これからの学校教育と「生きる力」の育成 : 「生き方」指導から「生きる力」の育成へ
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(2) これからの学校教育と「生きる力」の育成. 答申は3部に分けて構成されているが、まず. け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行. 第1部では、 「今後における教育の在り方」と. 動し、よりよく問題を解決する資質や能力であ. いうテーマのもとに中教審の基本的な問題意識. _り、また、自らを律しつつ、他人とともに協調. が総論的に論じられている。最初のところで、. し、他人を思いやる心や感動する心など、豊か. 子どもたちの生活と家庭・地域社会の現状が、. な人間性であると考えた。たくましく生きるた. 様々な調査を通して把握されている。それを踏. めの健康や体力が不可欠であることは言うまで. まえてさらに、子どもたちがこれから生きてい. もない。我々は、こうした資質や能力を、変化. く社会というのはどういう社会なのかというこ. の激しいこれからの社会を[生きる力]と称す. とが、展望されている。 「変化の激しい、先行. ることとし、これらをバランスよくはぐくんで. き不透明な、厳しい時代」 (5)としてそこで述. いくことが重要であると考えた」 (6)と述べる。. べられていることは、国際化・情報化・科学技. さらに、 「[生きる力Iは、全人的な力であり、. 術の発展・少子・高齢化社会など、特に目新し. 幅広く様々な観点から数行することができる」. いものではないが、確実に現在及びこれからの. としながら、 4点にわたってその具体的な裁定. 我が国の社会の方向を示すものだと言ってよか. を行っている(7). ろう。そして、それを踏まえて、これからの教. ①これからの変化の激しい社会において、い. 育の在り方の基本的な方向が提案され、 「不. かなる場面でも他人と協調しつつ自律的に社. 易」と「流行」という臨時教育審議会でも示さ. 会生活を送っていくために必要となる、人間. れていた視点が、一つの大原則としてまず語ら. としての実践的な力である。. れている。豊かな人間性とか正義感や公正さを. ②単なる知識ではなく、自分で課題を見つけ、. 重んじる心、自らを律しつつ他人と協調し、他. -自ら考え、自ら問題を解決していく資質や能. 人を思いやる心、人権を尊重する心、自然を愛 する心、あるいは歴史や文化や伝統を愛する心. 力である。 ③美しいものや自然に感動する心といった柔. というのは、不易のものであるということが、. らかな感性を含み、正義感や公正さを重んじ. 踏まえられている。同時に、新しい社会に対応. る心、人権を尊重する心などの基本的な倫理. して変えていかなくてはならないもの、つまり. 観や、他人を思いやる心や優しさ、相手の立. 古き良きものと同時に新たに必要なものとがあ. 場になって考えたり、共感することのできる. る。その両方を見て行かなければならないと言. 温かい心、ボランティアなど社会貢献の精神. われている。. である。 ④こうした資質や能力などを支える基盤とし. その課題に対応していくためには、 [生きる 力】の育成、 【生きる力]をはぐくむことこそ. て不可欠な健康や体力が位置付けられる。. 重要であるということが言われる。 [生きる. これらの[生きる力]を育てていくことが、. 力]と言ったときに、漠然としているのである. これからの教育の基本的な方向でなければな. が、 【ゆとり]はともかくとして、この[生き. 盟sara. る力]をどう考えたらいいのだろうか。答申は. それをはぐくむためには、いくつかの視点が. 「我々はこれからの子供たちに必要となるのは、 いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つ. 必要だということで、 4点が上げられている。 (a)審議の中で問題になったのは、当面の課題. -4-.
(3) 生徒指導研究第8号1997 としては、学校を週5日制完全実施にむけて. 結んだとは言い難いものがあった。その原因の. スリム化しなくてはならないということで. ひとつは受験競争という現実が学校教育を大き. あったが、スリム化すると今まで学校がやっ. く規定してきたからである。この間題への対応. てきたことを誰がやるのか。家庭や地域社会. を抜きにLではこれからの教育を論じることは. に元へ戻していくしかしょうがないのではな. できない。しかし、ここでは具体的な対応につ. いか。しかしながら、一方では、今日の教育. いては述べられず、ただ引き続き検討すべきこ. をめぐる基本的な問題のひとつは、家庭や地. ととされるにとどめられている。いじめ・登校. 域社会の教育力の低下の問題であり、家庭や. 拒否の問題に関しては、子どもたちの[生きる. 地域社会にはもうそういう力はないのである. 力]を育成し、家庭・学校・地域社会における. から、条件整備をする必要があるということ. 教育をバランスよく行っていくことが解決につ. で、学校教育だけではなくて、家庭や地域社. ながるとしながら、家庭・地域社会での取り組. 会における在り方とそれらへの対応が言及さ. み、一人一人の子どもに焦点をあてた学校教育. れ、第2部においてはそれぞれ章を割いて大. とそれを行う教員の向上、学校・教育委員会の. きなスペースを取って論じられている。. 課題、学校教育相談体制の充実、登校拒否を. (b)最初の子どもの生活の現状のところでも力. 行っている子どもたちや、いじめられている子. 説されていたが、子どもたちの生活体験や自. どもたちへの、 「転学」や「卒業程度認定試. 然体験が非骨に狭くなっている。それを広げ. 験」制度といった弾力的な対応の必要性、子ど. ていくことが重要な視点として位置づけられ、. もの生活において学校が占める大きな位置の反. そういうものが[生きる力]を育んでいく基. 省、そしていじめ・登校拒否問題への取り組み. 盤になるんだということも述べられている。. の研究の推進の必要性が指摘されている(9) 第2部では、第1部での基本的な問題分析を. (e)それから、 [生きる力]を重視した学校教. 受けて、学校・家庭・地域社会の具体的な課題. 育の展開、 (d)そして子どもと社会全体の[ゆとり]がな. が論じられる。これからの学校教育の在り方が. ければ、そういうことはできない。その際、. 具体的に提案されている。まとめると以下のよ. 時間的な【ゆとり]だけでなく、心の[ゆと. うになる10)ォ. り]が重要であり、他人追随的なこれまでの. ①これからの学校の具体像 a教え込む教育から自ら学び、自ら考える教. 在り方ではなく、自分の生き方を自ら主体的. 育への転換. に決めていくという新たな価値観に立つ真の 意味での個の確立が必要だということが主張. b生涯学習の基礎的資質の育成. されている8. Cゆとりある教育環境と教育活動. 次に、 [ゆとり]の実現による[生きる力〕. d教育内容の基礎・基本と確実な習得. の形成を阻んできた学校教育の現実が、 「過庶. e子どもたち一人一人に視点を置く教育. の受験競争」と「いじめ・登校拒否」という二. f豊かな人間性と専門的知識・技術や幅広い教. つの問題をめぐって論じられる。これまで中教. 養を基盤とする実践的な指導力を持つ教貞. 審はさまざまな教育改革のプランを提言してき. g創意工夫を生かした教育活動. た。ところが、実際にはそれらは必ずしも実を. h子どもたちの実態に対応する特色ある教育 -5-.
(4) これからの学校教育と「生きる力」の育成. 活動の展開. が、国際理解教育、情報教育、環境教育という. i家庭や地域社会に開かれた学校. 今日的な視点につなげられながら重要なものと. ここでとりわけ重要なのはaであろう。わが 国においてもっとも深刻な間愚は、答申も述べ. して位置づけられ、 「総合的な学習の時間」と いう新たな時間の設置が提言されている。. るように、受験教育が学校教育に与えた弊害で. 答申それ自身、全体がある意味ではそれを示. ある。ただでさえわが国の教育は近代化を推進. していると思われるが、課題や目標、そしてそ. していく上で中心的な役割を担わされてきたこ. れらに対応するハードな側面に関しては、さま. とによって、 「教える」という教育の-局面が. ざまに語られている。学校においては、 [生き. 過度に強化され、その側面のみに限定されてき たのである。そのために、近代の教育が抱える. る力]を育てていくためのカリキュラムの中に. 教え込み(教化)としての教育の閉息を捉え直. 合的な指導ということで、 「総合的な学習の時. 目玉として置いておくものとして、横断的・総. す機会を教師から奪ってしまったということで. 間」が提案されている。家庭や地域においては、. ある。その上、受験教育が加わることによって、. 子育て支援ネットワークを作るとか、遊びや社. さまざまな事柄についてじっくり考えるという. 会体験・自然体験等の共同体験の場を作るであ. [ゆとり]を子どもたちから奪うこととなり、. るとか、いろいろな具体的なものが提案されて. 教室における学習・教育を記憶を中心とする学. いる。しかしながら、実際に[生きる力]を育. 習・教育へとゆがめてしまったのである。それ. てる学校教育というのはどういう教育かという. を変えていくための方策的課題を中教審はbか. ことについては、実は、どこにも述べられては. らiであると考えていると言うことができよう。. いない。その課題を追求して行くのは、あるい. 以上のような学校像を踏まえて、次に5項目. は引き受けてそれを達成していくのは、一人一. にわたって具体的な改革が提言されている。. 人の教師だとされているのである。. ②教育内容の厳選と基礎・基本の徹底. 以上が、中教審の答申の学校教育に関わる部. ③一人一人の個性を生かすための教育の改善. 分の概要であるが、今までの答申では、教育シ. ④豊かな人間性とたくましい体をはぐくむた. ステム・教育制度のことに重点が置かれ、教育. めの教育の改善. 論については述べられていなかったが、この答. ⑤横断的・総合的な学習の推進. 申の一つの大きな特徴は、最初から基本的な・. ⑥教科の再編・統合を含めた将来の教科等の. 基礎的な教育論として展開されている。そのた. 構成の在り方. めに異例な長文にもなっている。それだけに一. ここで注目すべきは、 ③、 ④、 (釘であろうO. 層今期中教審の取り組みの姿勢が強く表われて. ③では個に応じた指導の充実と、問題解決的な. いると考えることもできよう。しかし、今後ど. 学習や体験的な学習の一層の充実が強調されて. ういう考え方に立って学校教育に取り組まなけ. いる。 ④では、豊かな人間性ということで望ま. ればならないのかを現実的・具体的に考えたと. しい人間関係や社会生活のルールの習得などの. き、その答は必ずしも明確ではない。答申は子. 社会性、社会の基本的なモラルなどの倫理観の. どもたちを取り囲む社会的状況の変化について. 育成が要請されている。 ⑤では[生きる力]の. は述べていても.その社会的状況の変化がいか. 育成に関わって、横断的・総合的な学習の展開. なる教育それ自体の変化を必要としているのか -6-.
(5) 生徒指導研究第8号1997. という決定的な問題に関しては何も述べていな. そのために、子どもが育つには、その固有の場. いと言うべきであろう。例えば、受験競争の緩. が必要だということである。人間は様々な顔を. 和にしても、高校入試、大学入試等の改革や企. 持っているが、一つ一つの具体的な顔は、その. 業・官公庁の採用方法や雇用慣行の変革そして. 具体的な場に対応している。例えば、筆者は、. 親の意識の変革等の要請について言及されては. 男であり、親の子どもであるわけで、それから. いるが、小学校から高校に至るまでの学校それ. 兄弟がいて弟である。それから結婚して夫であ. 自身の教育の転換については、 [ゆとり]の確. り、それから子どもが産まれて父親であり、税. 保と[生きる力]の育成の重要性が強調される. 金を払わなくてはならない牡帯主であり、職業. だけで、展望は示されてはいない。また、いじ. が教師であり、あるいはある町の町民である。. め・登校拒否の問題に関しても、社会の変化に. 町民の行事やある活動があるときには、それに. よる子どもたちの変容(人間関係の希薄化、家. 積極的に参加する。それから、日本の国民であ. 庭・地域社会の教育力の低下、体験の欠如、倫. る。そして同時に、そういう一つ一つの具体的. 理観の弱体化、ストレス等)についての指摘は. なものを全部ひっくるめて、なおかつ一般的な. なされているが、それらの変化に対抗していく. 人間、 「もうちょっと俺を人間らしく扱えよ」. ための新たな教育のストラテジーについては、. とか妻に言ったりする存在である。それらは、. 教育を一人一人の子どもたちの個性に照準を当. -つ一つ場が違っている。その一つ一つの場の. てるものとすること以外、何の展望も示されて. 中で、それらの諸側面が存在しているというこ. はいない。結局は、それぞれの学校や一人一人. とである。. の教師が教育が置かれている深刻な事態を直視. 子どもはそういうさまざまな顔をさまざまな. し、この困難な状況を打開する道を探るしかな. 場の中で獲得していく経験や体験を持ちながら、. いということであろう。. 自分というものを造り上げていくのである。そ して同時に、それらの場は任意の場の中にある わけではなく、生まれてから死んでいくまでに、. Ⅱ. [生きる力]と教育の詩前提 ある意味ではこの答申が語っている教育論と. それら固有の順序を与えられている。ペスタ. いうのは、オーソドックスな教育論だと言って. ロツチーという人は、それを同心円と、円錐を. よいように思われる。まずこの答申は、子ども. 使って表現できるような説明の仕方をしている。. の成長というのは、抽象的な学問の世界のなか. つまり、最初は家庭があり、親との関わりの中. では行なわれ得ないのであり、むしろ一人一人. で自我が芽生えてくる。それから、地域社会が. の子どもたちの生活の場の中で行なわれていく. あり、友達やさまざまな大人と交わる。そして、. のだということを、はっきりと踏まえようとし. 国家がある。それらの場は同心円的に広がって. ている。それはかつてJ, H.ペスタロツチ-. いく。そして、赤ん坊から大人へと育っていく。. が主張した有名な考え方につながる(ll)。人間. そうして、最初は動物みたいな存在(「自然的. は、頭と心と体を持つ一個の全体であるという. 状態」)が、やがて、人間らしさと言われるも. こと、頭だけの存在ではないということである。. のを少しずつ獲得しながら、社会的なさまざま. それから2番目、人は様々な顔を持っているけ. な人々との繋がりを獲得して、多様性と同時に. れども一個の人抱なのだということ。 3番目、. その社会に固有の統一性を持つ自分というもの. -7-.
(6) これからの学校教育と「生きる力」の育成. を造り上げていく。それを「社会的存在」 ・. がないくらい広がってくる。そうすると、子ど. 「社会的状態」と言う。それから、人間はある. もたちの学校での学習というのは、生活の中で. 特定の場所に限定されるような、ある特定の顔. というよりも、学問の知識の集約の場である学. に限定されるような狭い存在じゃなくて、もっ. 校の中で行なわれていくということになる。 2. と広い、より高度な立場に立ってさまざまなこ. 番目に、子どもが育っていくにはそのための固. とを考えることができるようなものになってい. 有の場が存在すると述べたが、そういう多様な. く。それを「道徳的状態」と言ったりする。横. 場が、確実になくなってしまっている。自然体. に広がりながら同時に、縦に伸びていくのであ. 験や社会体験が極度に減少していることが子ど. る。それを、一本の線で表わせば、螺旋上にな. もたちの人間形成にさまざまな問題を残し、学. る。底面は段々広がって行くが、上に上がれば. 習それ自体をも困難にしている。これらは答申. 上がるほど円錐の頂点に近づいていく。そうい. においても把握されている。 3番目は、これは非常に大きな問題であるが、. う形で表現をしている(12)ォ 中教審の答申の[生きる力]という考え方は、. 私事化、プライヴァタイゼイションと言ったり. 実はこのことを踏まえようとしているように思. するが、私事化が物凄い勢いで進行してしまっ. われる。それが実現していくためには、教育の. ている。そのために子どもたちの思考や学習と. 基盤を生活にきっちりと置いていく必要がある。. いうのが、個別化されている。子どもたちは社. それが[ゆとり]の問題なんだということでも. 会的に孤立していく方向に成長して行く。この. あろう。そのことが、教育の基本的な問題とし. ことは、我々の社会が消費化社会、消費を中心. て、捉えられていると考えるべきであろう。. とするような社会に質的に変化してきたことが、. しかし、必要なのはこのような人間であるこ. 非常に大きな関係を持っているというふうに考. との基本的な在り方を踏まえながら、それにふ. えられるが、このことに関して興味深いことを. さわしい教育の在り方を探っていくことである。. 言ってる人物がいる。ハンナ・アーレントであ. ところが、人間の基本的な在り方を説いたから. る。この人物は、アメリカで活躍したユダヤ人. と言って、そこからそれにふさわしい教育の在. の政治哲学者で、 『人間の条件』 (13)という本. り方が明らかになってくるわけではない。その. を書いている。その中で、彼女はユダヤ人であ. ためにはさらに詳細な分析が必要である。それ. るので、かつてドイツのナチズムを生み出した. では、これまでの学校教育はそのような[生き. 決定的な要因を探っていき、結局現代人のある. る力]を育てるという観点から捉えるとどうい. 特質に行き着く。その特徴というのは、人間の. う間竜点を持っているだろうか。筆者が、中教. 活動のあり方が変化してきたということである. 審の答申との繋がりで問題点を揚げるなら、以. と述べている。つまり、ギリシア時代に遡りな. 下の5点にまとめられるように思われる。. がら人間の活動には3種類あると言う。一つは、 労働である。もう-つは、仕事である。労働と. 一つは、学習における知識と生活世界の希牡 ということである。つまり、科学がどんどん発. 仕事はどう違うかと言うと、労働というのは、. 展していく。それから、工業化がどんどん進ん. その日その日に必要とする消費していくものを. でいくQそうすると子どもたちが身に付けなく. 作り出していくことである。仕事というのは何. てはならない知識の量や程度というのは、際限. かと言うと、作品を造り上げていくことである、. -8-.
(7) 生徒指導研究第8号1997. 家を造ったり、橋を造ったり、小説を書いたり、. ていく。それが実は、ギリシア人たちが、自分. さまざまなものがある。労働が作り出すものは、. たちの存在の大きな拠り所と考えていたポリス. 消費の対象であって、それを作ることが、人々. というものである。それは個々人の生活や個々. の広い関係を創り出していくということは、あ. 人が生み出す世界を規定するものであり、活動. まりないというわけである。ところが、作品を. によって産み出されるものであった。ところが、. 創り出していく仕事というのは、例えば、芸術. 今日においては、労働がもっとも上にきて、そ. 作品を創ったりすると、その芸術の世界という. の公的音域を創り出していく活動が一番下にき. のが、そこに創り上げられていく。建築家であ. ている。結局そのことが、私的頚城だけが人々. れば、建築家の世界というものが、創り上げら. にとって関心の高いものとされ、公的なものは. れていく。それから、もう一つある。それは、. 非常に低い、小さい位置に押し込められてしま. 直接には、何も造り出さない活動である。それ. うという結果につながる。このことが、現代社. を人間の本来の着舌動と言う。実は、ギリシア時. 会のさまざまな問題を生み出していくことにな. 代は、もっとも高い位置に活動が来ていた。そ. るいうことを指摘する(14),. れは何も造り出さない。次に、仕事が来ていた。. まさにそれが、この日本の社会に実現し、. そして、最後に労働が来ていた。確かに、労働. 人々の在り方を規定しているのである。特に、. はギリシアでは奴隷の積分であり、市民のそれ. 今日の子どもたちがまさにそうであるO毎B毎. ではなかった。市民の積分は政治であり、国家. 日の消費、消費は自らの欲求に基づくのであり、. のあり方に関わることが市民の関心事であった。. 極めて個人的なものである。その欲求が、彼ら. ところが、現代においては、労働がもっとも. の、多くの子どもたちのもっとも大きな関心事. 上位に位置づけられている。その日その日の消. となり、行為の動機になって行くわけである0-. 費物を作る。人と人との関わり、質の高い関わ. そうすると、彼らの頭の中で行なう思考、ある. りやさまざまな世界の関わりを創り出していく. いは他の人々と持っていく関わりは、その部分. のではなくて、その日その日、消えていくよう. に中心を持ったようなものになってしまう。そ. なものを作り出していく活動が、もっとも価値. こに、今日いろんな問題が生じてくる大きな基. が高い、あるいは大きな位置を占めるものに. 盤があると考えることができるのではないか。. なっている。その次に、世界を創り出す仕事が. それから4番目に、道徳的自律性の暖昧化、. 位置している。そして三番目に、活動というも. そのことに繋がるのだが、道徳的な事柄を考え. のがきていることが、決定的な問題である。な. ていくときに、非常に心情的に考えていく傾向. ぜかと言うと、活動というのは直接には何も創. がある。現在道徳性の発達段階についてもっと. り出さないのだけれど、実は間接的に非常に重. も説得力のある学説を提示しているコールハー. 要なものを創り出す。それは何かと言うと、ま. グは、ピアジェを発展的に継承しながら、道徳. さに公的な世界を創り出すのだと。公的領域と. 性の発達する段階は、道徳的な思考が脱中心化. いう見方を主張する。公的頚城、つまり演説を. することにある。つまり、自分というものを離. すると、そこに聴衆を生み出す。そして、演説. れていくことが、発達段階が高まっていくこと. をする人とそれを聞く人との間に、政治的な問. であると考えるのであるが(15)、現代では、そ. 題に関して共通の理解が、そこに打ち立てられ. れどころか常に自分を中心にして、道徳的な思 ^W^E.
(8) これからの学校教育と「生きる力」の育成. 考や行為が行なわれている。今日変化の激しい. では教師と生徒との関係は、両者の基本的な対. 時代の中で自律性が重要だと言われる。答申に. 立を考慮することなく、実質的には教師優位の. おいても述べられていた。しかし、現実には学. 関係になっている。家庭においては、親優位の. 校教育は自律性を育てる方向ではなく、むしろ. 関係になっている。子どもが親の要求を聞き入. 心情を拠り所とすることによってそれに逆行し. れるのは当たり前という、こういうことが言っ. ている。自分を中心にして考えることが自律性. てみれば当然のこととされている。それを踏ま. なのではない.これは当たり前のことであるQ. えて子どもたちに対するさまざまな関わりが生. しかし、これが実際には当たり前と考えられて. じてきている、あるいは、さまざまな教育活動. いない。むしろ、わが国の道徳教育においては、. が行なわれているということである。こう言う. 心情を拠り所とすることが、子ども一人一人の. 七、反対ではないかと思われるかもしれない。. 考え方を大切にすることだと考えられてきた。. 表面的には、子どもを中心にとか、あるいは子. ここに大きな問題がある。解決を必要とするあ. どもと目線を合わせてとか、あるいは子どもを. る問題状況が設定され、その解決に向かって子. よく理解してとか、カウンセリング・マインド. どもたちがどうしたら良いかと考える場面で、. とか、いろんな形で言われるわけであるが、し. 一人一人の考え方を大切にするとはどういうこ. かし、子どもと大人と一方的でないことを踏ま. とであろうか。ある特定の道徳的行為とその背. えたような具体的な教育が行なわれているかと. 後にある考え方があって、それを自分がどう引. いうと必ずしもそうではない。相変わらず大人. き受けるかということであるなら、それは一人. から子ども-の一方的な教育が行われている。. 一人の問題ということができよう。しかし、相. こうなってくるのは、基本的には、未来が教. 対化の時代にあっては、道徳的行為とその背後. 育の全てをある意味では規定していくことによ. にある考え方が正しいものかどうか、あるいは. る。子どもは今を生きている者として捉えられ. 望ましいものであるのかどうかが問題とされね. るだけではない。彼らは確実に未来を生きる。. ばならないQそれは一人一人の個人的問題と言. 彼らの今はこれからやって来る未来のために過. えるだろうか。あるいは個々人の心情を拠り所. ごされなければならない。しかし、それが可能. とすることができるだろうかOここには道徳教. なのは大人にも子どもにもある程度未来の必然. 育における二つの問題、すなわち行為の内容の. 性が理解できるときである(16),では今日21世. 問題と正当性の問題との混同がある。自律性は. 紀がどういう時代になり、そこでは人々はどう. 正当性の事柄である。それは個々人の主観に委. いう生活をすることとなり、何を目標に生きる. ねられるものではない。むしろ普遍的、一般的. 時代なのだろうか。実は、中教審が示した未来. な頚城に属している。そうでなければ個々人の. の社会像はそれに答えてはいない。今我々が置. 尊厳を保証する社会は成り立たない。. かれている新たな状況を語っているに過ぎない。. それから5番目。これも非常に大きな問題だ. 実際には皆目見当がつかないというのが実際の. と思われる。今日学校教育において大人と子ど. ところなのである。そういう未来を前にすると、. もという世代の基本的な関係が不可避的に持た. もはや今の大人は今の子どもと実は違いがなく. ざるを得ない対立があまり意識されていないと. なってしまう。それなのに,教育は相変わらず. いうことである。大人と子どもとの関係、学校. 今の大人が今の子どもに不確定な未来への備え. -10-.
(9) 生徒指導研究第8号1997. を具体的に一方的に要求する。そのために、教. たちに具体的に取り組ませていく中心的な事柄. 育において無理が生じてしまう。その無理の中. とは何かと考えたときに、子どもたちが自分の. で生じるさまざまな具体的な問題を子どもたち. 生き方について、あるいは自分の在り方につい. が引き受けざるを得ない、あるいは子どもたち. て考えていくということではないか、というこ. の中にさまざまな問題、登校拒否・いじめ、あ. とが言われた。それが、言ってみればスローガ. るいは校内暴力や体罰などが起こらざるを得な. ンのように語られてきた。それを受けてこの中. かったのではないか。. 教審の答申で[生きる力]が提言されたという. この根本的な部分を変えない限り、今日のさ. のは、ある意味ではそれと繋がっていると考え. まざまな問題は克服することができないであろ. ることができるように思われる。しかし、ある. う。そういう意味では、答申が、 「教え込む・. 意味ではもっと一歩踏み込むことで、今まで単. ・ ・教育から・ ・ ・自ら学び自ら考える教育へ. にスローガン的に語られてきた生き方指導とい. の転換」 (17)を主張しているということは、単. う在り方を修正しようとしているとも考えるこ. なる古い教育の視点からの心構えの呼びかけと. とができる。この答申においても生き方という. 捉えてはならない。我々が、今総力を挙げて考. 言い方を使ってはいる。しかし、それをさらに. えなくてはならないのは、もはやこの転換の必. より現実的なものにしようとしているのではな. 要性についてではなく、この転換をどうやって. いか。少なくともそう考えるべきではないか。. 行なうのかということ、あるいは転換をどのよ. つまり、生き方を考えていく、あるいは指導す. うに構想し得るのかということであろう。. る、教えると育ったときに、生き方は教えるこ とができるのか、生き方というのはやはり自分. Ⅱ. [生きる力】をどのように考えたらよいか. で考えていくものではないか。世界的に変動の. 転換をどう構想するのかという観点から考え. 激しい社会状況の中で、生き方を規定する絶対. たとき、 [生きる力]をどう捉えるかという課. 的な指針が失われ、相対化された今、子どもた. 題を、筆者はコミュニケーション能力と結合し. ちに生き方を直接的に教えていくことは、困難. ながら考えてみたい。他の人々とさまざまな活. と言わなければならない。子どもたちが織りな. 動に共同で取り組んでいく、そして他の人々と. す諸問題それ自体がすでにそのことを示してい. 共同で新しい世界や社会を創り出していく力を、. るのであり、むしろ、我々が考えなければなら. あるいは人々との共同の中で、自分の在り方や. ないのは、子どもたち一人一人が、さまざまな. 人生を切り開いていく力を子どもたちが獲得し. 人々との繋がりの中で、関わりの中で、あるい. ていくことこそが、今日の教育のあり得る方向. は新しい困難な状況の中で、自分の生き方を考. であり、この[生きる力]の具体的な中身では. えていくために、それが行なえるような力を育. ないかと考えるからである。 「- 『生き方』指. てていくことなのではないか。そのことを中教. 導から『生きる力』の育成へ-」という副題を. 審の答申は言っていると解釈すべきではないか.. つけたのもそのことに関係している。新しい学. そして、それが行なえるようになるためには、. 習指導要領になって、支援であるとか、あるい. 今までのような子どもたちを知識の獲得に追い. は新しい学力観という新しい学校教育の方向が. 込んでいくということではなくて、もっと[ゆ. 打ち出されてきたのであるが、その中で子ども. とり]を持って、あるいは子どもたち自身の生. -Hil-.
(10) これからの学校教育と「生きる力」の育成. 清も[ゆとり]を持っていく必要がある。そう. て生徒が反応していくということだけではなく. いったパースペクテイヴの中で【生きる力]と. て、教師と生徒が、あるいは生徒と生徒が、両. [ゆとり]ということが、中教審の答申の柱に. 者の間に合意や共通理解を創り出していくこと が、教育というふうに考えられなくてはならな. なっていると考えてみたいと思う。 それをどうやって行なうのかと考えたときに、. いということである。何か良い影響を教師が子. 「教え込みでない教育とは何か」、それから. どもに与えるということではなくて、教師と子. 「自ら学び自ら考える」というのは現実的なの. どもがある問題に直面して、 -諸にそれに取り. かどうかということを、学校の教師が真剣に考. 組んでいって、その間題を解決していく。それ. えることが必要であろう。その答を先取り的に. を行ないながら、教師と生徒との間に新しい共. 示すなら、筆者の今のところの答は、以下のも. 通理解が、そしてそれに基づく新しい関係が、. のである。. あるいは生徒と生徒との間に今までの合意とそ. まずは、大人と子どもの関係の適切な認識が. れに基づく関係とは違った、共にさまざまな活. 必要だということである。それから次に、子ど. 動をすることによって、今までのものとは全く. もと子どもの関係についての適切な認識に基づ. 違った質を持った関係が、そこに創り上げられ. いた学習が、考えられなければならない。これ. ていく。例えば、それを学級で考えてみれば、. ら二つを両方共含み持つような方向というのは、. 今までの教室ではいじめの出てくるようないが. 相互主体的な関係に基づく教育と学習であると. み合うような、あるいは弱い者をいじめていく. 思われる。それはどういうことなのか。. ような関係があった。そこで、生徒たちが教師. それを考えていく一つの手懸かりは、言語的. と一緒にさまざまな学習に取り組んでいくこと. コミュニケーションが、我々の日常生活の中で. によって、そのクラスの質が、クラスの人間関. 持っている役割、あるいはそのメカニズム、そ. 係の質が、いじめが生じてくるような質のもの. れに我々がもっと注意を払う、あるいはそれを. から、そんなものとは無縁のような質のものに. 解明していくことではないかと思われる。今ま. 変わっていく、つまり、教師と生徒は、生徒と. で、教育は相互作用という枠組みで捉えられて. 生徒はクラスという一つの社会をすでに作って. きたo言語的コミュニケ-ションを踏まえるな. いるわけであるが、そのすでに作っている社会. らば、教育というのは、相互作用ではなくて、. を別の新しい質のものに変えていく。筒単に言. 相互行為として捉えられるべきだと考える。相. うならば、より民主的な関係に、一人一人の子. 互作用というのは、ある人が別の人に影響を与. どもたちが、自分の意見を何の遠慮もなく言う. える、作用するということを意味し、そうして、. ことができて、そしてクラスの皆が一人一人を. 反作用として逆の方向の作用が生じてくる、こ. 支えていくような、そういうクラスを作り上げ. ういう捉え方であった。しかし、教育はむしろ. ていく。そのことに、教育の焦点を置いていく. 相互行為と捉えなければならない。つまり、ど. ならば、現在生じているさまざまな問題が克服. ういうことかと言うと、コミュニケーションと. されてくる可能性が見出されないだろうか。. いうのは、あるいは教育というのは、教師から. Ⅳ.コミュニケーション的行為と教育的行為. 生徒にあるものが伝わっていくということだけ. そのような教育を構想していく鍵は、我々が. ではなくて、あるいは教師の言ったことに対し. -12-.
(11) 生徒指導研究第8号1997 ことは容易ではない。まず考えられるのは、. 行なっている日常的なコミュニケーションであ. 「お茶漬けでも食べませんか。」という意味で. るように思われる。イギリスの言語哲学者オー スチンは、言語を交わすということは、話し手. あろう。しかし、これは実際には言語的意味、. の思いや情報を相手に伝えていくという活動で. 単なるメッセ-ジではなく、 「そろそろお引き. あるとは限らず、それだけではなく一つの社会. 取り下さい。」ということである。これが、京. 的行為でもあると考える(18)<つまり、例えば、. 都の人には当たり前のこととして分かるのであ. 「明日釆なさい。本を貸してあげるよ。」と. る。 「お茶漬けでもどうどすか。」 「いや、もう. 言ったときに、 「明日来れば、本を貸す」とい. 失礼します。」となるわけである。話し手と聞. う話し手のメッセージが、それを開いている人. き手は意識してないけれども、共通の社会的慣. に伝えられていくだけなのではないということ. 習を持った社会を共有し合っているO一つの社. である。実は、もう一つ話し手と聞き手との間. 会がうまく行なわれるために、言語的コミュニ. にあることが生じている。つまり、約束という. ケーションによって日々確認が行なわれている. ことである。その約束というのは、実は話し手. と言えよう。こういう側面を、言葉の遣り取り. の勝手な思いで行なわれるわけではない。つま. は持っている。 教育を考えていく上で、このことは重要なこ. り、ある人とある人がある一つの社会に住んで いて、ある慣習の中に住んでいて、その慣習の. とではなかろうか。教育は言葉を介して、対話. 中での了解があるから、ある言葉はある約束と. の中で行われる。我々はその対話が二重の次元. いう行為としての意味を持つということになる。. を持っていると考えてきたであろうか。いや、. そうすると、言葉を交わすというのは、社会的. 二つの次元の一方だけを考えてきたのではない. な行為だということである。もっと言うならば、. か。言葉を使って伝える内容だけを。もう一方. 社会を作り出していく行為である。言葉を交わ. の次元については、それが存在することさえ考. すというのは、言ってみれば共通の慣習を承認. えられなかった。しかし、それは確実に存在し. していく、約束が成り立つための前提として. ていたのである。 ドイツの社会哲学者ハーバーマスは我々の行. 持っている社会的な慣習を、両者が確認し合う ということなのである。つまり、言葉を交わす. 為を三つに分類する(19)tつはものを対象に. ということは、両者の間の社会的な関係を成立. する技術的行為である「道具的行為」、二つ目. させてくれるものを確認する。つまり、社会を. は他者を対象にする技術的行為である「戦略的. そこに作り出していくということ。そこにいろ. 行為」、そして三番目は人間と人間との間で相. んな食い違いが生じた場合には、両者で調整が. 互の主体性を前提に展開される「コミュニケー. される。そうすると、新しい了解がそこで達成. ション的行為」である。我々がこれまで社会的. されるということになる。そうすると、新しい. 行為として捉えてきたのは、技術的行為と戦略. 了解の下に、新しい関わりを両者が持つという. 的行為である。しかし、日常的にはこれら二つ. ことになるわけである。. の行為とは異質的なもう一つの行為が存在して. 例えば、京都に「お茶漬けでも、どうどす. いる。それは技術的行為や戦略的行為のように. かQ」という言い回しがあるO京都に住んでい. 他者を手段や単に行為の対象として捉えるので. ない者は、これを聞いても何のことか理解する. はなく、二人の人間が対等であり、共に一つの. -13-.
(12) これからの学校教育と「生きる力」の育成. 関係(社会)を担っていることを前提にしてい. 語ることはあまりない。それにもかかわらず、. る。社会的行為はこの第三の行為を基盤にして. 子どもは親と似た生き方を再生する。なぜこの. いると考えなくてはならないのである。. ようなことが生じるのであろうか。俗に言われ. 我々がこれまでコミュニケーション的行為と. るように、親の背中を見るからであろうか。実. いう捉え方ができなかったのは、日常的なコミ. は、親子の会話が二重構造を持っているからこ. ュニケーションが有している二重構造にその原. のようなことが生じると言うことことができる。. 因があったと言うことができるかもしれない。. しかし、我々は二重構造の一方しか捉えていな. 我々はコミュニケーションの「対象のレベル」. いのである。. にのみまなざしを向けてきた。しかし、その対. (親) 「ゲームのソフト返したの。」. 象が話し手と聞き手において同一の意味を持つ. (千) 「まだだよ。」. ためには、両者の間に相互に了解し合うレベル. (戟) 「早く返しなさいよ。」. がなければならない。ヴイトゲンシュタインの. (千) 「うん。分かってるよ。」. 言語ゲーム論につなげて言えば、意味は慣習. ここで展開されていることは何か。親が子に誰. (生活形式)がなければ成り立たない。言葉が. か友達に借りたソフトを返させることだけが問. その機能を果たすためには、もう一つの「規則. 題なのであろうか。 「ソフトを返しなさい。」と. のレベル(メタ・レベル)」が存在しなければ. いう指示と、もう一つ「借りたものは返さなく. ならないのである(20),. てはならない。」、あるいは「借りたら早めに返. このように考えるなら、人間であること、あ. すことが友達として大切なことである。」とい. るいは子どもが育ちていくことにとっては、一. う社会的規範。両方が存在している。子は「う. つ一つの知識ではなくて、また一つ一つの情報. ん。分かってるよ。」と答えるが、何が分かっ. ではなくて、一つ一つの知識や情報がある明確. ているのか。親の言葉が直接指示する内容か。. な意味を持つために必要なものの方が、重要だ. それとも社会的規範の妥当性か。両方であろう。. と言うことができる。先のア-レントの主張す. おわりに. る「人間の条件」としての第三の活動はこれに つながると言えよう。労働や仕事はそれらが直. これまでの学校教育は、一つ一つの内容に注. 接生み出すものに規定されている。他方、活動. 目しながら何を教えていくかということだけを. は、間接的にではあるが、人間の存在の基盤で. 考えながら、学習や教育を行なってきた。そう. ある公的領域を生み出す。その公的領域の中で、. いう意味では、先の中教審の答申も基本的には. 我々人間は、さまざまな顔を持ちながら同時に. このような古い捉え方に立っている。もうそれ. それらを統一する安定した自己のアイデンティ. を変えていかなくてはならないのではないか。. ティを獲得することができる。例えば、家庭に. 子どもたちが一つ一つの知識の獲得の中で、相. おける親と子の会話を考えてみれば良い。我々. 互の在り方の規則に関わるようなレベルで互い. は家庭においてさまざまな事物や事態について. に合意をし、了解をしていくという教育へ転換. 会話を行っている。そして、子どもたちは確実. することこそ、今必要なのではないだろうか。. に親の生き方を学び取る。しかし、親は特別の. 問題が生じたときには、つまりそのレベルでの. 機会がなければ自分の生き方それ自体について. 食い違いが生じたときには、それを確認しなが. -14-.
(13) 生徒指導研究第8号1997 ら是正していく取り組みがなされていかなけれ. の説明を別の言葉で言い換えていく。あるいは、. ばならない。そうすると、学習の在り方という. 自分の主張の安当性を考え直していく。そうす. のは、一人が考えるということではないという. ることによって、自分の今までの考え方、在り. ことになるOむしろ子どもたちがある一つの社. 方を見なおしていく。あるいは、相互の考え方. 会を基盤にしながら、その社会が成り立ってい. の一致や不一致をそこで点検し、吟味し、確. く上で、前提にされているもの(メタ・レベ. 認・修正していく。このことが、そしてそれを. ル)を一つ一つ確認する。それを確認する手立. 行う力を学校教育の中ではぐくんでいくことこ. てが何かと言えば、それは子どもたちの言葉の. そが、これから必要になってくると筆者には思. 遣り取りである。 「僕(私)には理解できな. われるのである。. い。」ということになれば、子どもたちが自分. 〔注〕 (1)本稿は平成8年11月和歌山県田辺市立長野中学校において同じタイトルで行った講演に加筆・修正 したものである。 (2)文部省初等中等教育局中学校課r生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策についてJ、 r中等教育 資料』平成9年3月号によるO (3)拙論「教室という社会も発達する」 、兵庫教育大学生徒指導講座r生徒指導研究J第7号、1996参照0 (4)第15期中央教育審議会答申r21位紀を展望した我が国の教育のあり方についてJ、文部省編r文 部時報』平成8年8月臨時増刊号、ぎょうせい、 1996。 (5)同、 P. 19。 (6)同、 p. 20。 (7)同、 P. 21C (8)同、 P. 24。 (9)同、 P. 24-260 (10)同、 P. 31-380 (ll)Pestalozzi,J.H、虎竹訳r探究」 、長田新編rペスタロツチ-全集j第6巻平凡社、1959及び.Barth.H.、 杉谷・柴谷訳『ペスタロッチ-研究一教育・政治・経済・道徳-J明治図書、 1961参照。 (12)同上。 (13)Arendt,H. 、志水訳F人間の条件』ちくま学芸文庫、 1994参照。 (14)同上。 (15)Kohlberg,L. 、永野監訳F道徳性の形成一認知発達的アプローチ』新曜社、 1987参照 (16)Mead,M. 、太田訳『地球時代の文化論」東京大学出版部、 1981参照。 (17)第1 5期中央教育審議会前掲答申、 p. 31。 (18)Austin,J.L. 、坂本訳F言語と行為J大修館書店、 1978及び立川健二・山田広昭r現代言語論」新 曜社、 1990、 P. 170-参照。 (19)HabermasJ, 、河上他訳Fコミュニケイション的行為の理論J (上中下)未来社、 1985-87及び中 岡成文rハーバーマス-コミュニケーション行為「講談社、 1996参照。 (20)Wittgenstein,L. 、藤本訳r哲学探究』、山本・大森編rウィトゲンシュタイン全集J第8巻大 修館書店、 1976及び立川・山田、前掲書、 P. 160参照。. -15-.
(14)
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