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予言の見地からする監査知識の吟味(1)
酒居 叡 二
目 次 1 序 ■ 監査の関与する予言 ω 皿 監査の関与する予言 ② IV 試査が依存せざるを得ない法則 V 法則ないし理論的命題は何を語るか? VI SASNo!6の法則理解は不徹底 囎 SAS No,16を補完するものとしてのSAS No.31の意味 1 序 入,もし何か深刻な問題もしくはそれに類する問題に直面したとき,折にふ れ自覚すること,それは,一見して問題に関係ありそうな表題の文献をすべて 余さず読みおえた後の段階で初めて,自己の抱えている問題を解決するための 糸口が見出されるであろうと考えるのは逃避であり誤解である;しかも,学ぶ ことなくして何ら手のつけられよう筈もない,ということではないであろうか ? 先人はこれを名付けて“科学の過程観(process views of science)”と呼ん でいる場合もある。“科学の過程観”という用語によって意味されているとこ ろは,“科学において重要なのは,必ずしも成果そのものではなく,成果を産み D 出すまでの過程である”ということであるから,両者相通ずるところがあるに ちがいない。 現在,筆者を悩ませている問題の源泉は,監査はある意味で予言を行ってい 1) C. Christenson, “The Methodology of Positive Accounting,” The Accounting Review, January 1983, pp.7−8. C・クリステンソンはハーバード大学教授。70 彦根論叢 第225貼 るのではないかという意識である。如何にも監査担当者(監査人)は,被監査 実体(以下,この意味での実体は企業と限定する)に関する予言を明示的に公 表することについて差控えているでもあろう。しかし,少くとも監査人自身と しては暗黙のうちに予言に関与しているのではないかという疑いを許す証拠が ある。次の引用文はアメリカ合衆国公認会計士協会・監査基準審議会の出して いる監査基準書第16号(以下,SAS No.16と略称する。略称の仕方について は他の号についても同じ)からのものであるが,その表現は一般に周知のとこ ろと看些してよいほどのものである。すなわち, 「独立監査人が一般に認められた監査基準に従って財務諸表を監査する目的 は,財務諸表が会計処理および表示の基準として前年度に用いられたのと同 じ基準(一般に認められた会計原則)に従い,財政状態・経営成績・財政状 2) 態の変化を適正に表示しているか否かにつき意見を形成することである。」 この表現のどこに監査人が予言に関与していることを示唆する個所を認め得る というのかと問われれば,次の個所であると筆者は答える。すなわち, 「財政状態について意見を形成する」 上記引用文の意味は,企業が会計年度末に有する財産(資産・負債)につい ての会計処理後の数量的表現および開示が一般に認められた会計原則という定 規に合ったものであれば,それだけで自動的に適正表示になっている,という きう ことでは必ずしもない筈である。過去に生起した事象を収容する損益計算書は 2) AICPA, SAS 2>b.16, paragraph 5.(The Journal oヅAccountancy, Aprilユ977, p.102.)訳出に際しては,日本公認会計士協会,JICPA News, No.288, March 1981, 15頁の翻訳を参考にした。 3) AICPA, SAS No. 5, paragraph 5. (The Journal of Accountancy, September 1975, p. 81.) SAS No.5は,独立監査人が監査対象としての財務諸表に対し無限定意見を表明 する際の標準的文言「一般に認められた会計原則に従って適正に表示している」の意 味を述べたものである。その第5節において次のように述べている。 「一般に認められた会計原則は,わりあいに客観的なものである;すなわち,独立監 査人が通常その存在について異議を唱えないほど十分に確立されたものである。それ にもかかわらず,ある特定の状況のもとである会計原則が一般に認められたものであ
予言の見地からする監査知識の吟味(1) 71 さておき,貸借対照表の示すところは絶えず現在的である;過去との関連にお いてというよりも,むしろ,将来との関連において現在的である,という見方 も成立つ。それ故,被監査企業の貸借対照表が示す財政状態について意見を形 成するからには,独立監査人は,将来(貸借対照表日以後の事象生起)との関 連において現在(貸借対照表日現在の財政状態についての陳述)を見,評価し ている筈であり,従って,暗黙のうちに予言に関与しているのではないかと筆 者は疑うのである。 監査の過程中には,この他にも,予言に関与しているのではないかと考えら れる一局面を認めることができ,本稿で吟味している監査知識は,むしろ,大 部分この後者の局面に関するものであるといってよい。それは,入手し得る監 査文献はほとんどこの局面に関するものであることによっている。前に監査が 関与しているにちがいないと述べた局面については,その概要を第皿節でさら に示唆しているとはいえ,この局面において存在するであろうC・クリステン ソソの所謂“法則”さえも未だ形式として浮び上っていないので,この局面に 関しての監査知識の吟味は本稿より割愛している。 ]1[ 監査の関与する予言(1) 筆者は前節で,会計年度末における被監査企業の財政状態として開示される ものについては独立監査人としての予言が関与せざるを得ない筈であると述べ た。しかし,そこに言う予言の意味は,独立監査人が被監査企業に対し監査を 実施したという事実をふまえた限りでの予言ということに限定されねばならな い。そうでなければ,独立監査人自からの知識とは全く関係のない,したがっ て,その正確性について論理的に吟味しようのない作り話たらざるを得ないで あろう。 るかどうか識別するには判断を加えることが必要である。会計原則が確立されている からといって,そのすべてについて,考慮すべき資料は唯一個に限られるというわけ では必ずしもない。」 .ヒ記訳出に際しては,日本公認会計士協会,JICPA N如5, No.248,31頁に示さ れている翻訳を一部分参考にした。
72 彦根論叢 第225号 それでは,監査の実施に際し,独立監査人が現実に吟味するところは何であ るのか? 独立監査人が行う財務諸表監査においては,それは,財務諸表の適 正表示を阻害する要因が財務諸表の中に含まれていないか否かということにな らざるを得ない。財務諸表の適正表示を阻害する要因が財務諸表の中に含まれ ているとするなら,その要因は,財務諸表を構成する勘定項目の過大表示・過 小表示として,究極的には2箇所以上にわたり現象しているであろう。何故な ら,過大表示の裏は過小表示,過小表示の裏は過大表示であるからである。し かし,財務諸表を構成するおのおのの勘定項目は,実に多くの下位命題に支え られた複合的主張命題より成っているから,この複合的主張命題のおのおのに ついて,その正否・適否を吟味することなく,どの勘定項目に過大表示あるい は過小表示があり,その額はしかじかであると明示することはできないことに なる。今,財務諸表を構成する勘定項目の1つ,棚卸資産勘定に例をもとめ て,このことを説明してみる。 例: 棚卸資産 !00,000,000円 この命題は被監査企業の経営陣の申立てであり,主張である。この主張の中 に誤謬・不正にもとつく過大表示・過小表示が含まれているか否かは監査人と しても当初不明であるから,この主張を分析し,分析したおのおのの主張につ いて,その正否・適否を吟味したうえでなければ,何らの発言も許されないと いうのが上に述べたことの意味である。ところで,SAS No.31に従えば,上 の 記の如き命題には次の5種類の主張が含まれているという。すなわち (a)一1:貸借対照表日現在,貸借対照表に表示されている棚卸資産は物理的に 存在している。 一2:貸借対照表に表示されている棚卸資産は,企業が通常の業務において 販売あるいは(製造のための原・材料として)利用するため保有してい る項目である。 (b)一1:貸借対照表に表示されているべき手持ちの棚卸資産は,すべて,貸借 4) AICPA, SAS IVo. 3f, Appendix. (The Journal of Accountancy, November 1980, pp. 139−40.)
予言の見地からする監査知識の吟味 (1) 73 対照表に表示されている。 一2:企業が所有する棚卸資産であり,従って,貸借対照表に表示されてい るべきである輸送途上の棚卸資産・企業外部で保管されている棚卸資産 も,すべて,貸借対照表に表示されている。 一3:棚卸資産一覧表の編集は正確であり,そこに示されている合計金額は 棚卸資産勘定の金額と符合している。 (c)一1:企業は,貸借対照表表示の棚卸資産に対し,法的な権利あるいは所有 者であることと同様の権利を有している。 一2:貸借対照表に表示してある棚卸資産の中には,販売により権利が顧客 へ移った棚卸資産項目・他人所有の棚卸資産項目は含まれていない。 ㈲一1:(時価が取得原価より低い場合を除き)棚卸資産評価の基準は取得原 価である。 一2:貸借対照表に表示してある棚卸資産の中には,荷動きの遅い項目・適 正在庫量超過項目・欠陥のある項目・陳腐化した項目等,取得原価基準 による評価を離れた見積りを要する項目も含まれているが,これらの項 目については正しく識別してある。 一3:取得原価による評価を離れた見積りを要するこれらの棚卸資産項目に ついては,取替原価あるいは正味実現可能価額で評価している。 (e)一1:棚卸資産は,貸借対照表上,流動資産として分類・表示されている。 一2:棚卸資産を構成する主要な二目およびその評価基準については,財務 諸表の中で十分に開示してある。 一3:棚卸資産中,担保に入っているものについての開示は適切である。 がそれである。SAS No.31は上記(a),(b>,(c),(d),(e)はおのおの,実在・生 起,完全性,権利・義務,評価・配分,表示・開示,に関する主張であるとの 理解にたち,要証命題としての各勘定項目につき吟味すべき要素を分類してい るといえる。前に,“多くの下位命題に麦えられた複合的主張命題”と言ったこ との意味は,この(a),(b),(c),(d),(e)の各段階にみられる主張を指していると 解してよい。
74 彦根論叢第225号 このように,棚卸資産 100,000,000円という主張命題が与えられているも のと仮定すれば,この主張命題の正否・適否について発言し得るためには,お よそ上掲,12種類の主張内容について,つぶさにその正否・適否を吟味しおえ ていることが必要となる。棚卸資産という一勘定項目に関してさえ,その数量 的表現の正否・適否について確信ある意見を形成するに要する監査作業の分量 は,実際には相当なものであり得る。その理由については第W節で詳細に説明 している。棚卸資産勘定以外の勘定項目についても同様なことが言えるから, それらの勘定項目の集まりである財務諸表に関し,下位命題の正否・適否まで すべて把握したうえでの意見を表明し得るためには,巨大企業の場合はなおさ らのこと,極めて彪大な分量の監査作業が必要となることであろう。このた め,独立監査人は,時間的・経済的制約をうけて試査による意見形成を余儀な くされるというのが通常であろう。SAS No.39に従えば,試査とは,“勘定残 高または取引記録のある特性を評価する目的をもって,当該勘定残高または取 引記録中の一部分の項目(100%未満)に対して監査手続を適用すること”で 5) あるから,試査は,本来,全資料について個別に正否・適否を見究めた場合の 効果と同等の効果をもつものであることが要求される筈のものである。このこ とから,独立監査人が依拠せざるを得ないこの試査の段階において,先ず,予 言ないし予見が含まれているのではないかと疑うことができるであろう。 予言ないし予見はどのように定義されるべきものであるかに関しては,見解 は必ずしも一様でないことであろう。たとえば,予言についてのC・クリステ ンソソの定義に従えば,独立監査人の行う試査は明らかに予言に関係している と看徹し得る。C・クリステソソソは,“将来に属するものであるにせよ,過去 に属するものであるにせよ,これまでに観察されたことのない出来事について の 言及した1つ以上の観察命題のこと”を予言を定義しているからである。但 5) AICPA, SAS No. 39, paragraph 1, (The Jozarnal of Accountancy, August 1981, p.!06.)訳出に際しては,日本公認会計士協会.JICPA News, No.308, May 1982, 54頁の翻訳に依存した。 6) C. Christenson, op. cit,, p. 12,
予言の見地からする監査知識の吟味(1) 75 し,独立監査人が行う試査においては,独立監査人として耐えきれない程多量 の労力を投入すれば観察することもできたであろう個別的観察(総体的要証命 題を支える多数の下位命題の正否・適否に関する個別的観察)を全資料に対し くま て隈な:く行わなかったという意味において,“これまでに観察されたことのない 出来事を創出している”とは言えるであろう。しかし,独立監査人の行う試査 が,上記C・クリステンソンの予言についての定義に含まれるものであり合致 するものであることに変りはない。 あるいは,H:・ポアンカレが予見について述べているように,予言ないし予 見の及ぶ範囲は将来の出来事・事象に限定されるとすれば,独立監査人の行う 試査は,“これまでに観察されたことのない過去事象”に関するものであるが故 に,これを予言ないし予見と万歩すことは不当ということになるであろう。も っとも,予言ないし予見についてのこのような定義を承認するとしても,独立 監査人が依然として予言に関与しているにちがいない場面のあることは前節に おいて示唆したところである。H・ポアンカレは,予見について次のように, その及ぶ範囲を限定している。 「科学に予見する力がないとすれば,科学は行動の規則としては価値のない ものである。また科学にいくらか不完全ながらともかく未来を予見する力があ るとすると,科学は認識の手段として価値のないものではない。これら二つの ア 場合のいずれか,なのである」と。 予言についてのC・クリステンソンの定義に従えば,独立監査人が監査の実 施に際して関与する予言は二面において存し,H・ボアンカレの定義に従え ば,一面において存する。すなわち,独立監査人は,少くとも一面においては 予言にかかわることを免れないと看敬し得るであろう。本節で存在を指摘した 予言は,Cクリステンソソの定義に従った過去事象についての予言である。 7)H.Poincar6 La Valeur de la science,1905.吉田洋一訳『科学の価値』,岩波文庫 33−902−3,1981年ce 5刷,231頁。引用訳出中「科学が」を「科学に」に加工した。
76 彦根論叢 第225号 皿 監査の関与する予言(2) 前節lllで論じた如く,財務諸表監査に従事する独立監査人が財務諸表勘定項 目の正否・適否について発言し得るためには,余りにも数多くの下位命題につ いてその正否・適否を吟味することが必要となる。従って,独立監査人が試査 に依存することは止むを得ないとしても,その試査が暗黙のうちに誤りのない 予言と同等の効果をもち得るか否かに関しては論究すべき余地があり,第IV節 以降で詳細にとりあげている。本節では,試査によって誤りのない予言と同等 の効果を達成することは可能であるとの仮定のもとに,独立監査人の監査が関 与しているにちがいないと考えられる予言,すなわち,被監査企業の将来の動 向に関する予言について,その意味を探っている。 前節皿で論じた試査による予言の局面は, 「財務諸表が,会計処理および表 示の基準として前年度に用いられたのと同じ基準(一般に認められた会計原 則)に従い,財政状態・経営成績および財政状態の変化を適正に表示している か否かにつき意見を形成する」ための手段であると看倣し得るであろう。その ような監査意見を形成することの背景・目的は,被監査企業に利害関係をもつ 種々の関係者を保護することにあるとは周知のところである。 ところで,筆者は第1節で,このような社会的背景をふまえた監査目的のも とにおいても,被監査企業の命運に関する予言はあるにちがいないと述べたの であるが,そのような意味での予言を行っているという意識は,独立監査人と して実際にはあいまいなものたらざるを得ないかもしれないと信ずべき理由が ある。それは,すなわち,上記の如ぎ独立監査人の監査実施目的と今述べた被 監査企業の命運についての予言とでは,誤謬・不正についての認識に相違する ところがあることによる,と筆者は考える。被監査企業をとりまく種々の利害 関係者とりわけ投資家の保護を意識した監査にあっては,独立監査人は「金銭 的誤謬が関係のある勘定残高あるいは取引部類中に存在していたとしても,ど の程度の誤謬であれば,誤謬があるから財務諸表の申立てにも著しい偽りがあ
予言の見地からする監査知識の吟味 (1) 77 るとまで看倣されることにはならないのか考慮すべきである」ほどである。そ こにおいては,利害関係者とりわけ投資家の意思決定を誤点することはない範 囲での誤謬・不正は,適正表示の中に属するものとして,無雑作に許容されるこ とになる。これに対し,独立監査人が課されている目前の時間的・経済的制約 は無視し得るものと仮定し,さらに,独立監査人による監査行為の目的には被 監査企業の命運に関する予言をなすことが含まれると仮定すれば,誤謬・不正 の存在はより公平にとりあげられ浮びあがってくることになるであろう。すな わち,そこにおいては,誤謬・不正をなした被監査企業の構成員およびそのよ うな構成員を抱えている被監査企業は,如何なる社会においても,その資質の 程度に相応した生を全うすることを許されるであろうということが中心命題と して浮び上ってくるであろうからである。この観点より極論すれば,被監査企 業の貸借対照表が示している財政状態は,当該企業の現段階におけるあるべき 存在の態様を示すものとして誤りないものであるか,検討を要することになる であろう。 独立監査人の行う監査にはこの後者の意味での予言が含まれると解する場 合,その直接の関心は,財務諸表の表示が適正であるか否かということよりも むしろ,誤謬・不正の存在を手掛りとして被監査企業構成員の誠実性を見るこ とに置かれるのでなければならない。財務諸表の表示は被監査企業構成員の過 去の行為を一回性事象の集積として映し出したものであり,その正否・適否の 確認にはそれ相当の意味があるとしても,それを監査の対象として見る場合, あくまでも過去の結果であるにすぎない。過去の結果により現在の状態が形成 されていることは事実であるとしても,現在の中に過去が生きているとの保証 は必ずしもない。現在は過去とは一面独立に絶えず新しいものを創造している と看下し得るからである。如何にも,企業の内部で敷かれている内部会計統制 s) AICPA, SAS No. 39, paragraph 18. (The Journal of Accountancy, August 1981, p.107.)訳出に際しては,日本公認会計士協会,JICPA IVews, No.308, May 1982, 56頁の翻訳を参考にした。しかし,この翻訳は正確でない。本稿の訳出の方が正確で ある。
78 彦根論叢 第225号 は,誤謬・不正の存在をある程度まで自動的に検出し得るように仕組むことの できるものであるところがら,丁丁の手を離れて独り歩きする機械のようにも 見えることであろう。誠実性の有無はこの機械に投入すればすぐに判明するこ とであり,不誠実であると判明すれば除去するぽかりである,また,それ以外 に誠実性の有無を識捌する方法があり得よう筈もない;従って,被監査企業の 構成員に誠実性があるか否かを深く問題とするには及ばない,と考えられるか もしれない。少くとも,試査における内部会計統制の位置づけを考えるときに は,そういう気味合いを覚える。しかしながら,この内部会計統制という機械 を作り運用しているのは,機械そのものでなく,人間であることは注意を要す る。被監査企業構成員の中に不誠実な者の居ることが判明したというのではす でに遅すぎる,とも言えるであろう。誠実かつ用心を怠らない構成員およびそ のような構成員を抱える被監査企業は,その生存に関する限り,言わば,君主 の恩寵を得んがためにということではなく,神に仕えることによって永遠の生 を保たんがために,否,心情こそ神に仕えることに類するものであるにせよ, “永遠の生を得んがために”という一種の目的付願望からさえも昇華して,た だ天然のままの素直さで“誠実かつ用心に欠けることのないように”という理 性が本性と同化し,新しい資質となっているか否かということが,ここに言う 予言の核心である。 この種の予言が被監査企業をとりまく利害関係者にとっても意味のないもの でないことは言うまでもない。この種の予言によってこそ,被監査企業の利害 関係者は,予言されている不都合な事象から自からを回避するよう行動を起す ことが可能となり,あるいは,たとえそのように不都合な事象を回避すること はできないまでも,心の準備をしてそのような事象に遭遇することが可能にな う ると言えるであろうからである。それ故に,独立監査人による監査は,たとえ その主目的が被監査企業における過去事象の正否・適否の確認,それにもとつ く期間損益額の確定への部分的参加ということであるとしても,この種の予 9) Cf. K. R. Popper, The Poverty of Historicism, Routledge and Kegan Paul, 1957, p.43.(C.Christenson, oψ. cit., p.14.において引用。)
予言の見地からする監査知識め吟味 (1) 79 言に関与していることが必要である。そうでなけれぽ,独立監査人による監査 は,無意味とは言わないまでも,利害関係者保護の目的を十分に果たさない単 なる数字合わせに堕しているおそれがあると言えるであろう。被監査企業の利 害関係者はそこまでの保護を必要としないというのであれば,この種の予言 は不要であり,それに関連した議論もまたやまざるを得ないことになるであろ う。 IV 試査が依存せざるを得ない法則 本節以降においては,試査そのものの中に含まれているかもしれない予言の 可能性について論じている。このような意味での予言命題の一例として次のも のをとり上げてみよう。すなわち 「被監査企業A社のX年度における棚卸資産勘定 100,000,000円中,実体 のない取引記録が混入していることはない。」 この予言命題が第亙節で引用した(a)および(b)の各段階における主張に関連し たものであることは明らかである。それにしても,この予言命題の当否は論理 的に如何に吟味すべきものであろうか? この種の問題に関しては,監査以外 の領域においても,すでにとりあげられるに至っていることを認め得る。すな わち,予言命題と論理的に矛盾する他の命題が,少くとも1個,観察命題とし て成立てば,予言命題の虚偽性が論破されることを利用し,経験的知識の及ぶ ヱの 範囲についての議論が展開されるに至っている。以下に示すところは,陳述が 真実なものであるかどうかを経験によって最終的に確立することはできないと するヒュームの証明につき,C・クリステンソンが説明しているところを更に 独立監査人の行う試査にあてはめて加工したものである。以下の諸命題に注目 されたい。 ユ (1)時空領域κにおいて事象5の生起がある。 10)C.Christenson, o少. oゴちpp.8−9. C・クリステンソソはK・R・ポッパーの考え を引用しているが,引用交献は明示されていない。 11)一・!3) Jbid. p, 9.
80 彦根論叢 第225号 ここに,5は普遍的事:象であり,独立監査人の行う試査においては,たと えば,実体のない取引が記録されているという事象を想定することができ る。この場合,この命題の意味するところは,“実体のない取引が記録され ておれば,そのことは顕在化している”ということであると解してよいで あろう。 ユの (2)事象5Kの生起がある。 この命題の意味するところは,事象Sの生起・事象Kの生起をともに含む ユの 事象が観察されるということであるから,命題(1)と等値であると言うこと ができる。ここに,時空領域Kを事象と解しているのは,時空領域Kは2 度と同じものが生起しない領域であると看倣し得ることによる。 ユの (3)事象SKの生起がある。 ここに,Sとは3を除く事象をすべて包括した事象を指し,たとえば,実 体のな:い取引が記録されていることはないということを初めとして,財務 諸表作成の基礎をなす会計資料に計算上の誤りとか転記上の誤りがあるこ と,会計原則適用上の誤りがあること,記録の脱漏があること等々を想定 することが可能である。 ユの (4)事象Sの生起はない。 観察命題の主張するところは,観察可能な事象が指定された特殊な時空領域 エア において生じているということであるから,命題(1)・(2)・(3)はいずれも観察命題 であるとみることができる。しかも,時空領域Kが1回性事象と看倣されるこ とによって合体事象SK・SK中のS・Sはおのおの特定されることになり, ユき 経験論の立場よりする論破可能性の要件を付与されることになる。また,SK・ 5Kは論理的に矛盾する事象であるから,命題(2)が承認されれば命題(3)は論破 エヨラ され,逆も同様に成立つことになる。これに反し,命題(4)は,上記の意味での 観察命題ではないが,命題(2)と矛盾する関係にあり,その限りにおいて観察命 14)一一16) lbid., p. 10. 17), 18) lbid. p. 9. 19)一一21) lbid,, p. 10.
予言の見地からする監査知識の吟味 (1) 81 題との関係を保っている。それ故に,C・クリステンソンに従えば,命題(4)も 経験的命題に属する。但し,C・クリステソソンは命題㈲に対し理論的命題な いし法則という名称を与え,これに格別の意義を見出そうとしている。彼はそ の根拠を,命題(4)が一定の事象Sの生起を禁止するものであることにもとめて 21) いる。 彼が示すこの根拠は,独立監査人の行う試査においては,“被監査企業におい ては内部会計統制が敷かれていることにより,財務諸表の作成に至る会計処理 の過程で誤謬・不正の発生する可能性が一応は封じられている”ことになぞら えることができるであろう。なぜなら,被監査企業における内部会計統制の整 備・運用が事実完壁なまでに有効であれば,被監査企業の経営者自体が部下 に命じて,たとえば,事象S(実体のない取引を記録するという行為)を生起 させているのでない限り,事象Sの生起は先ずあり得ないことと看罰し得るで あろうからである。命題(4)を立てれば,これを論破しようとの真面目な試み, 具体的には命題(2)の申出,がなされるであろうことは必然的であるとみてよ い。それだけに,このような試みに耐え抜いてきた命題は,たとえその後,新 たな反対証拠の提出により改めて論破されることになるかもしれないとして も,一応は確証された堅い経験的知識と看賊すことができるであろう。核とす べき知識であると看倣し得るものであろうからである。そこで,独立監査人が 試査を行うに際し拠り所とするC・クリステンソンの所謂法則は次のように表 現し得ると想定してみる。 「被監査企業における内部会計統制の整備・運用が,事実,完壁なまでに有 効であれば,被監査企業の最高経営者自体が部下に命じて実体のない取引を記 録させているということがない限り,被監査企業において実体のない取引が記 録されているというようなことはあり得ない。」 22) K・R・ポッパーは次のように述べているという。 「われわれが自然法則を‘法則’と呼ぶのは理由のないことではない。 ……自然法則が禁止すればするほど自然法則は意見を言うのである。」 K. R. Popper, The Logic of Scientific Discowery, Basic Books, 1959, p. 41. (C, ChristensQn, op. ctt., p.10.において引用。)
82 彦根論叢 第225号 SAS No.31およびSAS No.39は,決して全面的にではないとしても, このような法則に依存せざるを得ない旨認めている。 V 法則ないし理論的命題は何を語るか? C・クリステンソンは,命題(4)に関して認められるような,事象の実在を否 定する表現形式で示される普遍的命題としての法則ないし理論的命題が,事象 の実在を肯定する普遍的命題の表現形式に転換されるのはどうしてであるかに ついて説明している。次の命題に注目されたい。 の (5)事象RSの生起はない。 ここに,Rは普遍的事象であり,監査上の例としては,単独行為・共謀行 施琉ミ’勤)1ア詩ヨ4日一ス レ曇刃渓入ス’ レthミー7;・葬スφ・煮Aぢ 侭ミ7!JHL一“4 しVL一・「弘==1 フ taノ し印口馬}ノ「cゾ u 〔一 JJ7 L C ’a/ Lcr一ノ「_ノ ノ O そこで,今,事象Rは被監査企業の経営者か従業員かのいずれかによる単独 行為を意味すると仮定してみる。すると,命題(5)の監査上の意味は次のような ものになるであろう。 「被監査企業における内部会計統制の整備・運用が,事実,完壁なまでに有 効であれば,被監査企業の最高経営者自体が部下に命じて実体のない取引を記 録させているということがない限り,被監査企業の経営者か従業員かのいずれ かによる単独行為によって実体のない取引が記録されていたとしても,そのこ とが気付かれないまま放置されているというようなことはあり得ない。」 命題㈲は事象RSの実在を否定する普遍的命題であるから,前掲の命題(4)を 法則と定義するなら,命題(5)も法則と定義しなければならないであろう。命題 (5)は2つ以上の事象が結合して生起することを禁止する法則であるが,命題(4) は,そのような複合事象を1つの事象と見,その生起を禁止する法則であるか ら,命題(4)は命題⑤の総合であり,命題(5)は命題(4)の分析であると理解するこ 23) AICPA, SAS No. 31, paragraph 12. (The Journal of Accountancy, November 1980,p.138.)AICPA,&45 No.39, paragraph 8,19.(Theゐur−nαl oノ!1ccountancy, August 1981, pp.106一つ7) 24) C Christenson, op. cit., p. 11.
予言の見地からする監査知識の吟味 (1) 83 とができる。すなわち,命題(4)・(5)は本源的に等値な命題であると理解するこ とができる。命題(4)を命題(5)の形式に分析し得るということによって,われわ れに馴染みの深い法則の表現形式が導出されること,以下の如くである。すな わち,命題㈲が主張するところは,事象Rが事象Sと一諸に生起するというこ とは決してあり得ないということであり,SはSを否定する事象であるという ことから,“直観的に”次の命題㈲が導かれることになるであろう。 あ (6)事象Rの生起はすべて事象5の生起である。 この命題の監査上の意味は,前掲の仮定を用いれば,以下のようになるであ ろう。 「被監査企業における内部会計統制の整備・運用が,事実,完壁なまでに有 効であれば,被監査企業の最高経営者が部下に命じて実体のない取引を記録さ せているということがない限り,被監査企業の経営者か従業員かのいずれかに よる単独行為によって実体のない取引が記録されていたとしても,それは実体 のない取引記録として生起する。(すなわち,単独行為者以外の他の者が,こ のことに気付き,是正措置をとり得るような形で顕在化する。)」 確かに,命題(5>と命題(6)とは等値であると認めることができるであろう。し かし,命題(5)から導出し得る命題は,果して,命題⑥だけであると看倣して誤 りないのか? そのように看平すことには飛躍があることをC・クリステソソ ンは認めている。すなわち次の命題(7)も命題(5)と等値であることに気付くよう 勧告している。 _ _ 26) (7)事象Sの生起はすべて事象Rの生起である。 この命題に対し,前掲監査上の仮定をあてはめれば∼その意味は以下のよう なものになるであろう。すなわち,RはR(単独行為)を否定する事象である から共謀行為であると解して, 25) lbid. 26)乃鉱但し,C・クリステンソンが示している命題(7)の表現形式は次のようなもの である。「すべての叫こ対して,もしXが事象3の生起であるとすれば,そのときX は事象Rの生起である。」
84 彦根論叢 第225号 「被監査企業における内部会計統制の整備・運用は,事実,完壁なまでに有 効であり,被監査企業の最高経営者自体が部下に命じて実体のない取引き記録 させていることはないとしても,被監査企業の従業員の共謀行為によって,実 体のない取引が記録され,そのことが気付かれないまま放置されているという ようなことはあり得る。」 命題⑥も命題(7)も,ともに,命題(5)から導出されたものであるが故に,命題 ⑥と命題(7)は論理的に等値であると山鳥さなければならないであろう。すなわ ち,命題⑤=命題⑥==命題(7)と看倣すことができる。 ところで,命題⑥=命題(7)という関係が成立するということは,われわれに 何を教えているのであろうか? 図で示せば 日日ウ、九レナnス 七rハ「馴力目[〉、動・}刈、 ノ」‘ノIJ C一’d㍉「(ゾ, ’目Vノ閣.a.フ「取’ノ4しiL・. V o S:実体のない取引が記録されているとい う事象。一般的には,周囲の者がこれ s に気付き是正措置をとり得るような形 で顕在化せざるを得ない。 3:実体のない取引が記録されていること 百 はないと看倣される事象。これセこは, 実体のない取引が記録されているにも
R
(図1) ﹃R イ 二 口 ノ、 かかわらず,周囲のものがそのことに気付かず放置しているという状態 (事象)が含まれる。 R:被監査企業の経営者か従業員かのいずれかによる単独行為。 R:被監査企業の経営者と従業員もしくは外部の取引先とによる,あるいは 従業員間の,共謀行為。 命題(5)の主張するところは,“被監査企業における内部会計統制の整備・運 用が,事実,完壁なまでに有効であり,かつ,被監査企業の最高経営者自体が 部下に命じて実体のない取引を記録させていることはない”ということが,仮 定としてであれ,認められる限りにおいて,ロの場合,すなわち,被監査企業 の経営者か従業員かのいずれかによる単独行為によって実体のない取引が記録予言の見地からする監査知識の吟味 (1) 85 され,かつ,そのことが周囲の者に気付かれないまま放置されているような場 合,はあり得ないということだけである。命題⑥・(7)の主張するところは,お のおの,命題(5)の前提と同じ前提のもとで,“イの場合のみあり得る”という こと,“ハの場合のみあり得る”ということ,である。要するに,命題㈲の主張 するところは,生起の可能性ある事象はR5(イの場合)か,あるいは, RS (ハの場合)かRS(この場合)かのいずれかに限定されるということだけで あるにもかかわらず,命題(6)はRS(イの場合)のみ可能であると主張し,命 題(7)はR5(ハの場合)のみ可能であると主張し,しかも,命題(6)=命題(7)で あるということである。命題㈲は,明らかに,互いに矛盾する事象であるRS とRSとを同一の事象と看敬さなければならないというパラドヅクスを含んで 27) __ いることになる。前掲仮定のもと,監査におけるRS・RSはおのおの以下に 示すような事象であると解することができるであろう。すなわち, RS:単独行為によって実体のない取引が記録されているという顕在化せざ るを得ない事象。 RS:共謀行為があるために,実体のない取引が記録されているにもかかわ らず,周囲の者によって気付かれず放置されているという事象。 このようなパラドックスはどうして生じるのであろうか? どのように解す べきものなのであろうか? それは,命題⑥に見られるようなわれわれに馴染 みの深い法則の表現形式は,ある事柄が事実であると主張するものであるかの ような表現形式をとっているとはいえ,本来その主張するところは,あくまで も経験的にあり得ること(可能性)についてであって,現実の真相はどうであ ヨき るのかということに関するものではない,ということでなければならない。ヒ ュームの証明はこのことを認識したものであると理解することができる。
VI SASNo.16の法則理解は不徹底
法則の語るところを更に具体的に吟味してみることにしよう。例として, 27) Jbid. 28) lbid,, p. 12.86 彦根論叢 第225号 “事象R5の生起はない”という表現形式の命題(5)を法則になぞらえて用いる こととする。本節で命題(6)・(7)を法則になぞらえて直接とりあげなかったの は,SAS No.16の,上記ヒュームの証明についての,認識上の欠陥を指摘せ んがためである。 命題(5)から,“時空領域Kにおいて事象RSの生起はない”という予言を演 繹することは可能である。しかし,時空領域Kにおいてともに生起する可能性 ある事象RS・RSのいずれが生起するかを特定して予言することは依然とし てできよう筈もない事柄に属する。これが法則の語るところについて前に述べ たことの意味である。時空領域Kにおいて生起するにちがいない事象を特定し た予言が可能であるためには,この法則の他,追加情報(観察命題)が必要で ある。上記の例で言えば,事象R5・RSのいずれが生起するかをほのめかす 情報が必要である。“時空領域Kにおいて事象Rが生起している”という情報 が与えられ,その観察命題としての正当性が確認されることによって,はじ めて,時空領域Kにおいて事象Rの生起はないということが指摘されたと看倣 _ __ 30) し得るから,事象RS・RSの生起はあり得ないということになる。法則によ って,時空領域Kにおける事象RSの生起は禁止されているとするなら,生起 の可能性ある事象として残るものはRSのみであり,次のような未だ観察さ れたことのない出来事についての観察命題,すなわち,予言が導かれることに なる。 おユ “時空領域Kにおいて事象Sの生起がある。” この予言を監査.ヒの用語に置き換えれば次のようになる。 “しかじかの会計処理行為に共謀行為はあり得ないと判明しているから,時 空領域Kにおいて,周囲の者に気付かれないまま実体のない取引が記録されて いたとしても,独立監査人の監査により容易に見出し得るような形で顕在化し ているにちがいない。” 29) C. Christenson, oP. cit., p. 12. 30) Jbid., pp. !2−13. 31), 32) lbid,, p, 13.
予言の見地からする監査知識の吟味 (!> 87 同様に,観察命題として,“時空領域Kにおいて事象Sの生起がある”が与 えられているとすれば,“時空領域Kにおいて事象Rの生起がある”との予言 が導かれることになる。C・クリステンソンは,法則の語るところ・性質をふ まえたうえでの予言導出が可能であるのはどのようにしてであるかを示す叙上 ヨ の概念を以下の如く図示している。 (図2)
訴件言
条
期
法初予
て れ ら え 与 を一
π 銘しO
LC
LO
P
を見出す。 ところで,監査実務は叙上のような,法則の語るところ・性質・予言の導出 に際し占める位置,について十分理解していると看倣し得るであろうか? SAS No。16の述べるところは,このことに関してわれわれに錯覚をおこさ せると看てよいであろう。SAS No.16の第8節には次のように述べられてい る。 「内部会計統制が有効なものであれば,誤謬・不正が生じる蓋然性は小さな ものとなる。しかし,そうであるからといって誤謬・不正が生じることはない というわけでもない。内部会計統制の諸手続が可能性として有効であるといえ るかどうか考慮するに際しては,内部会計統制の諸手続に固有の限界があるこ とを認識すべきである。更に,内部会計統制の目的が達成されるかどうかは, 相当部分,会社の全職員が有能であり,かつ,誠実であるといえるかどうかに よって決まる。従って,監査人は内部会計統制を完全に信頼しているというわ けではない。…… それ故,監査台の監査にはsubstantive tests(内部会計統制から独立した存 在の考査:以下,原語のまま示す)が含まれるのである。このsubstantive tests の意図するところは,取引の会計処理および残高が妥当なものであるか正当な ものであるか判断するための証拠資料を得ることにある。逆に言えば,内部会 計統制に重大な意味をもつ弱点がない場合でさえも,そこに重大な意味をもつ88 彦根論叢第225号 不正・誤謬が存在している可能性はあるということを示している証拠資料を得 33) ることにある。」 このSAS No.16の言明は,法則の語るところ・性質についてC・クリス テンソンが述べているところと合致するものであるように見える。少くとも, 内部会計統制についての命題(5)にのみもとづき,誤謬・不正の存在について何 ら具体的な発言(予言)を引き出すことが不可能であることを十分認識してい るように見える。この限りにおいて問題はない。それ故,SAS No. 16の示す, 誤謬・不正の存在について具体的な発言(予言)を導出することが可能である ための論証構造は,上掲(図2)になぞらえることができるであろう。すなわ ち,以下のようになる。 (図3) ・内部会計統制についての命題(5) ・被監査企業にsubstantive testsを実施して得られ る観察命題 を与えられて 事象R・R・S・5が被監査企業の主張: 棚卸資産 !00,000,000円 に及ぼし得る影響についての発言(予言) を引き出す。 (図3)における内部会計統制についての命題(5)は,それ自体としては何ら 具体的なことを発言し得るものでなく,その真実性もしくは信頼性について別 個に吟味する必要のあることは更に言うまでもない。それについては後節で検 討することとし,本節においては,これまでの説明に従い,与件としてのみ扱 っている。 ところで,筆者は前に,上記引用SAS No.16の言明は法則の語るとこ ろ・性質について錯覚をおこさせると述べた。SAS No,16の言明の何処に問 33) AICPA, SAS No. 16, paragraph 8. (The Journal of Accountancy, April 1977, p,102.)訳出に際しては,日本公認会計士協会,」1CPA IVews, No,288, March 1981, 16頁の翻訳を参考にした。この翻訳ではsubstantive testsを「実証的試査」と訳出 しているが,本稿で示した訳出「内部会計統制から独立した存在の考査」の方が意味 のとらえ方として正確である。
予言の見地からする監査知識の吟味(1> 89 題があると言うのか? それは,(図2)の初期条件に匹敵する“被監査企業に substantive testsを実施して得られる観察命題”が,監査人の必要にもとづき, あらかじめ局限されているということにある。換言すれば,事象R・8につい ての観察命題しか得られないようなsubstantive testsを被監査企業に実施し・ きのそれでこと足りるとしていることにある。このような姿勢はバイアス(偏見) 以外の何物でもないと看徹し得るであろう。このような姿勢は,あたかも,(図 3)に示されている発言(予言)導出の概念を(図4)の如く変形するもので あるかのように見える。実際のところ,SAS NQ.16の言明が説明していると ころは(図4)に示される発言(予言)導出の概念であるというのであれば, SAS No.16自体に,法則の語るところ・性質についての錯覚があると看徹さ ざるを得ないように筆者には思われるのである。 (図4)
:騰難1灘撫……・れ}……
事象R・Sが被監査企業の主張: 棚卸資産 100,000,000円 に及ぼし得る影響についての発言(予言) を引き出す。 W SAS.No.16を補完するものとしてのSAS No,31の意味 被監査企業の会計資料に対しsubstantive testsを実施して具体的情報(観察 命題)を得るといっても,SAS No.16の示唆するそのような観察命題にはバ イアス(偏見)が含まれているから,SAS No,16の法則理解自体怪しいとい うことについては上に述べた。しかし,監査人は保険業者・保証人ではないと う するSAS No.16の抗弁は,監査人の置かれている状況を吟味するよう反省を 34) AICPA, SAS IVo. 16, 1977, p. 103.) 35) lbid., paragraph 13. paragraph 11,12.(The JournalげAccountancy, April (The Journal of Accountancy, April 1977, p. 103.)90 彦根論叢 第225号 促している。 (図2)でいう初期条件(initial condition)とlik何であったであ ろうか? それは時空領域Kにおいて生じている事象はRであるか,それとも Rであるかということに関する観察命題であるといっても,極限単位の観察対 象について認められる観察命題であったといってよい。独立監査人が被監査企 業にsubstantive testsを実施して得なければならない観察命題は(図2)で示 されている初期条件の如きものであることを要すとされれぽ,独立監査人が自 はし己防衛の手立てを探しもとめることに奔るということも自然の勢いであると認 めることができるであろう。substantive testsを文字通り徹底すれば, R・S のみならずR・Sについての観察命題をも入手し得るであろうという.ことは分 かっていたとしても,substantive testsで収集しなければならないそのような 観察命題は余りにも二大であり,SAS No.16の姿勢も同情に値する面をもっ ていることがわかるQ SAS No.16が示している前記引用の言明についてのこのような詮索との関 連で見出し得るSAS No.31の意義は, SAS No.16の言明で示した弱音を克服 しようとしていることに認め得る。SAS No.3!が“完全性”について述べてい るところは,表面上は,取引記録の脱漏に起因する過小表示の存否を問題とす るものであるが,これをつきつめて考えれば,徹底的にして効果的なsubstantive testsの実施により,事象R・5に関する観察命題のみならず,場合によって は,事象R・Sに関する観察命題をも入手することを意図している,と読みとり 得るであろうからである。もっとも,文字通り徹底したsubstantive testsをも って被監査企業経営者の主張命題:棚卸資産100,000,000円 の中に誤謬・不 正の事象・RS・RS・RS・RSが如何程生起しているかについてつぶさに把握 するには,前進法的な監査手続を重視せざるを得ず,大概,〔被監査企業の職員 36) AICPA, SAS IVo. 3!, paragraph 22. (The Journal of Accountancy, November 1980, p. 139.) 37) lbid., paragraph 11. ここに述べられている表現は次のようなものである。 「勘定項目の数量的表現は完全なものであるとする主張に対処するにはどのような監 査手続が必要であるか立案するに際して,監査人は,しかじかの項目は適切な勘定項
予言の見地からする監査知識の吟味 (1) 91 数×365日〕相当の延監査日数を要するであろう。被監査企業の職員の1日当り 就労時間を8時間と見,被監査企業の職員1人の1日当り作業量に対し独立監 査人は1分でsubstantive testsを完了すると仮定しても,必要な延監査時間は
〔今町蝶の纐数・365・卦蕊〕時間に近いものとな猪であり・巨大
企業に対し監査用役を提供する独立監査人として耐え難い程の作業量となるで あろう。更に,たとえ概念上はそのようなsubstantive testsを実施することが 可能であるとしても,それは最早試査と認め得るものでない以上,そこに予言 が関与する余地もなくなるであろうことを認め得る。SAS No.31は,被監査 企業の主張の完全性,たとえば,棚卸資産100,000,000円という主張命題の完 全性,を確かめるために,このような意味での徹底的なsubstantive testsまで 必要であるということを述べているわけでもない。すなわち,次のように述べ ている。 「監査人が被監査企業の内部会計統制にどの程度の信頼をよせるかは不明で あり,抽出標本に対するsubstantive testsの結果にどの程度の信頼をよせるか も不明ではあるが,内部会計統制についての評価とsubstantive testsの結果と を結合して考えれば,監査意見を支えるに足る合理的な基礎が得られるという ラ ことでなければならない。」 すなわち,独立監査人が実施すべきsubstantive testsに関してSAS No.31 が実際に意図しているところは,「被監査企業およびその属している産業につ いて独立監査人が有している知識をもってすれば,生じたと信ずべき理由が あるすべての類型の取引について,それが取引のすべてであり他に脱漏してい るところはないという証拠を得るように」ということであるかもしれない。し 目の数量的表現の中に含められているべぎものであるということを示している証拠資 料の中から,いくつかのものを選び出し,そのように選び出した証拠資料の指示する 項目が,その通り,勘定項目の数量的表現の中に含められているかどうかを調査する のである。」 38) lbid., paragraph 12. 39) R. Whittington, M. Zulinski & J W. Ledwith, “Completeness−The Elusive Assertion,” The foarnal of Aecountaney, August 1983, p. 88.92 彦根論叢 第225号 かし,それにもかかわらず,“取引をも含むある事象が生じたと信ずべき理由” の存在可能性を肯定することと,やみくもにこれを否定し,問題としてとりあ げること自体拒否することとの間には大きな姿勢の変化を認めることができ る。とはいえ,SAS No.31がC・クリステソソソの所謂“法則”になぞらえ ることのできる“内部会計統制についての命題’をどのように解釈しているか という問題は依然として未解決のまま残されている。次に,この問題について 考えることにしよう。