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旧「満州」における日本語検定試験についての研究―言語能力の測定から政治的機能へ― [ PDF

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旧「満洲」における日本語検定試験についての研究

-言語能力の測定から政治的機能へ-

キーワード:満鉄,旧「満洲国」政府,日本語検定試験,言語能力,政治的機能, 教育システム専攻 李 鵬飛 1.論文の構成 序章: 1.問題の所在 2.先行研究の状況 3.本研究の課題及び一次史料 第 1 章 実施主体の違いによる試験目的と測定方法 —満鉄と旧「満洲国」政府の場合 第 1 節 社員向けた満鉄の語学検定試験 第 1 項 適任通訳試験 第 2 項 合理化した満鉄の語学検定試験 第 3 項 満鉄の業務との整合性 第 2 節 官吏向けの旧「満洲国」政府の語学検定試験 第 1 項 合理化した旧「満洲国」政府の語学検定試験 第 2 項 官吏の職務との整合性 第 2 章 受験対象者の拡大と測定方法 —1936 年と 1938 年の違いに着目して 第 1 節 官吏から一般へ 第 2 節 困難度の低下 第 1 項 問題形式の多様化による困難度の低下 第 2 項 官吏向けの内容から一般向けの内容へ 第 3 章 外的要因による普及促進 第 1 節 満鉄の語学検定試験の奨励政策. 第 2 節 旧「満洲国」政府の語学検定試験の奨励政策 第 3 節 仕事、官吏制度および学校システムとの連結 第 4 章 満洲人以外の日本語検定試験 第 1 節 モンゴル人向けの日本語検定試験とモンゴル人 政策 第 2 節 ロシア人向けの日本語検定試験とロシア人政策 第 5 章 旧「満洲国」の危機下の『滿洲國語』 第 1 節 日本語版と満洲語版の異同からみる動機付け 第 2 節 日本語教育への期待と日本語検定試験 終章 まとめと今後の課題 2.概要 序章 1)問題の所在:何故、旧「満洲」における日本語検定試験は 受験者人数が急増したのか? 現在、中国における日本語検定試験は数多く存在している。 その中に、年間の受験者人数が約 6 千人の日本語検定試験が ある(日本貿易振興機構, 2017)一方、一回の試験で約 34 万 人の受験者が受験する日本語検定試験(国際交流基金・日本 国際教育支援協会, 2017)、例えば世界最大規模の日本語能 力試験、もある。ところで、1936 年の旧「満洲国」では政府 が主催した語学検定試験が実施された(石, 2005:84)。その 中の中国語検定試験の受験者人数は 1938 年の受験者数が 1936年の2.96倍、1937年の2.74倍と増加した(李, 2013:25) が、同じく旧「満洲国」政府が実施した日本語検定試験はわ ずか 5 年で 8.64 倍となった(石, 2005:84)。1936 年は受験 者数が 3607 人であったが、1941 年には 3 万 1169 人という 人数の大規模な日本語検定試験となった(石, 2005:84)。 1941 年の旧「満洲国」政府の日本語検定試験の受験者人数は、 当時の旧「満洲国」の総人口数の約 0.068 パーセントを占め た。これは、現在世界最大規模の日本語テストである、日本 語能力試験を受験する中国人の数が中国総人口数に占める 割合(約 0.0081 パーセント)の約 8.40 倍である。つまり、 旧「満洲国」政府の日本語検定試験は当時数多くの受験者が 受験する大規模な日本語検定試験であったといえる。では、 果たしてどういった要因で日本語検定試験は受験者の人数 を増やし、大規模なテストとなったのか。以上の問題意識か ら、本研究では旧「満洲」における日本語検定試験を対象と する。単に試験が実施された時代背景および実施過程のみな らず、試験の内容および問題形式などにも注目し、旧「満洲」 における日本語検定試験の受験者数が急増した要因を探る。

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2)先行研究の状況:旧「満洲」における日本語検定試験の先 行研究 これまでの旧「満洲」における日本語検定試験に関する先 行研究をまとめると、主に試験の概要にとどまる研究が多い。 例えば、竹中(2000)、石(2005)がこれに当たる。試験の内 容面まで研究した酒井(2009)は、すべての等級において歴 史的な仮名遣いを出題することから、1936 年の旧「満洲国」 政府の日本語検定試験は実際に「内地」の国語教育の延長と し て の 非 植 民 地 人 に 対 す る 同 化 教 育 で あ る ( 酒 井 , 2009:128)と主張した。試験の内容面まで研究し、しかも複数 回の試験を用いて研究したのは祝(2014)のみであった。 祝(2014)はそれまでの旧「満洲」における語学検定試験 についての研究(竹中(2000、石(2005)、酒井(2009)、李 (2013))を踏まえ、旧「満洲国」政府が実施した 1936 年の 官吏に向けた語学試験と 1939 年の一般に公開された後の語 学検定試験の共通点から、1938 年以降に満洲国政府語学検定 試験の対象者が社会一般に解放されてからも官吏に向けた 名残がある(祝,2014:218)と論じた。 また、祝(2014)は 1939 年に旧「満洲国」政府が実施した モンゴル人に向けた日本語検定試験とロシア人に向けた日 本語検定試験の中にも、満洲人向けの日本語検定試験と同様 に、建国精神が求められた(祝, 2014:217)と指摘した。 さらに、祝(2014)は満鉄および旧「満洲国」政府の奨励 政策を比較し、奨励金の支給範囲、民族別による違い、支給 期間を明らかにした。 以上のことから、祝(2014)は、1938 年以後に試験の受験 者対象が拡大されたとしても旧「満洲国」政府の語学検定試 験の受験者は変わらず高等官吏が主であること、民族を問わ ずに旧「満洲国」政府および建国精神についての理解を求め ることから旧「満洲国」における人材養成の手段であったこ と (祝,2014:219-220)を主張した。 3)本研究の課題:旧「満洲」における日本語検定試験はどの ような機能を持つであろうか 祝(2014)の研究を検討すると、まず、1936 年と 1939 年 の二回の試験のみ選択し、旧「満洲国」政府の語学検定試験 の性格を論じることは不十分と考える。次に、祝(2014)が 分析したように、1938 年以後一般に開放した旧「満洲国」政 府の日本語検定試験は 1936 年の試験と出題傾向が同じで、 官吏向けの名残があるとするならば、あえて試験を一般開放 する意味は何であろうか。その意味で、当試験は本当に「人 材養成」(祝 2014:220)のために作られてきたのか。 また、祝(2014)は旧「満洲国」政府の、1939 年にモンゴ ル人に向けた日本語検定試験も 1939 年にロシア人に向けた 日本語検定試験も満洲人に向けた日本語検定試験と同様に 旧「満洲国」に対する認識や建国精神に対する理解を期待し た(祝, 2014:217)と指摘した。では、何故にわざと満洲人、 モンゴル人、ロシア人に向けて別々で出題したのか。 さらに、祝(2014)も試験の奨励政策について分析してい るが、それらについては試験の関連情報として扱い、紹介に 留まっている。ただ、一度合格するとずっと奨励金がもらえ る方法と、一度合格すると支給期間以内に奨励金がもらえる 方法、と支給期間が切れた時にさらに上級の試験を合格しな ければならない方法、は異なる奨励政策であり、受験者を誘 因した程度が異なるであろう。 以上のことから、旧「満洲」における日本語検定試験は 1938 年を転換点として、受験者の拡大により試験の性格も変わっ た可能性がある。それは祝(2014)が論じた旧「満洲国」に おける「人材養成」(祝 2014:220)であるかについては、史 料の面でも機能の観点でもまだまだ再考の余地が十分ある といえる。 従って、本研究では、新たな一次史料として、1932 年と1933 年満鉄が社員に向けて実施した日本語検定試験、旧「満洲国」 政府の日本語検定試験に関しては1938 年、1940 年、1941 年、 1942 年の満洲人向けの試験および、1938 年のモンゴル人、 ロシア人向けの日本語検定試験を加えて、旧「満州」におけ る日本語検定試験を経時的に分析する。また試験の外的要因 にも注目し、さらに、語学検定試験に関する情報が多く掲載 された(李, 2013:107)『満洲国語』についても研究する。以 上を通して、旧「満洲国」における日本語検定試験の性格の 変遷を明らかにし、試験の機能を探求する。 第 1 章 実施主体の違いによる試験目的と測定方法 —満鉄と旧「満洲国」政府の場合 本章では、先行研究より新たな一次史料として、1932 年と 1933 年の満鉄が社員に向けて業務の円滑化するために実施 した日本語検定試験を分析した。その結果、1932 年と 1933 年に満鉄が実施した日本語検定試験において、主に社員の語 彙力、文法力が測定された上で、論理的思考力が必要である 文章力、文章から情報を読み取る理解力、提示された場面に 応じて質問することによって問題を解決できる能力も測定 されることがわかった。そして、社員の業務に関連する国家 時勢、法律、および一般業務などの内容が出題された。 そして、1936 年の旧「満洲国」政府の官吏に向けて職務の 伝達のために実施した満洲人の日本語検定試験は翻訳、作文、 書き取りの問題設定、及び日常生活における話を始め、教訓、 政治、および直接官吏の職務に関わる内容が出題された。 以上のことから、祝(2014)に比べ、本章では、満鉄と旧

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「満洲国」という実施主体の違いによって、試験の目的が異 なり、試験の測定方法も異なったということが明らかとなっ た。 第 2 章 受験対象者の拡大と測定方法 —1936 年と 1938 年の違いに着目して 本章では、満洲人に向けて実施した 1938 年から 1942 年ま での日本語検定試験を経時的に分析し、1938 年の受験者対象 が拡大した後の試験を 1936 年の官吏に向けた試験と比較し た。その結果、1938 年以後の受験者数の拡大とともに、試験 の測定方法における問題形式の面では、1936 年の試験は官吏 の職務に関する文章力、翻訳力を測定する作文、翻訳という 問題形式が多く出題されたことに対して、1938 年から 1942 年までの満洲人全般に向けた試験は難しい翻訳よりも、日本 語の語彙、文法、日本語漢字の書き方と読み方についての 個々の言語要素についての測定が主であったことが明らか となった。 そして、出題内容の面では 1936 年の試験は官吏の職務に 関連する政治や法令に関する内容を多く出題したことに対 して、1938 年から 1942 年までの満洲人に向けた試験は政治 に関する内容も一部出題されていたものの、ほとんどは一般 民衆が解答できる教訓、日本民俗・文化、道徳規範および満 洲人向けの中国の伝統思想文化を主に出題していたことが わかった。 以上のことから、第 2 章では、祝(2014)の研究とは異な り、1936 年の旧「満洲国」政府の試験と 1938 年以後の試験 の異なる点に注目し、さらに 1938 年、1940 年、1941 年、1942 年の新たな一次史料を加えて、経時的な分析を行った。1938 年以後の試験は政治に関する内容は出題されたが、官吏の職 務に関連する内容が出題されなくなり、一般の一般民衆が解 答できるような問題形式と内容になったという祝(2014)と は異なる結論を出した。 第 3 章 外的要因による普及促進 本章では、旧「満洲国」政府の語学検定試験の特殊な奨励 政策を外的要因として分析した。その結果、試験の合格によ り奨励金が支給されるが、奨励金の支給期間が満了して、再 び奨励金を得ることを望む場合に、同じ等級及び上級の試験 を受験することができる満鉄の奨励政策と比べ、旧「満洲国」 政府の語学奨励政策は奨励金の支給期間が満了して、再び奨 励金の支給を望む場合、さらに上級の試験を受験して、合格 しなければならないと規定した。特殊な奨励政策だけではな く、試験が就職、資格や社会地位と連結しているかについて も外的要因として分析した。その結果、旧「満洲国」政府の 日本語検定試験に合格すると、昇進などによって社会的地位 が上昇し、他の者の尊敬を集めることもあった。 さらに、文官試験における語学科目試験が免除される条件 となり、官吏制度と連携されていたことがわかった。奨励金 が支給されること、就職や前途に役立つこと、三等に合格す れば文官試験の語学科目が免除されること、これらすべては 外的要因として旧「満洲国」政府の試験を受験させることを 誘因したといえる。 祝(2014)も奨励政策を研究したが、奨励政策の紹介に止 まっている。以上のことから、第 3 章では、奨励政策の背後 にあったより上級の試験を受験させる奨励政策と就職や前 途に役に立つこと、三等に合格すれば文官試験の語学科目が 免除されることという試験を受験させる外的要因を明らか にした。 第 4 章 満洲人以外の日本語検定試験 本章では、1938 年と 1939 年 2 年分の旧「満洲国」政府が 実施したモンゴル人向けの日本語検定試験とロシア人向け の日本語検定試験について分析した。その結果、1938 年のモ ンゴル人に向けた日本語検定試験は旧「満洲国」・モンゴル・ ソビエトに関する国際事情などの翻訳の問題が多く出題さ れたが、1939 年のモンゴル人に向けた日本語検定試験は儒家 思想を借りて、建国精神を語った問題を出題したことがわか った。ところで、旧「満洲国」における対モンゴル人政策は、 1934 年には建国草創の日蒙友好、指導者の養成を行った。 1936 年以後は旧「満洲国」の一員であることが強調され、1938 年にはモンゴル人を他民族と明確に区別する方針は見られ なくなった。 一方、1938 年ロシア人向けの日本語検定試験は翻訳が出題 された以外にも、文法能力を測定する問題形式、例えば誤文 訂正も出題された。その内容の面では、ロシアおよび新政権 のソ連についての問題が多く出題された。1938 年に新学制が 実施された後、旧「満洲国」がロシア人向けの態度を変更し て建国精神を徹底する政策となった。しかし、民族政策の改 革による変化はロシア人向けの日本語検定試験の中には見 られなかった。さらに、1939 年の試験では建国精神はおろか、 ロシアおよび新政権のソ連に関する問題でさえ出題されず、 法律を守るという現代的な価値規範および日常生活に関す る話が出題された。 祝(2014)は、民族を問わず、満洲人、モンゴル人、ロシ ア人、日本人の日本語検定試験の中に、旧「満洲国」に対す る理解と建国精神が求められたと結論を出したが、本章は新 たに 1938 年の試験を加えて分析を行った。その結果、1938 年と 1939 年二年分の試験に限って、モンゴル人向けの日本

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語検定試験とロシア人向けの日本語検定試験は満洲人向け の日本語検定試験と内容と形式が異なり、それぞれに統一性 は見られなかった。 第 5 章 旧「満洲国」の危機下の『滿洲國語』 本章では、『滿洲國語』という雑誌を対象として分析した。 その結果、『滿洲國語』という雑誌を発行した機関、満洲国語 研究会は、官吏のメンバーが多く、しかもその会員の一部は 同時に旧「満洲国」政府の語学検定試験委員も務めたことが わかった。このような性格の機関が編集し、発行した『滿洲 國語』は日本人に向けた日本語の研究と満洲語の学習を目標 とする日本語版と満洲人に向けた満洲語の研究と日本語の 学習を目的とする満洲語版という二つの版があった。そして、 両方の目次は大きく異なっており、日本語版の中に日本文化、 日本精神、民族協和、新東亞新秩序、日本語政策及び日本語 教育などに関する文章が多く掲載された一方、満洲語版の中 では、言語の変遷、文学作品などの文章が掲載され、日本語 の地位、日本文化及び日本精神などの内容はあまり見られな かった。 日本語版における日本文化、日本精神、民族協和、日本語 政策及び日本語教育などに関する文章を分析すると、日本語 の習得によって、日本文化、日本精神を学習者に移植しよう という旧「満洲国」における日本語教育への期待が見られた。 以上のことから、第 5 章では、官吏のメンバーが多く、し かもその会員の一部は同時に旧「満洲国」政府の語学検定試 験委員も務めていた満洲国語研究会の発行する『滿洲國語』 について日本語版と満洲語版の相違点がわかった。また。日 本語版の日本文化、日本精神、民族協和、日本語政策及び日 本語教育などに関する文章を分析すると、日本語の習得によ って、日本文化、日本精神を学習者に移植しようという旧「満 洲国」における日本語教育への期待が見られた。 終章:まとめと今後の課題 旧「満洲」における日本語検定試験は満鉄の社員を対象と して、ただ社員の日本語能力を測定することによって会社の 業務を円滑化する段階から、1936 年旧「満洲国」政府の官吏 に向けて実施した段階を経て、1938 年以降の社会一般に開か れて実施した段階に至った。それとともに、日本語の社会的 普及を錦の御旗にして、試験内容の難易度を下げ、より簡単 な試験等級を創設することで、低語学力の者も大きな困難な しに受験可能となった。このことから、試験が官吏向けから 一般民衆向けのものに転換したと言っても良いであろう。ま た、上級の試験を受験することを奨励する特別な奨励政策が 規定され、語学検定試験と社会的地位の上昇を連携した受験 誘因も作られた。さらに、日本語の習得によって日本文化、 日本精神を移植しようという日本語教育への期待のもとで、 異なる民族に対して異なる内容を出題し、試験においても満 洲人に向けた語学検定試験に関する雑誌においても建国精 神に関する内容にはあまり触れなかった。 以上のことから、日本人以外の民族は日本語を習得するこ とが自然に有利になっていくことになった。日本語習得とい う趨勢に従うことで、より快適に旧「満洲国」で生きていく ことができるという環境が形成されるようになった。一般民 衆に向けて日本語を習得することが有利な環境を作り、日本 語がより簡単に普及できるようになったということは、主に 官吏に向けた旧「満洲国」における人材養成の手段というよ りも、母語が日本語ではない者に対して、試験が果たした政 治的機能といっても過言ではないであろう。 その結果、1938 年以来、受験者の人数は激増した。1922 年、 満鉄の日本語検定試験では 200 人程度の受験者があったが、 1941 年に試験は 1937 年(受験者数 4841 人)の 6.43 倍にあた る 3 万 1169 人という人数(石, 2005:84)に急増した。 旧「満洲」における語学検定試験は、満洲人、モンゴル人 及びロシア人に向けた日本語検定試験だけでなく、日本人向 けの満洲語、モンゴル語、ロシア語検定試験も存在した。他 にも官吏となるための文官試験、記者となるための資格試験 も存在した。それらの試験の研究によって、旧「満洲」にお ける試験制度への知見を深めることが今後の大きな課題で あろう。 3.主要参考文献および史料 李素楨, 2013,『日本人を対象とした旧「満洲」中国語検定試 験の研究』文化書房博文社. 酒井順一郎, 2009,「滿洲國政府語學檢定試驗の歴史的意味 -日本語試験を中心として」,『日本語教育』142,p123-133. 石剛, 2005,『日本の植民地言語政策研究』明石書店. 祝利, 2014,『「満洲国」における「民族協和」下の人材養成 と日本語教育』博士学位論文, 九州大学. 竹中憲一, 2000, 『「満州」における教育の基礎的研究・中 国人教育 3』柏書房. 國務院總務廳人事處,1937『滿洲國政府語學檢定試驗問題集 附講評篇・規程篇』. 滿洲司法協會,1943『考試年鑑』. 滿洲國語研究會,1940『滿洲國語』. 滿洲司法協會,1942『滿洲國政府語學問題及解答全集』. 滿鐵社員會,1932『協和』,84 号. 滿鐵社員會,1933『協和』,107 号. 民生部教育司,1940『滿洲國政府語學檢定試驗問題集』.

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