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自立と共生の教育社会学(その7) : 現代の貧困と子どもの発達問題

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自立と共生の教育社会学(その7) : 現代の貧困と

子どもの発達問題

著者

神田 嘉延

雑誌名

鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要

22

ページ

175-221

別言語のタイトル

Educational sociology for personality

independence and humanity symbiosis : Modern

poverty and the issue of development of the

child (PART7)

(2)

序章 課題と方法 (1) 人間発達における自立と共生との関係 (2) 自立と共生における学校と地域 (3) 学校の官僚制化と地域からの学校の分離 (4) 基本的な人権としての学習論と民主主義形 成のための公教育の原理 鹿児島大学教育学部教育実践センター研究紀要 第17巻(2007年11月)掲載 第1章 自立とコミュニティ -マッキバー、テンニース、マルクスか ら学ぶ- (1) マッキーバーのコミュニティ論とパーソナ リティーの発達 (2) テンニースのゲマインシャフトとゲゼル シャフトからみる人々の結合論 (3) マルクスの資本主義に先行する諸形態から みる共同体論 第1章 鹿児島大学教育学部教育学部研究紀要 第59巻教育科学編(2008年3月)掲載 第2章 競争による孤立化と共生による連帯 (1) デユルケムの社会的分業によるアノミー的 現象論と市民的連帯の道徳教育論 1 共同的人格からの機械的連帯と分業の発 展による機能的連帯としての復原的制裁の 役割 2 愛他主義こそ人間社会の本質 3 分業の社会的病理 4 社会病理と自殺問題 (2) 孤独な群衆-リースマンより- (3) 現代日本の孤立化現象と社会病理 -現代日本の自殺急増問題を中心として- 第3章 分業の発展による官僚制と参画民主主義 (1) 現代社会と官僚制 1 現代的視点からの資本主義発展と官僚制 の分析 2 官僚制の発展によるエリート退廃 -G.W.ミルズのパワーエリート論の退 廃論の検討をとおして- 3 官僚制の逆機能-マートンの理論の検 討- 4 日本の官僚制問題の特徴 (2) 資本主義の発展と官僚制-ウェーバーの官 僚制論の検討から- 1 ウェーバーの官僚制論の特徴 2 官僚制的装置の永続的性格 3 指導人物と官僚制 (3) 学校教育の官僚制と新しいコミュニティ形 成 1 教育行政の特殊性と官僚制 2 学校経営と官僚制 3 児童生徒への教育活動と官僚制 4 校区コミュニティと学校の官僚制の克服 第4章 資本主義と道徳教育の課題-稲盛和夫の 人間観から- (1) 市場経済の道徳問題と稲盛和夫の利他精神 (2) 稲盛和夫人間発達観-こころを磨く- (3) 21世紀の社会的正義 (4) 稲盛経営哲学とモラル問題 第2章から第4章 鹿児島大学教育学部教育実 践研究紀要第18巻(2008年11月)掲載

自立と共生の教育社会学(その7)

-現代の貧困と子どもの発達問題-

神 田 嘉 延

〔鹿児島大学名誉教授〕

Educational sociology for personality indepence and humanity symbiosis:

Modern poverty and the issue of development of the child(PART7)

KANDA Yoshinobu  

キーワード:子どもの貧困、母子世帯の貧困、子どもの虐待、貧困の世代的再生産の克服、 貧困と人間的能力

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第5章 人間学概念の構造化 (1) 自立的人間性と正義精神 (2) 人間の学-和辻哲郎から- (3) 人道主義倫理の諸問題と道徳-エーリッ ヒ・フロムから- (4) 日本的ヒューマニズムと人間力-伊藤仁齋 の検討を中心として (5) アジア的幸福観と利他の精神 (6) 人間論の生物学的アプローチの検討 第6章 人間力と学問 (1) 人間知と教養-ヒルティの幸福論の検討よ り- (2) 生き方と人間力形成-伊藤仁齋の児子問- (3) 学問と人間力形成-石田梅岩に学ぶ- (4) 学問と仁政(経世済民)-横井小楠から学 ぶ- 第5章から6章 鹿児島大学教育学部教育実践 研究紀要第19巻(2009年11月)掲載 第7章 子どもの発達と自立 (1) 人間形成としての子ども自立的発達-フ レーベルの「人間の教育」から学ぶ- 1 子どもどもの共同感情の発達-微笑と安 心の共同感情- 2 子どもの誕生と成長の源泉 3 学校は子どもにとって何なのか 4 子どもの遊びの場を提供する地域社会の 役割 5 子どもの好奇心と自然環境の役割 6 フレーベルから学ぶ芸術教育 7 読み書きの教育 (2) 地域と学校-デユーイから学ぶ- 1 学校の社会的役割 2 小学校教育と子どもの生活 3 子どもの指導とカリキュラム-子どもの 現時の体験と未来の経験- 4 教材を扱う科学者の側面と教師の側面 5 反省的注意力と子どもの自立的精神の発 達-反省的注意力発達と自然教育- 第7章(1)~(2)鹿児島大学教育学部教育実践研 究紀要第20巻(2010年12月)掲載 (3) 人間の発達課題と教育-ハヴィガーストか ら学ぶ- 1 生活と学習 2 幼児期の発達課題 3 児童期の発達課題 4 児童期の発達課題達成における仲間集団 と教師の役割 5 児童期の知的発達 (4) 子どもの知的発達と教育の役割-J・ピア ジェから学ぶ- 1 子どもの年齢に応じた知能の発達論 2 自己中心性と論理的思考の準備 3 感覚運動的知能と感情の果たす役割 4 7歳から12歳までの児童期の発達論 (5) 発達教育学と人間的教育目標-ロートから 学ぶ 1 教育学的子どもの発達研究の基本的視点 2 子どもの発達を促進する諸力 3 問題解決のための思考能力と情意的・感 情的生活 4 創造的達成能力と自立のための学習過程 (6) 未来の発達水準と子どもの自立-ヴィゴツ キーの発達の最近接領域の理論から学ぶ 1 ヴィゴツキーからみた従前の子どもの発 達と教授学習の理論 2 発達の最近接領域論 3 子どもの発達の最適期の上限と下限 4 児童期における二言語併用問題 5 書きことばの教授・学習 6 子どもにとって生活的概念と科学的概念 の発達 第8章 現代社会の貧困と子どもの発達問題 (1) 貧困論と子どもの発達問題 1 マルクスの資本論にみる子どもの貧困問 題 2 モンテッソーリの社会問題としての子ど もの見方 3 アマルティア・センの貧困と潜在能力 4 現代日本での子どもの貧困論をめぐって (2) 母子世帯問題 1 母子世帯と子どもの貧困問題 2 母子世帯の子育ての困難性 (3) 児童虐待と家族問題 1 児童虐待と子どもの貧困化

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2 児童虐待防止法の特徴 3 児童虐待の統計的現状 4 児童虐待の現代的特徴

第8章 現代社会の貧困と子どもの発達問題

(1) 貧困論と子どもの発達問題 1 マルクスの資本論にみる子どもの貧困問題 貧困という概念は、歴史的、社会的に相対的な ものである。それは、社会の変化によって、人間 らしく生きていく生活機能も異なっていく。貧困 化は、社会的な標準的な生活水準から大きく生活 機能が略奪されていくことである。現代の農村生 活では、公共交通が極めて限られている。自動車 がないことは、農村住民にとって交通手段が奪わ れていく。車がないことは、日常的買い物や緊急 の病院すらも不自由をきたす。高校などの学校の 統廃合がされることによって、自宅からの通学も 困難になっていく。50年前には、車は日常生活に 必要なかった。 国家の政策や社会の変化によって、生活の水準 の内容も大きく異なっていくのが現実である。マ ルクスが資本論を書いた150年前の近代社会の形 成期と現代社会では、生活形態や生活様式が大き く異なっていく。子どもが生きるために獲得して いく諸能力も大きく異なっている。生きていくた めの知識量も近代化の発展によって、増えていく。 マルクスは、近代の資本主義社会について、分 析している。近代社会の貧困問題は、社会的な問 題であり、資本の蓄積に対応しての人びとの生活 の格差の問題であるということを指摘した。そし て、その内容は、相対的な問題であるということ を述べた。マルクスは、資本論で、150年頃まえ のイギリスの貧困の状態を分析している。そこで は、資本主義の蓄積の一般的法則として、流動 的、潜在的、停滞的と、3つの相対的過剰人口の 形態を述べているが、その一番底に沈殿していく 受救貧民の層を指摘している。 この社会層は、労働能力のあるもの、孤児や貧 児、労働能力のない堕落したもの、零落したもの と3つの部類からなっているとしている。 受救 貧民層の第3の社会階層は、堕落したもの、零落 したものである。この問題指摘は、子どもの貧困 と教育の問題を考えていくうえで、大切なことで ある。マルクスの資本論は、その指摘を次のよう に述べている。 「分業のために転業ができなくなって没落する 人々、労働者としての適正年齢を超えた人々であ り、最後に機械や鉱山採掘や化学工場などととも にその数を増す産業犠牲者、すなわち不具者や罹 病者や娼婦などである。受救貧民は、現役労働者 軍の廃兵院、産業予備軍(運搬具自体の重み)を なしている。受救貧民の生産は相対的過剰人口の 生産のうちに含まれており、その必然性は相対的 過剰人口に含まれているのであって、受救貧民は 相対的過剰人口とともに富の資本主義的な生産お よび発展の一つの存在条件になっている」。(1) マルクスは、資本主義の発展によって、資本蓄 積の規模の増大が、労働者の絶対的な大きさを作 り出していくが、産業予備軍という相対的過剰人 口の層を膨張させていくとする。相対的過剰人口 層が大きくなればなるほど、貧困層は増大してい くとするのである。産業予備軍が大きくなれば、 公認の受救貧民層は増えていくいくとする。貧困 層の増大は、絶対的な資本主義的な一般法則であ るとしている。つまり、「資本の蓄積に対応する 貧困の蓄積を必然的にする。だから、一方の極で の富の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自 分の生産物を資本として生産する階級の側での、 貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕 落の蓄積なのである」。(2) 貧困の子どもの発達の問題で最も考えなければ ならない問題は、人間的に成長していかないとい う人格的な喪失現象があるのである。マルクス は、非人間的な環境に置かれていることが、野獣 のように育っていくということで、人間としての 堕落に犯されていくということを指摘した。 マルクスは、ドクターであるサイモンやハン ターによるイギリス貧民層の1865年のロンドン都 市における住宅環境の非人間的な状態を資本論で 引用している。普通の人道からも許されない人間 としての細かい心使いは無視され、もはや野獣そ のものであって、人間的な行為がない堕落のなか で生活している。このような境遇におかれた子ど

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もたちは、肉体的にも、精神的にも文明の環境を 求めて努力するというようなことは、望んでもと うてい見込めないことである。労働者階級の住宅 事情におけるほど、おおっぴらに恥知らずに人格 の権利が所有の権利の犠牲にさらされてきたこと はないというのである。 今では、子供たちはさまざまな年齢の、酔っぱ らった、淫らな、喧嘩ぱやい連中と半夜をともに しながら、この国にたぐいのない状態のもとで、 危険な階級として将来の実生活のための教育を受 けているのであるが、このような子供たちからど んな行状が期待できるか、これを予言しようとす る人があるとすれば、それは大胆な予言者という べきであろう。(3) 貧困のなかで育つ子どもたちは、社会的な規範 の形成、人間としての人格の成長がなされないの である。そこでは、野獣として振る舞っていく危 険な階級として養成されていく。貧困は、人間ら しい社会的な規範、秩序にとって、大きな問題を 作り出していくのである。まさに、社会的な治安 の乱れ、人びとの人格的な喪失が起きていくので ある。それは、生活不安の増大ということだけで はなく、人間的な堕落と退廃への道である。家庭 や地域、社会によっての教育がなく、人間として の成長がなされていかないのである。 2 モンテッソーリの社会問題としての子ども の見方と環境教育の重視 イタリアの二十世紀のはじめ、子どもにとって の学校の苦役は、肉体だけではなく、精神にも及 んでいた。貧困な家庭の子供は、早朝から働かさ れ、空腹と疲労で学校に来るが、教師から怠けて いると鞭打たれる。このことをモンテッソーリ は、次のように述べる。「学習は重荷になり、子 どもらは倦怠と心配との間に手だまにとられ、精 神的過労になり、神経過敏に疲れ果てはてていま した。その結果、一般に子どもは無性で意気喪失 し、憂鬱で退院して自身がなく、子どもらしい生 活の喜びを欠いていました。両親の家庭ではこれ らすべてを不問に付して、子どもが試験を通過し てなるべき早く学習を終え、時とかねを節約して くれることばかり気にかけていました。教養その ものは両親には問題ではなく、やっかいなかねの かかる社会的義務をのがれることだけが問題でし た。・・・たいていの子どもは、登校前にすでに 疲れていました。彼らの多くが早朝から働かねば ならなかったからです。ある者は牛乳配達で数キ ロメートル歩いていました。他の者は街路で新聞 を売るか、自宅で働きました。その結果、空腹で 眠たくなって学校に来て、今はただ休息したいば かりでした。これらの哀れな子どもらは、それか ら注意を怠るか、教師の説明を理解しないと、教 師に鞭打たれました。自分の職務とことに威厳だ けしか考えない教師は、罵倒で注意を呼びお越 し、おどかしで従順を強いました。無能な意志薄 弱者だとして、よく子どもを級友のさらし者にし ました。これらの哀れな子どもの生活は、明け暮 れ、家族に搾取されるか教師に罰せられるかで過 ぎました」。(4) 以上のように、貧困の子どもにとって、学校に よる近代的残酷さが重くのしかかっていることを モンテッソーリは述べる。この残酷さは、学校と 家庭とが教育で協力するということで、学校で罰 せられたことを親に報告の強制が行われて、父親 は学校の迫害の側にたって、署名を強要させられ るとしている。この問題に対して、モンテッソー リは、子どもの権利がないなかで、どこにも訴え るすべがないとしている。懲罰の教育効果として、 多少の逃げ場になるところは、どこにもない。そ こでは、子どもに対する愛情はどこにもない。 モンテッソーリは子どもの権利を守っていくこ とは両親であるとする。両親は結束すれば学校に 社会的影響を与えることができるとして、子ども の成長にとっての役割として、両親の第一位の役 割があることを次のように述べる。 「両親の使命には最も大きな意義があります。 両親だけが子どもを救うことができるし、またそ うせねばなりません。なぜなら彼らは結束できま すし、そうして実際に社会生活に影響を与えるこ ともできます。彼らの良心は自分の使命の大きさ を知らねばなりません。子どもは自然が彼らに委 任したものでありますし、実際良心の手に人間の 将来は握られているのですから、人間社会の内部 ではこの使命のために、第一の席は両親にあてら

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れています」。(5) モンテッソーリは、社会問題としての幼児教育 という評論のなかで、大都会では、無理解の両親 のもとに子どもは育てられ、正常な発育が妨げら れていることが多いと警告している。 「一般に子どもは無理解な両親や社会に強いら れて、正常な発育からそらされているということ です。子どもとは何ですか。日増しに激しくなる 仕事や苦労で手いっぱいなおとなにとって、やっ かい者にほかならない。大都会では、みなアパー トで家族は狭いところに住んでいて、子どものた めの場所なんか別にありません。道路は車やト ラックが通るのでますます狭くなる一方です。人 道は急いで通るおとなでいっぱいです。おとなは 勤務で忙しくて子どもなどかまっていられませ ん。父親も母親も働かねばなりません。稼がねば 貧困はおとなだけではなく子どももいためつけま す。子どもはどっちを向いても自分の気持ちはわ かってもらえませんし、したいことをしてよい所 もどこにもありません」。(6) 大都会で、おとなは、生活の糧を得るために忙 しく、働き、生きるために手一杯で、子どもに面 倒をかける余裕もないし、子どもの気持ちを理解 してあげる時間もないのである。子どもの生活環 境も大都市では遊びの場も奪われて、子どもの成 長のための様々な自然的な条件は欠いているので ある。 大人が子どもの問題をみつめることは、大人自 身の生活の見直しであり、自らの生活を大切にす る要素にもなっていくのである。この問題につ いてもモンテッソーリは次のように指摘する。 「子どもについての社会問題はおとなの身近に 差し迫り、わたしらの良心をゆさぶり、わたしら を生まれ変わらせます。子どもというものはただ 外から観察できるといったよそよそしいものでは ありません。おとな自身の生活の最も大切な要素、 すなわち構成要素だといってよろしい。おとなの 善事も悪事もみなその幼児期に密接につながって いて、そこに根があるのです。わたしらはすべて のまちがいをあらわしそれらを子どもにうつし、 そこに消しがたい痕跡を残しています。・・・お となが、自分の生命の果実であるところの子ども について、驚くほど盲目でかつ冷淡であること は、確かに多くの世代を貫き伸びている深い根を 持つことは事実です。子どもを愛しながら、しか も知らず、知らず誤解しているおとなは、心なら ずも彼らをそこないます。わたしらの誤診はみな 子どもに反映していますから、それによってわた しらは自分の行為を吟味せねばなりません。こう いうことはみなおとなと子どもの間の今まであま り気づかれなかった矛盾をあらわしています。子 どもについての社会問題は、人間を形成する自然 法則にわたしらを近づけ、わたしらに新しい自覚 を与え、したがってわたしら自身の社会生活に新 しい方向を与える助けになります」。(7) 子ども自身の貧困問題は、大人の生活問題に大 きく規定されている。また、大人の悪事もみな幼 児期の生活問題に密接に繋がっている。幼児期の 人間的な成長は、その後の人生を大きく制約して いく。幼児の教育は、人間としての人格形成に重 要な時期である。 子どもの社会問題は、その後の地域や民族、国 家にとっての大きな影響を与えていく。幼児期の 子どもの教育は、その社会の未来にとって極めて 大切なことであるとモンテッソーリーは強調す る。近代化した現代社会は、文明化した社会的環 境ということであるが、自然から遠くかけ離れた 暮らしであるとモンテッソーリは、その問題につ いて次のように述べる。 「われわれの時代のそしてわれわれの社会の文 明化した環境で、子どもらは自然から非常に遠く かけ離れて暮らし、自然と密に接触するか自然と の面接経験を集める機会は少ないのです。長い 間、自然の子どもへの教育への影響はただ道徳因 子として評価されました。求められるものは自然 のなかで驚くべき事物によって引き起きおこされ る特別の感情でした。草花や動植物、景色、光な どです。その後、自然のなかで暮らすという考え は教育制度の最後の獲得物です。子どもはすなわ ち自然的に生活し、ただ自然を知るだけではな い。最も重要な点は、できれば子どもを、都市の 集合生活によって造られた人工的生活で孤立する 条件から解放することにあります」。(8) 自然のなかで暮らす動植物、景色、光を子ども

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の生活に取り戻すことは、現代の人工的な孤立し た生活から人間的に解放されるために大切なこと である。自然は人を育てる役割をするからこそ、 環境教育は極めて大切なのである。 モンテッソーリは、現代都市社会の文面化に疑 問を投げかかけているのである。現代の都市の集 合生活は、自然生活からかけ離れ、子どもの成長 にとって、大きな問題である。自然を知識的に知 るということだけではなく、子どもの成長にとっ て自然の生活を取り戻していくということなので ある。 子どもの成長にとっての自然の生活を取り戻す 試みは、身体の発育や健康にとっても大切なこと である。公園で幾分新鮮な空気に接触させるこ と、海岸で太陽や海水にさらすこと、サンダルや 素足にさせることなどは、子どもを健康にさせて いくことである。また、結核やくる病の子どもを 都外で眠らせたり、日当たりで生活させたりする ことは治療的効果をもたらすことなどモンテッ ソーリは提案している。(9) 子どもの生活が、自然からかけ離れていること は、人間的環境のひとつの略奪現象である。都市 の集合生活においても公園の環境の条件整備をし ていくことは、人間的な暮らしのために必要なこ とである。 都市での貧困の子どもたちの居住環境は、自然 環境から離れた狭い路地のアパート群のなかで太 陽のあたらない非衛生的な無秩序の状況である。 スラム街などが、その典型である。最も公害の受 けやすい条件で暮らすのも貧困地帯である。自然 環境のもてる工夫がされている子どもは恵まれた 条件の子どもである。積極的に子どもの成長のた めの公共的な教育政策にどの子どもも自然生活を 保障される条件が求められている。 「今日の貧乏人はもはやせっぱつまっても、隣 人から援助は受けないでしょうし、幸福な隣人か ら行儀やよいしつけを受けないでしょう。われわ れは彼らをわれわれから離れた別の所に寄せ集 め、住む家もなしに自暴自棄に任せ、野蛮と悪徳 の残酷な習慣を相互に受けるに任せています。社 会的良心のめざめた人なら、われわれがこうして 一種の伝染地域を作ったのも気づかないではいら れません。しかし、その地域はわれわれの都市を 死の危険をもって、都市は美的貴族的理想にした がってすべてを美しく輝かしくすることを望み、 醜い病んだ者は何でも一も二もなく追い出そうと します。わたしがはじめてこれらの街を通ったと きわたしは何か大きな災害をこうむった都市に来 ているような気がしました」。(10) 貧民地域の特徴をモンテッソーリは、以上のよ うに語っている。貧民大衆は都市のなかで隔離さ れた場所に住んでいるというのである。子どもた ちは、大人の自暴自棄のなかで暮らし、野蛮と悪 徳の習慣を受けるのに任せているというのであ る。子どもの成長の権利が貧困のなかで奪われて いるというのである。現代の都市化、貧困化での 環境教育という課題は、自然を奪われた子ども達 に、自然と共に暮らす場を与えながら人間的に成 長いくことを意味している。 3 アマルティア・センの貧困と潜在能力 アマルティア・センは、生きていくうえでの機 能の側面からの貧困の認識をしている。この視点 は、福祉の政策や福祉サービスを提供していくう えで、極めて大切なことである。福祉は、文化的 に個人の生活の質、暮らしぶりを豊かにしてい く。健康である人と透析をしているような重い病 気をもっている人とは、生活の費用、援助の質も 異なる。 適切な栄養をとっている人と、そうでない人、 十分な教育を受けている人と生きていくための識 字教育を受けていない人とは潜在能力は異なる。 潜在能力は、その人が自由に選択できる幅を大き くしていけることである。職業の選択の自由は、 諸能力の発達と結びついている。 とくに、生きていくための基礎的な諸能力を獲 得していくことは、その後の具体的な職業能力の 形成にとっても不可欠である。学校教育で誰にで も生きていくための基礎学力をつけていくこと は、職業選択において極めて大切な課題である。 職業選択の自由は、十分に生きていくための諸能 力をつけてこそできるのである。 職業選択の自由と教育を受ける権利は密接な関 係をもっている。生涯にわたって、どんな仕事に

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も就労していける諸能力の形成は、大切な人間的 自由の獲得用件である。不安定就労や失業は、人 間の発達の側面からみるならば、生きていくため の教育が十分に保障されていないことから起きる のである。 相対的過剰人口は、資本主義的蓄積の必然的な 労働力市場法則である。国家が社会政策として労 働力市場の安定化に積極的に介入しない限りたえ ずあらわれていくが、教育の面から個々に就労の ための人間的な能力をつけてやることは、貧困の 克服の重要な条件である。 人間は多様な存在であり、平等ということは、 生きていくための機能を達成する潜在能力を共通 に保障していくことである。潜在能力は、個々の 人間が目的を達成できる力と機会を保障されてい るという意味である。 アマルティア・センは、人間の多様な存在を見 つめながら、基礎的に平等の諸能力の形成の保障 を次のように考えている。 「異なった資産や負債を相続して人生をスター トする。異なった自然環境(ある場所は暮らしや すく、ある場所は暮らしにくいかもしれません) の中に住んでいる。属している社会やコミュニ ティは、人々ができること、できないことに関し て非常に異なった機会をもたらす。住んでいる地 域の疫学的な環境は人々の健康や福祉に大きな影 響を与える。このような自然的・社会的環境や外 的特徴の差に加えて、個人的な特徴(例えば、年 齢、性別、身体的・知的能力など)の面でも互い に異なっている。このような差は不平等を評価す る場合、重要な意味を持ってくる。 例えば、身体の不自由な人は、たとえ健常者と 全く同じ場所を得ているとしても健常者と同じよ うに活動することはできない。このように、ある ひとつの変数(例えば、所得)に関する不平等 は、他の変数(例えば、「機能を達成する能力」 や福祉)に関する不平等とは全く違ったものにな りかねない。他の人と比べて相対的に有利な点や 不利な点は、多くの変数(例えば、所得、冨、効 用、資源、自由、権利、生活の質など)によって 評価することができる。 個人間の不平等を評価するために焦点を当てる 変数、すなわち焦点変数が複数存在するために、 どのような視点を採用すべきか、この点に関し て、非常に基本的なレベルで困難な 決断をしな ければならない。「評価空間」(すなわち適切に焦 点変数の組合せ)の選択は、不平等を分析する際 に決定的に重要な意味を持ってくる」。(11) 人間が生きていくために、より基礎的な変数は なにかということで、アマルティア・センは、基 礎の妥当性の検討、その合意の重要性から基礎的 な平等を求めていく方法をとっている。 人間は、所得や、財産、自然環境、コミュニ ティの存在、共同の生活手段・施設が不可欠であ る。生活環境は、個々に生きていくうえで条件が 異なっている。 また、健常者と障がい者というように生きてい くための機能的側面もそれぞれによって重視する ことは異なる。多様な機能的な存在を認めなが ら、基礎的な平等を求めていくのである。単純に 所得のみでは、機能的な側面からの不平等の状況 をつかむことはできないのである。 個々にとって、人間的に生きていくための機能 的な側面から平等の問題を深めていく課題を忘れ てはならないのである。 アマルティア・センは、貧困の問題を、機能と 潜在能力の視点から深めている。生活の質は、所 得の問題だけではなく、人間が生きていくために は、様々な生活の機能があり、それも健康な人と 病を負っている人、豊かな教育を受けた人と教育 を十分に受けなかった人、公害のひどい地域と潤 いをもった自然環境のなかで暮らしている人と、 個人や地域、文化などによって異なっている。機 能の概念について、アマルティア・センは、次の ように述べている。 「個人の福祉は、その人の生活の質に、いわば 「生活の良さ」としてみることができる。生活と は、相互に関連した「機能」(ある状態になった り、何かをすること)の集合からなっていると見 なすことができる。このような観点からすると、 個人が達成していることは、その人の機能のベク トルとして表現することができる。重要な機能 は、「適切な栄養を得ているか」「健康な状態にあ るか」「避けられる病気にかかっていないか」「社

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会生活に参加しているか」などといった複雑なも のまで多岐にわたる。ここで主張したいことは、 人の存在はこのような機能によって構成されてお り、人の福祉の評価はこれらの構成要素を評価す る形をとるべきだということである」。(12) アマルティア・センは、機能的な生活の質から 貧困の問題を考えていく必要性を強調している。 人間が豊かに暮らしていけるには、個々人にとっ ての生活の質の機能が異なり、それに即しての潜 在能力の達成をみていくことが求められている。 個々人の福祉は、潜在能力に結びつているという のであり、人々が自由に自分の意志によって、選 択能力をもっていることである。それが達成でき ることは、潜在能力に依存できることである。選 択の能力が増していくことは、人々の生活を豊か にしていく。貧困とは潜在能力の欠如であるとい うのがアマルティア・センの見方である。「貧困 とは受け入れ可能な最低限の水準に達するのに必 要な基本的な潜在能力が欠如した状態としてみる べきであるという議論が成り立つ。貧困の分析に 関連の深い機能は、「十分に栄養をとる」「衣料や 住居が満たされている」「予防可能な病気にかか らない」などといった基礎的・身体的なものか ら、例えば、「コミュニティの一員として社会生 活に参加する」「恥をかかずに人前に出ることが できる」などといった複雑な社会的達成までまち まちである」。(13) 貧困とは、福祉水準が低いということだけでは なく、機能的に生活の質を確保できない潜在的能 力を欠いた状態である。貧困を克服していくとい う社会開発は、潜在能力を身につけていくという 福祉政策が大切なことになるのである。 潜在能力を豊かにしていくための基礎的な条件 として、識字教育は極めて重要な構成要素である。 機能的生活の質を達成していくために、行動できる 能力の発展は、社会開発にとって不可欠な構成要 素である。失業ということによって所得が得られ ないことは,失業手当などの社会保障によって所 得を補填すればすむことであるが、そのことだけ ではなく、そこに、人間としての潜在的能力の欠 如という深刻な問題がよこたわっているのである。 精神的な傷、働く意欲の喪失、社会的疎外の強ま り、人種的な緊張や男女間の不平等の高まりとい うことなどをアマルティア・センは指摘する。(14) 機能的な生活の質を豊かにしていくことは、ど う生きるのか、どのような選択が可能であるのか という本質的な自由の問題と深くかかわってい る。(15) 機能的な生活の質の開発ということから人間の 潜在能力を高めていくことが極めて大切なことで あるが、そのなかで、識字教育は不可欠な基礎的 な条件である。教育なくして貧困の克服はなく、 生活の質も向上することができないし、人間的な 自立をめざしていくことはできない。福祉として の教育、福祉としての人間的自立の職業教育をも 大切な課題である。教育こそ、人間的な豊かさを 築いていくことでの基礎的な条件である。とアマ ルティア・センは強調するのである。 4 現代日本での子どもの貧困論をめぐって 子どもの貧困を論じる際に、親への非難、家族 の責任に問題が転化されやすいのが、現代の競争 社会の特徴である。そこでは、自助努力が強調さ れ、その努力を怠る人が貧困になっていくという ことで、努力する力、競争力をつけてやることこ そが人生を生きぬくうえで大切な能力とするので ある。 人間的に生きていくうえで、切磋琢磨して共に 新たな創造性、新規の開発の能力を身に付けてい くことは大切なことであるが、すべてを努力と競 争に転化するならば、必ず生まれる負け組があり、 弱肉強食ということになっていく。この見方は、 新自由主義的な思想の蔓延する時代のなかで、当 然のことと受け取れやすい社会的状況である。 しかし、負け組の人びとを努力の足りなかった 人々、責任を果たせない人々ということで切り捨 てていくことができるのか。その考えだけでは、 大きな社会的不安の要因になっていく。能力主義 的に負け組の人々は、不安定な労働力市場のなか で生きていかねばならない。彼らは、失業と生活 不安のなかで生きていく意欲さえも減退してい く。また、勝ち組もおごりを生じて、人間的な連 帯、絆が失われて、エリート層の社会的な不祥事 を引き起こしやすい事態も生まれていく。

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このような時代において、個人責任論、家族責 任論を相対化して、子どもの貧困の問題を社会問 題としてとらえていくことが必要である。この視 点から「子どもの貧困―子ども時代のしあわせ平 等のために」編者として出版した松本伊知朗は次 のように強調する。 「子どもが負っている不利の認識は、容易に 「責任をはたしていない」親への非難に転化す る。子どもに対する家族の責任が過度に強調され る社会では、この事実は、より親の責任を意識さ せ、家族間の競争を激化させ、親の育児の負担と ストレスを招く。 これは貧困層により不利に働くし、加えて中間 層の家族の子育てをも息苦しいものにする。つま り、貧困観が狭められ、競争のなかで自助努力と 家族責任が強調される社会、そして、それを人々 が受け入れている社会では、貧困はみえにくくな る。結果として社会福祉における公的責任の後退 が「おかしなこと」に見えず、貧困をより深刻化 させる。子どもの貧困を論じる際には、悲惨さを 強調するだけではなく、貧困観における個人責任 論・家族責任論を相対化し、貧困を個人の(心が け)に帰すことのできない社会的な問題として把 握する立場に、改めて立つ必要がある」。(16) 子育てにおける家庭機能不全の状況は、親の責 任論のみに帰着しがちであるが、その親の個人問 題としてみえる状況は、社会的な不平等や社会的 な貧困と関連性をもっているのである。そこで は、親の道徳退廃、人格の喪失が進んでいくので あり、社会経済構造の分析を下敷きにしながら家 族における社会病理の現象、家族機能不全の状況 をみていていく必要がある。 この視点に松本伊知朗をはじめ「子どもの貧 困」の著者達の貧困研究は強調しているのである。 この視点の強調により,決して個人の道徳退廃、 人格的な問題を免罪するものではない。そこで は、社会経済的な土台との関連から問題をとらえ て、貧困を克服していく社会政策的な手だて、国 家や地域に求められている。貧困問題にたいする 公共的政策の構築は、社会の退廃、社会秩序の安 定のために必要なことである。弱肉強食の競争社 会は、格差をつくりだして、貧困層の退廃をつく りだす経済的土台になっていくが、同時にエリー ト層の退廃も、詐欺や横領などで進んでいく。 子育ての機能のない家庭で育っている子どもに 対して、具体的な発達の保障と人間的に成長して いける学習の手だてが、学校教師をはじめとし て、公的に役割をもっている教育者に求められて いる。教師をはじめ公的な役割を託されている教 育者は、子どもの貧困問題について深く関与して いく視点が必要なのである。すべての子どもに発 達の保障を充実していくためには、特別に不利益 な貧困問題や障がい児問題に対処してこそ、その 実現の道のりがみえてくるのである。 教育の機会均等からの学校教育の充実には、経 済的理由によって就学困難な児童生徒について就 学奨励のための国の援助の法や特別支援学校への 就学奨励の法が、設けられている。親の個人責任 のみでは、公的な教育の機会均等が受けられない という趣旨からこれらの法律が作られたのである。 様々な貧困問題からの家族の子育て機能の喪失 状況は、家庭的な愛護のもとで育つ事を基本に、 子どもは社会の子ども、発達保障を社会全体とし て責任をもっていくということから、社会的養護 や一時的保護、一時的な親権停止なども含めて、 子どもの具体的な状況に対応して、子どものしあ わせのために、未来への発達保障のための学習の 手だてを公的に積極的につくりあげていくことが 求められているのである。 また、貧困のなかで未熟な面をもつ親自身の人 間的な教育、自立していけるような教育や訓練が 求められているのである。貧困などによる家族関 係の破綻、子どもの生存が脅かされる虐待からの 保護は、母子分離が原則である。しかし、子ども と一緒に暮らしたいという希望を強く母親はも つ。この問題で前書の「子どもの貧困」で、全国 保育団体連絡会の実方伸子は、福祉の現場から と、次のように述べる。 「特に、自身が児童養護施設で育った経験のあ る母親はその思いが強い。「自分のような思いは させたくない」という。しかし、養育力がないと 判断された母親がその希望をかなえることはかな りむずかしい。「分離」の背景には虐待の問題も 多々あり、子どもの生命や人権保障の観点から、

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もっともだと思われることも多い。しかし、婦人 保護施設利用者の分離をふり返ると、現状では、 日本の現在の母子・家族支援に問題があるのでは ないかと思われる。未成熟な母親と子どもを支え る制度や体制がないゆえに、分離に至っていると いっても過言ではないであろう」。(17) 子どもの虐待という保護の現実問題ということ と、子どもは愛護のもとで育つということでは、 家庭が最もその条件に適していることから、児童 の権利に関する条約(子どもの権利に関する条 約)でも18条において、親の第一義的責任と国の 援助が示されている。児童の養育及び発達につい て父母が共同の責任を有するという原則のもと に、父母は児童の最善の利益を基本的な関心事項 となる。 貧困化は、子どもの成長にとって家庭の機能を 失わせているのである。子どもは発達と生活での 幸福を得る権利を有しているのであり、貧困化に よって、それが阻害されてはならないのである。 とくに、未熟であり、無抵抗である子どもに対し て、暴力が加えられることはあってはならないこ とであるが、現実には、親による暴力が行われ、 放任され、ときには、子どもを搾取の対象とする のである。 親等による虐待、放任、搾取から子どもを保護 することが、社会的に求められている。これは、 立法や行政の独自の役割もあるのである。保護と 親の愛護のもとで子どもは育つという本来の機能 を取り戻すための親自身への社会的な教育が切実 に求められている。そのための行政的な措置とし ての一時的保護、一時的親権停止措置が必要であ る。と同時に、親への独自の教育的措置や生活条 件の整備などが求められているのである。また、 虐待や放任されてきた子どもに対する精神的傷か ら立ち直れるような癒しと、温かいぬくもりの もった環境のもとに、発達の権利としての教育を 特別に施すことが必要である。 教育と貧困ということから、高山武志は、英国 に お け る 教 育 貧 困 の 概 念 の 重 要 性 と し て 、 Deprivationの定義の導入を提起している。つま り、Deprivationは奪いされられるということで、 剥奪、損失、疎遠、相対的貧困、収奪など広い意 味の貧困を意味している。社会全体の不平等構造 のなかで社会を構成する個人、集団間にある格差 のなかで、正当な最低限としての生活水準あるい は社会規範があることを前提に、それが奪われて いる状態をさしているのである。 両親に育てられない子どもは、正常な家庭生活 を収奪されているというのである。病院や医療が 最低限の社会的水準が奪われている地域は、医療 か ら 収 奪 さ れ て い る 地 域 と い う の で あ る 。 Deprivationは、保障されるべき最低限という平均 的な社会の他の構成員の状態によって決定される ものであり、それは、最低限の生活水準という所 得にみによって考えられるものではなく、教育、 住宅、健康、労働条件、さらには社会的・政治的 な諸権利など広範囲にわたって設定されるべきも のとしている。このことは、Deprivation概念は、 社会諸政策の目標となる政策概念がるとする。 教育に関するDeprivationは、教育資源が不均等 に配分されている過大学級にいる子どもは教育的 に収奪されているということであり、教育機会の 不利な状態にある場合も教育的に収奪されている ということである。学力が平均よりも著しく劣る 場合、他の子どもに対して収奪されているという ことである。Deprivationの概念の導入は、教育問 題を個人のことではなく、低所得、失業、低水準 の住宅とともに広く社会階層構造にかかわる問題 として整理することができると高山武志は、問題 提起するのである。(18) イギリスでは学校教育における教育的貧困政策 として、地域社会の子どもを能力にかかわらず単 一の教育システムに収容していく総合制中等学校 がつくられた。また、貧困地域を教育優先地域と して積極的に教育資源を集中させていく補償教育 と地域カリキュラムを積極的に導入している。そ して、地域を改善していく能力をつける地域社会 学校政策をとっている。 そして、教員養成における貧困地域の学校での 実習ということで教師の貧困児童の理解を深める 研修の充実、幼児教育においても貧困児童がより よき人生のスタートをできるように特別に貧困地 域に重点的に教育資源を集中させている。イギリ スの公教育における政策として、重点的に教育資

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源を教育行政として投資していることは、教育的 貧困政策に国の配慮がされていることである。こ の教育的貧困政策を高山武志は積極的に重視して いるのである。 高山武志の講座研究室を継承した青木紀は、教 育福祉研究として、貧困の世代的再生産の家族資 源の格差問題を提起している。貧困の家族で育っ た子どもたちが、いかに成長発達において不利な 条件のなかで貧困の世代的な再生産に陥っていく のか。 青木紀は、生活保護世帯の調査をとおして、家 族のもつ資源格差の現実について次のように述べ ている。「貧困の中におかれてきた家族員個々の 生活史を見た場合に、しばしば見られる「教育競 争」からの早期における「脱落」といった現象、 そして何の自立の準備なしに「家を出る」行為の 一般化とその世代的な繰り返し、さらには新たな 人生の出発点として祝福されるべき結婚式の欠落 など。これらは、彼、彼女らの生活過程における 実質的なライフ・チャンスの不平等(また頼りに なる身近なサポーターの不在)の帰結としてとら えられるのではないか。とりわけ生活保護世帯の 調査経験は、それ以外の世帯・階層との「断絶」 をも感じさせるほどの、多様で深刻な生活上の不 平等な経験(貧困)を示すものであった」。(19) 現代社会は、安定した職を得ていくために、資 格や技術または、学歴が要求され、能力主義的に 知識社会へとむかっている。このようななかで能 力の格差は、社会的な不利の条件となっていくの である。 生きていくための能力の形成は、学校ばかりで はなく、家族や地域のなかで形成されていくが、 現代は、とくに子どもの生活にとっての学校での 役割が大きくなり、またバーチャルな世界として のマスコミ、様々な情報手段の役割も大きくなっ ている。人間的に成長していくうえで、人間関係 能力、コミュニケーション能力、集団や家族での 人を思いやる能力の形成、絆をつくっていく能力 は大切な課題であるが、家族資源の乏しいなかで 育った子どもは、そのことでも不利な条件にたた されているのである。 ところで、生活保護世帯以下の生活を強いられ ている多くの母子世帯の現実を見逃してはならな い。その親たちは、子どもを育てるために朝晩、 長時間で働いているのが現実である。貧困の母子 家庭などは、子どもとゆっくりと接触する時間的 なゆとりもないという厳しい現実がある。子ども を育てるために必死に生きている現実は、人間ら しい生活からほど遠い。 貧困の母子世帯の子どもにとって、将来の希望 を自由に選択できる幅が限定される。家庭の経済 的格差は、子どもにとってと大きな進路の制約が ある。条件不利な中で育っている子どもにとっ て、家族の資源的格差をサポートしてくれる理解 ある学校の教師をはじめ、様々な地域の大人との 出会いが大きい。 家族の資源的な格差によって、すべてがきまる わけではなく、運命的に貧困の世代的な再生産が 起きるものではない視点は重要である。それは、 家族資源格差をもっている貧困世帯に対する公教 育のあり方や福祉政策によって、その再生産をた ちきる可能性をもっているからである。 青木紀は、貧困の世代的再生産を論じるにあ たって、なぜ、家族資源格差の不平等について問 題にしないのかと疑問を呈する。貧困は努力に よって解決しうる可能性をもつという幻想が根強 くあると。学生からだされる意見もそれが多数派 であると。社会問題は、最小単位である家族に反 映し、家族資源の基盤の弱い家族は、貧困に陥る 頻度が高いし、貧困から這い上がる機会も少ない とみている。貧困の研究において、貧困の世代的 な再生産ということを問題にしていくことは、真 正面から家族資源格差・不平等の問題を論じてい く必要性を強調しているのである。 不利が不利を呼ぶという貧困から抜け出せない 現実のなかで、具体的に家族資源を充実していく 福祉政策が問われていくのである。貧困者が一人 で努力しても抜け出せない状況がある。苦闘の生 活史から、意欲はどのようなことが阻害してきた のかという分析が求められると。とくに、子ども にとって何の責任もない教育資源の不平等を是正 しないかぎり、家族のもつ子育ての役割機能は発 揮できないのである。教育資源の不平等を是正す る方策を具体的にもつための研究が求められてい

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ると青木紀は考えるのである。(20) この見方は、大切な視点である。子どもの人間 的な能力の発達の保障において、教育的な家族資 源の充実が求められている。子どもは、親や教 師、そして、地域における教育、子育てをとおし て人間として成長していく。それは、目的意識的 な教育と、親をみて子どもは育つ、地域のなかで 育っていくというように、自然的な人間関係をと おして、人間形成がされていく。子どもの貧困 は、この人間的成長の自然的な条件が略奪されて いることである。 子どもの貧困の進行は、この略奪条件が進んで いくのである。それは、経済的な条件はもちろん のこと、人間的な成長における親をはじめとする 家族関係や地域関係からの剥奪、友人関係からの 疎外など人間的に成長していく条件が奪われてい くのである。豊かな言語や知的刺激の家族や地域 のなかで育つ子どもと、非人間的な退廃的環境の もとで育つ子どもとは、人間的な成長や人間的な 諸能力の発達にとって大きな社会的ハンデキャッ プをもっている。 経済的に貧しくとも、親子関係の会話、親が仕 事に対する誇り、自分の生き甲斐について子ども に語りかける家族関係は、子育ての力を強くもっ ているのである。経済的な貧困がすべてに子育て の人間的な力を失わせているという問題ではな い。 問題は、貧困によって親自身が人間的に堕落し ていくことによって、子育ての力が奪われていく のである。ここには、親自身の市民的な規範形 成、就労の教育と訓練からはじまっての人間的自 立、人間的連帯など独自な親自身の課題がある。 この課題は、子どもと違って、凝り固まっている 大人ということから、教育と訓練が極めて難しい 困難な側面がある。 個人では、自らが自立して生きていくいくとい う生活規範と意欲に欠ける側面がどうしても強く なるからである。自立のための社会保障も人間的 に堕落し、退廃している大人にとっては、具体的 に、その人の状況に合わせて対応していくことが 求められている。ここでは社会教育な視点が大切 なのである。 子どもの貧困と発達保障にとって、貧困と堕 落、貧困と退廃の問題が重要なのである。家族関 係の愛情のなかでの人間的なふれあいは貧困家庭 にとって大切である。そのもとで育つ貧困家庭の 問題は、子どもの人間的な成長にとって、問題に はならないのである。貧困の世代的再生産という 問題には、親自身の退廃の問題、人格の喪失があ るのであり、それと同時に、子どもがそのなかで 人間的な成長の意欲を失われて育っていることで ある。貧困の子どもに理解する教育者や福祉関係 者が、子どもの成長のためのサポートに入ること によって、子ども本来の成長を取り戻す可能性は 大きくあることは忘れてはならないのである。 貧困イコール人間的な発達能力の低下とはなら ない。地域で暮らし、貧困の子どもたちに理解を もつ教師や福祉関係の人々との出会いによって、 子どもの発達の可能性も大きく変わっていくこと があるからである。 人間の主体的な変革能力は、個々の貧困の子ど もにも強く潜んでいるのである。劣悪な環境のな かでも人間的に成長していく可能性を子どもは もっているのである。それには、劣悪な環境から の脱出のサポートが必要である。ときには子ども の虐待や放置、アルコール中毒や薬物依存中毒に 冒された状況の親のもとでは、親権の一時停止に よる子どもの人間的発達を保障する保護も求めら れている。 貧困家族の責任論ということではなく、貧困の 子どもの発達を保障していく社会的なサポートが 特別に求められているのである。貧困の世代的な 再生産が行われていることは、その社会の子ども に対する社会保障施策が十分ではないことであ り、自然成長的に貧困家族に子育てをまかせて、 責任論を論じても子どもの貧困脱出の問題解決に はならないのである。 学校などの教育関係者では、子どもの貧困に対 して極めて鈍感に教育方法のとりくみがおこなわ れていることがある。たとえば、教師が調べ学習 の宿題として、パソコンで調べ、プリントアウト したものをレポートで提出せよということがあ る。これは、貧困の母子世帯の子どものやる気を いかに喪失させているか。パソコンやプリンター

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はどこの家庭でも入っていると教師は思いこんで いるのである。 この場合は教師にとって、学力向上と家庭資源 の格差は視野にないのである。子どもの貧困とい う現実を考える教員の研修、教員養成はきわめて 不十分である。学校と福祉機関との連携は極めて 大切な課題である。現実は、貧困の子どもの家庭 の問題に関心を示していない教師がいかに多いか。 市販のドリル学習がはやる学校教育のなかで、 子どもに教材を買わせていくことがいかに貧困の 母子世帯の子どもに悲しい思いをさせているの か。子どもは家庭の経済状況を考えて、教材のこ とを親にいわない場合もある。教師にしかられて いても耐えているのである。当然ながら、そのよ うな教師の授業に子どもは意欲を示さないのであ る。 学校給食が払えないことは、いうまでもなく子 どもの責任ではないが、子どもには、それが辛い 思いになっていく。クラスの友人との関係で、消 費の華々しい生活がマスコミを通じて宣伝され る。そして、無理でも友だちが持っている同じも のを求めがちになる。 人並みの生活ができていないことは辛い思いで ある。怪我をしても人並みの治療ができず傷の跡 を残している子どももいる。虫歯を多くかかえて も、また、歯がでていても矯正するお金がない。 傷をもっている少女は、熱いときでも長袖をきて 隠す。笑うこともできるだけやめよとする。どん なに医学が進歩しても貧困の子どもは平等に治療 を受けることができない。また、いじめが起き る。思春期の子どもにとって耐えがたい状況であ る。実際は、自分がみじめな境遇という差別感と 屈辱感をもって学校生活を過ごす。 弁当をもたせてやれない子どもに、子どもの遠 足のときに、教師が温かい心をもって援助したと きも、貧困の家庭の子どもは、その行為に必ずし も喜ぶという単純なことではない。そのことがそ の後もずって教師のうらみになっている心の屈折 もある。この屈折のなかには、差別と自立の感 情、人間的な自尊心のことを見落としてはならな い。貧困の家庭の子どもの差別されてきた悲しみ が幾重にも重なり、好意でやった教師を逆恨みす ることもある。 子どもにとっての自立へのプライドを尊重し、 子どもの発達の保障の条件を、子どもの人権の問 題として、整備していくことは大切なことである。 それは憐れむことからの施しを与えるということ ではなく、子どもの発達保障の条件整備として、 就学援助の充実などが考慮されるべきである。 阿部彩は、「子どもの貧困」岩波新書で、最低 限保障されるべき教育の実現のためにと、貧困緩 助政策に積極的に教育政策を取り入れるべきと提 案している。義務教育レベルにおいて、貧困の不 利が表面化しないように、給食費や修学旅行費と いった学校生活に必要な諸経費の無料化と支援が 必要とする。貧困世帯に集中するさまざまな教育 問題により多くの資源を投入する姿勢が求められ るとしている。(21) そして、貧困家族の就学前の対策として、保育 所や幼稚園の役割を重視する。保育所は貧困の子 どもの成長に早くから介入する絶好の制度として いる。そこでは、職員が日々、家庭の養育環境や 生活に支援を必要とする子どもたちと接触してお り、保育所は貧困の防波堤となっているというの である。 保育所の社会的役割としての貧困の防波堤とい う機能が、保育料の公的補助、公立保育所の充実 ということで進まず、逆に民営化が進行し、市町 村の保育所設置という公的な役割が低下し、保育 料の滞納は親のモラルということで処理される傾 向になっていると指摘する。(22) 貧困世帯に集中するさまざまな教育問題は、学 校現場における父母からの徴収金の問題がある。 多くの子どもが塾やお稽古事に走るなかで学校教 育のみで学力が身につけられるような工夫と教育 内容の精選が必要である。つまり、受験学力競争 を一掃する教育政策を目的意識的に追求すべきで ある。とくに、高校までの小学区制や地域に高校 を存在させて受験学力競争を緩和することが求め られる。高校まで教育費のかからない施策は緊急 の課題である。いうまでもなく、高校での学校選 択の自由を決して否定するものでもない。 受験学力競争の体制は、貧困の家族の子どもに 教育問題が重くのしかかっていることを重視して

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いるのである。そして、受験学力競争や小学区 制、地域に高校を残すということは、貧困の家族 の教育問題ばかりではなく、すべての子どもの人 間的な絆や連帯、思いやりの心の形成に重要なこ とである。さらに、意欲をもって自分の知らない ことに興味や関心、探求心をもって、科学的な精 神、創造的精神の発達を成し遂げていくうえでも 大切なことである。貧困の家族の教育問題は、す べての子どもの教育問題の基底をなしていること を見落としてはならない。 (2) 母子世帯問題 1 母子世帯と子どもの貧困問題 母子世帯は、子どもの貧困問題が集中的に現れ ている。母子世帯の貧困問題は、女性の役割分業 からくる社会的地位の低さの問題である。また、 女性の低賃金問題や労働条件の厳しさとも絡んで いる。女性にとって一人で子育てしていく環境が 十分に整備されていないことである。女性の社会 的地位の低さは、子育てをしていく女性の負担が 重くのしかかっている現実がある。 2010年の国勢調査の速報値では、一人親と子ど もからなる世帯の比率は8,7%実数4523千世帯 と、15年前の1995年には、7.0%3083千世帯とい うことからみると、ひとり親と子供からなる世帯 の比率が1.7%、実数で1440千世帯の増大をみせ ている。また、夫婦と子供からなる世帯は、1995 年 3 4 . 2%、実 数 1 5 0 1 4 千 世帯 から 2 0 1 0 年に 27.9%、実数14440千世帯と6.3%、実数574千世 帯の減少である。 夫婦と子供からなる世帯の減少とは逆に一人親 と子供からなる世帯は、著しい増大をみせてい る。全体の増大では単独世帯で1995年25.6%で あったものが、2010年には、32.4%と3分の1近 くを占めるようになり、夫婦と子供からなる世帯 の比率よりも多く、その逆転現象が起きている。 世帯からみると単独世帯や、両親がそろわない一 人親の世帯が増大しており、社会全体の家族を基 礎単位とする生活形態から個人化、一人親化が進 んでいるのである。 15歳未満の子どもの世帯類型ごとの人員の比率 は、男子の場合、夫婦と子どもからなる世帯 72.5%、ひとり親と子供8.4%、核家族以外の世 帯18.4%、施設等の世帯0.3%であり、女子の場 合は、夫婦と子供からなる世帯72.5%、ひとり親 世帯と子供8.5%、核家族以外の世帯18.5%、施 設等世帯0.2%となっている。男子と女子の場合 では、施設等の比率が男子の場合が0.1%多く、 ひとり親と子供からなる世帯は、男子の場合が 0.1%少なくなっている。15歳から19歳になると 夫婦と子供からなる世帯は男子53.5%、女子54.8 %と急減していき、ひとり親と子供からなる世帯 は、男子14.1%、女子14.6%と増大していく。 15歳から19歳では、高校生段階以上になると子 どもたちが家から離れて住む傾向が現れてくる。 15歳から19歳までは、単独世帯の男子14.1%、単 独世帯女子5.4%となり、施設等も男子3.4%。女 子2.1%となっていく。ここで注目するのは、ひ とり親と子供からなる世帯の増大である。これは なにを意味するのか。 15歳未満までは、夫婦で同居しているが、高校 生段階になると別居してくらす世帯が増えていく のである。ここには、子供のことを考えながら夫 婦の同居の必要性を考える親の意識の強さの現れ であるみることが必要である。ここでは、必ずし も離婚だけを意味するのではなく、単身赴任など 表(1) 2010年の国勢調査の子どもの世帯の類型 国勢調査 平成22年の速報値より 男・総計 男・夫婦 と子供 男・一人 親と子供 男・施設 等 女・総計 女・夫婦 と子供 女・一人 親と子供 施設等 15歳未満 まで 100% 72.5% 8.4% 0.3% 100% 72.5% 8.5% 0.2% 15歳から 19歳 100% 53.5% 14.1% 3.4% 100% 54.8% 14.6% 2.1%

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も含むものとみられる。従って、この一人親と子 供からなる世帯は、母子世帯や父子世帯だけを意 味するだけではなく、単身赴任によって、夫婦の 世帯が別になっていることも含むのである。 平成18年度に全国母子世帯等調査結果報告(平 成18年11月1日現在)を平成19年10月に厚生労働 省雇用均等・児童家庭局は、公表している。 平成17年度において、世帯平均人員は、3,30人 で3名から4名であるが、平均収入は、213万円 で、そのうち就労収入は、171万円である。平均 収入には児童扶養手当なども含めてのものである。 公的に保障された収入も含めても、多くの母子世 帯は、相対的な貧困層になっているのである。実 に一般世帯と比較した場合の収入は、3分の1程 表(2) 平成17年の母子世帯の年間収入状況 表(3) 全世帯と母子世帯の比較 表(4) 母子世帯の母の年間就労収入の構成割合 表(5) 現在就業している母の地位別年間就労収入の構成割合 平成14年 平成17年 平 均 世 帯 人 員 3.36人 3.30人 平 均 収 入 212万円 213万円 就 労 収 入 162万円 171万円 世帯人員1人当たり平均収入金額 63万円 65万円 (注)・平均収入とは、生活保護法に基づく給付、児童 扶養手当等の社会保障給付金、就労収入、別れ た配偶者からの養育費、親からの仕送り、家賃・ 地代などを加えた全ての収入の額 全 世 帯 母子世帯 一般世帯を100と した場合の母子世 帯の平均収入 平成14年 589.3万円 2 1 2 万 円 36.0 平成17年 563.8万円 2 1 3 万 円 37.8 (注)全世帯については国民生活基礎調査の平均所得 の数値。 総 数 100万円 未満 100~200 万円未満 200~300 万円未満 300~400 万円未満 400万円 以上 平均年間 就労収入 平成15年 (100.0) ( 35.1) ( 36.1) ( 17.0) ( 6.3) ( 5.5) 162万円 平成18年 1,217 (100.0) 380 ( 31.2) 476 ( 39.1) 215 ( 17.7) 72 ( 5.9) 74 ( 6.1) 171万円 (注)「平均年間就労収入」とは、母本人又は父本人の平成17年の年間就労収入 ※「平均年間就労収入」の用語の定義は以下同じ。年間就労収入の総数は不詳を除いた値。 総 数 100万円 未満 100~200 万円未満 200~300 万円未満 300~400 万円未満 400万円 以上 平均年間 就労収入 平成15年 常 用 雇用者 (100.0) ( 7.9) ( 31.7) ( 32.4) ( 14.1) ( 13.9) 252万円 臨時・ パート (100.0) ( 48.3) ( 44.2) ( 6.0) ( 1.2) ( 0.2) 110万円 常 用 雇用者 465 (100.0) 33 (7.1) 157 (33.8) 150 (32.3) 60 (12.9) 65 (14.0) 257万円 臨時・ パート 482 (100.0) 207 ( 42.9) 237 ( 49.2) 35 ( 7.3) 3 ( 0.6) - ( - ) 113万円 (注年間就労収入の総数は不詳を除いた値。

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度の現状である。いかに一般社会からみると貧困 の状況に母子世帯はおかれているのである。ま た、母子世帯の収入額別の区分では、100万未満 は、3分の1を占めている。 100万円から200万円未満が4割である。400万 以上の収入を超える母子世帯は、6.1%と極めて 低く、一般家庭並の収入を得ているのはごくわず かな世帯であることがわかる。これは、母子世帯 として、一家の生計の担い手になっている女性 が、正規の職員として継続的に勤めていないこと を示している。多くの女性が、家計補充的な女性 の賃金である。実際の労働の実態は、パートや臨 時職員という一時的な雇用ということではなく、 常用労働者として、正規職員として責任をもって 働いている。家庭をもっている女性が低賃金の労 働者群になっていることが、母子世帯の一家の家 計をになっている女性の低賃金は、貧困の家庭に なっていくのである。 母子世帯の常用労働の雇用が平均しての257万 円という低賃金になっているのも、劣悪な雇用条 件のもとに常用労働になっているためである。さ らに、パートや臨時の形態では、もっと就労収入 が低く、常用雇用の収入の半分以下の113万円以 下にすぎない。男女の雇用の機会の均等という側 面からみるならば、母子世帯の母親が働く雇用条 件がいかに厳しいかということが理解できる。 経済的なことを考えると、非常に耐えがたい辛 い状況のなかでもなかなか離婚に踏み切れない女 性の姿がでてくるのである。母子世帯の母親に とって、子どもの成長が生き甲斐として必死に なって厳しい労働条件にもかかわらず働いている のである。 母子世帯の社会保険の加入状況は、本来すべて の国民が社会保険の恩恵が受けられる制度になっ ているが、健康保険や公的年金の社会保険を加入 していないと答えている母子世帯を数多くみるの である。貧困のなかで社会保険料を払えず、加入 していない状況がある。健康保険が6.5%の未加 表(6) 平成18年度現在就業している母の仕事の内容別年間就労収入の構成割合 表(7) 母子世帯の社会保険の加入状況 総 数 100万円 未満 100~200 万円未満 200~300 万円未満 300~400 万円未満 400万円 以上 平均年間 就労収入 専門的・ 技術的職業 191 (100.0) 25 ( 13.1) 53 ( 27.7) 43 ( 22.5) 31 ( 16.2) 39 ( 20.4) 278万円 事 務 286 (100.0) 60 ( 21.0) 113 ( 39.5) 74 ( 25.9) 20 ( 7.0) 19 ( 6.6) 191万円 販 売 (100.0)126 ( 32.5)41 ( 52.4)66 ( 10.3)13 ( 3.2)4 ( 1.6)2 140万円 サービス 職業 225 (100.0) 78 ( 34.7) 104 ( 46.2) 36 ( 16.0) 4 ( 1.8) 3 ( 1.3) 139万円 (注)総数は不詳を除いた値 雇用保険 健康保険 公的年金 総 数 (100.0) 総 数 (100.0) 総 数 (100.0) 加入している (56.3) 被用者保険に 加入している (49.0) 被用者年金に 加入している (45.4) 国民健康保険に 加入している (44.6) 国民年金に 加入している (37.2) 加入していない (43.7) 加入していない (6.5) 加入していない (17.5) (注)表中の割合は不詳を除いた値

参照

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