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予言の見地からする監査知識の吟味(5) : 内部統制の整備・運用状況についての評価とSubstantive testsとの関連付け

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予言の見地からする監査知識の吟味(5)

一内部統制の整備・運用状況についての評価と          substantive testsとの関連付け一 酒  居  「叡  二

IK皿

v substantive testsの存在理由 準拠性テストの使命とsubstantive testsの使命 内部統制の整備・運用状況についての評価とsubstantive testsとの 関連付け(1):AICPA統計的サンプリングに関する委員会の見解 内部統制の整備・運用状況についての評価とsubstantive testsとの 関連付け(2):ベイズ風アプローチ A工CPAによる公式見解一その後一 I substantive testsの存在理由  被監査会社において仕組まれている内部統制の外枠の形式(SAP No.54=       1) SAS No,1Section 320に従えば,組織計画・手続・記録)は申し分ないもの であるということが予備調査の段階で観察されており,また取引記録の監査に よっても,定められている内部統制手続への各種作業の準拠性は申し分ないも のであるとの評価が外部監査人において得られているならば,最早,勘定残高 の正否について監査する必要はないといえるか?すなわち,内部統制の整備・ 運用状況が良好である旨評価されるならば,ここで監査の調査過程を閉じても よいといえるであろうか?想定されるこのような問いかけに対して肯定的な答 1)SAP 1>io.54とは,アメリカ合衆国公認会計士協会(AICPAと略称,以下同じ)  の監査手続に関する委員会が1972年に公表した監査手続書第54号『内部統制について  監査人が行う研究(調査)および評価』の略称。S4S No.1とは, AICPAの監査基  準審議会が1972年に公表した監査基準書第1号『監査基準・手続の集大成』の略称。  SAP, SASを以て表示する略称の仕方については以下同じ。

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 2  彦根論叢 第244号 を示している文献は一篇だに存在していない。しかしながら,何故「否」であ るのかについて平易・明快に示してくれている文献は必ずしも多くないように 思われる。たとえば,SAP No.54においては,下記の如き監査実施基準第2          1      2) の文言を拠り所とする次のような理由が展開されている。  「被監査会社の内部統制に依存してよいのかどうか知り,また,そのことに ついての判断をふまえて監査手続を制限してよいテストの範囲はどこまでであ るか決定する基礎として現存している内部統制を正しく調査し評価すべきであ る。」  理由1.上記監査実施基準第2の中で用いられている‘‘制限してよいare to be restricted”という丁半は,言外の意味としても“除外してよいare to be eliminated”という意味をもたない。  理由2.監査実施基準第3「監査対象としての財務諸表に関し監査意見を表 明するための合理的な基礎が得られるように,視察・観察・質問・確認より成 る監査技術を駆使して質量ともに十分な証拠資料を入手すべきである。」中に, 被監査会社の内部統制を完全に信頼してよいということを示唆する言い回しは 含まれていない。  理由3.会計面からの統制がどの程度有効であるといえるかについては固有 の限界がある。  上記理由の1,2はともに監査実施基準あるいはその立案・制定者の権威を 飽くまでも文言に忠実に受け入れることによって初めて生じるものであり,こ のような姿勢自体軽視されてはならないこと勿論であるが,内に生命の躍動す る必然性という観点からみるとき必ずしも十分な理由とは認め得ないであろう。 上記理由の3に示されている「固有の限界」とは,被監査会社の従業員の側に おける指示の誤解・判断の誤り,個人的な不注意・気の散り・疲労に起因する        の 誤謬,共謀・全社一丸の不:正経理に対する内部統制の無効,を指す。SAP No. 2)AICPA, SAP No.54, paragraph 71. The∫ournal of.Accountancy, March 1973,  P.63. 3)AICPA, SAP No.54, paragraph 34.(The/burnal of Accountancy, March 1973,  P.59.)

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       予言の見地からする監査知識の吟味(5) 3 54はこの内部統制固有の限界こそが上記理由1を支える根本的な理由であると        の指摘するにとどめている。監査手続書の性格上これ以上踏み込んだ理由を展開 するこ・との困難なのは首肯し得るとしても,不徹底は理解をあいまいにし誤解 をも生ぜしめるといえるであろう。内部統制の限界は決して本当の意味におけ る限界ではないということ,内部統制から真に自由になり得る者は誰二人.とし て居ないということ,そのための備えとしてsubstantive testsがあるという こと,これが内部統制の整備・運用状況の調査だけでは不十分であるというこ との第1の理由でなければならない。その他,「準拠性テストによって導出さ れる誤謬率が低いものであるからといって財務諸表は著しく正確なものである        のということになるわけでは必ずしもない」ということもsubstantive testsの 存在理由として挙げ得るであろう。最後に述べた理由を前面に立てれば,内部 統制の限界あるいはその守備範囲の面からsubstantive testsの存在理由を理 解することは,迂遠であり省略されてよいことのように思われるかもしれない。 しかしながら,それでは,‘もubstantive testsの存在理由は?”を“substantive testsの使命は?”と読み換えたとき困惑することにならざるを得ないであろ う。 ll準拠性テストの使命とsubstantive testsの使命  a.準拠性テストの使命 被監査会社の内部統制を当てにすることができない状態とは具体的にどのよう な状態を指すものであるのか先ず考えてみよう。そのような状態とは,少く・と も,①企業内構成員個々の責任の所在が不明確である,②職務遂行上の手続が 各職務担当者に周知徹底されていない,③責任の委譲関係・責任の遂行状況を 示す記録が後日の操作を許さないよう忙系統的に整理・保管されていない,④ 個々の企業内構成員に覚握と誠実性とがない,の中の1個の要件さえ生起すれ 4) AICPA, SAP No. 54, paragraph 71. (The Journal of Accountancy, March 1973,  p. 63.) s) R.K. Elliott & J. R. Rogers, “Relating Statistical Sampling to Audit objec−  tives,,’The/burnalげノ1ccountancy, July 1972, p.47.

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 4  彦根論叢第244号 ば直ちに成立つものと考えてよいであろう。④の状況の有無について識別する ことは誰にとっても相当困難なことであろうが,①∼③については左程困難な ことでもない。但し,①∼③の状況の有無観察を被監査会社外部の人間に委ね るためには,被監査会社に負担し得ないほど多大な費用が必要になるにちがい ない。これはむしろ被監査会社を運営していくものの職務に含められるものと 看倣すならば,上記の如き費用は不要になるとともに,被監査会社内部におい て日々なされている全作業の品質管理は真に生きたものとなる筈のものである。 ①∼③の状況の存否についての観察とそれをふまえたうえでの必要な処置が被 監査会社に委ねられている所以はこれをこのように理解し得るであろう。  被監査会社の構成員としての経営者・従業員が大半眠ってしまっている,あ るいは,不誠実であるというのであれば論外である。その会社はすぐにも倒産 するであろう。しかし,そうではないというのであれば,たとえ一部門経営者 ・従業員による誤謬・不正が被監査会社において生起していたとしても,その ような誤謬・不正は外部監査人の目に触れる以前に大方調整されてしまってい るにちがいない。正に,光に照らされた闇の世界など存在する筈もないという ことが認められるであろう。但し,誤謬・不正という闇の存在について考える ときには,闇の世界を作り,隠そうとする力が存在しているかもしれないとい うことについてまで考慮すべきである。闇の世界を作り出しておきながらこれ を隠そうと働く力は,個の弱さということについて十分承知しており,誘惑さ れた個の連合=共謀ということを考えるであろうからである。一度,共謀が成 立すれば,内部統制の外枠の形式を破壊することはできなくとも,会社内部の 他者に気付かれないまま誤謬・不正を犯すことは可能となる。このような可能        こま性があるにもかかわらず手を棋ぬいて被監査会社内部統制の整備・運用状況如 何ということにのみ依存している監査入は,企業内部の他者同様,共謀者に欺 かれていることについてすら気付かないままということにならざるを得ないで あろう。監査人が被監査会社の内部統制に依存しきってはならない最大の理由 はζれをこのように理解することができる。  「内部統制全体は最高経営者あるいはこれに準ずる経営者の支配下にあるか

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       予言の見地からする監査知識の吟味(5) 5 ら,内部統制はこれ(最高経営者もしくはこれに準ずる経営者による誤謬・不       の 正)を制限する能力をもっていない」との議論についても実は同様に考えるこ とができるであろう。すなわち,たとえば「被監査会社の最高経営者自身が部 下に命じて実体のない取引きを記録させている」というが如き事象は,被監査 会社内部統制の整備・運用がむしろ完壁に近いものでなければ生じ得ないこと ではあるが,このような事象が被監査会社内部において摘発され,責任の所在 が追求され,是正措置が講じられるということも,真に勇気ある者の内部告発 があるのでなければ,これまたあり得ないことと看徹し得るであろう。このよ うな可能性を否定することは確かにできないにちがいない。但し,このような       じゅうりん 可能性を前面に押し立てて,被監査会社経営陣による内部会計統制揉醐の有無 を確かめるためには内部会計統制の調査だけを以て満足することができないの であるとする議論を上策と認めることは困難である。経営者も従業員も弱さに おいて異るところのない人間である。会社経営陣のみを悪者扱いしょうとする このような論拠を受け入れておとなしく公認会計士監査に協力する経営者がい たとするならば,むしろ,驚きと看徹す他ないであろう。このような議論に対       わ する気配りを痛いほどまでにしている監査文献も存在していることは慰めでも あると筆者は感じている。これを要するに,内部統制の守備範囲は被監査会社 の経営者か従業員かの単独行為による誤謬・不正までであって,経営者か従業 員かのからんだ共謀行為に対して内部統制は無力であると理解すべきであるこ とが解る。  このように,どのような形で何個存在しているかも監査人には分らない共謀 行為に対し内部統制は無力であるというのであれば,内部統制に依存すること 6)高田年別著『最新監査論』,(株)中央経済社,昭和58年,158頁。但し,この引用  文には筆者の意訳が入っている。引用個所の正確な文言は以下の通りである。   「内部統制全体は,最高経営者あるいはこれに準ずる経営者の支配下にある。これ  ら経営者の権限は,内部統制の枠外にあってそれを動かす力をもっている。したがっ  て経営者が内部統制の枠をはなれて独自の決定を行うことは容易であり,内部統制は  これを制限する能力をもっていない。」 7) R.K. Mautz & H. A. Scharaf, The PhilosoPhy of Auditing, AAA, 1961, pp.  44−46. R.K. Elliott & J. R. Rogers, oP. cit., pp. 49−50.

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 6 彦根論叢第244号

など止めて,財務諸表勘定項目の数量的表現とその被写体との照合に全面的に 依存しては如何との議論も生じるかしれない。しかしながら,財務諸表勘定項 目の数量的表現導出前の一切の記録を無視ないし捨象することを意味するこの ような方法のみを以て財務諸表勘定項目の数量的表現が正確なものであるか妥 当なものであるか判定しようとしても,そこには無理のあることが知られるで あろう。この理由として,およそ以下の3個のものを挙げることができる。第 1に,主たる財務諸表の1つとしての損益計算書は抽象的な名目勘定によって のみ構成されているから,損益計算書勘定項目の数量的表現とその被写体との 照合を直接的に行うことはできず,したがって,損益計算書勘定項目の数量的 表現は事実上監査対象外とならざるを得ないことになる。第2に,この方法は 貸借対照表勘定項目の数量的表現の過大表示に対して有効ではあっても,過小 表示に対しては無効であるということが挙げられる。第3にたとえ貸借対照表 勘定項目の数量的表現に過大表示も過小表示もなかったにせよ,この方法のも とで用いられる財産評価の方法が貸借対照表勘定項目の数量的表現導出に際し 用いられてきた財産評価の方法に細部に至るまで全く同じということは,きわ めてありそうにもないことであるから,この方法のみを以て,貸借対照表勘定 項目の数量的表現が正確なものであるのか否かについての確信を得ることは困 難である,がすなわちそれである。  準拠性テストの使命は,被監査会社の経営者か従業員もしくはその両者に共 謀がある場合はいざ知らず,被監査会社の内部会計統制によって,記録ことに 財務諸表勘定項目の数量的表現の正確性は大筋確保されていると看算し得るか 否かについての客観的知識を与え,監査費用を軽減してよい程度についての指 針を与えることにあると解してよいであろう。準拠性テストの結果は被監査会 社の経営者か従業員もし. ュはその両者による共謀の前に無効であるとはいえ, 共謀の概念を広義に解する.とともに,記録の脱漏を含め誤謬■t s正に関する責 任の所在が記録上に見出されないことはあり得ないように諸手続が規定されて いるなら,共謀による誤謬・不正を摘出するためのテスト(substantive tests) を別途講じることは可能である。substantivs testsの前にあっては共謀による

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       予言の見地からする監査知識の吟味㈲  7 誤謬・:不正といえども白日のもとに逃れる余地はないということ,この‘‘白日 のもとに”と言うときの“白日”をより効果的・より経済的に照射するための 手段として被監査会社の内部会計統制を位置づけ得るのであるということ,こ れら2点についての理解がなければ,「内部統制の存在が試査の前提である」     8) との命題を真に理解することはできないであろう。  b,substantive testsの使命  前述の如く,substantive testsの使命は内部会計統制の盲点としての共謀行 為の存在可能性に対処するものとして位置づけることができる。共謀とは複数        たくらの人間が何事かを共同してはかり企むことであり,必ずしも悪事であるとは限 っていないことであろうが,少くとも所期の目的が達成されるまでの間におい ては一切の行為・行動を隠密にし,他者の思いの裏をかこうとする計画である にはちがいない。多くの場合これが暗黙のうちに悪事に数えられるのは,その 所期の目的が右四の批判に耐えられるものでないということにもとつくと看徹       いんぺいしてよいであろう。しかしながら幸いにも,どのような隠密行動・隠蔽工作で あれ,白日のもとにおかれたとき責任の所在が明らかにならないことはあり得 ない。何故このように言い得るのかについて今少し考えてみよう。  会計面における共謀は如何なる形式を以て現象するか考えるとき,それは記 録相互間における矛盾の隠蔽ということを除いてあり得ないということが了承 されるであろう。ところが,記録は記録として完全に独り歩きし得るものでは なく,被写体があってこその記録であるから,記録上の矛盾を最終的に統制す るものは被写体であると看溢してよい。被写体についての評価方法は,わが国 の場合,企業会計原則等によって一応制約されているから,監査人において真 実な被写体物件をすべて把握することが可能であるなら,両者の積として示さ        なにびと れる被写体についての財務的数量表現は,何人といえども,これを承認せざる 8)高田正淳,前掲書,143頁。但し,引用命題についてのこのような表現形式}こは筆  者の意訳が入っている。引用個所の正確な文言は以下の通りである。   .「今日の財務諸表監査の実施は,試査を建前とするが,それが可能であり,なおか  っ監査人が確信をもって財務諸表に対し意見を表明することができるのは,このよう  な前提を支える内部統制の存在があるからである。」

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 8 彦根論叢 第244号    、 を得ない筈のものである。経営者の思いによっても,従業員の思いによっても, 内部統制によっても,共謀行為によっても自由にならないものがここにあるこ とに注目し,これと内部統制の過程を経て導出されてきた被写体についての数 量的表現とを照合することによって,両者の数量表現に矛盾がないか見ようと       う するのがsubstantive testsの狙いであると解してよい。あるいは, substantive testsの関心は,写体としての記録在高と被写体としての各勘定項目残高と の事実における一致を確認しようとするものであると言ってもよいであろう。 “substantive”とは“independent:独立した存在の”ということであるが故 に,substantive testsはこのように解釈されるべきものであると筆i者.は考えて いる。  ところで,substantive testsが共謀に対しても有効であるとの論拠を“記録 相互間における矛盾の隠蔽は矛盾の所在の転化でしかなく,矛盾の存在そのも のを消滅させることはできない”にもとめ得ることは首肯し得るとしても,共 謀に対するその有効性は具体的にどのように解すべきものであるのか,共謀の 存在を100%摘発し得るものであるのかが問題となるであろう。それ故,この 問題について今少し考えてみる。       ゆ  企業内構成員の共謀によって記録相互間における矛盾が放置されていること も,記録相互間における矛盾を新たに作成した記録に転化していることも,矛 盾に逃れ場のない点においては同等である。共謀行為が前者の形態をとるか後 者の形態をとるかは第3者にとってもとより不明なことであるとはいえ,被監 査会社の内部統制の整備・運用が厳密になればなる程,共謀行為の形式は後者 のものに落着かざるを得なくなるとは言えるであろう。少しでも長く生き延び たいと欲するのは矛盾においても同様であるとするならばこのようにならざる を得ないというのは,以下の一連の事由によっている。 g)A工CPA, SAP No.54, paragraph 70.(The fournalげ.4000撚彦αηoッ, March 1973,  p. 63.) 10) 自己に割当てられている課業の遂行中に,他者による誤謬・不正を発見したにもか  かわらず,これに対する是正措置をとらなかった企業内構成員は,結果的に,当該誤  謬・不正に加担した共謀者であると看徹してよいであろう。

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       予言の見地からする監査知識の吟味㈲  9  すなわち,  ①このようにすることによって,少くとも即時発覚を防ぐための当座の時 間稼ぎをすることができる。記録相互間における矛盾の放置は数値の切断=不 連続として一目瞭然に識別可能なものであるので,発覚に対するその防御力は 0同然と看倣し得るからである。しかしながら,このような記録上の矛盾隠蔽 形態こそ却って盲点として利用されることもあり得るから,上記の議論は,す べての合計算・転記の正否について確認する労を省略してはならないという前 提のもとに成立づ議論であるといえるであろう。  ② 記録在高と実際在高との照合テスト(substantive tests)は試査を以て行 われざるを得ないから,実際在高との関連において矛盾を含みもつ記録が標本 として抽出され,その結果,記録上の矛盾が具体的に発覚するとは限らない。  ③ 会社もそれ自体同個の生き物であるから,そのうち他の理由によってど のような混乱が会社内外に生じるやも知れず,記録上の矛盾が人に気付かれな いまま放置されてしまうことになるやもしれない,がそれである。  共謀により記録上の矛盾を惹起したものがおそらく最終的にたどり着くであ ろう不遜な思いに満.ちたこ.のような逃れの道をsubstantive testsは,しかし         ながら,罠を以て待ち構えている。また,たとえ外部監査人によるsubstantive testsの網目にかか・らず逃れ得た記録上の矛盾があったとしても,それは決し て本当の意味における共謀者の勝利であるとは考えられない。人はシャッター の下されてしまった後の内部統制を後戻りすることはできず,前へ進むしか 11)逃れの道’を封ずる方途として,’一応,以下に示す2つのものを識別することができ  るであろう。   第1.サンプリングは100%完全な検査を要する項目(key items)の識別後になお  残存している項目に対してのみ行うようにすること。AICPA, SAS No.39, paragraph  21. (The Journal of Accozantancy, August 1981, p. 107.)   第2.このような残余項目部分としてのサンプリング対象母集団について要求され  る保証水準が監査計画の段階で設定されているなら,このような保証水準を十分満た  す標本規模が如何ほどであるかについて計算することは可能であること。   R. Anderson & A. D. Teitlebaum, “Dollar−Unit Sampling,” Canadian Chartertid  Accountant, April 1973, p. 37.   R.S. Kaplari, “Sample Size Computations for Dollar−Unit Sampling,” /ournal  of Accoesnting Research 13, Supplement 1975, pp. 129一一31.

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 10 彦根論叢 第244号 できないように,シャッターが下されてしまった後のsubstantive testsを後 戻りすることはできないからである。すべて終ってしまったことを終る以前の 状態に巻き戻すことはできないともいえる。共謀者の中に罪の意識が生じる ことはないというなら論外である。しかし,そうではないというのであれば, substantive testsは共謀による誤謬・不正を招来した一人一人に対し次のよう に問いつめずにはおかないであろう。  「あなたは,あなたの犯した罪と過ちから本当に逃れきることができるか? 罪の赦しを乞おうとしても赦すことのできる人が最早いなくなればなおさらで ある。死後の世界に至るまで重荷を負っていかねばならないであろう。」  このように潤いかけるsubstantive testsの共謀行為者に対する具体的成果 は現実を見る以外にないであろう。しかしながら,共謀行為者に対するsub− stantive testsの具体的成果と有効性とは必ずしも同義ではない。現状が如何 ようであれ,共謀行為者に対するsubstantive testsの有効性についてはいさ さかの疑念も禁止されるといえるであろう。 皿 内部統制の整備・運用状況についての評価とsubstantive testsとの   関連付け(1):AICPA統計的サンプリングに関する委員会の見解  叙上の如く,監査人にとっては被監査会社の内部統制に依存することも監査 入自らsubstantive testsを行ってみることもともに必要であり,その一方に のみ依存することの不当性が理解されたなら,次には,この両者を関連付ける にはどのようにすればよいのかという問題が生じてくるであろう。何故なら,       ラ substantive testsを構成している監査手続の一つ分析的再吟味手続についてテ スト範囲(標本規模)の決定はほとんど問題にならないであろうのに対し,も う一つの監査手続:取引・残高の詳細についてのテストにとってはそうはいか ないであろうからである。これを更にいえば,財務諸表を発現させるための会 計過程において発生しているかもしれない重要な誤謬が被監査会社の内部統制 12) AICPA, SAP Aro. 54, paragraph 70. (The Journal of Accountancy, March 1973,  p. 63.)

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      予言の見地からする監査知識の吟味(5) 11 によって把捉・調整されていないかもしれ.ない危険を監査人がsubstantive testsによって可能な限り正しく受けとめるのでなければ,監査人の意見を当 てにせざるを得ない財務諸表の利用者は正しくない情報を正しい情報として飲       ヨう み込まされることになるからである。  この問題に対するSAP No.54の対応の仕方は,しかしながら,きわめて あいまいであ.ると言わざるを得ない。すなわち,以下の如くである。  「(前述の)監査実施基準第2は,監査実施基準第’3の中に述べられている量 的に十分な証拠資料を得るためどの程度のテストをしなければならないかは監 査人が被監査会社の内部統制を当てにする程度に反比例して変化すべきも.ので あるということを認識している。監査実施基準第2・第3を一体としてみるな らば,その意味するところは,監査人が被監査会社の内部統制と自ら選択・摘 用する監査手続(substantive tests)とのうち,いずれを他方より重視して当 てにするかは状況如何により当然変化するものであってよいけれども,両者を 如何ようにか按排すれば,監査意見を支える合理的な基礎があらゆる場合に得       14) られるということでなければならないということである。」  上記引用文が言わんとすることは,要するに,「被監査会社の内部統制が不 良なものである場合には,内部統制が良好なもので.ある場合に比し,substan一        tive testsの標本規模を大きなものにする必要がある」ということであるなら ば,ζれは一見自明なことであるように見える。その論拠は,標本抽出のもと になる母集団の状態に対し直接影響力を行使しているのは内部統制であるから, ということになるのであろう。すなわち,良好な内部統制のもとにおいては誤 謬生起の蓋然性が減少し,内部統制の有効性が低下す.るにつれて誤謬生起の蓋 然性は増大するという一応の因果関係をふまえたうえで,監査上必要な標本規 13) AICPA, SAP Aro. 54, Appendix A paragraph 14, 15. (The fournal of Ac−  countancy, March 1973, p. 65.) 14) AICPA, SAP No. 54, Appendix A paragraph 19. (The fournal of Accountancpt,  March 1973, p.66.)()内=筆者補充。 ls) K. A. Smith, “The Relationship of lnternal Control Evaluation and Audit Sample  Size,” The Accounting Review, April 1972, p. 260.

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12 彦根論叢 第244!号         模についての上記命題が導出されたものと理解することができる。しかしなが ら,内部統制が直接作用するのは母集団の中に存在している誤謬の量すなわち 母集団中の誤謬率に対してであって,金額を以て示された変数の量に対してで         はないということ,および,substantive testsの守備範囲は準拠性テストのそ れに従属したものではなく,むしろ,企業内構成員の共謀行為に対処したもの であるということを考えると,上記の論拠,および,それに支えられる上記命 題の不当性は明らかである。  ともあれ,監査手続を制限してよいsubstantive testsの範囲の決定に内部 統制についての評価が役割を演じるべきであるということから,内部統制の状 態と標本規模とを関連付けようとの試みをAICPAの統計的サンプリングに関 する委員会は行ってきた。SAP No.54,付録Aパラグラフ15,付録Bパラグ ラフ28および31−34の中に示されている思考の要約としても読むことができる 以下の引用文を見るなら,AICPA統計的サンプリングに関する委員会の見解 中に存する問題点がよりょく理解されることになるであろう。  「しかしながら,内部統制が母集団に及ぼす直接的影響ということ以外の手 段によって,内部統制と標本規模とを関連させるについては正当な理由がある。 ……W本を評価する目的は,おそらく,検査対象になっている母集団について のある命題が真実なものであることを証拠だてることにあるといってよい。標 本上のテストおよび内部統制の評価のおのおのにより独立に引き出された断片 的証拠がともに命題の成り立つことを証拠だてている場合には,別々に考慮し た断片的証拠のいずれか一:方によって支持される命題の信頼性に比し,命題の 信頼性は大きなものとなる。したがって,内部統制の評価を通じて得られてい る断片的証拠により命題の成り立つことがすでに証拠だてられている場合には, 標本上のテスト結果如何ということによって監査上の命題が決定的に確認され       う ると考える必要はなくなる。」 16) tbid. 17) lbid., p. 261. 18) lbid., p. 21.

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       予言の見地からする監査知識の吟味⑤  13  なるほど,被監査会社の内部統制が良好なものである場合には,そうでない 場合に比し,substantive testsの.統計学上の信頼性水準を低く指定することが       「反比例」ということの意味であるとするなら,このような見解を支持する監 査文献は他.にも見出せることであろう。たとえば以下の如くである。   内部統制の有効性とsubstantive tests用    左記の例では一「内部統制につ   信頼性水準との関係      いての評価」として示されてい 内部統制についての評価 信頼性水準

秀好ず弱

  ま

  ず

優良.ま貧 750/0 900/e 950/0 990/o (出所:J.J. Willingham&D. R. Carmichael,  “Auditing Concepts and Methods,”McGraw−  Hi11,1971, p.176. K. A. Smith, op. cit., p.  262.において引用.) ことによって,監査意見表明の基礎となる結合信頼性水準のもとに両信頼性水 準を関連づけようとするAICPA統計的サンプリングに関する委員会の姿勢と は対照的である。AICPA統計的サンプリングに関する委員会の流儀によれば, 内部統制の信頼性水準に割当てられる数量的表現によって,substantive tests         の信頼性水準に割当てられるべき数量的表現が自動的に決定されることになる。 それ故,このアプローチの第1の問題点は内部統制の信頼性水準を正確に数量 表現することが果して可能であるのかということに帰着するといえるであろう。 る「監査人の内部統制に対する 主観的信頼」が数量表現される ことなく「優秀」「良好」「まず まず」「貧弱」と.表現されてい る。これは内部統制の信頼性水 準にも substantive testsの信 頼性水準にも数量的表現を付す 19) lbid., p. 262. 20)AICPA統計的サンプリングに関する委員会は, substantive testsの信頼性水準導  出のための公式として以下のものを提示していた。      l     s=i一一glzss)一g)        (1−C)  但し,   S:substantive testsの信頼性水準   R=望ましい結合信頼性水準   C:内部会計統制およびそれに関連のあるその他の要因に割当てられている信頼性     水準  AICPA, SAP No. 54, Appendix B, paragraph 35. (The fournat of Accountancy,  March 1973, p. 70.)

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14 彦根論叢 第244号 このような問題点があることを意識しつつ,AICPA統計的サンフ。リングに関 する委員会はなおも強引であった。すなわち,以下の如くである。  「……,統計的信頼と(被監査会社の内部会計統制に対する)主観的信頼と を正しく数量表現するには如何にすればよいかということについての実務上の 問題はある。しかしながら,、この問題は,統計的標本を利用することによって 生ずる問題ではなく,監査証拠を評価し結論を得るという過程中の如何なる事        21) 象にも内在する問題である。」  問題点第2.監査手続を制限してよいsubstantive testsの範囲の決定に内        22) 部統制についての評価が役割を演ずべきであるということ自体については,筆 者にも異論はない。ただ,substantive tests範囲の決定に対する内部統制評価 の役割は,substahtive testsと内部統制との結合信頼性水準というものを当初 から意識し考えることによってのみ見出されるものではないというこ.と,むし ろ,AICPAの統計的サンプリングに関する委員会が示した“内部統制の信頼 性”の利用法には明確な誤りがあるということに気付くべきであると主張して いるにすぎないのである。準拠性テストの段階に至るまでの間,監査入が被監 査会社の内部統制に対して下した評価が「優秀」であろうと,「良好」であろ うと,「まずまず」であろうと,「貧弱」であろうと,監査人が設定した精度上   ゆ 限値のもとでsubstantive testsの統計学上の信頼性水準を一律に,「監査人の 監査では重要な誤謬・不正を発見し得ない確率の補数」,あるいは,「監査入お よび監査人の意見を当てにする.人々が被監査会社の虚偽報告に欺かれているか もしれないことを覚悟しなければならない危険確率の補数」とすることによっ 21) AICPA, SAP Ara. 54, Appendix B, paragraph 31. (The Journal of Accountancy,  March 1973, p.70.)()内は筆者補充。 22) K.A. Smith, op. cit., p. 260. 23)古典的統計学を用いる場合にせよ,ベイズ風統計学を応用する場合にせよ,標本結  果にもとづき,真実の母集団誤謬率がある一一定の誤謬上限値を越えることはないとい  うことについて,それに対応する統計学上の信頼性水準が定まることになるであろ  う。(拙稿「予言の見地からする監査知識の吟味(3)」44頁以下参照。この与えられた  信頼性水準のもとで真実の母集団誤謬率が越え得ない誤謬上限値のことを精度上限値  (uPPer Precision limit)と定義している。(R. Anderson&A. D. Teitlebaum, Op.  cit., p.32.を参照。)

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       予言の見地からする監査知識の吟味(5) 15 てこそ,内部統制についてそれまでに下されていた評価が改めて評価し直され るのであるということを知らなければならない。 IV 内部統制の整備・運用状況についての評価とsubstantive tests   との関連付け(2);ベイズ風アプローチ  筆者は前に,準拠性テストにベイズ風統計学を応用することには問題がある       旨の指摘をしたことがある。しかし,ここで吟味しようとするのはsubstantive testsにおけるベイズ風統計学応用の是非についてであり,準拠性テストと        substantive testsとでは同列に考えることができないとの指摘もあることであ るから,本節標記の問題について改めて吟味してみることにしよう。  ベイズ風アプローチは,基本的には,標本以外の要因についての評価を主観         確率を以て示したものと標本結果とを結合しようとするものであるから,その 思考法は根本において前記AICPAの統計的サンプリングに関する委員会のそ れと異るところはないと解してよい。ただ,K. A.スミス(K. A. Smith)の 如きベイズ風アプローチ応用論者は,内部統制についての評価を数量表現する ことの困難,つまり,監査人の欲する結合信頼性水準からそれを控除した後の 残余としてのsubstantive tests用信頼性水準確定の困難を素直に認め,その           利用を断念しているという点において,AICPA統計的サンプリングに関する 委員会と異った存在であると言うことができる。ところで,substantive tests にベイズ風統計学を応用することが技術的に果して可能であるのかという段に なると,いささか怪しいと看倣さざるを得ないであろう。すなわち,以下の引 用文によって示されているところはsubstantive testsに対してもあてはまる ものであるのか考えてみよう。 24)拙稿,「監査におけるベイズ風統計学応用上の問題点」,雑誌『企業会計』,vol.37,  No.3,1985年,110−112頁。 25) AICPA, SAP No. 54, Appendix B, paragraph 28. (The Journal of Accountancy,  March 1973, p. 69.) 26) K. A. Smith, oP. cit., p. 265. 27) lbid., p. 264.

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i6 彦根論叢第244号     1  「監査人は,そめ検査対象としている母集団について何かを知っており,そ れ故,あり得るすべての自然状態がどのようなものであ’るかというととについ

ての騨絡タの自然状鰹とに剛でな亙’と発見することができる・鯵状

態について聴しい事前糊置騨!碍ることタ珂能でありさ馨れば・ベ

イズ風統計学こそ理想的なものであることであろう。また,そうであれば,古 典的統計学を用いた推論の方法によっては無用な保守主義とコストとが生じる        2B) 一どいうことになるであろう。」  それで今,sUbstantive testsを行うときの対象母集団の一例として下記の如 き勘定残高を想定してみる。   売掛金    $5,000, OOO. 上記の議論にあてはめてこの命題を理解するならば,あり得るすべての自然状 態とば∫$5,000,000中に$ユも誤謬が存在しない状態から,誤謬が$1存在 する状態,$2存在する状態,……,$5,000,000存在する状態というが如く, 総計5,000, OOI個存在するということになるであろう。しかしながら,標本抽 出のもとになるこの母集団の自然状態は云々のものであるらしいということに       ささやついての事前確率を,内部統制の整備・運用状況についての細かな知識・過去 年度に行った監査結果についての知識・漫然と行ってみた監査上のテスト結果 についての知識を以て導出することが果.して可能であろうか?母集団の自然状 態についてのこのような理解は,勘定残高$5,000,000を1ドル札5,000,000 枚の存在と解し,$金額を以て示されている変数量を偽ドル札の有無如何とい        うが如き属性量に変換解釈することによって初めて可能なものであるとはいえ, このように変換解釈されたものとしての属性量(本来的には変数量)に対し内 部統制が直接作用するものでないことは,金額的には大きな,しかし件数とし ては少い誤謬・不正の存在を想定することによって容易に理解し得るところで ある。また,過去年度における監査結果についての知識が現会計年度における このよ.うなものとしての検査対象母集団の自然状態推定に役立つほど企業内構 28) Jbid., p, 267. 29) R, Anderson & A. D. Teit!ebaum, op. cit., pp. 34−35.

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       予言の見地からする監査知識の吟味(5) 17 成員は静的なものでないであろう6漫然と行ってみた監査上のテスト結果にも とづき検査対象母集団の自然状態分布状況を把握することも困難であるにちが いない。結局,監査人としては検査対象母集団の自然状聾分布状況について知 っていることは何もない筈であると看倣さざるを得ないであろう。substantive testsに対するベイズ風統計学の応用余地などどこにあるであろうか?標本結 果にのみ依存するようもとめた前節末尾記載め筆者の主張は,検査対象母集団 の自然状態分布確率を均等と仮定するものであり,その意味で,substantive tests』 ノ対する古典的統計学の応用として位置づけることができるものである。       3“) ドル単位サンプリング法(Dollar−Unit Sampling)と呼ばれるものの立脚点は これに他ならない。  「標本結果にのみもとづき得られた結果は意思決定目的にとって十分なもの       ではない」ことは真実である。この命題を文字:通り直載に受けとめようとした のがAICPAの統計的サンプリングに関する委員会であり,K。 A.スミスにみ られるベイズ風統計学応用論者であった。そして,両者の流儀ともに困難に陥 ってしまった。これに対し,古典的統計学の応用として位置づけることができ るであろうドル単位サンプリング法の上記命題の受けとめ方は間接的である。 そこにおいては,ひとまず,標本結果にのみ依存した保証水準を導出し,これ と監査計画立案時に入手することを想定していた保証水準とを比較することに      32) なるであろう。単に内部統制が良好であるばかりでなく企業内構成員の共謀行 為も存在していないというのであれば,標本結果にのみ依存した保証水準が監 査計画立案時に想定されていた入手予定保証水準を満たしているのは当然であ るとの認識,これが上記命題「標本にのみもとづき得られた結果は意思決定目 的にとって十分なものでない」に矛盾するものであるとは筆者には思われない のである。AICPA統計的サンプリングに関する委員会お1謔ムベイズ風アプロ ーチ応用論者の主張に従えば入手予定保証水準の比較対象となるべきsubstan− 30) Ibid., pp.30−38. 31) K.A. Smith, op cit., P.264. 32) AICPA, S 4S No.39, paragraph 26.(The fournal of Accountancy, August 1981,  p.108.)

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18 彦根論叢 第244号 tive testsの保証水準は不当なまでに甘くなる可能性があるのに対し,古典的 統計学応用の場合には甘くならないと言えるであろう。 V AICPAによる公式見解一その面一  SAP No.54の付録A・Bとして収録されていたAICPA統計的サンプリン グに関する委員会の特別報告は,その後,SAS No.1Section 320 A・320 B として継承され,1981年,SAS No.39の公表に至るまで規範としての生命を   33) 保った。その後を受け継いだ現行のSAS No.39は内部統制の整備・運用状況 についての評価とsubstantive testsとの関連付けについて従来と異った解釈 を示すに至ったかどうかが注目されるところであろう。しかしながら,結果 は不思議にも従来の解釈の継承であった。なるほど,SAS No,39においては 「試査危険」という従来用いられていなかった概念を用いてはいる。しかし, この「試査危険」という概念は,従来用いられていた「信頼性」という概念の 補数として理解し得るものであるから,“サンプリングによって得られた結果 と内部統制の評価を通じて得られた情報の如く入手可能なその他の情報とを何 らかの方法で主観的に関連付け”ようとするアプローチ自体には何らの変化も       ヨの 認められないと言わざるを得ないのである。SAS No.39もSAS No.54,付 録B,パラグラフ31と同様ベイズ風アプローチについて直接言及することはし ていない。しかしながら,表現の形式こそ異れ,表現の内容において,SAS No.39とベイズ風アプローチの主張とで根本的に異るところはないといえる であろう。すなわち,以下の如くである。  SAS No.39:「監査には密接な関係にあるテストとか証拠源泉が数多く必然 的に伴うため,監査で用いる適切な危険水準を決定するのに,他の分野におけ        35) る試査で用いられている危険水準は必ずしも参考にならない。」 33)AICPA, sAS No,39の冒頭文。(The/burnalのAccountancy, August 1981,  p. 106. 34) AICPA, SAS No. 39, paragraph 19. (The fournal of Accountancy, August  1981, p. 107.) 35) AICPA, SAS No. 39, paragraph 19. (The Journal of Accountancy, August 1981,  p. 107.)

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       予言の見地からする監査知識の吟味(5) 19  ベイズ風アプローーチ応用論者:「(ベイズ風アプローチ応用論者としての)ク ラフト(W.H. Kraft, Jr,)やトレイシー(J. A. Tracy)は,古典的統計学を 応用した推論が有用であるのは,母集団について知られている事柄は何もなく1 したがって,標本から得られる見積りが母集団について判断するのに入手可能       36) な唯一の情報源である場合であると述べている。」  今や筆者にはベイズ風アプローチとAICPA統計的サンプリングに関する委 員会の見解とが相重って見えてくる。AICPA統計的サンプリングに関する委 員会の見解は今もSAS No.39の中に生きている現実を前にして,ベイズ風 アプローチ応用論者K.A.スミスより次のように迫られるとき,筆者として は困惑せざるを得ないように思われるのである。  「古典的統計学を応用するアプローチのもとにおいても,母集団について意 見を得るためには,標本から得られた情報と標本以外の源泉から得られた主観        37) 的情報とを結合する必要がある。」  上記引用文からは,「相異る情報の結合」を何としてもやりとげなければな らないということについてめ不退転の意思というようなものが伝ってくる。果 して,このような意思あるいは意識が先走りすぎていることはないであろうか ?意識の先走りによって,「結合する」といえば「被結合物を結合の事前に見 究め,考慮調整して」ということにならざるを得ないように感じられるだけで はないのであろうか?「標本結果のみで母集団についての意見を表明すること はできない」というのは,しかしながら,必ずしもそのように「被結合物の事 前調整」を要求するものではない。標本結果と標本以外の源泉から得られた主 36)K.A. Smith, op. cit., P.215.()内:筆者補充。   J.A. Tracy, “Bayesian Statistical Methods in Auditing,” The Accounting Re−  view, January 1969, p. 96.   なお,ベイズ風アブn一チとAICPA統計的サンプリングに関する委員会の見解と  が根本において同じものであるらしいことについては,以下を参照。   工A。Tracy, op. cit., p.98.   W. H. Kraft, Jr., “Statistical Sampling for Auditors : A New Look,” The Journal  of Accountancy, August 1968, p. 50. 37) K.A. Smith, oP cit., p. 269.

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20 彦根論叢第泌4号 観的情報との「事後的結合ないし調整」も,やはり,「結合」と解すべきもの であろう。K. A.スミスからの上記引用文は,そこに言われている「結合」を 「事後的結合」ないし「事後的調整」と解する限りにおいて首肯し得るもので あると筆者は考える。上記引舟文中,K. A.スミスが言わんとするところで不 思議に思えるのは,「ベイズ風統計学の応用に対する批判は古典的統計学の応       用に対しても等しくあてはまる。」としていることである。彼は,明らかに, 「結合」とはすべて「事前的調整をふまえたうえでの結合」と解している。し かしながら,古典的統計学の応用において,標本結果と標本以外の情報源泉と ’の「事前的調整をふまえた結合」などということはあり得ない。  前述の如く,SAS No.39の見解(AICPA統計的サンプリングに関する委 員会の見解)に従うときには,古典的統計学応用の場合に比し,substantive testsの保証水準(任意の精度上限値とそれに対応する信頼性水準)は甘くな るにちがいない。しかしながら,それは見積りの述べ方の相違であるにすぎ ないと認め得るであろう。見積りの述べ方が変ったからといってsubstantive       39) testsの対象となっている母集団に固有の情報量まで変るものではないのであ るから,利害関係者保護の観点から,substantive testsの保証水準は「甘い」 よりも「辛い」の方こそ望ましいということが理解されるようになるであろ う。 38) lbid., p, 268. 39) Cf, ibid., p. 263.

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