造 した4)。長崎の出島に近くオランダ経由で洋式船の情 報が入ってきていた事のほかに、藩主の開明性によると ころも大きかったようである。 特に佐賀藩は反射炉も先駆けて建設したほか、明治維 新後、不平等条約改正も視野に、アメリカ・ヨーロッパ を回った「岩倉使節団」に随行を要請された佐賀藩の久 米邦武による「米欧回覧実記(1878 印刷、1977 復刻版)」 5)は、その後の日本の科学技術工業に大きな影響を与え たと言われている。 ペリーが来航する事は、オランダ経由で幕府には知ら れていたし、それ以前からアヘン戦争(1840~1842)の 状況や列強が東アジアに進出している状況は我が国にも 伝えられていたから、幕府や諸藩も国防上の観点から航 洋船の操船訓練や洋式帆走軍艦の建造を意図し、長崎製 鉄所(1861 年完成)はオランダの協力で、横須賀製鉄所 (後に横須賀造船所)も幕府崩壊前にはフランスの協力 で着手(1865 年)していた6)。 幕府を倒したグループは幕府の抱いていた危機感と同 じ向きのベクトルで動いていたから、前述の施設は破壊 されることなく比較的スムースに維新政府に引き継がれ、 船舶の建造・工業の近代化も加速されたと言える。 もっとも、横須賀製鉄所(造船所)といえども、当初 * 横浜国立大学(名誉教授) 原稿受付 平成28 年 3 月 25 日 春季講演会において講演 平成28 年 5 月 26, 27 日
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日本船舶海洋工学会日本船舶海洋工学会講演会論文集 第 22 号
論文番号 2016S-OS2-5
から鉄船を建造できたわけではなく、1866 年建造の横須 賀丸から殆どが木造であり、1884 年の武蔵(3等海防艦) に到って鉄製木皮、1886 年(明治 19 年)の小鷹(水雷艇) で初めて鋼製となっている。日本での鋼板製造まで、横 須賀製鉄所(当初は反射炉による練鉄)で 20 年かかって いることになる。また当初は外輪船であったが、1875 年 (明治 8 年)の天城(2 等砲艦)以降は全てスクリュー船 となっている(ただし 1902 年の第3横須賀丸(曳船)は 外輪である)7)。 4. 近代造船のはじめ 以上の動きを年別に、かつ場所別(藩名や幕府直轄地 名にて)に一覧にしたものが表1(主要な事項のみ)で ある。これを見て「我が国の洋式船の濫觴はどれか?」 という問いに対して答えを一つに絞るのは難しい。 何故なら、建造されたが、性能が悪かった場合もある し、建造は日本の舟大工だったが、設計は日本ではない 場合もある。また建造開始は早かったが、種々の理由で 竣工が遅れ、後発の船が先に竣工した場合もある。 従って、どれが濫觴かについては、(1)設計も建造 も日本(2)設計は日本ではないが建造は日本、また(1) か(2)であるが、(A)着工時期が早かった、(B)竣 工時期が早かった、といった区分けが必要と考えられる。 同様に建造技術の濫觴は何でどこか?という点につい てもなかなか難しい。船殻材料が木か鉄か鋼か、工作機 械は国産か輸入か、機関・艤装品は国産か輸入か、とい った違いも考慮する必要があるからである。 建造場所にしても、ドックの有無、クレーンの有無、 大型機械の有無といったこともある。また建造開始時期 が後発の場合でも、日本の産業・経済・社会・文化に与 えた影響はもっと大きかったといった評価もあるであろ う。 従って「ふね遺産」としての認定としては「どれが最 初か」の論議に時間を費やすのではなく、その「価値」 をしっかり評価し、十分な価値があれば認定することが 重要だと思われる。 伊豆の戸田にて建造された戸田号(君沢型)8、10)は、 「ロシア人の設計・建造指導によるは国産洋式帆船」の 濫觴、浦賀で建造された鳳凰丸9)は「純国産の洋式帆船 軍艦の濫觴」、といった評価になると思われる。 また舶用蒸気機関技術のルーツとしては、オランダか ら入手した蒸気機関のテキストが国産化の元であるが、 その大元はやはりイギリスであると言えるよう。 更に大型船建造にはドックが必要であるが、明治期の ドライドック建設については土木分野などでも研究がな されている11)。 5. おわりに 「ふね遺産制定」の動きを機に、我が国の幕末明治維 新期の船事情(購入・建造など)を概観し、洋式船導入 の濫觴を判断しやすいよう一覧表を作成しした。 ふね遺産の認定では、ただいたずらに濫觴はどれかを 議論する必要はなく、十分な価値(技術・社会・文化面 で)があるかどうかを認定の基準とすべきということも 提案した。 今回直接引用しなかったが、幕末・明治維新期の船関 係の研究・資料は多くある。例えば12~22)。その中で定説 と呼ばれるものも多くあるが、一次資料に当たらずに孫 引きでそういった説を引用しているものも多く、通説が 覆される例も出てきている。 また今回の筆者の論考も、孫引き的部分も多々あるの で、幕末明治維新期の船事情についても更に広く文献・ 資料に当たる必要があると思われる。 参 考 文 献 1)中岡哲郎:日本近代技術の形成―伝統と近代のダ イナミズム、朝日選書 809、朝日新聞社、2006 (注)幕末から 1920 年ころまでの造船・海運を含む産 業技術史であり、日本の技術の近代化の本質について、 政治動向や経済も含めたパースペク ティブを与える。 2)沢井実:機械工業、産業経営史シリーズ、日本経 営史研究所、2015 (注)第一章では明治から現代までの造船業の歴史が 技術面だけでなく経済政策・研究組織の観点から要領よ く纏められている 3)勝海舟:海軍歴史、(注)勝の叙述と構成による 海軍歴史。原文では巻の1から25まであるが、勝海舟 全集(講談社刊)では全集8から 10 までを使って海軍歴 史 I,II,III、として収録・解説・加注している(1973 年~ 1974 年)。 4)平山次清:「佐賀蕃海軍史」に見る幕末・明治維 新期の我が国「ふね」事情、海事技術史研究会誌第 16 号、 PP23~38、2015 5)久米邦武編、田中彰校注:米欧回覧実記、岩波文 庫、1977 6)平山次清:オランダ・フランス流「船技術」の伝 習と終焉―幕末から明治維新期―、海事技術史研究会誌 第 14 号、PP50~61、2013 7)横須賀海軍工廠会:横須賀海軍 工廠外史、1990 8)戸田村文化財専門委員会:ヘダ号の建造、戸田村 教育委員会、1979 年、戸田村教育委員会: 9)安達裕之:国産洋式船の魁―鳳凰丸・昇平丸・旭 日丸、横浜 Vol.17(伝統のまち-横浜金沢)神奈川新聞 社、2007 10)寶田直之助:幕末の洋式帆船第1船鳳凰丸の評 価について、海事技術史研究会誌、第 16 号、2015 11)西澤泰彦:明治時代に建造された日本のドライ ドックの研究、土木史研究、第 19 号、1999 12)土屋重朗:近代日本造船事始―肥田浜五郎の生 涯―、新人物往来社、1975 13)横須賀鎮守府:横須賀造船史(第一卷)、泰雲 堂書店、明治 26 年(1976 年復刻) 14)寺谷武明:近代日本の造船と海軍―横浜・横須 賀の海軍史―、成山堂、1996 15)富田仁、西堀昭:横須賀製鉄所の人びと-花ひ らくフランス文化―、有隣堂、有隣堂、1983 16)元綱数道:幕末の蒸気船物語、成山堂書店、2004 17)小野雄司:辰巳一 造船大監、研成社、2009 18)篠原宏:明治海軍お雇い外人、中央公論社、1988 19)秀島成忠編:佐賀蕃海軍史、大正 6 年(1917)、 知新会刊、昭和 47(1972 年)年復刻版発行、原書房 20)高田誠二:維新の科学精神―「米欧回覧実記」 の見た産業技術―、朝日選書 527、朝日新聞社、1995 21)江差町教育委員会:よみがえる幕末軍艦―開洋 丸―海底に探る日本史、1971 22)財団法人鍋島報效会:長崎警備のはじまり、2012
Tabl e1 St at e of th e n at ion al iz at ion of w es ter n-st yl e sh ip in Jap an ar ou nd th e y ear o f 1860 (L ar ge Jap an es e-st yl e s hi ps a re a ls o in cl ud ed for r ef er en ce) 注)原資料は旧暦記載が多いため旧暦をメインとし新暦は( )にて記す。 In et はインタネットよりの引用を示す 年 月 日 (新 暦) 長崎 薩摩 佐賀藩 神戸 戸田・伊 東 浦賀 横須賀 江戸(幕 府) その他地 域 遣唐使船 ( 舒明天 皇2年 ( 630 ) から寛平 6年 ( 89 4) の間に、 日 本から唐 に派遣 された 公式の 使節 である遣 唐使は、 およそ 20回 任 命された が、 その うち、 実際 に渡 唐 したのは 16回 だった 。( In et ))。「長 門ノ津 」は古 くから 拓け た瀬戸内 有数の 津で、 遣唐使 船の 新造や修 理もこ こで行 われた とい う (I ne t ) 安宅船 (中近 世の日本 の軍船 のう ち大型の ものを 指した )( Ine t) 弁才船 (べざ いせん) は中世 末期 (安土桃 山時代 )から 江戸時 代、 明治にか けて日 本での 国内海 運に 広く使わ れた大 型木造 帆船で ある ( In et ) 慶長9 ( 16 04 ) (伊東に て)ヤ ンヨー ステン が日 本で初め ての 造船ドック を設け て 8 0t の帆船 完成。 慶長 12 ( 16 07 ) ヤンヨー ステン が 120 t の帆船完 成(後の サン・ ブエナ ・ベン トゥ ーラ号) 慶長 14 9 ( 16 09 ) 西国大名向け大船建造禁止令(朱 印船は除外) 1 63 5 年以降何回か改 正( 5 00 石以上の軍船建造禁止) 慶長 18 ( 16 13 ) ( 仙台藩)国産(設計はスペイン 人)西洋型帆走軍船「サンファン バウティスタ号」 Loa = 55m 。 嘉永2 ( 18 49 ) 製鉄所完成 嘉永4 (18 51 ) 1 50 0 石積 菱垣廻 船 「 寶玉 丸 」 建 造(大阪 ) (模型あ り) 嘉永6 6 3 (1 853 /7 / 8) ペリー浦賀に来航 ( 4 隻の 内 2 隻 が外輪機 帆船) 桜 島に造船 所建 設 幕 府、 浦賀 に造 船 所を 設け 鳳凰 丸起 工( 185 3/ 1 0/2 2) 大 船建造 禁止令 を解除 石 川島造 船所設 立(水戸藩) 嘉永7 1 1 6( 185 4/ 2 /13 ) ペリー浦 賀に再 来航、 3 月 3 日 ( 3 月 31 日)日 米和親 条約締 結 ( 18 54/ 6/ 6) 国産 (設 計も )大 型洋 式帆走軍艦 「 鳳凰丸 」 竣工 / L oa =36 . 4m/ 機 関 なし② 閏 7 6( 185 4) ス ンビン 号( オ ラ ンダ建 造 外輪 機帆船) 来航① 閏 7 9( 185 4) 蒸 気船建 造協 議 ① 安政元 9 ( 18 54/ 11 ) 蒸 気船の 国産を 目 指す 方針 を決 定②③ 1 2 7( 1 855 /1 / 12 ) 国 産、戸田 号建 造 着手(設 計は ロシア) 安政 2 3 1 0( 185 5) 戸田号( 君沢形 ) 進 水・ 5 月 2 日初 航海 /木製2檣 ス クー ナー /L oa= 2 4. 6 m、補助推 進 6 丁艪
8 ( 185 5) 舶 用蒸気機 関 7 月 3 日完 成し、 越 通 船“おつ とせ ん ”に装着 し 8 月 23 日に試運 転 成 功)これ が 国 産 初蒸気船 「雲 行丸」 小 型で船体 も和 洋 折衷の実 験的 な船で、 ボイラ ー の 蒸気漏れ がひ ど く機関の 完成 度 も低かっ た② ③ 「先登丸」 と いう 蒸 気船を 建造 し ているも のの、 詳 細が不明。 ど の程 度 の実用 性が あ っ たのか もわ か っていな い。② 1 2 1( 185 5) 長 崎にて 海軍伝 習 開始 (明治 海 軍の礎) 安政3 ( 18 5 6) 蒸 気船建 造用 の 機 械類を オラ ン ダ に発注 ⇒後 に 幕府に献 上 安政 4 ( 18 57 ) 長 崎飽の 浦製 鉄 所着 工( 日本初 の 艦船修 理工 場、 188 7 年に三 菱に払い 下げ) 観 光丸を 長崎 か ら築地に 回航。 築 地 に軍艦 教授 所 ( 後の軍 艦操 練 所開設 安政 5 ( 18 58 ) 佐 賀藩士 長崎 海 軍 伝習所で カ ッ タ ー型帆 船「晨 風丸」竣工 1 0 9( 1 858 ) オ ランダ に発 注 した蒸気 軍艦 「長 崎 (後の 電流丸) 」 が到 着 ( スク リ ュー船) 万延元 ( 18 60 ) 咸臨丸 ( 185 7 年にオランダ で完成 、スクリ ュー機 帆船) 、ポー ハタ ン号と共 に品川 出港、 アメリ カへ 文久元 ( 18 61 ) 長 崎飽の 浦製 鉄 所完成 電 流丸の 修理 の た めボイ ラー 製 造着手 文久 2 5 7( 186 2) 蒸 気軍艦 「千代 田形」起工 文久 3 3 ( 18 63/ 4) 凌風丸起 工 7 2 千代田形 /進水
元治元 5 ( 186 4) 神戸海軍 操練所設 置 慶応元 ( 18 65 ) 凌風丸 竣工 ( 1 8. 2 m /10 馬 力 /木造・ /外輪) 国 産初の 実用蒸 気船 ②③ 9 2 7( 1 865 /1 1 /15 ) 横須賀製鉄所 建設鍬入れ 慶応 2 3 2 6( 186 6/ 5 /10 ) 幕府はヴェル ニー提出の横 須賀製鉄所建 築申請許 可 5 ( 18 6 6) 千代田形竣工 / 幕 府軍艦 として は 初の国 産蒸気 砲 艦(ボ イラー は 佐 賀 藩 製) / Lp p = 29 . 7m ・ 60 馬 力 /翼車 / 188 8 年 除籍② 慶応 3 ( 18 67 / 4) 横須賀製鉄所 一号ドック建 設開始 オ ランダ 建造 の 開陽 丸横 浜へ ( 3/ 25 ) 明治元 ( 18 68/ 11 / 15 ) 開 陽丸沈 没( 江 差にて) 明治2 1 0 1 1( 186 9) 横濱丸進 水 ( 40 馬力)④ 明治 3 5 ( 18 70/ 6) 凌風丸 ・ 有明 海の 竹 崎鼻付 近で 座 礁 して廃 船と な り、 外国人に 売却 された② ③ 明治 4 ( 18 71 ) 4 月「 7 日 名称 を横須賀造船 所に改め (18 71/ 5/ 2 5) 9 月 咸 臨丸 沈没 ( 北海道 サラ キ 岬にて) 明治 7 ( 187 4/ 4) 長崎造船 所 1 号 ドック建 設開始 ① 公益財団法人鍋島報效会:蒸気軍艦を入手せよ―江戸後期の長崎警備―、三重津海軍所跡世界文化遺産登録記念、 20 15 ② W i ki pe dia の凌風丸関係は③を参照している。 ③秀島成忠(編) 『佐賀藩海軍史』復刻版 原書房、 1 972 年 ③ 横須賀造船史 第 1 巻 横須賀鎮守府 明治 26 年発行 復刻版 19 76 年