平成19年度社会情報学部学際・ 合型プロジェクト報告
小特集
情報と芸術
前 書 き
このプロジェクトは、「情報文化論」を学際的に充実させていこうとする努力の一環として、継続的 に実施しているものである。文学や文化の問題を、社会情報学の中で捉え直してみようというのがそ の趣旨であり、また欧米と日本についての比較という関心も通底している。 今回は、1)平成15年度の「情報化社会における「教養」の意義―日本、英米、ドイツの比較―」 (第8回社会情報学部シンポジウムおよび『群馬大学社会情報学部研究論集』第12巻の 小特集> に 成果発表)2)平成16年度の「文化メディアとジェンダーの歴 」(『群馬大学社会情報学部研究論集』 第13巻の 小特集> に成果発表)3)平成17年度の「都市と文学メディア」(『群馬大学社会情報学部 研究論集』第14巻の 小特集> に成果発表)4)平成18年度の「翻訳と情報社会」(『群馬大学社会情 報学部研究論集』第15巻の 小特集> に成果発表)に続く、平成19年度社会情報学部学際・ 合型プ ロジェクト「情報と芸術」の成果発表である。 * * * * 社会の情報化、大衆化の中で、芸術もまたさまざまな変化を遂げている。大衆文化の雄である漫画 とアニメの国日本では、毎年膨大な数の漫画が出版され、この数年を見ても「崖の下のポニョ」「千と 千尋の神隠し」のよう大ヒットを飛ばすアニメ映画も続出している。今や世界中で日本は漫画とアニ メとオタクの国として知られるようになった。また文学 野でもケータイ小説やキャラクター小説な ど従来と異なった小説も出現した。『電車男』のように読者参加型の小説も話題となった。また他の小 説のデータを利用した二次 作もおたく文化の中ではごく普通の現象となった。そうした若者を中心 にネット上では、バーチャル・カフェも花盛りである。 芸術の大衆化と手を携えて、芸術の情報化もまた社会の深層でますます進行しているといわざるを えない。複製技術の粋である CD や DVD の普及により、自宅で世界最高のオーケストラや有名ロック スターを聞くこともできるし、古典的名画から最近話題の映画まで鑑賞することも可能となった。 しかし一方では、演劇やオペラやクラシックコンサートなどのハイカルチャーも依然として根強い 人気を誇っている。生の音や声や演技はやはり複製芸術にはない独自の魅力を持ち、繰り返しよりも 101 群馬大学社会情報学部研究論集 第16巻 101―103頁 2009一回性を、バーチャルな現実より現実を好む芸術愛好家も多い。とはいえ長い伝統を持つハイカル チャーの享授にはそれなりの学習・訓練・経験が必要であることは今も昔も変わりないように思われ る。21世紀の芸術はどう変わっていくのだろうか。 * * * * 『カフェ変容 ―文学の中でのカフェ』では、芸術家たちの 流の場ともなり、芸術情報の発信の 場となったカフェが 察の対象とされている。飲料としてのカフェ=コーヒーと、出会いの場所とし てのカフェ=コーヒー・ハウスの歴 をたどり、ヨーロッパで17世紀に 生したカフェは市民の 流 の場であり、当時貴重な情報源であった新聞を常備し、政治や経済の重要な情報センターであったこ と、また作家や画家たちの集まった文学カフェから多くの芸術作品が生まれた経緯が論じられる。 明治末期には日本でもパリのカフェをまねたカフェが 生し、初期には文学者や芸術家の 流の場 となった。しかし日本のカフェは大正大震災以後、変質を遂げ、女給や洋食や洋酒を中心とするカフェ と、主にコーヒーと軽食を提供する喫茶店に かれ、日本独特のカフェ文化が 生した。永井荷風や 谷崎潤一郎や広津和郎は日本のカフェ文化を描き、新しい女としての女給像を 造した。林芙美子や 佐田稲子は自らの女給経験からカフェと女給像を描いた。本稿では文学の中のカフェ文化が論じられ 析される。 『社会情報学としての芸術論―ベンヤミンの「複製時代の芸術作品」の再検討―』はベンヤミン理 論の意義と限界を指摘して、社会情報学的芸術論の構築を意図した論文である。 この論文では、複製技術の時代でベンヤミンが主張する有名なテーゼである芸術におけるアウラの 消滅が再検討の対象となる。ベンヤミンの説によれば、絵画や彫刻には一回性つまり 今・ここにし かないもの> と 永遠性> が絡み合っているが、写真のような複製作品には 何回でも出現し得るも の> と 一時性> が絡み合ってるとされる。本稿ではこの説の妥当性が論じられる。ベンヤミンはナ チによる政治の審美化を見抜く 眼を持っていたことは評価されるが、同時にその理論的欠陥も持っ ていたとされ、その原因が 析されている。 現代では芸術活動は、ひとつのコミュニケーション活動として、また自己の経験の表現として捉え 直すことが必要であろう。本稿では芸術情報と新聞情報との違いが、発信者からの視点と受信者の視 点から 析され、社会情報学的な芸術論の構築の試みがなされている。 『小林秀雄の「美学」と現代』は、小林秀雄の「美学」を彼の古美術体験との関連を中心に 析し、 現代において継承されるべきものと、批判的に見るべきものとに 離して抽出、検討した論文である。 まず美術品の真贋を巡る狂気じみた体験は、小林の文学観・芸術観・人生観に決定的な影響を与え たことが指摘され、美は「形」としてあり、厳然として自足的に存在し、人間の思惑など無視し、言 葉等何の役にも立たないという「形」の思想こそ、小林の古美術体験に基づいた一貫した芸術観であっ たとされる。こうした美学を批評文学に応用して、小林は批評作品を一つの形を持った作品に、批評 小特集 情報と芸術 102
の方法を芸術制作の方法に擬することを目標とした。またあらゆる芸術に同じ美の原理を求め、さら には歴 にも彼の原理を応用したとされる。絶対的客観主義と絶対的主観主義を い ける小林は生 活や社会を超越した 絶対に憑かれた男> であったと結論づけられている。 しかし皮肉なことに、人間の歴 にも絶対性を見てしまう小林は太平洋戦争にも絶対的な美を見て しまう点、また彼の批評は作品と距離を取って 析するという批評本来の在り方から大きく逸脱して しまう点が小林の限界と指摘されている。 ただ芸術作品を、向こうから語りかけてくるまで対象に眼を凝らし、耳を傾けてじっと待つという、 小林の芸術的情報に対する応接の仕方は現代でも継承すべき態度だとされている。 小特集「情報と芸術」では、芸術情報の集積および発信の場であったカフェとカフェ文化の 察に 始まり、現代の複製芸術に注目し優れた著作を残した哲学者ベンヤミンの芸術理論の再検討と21世紀 の社会情報学的芸術理論構築の試みが続き、最後に戦後日本の最も優れた評論家の一人で、芸術に関 する著作で知られている小林秀雄の美学の意義と限界が論じられる。芸術の社会 や芸術理論の 察 は、現代情報化社会の中の芸術を 析する一手段となるのではなかろうか。 (荒木詳二) 103 小特集 情報と芸術