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<紹介> T・ライザー著「組織としての企業」論

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(1)T・ライザー著r組織としての企業」論(別府). 三. 良区. T・ライザー著﹁組織としての企業﹂論.  は じ め に. 別. 心である。これに、若干の覚え書を加えて一つの論考の資料としたいためのものである。. D一ωΦ坑u拐d暮①彗書目窪巴ωOおき凶ω註8i国聾涛§瓢醇器8旨Bσ9島Φユ畦一呂ω魯曾q筥Φ旨魯目窪巴①ぼo   ︵ー︶↓ぎ旨器男9.     ︵お8︶.  右の著書はハンブルク大学法学部へ教授資格獲得論文︵国昌差欝瓜98ぼ篤件︶として提出されたものである。後述す. るように、社会学上の組織論を法学上の企業理論へ利用しようとする意欲的論考であり、﹁新しい企業法論﹂を展開しよ うとしたものと思われる。本文中のカッコ内の頁数は右の著者の頁数である。. 一121一. 一 丁・ライザーの所論. 二 若干の覚え書. は じ め に. 府. 介.                                               ︵ー﹀  この稿は、副題を﹁法学上の企業理論の批判と改革﹂と題するトーマス・ライザー著﹁組織としての企業﹂の紹介が中. 紹.

(2) τ・ライザーの所論.  ω右の著書は本文一七一頁からなっているが、﹁緒言﹂のほかに、第一部は法学上の企業論の批判を展開し、二章七 節からなり、第二部は組織としての企業論を展開し、二章九節から構成されている。.  第一部は、商法や経済法の指導概念としては、﹁商人﹂や﹁会社﹂という概念の代りに、﹁企業﹂という概念を置き換. えることが理論的にどの程度正当化されるかを歴史的変遷の中から見出そうとしている。第二部は立法や判例からは企業. という概念が優位していて商人や会社の概念を押しのけているが、社会学上の組織論から、この﹁企業﹂を﹁組織﹂として. 定義し、一つの上位概念体系を得て、企業法論を企てていると思われる。著者は、商法、経済法、労働法、又は公企業の. 法がそれぞれの﹁企業概念﹂を建てることは科学的でないとして、法律家は体系形成の明確化に努力する前に、社会科学. 者として社会の現実へぶちあたらねばならないという。それ故に、本書の分析は古典的意味の商法を越えて、企業に関連. する一切の規範の中から、認識の基礎を得ている。そしてJ.K・ガルブレイスの描いた現代産業社会の現実性を基調と しながら叙述している著書であると思われる︵士頁︶。.  ②第一部第一節では∈一責τ三五頁︶、一八九七年の商法典から一九六五年株式法に至るまでの間に、各種の法律条文は. ﹁企業﹂という表現をますます利用するようになっていることを整理する。すなわち、各種の条文には一貫した確定的な. 専門用語は支配していない。古典的商法や会社法は体系的指導理念および権利主体として、商人や会社を固持しているの. に対し、歴史の経過する中で、商法以外の附属法規その他には﹁企業﹂という概念が、その商人や会社の代りにあらわれ. てきている。つまり、企業はあらゆる種類の経済法的諸法規の規範の名義人になり、私法上の権利、義務の担当者として. 存在するようになっている。新しい専門用語への推移過程は続いており、新株式法の範囲へも侵入している。この変遷は. 法の実質的内容へ相応するものであり、企業は法の観念上の関係点として示されている。経済法ではこうした事態は明. 一122一. 説 論.

(3) T・ライザー著「組織としての企業」論(別府). らかであるが、会社法や労働法にもあてはまる。なる抵ど、資本所有者と会社機関、ないし、使用者と被傭者との協働. を秩序づけることが直接的には重要であるが、これらの秩序は機能性ある企業を組織する使命から、より上位の意義お. よび基準点を得るのである。このことは商法典や附属法規用語に明言されなくても、各法は内容上の構成の中でそのこ. とを要求している。そして、企業概念の出現は会社形式に妥当する上位概念から必要なものではなく、現実の事実を. 反映しているものと考える。かってドイッ法曹会議の研突委員会の主張した﹁企業法﹂は﹁会社法﹂に比べて包括的で. 上位的範ちゆうとして示されるということは正しいが、企業法は会社法の有機的展開の中から生ずるという立論は支持. でぎないと論ずる。そして、企業という概念は本源的なものであり演繹され得ない指導概念であり、他方、会社諸形式. は一定の観点でのみ法的に重要である企業の特性を表現している。それ故に、会社法は企業法の部分領域であると考え る︵三五暮。.  ⑧ 第二節では判例にあらわれた指導概念としての﹁企業﹂の出現について述べる︵二六頁−四四頁︶。包括的な企業保護. をもたらした氏名保護の拡大に関する判例︵独民塗二条︶、営業権保護の判例、あるいは、株式会社の株主総会における議. 決権濫用についての判例を検討しながら、裁判所は必ずしも明確には表現していないけれども、商人や会社の保護という. 問題ではなく、企業自体の保護ということを今世紀のはじめから、問題にするように定着してきているという。すなわち. 民法典の施行以来、氏名保護の拡大を判例はとってきているが、企業が自然人と同じ保護に値する氏名の担当者として活. 動しているときにのみ重要なものとされていること︵一元頁︶、企業の保護および発展に役立つように営業権の保護がなさ. れていること︵四一頁︶、株式会社では相異る社員の利害関係の調整又は管理者の利害の調整についての判例は、企業の利 益ということを方向づけるものであること︵璽責︶などである。.  ω第三節では︵四五頁ー藝貢︶、一人会社が人気があるのは﹁組織的独立性﹂に帰因しているといい、この形式は個人営. 業より秀れている。類似の動機は﹁O韓び頃即OP区O﹂の出現にもありるが、この形式は有限責任以外に、企業の継続. 一123一.

(4) 性を保証し、金融を容易にすることにある。財団企業︵禦窮葺護誓葺。岳魯葺窪︶も、収益を公共目的にささげるとい う寄附老の要請に従う企業を作る役割を演じているという。.  ⑤第四節では盆四頁よハ四頁︶、どの程度企業の実質的かつ形式的独立性の傾向が公企業の法にも表明されるかという観. 点から、若干の公企業経営︵因お房ぽ鼠。F田鵯9象増鼠ダ α勾菖韓畠島。窪置8国需象ユ塁江a酔︶に言及してい. る。公法上の企業の組織は原理的には、商法上の会社形式以外の構造を示していて、会社法の企業法に対する相対性がも. っとも顕著になるところであるが、しかし、ここでも、重心は企業ということへ推移している旨を述べる。つまり、公企業. の組織および行為態度は企業性ある態度および市場性ある態度が強いられるようになっていると考えるのである矢七貢︶。. 第五節は︵六五頁⊥ハ八頁︶、以上の要約と帰結を述べている。つまりは、立法や判例や実務の傾向から考えるに、﹁企業とい. う概念﹂は商法の指導概念としての商人や会社という概念をはるかに押しのけてしまっていることが明確にされたという ことを述べているものと思われる。  第六章、第七章では︵六九頁−八九買︶、著者の見解ではつぎのようなことになる。.  一九世紀には、H.L.ハッセンプルーク、W・ゲルペケ、E19・ベッケル、W・エンデマンといった学者の説があ. るにかかわらず、商人や会社という概念上の優位性を解消できず、しかも、現代に至るまで企業を社会的現実性から閉鎖. してしまっているか、または、社会組織を存在論的基礎構造︵O糞oδσq誌号。9§勢q鼻一弩︶として把握しているとこ. ろの法学的考察方法を突破できずにいることを述べる︵九六頁︶。ここで、非常に極端な図式化をしてみると、一九世紀の. 市民的自由主義経済社会の姿は、所有権者趾企業者が企業の主体であり、企業はこの所有権者“企業者の人格の中でのみ. 存し、活動しているという体系がある。これから現代への経過の中では、経済組織は企業の性格にも影響を与える根本的. 基礎の交替を経験してきている。こうした歴史の経過の中で、経済の中心は株式会社へ移ったが、その株式会社は所有権. 者によって支配されるのではなく、専門的職能グル,、プによって規律される状態になり、さらには、ヨリ大きな藁位のコ. 一124一. 説 論.

(5) T・ライザー著f組織としての企業」論(別府). シツ・ルンの中へ醗される考髪った。従来より強力に所有権者以外の社会的グ牛プ︵磯難無筆が企業の. 指揮管理の決定へ影響を与えるようになっている。労働協約、あるいは、経営協議会などの存在から、労働条件、労働報. 酬の領域は全く所有権者∬企業者という図式の決定から離れてしまっている。経済現象を積極的に規律することに、国家. の主権が発動される状態である。さらに、ドイッにおける企業法論の新しい方向の中には、企業概念を財産結合体︵<窄. 営α鵯塁鴨e巳霧3幾け︶ から社会組織 ︵o。oN一巴αq。び=号︶へ、そして、利害多元的支配団体 ︵一糞R霧の窪三黛巴幹− 一・. Q9。国震霧3匙呂お暑き鎚︶へ推移したものとして把える傾向がある。この過程の中で、企業秩序は内部関係の調整と. えている︵八頁ー+頁︶。. ともに、必然的に、社会全体との統合性を考慮しなければならない。利害多元的創造物として企業を設定できるものと考.  こうして、著者の見解を辿れば、現実に直面して考えるに、決定的問題は、企業ということに所有権者”企業者の活動. 領域のみを認めることが妥当であるかどうか、および、法律的には、この企業と所有権者“企業者の人格ということとを 同“視することが妥当であるかどうかであるという。.  そして、既述の通り、現行法上いたるところで専門用語の交替がみられる。多数の法、判決、現実的経済行動の指導概. 念としてあらわれている企業概念を、今日では法律家は伝統的概念および教義学の道具建では克服できないことを認めざ. るを得ないとも考えている。そして、以上の考察は一九世紀的観念の宝庫を維持することが過去のものとなっていること を示するものと帰結する。.  むしろ、経済学および社会学の見解は右と同じ認識を必要としていることを教えるものであり、﹁所有権者の会社﹂と. いうモデルは少くとも二つの点から現実性に間題があり、このことは、法学以外では共通財産になっているともいう。一. つは現代的大企業では所有と経営管理との問の古典的連関は分離されている。もう一つは、企業の給付自体はあらゆる協 働者の合目的協力の結果であるということが看過されているとする︵八八墓。. 一125一.

(6)  ⑥ それでは、著者の見解によれば、現代的企業理論にとってもっとも重要な先駆者は誰かいうと、W・エンデマンで. あると評価する。因みに、W。エンデマンの基本論はこうである。﹁営業的商人的経営は、この経営を目的にし、可能に. する装置を前提にして成り立つ。この装置が企業である。この企業は静的生産手段ばかりでなく、機能し作用する資本と. 労働の複合体である。企業の本質は財産の集合物ではなく、企業は所有権者の利潤又は収入の原泉として役立つ目的を有. すると同時に、企業は生産目的全体に役立つ。それは取引生活の関節であり、機構である。そのかぎりでは、企業は自由. 意思の単なる産物、および物的権能・人的権能の単なる客体以上のものである。所有権者又は本人は企業の頭または精神. でしかない。企業は所有権者の恣意性には必ずしも左右されない個有の性格なり、活動なりを有している。企業は商人. を作るが、商人は企業を作らない。大抵の場合、第三者の好みを規定するのは、商人ではなく、企業自体である﹂という ものであった︵七六頁ー七七頁︶。.  さて、著者はまさしく現代的状況にかなう法学上の企業概念を、根底から新しく展開させるべきか、あるいは、私達が. 他の学問領域から受け継ぐことのできる概念の見張りをするか、右のいずれかにあるとする。ここに、組織社会学の理論. ︵○お程甘鞍ざ霧8江oδ職。︶をもちいて、この射程距離の中で、企業を﹁組織として定義し、抽象化された一つの上 位概念﹂を導き出し、企業を包括できる理論を構成しようと考えるのである。  ω 以上で本書の第一部を終り、第二部へ移る︵空頁⊥七一頁︶。.  第二部は書名と同じ﹁組織としての企業﹂というところである。既述の第一部を前提にしながら、著者が主張する本論 であり、新しい企業法論を展開しようとするところと思われる。.  第八節から第十節においては既述との関連において、著者の組織論の決定的な基本的着想は﹁組織﹂という中には、使. 命に応じたあらゆる行動の秩序があること、つまり、組織には行動モデルと行動プロセスが存し、それらは挙示できる. 法則をもたらし、それ故に研究されうるものと考える︵九四頁︶。勿論、この組織には経済的目的を追求する社会組織のほ. 一126一. 説 論.

(7) T・ライザー著r組織としての企業」論(別府). かに、文化的、政治的、軍事的目的をもった組織も含まれるのであり、抽象度の高い体系的基本概念としての﹁組織﹂概. 念が問題となる。そのような﹁組織﹂が存するかぎりで、規範的目的をもった法学にも利用しうるものと著者は考える。. その上、著者は社会学的概念を法学に使用することについての妥当性を論じてつぎのようなことを述べている。従来の法. 学上の文献には、たとえば、企業は人と経済財からなる合目的に﹁組織﹂された総体︵国鼠o需慶ミ︶とか、企業は労働. 力と経済財からなる﹁組織﹂︵国きω○隠騨9巽︶とか、企業は精神的組織︵≦巴酔R o。。ま亀。匡︶とか定義されている. こと、あるいは、完全商人と小商人の区別について小商人は﹁商人的組織﹂は必要でないという定義︵望言訂?さピ塁・. 麟巳図︶、さらには裁判所が企業を﹁経済的有機体﹂と述べていること、最近の文献では、企業を統一的目的設定によって. 組織的単位に結合される諸権利、事実関係および諸経験の総体として定義する説がある︵国毒98歪。・2な鷺銭2︶。つま. り、文献上では、組織︵○お帥巳。・舞凶8︶又は組織的単位︵○お帥巳・・8旨。団汐ぽ坤︶という表現が使われているが、こ. のことの中に、社会学上の手掛りを法学へ持ち込むことの妥当性を論じている冗五頁ー九九頁︶。.  ⑧ それでは、社会学では﹁組織﹂とはいかに定義され、そして、組織という中にいかなる行動システムがあるかにつ. いては、つぎのようなことを述べる。組織の概念の本質的要素はつぎのものと考えられるとして、①協働し、かつ、その. 協働に基づいて相互関係にある構成員からなるワクづけ可能な組織、②構成員の活動が遂行されるところの多少とも定義. された目的をもつ組織、③個々の使命と機能を割り当てられた計画に基づいて合理的手段でもって目的を追求する組織を. 把える。この三つの概念から、組織は﹁社会的行動体系﹂、あるいは、﹁合目的社会体系﹂をなすと考えるが、このほかに. ④組織概念を使う際に、﹁経済的企業﹂にとって重要である﹁人間的・物的活動財産﹂が組織の概念であるという︵60頁︶。.  そして、社会学は企業を組織として、すなわち、社会的行動システムとして把えるが、法学上の企業論のために組織論. を使う最初の教義はこの点にあるとして、企業を財産集団ないし一部の構成員や企業管理者の人格と同一視することを排. 除する。さらに、経営経済学の認識に、必要な変更を加えて、組織論へ利用すること、および、これらの学問の成果を法. 一127一.

(8) 律学のために実らせることは問題ないとする︵δ四頁︶。ところで、社会学上、組織を構成する個々の構成員の機能は役割. という概念︵望讐篤ぼ儀段図o=。︶で表示される故に、組織の中では、各構成員は役割を演じているとか、あるいは、. 期待を実質的に実現することであり、そのためには、﹁組織﹂はつぎの概念で構成される四つの使命を有するものとされ. 組織は相互にきめられた役割の体系であるといわれる。そこで、あらゆる組織にとって克服すべき使命はこの役割という. る。㈲組織の目的実現性︵Nぞ泣<R註爵二9毒⑳︶、⑧組織の統合性︵一三品轟江8︶、◎組織の周囲への適応性. ︵>著霧霊誌︶、⑨組織の自己維持性︵ω・︸びの3魯巴言昌σQ︶の四つが把えられている。そして、組織とは一定の継続性. ある社会組織のみが重要であるのであり、規模が小さいために組織化されていない小集団︵・唐巴一αq3著︶や、たんな. る集団、無組織臨時の集団とは区別される.さらに、組織は、たとえぼ、官庁や軍隊といった階級的構造の組織︵難鑓. 効鶴誹編蘇︶や、民圭講構造の組織︵難蕪器禦響纒飽鍵紫︶があ俄電嫡務所、学校、教会饒、. 総合大学といった第三類型の構造の組織がある。それぞれに応じた権力構造を有しているが、現実には純粋のものはな. く、混合組織又は複合組織となっており、現代的構造の企業組織とはまさにこの混合構造の組織である︵6八頁︶。.  ⑨ 第十一節︵二七頁⊥二一責︶では、企業理論にとって、﹁組織﹂と小集団︵・・旨巴一αqB著︶とは区別されることを述. べ、完全商人に対する小商人の実定法の規定︵頃の国吻蒔︶を決定的モメントとして主張する。そして、著者の主張する組. 織論の展開は﹁企業﹂と﹁経営﹂との概念の関係も明らかにすることを主張する節が第十二節︵三三頁⊥喜責︶である。. すなわち、企業と経営は本質的に相異なる概念であるという見解には理由はないと批判する。著者の見解によれば、経営. は企業の部分組織︵爵二〇おき訂舞一窪︶であり、両者は本質的に相異なる同列的並存現象ではなく、本質的に同種の同. 一制度であり、部分と全体の関係の中に対向している制度である︵三六貫︶。支配説はイデオ・ギー的理由から、企業と経. 営の区別を強調する。たとえばそれは現代の共同決定論争の中で、被傭者の利益は経営的現象のみに存し企業という領域. にはない、あるいは、経営組織は企業組織に対立するものであると主張する。しかし、社会学上の組織論は一切のこうし. 一128一. 説 論.

(9) T・ライザー著「組織としての企業」論(別府). た構成には関係なく、企業の存続および企業の成果は﹁社会的組織﹂としてのいろいろな関係集団や各構成員個人の忠実. かつ機能的協働︵N‘蜀臼目窪三鱒窪︶に属している。換言すると、企業が組織として存続するかぎり、統合的モメン. トが分散的モメントを超克しているのだと主張する。要するに、抽象化された組織概念を展開させて、中立的企業概念. ︵髭暮弓巴窪¢曇o讐魯旨。昌罐匡驚︶を確立することは一つの進娠であると展望する︵一二九再。.  ⑯ 第十三節、第十四節、第十五節︵三三頁⊥五六頁︶では、企業法論の総論の必要性をのべる。どの程度、組織社会学. が会社法や﹁企業法の総論﹂を導き出すキヅカケを与えるかについて述べる。あらゆる企業は﹁組織﹂として共通の特徴が. 結びついていて、抽象的概念としては同性質性を有する。そして、一切の企業は同じ要件の現象型態として証明されるこ. とを述べたのち、既述第一部の法律用語の変遷は、この一切の企業の同性質性から、会社法や企業法に共通な上位概念と. しての企業概念を把えることができる旨を述べる︵ζ西頁︶。計算開示制度や支配契約は企業の構造分析のための例として. 述べる︵三六頁⊥三七頁︶。そして、企業の構成員という地位について述べ、各企業形態︵人的会社、物的会社︶の社員の法的地. 位にふれながら、著者の企業法理論の輪かくを描いていると思われる。.  あらゆる資本所有権の法的地位は企業の構成員として法的には普遍的特色を有する。法が漸次の発展の中で展開改良し. てきたところの企業の法形態の相異は否認せられるものではない。資本持分の様式、加入や脱退の条件、共同的管理の範. 囲、責任の程度、その他のメルクマールは社員関係を構成し、この社員関係の中には各種の経済的社会的な条件が刻印さ. れ、個有の法的制度として存在する。これらのメルクマールに関係する本質的問題は法形式上の特殊性として法的解決以. 外では解決されるものではない。しかし、このことが、﹁組織としての企業﹂という上位的観点の下において、その企業 のあらゆる種類の構成員を理解する妨げにはならない︵一四二專。.  人的会社では、社員は物的給付および労務給付以外に、それ以上の相互の誠実義務︵ギ窪①覧一一。鷺︶があり、この義務. は社員が協働する︵N身薗目導。冨吾包件︶ことにより生ずる人格権的共同体関係 ︵篤窃。貰9罧凱&窪Q。簿。ぎの畠亀マ. 一129一.

(10) ぎ旨巴一巳の︶ である。しかし、物的会社、とくに株式会社では、社員相互はなんら関係なく、人格権的共同体関係はな. 明らかになるとも考えている︵西六頁︶。現行法上は、被傭者の企業に対する法律関係は、原理的には、資本所有者間の契. 係グループを分離する要素に代り、これらの要素を統合することが従来以上に明確に構成される必要があるという思想が. ものである。企業の利害には資本所有者の目的ばかりでなく、被傭者の目的も化体される。企業法論には、各種の利害関.  右のことは企業全体に関係し、それ故に、企業に所属するすべての人格、つまり、企業に働く人間をも含めて関係する. ように構成された忠誠義務は会社法の誠実義務を越えるものである。. 支配する原理として理解でぎるのであり、このことは法形態に関係なく、中立的に解釈され構成されねばならない。この. る。このことから、社員が企業構成員として行動するかぎり、この忠誠義務に服すると考える。この忠誠義務は企業法を. 間題の機能的実行および企業の中のあらゆる構成員に分与された役割から生ずる行動期待から、その内容を得るものであ. の﹁役割﹂が与えられるが、外部から組織へ作用する措置を内容とする処分には﹁役割﹂がない。忠誠義務は企業の体系. え、社員は組織内の生活過程と組織外の生活過程の関係に立つ。そこで、資本所有権者は企業内の機能には構成員として. として、組織を構成する構成員に課されているものであるとする︵西五頁︶。そして、社員の二重の役割ということを考. 企業組織に対する忠誠義務︵けo醤嵩鼠琶ご♂貰︶ということを考える。これは﹁信義誠実原則﹂ともちがう抽象的一条項. 昌唐畏一旨︶を方向づけるにちがいない。株主の企業に対する関係では、信義誠実原則以外のもう一つの原理があるとして. している企業では株主に誠実義務を考えることができる︵西四頁︶。そして組織への協働は特別の行動原理︵<①浮巴滞−. られた人問集団であると考えると、社員相互の誠実義務は存するのであり、株式会社の背後にある現実的経済実体を形成. この結果、会社に対する誠実義務は否定される。しかし、著者の見解によれば、企業を一定の経済的目的のために組織づけ. い。企業自体と会社との結合は人的会社よりずっとゆるい。管理運営への協働義務もなく、いつでも株式を譲渡でぎる。. 。・. 約とは区別される。支配説は労働契約を人格権的共同関係としているが、この説は使用者と被傭者との個人契約上の関係. 一130一. 説. 論.

(11) T・ライザー著r組織としての企業」論(別府). を特徴づける。しかし、著者の見解によれば、この支配説は、被傭者と企業との関係における被傭者の法的地位を論じ尽 してはいない二五三頁︶。.  組織論的には、労働関係は資本持分関係とかわらず、企業の構成員として考えられるべきものである。つまり、資本所. 有者の企業についての関係と同じ意味で、被傭者は組織の役割および機能に応じて行動する義務がある。これは実定法上. は解約告知保護法︵凶茸良内毒鵯9舞お霧雲N︶により地歩を得ていて、緊急な経営上の必要性から、被傭者は保護され. る。以上のことは直接的には、組織の統合性︵奪8σq蚕ユ自︶、目的実現性︵§≦ぞR&詩嵩。冒茜︶、自己維持性︵の。一、. ・需旨巴ε夷︶という体系問題に言及されるところであると主張する。企業の経営管理への協働については、従業員は. ご。. 組織の構成員として、資本所有者と同様に、自然的期待権︵鏡q3帥円け.。げ帥津︶をもつものであり、組織社会学的には、個. 別労働法と共同決定法を二つの相異る領域として描くことはまちがってい養。そして、組織という概念は社会的現実では. 政策的に論争されねばならない多種多様な権力構造を形成する余地を残しているが、実質的又は政策的理由なしに、組織. という概念の中に、構成員の唯一のグループのみを頂点におくことは禁ぜられるものである︵蓋六頁︶。.  ⑪ 第十六節では、最近の企業組織法︵d三。馨筈旨窪く窪雷器gb鵯需畠件︶に言及して、政策的議論が多いから、組織. 社会学的判断は下しにくいとする。第十七節では、 ﹁法人格としての企業﹂ということを論ずる。﹁組織としての企業﹂. は、社団の特質も財団の特質も有するが、著者は企業の法人格性を単なる法技術的方策として論ずるのではなく、社会﹁. 組織﹂としての企業に人格的存在のなにものか︵。薯器︶を認めることを主張している。将来の展望は、法の変遷は企業. を﹁法人格﹂として、すなわち、商法、経済法の法主体として、基礎づけるのではないかと立論している︵毛一璽。. 一131一.

(12) 二 若干の覚え書.  ① 以上がT・ライザーの﹁組織としての企業﹂論の要約である。力量不足から、著者の意図をとりちがえている紹介. に終っていることをおそれる。その点は批判を乞うとして、彼の立論から私が受けとめた﹁部分的示唆﹂を参考にして以. 下のことを記したい。それ故にT・ライザーの具体的所論の是否、あるいは法学的当否は後日の検討にゆずる。.  T・ライザーは社会学上の組織論を法学上の企業理論へ利用しようとして、 ﹁組織としての企業﹂という概念形成に尽. 力したものと思われる。一つの理論を得るために他の隣接科学の方法論を手掛りとするのは、まさに学問の自由であろう. し、前述の所論には解明のための道具建に社会学的方法が使われたものと思われる。さらに、T・ライザーは﹁社会学は                                         へ ロ 法に何のために役立つか﹂ ︵≦器b響讐島。ω。巳oご讐。畠ヨ閃9窪︶という論文を近時発表しているが、これと併                                             ︵3︶ せて、T・ライザーの企図はわが商法学においても法社会学の不在ということが問われている折から、一つの示唆を与え るものと思われる。.  T・ライザーの企業組織論は社会学上の組織論という観点から切り込み、伝統的通説に対して徹底した批判を展開し、. 新しい企業理論の創設を試みたと思われる。これは﹁企業概念発達史論﹂に新しい視角を提供した文献だと思われるが、. しかし、私の読みちがいでなけれぼよいが、T・ライザー自身が統一的企業概念そのものを論証して定式化したところは. 見当らない。ただし、現代的企業を如何に把えているかは、T・ライザーが依拠している経済学や社会学から伺える。つ. まリゾムバルト、ヶインズ、・ーゼンストック、シュムペーター、あるいは、ガルブレイス、さらには、マックス・ウェ. ーバーを元祖とするアメリカ社会学のプレスサス、エチォニ、マインツ、タルコット・パーソンズ、ルーマン、パッケと. いった学説体系から立論しているところから︵四頁、九四頁、九五頁︶は、近代経済学の方法をもちいた企業観であること、さら. には、利潤目的︵O。≦言暴9ざ浮︶のみが企業の本質的概念規定に重要なものかどうかについては、このメルクマールを否. 一132一. 説 論.

(13) T・ライザー著「組織としての企業」論(別府). 定して、法学上もこの利潤追求という概念は時代おくれのものと考える方向で、現代的﹁企業﹂概念を意識していると思 われる︵一二頁︶。. ②ドイッにおいて、企業概念が法律用語として登場してくる譲+九世紀末の・﹂とであ久それは新しい犠域︵璽. 羅脚︶である.そして固有の商法領域では営業ないし商行為概念として含專いた.ている級それがいつから新しい. 概念として実体を得た概念であるかは論証されてはいない。周知の通り、一九六五年株式法政府草案理由書は実際上の大      ︵4︶. ぎな困難を考えて、企業概念の輪郭づけは放棄していて、企業にはあらゆる法律形態、および個人商人の法律形態も属する. と述べている。従来から、何が企業であるかは経済学や社会学の問題であり、それらにゆずられるべぎものとする考え. があるが、やはり不明確にせよ特色づけることがでぎる社会構造の法的探求は法学の課題でもあることはいうまでもな. い。T・ライザーの組織論もこの点の間題がある。企業を組織として定義し、その﹁組織﹂には、 ﹁目的実現性、統合. 性、適応性﹂があるとする。これが、法の変遷の過程の中で抽象化された企業概念として登場してくるものかはにわかに. 判断しがたい。どの程度、法という次元の問題として掘り下げた立論かは疑問が残るが、法規範の中の﹁企業﹂という経済. 学的概念に一つの視角を見出して、それを社会学的に評価したと思われる。同様に競争︵≦9ぎ。≦。3︶、市場︵ζ騨罠什︶、. 正規の簿記の原則︵O急且駕9。oこ聲昌σQωσq。目餌器醇穿。ξ窪箋⇒αq︶といった概念にも、社会学や経済学と法律学に関            ハ ロ. する同じような問題がある。                                                   おロ  ⑧ K・バーレルシェテットが、T・ライザーの本書の批評を試みている中で次のようなことを指摘している。法律学. は社会現象の法律体系上の解釈に常に新たな努力を重ねる中で、その使命は、法的認識を浄化することに努力することで. ある。この点、T・ライザtの組織論がどの程度生ぎた法に進路をひらくことができるか、および、どの程度、T・ライ. ザーの思考過程が法の適用に妥当な解決又は少くとも確かな解決を可能にしたかという点には、彼の組織論の成果は乏し. いとする。その点はさておき、さらにT・ライザーによって提案された企業法の基礎はどの程度、伝統的通説をしのぐ解. 一133一.

(14) 釈を可能にしているか、および、将来のためにいかなる刺激が構成されるか、つまり、どの程度、社会学的組織論が実の. りある基点を与えることができるかについてもK・バーレルシュテットは疑問符を打っている。.  この点に関してドイッの支配説からも、また、わが国ではニュアシンスの差はあれ資本制営利企業を建前として、﹁株. 式会社法﹂ではその企業を﹁社団﹂と構成する建前からも、びっくりする立論であることはいなめなかっただろう。.  ㈲ ここでは右の点についても検討はほかにゆずるとして、さらに受けた示唆はつぎのようなものである。確かに丁・. ライザーも指摘する通り︵一⋮蚕⊥一一西婁︶、 ﹁企業に関係する法の総論﹂の再構成の必要を感ずる。個々の会社形態には. 言及していても、たとえば、H・ヴュルディソガ!、A・ヒュックなどの商法論や会社法論では、いわゆる企業に関係す. る法の総論は不足している。企業に関する法全体の位置づけなり、商法、経済法、労働法、あるいは、公企業の法が把え. ている﹁企業﹂という実体は如何なる概念をもち、どんな連関性にあるのか、間題のあるところである。T・ライザーのい. うような、あらゆる企業に必要な企業法の総論が必要かどうかは別としても考えてみる必要がある。わが国の次元では、                                               マレ 科学としての商法学総論が問われているが、 ﹁商法学に何よりも必要な白花斉放的な方法と議論の展開﹂が必要であると いう点からはT・ライザーのような新しい企業理論の試みも意議なしとはいえないと思う。.  ⑤ さらに、意識するといなとにかかわらず﹁組織﹂という言葉が使われる。T.ライザーがいっているように、企業. は﹁組織﹂とか﹁組織単位﹂とかとして定義されているが、この点の法学的アプ・ーチとはなにか。                                    パ り  この点、近時、服部栄三教授が﹁組織法および組織行為について﹂という論文の中でつぎのような論述をされている。. ﹁組織行為が商法外においてどの程度の外延を有するかということは、私の専門の関係上確かなことをいえないのが残念. である。公益法人法に関してはもちろん、家族法、労働法、さらには、公法の領域においても組織行為概念が活かされる. 余地があるもの﹂と述べられる。因みに、服部教授の﹁組織ないし組織体﹂というのは、﹁その組織に関与する当事者か. ら独立せる客観的な、法関係ならびに事実関係の観念的、統一的全体として定義﹂づけられている。そして、﹁組織行為. 一134一. 説. 論.

(15) T・ライザー著r組織としての企業」論(別府). というものはかかる組織の設定、変更および消滅を目的とする行為﹂であるといわれ、 ﹁組織法はかかる組織および組織. 行為に関する法﹂であるとされる。そして組織体の特質および性格をつぎのように分類される。①当時者からの客観的独. 立性、②組織の観念的、統一的全体性、③組織の法関係および事実関係の統一的全体性、④組織の継続的関係性、⑤組織. の利害関係の中の複雑性、多様性、重層性、⑥組織における利益の同一性、あるいは、協同関係性が定義づけられてい. る。申すまでもなく、服部教授の論考は商法学体系論の首尾一貫性に関する論であり、T・ライザーの所論とは次元がちが. う。しかし、T・ライザーの所論の方向、つまり抽象化された組織としての企業という概念の確立によって、総合的企業理. 論を狙っていることの中には、わが国でも新たな示唆を受けるものがあることを臆断をすることができるのではないか。.  ⑥ ドイッでは、企業概念として第三の面があることが指摘されている。つまり、企業目的のために働ぎ、それと関連. づけられるすべての人々ー資本所有者、被傭者、継続的供給者、調達者、顧客など、こういった人々を包括した人的共同. 体としての企業を考える。﹁人的結合体としての社会法的単位﹂、﹁一定の経済的目的に組織化された人的団体﹂という. 企業定義がある。こうした定義からは企業を単に企業者、資本所有者の装置としてばかりでなく、企業に関係して活動す. る一切の人格の行動様式なり権利義務なりの﹁複合体﹂という観点も法的考慮に入る。ドイッにおける新しい方向の問題. として、財産概念から社会組織概念へ、そして利害多元的支配団体的概念へと企業概念の意義の推移をのべる方向がある. が、この間題は、企業が大きくなればなるほど、企業の開示性が増し、制度化された従業員の地位の影響力は大きくな. り、公共の利益︵公益︶の制度的考察は一層強くなるという現代的企業に要請された基本命題に関係する。西ドイッでは、. 従業員の経営参加︵各種共同決定法︶が認められていることもあり、新株式法に至るまで多くの右の基本命題に関する立論が展. 開された。結局は、共同決定法規との調和および統一化を新株式法は放棄しているが、それでも、従業員が企業利潤に参. 加し、企業の公益性、企業の公開性に関する華の規窪実震化されている。さらに、最近では開示法︵覇朧欝ゆ. 響る底、企業窺馨資本金や社員警考えず貸借対照表総額、売上亮従業社象漢箏ることをきめている点. 一135一.

(16) は興昧深いし、その意義は、T・ライザーの所論の企図するところからも、 ﹁新しい企業理論﹂の学問的形成という点に                                    へ9︶. あると思料する。個人企業でも会社企業でも、各種の利害関係者があり、使用者と被用者、資本所有者と経営者と労働者. あるいは企業の利益と顧客的利益などが、現代的企業をめぐって対抗する。こうして、現代的企業をめぐる法的規制がさ. まざまな利害関係者の包括した要求を統一整序している間題として、﹁現代的企業組織法論しの仮説がある。以上は私の. 全くの推測にしかすぎないが、T・ライザーの組織論から受けた示唆の一部であり、そこには﹁ドイッ企業組織法論﹂の. 現代的課題として把える方向があると思われる。ー. ︵3︶法律時報第四一巻三号﹁商法学の課題と方法﹂. ︵2︶零o栖浮・↓ぎ目器閃銭ω。二名霧慧旨け良Φωo母o一〇〇q一〇αo旨寄昌蔦﹂け匂睡憲魯器蒼畠2き悼ス一箋。︶ρ①①窪●. ︵4︶西ドイッ株式法草案および理由書︵一九六〇年︶慶応大学叢書⑬︵一四九頁︶. ︵5︶O①孟田ロ。﹃名騨ω昌鋤富惹ωの魯の。ぎ団豊9Φ団①σq課密ぎ国9算ω8吋B。Pぎ殉o含江b類馨αo一葛Φω諺。ぼ馨ま。冒ぼo   出昌目曽Bω<Φ誹量αq︵お①㎝︶ω・ω①葎。. ︵6︶Uき擦艮爵一一R馨Φ9嚇ω8喜。ω胃①畠§αR↓ぎ目器評一ω①二U鋤ωd暮Φ旨魯目窪包ω○謎§一ω蝕oP汐N国男臣お轟   国①一幹 ω の。悼㎝一 馬断● ωω︸ 邸㎝α1時㎝N. ︵7︶前掲法律時報四九頁. ︵8︶現代商法学の諸間題田中誠二先生古稀記念四四五頁以下. ︵9︶拙稿でH・ケラーなどの利害多元論的企業論に触れたことがある。 ﹁ドイッにおける所有権−会社法t共同決定をめぐる検討﹂.   鹿大法文学部﹁法学論集﹂第六巻一号コ七頁以下。. 一136一. 説 論.

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