J.S.ミルの正義論
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(2) 40. 泉. 谷. 周. 三. 郎. 義の立場から正義論を展開した主要な思想家としては,早ユーム,ゴドゥィン,ベンサム, ジェイムズ・ミルなどがあげられるo政治的理念としての正義を論じたものとしては,産 業革命の進展とフランス革命の成功の中で1793年に発表されたゴドゥィンの『政治的正 義』 (An Enquiry. concerning. Political. Justice)が注目に催するo彼は1798年の第3版で. その内容を要約した部分で正義について次のように述べているo 「一人の人間の,他人に 対する行為の真の基準は正義であるo--正義は,最高の普遍性をもつ規則であり,人間 の幸福が影響されるようなすべての事柄において,独特な行動のしかたを規定する..8〉こ の文章にみられるように,ゴドゥインの正義諭には功利主義的色彩が濃厚に認められる。 『政治的正数が公刊されたのち,イギリスの資本主義は一段と進展したが,人々の生活. は期待したほど楽にならず, 1830年代にはいると,生産力の増加と富の蓄積とが必ずしも 人々の生活向上に結びつかないことが明らかになり,社会に内在する諸矛盾が顕在化する. にいたったoミルはこのような社会情勢の変化を見抜いて「新しい社会思想と新しい経済 理翰との新しい結合によって.4)思想と理論の再統一を試みた.それが1848年に公刊され た『経済学原理』であった。またベンサム的功利主義の限界をふまえ,それに情操や個性な どを注入することによってベンサム的功利主義の修正を試みた。それが1861年に発表され たp功利主義静。であったo正義諭が展開されたのは『功利主義諭。の第5章においてで あったoミルは,. 1850年代の社会情況と世論の動向をふまえて,功利主義思想の普及のた めに大きな障専となっていた一般の人々の正義観と功利主義者の重視する「功利.との ギャップを埋める必要性を痛感し,最初ほ正義論を独立した論文として執筆する予定であ. ∼?たらしいo.『功利主義凱の成立-tその背景に?いては,別の機会にある程度論じたけ れども・5'ここでは正義諭に焦点をおいて簡単に言及しておきたい.. 『功利主義凱は,内. 容的には「道徳の基礎.に関する部分と「正義諭.に関する部分との二つから成っているo ヘレン●テイラーはこの書の執筆時期と成り立ちについて『宗教三論。の文献解説の中で 次のように述べている. r本書に掲載されている三論文の中で, 『自然論。とp宗教の有用 性』とは,. 1850年から1858年までのあいだに,すなわち『経済学原乱の刊行と『自由. 論』の刊行とのあいだに執筆された.この期間にほかの三論丸『正義翰。. (on Justice), 『功利論。 (on Utility), 『自由論。 (on Liberty)も作成された。当時執筆された五つの論文. の中で三つの論文が著者によって公刊されたo. 『自由論。は拡充されて同じタイトルで今 『正義論。と『功利主義諭。とは若干の修正と. 日周知のかたちで著書として出版されたo. 追加のうえで一つにまとめられて『功利主義論。という名称七公刊された。.8) 『功利主義論』は最初『フレイザ-ズ・マガジン』の1861年の10月号(1-2章), 号(3-4章),. 12月号(5章)に発表されたo. 1864年に再版となり, 1867年に3版を, が書きかえられ,再版の際には37カ軌. 11月. そめ後1863年に著書として出版されたo. 1871如こ4版を重ねたo第1版をだす際に21カ所. 3版の際には11カ所, 4版の際には5カ所が書き かえられた。7)注目に倍することば,再版の際の修正のほぼ1/3が第5章の部分であった. という事実であるoしかし,それらは正義という言葉の語源に甲する部分で甲変更であり, 内容的に決定的な修正ないし訂正はなかったoミルの正義論は,今日では古典的功利主義.
(3) 41. ∫.S.ミルの正義論 の中では比較的高い評価を与えられているが,依然としてさまざまな矛盾ないし欠陥をも っと言われている。そのような評価は適切といえるか,あるいは「正義.と「功利.とは 矛盾なく両立できるものなのかoこれらの疑問を念頭に抱きながら・ミルの正義論を考察 していくことにしたい。最初にミルの正義論がどのようなものであるかということを・ミ ル自身の言葉で整理して要約し,そのあとで現代のミル研究者の諸見解を参考にしながら・ ミルの正義論のもつ意義と限界とを解明していくことにしたいo 注 1)広川洋一著『へシオドス研究序説。未来社p・408 (世界の名著7)中央公論杜p・59・p・61・p・74・pp・109-110, 2)藤沢令夫訳『国家』 者が補充.. (. )の中は筆. 3)自弁厚着『ウィワァム・ゴドゥィン研究。未来社p・191 .. (『古典学派の経済思想』経済思想史(1))有斐閣新書. 4)杉原四郎著「古典学派経済思想の変容. p.175. 5)拙著「J・S・享ルの『功利主義諭』研究序説」横浜国大人文紀要Sec・INo・22 vol・ X p・ 371 6) J.S. Mill; Three Essays on Religion, Collected Works ∫.M.. 7). Robson;. Textual. lntroduction,. Collected. Works. vol・ Ⅹ p・. cxxv. l.正義の観念を構成する諸要素 どの時代においても,功利主義に対する最も永続的で有力な反対意見の一つは,並義の 観念ほ功利の原理よりもいっそう根本的で絶対的なものであり,功利の原理とは両立でき 『功利主義論』の ないという見解であろう。ミルはこのことをよく承知していたらしく, 第5葦の冒頭で次のように語っている。. 「思索が行なわれたいつの時代にも,<功利>また. は<幸福>が正邪の判定基準であるという学説がなかなか認められなかった有力な理由の 一つは,正義の観念からきているo正義という言葉が本能的な素早さと確実さで呼び起こ す強烈な心情と一見明確な知覚を,大多数の思想家は,事物に内在する性質を示すものと 考えてきたoつまり,<正義>は絶対的なものとしてどんな種類の<便宜>とも根本的に 区別され,--観念上<便宜>に対立するものとして<自然>の中に実在しているにちが いないことを示すものだと考えてきた。.1)ミルは,このように正義を事物に内在する性質 とし,便宜(expediency)に対立するものとみなす見解に対して・正義と功利主義の最高 善といえる便宜とは,両立可能であると確信して反論を試みていくのであるoここで「便 宜.という言葉の意味についてふれておこうoというのは,われわれが日常便宜という言 葉を用いるとき心に浮かべるのは「個人的便宜.. (personalexpediency)の意味であるが,. 功利主義者が究極的道徳基準とみなす便宜という言葉は,個人的便宜ではなくて,. 「公的. 便乱(publicexpediency)を意味しているからであるo2'ミルは・正義が本質的に独特な. 性質であるのか,それとも他の性質のいくつかが結びついて現われたものかを確認するた めに,世論が正義とか不正とか区分している行動様式や人事の諸制度を考察して,正義や 不正を識別する特徴として次の五つをあげているo. (Ⅰ)法律上の権利(alegalright)の尊重である。. 「つまり,他人の法律上の権利を.
(4) 42. 泉. 谷. 周. 郎. 三. 尊重することば正しく,侵奪するのは不正だという意味である。. (2)道徳的権利(amoralrigbt)の尊重である。不正な法律がありうるがゆえに,紘 律は正義の究極的な基準とはなりえない。だから不正とはだれかの道徳的権利を侵 害することである。つまり,. 「道徳的権利の対象を,その持ち主から取りあげたり. 拒んだりすることである。. (3)功績(desert)にしたがって配分(distribution)することである。つまり,. 「世間. で正しいと思われているのは,だれもが自分に相応のもの(善でも悪でも)をもつ ことであり,不正とは不当な善を得たり,不当な悪をおしつけられたりすることで ある。. (4)信頼(faith)ないし正当な期待(expectation)に答えること.つまり,だれかの 信頼を裏切ったり,約束を破ることば明らかに不正である。また自分の行動が故意 に相手に抱かせた期待にそむくことも同様に不正である。 (5)公平(impartiality)であること。周知のように不公平は正義に反する。公平とは 「当面の問題について考慮すべきものだけを考慮すること,そして,このような考 慮の指示にそむくよう誘惑する動機に目もくれないようにすること.である。8) ミルはこのように正義や不正を識別する五つの特徴を指摘したのち,これらに共通して いる正義の本質的要素として「権利の概念.. (the. concept. of. a. right)を見出している。 そして倫理学者が道徳的義務を完全な拘束力をもつ義務と不完全な拘束力をもつ義務にわ けている4)ことに注目し,法律的にいえば,完全義務は権利を伴うが,不完全義務はなん の権利も伴わないとして,正義の諸原理を寛大や恩恵のような道徳原理と区別して次のよ うに述べているo. 「世間で正義の意味がいろいろに通用しているのを調べたとき,この用. 請(正義)は一般に,個人の権利という考えを含んでいるように思われた。個人の権利と は,法律が,所有権その他の法律上の権利を付与するときに与えるような,一人またはそ れ以上の個人の請求権をいう。---正義の意味するところは,することが正しく,しない ことがまちがいというだけのものではなく,ある個人が自分の道徳的な権利としてわれわ. れから要求できるものなのである。寛大や恩恵に対しては,だ和も道徳的な権利をもたな いo」5)ミルによれば,正義の本質的要素は権利が侵害されず,社会的に保障されているこ とである。だから,不正のもっとも顕著なものは,. (a) 「他人に対する不当な侵害行為ま. たは権力の不当な行使が行なわれる場合.であり,これに次ぐものは,. (b)「ある人が当然. 受けるべきものを不当に与えない場合.である。他人への不当な侵書の中で,もっともひ どいのは,安全(security)の利益を害することである。安全は「肉体の栄巻に次いで, あらゆる必需品のうちでもっとも不可欠なもの.であり,. 「あらゆる利益の中でいちばん. 重要なものであるo」次に各人が当然受けるべきものを与えられることに関連して公平と 平等(equality)とが取りあげられるoミルは正義の観念に公平が含まれることを指摘し, さらに公平の観念と密接に関連するものとして平等の観念に言及している。後によれば, 平等は正義の構成要素として正義の概念の中にも正義の実践の中にも含まれている。とこ ろが,平等の場合にも正義の観念が人によってまちまちであるoなぜだろうか。その理由.
(5) 43. ∫.S.ミルの正義論 は平等の内容が各人の功利の観念にしたがっているからである。そこで「だれもが,不平 等であるほうが便宜だと思う以外は,平等は正義の命ずるところだ.8'と主張されるので ある。. 「平等に取り扱われる. こうして,ミルは平等が正義の基準の一つであると主張するが,. べきだ.といっても,その内容が各人によって異なることを次のような例で説明しているo. 平等息憩をもつ共産主義者のあいだでも「平等に取り扱われるべきだ.という問題では意 見が異なる。一部の共産主義者は,労働の生産物を厳密な平等の原理でわけるのが正しい と考えるし,他の共産主義者はもっともひどく欠乏している者が多く受けとるのが正しい と考えるし,また別の共産主義者は,多く生産した者が多くの生産物を受けとるのが正し いと考える。ミルは,このように正義の要求も,功利の要求と同時に,論争的であるとい う事実を示したうえで,公平と平等とが「功利.とどのように関係するかという問題を考 察しはじめるo彼によれば,平等と公平とは「功利.の意味そのものの中に含まれているo 平等と公平とは,道徳の第一原理から直接でてきたものであって,正義の二次的原理なの (todotoeachaccordingto である。そして「各人をその功罪に応じて扱うこと.. his de-. serts)が義務であるとすると,次のような結論がでてくるとして平等の原理を次のように 述べている。 「われわれは,われわれに等しく尽くした人々全部を等しく優遇すべきであ り,社会もまた,社会に等しく尽くした人々全部を,つまり等しく絶対的に尽くした人々 全部を,等しく優遇すべきである,とoこれこそ社会的・配分的正義の最高の抽象的標準 であるo」7)以上のようにして,ミルは正義の観念を構成する特徴的な要素を明らかにしよ うと試みたうえで,次に正義の観念の起源と発達に言及し,正義の感情と便宜との関係を 解明していくのである。 注 1). ∫.S. 257. 2) 3). Mill;. Utilitarianism;. Essays. Ethics, pp・. Ethics, Religion. (世界の名著. 伊原書之助訳『功利主義論。. Quinton; Utilitarian S. ∫. Mill; Utilitarianism, A.. on. Macmillan,. 242-243. and. Society・. Collected. Works. vol・ Ⅹ p・. 38)中央公論杜pp・503-504 p・ 73. 邦訳pp・. 507-508. 4)カントは『道徳形而上学』の中で,さまざまを義務の分類をし,義務論を展開しているoミル はこの書を参考にしたものと思われる。 邦訳pp・ 512-513 5) ∫.S.Mill; Utilitarianism,p・247 6) 7). ∫.S.Mill; I.S.Mill;. ibid.,p.243 ibid.,p.257. 邦訳p・508 邦訳, (一部訳語を変更した). pp・525-526. 2.正義の感情と便宜との関係 ミルによれば,正義という言葉にまつわる道徳的心情の根本をなしている精神的紐帯杏 把握するには,正義という言葉の語源を調べてその観念が生まれた経緯を知ることが大切 である。 「ラテン語のユーストウムは,<命令されたこと>を意味するユーススムの変化形 である。ギリシア語のディカイオンは,<訴訟>を意味するディケ-から直接きているoド イツ語のレヒトは,英語のライトおよびライチャスの語源であるが,<法律>と同じ意味.
(6) 44. 泉. をもっているoく正義の庭>,. 谷. 周. 三. 郎. <正義の執行>とは,く法の庭>であり,. <法の執行>で ある。.1'ミルは,このように語源をたどることによって,正義の観念が形成されるとき母 胎となった本源的要素を,ヘブライ人のあいだでは「遵法(conformityto. law)であった. ことは疑う余地がない」乏)とし,次にギ7)シア人とローマ人とのあいだでは悪法がつくら れる可能性が認められるようになり,. 「存在すべき法律が犯されてはじめて不正と感じた.. として・現行法が正義の基準と認められなくなったときでも「法律とその命令.とが正義 の観念の中で支配的地位を占めていたと解釈しているoこうして,ミルは正義の観念の起 源と発達とを簡単に概観して,正義の観念における「法律とその命令.の地位を明らかに するoしかしながら,正義の観念は法律とその命令だ桝こ限定されない。この点で彼は古 典的功利主義の伝綻の中にあるといってよかろうo次にミルは,正義の拘束力と道徳的拘. 束力(moralobligation)一般との区別卓説明している。その理由は,刑罰の観念は不正の 概念の中だけではなくて,各種の悪の概念の中にもはいってくるからである。. 「だれかの. 行為がなんらかの方法で罰せられるべきだというつもりがないものを,われわれは悪と呼 んだりしないoなんらかの■方法とは,法律によらないときは世論によって,世論によらな his. いときには本人の良心の珂責(the. reproaches of conscience)によってというこ とであるoこれが・道徳と単なる便宜を区別する真の分岐点であろうo--<義務>とは, own. 借金の返済を強要するように,人に強要してよいものであるo.8)このように,ミルは正義 の拘束力と道徳的拘束力との区別を指摘し,それらと権利との関係にふれたあとで,正義 の観念に伴う感情が一般的便宜(general. expediency)の考慮からきているかどうかを検. 討しはじめる。 ミルによれば,正義の心情そのものは便宜の観念から生じないが,心情の中にある道徳 的なものはそれから生じるのである。この心情には二つの本質的な要求がある。それは加 専者を罰したいという欲求と,一人以上の被著者がいるという確信である.加尊者を罰し たいという欲求は,二つの心情,自己防衛の衝動(the 感情(the. feeling. impulse. of selfdefence)と共感の. of sympathy)から自然に生まれたものであって本能的なものである。. だが,この本能的欲求は知性によって自分が社会と共同の利書で結ばれていることを理解 するようになり,自分の種族や人類などとの連帯性をもつようになるo. 「正義の心情は, その一要素である処罰の欲求からみると,以上のように,人間に本来そなわる仕返しまた は復讐(retaliationor. vengeance)の感情だと私は思う。--・・この心情そのものは,道徳的 でもなんでもないo道徳的なのは,この心情が社会的共感(social sympathy)に全面的 に服従してその要求につきしたがう場合である。なぜなら,だれかに不愉快なことをされ ると,われわれは自然な復讐感情からやたらに憤慨するが,社会的感情がはたらいて道穂 的になれば・全体の善に調和する方向にしか作用しなくなるからであるo.4)だから,正義 の心情が踏みにじられたと感じた・とき,真に道徳的感情から憤慨している人は,自分のた めであると周時に他人のためにある規則を主張しているのであるoミノウは,このことは反 功利主義者であるカントも認めてい`るとして,定言命法を引用している。そして以上のこ とを要約して次のように述べているo. 「正義の観念には,二つの前提がある。行動の親則.
(7) 45. ∫.S.ミルの正義論. (arule・ofconduct)と,その規則を認める心情である.前者は人類全部に共通で,人類の 書をめざすようなものでなければならない。後者(心情)は,この規則を犯すものを処罰 しようという欲求である。--正義の心情とは,自分または自分が共感をもつ人に対する 損害または損傷に反撃し仕返ししようとする動物的欲望が,人類の共感能力の拡大と人間 の賢明な利己心の考え方によって,すべての人間を包括するようにひろがったものと,私 には思われる.J5) このように,ミルは正義の観念を分析して明らかにしたあとで,改めて正義と功利とが どのような関係にあるかを解明するために,正義そのものの規則のあいだに衝突がみられ る四つの場合をあげているo最初の処罰をめぐる議論だけを取りあげてみようo ある人は言う。他人への見せしめのために人を罰するのは不正である。なぜなら,刺 罰は受刑者白身の善を目的とするときにのみ正しいからである,とo 別の人は主張する.分別のある人間を当人の善のために罰するのは不正であるoなぜ なら,当人の善だけが問題であるなら,当人がどの善を選ぼうともそれに介入する権利 はだれにもないからである,と。 またロバート・オーエンは主張する.そもそも処罰ということが不正なのであるoな ぜなら,犯罪者が自分の性格をつくったのではなくて,彼をとりまく環境が彼を犯罪者 にしたてたからである,と。 ミルによれば,これらの三つの意見はどれもまことにもっともらしい。第一の論者は, 本人の同意なしに他人の利益の犠牲に供するのは不正である,という正義の規則に訴えて いる。第二の論者は,自己防衛という正義と,自分の善について他人の考えにしたがうよ うに強制するのは不正である,という規則とを論拠にしている。オーエン主義者は,当人 がどうにもできないことに責任を帰して罰するのは不正だ,という正義の規則に訴えてい る.これらの論者が自説を押し通そうとするならば,他説を踏みにじるほかはないbこれ こそ難点である。これらの難一点を回避するために,思想家たちは「意志の自由」とか「契 約という擬制.などを想定してきたが,それらも所詮正義の他の一つの準則を論拠にして 「こうい. 自貌を弁護しているだけであり,この難点を解決できなかった。ミルによれば, う混乱からぬけだすには,功利主義の方法によるしかない.6)のであるo のものの規則のあいだに衝突がみられる場合,. つまり,正義そ. 「功利の原理.に直接訴えることによって. その正邪を決定する方法しかないのである。したがって,. 「功利を基礎とする正義がいっ. さいの道徳の主要部分であり,比較を絶したもっとも神聖で拘束力の強い部分だと私は考 えている。正義とは,ある種の道徳律をあらわす呼び名であって,処世上のどんな道徳律 よりもさらに緊密に人間の福祉の本質にかかわり,したがってさらに絶対的な拘束力をも っ。そして,われわれが正義の観念の本質とみた概念,つまり個人が有する権利という概 念は,このさらに強い拘束力を意味し,立証している。」T) ミルは,このように正義そのものの規則のあいだに衝突がある場合に「功利の原理」の もつ意義を強調したあとで,正義と便宜との関係について次のような結論をくだすのであ るo. 「これまで述べてきた考察により,功利主義道徳理論にとっての唯一の真の困難が解.
(8) 46. 泉. 谷. 周. 三. 郎. 決されたと思うo正義のあらゆる場合が,同時にまた便宜の場合であることば,いっでも 明らかであったoその(正義と便宜の)相違は,独特の心情が前者に付随する点で,ここ に,後者と対照的な区別がある。--正義の観念はもはや功利主義倫理にとってなんら贋 きの石(astumbling-block)ではない。正義はあくまでも次のようなある社会的功利をあ らわす適切な名称であるoつまり,種類としては他のどんな功利よりも格段に重要で,だ からこそ,さらに絶対的,命令的な功利である。.8) 注 1) 2). J・S・ Mill;. Utilitarianism,p.244. 邦訳p.. 509. 1861年の論文と1863年の第1版では「遵法」であったが,. 1864年の第2版では「実定法,ある. いはたいていの場合法の原始的形態である一権威ある慣習(authoritative custom).と変更 されている.. 3). J・S・ Mill;. Utilitarianism,p.246. 4) 5). J・S・ Mill;. ibid・, pp・. J・S・Mill;. ibid.,pp.249-250. 6). J・S・Mi11; J・S・Mill; J・S・Mill;. ibid.,pp.255. 7) 8). ibid.,p.255 ibid.,p.259. 248-249. 邦訳p.511 邦訳pp.. 514-515. 邦訳p.516 邦訳p.523. 邦訳p.523 邦訳p.528. 3.ミルの正義論の特徴 ・ミルの正義論の具体的検討にはいる前に,ミルはなぜ正義諭を執筆しようとしたのかと いう問題を考えてみたい。その理由としては,第一には当時の社会情況をあげることがで きるo 19世紀前半のイギリスは,産業革命の結果社会的・経済的に変動が若しかった時代 であり,さまざまな局面で利書の衝突が顕在化し,その調整をめぐって政治的闘争やばげ しい論争がくり返されていた。またこの時期は「評論家の時代の到来.1)といわれるほど ジャーナリストが活躍しはじめた時代でもあった。このような情況の中でいろぃろな階層 を代表する評論家ないし労働運動の指導者たちが正義論をふりかざして,自らと仲間の立 場を弁護したり正当化する傾向が強かったと推定されるoそのような傾向の一端が,カー ライルとチャーチィストの次のような声明文にも現われている。. 「人間の正義(権利)と ●. ●. はなんであるかoすべての人間は,彼らに権利が与えられることを要求し,また権利を自 ら捜し求めるが,それは正しい行為と認められる。さらにその上,そう認められようと認. められまいと,彼らは,チャーティズム,過激化運軌フランス革命,あるいは,彼らに やれるいかなる方法によってでも,それをなすであろうo権利はたしかに正しい,しかし 他面,また別な格言もきわめて真実である。. <あらゆる人間を,彼のもつ権利に応じて使. え,そうすれば,だれも筈をまぬがれない。. >この二者は二つとも真実であると言われて. いるoそして,両者とも一つの真理を作りあげるのに不可欠である..乏). (傍点筆者). 「人民. へ,チャーチィストの兄弟たちよo政治の偉大な真実が,過去半世紀にわたり熱心に議論 されてきたo遂にそれが,イギリスの,辱しめられ,蔑まれた白色奴隷を奮起させ,,自分 自身と子供たちと祖国とに対する義務を自覚させたのである。. ---この重大な時機にあ.
(9) ∫.S.ミルの正義論. 47. たり,われわれの影響力を強化せよ.諸君の指導者を支持せよoわれわれの聖なる大義の (傍点筆者) もとに結集せよ.そして決着を<正義と戦国の袖に>ゆだねよ。.3) ●. ●. 第二には,当時のイギリスでは法学者のあいだでは,立法のための指導原理として「功 刺.を強調する功利主義者に対して,多くの法学者は依然として「正義」を根本原理とし て主張していたことがあげられよう。功利と正義との関係については,ベンサムとミルと のあいだでもその見解が異なっている。ベンサムは功利の原理に基づいて立法すべきこと を説き,既存の法秩序と社会秩序をこの原理によって改革しなければならないと確信して いたので,正義という観念にそれほどの意義を見出していなかったo彼は『道徳および立 法の諸原理序説。の中で,功利の原理を無視する宗教を信ずる人々の原理を論じた個所で 次のように述べている。. 「彼らはと・きには,ごまかしをかくそうとして,正義と呼ぷ彼ら. 自身の幻影をつくりだすことがあるoそして,この幻影の力は,慈愛(benevdlence)の命 令を修正するのである。しかし正義とは,それが意味をもつ唯一の意味では,論議の便宜 のためにつくられた想像上の人格(an. imaginary. personage)であって,その命令は,あ. る特定の場合に適用された功利の命令にほかならない。したがって正義とは,ある場合に ある手段によって慈愛の目的を促進するために用いられる,想像上の手段以上のものでは. ない。正義の命令とは,ある場合に,ある一定の対象に対して,たとえばある一定の行為 に対して,.適用される,慈愛の命令の一部分にほかならない.」4)このように,ベンサムに ょれば,正義とは功利の原理の真理をあざむくために用いられる虚偽の概念であり,慈愛 の命令の一部分にほかならない。それゆえ,. E.ボーデンハイマーは「ベンサムは正義の. 概念を社会問題の論議から完全に除去するほうがよいと主張しているように思われる」苧) と述べている。ベンサムの正義論がミルのそれとは基本的な点で異なることば,引用の文 章とミルの見解を比較してみるといっそう明白になるであろうo 第三には,ミルが正義論を取りあげた直接的動機として,正義の観念が功利の原理より もいっそう根本的で絶対的なものであるという見解が,功利主義に対する有力な反対意見 として当時根強く主張されていたことがあげられる。ミルは,このような見解に対して, 正義と功利とが決して矛盾しないことを明らかにして,功利主義の擁護を試みる必要性を 痛感していたものと思われる。というのは,ミルはF功利主義論。の絵説の中で,どんな 先天的道徳論者も功利主義的論証を欠くことばできないとし,その一例としてカントの 『道徳形而上学。をあげているからであり,また第5章でも定言命法を引用しており,さ らに正義諭の内容でもカントの著書を参照している個所が見出せるからであるoカントは 『道徳形而上学。の中で,法義務(Rechtspflicbten)と徳義務(Tugendpfl主chten)とに大別 して,道徳的自律の理念を前提にして道徳と法との関係を論じ,法と道徳とを峻別し,徳 義務は法義務に比すると不完全義務であるという命題を主張するとともに,正義について 次のように述べている。. 「もし正義が消滅するならば,人間たちがこの地上に生きてある. ことには,もはや何らの価値もないからである。-されば,もし死刑を宣告された犯罪 者が,わが身に対して危険な諸実験をさせることを承諾し,そして,たいそう幸運にも, 首尾よく危険を切り抜け,その結果,医師たちがこれによって公共団体に有益な或る新し.
(10) 48. 泉. 谷. 周. 三. 郎. い知識を得るならば,この犯罪者に生存を許すことにしようという提案は,どう評価され るペきであろうか?.6)われわれは,この文章を通じてカントの厳格な正義諭と功利主義 的正義論への痛烈な批判をみてとることができるo. ミルがカントの著書をどの程度読み理. 解していたかを知ることば,きわめて興味深い問題であるが,この点について文献的に解 明することばほとんど不可能であり,両者の内容を比較・検討することも難しい問題であ るので,ここではこれ以上言及しないことにしたい。 ところで,正義という言葉は,どの社会においても多義的に用いられているが,正義と か不正とかについて語っている文章を分析してみると,次の二つの意味が含まれているこ とが判明する。第一には,正義とは「法に正しく適合すること.,つまり人々が法の規定 を遵守していることを意味する。第二には,正義とは法的・道徳的規則が全体の福祉のた めに最大の貢献をなすこと,つまり法律や社会制度が全体の幸福をもっともよく増進する ことを意味している。正義という言葉のこの二つの用法は,とりわけ古典的功利主義者た ちが重視してきたものであった。J.フィツジェイムズ・スチーブンば,ミルの正義論を検 討しはじめる部分で次のように述べている。. 「正義とば,第一には法の支配下にある個々. の場合には法を公平に適用することを意味する。正義とは,第二には,現行の法が全体の 幸福のためにあること,あるいは少なくとも立法者によって利益を得る予定の人々の幸福 を増進するという正当な意図でもって制定されていることを意味する0.7)ベンサムやオー スチンなど,一般にベンサム主義者と呼ばれる人々は,正義をこのように判事の観点と立 法者の観点との両方から考えていたし,8)ミルもまたそうであった。彼は,先述のように, 正義という言葉の語源をたどって,正義の観念が形成されるとき母胎となった本源的要素 として「遵法.をあげ,正義の観念の中で「法律とその命令.が支配的地位を占めること を主張したが,他方では正義という観念は法律に規定されず,逆に法律や社会制度の正当. 性をその社会的功利によって基礎づけるものであることを認識していた。したがって,ミ ルも,他のベンサム主義者と同様に,正義の二重の意味を把握していたが,次の点で決定 的に異なっていた。それはミルが正義についての日常の概念の分析を試みたことである。 この点についてH.A.ピードは次のように評価している。. 「ミル以前のどの功利主義者も正. 義に関して日常の概念を分析することを実際に試みなかった.そしてシジウィック以外の どの功利主義者も成功にはほど遠かった。驚くべきことではないが,正義の概念を分析す る試みがひとたびなされるや,その概念はヒェ-ムやベンサム主義者が把握したよりもは るかに複雑であることが明らかになる。ミルとシジウィックが正義についてわれわれがも つ考えを明らかにする過程で見出した関心は,部分的には彼らの理論がもつすぐれた永続 的価値を説明している.J9) 次にミルは正義へのあらゆる訴えの中にある共通な要素として「個人の権利.を見出し, しかも個人の権利が公共の福祉と密接な関係にあることに気づいていたことである。ベン. サムは,法による社会改革を目指していただ桝こ,自然権と自然法思想の欺臓性をはげし く批判し,ホップズやロックによって確実視されていたさまざまな権利を「数多くの無政 府的誤謬J10)とみなしていた.後によれば,権利とは法によって創設される人工的・作為.
(11) ∫.S.ミルの正義論 的なものであった。それに対して,ミルは公共の福祉の実現のために個人の権利のもつ意 味を明白に自覚していた。それゆえ,民主政治の卓越性は二つの原理に基づくとして, ・代議政治論。の中で次のように述べている。. 「第一の原理とは,すべての人々の権利や利. 益は,当事者自身がその権利や利益を擁護することができ,またいつでも擁護したいと思 っているときのみ,無視されることを免れるということであるo第二の原理とは,一般的 な繁栄は,それを促進するのに動員された個人的なエネルギーの量と種類とに比例して, より高度の水準に到達し,またより広範囲に配分されるということであるo」11)このよう に,ミルは民主政治の長所として「個人の権利と利益」が顧慮されること・および各人が. ・権利と利益を擁護するために立ちあがる手段.をもつことをあげ,権利が使者されず社 会的に保障されていることの重要性を強調した。ただし,彼によれば,権利は最終的には 社会的功利に依存するものである。それゆえ,個人の不可奪の権利といったものを真に基 礎づけることばできず,この点に限界が見出される。ミルは権利の侵書を問題とした際, その中で最悪のものとして「安全.の利益が書されることをあげていたo彼がこのように 安全を強調した点は,ホップズ,ロック,ベンサムの影響と思われるが,とりわけベンサ ムの影響が強かったといえよう。ベンサムは「最大多数の最大幸福」を目的とみなしてい たが,この目的には生存,豊富,平等,安全の四つの具体的目的が従属すべきであるとし, しかも四つの目的の中で安全こそがもっとも重要なもので法によって保障されるべきもの であると考えていたo1乏) ミルの正義論でしばしば問題となるのは,. 「平等.と功利との関係をめぐってであるo. 彼が,平等と公平とが功利の意味そのものの中に含まれているとして・平等と正義の観念 を結びつけた点は注目に催する。ミルは,平等の原理を先述のように「等しく尽くした人 々全部を等しく優遇すべき.であるとするoたしかに,われわれは日常生活において正義 の観念を平等の観念と結びつけている。ある親が一人の子供にやさしく,他の子供に冷酷 に振舞うことば不正と呼ばれるし,ある裁判官が同じ罪を犯した一人の囚人には厳しく, 他の囚人には寛大であることも不正と呼ばれる。これらの場合,われわれは不正を「等し くない待遇.. (unequal. treatment)に帰している。18)ミルは平等が功利の原理から直接で. てきたものであると明言し,しかも平等の原理は「一人の人間の幸福の程度が他人の幸福 と等しいときには,どちらもまったく同等に尊重されるのでないかぎり,つじつまの合わ ぬ空語である.とも述べている。後によれば,功利の原理は平等の原理の前提であり,か っ平等の原理が満たされない場合には功利の原理も意味を失うのであるoしかし,次のよ 「だれもが幸福の条件に対して平等な請求権をもっているうな例外が認められている。 ただし,人間生活のやむをえない事情や,すべての個人の利益を含んでいる一般的利益 (generalinterest)が,この格率に制約を加えるときは別であるo.14)この文章を読むと・ ・平等が功利の意味そのものの中に含まれている.というミルの主張は,功利の原理が強 い意味で平等の原理を含んでいることを示すものではないように思われるo小泉仰教授は, ミルにおける功利の原理と平等との関係を検討して,平等の原理が功利に含まれるという 主張は,. 「功利の原理と平等とが強い意味の含意の関係にあることを示すのではなく,そ. 49.
(12) 50. 泉. 谷. 周. 三. 郎. れは論理的であるよりはむしろ情況・情況に応じて変わるような文脈的関係を示している ように思われるo」15)と述べ,次のように結論している.. 「第一に平等の原理は,功利の原. 理により正当化されたり,正当化されないような二次的原理である。---第二に功利の原 理にまったく反する平等の主張は認められないoここに平等に対するミルの功利主義の限 界があるoつまりミルの体系の中では平等の原理が功利の原理に対立したり,功利の原理 をこえた原召引こはならなかったのである..18)ミルの功利の原理と平等との関係について は,たしかに小泉仰教授の指摘する限界があることを認めなければならないo彼の正義論 には,このような限界はあるけれども,他面では平等を正義の観念と結びつけ,しかも 平等が「社会的・配分的正義の最高の抽象的標準.を構成するものとみなした点では, ホップズ,ロック,ヒュ-ムに見られなかった画期的な業績であったと言うことができよ う。17). 次に,ミルは正義の感情を分析して,正義の心情(sentiment)がもつ二つの本質的要求 として,加害者を罰したいという欲求と被書者がいるという確信とをあげている。彼によ れば,処罰の欲求は復讐の感情なのであるが,この感情はそれ自体では道徳的なものでは ない。正義の観念に含まれる道徳的要素は,復讐の感情が社会的共感に全面的に服従する. ところに見出されるoここでミルが正義を人間の社会的共感によって基礎づけ,正義にお ける道徳的要素は社会的功利の考慮に由来すると考えていたことは興味深い。というのは, 彼は道徳的行為者を,復讐という個人的感情にかられて行為する人ではなく,社会的功利 を考慮して行為する人とみなしているからであるoだから道徳的感情から憤慨する人は, 自分の利益のみならず他人の利益となるような規則を確立しようとする要求をもたなけれ ばならず,カントの定言命法に近い立場にたっことになるのである。こうして,ミルは正 義の観念には行動の規則とその規則を認める心情という二つの前提があるとし,前者が道 徳的要求であり,便宜と同じ領域に属すると主張するのである。そして正義そのものの親 別のあいだに衝突がみられる場合には,. 「功利の原理.に直接訴えることによってその正. 邪が決定されるとし,正義のあらゆる場合が同時にまた便宜の場合であると主張したので あるoこのような正義の感情の分析は,とりわけヒュ-ムの正義諭と比較してみると,ミ ルの正義論の意義と問題点が明らかになるように思われるが,この点については本論では 割愛することにしたい。18) 以上,ミルの正義諭を考察し検討してきたが,いまや正義の観念は功利主義にとって牒 きの石ではなくなったと宣言できるだろうか。つまり,正義と功利との関係は,ミルが確 信しているほど,スムーズに重なり合うものであろうか。依然として残るこれらの疑問杏 解明するために,現代の哲学者がミルの正義論のどこに決定的な難点を見出しているか杏 考察し検討して,最後にミルの正義諭の位置づけを考えてみたい。. 注. 1). John・Gross; TbeRiseandFalloftbeManofLetters,1969 史.みすず書房 参照. 橋口・高見訳『イギりス文壇.
(13) 51. ∫.S.ミルの正義論. 2)カーライル著町歴史の生命。日本敏文杜pp・213-214. 宇山直亮訳 3)都築忠七漏『資料イギ')ス初期社会主乱平凡社pp・331-333 Basil Blaekw・ell to the Principles and Legislation・ An Introduction of Morals 4) ∫.Bentbam; oxford, pp. 240-241山下要一訳唱徳および立法の諸原理序乱(世界の名著38)中央公論 社p.201 5) 6) 7) 8). E. Bodenbeimer;. Treatise. Metaphsik. Ⅰ.Kant;. J. F. Stephen;. der. Liberty,. Equality,. VI, p・ 289. 9) 10). H.A.Bedau;. ibid.,pp.30ト302. ll). I. S. Mill;. Liberalism,. p.208. Considerations. on. Inc・ p・ 26 203-204. 書揮・尾田訳『人倫の形而上学』理想社pp・. 1797. Fraternity・. Oxford. Library,. Philosophical. Cambridge. ClassicalUtilitarianism,. Jnstice, Nomos L. T. Hobhouse;. Justice,1967,. Sitten,. Justice and. H. A. Bedau;. on. University. Representative. University. ed・ C・. Press,. J・ Friedrich. Press・ and. 1967, p・ 181. J・W・. Chapman;. 1964, p・ 37. Government・. Everyman's. University. 38)中央公論社p・394. 山下重-訳『代議政治凱(世界の名著. 12)西尾孝司著『イギ・)ス功利主義の政治思凱現代情報社pp・154-156 13) 14). ∫.Ⅲospers; ∫.S.Mill;. Human. Conduct,. 1961, p・ 417. Utilitarianism,p・258. 邦訳p・. 526. 15)小泉仰著『ミル。牧書店pp・70-71 前掲書pp.74-75 16)小泉仰著 17)藤原保信著『正義・自由・民主主義。御茶水書房pp・18-19 18)稲垣良典著『法的正義の理論。成文堂pp・212-228. 参照. 4.ミルの正義論の主要な難点 ミルは,正義に関する日常の概念を分析して,正義についてわれわれがもつ共通の観念 を浮きほりにし,共通の観念にみられる多義性やあいまいさを「功利.を中核にしてある 程度明確化し,正義の場合が同時にまた便宜の場合であることを明らかにし・正義の観念 という功利主義にとっての蹟きの石を排除できたと考えていたように思われるoはたして そうであろうか。現代の哲学者の中でミルの思想にかなり共感を示す人でも・ミルの正義 論について次のような難点を見出しているo A.クイントンによれば,ミルの正義論における主要な難点は次の二つであるo第一の 難点は配分(distribution)に関係するものであるo功利の原理は,諸行動をそれらが産出 する善ないし悪,すなわち快ないし昔の全体量によって評価するoところで・二つの行動 があり,両者が含む善悪のあらゆるバランスが同一であるとしても・一方では善悪が平等 に配分され,他方では幸恵が不平等に配分されるということが起りうるoこの場合・前者 が望ましいことば,だれにとっても直観的に明白であるが,功利の原理ではその正邪を決. 定することができない。第二の難点は規則(rule)に関するものであるoたとえば,善悪 の同一量を産出する二つの行動があったとしようoこれらの行動の中で,一方は約束を守 る,真実を告げるという演貝[lの違反を含み,他方はそれらの浸剤への違反を含んでいない としよう。だれにとっても後者の行動が正しいことば明白であるoミルはこの問題解決の ために「最大多数の最大幸福」というベンサムの定式を提出していると言われるかもしれ. Library・.
(14) 52. 泉. 谷. 周. 三. 郎. ないoその定式は取り扱いの平等を保証するであろうが,規則の違反に関する問題に対し て解決を与えてはいないoしたがって,ミルは正義論の中で配分の問題にほとんど言及し ていないのが難点である。1) またA・ライアンによれば,ミルの正義諭は彼の道徳学説の中でもっとも興味深く価値 あるものだが・難点として次の三つの問題があげられるo第一の問題は,功利の原理のよ うに最大化する原理(maximizing. principles)が,全体の幸福の個人への分配に関する配 分の原理といかに関連しているかということである。第二の問題は,人間の生活にとって 重要であり,しかも功利主義の諸原理と矛盾する非功利主義的な種類の道徳原理-たと えば,すべての人を単に手段としてではなく,常に同時に目的として取り扱えというカント の定言命法-があるかどうかということである。第三の問題は,少なくとも最初には功 利主義的考慮をしない規則,たとえば約束,刑罰などのようなものをいかにして正当化で きるかということである。ライアンはこれらの問題がすべて密接に結びついていることを 強調しているo2'さらにH・A・ビートは,論文「正義と古典的功利主義.の最後の部分で, 古典的功利主義に見出される難点を三つのカテゴリーに分けて述べている。. (1)諸行為の 正しさが法律ないし道徳規則の遵守によって決定され,規則の正しさがその功利によって 決定されるoそれらの場合に行為者は,規則を破らないよりも破ることによって多くの有. 用な行為をなしうるが,そのような情況に如、て,正義の名において人は何をなすべきか を示すことができないo. (2)正義の諸原理と正しく行為する道徳的義務とが,功利主義的. 考慮以外の何ものにも基づいていないことを証明するのに失敗している。. (3)正義の概念. の分析に,とりわけ正義の概念と平等との関連を示すことに失敗していることである.8) 三人の哲学者が指摘したミルの正義諭に見出される難点は,本来であれば,それらのす べてが検討されることが望ましいが,そのような余裕を欠いているので,ここでは,もっ とも決定的な難点と思われる二つの問題を具体的に取りあげて考察してみたい。第一には, ある行為ないしある規則の正邪を決定するには,善の配分をも考慮しなければならないの で,. 「功利の原理」だけでは不十分で,別に「公正(justice)の原理.が必要であるかい. なかという問題であるo第二には,全体の幸福のために,あるいは公共の福祉のために, 一人の罪のない人間を犠牲にすることが,正義の名において認められるかいなかという問 題であるo第一の問題については, E・F・キャ')ットやW・K・フランケナが,功利主義の 致命的な欠陥とみなし・クイントンが好意的な解釈を展開しているoキャリットによれば, 功利主義者たちは正義を無視してきたoたいていの功利主義者は,善を公正に(fairly) 配分する義務を功利の原理で根拠づける困難さを知ったときに,配分の重要性に気づい たoそこで彼らは「最大事福の増進.に「最大多数.という句を付加したり,ベンサム の金言「だれでも一人として数え,だれもー人以上に数えてはならない.の重要性を強調 したのであるo4'またフランケナによれば,この問題こそ功利主義の唯一の決定的な難点 であるoたとえば,. RlとR2という規則があり,それらの規則にしたがう諸行為の結果. が同量の善意を産出すると想定してみよう。その場合に実現された善の量を異なった仕方 で配分することが可能である。したがって,ある規則の働きは多量の善を産出するが配分.
(15) 53. ∫.S.ミルの正義論. が不公正であり,他方の規則の働きはより公正であるがそれほど多くの善を産出しないこ とがありうる。この二つの場合,後者が正しいものとして選ばれることも可能であるo 「もし以上のとおりなら,道徳の規則を決定する規準はたんに功利だけではなく,公正で ●. ●. ●. ●. もある。したがって,ある種の義務諭の理論は正しいものである。なぜなら,公正である ということば功利の原理からは独立であるから。.5). (傍点筆者)さらにフランケナは,こ. の難点に対して功利主義者が与えてきた解答を二つあげ,その一つとして,ミルが公平と 平等とは功利の意味そのものの中に含まれていると述べた文章を引用したうえで,次のよ うに批判している。フランケナによれば,ミルは,功利の原理は「最大多数」の最大幸福を 増進すべきだと主張しているのかもしれない。もしそうだとすると,功利の原理は二重の 原理となる.つまり,それは, 命じるとともに,. 「悪にまさる善の能うかぎり最大の量を産み出すこと」を. 「それをできるだけ広く配分するように命ずる」ことになる。その結莱,. 功利の原理は「功利の原理.と「公正の原理.との結合ということになり,純粋な功利主 義ではないことになるのである。ところが,クイントンによれば,平等な待遇への直観的 要刺まベンサムの定式において「最大多数.の句を付加することによって十分に与えられ ているというミルの主張は説得的ではない。しかし,ベンサムの定式は,価値の最終評価 には配分の範囲もバランスがとれていなければならないことを示唆しているo. ベンサム. にとって,行為の評価はその行為によって影響をうけるすべての人々の幸福と背痛であるo それゆえ,功利の原理は善悪の適正な配分についての含意をもつのであるoだが,反対論 者は言う。. 100人の人間と配分すべき100単位の功利(価値)があると想定しよう。功利. の原理は一人の幸運な人に100単位を割り当て残りの99人に全然割り当てないよりも,各 人に1単位割り当てることを選ぶ根拠を与えない,と。そのような意見に対して,クイン トンは次のように反論している。. 「この議論における誤りは,なんらかの善の配分から産. 出する功利が,その配分のしかたと無関係であるという仮定である。しかし,このことば 明らかに誤りである。われわれは固定した価値をもつ功利を配分しているのではなくて, オレンジ,メダルなどのような具体的な事物を配分している。それらは配分される方法に 基づいて異なる功利をもつのである。.6) 次に,全体の幸福のために,あるいは全体の災害の防止のために,一人の罪のない人間 を犠牲にしてよいかという第二の問題を考察しよう。この間題は罪のない人は,他の人よ りも惑い待遇をうけてはならないという配分の規則と,全体の幸福を増進すべきだという 最大化の類別との衝突を含んでいる。功利主義に反対する人々のあいだでは,功利の原理 はある情況において,一人の罪なき人を罰することを正当化すると一般的に確信されてき た。現代の哲学者の中では,キャリット,. G.E.M.アンスコム,. H・J・マクロスキーなど. が,それぞれ一つの事例をあげて,7)功利主義は一般的に非難される行為をなすことを正 当化しがちであると主張してきた。キャリットば,功利主義の論証が残酷としかいいよう のない行為を正当化しがちであるとして,次のように述べている.彼によれば,功利主義 者は,悪い苦痛をふせぐかあるいは多くの幸福をもたらすために苦痛を科することができ る,と主張しなければならないo. これこそ,われわれ(We)が刑罰について考慮すべき.
(16) 54. 泉. 谷. 周. 三. 郎. すべてのことであり,そのとき刑罰は純粋に予防的である。だが,もし,非常に残酷な犯 罪が頻発し,犯人がひとりもつかまらないとき,一人の罪のない人間を逮捕してだれもが 彼を有罪と思うように策をめぐらして,その人を絞首刑にすることばきわめて便宜となる であろう。実際には,これは功利主義による刑罰の理想的な事例とはなりえない。という のは,犠牲者白身は将来そのような罪を犯す悪党ではありえないからである。他のすべて の点において,その刑罰は完全に防止的であり,それゆえに幸福をもたらすのである.8) ところが,. J・ロールズは,古典的功利主義の欠陥を指摘しながら,若干の新しい要素を. 導入してそれを補おうとする試みの中で,功利主義には社会全体の幸福のために罪のない 人間を罰する危険性が含まれているという見解に対してそれは規則のとらえ方における混 乱から生じたものだとして,キャリットの見解を直接取りあげて批判している。ロールズ によれば,キャリットは,功利主義の論証が人々に恐怖を感じさせるような行為をあまり にも多く正当化することを示そうと.している。しかしながら,彼の論証の失敗は,刑法制 度を構成する規則の一般的体系を正当化することと,個々の事例にこれらの諸規則を適用 するのを正当化すること,この両者を区別していないという事実に基づくのである。その ことば,キャリットが述べている「われわれ.とはだれなのかと問うとき,いっそう明ら かになる。もしすべての人が罪のない人間が有罪であると確信するならば,彼が罰せられ ることを決定する絶対的権威をもつのはだれなのか。それは立法者なのかそれとも判事な のか。それとも市民なのだろうか。それはどんな権威によっているのか。これらを理解す ることばきわめて困難なことである。なぜなら,これらすべては制度の諸規則に書かれて いなければならないからであるoそしてこれらのことを知るまで,その正当化が疑問視さ れている制度とは何であるかを知ることができないからである。9)ロールズは,このよう にキャリットの見解を批判したあとで,規則についての二つの概念として要約説(summaryview)と慣行説(practice view)との区別を説明し,両者の混同がキャl)ットのよ うな誤解を導くと主張するのである。 以上のように,ミルの正義論の主要な難点については,現代の哲学者のあいだでもその 解釈がさまぎまに異なっている。ミルの正義論を考察しその問題を追究していくと,いつ のまにか現代功利主義に関する複雑な論争(とくに規則功利主義と行為功利主義をめぐる 論争)の中にはいりこんでしまうのである。このことば,ミルの正義論がその問題点に関 してはかなり的確に把握していたが,問題の複雑さのゆえに,その議論を十分に展開でき なかったということを示しているといえよう。 注 1). A・. 2) 3). A・ Ryan;. 4). E・ F・ Carritt;. 5) 6). W・K・Frankena;. H・. A・. Quinton; Utilitarian Ethics, Macmillan, p. 72 & KeganPaul, J・S・ Mill, 1974, Routledge A・ Bedau; Justice and Classical Utilitarianism,. Quinton;. Ethical. Political Thinking,. and Ethics,1963,p.33. Utilitarian. Ethics, p. 75. p. 119 pp.. 304-305. 1947, oxford. University. 枚下隆英訳『倫理学。培風館p.59. Press, pp.. 62-63.
(17) 55. ∫.S.ミルの正義論 G.E.. 7)次の論文を参照せよ. XXXIII,. No.. LXXII. 8) 9). E.F.. Anscombe;. Modern A. Note. MoralPhilosophy, on. Utilitarian. Philosophy. Punishment,. Mind. vol・ vol.. (1963) Carritt;. ∫.Rawls; Press,. 124 (1958). M.. H. J. McCloskey;. Two. p. 65 and Political Thinking, Concepts Rules, 1955, P・ Foot, ed. of. Ethical. Theories. of Ethics,. oxford. University. 1967. 結. 帯. 以上において,正義の観念を構成する諸要素,正義の感情と功利との関係,ミルの正義 論の特徴,ミルの正義論の主要な難点,を考察してきた。それらを通じてミルが正義諭を どのように展開したか,またその正義論にはどのような意義と問題点とが見出されるかが ほほ明らかになったといえよう。ところで,ミルの正義諭の主要な難点はどのように評価 できるだろうか。第一の問題に関して,私は,キャリットやA.C.ユーイングのように, 功利主義は正義を無視してきたとかあるいは善の配分はどんなに不公正であろうとも全体 としてわずかでも付加的な幸福をもたらせば正しいとみなす1)といった見解には同意でき ない。というのは,ミルは『経済学原理。では生産の法則と分配の法則との質的相違を強調 し,分配の平等に多大な関心を寄せていたからであり,また好意的に解釈すれば,クイン トンの解釈が成りたっと考えられるからである。私には,ミルが公正の原理が功利の意味 「幸福.と. そのものに含まれると主張したとき,快楽の量と質との区別を論じた個所で, いう言葉にべンサムが無視した諸目的を注入して功利主義道徳を常識道徳に接近させその. 弁護を試みたと同様なやりかたで, る.引. 「功利.の中に平等と公正とを包含したように思われ. このことは,当時の人々に功利主義が公正と平等とを重視していることを理解させ. るのに役立ったであろうが,その議論の不十分さが現代の哲学者から鋭く批判されること になったのである。この間題でミルの議論の難点をもっとも的確に指摘したのは,フラン ケナであろう。ミルは配分の原理についてほとんど論じていないので,ミルの立場からフ ランケナの見解に反論することはほとんど不可能である。したがって,ここではミルの議 論がきわめて不十分であったということを確認するにとどめたい。次に,第二の問題に関 して,私はミルの立場をかなりの程度弁護できるのではないかと考える。その理由は,ミ ルが『自由論』の中で次のような原理を主張しているからである。. 「人類が,個人的にま. たは集団的に,だれかの行動の自由に正当に干渉しうる唯一の目的は,自己防衛だという ことである。すなわち,文明社会の成員に対し,彼の意志に反して,正当に権力を行使し うる唯一の目的は,他人に対する危書の防止である.彼自身の幸福は,物質的なものであ れ道徳的なものであれ,十分な正当化となるものではないo.3)J.ナ-ヴソンも,. 『自由論。. のこの部分に注目し,ミルがここで「権力を行使すること.を「自由に干渉すること.と 同一視し,しかもこの二つの文章が「他人を害すること.と同等に取り扱われていること を指摘したうえで,次のように述べている。この問題は「ある情況における積極的功利性 と消極的功利性との差引残高に関する正当化を取り扱うものである。われわれが確立しな. ければならない原理は,およそ次のようになる。消極的功利性(すなわち,だれかに危専.
(18) 56. 泉. 谷. 周. 三. 郎. を加えること)を含む行為は,単に積極的功利性(すなわち,他のだれかを益すること)杏 含む行為の他の諸結果に言及することによって決して正当化されない,と。.4)チ-ヴソン の見解は,ミルの立場をかなり弁護するものといえる.だが,若干の疑念は残るo. これら. の問題は,行為功利主義と洩朋功利主義との論争に関係するので,ここでは割愛したいo与) ミルの正義論は,近代から現代への転換期において,イギリスで民主政治が漸進的に実 現していく中で,そこに生ずる諸矛盾を直視することによって,個人対個人の関係のみな らず個人対社会という関係を考慮しつつ展開されたものであった。その点でミルの正義論 は,社会における正義を主題として取り扱っており,社会正義(social ことのできるものであった。ボーデンハイマーの定義によれば,. justice)論と呼ぶ 「社会正義とほ,正義のう. ちで社会を構成している個人や集団の利書を考慮し,彼らの権利や機会を保護することに かかわる部分であるo.6)ミルの正義諭は,社会正義諭としてはその前提および議論にさま ぎまな問題点があるといわれる。7)おそらくミル自身,彼の正義論が学者から相当はげし い批判をうけることをある程度自覚していたのではなかろうか。というのは,. 『功利主義. 諭。そのものが学術書として発表されたというよりは,功利主義の擁護を目的として執筆 された啓蒙書であったからである。ミルは少年時代よりプラトン,アリストテレスの著作 に親しんでおり,また広範囲にわたる領域の学閥を研究していたから,正義諭を執筆する ことの困難さをよく知っていたであろう。それにもかかわらず,正義諭を短期間のうちに 執筆した動機としては,残された月日が少ないこと,および功利主義の擁護のためであっ た。それだけに,ミルの正義論には種々の難点が見出される。これらの諸点を考慮すると き,ミルの正義論についてのクイントンの評価はきわめて適切なものと思われるのである。 「ミルの議論は,多くの価値をもっている。それはとりわけ<正義>という語が伝えよう としてきた種々の多少異なる観念を精密化することにおいて,たくさんの根拠を包含して いる。しかしながら,ミルは,実際には正義についての通常の確信が,彼が弁護しようと している功利主義の障害になっているという主要な難点を十分にそして満足できるまでに 反駁することに成功していない。.8)われわれは,ミルの正義論の限界をふまえながらも, ミルが正義静を取りあげた意図とそれがもつ意義を考慮しつつ,正義の現代的意義を問い 続けることが必要であろう。 注 Ethics, 1953,TbeFreePress,p.46 1) A・C. Ewing; 竹尾他訳『倫理学。法律文化杜p.63 2)拙稿「ジョン・スチュアート・ミルによる快楽の量と質との区別について.東京教育大学文学 部紀要(昭和50年3月) No. 100 72-73 3) ∫.S.Mill; OnLiberty,Everyman'sLibrary,pp. 早坂忠訳『自由論。中央公論杜pp. 224-225 Morality and Utility, 1967, The Johns Hopkins Press, p. 158 4) ∫.Narveson; 5)小泉仰著「現代功利主義論争. 『理想。 No.523理想社pp.77-91参照 Treatise on Justice,p. 116 6) E. Bodenheimer; ibid., W.K. Frankena; The Concept 7) E. Bodenheimer; of Social Justice,ed. R. B. Brandt; Social. 8). A.. Inc. Justice,Prentice-Hall, Quinton; Utilitarian Ethics, p.. 72.
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