『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 七一 【キーワード】万葉集 副助詞 サヘ 周縁波及性 群数性 程度量性 【 論 文 概 要 】 万 葉 集 か ら 副 助 詞 サ ヘ の 用 例 を 取 り 上 げ て、 こ の 語 の 基 本 的 意 義 を〈 周 縁 波 及 性 〉 に 求 め る と い う 観 点 か ら、 そ の ふ る ま い 方 を 記 述 す る。 そ の 際、 用 例 を 主 格 成 分 と そ れ 以 外 の 成 分 と に 大 き く 二 分 し、 ま た 主 格 成 分 に つ い て は、 人 間 と 外 界 の 事 物 と の 関 係 の あ り よ う か ら 四 つ の 小 類 に 分 か っ た 上 で 観 察 を 進 め る。 そ れ に よ っ て、 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義 が 総 て の 用 例 に お い て 認 め ら れ る こ と が 明 ら か に さ れ る。 併 せ て、 群 数 性と程度量性との二つの契機を併せ持つという意味での副助詞性が、万葉での用例に即して確認される。 はじめに 本 稿 は、 『 万 葉 集 』 か ら 副 助 詞 サ ヘ の 用 例 を 取 り 上 げ て、 こ の 語 の 基 本 的 意 義 を〈 周 縁 波 及 性 〉 に 求 め る と い う 観 点 か ら、 そ の ふ る ま い 方 の 記述を試みるものである。 ダ ニ・ ス ラ・ サ ヘ の 三 語 は、 夙 く『 あ ゆ ひ 抄 』( 文 献 ㉓ 、 二 四 六 頁 ) で「 だ に 家 」 の 呼 び 名 の も と に 括 ら れ、 そ の 後 も ひ と ま と ま り の グ ル ー プ と し て 扱 わ れ る こ と が 多 い。 こ の う ち、 ダ ニ と ス ラ と に つ い て は、 そ の 違 い 何 如 と い っ た 問 題 関 心 か ら 取 り 上 げ ら れ る こ と が 多 い が、 サ ヘ の ほ う は、 そ う し た 問 題 を 孕 ま な い こ と も あ っ て 単 独 で 論 ぜ ら れ る こ と が 少 な く、 通 観 的 な 論 考 に お い て 言 及 を 見 る に 留 ま る 場 合 が 多 い か に 見 受 け ら れ る( 文 献 ⑥ ⑮ ⑦ )。 し か し な が ら、 サ ヘ が ど の よ う な 意 義 的 個 性 に お い て 添 加 の 用 法 に 参 加 し え て い る の か を 問 う こ と は で き る し、 そ れ は、 こ の 語 の 副 助 詞 性 の 内 実 を 引 き 出 す た め に も、 後 代 に お け る ダ ニ と の交替現象を理解するためにも、 大切な問題なのではないかと思われる。 そ う し た 考 え 方 か ら、 こ れ ま で 平 安 時 代 の サ ヘ に つ い て い く つ か の 調 査 を 試 み て き た が( 文 献 ⑨ ~ ⑯ )、 こ こ で は 些 か 時 代 を 溯 っ て、 万 葉 集 の サ ヘ に つ い て 同 様 の 観 察 を 施 し た い。 即 ち、 あ る 文 中 で サ ヘ が 用 い ら れ る 場 合、 こ の 語 の 接 す る 語 句 が、 想 定 さ れ る 本 体 的 な 要 素 に 対 し て 周 縁 的 な 位 置 を 占 め る こ と を 示 し つ つ、 本 体 的 な も の に 備 わ る あ り か た を 波 及 的 に 共 有 す る 形 で 添 い 加 わ っ て ゆ く こ と を 表 わ す と い う 点 に こ の 語 の 基 本 的 意 義 を 求 め た う え で、 添 加 に ま つ わ る 二 事 項 間 に〔 本 体 ─ 周 縁 〕 的 な 軽 重 差 の 見 ら れ る こ と を も っ て、 基 本 義 措 定 の 拠 り 所 に し よ う と す る。 そ れ に よ っ て、 上 代 に お け る こ の 語 の ふ る ま い 方 を 明 ら か に し て お こうというのが、本稿のねらいである。 以下本稿では、右のような考え方に基づきつつ、サヘの附属する成分
『万葉集』の副助詞サヘ
――上代における〈周縁波及性〉の意義の確認
――
田
中
敏
生
四国大学紀要,A 51:71-90,2018 Bull.SkikokuUniv.A 51:71-90,2018七二 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― を 次 の よ う に 分 け た う え で 見 て 行 く が、 そ れ は、 群 数 性 と 程 度 量 性 と を 両 つ な が ら に 備 え る と い う 意 味 で の こ の 語 の 副 助 詞 性( 注 ① ) を、 上 代 の用例に即して確かめる作業ともなるであろう(注②) 。 〔甲〕主格成分と関わるもの 〔四五例〕 〔乙〕主格以外の成分と関わるもの 〔一七例〕 (1)対格成分と関わるもの 二例 (2)ニ格成分と関わるもの 一例 (3)時の成分と関わるもの 一四例 【合計六二例】 (注③) 一 主格成分と関わるもの(其一) 既 に 指 摘 さ れ て い る よ う に( 注 ④ )、 万 葉 集 の サ ヘ は 主 格 成 分 と 関 わ る も の が 多 く、 四 十 五 例 を 占 め る。 こ れ ら は、 そ の 添 加 の 素 材 と な る 事 物のありようから、 次のように分けておくことができよう (注⑤) 。以下、 この順に検討を進める。 Ⅰ:人間から人間へ 二〇例 Ⅱ:人間から外在的な事物へ 二例 Ⅲ:外在的な事物から人間へ 四例 Ⅳ:外在的な或る事物から他の事物へ 一九例 〔計四五例〕 第一に、Ⅰ: 〔人間から人間へ〕という方向で添加のなされるものは、 凡 そ 二 十 例 見 え る。 こ れ ら は さ ら に、 次 の 二 つ に 分 け て お く こ と が で き る。 a :或る人間から他の人間へ 八例 b :人間における或る要素から他の要素へ 十二例 ま ず、 a : 或 る 人 間 か ら 他 の 人 間 へ と い う 形 で 添 加 が な さ れ る の は、 次の八例である。 〔我さへ〕 ① (一一 ・ 二五六三) 人目守る君がまにまに我 さへ に (共尓) 早く起きつ つ裳の裾濡れぬ ② (一二 ・ 三一八一) 白たへの君が下紐我 さへ に (左倍尓) 今日結びてな 逢はむ日のため ③ (〇七 ・ 一〇九〇) 我妹子が赤裳の裾のひづつらむ今日の小雨に我 さへ ( 共 ) 濡 れ な〔 第 三 句 は「 ひ づ ち な む 」 の 訓 み も あ る( 澤 瀉 注 釈 / 中 西進) 〕 ④ (一二 ・ 二八五八) 妹に恋ひ寐ねぬ朝に吹く風は妹にし触れば我にも触 れこそ(吾与経) 〔末句は「吾と触れなむ」 (澤瀉注釈)/「わがむた は触れ」 (中西進)/「我れ さへ に触れ」 (武田全註釈・伊藤釈注)な どの諸訓がある〕 ⑤ (〇九 ・ 一八〇一) 語り継ぎ 偲ひ継ぎ来る 処女らが 奥つ城所 我 さへ に(并) 見れば悲しも 古思へば 〔戯奴さへ〕 ⑥ (〇八 ・ 一四六一) 昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴 さへ に(佐倍尓)見よ 〔人さへ〕 ⑦ (一〇 ・ 二〇七五) 人 さへ や (左倍也) 見継がずあらむ彦星の妻呼ぶ舟 の近づき行くを(一に云ふ、 「見つつあるらむ」 ) ⑧ (一四 ・ 三五四八) 鳴る瀬ろにこつの寄すなすいとのきてかなしけ背ろ に人 さへ (佐敝)寄すも ① は 正 述 心 緒 の 歌 で あ る。 「 人 目 を 気 に す る あ の 人 に 付 き 従 っ て、 私 も 一 緒 に 早 く 起 き て 裳 の 裾 が 濡 れ て し ま っ た 」 と の 意 で あ ろ う。 「 君 」 の ほ うは朝戸出をする当人であり、人目を忍ぶ必要から露に濡れることの避け ら れ な い 人 で あ る が、 「 我 」 の ほ う は そ れ を 見 送 る だ け の 人 で あ っ て 必 ず
『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 七三 しも濡れる必要はない。こうした点に〔本体─周縁〕的なありようが備わ ると言えよう。サヘもまた、このあり方に従って〈周縁波及性〉の意義を 発揮するわけである。 ② は 別 れ を 悲 し む 歌 で あ る。 《 二 人 で 結 ぶ こ と が、 結 び 目 の 中 に 互 い の 思 い を 封 じ こ め る こ と に な っ た の で あ ろ う 》( 伊 藤 釈 注 ) と さ れ る。 下 紐 を結ぶという営みが、旅立つ当人からそれを見送る人へと及んで行く。そ うした点に、周縁波及的な添加のありようを認めることができよう。 ③ は、 雨 を 詠 ん だ 雑 歌 で あ る。 自 分 も 同 じ よ う に 濡 れ た い と 思 う の は、 その雨が「我妹子」を濡らしているからこそであって、この心理的動機か ら考えれば、 「我妹子」が第一であり、 「我」はどこまでも、濡れることの 共 有 を 願 う 人 で あ る に 留 ま る。 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義 も、 そ の よ う な あ り 方に根ざして働くと言えよう。 ④は風に寄せた寄物陳思の歌である。 末句はいくつかの訓み方があるが、 武田全註釈や伊藤釈注のように「我れさへに触れ」と訓むならば、サヘの 用例となる。その場合は、その心理的な機制の面から、③と同様のはたら きかたを認めることになろう。 ⑤は、芦屋の菟原処女の墓を通り過ぎたときに、田辺福麻呂が詠んだ長 歌の末尾部分である。菟原処女は、二人の男に言い寄られ、板挟みに悩ん で 入 水 し た と い う 伝 説 上 の 女 性 で あ る。 「 言 い 伝 え て き た 土 地 の 人 々 ば か りでなく、通りすがりの自分までもが同じように」の意であろう。地元の 人たちが、いわば伝承の当事者であるのに対して、福麻呂はたまたまそこ を通り過ぎただけの人であるに過ぎない。サヘもまた、そうしたあり方に 即して自身の意義を発揮すると言えよう。 ⑥は、紀女郎が大伴の家持に、茅花と合歓の花とを折り取って贈ったと き の 歌 で あ る。 こ こ で は 合 歓 の 花 に つ い て 詠 ん で い る。 「 君 」 は、 郎 女 が 自 分 の こ と を わ ざ と 尊 大 に 言 っ た も の で あ り、 「 わ け 」 は、 家 持 を わ ざ と 下僕扱いした言い方であるとされる。もとより諧謔ではあるが、字義に即 し て 考 え る な ら ば、 〔 本 体 ─ 周 縁 〕 的 な 位 置 取 り は、 明 ら か に 見 て 取 ら れ よう。 ⑦は、 七夕を詠んだ秋の雑歌である。通常この歌は、 「や」を反語と取っ て、 「織姫ばかりでなく地上の人びとだって、見続けていないはずはない」 と い っ た ふ う に 解 さ れ る が、 「 さ へ や 」 の 言 い 方 は 本 当 に 反 語 に 用 い ら れ るのか、仮に用いられるとしても、織姫の「見続けない」ことが大前提に なってしまうのではないか、といった重大な疑義の生ずることも事実であ る( 注 ⑥ )。 そ う し た 問 題 が あ る た め、 本 稿 で は、 異 伝 歌 を も っ て サ ヘ の 用 例 に 数 え る と い う 行 き 方 を 取 る こ と に し た。 そ の 場 合 は、 「 や 」 を 疑 問 と 取 っ て、 「 当 事 者 で あ る 織 り 姫 ば か り で な く、 他 の 人 た ち ま で 見 続 け て いるであろうか」といったふうに解することになる。当事者から必ずしも そうではない人へといった添加のありようは、①~⑤でも見られたし、⑥ も花を摘んだ人を当事者と捉えることは十分に成り立ち得よう。それらと 同様のあり方が、⑦においても見出されることになるわけである。 ⑧ は 、「 こ つ 」( 木 屑 ) に 寄 せた 寄 物 陳 思 の 東 歌 ( 国 名 未 詳 ) で あ る 。 歌 意 は 「 鳴 り 響 く 川 の瀬に 木 屑 が 寄 せ る よ う に 、 とり わ け 愛 し い あ の 人 の こ と を 、 世 間 の 人 ま で も が 言 い 寄 せ て 噂 を す る こと だ 」 と い っ た も の か と 思 わ れ る ( 新 大系 で は 《 ほ か の 人 ま で 思 い を 寄 せ て い る よ 》) 。 添 加 の 中 味 は 、 「 恋 し く 思 う 当 人 ば か り で な く 、 傍 観 者 で あ る 世 間 の 人 ま で も 」 と い う こ と で あ っ て 、 こ こ で も 、 こ れ ま で と 同 様 の あ り 方 が 認 め ら れ る と 言 え よ う 。 他方、 b :人間における或る部分から他の部分へという形での添加がな されるものとしては、十二例が挙げられる。これも広い意味で人間から人 間へという方向での添加と言えよう。細かく見るなら、次の二つの小類を 立てることができる。 ( b・1 )人間の要素一般と関わるもの 四例 ( b・2 )特に「袖さへ」の形を取るもの 八例 まず、 ( b ・ 1 )人間の要素一般と関わるものとしては、 次の四例がある。
七四 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 〔心さへ〕 ① (〇四 ・ 〇七七〇) 人目多み逢はなくのみそ心 さへ (左倍) 妹を忘れて 我が思はなくに 〔身さへ〕 ② (〇四 ・ 〇五四七) 天雲の外に見しより我妹子に心も身 さへ (副) 寄り にしものを 〔息さへ〕 ③ (〇九 ・ 一七四〇) 若かりし 肌も皺みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆ な ゆ な は 息 さ へ ( 左 倍 ) 絶 え て 後 つ ひ に 命 死 に け る 水 江 の 浦の島子が 家所見ゆ 〔火さへ〕 ④ (一七 ・ 四〇一一) 言ふすべの たどきを知らに 心には 火 さへ (佐 倍)燃えつつ 思ひ恋ひ 息づき余り ①は、大伴の家持が久邇の京から坂上の大嬢に贈った五首のうちの第一 首 で あ る。 「 逢 い に 行 け な い 」 と い う 外 面 的 な ふ る ま い に 加 え て、 内 面 的 な心の世界でまで大嬢のことを疎かにするというのが、ここでの添加のあ り よ う で あ ろ う( む ろ ん、 最 終 的 に は そ れ を 斥 け て い る が )。 逢 わ な い こ と自体は、外面的に紛れもない現実であるが、内面的な心のほうは、それ との一致・不一致が問題となり得るような、捉えがたい不安定な事柄であ る。サヘもまた、そうしたあり方に根ざして自身の意義を発揮すると言え よう。 ② は、 神 亀 二 年( 七 二 五 年 )、 三 香 原 の 離 宮 に 行 幸 が あ っ た と き に、 随 行した笠金村が、娘子(をとめ)を得て詠んだ長歌に添えられた短歌二首 のうちの第一首である。長歌で彼は、処女と一緒になれたことを喜ぶと同 時に、 一晩で別れなければならないことを残念がっている。第二首には 《今 夜の早く明けなばすべをなみ秋の百夜を願ひつるかも》とあって、その執 着 の ほ ど が 窺 わ れ る。 「 心 を 惹 か れ た ば か り か、 身 体 ま で 一 緒 に な っ た 」 というのが、ここでの添加のありようであろう。眉目麗しい娘子に出逢っ たとき、心惹かれるというのは誰にでも生じ得る事柄であるが、身体も一 緒 に な る こ と は 、 め で た く 結 ば れ な く て は 起 こ り 得 な い 。 そ う し た 意 味 で 、 〔本体─周縁〕的なありようが窺われるであろう。 ③ は、 浦 島 伝 説 を 詠 ん だ 長 歌 の 末 尾 部 分 で あ る( 虫 麻 呂 歌 集 )。 箱 を 開 けて、たちまち老人になって事切れるありさまが描かれている。皺が寄っ たり白髪になったりすることは、老化に際してごく当たり前に見られる事 柄であるが、息絶えるというのは、その押し極まった特別な場合であると 言 え よ う。 こ の 点 に、 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義 の は た ら く あ り さ ま が 見 て 取 られるわけである。 ④は、家持秘蔵の鷹が逃げたのを残念がっていたとき、夢でその鷹を見 たので、感動して詠んだ長歌の一節である。ここでは、部下の不始末で鷹 に逃げられたときの、憤懣やるかたない思いを述べている。大切なものを 喪って心が激しく波立つのに加えて、 燃えるような激情が込み上げてくる。 そのような形で周縁波及的な添加がなされると言えよう。 次 に、 ( b・ 2 ) 特 に「 袖 さ へ 」 の 形 を 取 る も の と し て は、 次 の 八 例 が 挙げられる。 ① (〇四 ・ 〇七八二) 風高く辺には吹けども妹がため袖 さへ (左倍) 濡れ て刈れる玉藻そ ② (一二 ・ 三一七五) 若の浦に袖 さへ (左倍) 濡れて忘れ貝拾へど妹は忘 らえなくに ③ (〇六 ・ 〇九五七) いざ子ども香椎の潟に白たへの袖 さへ (左倍) 濡れ て朝菜摘みてむ ④ (二〇 ・ 四三一三) 青波に袖 さへ (佐閇) 濡れて漕ぐ舟のかし振るほと にさ夜ふけなむか ⑤ (一一 ・ 二五四九) 妹に恋ひ我が泣く涙しきたへの木枕通り袖 さへ (副) 濡れぬ〔或る本の歌に曰く、 「枕通りてまけば寒しも」 〕
『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 七五 ⑥ (一二 ・ 二九五三) 君に恋ひ我が泣く涙白たへの袖 さへ (兼) ぬれてせ むすべもなし ⑦ (〇四 ・ 〇七二三) ぬばたまの 夜昼といはず 思ふにし 我が身は痩 せぬ 嘆くにし 袖 さへ (左倍)濡れぬ ⑧ (一〇 ・ 二三一七) こと降らば袖 さへ (副) 濡れて通るべく降りなむ雪 の空に消につつ ①は、 紀女郎が自分で刈り取った玉藻を女友達に贈ったときの歌である。 「 手 足 ば か り で な く 袖 も 一 緒 に 濡 ら し て 」 の 意 と 取 る こ と が で き よ う。 藻 を刈るに際して、手足が濡れることはごく当たり前のことであるが、袖の ほうは、もしその気になれば、たくし上げたり襷を掛けたりして濡れるの を防ぐこともできる。そうした意味で〔本体─周縁〕的なありようが備わ る。サヘもまた、そのあり方に基づいて自身の意義を発揮していると言え よう(注⑦) 。 ②は、 「羇旅発思」のうちの貝に寄せる恋の歌、 ③は、 神亀五年(七二八 年)冬十一月に太宰府の役人たちが香椎潟へ行った帰りぎわに大伴の旅人 が 詠 ん だ 歌 で あ る。 こ れ ら に あ っ て も、 サ ヘ は、 「 手 足 ば か り で な く 袖 も 一緒に濡らして」の意を表わすのにはたらくと見ることができよう。 ④は、天平勝宝六年(七五四年)四月、家持が詠んだ七夕の歌八首のう ちの第八首である。彦星が舟で天の河を渡るところを想像している。①~ ③が玉藻や貝を採る労作に際してのものだったのに対して、こちらは舟を 漕ぐ動作に関わるが、ここでも、添加の内容自体は、右と同じように捉え ておくことができよう。 ⑤は、 正述心緒の歌である。この歌の場合は、 「枕ばかりでなく袖までも」 の意と見てよいであろう。寝ているときに涙に濡れそぼつものが枕から袖 に ま で 及 ぶ と い う の は い か に も 広 範 囲 で あ り、 そ こ か ら《 誇 張 が き つ い。 異文の方が真実味がある》 (伊藤釈注) といった評も出てくるのであろうが、 サ ヘ 自 身 は、 近 く て 濡 れ や す い も の か ら 遠 く の も の へ と い う 形 で、 〈 周 縁 波及性〉の意義を発揮していると認められよう。 ⑥ は、 正 述 心 緒 の 歌 で あ る。 同 じ く 涙 に よ っ て 袖 の 濡 れ る 歌 で あ る が、 こちらのほうは「頬ばかりでなく、袖までも一緒に濡れて」の意と取って おいてよいのではないかと思われる。 ⑦は、大伴の坂上の郎女が、跡見の庄から、自宅に居る娘、坂上の大嬢 に贈った長歌の一節である。離れている寂しさを歌っている。ここでも添 加の中身は、⑥と同じように受け止められよう。 ⑧ は、 雪 を 詠 ん だ 冬 の 雑 歌 で あ る。 「 袖 さ へ 」 は「 濡 れ て 通 る 」 全 体 に 係 る と 見 る こ と も で き よ う。 そ の 場 合 の 添 加 の 中 味 は、 「 顔 や 手 な ど 外 気 に曝された部分に加えて、袖に覆われた部分(腕など)にも、雪の浸潤作 用が及ぶ」 といったふうに理解することができるのではないかと思われる。 雪が途中で消えてしまわずに「濡れて染み通る」ことで、腕のような衣服 に覆われた部分にも濡れるというあり方が結果として及んでくる。そうし た意味で、ここでのサヘもまた、周縁波及的な添加にはたらくと考えるこ とができるであろう。 二 主格成分と関わるもの(其二) 第 二 に、 Ⅱ: 〔 人 間 か ら 外 在 的 な 事 物 へ 〕 と い う 形 で 添 加 の な さ れ る も のは、次の二例である。 ① (一二 ・ 三〇九四) 物思ふと寝ねず起きたる朝明にはわびて鳴くなり庭 つ鳥 さへ (左倍) ② (一一 ・ 二四六五) わが背子に我が恋ひ居ればわがやどの草 さへ (佐倍) 思ひうらぶれにけり ①は、鳥に寄せて恋の思いを詠んだ歌である。 「泣く(鳴く) 」という行 為が、物思いで眠れないほど侘びしく思っている本人から、そのような思 いとは無縁のものにまで及んでゆく。そのような形で〈周縁波及性〉の意
七六 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 義が発揮されている。 ②は、草に寄せて恋の思いを詠んだ歌である。ここでも、 「うらぶれる」 というあり方が、思い煩う当人から、たまたまそこに共存するに過ぎない 庭草にまで及ぶという形で、添加がなされていると言えよう(注⑧) 。 第三に、 Ⅲ :〔外在的な事物から人間へ〕という形で添加のなされるのは、 次の四例である。 〔我さへ〕 ① (一四 ・ 三五一四) 高き嶺に雲の付くのす我 さへ に (左倍尓) 君に付き なな高嶺と思ひて 〔心さへ〕 ② (〇九 ・ 一七八二) 雪こそは春日消ゆらめ心 さへ (佐閇) 消え失せたれ や言も通はぬ ③ (〇四 ・ 〇五一四) わが背子が着せる衣の針目落ちずこもりにけらし我 が心 さへ (副) 〔第四句は「入りにけらしも」 (伊藤釈注)などの訓も ある〕 〔影さへ〕 ④ (二〇 ・ 四三二二) 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影 さへ (佐倍) 見 えてよに忘られず ①は、 雲に寄せて恋の思いを詠んだ東歌 (国名不詳) である。歌意は、 「高 い峰に雲がまとわり付くように、そのように私もまた、あの人を(頼りが いのある)高い峰だと思って、付き従ってゆきたいな」といったものであ ろう。もとより言いたいことは後半部分であるが、譬喩のメカニズムから 言うなら、 明らかな現実的事象があるからこそ、 それに対する「なぞらえ」 もまた生じ得るのであって、そうした意味で〔本体─周縁〕的なありよう を認めることができよう。 ② は、 或 る 人 が 妻 に 与 え た 歌 で あ る。 「 雪 な ら ば こ そ 春 日 に あ た っ て 消 えもしましょうが、心までもが消え失せたからというので、それで、お便 りも頂けないということなのでしょうか」 といった意味を詠み込んでいる。 「消える」 というあり方が、 本来それを備えないわけに行かない 「雪」 から、 必ずしもそうではないはずの「心」へと及んでゆく――そんなあり方での 添加がなされていると言えよう。 ③ は、 阿 倍 の 女 郎 の 詠 ん だ 歌 で あ る。 添 加 の 中 味 は、 「 針 や 糸 ば か り で なく、私の心までもが」といったものであろう。服を縫うときに、針や糸 が縫い目に入るというのは当然すぎることであるが、心のほうは必ずしも そ う で は な い。 こ の 点 に、 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義 の 発 揮 さ れ る あ り さ ま を 見て取ることができよう。 ④ は、 天 平 勝 宝 七 年 度 の 防 人 の 歌 で あ り、 詠 み 手 は、 麁 玉 郡( 静 岡 県 ) の若倭部身麻呂である。添加のありようについては、 《水を飲もうとすば、 そ の 水 に、 妻 の 面 影 が 浮 か ん で 見 え る 》( 武 田 全 註 釈 ) と い っ た 解 が 穏 当 ではないかと思われる(注⑨) 。その場合、 「水」は誰の目にも明らかな客 観 存 在 で あ る が、 「 影 」 の ほ う は、 思 い の 強 さ に あ が な わ れ て、 か り そ め に存在資格を帯び来たったものに過ぎない。 そうした意味で、 〔本体─周縁〕 的なありようを認めることができよう。 第四に、Ⅳ: 〔(外在的な)或る事物から他の事物へ〕という形で添加の なされるものは十九例見える。これはさらに、次の二つに分けておくこと ができる。 a :単純なもの 九例 b :因果関係性の見て取られるもの 一〇例 まず、 a :単純なものとしては、次の九例を挙げることができる。 ① (一三 ・ 三二六八) 三諸の 神奈備山ゆ との曇り 雨は降り来ぬ 天 霧らひ 風 さへ (左倍)吹きぬ ② (一七 ・ 三九七八) 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕 さし交へて 寝ても来ましを 玉鉾の 道はし遠く 関 さへ に(左閇 尓) 隔りてあれこそ
『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 七七 ③ (一六 ・ 三八二七) 一二の目のみにはあらず五六三四 さへ (佐倍) あり けり双六の頭(さえ) ④ (一三 ・ 三二二五) 天雲の 影 さへ (塞) 見ゆる こもりくの 泊瀬の 川は 浦なみか 船の寄り来ぬ 磯なみか 海人の釣せぬ ⑤ (一六 ・ 三八〇七) 安積山影 さへ (副) 見ゆる山の井の浅き心を我が思 はなくに ⑥ ⑦ ⑧( 〇 六 ・ 一 〇 〇 九 ) 橘 は 実 さ へ ( 左 倍 ) 花 さ へ ( 左 倍 ) そ の 葉 さ へ (左倍)枝に霜降れどいや常葉の木 ⑨ (一四 ・ 三四七四) 植ゑ竹の本 さへ (左倍) とよみ出でて去なばいづし 向きてか妹が嘆かむ ①は、神南備山を詠み込んだ相聞歌である。悪天候の中を帰って行く人 の こ と を 案 じ て い る。 雨 に 加 え て 風 ま で も と い っ た 中 味 の 添 加 で あ ろ う。 雨は、それによって道がぬかるみ身体が濡れそぼつため、歩くに際して著 しい障害となるが、風のほうは、もし雨が降らなければ、ただ吹き付ける だ け に 終 わ る。 こ う し た 点 に、 〔 本 体 ─ 周 縁 〕 的 な あ り よ う を 認 め る こ と ができるであろう。 ②は、天平十九年三月二十日に、大伴の家持が恋情を起こして詠んだ長 歌の一節である。このとき家持は、越中の守として赴任していた。奈良へ 帰 ろ う と 思 っ て も、 な か な か 帰 れ な い こ と を 詠 ん で い る。 道 が 遠 い 上 に、 関所までもが二人を遠ざけているというのである。空間的な隔たりの遠さ は二人が逢えないことの根本的な原因であるが、関所は距離を分量面で増 す も の で は な く 、 せ い ぜ い ス ム ー ス な 進 行 を 遅 ら せ る に 過 ぎ な い 。〈 周 縁 波 及 性 〉の 意 義 も ま た 、そ の よ う な あ り 方 に 即 し て 発 揮 さ れ て い る と 言 え よ う 。 ③ は、 長 忌 寸 意 吉 麻 呂 が サ イ コ ロ の 目 を 詠 ん だ 歌 で あ る。 「 一 や 二 の 目 ば か り で は な く、 五 や 六、 三 や 四 の 目 ま で も あ る 」 と の 意 で あ ろ う。 人 間 や 動 物 の 場 合、 目 は 二 つ で あ る の が ふ つ う で あ り、 そ れ を「 一 ・ 二 」 と 数 えたと考えれば、ごく一般的に広く見られるありようを指すと言える。そ れに対して「五六三四」の目は(トンボの複眼などはともかくとして)普 通には見られないものである。そうした意味で、周縁波及的な添加がなさ れていると言えよう。 ④ は、 泊 瀬 川 を 詠 ん だ 長 歌 の 一 節 で あ る。 泊 瀬 川 は、 川 自 体 に 加 え て、 空の雲も一緒に見えるとの意であろう。川を見れば川が見えるのは当然す ぎることであるが、空の雲は、川にもとから備わるものではなく、たまた ま 附 随 的 に 映 し 出 さ れ て い る に 過 ぎ な い。 こ の 点 に、 〔 本 体 ─ 周 縁 〕 的 な ありようを認めることができよう。 ⑤は、葛城の王が陸奥に遣わされたとき、国司の態度が悪かったので不 機嫌になったが、それを和らげるために、もと采女であった人が、左手に 盃を捧げ、右手に水を持ち、王の膝を叩きながら詠んだ歌だとされる(そ れによって、 王の怒りは無事に解けた) 。伊藤釈注では、 采女が右手に持っ た水瓶を山の井に見立てて詠んだと取るが、水瓶で王の膝を打っていたの だから、むしろ盃のほうを山の井に見立てたと考えることもできよう(盃 であれば「浅き」との折り合いもつきやすい) 。そのように考えるならば、 こ こ で の サ ヘ は、 「 盃( の 水 ) に 加 え て、 安 積 山 の 影 も 一 緒 に 見 え る 」 の 意となって、④と同じようなはたらき方を認めることになろうかと思われ る(注⑩) 。 ⑥~⑧は、天平八年(七三六年)冬十一月、葛城の王たちが臣籍に降下 して「橘」の姓を賜ったときに、 太上天皇がお詠みになった歌である。 「樹 木本体に加えて、 実や花や葉といった附属的な要素までも」の意であろう。 周縁波及的なありようは明らかかと思われる。 ⑨ は、 正 述 心 緒 の 相 聞 歌 と し て 収 め ら れ た 国 名 不 詳 の 東 歌 で あ る。 「 本 ― 末 」 と い っ た 対 義 性 に 意 を 留 め て、 「 竹 の 先 の 部 分 ば か り で な く、 根 本 まで騒がしくさせて」 といったふうな意味に取るのが穏当かと思われる (武 田 全 註 釈 で は《 竹 を 押 し 分 け て 出 る 》 の 意 と 見 て い る。 「 本 」 ま で も が 音 を 立 て る 理 由 の、 よ く 分 か る 解 釈 と 言 え よ う )。 葉 末 は 風 が 吹 く だ け で も
七八 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― ざわめき生ずるが、今はそれが根本の部分にまで及んでいる。そうした点 に、 〈周縁波及性〉の意義のはたらくありさまが看取されるであろう。 他 方 、 b : 因 果 関 係 性 の 見 て 取 ら れ る も の と し て は 、 十 例 が 見 え る 。 こ の う ち 、 次 の よ う な 例 で は 、 添 加 の 第 一 項 に 、 原 因 的 な あ り よ う を 見 て 取 る こ と が で き る 。 第 二 項 は 、 そ の 作 用 ・ 影 響 を 受 け た も の と し て 了 解 さ れ よ う 。 ① (〇三 ・ 〇四七七) あしひきの山 さへ (左倍) 光り咲く花の散りぬるご ときわが大君かも ② (一〇 ・ 二一一五) 手に取れば袖 さへ (并) にほふをみなへしこの白露 に散らまく惜しも ③ (一九 ・ 四二〇〇) 多祜の浦の底 さへ (左倍) にほふ藤波をかざして行 かむ見ぬ人のため ④ (二〇 ・ 四五一二) 池水に影 さへ (左倍) 見えて咲きにほふあしびの花 を袖に扱入れな ⑤ (一〇 ・ 一八六一) 能登川の水底 さへ に (并尓) 照るまでに三笠の山は 咲きにけるかも ⑥ (一〇 ・ 一九九六) 天の川水 さへ に (左閇而) 照る舟泊てて舟なる人は 妹に見えきや ⑦ (〇七 ・ 一〇七〇) ますらをの弓末振り起こし猟高の野辺 さへ (副) 清 く照る月夜かも ①は、天平十六年(七四四年)春二月、安積の皇子の薨じた時に、内舎 人であった大伴家持が詠んだ長歌に添えられた反歌二首のうちの第二首で あ る。 安 積 の 皇 子 を 光 り 輝 く 花 に 喩 え て、 そ の 死 を 惜 し ん で い る。 「 花 の 本体ばかりでなく、 山までもが一緒に光るような花」 の意と取れよう。 「花」 は 鮮 や か な 色 素 を 備 え て 自 分 自 身 で 輝 く 力 を 持 っ て い る が 、「 山 」 の ほ う は 、 そ の お 陰 を 蒙 る こ と で 輝 く よ う に 見 え る だ け で あ る。 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義もまた、こうしたあり方に基づいて発揮されると言えよう。Ⅰ・ a では 当 事 者 か ら そ う で は な い も の へ と い っ た あ り 方 で の 添 加 が 広 く 見 ら れ た が、原因的事物を作用を発する当事者と見なすならば、それをモノの世界 に平行移動したものとして受け止めることもできようかと思われる。 ②は、花を詠んだ秋の雑歌である。Ⅰ・ b・2 では「袖」を人間に属す る 一 要 素 と 捉 え て い た が、 「 花 ― 袖 」 と い う 対 の 中 で は、 外 在 的 な モ ノ と 受け止めることも許されよう。そしてここでも、それ自身の力において照 り輝く力を持つものから、そうでないものへといった形で、サヘのはたら くありさまを見て取ることができるわけである。 ③は、天平勝宝二年(七五〇年)四月十二日、布勢の水海を遊覧して多 胡で藤の花を見た時に、内藏の忌寸縄麻呂の詠んだ歌である。藤の花とそ の写像とは単純な並存と見えなくもないが、花が盛んに咲き誇るからこそ 水面にも美しく照り映えるといった関係を重く視るならば、このタイプに 摂することもできる。そうした意味で、①②と同様のありようが認められ ると言えよう(注⑪) 。 ④は、大伴の家持が、山斎(しま=庭園)を見て詠んだ歌である。花と その影については、 「咲きにほふ」の語に努めて意を留めることによって、 右と同様に理解することができるであろう。 ⑤は、花を詠んだ春の雑歌である。ここでは原因的事態と結果的事態と が、分離的に独立して詠まれている。マデもまた、その結果的事態におけ る影響の度合いが、前接語句によって示される段階へと至り及ぶことを表 わす。そうした中にあって、サヘ自体は、それ自身で光り輝く力を持つも のから、その恩沢を受けてそうなるものへといった形での添加にはたらく わけである。 ⑥は、七夕を詠んだ秋の雑歌の第一首である。彦星は織姫に逢えただろ う か と い っ た 意 味 を 詠 み 込 ん で い る 。 こ こ で も 、「( そ の 鮮 や か な 彩 色 に よ っ て)船本体ばかりでなく、天の河の水までも照り輝くような船」といった 意味が見て取られる。サヘのはたらき方もこれまでと同様であろう。 ⑦ は、 月 を 詠 ん だ 雑 歌 で あ る。 「 月 本 体 ば か り で な く、 そ の 光 の 及 ぶ 野
『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 七九 辺までも清らかに見えるような、そのような月」との意であろう。ここで も右と同様のサヘのはたらきかたが認められるであろう。 他方、次のような例にあっては、もはや添加の一項が原因物的な位置を 占めることはなく、或る原因物の影響を受ける範囲をめぐって、添加がな されている。 ① (一一 ・ 二六八三) 彼方の赤土の小屋に小雨降り床 さへ (共) 濡れぬ身 に添へ我妹 ② (〇七 ・ 一〇八二) 水底の玉 さへ (障) さやに見つべくも照る月夜かも 夜のふけ行けば ③ (一〇 ・ 一九九五) 六月の地 さへ (副) 裂けて照る日にも我が袖乾めや 君に逢はずして ① は、 雨 に 寄 せ た 寄 物 陳 思 の 歌 で あ る。 「 雨 が 屋 外 の 諸 物 を 濡 ら す ば か りでなく、屋内の床までをも濡らす」の意と取れよう。屋外のものは、文 字通り雨ざらしなのだから濡れて当然であるが、本来、雨露を凌ぐはずの 屋内のものにまで、雨の作用が及んで来る。そうした意味で、周縁波及的 な添加がなされると言えよう。 ②は、月を詠んだ雑歌である。月の光によって、地上のものばかりでな く、水底にある綺麗な石までもが、はっきり見える、との意であろう。こ こでも、右と同様のサヘのはたらき方を見て取ることができるであろう。 ③は、日に寄せて詠んだ、夏の相聞歌である。真夏の太陽が照りつける ことによって、気温が上がったり、植物が萎れたりするばかりでなく、地 面までもが干涸び裂ける――そんな形での添加がなされているのではない かと思われる。当たり前に見られる事柄に加えて、例外的な事象までもが 見 ら れ る と い う こ と で あ っ て、 こ の 点 に、 〔 本 体 ─ 周 縁 〕 的 な あ り よ う が 見て取られるであろう(注⑫) 。 以上の検討から、主格成分に附属するサヘにあっては、添加の二事項に ま つ わ る 様 々 な あ り 方 に お い て、 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義 の 発 揮 さ れ る あ り さまが確認されるであろう。では、それ以外の成分についてはどうであろ うか。 三 主格以外の成分と関わる場合 初めにも示したとおり、主格以外の成分と関わるサヘは、次の十七例が 見える。以下この順に見てゆく。 (1)対格成分と関わるもの 二例 (2)ニ格成分と関わるもの 一例 (3)時の成分と関わるもの 一四例 〔計 一七例〕 第一に、対格成分と関わるものは、次の二例である。 ① (〇九 ・ 一七三八) 玉鉾の 道行く人は 己が行く 道は行かずて 呼 ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離れ て 乞はなくに 鍵 さへ (左倍) 奉る 人皆の かく迷へれば (後略) ② (一一 ・ 二五七三) 心 さへ (左倍) 奉れる君に何をかも言はずて言ひし と我がぬすまはむ ①は、高橋虫麻呂歌集の歌である(一七六〇・左注) 。「上総の末の珠名 (たまな) 娘子」 を詠んでいる。 「珠名娘子」 は、 上総の国随一の美人であっ たらしい。右に先立つ部分には《胸別の 広き我妹 腰細の すがる娘子 の その姿(かほ)の きらきらしきに 花の如 笑みて立てれば》とあ る。ここでは、通行人が見物がてらわざわざ回り道をし、隣に住む人が惚 れ込んで鍵を渡してしまうことを歌っている。鍵を渡すことは、財産の管 理 を 任 せ る こ と で あ り、 正 妻 と し て 迎 え 入 れ る こ と を 意 味 す る と さ れ る。 評判の美人に好奇心の目を注ぐというのは、ごく一般的で誰にでも起こり うる事柄であるのに対して、財産の管理を任せるというのはよほど入れあ げてのことでなければならず、極めて稀なケースであると言えよう。こう
八〇 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― した点に、 〔本体─周縁〕的なありようが認められるわけである。 ②は正述心緒の歌である。末句の「ぬすまふ」は嘘を言ってごまかすの 意であり、第三句以下は「どうして、言わないことを言ったなどといって ごまかしたりするでしょうか」といったふうな意味であるとされる。これ と の 関 連 を 重 く 見 る な ら ば、 初 二 句 は、 「 口 先 ば か り で な く 心 ま で も 捧 げ て い る あ な た に 」 の 意 と 取 っ て よ い の で は な い か と 思 わ れ る( 「 心 さ へ 」 に つ い て、 中 西 進 氏 は《 魂 の こ も る 所 ま で 》 と 注 し て い る )。 口 先 だ け の 言葉なら誰にでも言えるが、真心を捧げることは、それに較べるならば少 な い 。 そ う し た 意 味 で 、 先 と 同 様 の サ ヘ の は た ら き 方 が 見 ら れ る と 言 え よ う 。 第二に、ニ格の成分と関わるサヘは、次の一例である。 ① (〇四 ・ 〇四九八) 今のみのわざにはあらず古の人そまさりて音に さへ (左倍)泣きし 右は、柿本人麻呂が詠んだ歌四首のうちの第三首である。第二首は次の ように詠まれている。 ・ (〇四 ・ 〇四九七)古にありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寝ねかて ずけむ 第三首は、これと合わせて自問自答の形を取っている。したがって、歌意 は、 「 恋 の 煩 悶 に よ る 不 眠 は 今 だ け の こ と で は な い。 昔 の 人 こ そ、 今 の 人 以 上 に 苦 し ん で、 眠 れ な い ば か り か、 泣 き 声 ま で も た て て い た の だ 」 と い っ た ふ う に な ろ う。 恋 に 悩 む 人 に あ っ て 眠 れ な い こ と は ご く 普 通 に 見 ら れ る こ と で あ る が、 抑 制 の 箍 を 突 き 破 っ て 泣 き 声 を 立 て る と い う の は、 よ ほ ど 悩 み が 強 い 場 合 に 限 ら れ る。 サ ヘ も ま た、 こ の よ う な あ り 方 に支えられて、自身の意義を発揮するのだと言えよう。 第三に、時の成分と関わるサヘは十四例見える。これはさらに、次の ように分けておくことができる。 a :単純な時点と関わるもの 九例 b :状況を伴なった時点と関わるもの 五例 まず、 a :単純な時点を表わす語句と関わるものは、次の九例である。 〈明日〉 ① (〇二 ・ 〇一九八)明日香川明日だに〔一に云ふ、 「 さへ 」(左倍) 〕見 むと思へやも〔一に云ふ、 「思へかも」 〕我が大君の御名忘れせぬ〔一 に云ふ、 「御名忘らえぬ」 〕 ② (〇六 ・ 一〇一四)一昨日も昨日も今日も見つれども明日 さへ (左倍) 見まく欲しき君かも ③ (〇八 ・ 一六五〇) 池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降り敷け明日 さ へ も(左倍母)見む ④ (一〇 ・ 二〇六六) 月日えらひ逢ひてしあれば別れまく惜しかる君は明 日 さへ (副)もがも ⑤ (一二 ・ 三〇一〇) 佐保川の川波立たず靜けくも君にたぐひて明日 さへ (兼)もがも ⑥ (一四 ・ 三五二三) 坂越えて阿倍の田面にゐる鶴のともしき君は明日 さ へ (左倍)もがも 〈今夜〉 ⑦ (〇四 ・ 〇七八一) ぬばたまの昨夜は返しつ今夜 さへ (左倍) われをか へすな道の長手を 〈今〉 ⑧ (一五 ・ 三七五八) さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるら む〔一に云ふ、 「今 さへ や(左倍也) 」〕 〈夜〉 ⑨ (一〇 ・ 二二三七)もみち葉を散らすしぐれの降るなへに夜 さへ (副) そ寒きひとりし寝れば ①は、明日香の皇女の遺体を城上の殯宮に収めたときに、柿本の人麻呂 が詠んだ長歌に附せられた反歌である(二首のうちの第一首) 。「一云」を 本文として取ると、次のようになる。
『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 八一 ○明日香川明日さへ(左倍)見むと思へかも我が大君の御名忘らえぬ 歌意は「明日香の皇女に、今日ばかりでなく、明日も続けてお会いしたい と思うからか、そのお名前が忘れられない」といったものであろう。今と いう時点が、既に生じている紛れもない現実の時点として確たる存在感を 持 つ の に 対 し て、 「 明 日 」 は 不 定 の 未 来 に 属 す る も の で あ り、 そ の 存 在 感 は未だなお稀薄である。そうした意味で〔本体─周縁〕的なありようを認 めることができるであろう。 ②以下についても同様である。②は、天平九年(七三七年)春正月に橘 の佐為と高官たちが門部の王 (おおきみ) の家に集まって宴を開いたとき、 主人である門部の王の詠んだもの、③は、西の池のほとりに聖武天皇がお い で に な っ て 宴 を 催 し た と き に 、 阿部朝臣虫麻呂の伝えた作者不詳の歌 (左 注 )、 ④ は 七 夕 を 詠 ん だ 秋 の 雑 歌、 ⑤ は 寄 物 陳 思 の 歌、 ⑥ は 相 聞 往 来 の 東 歌(国名未詳)である。これらにあっても、そこに明示され、もしくは発 言の現在の自明性によって与えられる「今」は、既得の存在資格を帯びる ものとして中心的であり、それに対する「明日」は、未得の存在性ゆえに 周 縁 的 と 捉 え る こ と が で き よ う。 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義 も ま た、 そ う し た あり方に即して発揮されるわけである。 ⑦の「きぞ」と「こよひ」も、その存在資格において、これらと類比的 であろう。歌は、大伴の家持が紀女郎(きのいらつめ)に贈った五首のう ちの第五首めである。 また⑧は、中臣の宅守と狭野の弟上の娘子との、一連の贈答歌に見える 宅守の詠である。彼は越前の国に流されて二人の仲は引き裂かれたが、そ の鬱屈した立場から、奈良の都の役人たちに対する憤懣の思いを詠み込ん でいる。ここでも、彼の実体験した過去の出来事と、遠くから思い巡らす 「 今 」 の あ り よ う と の 間 に は、 そ の 存 在 資 格 に お い て、 右 と 同 様 の 厚 薄 濃 淡が認められよう。 最後に⑨は、 雨を詠んだ秋の雑歌である。この歌について、 伊藤釈注は、 《 昼 間 ば か り で な く、 夜 具 を ま と っ て 寝 る 夜 ま で も 肌 寒 い の 意 》 と す る。 昼間は活動の時期であって外気にさらされることも多く、寒さを感じても 当たり前の時間帯であるが、 夜は寒さを緩和する要因を備えるものであり、 昼間に較べれば寒いと感じる懼れは少ない。サヘもまた、このあり方に根 ざしつつ、自身の意義を発揮すると考えられよう。 他方、 b :状況を伴なった時点を表わす語句と関わるものとしては、次 の五例が挙げられる。 〔時〕 ① (〇四 ・ 〇七四五) 朝夕に見む時 さへ や (左倍也) 我妹子が見とも見ぬ ごとなほ恋しけむ ② (一一 ・ 二六三三) まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見む時 さへ や(禁屋) 恋の繁けむ ③ (一二 ・ 二九一六) 玉かつま逢はむと言ふは誰なるか逢へる時 さへ (左 倍)面隠しする ④ (一二 ・ 三〇〇六) 月夜良み門に出で立ち足占して行く時 さへ や(禁八) 妹に逢はざらむ 〔夢〕 ⑤ (一二 ・ 二八四八) 直に逢はずあるはうべなり夢にだになにしか人の言 の 繁 け む〈 或 る 本 の 歌 に 曰 く、 「 現 に は う べ も 逢 は な く 夢 に さ へ ( 左 倍) 」〉 ①は、大伴の家持が、坂上の大嬢(おおいらつめ)に贈った十五首のう ち の 第 五 首 で あ る。 歌 意 は、 「 朝 夕 お 顔 を 拝 見 で き る よ う に な っ た 時 に ま でも、見ていながら見ていないかのように、やはりあなたのことが恋しく 思われるのでしょうか(そう思われてならないほど、あなたのことが恋し くてたまりません) 」といったふうになるであろうか。 「恋し」という思い を抱くことにとって、離れていて逢えない状態は、いかにも尤もな状態で あるが、朝夕顔を合わせることのできる状態は、そのような思いを抱くに
八二 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― は程遠い。そうした意味で 〔本体─周縁〕 的な関係を認めることができる。 〈 周 縁 波 及 性 〉 の 意 義 も ま た、 そ の よ う な あ り よ う に 即 し て 発 揮 さ れ る の だと言えよう。 ② は、 鏡 に 寄 せ た 寄 物 陳 思 の 歌 で あ る。 「 朝 な 朝 な 」 の 語 は( 一 一・ 二五〇二)にも見え(まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見れども君は飽くこ と も な し )、 そ こ で は 現 に そ う で あ る も の と し て の「 飽 か ぬ 想 い 」 が 詠 み 込まれているが、ここではそれが可能性として想定されており、右の①も これに倣ったのではないかとされる (新大系 ・ 脚注) 。サヘについて言えば、 ①と同様のはたらきかたを認めることができよう。 ③は正述心緒の歌である。顔を見ることができないということが、見る ことの可能性の閉ざされている場合から、その可能性の開かれている時に まで及ぶことを詠んでいる。そうした意味で、周縁波及的な添加のありよ うを認めることができる。 ④ は 月 に 寄 せ た 寄 物 陳 思 の 歌 で あ る。 「 足 占 」 は、 あ る 目 標 ま で 歩 い た 歩数などで吉凶を占うこととされる。もちろんこの歌の場合は「吉」と出 た の で あ ろ う 。 こ こ で も 、③ と 同 様 の 用 い ら れ 方 が な さ れ て い る と 言 え よ う 。 ⑤ は 正 述 心 緒 の 歌 で あ る。 「 夢 」 は 睡 眠 時 に 生 ず る 現 象 の 呼 び 名 な の だ か ら 時 点 を 表 わ す と は 言 い に く い 面 も あ る が、 「 寝 て い る 時 に 限 っ て 生 じ 得る世界」といった意味で、状況を伴なった時点を表わす語句に準じて扱 うことも許されよう。確乎不動の現実世界とは違って夢の世界は可変的で あり、現実に縛られないさまざまなできごとが生じ得るのだから、 「逢う」 ことを妨げる要因もまた、現実の世界に較べれば、解消される可能性を帯 びる。そうした意味で、ここでのサヘも、右の③④と同じようなはたらき かたをしていると認めることができよう。 む す び 以上、万葉集のサヘ凡そ六十二例を取り上げて、その使われ方を見てき た。 そ の そ れ ぞ れ の 用 例 に お い て、 〈 周 縁 波 及 性 〉 と い う こ の 語 の 基 本 的 意義の発揮されるありさまを観察することができたのではないかと思われ る。即ち、主格成分に接するものにあっては、人間と外界の事物とにおけ る様々な組合せにおいて〔本体─周縁〕的な関係に根ざした添加のありよ うが確かめられたし、爾余の成分についても、それぞれに同様の事情が認 められたのだと言えよう。 この語の副助詞性ということも、こうした基本的意義に即して理解する ことができる。サヘは、二事項の関係を表わす点で群数性を有するととも に、その関係規定が軽重差に基づくという限りに程度量性をも帯びるので あって、この二つの契機を兼ね合わせて持つ点に、かくれもない副助詞性 が 備 わ る と 考 え る こ と が で き る で あ ろ う。 『 あ ゆ ひ 抄 』 に お い て、 こ の 語 が「だに家」に摂せられることの理由もまた、そうした点から了解される わけである。 最後に、サヘの用いられる構文環境の方面について整理すると、次のよ うになる。 第一に、願望表現とともに用いられるものは十一例を数える。 〔主格・Ⅰ・ a ・②③④⑥〕 ・ (一二 ・ 三一八一)白たへの君が下紐我 さへ に(左倍尓)今日結びてな 逢はむ日のため ・ (〇七 ・ 一〇九〇)我妹子が赤裳の裾のひづつらむ今日の小雨に我 さへ (共)濡れな ・ (一二 ・ 二八五八)妹に恋ひ寐ねぬ朝に吹く風は妹にし触れば我にも触 れ こ そ( 吾 与 経 )〔 末 句 は「 我 れ さ へ に 触 れ 」 の 訓( 武 田 全 註 釈・ 伊 藤釈注)に従った〕
『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 八三 ・ 〇 八 ・ 一 四 六 一 ) 昼 は 咲 き 夜 は 恋 ひ 寝 る 合 歓 木 の 花 君 の み 見 め や 戯 奴 さへ に(佐倍尓)見よ 〔主格・Ⅰ・ b2 ・③〕 ・ (〇六 ・ 〇九五七)いざ子ども香椎の潟に白たへの袖 さへ (左倍)濡れ て朝菜摘みてむ 〔主格・Ⅲ・①〕 ・ (一四 ・ 三五一四)高き嶺に雲の付くのす我 さへ に(左倍尓)君に付き なな高嶺と思ひて 〔時・ a ・①③④⑤⑥〕 ・ (〇 二 ・ 〇 一 九 八 ) 明 日 香 川 明 日 だ に〔 一 に 云 ふ、 「 さ へ 」( 左 倍 )〕 見 むと思へやも〔一に云ふ、 「思へかも」 〕我が大君の御名忘れせぬ〔一 に云ふ、 「御名忘らえぬ」 〕 ・ (〇八 ・ 一六五〇)池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降り敷け明日 さ へ も(左倍母)見む ・ (一〇 ・ 二〇六六)月日えらひ逢ひてしあれば別れまく惜しかる君は明 日 さ へ ( 副 ) も が も〔 初 句 は「 月 日 お き 」、 四 句 は「 惜 し く あ る 」 な どの訓もある〕 ・ (一二 ・ 三〇一〇)佐保川の川波立たず靜けくも君にたぐひて明日 さへ (兼)もがも ・ (一四 ・ 三五二三)坂越えて阿倍の田面にゐる鶴のともしき君は明日 さ へ (左倍)もがも 平安時代のサヘに目を遣ると、この種の用法は古今集に三例見えるほか は、 拾遺集や後拾遺集に一例ずつ見えるに留まる (文献⑫ ・ 四七頁、 【表Ⅳ】 )。 古 今 後 撰 拾 遺 後 拾 遺 蜻 蛉 枕 大 鏡 今 鏡 願望 三 / 一 一 / / / / 万葉集の場合、時の成分を承ける「明日さへもがも」の形は、ほとんど 常套句であるかのような観を呈しているし、主格成分のⅠ〔或る人間から 他 の 人 間 へ 〕 で も、 「 あ の 人 と 一 緒 に 私 も 」 と い っ た 発 想 の 仕 方 が、 一 種 の類型のようなものを形作っていたのではないかと考えられるふしもあっ て、 十 一 例 と い う 数 値 は な に が し か の 割 引 を 必 要 と す る か も し れ な い が、 そうだとしても活発に用いられていること自体は認めねばなるまい。そし て そ れ は、 サ ヘ が、 「~ も 一 緒 に 」 と い っ た ふ う な 意 味 で、 詞 的 素 材 と 同 次元的にはたらいていたであろうことを、大きく示唆するものではないか と思われる。 第二に、仮定条件句で用いられるものは、次の一例であった。 〔主格・Ⅳ・ a 〕 ・ (一四 ・ 三四七四)植ゑ竹の本 さへ (左倍)とよみ出でて去なばいづし 向きてか妹が嘆かむ 平安朝でもこの種の用例は少いが、どちらかと言えば、和歌の方面で命 脈 を 保 っ て い た の で は な い か と 思 わ れ る( 文 献 ⑫・ 四 五 頁、 【 表 Ⅱ 】。 A・ B は、 散 文 作 品 に お け る 総 数 と 和 歌 を 除 い た 数 と を 示 す )。 そ し て こ の 用 法もまた、この語が詞的素材と同次元的にはたらいていたであろうことを 示唆するものと思われる。 古 今 後 撰 拾 遺 後 拾 遺 蜻 蛉 枕 大 鏡 今 鏡 A 一 / 一 二 五 / / 一 B 一 / 一 二 四 / / / 第三に、否定述語とともに用いられるものは、三例が見られた(禁止文 一例を含む。注⑥をも参照) 。 〔主格・Ⅰ・ b1 ・①〕 ・ (〇四 ・ 〇七七〇)人目多み逢はなくのみそ心 さへ (左倍)妹を忘れて
八四 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 我が思はなくに 〔時・ a ・⑦〕 ・ (〇四 ・ 〇七八一)ぬばたまの昨夜は返しつ今夜 さへ (左倍)われをか へすな道の長手を 〔時・ b ・④〕 ・ (一二 ・ 三〇〇六) 月夜良み門に出で立ち足占して行く時 さへ や (禁八) 妹に逢はざらむ このうち、初めの二例は、否定や禁止によって斥けられる事柄の内側に 収まっている。その意味で「狭い」はたらき方と呼ぶことができよう。こ れ に 対 し て 第 三 例 で は、 否 定 的 事 態 全 体 に 対 し て 係 っ て ゆ く も の で あ り、 「 ヤ ― ム 」 の 疑 問 推 量 的 な 意 味 も ま た、 そ の よ う な 事 柄 に 対 し て さ ら に 覆 いかぶさる形で機能する。そうした意味で、サヘは「広い」はたらき方を し て い る と 言 え よ う( 注 ⑬ )。 平 安 朝 で の あ り よ う は と 言 え ば、 次 の よ う になる(文献⑫、四六頁の【表Ⅲ】 )。 古 今 後 撰 拾 遺 後 拾 遺 蜻 蛉 枕 大 鏡 今 鏡 狭 い 一 一 二 / 一 / / / 広いA / 二 一 四 五 一 一 一 広いB / 二 一 四 四 / 一 一 計 一 三 三 四 六 (五) 一 (/) 一 一 周知のようにサヘは、室町期を経て江戸時代の初めには、ダニの幾つか の 用 法 を 肩 代 わ り す る か の よ う に 変 貌 を 遂 げ る が( 注 ⑭ )、 そ う し た 事 象 が生じ得たことのその所以は、サエという助詞自身の意義的個性の内に求 め る こ と が で き よ う。 即 ち、 〔 本 体 ─ 周 縁 〕 的 な 添 加 に お け る 本 体 の 存 在 性格が、 現実的なものから仮構的なものへと変質し、 そのことにおいて、 〈周 縁波及性〉から〈周縁退縮性〉へという転身が果たされたのではないかと 考えられるわけである (文献⑳) 。本稿では、 そうした変化の流れの中での、 そ の 初 発 に あ た る あ り よ う を 明 ら か に す べ く、 『 万 葉 集 』 に お け る こ の 語 のふるまい方を観察してきたのであった。 〔付記〕万葉集の本文は次の書物に依った。 ・ 新 日 本 古 典 文 学 大 系『 万 葉 集( 一 ~ 四 )』 ( 佐 竹 昭 広 ほ か 校 注 一九九九~二〇〇三 岩波書店) 万葉集の解釈については、次の諸書を参看した。 ・『契冲全集(一~七) 』(一九七三~四 岩波書店) ・『賀茂真淵全集(三) 』(一九〇四 弘文館) ・加藤千蔭『万葉集略解(上・下) 』(一九一〇~一一 国民文庫) ・鹿持雅澄『万葉集古義(一~十二) 』(一九三二 精文館) ・ 武田祐吉 『万葉集全註釈』 (全十六冊 : 一九四八~五一 改造社) (増 訂版・全十四冊:一九五六~五七 角川書店) 〔引照は後者による〕 ・ (旧 ) 日 本 古 典 文 学 大 系『 万 葉 集( 一 ~ 四 )』 ( 高 木 市 之 助 ほ か 校 注 一九五七~一九六二 岩波書店) ・ 『万 葉 集 注 釈( 一 ~ 二 十 )』 ( 沢 瀉 久 孝 一 九 五 七 ~ 一 九 七 七 中 央 公論社) 〔引照は普及版による〕 ・ (旧 ) 日 本 古 典 文 学 全 集『 万 葉 集( 一 ~ 四 )』 ( 小 島 憲 之 ほ か 校 注 一九七一~一九七五 小学館) ・『万葉集全注(一~二十) 』(一九八三~ 有斐閣) ・『万葉集 全訳注原文付』 (中西進 一九八四 講談社) ・ 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集『 万 葉 集 ① ~ ④ 』( 小 島 憲 之 ほ か 校 注 一九九四~一九九六 小学館) ・『万葉集釈注(一~十) 』(伊藤博 一九九五~二〇〇〇 集英社) これらの書物の引照に際しては、 「新大系」 「代匠記」 「考」 「略解」 「古義」 「鴻巣全釈」 「武田全註釈」 「私注」 「旧大系」 「澤瀉注釈」 「旧小学館」 「有 斐閣全注」 「中西進」 「新小学館」 「伊藤釈注」等々の略称を適宜用いた。
『万葉集』の副助詞サヘ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― 八五 な お 、 万 葉 集 の 副 助 詞 に つ い て は 、 文 献 ⑰ で ノ ミ を 、 文 献 ⑱ で ス ラ を 、 文 献 ⑲ で ダ ニ を 、そ れ ぞ れ 扱 っ て い る 。併 せ 御 参 照 い た だ け れ ば 幸 い で あ る 。 注 (注①) 群 数 性 と 程 度 量 性 と の 両 契 機 に よ る 副 助 詞 の 類 的 性 格 把 握 に つ い ては、 文献 ㉕ 。この観点を取ることの意味については、 文献⑧の 「む すび」参照。 (注②) 加 納 協 三 郎 氏 の 二 つ の 論 考( 文 献 ③ ④ ) は、 発 表 か ら 八 十 年 を 経 た 今 日 で も な お、 そ れ に 基 づ い て 考 察 を 始 め る べ き 研 究 史 上 の 古 典 と し て の 位 置 を 占 め る と 思 わ れ る が、 院 政 鎌 倉 期 に つ い て 論 じ た 第 二 論 文 が ダ ニ・ ス ラ・ サ ヘ の 三 語 を 取 り 上 げ る の に 対 し て、 万 葉・ 古 今 に 基 づ く 第 一 論 文 で は、 ダ ニ と ス ラ と の 二 語 を 扱 う に 留 ま る。 本 稿 は、 そ う し た 状 況 へ の 補 い と し て の 意 味 を も 持 ち 得 ようかと思われる。 (注③)次の一例は用例から外してある。 ・ (一 四 ・ 三 五 〇 二 ) わ が 目 妻 人 は 放 く れ ど 朝 顔 の と し さ へ( 佐 倍 ) こごと我は離るがへ 第四句の 「としさへこごと」 は、 よく分からないとされる (新大系 ・ 脚注) 。伊藤釈注では《諸説ある中で、 『私注』に、 「トシは稲、ま た は 穀 類 の 穂 」、 「 サ ヘ コ は サ ヘ ク の 訛 」、 「 ゴ ト は 如 く で あ る 」 と し て、 「 朝 顔 が、 穀 物 の 穂 に か ら み 邪 魔 す る 如 く 」 と 訳 し て い る の が 、 最 も 通 り が よ い 》 と さ れ る 。 も し こ の 説 に 依 るならば、 「さへこ」 が 一 つ の 動 詞 と な っ て、 「 さ へ 」 の 用 例 で は な く な る こ と に な る。 そ う し た 事 情 を 汲 ん で、 こ の 歌 は、 姑 く 用 例 外 と 見 て お く こ と に した。他方、 (一二 ・ 二八五八) 「妹に恋ひ」の歌(主格Ⅰ・ a )の 末句は、新大系の訓みでは「我にも触れこそ」であるが、 「我れさ へに触れ」 (武田全註釈・伊藤釈注)の訓みも十分に考えられるた め、本稿では、用例に組み入れることにした。 (注④) 『時代別国語大辞典 上代編』 (一九六七 三省堂) 「さへ」 の項に、 次のような記述が見える。 《上 代 の 例 で は 、 サ ヘ は 体 言 に の み 接 し 、 そ の 体 言 は 時 の 名 詞 以 外 は 、 主語の資格をもつものがほとんどである》 (注⑤) か つ て 平 安 朝 和 歌 の サ ヘ に つ い て 検 討 し た 時 、 主 格 成 分 に お け る 〈 添 加〉 の 内 容 面 に お け る 類 型 と し て 、 次 の よ う な 五 つ を 立 て て い た (文 献⑫・四二頁、 【表Ⅰ】 )。 古 今 後 撰 拾 遺 後拾遺 A:自然から人間へ B:人間から自然へ C:人間から人間へ D:自然から自然へ E:主副的連繋 八例 三例 二例 / 九例 五例 六例 / 二例 六例 一例 三例 五例 七例 二例 四例 四例 八例 四例 / 合 計 二二例 一九例 一八例 二〇例 他方、 平安朝の散文については、 次のような整理を施していた(文 献⑯・八〇頁、 【表Ⅱ】 。種類の最も多い枕を最上段に置いてある。 枕草子 蜻 蛉 大 鏡 今 鏡 Ⅰ・ a : 或る人間から他の人間へ Ⅰ・ b : (人間の) 或る要素から 他の要素へ Ⅱ : 人間から外在的な事物へ Ⅲ : 外在的な事物から人間へ Ⅳ : (外在的な) 或る事物か ら他の事物へ Ⅰ・ a Ⅰ・ b Ⅱ / Ⅲ / Ⅰ Ⅱ / / Ⅰ・ a Ⅰ・ b / / Ⅱ 本 稿 は、 和 歌 の 用 例 を 扱 う も の で は あ る が、 基 本 的 に 後 者 の 類 型 に 従 っ て い る。 和 歌 の 場 合 も、 で き る な ら ば、 散 文 の 場 合 と 共 通 の 分 類 を 施 す ほ う が、 よ り 望 ま し い の で は な い か と 思 わ れ た か ら
八六 『万葉集』の副助詞サヘ ―― 上代における〈周縁波及性〉の意義の確認 ―― である。 そこで、後者の観点から前者のE「主副的連繋」について見直して みると、それらは、Ⅰ・ b とⅣとのどちらかに、帰属させることが できそうに思われる。次にそれを歌集別に掲げる(用例冒頭の数字 は、文献⑨⑩⑪それぞれにおけるE類型での挙例番号) 。 【古今】 ○人間の或る事物から他の事物へ ⑨浅みこそ袖は漬つらめ涙河身 さへ ながると聞かばたのまむ (恋三 ・ 六一八、業平) ○外界の或る事物から他の事物へ ①吉野河岸の山吹ふく風に底の影 さへ うつろひにけり (春下・一二四、貫之) ②風ふけば落つるもみぢば水きよみちらぬかげ さへ 底に見えつゝ (秋下・三〇四、躬恒) ③咲きそめし宿しかはればきくの花色 さへ にこそうつろひにけれ (秋下・二八〇、貫之) ④ことならば事の葉 さへ もきえななむ見れば涙のたぎまさりけり (哀傷・八五四、友則) ⑥春雨ににほへる色もあかなくに香 さへ なつかし山ぶきのはな (春下・一二二、不知) ⑤白雲に羽うちかはしとぶ雁のかず さへ 見ゆる秋のよの月 (秋下・一九一、不知) ⑦ かゝるわびしき 身ながらに つもれる年を 記せれば 五つ の六つに なりにけり これに添はれる わたくしの 老いの かず さへ やよければ(雑体・一〇〇三、忠岑) ⑧ 植ゑしうゑば秋なき時やさかざらむ花こそちらめ根 さへ かれめ や(秋下、二六八、業平) 【後撰】 ○人間の或る事物から他の事物へ ④身を分けて霜や置く覧あだ人の事の葉 さへ にかれもゆく哉 (冬・四六二、不知) ⑤忘れ南と思心のつくからに事の葉 さへ や言へばゆゝしき (雑二 ・ 一一五二、不知) ⑥今日よりは夏の衣に成ぬれど着る人 さへ は変らざりけり (夏・一四七、不知) ○外界の或る事物から他の事物へ ①秋の月光さやけみもみぢ葉の落つる影 さへ 見えわたる哉 (秋下・四三四、貫之) ②水底の色 さへ 深き松が枝に千歳をかねて咲ける藤波 (春下・一二四、不知) ③あまり さへ ありてゆくべき年だにも春にかならずあふよしも哉 (春下・一三五、貫之) 【拾遺】 ○外界の或る事物から他の事物へ ①行末のしるし許に残るべき松 さへ いたく老いにける哉 (雑上・四六一、道済) ②たこの浦の底 さへ にほふ藤浪をかざして行かん見ぬ人のため (夏・八八、人麿) かつてE「主副的連繋」としたものは、散文や本稿の類別に引き 当てるならば、Ⅰ・ a やⅣに相当するものであったと、振り返るこ とができよう。 翻って、万葉集・主格成分の用例から、敢えてEに相当するもの を探すなら、次のようなものになろうかと思われる。