メキシコ,ユカタン・マヤの雨乞い儀礼(一)
著者 吉田 栄人
雑誌名 人文論集
巻 47
号 2
ページ A1‑A55
発行年 1997‑01‑31
出版者 静岡大学人文学部
URL http://doi.org/10.14945/00008905
メキシヨ,ユカタン・ マヤの雨乞い儀ネ
L(― )
栄 人 吉
田
1
論文の 目的本稿 はメキシコ,ユカタン半島におけるチャ・チャーク 滋 し'θ滋滋(雨乞い)
儀礼の比較研究 を行 なうための基礎的な民族誌データを提供す るとともに,そ
の分析のための指針 を設定 しようとす るものである国。チャ・チャーク儀礼に関 してはすでにメキシヨ内外のフォークロア研究家,文化人類学者 らによってい くつ もの報告がなされている。 しか しなが ら,それ らの記述の多 くは断片的な ものであ り,比較研究 に耐 え得 るデータを提供 した ものは極 めて少 ない。特 に,
地域的な偏差 に注 目した研究 は皆無であると言って もよい。 また地域的な差異 に限 らず,フ・メン λ‐2ιπと呼ばれ る祈薦師が唱 える祈薦の内容 は,祈薦師毎 によって,場合 によっては同一の析薦 師であって も祈備の度毎 に異 なっている のが実状 である。 そうした事実 は比較的知 られていなが ら
(cf.Hanks 1984),
実際 には祈薦 の比較研究 は進んでいない。 それ どころか,祈薦 の全文 を紹介 し た研究す ら数少ないのであるИ。フ・ メンが唱 える祈薦の内容 は奥儀的な面が強 く,一般 の人々には理解不可 能であるとされてきた (cf.R.Redfield and A.Villa Roias 1934:74‑75)。 実 際,非常 に早 口で祈薦 を行 な うフ・ メンもお り,祈薦 を聞 き取 ることが困難 な 場合 も多々ある。特 に,祈薦 に登場す る神の名や地名 な どの固有名詞の多 くは 一般の人々 には馴染みのないものであるため,それ を聞 き分 けることは困難で あろう。 しか し,フ・ メンの祈稿 は決 して特別の訓練 を受 けた者だけが理解可 能 な秘密言語で行 なわれ るわ けではないため,日常会話で用い られない祈薦特 有 の言い回 しを除 けば,神々への呼びかけな ど祈薦 の根幹的な部分 はマヤ語話 者 ならば理解可能であると考 えて間違 いない。実際の ところ,フ・ メンたちの 多 くは師 となるフ・ メンに付いて回 り聞 き覚 えた,あるいは様々な機会 に聞 き か じつた祈薦 をベースに自己流 にアレンジしているようである回。また,儀ネ
Lの
神聖 さを汚す ような行為 を行 なわない限 り,調
査者が祈薦文 を録音 した り,テ
ープ起 こしした祈薦文 に関 して確認 を取 つた りする作業 に特別の規制 はかけられ ない。要す るに,チャ・ チャークの祈稿 を採取することは比較的容易 なのであ る。
本稿では筆者が1995年のフィール ド・ワーク期間中に観察す ることので きた 二つのチャ・ チャーク儀ネ
Lの
祈薦の全文 を記載す るE41。 ただ しスペースの関係 上,こ
れ を二回に分 けて報告す る。前編ではかつてのエネケンhenequ6n地帯回 に位置す るティムクイTimucuy村のチャ・チャーク儀ネLを
,また後編では柑橘 類 な どの果樹栽培が盛 んなユカタン州南部 の町オ シュクツカブOxkutzcabのとある灌漑農園で行 なわれたチャ・ チャーク儀礼 を取 り上 げる。記載す るマヤ 語 の祈薦文 はいずれ も筆者が録音 した ものか らネイティブのマヤ語話者がテー プ起 こしを行 ない,それ に筆者が修正 を行 なった ものである。 日本語訳 はテー プ起 こしをしたネイティブが添付 したスペイン語訳 を参考 にしなが ら,筆者が 行 なった ものである。オ シュクツカブの祈薦 に関 しては部分的ではあるが フ・
メン本人 に確認 を行 なった。
2
チ ャ・ チ ャーク儀礼の概要個別の事例 を紹介す るに先立 って,まず,チャ 0チ ャーク儀礼 は一般 にどの ように理解 されて きたのか,その概要 を述べてお く必要があるだろう。 ここで は,チャ・チ ャーク儀礼のみな らずユカタン・マヤ国に関す る議論では必ず引用 され る,R.Redfield&A.Villa Roias(1934)の α物%んπ
:4均
"7脇
姥降(以下本稿では『チャン・コム』 と表記す る)と A.Villa Raas(1978)の ι EJ づαθs tt D腕 。を中心 にその儀礼的特徴 を整理することにしよう。なお,前
者の舞台 となったチャン・ コム村 (ユカタン州)はかつてのエネケン栽培地帯 の外 に位置 し,村人の生業 は トウモロコシ栽培 を基本 としていた。 また,後者 で記述 されたクル ソー・ マヤの諸村落 (キンタナ・ ロー州)でも,農閑期 には チクレ・ ガムの採取が行われていたが,基本的 には トウモロコシ栽培が生計 の 中心だった回。
2.1
チ ャ・ チャーク儀礼の時期北緯16度〜22度の間に位置するユヵタン半島 はそのほ とん どが,ケッペ ン の気候区分でAwかAmwの亜熱帯性 の気候帯 に属す国。半島のほぼ北半分 は 夏が雨期,冬が乾期 になるAwで,南半分がAwよ りも雨量が多少多い
Amw
である。チャン・コム村 はAw,クル ソー・マヤの諸村落 はAmwに属 している。
‑2‑
Aw,Amwの
いずれの地域で も雨期 は通常 5月 ない し6月か ら9月 前後 までで あるが,年によってかな りの変動がある。また,9月と 10月 はハ リケーンの到 来 シーズ ンである とともに,大陸性の低気圧の南下 によってノルテ と呼ばれる 北風 が吹 き,雨が降 りやす くなる。降雨量 はAwの地域で,年間 1,000ミ リ前 後であるが,これ も年や場所 によって開 きがある。実際,同じ村 の中でさえ,ある畑では十分 な雨が降って も他の畑ではほ とん ど降 らない といった こともよ くある。 また,ユカタン半島には地表 を流れ る河川がほ とん どないため,灌漑 は基本的に天水 に頼 ざるを得ない。つまり,ユカタンの農業 において,水不足 はこうしたユカタン半島の地理的気候的な自然環境 の制約の下で恒常的な問題 として存在 してお り
,チ
ャ・チャーク儀礼 はユカタンの農業サイクルの一部 を構 成するものであるとみることも可能である (cf.Teran and Rasmussen 1994)。ユカタンの伝統的な焼畑農業では乾期 に森 を切 って木 を乾か し回,雨期直前 にこの切 った木 を焼 き,数日後 に種蒔 きを行 う。今 日,ユカタンで最 も普及 し ている トウモロコシはシュ・ヌク・ナル χ‐%滋‐πα′と呼ばれ るもので,播種か ら 結実 までに4〜5ヶ 月 を要す るl101。 っ まり, 5月に種 を蒔 けば 9月 頃 には収穫 がで きる。原理的にはこの間にチャ・ チャーク儀礼が行われることになる。
ビジャ・ ロッハスによると,クル ソー・ マヤでは各 ミルパ耕作者が種蒔 き直 後の8日間 ウ・ハ ンリ・チャーコー%‐滋απみ θ滋滋οしみ[チャークの食事]と呼 ばれ る儀礼 を行い,雨が きちん と降って くれ るように祈 る(Villa Roias 1978)。
そ して, トウモ ロコシの芽 が出てか ら成長 す る6〜7週間 にわたってオ シュ デ ィアス は無 また はマ タ ン
%α
″%の祈 りと呼 ばれ る儀 礼が各村毎 に行 わ れ,それ に引 き続いてオコッ トバタム σο力b歳滋%と呼 ばれ る儀礼が村人全員 参加の もとに行われ る。このオ コッ トバ タムが本稿で扱 うところのチャ・チャー ク儀礼 に相当す るものであると一般 に理解 される。しか し,オシュディアス も,トウモロコシ畑が神の庇護下 に移 った ことを神 に報告す ることが 目的であると い う点では,チャ・ チ ャーク儀ネ
Lの
一部 とみなす ことがで きる。雨乞い儀礼 は早魃が差 し迫 った危機 として感 じられ るようになった時 に行わ れると一般 には考 えられがちである。『チャン・ コム』では,チャ
:チ
ャーク儀 礼が行 なわれた経緯 を次のように記 している。早魃が予感 され出 した 7月 の半 ば,チャン・ コム村の人々は個々に教会の礼拝堂でロウソクを燃や して村 の守 護聖人 に祈願 を始 めたElll。 しか し,それで も雨が降 らず,危機感が村人全体の 共有するところとなった ところで,村をあげてのノベナ リオ(ロザ リオの祈 り)が村の守護聖人,聖なる十字架,聖なるキ リス トに対 して次々に行われた。 そ
れで もまだ雨が降 らないため,最終的 にチ ャ・ チ ャーク儀ネ
Lが
行われ ることに なった とい う。 これが8月の末の ことであるl121。 ところが,上記のオ コッ トバ タムは雨が降って も降 らな くて も8月か ら9月にか けて行われ る (Ibid.)。 ま た,鈴木 (1989)や Maas Colli(1991)も チ ャ・ チャーク儀礼が年中行事の一 つ として行 なわれていることを報告 している。筆者が知 る限 りで も,雨の量 に 関係 な くチ ャ・ チャーク儀礼 を毎年実施 している村 は多い。トウモロコシ栽培 において水 (雨)が必要な期間は限 られている。 その意味 ではチャ・ チャーク儀礼が行 なわれ る時期 も限定 されている。つ まり,雨が必 要 とされる期間にだけ,しか も雨が不足気味の ときにだけ行なえばよいはずで ある。 しか し,後で詳 しく述べ るように,ユカタン・ マヤの人々にとって雨 は 神々 (の意志)によって もた らされ るものである。つ まり,神々への懇願の時 期 は必ず しも トウモロコシの生育期間 と一致する必要 はない。場合 によっては,
トウモロコシが水 を必要 とす る時期 よりもずっ と前 に雨 に関す る契約 を神々 と の間に結ぶ ことも可能 なはずである。だ とすれば,チ ャ・チャーク儀ネ
Lは
Teran and Rasmussen(1994)が 想定す るような トウモロコシ栽培 の農業サイクルか らは独立 した もの として実施す ることが可能である。チャ・チャーク儀ネLの
「年 中行事化」 は,チャ・ チ ャーク儀礼が単 に早魃 に事後的に対処す るためだけで な く,神と人間 との間に雨 に関す る契約 を事前 に取 り交わす ことを可能 にする ものであることを示 している。2.2
儀礼の過程チャン・ コム村 の場合,チャ・ チャーク儀ネ
Lは
3日 間にわたって実施 される。1日 目には村外れの藪が切 り開かれ儀礼用の祭壇の設営が行わ る。 そして,そ
こに近 くの森のセノーテcenote(石灰岩の岩盤が浸蝕 されてで きた天然の井戸 あるいは洞窟)から儀礼で使用する水が運 ばれる。儀礼 に参加する者 はこの儀 礼 の場で 3日 間寝泊 ま りしなければな らない。チャ・ チャーク儀ネ
Lに
参加する 者 には事前の禁欲が求 め られることもある。2日目にはフ・ メンの占いに従 っ て鹿狩 りが行われる。鹿 はその 日の内にピブ タあ(土蒸 し)料理 にされ,祭壇 に 供 えられ る。 3日 目が儀礼の本番で,森や雨 など自然 を司 どる神々 に対 して供 物が供 えられ,フ0メ
ンが雨乞いの祈薦 を唱 える。一方,クル ソー・ マヤのオ コッ トバ タムでは 1日 目の水汲みが儀礼の過程の中には組 み込 まれていないた めl133,儀礼 は 2日 間で終了す る。チ ャ 0チ ャーク儀ネ
Lの
中核 をなす3日目は,William Hanks(1990)の分類‑4‑
を用いれば,サカ 協滋み(石灰 を加 えずに煮た トウモロコシをす り潰 して水 に溶 いた儀礼用の飲物)とバルチェ酒 み滋″力〆 (バルチェの木の皮 を発酵 させ,蜂
蜜 を加 えた酒)だけを供 えた「水祭壇」
(liquid altar)と
,主にピブ (チャン・ コム村では トゥティ。ワー勿み励 )と呼 ばれ る トウモロコシのパ ンや鶏類 の 料理 を供 えた「料理祭壇」(food altar)の
二つの儀礼テーブルを中心 に展開す る。ハ ンクスによると「水祭壇」 は神々を儀礼の場 に呼び寄せ,儀礼 の場 に縛 りつけることがその目的である(Hanks 1990)。
この「水祭壇」で もフ・ メン による祈薦が行 なわれ る。早朝 にこの「水祭壇」の儀式が行われた後,「
料理祭 壇」用の供物 の料理が始 め られ る。『チャン・コム』 はこの料理のプロセスにつ いて詳 しく述べていないので,筆者が観察 したチ ャ・ チヤークを もとにその様 子 を簡単 に再現 してみよう。儀礼の場で鶏や七面鳥が しめ られ,羽をむ しって解体 した後,パ イラ
pailaと
呼 ばれ る大 きな鍋で水煮 にされ る。 これに調味料や様々な香辛料 を加 えてさら に煮込む。一方で,ピブ作 りが平行 して行われる。 まず, トウモロコシのマサ masa(ゆでた トウモロコシを挽いた もの)を
こぶ し大 にちぎって丸 め平た くし,その上 にす り潰 して水 に溶 いたカボチャの種のペース トを塗 る。 これを数枚重 ねてバナナの葉で くるむ。 これがノー・ ワー%″徽
%力
と呼ばれ るものである。残 ったマサ にはカボチャの種のペース トを直接混ぜて丸 め,そのままバナナの 葉で包 む(ナバル・ ワーπα滋み紗 力)。 地面 に50 cm程の穴 を掘 って大 きな石 を 敷 き詰 め,その上で薪 を燃や して事前 に温めておいた地下オーブンにこの トウ モロコシの ピブを並べ,ιοι(学術名
Cb励
厖s磁
″滋α%α)の葉 な どで覆 った 後,上を被せ る。2時間 ほ どで焼 きあが る。掘 り出 された ピブは,ナバル・ワー 以外 は祭壇 に並べ る。ナバル・ ワーは細か く砕 いた後,煮込んであった トリの 煮汁 に入れ,コール ″ω′もしくはヤーチ メ 物σ″ と呼ばれるスープにされる。これ らの作業 は,マサの準備 を除いて全て男性が行 な うことになっている。女 性 は神の機嫌 を損ねるとして儀礼の場への立 ち入 りが厳 しく禁止 され る。
供物 の準備が済み,祭壇 に供 えられ ると,フ・メンが雨乞いの祈薦 を行 なう。
この「料理祭壇」の儀式 は呼び集められていた神々が供物 を食す ることを表わ す ものである。祈稿の最中,ク ンク・チャーク カ物π々物‐σ滋激 という雨の神 を摸 した男性が祭壇か ら少 し離れた場所で山刀 を叩いて雷の音 を表現 した り,祭壇 に片足 を括 りつけられた4人の子供たちが蛙の鳴 きまねをする。 フ・ メンの祈 薦が終わ ると人々は祭壇の側 を離れ,ク ンク・ チャーク と蛙役の子供たちだけ が祭壇の下で供物 を食べ る。
こうして「料理祭壇」の儀式が終わ ると,参加者全員がその場で供物の一部 を食べ
,残
りを全員で分 けて家 に持 って返 ることになる。呼び寄せた神々が持 っ て来たか もしれない悪い霊 を取 り除 くために,フ・ メンがバルチェを参加者全 員 に振 り掛 ける楔 ぎが行 なわれて,チャ・ チャーク儀ネLは
終了す る。クル ソー・ マヤのオコッ トバタムでは「料理祭壇」の儀式 において,マヤの
神々への祭壇 の他 にカ トリックの教会内にも別の祭壇が用意 され,村の長が ロ ザ リオの祈 りを行 なうな どチャン・コム村の場合 とは多少異なった様式 を取 る。
しか し,カ トリックの教会内部でチャ・ チャークの儀ネ
Lが
行 なわれ るのは,村の教会 にカ トリック教会の支配が及 ばないクル ソー・ マヤのような場合 にのみ 見 られ る現象であ り,極めて特殊 なケースである。通常 は,チャン・ コム村の
ような形式 を取 ると考 えて差 し支 えない。
2.3
儀礼の構造チャ・ チャーク儀ネ
Lの
構造 はレッドフィール ドとビジャ 。ロッハスが整理 し たカ トリックとマヤの儀礼の対立図式 (Redfield and Villa Roias 1934:125;Villa Roias 1978:313)を 参考 に考 えると分か りやすいだろう。その主要な も のをまとめると、およそ次の表のようになる。
表
ユカタン・ マヤにおける儀礼の構造
カ トリックの儀礼 マヤの儀ネ
L儀礼執行者 マエス トロ 0カ ン トール
フ0メ ン 祈 薦ロザ リオの祈 り
(スペ イ ン語
)マヤ語 による祈薦 対 象 とな る神格
イエス/聖人/聖母三位一体
/聖人
/聖母
土着の神々
場 所 屋 内
屋外・ 仮 設 の祭壇
供 物
ア トー レ
レジェー ノ・ ネグロ
(七面鳥/鶏/豚
)π滋″'/σ″滋影%たりπ[14]
サカ/バルチェ ピブ/コール
(七面鳥
/鶏/野
生の動物)滋b勿/■滋′/sわ滋〆l141
女性 の参加
あ り な し2.3.1
儀礼の執行者 と祈疇儀礼の中心 となる祈薦 は,ノベナな どのカ トリックの儀礼では専門の祈薦師
‑6‑
が必要な場合 に限つて教会関係者が呼ばれ る。上の表 にあるマエス トロ・ カン トールmaeStro cantorは司祭が不在 の場合 にロザ リオな どの祈薦 を代行 す る 村人である。現在で はレサ ドーラrezadoraと呼 ばれ る女性が これ に取 って代 わ ることが多い。 これに対 し、チャ・ チャーク儀礼な どマヤの儀礼の祈薦 は必 ず フ・ メンによって行 なわれねばならない。 フ・ メンは単 に祈薦 を行 なうだけ でな く,会場 の設営や料理の手1頁な どを指揮 し,儀礼の進行 その ものを も監督 す る。なお,フ・ メンは農耕儀ネ
Lの
他 に,サンティグアール 磁%を笏″などあ る種 の治療儀礼 も行 なう呪医である。女性のフ0メ
ンの存在 もしばしば報告 さ れているが,通常 は男性である。 また,女性 フ・ メンの活動 は病気治療 な どに 限定 されがちで,基本的に女性 の参加が禁忌 とされ るチ ャ・ チ ャーク儀礼 な ど を担当す ることはない もの と思われる。儀ネ
L執
行者 としてのフ・ メンの活動領域 はカ トリックの典ネLと重 なることは ないが,フ0メ
ンが用いる祈薦 には三位一体や聖十字架,聖人,聖母 な どカ ト リックの要素が随所 に取 り入れ られている。 フ0メ
ンによっては「主の祈 り」な どカ トリックの祈薦文 をスペイン語の まま祈薦の一部 に加 えていることがあ る。また,フ・メンの祈薦の最初 と最後 には必ず,「父 と子 と聖霊の名 において。
アーメン。」(L′力1 滋:Dios L%%ι蒻
,Diosノ
И′力ιπみ笏,Dios Espiritu Santo.
Am6n。
もし くはスペ イン語で En el nombre de Dios Padre del Dios H10 del Esplritu Santo.Amёn。)とい うカ トリックの成句が用い られる。 フ・ メンがカトリック とは異 なる儀ネLコ ンテ クス トにおいて活動す る もので はあって も,
フ・ メンの祈薦 その もの,あるいはそれが表象す る世界 はカ トリックのシンボ ル に包含 された ものであると言 えよう。マヤ固有の信仰 とされ るチャ・ チャー ク儀礼 において もカ トリックの神格 は排除 されない。む しろ,雨や風の精霊 は カ トリックの聖人 などと同 じパ ンテオ ンに住 み,絶対神である三位一体の支配 下 にあるもの とみなされている。よって本稿 では,カ トリックの神(キリス ト),
聖人,聖母,雨や森の精霊 な どすべての神格 を総称 して神々 と称 している。
2.3.2
女性の排除チャン・ コム村ではチャ・ チャーク儀礼の参加者 は女性 を除 く村人全員であ るとされ る
(Redfield and Villa Roias 1934)。
一般 に,チャ・ チ ャーク儀礼へ の女性の参加 は制限され る。 また,供物 の料理等 に利用 される水 も女性が触れ るはずのない森の中のセノーテか ら汲 まなければな らない。さらに,『チャン・ コム』では儀礼前および儀礼期間中の性的交渉 も禁止 されることが報告 されている。 しか しなが ら,こ うした儀ネ
L的
コンテクス トか らの女性の排除は実は相 対的かつ限定的な ものである。た とえば, 3日目のピブ料理 に用い られ る トウ モロコシのマサは女性が準備 している。 この点 に関 しては,女性 の儀礼的負荷 (汚れ)が料理の過程で土蒸 しの熱処理 によって取 り除かれ るため,女性排除 の原則 に抵触 しない という解釈が可能であるE151。 この ことは,サカは男性が準 備 し,またそれ を溶 く水 は「処女水」(後
述)でなければならない とい う事実 に よって も裏付 けられ る。ただ,こうした解釈 は女性が完全 に排除 され ることに 対する構造主義的な一律的な解釈である。むしろ現実 には,女性の儀礼への参 加 には村 によってその許容度 にかな りの開 きがある。女性の汚れは二項対立的 な解釈つ ま りなシンタグマティックな方法で はな く,程度 の問題 としてパ ラ ディグマティックな方法 によって処理 されているとみるべ きである。汚れは儀礼の構造主義的なシステムによってその価値 を決定 され るものでは あって も,本来儀礼の失敗 な どか ら儀礼的構造への侵犯が問われることによっ て初 めて顕在化するものである。つ まり,少しぐらいの汚れ (儀礼的規範・ 伝 統への侵犯)は問題 にな らない,あるいは仕方ない と理解 されている場合 もあ り得 るはずだ。実際,クル ソー・ マヤのオ コッ トバタムでは女性が儀礼の場 に 足 を踏 み入れ ることが一部の場面 を除いて許 されている。 また,Maas Colli
(1991)によると,ソ トゥータ村 (ユカタン州)ではチャ・チャーク儀礼の一部 として女性 による十字架へのノベナが組織 されている。 これは儀礼的義務 を感 じなが らも儀礼の場への参加 を制限 された女性たちが,チャ・ チャーク儀礼 を 補完す るために開始 した ものであるとい う。 この女性 によるノベナは一時期, 男性のチ ャ・ チャーク儀礼で用意 された供物が女性のノベナの祭壇 に供 えられ
るな ど,男性のチャ・ チ ャーク儀礼 と協力関係 を持つ ようにまでなっている。
ただ,いずれの場合 にも,儀礼の過程 におけるフ・ メンの祈薦の場 に女性が列 席す る ことは許 されていない。 これ ら二 つの事例 だ けに限定 すれ ば,チャ・
チ ャーク儀礼か ら女性 を排除するとい う原則 は依然 としてフ・ メンの祈薦への 女性の列席の禁止 とい う形で機能 している。 しか し,後編 で取 り上 げるオシュ
クツカプの事例に見られるように,こ うしたチャごチャーク儀礼の「核心」部
を逆 に女性か ら隔離するといった方法 にも実 は限界がある。
とは言 え,こういった女性排除の原則 の実際的運用 とは別個 に,女性が儀礼 か ら排除 され ることの構造的意味 は依然 として存在する。 しか しなが ら,この 点 に関するユカタン・ マヤの人々の説明は上 に述べた ような トー トロジカルな もので しかない。女性 は儀礼 において負の価値 を持つがゆえに排除 されねばな
‑8‑
らないのである。 この女性性の負の価値が,ユカタン・ マヤにおける文化の規 貝Jに従 うものであることは論 を待たないが,この点 について詳細 に議論 された ことはない。ここでは,女性 を儀ネ
Lの
場 か らツト除す るという原則 はチャ・チャー ク儀ネLの
他 に,ピブを供物 として捧 げねばな らないヘ ッツ・ルーム カθお′励物π や ワヒ・ コール ω 力′力οο′な どにも適用 され るとい う事実 に注 目してみたい。つ まり,儀礼 における女性排除の原則 は供物の儀礼的価値 と通底する部分があ る と思われ るため,供物 の聖性 の分析 を通 じて この問題 を照射 してみたい。
2.3.3
供物の聖性チャ・ チャーク儀ネ
Lに
おいて神 に供せ られ るものは聖なるもの とされ,マヤ語では「処女」(,%%力の
)と
形容 され る。古代 マヤの儀式 において生 け贄 とされ る人間が本来処女でなければな らなかった とい う確証 はない。む しろ,この聖 なるものに対す る女性の生理学的状態 を用いた比喩的表現法 は,女性 とい う性 が「文化」のメタファー として使用 されていることを示す ものであると考 えら れ る。た とえば,儀礼用 に森のセノーテか ら運 ばれ る水 は「処女」水 (s%%力の 物')であ り,料理 に使われ る動物 も「処女」動物 (s%%力の α滋 ′)である。ただ し,森で捕 らえられた野生の動物だけが「処女」動物であ り,村で飼われ ていた鶏や七面鳥な どは「処女」動物 とはみなされない。村で飼育 された家禽 類 はバルチ ェで清 めることによって儀礼で使用す る ことがで きるようになる
l161。 すなわち,供物 に関 しては野生 :飼育=処女 (聖):非・処女 (非・聖)と
い う公式があ り,さらにノシレチェによつて この供物の儀ネ
L的
価値 を非・ 聖か ら 聖 に転換す ることが可能であるE171。こう‐
したユカタン・ マヤの「処女」性 は供物 を通 じて人間世界 をも構造化す る。すなわち,処女 :非・ 処女の関係 は野生 :飼 育=自然:人間に対応す る。
「処女」 は人間の手が加わ らない自然の状態 を指す。 それはユカタン・ マヤで は神の領域 に属す こと,神の庇護下 にあることを意味す る。 この自然 と人間の 対比 はレヴィ・ ス トロースの言 う自然 と文化の対立 と同一である。供物の聖性 の分析 を通 じて「処女」性が非文化的な もの,すなわち神の領域 に属 している ことを示すためのメタファーであることは理解で きる。 しかし,この文化的な 処女性 は,ジェンダー としての性 とどのように対応す るのであろうか。
ここでチャ・ チャーク儀ネ
Lの
水汲みの例 を考 えてみよう。ユカタン・ マヤの 日常生活 において料理洗濯 な どの水仕事 をす るのは基本的には女性である。 そ の意味では,男と女の性差 は水 とい う文化的事項 において構造化 され る。 しかし,ユカタン・ マヤにおいて男:女=自然 :文 化 とい う公式 を立てることは,
誤解 を招 く表現で しかないだろう。水 とい う文化事項 の儀礼的 コンテクス トヘ の挿入 において性差 は中心的なテーマではない と筆者 は考 える。水 と女性の結 びつ きは,むしろ水の文化的利用形態 を表わすためのメ トニ ミーである。すな わち,女性 は基本的に人間の文化化 された社会的領域である村の中だけで活動 するのに対 し,男性 は ミルパ を作 るために神 の支配する自然の領域(森
)に
入 っ て行かねばならない。森 は神の許 しを得て ミルパ とした場合 にのみ文化的領域 に転換 され るのであって,森の中のセノーテが男性 に属す ものであるということはない。「処女」水 とい う表現 は水が人間の文化的領域 の外部すなわち神の領 域か ら得 られることを示 しているにす ぎない。すなわち
,自
然(森):文化(村
)=男性 :女性 という形で文化の問題 を性の問題 に読み替 えること自体が実 は ミス リーディングである。む しろ,単に自然 :文 化=神 :人間なのであ り,女性 は 人間的領域のメ トニ ミー,女性性 は文化 のメタファーに過 ぎない。男 :女=非・
汚れ:汚れ といった解釈 は明 らか に行 き過 ぎた推論 である と言わ ざるを得 な い。
この ように考 えると,チャ・ チ ャーク儀ネ
Lに
お ける女性のリト除 は,儀ネLの
場 が神の領域であることを示すための儀礼的演出であることが見 えて くる。次節 に見 るように,チャ・ チャーク儀礼 にはマヤの宇宙(世
界)を再現す るための 様々な仕掛 けが凝 らされている。女性の排除 はそのための一つの仕掛 けであると言 えよう。
サカな どの儀礼的供物 も,この文化 (人間)と自然 (神)の対比 を表わす も の と理解す ることがで きる。サカはゆでた トウモロコシをす り潰 して水 に溶 い た ものであるが,ゆでるときに石灰 を入れない。 これに対 して,人間が 日常 に 食べる トルテ ィージャやア トー ンな どはゆで る際 に必ず石灰が加 えられる。つ まり,石灰の有無がサカの聖なる供物 としての儀礼的価値 を生成 しているわけ だが,サカの聖性 は石灰 を加 えるとい う一つの文化的行為の欠如 によって規定 されているのである。
ところで,上にのべた ように文化 と自然の対比 によってマヤのコスモロジー が再現 され るフ・ メンの儀礼 にはピブが不可欠な供物 となっている。 しか し,
ピブの聖性 はこの文化 と自然の対比か ら説明することは困難である。 ピブの利 用 はむしろ,祭壇 を飾 る花や葉 と同様 に「冷」 と「温」の分類 に対応す るもの であると思われる。 この「冷」 と「温」の対比 はメソアメ リカの疾病観 の根幹 をなす ものであるが,今日ユカタンの疾病 に関す る観念か らはかな り薄れて し
一
‑10‑―
まっている。 その意味では
,「
冷」と「温」の対比 によってピブの聖性 を導 き出 す ことは困難であると言わざるをえない。2.3.4
コスモ ロジー供物 を供 える祭壇 はマヤの儀礼で は屋外 に仮設 の ものが設置 され る。特 に チ ャ・チャーク儀ネ
Lで
は丸太 を組んだカー ン・チェ滋 しπσ力〆と呼ばれる四角い 台が村 はずれのやぶの中 (mOnte)に 作 られ る。 この祭壇が東西南北の方角を持 ち,またその四隅か ら天中に張 られた本 によって黄道 を表わす小宇宙であることはしばしば指摘 されて きた ところである。すなわち,儀礼用祭壇 は四柱の神 が四隅 を支 えるとされ るマヤの宇宙
(観
)のミニチュアである。実際,この コ スモロジーはフ・メンに祈薦の中にも表現 されている。 また,祈薦 をす る場合,フ・ メンは必ず祭壇の西面 に立 ち,東を向 く。雨 をもた らす神 は東か らやって くるとされ るためである。 さらに,神々 に言及す る場合,フ・ メンは祭壇の四 隅 を指差 し,該当する神が世界のその方角 に住む ことを明示す る。チャン・コム 村のチャ・チ ャーク儀礼で,チュン・ カーン磁%%π物 物
%と
い う東の果てに住む とされ るクンク・チャーク役 を演 じる男性が祭壇か ら8m程離れた東側 に配置 さ れ るの も基本方位 によって構造化 されたマヤの宇宙 を儀礼的に表現 している。チャ・ チャーク儀礼 においてはこうした宇宙構造の再現だけでな く,雨が儀 礼的 に演出される。雨が降 ると言って も,ユカタン 0マ ヤに とってそれは単な る自然現象ではない。雨 は神が水 を撒 くことによって初 めてもた らされるもの なのである。ユカタン・ マヤでは馬 に跨がったチャーク神が,クンク・ チャー クさらには聖人サ ンティアゴな どの命令 に従 って,セノーテか ら水 を汲 んで瓢 箪 に入れ,それを空か ら撒 くことによって雨が降 るとされるE181。 それゆえ,フ・
メンが祈薦 を行 なう間,助手が時折雨 にみたてたバルチェを祭壇 にふ りまく。
また,ク ンク・チャーク役の男性が雷のような叫び声 を上 げた り,ルル%(稲妻 を起 こすためにチャーク神が持つ とされ る振 り棒)にみたてた木の山刀 を振 り 回 して稲妻 を光 らせ る。 こうして雨が降 り始 めた ことが,祭壇 の下 に身 を隠 し た子供たちが蛙の鳴 き声 を真似することによって人々 に告げられるのである。
3
テ ィムクイ村のチ ャ・ チャーク儀ネL
3.1
社会的・ 文化的背景ティム クイ村 はユ カ タ ン州都 メ リダ市 の南 方約20 kmに位 置 す る人 口 4,808人,世帯数777戸の農村である。かつてはエネケ ン栽培が主た る産業で
あったが,エネケン産業が衰退 した今 日,村内に生計 を立て る術 はほ とん どな い。1990年の統計 (INEG1 1992)に よると男性 の就業人 口1291人の主な内訳 は,農業や牧畜業735人,製造業11人,建設業275人である。しか も,農業従 事者で専業 はわずかに56人しかいない。残 りは日雇労働者である。また,周囲 の土地 はほ とん どがエネケン畑 に利用 されてきたため,焼き畑 に使用可能な土 地 は少ない。つ まり,ティムクイ村では伝統的な焼 き畑 による トウモロコシ栽 培 を行 な う住民 はごく限 られているのである。
州都 メ リダを取 り巻 く北西部の旧エネケン地帯 は社会・文化の世俗化が進み, ユカタン東部や南部 に比べて文化変容の度合いが一般 に高い とされる。特に,
使用言語 に関 してはスペイン語化が進んでいる。 ところが,ティムクイ村 はメ リダに非常 に近い位置 にあ りなが らマヤ語使用者の数 は極 めて多い。1990年の 統計では5歳以上の住民4131人中4049人がマヤ語使用者である。 もちろん,
マヤ語の単一言語使用者 は少ないが,日常生活 においては依然 としてマヤ語が 使用 されている。 また,5歳以上の住民の内,3699人がカ トリック教徒で,近
年州 レベルで は改宗者が急増 しているプロテスタン ト系セク トの信者 は210人 に止 まっている。一般 に,プロテスタン ト系の信者 はチャ・ チャークのような 土着の儀礼への参加 をも拒否する傾向にある。 これはチャ・ チャーク儀礼 にカ トリックの諸聖人への祈薦が含 まれていることと,プロテスタン ト系宗教が偶 像崇拝 を禁 じていることの二つの理由によるものである。結局,ティムクイ村
に限 らず,チャ 0チ ャーク儀礼 は今 日のユカタンの宗教的実践か ら見 るとカ ト リック的な慣行 として行 なわれ ることになる。
チャン・ コム村 などではチャ・ チャーク儀礼 は従来村人全員の参加 によって 行 なわれ るとされてきた。しか し,人 々の経済活動が多様化 し,Redfield(1941) が言 うような村の規範の世俗化や個人主義化が進む と,チャ・ チャーク儀礼 は 村全体の利害 を反映 した共同体儀礼 として実施す ることは難 しくなる。特 に, ティムクイ村のように ミルパ耕作者が少な くなると,チャ・ チャーク儀ネ
Lの
必 要性 を感 じる人 は少な くなるはずである。ティムクイ村のチャ・ チャーク儀礼 を実際に行 な うのは ミルパ耕作者 を中心 とす る一部の人たちであるが,彼らは「チャ・チャーク儀ネ
Lは
村全体で行 な うものだ」と主張す る。彼 らはチャ・チャー ク儀礼 を組織 し,村人 に参加 を呼びかけて回る。志 ある人 は儀礼の場 に参加 し な くとも,儀礼 に必要な ものを寄付 して くれ るとい う。現実 には全員参加では な くとも,儀礼への参加が村人全員 に開かれているとい う点で,また呼びかけ がある種 の社会的な拘束力 を持 ち得 るか もしれない とい う点で,チャ・ チ ャー‑12‑
ク儀礼 は彼 ら主催者が言 うように村全体の行事 とみなす ことができよう。筆者 は この主催者側 の認識 と実際の社会的現実 との間 に どれだけのずれがあるの か,また主催者の筆者への発言が どういった社会的・ 政治的意味 を帯びている のか を計 り得 るだけのデータを入手することはで きなかった。すなわち,こ こ でティムクイ村が社会組織,あるいは道徳的規範 としての共同体性 をどれだけ 維持 しているのかを数的データ として提出す ることはで きない。ここではただ,
チャ・ チャーク儀礼の責任者 は9年毎 に交代することが期待 され,また この役 職 は政治的 リーダーシップ とかな り強い繋が りがある可能性 を指摘するに止め てお きたい。
3.2
儀礼の過程1995年のチャ
0チ
ャーク儀ネLは
7月 1日 (土曜 日)と 2日 (日曜 日)に行 なわれた。 この年 は例年 にな く雨が少な く,早くか ら早魃 が危惧 されていた こともあって,チャ・ チャーク儀ネ
Lは
あち こちの 村で行 なわれていた。ティムクイ 村 のチャ・ チ ャーク儀礼 を行 なっ たアカンケー村の フ・ メンは,数週間後 までチャ・ チャーク儀礼の 予約がびっしり詰 っているとの こ とだった。 しか し,ティムクイ村 のチャ・ チャーク儀礼 は特 に早魃 とは関係 な く毎年 この時期 に行な うことになっている。
ティムクイ村のチャ・ チャーク
儀 礼 は祭壇 の設営 な どの準備 を除 くと実質上
2日間 で行 なわれ た。筆者 は儀礼 の一部始終 を見 る ことはで きなか ったが
,チャン 0コ ム村 のチ ャ
0チャー ク儀 礼 の
1日目に当た る鹿狩 りが省略 され ただ けで後 はほぼ同 じで あった
[期。そ こ で本稿 で は
,今まで ほ とん ど紹介 された こ とのない水汲 み と最終 日の料理 のプ ロセス を中心 にテ ィム クイ村 のチ ャ
0チャー ク儀ネLの 様 子 を紹 介 す る こ とに し よ う。
写真
1水汲みの祈薦 を唱えるフ・ メン
3.2.1
セノーテの水汲 みティムクイ村では儀礼で用い られ る水 はすべて森の中のセノーテか ら運 ばれ る。 この水汲みの作業が 7月 1日 フ・ メン同行の下 に行われた:水汲 みは午前 中早朝 に行 われ る予定 だつたが,隣村 のアカ ンケーか ら呼 ばれた フ・ メ ンが チャ・チャーク儀礼委員会の代表
(presidente)の
家 に到着 したのは8時を回っ ていた。水汲みに出かけたのは大人子供 あわせて男性 ばか り20名程度である。ポ リタンクや瓢箪な ど水 を入れ る容器やサカ用のマサな どを荷台付 き三輪車 に 積 み,自転車 と徒歩でセノーテヘ向か う。 目的のセノーテは村 の西方約2 km
離れた,以前 はエネケン畑だったやぶの中にあつた。平坦な土地 に直径
lm程
の丸い穴が開いている。中は最大
5m位
の高 さの洞穴 になっている。奥行 きは10m程あ り,最深部の岩の割れ 目の奥 に水が溜 まっている。
全員がセノーテに到着すると
,ま
ずサカが供 えられ,水汲みの許 しを得 るフ・ メンの祈薦が行われた。祈薦 に先立 って,セノーテの入 り回の西側 に平たい大 きな石が置かれ,儀礼用の簡易テーブルが作 られた。 この石の上 に二つの大 き な ヒーカラjicara(瓢
箪 の実 を二つに割 って中を くり抜いた容器)が置かれ,その中にフ・ メンが 自分でマサを水 に溶 いてサカを用意 した。 さらに,石の西側 で東 を向いて立 つたフ・ メンは2本のロウソクを石の上 に立て火 を付 けると, 立 った まま両手 を前 に組 んで祈稿 を行 なった (写真1)。 この時,フ・メンの後
ろにはチャ・ チャーク儀礼委員会の代表者が助手 として付いた。祈藤の最中に フ・ メンはこの助手 に儀礼委員会のメンバーの名前 を尋ねた。祈薦 を終 えると フ0メ ンは参加者 に対 して「 ご機嫌 よう (おはよう)」 と声 をかけた。 これに対 して人々 も「 ご機嫌 よう (おはよう)」 と応 えた。
このフ・ メンの祈薦の後,セノーテの入 り口か らロープが垂 らされ,若い連 中が水 を汲みにセノーテの中に入 る。懐 中電灯 とロウソクの火 を頼 りに水 を汲 む。タンクに入れた水 はリンー式 に一つずつ外へ運び出す。用意 した容器のす べてが小一時間ほどかかつてようや く一杯 になると,全員がセノーテか ら出た ところで,フ・ メンが再び祈薦 を始めた。 この祈躊 は非常 に短い もので,しか
も周 りの人が気づかないほど小 さな声で簡単 に行われた。祈薦が終わると
,フ
・ メンは供 えてあつたサカを直径15 cm程の大 きなプラスチ ックのボール に入 れて人々に配 り始 めた。最初 のい くつかを自分でやつた後,フ・ メンは残 りを助手 に任せた。受 け取 つた人 はそれを全部飲 み干 し,助手 に返す。全員 にサカ が行 き渡 ると,ロープが引 き上 げられ,荷物 をまとめてチャ・ チャーク儀ネ
Lの
場所へ直接向か う。
3.2.2「
水祭壇」セノーテの水がチャ・ チャーク儀礼の場 に運 ばれ ると,フ 。メンは大 きな土
製のボール
(caiete)に
バルチェを作 り,儀礼 テーブルの前 に置 く。一方,会場 の隅では男たちがサカ用の とうもろこしをゆで始める。 ゆでた とうもろこしは 手動の粉挽 き機で挽かれ,すぐにフ・ メンに渡 され る。 フ0メ
ンはサカを作 っ て 物%磁 の ヒーカラに入れ,祭壇 に供 える。また,チュユブ ル1の%ι(蔓を丸 め たわっか)に乗せて儀礼テーブルの四方の本 にも吊す。 こうして「水祭壇」の 準備が整 うと,フ0メ
ンは儀礼テーブルの西側で祭壇すなわち東側 を向いて祈 薦 を唱 える。立 った ままの祈薦が終わると祭壇 の前 に低 い椅子 を置いて座わ り,バルチェの入 ったボァルを小 さな棒でかき混ぜなが ら
,朗
唱による祈薦 を行 う。この「水祭壇」の祈薦 はフ・ メンが一人で行い,参加者の大方は儀礼の次のプ ロセスの準備 を続 ける。すべての祈薦 を終 えると,フ・ メンは人々 に「おはよ う」 と声 をか け,祭壇 に供 えてあったサカを人々 に配 る。 こうした水祭壇の祈 薦が 2日 目の「料理祭壇」の前 まで5〜 6回繰 り返 され る。 この間,フ・ メン
はもちろん,多くの人 は儀礼の場 にハ ンモ ックを吊るして仮眠 を取 るだけで こ の作業 を夜 を徹 して続 ける。 なお, 1日目の夜 には,このフ・ メンの祈稿の合 間に,村のカ トリック教会の祈薦師によるキ リス トヘの祈 りが一度行われた。
3.2.3「
料理祭壇」の準備テ ィムクイ村のチャ・ チャーク儀礼では2章で紹介 した ピブが一切作 られな かった。アカンケーのフ・ メンによると,彼が今 まで引 き受 けたチャ・ チャー ク儀礼で ピブが作 られ るのは見た ことがない と言 う。2章で述べた ように,ピ
ブにはその まま祭壇 に供 えるもの と,細か く砕いて鳥の煮汁 に混ぜ るための も のの二つがあるが,ティムクイ村ではこれ らの代わ りに,サカに鳥の煮汁 を混 ぜた コール と トルティージャを細か く千切 って鳥の煮汁 に混ぜた ソパsOpaが 作 られた。以下 にその調理手順 を記す。 なお,供物用 に用い られた鳥 は七面鳥 雄3羽,七面鳥雌3羽,鶏雌10羽だった。以下,本稿 ではこれ らを区別せず全 てを指す場合 には トリと片仮名表記す るもの とす る。
[I]ト リの水煮
1.儀礼の場 で殺 された トリの羽根 をむ しり
,残
った羽根 を火であぶって焼 く。この時,七面鳥 は足 を入念 にあぶ り,ウロコ皮 を剥いてお く。
2.あぶった トリのか らだ全体 にンモ ンの汁 を塗 る。
3.水で洗 う。
4.ト リをさば く。 まず,足のひざの関節か ら下
(2σ
θσ力')を
切 り落 とし,爪を切 る。 また
,同時 に胴体 の肛 門 を 切 り捨 て る。次 に首 をは ね
,ロバ シを落 とす。 その次 は 手羽 を落 とす。
腹 を割 き内臓 を 取 り除 いた後
,ブ ツ 切 り に す る。内臓 の うち
,心臓 と肝臓
,卵だ けは取 り分 け られ
,その他 は 全 て 捨 て ら れ
る。
5.鶏
の手羽 を 含 む胴体 〈
1〉,七 面鳥 の手羽 を含 む胴体 〈
2〉,足・
首
0内臓 〈
3〉をそ れ ぞれ別 のパ イ ラに入 れ て水 で 煮 る。
6。 4で
切 り落 とした捨 て る部 分 は フ 0メ ンが ま とめて ビニ ー
写真
2チ ャ・ チャーク儀礼の祭壇
(ティムクイ村
)料理 を指揮 す るフ ル袋 に入 れ祭壇 の北東 の木 につ るす。
7.煮
立 った全 てのパ イ ラに塩 とアチオ テ とい う赤 い天然 の着色料 を加 えて
,割冊Ⅲ冊
111「
鷲i―‑16‑